プロローグ 写真部のピンチ

 

 

 

「どうして呼ばれたかはわかっていますわよね」

 

 執務机に両肘を立て、組んだ手に顎を乗せた少女が言う。

 

 諒友学園二年生・生徒会長の華厳院莉桜。

 

 同じく二年生である宮園陽一は顔を強ばらせ、彼女と相対している。

 

 季節は初夏。エアコンが稼働しているはずだが、額から吹き出す汗は止まらない。

 

 緊張感もあいまって息苦しさに何度もネクタイに手が伸びそうになるのをどうにかこうにかこらえていた。

 

 一方の莉桜は涼やかそのもの。

 

 毛先をゆるく巻いた腰まで届く亜麻色の髪に、くっきりとした二重の瞳、鼻筋は通り、唇は厚めで色っぽい。日本人離れしたエキゾチックな顔立ちだ。

 

 まだ咲きはじめのサクラのような薄いピンクのワイシャツにオリーブ色のジャケットを重ね、チェックのスカートに黒のハイソックス。

 

 見慣れているはずの学園の制服だが、そこにはわずかな皺もなく、女子の中では当たり前になっているスカートの折り返しもしていない。

 

 実家は金融から食品まで手広く手がける華厳院グループ。莉桜はそこの一人娘だ。

 

「生徒より苦情が来ました。あなたにカメラのモデルになるよう執拗に迫られたと」

 

「え、ええ、まあ」

 

 執拗というのは言いすぎではないか。確かに、陽一としても切羽詰まっている状況であるから、かなり食い下がりはしたが。

 

「実績を挙げられないばかりか、一般生徒にまで迷惑をかけるなんて。あなたの代で写真部を潰そうとしているとしか思えませんわね」

 

「もう少し時間をくれませんか、そうすれば」

 

「ダメですわ。部費削減は決定事項。……それに、あなたのようにお父上の名を辱めるような盗撮魔の頼みなど聞く耳を持ちません」

 

「もう少し猶予があったって……」

 

「宮園君。あなたは一度もコンテストに応募していないようですわね。そんな人に猶予もへったくれもありませんわ」

 

 それを言われるときつい。しかしそれには事情があるのだ。

 

「学園の大切なお金を分配するのだから実績は必要。のんべんだらりとしている生徒に頑張っている者と一緒の待遇を与えるのはただの怠慢。だからこそ部費が削減されるのは写真部だけではありませんわ」

 

 莉桜の言葉は淡々としつつも、こちらの胸を無遠慮に抉るような刺々しさを持つ。

 

「まあ今回は実害がなかったようですのでこのままお帰り頂いてかまいませんわ」

 

 すでに内容をチェック済みのデジタル一眼レフを受け取ると、陽一は「失礼します」と意気消沈して部屋を出た。

 

 クラスメートの新田千尋が駆け寄ってくる。千尋は健康的に焼けた肌に、茶色がかったさらさらの髪。目鼻立ちは整っている。

 

 百六十センチと小柄ながら、男くさくない中性的な顔立ちや快活な性格で、陸上部に所属している、長距離走のランナーだ。それに電機メーカーの技術者である父親の影響を受けてか、機械を弄るのが好きらしく放送委員もやっている。

 

 これだけ色々とそろっているのだから当然、女子人気は高いが、本人は色恋には興味がないのか、告白される話は聞いても、付き合ったという話は聞いたことがない。

 

 千尋とは一年からの付き合いだ。きっかけは陽一の撮った写真を見た千尋が、「こんな綺麗な写真が撮れるなんてすげえなあっ!」と褒めてくれたことからだ。そこにはこれまでの小学校・中学校のクラスメートたちのように、その年齢でカメラが趣味なんて格好つけているとか、大人ぶっているとかそんな余計な感情は一切ない。

 

 純粋に写真について褒められたのはそれが初めて。

 

 それ以来、千尋とは親友と呼べる間柄になった。

 

「大丈夫かよ」

 

「あ、当たり前だろっ」

 

「あからさまな空元気だな」

 

「……わかってるなら指摘すんなよ」

 

「前みたいな大騒ぎにならなかっただけよかったけどな」

 

「会長に呼び出しを食らったんだぜ。十分大騒ぎだよ……」

 

 一年の頃に遡る。陽一が席を外している隙にクラスメートがカメラを持ち出し、莉桜のパンチラを激写したのだ。もちろんその場でクラスメートは捕まる。

 

 問題がそれで収まればよかったのだが、カメラの持ち主が陽一であることが発覚。

 

 関係ないという主張は退けられ、一週間の出席停止をくらってしまったのだ。

 

 もちろんクラスメートの大部分は陽一が無実であることを知っているが、学園に多額の寄付をしている華厳院の令嬢が被害者ということもあって学校側が過剰に反応したのだ。

 

 陽一は盗撮魔の烙印を捺され、モデルになってくれる人はいなくなった。

 

「これからどうすんだよ。成果を挙げなくちゃ部費がやばいんじゃねえの」

 

「それも言ったんだけどさ、もう決定事項だからって」

 

「諦めんのか」

 

「まさか。部長として手をこまねいてもいられないだろ」

 

 無実とはいえ陽一のせいで(カメラの保管が甘かったと言われれば反論できない)写真部の立場が悪くなったことも確か。すでに部員の大半が辞め、クラスメートたちに働きかけて幽霊部員となってもらい、なんとか部活動としての体裁を整えているのが現状だ。その上、部費まで減らされては本当に写真部を潰す大悪人になりかねない。

 

「よく言った。ここで諦めちゃ男がすたるよな。お前が危険人物だって噂に尾ひれがついて学園に広まってるっていうのに、モデルを頼もうとする根性、マジ燃えるな!」

 

 千尋は笑った。こういう劣勢に立たされると燃える性分なのだ。

 

 見た目と性格のギャップが激しい。中身は男くさいのだ。

 

 時々、そのノリがとてつもなく暑苦しいのだが、今の陽一にとっては心強い。

 

「でもさ、オヤジさんに認められなきゃコンテストには応募できないんだろ」

 

「だからその写真を撮ろうと思ってモデルを集めてたんだよ」

 

「プロを頼めばいいじゃんか。っていうか、この前、これならいけるって写真、撮れたんだろ。あれ、どうしたんだよ」

 

「……察しろ」

 

「また、ダメだったのか」

 

 そう。また、ダメだったのだ。これで一体どれくらいの没を食らっただろうか。

 

 陽一の父親は、フォトグラファー界の巨匠・宮園鬼神。

 

 陽一は父親に一人前と認められるよう(認められなければ、コンテストの出品も許してはもらえない。名前を偽って参加したとしても登竜門的なコンテストの審査員を務める父親の目をだますことはできない)何枚もの写真を見せたが、そのことごとくは見向きもされなかった。

 

 題材は『女性』。女体こそ究極の芸術、女性の内面の美しさを切り取れぬ写真家など素人よりもタチが悪いと言って憚らない父らしいお題だ。

 

 鬼神はデビュー当時から一貫して若い女性のヌードを専門的に撮り、彼に撮られたいとモデルや芸能人は進んで脱ぎたがる。

 

『お前のそれは技巧ばかりが鼻につくただの絵だ。いいか。プロフェッショナルがプロフェッショナルと呼ばれる所以は対象の本質を写し撮るその神懸かった才能だ。技巧をひけらかしたいなら、アマチュアで“最高の一枚“とやらを追いかけるんだな』

 

 父からの言葉が重くのしかかる。

 

 これでいいだろうと思ってきたものが立て続けに駄作と評されたことで陽一はなにが正しくて、なにが間違っているのかわからなくなっていた。

 

 それでも考えに考え、その末にプロのモデルを使うのをやめ、街角で魅力的な女性を撮ってみたが、納得のいく写真は撮れない。対象の本質という漠然としたイメージをそこに見出せなかった。しかしそれは考えるまでもなく当たり前なのだ。

 

 はじめて会った人間、その人のバックグラウンドも何も知らないモデルを撮影したところで意味はない。

 

 そこに思い至り、目に留まった学園生をピックアップ。

 

 そこからさらに三人に絞ったわけである。

 

 今回呼び出されたのはそのモデル候補に接触したせいだろう。

 

 千尋に言ったとおり、諦めるつもりなど毛頭ない。

 

 父親のお墨つきさえ得られれば、それを押し立てて予算復活も不可能でないはず。

 

 仮に部費削減が回避できなかったとしても、コンテストに応募できれば実績が出せるチャンスに恵まれる。うまくいけば写真部に箔をつけることも可能だ。

 

「で、俺が協力できることは」

 

「ない!」

 

「孤軍奮闘かよ! ますます燃えるじゃねえかっ。わかった。お前がそこまで言うんだったら手は出さない。でもよ、もし困ったことになったら相談しろよ。盗撮騒動の二の舞は勘弁だからな」

 

「その時は頼む」

 

「任せろっ」親指を突き出し、「じゃあな」と陸上部らしく颯爽と駆け出していく。

 

 千尋には頼ることはできないだろうと思う。いや、親友だからこそ頼れないというべきか。

 

 なにせ、これからすることは盗撮(これは濡れ衣だが)どころの騒ぎではない。

 

 少女たちの最高潮を迎えた絶頂の瞬間を撮影しようというのだから。

 

 女性の飾りのない本質はなにか。考えに考えた。試験前以上に脳味噌を酷使し、疲れ果てて、ふて寝し、ネットでエロ動画を見た。

 

 そして確信した。

 

 飾る余裕を失い思考がバラバラになった瞬間の女性こそ最高の被写体なのだと。

 

 そこにこそ本物の“無防備“さがあるのだと。

 

 問題はどうやってモデルをやらせるか──だが。

 

 手負いの獣も同然の陽一はなりふり構っている余裕はない。

 

(どんな手を使ってでも撮ってみせるぞ!)