「ついさっきさ。これは風に乗って運ばれてきたんだよ。君はぼうっとしていたけれどね。気づかないなんて、どれだけ意識が飛んでいたんだい? 一応忠告しておくが、下らない思考にひたるのは止めた方がいいよ。死者に引きずられれば死者になる。ここは敵地で、俺は下らない死に様はごめんだ。死ぬのはいい。だが、場所くらい選ばせてくれ」

「……悪かった。だがな、あさと。繭さんは、死者じゃない」

「それこそ、どうでもいいことさ。妹君が死んでいようが、生きていようが、君は迎えに行かなければ、気が済まないんだろう? こうについて、繰り返し語る必要はないさ。妹君の生死なんてどうでもいい。ここに俺が来た。だから、これは運ばれてきた。今重要なのは、その一点だけさ。この建物と同じだよ。これも呪いの影響だね。繭墨家の敷地には、呪いの影響で、様々なものが再現されている。そうだね。喜ぶといい、小田桐」


 実に忌々しいことに、俺達は、歓迎されているよ


 あさとはちよう気味に唇を歪めた。彼はくるくると紺色の唐傘を回す。その度に、傘の表面を紅い花弁が滑り落ちた。彼は一度唐傘を閉じ、開いた。はじかれた花弁が宙を舞う。


「今更、妹君を気取るつもりはないよ。だが、丁度いい。さっきから花弁がうつとうしくてね。利用させてもらおうか。さて、小田桐。呪いは二つ。君は白い影に気をつけるんだ」


 簡潔とは程遠い、勿体つけたしやべり方を続けながら、あさとは歩き出した。僕は鞄を摑み、その背を追う。擂鉢から這い上がると、再び後ろに気配が生まれた。一応振り向くが、やはりそこには何もいない。だが、瓦礫の中に、何かがうずくまっている気配がした。それは恐らく人間ではない。人間にしては、こちらに向けてくる感情がぼうで露骨過ぎた。


 殺意を抱えた動物が、一匹、僕達を見つめている。


 その視線は、時折、僕の背中から外れた。恐らくあさとにも鋭い、だが、理性に欠けた視線が向けられていることだろう。気づいているのか、いないのか、あさとは振り向くことなく、唐傘を回している。紺色の上で、花弁の紅色も一緒に回った。それを見て、僕はなつかしさを覚えた。こんなことでも繭墨あざかを思い出す。気がつけば、既に去った人を思い返すかのように、僕は彼女の記憶をあつかっていた。えんでもないと、慌てて首を横に振る。そこであさとが振り向いた。その顔はどこか暗い。彼は唇を歪め、囁いた。


「君はまだいいよ。俺にはもう一つ、気をつけなければならないものがあってね」


 そして、彼は詳細を語ることなく歩き続け。

 僕は紺色の唐傘を回す、その背中を追った。


    * * *


 ──────────ザッザッザッザッザッ

 あさとは振り向くことなく、前進を続ける。


 最も、本当に進んでいるのかどうかは、定かではなかった。辺りには、変わり映えしない光景が続いている。自分達が敷地内のどこにいるのか、僕には既にわからなかった。

 直進しているのか、どうどうめぐりをしているのかすら不明だ。ただ、足を進めるあさとの背中だけが、この紅い世界の中でゆいいつの指針だった。一定のペースで足を動かしていると、自然に考えが内へと向かっていく。僕はあさとの言葉をはんすうした。異界にちた者、異界に飲まれた者が、自然と思い浮かぶ。狐は僕が異界に落とし、連れ戻した。猫に変わったじんぐうゆうりは、異界で彷徨う僕を助けてくれた。彼女はまだあそこにいるだろう。

 かつて、雄介の知人の少女の救出劇に関わったこともある。だが、彼女達と時計塔の中にいた者は、繭墨家と縁もゆかりもなかった。それならば呪いの正体とは、誰なのか。


 かつて僕達は、それに、会ったことがあるのか。

 同時に、僕はにがにがしく、あることを思い知った。


 繭墨家の兄妹きようだいは、二人とも勿体つけすぎるし、言動がいちいち芝居がかりすぎている。


 その時、遠くに比較的形状を保った家屋の残骸が見えた。斜めに重なり合った屋根の間には、小花の付いた蔦が、カーテン状に垂れ下がっている。見覚えのある光景だった。あさとはそこを潜り抜けた。僕も後を追う。顔の前に垂れ下がったカーテンを、僕は手で払った。同時に、掌に痛みが走る。反射的に、僕は腕を横に振るった。嫌な音を立てて、僕の手に嚙みついていた花弁れた。破れた皮膚から、ゆるやかに血が溢れ出す。

 腹の底で雨香がうなった。大人おとなしくなった花を避け、僕は血を拭った。ハンカチを仕舞い、顔をあげる。そこで思わず目を見開いた。目の前の光景は更なる紅に染まっている。


 胃の中どころではない。まるで、血管の内側に入り込んだかのようだ。


 地面には薄くあみじようあとが走り、どこもかしこもが濡れていた。ねばつく空気の中、雨香はうれしそうに笑う。僕は腹を撫でながら、あさとの背中を追った。その時、ぞっとするほど強い視線が首筋に突き刺さった。慌てて、僕は後ろを振り向いた。だが、そこには誰もいない。思わず、僕は唾を飲み込んだ。カーテンを抜けた直後から、背後の気配は露骨に活性化している。肉食の獣が唸っている様が思い浮かんだ。僕は慌てて前へ進む。


 雨香を出せば、対処はできるだろう。だが、相手の正体は不明だ。下手に、彼女に頼むわけにはいかなかった。もしも戦いになれば、雨香がどれだけ言うことを聞いてくれるかはわからない。今彼女は落ち着いている。だからと言って、忘れてはいけなかった。


 彼女は、育っている。そして、えていた。

 雨香にこれ以上何かを食わせるのは危険だ。


 僕達は滑らかに隆起した丘を昇った。その先には、さっきよりも深い擂鉢状にへこんだ土地が広がっている。擂鉢の底には、やはり屋敷の一部が置かれていた。だが、その周りの床は、完全な平らではなくなっている。ぼこぼことにくしゆに似たあわが浮かんでいた。念の為表面を覗いてみるが、何も映っていない。それを踏み潰しながら、僕達は家の前に立った。次の瞬間、あさとは両の爪先で地面を蹴った。彼は軽やかに縁側に飛び乗る。


 ────────────────────スパンッ


 彼は勢いよく、障子を開いた。中から、むっとする臭気が押し寄せる。前回の匂いと、それはまた質が違っていた。生臭さと生々しさが息詰まるほどに濃い。まるで内臓の中に入り込んだかのようだ。前回の死んだ匂いよりもこの空気は濃く、新鮮で生きている

 相変わらず、室内は暗かった。畳の上には、前回と同様に無数の葛籠が並んでいる。僕は指で蓋を引っかけた。上に持ち上げると、それは隣の箱の上に垂直に立ち、倒れた。


 ────────────────────────パタンッ

 蓋の裏側が、目に入る。思わず、僕は間抜けな声を漏らした。


──────────は、ぁ?」


 蓋の裏側には、人間の内臓がびっしりと貼りついていた。よく見れば、それはぴくぴくと動いている。平らにならされた肉塊は、どれがどの部位かも、よくわからない。だが、確かにそれは生きていた。まるで奇怪ななんたいせいぶつのように、肉は蠢き続けている。血管が血液を送り出す度、それは空中に紅色を吐き出した。血濡れた内臓は、各自勝手な動きを続けている。恐る恐る僕は下を向いた。そこには乱暴に丸めたちようが仕舞われている。無理やり詰め込まれた腸の隙間には、様々な内臓が入れられていた。平らに潰された心臓が、けなどうを繰り返している。胃からこぼれたさんが、かなりの肉を溶かしていた。


 ───────────────────────パタリッ

 僕はほつてきに、葛籠を閉じた。内部の異常は見えなくなる。


 心臓がはやがねを打った。僕は今、一体何を見たのだろうか。箱の中身は、異界の産物だ。

 そんなことはわかっている。だが、流石に動揺せずにはいられなかった。葛籠の中身は、ひっくり返した人体を無理やり箱詰めにしたかのようだ。した部分は切り取り、蓋に貼りつけたのだろう。僕は辺りを見回した。恐らく全ての葛籠に同じ内臓が詰められていることだろう。普通人間に内臓はひとそろいしかない。これらの内臓は異界が複製した物だ。だが、オリジナルは存在するだろう。僕はあさとの持つ左足に目を向けた。


 つまり、元の持ち主は、左足を無残に切断され内臓を取り出されたことになる。


 しかも、内臓は生きていた。僕はある事実を思い返す。異界はある意味、最も死から遠い場所だ。異界では人の肉体は如何様にでも変化する。だが、そこなわれることはない。


 生きたまま異界に辿たどいた者は、自然の摂理にしたがい、死ぬことすら許されなかった


 その事実のざんこくさに、僕は改めて直面した。僕が言葉を失っていると、不意にあさとは動き出した。徐に、彼は畳の上に左足を置く。何を考えているのか、次に、彼は葛籠を摑んだ。そのまま持ち上げようとする。だが、葛籠を覆う血のせいで、手を滑らせた。

 ゴトッと重い音を立て、葛籠は落下した。汚れた掌を見て、あさとは眉を顰める。慎重に、彼は葛籠を抱え直した。だが、左足を拾おうとしてバランスを崩す。再び彼は葛籠を取り落とした。あさとは深い溜息を吐く。今度は、彼はあらかじめ蓋の上に左足を乗せた。


「いや、ちょっと待て。何をふうしてるんだ、何を」

「うるさいね、小田桐。両方一緒には持てないんだから仕方ないじゃないか。それなら君が持ってくれればいいだろう? どっちがいい? 俺はだんぜん、葛籠をお勧めしたいね」

「ちょっと待て。その前に、どうしてこれを持ち運ぶ必要があるんだ。さっきから一体」

「だからね、小田桐。これはバラバラなんだよ、バラバラ。『とてもだらしのない男がいた。墓におさめたかったが指はどこにも見つからなかった。首はベッドの下の奥に転がっていたし手足は部屋中に散らばっていた』ってやつだよ。それなら拾い集めるしかない」


 意味不明なことを言い、あさとは葛籠を持ち上げた。そのまま、彼は葛籠を運ぼうとする。と、思った瞬間、彼は急転回して、葛籠を僕にぶつけた。人一人分の内臓には、それなりの重量がある。僕は後ろによろめき、思わず葛籠を抱えてしまった。あさとは蓋の上の左足を摑み取った。文句を言う暇もない。彼は軽やかに、縁側から飛び降りた。


 ────────────────────────────────パンッ

 片手で、あさとは器用に紺色の唐傘を開いた。顔を傾け、彼は僕を振り向く。


「その人物は、死んだのさ。だが、自分が死んだことすら、忘れている。忘れた者は、ふてぶてしくも、生前の場所にとどまるのさ。だから、囁いてやらなければならない。思い出させて、殺すんだ。バラバラの体を繋ぎ合わせて、お前は死体だと告げてやろう」


 あさとは、左足を放り投げた。それはくるりと、宙を回る。彼は器用に、白い足首を受け止めた。汚い切断面を眺め、あさとは薄く笑った。気味の悪い笑みだ。だが、その横顔には何故か重いろうも張りついている。あさとは無意味に唐傘を回し、歩き出した。


「行くよ、小田桐。こんなことはさっさと片付けてしまうに限るさ」

「なぁ、何で、さりげなく、僕がこれを持つ流れになってるんだ?」


 僕の訴えに返事はない、彼は唐傘を回すばかりだ。僕は溜息を吐き、その背を追った。

 繭墨あざか相手でも、その義兄でも、僕が体力担当なのはどうやら変わりないらしい。


    * * *


 あさとは、僕の精神が更に摩耗していると言った。

 確かに、僕は様々なことに対し、鈍くなっている。


 僕の常識は、一般人のそれとは、既にかけ離れていた。恐らく残酷と判断する基準値が、人のそれをいつだつしていることだろう。血と肉を見た程度では、僕はもう動揺さえしない。一般人から見れば、十分に僕も人でなしだ。だが、あらゆることに対し、感覚がどんしたわけではなかった。具体的には生きている内臓が入った葛籠を運ぶのは、今でもごめんなのだ。血でぬめる葛籠を抱え、胸の中で不満を呟きながら、僕は歩を進めた。


 さっきから、中では柔らかな物の潰れる音が響いている。その度全身におぞが走った。腹の中では雨香も暴れ始めている。彼女は葛籠に興味を持ったらしい。どうやら触りたがっているようだ。だが、彼女が手を突き出すと、もれなく僕の腹がやぶけるようだ。半ば異界化した空間では、腹がけても比較的自由に動くことができるだろう。だが、そういう問題ではない。腹に穴が開いた状態で葛籠を運ぶのは、流石に滑稽なづらすぎる。


 それもこれも、説明もなく僕に葛籠を押しつけた、あさとのせいだ。


 僕がうらみをつのらせる間にも彼は単調な前進を続けていた。辺りに広がる景色は変わり映えしない。やがてその中に、重なり合った屋根の残骸が見えてきた。僕は目を細める。

 これで確信ができた。僕達は繭墨家のしきを堂々巡りしている。僕達は座敷を出ては、戻ることを繰り返しているだけだった。だが、完全に同じところに戻っているわけでもないらしい。葛籠の中身は、その変化していた。他にも様々な変化が起こっている。


 屋根の下を潜る度、どうやら様々なことが、悪化していくようだ


 慎重に、頭を下げ、僕は小花のカーテンを潜り抜けた。同時に首筋で、ガチリと歯を嚙み合わせる音が響いた。だが、振り向いても、紅い花達はらぬ顔をしている。冷や汗の浮いた首筋を撫で、僕は顔をあげた。辺りの光景は、ますます紅く染まっている。


 地面は半ばでいしていた。崩れたその表面は肌をぎ、肉に何度も針を刺した痕のようだ。足を進める度、突き崩された傷口を踏んでいる錯覚に襲われる。視界に入るあらゆるものは、肉化していた。そして空からは、しゆうのように紅い花弁がそそいでいる。

 美しいが地獄めいた光景だ。定期的に、花弁は口に入ってくる。それは化粧品のように不快に甘かった。鉄錆の匂いもする。僕はせきとくしゃみで花弁に抵抗した。その間も、唐傘を差したあさとは実に優雅に歩いている。更に怨みが募った。僕は彼の背中をにらむ。その僕の背中を、何かが睨んでいた。実質僕達は四人で並んで、歩いているようなものだった。先頭にあさとが立ち、僕が続き、腹部で雨香が蠢き、謎の獣がついて来ている。


 花の雨の中、僕達は奇妙な行軍を続けた。やがて、擂鉢が見えてきた。


 先程よりも円のふちは広がっている。まるでありごくだ。擂鉢の底を覗き込み、僕はもう何度目かの驚きの声を漏らした。擂鉢の底には紅い花弁が溜まっている。上質なじゆうたんのように、地面の上に紅色が敷き詰められていた。そこに、新たな花弁が舞い落ちていく。

 屋敷は、まいそうされている途中にも見えた。不意に、僕はかつて駐車場で見た、紅い花弁に埋まった車を思い出した。思わず僕は左腕を強く摑んだ。だが、僕の感傷に構うことなくあさとは擂鉢の底へ滑り降りた。靴底で紅色を踏みにじり、彼は縁側に跳び乗る。


 そして、迷うことなく、あさとは障子を開いた。

 ─────────────────スパンッ!


 そこには、葛籠が並んでいた。だが、他にも何かがある。壁際と畳の上に、葛籠以外の『何か』が蠢いていた。そのおぼろな影を見つめるうちに、何故か、僕はみなとを連想した。

 岸壁にびっしりと張りついた、フジツボが思い浮かぶ。だが、よく見れば、それはせわしなくざわざわと開いたり、閉じたりを繰り返していた。生温く鉄臭い風が体を叩く。

 室内には、わずかな空気の流れが、生まれていた。それは、へきめんの動きと連動している。


 数秒後、僕は目の前のそれが、何かに気がついた。

 壁に貼りついた無数の唇が、開いては閉じている。


 それは文字通り、口々に蠢き、僕達に何かを訴えた。だが、発声器官がないためか言葉は声にならない。その度、吸い込まれた空気が吐き出され、小さな風を生んだ。生臭い呼気が僕達を叩く。唇は横に伸び、柔らかく縦に潰れ、不満げに丸くしぼんだ。壁だけではなく、畳にも唇は生えている。それは葛籠と葛籠の僅かな隙間に、不本意そうに押し込まれていた。念の為僕は葛籠にも手を伸ばした。恐る恐る蓋を開き、中を覗き込む。


 一瞬、ホヤに似た巨大な紅いかたまりが見えた。癒着し合い、球体と化した歪な何かが、一秒たりとも止まることなく蠢いている。全身に鳥肌が立った。なるべく視線を逸らしたまま僕は葛籠を閉じた。顔をあげると、あさとは無言で葛籠の隙間を睨んでいた。まさかと思った次の瞬間、彼は手を伸ばした。細い指が『あ』の形に開いていた唇をつまむ。

 ぶにゅっと、彼は二本の指で無理やり唇を閉じた。そのままあさとは手に力を込める。何かをさとったのか、周囲の唇が一斉に悲鳴の形に開いた。僕は思わず、彼に声をかける。


「……あ、あさと。それくらいに」

 ────────────ブチッ


 実に嫌な音と共に、唇は畳から引き抜かれた。僕は顔を覆い、溜息を吐く。唇はだらだらと血を流していた。その裏からは、い草が何本も生えている。あさとは慎重に、唇をジーンズのポケットに押し込んだ。それを軽く上から叩き、不意に彼は真顔になった。


……………ジーンズと、一体化したらどうしようね」

洒落しやれにならないじようだんは、止めてくれ」


 あさとの言葉に、僕は低く呻いた。だが、あながち、それが冗談でないこともわかる。

 どうやら異界の産物は、常識を平然と無視し、無機物と融合するようだ。僕はあさとが持つ左足と、ふくらんだジーンズのポケット、僕の腕の中の内臓入りの葛籠を見比べた。


 確かに見知らぬ誰かの体はバラバラだ。元の形はいっそ滑稽なほど残されてはいない。

 ここまでバラバラにされてしまっては、自分が死んだことすらも忘れてしまうだろう。


 蠢き続ける唇を残し、僕達は、建物を後にした。

 そして、再び不毛とも思える堂々巡りに戻った。


    * * *


 ───────────────────ガッチンッ

 真後ろで、だんとうだいの刃を落としたような音が響いた。


 嚙み切られた髪が。はらりと落ちる。そこに、針のように鋭い視線が、突き刺さった。

 紅い花は更に凶暴になり、背後の視線は強さを増している。予想通りの変化だ。溜息を吐き、僕は前を見た。これ以上ないと思われた紅色は、ますます濃くなっている。はや空気自体が色づいているかのようなありさまだ。空気は湿り、粘ついている。成分すら変化しているかも知れない。不安にられ、僕は前を行く背中に馬鹿げた話題を飛ばした。


「なぁ、五十パーセント以上の高濃度のさんは、人間にとって毒なんだってな」

「それがどうしたんだい、小田桐? 会話に脈絡がないよ。それにこの空気の中にぎっしり詰まっているのは酸素じゃない。別の何かさ。その正体は推測するだけだね」

「何だ、わかってるじゃないか。この吸い込むとまずそうな色の空気は、一体何なんだ」

「まぁ、いいじゃないか。異界の風が何でできているかなんて、俺達にはわからないよ。だが、空気の代わりに血が詰まっていようと、異界では人も魚のように泳げる。おぼれることすら許されないんだ。心配の必要はない、が……確かにここは中途半端だからね」


 本当に、息が続くのかどうかは、興味深いところかも知れないな。

 そんな、下らない話をするうちに、僕達は擂鉢の縁に辿り着いた。


 巨大な穴は、繭墨家の敷地を致命的な範囲でしんしよくしている。そのうち、本来の敷地面積を超すかもしれない。僕達は永遠のような時間をかけ、穴の底に降りた。辺りは一面、紅い花弁に埋められている。まるで大地そのものが、紅い花の積み重なった層で、できているかのようだ。あさとは再び縁側に跳び乗った。彼は相変わらず、いさぎよく障子を開く。


 ─────────────スパンッ

 頭上には、何かがぶら下がっていた。


 歪な丸が、天井から垂れ下がっている。まるで、使用期限の切れた古い電球のようだ。それはびっしりと薄暗い頭上を埋めていた。丸い形と生命を感じさせない揺れ方は、どこかてきだ。だが、何故だろうか。僕は自然と大量のむしの巣を連想した。中に卵とねんえきの詰まった巣がゆらゆらと揺れているのだ。あさとはそれを摑み、ていねいに引っ張った。


 ────────────ぶちりっ、ぐしゃっ


 絡み合っていたひもが千切れる。強く指で押された表面が、潰れた。彼は摑んだそれを、僕に差し出した。しんけいのついた眼球が彼の掌には収まっている。そのどうこうは、外の光を受けると小さくなった。やはり、これも生きている。念の為、僕は葛籠の蓋を開いた。蓋を開けた途端、複数の何かが揺れ、音を立ててぶつかり合った。蓋にはやはり眼球がぶら下がっている。葛籠の中には、まるで出荷を待つだいだいのように眼球が並べられていた。


 あさとは悩んだ末、最初に摑みとった一つを胸ポケットに押し込んだ。得体の知れない液体で、じんわりとその布地が濡れていく。僕と彼は顔を見合わせ、きびすを返した。


 四度目ともなると、特に言うべきことも思いつかない。

 そのまま僕達は歩き出す。そして堂々巡りを再開した。


    * * *


「なぁ、あさと。僕達は、一体なんのために、同じ場所を彷徨っているんだ?」

 僕の言葉に、あさとは顔をあげた。彼と僕は二人並んで、縁側に座っている。


 僕達の背後では障子が開いたままになっていた。後ろの座敷には、これで五度目の訪れになる。不毛な堂々巡りと、悪化していく風景に流石に疲れ、僕達は一時休んでいた。


 室内のうすやみには、濃い黒色の何かがめられている。闇に溶け込んだそれは、かいそうに似ていた。僕は自分の隣を見る。そこには先程あさとが引っこ抜いたソレが、内臓の詰まった葛籠の上に乗せられていた。紅い空の下、黒々とした女の髪が光る。長い髪のたばは、床まで闇色の川を描いていた。つやつやとした見た目は、美しいと言えなくもない。だが、それの根元には、無残ななまかわりついていた。あさとの返事はない。僕は髪を眺め、この堂々巡りについて考えた。今まで集めた人体部品は足、内臓、唇、目、髪だ。


 どうやら僕達は誰かの体を這い昇っているらしい。そして、その一部を回収していた。誰かの遺体を、僕達は足から集めているのだ。だが、それに、一体何の意味があるのか。


 いつまで待っても、あさとの返事はない。僕は溜息を吐き、胡坐あぐらをかいていた足を崩した。縁側に腰掛けると、投げ出した足が花弁に埋まる。その感触は乾いた紙のようだ。だが、しっとりと湿ってもいる。表面は温かく、冷たい。ひどく、矛盾した感覚だった。


 縁側とほぼ同じ水位まで、紅い花弁はせまっていた。目の前には、更に荒れ果てた景色が広がっている。擂鉢状のかんぼつは拡大していた。今ではまるでいんせきの落下痕だ。その底には紅い花弁が溜まり、空からは宙に描かれた模様のように、えることなく花弁が降り続けている。時折、視界の端に白い影も走った。あの獣は相変わらず、僕達について来ている。地獄じみた光景だ。だが、本来の異界よりも派手で面白いと言えなくもない。


 ここは、まだ現実と異界の境界線上だった。更に、場に居着いた誰かの意志が色濃く反映されている。僕は胸ポケットから、煙草たばこを取り出した。火をけ、口にくわえる。隣であさとは露骨に顔を歪めた。火を消せと、その視線が語っている。だが、今度は僕が彼を無視した。突然、あさとは手を伸ばした。彼は僕の手から、煙草の箱を引っ手繰る。


「あっ、おいっ」


 投げ捨てられるかと思ったが、あさとは煙草を一本取り出し、口に咥えた。彼は空の手を、当然のように僕に突き出す。どうやら火を寄越せと言っているらしい。諦めて僕は彼にライターを手渡した。煙を吸い込み、あさとは顔をしかめた。次の瞬間、予想通り、彼は派手にんだ。彼は箱とライターを僕に投げ返す。だが、早々に慣れたらしい。落ち着いた様子で、あさとは煙草を吸い始めた。やがて空を仰ぎ、彼はぽつりと呟いた。


「おぞましいだろう? 中の状態に気づいた時、さぞかし、定下達はせんりつしただろうさ」

「確かにおぞましいな。いや、おぞましいって言うよりもすさまじい光景だ。だが、呪い自体は、そう悪質でもない気がするな。内臓や目玉や、唇は、確かに気味が悪いが、そこにあるだけだ。後ろの獣は気になるが、他は放置しておいてもいいような気がする。定下達は、一体何をそんなに恐れているんだ? この場は、そのままにしておいたって」

「おや、何を言うんだい、小田桐? 君もしかして、俺が毎回選んで同じルートを歩いていると思っていたのかい? 規則正しく迷うことなく堂々巡りを続けていたと?」


 あさとは嫌な笑みを浮かべた。僕は首をかしげる。数秒後、語られた内容の恐ろしさに、僕はようやく気がついた。思わずあおめる。あさとは、ただ適当に歩いていただけにすぎなかったのだ。つまり座敷を出る度、僕達は強制的に同じ場所に戻されていたことになる。


「そうだよ、小田桐。この敷地内に入ったら最後、堂々巡りに組み込まれるしかないのさ。定下の命で最初に敷地内の探索を行った部下達は、それはさんな目にあったようだよ。携帯電話で健気に通話を続けながら、彼らはき続けたが、何度座敷を離れてもここに戻り──確か唇が見つかった段階だったかな。以降、通話はあつなくれたよ」


 平然と語り、あさとは煙草の灰を落とした。僕は溜息を吐き、縁側で長い煙草をした。眉間の皺が深まる。僕は定下が、本気で僕達の死をに入れていたことを理解した。僕は目の前の光景を睨む。それは先程よりも恐ろしいものとして、目に映った。

 どうやら、あさとという案内人がいることもあり、僕は無意識に油断していたらしい。この場に対する僕の認識は、笑い出したくなるほどに甘いものだったようだ。僕達は望んで堂々巡りをしていたわけではなかった。ただ出られなくなっていただけだったのだ。


…………なんてこった。無事に帰れるといいな」

「さぁ、帰れる保証はどこにもないね。だが、俺もここで死ぬのは、確かにごめんだよ」

「呪いをどうにかできなかったら、その時は……異界の奥底へ潜ってみるか。繭さんのところまで辿り着けば、彼女がどうにか……してくれるといいけどな。断られそうだ」

「呪いの追跡を振り切りながら、紅い女の下へ辿り着き、宝物に助けられて逃げる、か。小田桐、君、それがどれほど困難なことかわかっているのかい? のうしんけいが焼き切れているとしか、思えない考え方だね。彼女の下へ向かうのなら、……そんな者がいるとは思えないけれどね、紅い女に対抗できるほどの強力な異能者を見つけるか……あるいは」


 突然彼は言葉をにごした。あさとは鋭い目で、僕の腹を見つめる。だが、彼は無言のまま煙草を縁側で揉み消した。すいがらを、彼は花の海に投げ捨てる。放物線を描き、それは紅色に飲み込まれた。ジーンズのしりを叩き、あさとは立ち上がった。彼はぽつりと呟く。


それは駄目だ。約束があるからね。それじゃあ行こうか、小田桐。どうせ帰れるかどうかの結果なんてぐに出るよ。俺達は歓迎されている。それにこの堂々巡りは同じ場所を回っているようで、せんかいだんを降りているようなものだからね。終点はあるだろう」


 それに、そろそろ獣も動きだす頃だろうさ。いやおうなく、終わりは来るよ。

 不吉なことを囁き、あさとは歩き出した。僕も紅い花を踏み、後を追う。


 僕達は、また戻ることを知りながら、座敷を離れる。

 その間も一対の鋭い獣の目が、僕達を見つめていた。


    * * *


………………………………

…………こう変化するのか」


 屋根の残骸の間を見て、僕は思わず唸った。目の前の小花のカーテンは、予想外の変化を遂げている。それは溶け、癒着し合い、柔らかな肉襞と化していた。その肉質はほぼねんまくじようだ。斜めに重なり合った瓦礫の間を、震える桃色のまくが埋めている。膜の中央には、細い裂け目があった。それは完全に道を塞いでいるわけではない。だが、不用意に突き破ろうとすれば、食われるおちいるのは予想できた。あさとはげんなりと呟く。


「気持ち悪いうえに、なんとなく、わいだね」

「お前にそういう感覚があることに安心した」


 馬鹿な会話をしながら、僕は肉襞を眺めた。いかにも頼りなく膜は震えている。だが、一歩進めば終わりだろう。ここを通過しない方法はないか、僕達は確かめることにした。

 大回りをして、屋根の裏側に回る。だが、気がつけば、僕達は膜の前に戻されていた。どうやらここを通る以外、座敷へ進む術はないらしい。腕組みをして、あさとは頷いた。


「なるほど、明確にこっちを殺しにかかってきたね。探索者達は、ここで死んだのかな」

「さぁ、わからないな。これも、内臓や髪や唇の持ち主の意志で、造られたわななのか?」

「さぁね。それか紅い花が便乗して、獲物が繰り返し通る道に、新たな罠を張っただけかもしれないよ。それに、仕掛けたのがどちらでも、同じことさ。俺達は食われないよう、通過する方法を探すだけだ……さて、どうしようね、小田桐? 俺に願うかい?」

「いや、その必要はない。こうすれば、いけるだろう」


 僕は足元に葛籠を置き、ズボンの尻ポケットを探った。中から、さいを引っ張り出す。

 ひじに掛けっぱなしの鞄の中にも、火種はあった。だが、使うわけにはいかない。仕方なく札を取り出しかけた時、僕はレシートの束に気づいた。自分のずぼらさに感謝する。

 レシートを数枚まとめ、僕はライターで火を点けた。そのまま膜の下に差し出す。比較的乾いた屋根と接している部分をねらうと、く火が移った。悲鳴のようなな音を立て花は焼けていく。最初のレシートが灰になると、僕は火種を追加した。トドメにライターオイルを振りかける。濡れた花も、何とか勢いよく燃え始めた。こうなれば後は見守るだけだ。僕は炎の端で煙草に火を点け、口に咥えた。思いついて、もう一本点火し、あさとに差し出す。あさとは煙草を受け取ったが、何故かしんそこ嫌そうな顔をした。


「ねぇ、小田桐、前から思っていたんだけれどね」

「前って、一体いつからだ。もっと具体的に頼む」

「君が、俺が妹君を殺したと勘違いをして、はいビルにやって来た時からだよ……君、ブチ切れると、なんだか行動が激化しないかい? 色々思い切りがよすぎる気がするよ」

「そうでもないだろう。僕は常にこんなもんだぞ」


 何を言い出すのか。言いがかりにも程がある。僕が煙草を一本吸う間に、花はれいに燃え落ちた。後には無残に黒ずんだ穴が残る。僕は葛籠を抱え直し、慎重に穴を潜った。

 そこで、足を止める。目の前の光景を見回し、僕はこう来るのかと、感動すら覚えた。


 空中に、無数の紅い花弁が静止していた


 降り落ちる途中で、花弁は凍りついてしまっている。まるで氷の中に閉じ込められた金魚のようだ。恐る恐る僕は前に進んだ。僕が触ると、花弁は夢からめたかのように震え、地面に落ちた。僕達が進んだ後には、花弁のない透明な大気が残る。そして地面には紅い道が刻まれた。花弁を落としながら僕達は歩き続ける。不意にあさとは囁いた。


おんりようには存在理由がある。全ての怨念は自分を見て欲しいから、現世に残っているのさ。目撃者、犠牲者を求めない怪異などめつに存在しない。これもそうさ。奥の奥まで行けば元となる者が姿を見せるだろう。さて俺の考える方法で、どうにかなるかな?」


 小田桐勤と繭墨あさとの、最初で最後の事件、か。


「最初で最後だ。これが始まりで、そして終わり。スタートとフィナーレが一緒に来たのに、失敗で終われば恥どころの話じゃないね。最も観客はいないが……ねぇ小田桐」


 君は、妹君と事件を解くのは、楽しかったかい?


 いやみかと僕は眉を顰めた。僕に凄惨な事件を突きつけ、彼らはお前のせいで死んだんだと囁いたのは、他でもない繭墨あさとだ。だが、その横顔に、特に歪な表情は浮かんでいなかった。何のつもりか、あさとは意味も理由もなく興味本位で尋ねただけらしい。

 僕は考えを巡らせた。楽しかったかと問われれば、楽しいわけがなかった。凄惨な事件の数々を楽しめるほど僕は非道ではない。アレは繭墨の娯楽だ。僕のでは決してない。

 それに今思い出しても後悔ばかりが募った。海に飛び込んだ男の顔が、僕が手を離した少女の涙が、がさの悲痛な叫びが、あかりの笑顔が、よみがえっては消えていく。他にも様々な後悔があった。僕のせいで、一体何人の人間が死んだのか。僕は重く強張る口を開いた。


「楽しくはなかった。後悔ばかりの、最低で、最悪な日々だった。だが、」


 ひどく、わすがたい日々でもあった。


 かつて僕に事件を突きつけた男からの問いに、僕はそう答えた。何があっても僕は繭墨との日々を忘れはしないだろう。僕は一生その記憶をい、生き続けることになる。

 自分から尋ねておきながら、あさとは、何も言わなかった。再び、僕達は無言に戻る。予想よりもずいぶん早い地点で、あさとは足を止めた。その背中越しに、僕は前を覗き込む。


 彼の足元には、切り立ったがけが広がっていた。


 緩やかだった擂鉢のけいしやは、何故かすいちよくと化している。目の前には、まるで大都市が崩壊したかのようならくが広がっていた。そして、その縁一杯まで紅い花が敷き詰められている。新たな大地とでも言うかのように、紅色は視界一面を埋め尽くしていた。その中には入れそうにない。踏み固められたような花弁の海に飛び込めば、ちつそくは免れないだろう。あまりに隙間なく詰められた花弁の地平を見て、僕は一歩後ろに下がった。

 僕を振り向き、あさとは意外なものを見る顔をした。彼は紺色の唐傘をくるりと回す。呆れたように彼は唇を歪めた。そして、あさとは子供に言い聞かせるかのように囁いた。


「何を恐れるんだい、小田桐?」

 ここは、ほぼ異界なんだよ?


 次の瞬間、彼は両足で、躊躇ためらうことなく奈落の縁を蹴った。

 まるで飛び降り自殺をするかのように、その体はを描く。



 そして、繭墨あさとの姿は、花弁の中へと飲み込まれた。


    * * *


 音もなく、舞い上がることもなく、花弁はあさとの姿を飲み込んだ。

 その様は、まるで静かに落とされた小石がみなに消えたかのようだ。


 そして奈落の縁には、僕一人だけが残された。腹の底が蠢く。僕の不安に応えるかのように、雨香が動いた。彼女に心配はかけられない。息を整え、僕は紅い水面を睨んだ。


 後ろを振り向きたい衝動を、僕は必死に押さえつけた。怪異の場に、よくいた人の姿を探しそうになる。だが、ここに繭墨はいないのだ。もしも、この依頼が、僕と彼女の受けたものだとしたら、繭墨は何と言っただろうか。彼女は呆れながらも、さっさとおいでと僕を呼んだことだろう。だが、残念ながら、これは僕と繭墨あさとの事件だった。

 繭墨にとっては、どうでもいいにもほどがあるだろう。故に彼女の反応は、容易く予想ができた。繭墨は、僕を鼻で笑うだろう。そして、実に鬱陶しそうに肩を竦めるのだ。


『やれやれ、どうしようもないね。嫌なら戻ればいいじゃないか? まぁ戻る道はもうないけれどね。流石のボクも驚いたよ。ここまで来て、覚悟が決まっていないなんてね』


 お笑い草だよ、小田桐君? 君の頭には、何が詰まっているんだい?

 自分で考えておいて何だと思うが、あまりの暴言に不満を訴えたい。


 何で繭墨を助けに行くのに、彼女にボロクソに言われなければならないのか。僕は首を横に振った。そう言えばかんじんなことを忘れていた。繭墨に縋ってもどうせ嫌みしか返って来ないのだ。けいなことなど考えないに限る。それにもう戻れないのは本当だった。


 それならば、後は考える前に動くしかなかった。

 それこそ、僕が死のうが生きようが知るものか


 やけくそ気味に、僕はいつたん葛籠を置くと肩を回した。適当な準備運動をして、体をほぐす。真似をしているのか、腹の中で雨香も動いた。わいらしい行動だとは思うが、腹がようしやなく裂けるので止めて欲しい。葛籠を抱え直すと、僕は勢いのまま地面を蹴った。

 おにもいいとは言えない姿勢で、僕は花の海に落ちていく。目の前に固く重なった花弁が迫った。血の池に飛び込んだかのように、体が甘い鉄錆の匂いに包まれる。だが、次の瞬間、それはふっと消滅した。僕は肩から地面に叩きつけられる。髪と一緒に、葛籠の蓋が跳ね上がった。慌てて僕はあごと手と使える体の部位を全てこく使し、それを押さえつけた。蓋が開けば、僕は生きている内臓を全身にかぶる羽目になる。流石に、それはごめんだ。死に物狂いで葛籠を抱え、僕は垂直な地面にぶつかりながら落ちていった。


 地面は固く、柔らかい。そこは草原にも、岩だらけのこうにも感じられた。やがて僕は底に辿り着いた。砂埃と花弁に塗れながら、顔をあげる。当然のことだが、底の面積も穴と同様に広がっていた。遠くに、屋敷の屋根瓦が見える。そこまでは、かなりの距離がありそうだ。僕はゆっくりと立ち上がった。辺りには、一面の紅色が広がっている。だが、それは花弁ではなかった、花本体が地面から無数に生えている。孤島で見た花は、のような形をしていたはずだ。だが、これも呪いの影響だろうか。ここに咲く花達は、まるでがんばなのように、地面からぐに伸びていた。数万の紅い花々の上には、紺色の唐傘を開いたあさとが立っている。彼は唐傘を傾け、強張った顔で花畑を睨んだ。


 ──────────────────────────ガサリッ


 その視線の先で花畑の一部が不自然な動きで揺れた。だが、それは始まった時と同様に突然収まった。遠くの花が揺れる。だが、それも直ぐに止まった。別の個所が揺れる。

 揺れ、止まる。その繰り返しは猛烈な勢いで早くなっていった。花の下を凄まじい速度で、何かが移動しているらしい。花畑に大蛇が這っているような蛇行した跡が走った。


 ガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサガサッ!

 くるりと、あさとは唐傘を回した。彼はあくまでも、冷静に囁く。


────────────────来るよ」

 ───────────────ガサンッ!


 花弁を散らし、何かが僕達の前に現れた。重いせいじやくが耳を突く。

 腕をだらりと下げた白い影が、ゆうのように花畑に立っていた。


 その小さな体には、ボロボロの白いゴシックロリータのワンピースが張りついている。髪にはヘッドドレスらしき、布の切れ端もからんでいた。それらは全て紅斑に汚れている。

 前よりも縮んだ体は打ち捨てられた人形のようだ。それはゆらりと顔をあげた。濁った紅色の目が、宝石のように僕達を映す。彼女は小さな手で、スカートのすそをつまんだ。


 片足を曲げ、彼女は、実に優雅な礼を見せる。

 それは、狐好みのひどく芝居がかった仕草だ。