第一章 平和とは……
平和。それは、太陽のぬくもり。
平和。それは
平和。……それは、
ああ、何物にも代え
どっか────ん!!
階下で起こった
二階のトイレに新聞を持ち込んでプライヴェートな一時を過ごしていた天地が思わず
「何するのよっ。危ないじゃないの!!」
「おめえが変な夢の話するからだっ」
「何が変ですの? せっかく天地様の夢を見てたのに、夢の中まで邪魔するなんて、きっと
「あたしゃサトリじゃないんだぜっ。誰がてめえの夢なんか覗くかよ!?」
「サトリって?」
二人、つまり魎呼と阿重霞のケンカに慣れっこになってしまったらしい、
天地は
これで三回目だ。
天地は
今では
父一人、子一人、別に何を話すでもなくTVを
あああ……。
天地の口から深い
今や、柾木家の日常と化してしまった魎呼と阿重霞のケンカ。それは、二人が顔を合わせた瞬間から始まるのである。
本日の一回目は、洗面所の順番争いからだった。
二回目は、朝飯のオカズ、正確にはだし巻き卵の大小からである。
そして三回目がこれだ。
天地は、居間にいるであろう階下のメンバーを思い浮かべた。
まず、ケンカの当事者である魎呼と阿重霞。
ご存じ、元宇宙
以下、その妹の砂沙美ちゃん。
ギャラクシーポリスの名物刑事、
宇宙一の天才科学者、
俺の父さん、
俺のじっちゃんで、阿重霞のお兄さんでもある柾木神社の
この辺は、時間と空間を越え、星々にまたがる複雑な因果関係があるのだが、それはさておき。
現在ここ、岡山ののどかな山村にある柾木家には七人の家族がひしめきあっていた。
そのうちの五人は
いや、
清音と勝仁は
天地がげっそりしながら腰を上げ、パンツを
いやな予感がした。
と、思う間もなく、天地の部屋を
「おうっ、天地! ちょっと
「天地様! ちょっと聞いてくださいなっ」
空間移動したな……。
天地はパンツを穿きかけたまま
どうせロクでもない用事に違いない。
今までの経験上、ロクな目に遭ってこなかった天地は
こいつがどんなにイジワルでサドでインケン女か、とか、あいつがどんなにランボーでエッチでヤバンであるとか、このインケン思いつめ女とあのランボー破壊魔と(二人の言い分を聞いているとそうとしか思えないのだが)どっちが「好き」か、とか、進退
と、最後の
「天地っ。早く出て来いよ!」
魎呼の声だ。
カギが
下腹がきりきりと
精神的重圧のせいか、それともさっき中途で
「天地! そこにいるのは分かってるんだ。返事ぐらいしろよな!」
まるでギャラクシーポリスのような
「
阿重霞の声がした。
「ガタガタ
天地の
下腹の
もう限界だ。
天地はそろそろとパンツを降ろし、細心の注意を払って腰掛けた。
俺はここには居ないんだ。ここにいるのは君らが待ち
天地が
「天地っ。早くしろよな!!」
声と共に扉の一部が
魎呼は時々自分の
故意に失念する時もあるし、
扉に開いた大穴の向こうに天地の
この間、セリフなし。効果音なし。
魎呼の視線が重力に引きずられて天地の下半身に落ちた。
引き続き、効果音なし。
一瞬後、柾木家を引き
まだ青い顔をした天地が居間に顔を出したのはその五分後である。
居間にごちゃごちゃと集まっていた面々は、天地の顔をみるなり静まり返った。
天地の表情がただ事ではなかったからである。
天地はゆっくりと居間を見渡した。
居間の
と、その反対側には自分の長い
「魎呼」
天地の押し殺したような声が静寂を破った。
「どういうつもりだよ?」
普段の天地にあるまじき、腹に響くような低音である。
魎呼は恐る恐る顔を出し、天地の顔を
ま、まずい……!
魎呼の額に冷や汗が流れた。
天地の
「あ、あのさ。トイレの扉はあたしが責任持って直しとくから……」
魎呼の言葉は天地の冷たい視線の前に途切れてしまった。
「天地兄ちゃん、どうしちゃったの?」
「さあ……私も良くは分からないんだけど、なんでも魎呼さんと阿重霞さんが天地さんのナニナニを見ちゃって……きゃっ」
砂沙美とひそひそと
「あたし、ワザとやったわけじゃ……」
思わず魎呼が言いかけたが、天地はまだ無言のままである。
「ナニナニって? あっ、伏せ字のことね」
飲み込みの早い砂沙美が清音に
「俺はな、魎呼」
天地がやっと口を開いた。
「今、本気で頭きてんだ。どうしてトイレまで人を追っかけまわすんだよ!? それも阿重霞さんとケンカしたとか何とか、下らない用事で。俺はな、お前のお
「天地!?」
魎呼の目が大きく見開かれた。
「ウソ……」
ただならぬ様子にソファの
今
魎呼とは何でもないって。
口元が思わず
阿重霞は心の中で
と、その途端、天地が振り向いた。
「阿重霞さん。なに笑ってるんですか」
阿重霞はたちまち笑いを引っ込め、おどおどと天地の顔を
「だって天地様……」
阿重霞は天地の視線にたじろぎ、
魎呼はまだ
「ごめんなさい。わたくし、止めたんですけど、魎呼があんなこと……」
言いかけてさっきの情景を思い出した阿重霞は真っ赤になり、今度は早口で
「大体魎呼が人の夢を盗み見したのがいけないんですわ。わたくし、天地様の夢を見ていたんですの。樹雷星の皇宮の野原で天地様とお散歩してる夢でしたのよ。そうしたら魎呼があの、
「おめーこそ人の夢に出てきやがったじゃないか!」
魎呼が叫んだ。
目は金色に切れ上がり、ワナワナと肩を
「あたしが夢の中で天地とほこらを探検してたら、いきなりおめーが出てきやがって、あたしと天地の間に割り込んだじゃないか。おーほっほっほっほ、こんな山ザルに天地様は渡しませんことよ、なんて抜かしやがって、てめえ、人のこと言えた義理か!?」
「
今度は阿重霞が叫んだ。
「天地様、こんな女の言うことを信じてはいけませんわ、大体、今朝の朝ごはんだって人の卵焼きを
「おめーは砂沙美ちゃんのをもらったじゃんか!」
魎呼が阿重霞の方に一歩足を
阿重霞も負けずに足を踏み出した。
「洗面所でも人の前に割り込んだじゃないの! わたくしは歯を
「おめーが長々と磨いてるから後がつかえて困るんだよ!」
魎呼と阿重霞は向き合って
「そういう性格だから平気で人のこと盗み見したり、ウソをついたりするんですわ! お
「壁抜けのこと言ってんのか? あたしにはそういう能力が
「ほら、自分で白状してますわ。天地様もさっきおっしゃったじゃありませんか。あなたなんか、恋人でもなんでもないんですのよ! 元々バケモノなんだから、さっさとほこらに
バッチ─────ン!
いきなり魎呼の平手打ちが飛んだ。
居間の面々がはっと息を
「殺してやる……
「お姉ちゃん!」
砂沙美が
「く苦しい……」
阿重霞の手が持ち上がり、魎呼の指を外そうとさまよっている。
「ちょっと、
美星と清音が両側から魎呼にしがみついた。
魎呼の手が
「うげっ……」
樹雷皇家
魎呼が体を二つ折りにしてよろめいた瞬間、次の一撃がこめかみを
魎呼は
「こ、こら、魎呼!」
父、信幸はおろおろと声を掛けた。
勝仁は腕組みしたまま二人を見守っている。
魎呼の目に金色の
「阿重霞!! 今日こそ決着をつけてやる……今まで
「望むところですわ!」
身構えた阿重霞の周囲に円柱状の結界が現れた。
天地は
鷲羽と勝仁は何を考えているのか、まだソファに腰掛けたまま
この
俺が何とかするしかないのか!?
「てええッ」
「きゃああっ」
阿重霞の結界が一部
魎呼は本気だ。
このままじゃ血の雨が降り、柾木家は
それも、夢を
「止めろ───っ」
天地は咄嗟に魎呼にタックルをかけた。
「分かった! 俺が出て行く。お前は剣をしまえ! 阿重霞さんも余計なこと言うな! とにかく二人とも離れてくれ!!」
はあはあ、と肩で息をしながら天地は一気にまくしたてた。
起き上がろうともがいていた魎呼の動きがぴたりと止まった。
「今、何て言った!?」
その背後で阿重霞がよろめいた。
「今、何とおっしゃったの!?」
天地は立ち上がり、
「俺が出て行く、と言ったんだ。俺がいるからケンカになる。俺が原因なら、俺がいなくなればこの家には平和が
二人とも、
「大体、どうして夢ごときでこんな果たし合いにならなきゃいけないんだよ? 俺が普段どれくらい
まくし立てているうちにさっき中断された怒りがじわじわと込み上げてきた。
「トイレもおちおち入ってられない。これが人間の生活か!? 俺は何も見られたから言ってるわけじゃないぜ。そうじゃなくって、もう
「天地様……」
魎呼と阿重霞を
これだ。俺に必要なのはこれだったんだ!
言いたいことを言い、やりたいようにやる。
今まで我慢に我慢を重ねて来た人生がウソのようだ。
「とにかく俺は、家を出る!」
どこへ行こう?
天地は浮き浮きしながら考えた。
自転車旅行っていうのもいいな。
と、阿重霞の
「天地様が
「な、何を……」
振り向くと魎呼と阿重霞は真っ青な顔をして抱き合ったまま、天地を見つめていた。
「天地!」
信幸が
「家出するのか!? 良く考え直して……」
ここで考え直したりすればまた地獄に逆戻りだ。
天地は首を振って階段を上がろうとした。
と、場違いな
勝仁である。
「よくぞ言った! 天地よ。お前も少しは
「じっちゃん!?」
天地は階段に掛けた足を降ろし、
「何を言ってるんだ? 俺は何もそこまで……」
「男たるもの、一度口に出した言葉を取り消すでない!」
ぴしゃりと切り返された。
「とは言え、
「そう、そうなのよ」
今まで平然と成り行きを見守っていた鷲羽が口を開いた。
「
鷲羽は二万二千年生きている者の気楽さでそう付け加えた。
「樹雷星……俺に樹雷星まで行けってのか!?」
天地はさすがに足ががくがくしてきた。
「ものはついでじゃ。天地、お前も宇宙が初めてじゃあるまい」
勝仁がしれっとして答えた。
「そこでじゃ。魎呼、お前、魎皇鬼を貸してやらんか? 天地も道連れがなくては
「わたくしのガーディアンもお連れくださいまし!」
阿重霞が走り出た。何だか妙に
「天地様。知らなかったとは言え、そんなご決心がおありだったとは。ご乱心などと申し上げたこと、お許しください!」
「天地!」
我に返ったように魎呼も続けた。
「そうか、旅に出たかったのか……。家を出るなんていうからびっくりしたじゃないか。よし、あたしの魎皇鬼を使いな! あたしも
ばしっ。
阿重霞と美星と清音に思いっきり後ろ頭をはたかれ、魎呼はつんのめった。
「アンタが行っちゃ何にもならないでしょうが!」
さすがに清音、冷静な発言である。
「そういうことじゃ。さ、天地。思い立ったが吉日。
「はいっ」
小学校の教室かと思われるような、元気な返事が返ってきた。
「じゃ、私、お弁当作るね!」
「では、わたくしはお父様とお母様にお手紙を」
砂沙美がエプロン片手に台所に走ると、阿重霞もそそくさと階段を上がり出した。
「美星、ほら、ロードマップは?」
「えーと、確か
「航宙
美星と清音は外の
「ちょっと、お父さん……」
「いいからいいから。まずはニンジンでも取りに行こうじゃないか」
言いかけた信幸の耳を勝仁が引っ張り、玄関を出ていった。
「あっ、天地。ちょっと待ってなっ」
何を思いついたか、魎呼の姿が消え、じきに天地のまわりには誰もいなくなってしまった。
「どうしよう……」
紙のように白くなった天地が
「どうすればいいんだ……」
天地は階段の一番下にへたり込み、フローリングの木目を数え始めた。
木目は、数えれば数えるほど増えていくような気がした。
「どうしたらいい……?」
天地は、
人にはキャラクターというものがある。
キャラクターを裏切るような言動をすれば必ずその
要するに、口は災いの元、じゃない、何だっけ?
じっちゃんの教育の成果か、金言格言が身についている天地は回路がショートしてしまった頭で必死に
「みゃ?」
足元で声がした。
いつ来たのか、魎皇鬼がちょこんと座って不思議そうに天地を見上げている。
「魎皇鬼!」
天地は思わず魎皇鬼を抱き上げた。
柔らかい毛並みと
「お前、ほんとに俺を連れて行ってくれるのか? 樹雷星って、どこだか知ってるか?」
「みゃん!」
魎皇鬼は天地を見上げ、自信たっぷりに鳴いた。
「ホントか?」
そう、聞くまでもないのだ。
魎皇鬼は宇宙
天地の心にようやく光らしきものが差し
「要は樹雷星に行って、樹雷皇に会って、命の水をもらって来りゃあいいんだな」
まっすぐ行って、まっすぐ帰って来ればいいだけのことだ。
そう思うと、もう少し心が晴れて来た。
「一人で見る宇宙って、いいだろうな」
天地は呟き、宝石をぶちまけたような星々の海を思い浮かべた。
「ゆっくりトイレに入れる……。
天地の心が
「メシはどうやって作るんだろう?」
晴れてきた心がちょっと陰った。
「阿重霞さんのガーディアンがどうにかしてくれるか」
天地は勢いをつけて立ち上がった。
「よしっ。やったろうじゃん!」
北海道が樹雷星になっただけだ……っていうのはさすがに無理があるか。
天地は魎皇鬼の頭を
夕食後、柾木家の一同は池のほとりに
魎皇鬼は
旅立ちを夜にしたのは、なるべく目立たないように、という本人の配慮であった。
スポーツ・バッグを肩に天地が現れると、紙吹雪が舞い、
「天地様、お手紙にも書いておきましたけど、どうかくれぐれもお気をつけて。身の回りのお世話は全部ガーディアンが致しますから」
涙ながらに阿重霞が封書を渡すと、砂沙美が三段重ねのお弁当と
「天地兄ちゃん、がんばってね。はい、これ、お弁当。麦茶も
「ありがとう、砂沙美ちゃん」
天地はお弁当の包みを受け取り、不覚にも涙ぐみそうになった。
「天地さん、何かあったらすぐ連絡してくださいね。アタシたち、シャトルで飛んで行きますから」
「天地さん……うっうっ……」
清音が
「天地。気をつけて行けよ。父さんは毎日お前の無事を祈ってるからな」
ビデオカメラを構えた信幸が天地をどアップで
「天地殿。剣と
鷲羽がオモチャの武具とコイン・チョコレートをお弁当の上に載せた。
「鷲羽さん!」
天地が
「なんて、冗談よ。一回やってみたかったのよね。ほら、勇者旅立ちの図っていうやつ。ところで、命の水は魎皇鬼の中にある特製タンクに入れて持って来るのよ。それと、樹雷皇、樹雷皇妃によろしくね。それからこれ、護身用のリングよ。どんな生物にも
鷲羽に
「ありがとう。俺……行ってきます」
「天地、待ちな!」
魎呼が飛び出して来て、チョコレートの上に菓子折りを載せた。
「わざわざ岡山駅まで行って買って来たんだぜ。道中、しっかりな」
天地は菓子折りを見た。
名産、きびだんごと書いてある。
天地の目にじわっと涙が
「魎呼……。俺は桃太郎じゃないんだ」
「ほっほっほ。まあ良いではないか」
勝仁が二人の間に割り込んだ。
「天地。
「じっちゃん、そんな
天地の声に勝仁はチッチッ、と指を振った。
「武者修行の旅じゃ。もう忘れたか」
天地は
「はいはい。それでは行って来ます」
魎皇鬼が一声、みゃあああああん、と鳴いた。
「行ってらっしゃ───い!」
天地がブリッジに
阿重霞さんが、魎呼が、砂沙美ちゃんが、父さんとじっちゃんが大きく手を振っている。魎皇鬼の
「俺は今、旅立つんだな……」
天地はブリッジに立ったまま、満天の星々を見上げた。
「天地殿は感動しておられるようですね」
「そうですな。我々も故郷に
ブリッジの
「魎皇鬼、行くぞ!」
天地が声を掛けた。
「みゃああああん!」
気合の入った鳴き声が返って来た。
天地は、
「大丈夫。お弁当も持ったし、
天地の手がズボンのポケットを
「ない……財布がない!!」
「みゃああ……あん!?」
「天地殿。どうなされた?」
阿座化と火美猛が
「じっちゃんに
魎皇鬼は既に成層圏を抜け、太陽系外に進路を取っている。
「一文なしでありますか。我々も路銀の用意までは……」
青くなったらしい火美猛の返事が返って来た。
「天地殿、樹雷星につけばお金などいりませぬ」
「そうですとも、天地殿は樹雷皇家の皇子様。どうか気を落とさずに」
火美猛の声に阿座化が付け加えた。
「でも、もし……何か事故でもあったら……
天地は既に泣き声になっている。
「大丈夫です! 天地殿、一文なしには
阿座化と火美猛が力強く