「震えておるぞ。そんなにわらわが怖いか」
女王は立ち上がり、ゆっくりときざはしを降りてきた。
一足ごとにドレスの星がきらめき、深いスリットから眩しいほどの素足が覗く。
「このわらわの姿も、物言いもお前の隠された心に従ったまでのこと。だがこの格好はなかなか心地が良いな」
女王はつと指を上げ、天地の頰をなぞった。
「何が欲しい、光の皇子。只とは言わぬがわらわの治める領域で手に入らぬものはない。そなたの願いを申してみよ」
女王の熱い息が天地の頰にかかった。
その髪は香しく、吐く息は甘く……というリートのような文句がそのまま当てはまりそうな場面である。
天地は、吸い込まれそうな紫の瞳から思わず目を逸らし、ドレスの深いハートカットから覗く見事な谷間に鼻をぶつけそうになり、慌ててまた目を上げた。
「じょ、女王様」
どもってしまった。
「そんなに近づかれては、お、お話しができません。俺を……いや、俺たちをどうするつもりです?」
「取って食いはせぬ。お前がそんなことを案じているのであればな」
女王は軽やかに声を立てて笑い、天地の肩を抱いて向き直らせた。
その脇をさっきから無言のまま控えていた灰色のドレスの女が擦り抜けていった。
「お前の従者には従者に相応しい夢を見てもらおう」
灰色の女が無言のまま阿座化と火美猛に手を触れると本体上部にある宝玉が暗くなった。
「あっ……」
天地は驚き、駆け出そうとしたが、肩にかかった手は離れない。
「案ずるな。お前が呼べばすぐに目覚める」
天地より僅かに長身の女王は、背後から抱きすくめるように腕を回した。
しっとりとした重みが天地の背にかかる。
天地の心臓は跳ね上がった。
「これはお前が見た夢、お前の心が求めていた慰め。お前は愛を求めて旅立ったのではなかったか。己を全て包み込むような、満ち足りた愛を……」
女王の囁きが耳朶をくすぐり、その手が天地の胸から腹へと滑り落ちた。
痺れるような快感が湧き起こり、体の力が抜けていくような気がした。
そうか……あの幻は……。
ここに来た時に見た、あの顔のない幻は……。
天地は溺れそうな理性を叱咤激励した。
いけない。
これがたとえ夢だとしても、自分の生み出した煩悩の幻だったとしても、こんなふうにされちゃっては俺の、依って立つ基盤というものが……。
「わらわが欲しくはないか」
女王は天地の心を見透かしたように囁いた。
「独り星々の海を駆けて来て、寂しくはないか。お前の求めていた愛はここにある。ただ手を伸ばして、摘み取れば良い」
「女王様……」
天地は最後の意志を振り絞って向き直り、たちまち凍りついた。
藍色のヴェルヴェットのように見えたドレスは今や薄闇ほどに透き通り、光に縁取られた豊かな曲線と、そこだけ闇を集めたかのような陰影が天地を差し招いているのだった。
あああ……。
天地の口から断末魔のような喘ぎが漏れた。
理性は遥か闇の彼方に押し流され、天地の心は最早言葉の役に立たぬ領域に旅立とうとしていた。
「さあ……」
女王は天地の手を取り、そっと胸もとに引き寄せた。
「い、いけません……」
蚊の鳴くような声で天地は抗った。
「俺は……」
俺は? まだ未成年だから? 心の準備ができてないから? 単刀直入に言って、怖いから? 自信がないから? それとも、俺の帰りを待ってる五人の女が、いや魎呼が、阿重霞さんが……。
天地が混乱の極みに達した時、突如天啓の如く天下無敵の言い訳が降りてきた。
「俺は一文なしなんです!!」
「何と!?」
女王の手が止まった。
「志すら持っていないのか?」
天地の顔を見れば、噓や言い逃れでないことは一目で分かった。
「ここに来るものは誰でも、代償を支払わねばならぬ。ここは、満たされぬものを満たし、己を解放するところ。愛に餓えている心には愛を、慰めを求める者には慰めを、だが、只ではないのだ」
女王の唇に今までとは違う微笑みが浮かんだ。
「わらわは金などいらぬが従者どもはそういうわけにもいかぬ。ここを出る時には望むだけの報酬を受け取る契約じゃ。見よ!」
女王が手を上げると、虚空が切り裂かれ、天地たちの周りに無数の小部屋が現れた。
そこには、あらゆる形の生き物が蠢いていた。
ヒューマノイド・タイプのもの、形の分からぬもの、岩の塊にしか見えぬもの、それら全ての生き物……性別すら定かでない……が、ある者は貪り合い、ある者は睦み合って揺れていた。
「それでもここにいる者たちは、この宇宙に生を受けた種族のほんの一握りにすぎぬ。ここに辿り着くことのできる者、というわけじゃ。皇子よ、お前は夢見ることさえ許されぬ地から辿り着いた、初めての客なのだよ」
天地はそのうちのひとつ……人間にしか見えぬ男女の睦み合っている小部屋に釘付けになっていたが、女王の言葉にはっと振り向いた。
「どうして、俺のことを皇子と……」
「それは、わらわがお前を知っていたからじゃ」
女王の瞳が濡れたような輝きを帯びた。
「お前の力が初めて現れた時、それは超新星の爆発のようだった。わらわは不思議な予感に戦いた。お前の行く路とわらわの領域が重なると、この胸のうちに予言を受けたのじゃ」
女王は一歩を踏み出した。
「それでも代価は支払ってもらわねばならぬ。何も支払うものがなければお前の一部をな」
柔らかな腕に抱きすくめられた天地の体を歓喜のような戦きが突き抜けた。
恐怖と陶酔とがカクテルされたような、抗い難い力だった。
ああ、ついに俺は、見知らぬ宇宙で処女を、じゃなかった童貞を失うのか!?
と、その時。
「魎呼ぉぉぉぉ!」
光の柱から虚空を切り裂いて黒い影が飛び込んで来た。
「どこにいる!?」
不意に呪縛が解けた。
「何者!? 名を名乗れ」
女王の目が冷たい怒りに燃え上がる。
長身の男はたじろぎ、呆けたような顔の少年と比類なき美女を見比べた。
「俺は海賊、名は青蘭という。魎呼という女を追って来たのだ」
青蘭はたじろぎながらも、臆せぬ口調で堂々と言い放った。
「女の船がここに入ったのを確かに見た。どこに隠している? 俺はその女に用事がある」
「青蘭!?」
天地は喘いだ。
では、こいつが……俺たちを襲った無茶苦茶な海賊!?
青蘭は耳聡く天地の声を聞き咎めた。
「お前!?」
つかつかと近寄り、天地の胸倉をつかむ。
「お前はあの時の声、いや、男! 魎呼をどこへやった!?」
「無礼者!!」