Part 01: 意識を取り戻し、目を開けてから真っ先に視界へと飛び込んできたのは……憎らしいほどに煌々と輝く満月の姿だった。 鷹野: っ……ここ、は……、ぐっ……?! 声を出した刹那、全身に迸って駆け巡る激痛に顔をしかめながら、私はその場で苦悶に身をよじらせる。 鷹野: い、いったい……何が……? うずくまって痛みをこらえ……しばらくしてから落ち着きを取り戻した私は、気を喪う直前までの記憶を掘り起こす。 確か、私は……ここで「彼女」を捕らえようと、#p雛見沢#sひなみざわ#rの子どもたちを待ち伏せていたはずだ。 そのため、意のままに動く部下たち……『山狗』の隊員を引き連れて、身柄の確保後は他の連中を「口封じ」するつもりでいたのだ。 しかし、その手下たちは、今や――。 鷹野: ……っ……?! 上体だけを起こし、携行していた懐中電灯で地面を照らしてみて……私は声のない悲鳴を上げる。 その『山狗』たちが全員、自分と同じように地面に転がっていて……ピクリとも動かない。 死んでいるのか、と手近なひとりの首筋に手を当てると……わずかながらも温かみと脈が伝わってくるのを感じた。 鷹野: でも、これは誰の仕業で――あっ……? そこでようやく私は、気絶する直前まで自分と相対していた「彼女」のことを思い出す。  : 川田碧……ジロウさんを案内兼護衛役にして、この雛見沢の各所を調べ回っていた小娘だ。  : フリーのジャーナリストと名乗っており、身元の裏は取れたものの「逆に怪しい」というのが調査を行った小此木の見解だったが……。  : さすが諜報活動を主にしていただけあって、彼の勘は的中していたと言わざるを得ない。 そう……川田碧は、突然現れた。しかも腕に覚えがある『山狗』たちを単身でひとり、またひとりと倒していき――。 残った小此木まで撃退した後、この私をいったい彼女のどこに、と困惑するほどのすごい力で叩きのめしていったのだ。 鷹野: (……武術の経験者?いや、そんなものとは全く次元の違う「使い手」だった気がする……) ……そういえば、出会って早々に川田碧は言っていた。 川田: 『私は山狗でも、番犬でもない……ただの≪猟犬≫です』 あれはいったい、どういう意味なのだろう。少なくとも私の知る『東京』の組織内には、そんな名前の部隊は存在していなかった……。 鷹野: ……っ……。 とにかく、ここでじっとしている時間はない。全てを裏切った上、「あの子」の提示した起死回生の策に乗ってしまったのだから……。 鷹野: (私には……やるべきことが、ある……) そう気持ちを奮い立たせて立ち上がり、まだ痛む全身を励ましながらこの場を去ろうと私は足を懸命に踏み出す。 が……そこで私は、進む先に目を向けたまま思わず立ち止まった。 鷹野: ……、ジロウ……さん……っ。 今となっては物言わぬ骸となり果ててしまった、愛しい人の顔にそっと触れて……私は、こぼれそうになる想いを必死にこらえる。 そうだ……私には、もはや泣く資格などない。この人から未来を奪い、こんな結末を迎えさせたのは他でもない私なのだから……。 鷹野: でもね……ジロウさん。今となってはもう、言い訳にしか聞こえないでしょうけど……。 鷹野: 私の話を聞いて、力を貸す……いえ、せめて見なかったことにするとさえ言ってくれていたら……。 鷹野: あなたのために私は、全てを捧げて何をしてあげてもいいと思っていたのよ……? そんな言葉が、本当に……虚しく響く。 この選択に、後悔なんてない……つもりだ。それでも、永遠に喪ったものの存在の価値と愛しさを今さらになって、理解して……。 鷹野: ……ぅ……、っ……。 私は無理やりに背を向けて歩き出した後も、思わず振り返りたくなる衝動を何度も必死にこらえていた……。 ……それは、#p綿流#sわたなが#rしを数日後に控えたある夜のこと。 数えきれないほどの逡巡と懊悩の末、私はジロウさんに全てを打ち明けることにしたのだ。 『雛見沢症候群』の研究の終了が決まり、失意と絶望に打ちひしがれていた私に……「悪魔」がささやきかけてきたこと。 その「悪魔」は、これまでの研究内容と成果が無に帰すくらいならば、いっそ……と恐ろしい陰謀への加担を持ちかけてきたこと。 そして、私も当初は誘いに乗るつもりだったが本当にそれが自分にとって最良の選択なのかを迷って、悩み続けて……。 鷹野: ……そんな時に、「彼女」が現れたのよ。その提案は私にとって「悪魔」の計画以上に魅力的で、心惹かれる内容だった……。 富竹: ……鷹野さん。 鷹野: ねぇ……ジロウさん。これから私がやろうとしていることは、確かに人類史上でも最悪の悪行になるのかもしれない。 鷹野: だけど……もう今の私には、これしかないの。私を地獄から救い出してくれたおじいちゃんにせめてもの恩返しをして……。 鷹野: ……そして、私とおじいちゃんの想いと夢を踏みにじった上でのうのうと甘い汁を吸い、堕落と享楽で腐りきった連中に鉄槌を下す……! 鷹野: せめて、そうしなければ……私は終われない。たとえ目の前に待っているのが同じ破滅でも、過去を否定するなんてまっぴらなのよ……ッ! 富竹: ……っ……。 鷹野: ……でもね、ジロウさん。最後にあなたにだけは、このことをちゃんと伝えておきたかったの。私という存在が、この世にいたことの証明に……。 鷹野: そして……もしこの願いが叶うことなら、あなたにも私と一緒に来てもらいたいのよ。それがダメなら……せめて、見ないふりで……。 富竹: ……。最近の君の動向がおかしいとは、ずっと思っていた。だからもし、万一の時はこの身体を張ってでも止めるつもりだった。 富竹: でも……鷹野さん。君は僕が思っていた以上に聡明で……そして、苦しんでいたんだね……? 鷹野: ……っ……。 富竹: 鷹野さん……君の考えは、よくわかった。君に支援をする一方で醜い権力争いを目論む、巨悪の存在に対しての怒りは……僕も同じだ。 富竹: アルファベットプロジェクトは……小泉先生が亡くなられてから変わってしまった。君の言う通り、私欲にまみれた汚物の集まりだ。 富竹: 僕はね……これでも本気で期待していたんだ。君が心血を注いで進めてきた研究が結果を出し、労苦に報われることも当然願ってきたけれど……。 富竹: それと同時にそれらの研究が日本の国力を高め、諸外国にも対等、いやそれ以上の存在感をもって交渉に臨むことができるようになる――。 富竹: そんな日が来ることを、僕は信じていたんだ。だからこそ、経過の途上で出てしまった犠牲にも目をつぶり、心を閉ざしてきたんだ……なのに……。 鷹野: ジロウさん……。 Part 02: ……決心はもう、揺るがないつもりだった。この人と袂を分かち、「口を封じる」ことだって何のためらいも抱くことはない……。 この人と会った時から、そう思っていた。だから説得するつもりではなく、自分に対しての「けじめ」のつもりでいたのだ。 でも……あるいは、もしかしたら……。 ここで言葉を尽くして真心を伝えれば、彼は……私のことを……? そんな甘くて優しい誘惑に凍ったはずの心を撫でられた私は、思わず足を踏み出し――。 富竹: ……。だけど、ごめん。僕は君に、協力するわけにはいかない。そして聞いた以上、なかったことには……できない。 鷹野: ――――。 富竹: 君がやろうとしていることは、明らかに犯罪行為だ。ある意味で、国家への反逆に等しい。 富竹: そして、僕と君の平穏を引き換えにして多くの人の命と環境が犠牲になることを肯定する所業にもつながっている……。 富竹: そんな血みどろの手で幸せを掴むことは、僕には……できない。 鷹野: ……ジロウさん。 富竹: だから鷹野さん、考え直してくれ。2人で知恵を出して考えれば、きっと何か解決策が見つかるはずだ。 富竹: 君は、君の想いや夢を踏みにじって利用してきた連中と同じ穴のムジナになりさがるつもりなのか……?! 鷹野: …………。 あぁ、本当に……本当にこの人は、『東京』の組織にはふさわしくないほどとても真面目で……誠実な人だ。 でも……だからこそ、ダメだ。ダメなのだ。この人がいる限り、そして私がこの人への思慕を持ち続ける限り……。 何もかもが、ゼロになる。水の泡となって……消えるのだ。 ならば……ならば、私はッッ……!! 鷹野: ……残念だわ、ジロウさん。 鷹野: 本当に……残念ッッ!!! 鷹野: ……っ……。 来た時に使った車を使い、隠れ家に戻って武器を手に入れてから……私は大きくため息をつく。 すでに、部下と呼べる人間はひとりもいない。一応、あの場所に倒れている連中の何人かを連れ帰ることも考えてはみたが……やめた。 鷹野: 私がやろうとすることを知ったら、逃げるか逆らうかのどちらかでしょうしね……。 むしろ小此木などは、私を拘束した上で「東京」のお偉方に差し出すかもしれない。……自分の潔白と、保身のために。 結局、どれだけ大金で引き込んだとしても命まで投げ出すようなことは誰もしないのだ。当然と言えば、当然の話だったが……。 鷹野: さて……神社の方の「共食い」でかなり数も減ったでしょうけど、残りはどれくらいなのかしらね。 鷹野: あとは……、っ? ふと、背後に気配を感じた私は振り返り……視線を向けた先に人が立っているのを見て、ぎょっ、と目を見開く。 が……その顔を確かめて胸をなでおろす。それは私にとっての、協力者……少なくとも敵ではない人物だったからだ。 鷹野: ……今夜は本当に、私なんかでは及びもつかない人外たちと出会う機会が多いのね。 鷹野: あの川田という小娘といい、あなたといい……まるで嘲笑われている気分よ。 雅: …………。 無視か。愛想のない子だとはわかっていたけれど、こうも軽く扱われるとさすがに気分が悪い。 ……ただ正直言って、銃があったとしても彼女には勝てる気がしない。それほどに場数、役者の違いを感じていた。 鷹野: 首尾については、報告するまでもないわね。ご覧の通り、あなたが言っていた「彼女」を含め全員に逃げられて、完全にお手上げよ。 雅: ……知っている。 まるで結果がわかっていたとでも言いたげな、淡々とした態度だ。……プライドが傷つけられる。 鷹野: で……いい加減、教えてもらえないかしら。あなたはどうして、これだけの惨劇の発生に手を貸してくれたの? 雅: …………。 鷹野: あなたがやろうとしているのは、私のように誰かへの復讐? それとも、#p雛見沢#sひなみざわ#rの連中を地獄へ叩き落としたいという願望でもあるの? 一見、狂気と感情に支配された残虐行為にも自分以外の他者への干渉には、ほぼ間違いなく「メリット」というものが存在する。 卑近な例でいえば、富や権力。……ただ彼女の場合、なんとなくだけどそういったものには関心がないようだ。 あるいは感情的な報復か、狂信的な信念か……もっともそれらについては、彼女の背後関係を知らない私にはまったく想像もつかない。 鷹野: まぁ……いずれにしても、これで私の祖父が長年研究してきた『雛見沢症候群』の存在と危険性が、愚かなお偉方どもの知るところとなった。 鷹野: 今頃彼らは、大慌てでしょうね。祖父の警告をしっかりと聞いて援助を行っていれば、#p未曾有#sみぞう#rの人災が現実に起きることもなく……。 鷹野: それを回避できなかった愚かさを糾弾されて、せいぜい10年かそこらの間だけ満たされる自尊心と愉悦を失わずにすんだでしょうに……くすくす……。 そうだ……これで、私の復讐は完成した。かなり不本意な展開と不十分な内容ではあったが、「なかった」ことにされるよりははるかにマシだ。 だけど……「彼女」は?『雛見沢症候群』……かどうかはわからないが、今回の結末で何を得たというのだろう……? ……と、その時だった。 雅: ……この「世界」には、何も期待していない。もちろん、あなたにも。 ようやく口を開いた「彼女」は、そう告げると私を冷ややかに見つめ返す。そして、 雅: 手に入れたかったものは先手を打たれて奪われ、顕現に成功したのは「これ」くらい……。 鷹野: っ……それは、「カード」……? 「彼女」が差し出してきたどす黒い「カード」を見つめながら、私は困惑の思いをさらに深くする。 それはトランプかタロットカードのように、手のひらに収まるほどの薄い紙片のようで……膨大な力を秘めていることだけは感じられた。 Part 03: 鷹野: それって……いったい、何なの……? 雅: …………。 私の問いかけに対して何も答えることなく、「彼女」は無表情を崩さない……が、 おもむろに「カード」を持つ手が閃いたかと思うと、それは鋭い動きで私の胸元へと突き立てられる。 鷹野: がっ……?! しかも、「カード」はまるで刃物のように私の体内へと飲みこまれ……その個所は熱く、異様な感覚が膨らんでいった……! 鷹野: ぐっ……、ぁ……あああぁぁあっッ……?! 全身の血が、沸騰する。周囲に吹き荒れる烈風がかまいたちのごとく私の手足を切りつけていく。 なのに……さっき意識を取り戻した時のような痛みは感じない。あるのは、不思議な高揚感……。 そして、はちきれんばかりに増大してひたすら破壊と殺戮を求める衝動だった……! 鷹野: い……いったい私に、何をした……?! 雅: ……この「世界」はもう、未来にはつながらない。そして、過去からも切り捨てられてしまった。 雅: だけど……もしあなたが「世界」の理に認められ、力を形成する源にまで達することができたら……。 雅: あなたも私と同じように上位階層の存在の「駒」として、望んだものを手に入れられる立場になれるかもしれない……。 鷹野: は……はぁ……? 雅: ……あなたには力があって、資格もある。なにより「世界」を変える、強い意思も。 雅: だから――。 …………。 次の瞬間、……私の「世界」は一変した。 鷹野(覚醒): あっはははははは……あははははははッッ!! 立ちふさがる「元人間たち」が、まるで象に踏みつぶされる蟻のように蹂躙され、駆逐されていく。 あぁ……実に気持ちのいい光景だ。ひとの断末魔の悲鳴や#p咆哮#sほうこう#rは、どうしてこんなにも聞き心地がいいのだろう。 さぁ……求めよ。そして跪いて罪を認め、許しを請うがいい。 我は、オヤシロさま。人知の常識を超えて、救いと破壊をもたらす絶対の神だ。 鷹野(覚醒): あっはははははは……あははははははッッ!! 「世界」にとって私は、ゲーム盤の駒かもしれない。もはや使い道がなくなって、捨てるしか用途のないクズ同然の代物としての扱いをされるだけの……。 だけど……いや、だからこそだ。私は絶対に、生き延びてやる。そして真実と、自分の夢をこの手に掴み取る……! 川田: おや……?誰かと思ったら、あなたでしたか。 鷹野(覚醒): ……っ……?! 聞き覚えのある……いや、忘れるはずもない憎らしくて忌々しくて厭わしい「女」の声を背後に感じた私は、振り返りざまに攻撃を放つ。 しかし、その波動が届くよりも早く「彼女」はその場を飛び退り、いったいどんな力を使ったのか建物の屋根の上にまで跳躍していた。 川田: ……確かめもなく、攻撃ですか。思い切りのいい判断力は、大したものです。 鷹野(覚醒): っ……川田、碧……ッ!! 川田: あぁ……どうやら、『死神』に取り込まれてしまったようですね。 川田: ……まったく、あの外道は手段を選ばない上にどんな対象に対してもお構いなしですか。 川田: ん……? その意味だと私もひとのことは言えませんねー。結構いろんな人を巻き添えにしてきましたし。 川田: というわけなので……おそらく事情もわからないまま「そっち」側に連れてこられたこと……お悔やみ申し上げますよ。 鷹野(覚醒): わけのわからないことばかり言って、私を惑わせるなぁぁぁッッ!! そう叫んで私は、周囲に浮かび上がった無数の波動の塊を散弾のように勢いよく「彼女」へと目がけて射出する。 衝撃波までも伴って、波動の弾丸が雨あられと降り注がれる……が……! 川田: えっと……惑わせるつもりなんてないです。私は答えられる範囲のギリギリまで、あなた方に正しいことを伝えてるつもりです。 川田: なぜなら私は、自分以外のことで嘘が言えない立場なんです。その縛りを条件にして「力」をもらってるわけなので……だから……! 川田(私服目開): そろそろ……終わりにしましょう。中途半端に放置して、すみませんでした。 鷹野(覚醒): なっ……?! …………。 ……。 一二三: ……美代子。起きなさい、美代子……。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: っ……あ、あれっ……?おじいちゃん、なんでここに……?! 一二三: はっはっ、そりゃあここが私の書斎だからね。美代子こそ、こんなとこで眠ってしまったのかい?確か本の片付けを頼んでいたはずなんだが……。 #p高野美代子#sたかのみよこ#r: あ……ご、ごめんなさい!うっかり私、つい……。 一二三: いやいや、別に責めてはおらんよ。最近は色々と調べものを手伝ってもらっていたから、少し疲れがあったのかもしれんな。 一二三: だがな……美代子。お前が頑張ってくれたおかげで、さっき大学で素晴らしい話をいただいたんだ。 一二三: 前祝いにケーキを買ってきたから、それを食べながら聞いてもらってもいいかい……?