第二章 焦土作戦

   

 「先遣隊が壊滅だとぉ! ええい、無様にのこのこ逃げ帰ってきおって、敵軍の情報は何一つなしか! おい、さっさと斥候でも送り込んで村の様子を見てこいこのバカどもがぁ!」 

 と、現地での最高指揮官にあたる司祭長の一喝で、十字軍は即日、イルズ村へ斥候を派遣した。思いがけず百人単位で兵を失ったことにいたく御立腹の司祭長様から命令を受け、急いで本隊より出発した斥候部隊は、新陽の月二十一日にはイルズ村を目視できる距離まで辿り着いていた。 

 「どうだ?」 

 「火の手は上がっていますが……やはり、村に人がいる様子はありませんね」 

 十字軍の斥候兵は、遠くの景色を見通す魔法鷹目ホーク・アイ』を一旦打ち切る。 

 「そうか、どうやら村人は全員逃げ出したようだな」 

 「追いますか?」 

 「目の前で逃げ出す姿が見えたのなら、追うべきだろう。だが恐らく、村人はこの先にあるクゥアルという村へ避難しているはずだ。今から追いかけても間に合うまい」 

 イルズ村で何が起こったのかは、すでに説明は受けている。黒髪の悪魔によって司祭と兵士が惨殺されたこともそうであるが、それ以前に、彼ら自身が村で行った凶行も。もっとも、十字教の原理主義者なら魔族はりつけ処刑くらい平然と行えるし、アーク大陸でも異教徒に対してよくやっていた。つまり、十字軍の戦争においてはよくあること、なのである。 

 無論、殺される側とすればたまったものではない。あれだけ強烈なデモンストレーションを見せつけられれば、一刻も早く逃げ出すのは、人間も魔族も変わらぬ行動であろう。それこそ、火のついた家屋をそのままに、村がもぬけの殻になっていたとしても、特に不審ではない。 

 「とりあえず、村に残っている者がいるかどうか捜索するとしよう。もうそろそろ陽も落ちる。クゥアルへの偵察は明日にして、今夜はイルズで野営する」 

 部隊長の決定に、了解の意を部下が軍人らしくハッキリとした口調で伝えた。 

 「ヤツラ急いで逃げ出したようだからな、探せば銀貨くらいは見つかるかもしれんが、あまり宝探しに熱中しすぎて徹夜なんてするなよ?」 

 「それは了解しかねますね」 

 ハハハ、と二人は軽く笑いあう。彼らは厚い給金が保証されているわけでもない遠征の末端兵士。こういったボーナスは自分が現地で手に入れるより他はない。 

 「金はあっても、女がいないのは残念ですがね」 

 「心配するな、その内娼館も建てられるさ。ダイダロスじゃすでに現地で雇った女を使ってるらしい。全く商売人ってヤツは手が早いもんだぜ」 

 こっちとしてはありがたい話だけどな、と唇を歪めてニヤリと笑みを浮かべる部隊長。 

 「でも魔族の相手はご免ですよ」 

 「へっ、若いなお前は。まぁ、ハーピィくらいなら俺は構わねぇ、少なくともああいう――」 

 部隊長がうんざりした顔で後ろを振り向くと、そこには一人の少女がいた。 

 「おーい、ツミキぃ~ツミキちゃーん! どこいったのーっ!」 

 彼女は何やら叫びながら、周囲を警戒する隊員達の間を忙しなく駆け回っていた。 

 「ああいう、馬鹿な冒険者の女よりはな」 

 弓を背負い、革製の軽鎧をまとった姿は典型的な射手クラス。しかし、素人目に見ても上等とは言い難い武器と防具。駆け出しの新人冒険者がなけなしの金で中古装備一式揃えました、といった雰囲気だ。 

 そんな場違いな冒険者少女だが、何故か斥候部隊と同行させるよう命令が出されたのだ。 

 「ったく、シルビアのネーちゃんもなに考えてあんなのに同行を許したんだか……」 

 占領部隊の副官を務めるシスターの判断を疑う部隊長が、本人の前では決して言えない愚痴をこぼす。彼はこれでもベテラン兵士。上官に口答えなんていう軍隊において最も愚かな真似などするはずもない。 

 たとえ上官が、自分よりも年若い女であっても。巨乳美女であっても、である。むしののしって欲しい。 

 「それにしても、十分に兵の数は足りているのに、傭兵をわざわざ雇うというのはおかしくないですか?」 

 しかも、あんな素人が混じってるような傭兵団である。プロの傭兵団というより、パンドラ遠征に合わせて、冒険者をかき集めて結成した急造品だろうというのは、嫌でも察しがつく。 

 「上の考えなんか知らん。ただ、特別扱いしろとも言われてねぇからな、放っておくのが一番だ」 

 名目上は、軍隊としては当たり前に戦力増強のために傭兵を雇い入れた、ということになっている。 

 この『キプロス傭兵団』という者たちの存在意義は怪しいが、少なくとも、彼らに今のところ不審な様子はない。同行している冒険者はどれも平凡な様子で、特に問題行動も起こしてはいない。 

 もっとも、この背後で「ツミキ、ツミキ」と騒いでいる冒険者少女が、トラブルを発生させる第一号となるかもしれないが。 

 「任務の邪魔さえしてくれなきゃ、何でもいいさ」 

 お荷物でしかない彼女が妙な騒ぎを起こさないことを神に祈って、部隊長は任務を続行した。 

   

 ◇◇◇ 

   

 俺が見事にリーダー就任となった翌日、新陽の月二十一日。 

 「しっかし、ロクに馬も乗れねぇとはな、テメーは本当に冒険者かよ?」 

 「う、うるさいぞヴァルカン。俺は今集中してるんだ、邪魔をするな」 

 早朝からイルズ村へ向けて出立した途上にて、俺は早速メンバーからリーダーとしての資質を疑われ始めている。現在、俺が跨っている、というか必死にしがみ付いているのは、イルズ村を襲った部隊の指揮官が乗っていたと思われるでっかい馬だ。乙女の黒髪のような艶やかなたてがみと毛並みを持つこの駿馬は、十字軍を撃退した後にあっさり鹵獲ろかくされ、めでたく報酬品に。 

 元々は別の誰かのものになるところだったが、俺がリーダーとなったので譲り受けることになったのだ。リーダーなら騎馬の一頭くらいないといかんらしい。そうでなくても、俺はイルズ村で相当数の十字軍兵士に加えて指揮官の司祭を討ち取っていたので、その大戦果という意味合いも含まれている。 

 そんな立派な馬を与えられたのだが、元は高校一年生の文芸部員、冒険者歴三ヶ月の俺が、一体どのタイミングで乗馬なんていうハイソなスキルを習得しているというのだろうか。 

 いや、知ってたよ、馬は車に代わってこの世界じゃごく一般的な乗り物だってことは。俺だっていつかは乗りたいな、と思ってたさ。しかし今、いきなり馬を与えられて「さぁ、これ颯爽さっそうと冒険者達の先頭を駆け抜けてゆけ!」とはあんまりじゃないのか? 

 あ、ちなみにフィオナさんは颯爽と馬に跨り、華麗な手綱捌きで軽やかに街道を駆け抜けて行っている。冒険者として一日いちじつの長が彼女にはあるようだな……ぐぬぬ。 

 「落っこちないよう精々頑張んな、新米リーダーさんよぉ!」 

 「くそっヴァルカンめ、もう一回フルバースト撃ち込んでやろうか……」 

 自身の巨体に見合った大きさ二角獣バイコーンに跨ったヴァルカンが、俺をバカにする高笑いを上げながら列の先頭目指して追い越していった。 

 ちなみ二角獣バイコーンとは、あの有名一角獣ユニコーンの亜種である。その名の通り二本の立派な角が生えており、馬というよりも山羊に近い面構え。しかし身の丈二メートルを遥かに超えるヴァルカンを乗せるのだから、その大きさは象かと思えるほどに巨大だ。 

 爆走するトラックが如き迫力のヴァルカン騎だが、他の冒険者はそれぞれ普通の馬に乗っている。普通、とはいってもサラブレッドのように逞しくもスラリとした立派な体つき。冒険者の駆る騎馬としては、これくらいのレベルは求められるということでもある。 

 無論、そんな馬を誰もが持てるわけでもない。騎馬を保有するのはランク3以上のベテランを名乗れるようになってから、というのが主流である。今回、クゥアルから連れてきたのも、騎馬を保有する者のみに限っているので、俺を含めて合計十二名と少人数だ。 

 そして今の俺は、見事に最下位ポジションを不動のものとしている。 

 「こんなことになるなら、早くから練習しておけばよかったぜ」 

 「クロノ、がんばって!」 

 「ありがとな、リリィ。お前がいなかったら、どうなっていたことか……いやホント、マジで」 

 リリィは俺の前に座っており、一見すると落ちないようそのポジションに座らせているように思えるが、実際は逆だ。リリィがここにいるお陰で、乗馬初挑戦の俺がそこそこスピードを出しつつ、かつ落馬もせずにいられるのだ。 

 妖精ってのは本当にファンタジーな能力をお持ちだ。触れ合えば動物とある程度心を通わせることができるなんてな。そんな夢のあるテレパシー能力のお陰で、馬が俺を振り落とさないようリリィが働きかけてくれているのである。 

 俺はダメな男だ、何から何までリリィの世話になりっぱなし。涙が出てくるね。 

 「泣いてるの?」 

 「泣いてねぇよ、目にちょっとゴミが――」 

 「あっ、手を離したら危ないの!」 

 「ヤベ!? お、落ち――」 

 早く目的地へついてくれ。俺は一心にそう祈りながら、初めての乗馬体験を心行くまで楽しんだ。 

   

   

 こうして朝早くからイルズ村までやって来たのは、作戦会議で宣言した通り『焦土作戦』を実行するためである。 

 焦土作戦とは、敵に奪われる利用価値のある施設や食料を、逃げる前にあらかじめ破壊しておくという戦術だ。他国の領土へ侵攻する場合、普通は現地での食料や物資の補給を当て込む。特に十字軍の場合は、本国は遥か遠く海の向こうの別大陸。自前の補給線は太くないだろう。 

 具体的にどの程度、十字軍の物資が潤っているのか、また、どれくらい必要とするのか、というのは全く分からないが、それでもイルズ村の食糧庫くらいは焼き払ってもいいだろう。 

 余計に補給が必要になれば、その分だけ進軍速度は落ちるはず。俺達に必要なのは、スパーダへ逃げ切るだけの時間を稼ぐことだ。敵が足踏みしてくれる一刻には、千金の価値がある。 

 「本当にやっちまって、いいんだな?」 

 この作戦の意味と意義を理解していても、ヴァルカンはそう俺に問いかけた。彼の手には赤々と燃え盛松明たいまつが握られ、目の前に錬金油オイルを撒いた穀物倉庫がある。 

 ここに火を入れれば、イルズの村人が汗水たらして収穫した小麦が、虚しくも全灰燼かいじんに帰す。 

 「ああ、やってくれ」 

 そうして、村人の努力の結晶は紅蓮ぐれんの炎へ包まれていった。 

 全責任は、俺が持つ。焦土作戦を提案したのも俺だし、実行を命令したのも俺。村人の理解と許可を得る交渉時間を惜しんで、独断で決行したのも、俺である。 

 「午後には村を出てクゥアルへ戻る。時間はあまりない、急いで燃やせるだけ、燃やしてくれ」 

 やや戸惑った雰囲気が冒険者達の間に流れる。しかし、それでも彼らは大人しく行動を開始した。 

 村人でもない彼らでも、事前説明をしておきながらこの様子である。もしかすれば、俺の評価は血も涙もない悪魔のような男と断じられているかもしれない。 

 「だいじょうぶ、クロノがいっしょーけんめー考えた作戦だもん。リリィは正しいって、信じてるよ!」 

 「ありがとな、リリィ」 

 うっかりテレパシーで読まれてしまうほど、心が揺らいだか。幼女リリィに気遣われるとは。いや、ここは流石リリィ、と思うべきか。信じてくれる相棒のためにも、俺はやれるだけのことを、やろう。 

 「よし、俺達は冒険者ギルドの破壊だ。行くぞ――」 

 思い出深い村を自ら破壊するという行為に、感傷的になっている暇はない。俺も自ら率先して動く。 

 主食である小麦を蓄えた穀物倉庫、ベーコンなど燻製や干物の貯蔵庫、大きな樽の並ぶ酒蔵、といった飲食物の保存施設は最優先で焼く。村人達は速やかに避難を完了したので、野菜や果物といった生鮮食品なども、ほとんど手つかずでそのまま残っている。村の中心部には小さいながらも、氷魔法を利用した冷蔵室があるので、そこも潰しておかねばならない。 

 食料の次は、軍事的な利用が可能な施設だ。村長宅や冒険者ギルドなどの大きな建物は司令部として利用されるだろうから、優先的に壊す。勿論、武器の補給や修理ができそうな鍛冶工房、ポーション類をはじめとした医療品魔法具マジックアイテムのある道具屋も破壊しておかなければいけない。とはいっても、イルズにはそれぞれ一軒ずつしかないので、焼き払うのにそれほど手間はかからないだろう。 

 「……それにしても、十字軍の置き土産がこんなに役立つのは、皮肉だな」 

 確実に家屋全体へ火の手を回すには、可燃性のモノをばら撒いておくのが最も手っ取り早い。灯油もガソリンもないこの異世界では錬金油オイルと呼ばれる液体を利用するのがポピュラーである。 

 あの占領部隊は最初から村に火を点けるつもりだったのだろう錬金油オイルの満たされた樽を満載した荷車が、冒険者ギルドの裏手に止めてあるのを発見した。俺達の焦土作戦も、コレを利用してスムーズに遂行しているのだ。 

 胸糞が悪くなってくるのは、建物が焼け焦げる臭いだけが理由ではないだろう。そんな複雑な気分で、俺はこの三ヶ月で最もお世話になったイルズ村の冒険者ギルドが焼け落ちる様を、見届けた。 

 「焦土作戦とは、思い切りましたね。こんなことを思いつくなんて、クロノさんは騎士の学校にでも通っていたんですか?」 

 轟々と火柱を上げながら崩れ落ちて行くギルドを眺めていると、不意に声をかけられた。この度、晴れてパーティメンバーと相成った魔女のフィオナさんである。 

 「いや、普通の学校に通ってただけだ。ちゃんと習ったわけじゃない、所詮は聞きかじりの素人兵法さ。どの程度効果があるのかは、正直分からん」 

 「そうですか? ご飯がないのは致命的ですよ。私なら耐えられません」 

 そりゃあ、飯が不味いという理由だけで仕事を辞めたというフィオナさんは、そうだろうな。 

 「今は倉庫を焼き払うだけで精一杯だけど、本来は畑も民家も、近くの森林まで焼いてしまわないと完璧じゃない。それに焦土作戦が最も効果を発揮するのは、雪の降る寒冷地だ。火をおこす薪をなくせば、それだけで兵を殺せる」 

 「なるほど、共和国でも冬将軍に負けて侵攻を断念した、という話は昔からよく聞きます」 

 寒さが大きな脅威となるのは地球人も異世界人も同じだな。というかこっちでも冬将軍っていう認識があるんだな。 

 「こっちは時間も人手も不足だ。この作戦が少しでも効果が出てくれることを、祈るしかない」 

 そんなことを話しながら、淡々と作業は続いていった。気が付けば、すっかり正午も過ぎたようだ。わざわざお昼休みを呼びかけずとも、ここに集ったベテラン冒険者達は手間をかけずに食事をとることなど当たり前、とばかりに各自で済ませていた。 

 中には、燃え盛る家屋の前でランチボックスを開いて仲良くお昼ご飯、という者もいるが。まぁ、リリィとフィオナなんだけど。 

 小休止も兼ねて、俺も少しつまませてもらおうかな、なんて思って一歩を踏み出すと―― 

 「やぁ、ちょっといいかな?」 

 「うおっ、誰だ!? 

 あまりの驚きに叫びつつ、声の方へ振り返れば、そこには地味な顔立ちの女盗賊スーさん。 

 「普通に呼んだだけなのに、その反応はあんまりじゃないかい?」 

 「いや、気配消しすぎだろ……誰もいないのに声だけ聞こえてきたみたいだったぞ」 

 こうして見れば、ただその場に立っているだけなのだが、その姿は一度視界から外れると、まるで存在を感じられなくなるのだ。俺の肉体改造は視覚以外の感覚強化にも及んでいるので、背後から接近されても何かしら気配の察知ができる。足音や息遣い、微妙な空気の流れ、あるいは魔力の感覚など。 

 だがスーさんには、その人として感じられるべき、発せられるべき要素が何一つない。いや、感じさせない、悟らせない、ということなのだろう。普段の感覚でいると、完全に空気である。 

 「気配を消す隠形は、盗賊の基本スキルだからね」 

 「どっちかっていうと、暗殺者じゃないのか?」 

 「まぁ、慣れれば何となく感じられるようになるよ」 

 あれ、今ちょっと誤魔化さなかったか? まぁいいか。 

 「それで、どうしたんだ?」 

 「ああ、敵影を確認したからね、急いで戻って来たんだ」 

 やはり現れたか、と予想はしていたが、いざ報告を受ければ驚きは隠せない。 

 イルズを襲った十字軍は一人残らず皆殺し、というワケではなかった。一人でも逃げ延びた兵がいれば、本隊に情報が届く。部隊全滅の報を聞けば、何かしらのアクションは起こす。当然の帰結。 

 「本隊が動いたのか?」 

 「いいや、斥候だろうね。でも三十四人とそこそこの人数だったから、イケそうなら村をそのまま占領しときたいってところかな」 

 スーさんの偵察能力は優秀だな。盗賊クラスだから、と安直に任せてみたのだが、大正解だった。 

 「向こうには気づかれたか?」 

 「まさか、そんなヘマするようじゃ盗賊クラスでランク4なんかなれるワケないよ」 

 素晴らしい。だが、俺でも気づかないような隠形がデフォルトな彼女なら、当然だろう。 

 「あと一刻もしない内に到着するけど、どうするんだい?」 

 どこか試されているかのように、余裕を感じさせる微笑みを浮かべながら、スーさんが俺に問うた。勿論、答えは決まってる。 

 「迎え撃つ。一人残らず、この場で始末する」 

 「一人くらいは生け捕っておいた方が、いいんじゃないの?」 

 「じゃあ、一人は捕獲で」 

 ちょっと突っ込まれたけど、これで方針は決まった。早速、待ち伏せ開始だ。 

   

 ◇◇◇ 

   

 「酷ぇ有様だな。こりゃあ掘り出し物にも期待できねぇかな……」 

 部隊長は思わず、そんな不満を漏らす。イルズ村の大通りは、家屋が軒並み全焼している寂しい様子。商店や道具屋など、何かしら収穫の見込めそうな店舗はことごとく焼け落ちている。この焼跡から金貨や銀貨を発掘するのは、さぞ骨が折れるだろう。 

 「ちっ、先行部隊のヤツらめ、調子に乗りやがって」 

 先にイルズを襲った兵士たちが、狂喜乱舞して略奪に興じる姿がありありと想像できる。征服と蹂躙の興奮でハイになった彼らが、後先を省みず放火したとしても、不自然ではない。 

 そういう状況がどれほど人間を狂わせるか、というのはそれなりに実戦経験豊富な部隊長はよく知るところである。 

 敵の町を襲った時は、手柄よりも金と女の現物に目がくらむ。そこまでなら、まだまだ正常。その内、金目のモノとガラクタの区別がつかなくなる。目につく物は何でも持ち去るのだ。 

 女は美醜の判断がつかなくなり、やがては年齢も気にならなくなる。子供だろうが老人だろうが、ぶち込めれば何でも良い。ついには、性別さえも関係なくなる。自分よりも小さく、細く、見えさえすればヤル気になる。 

 「うわぁー何かちょっと焦げ臭すぎない? 何とかしてよオッサン」 

 自らも経験のある狂気の思い出が蘇ろうとした矢先、能天気な少女の声が自分を呼んだ。 

 「オッサンじゃねーし。まだ二十代だし」 

 「煙いんだけどー」 

 こちらの反論など全く聞く耳持たず、漂ってきた黒煙にケフケフとむせる少女の渋い顔が、すぐ隣にある。隊列などまるで考慮してくれない彼女が、何の気まぐれか先頭を行く自分くつわを並べてきた。 

 「おい、あんま騒ぐんじゃねぇぞ。あと、ウロチョロすんな」 

 はーい、とあっけらかんとした返事の少女。手綱を握らずに乗った馬の上で、大き欠伸あくびをかます。どうやら、それなりに乗馬の心得はあるようだが、そのヤル気の欠片も見られない態度には、呆れる以外の感想は持てなかった。 

 「ツミキってのはソイツのことか、お嬢ちゃん」 

 部隊長が向けた胡乱な視線の先には、漆黒の毛並みを持つ小さな猫。首元にある銀色の首輪が野良ではなく飼い猫であることを示している。 

 「うん、カワイイっしょ!」 

 どこか誇らしげな笑顔で「ツミキ」と名づけられた黒猫の首根っこを掴んで、部隊長の鼻先へ向ける。 

 ツミキは金色に輝く瞳と部隊長の目が合うと、ニャーと挨拶するように一声鳴いた。 

 「それとアタシの名前はアイっていうの、憶えておいてよネっ!」 

 「どこにでもある名前だな」 

 「そういうこと言うなよぅ」 

 可愛らしく頬を膨らませて抗議するが、『アイ』という女性の名前がシンクレア共和国ではごくありふれたものであるのは事実であった。 

 「そんなことより、次はそのニャンコ逃がすんじゃねぇぞ」 

 「あっはっは、大丈夫だって!」 

 部隊長の溜息は少女の笑い声に掻き消される。こうして改めて接してみても、本当にただの子供にしか見えない。長い金髪を左右くくったツインテールは、青色のクリクリと大きな瞳の可愛らしい顔立ちにはよく似合ってはいるものの、実用重視の冒険者がやるヘアスタイルとしては失格だろう。魔術士ならば、まだ魔力が宿るなどの理由でロングヘアは許されるが、彼女の格好はどうみても射手。 

 メインの武器は、最低限使用に耐えうる古ぼけた木の長弓。どうにか防具と呼べそうなのは、革の胸当てにグローブとブーツのみ。上半身は薄手のシャツ一枚。下半身に至ってはなぜかミニスカートという有様である。 

 最早、冒険者というよりは、そこらの町娘が冒険者の仮装をしてみました、という方がしっくりくる。アイの細身で小柄ながらも引き締まった体がなければ、本当に冒険者らしい要素は見当たらなかった。 

 こんなガキの同行を許した上は、何を考えているのか甚だ疑問である。そう考え込む部隊長を、どこか馬鹿にするようにツミキがニャーニャー鳴いた。 

 「つーか何で猫なんだよ。弓背負った狩人のオトモは犬って相場は決まってんだろうが」 

 「えー、でも猫の方がカワイイよ?」 

 「ペット感覚で連れてきてんじゃねーよ!」 

 全く、最近の冒険者はどういう教育を受けて育ってんだ、と年寄りじみた愚痴を内心こぼす。そもそも、ロクな教育も受けられないから腕っぷし一つで成り上がれる冒険者なんぞになるのだろうが、それにしたって、限度というか、最低限の常識はあるだろう。 

 我らがシンクレアの未来を憂いながら、部隊長はとりあえずの注意だけしておいた。 

 「もし戦闘になった時は、ちゃんと面倒みとけよ」 

 「任せてよオッサン!」 

 「だから、俺はまだオッサンなんて歳じゃね――」 

 その時、光が瞬いた。何だ、と考えるよりも前に、反射的に光源へと視線を向ける。果たしてそこに、発光の正体はいた。 

 「おぉ、妖精さん!? 可愛いーっ!」 

 能天気なアイの台詞だが、同意はできる。確かにそこには、妖精がいるのだから。 

 半焼した二階建ての屋根の上。淡い緑の光をまとい、二対の羽をもつ小さな女の子がそこに立っている。子供が蟻の行列を眺めるように無垢な視線で、自分たちを見下ろしていた。 

 だが、部隊長の脳髄に走ったのは温かい和やかな気持ちではなく、凍てつくような戦慄。そして、その直感は正しかった。 

 「うわっ、眩し!? 

 やかましいアイの声と、閃光が走ったのは同時だった。妖精がさっと小さな手を掲げた瞬間、眩い光のラインがすぐ横を通り抜けていく。 

 光属性の攻撃魔法。そう認識した時には、背後から部下の悲鳴が響いた。 

 「敵襲だぁ! 魔族に待ち伏せされてるぞ!」 

 チラリと一瞬だけ背後を確認すれば、妖精の光線で馬ごと体を真っ二つにされた部下の残骸が、地面に崩れ落ちるシーンが瞳に映った。ついさっきまで会話していた仲間の死に動揺するよりも、チェインメイルも馬の胴もまとめて焼き切る光線の威力に驚愕する。 

 こんな攻撃が飛んでくるとは。正直、魔族の戦力を舐めていた。後悔しても、もう遅い。相手はすでにして、次の一手を打っているのだから。 

 「しまった、退路がっ――」 

 塞がれた。こちらが迎撃なり撤退なりの指示を出すよりも前に。待ち伏せされていたとしても、完璧なタイミング。鮮やかな手際と言わざるを得ない。 

 前方に黒々とした闇の壁が、カーテンを引くように中空から出現する。凹凸も継ぎ目も見当たらない綺麗な一枚壁は、金属製が如き重厚感を放つ。強行突破を諦めさせるには、十分すぎる障害物だ。 

 しかして、後方にはさらに巨大な壁がそびえ立っていた。粗削りな岩の絶壁があっという間に隆起し、ちょっとした崖を形成する。考えるまでもなく、突破は不可能。 

 前後を塞ぐ二つの壁。前者は邪心防壁デス・ウォルデファン』、後者は岩石防壁テラ・ウォルデファン』と推測できるが、それが分かったところで、この通りに閉じ込められた事実は揺るがない。 

 「迎撃準備っ! 分断されんな、密集して防御を――」 

 「わわっ! 何かいっぱい来た!? 

 兵たちが武器を構えて馬から飛び下りた時には、家々の陰から敵が飛び出す。軽鎧姿の亜人や獣人。中には人間も交じっているようだが、やはりその正体はパンドラの魔族であった。 

 彼らがダイダロスの騎士なのか冒険者なのかは分からないが、迷いなく、俊敏かつ的確に兵士へ斬りかかる姿から、場数を踏んだ実力者であることが窺える。すでに数人の兵士が血飛沫と悲鳴を上げながら、土の地面にもんどりうっている。 

 「うわっ、ヤバっ! これ絶対ヤバいパターンだって!」 

 すぐ隣で新兵のような混乱の声を上げるアイ。ただでさえ余裕がないのに、パニックを煽るような叫びは控えてもらいたい。 

 「落ち着け、よく見ろ! ヤツらは小勢だ、こっちのが多いっ!」 

 「いやいや、あっという間に逆転でしょ!」 

 隊列へと雪崩れ込んできた魔族の戦士は、すでに二人目、三人目をその凶刃にかけようとしている。おまけに、屋根の上からは妖精の凶悪極まる光線が降り注ぎ、それに混じって他の攻撃魔法も飛んでくるようになった。 

 よく観察すれば、確かに魔族の数は少ないと気付けるだろう。眼の前で武器を振るう戦士の数は確実に十人を下回っている。しかし、アイの言うようにこのペースで戦いが進めば、すぐに兵の数は尽きる。 

 「くそっ!」 

 目の前に飛んできた燃え盛火矢イグニス・サギタを、抜き放った長剣でどうにか弾く。間近で払った炎の熱さよりも、一秒ごとに追い詰められていく状況にこそ、悪態をついた。 

 敵が強い。強すぎる。こちらは新兵揃いというワケではないが、精鋭というほどでもない。そんな平凡な小隊が、魔族の精鋭に奇襲を仕掛けられれば、ひとたまりもない。状況を打開するビジョンが、まるで見えなかった。 

 「あちゃーこりゃあもう無理でしょ。ケツまくってさっさと逃げよっかツミキ――ってツミキ、こらぁ! 主を置いて先に逃げるなぁ!」 

 「は!? お前、ちょっ、待っ――」 

 平然と敵前逃亡を実行するアイの行動に唖然とする。いいや、本当は生存本能に従って躊躇なく逃げ出せる彼女の行動力が羨ましかった。退路を塞がれたこの状況で、逃げられる、と本気で信じて駆け出せる鈍感力も含めて。 

 そうして、緊張感の欠片もない「待て~」という叫びを上げながら、戦闘中の兵士達の間をすり抜けて行くアイの姿を、部隊長は見送ることしかできなかった。 

 「よう、お前がここの大将だな?」 

 ふと気が付けば、目の前にモンスターが立っていた。デカい、狼頭。筋肉が隆起する丸太のような腕が持つ、無骨な剣もまたデカかった。 

 狼獣人ワーウルフの化け物かよ、クソがっ……」 

 見上げるほど巨躯きょくを前に、そんな台詞しか出てこない。剣を握る手が震える。そもそも自分が持っているのは、本当に剣なのか。小枝でも握ってるように、酷く頼りない。 

 「んだよ、ビビってんのかぁ?」 

 つまらなそうな声と呆れたような狼の視線に、なけなしの勇気が奮い立つ。どの道、魔族に命乞いなど無駄。戦うより他に、生き残る術はないのだから。 

 「ざけんなっ、この魔族がぁ! 一閃スラッシュっ――」 

 繰り出した渾身の武技は、あっけなく撃ち砕かれた。防がれたでも、避けられたでもなく、砕かれたのだ。自らの長剣は、振り下ろされた狼の大剣によって、真正面から木端微塵に粉砕された。 

 腕力、筋力、そんなパワーに優れる獣人種の戦士を前に、達人級でもない自分がまともに斬り合ってなんとかなるワケないだろう。そんな当たり前の結論が、やけに冷めた脳裏によぎる。 

 「あ……痛って……」 

 しかし、痛みはなかった。攻撃をくらった、という認識から反射的にでたつぶやき。 

 狼獣人ワーウルフが誇る強靭膂力りょりょくによって放たれた渾身の一撃。それは、武技となって放たれた長剣を叩き折るだけで止まるはずがない。振るわれた大剣、その粗削りの刃は自らの肉体に届く。気が付けばもう、通り過ぎた後だった。一刀両断。 

 「へっ、期待外れだぜ」 

 最後にそんな声が耳に届いた。目に映るのは、つまらなそうな態度狼獣人ワーウルフではなく、胸から上がない男の体。白いサーコートに描かれた十字が、赤黒い血で穢されていた。 

 その無残な体が自分のモノであったと気づいた時にはもう、彼の意識は永遠の闇に落ちる。恐怖も絶望もする暇もない、安らかな死であった。 

   

 ◇◇◇ 

   

 「敵の数は三十四人。三倍近いが、代わりにこっちが先手を打てる。恐らく、向こうは大通りを進んで中心部まで来るはずだから、広場に出る手前で待ち伏せる。 

 奴らが通りを進む途中で、前後を防御魔法で封鎖、担当はフィオナさんとモっさんで。同時に、リリィと、魔術士、射手クラスが屋根の上から先制攻撃。剣士と戦士クラスは、俺と一緒に直接切り込む。一人は生け捕りにしたいが、逃げられる方がまずい。殲滅するつもりで、やってくれ」 

 そんな簡単な指示だけで、驚くほどスムーズに待ち伏せ作戦は実行された。寄せ集めの集団で上手く連携できるかどうかは不安だったが、単純に個人の能力が優れていたため、問題は起こらない。 

 敵が接近するまで息を殺して待機。前衛の味方に当てない援護射撃。肩を並べて戦う仲間の邪魔にならない立ち回り。どれも当たり前のようにこなしていたが、熟練の冒険者だからこそできる技だろう。 

 「――黒凪」 

 そんな感心を抱きながら、俺は剣を構える十字軍兵士を二人まとめて切り裂いた。 

 司祭との戦闘で進化を果たした愛剣、もとい愛鉈であるところの呪怨鉈じゅおんなた腹裂はらさき」』は、凄まじい切れ味で人間二人分の胴体をあっさり切り落としてくれる。この手ごたえなら、武技『黒凪』を使わずとも両断できそうだが、まぁ、まだ覚えたばかりだし、練習も兼ねて積極的に繰り出している。 

 「お、おい、コイツが司祭様を殺した悪魔ってヤツじゃねぇの!? 

 「大鉈持った黒髪の男……間違いねぇよ」 

 恐怖で引きつった表情の兵士が震える両手で槍の穂先を向けながら、そんなことを言うのが聞こえた。どうやら、逃げ帰った奴らが俺のことを伝えたようだ。 

 「悪魔はお前らの方だろうが―魔弾バレットアーツ 

 左手に握った黒魔法専小杖タクト『ブラックバリスタ・レプリカ』が黒い火を噴く。恐れおののく兵の顔面に、鋼鉄の硬度と化した黒色魔力の弾丸を叩き込んでやった。 

 万が一、味方に流れ弾が当たったら困る。余計に連射もせず、散弾型にもしない。一発で確実にヘッドショットを決める。槍がギリギリで届かない近距離ならば、外すわけがない。二人同時でも、楽勝だ。 

 「よし、半分くらいは削れたな」 

 俺が四人の兵士を倒した間、味方もまた手際よく殺害に成功したようだ。リリィのレーザーが戦端を開いてから一分と経たず、通りは十字軍兵士の血に塗れる。対して、味方に負傷者の姿は見当たらない。 

 不意打ちの優位があるとはいえ、ここまで完璧に進められるとは、予想以上の戦果である。 

 このまま損害ゼロで、押し切ってやる。そう覚悟を決めながら、次なる兵士へ攻撃を仕掛けようとした時、一人の少女が目の前に飛び出してきた。 

 「そぉい――っと、今のはヤバかった、ってか、うわっ、毛先ちょっと切れてるし!? 

 俺のすぐ手前で奮戦していたオークの戦士が大きく横に振るったバトルアックスの一撃を、スライディングするようにすり抜けて、彼女はやって来た。 

 少女が回避したせいで、隣に立っていた十字軍兵士の首が綺麗に飛んだ。鮮血を噴き上げ倒れる死体を前に、戦意高揚咆哮ほうこうを上げるオークは、さらなる獲物を求めて前進していく。少女のことは眼中にないようだ。血走った彼の眼は、ただ必死に刃を振るって抵抗する兵しか見ていない。 

 そうして、この金髪ツインテールが目立つ女の子は運よく敵からのターゲットを外れたのだが、残念ながら、俺はしっかりと彼女の姿を捕捉している。 

 「おい、お前は十字軍の兵士じゃなさそうだ。大人しく降伏すれば、捕虜にしてやる」 

 「うわー、最後の最後で超ヤバそうなお兄ちゃんに絡まれちゃったよ……」 

 額から冷や汗を垂れ流した苦笑顔で、少女は言う。泣いたり叫んだりしないとは、随分と肝の据わった娘だ。粗末な装備からして、正規兵ではなさそう。ボロッちい弓を手にしていることから、これでも一応は冒険者か傭兵なのだろう。 

   

  

   

 そんな彼女と俺は、封鎖された通りの最後尾付近で対峙している。俺の背後には、フィオナさんが展開した岩の壁、石盾テラ・シルド』がある。俺を突破できさえすれば、後はそびえ立つ絶壁を登って脱出成功だ。確かに、逃げる気満々の彼女からすれば、不運だろう。 

 「命の保証はする」 

 「いやいや、その顔で言っても説得力ないしょ」 

 どの顔だよ、ちくしょう。そんなに俺は捕虜の少女に凌辱の限りを尽くした上で惨殺するような外道の面に見えるのだろうか。いや、見えるんだろうな…… 

 「できれば、殺したくはないんだ」 

 「可愛い女の子には手を上げない主義?」 

 「情報を吐く捕虜が欲しい」 

 「あははっ、やっぱりお兄ちゃん悪魔だわっ!」 

 少女が動いた。勢いよく一歩を踏み込むと同時に、右手を腰のポーチに突っ込んでいる。左手に握った弓は引くどころか、むしろその場で背負い直していた。ならば、アイテムを使う気か。 

 俺が『ブラックバリスタ・レプリカ』を彼女の足に狙いを定めたタイミングで、その予想が的中した。少女は小さなボールのようなものを、こちらに向かって軽く放り投げたのだ。このテのタイプは、爆発物か煙幕か閃光か、っていうのが定番。中空で弾けたソレが発揮した効果は―― 

 閃光フラッシュかっ!」 

 眩い輝きを発し、相手の眼をくらませる強烈な光。しかし、来るんじゃないかと直前に予想がついていたお蔭で、俺は一拍早く目を閉じることができた。瞼の裏からでも光を感じる凶悪な白い閃光。直視していれば失明の危険性すらある。 

 固く目を閉じていた俺に直接的なダメージはない。もっとも、向こうとしては一瞬だけでも視覚を潰せるだけの隙ができれば十分だったのだろう。フラッシュが消え、俺が再び瞼を開くまでの僅かな間に、少女がすぐ脇を通り抜けるように駆け込んできた。中々の健脚をお持ちのようだ。 

 「逃がすかっ!」 

 躊躇なく、右手の鉈を振るう。少女を斬るのに全く抵抗感がないわけじゃない。幅の広い刀身の腹で殴るだけだから、当たっても死なないと気楽なのだ。まぁ、俺の腕力に、鋼を遥かに凌駕する硬さの刃で思い切りぶん殴られたら、痛いじゃすまないレベルの負傷だが。 

 「うっわ、危な!? 何コレ、もしかして呪いの武器ぃ! お兄ちゃんホントに頭オカしいって!」 

 しかして、耳に届いたのは少女の悲痛な叫び声ではなく、さりげなく俺おとしめる暴言だった。驚くべきことに、彼女はこの一撃を見事に回避しきってみせたのだ。 

 横薙ぎに振るった刃を、少女はスライディングではなくジャンプして避けた。腹の辺りにヒットするよう、俺が低めの軌道で振ったのも、彼女を上に飛ばせた一因だろう。 

 ミニスカートから伸びるしなやかな両足が力強く地を蹴って、少女は華麗な前転宙返りを決めた。轟々と唸りを上げるように黒いオーラを発する漆黒の刃は、逆さに翻ったツインテールの毛先をかすかに撫でるだけに留まる。 

 「なんて身軽さだ、猿かよ」 

 「そこは猫って言ってよバカーっ!」 

 盛大に空ぶってしまった体勢をすぐに立て直し、俺をスルーした彼女を追って振り返る。再び少女の姿を目に入れた時、彼女はもう岩壁のごつごつした突起に手足をかけてよじ登り始めていた。やっぱり、猿じゃねーかよ。 

 魔弾バレットアーツ 

 もう鉈が届く距離じゃない。接近するより、撃ち落とす方が早い。決闘の時に使った柔らか弾頭にしておけば、殺さずにすむだろう。 

 「ええい、もうアイテムをケチってる場合じゃないっ! 喰らいりゃっ!」 

 よく分からん絶叫と共に、再び少女が何か投擲とうてきする。俺が撃つより、ほんの一瞬だけ早かった。 

 「ま閃光フラッシュかっ――」 

 否、と次の瞬間に効果を発揮したアイテムが示す。ポンっ、という軽く弾けるような音と共に、濃い緑色をした煙が瞬時に拡散してゆく。濛々と立ち込める不気味な緑の煙は、あっという間に壁にへばりつく少女の姿を覆い隠した。 

 だが、気にすべきなのは視界を奪った煙幕ではなく、何故か緑色をしているという一点だろう。まさか毒ガス――いや、それだと自分も巻き込まれるか。じゃあ結局、ただの煙幕ってことかよ。ええい、どっちにしろこのまま見逃すわけにはいかん。 

 全弾発射フルバーストっ!」 

 煙によって見えない的に向かって、出せるだけの弾を放つ。単発で狙えない以上、適当に当たりを付けた面の攻撃に頼る。ウォールクライミング中という体勢では、満足に回避もできないだろう。黒小杖タクトより放たれた弾幕は、確実に少女がいるだろう面積をカバーした――はずだった。 

 聞こえてくるのは、弾丸が激しく岩壁を叩く乾いた音だけ。 

 「ふぅははーっ! さらばだ悪魔くーん!」 

 宙に拡散しきって煙幕が晴れたその時、四メートルはある絶壁を制覇した少女の姿が、そこにあった。 

 登り切る時間が思った以上に早い。それに全弾発射フルバーストをどうやって凌いだのかも、よく分からん。だが事実として、彼女は俺の妨害を潜り抜け、今まさに脱出を成功させようとしている。 

 「ちいっ! 待ちやがれっ!」 

 きゃははーっ! しゃくに障る甲高い笑い声を上げながら、少女は壁の向こうへと跳びこんで行った。ヤケクソ気味に放った追撃の魔弾は、虚しく空へと消えてゆく。 

 「ちくしょう、逃がしたか……」 

 リーダーのくせに、とんだヘマを打ってしまった――そう後悔しかけた時、聞こえた。 

 À‰«À«¡ Ê«— Â ‚œ… Ÿ’« «‘Ÿ‰… »Í—“ »Í—” 

 流麗に歌い上げる、魔法の詠唱。壁の向こう側から聞こえてくる声は、フィオナさんだ。フォローしてくれるのか、ありがたい。そう思いかけたが、漂う大きな魔力の気配が、感謝の念より危機感を煽る。 

 分厚い岩壁一枚隔てた向こう側からでも、ジリジリと肌を焼き焦がすような炎の魔力のうねりを感じる。まだ現実に炎熱として顕現していない以上、実際には全く温度の変化などないのだが、魔力を感知する第六感が「熱い」と感じさせるのだ。 

 ようするに、とんでもない威力の炎魔法が飛んでくる予感がする、ってこと。 

 黒盾シールドっ!」 

 俺が持つ唯一の防御魔法である四角形の黒いシールドを展開すると共に、全力で後ろに跳ぶ。少しでも、この岩壁から離れなければ、一体どれほどの威力の余波に巻き込まれるか―― 

 「――火炎槍イグニス・クリスサギタ』」 

 炎属性の中級攻撃魔法。その名前が耳に届いた瞬間、目の前にあった断崖絶壁は、紅蓮の奔流に飲み込まれた。 

 「熱っ!? ぐぁああああああああっ!」 

 吹き荒ぶ灼熱の烈風に、あっけなく体が吹っ飛ばされる。地面から足先が離れて浮遊感を覚えながら、俺は天高くそびえる火炎の塔を見た。 

 それは竜巻のように轟々と渦を巻き、一本の巨大な火柱となっている。そこにあった頑強なはずの岩壁は、あっけなく砕け散り、赤熱化した岩石の塊が四方八方に飛散。まるで、火山の噴火だ。 

 顔の数十センチ横を飛んで行った拳大の溶岩弾。俺の魔弾が可愛く思える。当たれば痛いや熱いじゃすまない。本気で死ねる。 

 いや、そもそも半ばマグマと化した岩塊の直撃を受けずとも、普通の人間なら今の時点で死んでいただろう。重度の火傷で。俺を襲った爆風は、それだけの高熱を秘めた熱波なのだ。 

 危険察知で最低限の回避と防御、さらに強化された肉体と黒ローブ悪魔の抱擁バフォメット・エンブレス』の魔法防御力。これら全てが重ならなければ、俺も軽度の火傷じゃすまなかっただろう。いや、本当に、頑丈で良かった。 

 しみじみとそんな感想を抱く頃には、再び地面へと足が戻る。少しばかり吹っ飛ばされたくらいで、頭から墜落するようなヘマはしない。空中での姿勢制御くらい、お手の物だ。 

 「しっかし、とんでもない威力だな……」 

 改めて眺めてみると、その圧倒的な破壊力の痕跡に驚かされるばかりである。今は爆風も収まり、二十メートルはあろうかという火炎竜巻も、中空に火の粉をまき散らしながら消えゆくところであった。 

 通りを塞いでいた土属性の防御魔法石盾テラ・シルド』も、跡形もなく消し飛んでいる。溶岩塊と化し、派手に爆散した岩石は周囲の家屋を散々にぶち抜き、半壊させたり、完全に倒壊させてしまっていたりする。 

 極め付けは、直径十メートルもの範囲に及ぶ、赤々とした灼熱の跡。地面の砂と土が溶けているのだ。まるで地獄への入り口が開いたかのようなその地点が、炎の噴き出た爆心地である。 

 他には、何もない。勿論、金髪ツインテールの少女の姿など、あるはずもない。欠片も見当たらない。 

 どう考えても、死亡。それ以外の結果は、ありえないだろう。 

 敵ではあったが、あっけらかんとした少女が消滅したことに、少しばかり複雑な気持ち。たとえ女の子であっても、敵である以上は殺すことに躊躇しないが、それでも何も感じないわけじゃないからな。ささやかな悔いを抱くのは、仕方ないだろう。 

 「……クロノさん、大丈夫ですか?」 

 岩壁が消えて開けた通り。その脇の家屋から、ひょっこり顔を覗かせる三角帽子の魔女。 

 「まぁ、なんとかな」 

 「少しばかり、巻き込んでしまい申し訳ありません」 

 アレで少しばかり、か。直撃だけは、何としても避けたいところだな。額と心に冷や汗が一筋流れる。 

 あんまり謝罪の意思が感じられない涼しい表情で、この大爆発を起こした張本人であるフィオナさんは、俺の方へと歩み寄ってきた。地面に広がる、溶岩の上をザクザクと歩きながら。やはり、涼しい顔で。この人の炎熱耐性は一体、どうなってるんだろうか…… 

 「怒らないのですか?」 

 目の前までやってきたフィオナさんは、相変わらずぼんやりとした眼で、静かにそう問うた。 

 「怒るって、何が?」 

 「……熱くは、なかったのですか?」 

 ああ、なるほど、文字通りのフレンドリーファイアを喰らって、俺に文句の一つもないのかと聞いているのか。確かに、普通の人なら「殺す気かっ!」と叫んで抗議すべき場面かもしれないな。 

 「かなり熱くてヤバかったけど、魔法の制御に不安が、ってのは前もって聞いてたし」 

 いきなり戦場でやられていたら、もしかして裏切りか、と大いにビビっただろうが。 

 「それだけ、ですか?」 

 「うーん……ああ、そうだ、凄い威力だったな。これなら火力として大いに期待できる。フィオナさんがメンバーになってくれて、本当に良かった。心強い」 

 彼女の魔法の腕前を確認できたのは大きい。恐らく、今の中級攻撃魔法火炎槍イグニス・クリスサギタ』が全力ではないだろう。もし、この魔女が本気を出して炎を放ったら、一体どれほどの威力になるのか。そして、それはどれだけの十字軍兵士を煉獄送りにしてくれるか――本当に、期待がもてる素晴らしい人材である。 

 「他の味方がいる時はもう少し注意しないといけないけど、俺が前衛の時は、まぁ自分でどうにかするから、遠慮なくぶっ放してくれ」 

 「そう、ですか……それでは、よろしくお願いします」 

 いえいえ、こちらこそ。何故だか二人でお辞儀しあうことに。あれ、今って奇襲作戦の真っ最中だったよな。 

 「おーい、お前ら何をお見合いしてやがる。とっくにカタぁついちまったぜ」 

 ヴァルカンの呆れた声がかけられて、ハっとさせられる。あまりに危険な火炎魔法の危機を前に、雑兵揃いの十字軍兵士のことなど忘れかけてしまっていた。というか、もうこの時点で戦闘の気配も感じなかったので、自然と警戒心も解けていたのだが。 

 「負傷者は?」 

 「はっ、こんな雑魚共に一発くらうような間抜けは、この面子ん中じゃいねぇよ」 

 へへっ、と牙を剥き出しにして自信に溢れる笑み。ヴァルカンはこう見えて、仲間の力は信頼するタイプなようだ。まぁ、彼はソロじゃなくてパーティ組んでるしな。 

 「敵は全滅か……」 

 改めて通りを見れば、そこ惨憺さんたんたる有様である。地面に目いっぱいぶちまけられた赤黒い血だまりに、三十三人分の死体が沈む。 

 その半分近くは首か手足の何れかが欠損したり、腹で真っ二つになっており、中々に損傷が激しい。巨大モンスターほふる刃の大きな武器で攻撃されれば、当然の結果ではあるが。 

 「よし、これで最後、っと」 

 血の池地獄の中で、虫の息だった兵士に向かって、スーさんがそっと首筋にナイフを刺し込んでいた。彼を捕えたところで、意味はない。『妖精の霊薬』でも治療不可能な重症だと一目で分かる。トドメを刺してやるのが、情けってものだ。しかし、それを眉一つ動かさず淡々と実行できるスーさんは、それなり以上に肝が据わってると言うより他はない。 

 「捕虜はとれなかったか」 

 まぁ、仕方ない。俺もあの少女を獲り逃してしまったし、責める資格はない。それでも、とりあえずは最低限の目的は達せられた。成果としては、十分だろう。 

 「もうすぐ、日も暮れるな……仕方ない、クゥアルに戻ろうか」 

 そうして俺は今度こそ、イルズ村を去るのだった。恐らく、もうこの村に帰ってくることは、二度とないだろう。名残惜しいが、振り返ることはしなかった。さようなら、イルズ村。 

   

 ◇◇◇ 

   

 「……それで、お前だけが一人でのこのこ逃げ帰ってきたというワケか」 

 「えっとぉ、一人と一匹でーっす」 

 冒険者の少女アイ。ちょっと煤けた姿の彼女は、怒気の滲み出る男の質問に、あっけらかんと答えた。 

 「バカヤロウっ! どっちでも変わらんわっ!」 

 目の前に座る、厳つい顔の中年男が、怒りを爆発させる。がっしりと横幅のある巨躯を包む純白の法衣は、内側聖銀ミスリルの生地を織り込んだ高級品。高価なだけでなく、刃も魔法も防ぐ万能な防御力を着用者に提供してくれる。そんな鎧同然の法衣に、これみよがしに腰から無骨なメイスをぶらさげた姿は、戦場にて神の敵を屠る戦う聖職者の定番装備だ。 

 彼こそ、ダイダロス西部地域の占領を任された十字軍の大部隊を率いる、ノールズ司祭長である。 

 アイは現在、占領した村の冒険者ギルドに設置された司令部の一室で、現地における最高指揮官たる司祭長と、副官のシスターの前に立たされ報告を命じられていた。イルズ村に派遣した斥候、その唯一の生存者として。 

 「えー、だって魔族すんごい強かったんだもん。可愛い妖精さんだって超ヤバい殺人光線撃ってくるし、私なんて悪魔のお兄ちゃんに狙われて大変だったんだから」 

 だから少しは労ってくれてもいいんじゃない、と反省どころか微塵も悪気を感じていないアイの態度。すでにして、その坊主頭に血が上りきっているノールズは、思わずメイスに手をかけてしまったのも、当然の反応だろう。 

 「こ、このクソガキがっ――」 

 「落ち着いてください、司祭長」 

 マジでぶん殴る五秒前なノールズへ、冷めた静止の声がかけられた。その声音と同じくらい冷たい視線を上司へと投げかけるのは、副官を務めるシスター・シルビア。 

 ゆったりした修道服を着てもなおボディラインが分かるほど抜群のスタイルを誇る、赤髪の美女である。組んだ腕の上で重そうに乗っかる巨乳を、アイは「おおーっ」と小さく興奮の吐息を漏らしながら、ガン見していた。 

 「彼女はウチの正規兵ではなく、ただの傭兵です。指揮権に服す義務はありません」 

 「しかしだなぁ、こっちは金を払って雇って――」 

 「彼らが、誰からあてがわれたものかお忘れですか?」 

 シルビアがそう耳打ちすると、ノールズの不満顔は固まる。 

 末端の兵士までもが「怪しい」と噂をするアイが所属するキプロス傭兵団。彼らを雇う決定を下したのは、ノールズではない。もっと上の、というより、一番上からの命令なのだ。 

 「もしかしたら、彼女こそがメルセデ枢機卿猊下すうききょうげいかのお気に入り、かもしれませんし」 

 枢機卿とは、十字教において上から二番目の階級にあたる。最高位は教皇で、使徒は階級から除外される。十字教が絶対的な支配力を確立するシンクレア共和国、ひいてはアーク大陸の西半分において、ナンバー2の地位たる枢機卿が、どれほどの権力を誇るのか。それは、こうしてパンドラという海の向こうの別大陸へ、何十万にも上る十字軍を送り込んだという現実が最も端的に表している。 

 シンクレア人なら子供でも知っているが、その知識レベルをアイと同程度の下っ端傭兵にまで引き上げると、もう少しパンドラの十字軍情勢も見えてくる。 

 ダイダロス攻略のため、最初に送り込んだ十字軍の第一陣。通称で『第一軍』と呼ばれるが、彼らを派遣したのは、アルス枢機卿。対して、『第二軍』と呼ばれるのが、ゴルドランの戦い以後、激戦によって疲弊した第一軍の『援軍』という名目で派遣された、大軍団である。これを構成するのは、アルス以外の枢機卿と、シンクレアの貴族たち。様々な派閥と混沌とした思惑の交じっ混成軍団キメラだ。 

 そんな第二軍の中で、メルセデス枢機卿は最も多くの兵数を送り込んだ人物として有名。彼はまた、アルス枢機卿と次期教皇の座を巡って水面下熾烈しれつな争いを繰り広げている、というのも有名な話である。アルスが第一軍で大成功を治めた今、そ後塵こうじんはいさぬようメルセデスが躍起になっているだろうことは、誰でも容易に想像がつく。 

 ともかく、そんな遥か雲の上で日夜繰り広げられている政治的暗闘よりも、メルセデス御自ら、このキプロス傭兵団を雇うよう口利きしてきたという事実こそが悩みの種である。命令、ではなく「雇ってみてはどうか」とそれとなく紹介しただけ、というのが真意の解釈に苦しむ困りどころ。 

 「ええいっ! もうよい、お前なんぞに構っている暇はない、さっさと下がれ!」 

 枢機卿とアイの万が一の関係性を考慮すれば、ノールズにはそう突き放す以外の選択肢はなかった。 

 「はーい」 

 「この野良猫も連れてけっ!」 

 「うわ、ちょっと私のツミキちゃんを投げるな、投ぁーげーるーなぁ!」 

 何故か座ったノールズの膝の上でぬくぬくと丸くなっていた黒猫ツミキは、彼のグローブのようなごつい手に首根っこを掴まれ放り投げられた。流石に全力投球ではない。緩やかな放物線を描いて飛んできた子猫を、アイは無事にキャッチ。 

 「全く、ボクを投げるなんて酷いオッサンだニャー。天罰くらうといいのニャー」 

 「腹話術で遊ぶな! いいからさっさと出てけこのクソガキがぁ!」 

 両手で掲げたツミキをおろし、小さくベーっと馬鹿にしてから、アイは司令部を後にした。 

 外はすっかり、夜とばりが下りている。見上げると、そこには大きな満月と満点の星空が広がっている。大陸が変わっても、夜空は変わらないようだ。 

 もっとも、周囲は月明かりではなく、人の焚い篝火かがりびの光で満ちている。村の中央は広場となっており、村長宅や冒険者ギルドなど大型の建物が密集する、というのがダイダロスの村の典型的な構成だ。この村もそうであるし、イルズも同じであった。 

 この中央広場は、兵を駐留させるにはちょうどよい空間であり、臨時司令部のギルドを前に、十字軍の白い天幕が所狭しと張られている。すでに就寝時間ではあるが、見張りと村の巡回とで、それなりに人の行き来はあった。そんな広場を横切りながら、アイはツミキを胸に抱いてつぶやく。 

 「はぁ、ウルさいオッサンにウザい団長で、今回はイマイチかなーと思ったけどさ」 

 ツミキがニャーと小さく相槌を打つ。アイは月を見上げた遠い視線。だが、その口元は確かに笑っていた。彼女の脳裏によぎるのは、魔族の奇襲により、一方的に殲滅された敗北の記憶である。 

 妖精が放つ人馬諸共焼き切ってみせる脅威の光魔法。血に飢えたモンスターが如き勢いと、熟練の戦闘技術を誇る、魔族の戦士たち。目の前に立ちはだかった、悪魔のような男。そして、突如として体と視界を包み込んだ、紅蓮の業火。 

 「やっぱり、パンドラは楽しい冒険できそう。神様の言うとおりだねっ!」 

 期待に満ちる弾んだ声をあげながら、アイは夜闇の向こうへ、駆けていった。 

   

 ◇◇◇ 

   

 「ぐははは! 十字軍なんざ、やっぱ大したこたぁなかったぜ! 俺様の『悪食』で一発よ!」 

 麦酒エールがなみなみと注がれたジョッキ片手に、ヴァルカンが威勢よく本日の武勇伝を語っている。まぁ彼は部隊長を一撃で仕留めていたし、殺害数もメンバー中で二番目だったから、大活躍なのは嘘じゃない。 

 ちなみに『悪食』とは、ヴァルカンが振るう大剣の銘である。正式名称は『牙剣「悪食」』。その刀身は、巨大なモンスターの牙を丸ごと用いたというダイナミックな造り。だが最も重要なのは、元となったモンスターが持つ強力固有魔法エクストラを秘めている点である。それが一体どんな能力なのかと聞けば、「へっ、ヤツら相手じゃ使う必要もなかったからな、お披露目はまた今度だ」と秘密にさせられた。まぁ『悪食』という名前からおよその察しはつくのだが…… 

 さて、そんな秘密のある男、ヴァルカンが熱弁を振るっている今この場所は、クゥアル冒険者ギルドの酒場席である。ほとんど満員御礼のホールは、アルコールと香ばしい料理と人の熱気でむせ返る。そして、調子の良狼獣人ワーウルフのマイクパフォーマンスに冒険者オーディエンスは大盛り上がり。喧々騒々。ああ、うるさい、酒臭い。でも、この活気は不思議と心地よい。 

 「飲みすぎで、明日の朝ダウンってことにならないだろうな……」 

 俺は酒場の隅っこの方たしなむ程度にジョッキを傾け、そんな不安をぽつりと漏らす。 

 ご覧のとおり、ギルドでは現在、十字軍撃退の戦勝パーティーが催されている。勿論、撃退したのは斥候程度のほんの小勢。あれくらいの数を殺したところで、本隊は痛くもかゆくもないだろう。 

 まぁ、要は理由をつけて飲みたいだけなのだ。幸いにも、クゥアルは全村民避難と相成ったので、現地にはそれなり以上の酒が残されている。緊急クエストで命を張る冒険者に、前報酬も兼ねて飲んでもらうのも、そう悪い選択ではない。何より、もったいないしな。 

 それにしても、ちょっと騒ぎ過ぎというか飲み過ぎというか、本当に明日、大丈夫なのかと不安にならざるをえない―― 

 「まぁ、クロノも中々だったじゃねぇかよ! へへっ、呪いの武器使うヤツなんざ見たの、お前で二人目だぜ」 

 急にヴァルカンが俺に話題を振ったため、一気に注目が集まる。ちょうど口に含んだドルトス肉のステーキが、喉つまりするところだった。危ない、というか、早く飲み込まないと、返事もできん。 

 「おうよ! 俺の呪われし大鉈にかかりゃあ、どんな野郎も八つ裂きだぜ! みんな、この俺、狂戦士クロノについてこい! 勝利を味あわせてやるっ!」 

 と、恐ろしく自信過剰な叫びが、ギルドに響いた。俺の声で。だが、俺が言ったわけではない。何故なら、俺は「味あわせてやるっ!」ってところで、ちょうど肉の味わいを終えて飲み込んだところだったのだから。 

 「……おいモっさん、人の声で勝手なこと言うのやめてくれよ」 

 「がっはっは、ええやん、こんくらいリップサービスしとった方が、盛り上がるっちゅうもんや!」 

 犯人は、ひっそりと俺の背後に佇んでいたスケルトン闇魔術士ダーク・マージである。一体どんな魔法を使ったのか、カラカラいう骨の口から、再現率100%のクロノボイスを出してみせたのだ。 

 「その声で悪さするなよ」 

 「なはは、この声真似は一発芸みたいなもんや、一言以上は喋れへんのよ」 

 イマイチ安心できない回答である。それでも、彼が芸達者であることに違いはない。 

 今日の戦闘で、大通りの正面を塞いでくれた闇属性の中級範囲防御魔法邪心防壁デス・ウォルデファン』も、見事な完成度だった。モっさんの闇魔法の腕には、期待できる。よく似た系統の黒魔法使いの俺としても、負けてられない。 

 「というか、今サラっと俺のクラスを狂戦士とか言ってなかった?」 

 「ん、なんや、まだギルドカードに剣士か戦士て書かれとんのかい? ははっ、ええって、旦那はもう立派狂戦士バーサーカーを名乗れる風格があるさかい、堂々と名乗ればええんやで」 

 「いや俺、黒魔法使いなんだけど」 

 「……細かいこたぁ気にせんといてやぁ!」 

 ほなさいなら、とモっさんは去って行った。逃げやがった。これで俺のクラスに対する誤解が広まったらどうしてくれるんだ……魔法使いという知的なイメージが大事なのに。 

 一抹の不安を感じつつ、再びステーキにがっつく。といっても、最後の一切れで、これでディナーも終了なのだが。 

 「ごちそうさま」 

 「ごちそうさまぁー」 

 俺がナイフとフォークを置くと共に、リリィの眠そうな声が耳に届いた。リリィは隣に座ってちびちびと料理を食べていたのだが、睡魔に襲われつつある様子は、ギルドに帰り着いた頃からあった。 

 今日は朝も早かったし、戦闘もあったしで疲れているのだろう。幼い外見の通り、リリィは子供と同じくらい睡眠を必要とする。少女の姿だと、夜更かしも余裕なんだが。 

 「リリィ、もう部屋に戻って休もうか」 

 「……うん」 

 小さな手で目をコシコシしながら、リリィが答える。何とも瞼が重たい様子。抱えて運んであげよう。 

 「フィオナさんは、どうする?」 

 猫の子よろしくリリィを抱っこしながら席を立つと同時に、対面で食後のデザートたるフルーツ盛り合わせを一人で黙々と食していた魔女へ一声かける。指についた果汁をペロっと一舐めする彼女の動作が、妙に艶めかしい。 

 「クロノさん、話したいことがあるのですが、よいですか?」 

 見上げられた黄金の瞳には、どことなく決意のようなものが滲み出ている。ような気がする。 

 フィオナさんとは、まだそこまで会話が弾むという間柄ではないが、そうであっても今の夕食はやけに黙りこくったままだったように思える。今日の戦闘で、何か思うところでもあったのだろうか。 

 「ああ、分かった。何でも聞くよ」 

 すでにして彼女とはパーティだ。些細な事柄でも、話し合ってみるべきだろう。 

 「ありがとうございます」 

 そうして、俺達は一足先に宴会を抜けた。 

   

   

 リリィを俺の部屋で寝かせた後、すぐ隣のフィオナさんの部屋へと出向く。夜、うら若き乙女の部屋へ男が行く。状況としては少々いかがわしい感は否めないが、俺にやましい考えはない。餓えてもいなければ、度胸もない。そもそも、話があると誘ってきたのは向こうだし、フィオナさんも俺に下心があると思ってはいないはず。 

 「で、どうしてフィオナさんは杖を構えてるんですか?」 

 ベッドに腰を下ろして待っていた彼女の手には、紛れもなく魔術士用長杖スタッフが握られている。その気になれば、いつでも俺を火達磨にできる武装。問いかける言葉も、思わず敬語に。 

 「少々、失礼かとは思いますが、一応、念のため」 

 どうやら俺のことは、まだそこまで信用されてないようだ。少しばかり残念だが、まだまだ知り合ったばかりだし、これくらいの警戒は当たり前かもしれない。実際、肉食系な男子だったら「部屋に誘うなんて、俺に気があるんだろ」とか自分に都合のいい解釈して迫るだろうし。 

 「……分かった。気にしないことにするから、話を始めようか」 

 閉じたドアに寄りかかるようにして立ったまま、俺はそう切り出す。警戒されているなら、少し距離を置いた立ち位置の方がいいだろう。もっとも、ギルドの客室は大した広さはないが。六畳もないだろう。小声でも届くし、顔もよく見える。 

 フィオナさんは魔女の三角帽子だけは脱いでおり、水色ショートの美貌がはっきりと目に映る。相変わらずの無表情ながらも、そこには真剣さが感じられた。 

 「リリィさんには話した、というかバレてしまっていることなのですが、先に言っておきます」 

 そんな前置きに、やや緊張しながら彼女の言葉を待つ。 

 「私はアーク大陸の人間です」 

 一拍の間を置いた後、衝撃的な事実が語られた。「……なんだと」と、そんなつぶやきしか、俺の口からは漏れない。 

 「私が憎いですか?」 

 気が付けば、反射的にいつでも魔弾を撃てるよう魔力を巡らせていた。それにフィオナさんが気づかずとも、無意識に発してしまった殺気は間違いなく読まれただろう。 

 「すまない、少しだけ待ってくれ」 

 アーク大陸からやって来た人間。それはつまり、十字軍と同じ勢力の者であることを意味する。 

 イルズ村に破壊と殺戮をもたらした、許されざる狂気の十字軍。それと同じ、同族、同類。生かしてはおけない。今すぐ殺すべきではないのか―― 

 「鉈を持ってなくて、よかった」 

 もし、あの呪いの刃を握って入れば、そんな感情に流されていたかもしれない。 

 落ち着け、今はフィオナさんの話を聞くほうが先決。そもそも俺を助けてくれた人だし、なによりリリィが認めたのなら、人物としては信じられる。もし彼女が十字軍のスパイであったなら、リリィのテレパシーは確実にその秘密看破かんぱしてみせるからだ。 

 「大丈夫だ、話してくれ」 

 「はい、ですが……どこから話せばいいでしょうか」 

 過去を詮索しないのが冒険者の礼儀だ。そう前置きをしてから、言葉を続ける。 

 「身の上話は聞かないし、十字軍の兵士だったのかどうか、パンドラ大陸で人を殺したかどうか、今は全部聞かない。話せる範囲で話してくれれば、それでいい」 

 「そうですか。けれど、私には別に隠すような過去などありません。エリシオンの魔法学校に通い、卒業しても行くアテが特になかったので、傭兵としてパンドラ遠征に参加しました」 

 正確には、冒険者として傭兵募集のクエストを受けた、という形になる。俺がフィオナさんと初めて出会った時に見せられた紙製のギルドカードは、アーク大陸のものだ。もっとも、パンドラでもアークでも、冒険者の在り方にほとんど違いはないようだ。大規模な遠征に参加する、というのは冒険者の選択としては当たり前。そういう点で、確かにフィオナさんには特別な事情はないといえる。 

 「ですが、ご飯は美味しくないし、とても居心地が悪かったので辞めました」 

 「本当にそんな理由だけで裏切ったのか?」と、思わずストレートに問いかけてしまう。フィオナさんならありえる、と思えるものの、やはり現実にそう聞かされれにわかには信じがたい。 

 「私は十字教徒ではありませんし、お金も受け取らず正規の手続きを経て辞めたので、傭兵としても裏切り行為ではないですよ。十字軍と敵対することに、なんら抵抗はありません」 

 「けど、本当にいいのか? これからフィオナさんは、同郷の人と戦うことになるんだぞ」 

 いや、すでにもう戦ってしまっている。今日の戦いで、彼女は間違いなく一人の少女を殺したのだ。 

 「国、宗教、人間か魔族か。どちらも私には関係ありませんね」 

 しかし、フィオナさんは眠そうな無表情を変えず、全く気にしていない平気な様子で答えた。 

 「私のことは、そうですね……どこか遠くの国から気まぐれにやって来た、旅人だと思ってください。クロノさん、貴方と同じように」 

 「リリィから聞いたのか?」 

 「とても遠い国の出身だ、としか。ですから、私の出身は意味のないものと考えてください。それに縛られることは、決してありませんので」 

 俺にはアーク大陸がどういう場所なのか全く分からない。だが、フィオナさんの言わんとしていることは何となく分かる。ようするに、彼女には守るモノがないのだ。友人や仲間。恐らくは、家族さえも。 

 それが善い事なのか悪い事なのかは置いておく。ともかくフィオナさんという人は、どこにも所属しない完全にフリーの冒険者である。 

 「分かった、信用するよ。すでにフィオナさんは、パーティの一員だしな」 

 「いいんですか? 私は最初のダイダロス侵攻に参加して、ある程度の人数は殺害しています。それも許せるんですか?」 

 「いいさ、傭兵の仕事だろ。今は別な仕事に変わった、それだけのことだ」 

 すでに人殺しの身分の俺が、どうこう言えた義理はそもそもない。 

 「そう思ってくれるのなら、ありがたいです」 

 「俺はむしろ、フィオナさんがアーク大陸の人間で良かったと思う」 

 思えば俺は、いいや、今ここにいる村人も冒険者も、誰も十字軍について知らない。知らなすぎる。俺達はほとんど正体不明の敵と戦おうっていう状態だ。 

 「確かに、十字軍や共和国について知っている人は、どの村にもいませんでしたね」 

 「そうだ、俺はその『共和国』っていう国も名前しか聞いたことがない」 

 敵を知り己を知れば百戦危うからず、なんて情報の重要性を示す言葉なんてのはいくらでもある。探せばこの異世界でも伝わっていることだろう。俺は思わぬところで、十字軍を詳しく知りえる人物と出会えた。しかも気づけば仲間になっていたなんて、望外の幸運と呼ぶより他はない。 

 敵の数、装備、士気、練度、指揮系統。ヤツラは何を考え、何をしようとしているのか。聞きたいことは山ほどある。昼の戦いでは結局、捕虜もとれなかったしな。 

 「フィオナさんが仲間になってくれて本当に良かった。これから世話になる、改めてよろしくな」 

 「はい、私を受け入れてくれて、ありがとうございます」 

 無表情ながらも、どことなく安心したような雰囲気を感じる。もしかして、彼女長杖スタッフを装備していたのも、この秘密を打ち明け、俺に敵だと見なされた際の備えだったのかもしれない。 

 そう思えば、危険を承知で話してくれたということでもある。やはり、少しは信頼されたと考えていいのだろうか。何か特別、彼女に対して信頼を勝ち得る行動をした覚えはないが……アイスキャンディーがここでも効いたのだろうか。 

 「そうだ、フィオナさんが話してくれたし、俺の秘密も、聞いてくれないか」 

 彼女は正直に正体を明かしてくれた。ならば、俺も素性を明らかにしておくのが、パーティメンバーとしての礼儀だろう。 

 「はい、なんでしょうか」 

 さて、どこから話すかな――俺はリリィに打ち明けた時と同じようなことを悩みながら、まず核心部分について先に述べることにした。 

 「実は俺、こことは別の世界から来た人間なんだ」