Prologue: 菜央ちゃんの作ってくれた夕食は、いつもと変わらずおいしかった……と思う。 ただ、本当に申し訳ないことだけど味の印象はあまり残っていなかった。……私たちが食事の間、ほぼ無言だったせいだろう。 一穂(私服): ……ごちそうさま。 美雪(私服): うん。……じゃあ私、ちゃちゃっと食器を洗ってくるね。 菜央(私服): じゃあ、あたしはお茶を淹れるわ。一穂はそこでゆっくりしてて。 食べ終わった食器を流しに持っていくと、2人はそれぞれの仕事にかかっていく。 そしてリビングに戻り、あたたかいお茶を飲んで一息をつけてから美雪ちゃんが……ようやく会話らしきものを切り出してくれた。 美雪(私服): いや、まぁ……今になって思うと、おかしなことだらけだったねー。空に浮かぶ島、魔物や幻獣たち……。 美雪(私服): 確かに「#p雛見沢#sひなみざわ#r」って名前には違いなかったけど、あれはもう本当の意味で「異世界」だったよ……。 菜央(私服): しかも、レナちゃんたちが部族を率いて魔王軍と戦う……ですって? 菜央(私服): あんなファンタジー小説ばりの設定を当たり前のように受け入れてたなんて、今でも信じられない思いだわ……。 一穂(私服): ……あははは。 改めて、ほんの少し前まで置かれていた自分たちの状況と立場を振り返ってみて……苦笑さえ乾いた感じになってぎこちない。 まさに、奇天烈としかいいようのない体験の連続だった。そして、自分でもいつの間にかおかしいと感じなくなっていたことも恐ろしい。 もし、あのまま疑うこともなく「世界」の常識の中に取り込まれていたら、どうなっていたのだろう……?悪寒を覚えた私は思わず、口元の笑みを引っ込めた。 美雪(私服): それにしても、私たちの格好がよりにもよって『不思議の国のアリス』の登場キャラとはね……。単なる偶然なら、まだいいんだけどさ。 美雪(私服): もし、あれが「黒幕」の#p思惑#sおもわく#rによるものだったら悪戯が過ぎるにもほどがあるというもんだよ……。 一穂(私服): えっと……私たちの格好が『アリス』だったら、何か問題があったりするの……? 菜央(私服): 大ありよ。そもそも『アリス』は、非現実な幻想世界のあちこちを渡り歩きながら奇妙な体験をする女の子のお話でしょう? 菜央(私服): それって、まさにあたしたちのことじゃない。つまり「黒幕」ってのは、あたしたちの正体を全てわかった上で泳がせてる……。 菜央(私服): というか、面白がってる可能性だってあるわ。 一穂(私服): ……っ……?! 菜央ちゃんの推論を聞いて、私の全身に戦慄が走る。 もしそれが事実だとしたら、私たちにとっての「敵」は圧倒的なまでに強大な力を有しているということだ……。 一穂(私服): そんな相手に、私たちはどう戦えばいいの……? 美雪(私服): わからない。……今のところはまだ、ね。ただ、だからといって手をこまねいていても事態が好転することはきっとないと思う。 美雪(私服): 梨花ちゃんが絶望して、心を閉じそうになった時にどんな状態に陥りかけたのか……あの「世界」で羽入が言ってたこと、一穂だって聞いたでしょ? 一穂(私服): それは、……。 羽入(巫女): 『違うのです! 梨花は「世界」を自分の身勝手に改変しようと考えて、こんなことをしたわけではないのです!』 羽入(巫女): 『ただ、みんなを守るために……自分の思考を停止させないようにと考えたあげく、この手段を選ぶしかなかったのです……!』 あの時、羽入ちゃんは梨花ちゃんをかばいながら……私たちに向かって、そう叫んでいた。 なぜ、梨花ちゃんが自分の思考を止めないよう打開策を見いだそうとしていたのかについては、詳しい理由を聞くことができなかったけど……。 彼女の思考停止が、私たちの「世界」にとってとても良くない事態を引き起こす可能性がある……なんとなく、それだけは理解することができた。 美雪(私服): まぁ私たちは、外の「世界」から来た夏美さんのおかげで元にいた雛見沢に戻ってくることができた。 美雪(私服): で……今さらだけどさ。実は私、ようやく気づいたことがあるんだよ。 一穂(私服): 気づいたこと……って? 私がそのまま尋ねかけると、美雪ちゃんは神妙な顔立ちで私をまっすぐに見返す。 そして隣の菜央ちゃんに軽く目配せをしてから、再び口を開いていった。 美雪(私服): 思い出してみてよ。そもそも私たちがこの雛見沢を訪れることになったのは、どういう理由だった? 菜央(私服): どういう理由って……それは、もちろん……。 美雪(私服): あぁ、そう。私たちは昭和58年の6月に起きた惨劇の真相を探るために、10年の時間を越えてきた。 美雪(私服): 個人的な事情の違いこそあれ、それが共通事項だ。……でもさ、今日って何月何日? 菜央(私服): はぁ……?そんなの、カレンダーを見れば一目瞭然でしょ? 菜央(私服): ……って、カレンダーをめくり忘れてるじゃない。しっかりしなさいよね。 菜央(私服): えーっと、今日は木曜日だから日にちは……えっ? 一穂(私服): ちょ、ちょっと待って……?もうすぐ4月ってことは、まさか……?! 無意識のうちに異常な「状況」を見逃していたことを悟った私と菜央ちゃんは、愕然となって言葉を失う。 確か、「世界」を越えてこの雛見沢を訪れたのは多少の差異があれど……3人とも6月だったはずだ。 なのに、今はもうすぐ4月……これって……?! 美雪(私服): やっぱり、私と同じで気づいてなかったか。そう、私たちはいつの間にか……同じ昭和58年をずっと繰り返してたんだよ。 菜央(私服): 同じ、昭和58年……? 美雪(私服): 何年経っても、成長がないってことさ。夏から秋、冬……そして春を迎えて新学期。……でも、学年は変わらない。 美雪(私服): それに、雛見沢大災害が起きたはずの6月の#p綿流#sわたなが#rしは気づかないうちに通り過ぎてる。 美雪(私服): そこで何かあったのかの記憶ごと、綺麗さっぱりと忘れて……ね。 一穂(私服): (そ、そういえば……覚えてない……?) 時系列的に考えても、綿流しを経ていなければ私たちが7月以降に進むことは不可能だ。当然年も越えられず、まして春を迎えるはずが……? 菜央(私服): つまり……あたしたちは過去の綿流しで何が起きたのかの謎を解こうとしても、肝心のその日を迎えないように仕向けられてた……? 菜央(私服): 理屈としては納得できないけど、理解できるわ。……でも、だとしたらいったい誰が、何の目的で? 美雪(私服): わからない。……ただ、前回での「世界」で梨花ちゃんから聞いたことが本当なら……。 美雪(私服): 私たちだけでなく、この「世界」に存在する全ての人間に対して影響力を行使できる……とんでもないやつが暗躍してるってことだろうね。 菜央(私服): ――っ……! 美雪ちゃんからもたらされた推測を聞いて、私と菜央ちゃんは言葉を失う。 それが事実であったならば、私たちが戦う相手は神にも等しい存在で、勝ち目どころか抵抗するのも限りなく無理に等しいことになる……。 美雪(私服): こうなると私たちは、真実を掴み取るためにもこれまでに起きてきたことをできるだけ正確に記憶しておく必要がある。 美雪(私服): そして、今度こそ……昭和58年6月の綿流しを迎えて、何があったのかをこの目で確かめるしかない。 菜央(私服): わかったわ。次こそは意識を奪われないように気を保って……毎日の動きや変化をしっかり見極めましょう。 一穂(私服): ……が、頑張るよ。 私たちは今後の方針を決め、お互いに頷き合う。 だけど私は、記憶さえ操作できてしまう相手に対して何をどうすればいいのか……。 押し寄せてくる不安を拭い去ることができず、これからのことに頭を抱えるしかなかった。 Part 01: 美雪ちゃん、菜央ちゃんとそんなことを話し合った……翌日の朝。 春を迎えて桜が咲き誇る村の通学路を歩きながら、私は暗くなりそうになる気持ちを必死に励まして……みんなが話す内容に耳を傾けていた。 レナ: ねぇ、魅ぃちゃん。古手神社で行われるお花見会の準備って進んでいるかな、かな……?確か、来週の日曜日だったよね。 魅音: うん、もちろん。今回も内容は例年通りだから、運営は町会の人たちに任せて比較的楽にやらせてもらっているけどねー。 一穂: (お花見会……か……) 聞いた覚えがあるような、それともないようなイベントを耳にした私はふと、思いを馳せてみる。 もしかすると、同じ時間を繰り返した中にそれと似たようなことがあったのだろうか。あるいはただの錯覚で、実際には何も……? 美雪: えっと……神社のお花見会ってことは、#p雛見沢#sひなみざわ#rの人が集まった宴会でもやるの? 魅音: あっ……美雪たちには教えていなかったっけ?ごめんごめん、あんたたちが移転組だってことをすっかり忘れちゃっていたよ。 首をかしげる美雪ちゃんの反応を見て、魅音さんは気が回っていなかったことを手を合わせて謝る。 そしてこほん、と咳払いしてから説明を続けていった。 魅音: この時期の恒例行事だよ。古手神社の境内を開放して、春のお祭りをやるんだ。 魅音: #p綿流#sわたなが#rしの時よりはこぢんまりとした規模だけど、食べ物を扱った屋台も並んで……。 魅音: ついでにのど自慢大会とかも同時に開催するから、結構賑やかになるよ。 レナ: のど自慢大会って、去年から最新のカラオケ機を導入したんだよね?レーザーディスクを搭載した、多機能の……! レナ: はぅ~!あれでみんなの歌を聴けると思うと、今から楽しみだよ~♪ 美雪: レーザーディスク?それはまたレトロかつ高価な代物を……。 美雪: ……って、そっか。この時代だとカラオケ機はまだ通信型じゃないんだね。だとしたら、そこまで古くはない……のかな? 菜央: こらっ、余計なことを言うんじゃないの。……それより、レナちゃんもカラオケで歌ったりするの? レナ: あははは。レナは歌うよりも、みんなの歌を聴くほうが楽しいかな……かな。 レナ: あ、でも知っている曲があったら、1回くらいは歌ってみても楽しいかもね……はぅ。 菜央: ほわぁ……レナちゃんの生歌声を、直に聞くことができる……はっ! 菜央: 魅音さんっ!あたし、折り入ってお願いがあるんだけど?! 魅音: ……あー、うん。それ以上聞かなくてもわかるよ。つまり、録音機材の手配でしょ? 魅音: ラジカセも用意しておくから、任せて。ただし観客の声援とかの雑音も拾っちゃうから、その辺りについては大目に見てよ? 菜央: 大丈夫よ! みんなを黙らせるから!! 一穂: (ど、どうやって……?!) 疑問に思った私は、菜央ちゃんだったら何をして観客を沈黙させるかを想像してみる。 1.毒ガスで全員を文字通り沈黙させる。  息さえしなければ騒ぎは起こらない。 2.拳銃か猟銃を観客に向けて脅す。  逆らう相手には容赦なく発砲。 3.いっそ無観客にしてしまう。  追い払うための手段は(以下略。 一穂: (3つとも、本当にろくでもない……!) しかも冗談と片付けられるどころか、彼女に言えばどれも実際にやりそうだ。 まして、提案でもしたら?……実際に行われた時、計画に加担した者として連帯責任に問われることはほぼ間違いない。 いや、それどころか主犯扱いを受けることも……?! 一穂: (……って、そんなことありえないよね) いくらレナちゃん至高主義とはいえ、菜央ちゃんは元来優しい性格の女の子だ。そんな非道を実行に移すはずがない。 つまり今の想像は、私が自分の気持ちを少しでも明るくしようと仕向けた結果で……。 それを理解した私は、自分の発想の貧しさと想像上とはいえ親しい友達を弄んでしまった申し訳なさで……大きくため息をついた。 レナ: そういえば……菜央ちゃんは人前に出て歌ったことがあったのかな、かな? 菜央: うん。毎年行われる合唱コンクールの時に、クラスメイトのみんなと一緒に歌う機会があるの。 菜央: その練習をするために、お母さんと一緒にカラオケボックスに行ったりして……。 魅音: カラオケボックス……って、何?キャバレーとかスナックとかのこと? 菜央: えっ? う、ううん……小さな防音の部屋の中で、それぞれに置かれたカラオケ機を使って歌えるお店のことよ。 菜央: って、あれ……? カラオケ専用のお店って、どこにでもあるんじゃないの? 魅音: ないない!だってカラオケ機って、結構高いしさー!初期投資が半端ないって! 魅音: にしても……そっか。東京だとお酒を飲まなくても、カラオケだけができるお店があるってわけか。さすが都会は違うねぇ~! 美雪: ……菜央、キミも失言してるじゃないか。 菜央: ご、ごめんなさい……。カラオケボックスって、そんなにも最近になってできたばかりのお店だったのね……。 なんて話をしながら、美雪ちゃんたちは降ってわいたカラオケ談義で楽しそうに盛り上がっている。 ただ……私1人だけはみんなの言動を注意深く確かめようとするあまり、輪の中に加わることができず黙りこくっていた。 魅音: そういや、一穂はどんなのを歌ったりするの? 一穂: えっ? わ、私は……。 いきなり質問を投げかけられて、答えに窮する。そういえば自分は、何の歌を聴いたりしたことがあっただろうか……? 一穂: ……っ……? そんなことを考えているうちに私は、過去のことを思い出せなくなっていることに気がついて愕然となった。 一穂: (なんで……?どうして私、雛見沢に来る前の記憶を忘れちゃってるの……?!) さらに私は、ふいにぶつけられた質問のおかげで新たにひとつ……大変な事実に気づいてしまった。 一穂: ……あの、美雪ちゃん。昨夜の約束のこと、覚えてる? 美雪: えっ、約束……って、なんのこと? 恐る恐る尋ねかけた私に対して、美雪ちゃんはきょとん、と目を丸くする。 菜央ちゃんにもそれとなく尋ねてみたが、返答は……同じだった。 一穂: (あれだけ3人で誓い合ったはずなのに、もう記憶を変えられてる……?) 「黒幕」の圧倒的すぎる……影響力。それを目の当たりにして私は、愕然と言葉を失ってしまった……。 Part 02: そして、放課後――。 授業を終えて先生に挨拶をした後、私は魅音さんからいつものように部活に誘われた。 一穂: (部活……か……) #p雛見沢#sひなみざわ#rを出てから10年近くたった後も、私は故郷で行われる「部活」に対して強い憧れを抱いていた。 上級生たちがゲームや遊びで死ぬ気で戦い、真剣勝負で一切の容赦なく勝利を狙い続ける。 だから自分も、いつか一員として加わってみんなの仲間として楽しめることをずっと期待していたんだけど……。 一穂: ごめんなさい。今日は、買い出し当番だから……。 その日は口実を作って、先に帰ることにした。……残った美雪ちゃんと菜央ちゃんがそのまま部活に参加したかどうかは、あえて聞かないことにした。 一穂: (……また、美雪ちゃんと菜央ちゃんには心配させちゃったかな) 帰ってから、なんて言い訳をすべきだろうか。いや、まずは謝るのが先なのかもしれない……それを思うだけで、気が重くなってくる。 一穂: ……。疲れた……。 近くにあったベンチに腰を下ろし、そう呟いてため息をつく。 一穂: 美雪ちゃんと菜央ちゃんは……あの「世界」での出来事を忘れてしまってた……。 昨夜あれだけ意気込んで誓いを立てておきながら、あっさり破られてしまうとは思ってもみなかった。 とはいえ、2人のことをふがいないとは思わない。それだけ「黒幕」の力が強いという証なんだから。 一穂: (こうなったら、私ひとりだけでも何かの手がかりを得ないと……!) そう思って授業中も、ずっとレナさんたちの会話の内容に耳を傾けていたのだけど……。 結局何も得ることができず……むしろ緊張した状態を続けたことで、徒労感の方が大きかった。 一穂: こんなふうに気を張りっぱなしだと、身体が持たないよ……。 一穂: やっぱり美雪ちゃんと菜央ちゃんになんとか思い出してもらって、もっといい方法を考えたほうが……うん? そう呟きながらなにげなく視線を移すと、向けた先に見覚えのある人の姿が見える。それは、制服姿の前原くんだった。 圭一: おぅ、一穂ちゃんじゃないか。今日はどうした、買い物か? 一穂: あ、うん。タイムセールがもうすぐ始まるから、少し時間をおいたあとで行ったほうがいいって美雪ちゃんが……。 圭一: そっか。俺も帰る途中で、買い物に向かうお袋とばったり出くわしてな。ついでにってことで、つき合わされちまった。 圭一: で、その前にちょっと服を見たいってことで軽く時間を潰してこいだとさ。 一穂: そうなんだ……。 そこでふと私は、前原くんから以前に聞いたことを思い出す。 一穂: (そういえば前原くん、言ってたっけ。自分には、別の「世界」の記憶があるって……) 圭一: ……これは、半分夢みたいな話だ。聞き流してくれても、笑ってくれても構わねぇ。 圭一: 実は、俺には……別の世界での記憶があるんだ。 圭一: その「世界」で俺は、あいつらのことを信じられなかった。怖がって、憎んで……最後の瞬間まで疑っていた。 圭一: けど……信じてくれたんだよ、あいつらは。それこそ文字通り、命がけでな。 圭一: そして、そんな俺のことを……本当の意味で、救ってくれたんだ……。 一穂: (もし……前原くんの言ってた別の「世界」での記憶が、今の私たちと同じような体験によるものだとしたら……) もしかすると彼は、何かを知っているのかもしれない。そう考えた私は意を決し、彼に尋ねかけていった。 一穂: あの……前原くん。#p興宮#sおきのみや#rで相談に乗ってもらった時、ここではない別の「世界」の記憶があるって言ってたよね。 一穂: あれって、もしかして……。 圭一: ん? あぁ、そうだったな。……変な話をして悪かったな、忘れてくれて構わないぜ。 一穂: ううん。実は私にも……あるの。ここじゃない「世界」の記憶が……。 そして私は、前原くんに打ち明けていった。 もうすぐ訪れる、#p綿流#sわたなが#rし。そこで繰り広げられる、謎の惨劇のこと。 そして、私たちがいつの間にか6月を越えて時間をループしていること……。 ただ、「世界」を越えてきたという事実はあえて言葉を濁しておいた。さすがにどう説明すべきか、わからなかったからだ。 それを聞いた彼は、笑ったりしなかった。むしろ、どこか納得したように頷いてから言葉を繋いでいった。 圭一: 同じ時間のループ……か。正直に言うと俺も、おかしいとは感じていたんだよ。 圭一: 俺が転校してきたのは、春を過ぎてからのはずなのに……なぜかこうして雛見沢で春休みを迎えているわけだしな。 圭一: だけど……それを他の連中に指摘しようとするといつの間にか、有耶無耶にされちまうんだ。そして自分でも、当然のように受け止めて……。 一穂: っ……じゃあ、私のと同じ……?! 圭一: ちなみに覚えているのは、俺が雛見沢の分校にレナや魅音たちと一緒に通っていたっていう記憶だ。 圭一: いるはずの人間が、いない。いないはずの人間が、いる……そんな多重記憶が、俺の頭の中に存在しているのさ。 圭一: ただ、それと同じ状況ってことはもしかしたら、一穂ちゃんなら……。 そう言ってから前原くんは、ポケットに手を突っ込む。そして中から小さな丸い球を取り出すと、こちらにそれを見せていった。 圭一: 一穂ちゃん。……君のことを見込んで、これを渡しておくぜ。 一穂: えっ……この小さな石は、いったい……? 反射的に受け取ったものの、彼から渡された「これ」が何なのか全く見当がつかない。 圭一: ある人から預かった、秘宝……『スクセノタマワリ』って名前らしい。 圭一: 詳しいことはよくわからねぇが、所持しているとこの「世界」の改変から独立した状態でいられるらしい。 一穂: 世界の改変から独立って、どういう意味?っていうか……。 そもそも、どうしてこんなものを前原くんが持っているのか……当然と言えば当然の疑問がわいて出てくる。 が、それを尋ねかけるよりも早く遠くから「圭一~!」と呼ぶ声がした。 目を向けると彼の母親の、遠くから手を振っている姿。どうやら用事を終えて、彼を迎えに来たらしい。 圭一: すまねぇ、俺はもう行かなきゃ。……あと、一穂ちゃん。 圭一: それを持っていれば『変異点』って場所に足を踏み入れた時、違う「世界」を観ることができるらしい。 圭一: そこで運が良ければ、君の求めてるものを目にすることができるはずだ。 圭一: その手に真実を掴めること……祈っているぜ、一穂ちゃん。じゃあな。 一穂: あっ……ちょ、ちょっと待って……! もっと詳しい説明を、と求めたが、前原くんはあっという間に駆け去ってしまう。 あとには呆然と立ち尽くす、私だけが残された……。 Part 03: そして、お花見会場。 美雪(私服): おぅ……屋台がたくさん並んでる!これぞまさしく、お花見祭りの会場ってやつだねー? 菜央(私服): だからって、あんまりはしゃぎ回っちゃ駄目よ。せっかく招待してくれた魅音さんの顔に泥を塗るような醜態はさらさないよう、常に自重に努めなさい。 美雪(私服): 醜態って何だよ!前々から思ってたけど、キミって私の保護者っ?そんなに子ども扱いしなくてもいいじゃんか! 菜央(私服): しょうがないでしょ、だって子どもなんだから。くれぐれも目を離したりしないように、ってあの子も言ってたじゃない。 美雪(私服): ? あの子って……誰のこと? 菜央(私服): えっ?……誰だったかしら。あんたのことをずっと口酸っぱく、口やかましく注意してた同年代の子のこと……覚えてない? 美雪(私服): いや……約1名、該当者を思いついたけどさ。とはいえ、千雨のことをキミに紹介した覚えはないから、おそらく違う子だろうけどねー。 楽しそうに騒ぐ美雪ちゃんと菜央ちゃん、そしてレナさんたちに同行しながら、私は……。 一穂(私服): …………。 ポケットに手を入れて、その中にある前原くんからもらった『スクセノタマワリ』に触れていた。 一穂(私服): (前原くんは『変異点』ってところで、別の「世界」を観ることができるって言ってたよね……) 一穂(私服): (でも、それってどこで……?どういう状況で発生するんだろう……?) そんなことを考えながら桜並木を見上げる。 すると、いきなり吹きつけてきた風にあおられて、周囲の花びらが舞い上がり……。 あっというまに世界が、霞が広がるように一色へと染まっていった。 一穂(私服): わっ……? それに呼応するように、ポケットの中の『スクセノタマワリ』もまばゆい輝きを放ち……。 あっという間に、私の身体を包み込んで……っ?! 一穂(私服): こ……これは何っ? わ、わぁっ……?! 光が収まってから私が目を開けると、そこは先ほどと同じ古手神社の境内。 ただ……時間がなぜか夜に変わってしまっていた。 一穂(私服): い……いったい、何が起きたの……? 不安を抱きながら、とりあえず歩き出す。 ……と、いきなり窒息しそうな空気がずしり、と身体に重くのしかかってくる感覚が伝わってきた。 一穂(私服): ……っ……? 奇妙な違和感に首をかしげるが、その正体を掴むべく自分を励まして……私はさらに前へと進む。 そして、本殿のところへと戻るにつれてなぜかすえたような臭いがきつくなり、思わず顔をしかめると――。 一穂(私服): なっ……?! そこには、地面を埋め尽くすようにおびただしい数の亡骸が転がっていて……。 さらに村人たちが、狂気の表情を浮かべながらわめき叫び……互いに殺し合う凄惨な光景が広がっていた――?! 村人A: 死ね……くたばれ、おらああぁぁぁあっっ!! 村人B: きひっ、ひひひひ……!血だ、血だ……みんな、染まっちまえ……!! 一穂(私服): ……ぁ、あぁ……?! 怒号が轟き、そこへ悲鳴と狂気の声が絶え間なく混ざり合っている……。 これを異常と呼ばないのであれば、何をもって普通が定義できるというのか……ッ? 一穂(私服): な……なんなの、これはっ……?! 愕然と目をむき、恐怖から反射的にその場から逃れようとする。 ……だけど、そこでふと前原くんが以前伝えてくれた言葉が脳裏に蘇ってきて、私は返しかけた踵を寸前で押しとどめた。 圭一: 『その手に真実を掴めること……祈っているぜ、一穂ちゃん』 一穂(私服): ――っ……!! なんとか踏みとどまり、吐き気をこらえ遠のきそうになる意識を奮い立たせる。 そして、できる限り村人たちの襲撃から逃れつつ……先へと進んだ。 そして、さらに神社の中心へとたどり着いた私は……そこで……! 一穂(私服): こ、これは……? 見覚えがない。ただ、何かの祭りのために設置されたものなのか、大きな舞台が境内の中央に組み上がっている。 さらにその上では、巫女服と呼ぶにはあまりにも神々しい衣装を身にまとった沙都子ちゃんと梨花ちゃんが相対していた……。 沙都子(魔女服): さぁ覚悟なさいませ、梨花っ!ここにはもう、あなたが守るべき大切なものなど何もない! 沙都子(魔女服): 村人も、#p雛見沢#sひなみざわ#rも……全てが無駄で無意味ですのよッ!! 梨花(魔女服): そんなことはない……!たとえここで終わったとしても、私は次の「世界」へ行く! 梨花(魔女服): そして必ず、皆が幸せになる未来をつかみ取ってみせる……! 沙都子(魔女服): はっ……偽善をっ!あなたが求めるものは皆の幸せじゃなくて、自分だけが幸せになる未来! 沙都子(魔女服): そんな独善の願いを叶えるために振り回されるのは、もう御免ですわっ! その叫びとともに、沙都子ちゃんの持っていた剣が一閃し――。 梨花(魔女服): ぐっ? ぅ……がはっ……?! 胸を貫かれた梨花ちゃんは、苦悶の表情とともに崩れ落ちて……。 大きなけいれんを残した後、ぴくりとも動かなくなって……しまった。 一穂(私服): (し……死んだっ?梨花ちゃんを、沙都子ちゃんが殺して……?!) と、物言わなくなった骸をうつろな瞳で見下ろしていた沙都子ちゃんはこちらへと目を向け……。 にやり……と不敵な笑みを浮かべてみせた。 沙都子(魔女服): ……あら。まだ、生きて立っていられる方が残っていたんですのね……? 一穂(私服): ……っ、……ぁ、あぁ……?! Part 04: 一穂(私服): さ、沙都子ちゃん……?これは、どういうこと……?! 向けられる圧倒的な殺意の波動に震えながらも、私は懸命に声を絞り出して沙都子ちゃんに尋ねかける。 すると彼女は、少し意外そうに目を見開いてからふふ、と笑っていった。 沙都子(魔女服): ……驚きましたわ。こんな状況になった#p雛見沢#sひなみざわ#rで、まだ正気を保っていられるとは。 沙都子(魔女服): ……あなたはいったい、何者ですの? 一穂(私服): 何者って……私のこと、忘れちゃったの?それに、他のみんなは? 一穂(私服): 美雪ちゃんと菜央ちゃん……レナさんたちは、いったいどこに?! 沙都子(魔女服): 美雪……菜央……?あなたは、誰のことを言っているんですの? 沙都子(魔女服): それに、レナさんたちのことまでご存じとは……どこかでお会いしたことがありまして? 一穂(私服): 会ったことが、ない……美雪ちゃん、菜央ちゃんとも……? 沙都子ちゃんからそう告げられて、言葉を失う。 一穂(私服): (ど、どういうこと……?ひょっとしてここは、私の知っている雛見沢じゃないの……?!) 圭一: 『ちなみに覚えているのは、俺が雛見沢の分校にレナや魅音たちと一緒に通っていたっていう記憶だ』 圭一: 『いるはずの人間が、いない。いないはずの人間が、いる……そんな多重記憶が、俺の頭の中に存在しているのさ』 一穂(私服): (そうだ……私たちは本来、この雛見沢にいるはずのない存在だ) つまりここは、自分たちが時空を越えて訪れることがなかった「世界」の雛見沢っ……? 沙都子(魔女服): まぁ、別に構いませんわ。梨花のいないこの「世界」は、私にとってもはや価値も意味もないもの。 沙都子(魔女服): とっとと退去して、別の「世界」に移ったあの子の後を追わせていただきましてよ。……ただ、その前に。 ぎらり、瞳を凶悪な彩りに変えた沙都子ちゃんは、おもむろに手を上げて前にかざす。 次の瞬間、生み出された波動が衝撃となって襲いかかり……私は身構える間もなく木っ端のごとく吹き飛ばされた。 一穂(私服): きゃぁぁああぁっ? ぐっ、……ぅ……?! 背中に衝撃と、激痛。何にぶつかったのか、と思って振り返るとそれは境内に生えている樹のひとつだった。 一穂(私服): (あ、危なかった……!) 痛みのせいで意識が遠のきそうになったが……すぐ横の空間を見て、ぞっと怖気が走り抜ける。 樹にぶつかっていなかったら、崖下に真っ逆さまだった。……高さから考えても助かったところで、大怪我は確実だろう。 一穂(私服): ……っ、……ぐ……っ……! 苦悶の表情で、よろよろと立ち上がる。と、そこへ沙都子ちゃんが悠然とした足取りで近づいてきた。 沙都子(魔女服): まだ、立ち上がることができるなんて……。やはり、あなたは違う世界からやってきた存在で間違いないようですわね。 沙都子(魔女服): 一目見た時から、胸の中にどうしようもないくらいに不快感が湧き上がってきて仕方がありませんのよ……。 一穂(私服): さ、沙都子……ちゃん……? 沙都子(魔女服): 気安く名前を呼ばないでくださいまし。あなたは私の友達や仲間ではありませんのよ。 ぴしゃり、と遮って告げられたその言葉には一切の容赦がなく、冷たくて……本当に私のことなど知らないという様子がありありと出ている。 沙都子(魔女服): ……いずれにせよ、私の目論見に邪魔立てするような下郎はここで存在ごと消し去ってあげますわッ! その宣言と同時、再び沙都子ちゃんの手のひらの中には波動が渦を巻いていく。 一穂(私服): (今度こそ、やられる……っ……) そう覚悟して私は身をすくませたが、突然前に影が立ち塞がるようにして出現する。 はっ、と顔を上げ、その人物の後ろ姿を確かめた私は……思わずその名を叫んでいた。 一穂(私服): あ……あなたは、絢花さんっ?! 絢花(巫女服): ……っ……!! 唖然と立ち尽くす私には答えることなく、彼女――絢花さんはその手に持っていた長刀をひらめかせ、地面へと突き立てる。 そして印を結び、何かを呟くと……沙都子ちゃんの手から放出された衝撃波が私たちの目の前で弾け飛んでいった。 沙都子(魔女服): ……っ、その波動の色……?まさか、「あの女」が遣わしてきた……?! 絢花(巫女服): これ以上、好きにはさせませんよ……!たとえあなたが、神にも等しい存在だとしても! そう言い放って絢花さんは、振り返り……。呆然とその場で固まる私に、強い口調で言葉を投げかけていった。 絢花(巫女服): さぁ、立って……立ってください、一穂さん! 一穂(私服): あ、絢花さん……あなたは、私のことを……?! 絢花(巫女服): 話はあとです!今はこの、目の前の「敵」に集中してください!! 一穂(私服): わ……わかった……! 絢花さんの励ましに促されて、私はなんとか立ち上がり……武器を構える。そして――! 一穂(私服): (そうだ……絢花さんを、守らなきゃ……!) 火がついたその思いとともに、目の前で立ちはだかる沙都子ちゃん(?)に勢いよく向かっていった……! Epilogue: 沙都子(魔女服): ちっ……このっ!羽虫の分際で、往生際が悪いですのよッ!! 一穂(私服): ……ぅ、ぐぅぅうっ……!! 波動を刃に変えた斬撃を、私は手にした自分の武器で辛うじて受け止める。 小柄な彼女の身体からは想像もできない、圧倒的に凄まじい力の奔流……! まともに食らえば私はおそらく、跡形もなく蒸発してしまうだろう。 一穂(私服): ……っ、……! 目の前に迫った沙都子ちゃんの眼光に威圧されて、ぞっと血の気が引きそうになる。 姿形こそ、見覚えのある彼女そっくり……いやそのものだったが、容赦のなさと残酷さが桁違いに「人間」じゃない。 一穂(私服): (だけど……それでも私は、逃げるわけには、いかない……!) 絢花さんは私を励まして、勇気を授けてくれた。だから、たとえ敵わなくても一矢報いなければ申し訳が立たない……! そんな思いが臆病な私の心を鼓舞し、ともすればすくみそうになる全身に熱と力を与えて内から燃え上がるような衝動を繰り出していた――! 一穂(私服): っ、らぁあぁあああぁぁぁッッッ!!! 沙都子(魔女服): なっ……ま、まさかっ……ぅああぁあぁぁっっ?! 脚の骨を砕かんばかりに地面を踏みしめ、私は渾身の力を込めながら受け止めた衝撃波を両手で握った武器の一閃で弾き飛ばす。 すると、返されるとは思いもしなかったのか沙都子ちゃんは防御の余裕もなく……勢いをそのまま我が身で受けてしまった。 沙都子(魔女服): がはっ……?そんな、まさか私が……?! 信じられない、と言いたげに驚愕の表情を浮かべながら沙都子ちゃんはその場に倒れて……跡形もなく消えていく。 それを見て私は、緊張の糸が切れたようにへなへなとその場に崩れ落ちた。 一穂(私服): っ……今のは、なんだったの……? 絢花(巫女服): 魔女の力を得た、沙都子さん……の写し身、いわば幻影です。 絢花(巫女服): そうでなければ私たちではとても太刀打ちできませんでしたが…… 絢花(巫女服): なるほど、ついにあんなものまで生み出せるようになったのですね……。 一穂(私服): 写し身……幻影……? 聞き慣れない言葉を呟く絢花さんに、私は違和感を覚えて顔を向ける。……ただ、今はそれよりも確かめることがあった。 一穂(私服): 絢花さん……なんであなたが、ここにいるの?梨花ちゃんがいたのに、どうして……?! 絢花(巫女服): 私と古手梨花さんは、ともに同じ#p雛見沢#sひなみざわ#rで存在しない……いいえ、してはいけない。 絢花(巫女服): それがこの「世界」におけるルールのひとつです。ですから、図らずも彼女が命を落としたことで私は姿を現すことができました。 絢花(巫女服): とはいえ、ここはもう「世界」ごと消滅するので……あなたとお話ができる時間はあとわずかしかありません。……残念です。 その言葉を裏付けるように、周囲の光景は徐々に輪郭を失い……闇へと飲み込まれていく。 だけど、それでも絢花さんは手を取ると困惑する私のことを諭すように言った。 絢花(巫女服): 気をつけてください。この「世界」の構造を生み出した黒幕の計画は、もうすぐ大詰めを迎えようとしています。 絢花(巫女服): もはや容易に収拾がつかなくなった現状を変えることができるのは、一穂さん……あなただけなんです。 一穂(私服): そ、そんなことを言われても、私に何ができるのか……? 絢花(巫女服): できますよ。他と違う能力を持っていること……忘れないでいることには、必ず意味がある。 絢花(巫女服): それにあなたは、操り人形でしかなかった私に希望を与えてくれた人…… 絢花(巫女服): きっと「彼」も、それに気づいたからこそ自分の……を、……て――。 一穂(私服): ま、待って絢花さんっ……?まだあなたには、聞きたいことが……?! 必死に呼びかけるものの、絢花さんは微笑みだけを残して……何も言わない。 そして私の視界は、闇に閉ざされて――。 美雪(私服): ……一穂?おーい、聞こえてるかーい。 一穂(私服): っ……み、美雪……ちゃん……? はっ、と目を開けると、そこは縁日のように屋台が並んだ場所。 そして、呆然と立ち尽くす両側から、美雪ちゃんと菜央ちゃんが心配そうに覗き込んでいた。 菜央(私服): どうしたのよ。並んで歩いてたと思ったら、急に立ち止まったまま動かなくなっちゃって。全然反応がないから、心配したじゃない。 一穂(私服): ご、ごめんなさい……。 2人に謝ってから、私は彼女たちとともに手を振って呼びかけてくるレナさんたちのもとへと向かう。 そしてひとり、呟いていった。 一穂(私服): ……絢花さん。 一穂(私服): もしかして、あなたが前原くんに『スクセノタマワリ』を渡した……?だとしたら、何のために……?