Prologue: 沙都子(高校生私服): ふぅ……。 壁に掛けたカレンダーを見る。1988年の12月も、明日で終わろうとしていた。 沙都子(高校生私服): もう年末だなんて……つくづく月日が経つのは早いものですわね。 トランクの中身を点検しながら、私は少しお年寄りめいたことを呟く。 ……久しぶりの#p雛見沢#sひなみざわ#rへの里帰りだ。忘れ物しないように気をつけないと。 沙都子(高校生私服): (冬の雛見沢は、まともにお店が開いていなくて気軽に買い物などできませんし……) 「忘れ物しても、近くで買い足せばいい」と話していたのは……都心に住んでいるというクラスの子だったか。 思わず、そこで反論したくもなったが……少し考えてやめることにした。常識の違いの指摘ほど、不毛なものはないだろう。 沙都子(高校生私服): (まぁ……便利なのは、素直に羨ましいですけどね) そんな羨みめいた思いをかすかに抱きながら、足りないものを確認し終えて準備は完了。 ……そして、トランクを閉めると同時にコンコン、と扉が叩かれる音が聞こえてきた。 沙都子(高校生私服): はい、どうぞ。 振り返ると同時に、開けっぱなしにしていた扉の隙間から2つの顔が中を覗き込んでいるのがみえる。 ひとりは予想の通り、梨花だ。そして、もうひとりは……。 沙都子(高校生私服): あら……会長さん。まだ学園に残っておられましたのね。 灯: 会長じゃなく、元会長だよ。もうとっくに生徒会は引退したんだからさ。 沙都子(高校生私服): そうでしたわね……失礼しましたわ。その呼び名が板についてしまっていたので。 そう言って詫びながらも私は、この呼び方は彼女が卒業してもきっと抜けないだろう……とも内心で思う。 外部進学を決めた3年生の秋武さんは、合否にかかわらず3ヶ月も経たないうちにルチーア学園を去ることになる。 寂しさはあるが……それも仕方ない。学生である以上、卒業は不可欠なものなのだから。 梨花(高校生私服): ……沙都子。 と、そんなやり取りを会長さんと交わしていると私と彼女の間にすぃっと梨花が割り込んでくる。 ……気のせいかもしれないが、心なしか不機嫌さが顔に表れているようにも見える。 よりにもよって、梨花が嫉妬?……まさか、考えすぎだろう。 梨花(高校生私服): 準備はできた?そろそろ、魅音の車が校門近くに来る時間だけど。 沙都子(高校生私服): えぇ。結構ぎりぎりになってしまいましたが、なんとか収めることができましてよ。 はち切れんばかりに膨らんだトランクだけど、一度閉まったからにはなんとかなる……と思う。 ……ただ、私の荷物を一瞥した梨花は呆れ顔でため息をつくと、髪をかきあげながらたしなめるように言った。 梨花(高校生私服): 沙都子……少し荷物が多すぎるんじゃない?ほんの数日を、雛見沢で過ごすだけなのに。 梨花(高校生私服): 久しぶりの里帰りだからって、戻ることも考えて荷造りをしないと帰る時がきつくなるだけよ。 沙都子(高校生私服): これでも厳選に厳選を重ねて絞り込んだ結果でしてよ。……梨花こそ、そんな少ない荷物で大丈夫ですの? 梨花の荷物は、肩から提げている小さなボストンバッグのみだ。……正直に言って、その程度で冬の雛見沢を過ごせるとは思えない。 沙都子(高校生私服): 着替えとか足りますの?洗濯をしたとしても、同じ服を繰り返しては村の人たちに鼎の軽重を問われましてよ。 梨花(高校生私服): 平気よ。着替えだったら、実家にいくつか残してきているもの。 せっかく心配してあげたのに、梨花は涼しい顔だ。……悔しいので、少しだけ意地悪を思いつく。 沙都子(高校生私服): はぁ……梨花が羨ましいですわ。私はここ数年ずっと、身体の成長が止まらなくて半年前の服さえ着ることができませんし。 沙都子(高校生私服): 雛見沢に置いてきた服なんて小さくなって、もう捨てるしかありませんわね……はぁ。 梨花(高校生私服): ……それって、私があんたと違って成長していない、ってことかしら? ジト目を向けてくる梨花の視線に、私はこみ上げる笑いをかみ殺す。 今期の生徒会役員は、揃いも揃って発育が良い子ばかりだ。……おかげで最近の梨花は、自分の発育状況をことさら気にしている。 別に私は、そんなことを気にしなくても新生徒会長の魅力や信頼度が下がったりしないと本気で思ってはいるのだけど……。 以前そう言って励ました時の梨花の怒り具合は、とにかくもう……酷かった。数日間は顔を合わせても全く口を利いてくれなかったほどだった――。 沙都子(高校生私服): まぁ、ここまで体型が違ってしまっては梨花と同じ服を着ることなんてできませんわねぇ。昔は服の交換とかも簡単にできましたのに。 沙都子(高校生私服): もう梨花と服の共有ができないなんて、寂しいですわねぇ~……をーっほっほっほっ! 梨花(高校生私服): ……その口に、カボチャ丸ごと詰め込むわよ。 灯: ふむ、見事な返しだねー。北条くんは言語の方面でも成長し……いったぁ?! びょんっ! と会長さんの身体がウサギのように跳ねる。どうやら足の位置から見て、梨花が思い切り踏んづけたようだ。 梨花(高校生私服): すみません、うっかり足が滑りました。 灯: 滑ったのは足かい?! それとも怒りの感情かい?! 梨花(高校生私服): さぁ? 両方の可能性も否定できませんが。 踏まれた片足とは逆の足のみで、会長さんは跳ね回って涙目になっている。 元生徒会長と、現生徒会長のやり取りが実に子どもじみた姿にしか見えなくて……なんだか、とてもシュールだ。 沙都子(高校生私服): (まぁ……梨花もずいぶん、会長さんの扱いに慣れましたわね) 最初はあんなに苦手そうにしていたのに……いや、苦手なのは今も同じかもしれないが。 沙都子(高校生私服): ……ゲホッ、ゲホゲホッ! ふいに、咳が喉から飛び出してくる。……起きた時は止まったと思っていたのだが、またぶり返してきたらしい。 梨花(高校生私服): 沙都子……大丈夫? 沙都子(高校生私服): ゲホッ……えぇ、問題ありませんわ。にしても咳がまだ残ってしまうなんて、今年の風邪はタチが悪いですわね……。 梨花(高校生私服): やっぱり残ったほうがいいんじゃない……?あっちはもっと寒いんだし、無理は良くないわ。 沙都子(高校生私服): この程度なら、ご心配には及びませんのよ。……ちょっと失礼しますわね、朝のお薬を飲まないと。 昨夜、うっかり薬のほとんどをトランクの奥の方に詰めてしまったので……まだ朝の分を飲んでいなかったことを思い出す。 とりあえず、トランクを開けるのも手間なので私はポケットに残っていた風邪薬の包みを取り出し、机に置いていたコップの水で喉へと流し込んだ。 灯: それはそうと、梨花くん……じゃなかった、会長。 梨花(高校生私服): 前と同じでいいですよ。……なんですか、会長? 灯: 実家の神社で年始の儀式に出るそうだけど、それって毎年の#p綿流#sわたなが#rしのお祭りに行われるという奉納演舞みたいなものなのかい? 梨花(高校生私服): まぁ、近いといえば近いものですが……綿流しほど大掛かりな演舞をやるわけではありません。 梨花(高校生私服): 村の神様に1年の無事を願い、お供物をして祈りを捧げる程度ですね……だから。 梨花(高校生私服): 沙都子も、別に私に付き合って帰らなくてもいいのよ?ただでさえ体調が戻っていないんだから。 沙都子(高校生私服): …………。 ごくり、と風邪薬を飲み込み口もとの水を拭う。 沙都子(高校生私服): (私も当初は、そのつもりでしたわ……けど……) 熱が出たのは、先月の末頃。 校医に診てもらって薬も出たのだけど、治りが遅いので地元の病院に行くか行かないか、という話になったその日の夜――。 高熱に浮かされる中……私は、嫌な夢を見た。 そこで見た光景が記憶から拭い去れず、さりとて梨花には直接尋ねるのもはばかられて……。 私は迷った末、見舞いに来てくれた先代生徒会長に相談することにしたのだ。 てっきりからかわれるか笑い飛ばされて、それで少しは気が晴れると期待していたが、彼女はしばらく黙り込んだ後……。 灯: ……。一年の計は元旦にあり、という言葉は知っているかい? 沙都子(高校生私服): は……? ……なんてことを言い出したので、かえって私のほうが戸惑ってしまった。 沙都子(高校生私服): え、えぇ……聞いたことはありますけど、それが……? 灯: ざっくりまとめると、始まりである元旦に一年の計画をしっかり立ててやっていこう!……ということなんだけどね。 灯: 私の叔父さんの友人は、こう言ったんだよ。「一年の計は元旦にあり」の「計」は計画ではなく、実は刑罰の「刑」ではないか、ってさ。 沙都子(高校生私服): 刑罰……? 灯: 正月だとみんな、普段とは違う行動を取るだろう?たとえば、お正月にお餅を食べる人はたくさんいる。……でも、お餅を常食している人はそう多くない。 沙都子(高校生私服): 確かに、お正月以外は滅多に食べませんわね……おはぎなら、おやつとして頂きますが。 沙都子(高校生私服): あ……つまり、お正月にお餅を喉に詰める人が多いのは、食べ慣れないものを食べるから……? 灯: うん。慣れないことをすると失敗しやすいの代表例ってやつだね……ゆえに、正月は悪いことが起きやすいと言われている。 灯: だからこそ、「一年の刑は元旦にあり」とは正月に慣れないことをして失敗することで、一年間の罰を先取りしようという考え方なんだ。 灯: 前向きに捕らえるなら、正月に悪いことが起きたらそれ以上の悪いことは起きない、ってところかな。 沙都子(高校生私服): はぁ……斬新な仮説ですわね。 灯: で、話を戻すと……沙都子くんは、梨花くんの大晦日の演舞が心配かい? 沙都子(高校生私服): まぁ、大晦日に演舞をやるのは去年から客寄せとして始められたもののようですし……って、妙な夢の原因はその不安のせいですの? 沙都子(高校生私服): ……せっかくお正月を迎えるのに、縁起が悪い話ですわね。 灯: そうだね。でも、そもそも正月とは縁起がいいものだ、嬉しいものだ、幸せなものだ……というイメージ自体が、そもそも思い込みなんじゃないかな。 沙都子(高校生私服): ……会長さんの言葉は妙に回りくどくいですわね。私の頭では追いつきませんことよ。 灯: そうか、すまない。じゃあ言い方を変えよう。 灯: これは例え話になるが……何もない平日と、正月。同じものを落とすとしたら、正月に落とした方が平日よりも余計に落ち込む……なんてことはないかい? 沙都子(高校生私服): 確かに、お正月の方が落ち込みますわね。 灯: つまり沙都子くんは、一般的な考え方として正月は幸せな日であって欲しいと思っている。だから……。 沙都子(高校生私服): ……要するに、こういうことですの?悪夢をただの夢で終わらせるには、私が自分の目で現実を見て確認するしかない……と。 灯: …………。 灯: ……そう結論づけたのなら、梨花くんと一緒に帰るというのも手段のひとつだと思うよ。 灯: まぁそのためにも、風邪は早く治さないとね。 沙都子(高校生私服): いいではありませんの。私も久しぶりに、皆さんとお会いしたいですし。 そう言って私は、無理矢理に理由を並べ立てる。……どうやら会長さんは、約束通り私の夢のことを梨花に言わないでくれたようだ。 沙都子(高校生私服): (体調が完全に戻らなかったのは、誤算ですが……) 沙都子(高校生私服): それに、既にほとんどの人が帰省してしまった寮にいてもつまらないだけですわ……こほっ。 梨花(高校生私服): …………。 梨花は私を止められないと判断したのか、諦めたようにため息をつく。そして会長さんに、矛先を変えていった。 梨花(高校生私服): ところで、会長は帰省しないんですか?冬休みから共通一次が終わるまでは実家にいると聞いた記憶があるのですが……。 灯: 帰るよ。今日の夕方頃、叔父さんが迎えに来るんだ。 梨花(高校生私服): ……叔父さんって、確か今ビルマにいるのでは? 沙都子(高校生私服): ビルマ……?先月聞いた時は、ソ連にいると聞きましたけど。 灯: 絶えずいろんなところを転々としているんだよ。日本に帰ってくるのも先週知ったばかりなんだ。 灯: いやぁ、楽しみが過ぎて冷や汗が止まらないよ。叔父さんが帰ってくる時はお友達とトラブルがたいていの場合随伴してくるからねー。 灯: 女性にはまっっっっっっっったく好かれないが、同性とトラブルには愛されている叔父さんなんだよ。さすがに今回、爆発は勘弁してくれるといいなぁ。 沙都子(高校生私服): ば、爆発……? 灯: というわけで私も頑張って帰省するので、お互いに頑張ろう。おーっ。 と、彼女が間の抜けた声と共に右拳を天高く突き上げた直後。 生徒の呼び声A: ちょっとぉおおお!! あーかーりぃいいい!!!元・生徒会長ぉおおおおおおおおおおおおお!!!! 生徒の呼び声B: どこ行ったあの女ァーーっ!! 廊下の方から、凄まじい叫び声が響き渡った。 沙都子(高校生私服): ……呼んでおられますわよ、会長さん。 梨花(高校生私服): しかも、怒ってませんか……? 灯: うん、誰か呼んでるね。じゃあ私はこれで!2人とも、道中気をつけて! お土産も期待してるよ! 彼女は軽く手を振り、部屋を出て行った……なぜか、窓から。 沙都子(高校生私服): 相変わらずの人ですわね……。 梨花(高校生私服): ……今度は、何をやらかしたのかしら。 沙都子(高校生私服): さぁ……それにしても、雛見沢のお土産って何がありましたっけ? 梨花(高校生私服): 詩音が言ってた缶詰でも買ってくる?ほら、「例」の肉が入ったあれとか。 沙都子(高校生私服): あぁ、「人肉缶詰」?あんなもの、都市伝説でしょうに。 沙都子(高校生私服): それにあの人は物よりも土産話の方が喜びますわ……さて。 私は気持ちを切り替えて、トランクを持ちあげる。そして隣の梨花に振り返っていった。 沙都子(高校生私服): 行きますわよ、梨花。 梨花(高校生私服): えぇ、帰りましょう……雛見沢に。 Part 01: 声: ……て。 沙都子(高校生私服): ん……ぅ……? 声: ……きて。 声: ……起きてよ、2人とも。 沙都子(高校生私服): う、ううん…………。 声: 2人とも、起きてー。 あれ、この声は……? ぼんやりとした視界で車内を見渡した後、最後にとらえた運転席のバックミラー越しに見えたのは……魅音さんの顔だった。 沙都子(高校生私服): ……ふぁぁ……っ……。 魅音(大学生私服): あ、やっと起きたね。何度起こしても起きないもんだから、ちょっと心配しちゃったよ。 沙都子(高校生私服): ここは車の中……ですの? 梨花(高校生私服): ん、んんっ……。 その呟きに呼応するように、隣でぐっ、と動く気配を感じる。 首を傾けて横を見ると、梨花が眠たげな眼をこすっている様子が目に映った。 その向こう側、窓の外には見慣れた山間部。……既に#p興宮#sおきのみや#rを越え、#p雛見沢#sひなみざわ#rへ入っていたようだ。 沙都子(高校生私服): 申し訳ないですわ、魅音さん。すっかり寝てしまっていたみたいですわね。 出かけ間際に飲んだ、風邪薬のせいかもしれない。そう思ってまだ晴れない思考で言葉を紡いでいると、魅音さんは笑いながら私に答えていった。 魅音(大学生私服): あははは、大丈夫だよ。けど、沙都子だけならともかく梨花ちゃんもぐっすりだなんて、珍しいね。 梨花(高校生私服): しょうがないじゃない……寮を出るまで、ずっと生徒会の仕事とかで動きっぱなしだったんだから……ふぁ……。 魅音(大学生私服): ふたりとも、お疲れ様だねー。……このまま古手神社に向かっていい? 梨花(高校生私服): えぇ……ありがとう、魅音。けど、せっかく運転してもらっているのに眠ってしまってごめんなさい。 魅音(大学生私服): 気にしない気にしない!昨日は東京でたくさん戦利品をゲットしたから今すっごい元気がみなぎってるんだよね~。 沙都子(高校生私服): そ、そうですの……。 魅音さんは私たちを迎えにくる前に、東京に行って買い物をしてきたそうだ。 そのついでにルチーアの私たちを拾って、一緒に帰省することになっていた。 魅音(大学生私服): あ、そうそう。先代の生徒会長って人から聞いたんだけど、ふたりともルチーアで頑張っているみたいだねー。 魅音(大学生私服): なんでも校則をイチから見直して、抜本的に改革する予定なんだって?いやいや、ほんと大したもんだよ~。 梨花(高校生私服): えぇ、そうだけど……ってあの会長、いつの間に魅音とそんな話をするほど仲良くなっていたのよ……? 沙都子(高校生私服): まぁ、そのおかげで冬休みの間もずっとほとんど休みなく働かされておりますけどね……。ゲホッ、ゲホゲホッ……! 魅音(大学生私服): ん……どしたの、沙都子? 風邪でもひいた? 沙都子(高校生私服): えぇ……少し前に、ちょっと。ほとんど治ったはずなのですが、咳だけちょっとしつこくて……。 沙都子(高校生私服): 期末直前にかかってしまったせいで、生徒会の仕事を先代の会長さんにまでお願いすることになったりして……。 沙都子(高校生私服): おまけに冬期講習が冬休み直前まで入っていたおかげで、息をつく暇もなくて……まったく、散々でしたわ。 梨花(高校生私服): くすくす……そういうわりに沙都子、一度も手を抜くことがなかったじゃない。 梨花(高校生私服): むしろ他の子の仕事も手伝ったりして、ずいぶん頼りにされていたくらいだしね。 沙都子(高校生私服): 困っている人を助けるのは、生徒会の人間として当たり前ですわ。 沙都子(高校生私服): ……まぁ、頼られたり感謝されたりして嫌な気などはしませんが……あの学園は、学校に馴染めない子が多すぎますわ。 沙都子(高校生私服): (そう……かつての私が、まさにそうだった) 私には、梨花がいた……会長さんや、他の仲間も。ただ他の子も、そんな幸運に恵まれるとは限らない。 だからこそ、助けが必要だとわかった段階ですぐに手を差し伸べる……その必要性とありがたさを、私自身が痛いほど理解していた。 勉強は相変わらず苦手だし、好きにはなれそうにもないけれど……。 それを差し引いても、楽しいと言えなくもない日々を過ごせていると言ってもいいのかもしれない。 魅音(大学生私服): ……。沙都子、成長したねー。 沙都子(高校生私服): 何がですの?……って、身体が? 梨花(高校生私服): もう、なんでこっちを見るのよ。そのネタを引っ張るのはやめて。 魅音(大学生私服): ネタ?……まぁともかく、みんなも今の沙都子を見たら驚くと思うよ~。 沙都子(高校生私服): ……そうだといいですわね。 そう呟きながら私は、窓の外を見る。 流れる景色は、見覚えのあるものばかりだ。……懐かしさとともに、安堵がこみ上げてくる。 沙都子(高校生私服): 久しぶりの里帰りになりますが……雛見沢も、あまり変わっておりませんわね。 魅音(大学生私服): そりゃ、1年やそこらで変わったりしないよ……って、そっか。沙都子は去年帰ってきていなかったんだっけ。 魅音(大学生私服): でもさー、今年はどういう風の吹き回しで帰ってくる気になったの? 沙都子(高校生私服): まぁ……ちょっとした気まぐれですわ。懸念材料だった勉強漬けの毎日にも、ようやく身体が慣れてきましたもの。 沙都子(高校生私服): あと、去年は赤点こそ回避しましたけど……講習をフルに入れられておりまししね。 魅音(大学生私服): あぁ、そういえばそんなことを言っていたかなぁ。……ん? っていうことは、今年は赤点を回避? 沙都子(高校生私服): 当然ですわ! をーっほっほっほっ! 魅音(大学生私服): よかった。それを聞いたら詩音も驚くと思うよ。 魅音(大学生私服): もっともあの子は、今年はバイトが抜けられなくてこっちに帰って来るのが難しい、って言っていたけど。 沙都子(高校生私服): そうでしたの。事情があるのはお互い様ですが、会えないのは少し残念ですわね……。 詩音さんは、最後まで私のルチーア進学に反対していた。 今でも時々、彼女の言うことを聞いてルチーアなんかに行かなければと後悔する夜もあるくらいだ。でも……。 生徒会に入って後輩たちとあれこれ頑張っていると報告したら、きっと驚くと同時に喜んでくれると思う。 そんな詩音さんの反応を思い浮かべながら、着いたら彼女に手紙を一筆したためようかと私は考えていたのだけど……。 梨花(高校生私服): ……ところで、一穂たちは元気?私の家の管理と掃除、ちゃんとやってくれているといいんだけど。 沙都子(高校生私服): ……えっ……? それに重ねられた梨花の一言に、胸中に去来する寂しさは一気にかき消された。 魅音(大学生私服): あっはっはっはっ、その点なら心配いらないよ! 魅音(大学生私服): 梨花ちゃんたちをきれいな家でお迎えしようって1週間前から3人で大掃除していたくらいだからさ。久しぶりの実家でも、ゆっくり休めると思うよ。 沙都子(高校生私服): …………。 一瞬、聞き流しかけた。でも間違いなく、梨花は言った。 沙都子(高校生私服): (一穂たちって……) 沙都子(高校生私服): (いったい、誰のこと……?) Part 02: 沙都子(高校生私服): えっと、梨花……今の話に出てきた一穂……さんって、いったい誰のことですの? 反射的に、隣の梨花に尋ねかける。 別の誰かと間違えたと、そう言って欲しかった。たとえば……すぐには思いつかないけど、私が知っている子の名前であればいい。 でも……梨花だけでなく、バックミラー越しに見える魅音さんまでもが、なぜか私の質問に目を丸くしているのが見えた。 梨花(高校生私服): ……何を言っているの、沙都子?公由村長の孫娘の、一穂に決まっているでしょ。 梨花(高校生私服): #p雛見沢#sひなみざわ#rの分校で一緒に勉強したり、遊んだりしていたじゃない。……もう忘れちゃったの? 魅音(大学生私服): 沙都子……それはあんまりだよ。あんたとも久しぶりに会えるー、ってあの子たち、すごく喜んでたのにさ。 魅音(大学生私服): その冗談はあんまり面白くないから、本人たちの前では絶対言うんじゃないよ。いいね? 沙都子(高校生私服): いえ、あの……別に私、そういうつもりで申し上げたわけでは……。 どういうことだ……?まるで、おかしいのは私の方だと言わんばかりの口ぶりだ。 今は真冬で、車の暖房は節約のためか控えめ。なのに……首元に、汗が浮かぶ。 この汗が、やけに不愉快で……でも……。 沙都子(高校生私服): ……えぇ、わかりましたわ。 曖昧に頷くことで話をごまかしながら、慌てて汗を拭った。 沙都子(高校生私服): (……どういうことですの?) 取り急いで、雛見沢時代を思い返す。魅音さんが卒業した翌年、レナさんや圭一さんが卒業して進学したあと……。 私と梨花は、分校の最年長として下級生たちの面倒を数年間見ることになった。 当時のことは、ある程度鮮明に覚えている。……だけど、そこにいた下級生の中に「公由一穂」なんて子はいなかった……と思う。 沙都子(高校生私服): (いったい、どうなっておりますの……?梨花も魅音さんも知っているのに、私だけがその名前を思い出せないなんて……) 沙都子(高校生私服): (それに、梨花の家を掃除って……?) 梨花と魅音さんも、戸惑っている様子だ……それは私のせいだろう、よくわかっている。 でも、どうあがいても困惑する思考は、ギクシャクした雰囲気を打開する答えを与えてくれなかった……。 ……そうしているうちに、魅音さんの運転する車がゆっくりと進みを止める。 太陽が傾き、夕暮れに差し掛かる中……私たちは車を降りて、魅音さんを先頭に石階段を登っていった。 そして神社の境内にたどり着き、私たちを迎えてくれたのは……。 レナ(大学生私服): みんな、おかえりなさい! レナさんと……やはり見知らぬ、3人の女の子たちだった。 魅音(大学生私服): お待たせー、レナ!予定よりも遅くなって、ごめんね! レナ(大学生私服): ううん、平気だよ。圭一くんも来たがってたけど、やっぱり用事で来れないみたいで……お正月も難しいんだって。 魅音(大学生私服): そっか。圭ちゃんも忙しいんだねぇ。 レナ(大学生私服): 魅ぃちゃん、東京で何か良いものでも買えた? 魅音(大学生私服): うん! 山ほど戦利品をゲットしてきたよ!レナの好きそうなものもお土産に買ったから、あとで楽しみにしていてね! レナ(大学生私服): 本当に?! はぅ~、魅ぃちゃんありがとう! レナさんはひとしきり喜んだ後、魅音さんの後ろの私を見つけて微笑んでくれる。 とても懐かしい、安らぎに満ちた笑顔だ。また会えたことに、私は心からの喜びを覚えて自然と顔がほころびかける……が……。 レナ(大学生私服): 久しぶり~、梨花ちゃん、沙都子ちゃん!2人とも元気だったかな、かな……? 美雪(冬服): 今年は沙都子さんも帰ってきてくれたんですね!なんか前に会った時より大人っぽくなって……見違えましたよ。 菜央(冬服): 沙都子さんの部屋も、腕によりをかけて綺麗にしておきました。お正月が終わるまでの短い間ですが、のんびり休んでくださいね。 一穂(冬服): お……お久しぶりです沙都子さん、梨花さん。 魅音(大学生私服): 諸君、お迎えご苦労! 梨花(高校生私服): 会いたかったわ。元気していた? 片結びの子: はい! 長髪の子: おかげさまで。 沙都子(高校生私服): ……っ……。 梨花も魅音さんも、当然のように親しげな様子で3人の子たちに話しかけている。 でも私は、状況も飲み込めない上に顔を見ても名前すら思い出せなくて……。 沙都子(高校生私服): お……お久しぶり、……ですわ。 そう返すだけで、精一杯だった。 魅音(大学生私服): とりあえず2人とも、荷物を置いて一服したら園崎本家まで来てね。ご馳走を作って、待っているからさ。 魅音(大学生私服): じゃあ私、先に戻っているよ~! 沙都子(高校生私服): あっ……? 魅音さんを呼び止めて、聞きたかった。……彼女たちは誰なのか、と。 でも呼び止めるよりもずっと早く、彼女は石段を駆け下りてしまった。 沙都子(高校生私服): …………。 完全に予想外の展開に、立ち尽くすしかない。そんな私を梨花が気がつかないはずもなく、怪訝そうに顔を覗き込みながら尋ねかけてきた。 梨花(高校生私服): ……どうしたのよ?早く行きましょう、沙都子。 沙都子(高校生私服): 行くって……どちらに? 梨花(高校生私服): ? もちろん、神社の奥にある私たちの家よ。……他に行くところでもあるの? 沙都子(高校生私服): えっ……? それは、梨花がご両親と住んでいたご実家のことでは……? などと浮かんだ疑問を、私は必死に飲み込んで押し黙る。 そんな私の顔を首を傾げて見つめてから、梨花はボストンバックを片手に3人の女の子たちの元へ歩いて行ってしまった。 沙都子(高校生私服): …………。 仕方なく、トランクを抱えて梨花の後を追う。 沙都子(高校生私服): (……どういうことですの?) 私と梨花の家は、ここから少し進んだ先の倉庫のようなところ……の、はずだ。 なのに梨花の口ぶりだと、私と彼女はずっと神社の敷地内にある家で暮らしていたことになっている……? 片結びの子: 梨花さん、お風呂の支度もできてますからお湯をはればすぐに入れますよ。朝から、一穂が綺麗に磨いてくれたんで。 長髪の子: 部屋の掃除は私と美雪でやっておきました。 片結びの子: うんうん、2人で頑張ったよねー! 梨花(高校生私服): ありがとう菜央、美雪。おかげで今年も、ゆっくりと過ごせそうだわ。 沙都子(高校生私服): …………。 この呼びかけ方だと、片髪を結んでいる子が美雪で……長い髪の子が菜央か。だとしたら消去法で、残りが……。 沙都子(高校生私服): (……くせ毛の子が、公由一穂?そういえば、あの子はどこに……) 一穂(冬服): あ、あの……。 沙都子(高校生私服): ひっ……?! 突如現れた背後の気配に、慌てて振り返る。そこには、困ったような顔をした一穂……と思しき女子が居所なさげに佇んでいた。 一穂(冬服): えっと、あの……沙都子、さん……? おずおずと声をかけてきた彼女に、動揺を悟られないように身構える。 沙都子(高校生私服): っ……な、何か御用ですの……一穂、さん? 名前は合っていたのか、一穂と呼んだ彼女はちょっと考えるように黙り込んだ後……。 一穂(冬服): ……。いえ、なんでもないです。 伏し目がちのまま、私の手元に視線を向けておずおずと小さな声で話しかけてきた。 一穂(冬服): あの……お、お荷物……お持ちしましょうか? 沙都子(高校生私服): ……いえ、大丈夫ですわ。 一穂(冬服): そ、そうですか……。 私のカバンを持とうと伸ばしかけた手を引っ込める仕草は、軒下に身を隠す猫のように怯えた感じだ。……気弱な性格なんだろう。 そんな子から見れば、今の私はずいぶんと冷たく見えるのかもしれない。 でも……良心が傷ついても、彼女の正体がわからないことがあまりにも恐ろしくて。 私は優しい言葉をかけることもできず、先を行く梨花の後を追うことしかできなかった。 沙都子(高校生私服): …………。 逃げるという発想が一種浮かび……泡末のように消える。 沙都子(高校生私服): (……梨花を、ここに置いていけませんわ) それだけが今の私をこの場に留まらせる、唯一の理由だった。 一穂(冬服): ……。あ、あの……。 沙都子(高校生私服): なんですの……、っ? 再び声をかけられて振り返り……。今にも泣き出しそうな顔に、酷く驚いた。 一穂(冬服): どうして沙都子ちゃん、そんなに大きくなっちゃってるの……? 沙都子(高校生私服): えっ……? Part 03: 沙都子(高校生私服): ……っ、……ふぅ……。 ここは、「あの家」ではなく古手邸……梨花の実家だ。滞在中はその客間のひとつが、私の仮の住まいとしてあてがわれている。 沙都子(高校生私服): (聞いたところによると、今は「あの」3人が清掃と管理をする代わりに住んでいる……と) そのおかげで私は、久しぶりの帰郷でも埃やカビの心配などなく快適に過ごすことができている……はずなのだけど……。 沙都子(高校生私服): ……。どうにも居心地が悪いというか、落ち着かない感じは否めませんわね……。 なんとか眠りにつこうと寝返りを繰り返してみたが、血が巡ってしまうせいか目は冴える一方だ。 仕方なく私は布団を出て、少し頭を冷やすつもりで縁側に出ることにした。 ……「蛍雪の功」とは、よく言ったものだ。月の光を反射する雪のおかげで、深夜でも外の景色を薄ぼんやりとでもとらえることができる。 もっとも……古手邸を利用することがほとんど皆無だった私にとっては、懐かしさよりも場違い感ばかりが際立っていたが。 沙都子(高校生私服): っ……やはり#p雛見沢#sひなみざわ#rの冬は、ルチーアよりもかなり冷え込みますわね……。 手をこすり合わせて白い息を吐き……私は、夕食の席でのことを思い返す。 日が暮れてから行われた、園崎本家での歓迎会……ほぼ2年ぶりに再会した魅音さんたちとの会話は、確かにとても楽しかった。 圭一さんや詩音さんと会えなかったのはやはり寂しかったけど……その分を含めても、以前の思い出話に花を咲かせることができた。 沙都子(高校生私服): ……。だけど……。 やはり、どうしても気になるのは記憶にないあの3人の存在だった。 沙都子(高校生私服): 決して、悪い子たちじゃない……それは十分に、わかっているんですけど……。 覚えのないあの3人と、魅音さんたちが談笑しているのを目にするたび……盛り上がりかけた気持ちがしん、と鎮まってしまう。 だから、懐かしさに浸るよりも不気味さ、怪しさが心に満ち満ちるのを抑えきれなくて……彼女たちから、距離を取らざるを得なかったのだ。 沙都子(高校生私服): 本当に、私が覚えていないだけ……忘れてしまったということですの……? あまりにも周囲との認識のズレが大きすぎるせいで、自分が正しいのかどうかさえ……確証が持てない。 この2年近く、私は学業と生徒会活動を勤しみ……梨花に心配をかけまいという一心でルチーアでの日々を必死に送ってきた。 その努力はことさら誇示するものではないとしても、自信に繋げるだけの価値は十分にあっただろう。私はよく頑張ってきたと、胸を張って言えると思う。 ただ……そのせいで過去を、ましてや雛見沢で自分を慕ってくれた子たちを忘れてしまったのだとしたら、私は……。 沙都子(高校生私服): 魅音さんの言う通り、薄情だと思われても仕方ありませんわね……。 自己嫌悪の思いがせり上がってきて……私は大きく、ため息をつく。 ただ……見苦しいかもしれないが、どうしても気になる。なぜ私は、あの子たち「だけ」を思い出すことができないのだろうか、と――。 沙都子(高校生私服): そういえばあの子……一穂さん、でしたか。別れ際に妙なことを言っておりましたわね。確か……、っ? 癖っ毛のある髪の女の子の言葉を思い出そうとしたその時……私は自分の背後に、人の気配を覚える。 振り返ると、そこには今頭に思い浮かべていた3人の中のひとり……一穂さんが立っていた。 一穂(冬服): あ……ご、ごめんなさい。喉が渇いて、台所に行こうと思ったら沙都子ちゃ……。 一穂(冬服): じゃない、沙都子さんの姿が見えて……それで……。 沙都子(高校生私服): 別に構いませんわ。私も少し、寝付けませんでしたので。 沙都子(高校生私服): ……一穂さん。少し、お話をさせてもらってもよろしくて? 一穂(冬服): あ、はい……。 私の誘いを受けて一穂さんは、その隣にちょこん……と座る。 少し気弱そうにも見えるが、素直ないい子だ。歓迎会では梨花が妹同然に可愛がっていたようだが、それも頷けるような気がする。 沙都子(高校生私服): …………。 一穂(冬服): …………。 ただ……空気が重い。誘ってはみたものの、私はこの子のことを何も「知らない」のでどんな話題を出せばいいのかが、さっぱりだ。 とりあえず、話のつなぎ程度になればいいと考えて……ふと昼間のことを思い出し、なんとなく尋ねてみることにした。 沙都子(高校生私服): そういえば昼間、何か私に話したいことがあったみたいですけど……。 一穂(冬服): ……っ……。 そう言って話を振り向けると、一穂さんはしばらく考え込むように顔を伏せて押し黙る。 いきなりここに触れるのはまずかったか……一瞬後悔が鎌首をもたげかけたが、それを打ち破るように彼女はぽつり、と小さな声で呟くようにいった。 一穂(冬服): あの……気を悪くしたら、ごめんなさい。私の記憶だと、沙都子……さんと梨花さんは上級生じゃなくて……。 一穂(冬服): まだ分校に通ってる下級生のはずだったんです。 沙都子(高校生私服): は……? あの、それはどういう意味ですの? 突然告げられた内容に、私は意図が理解できず唖然とした思いで口をぽかん、と開けてしまう。 だけど一穂さんは顔をあげると、意を決したように私を真正面から見据えながら自らを励ますように言葉を繋いでいった。 一穂(冬服): 信じられないかもしれません……でも、最後まで聞いてください。実は――。 沙都子(高校生私服): ……なるほど。今朝起きてみると、当然だと思っていた世界が一変していて……。 沙都子(高校生私服): 魅音さんとレナさんは、大学生に。私と梨花は高校生になっていた……そういうことですのね? 一穂(冬服): うん……じゃなかった、はい。一緒にいた美雪ちゃんと菜央ちゃんに相談しても、何がおかしいのかって逆に心配されちゃって……。 沙都子(高校生私服): ……だからあの時、あなたは私に聞いてきたのですね。「どうして成長しちゃったの?」と。 一穂(冬服): ご、ごめんなさい……あんな質問をされて、もしかしたら怒ったのかと思って……。歓迎会でも、あまり喋ってくれなかったし……。 沙都子(高校生私服): 別に怒ってなどおりませんわ。お話をする気になれなかったのは、あくまでも私自身の困惑のせいですし。 沙都子(高校生私服): でも……確かに、歓迎してくれたあなた方に気を遣わせてしまったのは、失態でしたわね。ごめんなさいですわ、一穂さん。 一穂(冬服): あ、いえ……そんなことは……。 一穂(冬服): ……。あの、沙都子……さん。私の今の話……信じてくれるんですか? 沙都子(高校生私服): えぇ。普通であれば荒唐無稽すぎる話で、侮辱されたと考えてしまうかもしれませんけどね。 ただ、一穂さんからそのことを聞いた私は驚きと同時に、なぜか……納得を覚える。 それは、彼女が嘘やでまかせを口にするような器用で不誠実な人間とは思えないという、奇妙な信頼を覚えたことも大きな要因だったが……。 何より、自分がこの村に来てからずっと抱き続けていた違和感の正体に……ぴたりとはまる回答のようにも思えたからだ。 沙都子(高校生私服): では……私の方も、腹を割ってお話をしましょう。一穂さん……? 一穂(冬服): えっ……? あ、はい……? 沙都子(高校生私服): あなたも、どうかお気を悪くしないで聞いてくださいまし。……実は私、あなた方のことをよく覚えていないんですの。 沙都子(高校生私服): 分校で一穂さんたちの面倒を見て、慕われていたと魅音さんと梨花も言っていたんですけど……。 沙都子(高校生私服): その当時の記憶が抜け落ちているというか、全く覚えがなくて……。 一穂(冬服): …………。 そして私は思いつく限り、梨花や魅音さんとの記憶の違いを一穂さんに打ち明ける。 それを聞いて彼女も、かなり驚いた様子だったが……決して否定や疑いを感じさせることなく、一々頷いては得心した表情を見せてくれるのがなんとも嬉しかった。 沙都子(高校生私服): ……全く、妙なものですわね。この「世界」は、いったい何なのかしら?色々とおかしすぎて、頭がスパゲッティ状態ですわ。 一穂(冬服): う、うん……私も、まだそのあたりがよくわかってなくて……。 沙都子(高校生私服): まぁ、それも当然ですわね……ゴホッ……! 少し冷えたせいか、また咳がぶり返してくる。これ以上起き続けているのは、今後のためにもあまり良くはないだろう。 沙都子(高校生私服): とりあえず、まずは冷静になるためにも寝ることにしましょう。もう、夜も遅いですしね。 一穂(冬服): うん、わかった……じゃない、わかりました。 沙都子(高校生私服): 別に、敬語を使ってくださらなくても結構ですわよ。何度も言い直しているご様子ですし、どうぞ「沙都子ちゃん」と呼んでくださいまし。 一穂(冬服): あ、あははは……ありがとう、沙都子ちゃん。 そう言ってにっこりと笑う一穂さんの顔は、とても愛らしく見えて……。 たとえ思い出せないにせよ、警戒などせずにこれから仲良くしても別に構わないかな……と私はなんとなくだけど、そう感じていた。 Part 04: 沙都子(高校生私服): …………。 やはり馴染みの薄い部屋の様相が、視界いっぱいに広がっていく。 私の部屋なのに、私の部屋じゃない……奇妙な違和感の中にいるせいで、全くと言っていいほど休める気がしなかった。 沙都子(高校生私服): ケホッ……。 沙都子(高校生私服): (……相変わらず、咳が収まりませんわね) しかも、頭が少し火照って熱い感じがする。……また熱がぶり返しかけているのかもしれない。食欲はないけれど、薬を飲まないと悪化しそうだ。 沙都子(高校生私服): ……寒っ……。 薬を片手に、身を震わせながら廊下へと出る。そして……。 美雪(冬服): おはようございまーす! 菜央(冬服): おはようございます。朝ご飯、準備できてますよ。 居間にいたのは、知っているようで知らない女の子たちだけだ。……梨花の姿は、どこにもない。 沙都子(高校生私服): …………。 砂でも噛むような顔で食事を前にして、一穂さんと目配せし……私は2人に向き合った。 沙都子(高校生私服): 美雪さん、菜央さんすみません。少し……お話があります。 一穂(冬服): わ、私も……話したいことがあるの! 美雪(冬服): んー……? 自分の部屋に戻る途中……一穂さんは、私に向かっていったのだ。 一穂(冬服): あ、あの……沙都子、ちゃん。朝になったら、美雪ちゃんたちに相談するのはどう……かな? 沙都子(高校生私服): 美雪さんたちに?こんなことを突然言い出したら驚きません?下手をすると正気かどうか疑われますわよ。 一穂(冬服): そ、それは……それは、多分……驚くと思いますが。 一穂(冬服): でも、私が知ってる美雪ちゃんたちなら、きっと笑わないで真面目に聞いてくれると思います! 沙都子(高校生私服): っ……まぁ、そこまであなたがおっしゃるのなら……。 というわけで、私も打つ手が思いつかなかったこともあり……そっくりそのまま美雪さんと菜央さんに打ち明けることにしたのだ。 その結果は……。 美雪(冬服): ……んー、なるほど。 美雪(冬服): どうして記憶だけじゃなくて年齢とか立場とかまで変わったのかは大いに疑問が残るけど……。 美雪(冬服): 一穂に加えて、沙都子さんまでもがそんな認識なんだとしたら……どうしてこんな事態になったのか、原因を突き止める必要がありそうだね。 美雪さんも菜央さんも、不思議そうにしながらも一切笑ったりせず真面目に話を聞き届けてくれた。 菜央(冬服): でも今の話で少し納得できたわ。一穂、昨日から様子が変だったもの。 菜央(冬服): けど、今の一穂の話だと……レナちゃんはまだ大学生じゃなくて中学生だってこと? 菜央(冬服): ほわぁ、レナちゃんと机を並べて一緒に勉強なんて……それはそれで素敵かも、かも……。 菜央(冬服): あぁ、でも小さい子として可愛がってくれる今のレナちゃんを天秤にかけるなんて、あたしにはできない……! それまで大人びた態度だった菜央さんが、まるで子どものような様子を見せる。 レナさんのことをずいぶん慕っている様子だったが、よほど気に入る理由があるのだろうか……?まぁ彼女を嫌う人間など、そうそういないと思うが。 菜央(冬服): まか、それをさておいて2人の話を聞く限り、どうやらあたしたちのいる「世界」とここにいる一穂の「世界」……。 菜央(冬服): それと沙都子さんの「世界」の3つがこんがらがっているみたいね。 一穂(冬服): 「世界」がこんがらがってる……?それって、どういうこと? 美雪(冬服): んー、つまり今までにも、この#p雛見沢#sひなみざわ#rにはいろんな「世界」からやってきた人たちがいたんだけど……一穂は、覚えてる? 一穂(冬服): ご、ごめんなさい……。 美雪(冬服): いや、謝らなくてもいいって。私たちも正直、はっきりと記憶に残ってるわけじゃないんだからさ。でも……。 美雪(冬服): あれはそう……別の「世界」の住人たちって言ったほうがいいかな?今回の件は、おそらく彼らが来たのと同じだよ。 沙都子(高校生私服): なんというか……私が想定していた以上に、いろんな人が来ていたんですのね。 美雪(冬服): そうそう、色々あったんだよ。 一穂(冬服): そ、そうなんだ……こっちでも色々あったけど……そっか……。 沙都子(高校生私服): まぁ、私の場合……未来人とか別世界の人間とかは、ちょっと記憶にございませんわね。そういう意味だと、経験の数に違いがありそうですわ。 菜央(冬服): ……やっぱり、本当にいろんなものがこんがらがってるのかもしれないわね。 美雪(冬服): で、今回の問題だけど……。 美雪(冬服): 何かをきっかけにして、本来は違う「世界」にいたはずの人間が別の場所に移動して……。 美雪(冬服): 「正常」と受け止めていたものが、「異常」なものになってしまってるんじゃないかな? 菜央(冬服): だからあたしたちにとっての「正常」な世界は一穂と沙都子さんには「異常」なもので……。 菜央(冬服): 一穂の「正常」な世界は、今のあたしや美雪には「異常」な世界に見えてしまう。 美雪(冬服): 一穂が元いた場所って、みんなの年齢がもっと近いんでしょ? 美雪(冬服): う、うん。沙都子さんは、私たちよりずっと年下だったの。 美雪(冬服): あ、でも私たちがの場合は特殊な事情があるから正確に言えば……って、それはいいか。 沙都子(高校生私服): いずれにせよ……どれが正解なのかという議論自体には意味がなく、それぞれを本来の「世界」に戻す方法を探し出すことこそが解決の早道。 沙都子(高校生私服): つまり、そういうことですのね? 美雪(冬服): その通り。現状私や菜央、レナや魅音の認識が共通している所を見る限り、大本になってるのは私たちの方だと判断してもいいと思う。 美雪(冬服): この「世界」に元々いた一穂や沙都子さんがどこに行ったんだ問題、とかはあるけど……。 美雪(冬服): ひとまず2人は、自分たちの「世界」に戻る必要があるんじゃないかな? 菜央(冬服): そうね。案外、あたしたちの知ってる一穂はあなたと入れ替わってるだけかもしれないんだし。 美雪(冬服): じゃあここにいる一穂を帰せば、元の一穂が戻ってくるって寸法かぁ……私たちにも頑張る理由ができちゃったね! 菜央(冬服): この一穂も元の一穂と大差ないから、あたしとしてはあんまり気にならないけど。 一穂(冬服): あ、ありがとう……。 はにかむようにお礼を言う一穂さん。……彼女は安心しきった様子だけど、私はまだ暗闇の中にいるような心地だ。 沙都子(高校生私服): …………。 美雪さんと菜央さんの経験に基づいた推論は、そう間違ってはいないように思える。 ……若干、一穂さんに引きずられて信用しすぎている感はあるけど。 沙都子(高校生私服): (でも……そもそもどうして私がこんな目に遭っているんですの……?) 沙都子(高校生私服): (心当たりなんて、何も……) 沙都子(高校生私服): ゲホッ、ゲホゲホッ! 美雪(冬服): おぅ、どうしました? 沙都子(高校生私服): た、大したことはありませんわ。風邪の治りが遅くて……お水、いただけまして? 菜央(冬服): はい、どうぞ。 沙都子(高校生私服): どうも。 口の中に薬を押し込んでから、朝食をまだ食べていないことに気づく。 沙都子(高校生私服): (食後の薬ですが、昨夜の分を忘れていましたし……まぁ、大丈夫ですわ) 自分に言い聞かせながら、苦さに耐えつつ薬を飲み下す。 その間も何故こんな状況に陥ったのか考えてみるが、どうやっても答えは出そうになかった。 沙都子(高校生私服): ……お水、ありがとうございますわ。 沙都子(高校生私服): いずれにせよ、梨花が戻ってきたら事情を説明して……魅音さんとレナさんも交えて、対処の方法を話し合ったほうがよさそうですわね。 沙都子(高校生私服): ……ところで、梨花はどちらに? 美雪(冬服): 今日の大晦日の夜に行う、「年越しの儀」の打ち合わせを園崎本家でやってるみたいだよ。 美雪(冬服): すぐ終わるって書き置きがあったから、もう戻ってきてもおかしくないはずなんだけど……うん? みんなの視線が、一斉に玄関へ向く。微かだったけど……鍵の開閉音がここまで確かに聞こえてきた。 続く足音に、ちょうどよかったと胸をなで下ろす。 美雪(冬服): お、帰ってきた? 沙都子(高校生私服): ……っ……! 待ちきれずに立ち上がり、玄関へ向かう。 沙都子(高校生私服): (梨花、どうしましょう! 梨花、梨花……!) 美雪(冬服): あ、待って待って! 背後から続く足音を聞きながら辿り着いた玄関。そこで脱いだ靴を、律儀に並べ直していたのは……。 沙都子(高校生私服): レナ……さん? レナ(大学生私服): お邪魔します。 一穂(冬服): えっ、レナさん? 菜央(冬服): レナちゃん! どうしてここに? 背後から追いかけてきた女の子たちを見て、レナさんは息を吐きながら言った。 レナ(大学生私服): 梨花ちゃんの清めの準備、夕方くらいまでかかりそうなんだって。 レナ(大学生私服): だから、先に沙都子ちゃんの方の準備を進めておいてほしいって伝言を預かってきたんだけど……。 今からでも大丈夫かな……かな? 沙都子(高校生私服): は……? 私がいったい、何の準備を……? 美雪(冬服): 沙都子さん……あの、もしかして……? 菜央(冬服): その話は「聞いてなかった」……とかですか? 状況が飲み込めない私とは反対に、美雪さんと菜央さんも驚いたように私を見上げている。 沙都子(高校生私服): (まさかまた、なにか厄介事が……?) いったい何のことだ、と尋ねようとしたけど、視界の隅に映るレナさんの怪訝そうな表情を見て私はとっさに口をつぐむ。 正直、3人の時のようにレナさんがあっさりと状況を認識してくれることに望みをかけるのはさすがにかなり危険性が高いと思う。 仕方なく今回は、知ったかぶりを決め込んでとぼけてみせるしかないだろう……。 レナ(大学生私服): はぅ、えっと……今夜の「年越しの儀」で、沙都子ちゃんは梨花ちゃんの相手役として踊るんだよね……? レナ(大学生私服): そのための稽古を里帰りの直前までしてきたって梨花ちゃんは言っていたんだけど、レナ間違っちゃったのかな……かな? 沙都子(高校生私服): っ……あ、あぁそうでしたわ! 沙都子(高校生私服): 朝の寝ぼけがまだ残っていたせいでど忘れをしてしまいましてよ~、をーっほっほっほっ! レナ(大学生私服): あははは。もう、沙都子ちゃんったら。 美雪(冬服): そういえば沙都子さん、風邪気味なんだって。もしかしてここ最近の寒さにやられたとか? レナ(大学生私服): えっ、そうなの? 大丈夫? 沙都子(高校生私服): 問題ありませんわ!ちょっと咳が残ってるだけで。 レナ(大学生私服): そうなの? じゃあ、ひとまず着替えようか。 レナ(大学生私服): 梨花ちゃんから衣装を預かってきたから準備するね。奥の部屋、借りていい? 沙都子(高校生私服): え、えぇ!私、ちょっと顔洗ってきますわ~! レナさんが流れるような仕草で奥の部屋に入り、私は貼り付けた笑顔とともに洗面所へと向かった。 …………。 一穂(冬服): あの、美雪ちゃん。「年越しの儀」って、いったい……? 美雪(冬服): あ……そっか、一穂はそれも「知らない」んだったね。 美雪(冬服): 私たちも詳しくは聞いていないんだけど、「年越しの儀」ってのは……。 Part 05: 日暮れから夕暮れに移り変わる時間の中で、篝火が炊かれるパチパチという音が響いている。 その中に……私はいた。 沙都子(高校生着物): (って私、ここで何をするのか全く聞いておりませんのよ……!) 沙都子(高校生着物): (この後いったいどうすればいいんですの……?!) 私が何をする予定だったのか、何か知っている素振りだった美雪さんたちから聞きたかった。 けど着替えた後は常にレナさんが一緒だったせいで彼女たちとだけで話すこともままならず、当然聞き出すこともできないまま……今に至る。 沙都子(高校生着物): (こんなに緊張するのは、生徒会選挙のときに全校生徒前でスピーチして以来でしてよ……!) いや、あの時はまだマシだったかもしれない。タイミングは違うとしても、梨花と同じ舞台に立つと思えば頑張ることができたからだ。 あの時と比べたら、これから同じ舞台に立つ彼女は私が知っているあの子とは違うかもしれないので……やはり、複雑な思いが否めなかった。 沙都子(高校生着物): (ただ、こうなっては是非も無し……!なんでもいいですから、早く来てくださいまし……!) 緊張状態に追いやられた今は、一刻も早く梨花の顔が見て安心がしたい……そんな思いに、私はすがっている。 彼女の顔を見たのは、昨日の夜が最後だ。結局家には戻ってこないまま、現地で合流するということになり……。 沙都子(高校生着物): (練習はともかく、演舞の内容どころか段取りすらぶっつけ本番ってどういうことですの?!) あの会長さんが同じことをしたら、きっと梨花は怒り狂うだろう。だから、私の困惑は当然のことだと思う。 沙都子(高校生着物): (誰かに聞こうとしても話を遮られて、ろくに質問すらさせてもらえませんでしたし……) 沙都子(高校生着物): (梨花には梨花の事情があるのでしょうけど、こっちにもこっちで事情があるんですのよ……!) 逃げ出さなかっただけでも、自分のことを褒めてやりたい。……そんな焦りから、叫びだしたい気持ちに駆られそうになる中――。 梨花(高校生着物): …………。 ようやく、梨花の姿が現れた。 沙都子(高校生着物): 梨花……! 梨花は指先で本殿を指すと、ついてこいと言わんばかりに無言で歩みを進める。 沙都子(高校生着物): ……っ……。 戸惑いながら、その後を歩む。私とよく似た綺麗な着物は、梨花にはとてもよく似合っていて……。 でも……何かがおかしかった。 一穂(冬服): だ、大丈夫かな……沙都子、さん……。 魅音(大学生私服): ……って、なんで一穂がそんなにソワソワしているのさ? レナ(大学生私服): あははは。でも、確かにこうして待っているとレナたちも緊張しちゃうよね。はぅ~。 一穂(冬服): ぅ、ううっ……。 側にいる魅音さんとレナさんに笑われ、私は肩を縮める。 元々彼女たちは、私たちよりかなりの年上だ。 でも、私が昨日の朝に目覚めるまでほとんど同い年でいたので……子ども扱いされることが、まだ慣れない。 美雪(冬服): あ、出てきたよ! 一穂(冬服): えっ……?! 美雪ちゃんの声に、うつむきかけた頭を慌てて持ちあげる。 菜央(冬服): 2人とも、綺麗ね……けど沙都子さん、あの後ちゃんと打ち合わせできたかしら? 一穂(冬服): できないとダメじゃないかな……? 舞台の上に現れた梨花ちゃんと、沙都子ちゃんを見つけた美雪ちゃんたちとひそひとと言葉を交わし……私は息を飲む。 思い出すのは、昼間美雪ちゃんから聞いた話だ。 美雪(冬服): 『なんでも、今年は新年に向けて神降ろしをする必要があるんだって』 美雪(冬服): 『普段だと古手家の頭首……つまり梨花さんが#p綿流#sわたなが#rしと同じように奉納演舞をして終わりなんだけど』 美雪(冬服): 『魅音さんの話によると最近この#p雛見沢#sひなみざわ#rのオヤシロさまへの敬意が薄れつつあるって言い出す人たちが増えたから……』 美雪(冬服): 『今一度神様への敬意を示すために、ツイ……? の舞を捧げるらしいよ』 一穂(冬服): 『ツイの舞……?』 確かに舞台に上がる2人は、お互いありきで作られた存在のようで……ぴたりと完成した何かを持っていた。 きっと、片方が欠けたら何か物足りない。……周囲にそう感じさせるだけのものが、彼女たちにはあるのだろう。 一穂(冬服): 『ツイ』……だから梨花ちゃんと沙都子ちゃんが、舞台の上で『対』になってるんだね……。 そう言いながら、梨花ちゃんの方を見て――。 一穂(冬服): ……っ?! 隣の沙都子ちゃんですら、気づいていない。  : だって、梨花ちゃんの表情は無表情で……動作は耳に髪をかけるくらいに、とても自然。  : でも、梨花ちゃんが懐から取り出した……月を照らし返しているものは、間違いなく――! 一穂(冬服): 危ない、沙都子ちゃんっ! 沙都子(高校生着物): っ、……なっ?! 私の声に反応してくれたのか、動いた沙都子ちゃんの胸元が切り裂かれて……赤い線が走る。 間違いない。今の攻撃は、梨花ちゃんが懐から取り出した……! 一穂(冬服): か、刀……っ?! 儀式にありがちな、真似や寸止めじゃない。 もしあれがわざとなら、今も沙都子ちゃんの切り裂かれた服の下からジワジワジワジワ流れてくる赤い物はなに?!どうして沙都子ちゃんはあんなに驚いた顔をしてるの?! それに今の躊躇いのない踏み込みは確実に、間違いなく沙都子ちゃんの命を、狙っていた……?! 一穂(冬服): ど……どういうこと美雪ちゃん、菜央ちゃん?!これも最初から、予定されてたものなの?! 菜央(冬服): し、しらない……あたしたちだって知らない! 美雪(冬服): 私たちも、こんなのだって聞いてないよ!やめて梨花さん! 魅音さんも、止めさせて! 美雪ちゃんは焦りながら、すがるように側にいた魅音さんを見て――。 美雪(冬服): ……魅音、さん? 固まった美雪ちゃんの視線の先を追うと、そこには……たぶん、魅音さんがいた。 「たぶん」とつけたのは、魅音さんの顔から別人のように……さっきまであった表情が、完全に抜け落ちてしまっていたから……っ……? 魅音(大学生私服): あぁそうかやっぱりだめなのかなそうかうんわかってるそんなことわかってるけどなんとかしたいんだなんとかしないとだってだってあんなに皆頑張ってでもその向こう側がこんなことなんてあり? 魅音(大学生私服): そんなのないよだって頑張った努力したその向こう側の今があんな風に終わるはずなんてないどうしようもないとしてもだとしてもそんなのそんなのそんなの――――納得、できない。 まるで何かに意識を乗っ取られたかのように、わけのわからないことを延々と呟き続けているのが魅音さんなんて、私にはとても思えない……ッ!! 菜央(冬服): とにかく、沙都子さんを守りましょう!レナちゃんも一緒に――えっ?! するり、と。菜央ちゃんの小さな身体にヘビのように巻き付いたのは……人の、腕。 レナ(大学生私服): ……だめだよ、菜央ちゃん。大事な村の儀式を邪魔しないで……あはははは……。 菜央(冬服): なっ……?! 自分を拘束するレナさんを、菜央ちゃんは信じられないものを見るような目で見上げている。 美雪(冬服): レナさん、菜央を離してください!魅音さんもどうしたんですか?!いったい何が……。 戸惑う美雪ちゃんの向こう側で、ヒュッと風切り音がして――。 一穂(冬服): 美雪ちゃん、危ないっ! 一穂(冬服): ごっ……!!! 首に炎が当てられたような熱を感じた直後、ぐらりと身体が……揺らぐ。 ……薄らいで闇に閉ざされていく、視界の中。 最後に見えたのは、周りの村人たちが、こちらを取り囲もうとする光景だった。 Epilogue: 沙都子(高校生着物): くっ……! 胸の傷は浅かったようだけれど、じくじくと焼けたような痛みと止まらない。 避けられたのは、ほとんど偶然だ。そうでなければ私は、衝撃で死んでいただろう。 沙都子(高校生着物): (って、そうでなければ……ッ?) 私は梨花に、殺されていたということになるのか……?! 梨花(高校生着物): ――――。 片手に握った刃物を月夜にひらめかせる彼女には……表情が、ない。 立て続けに襲いかかってくる困惑と混乱に、私の思考はもう崩壊寸前にまで追い込まれていた……! 沙都子(高校生着物): や……止めてくださいまし、梨花!どうして私に、こんなことをしてくるんですの?! 梨花(高校生着物): …………。 梨花(高校生着物): だから、言ったのに。あんたは来なくていい……いえ、来ないでって。 梨花(高校生着物): どう足掻いても、どんなに頑張ってもこんなことをしなくちゃいけないなら……せめて。 梨花(高校生着物): 沙都子だけでも……無関係でいてほしかった。……生きていてほしかった。 梨花(高校生着物): でも、帰ってきてしまったからには、もう……! 沙都子(高校生着物): 何があったんですの?!せめて、説明だけでもしてくれないと私は……うっ! 空気を切り裂く刃物の一撃を、紙一重の差で這うようにして避ける。 梨花(高校生着物): もう、遅いの。 梨花(高校生着物): 変えなくちゃ。変えなくちゃ、変えなくちゃ……!! 沙都子(高校生着物): り、梨花……?! 繰り出される刃物の攻撃を辛うじて避けながら……梨花を見る。 彼女の瞳は焦点がブレて、ここではない何かを見ていた。……間違いなく、今の梨花は正気じゃない様子だ。 沙都子(高校生着物): (ひょっとして、何かに操られている……?!) 私は梨花の攻撃をぎりぎりで避けながら、妙に騒がしい舞台の下へ向けて声を張り上げた。 沙都子(高校生着物): (さっき危ないって声かけてくれたのが一穂さんなら、彼女は多分……正気のはず!) 沙都子(高校生着物): 一穂さん、どうか逃げてくださいまし!無事ならなら美雪さんと菜央さんも連れてっ! 沙都子(高校生着物): 私のことなどは構わず、あなた方だけでも……ッ!! 魅音(大学生私服): ……無駄だよ。 沙都子(高校生着物): っ……?! 頭上からかけられた……知っているようで知らない声に、慌てて顔をあげようとして……。 目の前にどさどさと積み上げられた「塊」のひとつと、……目があった。 沙都子(高校生着物): ……あ……。 首に刃物が刺さった、くせっ毛の女の子。その上に覆い被さるの、胸を刺された片側結びの女の子。その傍らには、長い髪の――。 沙都子(高校生着物): か、一穂さん……?!美雪さん?! 菜央さん?! 声をかけても、地にまみれた3つの「塊」はピクリとも動かない。 沙都子(高校生着物): なんで、なんで……? 沙都子(高校生着物): ぅ……うわあああぁぁぁぁぁああぁぁっっ!!! ……………………。 ……………。 ……。 優しい声: 沙都子……。 沙都子(高校生私服): ……ぅ……。 優しい声: 沙都子ってば……。 優しい声: 沙都子……! 激しく肩をに伝わってくる感覚に、意識が揺さぶられる。 沙都子(高校生私服): ……ぇ……? 優しい声: 大丈夫? この、声は……。 沙都子(高校生私服): り、か……? ……私は目を開けて、ゆっくりと起き上がる。見慣れたルチーア学園の中にある、寮の自室。 でも部屋の中は床やテーブルの上、整理ができていない衣類や雑貨がばらばらに散らばっていて……。 傍らに早く食わせろとばかりに大きく口を開いたトランクが空っぽのままでがらんと放置されていた。 沙都子(高校生私服): あ……あら……?私はいったい、今まで何を……? 沙都子(高校生私服): ゲッホゲッホ!! 梨花(高校生私服): 大丈夫? 何を、じゃないわよ……まったく。 梨花(高校生私服): 今日は#p雛見沢#sひなみざわ#rに里帰りするんだから、荷物は前日までにまとめておきなさいってあれだけ言っておいたのに。 梨花(高校生私服): 片付けの最中に、居眠りでもしたの?もうすぐ魅音の迎えの車が来る時刻になるわよ。 沙都子(高校生私服): ……すみませんですわ。 謝りながら、自分の頭を撫でる。じっとりと浮かぶ脂汗が……気持ち悪い。 沙都子(高校生私服): (全部、夢でしたの……?) 梨花(高校生私服): もしかして熱がぶり返したの? 梨花が私のおでこに、自分の手のひらを当てる。……ひんやりしていて、心地よさが広がっていく。 梨花(高校生私服): 熱はないみたいね。ううん、ちょっとだけあるかも……? 微熱? 梨花(高校生私服): まったく……生徒会の仕事にかまけて、風邪を中途半端に放置しているからよ。 沙都子(高校生私服): あの、梨花……会長さんは?まだ、寮におられますの? 梨花(高校生私服): 会長って……先代の?あの人なら、何日か前に家族が迎えに来てウキウキで帰っていったじゃない。 沙都子(高校生私服): ……叔父さんが? 梨花(高校生私服): ? いえ、若い女の人だったって聞いたけど。 沙都子(高校生私服): (叔父さんではなく、家族……?) 夢の中で、会長さんはもうすぐ叔父さんが迎えに来ると言っていた。 でも彼女は、既に若い女性とともに自宅へと帰った後だと言う。 夢の中の出来事と、矛盾している。それはつまり……。 沙都子(高校生私服): 全部、夢……だったんですのね。よかった、本当に……。 梨花(高校生私服): ど、どうしたのよ……まぁいいけど。 梨花(高校生私服): それより沙都子、ちゃんと覚えてくれている?雛見沢に戻ったら大晦日の夜、申し訳ないけど「年越しの儀」を行うから、私の相手役を――。 沙都子(高校生私服): ……。梨花。 自分でも驚くほど固い声で、梨花の声を遮る。そして恐る恐る、「その名」を切り出していった。 沙都子(高校生私服): 一穂という名前に、聞き覚えはありまして……? 梨花(高校生私服): 一穂……って、誰のこと? 答えた梨花の顔をじっと見つめる。演技している様子は……ない。 会長さんに、知らない人の話を振られた時とよく似ている。つまり、ここにいるのは……。 沙都子(高校生私服): (いつもの梨花……?) 沙都子(高校生私服): いえ、それならいいんですの。……よかった。本当に、よかった……。 胸を押さえながら、深く深呼吸を繰り返す。 沙都子(高校生私服): (冷静に考えればおかしな話ですもの。梨花や魅音さんやレナさんが、人を殺すなんて……) 心から安堵する私とは対照的に、梨花の眉間にどんどん皺が寄っていく。そして、 梨花(高校生私服): ……沙都子、あんたおかしいわ。「年越しの儀」は中止。帰ったらすぐ入江のところに行くわよ。 沙都子(高校生私服): えっ?! だ、大丈夫ですわ!「年越しの儀」の踊りもちゃんと思い出せますわ。まずは距離を開けて並んで、それから……。 梨花(高校生私服): 舞台に立つのは、入江のお墨付きをもらってからよ。 沙都子(高校生私服): でも、「年越しの儀」はオヤシロ様へ敬意を捧げる、大事な儀式なんでしょう? 梨花(高校生私服): ……そんな大したものじゃないわよ。去年から集客のイベントをひとつ増やそうって古い行事を発掘してきただけなんだから。 梨花(高校生私服): 私にとっては、沙都子の方が大切よ。 沙都子(高校生私服): …………。 沙都子(高校生私服): ……ありがとう、ですわ。 上手く、笑うことができているだろうか。そうあって欲しい。 私を殺そうとした梨花の顔が、今の梨花に重なって見えるなんて言ったら……きっと梨花は悲しむに決まっている。 沙都子(高校生私服): (一年の刑は元旦にあり……とはいえ、まだ正月にも初夢にも早いですわ) 梨花(高校生私服): そうとなったら、早く荷物詰め込んじゃって。 沙都子(高校生私服): えぇ、わかりましたわ。 ベッドから床に降り立ち、中身を詰め込む。 ……ふと、テーブルに置いた風邪薬の残りが視界の端に……入ってくる。 沙都子(高校生私服): (そういえば、朝の分を飲んでいませんでしたわね……) 私は薬を飲もうと、手に取って。 沙都子(高校生私服): …………。 嫌な予感がして、そのままポケットに突っ込んだ。 梨花(高校生私服): どうしたの、沙都子。 沙都子(高校生私服): ……なんでもありませんわ。さぁ、ちゃっちゃと荷造りしますわよー!