第一章 平和とは……



 平和。それは、太陽のぬくもり。

 平和。それはだれにもじやされない日曜の朝のひととき

 平和。……それは、りようの入れない、柱に囲まれたせまい空間。

 ああ、何物にも代えがたいこの一時の平安よ。


 どっか────!!


 階下で起こったばくはつらしき物音が、トイレの窓ガラスをびりびりとふるわせる。

 二階のトイレに新聞を持ち込んでプライヴェートな一時を過ごしていた天地が思わずこしかせたたん、ハイ・トーンの金切り声が聞こえて来た。

「何するのよっ。危ないじゃないの!!

「おめえが変な夢の話するからだっ」

「何が変ですの? せっかく天地様の夢を見てたのに、夢の中まで邪魔するなんて、きっとのぞき見してたに違いありませんわ!」

「あたしゃサトリじゃないんだぜっ。誰がてめえの夢なんか覗くかよ!?

「サトリって?」

 二人、つまり魎呼と阿重霞のケンカに慣れっこになってしまったらしい、の声がした。

 天地はいつたん浮かせた腰を沈め、落ち着きなく新聞をたたみながらたんそくした。

 これで三回目だ。

 天地はまさ家がまだ父子家庭、つまり、宇宙人や化け物女やギャラクシーポリスの刑事や天才科学者にせんりようされていなかったころの、静かな日曜を思い出しながらつぶやいた。

 おれはまだ高校一年生で、家は岡山市内にあって、日曜の朝は父さんがメシを作ってたっけな……。

 今でははるか何世紀も昔のことに思える、その平和な朝の光景がくっきりと天地ののうに映し出された。

 父一人、子一人、別に何を話すでもなくTVをながめながら淡々とメシを食っている、どこにでもあるような光景であるが、今の天地にとってはもう望むべくもないついおくの日々である。

 あああ……。

 天地の口から深いめ息がれた。

 今や、柾木家の日常と化してしまった魎呼と阿重霞のケンカ。それは、二人が顔を合わせた瞬間から始まるのである。

 本日の一回目は、洗面所の順番争いからだった。

 二回目は、朝飯のオカズ、正確にはだし巻き卵の大小からである。

 そして三回目がこれだ。

 天地は、居間にいるであろう階下のメンバーを思い浮かべた。

 まず、ケンカの当事者である魎呼と阿重霞。

 ご存じ、元宇宙かいぞくにしてかいりきほこる、ついでに壁抜けも空間移動も出来るという化け物女と、伝統あるじゆらいおうの第一皇女、柾木・阿重霞・樹雷姫。

 以下、その妹の砂沙美ちゃん。

 ギャラクシーポリスの名物刑事、みつほしとそのあいぼう真備まきびきよ

 宇宙一の天才科学者、鷲羽わしゆう。もとい、鷲羽ちゃん。

 俺の父さん、のぶゆき

 俺のじっちゃんで、阿重霞のお兄さんでもある柾木神社のかんぬしかつひと

 この辺は、時間と空間を越え、星々にまたがる複雑な因果関係があるのだが、それはさておき。


 現在ここ、岡山ののどかな山村にある柾木家には七人の家族がひしめきあっていた。

 そのうちの五人はそうろうである。

 いや、りようおうを加えれば五人といつぴきになるかんじようである。

 清音と勝仁はとなりの柾木神社にいるので勘定外になるが、なに、二人ともしょっちゅう柾木家に顔を出しているので柾木家はいつも修学旅行のような状態なのである。

 天地がげっそりしながら腰を上げ、パンツを穿こうとした時、階下のののしり合いがふっつりえた。

 いやな予感がした。

 と、思う間もなく、天地の部屋をはげしくノックする音が聞こえた。

「おうっ、天地! ちょっとつらァ貸しな!」

「天地様! ちょっと聞いてくださいなっ」

 空間移動したな……。

 天地はパンツを穿きかけたままこおりついた。

 どうせロクでもない用事に違いない。

 今までの経験上、ロクな目に遭ってこなかった天地はとつにそう思った。

 こいつがどんなにイジワルでサドでインケン女か、とか、あいつがどんなにランボーでエッチでヤバンであるとか、このインケン思いつめ女とあのランボー破壊魔と(二人の言い分を聞いているとそうとしか思えないのだが)どっちが「好き」か、とか、進退きわまる質問がおそってくるに違いないのである。

 と、最後のとりで、要するにトイレのドアが激しくノックされた。

「天地っ。早く出て来いよ!」

 魎呼の声だ。

 カギがかっているのは分かっていたが、天地は反射的にパンツを穿き、ズボンを引っ張り上げようとして一瞬たじろいだ。

 下腹がきりきりといたむ。

 精神的重圧のせいか、それともさっき中途であきらめたのが悪かったのか、どっちにしても顔を会わせられる状態ではない。

「天地! そこにいるのは分かってるんだ。返事ぐらいしろよな!」

 まるでギャラクシーポリスのようなきびしい追求である。

めなさいよ魎呼さん。天地様がわいそうですわ」

 阿重霞の声がした。

 ごくに仏のような優しい言葉に天地が思わずひとみうるませた途端、阿重霞が言葉をいだ。

「ガタガタさわがずに、天地様が出て来るまで待ってればいいんですわ」

 天地のひたいに冷や汗が浮かんだ。

 下腹のいたみは収まりそうにもない。

 もう限界だ。

 天地はそろそろとパンツを降ろし、細心の注意を払って腰掛けた。

 俺はここには居ないんだ。ここにいるのは君らが待ちかまえている天地様なんかじゃなくて、ただの、フツーの十六歳の、心静かに生理的欲求を満たしたいと願っている元高校生なんだ。たのむからとびらの外で耳をすまして待ち構えたりしないで、あっちに行ってくれっ。

 天地がと知りつつ心に念じ始めた時、待ちくたびれたらしい魎呼のり声がひびいた。

「天地っ。早くしろよな!!

 声と共に扉の一部がくだけ散った。

 魎呼は時々自分のかいりきを失念する。

 故意に失念する時もあるし、ぐうぜん失念する時もあるのだが、この場合は偶然だっただろう。

 扉に開いた大穴の向こうに天地のぼうぜん自失した顔があった。

 この間、セリフなし。効果音なし。

 魎呼の視線が重力に引きずられて天地の下半身に落ちた。

 引き続き、効果音なし。ごくのようなせいじやく

 一瞬後、柾木家を引きくかと思うような阿重霞の悲鳴があたりをるがせ、階下の一同は思わずてんじようを見上げた。


 まだ青い顔をした天地が居間に顔を出したのはその五分後である。

 居間にごちゃごちゃと集まっていた面々は、天地の顔をみるなり静まり返った。

 天地の表情がただ事ではなかったからである。

 天地はゆっくりと居間を見渡した。

 居間のすみ、ソファのかげからシマシマドレスのはじっこが見える。

 と、その反対側には自分の長いかみの毛をもてあそんでいる阿重霞の姿があった。

「魎呼」

 天地の押し殺したような声が静寂を破った。

「どういうつもりだよ?」

 普段の天地にあるまじき、腹に響くような低音である。

 魎呼は恐る恐る顔を出し、天地の顔をぬすみ見た。

 ま、まずい……!

 魎呼の額に冷や汗が流れた。

 天地のやつ、本気で怒ってる……。

「あ、あのさ。トイレの扉はあたしが責任持って直しとくから……」

 魎呼の言葉は天地の冷たい視線の前に途切れてしまった。

「天地兄ちゃん、どうしちゃったの?」

「さあ……私も良くは分からないんだけど、なんでも魎呼さんと阿重霞さんが天地さんのナニナニを見ちゃって……きゃっ」

 砂沙美とひそひそとささやき交わしている美星の髪を清音が引っ張った。

「あたし、ワザとやったわけじゃ……」

 思わず魎呼が言いかけたが、天地はまだ無言のままである。

「ナニナニって? あっ、伏せ字のことね」

 飲み込みの早い砂沙美が清音にうなずきかけ、清音は赤くなって砂沙美を引っぱたくわけにもいかず、美星を引っぱたいた。

「俺はな、魎呼」

 天地がやっと口を開いた。

「今、本気で頭きてんだ。どうしてトイレまで人を追っかけまわすんだよ!? それも阿重霞さんとケンカしたとか何とか、下らない用事で。俺はな、お前のおともでもしたでもないんだぜ。ついでに言わせてもらえば、恋人でも何でもないんだからな!」

「天地!?

 魎呼の目が大きく見開かれた。

「ウソ……」

 ただならぬ様子にソファのかげから阿重霞が顔を出した。

 今たしかに天地様はおっしゃったわ。

 魎呼とは何でもないって。

 口元が思わずゆるむ。

 阿重霞は心の中でかいさいを叫んだ。

 と、その途端、天地が振り向いた。

「阿重霞さん。なに笑ってるんですか」

 げんな声だ。

 阿重霞はたちまち笑いを引っ込め、おどおどと天地の顔をうかがった。

「だって天地様……」

 阿重霞は天地の視線にたじろぎ、すくいを求めて思わず宿敵魎呼の顔を盗み見た。

 魎呼はまだぼうぜんとしている。

「ごめんなさい。わたくし、止めたんですけど、魎呼があんなこと……」

 言いかけてさっきの情景を思い出した阿重霞は真っ赤になり、今度は早口でしやべり出した。

「大体魎呼が人の夢を盗み見したのがいけないんですわ。わたくし、天地様の夢を見ていたんですの。樹雷星の皇宮の野原で天地様とお散歩してる夢でしたのよ。そうしたら魎呼があの、すごかつこうでやってきて、わたくしと天地様をじやするんですの。それで、夢の中で二人っきりになろうったってそうは行かないぜなんて言うんですもの、わたくし、もうくやしくって……」

「おめーこそ人の夢に出てきやがったじゃないか!」

 魎呼が叫んだ。

 目は金色に切れ上がり、ワナワナと肩をふるわせている。

「あたしが夢の中で天地とほこらを探検してたら、いきなりおめーが出てきやがって、あたしと天地の間に割り込んだじゃないか。おーほっほっほっほ、こんな山ザルに天地様は渡しませんことよ、なんて抜かしやがって、てめえ、人のこと言えた義理か!?

うそ、ウソです!!

 今度は阿重霞が叫んだ。

「天地様、こんな女の言うことを信じてはいけませんわ、大体、今朝の朝ごはんだって人の卵焼きをさらったくせに!」

「おめーは砂沙美ちゃんのをもらったじゃんか!」

 魎呼が阿重霞の方に一歩足をみ出した。

 阿重霞も負けずに足を踏み出した。

「洗面所でも人の前に割り込んだじゃないの! わたくしは歯をみがいていたんですわよ。あなたが急に割り込むから口をゆすげなくて困ったじゃないの!」

「おめーが長々と磨いてるから後がつかえて困るんだよ!」

 魎呼と阿重霞は向き合ってにらみ合い、居間の面々の視線は二人の戦いにそそがれた。

「そういう性格だから平気で人のこと盗み見したり、ウソをついたりするんですわ! おわかりになったでしょ、天地様」

「壁抜けのこと言ってんのか? あたしにはそういう能力がそなわってんだ! 有効に使ってどこが悪いんだよ!?

「ほら、自分で白状してますわ。天地様もさっきおっしゃったじゃありませんか。あなたなんか、恋人でもなんでもないんですのよ! 元々バケモノなんだから、さっさとほこらにもどったらいかが?」


 バッチ─────ン!


 いきなり魎呼の平手打ちが飛んだ。

 居間の面々がはっと息をんだ瞬間、魎呼の手が阿重霞の首にかかった。

「殺してやる……さま、本気であたしをおこらせたな」

「お姉ちゃん!」

 砂沙美がおどろいて立ち上がった。

「く苦しい……」

 阿重霞の手が持ち上がり、魎呼の指を外そうとさまよっている。

「ちょっと、めてくださぁい」

 美星と清音が両側から魎呼にしがみついた。

 魎呼の手がわずかにゆるんだそのスキに、阿重霞がこぶしを固め、魎呼のわきばらに打ち込んだ。

「うげっ……」

 樹雷皇家でんしようげきけんである。

 魎呼が体を二つ折りにしてよろめいた瞬間、次の一撃がこめかみをねらった。

 魎呼はとつに空間移動してその一撃をかわすと、すらりとオーラ・ブレードを抜き放った。

「こ、こら、魎呼!」

 父、信幸はおろおろと声を掛けた。

 勝仁は腕組みしたまま二人を見守っている。

 魎呼の目に金色のほのおが灯った。

「阿重霞!! 今日こそ決着をつけてやる……今まですべてのな!」

「望むところですわ!」

 身構えた阿重霞の周囲に円柱状の結界が現れた。

 天地はがくぜんとしたまま居間を見渡した。

 鷲羽と勝仁は何を考えているのか、まだソファに腰掛けたまますずしい顔で二人を見上げている。

 このに及んでまだ止めに入らないとは……天地は絶望した。

 俺が何とかするしかないのか!?

「てええッ」

 うなりを立てて魎呼のオーラ・ブレードが振り下ろされた。

「きゃああっ」

 阿重霞の結界が一部はじけ飛んだ。

 魎呼は本気だ。

 このままじゃ血の雨が降り、柾木家はしようめつするかもしれない。

 それも、夢をのぞいただの覗かれただのという下らない理由で。

「止めろ───っ

 天地は咄嗟に魎呼にタックルをかけた。

「分かった! 俺が出て行く。お前は剣をしまえ! 阿重霞さんも余計なこと言うな! とにかく二人とも離れてくれ!!

 はあはあ、と肩で息をしながら天地は一気にまくしたてた。

 起き上がろうともがいていた魎呼の動きがぴたりと止まった。

「今、何て言った!?

 その背後で阿重霞がよろめいた。

「今、何とおっしゃったの!?

 天地は立ち上がり、ゆかにへたり込んだままの魎呼と両手をにぎり合わせている阿重霞を見比べ、おもむろにり返した。

「俺が出て行く、と言ったんだ。俺がいるからケンカになる。俺が原因なら、俺がいなくなればこの家には平和がもどって来る。違うか?」

 二人とも、いな、誰もを申し立てる者はいなかった。

「大体、どうして夢ごときでこんな果たし合いにならなきゃいけないんだよ? 俺が普段どれくらいまんしてるか、ちょっとでも考えてみたことがあるか? お前らのせいで俺は学校にも行けず、遊びにも行けず、ニンジン畑をたがやしてるんだぞ。くる日もくる日もニンジン! 家に帰ってみりゃお前らのケンカにつきあわされるわ、あやしげな実験のモルモットにされるわ、部屋は散らかってるわ、たまの日曜には朝から血の雨が降るわ……」

 まくし立てているうちにさっき中断された怒りがじわじわと込み上げてきた。

「トイレもおちおち入ってられない。これが人間の生活か!? 俺は何も見られたから言ってるわけじゃないぜ。そうじゃなくって、もうまんも限界に達したんだ! 仏の顔も三度って言うだろうが。どこの世界にこんなごくのような毎日を送ってる高校生がいるってんだ? ここにいるってか? 俺は出てくから、お前らよーく考えてみろ。今までどんなにまわりにめいわくかけてたか。俺はもうごめんだからな!!

「天地様……」

 魎呼と阿重霞をひつとうに、居間の面々のぼうぜんとした顔を見渡しながら、天地は言いようのない快感に包まれていた。

 これだ。俺に必要なのはこれだったんだ!

 言いたいことを言い、やりたいようにやる。

 今まで我慢に我慢を重ねて来た人生がウソのようだ。

「とにかく俺は、家を出る!」

 しのように宣言しながら、天地は効果のいんが残っているうちに退場しようときびすを返した。

 どこへ行こう?

 天地は浮き浮きしながら考えた。

 自転車旅行っていうのもいいな。ちよきんをつぎ込んで北海道か沖縄か、とにかく一人になれるところならどこでもいいや。思っただけでもワクワクするぜ。人間たまには息抜き、いやリフレッシュが大切よ。

 と、阿重霞のつぶやきがはいき刺さった。

「天地様がらんしんなさった……。魎呼さんっ、あなたのせいで天地様がご乱心なさったわ!!

「な、何を……」

 振り向くと魎呼と阿重霞は真っ青な顔をして抱き合ったまま、天地を見つめていた。

「天地!」

 信幸があわてて呼び止める。

「家出するのか!? 良く考え直して……」

 ここで考え直したりすればまた地獄に逆戻りだ。

 天地は首を振って階段を上がろうとした。

 と、場違いなはくしゆが聞こえた。

 勝仁である。

「よくぞ言った! 天地よ。お前も少しはおうらしい自覚が出て来たようじゃな。家を出るがよい。わしが許す。今のお前にはこの家は狭すぎて修行もままならぬじゃろう。ここはひとつ、無限の宇宙を見てまわるのじゃ! 樹雷皇家のこうけいしやたるもの、一度はしやしゆぎようの旅に出るものと相場が決まっておる。宇宙は広いぞ。いや、一年や二年どうってことはない。ニンジン畑はわしが責任を持ってめんどう見てやろう!」

「じっちゃん!?

 天地は階段に掛けた足を降ろし、りにしがみついた。

「何を言ってるんだ? 俺は何もそこまで……」

「男たるもの、一度口に出した言葉を取り消すでない!」

 ぴしゃりと切り返された。

「とは言え、ばくぜんと宇宙に出てはお前も困るじゃろう。そこで、ついでと言っては何じゃが、樹雷星に寄って命の水を取って来てくれまいか。どうもりゆうおうの発育が悪くてな」

「そう、そうなのよ」

 今まで平然と成り行きを見守っていた鷲羽が口を開いた。

ようしよう殿には話したんだけどね、宇宙一の私の科学力をもってもゆいいつ合成不可能なものがその命の水ってわけ。今のところ限りなく似た成分の水をやってるんだけどね、また船のコアとして使えるようになるまでには順調にいってあと百年ほどかかると思うんだわ。ま、そんなに急ぐこともないんだけどさ」

 鷲羽は二万二千年生きている者の気楽さでそう付け加えた。

「樹雷星……俺に樹雷星まで行けってのか!?

 天地はさすがに足ががくがくしてきた。

「ものはついでじゃ。天地、お前も宇宙が初めてじゃあるまい」

 勝仁がしれっとして答えた。

「そこでじゃ。魎呼、お前、魎皇鬼を貸してやらんか? 天地も道連れがなくてはさびしいだろうし、魎皇鬼はよーく道を知っておるからの」

「わたくしのガーディアンもお連れくださいまし!」

 阿重霞が走り出た。何だか妙にひとみうるんでいる。

「天地様。知らなかったとは言え、そんなご決心がおありだったとは。ご乱心などと申し上げたこと、お許しください!」

「天地!」

 我に返ったように魎呼も続けた。

「そうか、旅に出たかったのか……。家を出るなんていうからびっくりしたじゃないか。よし、あたしの魎皇鬼を使いな! あたしもいつしよに行ってやる……」


 ばしっ。


 阿重霞と美星と清音に思いっきり後ろ頭をはたかれ、魎呼はつんのめった。

「アンタが行っちゃ何にもならないでしょうが!」

 さすがに清音、冷静な発言である。

「そういうことじゃ。さ、天地。思い立ったが吉日。はよたくをせい。おじようさんがたも支度を手伝ってやるがいいぞ」

「はいっ」

 小学校の教室かと思われるような、元気な返事が返ってきた。

「じゃ、私、お弁当作るね!」

「では、わたくしはお父様とお母様にお手紙を」

 砂沙美がエプロン片手に台所に走ると、阿重霞もそそくさと階段を上がり出した。

「美星、ほら、ロードマップは?」

「えーと、確かゆきじようが持っていたはず……」

「航宙ほうも必要ね」

 美星と清音は外の空間かくのうに走って行ってしまい、鷲羽は鷲羽で、じゃ、私は研究にもどるから、と言い残し、空間に出現した研究所のドアを開けて姿を消してしまった。

「ちょっと、お父さん……」

「いいからいいから。まずはニンジンでも取りに行こうじゃないか」

 言いかけた信幸の耳を勝仁が引っ張り、玄関を出ていった。

「あっ、天地。ちょっと待ってなっ」

 何を思いついたか、魎呼の姿が消え、じきに天地のまわりには誰もいなくなってしまった。

「どうしよう……」

 紙のように白くなった天地がりにつかまったままつぶやいた。

「どうすればいいんだ……」

 天地は階段の一番下にへたり込み、フローリングの木目を数え始めた。

 木目は、数えれば数えるほど増えていくような気がした。

「どうしたらいい……?」

 天地は、すでに燃えきてしまったような顔で呟いた。

 人にはキャラクターというものがある。

 キャラクターを裏切るような言動をすれば必ずそのむくいが来るのだ、というのが今の天地のいつわらざる心境であった。

 要するに、口は災いの元、じゃない、何だっけ?

 じっちゃんの教育の成果か、金言格言が身についている天地は回路がショートしてしまった頭で必死にあなめ問題をこなそうと努力し始めた。

「みゃ?」

 足元で声がした。

 いつ来たのか、魎皇鬼がちょこんと座って不思議そうに天地を見上げている。

「魎皇鬼!」

 天地は思わず魎皇鬼を抱き上げた。

 柔らかい毛並みとぬくもりがここよい。

「お前、ほんとに俺を連れて行ってくれるのか? 樹雷星って、どこだか知ってるか?」

「みゃん!」

 魎皇鬼は天地を見上げ、自信たっぷりに鳴いた。

「ホントか?」

 そう、聞くまでもないのだ。

 魎皇鬼は宇宙かいぞく時代に樹雷おうきゆうおそったのだから。

 天地の心にようやく光らしきものが差しめた。

「要は樹雷星に行って、樹雷皇に会って、命の水をもらって来りゃあいいんだな」

 まっすぐ行って、まっすぐ帰って来ればいいだけのことだ。

 そう思うと、もう少し心が晴れて来た。

「一人で見る宇宙って、いいだろうな」

 天地は呟き、宝石をぶちまけたような星々の海を思い浮かべた。

「ゆっくりトイレに入れる……。にも入れる。誰にも気を使わなくていいんだ」

 天地の心がさらに晴れて来た。

「メシはどうやって作るんだろう?」

 晴れてきた心がちょっと陰った。

「阿重霞さんのガーディアンがどうにかしてくれるか」

 天地は勢いをつけて立ち上がった。

「よしっ。やったろうじゃん!」

 北海道が樹雷星になっただけだ……っていうのはさすがに無理があるか。

 天地は魎皇鬼の頭をでて床に降ろしてやると、何とか踏み外さずに階段を上がり、自分の部屋に消えた。


 夕食後、柾木家の一同は池のほとりにせいぞろいし、手に手に紙テープや紙吹雪ふぶきを持って主人公の旅立ちにそなえていた。

 魎皇鬼はすでに宇宙船モードに変身しており、そのようを暗い水面に映し込んで静かにたたずんでいる。

 旅立ちを夜にしたのは、なるべく目立たないように、という本人の配慮であった。

 スポーツ・バッグを肩に天地が現れると、紙吹雪が舞い、かんせいが上がった。

「天地様、お手紙にも書いておきましたけど、どうかくれぐれもお気をつけて。身の回りのお世話は全部ガーディアンが致しますから」

 涙ながらに阿重霞が封書を渡すと、砂沙美が三段重ねのお弁当とすいとうを差し出した。

「天地兄ちゃん、がんばってね。はい、これ、お弁当。麦茶もめといたからね。あと天地兄ちゃんの好きなからげとなすのしぎきと春巻きと、フルーツもいろんなのが入ってるよ」

「ありがとう、砂沙美ちゃん」

 天地はお弁当の包みを受け取り、不覚にも涙ぐみそうになった。

「天地さん、何かあったらすぐ連絡してくださいね。アタシたち、シャトルで飛んで行きますから」

「天地さん……うっうっ……」

 清音がな顔で言いえた。美星の顔はもう既に涙でぐしゃぐしゃになっている。

「天地。気をつけて行けよ。父さんは毎日お前の無事を祈ってるからな」

 ビデオカメラを構えた信幸が天地をどアップでねらいながらもごもごとつぶやいた。

「天地殿。剣とたてと500ゴールドよ。これでたくととのえなさい」

 鷲羽がオモチャの武具とコイン・チョコレートをお弁当の上に載せた。

「鷲羽さん!」

 天地がぎようてんしていると、鷲羽はからからと笑った。

「なんて、冗談よ。一回やってみたかったのよね。ほら、勇者旅立ちの図っていうやつ。ところで、命の水は魎皇鬼の中にある特製タンクに入れて持って来るのよ。それと、樹雷皇、樹雷皇妃によろしくね。それからこれ、護身用のリングよ。どんな生物にもくショック・モードがついてるの。大サービスよ」

 鷲羽にもらった指輪をめながら、天地は感無量で居並ぶ面々を見渡した。

「ありがとう。俺……行ってきます」

「天地、待ちな!」

 魎呼が飛び出して来て、チョコレートの上に菓子折りを載せた。

「わざわざ岡山駅まで行って買って来たんだぜ。道中、しっかりな」

 天地は菓子折りを見た。

 名産、きびだんごと書いてある。

 天地の目にじわっと涙がにじんだ。

「魎呼……。俺は桃太郎じゃないんだ」

「ほっほっほ。まあ良いではないか」

 勝仁が二人の間に割り込んだ。

「天地。りを忘れるでないぞ。うでて伏せと腹筋もワンセットずつやるんじゃぞ。今のお前はこうおうしんけんの使い手であることを忘れるな。修行をおこたれば、すぐに腕がにぶるぞ」

「じっちゃん、そんなおどかさなくても」

 天地の声に勝仁はチッチッ、と指を振った。

「武者修行の旅じゃ。もう忘れたか」

 天地はあきらめた。

「はいはい。それでは行って来ます」

 魎皇鬼が一声、みゃあああああん、と鳴いた。

「行ってらっしゃ───い!」

 天地がブリッジにおさまると、魎皇鬼が静かに地表を離れ始めた。

 阿重霞さんが、魎呼が、砂沙美ちゃんが、父さんとじっちゃんが大きく手を振っている。魎皇鬼のしようかくに引っ掛かった紙テープがひらひらと揺れ、ふわりと離れた。

「俺は今、旅立つんだな……」

 天地はブリッジに立ったまま、満天の星々を見上げた。

「天地殿は感動しておられるようですね」

「そうですな。我々も故郷にせい出来てこんなうれしいことはありませんな」

 ブリッジのすみだけがのんびりと話し合っている。

「魎皇鬼、行くぞ!」

 天地が声を掛けた。

「みゃああああん!」

 気合の入った鳴き声が返って来た。

 天地は、すごいスピードで遠ざかって行く地表をばんかんの思いを込めて見つめていた。

「大丈夫。お弁当も持ったし、さいも持ったし……ん!?

 天地の手がズボンのポケットをさぐった。

「ない……財布がない!!

「みゃああ……あん!?

「天地殿。どうなされた?」

 阿座化と火美猛があわてて飛んで来た。

「じっちゃんにもらった財布が……一銭もないんだ」

 魎皇鬼は既に成層圏を抜け、太陽系外に進路を取っている。

「一文なしでありますか。我々も路銀の用意までは……」

 青くなったらしい火美猛の返事が返って来た。

「天地殿、樹雷星につけばお金などいりませぬ」

「そうですとも、天地殿は樹雷皇家の皇子様。どうか気を落とさずに」

 火美猛の声に阿座化が付け加えた。

「でも、もし……何か事故でもあったら……かいぞくおそって来るとか……」

 天地は既に泣き声になっている。

「大丈夫です! 天地殿、一文なしにはこわいものなどありませぬ!!

 阿座化と火美猛が力強くしようした。