StoryⅡ


 まゆずみあざかは、どんな時でも、ままに生きてきた。

 ボクはなる時も人の言うことを聞きはしない。


 ボクは孤独でままねこのように生きてきた。ボクは自分の嫌なことなどしなかった。

 食事はまともに取らず、自力では走らず、退たいくつになれば、好きにせいさんな事件を求めた。


 ぎりくんは、ボクとの日々を思い返すたび、げんなりすることだろう。

 ボクは彼をたてにしたし、腹をしたし、怒りを利用したこともある。


 ボクは彼をこまのように扱った。それでも、彼は仕方ないと言いた気にボクのそばにいた。

 今までずっとそうだった。けれども、その日々は永遠でないとボクだけは知っていた。


 いつか目覚めた時、ボクが彼の傍に、それどころかどこにもいない日がくるのだろう。

 夜が来て、朝が来るのが自然なことのように、ボクはそうずっと前から確信していた。


 繭墨あざかと小田桐つとむは、必ず別れる日が来るのだと。


 彼はボクのことを理解しない。ボクは彼の言葉を聞かない。

 だが、彼は彼でたいがいボクの言うことを聞いてはいなかった。


 ボク達はいつまでっても平行線で、決してまじわることなどない。

 それでも、ボク達はか少し離れたところに並んで立っていた。


 小田桐勤は、繭墨あざかを理解しない。繭墨あざかは、小田桐勤の言葉を聞かない。

 繭墨あざかは、小田桐勤を理解しない。小田桐勤は、繭墨あざかの言葉を聞かない。



 ボクは、そんな彼を、心の底から鹿にしていて。

 けれども、そのおろかさが貴重なことも知っていた。


    * * *


「完了したよ、小田桐。まぁ、しばらくの間は、彼女も落ち着いていることだろうさ」


 そう言い、あさとは僕とつないだ手を離した。僕は自分の腹を見降ろす。みにくがった傷の下ではが元通りに眠っていた。急にかくせいさせてしまったので心配したが、どうやら彼女は、無事落ち着いてくれたらしい。あんの息を吐き、僕は辺りを見回した。


 周囲には荒れ果てた景色が広がっている。僕達はまだれきの山の上に立っていた。

 部屋が一つ全壊するほどの騒ぎがあったと言うのに、あたりの家々は無言のままだ。


 家並みは固く窓を閉じ、ちんもくを守っている。一種、異様な反応だったが今は助かった。

 あれから後、僕達はすぐに瓦礫の山を下りようとした。だが、数歩進んだところで失血から僕はその場に倒れてしまったのだ。あさとはあきれた顔で僕と再び手を繋ぎ、腹をふさいでくれた。もしも彼に腹を塞いでもらえなければ、僕は失血死していたことだろう。今思えば雨香を出したのは、あまりにけいそつな行動だった。あの時のあさとは、僕を平気で見殺しにする程度には気分をがいしていた。だが、リスクを考えることなく僕は反射的に部屋を壊すことを選んでしまった。以前しらゆきに頼み、ていの松を倒した時と同じだ。


 こんな物、この世界から消えろと、僕は心の底から思った。


 繭墨あざかは生きている。彼女の葬式は必要ない。からかんおけなどいらなかった。だが、きつねはその中で一人生きるつもりだったという。それならばなおさら、壊すしか道はなかった。

 結果、何が決め手になったのかは不明だが、あさとは、僕への協力を決意してくれたらしい。自分から持ちかけておいて何だが、僕は彼の返答をいまだ信じきれていなかった。だが、あさとは協力を宣言した上で、僕の腹を塞いでくれた。彼は本気で僕を助けてくれるつもりのようだ。これで繭墨を迎えに行くための希望が見えた。僕は強く右手をにぎる。

 それは細いの糸だがまぎれもない地獄への助けだった。だが、僕が手に入れたのは地の底から逃れる方法ではなく、降りていくすべだ。糸をつたって戻ることはむずかしいだろう。


 今まさに、僕は地獄へ直進しているのかもしれない。だが、迷えば足が止まるだろう。


 首を横に振り、僕は先程服をめたかばんつかんだ。瓦礫の山から下りる為、歩を進める。だが、再び立ち止まった。周囲から無数の視線が突き刺さる。沈黙を保ったまま、家々は僕達の動向を観察していた。僕はふと気がついた。邸宅にもった人々は繭墨あさとの異能を知っている。彼はおのれの意志と人の願い次第で何でもできた。恐らく外の連中は、この部屋と同様に自分達も吹き飛ばされることを恐れているのだろう。だが、僕達は繭墨本家の連中などがんちゆうになかった。彼らは好きに閉じ籠もり、人生をはいさせればいい。するどい視線を振り切るように、僕は足を前に出した。だが、背後のあさとは動かない。


「どうした、あさと。いつまでも、ここに残っていても仕方がない。さっさと離れるぞ」

「離れるのは、別に構わないけれどね、小田桐。で、俺達はどこに行く予定なんだい?」

…………………………………へっ?」


 彼の問いに僕は思わず言葉を失った。そう言えば、具体的にどこに行くのかを考えていなかった。あさとは呆れたという顔をする。だが、彼は意外としんぼうづよく言葉を続けた。


「俺は異界のひようそうを歩ける。だが、最初はひびが必要だ。あの時はどうだったかな。君達があの街を異界化した直後、元から異界と繋がりやすかった場所には、一時的に罅割れが生じていたんだよ。確か、うらさびしい神社の一角から、俺は異界にもぐりこんだのさ。だが、今は話が別だ。空間は完全に安定している。繭墨本家は封鎖済みだ。妹君の事務所周辺、君のアパート近くにはまだあかい花が舞っているだろう。だが、もううすいはずだ。罅を探そうにも、その多くがすでちやくしているだろうね。どうするんだい、小田桐?」


 君は、俺をれていく場所に、当てなんかあるのかい?


「せっかくの協力関係だ。俺に願うのも、まぁ今ならばありだろうさ。だが、俺の異能は紅い女からの借り物だ。俺をかいして異界を開くのはおすすめしないよ。敵にこちらの行動がつつけになってもいいのなら、話は別だけどね。その結果は、考えなくてもめいはくさ」


 繭墨あさとは狐の目で僕を見た。僕は思わず息を飲む。そうだった。僕はあさとに異界の表層への案内を頼むつもりでいた。だが、そこまでに必要な手順を考えたことはなかった。いまさら、僕は考えをめぐらせる。まずは、使用可能な罅を見つけなければならない。

 繭墨と別れた、ビルのはざはどうだろうか。あそこには、未だ紅い花弁が詰まっているはずだ。多少薄くなっているだろうが、罅の一つや二つ余裕で保全されているだろう。だが、と僕はまゆひそめた。異界の奥底、僕の生んだとう場所で、聞いた言葉が耳を打つ。


『異界の支配者とて自分自身のたいないすみからすみまでかんしているわけではありません』


 異界には監視の薄い場所と濃い場所があった。あのビルの狭間は、既に異界開きに使用してしまっている。再び通るのは危険だろう。同じとびらの使用はけるべきだ。考えるのを一時め、僕は顔をあげた。今はどこかに落ち着いて、心当たりを出し合う他ない。


「とりあえず、僕のアパートに」

 ─────────ガララッ


 その時、間近で瓦礫が崩れた。僕はあわてて顔をあげる。見ると転んだらしい女中が折れたつくえにしがみついていた。案内時、人間みのなさすら感じさせた姿は見事ほこりだらけになっている。ぷるぷるとふるえる肩を僕は思わず見つめてしまった。次の瞬間、まえれなく彼女は顔をあげた。僕達の目が合ってしまう。次の瞬間、女中ははんにやぎようそうになった。違います馬鹿にしたわけではと叫ぶひまもない。彼女は何かを握り、手を前へ突き出した。反射的に、僕は頭をかばった。だが、何も飛んでこないのでまぶたを開く。げんきわまりない顔で、彼女は僕にけいたい電話を差し出していた。慌てて受け取り、僕はそれを耳に当てた。


『お久しぶりです、小田桐勤殿』

 同時に、低い声が耳を打った。


『その、こちらも突然の連絡で、正確に現状をあくできていないのですが……あなたが繭墨あさと様を訪れた直後、何やら部屋が吹っ飛んだとかで……何があったのですか?』

「あぁ悪い、吹っ飛んだと言うか吹っ飛ばしたと言うか。その前に……お前はさだしたか?」

『ええ、めいさつです。先程まで会議中だったのですが、きんきゆうつうほうを受けまして。ですが女中の説明が、どうにもようりようなかったものですから、こうして、直接、御電話を』

「……すまない、確かに、邸宅は吹き飛ばした」

『本当ですか? がいは如何ほどですか?』

「さっきまで、屋根だったところに青空が見える。壁もない。つまり全壊だな」

『……それは被害じんだいですね。困りました。保険は適用されると思いますか?』

「……多分、無理だと思う。これはちょっと、人間のわざじゃ説明できないな」


 僕の説明に定下はためいきいた。それを聞きながら、僕は彼の言葉について思案した。

 もしかしてばいしようきんせいきゆうされるだろうか。あいにく僕の貯金は車さえ買えないがくだ。売れる物は内臓くらいだがどうするべきか。そう僕が悩んでいると定下は声の調子を変えた。


─────────────鬼を、使いましたね?』


 そのささやきははりのようなひびきを持っていた。彼の声の調子で僕は理解する。定下にとっては部屋のそんがいがくなどさほど重要ではないのだろう。彼が問題にしていることは別にあった。定下は分家だが、繭墨の一員だ。鬼と狐の異能について、彼は人一倍理解が深い。


………………あぁ、その通りだ。僕は腹の鬼に……僕の子に頼んで、部屋を破壊した」

『異界から戻って以来、胎内の鬼は一時ちんせいしていたと聞いています。あさと様のもとを訪れ、それを再び目覚めさせたと言うことは───────行く気、なのですか?』

……………………お前は、僕達がどこに行くと思うんだ?」

『繭墨様を迎えに』


 てきかくな指摘に、僕は思わずうめき声をらした。まいった。定下には全てお見通しらしい。てきせつな言い訳など思いつかなかった。背後のあさとに一瞬視線を投げ、僕は口を開いた。


「あぁ、行く気だ。僕は、僕達は繭墨あざかを迎えに行く」

『やはりそうですか。女の死にえきれず、の国へ迎えに行くのは伊弉諾いざなぎの時代からのかんれいですかね。そつちよくに申しあげましょう。私共は彼女を連れ帰られては困ります


 定下はそう断言した。強い語調に、僕はうなずく。彼に反対されることは、予想していた。

 僕は辺りを見回した。静まり返った家々の中ではもうりようが眠っている。改革派である定下が、繭墨のかんともなう彼らの活性化を恐れるのは当然のことだろう。だが、繭墨は己が神であることを否定していた。老人達が彼女をはたかかげようとしても、繭墨自身がそれをこばむだろう。彼女の帰還に関わりなく弱体化した本家にすべはないはずだ。


「繭墨の帰還に伴う、本家の活性化ならば、心配する必要なんてない。それは繭墨自身がきよぜつするはずだ。今更、分家の優位はるがない。僕達は、繭墨家の生き神ではなく、一人の少女を連れて帰るだけだ。お前達の改革に、歯止めをかけるつもりは……………

『申し訳ありませんが、私もその点については、特にしておりません。私共が恐れているのは、紅い女のことです。彼女が帰れば、紅い女は再びにえを求めて動き出すでしょう。その被害がおよぶのは、我々です。それに……こう言えば、貴方あなたは怒るでしょうが』


 突然定下は語るのを止めた。彼はりがつかないかのように、長い沈黙を続ける。耳をませて、僕は待ち続けた。やがて彼は口を開いた。かすれた息が最初にまくたたく。


『私共は今代の繭墨あざかこそ、繭墨家の呪いを永遠にく、最後の贄にならないかと考えています。繭墨家のあんのんの為、彼女には未来永劫異界にいて頂かなくてはならない


 瞬間、僕は頭をよこなぐりにされたさつかくを覚えた。電撃的に、僕は定下の考えを理解する。紅い女は己のに使用する為、歴代の繭墨あざかを死に追いやり、異界へさらった。紅い女にもてあそばれたたましいは、ぐに壊れてしまう。ゆえに、彼女のかつぼうは終わらない。紅い女は己と同じ鬼を、永遠の時を紅い肉をながめながら、きもせずわらえる存在を切望していた。


 繭墨あざかが、それにならないかと、定下は期待している。


 繭墨の精神性は人をりようしていた。彼女は他の娘と違い、いくら弄ばれようが壊れない可能性がある。彼女が紅い女のりよしゆうでいる限り、繭墨家は新たな贄を出さずにむのだ。


 つまり定下は、繭墨あざかに狂わず壊れず、永遠に紅い女の玩具でいろと言っていた。

 目の前がかすむ。腹の子がうごめいた。携帯電話がきしむ。僕は怒りで震える声をしぼした。


「お前らは………………お前は、どれだけどうなんだ。よく僕にそんな言葉が吐けるな」

『御言葉ですが、一のせいと、これから先に続く百の犠牲ならば、私は前者を取ります。娘を取られるのは、我らが一族。非道とののしられようと、部外者に外道呼ばわりされる筋合いはありません。そう、生け贄を育成する者の気持ちを、あなたも考えてみればいい』


 生き神の存在にしばられていた方がマシだった。あわれな娘を、だれが育てたいと思うんだ。

 彼は敬語を崩し、吐き捨てた。その言葉の中には、くるおしいまでの怒りがのぞいている。


 それに僕は反論できなかった。僕は繭墨あざかを取り戻したい。彼は後に続く犠牲を二度と出したくない。僕達は平行線だ。それに、理屈だけを見るのならば、彼の方が圧倒的に正しい。紅い女が繭墨に満足している限り、二度と犠牲は出ないのだ。一人の犠牲で後のさいやくを防げるのならば、私情は飲み込むべきだろう。だが、と僕は口を開いた。


「残念だが定下。それは無理だ。繭さんだってやがて壊される。永遠には耐えられない」

『何故貴方にそう断言できるのですか? 今代の繭墨あざかは人と呼ぶにはあまりにいびつな存在でした。彼女は人より鬼に近い。彼女以上に、適切な玩具などいないはずです』

「それならば、聞き返すぞ、定下。なんで、初代の繭墨あざかは壊されたんだ?」


 繭墨は初代によく似ていた。お前の理屈ならば、繭墨家は既に解放されているはずだ。


 僕の問いに定下は息を飲んだ。本来ならば、彼にも容易たやすく気づけたはずだ。繭墨の死に、定下も僕達とは別方向に混乱している。紅い女が贄を求め続けている以上、初代の魂は壊されていた。今代の繭墨あざかは初代とうりふたつだ。彼女も同様のまつまぬかれないだろう。繭墨は鬼に近いが、ただの人間に過ぎない。彼女は不死に近い体を捨て、あえて人でなしな少女として生きてきた。異界の底で、彼女は女と笑い合いはしないはずだ。

 気に入らない存在に繭墨は決してげいごうしない。それが僕の知る彼女だった。やがて繭墨は飽きられるか、壊されるかするだろう。僕は紅い女が、ごうまんに笑うさまを思い出した。いずれ彼女はに繭墨を壊すはずだ。だが、僕はその行動に疑問を覚えた。かつて異界で考えたことを、僕は再び思い返す。何故女は永遠に嗤い合える存在を求めるのか。


『僕の求める慰撫は、僕と同じ鬼』

『永遠の時を、紅い肉を眺めながら、飽きもせず、嗤える存在さ』


 彼女は本当に、壊すためだけの玩具を求めているのだろうか。

 異界は一人きりで生き続けるには、あまりにも寂しい場所だ。


 ─────かつて、私の産み落とした娘すら、息もせずに死んだというのに。

 ─────君は、君ならば、壊れも狂いもしないだろう。なぁ、君は。

 ─────私と、一緒に来る気はないか?


『貴方の御話も最もです。ですが、やはり繭墨あざかを連れ戻して頂くわけには参りません。本家のような犠牲が、また出ないとも限らない。しかし、お二人は我々が止めたところで、異界に向かわれるつもりでしょう? あさと様相手では、こちらもが悪い』


 いいでしょう、これはけです。一つ、条件をつけましょう。


 思わぬ言葉に、僕は意識を引き戻された。紅い女のすがるような声を払い、僕は彼の声だけに集中する。しばらく、沈黙が続いた。やがて定下は短く息を吐き、言葉を続けた。


『問題をさきばしにしているだけだとはわかっています。ですが、連れ帰るのはそれ以上の愚行だ。再び繭墨あざかは異界に攫われるでしょう。新たな被害が出る可能性すらある。無理に繭墨あざかを連れ帰るつもりなら、せめてだいしようをお支払いください。そうすれば、私共は異界と繋がった場所も提供しましょう……御二人には必要でしょう?』

「なっ、それは本当なのか? 本気なのか?」

…………………ええ、構いませんよ。そう』


 もしも、私の頼む一件を解決して頂けるのならば、私共は御二人を送り出してもいい。


 定下は真剣な声で断言した。だが、愚行と言い切った口で何故そう提案するのか、僕には理解できない。こんわくし、僕は言葉を飲んだ。だが、彼は僕の返事を待たずに続けた。


『向かうべき場所は、あさと様がご存じです。できるものならば』

 繭墨家の新たな、世にもおぞましき呪いを、解決して頂きたい。


 ──────────────────────────ブツッ


 そこで通話は切れた。僕はぼうぜんと手の中の携帯電話を眺める。最早これ以上の会話は無用とはなされた気がした。目を閉じ、僕は提案の内容を思い返した。条件としてはかくだろう。だが、彼の言葉からはぬぐかたく不吉で、いんさんな気配も漂っている。乗るべきか、乗らざるべきか。僕は瞼を開き、あさとを振り返った。だが、相談する間もなく、サイレンの音が響いた。街の住人は、丘の上をしんな領域として認識しているはずだ。だが、先程の破壊音は、流石さすがに通報対象だったらしい。まずは門番が対応するはずだが時間はなかった。なるべく早く、この場を離れなければならない。話は後にして、僕は歩き出した。今度はあさともとなりに並ぶ。彼は僕と携帯電話を眺め、意味深にくちびるゆがめた。


「定下からの依頼かい?」

…………わかるのか?」

「わかるさ、分家は他でもない。アレに今、一番悩まされているからね。なるほど……禁じられたあの場所に入れるのならば都合がいい。だが、なかなかに大変な事態だよ」


 何を知っているのか、あさとはくつくつと笑った。僕は眉を顰める。言葉こそ多少深刻ぶってはいるものの、彼はかいそうだ。あさとはしばがかったぐさで、両腕を広げた。


「行くべき場所を俺は確かに知っているよ。そこはあるおぞましい怪異のうずく場所さ。彼はそれの解決を望んだんだろう? いいじゃないか。おもしろいよ。俺と君が依頼を受けることになるとはね。馬鹿馬鹿しい日も来るものだ。せいぜい死なないように努力しようじゃないか。そして妹君のごとく、君の言った通りに、精一杯楽しんでみるとするよ」

かくだいかいしやくをするな。こんなことを楽しめとは、僕は言ってないぞ」

「そう、このある意味異常事態はね、小田桐。言うなればアレだよ」


 あさとは、僕の言葉を完全に無視した。彼は顔をあげ、青空を眺める。

 やはり、その顔はどこか愉快そうだ。そして、彼は上機嫌に宣言した。



「繭墨あさとと小田桐勤の」

 最初で、最後の事件だよ。


    * * *


 繭墨本家を訪れ、僕はがくぜんとした。目の前には高く長いつちべいそびえている。


 塀は左右に長く続き、視界のはしかぎがたに折れていた。高さも成人男性二人分はあるだろう。その上には、ねずみがえしを思わせるきゆうこうばいの屋根がしつらえられ、びようを打った門は固く閉ざされていた。どこにもインターフォンや呼び鈴は見当たらない。その様子はじようさいどころか刑務所を連想させた。一見しただけではわかりづらいが、異常な光景が広がっている。


 目の前に聳え立つ塀は、日本建築の通常の規格をいつだつしていた。

 何よりも繭墨家の外装は、一度完璧なまでに破壊されたはずだ


 だが、目の前にはまるで何事もなかったかのように、塀が立っている。僕は塀に指を掛けた。こぶしを固め、表面を叩く。見た目はりようで古くよそおってあるが、つくり自体は新しい。土塀に見えるが、中身はコンクリートだろう。僕は嫌な気分になった。これはかくしだ。


 繭墨本家は中に何かを隠している。そして、その惨状を僕はかつて見たことがあった。


 まるでびんのように、つらぬかれた人の体から、がいを押し上げて、花があふしていたのだ。とりの紅い花は屋敷と人を食い散らかし、本家をかいめつさせた。あれから随分時間は経っている。流石に被害者の回収は済んでいるだろうが、布を掛けられたがいを眺めているような気分になった。これを作る為、一体定下はどれほどの人材を派遣したのだろうか。尋常な労力の掛け方ではない。眉を顰めながらも、僕はあることに気がついた。

 繭墨家の敷地は広い。塞ぐことのできない頭上は、がらきだ。飛行機からは、敷地内が容易く覗けるだろう。こんな高い塀を作って、果たして意味はあるのか。僕がそう考えた時、あさとが隣に並んだ。彼は壁を拳で軽く叩き、応えるように僕の方を向いた。


「頭上からの視線を気にする必要はないよ、小田桐。ここは主な飛行経路からは外れているし、目にしたところで、人は本能的にこの場をするさ。それこそ、脳内で差しさわりない光景と、記憶の入れ替えが行われるだろう。ただ、迷い込んだ人間はその限りではないんだよ。自分の周囲の光景から、目の前の怪異から、視線をらすことは不可能だからね。この地を本能的に嫌悪しながらも、それ故に覗く人間がいては困るのさ」


 塀はそのための処置だよ。地獄の門など、塞いでしまうに限る。


 僕は更にけんしわを深めた。各地に咲いた紅い花は大分れたはずだ。この場所の上空には、確かに他よりもはるかに濃い紅が広がっている。だが、小鳥の本家襲撃から時は経ったのだ。繭墨家が始末を行うには十分な時間が過ぎたはずだ。今更地獄と呼ばれるほどのものが中に残されているとは、僕には思えない。だが、定下の言葉が耳を叩いた。


 できるものならば。繭墨家の新たな、世にもおぞましき呪いを、解決して頂きたい。


 その言葉の意味を考えながら、僕は鞄を下に置き、門に手をかけた。この場所に、僕達以外の人間はいない。止める声はなかった。僕達はあれからタクシーに乗り、繭墨本家を目指したが、普段は乗り入れ可能な私道の始点で、車を止められたのだ。立ち入り禁止をげた作業員風の姿をした男の手配で、僕達は新たなハイヤーに乗り、本家に着いた。男は門のかぎを開けた後、車に乗り、既に立ち去っている。鋲の打たれた扉には、よく見れば掠れた文字がびっしりと描かれていた。木目にも見えるそれは、ねんぶつに似た細かな文字の連なりだ。効果の程はわからないが、不吉なものがわれているのは間違いないだろう。あさとは場をゆずるように、一歩後ろに下がった。彼は笑いながら囁く。


「そうだね、小田桐。この中には、世にもおぞましき物が仕舞われているよ」

 繭墨家の地獄は、一体どこかと問われれば、俺はここがそうだと応えるね。


 恐怖をあおるような言葉を聞きながら、僕はつばを飲んだ。覚悟を決め、てのひらに力を込める。

 ギッ、いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい


 重い軋みをあげて、扉は開いた。その瞬間、異質な空気が僕の下へどっと押し寄せた。

 中から生臭く重く、甘い空気の層が溢れ出る。それは人の呼気のように、僕の全身を生温かく包み込んだ。そして、目の前の光景にきようがくすると同時に、僕は思い知った。定下はこれを賭けと呼んだ。つまり、僕達が死に全てに片がつく可能性も、彼は当然のように想定している。それ故の協力だった。そして、もう一つ、僕はあることを確信した。


 急造された塀と門は目隠しではない。

 あれは棺桶の壁でありふただったのだ。


    * * *


 紅い花の中に、かわいたどくが並んでいる。


 それは美しいが理解のはんちゆうを超える光景だった。地下かと僕は思わずつぶやいた。骨が当然のように場に残された光景は、昔外国の写真で見た、がいの規則正しく並べられた暗い部屋を連想させる。だが、その割には、ここはあまりにもこうりようと開けすぎていた。


 辺りには、くだかれた瓦礫が散っている。天上には、巨大な紅い花が、ほこっていた。


 それは、庭のさくらを取り込んでいた。その幹にからみつき、しんにすることで紅い花は体をささえている。大樹の一部と化した根やくきには人骨が絡め取られていた。無数の髑髏が植物におおわれている様は、世界の終わりが来たかのようだ。華やかで退たいはいてきでいっそこつけいで恐ろしい。よく外から中が見えなかったものだと、僕はずれた感心すら覚えた。


 にくあつな花弁をした巨大な花は、元の桜の大きさを越えている。


 言葉をなくし、僕はその場にすくんだ。その間にも、僕の鼻先にはハラハラと紅い花弁が舞い落ちていく。桜吹雪ふぶきにも似ているが、その花弁の一枚一枚は、子供の掌くらいの大きさだった。地面をう根はまるでだいじやか、人間には及びもつかない巨大な生き物の一部のようにも見える。とても有機的で、生命に溢れた光景だが、この場所はせいひつな死に包まれていた。肉片一つついていない骨は、奇妙なほどに乾いている。だが、地面はれていた。そこには紅く染まった空と、ゆっくりと動く雲のれが映っている。


 恐怖は、驚愕に飲み込まれた。考えが追いつかない。僕は呆然と目の前の濡れた、それでいて乾ききった光景を眺めた。何もかもがちぐはぐで不気味であいまいだ。こんな場所を、僕はここ以外にも知っていた。そこでは、生と死はこんぜんと一体化している。そして、何もかもが狂い果てているのだ。今もそうだった。鉄くさく、生温かい風がほおでるが、それは夏の風のように乾いていた。僕は不意に、前触れなく、懐かしい気分に襲われた


 そうだった。ここは、異界にとてもよく似ている。


 腹の中で興奮した雨香が蠢いた。同時にあさとが僕の肩を叩いた。僕は自分でも大げさなほど飛び上がり、慌てて後ろを振り向いた。意外にもあさとは真剣な顔をしている。


ほうけているところ、すまないけれどね、小田桐。君も少しは、けいかいをした方がいいよ」


 彼は頭上をあおいだ。紅い大樹を見上げ、あさとは目を細める。繭墨あさとはその幼少期を、本家で過ごしたはずだ。死骸の中には、多くの知り合いがいることだろう。だが、彼は特に哀れむ様子は見せなかった。口笛でも吹き出しそうな仕草で、彼はスニーカーの底を持ち上げる。ぬちゃりと紅い糸が線を引いた。それはちゆうでふつりとれる。


「なるほどね……流石だよ。ここは『開きっ放し』だ。罅どころの話じゃない。あの育った紅い花が、この地をなかば異界化させているのさ。君と妹君は、以前三地点にかれた花の開花を防ぐ為、小鳥を食い殺しただろう? たねく少女がいなくなれば、花は自然と枯れ落ち、土地の異界化は防げるはずだった。だが、この場所だけは違ったんだ


 あさとの言葉を聞き、僕はあの時の状況を思い返した。確かに、僕達は紅い花を枯らすためほんそうした。左腕を強く抱きながら、僕は記憶を探る。紅い花が育った場合、起こるはずだった悲劇について回想した。かわりのソファーに座り、繭墨はこう語ったのだ。


 てんびんが傾くどころの騒ぎじゃないのさ。元々異界と現世の境界が曖昧になっているところに花をいつせいに開花させ、人を大量ぎやくさつしてみたまえ。現世と異界が完全に繋がるよ。


 これ以上、花が増えれば大変な事態になるよ。何せ、あの花は人をえる。


 異界とうつつの狭間に、贄を大量にささぐようなものさ。怪異の原因となる異物が、移動させられる程度では済まない。がいとう地域に存在する物は、全て異界に取り込まれるだろう。


 境界線が割れれば、花が咲いた地域は、完全に飲み込まれるんだ。

 つまり、異界開きだよ巻き込まれた人間はただでは済まないね


「この花は種を蒔く少女が殺された後も、残された死体を養分にしてさらなる成長をげたのさ。花達は絡み合い、一つの巨大花を形成したが、種を蒔く少女が死んだ以上、その総数は増えない。境界線は更に曖昧になったが、異界は完全には開かなかった。また、その頃には、定下は遺体の回収をあきらめ、本家を塀で覆い、なんを終えていたのさ」


 あの男、そういう判断は早いよ。恐怖にびんかんな人間は、生き残りやすい。

 故に、半ば異界開きは起こったものの巻き込まれた人間はいなかった


「俺にはどうでもいいことだが、君のような人間からすると不幸中の幸いと言ったところかな。肉を食われ、血を吸われた死体は、もう髑髏しか残っていない。遺体はしゃぶり尽くされたのさ。花は新たなえさを求めている。だが、君の腹には鬼がいて、俺は異能持ちだ。せっかく、今はえいを誇っているんだ。肉食のけもの程度のかんが向こうにあれば、手を出しては来ないだろう。それでも油断すれば、俺達の末路はあの中の一つだろうね」


 そう言い、あさとは肩を竦めた。僕は辺りを見回す。一面に咲いた紅い花弁は、肉厚な女の唇に似ていた。僕達をあざわらうかのように、それは髑髏を抱えながら一斉に揺れる。

 恐怖よりも、未だ死体を閉じ込めている姿に、けんと怒りがいた。僕は歯を強くめる。同時に、あさとはきびすを返した。彼は元の繭墨家の敷地とは変わり果てた光景の中を進んで行く。広大な空間には、建物の代わりのように花やつたはんしよくしている。


 異界には距離の概念などない。この場所にも、果たして常識が通じるかどうかはわからなかった。不用意に歩き回っては、自分達の位置すら見失うことになるだろう。だが、あさとの足取りは確かだ。どうやら彼には目的地があるらしい。慌てて、僕はその後を追いかけた。周りの光景は見ないよう、なるべく彼の背中へ目をらす。紅につぶされた世界を見ていると、深刻な眩暈めまいに襲われた。僕は異界の光景に慣れてはいる。だが、この場所はちゆうはんだ。のどさったぼねのように、半端な現実の名残なごりが、神経にさわる。


 しばらく行くと、比較的形状を保った家屋のざんがいが見えた。ななめに重なり合った屋根の間に、小花の付いた蔦がカーテン状にがっている。あさとはそこをくぐけた。

 僕も後を追う。だが、カーテンを払うと、指先に痛みが走った。慌てて僕は腕を抱き寄せた。見ると指には小さな歯形が付いている。周囲の花が僕を嗤うかのように、一斉に震えた。だが、腹がぼこりと蠢くと、それはただの静物へ戻った。腹を撫で、僕は雨香に感謝を伝える。そしてしんちように頭をかがめ、カーテンを潜り抜けた。同時に目を見開く。


 カーテンの向こう側には、胃の中じみた光景が広がっていた。


 瓦礫が取りこまれてしまったのだろう。地面に突き立った無数のもくへんが、せんもうのように肉化していた。にくひだの草原を進む度、足裏に不快な感触が走る。全身に鳥肌が立った。

 先程から、人には辛い空間が続いている。だが、雨香にはこの空気が心地いいらしい。

 彼女は腹の中でじやに喜んだ。それに応え、僕は腹を撫でる。その時ふっと、背後に気配を感じた。慌てて後ろを振り向くが、そこには誰もいない。だが、首筋にはひりつくような、視線の感覚が残っていた。かんちがいだとは思えない。誰かが僕達を見ていた。


 だが、ここには人間などいない

────────なぁ、あさと」


 前を行く背中に、僕は声をかけた。にぶい僕ですら気がついたのだ。彼が視線を感じていないとは思えない。だが、あさとは無言のまま歩き続けている。その背中を見ているうちに、僕はあることが気になりだした。あさとは、ここを地獄と呼んだ。確かに、あさとには、体感で百年近くの時を異界で過ごした経験がある。だが、彼は異界を地獄と呼びはしないだろう。彼はもっとそうぜつなものを、人を、場所を見ていた。地獄に近いさんげきを、自分の手で産み出したことすらある。それに先程聞いた言葉のニュアンスは、もっと違ったものだった気がした。おどすような彼の言葉を、僕は正確に思い返そうとする。


 そうだった。確か、彼はこの場所を、繭墨家の地獄と呼んだのだ。


 気がつけば、僕の足は完全に止まっていた。だが、あさとは止まることなく、前に進んでいく。僕は慌てて、足を動かした。瞬間、ふっと背後の視線が復活した。首筋に焼けた針のような、鋭い視線が突き刺さる。僕は後ろを向いた。だが、やはり誰もいない。

 僕は再び歩き出した。背を向けても、気配は戻ってこない。今振り向いても、荒れた空間が広がっているだけだろう。視線の主を確かめることを諦め、僕は足を前へ出した。


 紅いみずまりに、かわぐつの底がしずむ。


 ────────────ぱちゃっ

 ─────────────だぁっ


 同時に、赤子が泣いた。僕は素早く、後ろを振り向いた。視界の端に、白い姿がよぎる。

 サッと、それは瓦礫の海に一瞬で身を沈めた。薄汚れた白の残像が、もうまくに焼きつく。


 それの全身は、まだらに汚れていた。大きさは猫の子にしては大きく、成犬と比べれば小さい。人だと考えるには、地を這う動きがあまりにも早すぎた。僕は目を細めた。今のは一体何なのか。だが、何故か、それには見覚えがある気もした。確かに、僕は今の得体の知れない影の正体を知っている。だが、それが何なのかまでは、思い出せなかった。


 不吉な予感と共に、腹の中で雨香が蠢いた。僕が悩む間も、あさとは歩き続けている。仕方なく僕は後を追った。目の前には人の舌にも似た滑らかな紅い丘が聳えている。こんなりゆうした土地が、繭墨家にあった覚えはない。異界特有の壁や床の滑らかなふくは、主に地面に再現されているらしかった。丘を越えると、その先はすりばちじようにくぼんでいる。


 そして、平らになった擂鉢の底には、異様な物が建っていた。

…………………………………………………………………家?」


 正確には、それは家ではなかった。平屋の建物の一部が切り取られている。擂鉢の底に、それはみやくらくなくぽつんとたたずんでいた。まるで誰かが屋敷の中からその部分だけを持ち上げ、置き直したかのような不自然さだ。あさとは迷いなく擂鉢の底へ降りていく。

 不安定な足元を気にしながら、僕も後を追った。近づけば近づくほど、建物の異様さがあらわになる。周囲の建物が、全て瓦礫と化している中、この部屋だけは傷一つなかった。


 えんがわに面したしようの向こう側は見えない。僕は念の為、建物の左右を確かめた。そこは、のっぺりとした白い壁と化している。塗料ではない、材質不明の壁に塞がれていた。

 まるで、長方形のケーキを切り取った跡のようだ。ナイフで切り取る際に、クリームがくずれてしまったのだろう。馬鹿げたことを考えながら、僕は警戒する犬のように建物の周囲を回り、正面に戻った。障子を見つめながら、何かを考えているあさとにたずねる。


「なあ、あさと、ここは一体何なんだ?」


 僕の言葉に応えることなく、あさとは軽やかな動作で縁側に飛び乗った。

 止める暇もない。そのまま、彼は障子に手を掛け、ぞうに横に引いた。


 ──────────────スパンッ


 中から、むっとする臭気が押し寄せた。外よりも甘く、鉄臭く、生々しい匂いが溢れ出す。その匂いは、外気と質が違った。血の匂いの中に、いたんだ肉とあぶらの匂いが混ざっている。自然と、僕はまみれの肉と内臓を思い浮かべた。恐る恐る僕は縁側に這い昇り、座敷を覗き込んだ。中は暗い。だが、辛うじて、座敷の中に四角い影が並んでいるのが見て取れた。障子を開いたというのに、あさとは一歩も前に進もうとはしない。やがて目が慣れてきた。そして僕は彼が前に進まないのではなく、進めないのだと気がついた。


 たたみの上にはじんすきもなく、びっしりとくずかごが置かれていた。

 表面にうるしられた葛籠は、外からの光であやしくぬめっている。


 やわらかな丸みを帯びた蓋が並んだ様は、足を抱え、体を丸めた人の背中を連想させた。悪臭は葛籠の中から漂っている。この部屋の中には、それ以外に何もなかった。他には何もないし、誰もいないのだ。僕は困惑した。僕達の前にはみっしりと葛籠が並んでいる。だが、それだけだ。まるで意味ある物はそれだけだと言うかのように、葛籠は座敷をくしていた。あさとは動かない。だが、このまま立ち尽くしていても仕方がなかった。僕は覚悟を決め、ゆっくりと手を伸ばした。指先が葛籠の端に触れる。ぬめっと何とも言えない感触がした。ぎようしかけの血に葛籠は覆われている。僕はそのまま手を持ち上げた。蓋はあっさりと開いた。それは隣の箱の上に垂直に立ち、後ろに倒れる。


 ─────────────────────────────パタンッ

 音を合図に、僕は葛籠を覗き込んだ。白と紅の斑が、視界を埋め尽くす。


 すぐさま僕は顔をあげた。それは見覚えのある部位だった。だが、それが一列に並んだ様子は、実に奇妙なものだった。網膜に焼きついた光景を、僕は目を閉じ、瞼の裏に押し込めた。次に止めていた息を再開する。腐敗しかけの甘い肉の匂いが肺を満たした。確かに衝撃は覚えた。だが、こんなものかと安堵もする。目を閉じたまま、僕は考えた。


 何故、こんな物がここには大量にあるのだろう?


 葛籠の中には、まるで捕り立ての魚のように。

 みっちりと、生白い女の足が詰められていた。


    * * *


 足は全て、ひざしたで切断されていた。


 その断面はきたない。しつの悪い刃物で、何度も前後に引きながら、苦心して切ったかのようだ。こうちよくした指先は丸まっている。だが、そのは、先程まで生きていたかのようにみずみずしかった。うぶの一本一本すら、美しいままだ。それなのに、肉からは腐敗した匂いがする。様々な点がじゆんしていた。この足は実に異界らしい産物だ。僕がそう考える間、あさとは何故か腕組みをしていた。彼は足ではなく僕の顔を眺め、おもむろに口を開く。


「小田桐……君、またもうしただろう? 俺が言うことじゃない気もするけれどね、今の自分の行動を、昔の自分が見た時、どう思うか。たまには考えてみたらどうだい? これは俺ですら、思わずものもうしたくなる光景だよ。君はどうしたんだい、小田桐勤?」

「えっ、そうか? だって、これはどうせ、異界の産物だろう? それなら手を合わせたって仕方がない……まぁ、確かに気味は悪いし、長く見ているものでもないけどな」


 そう答え、僕は摑んでいた足を葛籠の中に戻した。同様に隣の足を摑む。やはり、それも同じ個所で切られていた。僕は更に隣の足を摑み、見比べた。断面は同じに見える。つめの形もいつしていた。恐らく、間違いないだろう。葛籠の中に入っているのは、全て同じ足だ。通常、人間に左足は一本しかない。これは本物の足ではなかった。異界が産み出したにせものにすぎない。だが、これが何を参考に作られたものなのかは問題だった

 異界は飲み込んだものの影響で形を変える。これは恐らく誰かの一部が複製されたものだ。そこまで考え、僕は眉を顰めた。足を摑むことには特に何も感じない。だが、その事実には、流石に嫌悪を覚えた。あさとが言うほどには、僕の精神は摩耗していない。


 元の持ち主の左足は、ざんに切断されているはずだ。


「なぁ、あさと。お前はなんでここに来たんだ? ここに、建物があると、お前は最初から知っていたのか? この左足の持ち主が、一体誰なのか、お前にはわかるのか?」


 僕の問いに、あさとは応えなかった。彼は開いたままの葛籠に手を伸ばす。足を一つ摑み出し、彼は辺りを見回した。僕の鞄を見つけ、拾い上げる。鞄のチャックを開き、あさとはあろうことか、中に腕を入れようとしてきた。慌てて、僕は鞄をった。

 中身に血の染みを付けられてはたまらない。すると、あさとはこつに眉を顰めた。その顔に、僕は意外な印象を覚えた。さっきから、彼は不快な感情を隠すことなく、表に出している。まるで、狐面が割れたかのような変化だ。不機嫌な表情のまま彼は言った。


「いいじゃないか、小田桐。まさか、君は俺にこれを持ち運べって言うのかい? 足をぶら下げたまま歩けと? 人の左足から下は、それなりに重いんだけれどね。それをで持ち運ぶ労力と、光景の馬鹿馬鹿しさについて、君は考えたことがあるのかい?」

「そんなこと考えたことがあるかッ! それに、なんで僕に持たせようって発想になるんだよ。何故これを運ぶ必要があるのか、まずは説明しろ。一体なんのための協力関係だ。何でもかんでもだまって、もつたいぶって行動するのは止めてくれ。お前は繭さんかッ!」

「……小田桐、君、妹君が説明を面倒くさがることを、一応不満に思ってはいたんだね」

「そりゃ不満に思わないわけがあるかッ! 何度も死にかけたわッ! で、だ、あさと。お前は何で、これが必要なんだ? なるべくかんけつに話してくれ。繰り返すぞ、簡潔にだ」


 僕は、葛籠の中の足を指差した。あさとは何かを悩んだ末に、重い溜息を吐き出した。

 彼は片手に足を摑んだまま、くるりと後ろを振り向いた。両足の爪先で、軽く縁側をり、あさとは地面に飛び降りる。パシャリッと濡れた音が鳴った。外の光景には、いつの間にか、さいな変化が生じていた。擂鉢の底の地面にも紅い水が溜まっている。朱塗りの板にも似た、へいたんな紅い地面の上にハラハラと花弁が舞い落ちた。それは巨大な花と周囲を覆う小花から、飛ばされてきたものらしい。半ば以上空間が異界化している為、花弁も実態化していた。紅く薄い水溜まりに花弁が落ちる度、金色のもんが浮かぶ。


 まるで、かつての桜吹雪のように紅い花弁は舞い続けた。

 その中心で、僕に背中を向けたまま、あさとは低く囁く。


「定下は、繭墨家の新たな呪いを解くように、君に告げた。そうだろう?」

「あぁ、そうだ……繭墨家の新たな、世にもおぞましき呪いを、解決して頂きたい。そう、定下は僕に告げたんだ。依頼を果たすことができれば、異界と繋がった場所も提供してくれると、聞かされはしたが……提供するも何もあったもんじゃないよな。ここは異界と繋がりっぱなしだ。罅どころの騒ぎじゃない。この場所を教えること、案内することそのものが、ある意味、ほうしゆうみたいなものなんだろうな……正直嫌すぎる話だが」

「その呪いとは、一体何だろうね? この紅い花のことかい? 花は俺に頼めばどうにかできないこともない。だが、定下はそれを俺に望まなかった。花の食う餌はもうないんだ。今は栄華を誇っていても、いつかは枯れ落ちるだろう。彼は狐に頼らず、自然消滅を待つことにした。ここでに異能を利用しては、本家への示しもつかないしね。だが、花が枯れても、場に居着く可能性が高い者達がいるそれこそが新たな呪いさ


 不意に、あさとは腕を上げた。左足を摑んでいない、空の左腕が、水平に伸ばされる。

 せた手首を、彼はかくんと空中で曲げた。まるであやついとられているかのような動きで、それは左右に揺れ動く。骨の目立つ手首の上を、一枚の紅い花弁が撫で落ちた。


「ここは扉が開いたままになっている。本家が花に食われた直後、繭墨家と、あるいは繭墨家の人員とえんを持った者達が、そこから這い出して来たのさ。君は異界を長く彷徨さまよったはずだ。だが、そこまで遠くない昔に異界に飲まれたというのに、中で会わなかった者もいただろう? それが呪いだよ。それこそが呪いさ。ここに巣食った者達は、はらわない限り、己のおんねんを餌に場に残り続けるだろう。繭墨家は、それを一番恐れている」


 自分達の暗部が、今更、自分達に歯を立てて、食らってくることをね。

 それを防いだとしても、現世にが残り続けるのは恐ろしいことだ。


「気をつけなよ、小田桐……ここは、既に彼らの地だ。俺達も、容易く食われかねない」


 滑らかな動きで、あさとは持ち上げたままの手を動かした。彼は指で狐を形作る。指遊びの狐は、せわしなく左右を見回した。次の瞬間、それは口を開け、空中から何かを食べた。徐に指を解き、あさとは腕を戻した。飽きたと言うかのように、彼は肩を竦める。


「もう場所は提供されたも同然だ。定下の依頼を無視して異界に行くこともできるけれどね。オススメしないよ。追いかけられては敵わない。この場所を使うには、依頼通りに片をつけた方がよさそうだ。けれども、俺と君で果たしてできるものかは知らないよ」


 ここに、妹君はいないんだ。からかさを回せば、それで、都合よく片がつくわけじゃない。

 ごとでどうにかできるかは、未経験さ。まぁ仕方ない。当たって砕けるしかないね。


 再び、あさとは肩を竦めた。白いシャツに包まれた、何も乗っていない肩が上下する。

 僕はふと心細さに襲われた。思わず、無意味に辺りを見回してしまう。この場所は紅色だらけだった。だが、どこにもれた色合いはない。紅い唐傘はここにはなかった。


 怪異の現場にいるというのに、繭墨あざかの姿はどこにもないのだ。

 僕の隣にはあさとがいる。そして、いつも隣にいた人がいなかった。


 彼女のまぐれのせいで、僕は今まで何度死にかけたことだろう。繭墨のせいで、僕は繰り返し、陰惨な事件に直面した。だが、隣に彼女がいることに、僕は何だかんだで安心していたのだ。どんなことがあろうと、繭墨あざかは変わらない。どろどろとした人間の感情のつぼの中で、彼女の存在は決して流されることのない柱のようだった。彼女は人々の結末を嘲笑ったが、自分が誰かの感情に、引きずられることは一度もなかった。

 濃厚なてつさびの匂いの中、僕はふと気がついた。そう言えばここには慣れ親しんだ匂いもない。チョコレートの甘い匂いは、空になった事務所の中にしか残されていなかった。


 それも、やがて、消えてしまうことだろう。

 ────────────────パシンッ


 聞き覚えのある音に、僕は意識を引き戻された。ふと気がつけば、あさとの背中には、鮮やかな紺色が咲いていた。僕は目を見開く。それには見覚えがあった。その紺色の唐傘は、彼が狐を名乗っていた頃に掲げていたものだ。一体、何故そんな物がここにあるのか。僕が尋ねる前に、彼は振り向いた。首を傾け、あさとは意外とおだやかな声で囁く。


「そんなに驚くことじゃないよ。ほら、これを見てみるといい」


 彼は唐傘のを示すように持ち上げた。それに素直に目を向け、僕は思わず絶句した。

 竹で造られた柄は、一部肉化している。無機物と有機物のゆうごうは、自然のせつに反した光景だ。僕のこわった顔を見て、あさとは肩を竦めた。彼はひょいっと、空を指差す。