エピローグ

   

 第十一使徒ミサは、城内に用意された寝室、その天蓋付きの豪奢なベッドに下着姿のままだらしなく寝そべっていた。傍らには、今さっき脱ぎ捨てた改造法衣がクシャクシャに丸まって、ベッドから落っこちかけている。 

 貞淑さのカケラもない態度に加え、その身にまとう下着も共和国貴婦人界で流行の最先端を行く華美なものである。サリエルも愛用する十字教のシスターに支給される白色無地の下着など、彼女は一度も身につけたことはなかった。本人としては己のファッションセンスを貫いているに過ぎないが、周囲から見ればただのワガママにしか見えない。 

 しかしながら、そんな彼女も使徒に名を連ねる存在であり、その力に頼ろうとする者も少なくない。 

 「ふふふ……サリエルじゃなくて、この私を頼ってくるなんて、十字軍の中にも見る目のあるヤツがいるじゃない」 

 つい一刻ほど前に、この部屋を訪れた一人の男の顔を、ミサは思い浮かべる。 

 童話の絵本に登場するずる賢い狐のような細目に、媚びへつらった笑顔を浮かべる、胡散臭い男。それでも、ヒョロリとした細見にまとう法衣は、司教という高位を示していた。もっとも、何のアポもなく使徒たる己の元を訪れるなど、個人的に親しいか、それなりの地位にあるか、あるいは、暗殺者くらいのものである。 

 もっとも、人間を超越した使徒であるミサからすれば、もし自分の機嫌を損ねたならば、司教だろうが枢機卿だろうが、どんな手練れの暗殺者だろうが、感情に任せて躊躇なくぶち殺してみせるところだ。 

 つまるところ、その司教の男は、上手くミサに取り入ることができたといえよう。そんな彼は、こう名乗った。 

 「私、グレゴリウスと申します。よろしければ、私の予言で、ミサ卿の運勢でも占ってさしあげたいところですが……神に愛された使徒ならば、その運命は占うまでもなく輝かしい未来が開けているでしょうからねぇ」 

 自ら預言者と公言する、やはり胡散臭い男であった。グレゴリウスの予言とやらは信用できないが、占いは嫌いじゃない。特に、良い結果を示してくれる占いは、大好きだ。 

 「もし、この卑小な我が身の願いを、寛大なる神の御慈悲でもって叶えてくださるというのなら――ミサ卿は使徒として、大いなる躍進を遂げられることでしょう!」 

 自らのライバルである第七使徒サリエルは、かつて、アルス枢機卿に大きな恩を売ったお蔭で、今のように何かと頼られ、取り立てられていると、ミサは知っている。 

 ならば自分も、早い段階で教会のお偉いさんに、このグレゴリウス司教と、その上にいるメルセデス枢機卿に、恩を売っておくのも悪くない。サリエルとミサ、二人のどちらを頼るかという選択を教会が迫られた時、この自分が選ばれるようにならなければいけないのだ。 

 「まぁ、折角パンドラ大陸まで来たんだから、サリエルの顔だけ見て、はいサヨナラじゃ、あまりにツマンナイしぃ――」 

 ミサは悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべて、グレゴリウスに答えた。 

 「いいわ、アンタのお願い、聞いてあげる」 

 そうして、グレゴリウス滂沱ぼうだの涙を流しながら、ミサと白き神を讃える言葉を叫びながら、ついさっき、退室していったところだ。 

 あの男を喜ばせるつもりは微塵もないが、サリエルに勝つ、その一点において、頼みは引き受けるに値した。ついでに、自分の独断専行となるこの行動も、グレゴリウスが、引いてはメルセデス枢機卿が責任を持ってフォローするとのことで、決め手の後押しにもなった。もし二人が約束を破ったなら、その時は使徒を欺いた罪で死あるのみ。無論、自らの手で、刑は執行される。さしもの第二使徒アベルも、これを止める権利は持ち得ない。 

 約束が絶対である以上、ミサは何の憂いもなく、グレゴリウスの頼みを叶えてやることに集中できる。寝転がったベッドの上で、ミサは聖地巡礼の旅立ちを明日に控えた敬虔な信者のように、楽しみを抑えきれないという表情で笑った。 

 「ふふ、あはは、やってやるわよ……魔族だろうが異教徒だろうが、神に逆らう者は全て、この第十一使徒ミサ様が、天罰下してやるんだからっ!」 

   

 ◇◇◇ 

   

 撤退の角笛が鳴り響くなり、俺達は素早く門の内へと退き帰す。その時には、かなりの数の敵兵が門と柵にたかっており、有刺鉄線が敵の足を搦め捕ってどうにか突破だけは防いでいるというかなり際どい状況だった。こんな工夫でも、やっておいて良かった。 

 群がる歩兵を、戻った突撃部隊が吹き飛ばし、かつ、門の内からフィオナとモっさんによる防御魔法のサポートで、速やかに撤収は完了した。この辺の動きも、訓練の成果の一つだ。 

 そうして十字砲火を再開した矢先、十字軍兵士は河原から撤退を始めた。潮が引くように、歩兵達が対岸へと逃げ去っていくのを見送りながら、俺は冒険者達から湧き上がる勝利の歓声を聞いていた。 

 「勝った、のか……」 

 「ったりめぇだろ! 見ろ、あの無様な逃げっぷりを! 俺らの勝ちだぜ!」 

 がっはっは、と高笑いを上げながら、ヴァルカンが俺の背中をバンバン叩く。 

 「どうやら、クロノ君が敵の指揮官を負傷させたお蔭らしいね」 

 いつの間にやら、隣に立っていたスーさんが言う。堂々と最前線に登場したノールズ司祭長が返り討ちにあったというのは、隠しようもなく前線の兵士に伝わったようである。派手に戦ったからな、あっという間に広まるだろう。 

 「すまん、あと一歩のところで、逃してしまった」 

 「いや、こっちこそ、サポートに行けなくて悪かったね」 

 「まぁな、俺らもかなり手いっぱいだったからよ、気にすんな」 

 そう言ってもらえればありがたいが、悔いが残ることに変わりない。それでも、これ以上は言うまい。 

 ヴァルカンには、勝利の気分でそのまま突撃でもしそうなほど浮かれる冒険者達に、追い討ちはかけないことをはっきり伝えるように頼んでおいた。調子に乗って川を渡れば、今度は俺達が敵の魔術士部隊から十字砲火を浴びせられる番になるだろう。 

 スーさんにも何か頼みごとをしようと思ったのだが、「シモンの無事を確かめてくるから」と、さっさとギルドへ戻って行ってしまった。何だか俺の知らない内に、二人は仲良くなってるようである。というか、俺だって今すぐシモンと機関銃の大戦果を共に喜びたい。 

 しかしながら、戦いを終えた今、俺は先に確認しておきたいことが幾つもある。 

 「こっちの被害はどうなってる?」 

 「柵の前で十二名、突撃部隊からは……四名、亡くなりました」 

 暗い声だが、はっきりと報告してくれたのは、鎧兜を返り血で真っ赤に染めたローラだ。 

 「そうか……」 

 多いとも少ないとも、言葉にはできなかった。絶対数でいえば、十倍以上はあるだろう十字軍を、合わせて十六名の死者だけで追い返してみせたのだから、驚くほど少ない損害だといえるだろう。だが、それはあくまで数字だけでみた話。紛れもない事実として、俺の指揮の下で、十六人もの人が、命を落とした。仲間が、死んだのだ。 

 「あの……クロノさんの作戦は、大成功だったと思います。それでも、死者が出てしまったのは、仕方のないことです」 

 そんなフォローを言わせてしまうほど、ショックが顔に出てしまっていただろうか。こんなに気遣わせてしまうとは、指揮官失格である。 

 「ああ、そうだな。けど、作戦といっても、大したものじゃないさ。みんなが決死の覚悟で戦ってくれたから、勝てたんだ。ローラの活躍も見てたぞ、暗黒騎士フリーシアの加護、凄かったじゃないか」 

 お世辞ではなく、俺は確かに赤と黒の禍々しい電撃をまとって、歩兵を薙ぎ払っていくローラの雄姿を目撃している。俺と手合わせした時は、本当に手加減されていたのだと実感した。 

 「い、いえっ! そんな、私なんか……まだまだ、未熟で……」 

 俺のあまり上手くもない褒め言葉に、頬を染めながら恐縮する目の前の美少女エルフが、ついさっきまで十字軍兵士を槍と雷で突きまくっていたとは信じがたい。初々しい可愛らしさとは、このことか、なんて少しばかり不埒な感想を抱いたのがいけなかったのだろうか。 

 「おおぉークロノさんが小姉ちゃんを口説いてる!」 

 色恋沙汰が大好きな末っ子、ハンナの目に留まってしまったようだ。 

 「もう、ハンナ! そういうコト言うのは止めてって何度も――」 

 最初の暗い雰囲気はどこへやら。ローラはキャッキャとはしゃぐ妹を騒々しく追いかけていった。まぁ、ハンナも危険な最前線から無事にローラが戻って来て喜んでいるのだろう。微笑ましい姉妹の触れ合いである。捕まったハンナが黒い雷でビリビリやられているように見えるのは、目の錯覚だろう。 

 「ん、フィオナはどうだ、怪我してないか?」 

 すぐ近くでぼんやりと佇む黒衣の魔女がいることに気づき、声をかける。戦いでの持ち場はバラバラだったが、彼女はパーティメンバーだしな。 

 「クロノさん、今度は私が口説かれる番なのですか?」 

 「ハンナの言うことを真に受けるのは止めてくれ」 

 「大丈夫です、リリィさんには内緒にしておいてあげますから」 

 もしかして俺、本気で可愛い子と見れば誰でも口説く女たらしだと思われてる? 俺を真っ直ぐ見つめる眠そうな金色の目は、マジなのか冗談なのか。 

 「ともかく、上手くいって良かった。最初の水攻めもな」 

 「すみません、あの一発でいただいた水属性短杖ワンドをダメにしてしまったので、次はできそうにありません」 

 「いいさ、最初から使い潰すつもりだったしな。それに、流石に今度は向こうも上流を警戒するから、同じ手は通用しないだろう」 

 「今度は、ですか……そうですね、戦いは、明日も続きますから、そう喜んでばかりもいられませんね」 

 全くもって、その通りである。十字軍が早々に引き揚げていったのは、幸運にも前線にのこのこ出張って来た指揮官を、これまた幸運にも一撃与えることに成功した、という偶然の積み重ねに過ぎない。 

 「あの様子じゃあ、十字軍の兵士はまだまだ底を尽きそうにないからな」 

 「ええ、次に仕掛けてくるなら、油断もないでしょう」 

 敵は出合い頭にジャブを喰らって、頭を振っているだけの状態。体勢を立て直されれば、今日よりも苛烈な飽和攻撃を仕掛けてくるだろう。果たして、それを俺達だけで防ぎきれるのか。もう一日二日ではなく、あと、一週間もの時間を。 

 「ここから先は、持久戦だな」 

 重苦しい俺のつぶやきをかき消すように、頭上から明るい声が聞こえてきた。 

 「クロノーっ!」 

 見上げれば、そこにいるのは虹色の羽をパタパタさせながら、こっちに向かってゆっくり落ちてくるリリィが見えた。すでに変身は解けているようで、無邪気な笑顔が似合う子供の姿だ。 

 「おかえり、リリィ。無事なようで、何よりだ」 

 真っ直ぐ俺に向かって飛び込んできたリリィを胸に抱きとめる。相変わらずフワフワ軽い小さな体には、かすり傷どころか、汚れの一つもついていない。 

 「ただいま、クロノ。私、一人でちゃん天馬騎士ペガサスナイトを追い払ったんだから、いっぱい褒めてよね!」 

 そのはっきりした口調から、体は子供でも意識は大人に戻しているとすぐに察せられるが、俺の胸にスリスリと頬を寄せて甘えてくる。少女リリィでも、やっぱりリリィは可愛いのだ。 

 「厳しい役割をよく果たしてくれたよ、ありがとな、リリィ」 

 よしよしとサラサラの金髪を撫でて、思い切り猫可愛がり。彼女の魅力に、ついつい頬がデレデレと緩んでしまうのを感じる。 

 「本当に、一人で天馬騎士部隊を抑えきるとは信じられないですよ。恐ろしい実力ですね、リリィさん」 

 平坦な口調だが、フィオナが割とマジで畏怖を感じているのだと分かる。天馬騎士という奴の実力を知っているのは、やはり元十字軍にいたフィオナだろう。 

 「ふふ、私の手にかかれば余裕――と、言いたいところだけれど、結構ギリギリだったわよ」 

 リリィ最大の弱点は、元の姿に戻るのに、約三十分という制限時間があることだ。今日はノールズの負傷により早い段階で撤退したからこそ、持ち時間だけでどうにかなったのだ。 

 生命吸収ライフドレイン』を使えば、多少は時間を延ばせるけど、それでもあまり長くはもたないからね」 

 もし、次の戦いで天馬騎士が粘り強く戦い続けたなら、リリィは途中で戻らざるをえない。そうなれば、後はギルドに配置した後衛組みに、どうにか天馬騎士を撃墜してもらうより他はない。今日の時点ですでにギリギリだったのに、少数とはいえ、空からの攻撃が加われば、本格的にこの防衛線は危ない。 

 「大丈夫だよ、クロノ。私がついてるから」 

 「一応、私もいますので」 

 安直な慰めの言葉だが、今はそれが何よりもありがたく思える。 

 俺には、頼れる仲間がいる。冒険者達は思っていたよりもずっと強い。事実として、十倍以上はある敵を相手に、一歩も引かずに戦い、見事に退けてみせたのだから。 

 感謝の言葉もない――だがしかし、そんな彼らの血がこれから先どれだけ流れることになるかを思えば、どうしても胸のうちに暗い不安が募る。 

 次に死ぬのは俺か、もっと親しい人なのかもしれない。 

 イルズ村のみんなを失ったことが、すでに遠い過去に感じられる。けど、あの時の怒りと悲しみと言い様のない喪失感は、ずっと心の奥底くすぶったままだ。もう二度とあんな思いはしたくない、思って、たまるか。 

 「ありがとう、リリィ、フィオナ。俺も必ず、みんなを守ってみせる」 

 絶対の守護の意志を、再び固く胸に誓う。同時に、魂の奥深くで渦巻く憎悪と復讐心にも、さらなる熱が籠る。 

 そう、俺は守るためなら何でもやる。眼前に広がる輝かしい勝利の光景はすなわち屍山血河しざんけつがの戦場跡おびただしい数の人間が、無残に朽ち果てる地獄絵図だ。アルザス村の河原は今さいの河原よりも悲惨な有様に違いない。 

 まともな神経を持つ者なら、吐き気を催すほど残酷極まる有様。この惨状を引き起こした者は、正しく悪魔の名が相応しい。 

 名実共に悪魔となった今、俺の心にあるのは達成感。この光景を前に、後悔も罪悪感も、良心の呵責も、微塵も感じない。俺はやった、自分にできることを、精一杯。その結果が目の前にある、血みどろの勝利の絶景だ。嬉しくない、はずがない。 

 「守れるなら、何人だって殺してやる。何度だって、死体の山を、築いてみせるさ」 

 だから俺は、笑った。この地獄を見て、笑った。 

 「ふふふ、クロノ、魔王様みたい、カッコいい!」 

 花も恥じらう可憐な笑顔のリリィに、俺も微笑み返す。 

 「そうだろう、なんたって俺の名前は――」 

 冗談にしても大袈裟な名前に、この世界の者なら苦笑いだろう。しかし、俺にとってその名は、今まさに求めるべき在り様だ。 

 それは、白き神が照らす聖なる光を、絶望の深淵に沈める―― 

 「黒の魔王、だからな」