* * *
部屋の扉を開くと、
辛うじて
「だーかーらー、もういい加減にして欲しいんですよ。小学生だ小学生だって言ったって、こっちにだって色々な
「もう演歌でも何でもいいから幼女一発歌って楽になれよ。で、その抱えた狐離してあげて。それは色々駄目で非道な人だったけど、流石に可哀相だから離してあげて。顔青くなってるけど……えー、生きてますかあさとさん? 駄目だコレ辛うじて死んでる」
「恋なんてー、恋なんてー、シャボン玉ーッ!」
「幸仁もさぁ……何でアルコールなしでそこまではっちゃけるんだよ。俺もう疲れたよ」
「七海さん、と言いましたか、貴方の料理は
「抜かりなく、姫様。先程、七海殿から聞いたレシピがここに。今は床と壁の掃除を思って、頭が痛いのですが……この騒ぎは放っておいても、本当によろしいのですか?」
「いいではないですか。久しぶりの客人です。人形だけの家に、このような騒ぎが訪れる日が来るとは。まるで世界の終わりのようですが、私は悪くないと思います。おや」
お帰りなさいですか、小田桐殿?
舞姫の言葉に、全員が
「た、ただい、」
「お帰りなさいこの
固いクッションが飛んで来た。僕はその場に崩れ落ちる。容赦ない。えげつないほど、容赦ない。七海は
そのまま、白雪は部屋の中心に連れて行かれた。七海と幸仁は、アルコールを飲んではいないようだが、何故か酔っているらしい。二人は大量に積み上げられたクッションの上に、白雪を正座で座らせた。舞姫は嬉しそうに、それを眺めている。彼女のことだ。酒とジュースを間違えて、あるいはわざと渡した可能性もがあるが、真相は不明だった。
どこまでいったんですかこのやろーと七海が大声を出す。扇子と声で、彼女達は話し始めた。七海の声の調子はやけっぱちだが明るい。放っておいても大丈夫だろうと判断し、僕は床の上を見た。あさとは見事に伸びている。よく見れば、その口の周りにはスナック菓子の粉が張りついていた。無理やり詰め込まれたような気が、しないでもない。だが、あさとがこういう賑やかな場で、食べ物を口にしたのは初めて見る図でもあった。
楽しかったなら、何より。
そう頷き、僕は彼の足を摑んだ。そのまま彼を引きずり、開きっ放しの扉に向かう。
あさとを回収し、僕は部屋から出ようとした。その時、背後から舞姫の声が響いた。
「─────────────行くのですか?」
「…………………………………わかりますか?」
僕は彼女の方を見た。舞姫は
「えぇ私は大分察しのいい人間です。そうですね。貴方が持ち込まれた鞄は、久々津?」
「はい、姫様、こちらに」
久々津は頷き、僕に鞄を渡してくれた。それを受け取り、僕は再び、あさとの足首を摑んだ。僕は二人に向き直る。舞姫は何も言わなかった。僕の視線に複雑そうな表情を浮かべ、久々津は顔を背ける。だが、思い直したかのように、彼は怒っているような目で、僕を見た。舞姫は高々とグラスを掲げる。
「─────────────────────────────
祈っても無意味でしょうが、祈ることには意味がある。私はそう考えます。
そう言い、舞姫は高々とグラスを
そのまま、後ろ手に、扉を閉めようとした時だった。
「────────────────────旦那ッ!」
久々津が叫んだ。僕はハッとして振り向く。彼は何かを言おうとして止めた。言葉にならないと言うかのように彼は口を閉じた。首を横に振る。そして彼は深く頭を下げた。
「…………………………………………………御武運を」
祈っても無意味だろうが、祈ることには意味がある。
「…………あぁ、ありがとう」
僕は小さく呟いた。そして、あさとを先に外へ押し出した。扉を摑み、閉じきる
七海と白雪が話していた。一体どんな化学反応が起こったのか、彼女達は笑っている。
白雪の右腕には幸仁がしがみついていた。雄介は
七海が投げたクッションが宙を舞い、グラスの中でジュースが揺れた。
僕はまるで夢のようなその光景の全てを、強く強く、目に焼きつける。
涙が浮かぶ。色鮮やかな光景が滲む。
そして、僕はゆっくりと扉を閉じた。
* * *
振り向くと、あさとはそこにはいなかった。
彼の姿は
あさとは、前庭に立っていた。朝の近い、薄闇の中に彼は立っている。白髪が、月光の
「遅いよ、小田桐。いつまで待たせるんだい。行くんだろう?」
「いや……………今更かっこつけても、どうしようもないぞ?」
僕の言葉に、返事はなかった。彼は無言で、歩き出す。もしかして、機嫌を
舞姫の屋敷の前には、再び繭墨家の車が止まっていた。無表情な運転手は、無言のままドアを引き開けた。あさとは先に乗り込む。僕も後を追った。運転手は、扉を閉じる。
あさとは、何も言わなかった。僕も無言のままだ。あさとは退屈そうに目を細めている。僕はその横顔に向けて、口を開いた。拳を握り締め、僕は心からの言葉を吐き出す。
「あさと」
「何だい?」
「ありがとうな」
「何のことだい?」
彼には、それが何のことかわかっていただろう。だが、狐は常に本心を
僕は何も言わない。彼も何も言わない。ただ僕達は無言で、夜の中を走り続ける。
朝が近かった。街はそろそろ光の中へ戻るのだろう。
そして、僕は朝など来ないところへと向かっていた。