第五章 アルザス防衛戦

   

 初火の月二日、薄らと白い霧が立ち込める川の向こうから、十字を掲げた白き軍勢がやって来る。 

 「あれか、魔族が立て籠もるアルザスとかいう田舎村は」 

 列の先頭を行くのはダイダロスの西部占領を担う十字軍の将にして敬虔けいけんな十字教徒ノールズ司祭長。 

 「魔法で強化されていると思われる黒建物ギルド、報告通りですね」 

 隣に控える副官、シスター・シルビアの言葉に頷き、応える。 

 「なるほど、偵察兵黒の館ブラックボックスなどと渾名をつけたのも納得がいくな。なん禍々まがまがしい闇の色をしているではないか」 

 街道の左右に広がる林はまばらになり、目の前には河川敷が広がる。サラサラと穏やかに流れる川には、アルザス村へと通じる一本の橋がかかっている。 

 その先には何者も立ち入りを拒むかのように、木造の柵と共に鉄線の茂みが設置されていた。そして村の正門のすぐ脇に、黒一色のギルドが不気味そびえ立つ。 

 「だが、所詮は見かけ倒しよ」 

 目の前で待ち構えているであろう魔族に、ノールズは一切の恐怖も脅威も抱かない。敵の数はどんなに多く見積もっても三百。対してこちらの数は、その十倍を遥かに超える数千もの兵数を有している。 

 この圧倒的な戦力差を生かして行う戦術は、正々堂々と正面突破のみ。 

 川が前面にあるものの、兵を迂回させて包囲を完成させるには、この辺の地形を考えると難しく、可能であったとしてもかなりの時間を要する。時間をかけすぎれば魔族を逃してしまい、殲滅という目的が達成できない。故に、今回は渡河作戦の常套手段と呼べる迂回戦術はとれない。また、追撃用の騎兵も消耗させるわけにはいかないため、基本的に攻撃には参加させない。 

 このような縛りはあるものの、攻略には何ら問題はない。何故ならば、鋼鉄全身鎧フルプレートアーマーに身を包み、耐物理、耐魔法に優れ重騎士アーマーナイトと、空を舞う驚異の機動力を誇天馬騎士ペガサスナイト、この二つがあるだけで急造の防備を整えた魔族など、打ち破るの容易たやすい。 

 ノールズは必勝を確信しながら、自身が待ちに待ったその命を下す。 

 「攻撃開始っ!」 

 しかし、幸運にも彼はまだ知らない。 

 クロノの十字軍に対する憎悪と、現代の知識、そして自身の魔力の全てを注ぎ込んだ要塞化ギルドの立つアルザス村防衛線。これがどれほど血の犠牲を強いる脅威殺戮地帯キルゾーンであるかを。 

 かくして、百人の冒険者と三千人の十字軍による、血で血を洗う泥沼の攻防戦が始まった。 

   

 ◇◇◇ 

   

 「はっ! やっぱりな、あの野郎ビビって逃げやがったぜ! いいじゃねぇか、あんな腰抜け共なんざ、どうせ邪魔にしかならねぇんだ。戦いの前に消えてくれて、清々するぜっ!」 

 自警団の敵前逃亡、という衝撃的な事実。それを大声で笑い飛ばしたのは、ヴァルカンだった。 

 「いやぁー実はワシ、あの太めの団長が直前に逃げ出す方に賭けとったんや! なはは、これで決闘ん時の負けは取りかえしたでぇ、スーさん」 

 「仕方ないね、受け取りなよ、銀貨三枚」 

 続いて、呑気に笑うモっさんと、含み笑いのスーさんのやり取り。宙を舞う三枚の銀貨が、やけに輝いて見えた。 

 「元々この戦いは、俺ら冒険者のもんだろうが! あんなヤツらは関係ねぇ、緊急クエストは俺らだけで達成して、スパーダでがっぽり報酬を頂くんだよ! 気合い入れて行けよ、テメぇら!」 

 そうして、再び冒険者ギルドに力強い鯨波が轟いた―― 

 「……仲間に、助けられたな」 

 昨日の出来事を思い返し、しみじみとつぶやく。 

 戦いの直前で味方が逃亡。それが残った味方にどんな影響を与えるかというのは、考えるまでもない。士気は下がり、最悪、我も我もと逃亡者が続出し、部隊そのものが崩壊する。 

 しかし、それを瞬時にヴァルカンが覆してくれた。この辺が経験の差、というヤツなのだろうか。上手く冒険者を乗せて、士気の低下を防いでくれた。その意図をすぐに察してアドリブ演技でフォローしてくれたモっさんとスーさんも流石である。 

 俺だけだったら、上手く解決できなかっただろう。本当に、仲間の助けに感謝だ。 

 「――だからまぁ、そんなに気に病むな、ローラ」 

 「はい、クロノさん……ごめんなさい」 

 俺の傍らには、未だに暗い顔で俯く騎士少女が立っている。自警団の逃亡に、かなり責任を感じているのだ。結局ここに残ったのは、ローラ含めアルザス村出身の自警団員が十数名のみ。 

 あの後、詳しく事情を聞けば、団長が逃げ出したのは夏越しの祭りの夜であるらしい。ローラが自警団の駐留する村長宅へ戻ったところ、すでにもぬけの殻。まさかと思い、慌てて追いかけるが、姿を捉えることはできず、仕方なく村に帰り、ギルドへ駆け込んだという。 

 副団長であるローラが置き去りにされたのは、撤退という名の逃亡に確実に反対されると踏んだからだろう。あの団長には一応、前もってスーさんから偵察情報を提供し、十字軍の強大さは伝えていた。 

 まぁ、結果的には俺達の報告をまるで信用せず、十字軍が近づいた今になって、自分の部下を偵察にでも出して裏付けをとったのだろう。いや、もしかしたら、自分自身で見に行っていたのかもしれない。 

 どちらにせよ、勝手に防衛に参加すると言い出して、勝手に逃げ去って行ったという行動は、実に許しがたい。内部崩壊の危機だったのだ。今度会ったら、というか、出会いがしらに一発ぶん殴ってやる。 

 「自分のミスだと責任を感じるなら、戦働きで返してくれればいい。だから今は、戦うことだけに集中しろ。見ろ、敵はもう、目の前だ――」 

 朝靄の晴れつつある川の向こう側に、無数うごめく白い影。陽光きらめく晴天の下、誇らしげに翻るのは忌々いまいましい十字のエンブレムが描かれた軍旗だ。 

 そう、今日は初火の月二日。予想通り、十字軍はついにアルザス村へと襲来した。 

 「攻撃開始っ!」 

 野太い男の大声で下された攻撃命令。凄まじい声量だ、対岸のこっちまで聞こえてくる。 

 魔族に対する憎悪を感じさせる猛々しい攻撃開始の命を受け、十字軍の先鋒として前面に立ち並重騎士アーマーナイト部隊が動き出す。重厚全身鎧フルプレートアーマーに身を包み、巨大大盾タワーシールド槍斧ハルバードを手に横一列となって進む集団は、鋼鉄の壁が迫り来るような威圧感を放つ。 

 「まだ撃つな、アレにはどうせ矢も攻撃魔法もロクに通らない」 

 俺達はすでに、ここ一週間で組み上げたやや頼りない木造の柵の前に整列している。集まっているのは、前衛組みが中心。彼らの手には弓が握られ、まずは遠距離攻撃の用意を整えている。本職の射手や魔術士などの後衛組みは、砦代わりのギルドに配置してある。 

 俺達は固唾をのんで、重苦しい鉄の響きを奏でて迫り来る敵を待つ。重騎士の歩みは鈍重そのものだが、一歩ずつ、着実に前進してくる。その遅さはかえって、相手の恐怖心を煽る。 

 「こう見ると、確かに凄ぇ迫力だ。スパイラルアート聖銀ミスリル鉱山でゴーレムに囲まれたのを思い出すぜ」 

 隣に立つヴァルカンが、感心したようなニュアンスで言う。 

 「あの重装甲の騎士で、真っ先に正面を蹴散らしてから、歩兵を突撃させるつもりだろう」 

 「攻城兵器の代わりだな。確かにアレなら、こんなショボい柵なんざ一撃だぜ」 

 もしこのまま重騎士の接近を許せば、正門はあっさりと突破され、後続の部隊の道が切り開かれる。門が突破されれば、圧倒的な数で勝る敵を止めることなどとてもできない。アルザス村は、今日の日暮れどころか正午前には陥落するだろう。 

 「あんなデカくて遅いヤツ、ただの的になるはずなんだがな……」 

 地球では、銃の登場によって甲冑の歴史は幕を閉じた。鋼鉄のプレートで全身を覆っても、銃弾を止められないからだ。兵の主力が銃になれば、鎧はただの重りにすぎない。 

 だがしかし、この世界では魔法の強化によって銃弾さえ完璧に防ぐことを可能とする。目の前に迫り来る白銀の甲冑は、その見た目以上に強固な防御力を発揮する。鎧そのものに様々強化ブースト魔法付与エンチャントされているからだ。 

 さらに、ああいう重装甲の部隊は隊列を組んだ上で、複数人が協力して発動させ複合魔法ユニオンによって、非常に強力な防御魔法の行使も可能だとフィオナから聞いている。重騎士部隊はその機動力の低さを補うべく、遠距離からの攻撃を防ぐことにとことん特化されている。 

 では、そんな強力無比な防御力を誇る重騎士の軍団をどうやって止めるのか。すでにして絶体絶命なのではないか。鋼鉄の騎士達は、いよいよ川にかかる橋へ足を踏み入れる。ついに弓の射程圏内に入った。だが、俺は攻撃命令を下さない。 

 「おいクロノ、顔が笑ってんぞ」 

 「そりゃ笑うさ、こんな素人兵法が本当に上手くいくんだからな――」 

 すでに重騎士の軍団は橋の中ほどに差しかかり、鋼鉄の踵で踏み鳴らす行進音が俺達の耳にうるさいくらい届くほどの接近を許している。 

 そう、敵は橋のど真ん中にいるのだ。 

 「――今だフィオナ、橋を落とせ」 

   

   

 その音を聞いた瞬間、ノールズは無数の後悔の念がよぎった。 

 何故、目の前の橋をろくに調べもせず進ませたのか。何故、敵がわざわざ川のあるこの場所に防衛線を敷いたのか。何故、この期に及んで罠などないと侮ったのだろうか。 

 どれも今となっては遅い、後で悔いるからこそ後悔なのだ。 

 「な、何だ、この音は……」 

 ドドドド、とまるで大雨で増水した河川のような轟音が上流から響く。しかし、本日は晴天。雨など一粒たりとも降っていない。 

 故に、ありえない。いや、あってはならない。こん燦々さんさんと陽の光が降り注ぐ青空の下で、嵐がもたらす洪水が発生するなど。 

 「あっ――」 

 ノールズの口から漏れた間抜けな声を、荒れ狂う濁流の爆音がかき消した。地響きのような不吉な音を立てて上流から現れたのは、予想に違わず、希望に叶わず、やはり、鉄砲水であった。巨大な水のうねりが飛沫を上げ、文字通り怒涛の勢いで流れ来る。 

 正に津波と呼ぶべき五メートル超の水壁が向かう先にあるのは、一本の橋。馬車が一台通れば道幅がいっぱいになる程度の大きさの、頼りない木造の橋である。その上に立ち並ぶのは、整然と隊列を組む鋼鉄の騎士達。彼らの煌めく白銀の威容も、このそびえ立つ流水の大城壁を前にすればくすんで見える。 

 そうして、絶対的な防御の象徴たる鋼の輝きが、消えた。 

 押し寄せる怒涛の奔流を前に、重騎士達は成す術もなく飲み込まれてゆく。足場となる橋は、圧倒的な水量の突撃に一秒も持ちこたえることなく、あっけなく崩壊。全壊。川の藻屑と化す。 

 放り出された重騎士の体は轟々と渦巻く高波にさらわれ、前後不覚に陥りながら、一方的に、暴力的に、下へ下へと流される。彼らは最早、濁流に弄ばれる小石と何ら変わりはない。 

 矢も炎も雷も防ぐ頑強な鎧も、今はその鋼鉄の重量によって人間を水底に沈める脱出不能な棺桶と化している。身軽な装備であれば、まだ万に一つの生存率も期待できたが、彼らを守るはずの重装備が、皮肉にも死亡率を不動の百パーセントに至らしめた。 

 「バ、バカな……」 

 カラカラに乾いた喉から、そんなつぶやきしか漏れない。攻撃開始の命より五分と経たずに、精鋭たる重騎士部隊が消え去った。一人残らず、跡形もなく。 

 鉄砲水は過ぎ去ってみれば一瞬のこと。十字軍の眼前には、すっかり静けさを取り戻し、サラサラと流れる美しい川の景色がある。 

 数千もの侵略軍が雁首揃えて、呆然と川を眺めているのは、確かにバカげた光景であった。 

   

   

 「――こんな感じで、良かったんでしょうか?」 

 俺の手にあるのは、淡い白光を点滅させる水晶の欠片。そこから、フィオナの平坦な声音が響いてくる。音質は中々にクリア。リリィのテレパシー能力を介して、離れた相手と会話ができる、いわば魔法の携帯電話だ。 

 「ああ、大成功だフィオナ」 

 見事に重騎士部隊を洗い流してくれたのは、他でもない彼女である。 

 作戦の概要は単純そのもの。フィオナを上流に配置し、十字軍の先鋒が橋を渡るタイミングに合わせて、水属性の中級範囲攻撃魔法激流砲アクア・オーヴァブラスト』を川に叩き込むだけ。 

 しかし、あれだけの水量を呼び出せるなら、橋を崩落させるために柱を間引く細工も必要なかったな。フィオナの魔法の威力には、驚かされるばかりだ。彼女の前で戦う時は、本当に気を付けよう。 

 「敵も上流に魔術士がいるとすぐに気づくだろう。急いでこっちへ戻れ」 

 「了解です。ところでクロノさん、普段は使わない属性の魔法を撃つと、余計にお腹が空きますよね」 

 「朝ご飯はさっき食べただろ」 

 「甘いものは別腹――」 

 と、おやつ食べる気満々の台詞の途中で、水晶片が使用限界を迎えて砕け散った。突然ぶっつりと通話が途切れたが、これは不良品ではなく、仕様である。 

 きちんと設計も術式も構築されていない急造品であるため、このように通信時間は短く、使い捨てなのだ。もっとも、今はこの程度の機能で十分役に立っている。 

 「そんで、お次はどうすんだ?」 

 砕けた水晶をその場でポイ捨てする横で、大きな弓を手にしたヴァルカンが問いかけてくる。そんな剛弓を装備してる時点で、答えは分かっているのだろう。 

 「ここから先は、正攻法だ」 

 投げ捨てた水晶に代わり、俺が右手に握るのは、黒魔法専小杖タクト『ブラックバリスタ・レプリカ』。三十センチほどの真っ黒い指揮棒へ、ゆっくり魔力を廻らせてゆく。 

 「上手く機先を制したが、まだすげぇ数が残ってるぜ」 

 重騎士が流されていった川を目の前に、十字軍の歩みは完全に止まっている。しかし、対岸を埋め尽くさんばかりに広がる大軍団は無傷である。すぐにでも――いや、今まさに、二度目の攻撃命令が下されたようだ。 

 「突撃だーっ! この程度の川、橋などなくともそのまま突っ切れる、行けーっ!」 

 溢れ出る怒気が伝わるけたたましい突撃指令。どうやら敵の指揮官は直情型のようだ。 

 有無を言わさぬ迫力の命令を受け、十字軍兵士はケツに火が点いたような勢いで、川へザブザブ駆けこんで行く。数百、否、確実に数千もの数に上る人間が大挙してくる様は、とんでもない迫力と圧力だ。腹の奥底を揺さぶるような地響きが、聞こえる気がする。 

 「それでも、やるだけやるさ――撃ち方用意っ!」 

 俺がタクトを掲げると同時に、弓を、杖を、手にする冒険者達は、一斉に攻撃態勢へ移行する。左右には、ギリギリと弦を引き絞る戦士達が整列。狙うはやや斜め上、敵の頭上に雨を降らせる角度。 

 そして、ここからではあまり視認できないが、漆黒の要塞ギルドでも、同じく弓を引いている。向こうに籠るのは本職の射手達。彼らは正確に狙いをつけ、川を渡る無防備な歩兵を射貫いてくれるに違いない。 

 さらに、ギルドから漂う魔力の気配から、魔術士たちがそれぞれの杖の先に炎の揺らめきや雷の輝きを灯している姿が、ありありと想像できる。矢の雨に混じって、火炎と稲妻も降り注ぐ必殺の嵐が吹き荒れるだろう。 

 その苛烈な一斉攻撃は、あと、もう少しで現実のものとなる。彼らは待つ、俺が命じるのを。俺は待つ、あともう一歩、敵が必殺の間合いへ踏み込んでくるのを。 

 川へ雪崩れ込む十字軍歩兵。その先頭集団が、いよいよ川幅の真ん中に差し掛かる。今だ。 

 「――放てっ!」 

 弾ける弦。無数の風切り音を立て、晴天より降り注ぐ矢の雨が形成される。同時に、ギルドから発せられる魔法名の合唱。瞬間、攻撃魔法は完成した。赤々と炎の尾を引く火球が飛ぶ。中空に紫電の軌跡を閃かせる雷撃が迸る。 

 火と雷が入り乱れる中で、一際眩しく輝く白い閃光。リリィが撃ったと思しき攻撃魔法、ゴブリンの洞窟を崩落させた、あの光の柱もまた、川面に蠢く敵へ降り注ぐのだった。 

 「ぎぃぁああああああああああ――」 

 矢に胴を貫かれる悲鳴。炎に焼かれ、雷に打たれ、あるいは、断末魔の声すら上げられず、光の大爆発に消える。遠慮も容赦もない、俺達の第一射は川の中を阿鼻叫喚の地獄絵図へと変貌させた。 

 急所を矢で射貫かれた者は幸運だ。楽に死ねる。肩、背中、足、致命傷にならない部位に矢を受ければ、どうなるか。このそこそこに深さと流れのある、川のど真ん中で。 

 溺死は、数ある死に方の中でも、苦しい部類に入るだろう。まして、自身は無傷でもわらすがる思いの負傷者によって、水底へ道連れにされたなら尚更だ。 

 一撃で楽に逝ける者。苦しみもがきながら、一人で沈む者。道連れにする者、される者。夢中で助けに縋る仲間を、突き放す者。眼の前で繰り広げられる、醜い死と生。膝を屈すれば、即座に水のもたらす窒息に囚われるこの場所は、確かに地獄そのものである。 

 「撃ち続けろ、敵を近づけさせるなっ!」 

 酷いとは思わない。哀れとは思わない。俺が口にするのはただ、味方への攻撃命令。敵への殺戮宣告。死ね、死ね、もっと死ね。一心に死を願うのは、純粋な祈りにも似ている。 

 だが十字軍に恨みがなくとも、ここにいる冒険者の誰もが、更なる死を願うに違いない。 

 「流石に、これだけじゃあの人数は止められないか……」 

 凄惨な光景の繰り広げられる川だが、それでも矢と火と雷を潜り抜け、つい対岸こっちへ渡り切ろうかという者が、現れ始めた。水面は絶え間なく俺達の遠距離攻撃に叩かれ、叩いた分だけ死んではいる。しかし、とても全ては殺しきれない。一人死ぬ間に、二人が泳ぎ切る。 

 明確な数の差が、早くも表面化してきた。敵の膨大な兵数を改めて実感する。 

 「おいおい、本当にこれを止められるのか――よぉっ!」 

 俺の隣で矢を三本束ねて一気に撃ちだすヴァルカンが問いかける。その声は期待半分疑問半分、といったところだ。 

 「大丈夫だ、必ず止められる」 

 狼獣人ワーウルフの剛腕によって放たれた矢が、上陸した兵士の胸に当たるなりそのままぶっ飛んでいく様子を見ながら、俺が答える。 

 「俺のせか――故郷では、コレのせいで戦いのあり方が変わった。歩兵の正面突撃を完全に防ぐことができる」 

 はずだ、とは言わなかった。この期に及んでそんな曖昧な台詞言えるワケがない。いや、俺には確かな自信があるのだ。 

 「それを今から、証明してやる」 

 敵はいよいよ集団で対岸に到着し始め、河原を駆けだしていた。後続集団も、矢と魔法の集中豪雨に怯まず、続々と押し寄せ続ける。流石にここまで引き寄せれば、もう十分だろう。 

 魔弾バレットアーツ――」 

 漆黒のタクト『ブラックバリスタ・レプリカ』を手に、その先端を真っ直ぐ十字軍へと向ける。圧縮された黒色魔力が爆ぜる時を待ちわびる。すでに身の内には『装填』済みの弾丸が幾千幾万。そう、俺は待っていた。敵がこの、黒き弾丸の飛び交う必殺の間合いへ踏み込んでくるのを。 

 全ての弾に、敵を撃つ必殺の意思と憎悪を乗せて、死に逝く彼らに手向けるのはただ恨みを籠めた皮肉の言葉。 

 「ようこそアルザスへ、歓迎するぜ―掃射ガトリングバースト 

   

 ◇◇◇ 

   

 「怯まず進めぇーっ! 敵はもう目の前だぞ!」 

 束になった矢が降り注ぎ、火炎の舌が舐め、電撃が走り抜ける川面を突き進む配下に向かい、指揮官のノールズ司祭長はひたすらに前進・突撃を叫び続ける。 

 「思ったよりも、苛烈な攻撃ですね」 

 「ふん、どこの戦場もこんなものだ」 

 平坦な声で感想を漏らす副官のシスター・シルビアに、鼻で笑って返す。所詮は戦を知らぬ小娘よと。自分はこれよりもっと過酷な戦火を潜り抜けてきたという自負もある。 

 「このまま進めば、すぐにあの貧弱な柵など破れる」 

 魔族の反撃は、確かにそこそこまとまった集中攻撃によって、多くの十字軍兵士を水底へ沈めているが、この程度の損害は許容範囲内である。突撃を中断するほどではない。 

 正面突撃は、何よりも勢いが重要だ。多少の被害には目をつぶり、前線の兵士は前へ進む以外の考えをもたせない。下手に恐れさせるようなことを言えば、かえって被害は拡大する。 

 己の突撃命令は、この戦況において適切な判断であると確信している。事実、兵は倒れながらも、確かに対岸へと渡り切っているのだから。村の正門はもう目と鼻の先。 

 五十メートルもない砂利と岩の河原を抜け、なだらかな土手を駆け上がれば、ついに柵へと到達する。丸太を組み合わせた木柵など、この人数で押し寄せればあっという間に倒壊させられる。あるいは、木の板を鉄で補強しただけの正門扉をぶち破る方が早いかもしれない。 

 「さぁ進めぇ! 白き神の名の下に、悪しき魔族共を根絶やしにするのだぁーっ!」 

 指揮官の雄々しい鼓舞の叫びに、突撃の勢いに乗る兵たちが呼応する。 

 「敵を殺せ」「魔族を殺せ」「神の敵を殺し尽くせ」「十字軍に、栄光あれ」 

 高らかに槍を掲げ、足を踏み鳴らし、聖戦を遂行する戦士の誇りを胸に雄たけびを上げる。彼らがついに敵陣へと切り込もうとする今この時、突撃の勢いと士気は最高潮に達する。 

 刹那、黒い輝きが瞬く。 

 「おぉおおおお! 死ねぇ、魔族がっ――」 

 先頭を駆ける兵士の一人が倒れた。彼の体が地面へ転がるまでの間に、さらに二人が倒れた。三人、四人、五人。柵の向こうから黒い光が閃く度に、兵は倒れる。気が付けば、先頭集団の全員が、血しぶきを上げて砂利の上でもんどりうっていた。 

 そうして、倒れた兵の上に、さらにまた、新たに倒れた兵が重なった。一秒ごとに、死体が増える。死が、加速する。 

 「な、何だ、アレは……」 

 柵を目前にしたところで、異常な速度でバタバタと歩兵が倒れて行く光景を前に、ノールズは誰に問いかけるでもなく、そう言葉を漏らした。 

 「恐らく、アレがイルズの占領部隊を壊滅に追いやった攻撃魔法かと」 

 イルズ村より命からがら逃げ帰った兵士は、その恐るべき魔法についてこう証言していた。 

 「悪魔が発する黒い欠片に当たると、一撃で死ぬ! ヤツはそんなもんを、大量にばら撒くんだ!」 

 ノールズもシルビアも話は聞いていたが、こうして目の当たりにするまで半信半疑であった。即死級の攻撃魔法を連発するなど、俄かには信じがたい性能である。 

 「鉄のように硬い小さな玉を撃ちだしているように見えますが」 

 対岸の様子を冷静に観察するシルビアの言葉に、ノールズも少しずつ、状況が見えてくる。 

 言われてみれば、確かに黒い弾が無数に飛び交っているように思える。その常人には視認することも困難な高速で飛来する弾丸が、黒い軌跡を描きながら兵の体を容赦なく穿ち、当たり所によってはたったの一発であっさりと命を刈り取ってゆく。 

 黒いフラッシュが瞬くと同時に、乾いた発射音が断続的に発せられる。小さな爆発を連続させたような音は、悲鳴と怒号と絶叫に支配される戦場にあっても、よく響く。 

 「これは闇属性の魔法――いや、これが邪神の加護によって発動するという黒魔法なの!? 

 叫ぶノールズの目は、柵の向こうからギャリギャリと規則的な発射音を響かせて、渡河をする兵達に向かって弾丸を撃ちまくる真っ黒い二つの人影を捉えた。 

 「そうか、アイツが占領部隊を壊滅に追いやった『悪魔』の正体だな!」 

 黒いローブをまとった黒髪黒目に凶悪な顔つきの男。その特徴は、兵士の報告と一致する。あの男が悪魔に違いない。いや、そうであって欲しい。あんな凶悪な容貌の男など、二人以上いて欲しくない。 

 悪魔に加えて、この場にはもう一人、同じ黒魔法を行使する者が見えた。それは髑髏の顔さらすスケルトン。エリシオンなら真っ先に討伐対象に指定されるアンデッドモンスターは、これ以上ないほど邪悪な化身のイメージを体現している。 

 そんな悪魔と髑髏の二人から、脅威の虐殺魔法が放たれている。悪魔の方は魔法らしく手にす小杖タクトから、髑髏の方は見たことのない細長い筒状魔法具マジックアイテムから、それぞれ弾丸を発射しているのをノールズは確認する。対岸にあっても、その邪悪な姿をはっきり確認できるのは、遠視用の補助魔法、鷹目ホーク・アイ』を発動させているからだ。 

 「どうやら、逃げ帰った兵の証言は真実だったようですね。やはり、悪魔への対策は立てておくべきでしたか」 

 シルビアの進言を無視して、凄腕の冒険者が一人いるだけ、くらいの認識しか持たなかった判断が悔やまれる。しかし、そんなことを後悔しても遅い、何より、それを認めることは腹立たしい上に、何の解決にもなりはしない。全て後回し、今はただ、戦いに集中すべき。 

 「ええい、怯むなっ! 数は圧倒的にこちらが有利なのだ、一気にカタをつけろっ!」 

 すでにして、歩兵突撃の流れは止められない。白い兵士達は続々と川を渡り、突き進んでゆく。無数の黒い弾丸が飛び交う、十字砲火の結界へと。 

 「このままで、よろしいのですか?」 

 「構わん! 防御する手段がない以上、歩みを止めるのは逆に被害を増やすだけだ。ここはさらなる犠牲を覚悟して、突撃を敢行するより他はないっ!」 

 当初、予想していた被害は確実に超える。すでにして、敵の罠にまんまと引っかかり、初手で重騎士部隊を丸ごと一つ失っている。この上さらに、大量の歩兵に死傷を強いたとなれば、自分の将としての評価が危うい。それを承知の上での、突撃命令だ。 

 天馬騎士ペガサスナイトを出すべきではないでしょうか」 

 「そんなことは、分かっておるわっ!」 

 本当は今思い出した、などというのは些末な事。これ以上の失態は重ねられない。十字軍は壊滅せずとも、甚大な被害を出せば己の首が飛ぶのだ。なりふり構っていられない。使えるものは、出し惜しみせずに使う。 

 「あのアバズレ共に頼るのは癪だが……仕方あるまい」 

 ノールズは、歩兵や重騎士などの男連中を率いるのは、長年の戦争経験から得意である。しかし、エリート意識が高く、男を見下す傾向の強い天馬騎士という女性だけの部隊は、苦手であった。苦手というより、腹が立つ。娼婦の代わりになってくれた方が、よほど戦場では有意義だとさえ思うほどに。 

 しかしながら、彼女達の実力は本物である。この状況下では、頼らざるを得ない。 

 天馬騎士が空から襲い掛かれば、魔族共に成す術はない。あの黒魔法を彼女達に向けてくれれば、その隙に地上部隊の突撃は成功する。逆に、歩兵突撃を止め続けても、ハゲタカのように上空からたかられれば、魔族の防衛線は乱れ、あの悪魔本人を直接討ち取ることも可能だろう。 

 天馬騎士という空中戦力の投入は、決定的に両者のパワーバランスを崩しうる。思いのほか、損失がかさんでしまったが、これで詰み。 

 「天馬騎士部隊、今すぐ出撃せよっ!」 

 かくして、白い翼の騎士達が、アルザスの空に舞い上がる。 

   

 ◇◇◇ 

   

 アルザス村冒険者ギルドは、無数の矢を敵へ浴びせる強力な戦塔として機能していた。ここに配置されているのは、パーティでは後衛を任される射手や魔術士クラスの面々。クロノは正門前の最前線に出ているので、ギルドの後衛組みを直接指揮するのは、何時の間にやら彼の右腕となりつつある、『三猟姫』のイリーナである。綺麗なお姉さんといった見かけの割に実戦経験豊富なイリーナの的確な指揮の下、後衛組みは敵を撃つのに有利な高い場所から、黒化によって堅牢な防御を誇るギルドに守られ援護射撃に集中できている。 

 弓を引く射手や、杖を掲げる魔術士がズラリと立ち並ぶギルド屋上、その中に一人だけ、長大な銃を構える錬金術師の姿があった。 

 「二時の方向、距離三百八十、無風……格好からして、十人隊長クラスかな」 

 いける、とシモンの小さな口からつぶやきが漏れる。覗き込んだ、急造品のちょっとボヤけた低精度のスコープの奥に、兜を被った男の姿が映り込む。トリガーを引く細い指に、迷いはなかった。 

 レンズの奥で、鮮血の華が咲いた。雑兵よりはワンランク上の階級だと推察される彼は、ギルドの屋上から狙われていることに最期の瞬間まで気づくことなく、ヘッドショットに倒れた。 

 「また一撃で仕留めたね、良い腕だ」 

 そんなお褒めの言葉を送ってくれたのは、すぐ隣で短弓を連射している女盗賊スースことスーさんである。彼女の放つ矢は疾風のように宙を駆け抜け、吸い込まれるように兵士の胸に突き立つ。百発百中の彼女から褒められても、あまり自分の腕前を誇れない。 

 「別に、銃が凄いだけです……でも、ありがとうございます」 

 それでも馴れない賛辞の言葉に、シモンは少しだけ頬を染めて応える。そしてそんな様子を、スースは優しさよこしまさが半々に混ざったような微笑を浮かべて眺めた。 

 ともかく、シモンにとって『銃が凄い』というのは謙遜ではなく、嘘偽りのない事実である。 

 今シモンが使用している銃は、クロノと出会った日から即座に開発を始め、完成させた急造品ではあるものの、これまで使用してきたものとは比べ物にならない性能を誇っていた。当然、その外観も一新。 

 射撃姿勢を安定させるため銃床ストックと、ライフリングが施され、より弾道の安定性と精度の向上のために倍近く伸びた銃身が、シモンの小柄な体と対比になり、殊更に長大なイメージを抱かせる。黒光りする鋼の重厚感と、ストックやグリップの渋い木製パーツが相まって、銃の存在を知らぬ者が見ても、どこか武器としての迫力のようなものを感じることだろう。 

 これぞ、世界初のスナイパーライフル『ヤタガラス』である。ちなみに命名はクロノ。 

 「俺の故郷でその昔、傭兵部隊の頭が使ってた銃が『ヤタガラス』っていうんだ」 

 という言葉を聞いて、なんかグっときたシモンがその名前を採用したのだった。もっとも、クロノ自身はシモンがこの銃で連続ヘッドショットを決める狙撃の実力があると思ってはいなかったのだが。機関銃さえ作ってくれれば、十分であった。 

 「よし、機関銃の方も上手く動いてる」 

 己の職責の本分たる、機関銃の活躍をちらりと横目で柵の方を確認する。 

 「凄いっ! コイツはどエライ武器やでぇホンマ!」 

 そこには、土台に備え付けられた大型の機関銃を握り、興奮気味に弾を撃ちまくるモズルンの姿がある。漆黒のローブに髑髏の素顔と、彼は正しく死神の風貌。そして今この時、大量の人間の命を奪っている状況も死神と呼ぶに相応しい。ヒャッハーッ! という声が聞こえんばかりのハイな様子だけは死神のイメージにはそぐわないが。 

 しかし操作する機関銃は死神が手にする鎌の如く必殺の威力を誇り、また闇魔術士である彼でなければ使用できないのであった。 

 「次はちゃんと、魔法抜きで作りたいな……」 

 クロノが欲しかったのは魔弾バレットアーツ』の代用魔法。そもそも、時間的、材料的、設備的な制約によって、火薬で撃ちだす本来の意味での機関銃の製作は不可能である。その結果、魔法に頼った急造品として完成したのが、モズルンが乱射しているアレである。 

 外観はグリップのついた長方形の細長い箱から、銃身である鋼鉄の筒が飛び出ているだけ。本物の機関銃を知るクロノからすればえらく不格好ではあるが、知らないシモンが見ても、これが武器としてダサいことは理解できる。 

 しかしながら、その内部はクロノの『魔弾』の術式を模倣した魔法が組み込まれ、現実に弾丸の連射を可能としている。そしてこの術式を使用できるのは、クロノの黒魔法に最も近い系統の闇魔術士であるモズルンだけなのだ。つまるところ、コレは機関銃のような形をした魔法長杖スタッフなのである。 

 「むっ! アカン、もう銃身が焼きついてもうた、早う交換したってや!」 

 モズルンの指示に二人のゴブリンが応え、即座に機関銃の銃身交換を開始する。この日のために何度も練習してきたお蔭で、流れるような動作でスムーズに交換作業を行っている。シモン直々の指導の賜物である。 

 「銃身の消耗が思ったより早い……やっぱり、急造品じゃ耐久力に問題が……」 

 苦々しく独り言をつぶやきつつ、シモンは新たな獲物をスコープの奥に捉える。 

 この魔法式機関銃の設計思想は『術式を物質でカバーする』ことである。例えば現在交換中である銃身は、弾丸の発射方向、弾道の安定、といった効果を受け持っている。魔法で弾丸の発射を実現しようと思えば、こういった部分も己の魔力と集中力を使い、術式として構成しなければならない。 

 魔力消費、集中力、発動時間などの要素を機関銃はゼロにできるが、その反面、この銃身の過熱といった物理的なデメリットを抱えることとなる。魔術士は魔力が尽きれば攻撃不能となるが、この機関銃は、銃身の替えがなくなった瞬間に射撃不能となる。 

 それがそう遠い未来でないことに、シモンは一抹の不安を覚える。その時、本当にクロノ達は敵を抑えきることができるのか……今は、信じるより他はない。そして、自分にできることを、精いっぱいにやり遂げるのだ。 

 自分の力をここまで必要としてくれたことなど、今まで一度もなかったのだから。 

 「銃身交換終わりましたモズルンさんっ!」 

 「おしっ! ほんならまた張り切って射撃再開するでぇえ!」 

 再び機関銃のグリップを握り、モズルンは怯むことなく押し寄せる大軍勢に向かって掃射を開始した。圧倒的な数で正面突撃を仕掛ける十字軍をギリギリのラインで近寄らせないでいられるのは、正しくクロノとモズルンが行十字砲火クロスファイアのお蔭である。これが続けられる内は、戦況は安定する――はずだ。 

 「ん、どうや天馬騎士ペガサスナイトのお出ましだ」 

 最初に気づいたのは、スースだった。流石は盗賊クラス、目端が利く。注意深く空を見れば、遠く森の向こうから迫る天馬騎士部隊の影が点々と確認できた。 

 「思ってたより……沢山いますね」 

 「そうだね、でも、今は信じるしかないんじゃないのかな」 

 仲間を信じる。つい今しがた、自分も思い至った結論である。シモンはグリップを握り直し、再度集中を図る。 

 天馬騎士をはじめ、空から襲い来る敵の恐ろしさは、冒険者という戦いを生業にする職業に就いている以上はよく耳にする。だが、彼方より飛来するペガサスの軍団にそれほど恐怖は覚えなかった。 

 なぜなら、天馬騎士を相手にするのは、もっと恐ろしい妖精なのだから。 

 「――うん、うん、いいの――私に任せてよ、クロノ」 

 テレパシーによる会話を打ち切ると、見る者の心を温かくさせるような笑顔を浮かべて、彼女は優雅に黒いワンピースの裾を翻す。その幼く可憐な容姿から、彼女がこの場にいる誰よりも多くの十字軍兵士を殺戮した人物であるとは、とても想像できない。 

 しかし、彼女の背中から生える虹色の羽が瞬く度、灼熱の白光が兵を斬り、裂き、四散五裂される破壊力が解き放たれる。それは普通の妖精に許された能力を遥かに超えた、驚異固有魔法エクストラ。その圧倒的な実力が故に、誰もが敬意をこめて彼女をこう呼ぶ。リリィさん、と。 

 「リリィさん、天馬騎士が現れたわ。手筈通り、お願いするわね」 

 この場の指揮を任されたイリーナが、愛用の武器風雷弓シルフライト』に電撃の矢をつがえながら、リリィに言う。命令ではなく、お願い、である。 

 「ええ、任せてちょうだい。空は私が何とかするから」 

 そう、リリィがたった一人で。天馬騎士部隊を相手に、とても正気の沙汰ではない。しかしながら、彼女の顔に悲壮な覚悟の色は映らない。その幼い美貌を飾るのは、不敵な微笑み。 

 「――ふふ、頑張るから、後でいっぱい褒めてよね、クロノ」 

 そんな独り言を漏らして、リリィは煌く七色の羽を羽ばたかせ、日の光が眩しい青空へと舞い上がる。そうして、ここに妖精と天馬騎士が演じる、アルザスの空中決戦が始まった。 

   

 ◇◇◇ 

   

 天馬ペガサスという種族は、雌のみが空を飛ぶ翼を持ち、また己に騎乗する者も基本的に女性しか受け入れない習性を持つ。故に天馬騎士ペガサスナイトは必然的に女性限定となる。 

 無論、これよりアルザス村へ空からの襲撃を狙う天馬騎士部隊も全員女性で構成されていた。彼女たちの眼下には、十字砲火によって儚く命を散らす歩兵達の姿が映る。 

 「どうやら『悪魔』の噂は真だったようだ」 

 見事な編隊を組んで飛行する彼女たちは、互いに声が届く距離にはない。だが、テレパシーの通信魔法具マジックアイテムを装備しているため、飛行中にあっても問題なく会話が可能だ。 

 通信状態は良好。アクアマリンに似た淡い水色の輝きを放つ、テレパシウム鉱石で作られたピアスは、仲間の声をクリアに伝えてくれる。 

 「酷い有様ね。川が血で赤くなっているわ」 

 「悪魔だかなんだか知らねぇけど、あんな攻撃がいつまでも続けられるとは思わねぇけどな」 

 「そうそう、男共に突撃させておけば、その内突破できるでしょあんなショボい守り」 

 「だよねー、どうせ歩兵なんて使い捨てなんだし、そのまま突っ込んどけってね」 

 あれほどの味方が死んでゆく戦線へこれから向かうというのにも関わらず、彼女達の声は余裕で満ちていた。それは死を恐れていないからでも、任務に忠実だからでもない。 

 ただの歩兵と天馬騎士では、装備は段違い。矢で撃たれれば歩兵は死ぬが、天馬騎士の鎧はカスリ傷一つ負うことはない。彼女達が装備する白銀の鎧兜には重騎士アーマーナイトと同様に、二重三重の防御魔法が施されてある。その上、軽量化ライトウェイ』や腕力強化フォルス・ブースト』といった様々な強化魔法付与エンチャントされている高級品。 

 だが、何よりも特筆すべきなのは、彼女達が高級装備をまとうに相応しい実力を備えている点だろう。魔法・武技、共に高いレベルで習得した騎士のエリートである。 

 そんな彼女達が、歩兵よりも生還率が高いのは当然。眼下で歩兵が謎の攻撃によってバタバタと死んでいったからといって、それで自分達もあっけなく死ぬとは誰も考えていないのだ。 

 「――でも残念、貴女達はここで死ぬのよ」 

 その時、美しい少女の声音が聞こえた。耳ではなく、頭の中に、直接響く。 

 「誰だ!?」と咄嗟に叫ぶものの、その声が部下の誰のものでもないことに天馬騎士の隊長は即座に気づく。同時に、何物かがテレパシーで語りかけてきたということも。 

 「私の名前はリリィ。ようこそアルザス村へ、そしてさようなら」 

 これまで聞いたどんな声よりも凛と響く透き通った少女の声はしかし、悪意と敵意と殺意に満ち満ちていた。魔法のピアスから伝わる死の意志に、背筋が震える。 

 「地上を警戒しろ! 狙われている可能性が――」 

 即座に警戒態勢をとる天馬騎士部隊を「お馬鹿さん」と嘲笑うリリィの声。今更気づいても、もう遅い。すでに魔法は、完成しているのだから。 

 「―星墜メテオ・ストライク 

 突如として、七色に煌く巨大な光の塊が雲を割って現れた。夜空に浮かぶ星の一つが丸ごと落下してきたかのような錯覚。超高速で落下してくる巨大な光球は、まるで意思を持っているかのように空を行く天馬騎士部隊に向けて迫る。 

 「上からだ!? 

 天馬騎士にとって最も警戒すべき攻撃は地上からの対空魔法攻撃。彼女達の上から攻撃を仕掛けることが可能なのは、同じ天馬騎士か竜騎士、あるいは空を飛ぶモンスターの類のみ。戦場において天翔る天馬騎士の上を行く存在は非常に稀、まして魔族の寄せ集め軍団が上空から攻撃する手段を持っているとは考えられない。 

 だが、現実は予想を大きく裏切ったことを、彼女達はこの瞬間に思い知る。そう、圧倒的な質量と爆発力を秘めた魔法の流星がもうすぐ目の前に迫る、この手遅れな段階で。 

 „̈́ˠ«‰œ—ËŸ Á͗ˑ͠ÂÊŸ ÷Ë¡ Ê«’Ÿ «‰»Í«÷白光大盾ルクス・アルマシルド!」 

 虚を衝かれたことで回避不能なほど距離を詰められている。巨大な光の塊を前に、出来る限りで最大の防御行動をとることしか選択肢は残っていなかった。 

 高い防御力を誇る鎧兜に、重ね掛けした中級防御魔法。それにこの攻撃は光でこちらの防御魔法も光、防ぐ属性の相性も悪くない。耐えられる、必ず耐えられる、そう一心に信じて天馬騎士部隊の隊長はインパクトの時を迎える。 

 「あっはっはっはっは! 無駄、無駄、無駄ぁ!」 

 最後に聞いたのは、高らかに嘲笑うリリィの声だった。七色の光球と白色の光盾が、衝突する。それは僅かな拮抗を保ったが、一瞬の後に身を守る盾は粉々に砕け散り、眩い煌きを彩る光の一つとなった。 

 そうして隊長を含む数人の天馬騎士を虹の光は飲み込んで行き、次の瞬間には、空中爆発を起こした。轟く爆発音と爆風の衝撃波が、散開し難を逃れた天馬騎士達の体を大きく揺さぶる。 

 「そんな、隊長――」 

 「おい、嘘だろ!? なんだよあの威力、ありえねぇ!」 

 爆発に巻き込まれた天馬騎士は影も形も残らず爆散。僅かに残ったものは、燃えカスとなった鎧の欠片だけ。爆心地には最早、彼女達が存在した痕跡は一切なく、仄かに漂う魔力残滓ざんしがあるのみだった。 

 「静まれっ! 指揮権は副隊長の私が引き継ぐ、敵は雲の上だ、迎撃態勢を――」 

 「そう、次は貴女がボスなのね」 

 その瞬間、ついに彼女は姿を現した。リリィと名乗った少女が。 

 美女が多いといわれる天馬騎士達の中にあって尚、その美貌は圧倒的。翻るプラチナブロンドヘアの艶やかさ、白い肌の瑞々しさ、そして男女問わず見るものを魅了する輝きを宿すエメラルドグリーンの双眸。漆黒のワンピースドレスに身を包み、七色に煌く二対の羽を瞬かせ浮遊するその姿は、御伽噺に登場する妖精のお姫様髣髴ほうふつとさせる。 

 だが、その幻想的な美を体現するリリィに見蕩れることはとてもできない。彼女達は一撃で隊長以下数名の仲間を葬り去った、脅威の攻撃魔法を放った恐ろしい敵であることをすでに知ってしまっている。そして今もまた、新たな獲物へその美しくも残酷な手をかけようとしていた。 

 「い、いつの間に――」 

 指示を出す副隊長、彼女を背中から抱きしめるように天馬の背へとリリィが降り立っていた。接近にまるで気づかなかった。恐らく、星墜メテオ・ストライク』の閃光に紛れていたのだろう。 

 もっとも、それが分かったところで、状況は変わらない。敵は、すでに目の前に現れた。彼女達の心に去来するのは戦意か敵意か、あるいは恐怖か。 

 妖精結界オラクルフィールド、展開」 

 副隊長にできた反応は、腰に下げ聖銀ミスリルの剣を抜き放ち、背後に立つリリィへ振り向きざまに一太刀を浴びせようと、腰を捻ったところまでだった。 

 そこで、淡いグリーンに輝く、優しい光の抱擁に囚われる。 

 「なに、これ、熱っ――」 

 妖精結界オラクルフィールドは妖精自身を守る盾であり、内にあるものを無条件で保護するわけではない。リリィにとって敵であるこの人間を守る道理などある筈もない。故に、この結界はただの凶器として用いられる。 

 リリィを中心に直径二メートルほどの球状に展開した結界内に閉じ込められた副隊長は、即座に自分の身に起こった異変に気づく。暑い。否、熱いのだ。 

 妖精結界オラクルフィールドは美しい緑の光に反して、凶悪なまでの灼熱に満ちている。それは飛来する鉄やじりが一瞬で溶けるほどの温度。人間でなくとも、生物が生存できる温度を遥かに超えている。 

 リリィの腕の中、ただ身を焦がす高熱のみを感じながら彼女は事切れた。皮膚は焼ただれ、次の瞬間には灰となる。体中の水分はとっくに蒸発。身にまとう鎧だけが高い防御魔法の効果によって原型を保ち、鋼鉄の表面が溶けてあわ立つ程度に留まっている。 

 「さて、大人しく投降するならこれで終わりにしてあげる」 

 半ば白骨化した遺骸を閉じ込めた全身鎧と焼死したペガサスは、空中に留まるための力を完全に失い、 

 ただ重力に従い落下してゆくのみ。そんな自身が手をかけた者の末路にリリィは一片の興味もなく、存在そのものを忘れてしまったかのように目もくれない。 

 誰もが虜になるような笑顔を浮かべて、リリィは天馬騎士へテレパシーで降伏勧告を呼びかけるのみ。 

 「さぁ、どうするか早く決めてちょうだ――」 

 「なめんなクソガキぃ!」 

 罵倒と共に、紫電閃く雷撃が放たれた。一直線に迫る雷矢ライン・サギタ』を、リリィは避けることなく正面から受ける。バチバチと音を立てて。眩い光が一瞬だけ弾ける。 

 「私ら天馬騎士が、たかだかデカい妖精一匹にビビって降伏なんぞするか!」 

 強固妖精結界オラクル・フィールドは、下級攻撃魔法など難なく防ぎきる。リリィには静電気ほどのダメージも通らない。だが、その意思は確かに伝わった。 

 「そう、それが答えね」 

 天馬騎士達は槍を構えつつ散開、全員が攻撃態勢をとっている。今度はリリィへ正面きって宣戦した口の悪い天馬騎士が指揮権を引き継ぎ、部隊を動かし始めた。頭を二人潰した程度じゃ戦意も連携も崩せない。彼女達は伊達にエリート部隊を名乗っているわけではないようだ。 

 手間をかけさせやがって面倒くさい、と言わんばかりに舌打ちを一つしてから、リリィは面を上げ、自分を取り囲む天馬騎士達を睨んだ。 

 「いいわ、空から地獄まで叩き落としてあげる、この羽根つき売女ども」 

   

 ◇◇◇ 

   

 「あかん、銃身が全部焼きついてもうた!? しばらく冷やさんと撃てへん!」 

 ついに、この時が来たか。モっさんの悲鳴に、高まる不安が表情にまで出ないよう押し殺す。 

 最初から十字砲火を続けるのは無理だと分かっていた。そして、ソレが途切れれば圧倒的な数で押し寄せる十字軍を押し留めることはできず、必ず何人もの兵が無傷のまま頼りない柵まで到達する。 

 「モっさんは銃身が冷却されるまでその場で待機。冷却が完了次第、すぐに十字砲火を再開する」 

 伝令役のハンナに、俺はそう伝える。俺とモっさんは柵の左右に立ち、射線がバツの字でクロスするような配置なため、大声じゃないと届かない。リリィが天馬騎士の迎撃に向かった今、テレパシーを仲介してもらうこともできない。確実に命令伝達するには、伝令に走ってもらうしかない。 

 「了解です! あの、クロノさん、小姉ちゃんのこと、よろしくお願いしますね!」 

 ハンナは勢いよく頭を下げて一礼してから、素早く走り去る。ローラが妹の発言に何か言いたげだったが、勢いよく長い三つ編みが揺れるハンナの背中はすでに遠い。 

 「すみません、クロノさん……こんな時に、妹が余計なことを……」 

 「いいや、確かに、任されたよ」 

 俺は元気よく走り去る姉思いの妹を見届けると、そこで撃ちっぱなしだっ魔弾バレットアーツを止めた。そして、 

 一つ大きく息をつく。魔力の乱れと、呼吸を整える。 

 さぁ、ここからが戦いの本番だ――覚悟を決めて、俺は叫ぶ。 

 「開門しろ! これより打って出る!」 

 その声は防壁前に詰めている冒険者達は勿論、ギルド内に立て籠る射手達にも聞こえただろう。もしかすれば、猛然と迫り来る十字軍にも。 

 俺の突撃宣言に「ウォオオオオ!」と冒険者達の雄たけびが応える。特に、柵の前で使い慣れない弓を撃ちつつ、敵と斬り合うことを待ち望んでいた戦士達はより一層沸き立った。 

 彼らはこの迫り来る数多の敵を前にして、怖気づくどころか、かえって戦士の血を強烈に刺激されているようだった。頼もしい、正しく冒険者だ。 

 「はっはっはっはぁ! ようやく俺らの出番ってワケだなぁ!」 

 正門前にはヴァルカンを筆頭に、ランク3以上の剣士や戦士を始めとした近接戦闘に特化したクラスを持つ冒険者が早くも勢揃い。彼らこそ、これより門から飛び出し敵を切り伏せに行こうという命知らずの突撃部隊である。 

 人間を始め、獣人、リザードマンなどの他に、オークやゴーレムといったイルズ村では見慣れない種族も含まれ、部隊の種族構成は見事にバラバラ。だがその心は同じ、みな一様に門が開くのを今か今かと待ちわびている。特に、名誉挽回を狙うローラは、無言ながらも凄まじい戦意の高まりを感じる。そう、華奢な少女である彼女もまた、この突撃部隊の一員なのだ。 

 俺は影から――モっさんのアドバイスを元に、密かに性能が進化した『影空間』改め、影空間シャドウゲート』から、血に飢えた『呪怨鉈「腹裂」』を取り出し、戦意剥き出しの彼らの前まで歩み出た。 

 「いいか皆、ここが最初の山場だ。十字砲火が再開できるまでの時間をなんとしてでも稼ぐ。その間は絶対にこの防衛線を守りきる」 

 ただ銃身を冷却するだけなら、水と氷の魔法があるのでそれほど困難な作業ではない。だが問題なのは射撃の高熱によって歪む銃身、それを最低限射撃に耐えうるよう再調整することだ。 

 このメンテナンスは致命的ともいえる隙を生じさせるが、今日の一戦だけで機関銃を使い潰すわけにもいかない。俺達は明日も明後日も戦い続け、敵をこの場で足止めしなければならないのだから。 

 だからこそ、危険だと分かっていながらも、こうして俺達が直接切り込み、十字軍兵士共を真正面から押しとどめるより他はない。 

 そうして俺はローブを翻し、今にも開かんとする門へと向き合う。 

 「行くぞ、突撃っ!」 

   

   

 俺達は雄たけびを上げて正門を飛び出し、後戻りのできない死地へと踏み込んで行く。 

 接近戦はイルズ村で司祭を斬った時以来だ。実は未だに剣で斬り合うような近接戦闘は得意ではないと思っているのだが―― 

 (斬、斬――殺――斬、血、殺――死、殺、斬、斬斬斬――) 

 「お前は相変わらずだな」 

 右手から伝わってくる『呪怨鉈「腹裂」』の強烈な殺意のお蔭で緊張感はない。呪いでリラクゼーション効果を得ているとは果たして妙な話だが、今はそんなことを気にしている場合ではない。敵は槍を掲げてすぐ目の前に迫っているのだから。 

 敵の数はイルズ村を占領した部隊と戦った時とは比べるべくもないほど圧倒的。対岸からここまでの距離を白い影で埋め尽くさんばかりの勢いだ。 

 「いいぜ、もう一度進化できるほど血を吸わせてやる」 

 とりあえずは、一番前にいるヤツらから順番に斬っていくより他はない。すでに相手の顔がはっきりと認識できるほどにまで距離を詰める。それは同時に、向こうも俺の姿を認識することを意味する。兵士は鬼の形相となって、手にする槍を鋭く突き出す。 

 だが、彼の決死の一撃など、俺からすれば欠伸が出るほど遅い。穂先が走り出すタイミングで、俺は人外の脚力で跳躍を決める。 

 「黒凪っ!」 

 無防備な頭の上から必殺の武技を放ち、兵士の首を斬り飛ばす。一つではない、三つ。群れているお蔭で、両隣の兵士まで刃は届いた。あるいは、より多くの死を求める鉈が欲張った結果かもしれない。 

 攻撃時の険しい表情を張り付けた生首が、鮮血と共に軽やかに宙を舞う。頭部までしっかりチェインメイルで覆われているはずだが、鎖のような硬い物を斬った感触はほとんど感じられない。相変わらず凄まじい切れ味だ。一週間ぶりに味わう血に、刃が喜びの声を上げるかのように不気味な共鳴音が響く。 

 背後で三つの首なし死体が倒れるのと同時に、地面へと着地――否、ちょうどその場にいた兵士の顔面を踏みつけながら、敵集団のど真ん中に降り立った。固いブーツの靴底が、頭蓋骨を粉砕する感触を伝えてくれる。 

 「くっ、野郎ぉ! 飛び込んでくるとはいい度胸だぁ!」 

 「距離が近い、剣に変えろ!」 

 前後左右と隙間なく全方位を囲む白い兵士達は、罵声と怒声を上げ興奮しつつも、即座に長槍を手放し、腰から下げた長剣を手に取った。 

 的確な判断と素早い行動力――のはずだが、その動作は俺にとっては酷く緩慢に思える。 

 あの施設を脱走した時点で、すでに数十人の兵士を難なく殺害できているのだ。魔法も武技も習得していない一般兵士。いわゆるただの人間が、武装を整えた俺に数以外のアドバンテージはない。 

 正面に位置する兵士目掛けて鉈を一閃。鞘から剣を引き抜く途中の彼らをまとめて切り払う。黒い剣閃の軌跡が、兵の腹部を通り抜ける。『呪怨鉈「腹裂」』、その名の通り綺麗に腹を裂き、血と臓腑を撒き散らして両断された兵士の体が崩れ落ちた。 

 俺が一撃与え終わった後、ようやく左右と背後の兵は剣を抜き放ち、斬りかかってくる。 

 「死ねぇえ悪魔っ!」 

 それぞれ気合か恨みの言葉を吐きつつ、ほぼ同じタイミングで刃を振り下ろす。流石にこの鉈でも、同時に襲い来る何人もの兵士を一振りで止めることはできない。さらに前方から、一拍遅れて槍を繰り出す別の兵が現れる。さらに背後からも一人、斬りかかってくるヤツが。 

 圧倒的な数の有利を生かした同時攻撃――だが、そんな基本的な攻撃の対処法など機動実験の時に学習済みだ。俺の初戦は、ライトゴーレム十体同時だった。 

 影空間シャドウゲート開放――貫け魔剣ソードアーツ 

 俺の足元に広がる影と同化するような漆黒の刃が、その切先を覗かせる。次の瞬間には、合わせて十本の黒化剣が同時に影空間より射出され、左右と背後から迫る敵に目掛けて一直線に飛んで行く。 

 視界にいれずとも、それぞれの刃が俺へ向かってくる全ての兵士を貫いたと分かる。手を触れずとも剣を操っているのは俺自身、刃が敵を斬る感触ははっきりと頭で認識できるのだ。 

 左右と背後の敵を魔剣で一掃し、俺はそのまま前より槍を突き出す兵の相手ができる。一振りで突き出された槍の柄を中ほどから切り飛ばし、返す刀で兵士の胴を袈裟切り。 

 終わってみれば、着地から十秒もせずに四方から襲い来る兵達を斬り捨てた。着地と同時に顔面を踏みつぶしてやったヤツも含めれば、実に五人もの兵が殺されたのだ。その瞬殺ぶりは、次に控える兵士が勢いに任せて斬りかかるのを戸惑わせるほどのインパクトがあったようだ。 

 兵達は槍の先を向けはするものの、俺から数メートル離れて取り囲むだけ膠着こうちゃく状態に陥る。 

 「この、悪魔め――うぉおおお!」 

 僅か数秒の沈黙を破り、俺の真後ろから一人の兵が槍を突き出す。俺は振り返ることもせず、ただ黒化剣の一本を操って敵へ飛ばすだけ。 

 槍の穂先が俺の背に到達するよりも、剣が敵の胸を貫く方が早い。ぐえぇ、と蛙が潰れるような汚らしい断末魔の声を上げ、また一人敵が倒れる。 

 敵を刺殺した黒化剣は、今の一本と先の三本も合わせて、ゆっくりと宙を漂いながら、再び俺の元へ帰ってくる。集った十本の剣は、俺の体を囲むように浮遊し、切っ先を兵士へ向ける。 

 その様子に、兵が包囲の半径をさらに広めた。 

 「来ないのなら、こちらから行くぞ」 

 右手に鉈を携え、左手小杖タクトを構え直し、十本の黒化剣を従えて、一歩を踏み出す。 

 防御魔法ごと切り裂く『呪怨鉈「腹裂」』。サブマシンガンのように連射が利き、かつショットガンのように広範囲に弾丸をばら撒く魔弾バレットアーツ』。死角を十の刃でカバーする魔剣ソードアーツ』。この三つを併用することで、武術も剣術ろくに習得していない俺が、多数の敵と同時に戦うことを可能としている。 

 俺はすでに魔法使いの身、ならば接近戦も魔法で行うのが道理。サリエルには通用しなかったが、ただの歩兵相手なら魔力と集中力が続く限りどれだけ相手にしても敗れることはない。 

 「破ぁあああああ!? 

 今はただ、最前線で敵を食い止める戦士としての役目を果たそう。白いサーコートに描かれた十字のエンブレムを踏みつけて、恐怖の顔を浮かべる兵士達に向かって、俺は持てる全ての刃を向けた。 

   

 ◇◇◇ 

   

 「なめんなクソガキぃ! 私ら天馬騎士がっ、たかだかデカい妖精一匹にビビって降伏なんぞするか!」 

 天馬騎士部隊の一員、エステルは考えるより先に口と手が動いていた。無詠唱発動の域に達し雷矢ライン・サギタがリリィと名乗った妖精少女を撃つ。 

 しかしながら、怒りに沸き立つ頭の片隅で、コイツが下級攻撃魔法一発で仕留められるはずないだろう、と冷静に分析する自分もいる。彼女は口も態度も悪い不良騎士ではあるが、頭と腕は悪くなかった。 

 「コイツは必ずここで落とす、いいな!」 

 テレパシウム鉱石の高純度結晶を組み込ん思念通信機ピアスを通さずとも、全員に聞こえるような叫びで、戦闘続行の意思を表す。直後、打てば響くように四つの返答が頭に届く。 

 「賛成よエステル、貴女の指揮に従うわ」 

 「私も賛成です! 隊長の仇をとるのですぅ!」 

 「えー、やめない?」 

 「帰ろーよ」 

 部隊を構成する各班長の意見は賛成反対と半々のようだった。 

 「じゃあ撤退、キャミーとキャシー殿しんがりな」 

 「やっぱり仇はとっておかないとだよね!」 

 「うんうん、みんなで力を合わせて戦おーっ!」 

 反対意見は消滅、部隊の意思は戦闘継続を最終決定とした。そもそも敵の数はたったの一。上下左右を包囲し、全方位から魔法の波状攻撃をかければ一分と持たずに地上へ叩き落とすことができる。ただ、それは相手も同じ人間であればの話。 

 「妖精ってのは確か、光の結界で身を守ってんだ。あのデカさと光り具合からいって、下級魔法じゃ足止めにしかならねぇだろう。ヤツを落とすには、槍を直接ぶち込むしかねぇ」 

 妖精についての情報は、騎士学校の授業で少しだけ、教師の気まぐれで語られていたのを、エステルは奇跡的に覚えていた。それにしたって、あんな人間サイズの巨大妖精の存在と、天馬騎士を瞬殺してみせる凶悪な魔法を撃ってくるなんて、聞いてない。妖精というより、ただの化け物である。 

 「フランとマティは援護、ヤツを包囲から逃すな。あと詠唱もさせんな、ヤベーのが飛んでくるに違いねぇ。キャミーとキャシーは私と一緒に突撃だ、覚悟決めろよ」 

 「ええーなんでウチらは突撃組みなのぉ!」 

 「チョー怖いんですけどぉ!」 

 キンキンと耳障りな甲高い声で文句を訴えるピアスを、思わず引き千切ってしまいたくなるが、すんでのところで堪える。 

 「テメーら馬鹿姉妹は武技しか取柄ねーだろーが」 

 「ええーナニそれぇ、差別ぅー」 

 「自分だって武技だけな脳筋のくせにぃ」 

 「グダグダ言ってんじゃねぇ! 馬の背から叩き落とされてーか!」 

 エステルの一喝に、馬鹿姉妹は「はいはい、分かりましたー」と渋々ながら了解。 

 かくして、天馬騎士部隊は各々の役割を心得、妖精リリィ撃墜に向けて動き始める。 

 「一人で私らに喧嘩売ったこと、後悔しやがれクソガキぃ!」 

 天馬ペガサスの翼は、鳥のようにただ羽ばたくだけで空を飛べるものではない。だが現実にペガサスが人を乗せて空中戦闘に耐えうる機動力を発揮するのは、その翼が空を飛ぶための魔法が組み込まれた出力装置といえるべき役割を果たすからだ。 

 天馬騎士はこの翼に速度強化スピード・ブースト』の魔法をかけることによって、より一層の加速と飛行速度を与えることができる。その高速をもって行うのは、勿論突撃チャージである。 

 ÍŸÂ‰ ÂÊ Œ‰«‰ ”—Ÿ… «‰‚œÂ ‰ ‘͉ √”—Ÿ速度大強化スピード・ハイブースト 

 エステルを先頭に、班員の天馬騎士達は魔法の効果が発揮した瞬間に急加速、瞬く間に常人では認識困難なほどのハイスピードに達する。 

 その高速移動の最中にあっても等間隔で隊列を崩さずに飛行を続けるのは、それだけ彼女達がペガサスの扱いに習熟していることと、兵として一流のチームワークを持っていることの何よりの証拠。一糸乱れぬ動きで空を駆ける彼女達はさながら白い流星群。 

 紫電突撃ライン・チャージ!」 

 恒星のよう妖精結界オラクルフィールドを堂々と輝かせながら浮遊するリリィに向かって、エステルが渾身の武技を放つ。雷をまとった豪槍が、馬上より猛烈な勢いほとばしる。もし人間が直撃すれば、胴に穴が空くどころか、上半身が丸ごと吹き飛ばされるほどの威力を発揮する、達人級の武技。 

 エステルの雷光とリリィの彩光が交差。バチバチと弾ける音と光。衝突は一瞬。 

 「硬すぎんだろ、クソがっ!」 

 リリィに一撃を加え、勢いのまま通り過ぎていったエステルは、速度強化の効果が切れ減速を始めるペガサスの上で舌打ちをする。 

 渾身の一撃は結界の表層を幾らか削りとっただけに留まり、刃はリリィの白い柔肌へ寸分も届くことがない。当然、発する電撃の効果も全て散らされている。 

 エステルの後方から連続して、同様の稲光と雷鳴が轟く。後続の天馬騎士が同じ攻撃をリリィへと見舞っているのだ。この手ごたえなら、全員の技が命中しても結界を半分削れるかどうかといったところ。 

 そんな予想をしながら振り返り見ると、エステルの青い瞳には、さらに最悪の光景が映り込んだ。 

 「―流星剣スターソード 

 それは、白光煌めく二振りの刃。磨き抜かれた鋼の剣が輝いているのではなく、刃そのものが、光であった。リリィが掲げた両掌は、ただ虚空に向かってかざされているが、その数十センチ先、輝妖精結界オラクルフィールドの表面から、鋭い光のブレードが形成されていた。 

 流星剣スターソード』というらしい、その光の剣の正体は、高密度の魔力で形勢された魔法の刃である、とエステルは一目で見抜いた。 

 光に限らず、炎や氷などの属性のみで作り出す魔力の刃は、総じて光刃フォースエッジ』という攻撃魔法に分類される。今しがた自分が使った紫電突撃ライン・チャージ』のように、手にする武器に属性付加エンチャントする武技はポピュラーなものだが、純粋に魔力だけで刃の切れ味を生み出す光刃フォースエッジ』の使い手は少ない。ただでさえ行使が難しい上に、そもそも魔術士クラスは接近戦をしない。いざという時に備えるなら、大人しくナイフを持っていた方がよほど建設的だ。 

 そんなマイナーな攻撃魔法が今、一撃必殺の威力を持って、自分たちに襲い掛かっていた。 

 「嘘だろ、おい……」 

 見れば、最後にリリィへアタックを仕掛けた天馬騎士――彼女の体が、人馬諸共に切り裂かれ、宙で肉片と化していた。超高熱で切断された傷は出血を伴わず、ただの肉塊となってバラバラと地面に落ち行く様は、どこか無機質で、現実離れした光景だった。 

 それでも、エステルの頭脳は正確に事態を認識する。結界の表面を高速稼働するレーザーブレードが、槍を繰り出す彼女をカウンターで十文字に焼き切ったのだと。 

 それはつまり、リリィはこちらの高速連携攻撃を完全に見切ったことを意味する。妖精族の特性である高い魔力に任せた魔法攻撃に頼るだけでなく、純粋に、戦い慣れている。 

 「ちくしょう、とんでもねぇ化け物だぞコイツは……」 

 すでにして、エステルは後悔し始めた。ヤバいヤツに喧嘩を売っちまったと。 

   

 ◇◇◇ 

   

 パンドラ大陸で信仰される『黒き神々』。善神であれ悪神であれ、彼らより授かる『加護』は、冒険者にとって一種のステータスである。それは神に認められた名誉ではなく、ただ純粋に、強力な力であるからだ。 

 今ここに、その神より賜りし力を振るう者たちがいる。 

 「永久不滅の忠誠を誓う、黒き槍――暗黒騎士・フリーシア」 

 一節神言ディヴァイン・スペルと奉神名ワールドネームを唱えることで、加護の力は発現する。 

 磨き抜かれた鋼の光沢を宿す鎧兜に身を包んだエルフの少女ローラは、開け放たれたアルザスの正門から躍り出るなり、己の授かる加護を発動させるはやる心のままに、全力全開。彼女の全身から、不気味な赤黒いスパークがバチバチと弾け始めた。 

 それは黒色魔力を源にした、特殊な組成の雷属性の発露。古の魔王に仕えし暗黒騎士が行使した伝説の黒雷エンドボルト』、その力の一端を使うことを、ローラフリーシアより許されているのだ。 

 「―黒雷突破ヴォルテッカーぁーっ!」 

 普段は生真面目で物静かな少女の顔を、戦場で猛る騎士の顔に一変させたローラが解き放つ武技の名を叫ぶ。 

 前方へ突き出すのは雷属性強化ライン・ブーストの術式が刻み込まれた鋼鉄の愛槍。鋭い穂先にほとばしる黒雷を集約させ、そのまま一気に駆け出す。脚甲に守られたしなやかな両足には、速度強化の武技疾駆エア・ウォーカー』に加え、黒い雷が強制的に引き上げてくれる瞬発力が宿る。砂利を踏み砕く勢いで踏み出された一歩は、ただそれだけで、トップスピードに至る加速を発揮した。 

 荒れ狂雷竜サンダードラゴンが繰り出す突進同然の勢いと電撃をもって彼女が向かう先には、槍を揃えて立ち並ぶ十字軍兵士の戦列。十字砲火が打ち切られ、次々と後続の兵士が上陸を果たしたことで、そこかしこ槍衾やりぶすまを組めるほどの集団と化している。あともう少しだけ兵が集まれば、とても個人が白兵戦で対処しきれない物量となるところだったが――不運にも彼らにはまだ、この少女騎士が放つ渾身の突撃技を止められるほどの厚みはなかった。 

 一筋の稲妻と化したローラが歩兵集団に飛び込んだ瞬間、黒と赤の禍々しい雷光の渦が吹き荒れる。真正面から槍の壁を粉砕し、直後に発生する黒雷エンドボルト』の大放電が、そこに立つ兵士の体を貫く。致死量を超える電撃がその身を駆け抜け、筋肉を沸騰させる。ブスブスと肉の焦げる刺激臭が血煙と共に充満するが、それを気にする者は、最早一人もいない。 

 「アルザスは……私が、守る……」 

 たった一撃で十数人もの集団を全滅させたが、それで大戦果と喜んでいる暇はない。眼の前には、すでに次の兵士達が同じく槍を構えて迫り来ているのだから。一人殺す間に、二人が河原へ上陸する。殺しても殺しても、敵が増え続ける倍々ゲーム。 

 絶望的な戦力差を実感するには、すでにして十分な状況であるが、それでも、自分の心は折れずに奮い立つ。自分だけではない、ここにいる誰もが、戦意をみなぎらせ刃を振るう。 

 険し眉根まゆねを寄せるローラが、ふと視線を横にずらせば、そこには腹の底から震えるようなおぞましい咆哮をあげながら、白い兵士を鮮血に染め上げていく狂戦士の姿が見えた。 

 クロノ、ランク1の冒険者。しかし、恐ろしく強い力を秘めた、人間の男だ。まだ何の加護も授かっていないという彼であるが、その戦いぶりは加護全開の自分に勝るほど。 

 負けていられない。彼の苛烈な戦いに魂が共鳴するように、闘志がみなぎる。 

 「私が絶対に、守り切ってみせる!」 

 高ぶる戦意に任せて、ローラはさらに前へ前へと突き進む。黒き神の雷を宿す槍を振るい、敵を突き、斬り、焼き焦がす。刺突と焦熱の血路を開き、河原に死体の山を築き始める。 

 勇猛果敢、それどころ狂化バサークの一歩手前まで高ぶる戦闘意欲は、自分の実力を最大限に引き出してくれるが、その代償とばかりに、僅かな注意力を失わせていた。 

 「調子に乗りやがってこの野郎ぉ、ここでぶっ潰したらぁ!」 

 白いローブ姿の兵が現れたのは、ここまで斬り進んできた中で初めてだった。初見だが、すぐにその正体を察する。魔術士だと。 

 しかも一人ではなく、複数。見る限り、男と同様に白いローブに白短杖ワンドを装備した魔術士が十人はいる。彼らはすでに、詠唱を口ずさんでいた。 

 「くっ、この乱戦で――」 

 ローラの周囲は敵、敵、敵ばかり。すでに包囲されているといってもよい。それでも、ここまで快進撃を続けられたのは、ひとえに彼女の技量と、敵が剣か槍の近接武器しか使わなかったからである。 

 常識的に考えて、乱戦の最中で攻撃魔法の斉射を叩き込むなどありえない。確実に味方を巻き込む。まして今の状況下では、敵を一人撃てば、四人の味方が巻き添えを喰らうだろう。 

 それでも味方の犠牲を覚悟、いや、無視して魔法攻撃を強行されれば、ローラの死傷率は跳ね上がる。 

 杖を構えた魔術士が、四方から繰り出される槍の対処に追われる己に向かって狙いを定めている。その杖先には、すでに完成した火矢イグニス・サギタ』が煌々と灯っている。 

 回避に専念、いや、槍兵を盾にするような立ち位置に回り込んで凌ごう。少々危険な立ち回りだが、それが最善だと素早く覚悟を決めた、その時だった。 

 「いいかテメぇら、味方に構うこたぁねぇ、撃って撃って、撃ちまく――」 

 喚き散らすような魔術士の部隊長と思われる男の攻撃指示が、強制的に中断された。突如として、空から降ってきた灰色の獣によって。 

 「おい嬢ちゃん、ちょっとばかし飛ばし過ぎじゃあねーのか」 

 野性的な狼頭から、冷静な注意の台詞が発せられる。 

 「ヴァルカンさん、すみません……」 

 「ったく、俺に前に出すぎだなんて注意させんな。俺はどっちかっつーと、注意される側なんだからよ」 

 牙を剥き出しにして笑いながら、ヴァルカンは脳天を串刺しにした部隊長の死体から、ズルリと牙の大剣『牙剣「悪食」』を引き抜く。 

 巨大な刃を脳天から突き刺され、見るも無残な赤いズダ袋と化した屍が血溜まりに沈むと同時に、ヴァルカンは早くも次の斬撃を繰り出していた。 

 杖に灯った火球の狙いが、すでに自分へと切り替わっているからだ。どこからか大跳躍をして飛び込んできたこ狼獣人ワーウルフを前に、狙いをローラの華奢な細身から、ヴァルカン獰猛どうもうな巨躯へ変更するのは当然の帰結だろう。冷静な状況判断がなくとも、湧き上がる恐怖心が反射的に手を動かす。 

 横一列に並び立つ魔術士が火を放つのと、ヴァルカンが剣を振るうのは、同じタイミング。 

 疾風一閃エール・スラッシュっ!」 

 白い牙の刀身から、渦巻く風の刃が解き放たれる。まるで大剣の刃がそのまま何メートルも伸びたと思わせるほど鋭い風の斬撃で、前方の空間を端から端まで薙ぎ払う。 

 まだ剣の間合いの外、と安全を確信していただろう魔術士の体はあっけなく断ち切られた。彼らは一様に、攻撃魔法を撃短杖ワンドを力強く前へ突き出した格好のまま、胸と腹が泣き別れる。 

 術者は全員即死であるが、一度、解き放たれた魔法はそこに籠められた魔力が尽きるまで効果を発揮し続ける。つまり、ヴァルカンに向かって放たれた火矢イグニス・サギタ』は、消えることなく飛来するのだ。 

 「はっ、効かねぇな」 

 しかし、不敵な笑みをみせるヴァルカンは、ただ振り切った剣を盾にするように素早く構え直した。迫る灼熱の矢を前に、行った対処はそれだけ。直後に着弾。爆発音を立てて燃え広がる火炎の塊は、毛深い狼獣人の体を焼き尽くす――はずだった。 

 それは、あまりに劇的な消失反応。爆発炎上するはずの炎魔法は、まるで嵐の海に撃ちこんだが如く、儚く消え去った。そこにはもう、人を焼き殺す灼熱の痕跡は残っていない。 

 「こんなもんじゃあ、腹の足しにもならねぇよな、悪食よ」 

 大飯食らいのペットに語りかけるようなヴァルカンの声に、牙の刃は肯定するようにギチギチと奇妙な唸りを上げた。 

 ヴァルカンの愛剣、『牙剣「悪食」』。その刀身に宿す能力は、絶対的な魔力吸収である。つまり、攻撃魔法はこの剣に触れると、消滅するのだ。火は燃えず、水は乾き、光は失われる。 

 この特殊な魔力吸収、剣の銘ともなる『悪食』と呼ばれる能力は、刃に用いられた牙の持ち主が宿すものである。その正体は、危険度ランク5に分類される、悪食魔獣カオスイーター』という巨大な黒い狼に似たモンスター。どんな魔法も喰らい尽くす大口に生える、特徴的な一対の大牙、その片割れが『牙剣「悪食」』として、この場で振るわれているのだ。 

 「おし、嬢ちゃん、今の内に下がるぞ!」 

 確かに、少し前に出すぎだと状況判断できる冷静さが戻ったローラは、槍を振るいながら了解の返事を叫ぶ。熱くなりすぎて注意されるとは情けない、と思うものの、戦いの経歴も実力も上回る戦士の先輩に言われるのなら、仕方のないことかと納得もできる。 

 特に、自分の未熟な加護に比べ、遥かに高いレベルで習熟している姿を見れば、その実力差を感じざるを得ない。 

 「風まとう孤高の牙――孤狼・ヴォルフガンド」 

 それがヴァルカンの唱え神言ディヴァイン・スペル神名ワールドネームであると、ローラはこの戦いの前から知っている。 

 狼獣人に伝わる伝説のモンスター『孤狼・ヴォルフガンド』。その加護がもたらす力は風。加護を受けた者はその身に風をまとい、攻撃すれば風の刃と衝撃が伴い、防御すれば風圧によって威力ぎ、走れば疾風が体を運ぶ。攻撃、防御、回避、全てをバランスよく上昇させるこの効果は、今のように多対一の局面において大いに役立っている。 

 「おい、あの魔族を逃がすな! 囲め、囲めぇ!」 

 虫のように次々と湧き出る十字軍兵士。早くも新たな上陸兵が、やや突出した二人に目ざとく狙いをつけ、怒声と差別の罵声を上げながら押し寄せる。 

 「ちいっ雑兵蟻ポーンアントみてぇにゾロゾロと湧きやがってぇ!」 

 手近な兵をヴァルカンの疾風とローラの黒雷が薙ぎ払うが、十字軍はそれを強引に数で押す。血飛沫を上げて倒れる仲間の屍を容赦なく踏みつけ、二人が下がるべき退路を埋めて行く。それは人間が集団で走るというより、白い壁がそのまま動いているように見えた。 

 十字軍兵士が突破不可能なほどの分厚い包囲網を形成する方が、僅かに早い――その予感が二人の脳裏によぎった時。 

 「――ほら、退路は開いてあげたから、早く下がりなよ」 

 血と刃に支配される凄絶な修羅場にあって尚、平素と変わらぬ飄々とした声をかけたのは、トレードマークの長いマフラーをなびかせる、一人の女盗賊。 

 「流石だぜスーさん、いいとこに来たぁ!」 

 背後に押し寄せた兵士が、一斉に首筋から鮮血のシャワーを噴き出し倒れる。僅かに開い間隙かんげきを逃さぬよう、ヴァルカンが本物の狼が四足で駆けるようにさえ見えるほどの前傾姿勢で、一気に風をまとう巨体をねじ込む。血塗れの突破口がさらに広がった。 

 「助かりました、ありがとうございます、スースさん」 

 猛然と退路を突き進む獣に三歩と遅れず、黒い稲光を瞬かせるローラが続いた。 

   

  

   

 「ま、あんまり無茶はしないようにね。もうすぐ撤退の合図も鳴ると思うし、それじゃ」 

 首尾よく包囲を抜けきると、耳元にスースの軽い忠告が届く。だが、それは声だけで、ぐるりと周囲を見渡してみても、その姿はどこにも見つけられなかった。見えないだけではない、そこにあったはずの気配も、忽然と消失している。まるで、幽霊に助けられたかのようだ。 

 「『影渡・ハンゾーマ』の加護を使うなんざ、やっぱ盗賊じゃなくて暗殺者だろアイツは」 

 幻と会話したかのような錯覚に、ローラも同感だと頷かざるを得ない。もっとも、信じる神も使うスキルも人それぞれ、余計な詮索と口出しをしないのは冒険者のマナー。彼女が頑なに盗賊クラスを主張するなら、盗賊ということにしておくのだ。 

 似たような結論に至った二人は、未だ懲りずに川を渡って迫り来る白い軍団に向き直る。 

 「そんじゃあ、もうちょい踏ん張るとすっかぁ!」 

 こんな死中にあっても、どこか楽しそうに吠えるヴァルカン。対するローラは、今度こそ下手は打たないと固く誓って、槍を構え直す。 

 押し寄せる十字軍の中には、歩兵だけでなく、先に現れた魔術士や、弓を携えた射手の姿も交じるようになっていた。一部の独断ではなく、同士討ちの危険性を無視してでも遠距離攻撃で確実に魔族を討ち取る方針がとられているようだ。 

 戦いはいよいよ厳しいものになる。そう気を引き締めた時、不吉な地響きが河原を駆け抜けた。すわ何事か、と震源地と思しき方向を確認すれば、そこには濛々と土煙が立ち上っているのが見えた。大爆発による黒煙ではなく、途轍もない重量物が落下したように思える。 

 「あっちは、クロノさんが戦っている辺り……」 

 強敵が出現したのだと、すぐに察する。しかし、この敵の大軍が入り乱れる最中にあっては、そう簡単に援護にも向かえない。ヴァルカンが助けに入れたのは偶然だし、スースのフォローも、隠密行動に優れ、戦場を縦横無尽に駆け回れる彼女だからこそなせる技。 

 自分にできるのは、持ち場を死守することと、祈ることだけ。 

 「クロノさん、どうかご無事で――」 

 またしても己の無力を感じながら、ローラは黒き雷をまとう槍を振るい続けるより他はなかった。 

   

 ◇◇◇ 

   

 「―魔弾バレットアーツ全弾発射フルバースト 

 どれだけ殺し続けても、途切れることなく現れ続け、また、恐れ知らずにかかってくる十字軍兵士の群れに、黒い弾雨を叩き込む。命の重み、なんて言葉も意味も忘れるほどあっけなく、バタバタと倒れる歩兵達。 

 「貫け魔剣ソードアーツ 

 間髪入れずに、死体を踏み越え肉薄してくる兵士共に、今度は黒化剣をぶち込む。人の体など容易く貫く黒い刃だが、ここでついに耐久限界を迎えたようだ。チラリと横目で確認すれば、サーコートの胸元に描かれた十字マークのど真ん中をぶち抜いた魔剣は、黒化のコーティングが剥がれ、ただの刃こぼれした長剣と化している。魔法が解ければただの剣、俺の操作は受け付けない。 

 最初は十本あった黒化剣だが、一本、また一本と欠けてゆき、今の攻撃でとうとう打ち止め。予備の分もすっかり使い切ってしまった。ギルドに戻らなきゃ、補充はできない。 

 「はぁ、はぁ……本当にキリがないな」 

 魔弾バレットアーツ魔剣ソードアーツの両方を奇跡的に潜り抜けてきた兵士を、煩わしく羽虫がたかってきたように、うんざりと鉈を振るって斬り飛ばす。こう何人も斬り続けていると、いい加減、このデカい鉈を持つ腕が重くなってきそうなものなのだが、むしろどんどん軽く、技のキレが冴えてくるのは、俺の腕前が成長しているのか、それとも、呪いがもっと斬れと命令しているのか。 

 「まぁいい、まだまだお前には、血を吸わせてやることに変わりはないからな」 

 苦笑しながら、そんな独り言をもらした時、頭の中に警鐘が鳴り響く。俺の第六感が大きな魔力の気配を察知。肌を刺すようなこの感覚は、かなりヤバい攻撃魔法が飛んでくる前兆だ。 

 「――上かっ!」 

 直感に任せてその場を飛び退きつつ、見上げてみれば、巨大な柱が降ってくるのが目に映った。リリィの魔法のように光の柱ではなく、岩石を削り出して作られたと思しき円柱である。それは空の上に立つ城から、偶然に崩れ落ちてきたかのような勢いと唐突さでもって、真っ逆さまに落ちてきた。 

 大地を揺るがす衝撃と轟音が駆け抜ける。察知があと一秒でも遅れていれば、俺はあの落下地点のど真ん中で巻き込まれていた。いや、こう考えるべきか。最初から、俺を狙ったのだと。 

 「ふん、随分と勘が良いようだな、この悪魔めが」 

 威圧感のある重低音の声を発しながら、一人の男が兵士の中から現れた。 

 熊のような大男だ。身長は俺と同じかやや高いくらいだが、横幅は倍くらいに見える。そんな筋肉達磨な巨躯が身に着けるのは、重厚な鎧兜ではなく、煌びやかな純白の法衣。しかしながら、その手に握るのは怪力自慢の戦士が振るうに相応しい、大きく、太い、無骨な鋼鉄のメイスだ。輝く魔石の装飾は見られないが、文字の列が刻み込まれていることから、魔法の杖としての機能もあると推測される。 

 まぁ、そんな装備に気づかずとも、その口ぶりからして、この大男が岩の柱を落とした犯人であると断定するには十分だ。ついでに、明らかに兵士が男の進む道を割って開けている反応から、十字軍の将校クラスにあたる司祭ということも、間違いない。 

 「十字軍ってのは、偉そうなヤツほど前線に出たがるもんなのか?」 

 イルズ村を襲った部隊を率いていた司祭も、一人で挑んできたところを斬ってやったんだぜ。 

 「あんな若造を斬ったところで図に乗るな。神の敵を討つ十字教司祭の聖なる力を、その身をもって思い知るがいい!」 

 芝居がかった前口上に続いて、猛獣のような咆哮を上げながら、手にするメイスを砂利の地面へ叩き付けた。さっき感じたのと似たような魔力の気配と殺意が、鋭く肌に走る。 

 「―岩崩テラ・ブラストぉ!」 

 土属性の範囲攻撃魔法が炸裂した。河原に転がる砂利が一瞬の内に巨大化したような錯覚。人の頭ほどもある岩石が、こちらに向かって幾つも乱れ飛んでくる。一足飛びに避けるには、攻撃の範囲が広い。飛来する礫の嵐の中にいるまま、対処するより他はない。 

 弾丸ライナーが如く顔面直撃コースで飛んできた岩を、右手に握る鉈で一刀両断。かなり重い手ごたえだが、弾かれるほどではない。 

 振り切った勢いのまま、体を反転。左手にする『ブラックバリスタ・レプリカ』で、カウンター魔弾バレットアーツを見舞う。撃ち出す黒い散弾に、あの大男が避けられる隙間はない。 

 岩盾テラ・シルド――ふん、悪魔の黒魔法とやらも、この程度か」 

 俺の反撃も見越していたのか、すでに司祭は己の巨体を隠す四角い岩壁を地面から生やしていた。流石に、あの墓石みたいに分厚い盾を貫くだけの威力は魔弾にない。甲高い音を虚しく立てて、ばら撒かれた散弾が止められた。 

 「人を殺せる最低限の威力に留めることで、消費魔力を節約、連射を可能とする。ふっ、種を明かしてみれば、何てことはない、少しばかり工夫されただけの低レベル原初魔法オリジナルだな」 

 わざとらしいほどの説明口調で語りながら、悠々と岩の盾から歩み出る司祭。その台詞は、俺に対すあざけりというよりも、魔弾に圧倒された歩兵達に向けたマイクパフォーマンスなのだろう。周囲の兵士が一斉に沸き立つ。 

 「おおぉ、流石はノールズ司祭長様だ!」 

 岩鬼ロックオーガの二つ名は伊達じゃねぇ! 司祭長様、そのまま悪魔を叩き潰してくれぇ!」 

 ここまでの奮戦で、多少なりとも士気を挫いたつもりだったが、一気に盛り返された。司祭長様万歳、十字軍万歳、高らかな声援が響く。同時に「悪魔を殺せ」の合唱も。 

 「聞けぇ、我が十字軍兵士よっ! この黒き悪魔は、今ここで、鬼のノールズが捻り潰す! 貴様らは恐れず突き進み、柵を越えて魔族共を一人残らず血祭りに上げるのだ!」 

 力強い突撃命令に、怒涛の如く十字軍兵士が動き出す。その白い濁流はしかし、俺とノールズが対峙する場所だけは避けて突き進む。人でごった返す河原にあって、奇妙なほどの空白が形成された。 

 ノールズは一対一の勝負を望み、兵もそれを心得ている。俺はたった一人に構っていられる状況じゃないと焦りを覚えるが……いいや、これは俺にとってもチャンスだ。この司祭長が士気を高めてみせたのなら、コイツを殺せば、上がった以上に士気は急落する。もしかすれば、そのまま撤退まで追い込めるかもしれない。 

 まぁ、そうでなくとも、かなりの実力者であろうノールズは危険な存在だ。コイツは強力な土属性魔法を行使する。デカい一発を門にぶちかまされれば、それだけで破られてしまうだろう。やるしかない。是が非でも、ここで討ち取る。 

 「ほう、貴様もヤル気になったようだな。悪魔の呼び名に相応しい、鋭い殺気だ」 

 「悪魔じゃねぇ、俺の名は――」 

 小杖タクトを構え、魔弾を装填。次は、盾に防がれる前に頭を撃ち抜いてやる。 

 「――クロノだっ!」 

 黒いマズルフラッシュと鋭い発砲音を響かせ、渾身の一発が宙を疾走する。黒い火線だけを後に残し、本体である疑完全被鋼弾フルメタルジャケットはノールズの厳つい顔面のど真ん中にヒットした。目にもとまらぬ弾速、それでいて、狙い通り。 

 「貴様には二つ、教えておいてやろう」 

 だが、ノールズは何事もなかったかのように返答をよこす。弾を避けられたわけでも、まして、割られた顔が再生したわけでもない。またしても、俺の魔弾は防がれたのだ。 

 放たれた黒い弾丸は、ノールズの顔面に突き刺さっている。しかしそれは素顔ではなく、瞬時に展開した、石の仮面である。ゴリラみたいな濃い顔は、鬼と呼ぶに相応しい、鋭い目元に牙をあしらったレリーフが浮かぶ、異形の面に覆われていた。 

 「俺の名はノールズ、この十字軍西部方面占領部隊を率いる指揮官だ。そして――」 

 まさかこの軍団の指揮官が直々に、と驚く間もなく、ノールズの身に起こる急激な変化に、目を奪われる。 

 魔弾を止めた石仮面は、その面積を急速に拡大してゆく。顔から頭全体を覆うフルフェイスの兜となり、次の瞬間には首が覆われ、さらに体の方にまで伸びて行く。その様子は、メデューサに睨まれ全身が石に変化していくようだが、これは自らの魔法による武装強化だ。 

 瞬く間にノールズの巨躯は、ゴツゴツとした荒い表面に鋭いスパイクが生える、恐ろしく攻撃的なデザインの岩全身鎧フルプレートアーマーに覆われる。 

 「これが幾多の戦場で異教徒を葬り去った、俺原初魔法オリジナル! 鬼岩装甲ゴリアス』だっ!」 

   

 ◇◇◇ 

   

 わざわざ自分が出張って来た甲斐があった、とノールズは無敵の鎧に包まれ思う。 

 ことごとく歩兵を殺戮してみせた黒魔法の攻撃は撃ち止み、魔族の戦士が門から飛び出して決死の白兵戦を仕掛けるこの状況。ここが勝負どころであると、歴戦の武人たる己の直感が訴えかける。 

 「正気ですか? 指揮官が最前線に出るなど危険に過ぎます。それに、部隊の指揮はどうされるおつもりですか」 

 そんなお小言のよう諌言かんげんを述べる副官のシルビアだったが、戦の機微を知らぬ小娘に、悠長に説明している暇はない。後の指揮はお前に任せる、とだけ言い残し、ノールズは自陣を飛び出してきたのだ。 

 頭上を飛び交う矢と魔法を弾くこと数回、川の深さと流れに沈みかけること二回。少しばかりの苦難を乗り越え、ノールズは今、十字軍に死と恐怖を振りまく、黒い悪魔の前に立つ。 

 シルビアの言うような危険など百も承知。だが、ここで悪魔を討ち取れば、一気に勝敗は決する。それに、ここまで兵の消耗を強いてしまった手前、せめて目に見える手柄の一つもなければ、格好がつかない。 

 だが、何よりもノールズの直感を刺激するのが、この悪魔をとり逃がした場合の不安感である。それはこのアルザス村攻略の一戦だけでなく、これから先、パンドラ全土を支配する戦いにおいて、この黒い悪魔が幾度となく立ち塞がるのではないか。そんな予感である。グレゴリウス司教の手紙にあった『不吉な黒い影』とは正に、このクロノという男を指しているのではないか。胡散臭い予言の言葉と思わず結びつけてしまうほどに、嫌な予感が駆け巡るのだ。 

 その不安感を杞憂にするためにも、ノールズは自らの手で悪魔を叩き潰さなければならない。 

 「さぁ行くぞ、貴様の悪逆三昧も、これまでだぁ!」 

 勢いよく振り上げるメイス、魔法の杖としても機能する自分だけ専用装備オーダーメイド大聖堂の御柱カテドラル・エンタシス』には、すでに無詠唱の土属性魔法が効果を表し始めた。 

 岩礫崩テラ・オーヴァブラストっ!」 

 力強く突き上げた腕に呼応するように、地面が土砂を間欠泉が湧くようにドっと噴き上げる。一見すると爆発したように思えるが、この魔法の本質は、地面より突き上がる岩の槍による串刺し攻撃。一瞬のうちに林立する鋭い円錐の石柱は、まともに喰らえば胴を貫かれ、半端な避け方では手足が削がれる。土属性に高い適性を持つノールズが使えば、その威力は一級品。 

 無慈悲な範囲攻撃が効果を発揮する砂煙の向こうに、クロノの姿は隠れる。中級範囲攻撃魔法岩礫崩テラ・オーヴァブラスト』は、無詠唱とはいえ一足飛びに回避できるほど攻撃範囲は狭くない。 

 だが、それだけで討ち取れるほど、悪魔も甘くはないようだ。未だ晴れない砂煙の向こうから、黒い弾丸が飛来する。 

 「ふん、そんな貧弱な攻撃など、この装甲の前には通らぬわぁ!」 

 三度、悪魔の弾は岩の防御の前に止められる。甲高い音を立てながら、数十発分の攻撃が胸当てとフェイスガードを叩く。ヒビ一つ入ることはないが、視界を塞がれながらも頭に命中させてきた射撃精度は驚異的である。 

 「――黒凪」 

 河原を吹き抜ける風が砂煙を晴らすより前に、おぞましい漆黒のオーラを迸らせる大鉈を振りかぶったクロノが、目の前に飛び出してくる。その身に負傷は見当たらない。 

 無傷で岩礫崩テラ・オーヴァブラスト』を凌いだこと、素早く間合いを詰めて武技を繰り出してきたこと。どれも、驚くには値しない。この男の実力を思えば、それくらいは容易いだろう。ノールズは魔族を蔑視するが、その戦闘能力だけは侮らない。 

 強いて驚かされるところといえば、我が身に迫り来る鉈が、途轍もない怨念を秘めた呪いの武器であるということか。この黒いオーラ、背筋が凍るような気配。目にするのは二度目だが、間違いない。こんなものまで使いこなすとは、感心するほど徹底した悪魔ぶりである。 

 剛打スマッシュ!」 

 振り下ろされる呪いの大鉈を、放った武技に反応しほのかな白光を放つ大聖堂の御柱カテドラル・エンタシス』が迎え撃つ。互いに鍛えあげられた剛腕でもって繰り出される渾身の武技に、火花と魔力が盛大に散る。その威力は――ほぼ互角。 

 予想以上膂力りょりょくだ。バケモノめ、と内心で愚痴がこぼれる。 

 発動中の鬼岩装甲ゴリアス』には、ただ防御を固めるという以上に、腕力強化フォルス・ブースト』や集中強化コンセス・ブースト』といった強化も合わせて行使している。この岩の全身鎧の内側には、強化魔法を発動させるための術式が刻み込まれている。そこまで含めて、この鎧を魔法で作り出しているのだ。 

 ともかく、自前の腕力に加えて筋力を底上げする強化まで発動させているのに対し、クロノは素のままである。この近距離で打ち合えば、相手が強化を発動しているかどうかくらいは察せられる。つまり、クロノの腕力は、強化をかけた自分と同等ということになる。 

 悪魔、悪魔と呼んではいるが、その姿からクロノの種族が人間であることは理解していた。しかし、ここで初めて疑念が浮かぶ。この男は本当に、人に化けた悪魔ではないのかと。 

 「うぉおおおおおおっ!」 

 だとしても、負けるわけにはいかない。ますます、倒し甲斐があるというもの。 

 ノールズは気合いの雄たけびをあげながら、クロノと真正面からの斬り合いを演じる。黒い斬撃軌道を残す鉈と、白い光の軌跡を描くメイスが、傍から眺める歩兵ではとても目で追えない高速でぶつかり合う。斬り、払い、突き、受ける。牽制、フェイント、本命。息つく間もない大立ち回り。 

 武技でなくとも、大聖堂の御柱カテドラル・エンタシス』のフルスイングは一撃で人の頭をかち割る威力を叩き出す。対するクロノが振るう呪いの刃も、あっけなく人を両断する切れ味を誇っている。 

 人の身である以上、互いに一撃必殺となりうる剣戟の応酬――しかし、ノールズには鬼岩装甲ゴリアス』という絶対的な防御のアドバンテージがある。 

 視界の外から滑るように現れた悪魔の刃を、左腕にまとったガントレットで弾く。ガリガリと不吉な音を立ててスパイクが削れて行くが、生身には届かない。この装甲は、呪いの武器さえ防ぎきる。武技さえまともに喰らわなければ、致命傷はありえない。 

 いける。思うと同時に、もう一つ、確信が深まる。クロノの剣は、我流だと。 

 こうして直に打ち合うからこそ、気づけた。クロノの剣筋は、恐ろしく速く、力強い。だが、やけに動きが荒いのだ。剣の基本を心得ぬまま、ただひたすらに実戦の中で磨き続けた喧嘩殺法。そんなイメージである。 

 クロノは強い。だが、メイスの達人でもある己であればこそ、付け入る隙が見つかる。もっとも、この男がこのまま激戦を重ねていけば、我流がどこまで昇華されていくか分からないが。 

 出会ったのが、今で良かった。神に感謝する。 

 「―大断撃破ブレイク・インパクトぉ!」 

 積み重ねたフェイントで誘導し、ようやく狙い通りにこの武技を鉈で受け止めさせることに成功する。渾身の勢いで振り下ろされた達人級の武技大断撃破ブレイク・インパクト』は、大型のモンスターを屠る威力を秘めた強烈な一撃だ。そのまま大地に叩き付けるだけでも、近くに立つ者に衝撃波が襲い掛かるほどの激烈な破壊力は今、クロノが構えた鉈一本に集約されていた。 

 「――ぐう!? 

 重苦しい呻き声と共に、悪魔の手から呪われし刃が弾き飛ばされる。女の金切声のような不気味な音をたてて、鉈が虚空へ放り出された。 

 しまった、と声が聞こえそうなほど焦りで目を見開くクロノ。弾かれた鉈は、クロノの背後二メートルの辺りで地面に突き刺さった。手を伸ばせば届く距離にはなく、取りに行ける隙もない。唯一この装甲を破れそうな頼れる武器は、ついに失われた。 

 「ふはははっ! これで終わりだぁ!」 

 勝利を確信したノールズは、追撃のメイスを振るう。いつの間にか左手に黒小杖タクトを手にしていたクロノが、苦し紛れに弾丸を放つ。 

 至近距離で喰らおうとも、この絶対防御の岩鎧は破れない。防ぐことも避けることもせず、ただ、顔面に飛んでくる弾を石仮面で受け止める。この仮面部分は確かに装甲はやや薄いが、それでもこの攻撃を百発喰らったところで、砕け散ることはない。 

 僅かほども体勢を崩すことなく、メイスは狙い通りに振るわれる。しかし、黒いローブを翻しながら、クロノは紙一重で回避に成功する。獣のような反応速度と体捌き。 

 見事な回避能力だが、反撃の手を持たない無力な相手だ。一方的な攻撃にさらされれば、いつまでも無傷で避け続けるのは不可能。宣言通りに、この悪魔を叩き潰すのも時間の問題だ。 

 「悪魔クロノよ、貴様の命も、魔族の命運も、ここまでだな」 

 再び、振り上げられるメイス。今度こそ、回避を許さない直撃コース。聖エリシオン大聖堂の一部改築の折に入手した聖銀ミスリルの柱の欠片を混ぜて作り出された、この大聖堂の御柱カテドラル・エンタシス』は今まさに、内に宿す由緒正しき聖なる力をもって、神の敵を討つ。 

 クロノは最後の抵抗とばかりに、やは小杖タクトを向けて、黒魔法を放とうとしていた。 

 「無駄な悪あがきを――」 

 最後に放った悪魔の弾丸は―― 

 「―影触手アンカーハンド 

   

 ◇◇◇ 

   

 ノールズご自慢の鬼岩装甲ゴリアス』とやらは、一見すると無敵の防御を誇るように思えて――事実、無敵だった。まず、魔弾が通る隙間がない。視界を確保するために開かれた仮面の目元も、小さな点になってるだけ。関節部分も、少なくとも魔弾の一発二発でどうこうなるほど薄くはない。『黒凪』を直撃させられれば、何とか切れるかもしれないが、コイツの力量を思えば、クリティカルヒットは絶対に許さないだろう。 

 この絶対防御の守りがある限り、俺は決め手に欠ける八方塞がり。 

 だったら、その防御を剥がせばいい。命がけの斬り合いを演じる中で、俺が出した勝利への解答が、それだった。 

 「―影触手アンカーハンド 

 左手小杖タクト『ブラックバリスタ・レプリカ』から射出した真っ黒い触手影触手アンカーハンド』は、ノールズにとっては初見だ。俺としても、戦闘でコイツを使うことになるとは思わなかったが。 

 直前に魔弾を撃ったのは、牽制ではなく布石。ノールズには確実に受け止めることを選ばせなくてはならない。初見の魔法だと見切られたら、警戒するだろうからな。 

 そんな小細工もどうやら功を奏したようで、ノールズは避けるそぶりすら見せず、これまで散々に魔弾を弾いてくれた石仮面のど真ん中で触手を受け止めた。その先端は、俺の唯一の回復魔法『肉体補填』で使うようなゼリー状の黒色魔力が、かなりの粘度を持ってベタリと引っ付く。簡単には剥がせない。少なくとも、次の一手を終えるまでは持つだろう。 

 「黒化」 

 そして、これこそが無敵の鬼岩装甲ゴリアス』を打ち破る、起死回生の一手だ。『黒化』は自分の黒色魔力を物質付加エンチャントすることで、強度を上げたり、手を触れずに操作するなどの干渉能力を与えることができる。魔剣の性能は言わずもがな。遡れば、この黒化でリリィの小屋にあった宝箱だって開けたのだ。 

 そんな俺の支配力そのものと呼べる黒色魔力が、放った触手を伝い、主を守る石仮面を侵食する。瞬く間に、灰色の仮面は黒一色に染まる。黒化完了。 

 触手越しに黒化を施すのは、実はこれが初めてのぶっつけ本番であったが、イメージはできていた。モっさんが冒険者ギルドの壁に、黒い触手をウネウネさせて永続エタニティ』の魔法陣を描いているところを、俺は見ている。お蔭さまで、一発大成功だ。あとは触手を伸ばす左手を軽く引けば、それだけで仮面を奪える。 

 「――馬鹿な!? 

 黒化によって岩の兜と結合力を失った石仮面は、あっけなく顔から引き剥がされた。驚愕に目を見開くノールズの顔とご対面。この表情、よほ原初魔法オリジナルに自信があったと見える。 

 ノールズはこの瞬間、振り上げたメイスでそのまま攻撃するか、仮面さらってゆく触手を追うか、再び石仮面を再構築するか――そんな選択肢が渦巻き、迷ったに違いない。絶大な信頼を寄せる防具が剥がれたことに、致命的な隙が生じた。 

 「パイルバンカーっ!」 

 俺の最初にして最速の黒魔法が、鉈を手放し無手となった右腕に宿る。螺旋に渦巻く黒色魔力は、人の頭など軽々とぶち抜く破壊力をもたらしてくれる。 

 必殺の拳を、こじ開けた隙へねじ込むように放つ。驚愕と焦燥で、仮面がなくとも鬼のような形相に歪むノールズの顔面めがけて、パイルバンカーが駆け抜ける。 

 「がっ、ぁああああああああああああああああ!」 

 首の骨が折れるような勢いで、ノールズの頭が後ろにのけ反る。狙い通りに顔面をぶち抜いた――否、すんでのところで、避けたのだ。 

 振り抜いた拳には、肉を打ち、骨を砕く感触が伝わらない。紙一重で避けてみせたのは、この男が積み重ねた経験故か、それとも、戦士としての才能か。しかしながら、それだけで完全に避けきるには足りなかったようだ。 

 直撃こそ免れたが、俺の右腕がまとう黒き破壊の渦は、ガリガリとノールズの顔を鋭く削った。顎のラインから入り、唇を縦に割り、鼻の横を切り裂きながら眉間を通り抜け、額に抜ける。真紅のラインが、顔面を一直線に縦断していった。 

 狂える獣のような雄たけびを上げながら、顔からドっと鮮血の飛沫が舞う。それなりの出血を強いるが、それでもノールズは後ろへ飛び退く回避行動をとってみせた。未だ全身は分厚い岩の鎧に覆われているにも関わらず、彼の巨躯は思いのほか俊敏に飛ぶ。 

 「逃がすかぁ!」 

 一足で二メートルほども退いてみせたノールズへ、さらに追い討ちをかけるべく、再び影触手アンカーハンド』を放つ。今度は一本じゃない、出せるだけ出す、大放出。二十本もの触手が、手負いの巨躯へ襲い掛かる。 

 「ぬぅぉおおお! この、悪魔めがぁ!」 

 血と怒りで真っ赤に染まった顔で吠えながら、メイスを一閃させるノールズ。だが、それで打ち払えるのは一部の触手のみ。残った半数以上の影触手アンカーハンド』は、ベタリと体中に張り付き、一斉に黒い浸食を開始する。 

 「や、止めろっ、止めろぉおおおおおおおおおお!」 

 最早、型も何もなく滅茶苦茶にメイスを振り回しながら、同時に、必死に左手で体にまとわりつく触手を引き千切ろうともがく。恥も外聞もない無様な抵抗に徹するものの、俺の黒化は瞬く間に堅牢な装甲を無力化してゆく。すでにして、上半身の鎧が全て、黒に染まり切った。 

 「これで終わりだっ――」 

 再び左手を引けば、魔法の結合崩壊を起こした鬼岩装甲ゴリアス』がもろくも剥がれ落ちる。自慢の鎧が無に帰す様を、ノールズは青ざめた表情で見送るのみ。 

 その時には、密かに右手からも伸ばした影触手アンカーハンド』が、後ろに突き刺さっていた『呪怨鉈「腹裂」』を回収し終えていた。俺の手に、再び呪いの刃が戻る。 

 「――黒凪っ!」 

 完全に直撃コースを辿る、暗黒の軌跡。ノールズの首を刃が断ち切ってゆく――はずだった。 

 白光一閃ルクス・スラッシュぅ!」 

 突如として、白い光剣戟けんげきが割り込んだ。ぶつかり合う暗黒と純白。俺の武技が、弾かれた。 

 誰が横槍を入れてきたのか知らないが、十字軍の指揮官をここまで追い込んでおいて逃がすわけにはいかない。弾かれた鉈を素早く切り替えし、追撃を放―― 

 「くそっ!」 

 目の前からさらに続けて、白銀に煌めく二筋の刃が迫る。剣ではない、この斧と槍を組み合わせた特徴的な形状は、ハルバードと呼ばれる長柄武器だ。最初に割り込んだのとは、別のヤツ。これを手にしていたのは、最初の罠で川に流してやっ重騎士アーマーナイト。そんなことを思い出すまでもなく、俺に向かって鋭い斬撃を放ったのが、鋼鉄の重装甲をまとう二人の騎士であることを視認できていた。 

 ノールズを斬り捨てる追い討ちの一撃は、そのまま重騎士が繰り出す同時攻撃を防ぐ目的に切り替えざるを得なかった。縦に振るった鉈の刃に、二つの斬撃が寸分の狂いなく打ち込まれる。完璧に防いだ――しかし、大柄な重騎士二人分の同時攻撃の勢いは、俺の体をそのまま後ろへ吹っ飛ばすだけの衝撃を備えていた。フワリ、と足の裏が浮く。 

 魔弾バレットアーツっ!」 

 高速で背景が流れていく中で、俺は悪あがきのように魔弾を連射した。これまでの戦いで、もう何度聞いたか分からないほど、弾丸が固い防御に弾かれる虚しい音が耳に届いた。 

 「いやぁー危ないトコだったっすねぇ、ノールズ司祭長様ぁ」 

 宙でバランスを崩すこともなく無事に着地を迎えると同時に、俺は最悪のタイミングで戦いに割って入ってきた野郎の姿を確認した。 

 「ぐっ、貴様……キプロスか……」 

 助けてもらったくせに、どこか忌々しい目つきでノールズが睨む先に立つ男は、その軽薄な口調に見合った、優男だった。 

 男のくせに茶髪のロンゲで、そこそこのイケメン面を台無しにするようなニヤニヤいやらしい笑みを浮かべている。弧を描く目元と口元には、それぞれ一つずつ、白銀のピアスがキラリと光る。この戦場にあって鎧もつけず、はだけさせた衣服をまとうだらしない格好。鍛えられた筋肉を覗かせる胸元には、十字のロザリオがピアスと同様に銀色の輝きを放つ。 

 その姿からいって、十字軍兵士ではないのだろう。恐らく、傭兵といったところか。もっとも、夜の街に生きるホストというのが、一番しっくりくるのだが。 

 「これホント、マジで九死に一生ってヤツっしょ。超ヤベー悪魔クンからさぁ、颯爽と司祭長様を救出ってな大活躍! コレ、かなり高くつくんでヨロシク!」 

 ヒャハハ、と一人だけ場違いなテンションで笑い声を上げるホスト野郎こと、キプロス。今すぐそのニヤケ面に魔弾をぶち込んでやりたいところだが、俺を押し退けた二人の重騎士がそれを許さない。 

 川に流れた十字軍の重騎士とはまた少し違ったデザインのヤツが、如何なる攻撃も通さないとばかりに長方形大盾タワーシールドをどっかりと構えている。その様子からいって、コイツらもキプロスと同じく十字軍の兵士ではないのだろう。手下の傭兵、と呼ぶには、豪華な装備だが。 

 「よ、余計な真似を……」 

 「いやいや、そんな顔面血塗れで言っても説得力皆無っつーか、俺がいなきゃ真っ二つだったでしょーがアンタ」 

 右手に握った白銀の光を発する剣――あの輝きは、純正聖銀ミスリルってヤツだろうか。そんな高価な剣を玩具みたいにヒラヒラ振りながら、左手では鬼岩装甲ゴリアス』が剥がれて白い法衣剥き出しとなったノールズの胸板を、気安くバシバシ叩いている。 

 「そんじゃ、ここは一時撤退っつーことで」 

   

  

   

 「待て! 勝手なことをするな、俺はまだ――」 

 重騎士の片割れが、ノールズの巨体を軽々と担ぎ上げ、有無を言わさず川へと戻ってゆく。俺はそんなギャグみたいに撤退していく様を、眺めていることしかできない。 

 対峙しているのは重騎士一人だけだが、勝負の顛末を知ったらしい十字軍兵士が、続々と俺の周りに集まり始めているのだ。無論、目の前にも。重騎士とキプロスとかいうホスト風男のすぐ両脇には、歩兵の集団が分厚い槍衾を形成しつつある。もうとっくに、俺の追撃が届くような状況ではない。刺し違える覚悟で挑んでも、刺されるだけで終わるだろう。 

 「……ちくしょう」 

 悔しいが、見逃さざるを得ない。 

 「へへっ、そんじゃあな、よんじゅ――いや、クロノ、だっけ、お前」 

 どこか気だるげに、長い茶髪をかき上げながら、俺の名を呼ぶキプロス。見る人を常に小馬鹿にするようなたれ目に、一瞬だけ鋭い眼光が灯った――かと思えば、やはり、元のニヤニヤ笑いに戻る。 

 「お前、っつーかお前ら、逃がさねぇからよ、一人も。覚悟しとけよ、魔族のカス共」 

 十字教の信者なら誰でも言いそうな胸糞悪い殺意と差別の言葉を残し、キプロスは悠々と背中を見せて去って行った。 

 後に残ったのは俺と、睨み合うだけで進んでこない十字軍の腰抜け兵士共だけ。さて、真正面から斬りこんで行くか、それとも少し下がるか。どうするか、と少しばかり悩んだその時、ここ一週間で聞きなれた音色が響いた。 

 「こっちも撤退、か……」 

 喧々騒々とした戦場でも響き渡る角笛の特徴的な高音は、俺自身が定めた撤退の合図。もう、この場で白兵戦を続ける必要はない。機関銃が復活し、再び十字砲火を再開できる。 

 「―黒煙スモーク 

 撤退用のサポート黒魔法を発動。忌まわしい研究所でサリエルから逃げ出した時のように、濛々と目くらましの煙を大発生させる。真っ黒い煙は、瞬く間に周囲に群れる十字軍を飲みこんで行った。 

 「ちくしょう、大失態だな……」 

 敵の指揮官と決闘という大チャンスを棒に振り、どうしようもない失意を覚えながら、俺は渋々、正門へと戻るのだった。 

   

 ◇◇◇ 

   

 「どういうことだオイ! 地上部隊が退いて――って危ね!? 

 驚異的な追尾能力を発揮して迫るリリィの光弾を、すんでのところで槍で弾き落とす。油断も隙もない連続攻撃。 

 「エステル、確かに兵が撤退しているわよ」 

 陣形的に下方へ位置するフランから、肯定の通信が入る。やはり、眼下で蠢く白い影が、ゾロゾロと対岸へと退き帰していく動きは、見間違いではなかったらしい。 

 「どうやら、ノールズ司祭長が負傷したみたいよ」 

 「は!? 馬鹿じゃねーのか、何やってんだよあのオっさん!」 

 堂々と上官に対する罵倒を叫びながら、エステルは手綱を引き素早く騎馬を反転させる。 

 「仕方ねぇ、こっちも撤退だ! 腑抜けの野郎共が逃げ出したんなら、ここで戦う意味もねぇ!」 

 エステルの急な撤退命令だが、誰も異を唱えず即座に了解の返答を、天馬騎士全員が寄越す。正直に言って、誰もがこの凶悪極まる妖精から今すぐ逃げ出したかったのだ。終始、強気な態度を崩さないエステルでさえ。地上部隊の全軍撤退は、渡りに船ともいえる。 

 「くそっ……ホントに戦う意味なんかねぇよ……」 

 この栄えある天馬騎士部隊が、たった一人の妖精に圧倒され、いたずらに損害を被っただけの結果に終わったのだ。最初に瞬殺された隊長と副隊長を始め、今ままでの三十分あまりにわたる空中戦の間に、一人、また一人と仲間が撃墜されていった。 

 決死の突撃攻撃を仕掛ける度に、流星剣スターソード』という極大光刃フォースエッジのカウンターで斬殺され、距離をとったとしても、強力な光魔法の嵐が吹き荒れる。 

 光の速さで一直線に駆け抜け光線レーザーと、速さは劣るが着実にターゲットを狙う自動追尾能力を宿光弾サギタを織り交ぜた同時攻撃。流星群のように美しい光の軌跡を描きながら迫る無数の白光は、直撃すれば体を穿ち貫き、焼き焦がし、爆散させる恐ろしい威力を宿している。 

 一体、どれだけの仲間が破滅の光に飲まれて消えていっただろうか。帰って死傷者の実数を確認するのが嫌になる。 

 「全員、一発ぶっ放して離脱! ヤツに後ろを突かせんな!」 

 背中を見せて逃げ出す撤退時は、追撃の危険性が最も高い。特に、あんな凶悪な攻撃力と機動力を誇る相手なら、尚更だ。ここぞとばかりに、無防備な背中へキツい一撃をぶち込んでくるだろう。 

 撃ち落とせなくてもいい、ただ、この場に足止めさえできればそれで十分。その意図は誰もが理解しているだろう。天馬騎士達は、各々の得意属性となる攻撃魔法を無詠唱で撃ち始めた。 

 リリィの光に負けじとばかりに、天馬騎士は息の合った斉射を射掛ける。炎が、雷が、氷が、宙を駆け抜け、リリィの小さな体に迫る。 

 しかしその攻撃の顛末は、誰も確認しようとはしない。万が一にも、この程度の攻撃でリリィが落ちるはずがない。そう確信できるほど、彼女の実力をこの三十分という短い間に思い知らされたのだから。 

 乱れ撃たれた炎属性の中級攻撃魔法火炎槍イグニス・クリスサギタ』は、宙に火炎の華を咲き誇らせる。灼熱の爆風が、その空間にある者を焼き尽くそうと膨れ上がるが、僅かな間隙を縫うように、リリィが器用な曲芸飛行で切り抜けていく。 

 吹き荒ぶ爆炎の向こうから、紫電を迸らせて迫るのは雷属性の中級範囲攻撃魔法雷鳴砲撃ライン・オーヴァブラスト』。死角を突き、尚且つ、回避の隙間さえ埋め尽くすように迫る電撃の投網は、やはり華麗に宙を舞う妖精を捕えることはできない。 

 リリィは無数の雷矢が殺到する中で、比較的密度が薄い箇所を的確に判別し、そこへ体を滑り込ませる。それでも手足を削るような軌道で迫る電撃は、身にまと妖精結界オラクルフィールドを一際眩しく輝かせ弾いてみせた。 

 そうして襲い掛かる魔法攻撃の数々を、慣性を無視するが如く不規則な高速機動で回避するか、光の結界のガードで防ぎきるか、と完璧に凌いでみせる。あまつさえ、リリィはこちらに反撃してくるだけの余裕が―― 

 「追撃がねぇ……おい、誰も落ちてねぇよな?」 

 一斉に翼を翻し、急速離脱を図る自分たちは、格好の獲物に見えたはずである。しかし、不思議と恐ろしい光は飛んでこなかった。思わず、無事の確認を問うてしまう。 

 「こちらフラン班、損害なし。攻撃は飛んでこなかったわ」 

 「マティ班、同じく無事ですぅ!」 

 「うわ、やった、脱出成功じゃん!」 

 「今回はもうホントにマジで死ぬかと思ったよぉーもうヤダぁーこんな仕事ヤメてやるぅー」 

 真面目な報告をくれる最年長のフランと最年少のマティの両班長。対して、自分よりも素行不良かつヤル気のみられないキャミーとキャシーの双子は、相変わらずふざけた口のきき方だが、無事であることは伝わってきた。 

 リリィは、明らかに自分たちを見逃したのだった。その行動はありがたくもあるが、同時に、何故かと疑問も湧き上がる。 

 「野郎ぉ、余裕こきやがって……」 

 チラリと背後を振り返り見ても、空の支配を誇示するかのように堂々と浮遊するリリィの姿が瞳に映るのみ。絶対強者の余裕を感じさせる、敗者の見送りであった。 

 「ちくしょう、ありえねぇだろ……完全に、負けじゃねぇかよ……」 

 眼下には、いよいよ川を引き返して自陣へていで逃げ去る歩兵軍団の姿。そして自分は、たった一人の敵に打ち負かされて、惨めに空を敗走中である。 

 数も装備も揃い、何の不足もなかった十字軍。対するは、百名そこそこの兵数で頼りない防備の田舎村に立て籠もる魔族。勝利は疑いようもない。苦戦など、あるはずもない。 

 だが、今のこの状況は何だ。一体、どれだけ無能な指揮官がいれば、どれだけの弱兵が揃えば、この戦力差で敗走するというのだろうか。 

 「マジで、ありえねぇ……」 

 しかし、エステルはどうしようもなく理解している。今日、初火の月二日。アルザス村を占領すべく攻撃をしかけた十字軍は、少数の魔族を相手に完膚かんぷなきまでに敗北したと。 

 それが、十字軍兵士の誰もが認める、認めざるを得ない、事実であった。