プロローグ

   

 アーク大陸の西半分を支配する最大最強の国家、シンクレア共和国。政治、経済、軍事、そして宗教においても中枢的な役割を果たす彼の地は、こう呼ばれる。聖都エリシオンと。 

 国教として信仰される十字教の聖地でもあるエリシオン、ここには今、六人の使徒が滞在している。いや、伝説の中でのみ語られる第一使徒を加えれば、七人ということになるが。 

 使徒。それは十字教が崇拝する唯一絶対、我らが人間と世界の創造主たる『白き神』が、直々に加護を賜った十二人の選ばれし者。その身に宿すは、神が与えた最強の力。人に許された限界を超えるほど――故に、彼らは人間よりも、遥かに神に近い存在とされる。そして今ここに、二人の使徒がいた。 

 「あぁーもうっ、つまんない! っつーか、ありえない!」 

 キンキンとした甲高い声で、あからさまに不満を叫ぶのは、一人の少女。真っ白いエンタシスの円柱が立ち並ぶ薄暗い通路に、彼女の声はよく響いた。 

 「うるさいよ、ミサ」 

 うんざりしたような口調で、流麗なソプラノボイスの声音が返される。文句をつけられた少女、ミサはその言葉を耳にして、さらに叫んだ。 

 「なによ、アンタはあの決定に大人しく従うっての?」 

 冗談じゃない、馬鹿馬鹿しい。そう語気を荒らげる彼女は、親の躾けに反発する娘のよう。 

 しかし、そんな年頃の少女にしか見えないミサだが、その正体は紛れもなく、使徒の一人。第十一使徒ミサ。彼女へ対等な物言いができるのは、同じ使徒を除けば、たった一人の人間だけ。億を数える十字教信者の頂点に君臨する、教皇だけである。故に、肩や生足すら露わにするような改造を施された修道服を彼女がまとっているのを、注意できる聖職者もまた、存在しない。 

 未だ幼さの残る可愛らしくも美しい顔立ちは、十七という歳相応に、美少女という表現が似合う。おまけに、露出過多なこの修道服だって着こなせるほどスタイルにも恵まれている。淡い桃色の髪に、白金で飾られ頭巾ウィンプルを始め、随所に煌びやかなアクセサリーを身につけているが、それらは全て着飾るというよりも、ミサの美貌を引き立てるだけに留まる。宝石の輝きも彼女の前では霞んで見えるほど。 

 「僕だって、行けるなら今すぐにだって行きたいさ。けど、パンドラ征服は引き続きサリエル卿に一任、新たな使徒の派遣はしないって、アベル卿にハッキリ言われたら聞かざるを得ないだろう。というかアレ、絶対に僕らに向かって釘刺してたよ」 

 事実を正しく認識するよう言い聞かせるのは、ミサと並んでも見劣りしない金髪碧眼の美少女―― 

 「マリーちゃんは勇者様の言いなりってワケぇ? ちょっとは不満ですぅーって言い返してみなさいよ、男でしょアンタ」 

 「僕に男らしさを諭すなら、まずはちゃん付けで呼ぶのをやめてもらおうか」 

 細い眉をしかめて不満気な表情のマリーちゃん、もとい、第十二使徒マリアベルは、れっきとした男である。艶やかなストレートロングのヘアスタイルに、しなやかな細身を貴族の礼服で包んだその姿は、一見すれば男装の麗人。しかし、本人としては当たり前に男の格好をしているだけであり、そこに性別を偽る意図は全くない。 

 「それに、この不満はただの感情論だろう」 

 「ふん、私らは使徒なのよ。この私が不満なら、神様だって不満なのよっ!」 

 「だったら、第二使徒アベル卿の意見が最も神意に近いってことだろう」 

 白き神によって選ばれた使徒。それは翻って、神の意思の代弁者とも呼べる。使徒の言葉は神の言葉。 

 そして、与えられた加護の強さがそのまま神意の強さというのであれば、十二人の実質的な頂点に立つ第二使徒アベル、『白の勇者』と讃えられる彼の意思こそ最も尊重される。 

 「なにが神意よっ! サリエルばっ贔屓ひいきして、ズルいじゃない!」 

 「結局、ただひがみじゃないか……」 

 「サリエルは十字軍の総司令官で、パンドラの魔族どもを殺しまくって大暴れなのに! どうして私はこんなかび臭教会トコに籠ってなきゃいけないってのよぉ!」 

 「君のそういうところが矯正されるまで、外に出すわけにはいかないんだろ」 

 「アンタだって同じじゃない!」 

 「僕は使徒として必要な教育を受けているだけのことさ。このままいけば、ミサより早くここを出ていくことになるよ」 

 第十一と第十二。最も若い数字を与えられた二人は、使徒の中でも最年少である。現在、使徒をまとめる第二使徒アベルは、教会は勿論、シンクレア王家にも貴族にも、良好な関係を保つ常識的な方針で行動している。シンクレア千年の歴史の中には、好き勝手な行動ばかりの困った使徒も多いため、アベルという存在は十字教信者にとって非常にありがたいのだ。 

 もっとも、今の使徒でも行動目的や行方が不明だったりする者は、何人かいるのだが。第二使徒といえども、絶対的な命令権を持たない。彼らの自由意思もまた、神の意思なのだから。 

 「ふん、アンタはそうやって優等生ぶってればいいわ。私は一人でも行く――」 

 「あらあらミサちゃん、無断外出なんてダメですよぉ」 

 耳がとろけるようなほんわかした女性の声音。怒れる暴徒も沈められそうな声はしかし、ミサにとってはドラゴンの鳴き声と同じ戦慄を感じさせるものであったらしい。 

 「げぇ!? ミカエル先生ぇー!? 

 「はーい、ミカエル先生ですよ」 

 驚きに目を見開いたミサの桃色の瞳に映るのは、絶世の美女。いや、その身を包む純正の修道服姿は、聖女と呼ぶのが最も適当な表現であろう。事実、彼女は本物の『聖女』だった。 

 波打つようなプラチナブロンドのスーパーロングヘアに、見るものに安堵と慈悲を与える優しい眼差しの瞳紫水晶アメジストを嵌め込んだ様な輝きを宿す。 

 圧倒的に巨大な胸のふくらみ、緩やかなくびれ、大きく広がるヒップに肉付きの良い長い脚。ゆったりした修道服の上からでもはっきり分かるほど、女性らしい豊満なボディラインが浮かぶ。色香に溢れるその姿はしかし、古代に信仰されていた豊穣の女神や地母神といった神々しさを感じさせてならない。 

 神性を宿す美貌を誇る彼女こそ、第三使徒ミカエル。かつてシンクレアを救った伝説の勇者パーティの一員。第二使徒・勇者アベル、第四使徒・賢者ユダ、第五使徒・白騎士ヨハネス。そして、第三使徒・聖女ミカエル。遡ること百年も前から、アーク大陸中に轟いた名である。 

 そんな彼女も今は、この教会の総本山『聖エリシオン大聖堂』にて、ミサとマリアベル、二人の若き使徒を指導する教師役を務め、戦とは無縁の平和な生活を送っていた。 

 「えーっと、これはその、アレなの、マリーちゃんがどうしてもって言うから」 

 「おい、僕は何も関係ないだろ!? 

 「アンタだってサリエルに会いたいんでしょ、だったら同罪よ」 

 「うっ、サリエル卿に会いたいのは事実だけど……いや、でもそれって全然別問題だろ!? 

 醜い責任の押し付け合いを前にしながらも、ニコニコと笑顔の絶やさぬミカエルは、再び和やかな声で二人を止める台詞を放った。 

 「はいはい、喧嘩をしてはいけませんよ。お友達のサリエルちゃんが心配だから会いに行きたいという二人の気持ち、先生、よく分かります」 

 「友達じゃなくて、ライバルよっ!」 

 「僕は普通に友達……だと、思いたいです」 

   

  

   

 果たして、あの人形が如く表情も感情も変化の見えないサリエルが、ライバルだとか友達だとかいう人間関係を理解・認識しているかどうか、というのは誰にも分からない。だが、少なくともミカエルは、二人はサリエルと仲良しこよしだと思っているようだ。 

 「うふふ、そんなお友達思いの良い子の二人には、先生がとっておきの名案を授けましょう」 

 にこやかな笑顔を聖女と称される清楚な美貌に浮かべるミカエルに対し、ミサは勿論、優等生なマリアベルも、どこか不安そうな表情だった。ミカエル先生の言う「名案」という名の思いつきは、大抵の場合、面倒くさいのだ。何が悲しくて、使徒が町中のゴミ拾いをしなければいけないのか。つい先日の名案をやらされた時は、そんな気持ちであった。 

 そうして結構な不安感を抱きつつ、二人はミカエルの言葉の続きを待つ。 

 「みんなで、サリエルちゃんのお見舞いにいきましょう!」 

 かくして、三人の使徒は海を渡り、パンドラの大地へ足を踏み入れることとなるのだった。