その強さが、僕にはひたすらに
だからこそ、彼女の前では、
僕は緊張に
「迎えに行くことは可能です。ただ、取り戻せる可能性は低いでしょう」
僕の言葉に、雄介は息を飲んだ。彼は目を丸くして、僕を見る。七海は無言で、ひたすら僕を睨んだままだ。一体お前は何を言っているのかという顔で、雄介は僕に訴えた。
「えっ、何言ってんすか。小田桐さん。異界に行く
「それについては一つ当てがある。ただ、本当にできるかどうかは聞いてみなければわからない。協力を得られるかも不明だ。けどな、可能性は
二人の視線から逃れるように、僕は目を閉じた。暗闇に
まるで、少女とは思えない表情で、彼女は僕を見つめる。そして、静かに囁くのだ。
『全く、本当に、心の底から下らないが』
─────────いい、人生だった。
最後に握り締めた彼女の手は。
普通に温かく、柔らかかった。
「
────繭墨あざかのことを。
雄介の言葉の通りだ。彼女は僕の運命だった。繭墨家の因縁に巻き込まれた結果、僕はこんな
断言してもいい。言い切ってもいい。まるで
そう、繭墨あざかは、僕にとっての運命そのもので。
僕を駆り立てるこの激情は恋にすら似た何かだった。
* * *
僕は立ち上がり、歩き出した。一歩、一歩、前に進む度、胃の中の食べ物が揺れ動く。
少し力加減を間違えば、腹を抱えて崩れ落ちる羽目に
「───────────────────きゃあッ!」
次の瞬間、至近距離で、思いがけない悲鳴があがった。
「へっ?」
「す、すみませんごめんなさいごめんなさいごめんなさい。あの、今、チャイムを押そうとしたんです、よ? 不法侵入じゃないですから、あの、七海さ……小田桐さん?」
「あっ、れ……………
扉の前には人が立っていた。彼女は脳細胞の
彼女は何故か、手に
「今日、来たんですか。よかったですね。見ての通り、小田桐さんは、そこにいますよ」
「えっ、ええ。やっとお会いできました。お久しぶりです。小田桐さん、あのこれ」
「はい、お久しぶりです。これって………あの、なんでしょうか?」
「あの、お礼です。シロちゃんのことで、まだしっかり、お礼を言えていなかったので。前にも部屋まで会いに行ったんですけど、小田桐さんいなくて、扉の前でうろうろしていたら七海さんにお世話になって……今日、改めて
でも、お会いできてよかったですと、結奈は不器用に言い、微笑んだ。その顔に以前あったような
「久しぶりー、あれからどうなりましたか? ボロ家から大脱出計画こと、引っ越し作業って無事終わりました? 気になってたんですけど俺らも相当バタバタしてたんで」
「あっはい。
そこで、結奈は首を傾げた。彼女は、呆然と辺りを見回す。結奈は七海の顔をまじまじと見つめ、僕と雄介に視線を戻した。それから、何故か
「困ってた時、七海さんに大家の部屋はここだから何かあったら来るようにって案内してもらったんです。その時も思ったんですが、私この部屋に来たことがありますか?」
「…………………えっ?」
「あるはず、ないですよね。今回で、来るのは二回目のはずなのに……なんでだろう……なんだか、
確か、もう一人……確かに、誰かがいた気がするんです。優しかった、誰かが。
首を傾げ、結奈は口を閉じた。僕はかつて、僕が閉じ込められた夢の内容を思い返した。眠れないと言う結奈を連れ、僕と雄介は、七海の部屋を訪れたのだ。そして、綾も含めて五人で
僕は彼女から
そう、ただの夢に過ぎない。そのはずだが、結奈には
人の無意識の
こんなところにも、優しかった彼女の存在は、残っていることになる。
「忘れないでください」
「…………………えっ」
「忘れないでください、その誰かのことを……『彼女』のことを知る人は、少ないですから。『彼女』が優しかったということを、曖昧な印象でもどうか覚えていてください」
あなたも『彼女』のことを覚えていてくれるのなら、僕は
僕の言葉に、結奈は
雄介は何故かぐったりしている。七海が引き戸の隙間を自分の首幅に合わせたせいで、見事
「七海さん、お願いがあります。帰ってくるまで、これを預かっていてもらえますか?」
「預かるのは構いませんが、帰って来なかったら、何が何でも貴方をブッ殺しますよ?」
「帰って来ない……人間も……一撃と、は……
哀れ雄介は更に潰れた。七海は隙間から器用に突き出した手で、僕から箱を受け取る。
僕は再び玄関まで戻り、結奈に向き直った。困った顔をしている彼女に、頭を下げる。
「すみません、僕は今から急いで行かなければならないところがあるんです。また今度ゆっくりお話をさせて下さい。新居にもまたいずれ、皆で遊びに伺えれば嬉しいです」
「はっはい、こちらこそぜひ。仕事が休みの日ならいつでも大丈夫です。でもあのその」
一体、どこに行かれるんですか?
僕の顔をまじまじと見つめ、結奈は不安げに首を傾げた。僕は拳を握り締める。微笑む繭墨の姿が思い浮かんだ。気がつけば、僕はまるで吐き捨てるかのように応えていた。
「ある人を助けに」
「……………えっ」
「助けられるかどうかは、わかりませんが」
彼女のきょとんとした表情に、思わず弱音が
「助けられますよ」
「えっ?」
「一人を助けた人は、きっと何度だって、人を助けられます」
自然な笑みを浮かべ、結奈は手を伸ばした。彼女はぎゅっと、僕の右手を握る。だが、彼女は
「助けてあげてくださいね、その人のことを。私みたいに」
ちゃんと、前を向いて、歩いて行くことができるように。
結奈はとても強い目で僕を見た。その目と同じ目を、僕はかつて彼女の家の地下室で見た覚えがあった。友の骨を掘り出した後、彼女は土で汚れた頰を乱暴に擦った。そして、
「どうか頑張ってください。それがどんなに大変なことでも、私は応援していますから」
貴方に幸福がありますようにと。まるで、そう祈るかのような口調で、彼女は囁いた。
ゆっくりと結奈は手を離した。今更彼女は
今度こそ、僕は玄関から外に出た。そして、勢いよく後ろを振り返る。
結奈は、七海は、引き戸に挟まった雄介は、僕を見ていた。暗い顔ならば、
繭墨は己の
そんな顔を見たいと、一体誰が言ったのか。
漸く気がつく。僕は
僕は繭墨のことを理解しない。繭墨は僕の言葉を聞かない。
結局、僕達は、最後の別れの瞬間まで、ずっとそうだった。
だからこそ、僕は暗い表情など浮かべられなかった。僕の言うことを聞かなかった繭墨の言葉通りに、諦めてなどやるものか。現状に絶望を感じてはならないし、足を竦ませることもしたくない。紅い女への恐怖を思い出し、動けなくなることもごめんだった。
先程、廊下を指し示した七海の
息を大きく吸い込み、僕は笑えと自分に言い聞かせた。笑え、笑え、決して不安げな顔など見せるな。誰かが信じてくれている僕を、僕は無理にでも信じなければならない。
そして、僕は力強く叫んだ。
「行ってきますッ!」
「「「行ってらっしゃい」」」
結奈は笑顔で、七海と雄介はもうやけくそだといった様子で叫んだ。三人の声を背に、僕は扉を勢いよく閉じた。紅い花弁が微かに躍る空の下、躊躇いなく地面を蹴りつける。
僕の愚行を見たのなら、繭墨はどんな反応をするだろうか。
きっと、彼女は肩を竦めて、君は馬鹿かと言うことだろう。
だが、それでいい。彼女の言葉通りに諦めてなどやるものか。
まるで、繭墨自身に喧嘩を売るかのように、僕はそう考える。
だが、彼女ならば、止めたまえと
僕が止まらないことなど、当の昔に、知っている気もした。
* * *
タクシーから降り、僕は顔をあげた。同時に、朝の眩しい光に目を細める。
七海の部屋を後にしてから、僕は駅を移動し、特急列車に飛び乗った。長野に着いた時には
その場の勢いもあり、着の身着のままで来てしまったが、意外となんとかなるものだ。目的地周辺まで辿りつけたことに
目の前には、真新しい建物の並ぶ、
この街は大規模な開発計画の下、十数年内に
街は山の
そこは、差すら認識し難い程の異様な空間と化していた。
僕は改めて、この街で最も高地に当たる目の前の坂に向き直った。左右に街路樹の並ぶ
この一帯は開発計画に
繭墨の一族のみが棲む邸宅は、静まり返っていた。昼間だと言うのに物音一つしない。
僕は、タクシーの運転手の言葉を思い返した。ここは幽霊通りと呼ばれているという。
「人の姿は、たまに見かけるんですが、皆
その言葉は言いえて
つまり、この場所は
僕は手に持ったカードに視線を落とした。住所と地図の印字された上質な紙はやはり店の名刺に見える。先程、門番にこれを出したところ即座に通行の許可が下りた。タクシーの運転手が目を丸くしていたのを思い出す。僕は坂を昇り、三軒目の家に向かった。
チャイムを押し込むと、やがて一人の女性が出てきた。表情の欠けた目が、僕を見る。
彼女は階段を下りてくると、門の
「伺っております。どうぞ、こちらへ」
坂と邸宅の間にも高低差があった。僕は彼女の後ろに続いて、洋風な造りの階段を昇る。
もうすぐ春が近い。温かくなれば、庭は色鮮やかな花々で
女性は振り向くことなく、空箱の内部のように生気に欠ける空気の中を進んで行った。
やがて、彼女は最奥の部屋の扉へ手をかけた。金属製の重いドアノブが回されていく。
「こちらでございます」
ゆっくりと扉は開いた。部屋の中は意外なほどに
雑多な物達には、見覚えがあった。これらは全て、繭墨の私室に転がっていた品々だ。
あの部屋から持ち出され、失われたはずの物達が、この部屋の中には
まるで
それは、いつかの再現のような光景だった。椅子の上で、彼は
その足元には、まるで死体のように人形が転がっていた。僕に気づいたのか、彼は徐に顔をあげる。カーテンの隙間から射しこむ光が、血色の悪い顔を照らした。狐面の代わりのように白髪が
「あぁ──────────────なんだ、君か」
目の前の光景の意味が、僕には理解できなかった。
一体、それは、どんな種類の
繭墨あさとは、その腕に紅い