Prologue: 飛行機から降りてすぐ、久しぶりに味わった日本の空気は……鼻につく燃料の臭いが少しきつくて、あまりよくわからなかった。 菜央: 帰国した時に桜の香りがして、日本に帰ってきたと思って涙が出た……なんて、誰の言葉だったかしらね。 かなり前に読んだ本の内容だったので、今となってはもう思い出せない。 もっとも今は、春どころか秋を間近にした時期。桜が咲いているわけがないので、そんな風情を求める方が間違いというものだろう。 菜央: ……思ったより早く着いちゃったわ。出発前に機体点検なんて入ったから、待ち合わせに遅刻するのも覚悟してたんだけど。 なんてことを呟きながら、あたしは壁時計に表示された時刻を見比べて腕時計を調整する。 成人したお祝いに、お母さんが買ってくれたものだ。有名ブランドの逸品にはほど遠いけれど、デザインがあたし好みなのでとても気に入っている。 ただ、デジタルと違って時差をワンタッチで切り替えてくれないところが、唯一の不満といえば不満な点かもしれない。 ……母との確執は「あの日」から消えることなく尾を引くように残っていて、今でも心の距離は平行線のままだ。 でも、この時計を見ると……やはり母のことは嫌いになれないと思う。 2003年9月――あたし、鳳谷菜央はもうすぐ22歳になる。 今回の帰国は、一時的なものではない。来月から始まる大学の新学期に備えて、一足早く留学先から戻ってきたのだ。 菜央: (とりあえず、美雪には空港に着いたって連絡しておかないと) そう思い立ったあたしは、ポーチから携帯電話を取り出して電源を入れ、美雪あてにメールを送る。すると、 菜央: わっ……? もう戻ってきた。えっと……。 数秒もしないうちに返信メールが届き、あたしは少し面食らいながらもそれを開く。 新型のカラー液晶画面には、『おっけー。なら時間通りに、約束の場所でー』とあの子からのメッセージが表示されていた。 菜央: 相変わらずの早打ちね……。 菜央: (でも美雪って、今は勤務中なんじゃない?大丈夫なのかしら? 図書館司書って結構暇なの?) まぁ、深く考えるだけ無粋というものだろう。あたしはそう思い直して、携帯電話をしまう。 そして、待ち合わせの時間まで暇潰しに原宿辺りでも回ってみようと思い……モノレールの切符売り場へと向かった。 菜央: ……。何が時間通りよ、まったく。 空港モノレール駅の中央口を出てすぐの、タクシー乗り場の壁に背を預けながら……あたしは思わずぼやいてしまう。 時間に遅れてはいけない、と思って原宿の店巡りはほどほどにしておいたのに……待ち合わせ場所に着くや、美雪からのメール。 そこには絵文字付きで、『ごめ~ん、ちょっと遅れる(拝)』と遅刻の連絡が書かれてあった。 菜央: 定時退社できるのが公務員の特権……なんて言ってたのは、どこの誰なのかしらね。 なんて憎まれ口を叩いてみたものの、美雪のことだからおそらく急な用事でも頼まれて、渋々対応することになったのだろう。今更驚かない。 10年経っても、彼女は何も変わっていない。彼女が中3の時に出会ってから、何一つ。 菜央: 10年……か……。 夕闇に染まって薄暗くなりかけた空を見上げながら、あたしは時の流れの速さに想いを馳せる。 「あの事件」が起きた#p雛見沢#sひなみざわ#rを脱出してから、もう10年……いや、「20年」。 たくさんの思い出と、それ以上の後悔を遺したあの集落はダム湖の深い底に沈み――今はもう、面影すらうかがうことができない。 あれ以来暇を見つけては何度も足を運び、少しでも手掛かりが掴めないものかと足が棒になるまで現場を歩き回ったものだけど……。 菜央: (結局去年は、一度も行けなかった。留学中も日本には、時々帰ってたのに……) 美雪も最近では、あたしの帰国を聞いても雛見沢へ行こうと誘うことがなくなった。 もちろん仕事が忙しいこともあるのだろうが、年を追うごとに新しい発見が無くなってきたこともその理由なんだろう……。 菜央: ……。お姉ちゃん……一穂……。 今はもうどこにもいない「あの人たち」に向けて、そっと呼びかける。 奇跡のようなひとときの中で出会えた、あたしの大好きな……大切な人たち。 出会えて、嬉しかった。本当に幸せだった。 でも……だからこそ悲しさが今もなお残り続けるのは、幸せと呼べるのだろうか。それとも……。 美雪: おーい、菜央~。 と、その時。駅の改札口へと向かう右手の遠くから、あたしの名前を呼ぶ声が聞こえてくる。 顔を向けると、10年来の友人……赤坂美雪が大きく手を振りながらこちらへ駆けてくる姿が目に映った。 美雪: ごめんごめん、遅くなっちゃって。かなり待った? 菜央: そんなにはね。……でも、遅れるって連絡をあと30分早くもらえてたら、寄りたいお店をあと1つ見て回れたのに。 美雪: ごめんごめん。ほんとは待ち合わせ前に到着する予定だったんだけど、事務長さんに急用を頼まれちゃってさー。 菜央: だと思ったわ。けど、図書館司書っていつも暇で退屈だーって言ってたのに、結構忙しいみたいじゃない。 美雪: んー、タイミング次第かなぁ。今回は秋のイベントがもうすぐだから、たまたまってやつだよ。 美雪: にしても、携帯電話ってほんと便利だねー。遅れそうになっても、こうやってすぐ待ち合わせ相手に連絡できるんだからさ。 菜央: だからって、気前よく遅れたりしないでよね。便利に甘えてルーズが当たり前になると、鼎の軽重を問われることになるんだから。 美雪: ごめんごめん。お詫びに今夜の食事は、私が奢るよ。 菜央: さすが社会人ね。じゃあ、遠慮なく。 美雪: 気前よく甘えるねぇ……図書館司書の給料って高くないからほどほどで頼むよ? なんてことを話してからあたしたちは、浜松町駅から電車に乗りこむ。 そして、お互いの近況を談笑しながら有楽町駅で降り、そのまま徒歩で予約した店のある銀座へと向かった。 美雪: 菜央は来月から、元の大学に復学だったよね。授業、ちゃんとついていけそう? 菜央: 平気よ。向こうの大学で遊んでたわけじゃないんだから、しっかりやってみせるわ。 美雪: あははは、そう言うと思った。まぁ菜央だったら、ノートの貸し借りもなく必要な単位を揃えられそうだけどねー。 菜央: えぇ、もちろん。……それはそうと、今日行くお店ってどのあたりにあるの? 美雪: ここから裏通りに入ったところにね。先輩から教えてもらって少し前に来たんだけど、きっと菜央も気に入ると思うよ。 菜央: そうなんだ。なら、楽しみにしてるわ……? ビラ配り: どうぞ~。 そこであたしは、歩道に立っていたビラ配りの前を通り過ぎて……目の前に1枚のチラシを差し出される。 そのタイミングがあまりにも見事だったのでつい、それを反射的に受け取ってしまった。 菜央: …………。 美雪: んー、どうしたの菜央。何か面白そうな内容でも載ってるの? 菜央: 新小坂ホテルのプールが、夜間も開放になるそうよ。お酒も提供されて、大人限定のイベントらしいわ。 美雪: へー、そうなんだ。確かに最近は夜も暑いからね。屋内勤務の司書でよかったよ。 美雪: 警察だと炎天下の中で走り回ることになっていただろうからね~。 なんて軽い調子で言っているけど、なんだか負け惜しみに聞こえなくもない。 彼女が警察官になりたかったことを、あたしはよく知っている。 その大切な夢を、美雪は10年前の雛見沢に置いてきてしまった。 あたしと美雪が出会ったのは平成5年。当時よりさらに10年前の昭和58年の雛見沢……いわゆるタイムトラベルした「世界」だ。 大規模な火山性ガス災害……通称『雛見沢大災害』。 それが起きる直前の「世界」にやって来たあたしは、美雪と公由一穂という平成から来た2人と共に出会い、暮らし……。 大規模ガス災害…『雛見沢大災害』で亡くなった父違いの姉……竜宮レナと出会った。 姉はあたしの想像以上に優しい人で、その友達はとても素敵な人たちで……。 だから、自分たちのことを省みることなく命がけであたしたちを平成に返してくれた。 でも、平成で目を覚ました時。村があった場所はダムに沈み、一緒にいたはずの一穂の姿はなく……。 どれだけ探しても一穂の姿はおろか、痕跡すら見つけられることなく10年が経っていた。 菜央: (あれからずっと、美雪は資料を探して「過去」を追い続けてる。一穂の行方と、その安否を確かめるために……) そしてあたしも当然、直後から数年の間は一穂のことを探していた。 でも……探せど見つからないことへの苛立ちと、学費不払いからの転校による環境の変化が負担になりすぎて。 心が折れかけていた当時の私に、美雪は新しい学校生活に集中するよう説得して……独りで一穂探しを続けると宣言したのだ。 ……美雪が最終的に、父親のような刑事になりたいという夢を捨ててしまったのはその無理による代償なのかもしれない。 菜央: (あたしがもっと強ければ、美雪は夢を捨てなくても済んだはずなのに……) そう思うと胸が痛むが、きっと美雪は違うと否定するだろう。 ……だから、聞かない。聞いても、彼女を困らせるだけだから。 その程度の判断ができるぐらいには、あたしたちの付き合いは長くなった。 菜央: まぁ……こんなに暑いと、プールは気持ちいいでしょうね。 そんな美雪に曖昧に返事しながら、あたしはチラシに視線を落としていった。 菜央: そういえばあの時も確か、こんなイベントがあったことを思い出すわ。夜にプール開きになって、そして……。 ――昭和58年。 深夜のプールに忍び込み、一組のカップルが物陰で人の目がないことをいいことにイチャイチャしていた。 女: でも、本当に大丈夫なの……?いくら誰もいないからって、無断で忍び込んだら犯罪になっちゃうんじゃ……。 男: へへっ、大丈夫だって。防犯カメラがないってことは、昼間来た時に下調べ済みだしな。 男: 見つからなきゃ、おとがめなしだ。お前だって夜が暑くて眠れない、って言っていただろ? 女: それは……言ったかもしれないけど……。 男: あとここも、もうすぐこんなふうに忍び込むのが難しくなるからさ。楽しむなら、今のうちってやつだ。 女: 難しくなるって……何かあるの? 男: それはな……うん? ふと男は、その敷地の片隅に何者かの気配を感じて話を止める。そして怪訝そうに覗き込んだ。 男: 誰かいるのかよ?せっかく楽しんでいるってのに、ノゾキたぁいい度胸じゃねぇか。 そう言いながら、正体を確かめた次の瞬間――。 男: っ……ぎゃ、ぎゃぁぁぁああぁぁっ?! 静まり返った闇の中、男女の絶叫が響き渡った――。 Part 01: 数日後の、土曜日――。 9月に入っても、晴天続きの雛見沢では夏の暑さが抜け切れない日が続いていた。 美雪: いやー、今日も暑いねぇ……。昨日と比べて風も少ないみたいだから、歩いてるだけで汗ばんでくるよ。 菜央: やっぱり、日傘をさしてくればよかったわ。日焼けしちゃうかも……かも。 暑さに強いはずの美雪ちゃんや菜央ちゃんでさえ、分校までの道を歩きながらそう言ってため息を隠せない様子だ。 私も、手持ちのハンカチが汗で濡れている。洗って干せばすぐに乾くだろうけど、帰りはさらにぐしょぐしょになるだろう……。 一穂: ……明日もこの天気だったら、ハンカチよりタオルの方がいいかもしれないね。 美雪: だよねー。……まぁ、後ろの2人はそれ以前の問題みたいだけどさ。 そう言って美雪ちゃんは、後ろを歩くレナさんと魅音さんに顔を向ける。 いつも元気で明るい2人……が暑さのダメージを私たち以上に受けているのか、すっかりへばった様子だった。 魅音: はぁ……タオルだの日焼けだのって気にしているだけ、あんたたちはかなり余裕があると思うけどね……。 レナ: はぅぅ……今日はちょっと、暑すぎるんじゃないかな……かな……。 魅音: あ、ごめんレナ……貸すって約束していたマンガ忘れちゃった……暑すぎて……。 レナ: はぅ……ごめんね魅ぃちゃん、何のマンガのことだったかな……かな? 魅音: えっと……確か、夜のプールに忍び込む話が面白かったって言ったやつ……。 レナ: はぅ……思い出した。大丈夫だよ、魅ぃちゃん。レナも忘れていたから……あはは……。 美雪: おぅ、2人とも記憶がすっぽ抜けるレベルで暑さにやられてるよ……。 菜央: 大丈夫、レナちゃん?あたしの水筒の麦茶、少し飲む?氷入りだから、冷えてるわよ。 レナ: ……はぅ、ありがと。レナはまだ大丈夫だから、魅ぃちゃんにあげてくれるかな……かな? 美雪: 無理しないで飲んだほうがいいよ、レナ。暑い時に頑張りすぎると、気づかないうちに日射病になっちゃうかもだからさ。 レナ: はぅ……そうだね。じゃあ、少しだけ……魅ぃちゃんは? 魅音: 私も、1杯もらっておこうかなぁ……下手に強がって倒れたりしたら、そっちの方が格好悪いもんね。 2人はそう言って、菜央ちゃんから麦茶を受け取ってごくっ、と一息に飲み干す。 いつもだと遠慮するレナさんや魅音さんが素直に受け取ったのは、それだけ今日の暑さが堪えているということだろう……。 レナ: はぅ……ありがとう、菜央ちゃん。おかげで一息ついたよ。 魅音: うんうん、本気で生き返ったぁ……。でも、大丈夫? この調子だと麦茶、昼を過ぎる前に無くなっちゃうんじゃない? 菜央: 平気よ。この氷って麦茶を凍らせたものなの。だから全部なくなっても、水を足せば麦茶がまた補充できるようになってるわ。 魅音: おぉ、その手があったか……!私も明日からマネしていい? 美雪: もちろん。じゃんじゃんマネしちゃってー。 レナ: はぅ……お茶氷って、美雪ちゃんのアイディアなのかな、かな? 美雪: ううん。昔、近所のママさんに教えてもらったんだよ。思いつきそうで思いつかない発想の転換だよねー! 一穂: そうなんだ。美雪ちゃんはいろんな人に教えてもらってるんだね。 美雪: そうそう。麻雀から手芸とか、全部近所の人に教えてもらったんだよ。 魅音: じゃあさ、この暑さを撃退する方法とか知っていたりする……?! 美雪: ……いや、あったらとっくにやってるよ。 魅音: だよね……とほほぅ。 学校についても暑さは緩まず、むしろ日差しはますます強くなる一方だった。 魅音: にしても……ったく誰だよ、9月が秋だなんて決めたのはさ。 魅音: まだまだ残暑どころか、午前中から夏真っ盛りって感じじゃんか……。 なんて文句をぼやきながら、魅音さんは下敷きをうちわ代わりにしてあおいでいる。 あまりの暑さに耐えきれないのか、制服のボタンを外すか外さないかで迷っている様子だった。 梨花: みー……こうして机に突っ伏していると、でろでろに溶けてしまいそうなのです……。 沙都子: まさに蒸し風呂状態でしてよ……。喉が渇いて、持ってきた麦茶がもう尽きてしまいましたわ……。 羽入: あぅあぅ~……。 ただ、そんな雛見沢組と違って私たち転校組はさほどではなかった。 菜央: やっぱり教室に入ると、日差しが遮られて過ごしやすくなるわ……。 美雪: だねー。……おぅ、風も少し出てきたよ。これなら何とかなりそうだ……はぁ……♪ そう言って菜央ちゃんと美雪ちゃんは、気持ちよさそうな顔で椅子にもたれている。……他の生徒たちとは、明らかに対照的だった。 魅音: なんで美雪たちは、そんな平気そうな顔をしているのさ? 私たちはこんなに暑くてバテそうなのに……不公平だー! 美雪: んー、そんなこと言われてもね……。東京にいた時の夏の暑さは、こんなレベルじゃなかったし。 菜央: 車で出かける時なんて中はサウナ状態だから、エアコンからの冷たい空気が循環するまでとても乗り込めないくらいなのよ。 菜央: ましてや、そんな中にエンジンを切った状態で放置なんかされた日には……。 沙都子: そ、想像しただけでも生き地獄ですわ……!蒸し風呂を通り越した、蒸し焼きでしてよ……! 暑いはずなのに、沙都子ちゃんたちは恐怖で震えあがったように青い顔をする。 と、そんな様子を見かねたレナさんはみんなに提案を持ちかけていった。 レナ: みんな、授業が終わった後にプールに行くのはどうかな、かな? レナ: #p興宮#sおきのみや#rの市民プールで冷たい水につかれば、少しは涼しくなると思うんだけど……。 梨花: みー……いい提案なのですが、放課後になるまでボクたちが耐えられるか自信がないのですよ……。 そう言って梨花ちゃんたちは、ぐったりとうなだれる。 これは相当きつい様子だ。とにかく他の対策を講じないと……と、そんなことを考えかけたその時だった。 知恵: ……おはようございます、皆さん。園崎さんは、もう教室に来ていますか? 挨拶とともに教室へ入ってきたのは、担任の知恵先生だった。 魅音: おはようございます……って、私に何か用ですか? 予鈴まではもう少し時間があると思うんですが。 知恵: あ、いえ……実は急用が入ったため、午前中は自習してもらいたいんです。 魅音: 自習……ですか? 知恵: はい。とりあえず何をやるかはみなさんの自主性に任せます。お願いしてもよろしいでしょうか? 魅音: はい、もちろんです……ん?自主性に任せるってことは……?! それを聞いた魅音さんは、何かを思いついたのか……「それでは」と立ち去りかけた先生を呼び止めていった。 魅音: あ……あの、先生っ!だったら今日は、校外授業でもいいですかっ?絶対に遊んだりしませんので! 知恵: 校外授業……ですか?具体的には、何をするつもりなんでしょう? 魅音: 体育です! 主に正しい泳ぎ方を!どうですか、先生っ? 知恵: ……ということは、市民プールですね?ですが、土曜とはいえ授業時間内に興宮まで遠出させるのは、さすがに……。 魅音: そこをなんとかっ!下級生たちの指導も、ちゃんとやります! そう言って魅音さんは、さらに迫って頼み込む。 そして先生は、少し迷うように黙ってから……窓の外に視線を向け、やがてため息まじりに頷いていった。 知恵: 確かに、今日の暑さはちょっと異常ですし……教室にいても集中できないかもしれません。 知恵: わかりました。でしたら付き添いとして、大人の方を何名か同行させてください。その条件であれば、私から校長に説明します。 魅音: 本当ですかっ? やったー!! どさくさ紛れとはいえ、その決定事項に私たちは一斉に歓声を上げる。もちろん、反対意見なんてあるはずもなかった。 Part 02: 魅音: んじゃ、行くよみんな!今日の授業はプールだー! 全員: おおおぉぉぉおおぉぉっっ!! 湧き上がる大歓声。……だけど私は、せっかくの楽しい空気に水を差す覚悟で魅音さんに尋ねかけていった。 一穂: あの……魅音さん。私たちだけならともかく、他の下級生の子たちを#p興宮#sおきのみや#rまで連れて行くのは難しいんじゃない? 魅音: えっ、それはどうして? 一穂: だって、その……下級生の中には、自転車を持ってない子もいるって言ってたから。徒歩だと興宮まで行くのは、ちょっと……。 梨花: みー、一穂の言う通りなのです。もし行くのだとすれば、興宮までの移動手段が必要になってくるのですよ。 沙都子: とは申しましても、私たちの自転車で2人乗りで行くのも限界がありますし……。 羽入: あぅあぅ……いっそ詩音に連絡をして、葛西の車に乗せてもらうというのはどうですか? 魅音: 確かにそれも妙案だけど、さすがに詩音も今は授業中だろうしね……うーん……。 レナ: はぅ……それに付き添いの大人の人は、誰に来てもらえばいいのかな、かな……? 考えてみると結構厳しい難題を前に、喜びかけた気持ちがしぼんでいく……が、その時だった。 美雪: いやいや……みんな、忘れてない?車を出してもらうんだったら、私たちにはちょうどいい「大人」がいるじゃんか。 魅音: ちょうどいい「大人」……あっ、そうか! 美雪ちゃんにそう言われて、魅音さんはぽん! と両手を叩いて頷く。そして一目散に、教室を出て行った。 一穂: え、えっと美雪ちゃん……?下級生の子たちを乗せていってくれそうな人って、いったい誰のことを言ってたの? 美雪: あははは、まだわかんない?雛見沢には少年野球チームの子たちの荷物を運んだりしてくれる「監督」がいるでしょ? 菜央: 監督って……あんた、まさか入江先生をっ? 美雪: 今日は土曜日だし、午後の診察もないでしょ?それなら、患者さんの入り次第では昼前にでも手が空くんじゃないかなー、ってさ。 一穂: さ、さすがにそれは厚かましいんじゃ……? 仮にも診察所の院長先生の車をタクシー代わりに使おうという発想に、私は少し引いてしまう。 だけど、美雪ちゃんはどこ吹く風といった態で「そう?」と肩をすくめ、言葉を繋いでいった。 美雪: とはいえ、どんな感じになるかわかんないから私たちも様子を見に行ってみようよ。 美雪: みんなでお願いすれば、きっと先生も忙しい合間をぬって力を貸してくれるかもしれないから……ねっ? 菜央: ……。それはもう、お願いを通り越して優しくごまかした強要か脅迫の類いだと思うのはあたしだけかしら……? 一穂: あ、あははは……。 ぼそりと呟いた菜央ちゃんの台詞に、私はひきつった顔で乾いた笑い声を返すしかなかった……。 ……とりあえず美雪ちゃんに促されて職員室に入ると、ちょうど魅音さんが受話器越しに頭を下げている様子が見えた。 魅音: えぇ……忙しいのは重々承知の上です!けど、今私たちが頼れるのは監督しかいないんですよ……! 魅音: はい、はい……えっ、富竹さんも一緒?しかも明日のデートのために大きめのバン借りてる?そいつぁ鴨葱、じゃなかったナイスタイミング! 魅音: すみませんが、2台で興宮までお願いします!乗員は分校の下級生たち、あと富竹さんにはプールの付き添いも頼めるとありがたいです! 魅音: えっ……OK? やったー!それじゃ、分校の教室で待っていますね! 魅音: 着いたらクラクションを鳴らしてください!それまでに準備をしておきますので……! そう言ってから魅音さんは、電話の受話器をちん……と置く。 そして、職員室の入口付近で集まっていた私たちに気づくと、満面の笑顔でVサインを送ってきた……! 魅音: 交渉成立! 患者さんは少しいるみたいだけど、鷹野さんが監督の代理を引き受けてくれるってさ!あと、富竹さんの協力も取り付けたよ! レナ: はぅ……車が2台もあれば、下級生の子たちも一緒にプールに行けるね! 美雪: けど、さすが魅音だね……!富竹さんのことは、さすがに私も可能性として考えてなかったよ。 魅音: まぁ富竹さんには、近いうちにそれなりのお返しをしておくよ。監督には、当然……。 一穂: ……っ……? 今、魅音さん……一瞬沙都子ちゃんに視線を向けたように見えたんだけど……気のせい、だろうか? 沙都子: 市民プールなんて、久しぶりですわねぇ。心が躍りましてよ♪ 梨花: 楽しみなのですよ、にぱー☆ ……どうやら沙都子ちゃんは梨花ちゃんとはしゃぐあまり、気づいていない様子だ。 あとでこっそり、教えてあげたほうがいいんだろうか……? あ、でも自分にまで火の粉が飛んできそうで、ちょっと迷う。 沙都子: まぁ、私たちまで便乗させてもらうのは厳しそうなので……これから家まで自転車を取りに行かないといけませんわねぇ。 梨花: みー。このあとを涼しく過ごせるのなら、行って戻ってくるのはなんともないのですよ。 菜央: それに水着を準備しないといけないんだから、一度家に戻るのは必須でしょ。 そんなことを話し合いながら、私たちは職員室を出て教室へと戻る。そして、 魅音: ……と、いうわけで!私たち部活メンバーはいったん家に戻ってから自転車に乗って、この分校に集合! 魅音: 下級生の子たちは、それぞれ自宅から水着を持ってくるように! 以上! 今後のことを簡単に説明し終えた魅音さんが最後に発した号令を受けて、分校の生徒たちは一斉に教室を出ていく。 登校してきた時にあった元気のなさは、もう誰の顔にも浮かんでいない。それを見て私も、「まぁいいか」という気分で後に続いた……。 数時間後、私たちは市民プールの前へと到着した。 魅音: よーし、着いたー!監督と富竹さんの車は……あっ、あっちだね。 駐車場へと視線を向けた魅音さんが、目ざとく入江先生と富竹さんが運転する車を発見する。 その2台は停車するや、後部座席と助手席の扉が勢いよく開いて……中から下級生たちが笑顔いっぱいに飛び出してきた。 レナ: ありがとうございます監督、富竹さん。ここまで下級生の子たちを乗せてきてくれて、本当に助かりました。 入江: いえいえ、これくらいはお安い御用です。普段でも雛見沢ファイターズの子たちを何人か乗せたりしていますからね。 富竹: 子どもたちを乗せて運転するのはあまりない経験だったけど、楽しかったよ。こういうドライブも、たまにはいいもんだね。 入江先生と富竹さんは、そう言って嫌な顔ひとつせず笑ってくれる。その優しい気持ちが嬉しく、有難かった。 沙都子: をーっほっほっほっ!それではお待ちかねの市民プール、せいぜい楽しませていただきましてよ~! 羽入: あぅあぅ、沙都子……!これは遊びではなく、体育の授業なのです。はしゃぎすぎはよくないのですよ。 梨花: みー……なんてことを言いながら羽入は、とっておきの水着を持ってきたのですよ。 羽入: り、梨花ぁ……! それくらいはその、見逃してもらいたいのですよ~! そして喜び勇み、私たちはプールの入口へと向かって……その途中で、愕然と目を見開く。 なんとプールの入口のところには、『臨時休館』との札が掲げられていた……。 Part 03: 魅音: 嘘……休みって……?! 沙都子: 確か、土曜日は普通に営業日でしたわよね……?なのにどうして、休みなんですのっ? プールに入って涼む、との希望を目前で奪われて、魅音さんたちはがっくりとその場に膝をつく。 と、そんな私たちの前に「おーい」と呼びかけながら、やってくる人影が見えた。 一穂: って、詩音さんに……前原くん? 圭一: なんだ、レナや魅音たちもここのプールに来ていたんだな。……っていうかお前ら、学校はどうしたんだ? 美雪: いや、その質問はまんまキミたちにこそぶつけたいんだけど……。 詩音: 実はですね……今日はあまりにも暑すぎるってことで、ちょいとズル休みを……。 詩音: もとい、「家庭の事情」って理由を先生に伝えて、このプールに来ることにしたんですよ。 一穂: えっと……今、「ズル休み」って言葉が聞こえたような気がしたんだけど……。 圭一: はははっ。ちなみに俺は、ズルなんかしていないぞ。今日はちゃんと法事で出かけることになっていたんだからな。 魅音: ……その法事で出かけているはずの圭ちゃんが、なんでここに? 圭一: いやー、実は親父のやつが日にちを間違えていてさ。法事はもう先週に終わっていたんだよ。 圭一: で、さすがに学校へ行くのも格好悪いから……とりあえずプールに来てみたってわけだ。 菜央: ……詩音さんとあんまり変わんないじゃない。 魅音: っていうか、市民プールが臨時休園ってどういうこと? 設備のどこかで不良でも見つかったっての? 詩音: うーん……「不良」が見つかったと言えば、確かに言葉通りなんですけどねー。 レナ: ? どういうことなのかな、かな? 詩音: なんでも昨夜、このプールに不良のカップルが忍び込んだそうなんですが……。 詩音: その人たちがプールサイドの一角で幽霊と出会った、と。 魅音: はぁ……幽霊?そいつはまた、季節外れも甚だしい話だね。 詩音: 季節外れって意味では、この暑さも十分おかしな感じではありますけどね。……まぁ、それはさておいて。 詩音: とりあえず、その原因が判明するまで一般客の利用は禁止になったそうです。いきなりの話で参っちゃいましたよ。 圭一: ったく……幽霊なんて、何かの影とかを見間違えただけだろうにさ。ほんと迷惑な話だぜ。 不満を口々に言いながらもいかんともしがたい状況に諦めるしかないのか、とうなだれる一同。 ……が、そんな私たちを見てふと、菜央ちゃんが呟いていった。 菜央: 幽霊がいるかいないかなんて、いったい誰が調べるんだろ……だろ? 魅音: っ……確かに。ということは、もしかしたら……? その一言に、また何かを思いついたのか……魅音さんがはっ、と息をのんで顔を上げた。 魅音(水着): ありがとうございます、大石さん。正直ダメもとで頼んでみたんですが……力を貸してくれて本当に助かりました。 大石: いえいえ、お礼を申し上げるのはこちらの方ですよ。 大石: ここの職員さんたちから捜査依頼こそ受けたものの、私たちもどう手を付けたものか考えあぐねていたところでしたからね~。 そう言って魅音さんに対して、大石さんは気さくな笑みを向けてくれる。 「もしかしたら……」と彼女の読み通り、幽霊騒動の捜査にあたっていたのは興宮署の彼だった。 そこで私たちは幽霊(?)をおびき出す役を買って出る……という言い訳で、プールに入る許可を強引に取り付けたのだ。 大石: しかし……大丈夫ですか?私も幽霊なんてものは眉唾物だと思っていますが、 大石: 例の『ツクヤミ』の存在もありますし……囮役のあなた方に万一のことが起きれば取り返しのつかない事態にもなりかねませんよ。 美雪(水着): まぁ、その時は私たちで何とかしますよ。心強い大人の方も、2人手助けしてくれるみたいですしねー。 そう言って美雪ちゃんは、背後で見守っている入江先生と富竹さんに「ですよねー?」と同意を求める。 強引に連れてこられた上、面倒事を押し付けられて、若干思うところはさすがにないはずもないだろうけど……。 部活メンバーはともかく下級生の子たちの楽しみを奪うわけにもいかないという矜持からか、2人は「あはは……」と苦笑いを浮かべていた。 ……ごめんなさい。毎度毎度、ご迷惑をおかけします……。 魅音(水着): んじゃみんな、目一杯遊泳をエンジョイ……もとい、囮役をよろしくね~! そう言って魅音さんたちは、脱兎のごとく走り去ってプールに飛び込んでいく。……囮役にしては、ずいぶんなフリーダムだ。 一穂: い、いいのかなぁ……? 菜央(水着): いいんじゃない? あたしたちはせいぜい下級生の子たちが危ない目に遭わないよう、しっかり見張っておいてあげましょう。 菜央(水着): なにはともあれ、一穂。あんたもさっさと水着に着替えてきなさい。沙都子たちも、それでいいわよ……ね……? 梨花(水着): みー、沙都子。向こうで水掛けっこをするのですよ~。 沙都子(水着): をーっほっほっほっ!負けませんわよ、梨花ぁ♪ 羽入(水着): あぅあぅ、僕はあっちでプールに浸かってのんびり……あぅぅっ?! 梨花(水着): ……みー。逃がさないのですよ、羽入……♪ 美雪(水着): ……なんかもう、みんな役目なんか忘れて遊泳モード全開だね。 美雪(水着): 小さい子たちは富竹さんと入江先生が見てくれてるみたいだし、私たちも自由に楽しむってことでいいんじゃない? 菜央(水着): けど、あたしたちまで役目を放り出したらさすがに申し訳が立たないでしょ? だから……。 レナ(水着): 菜央ちゃーん。ビーチボールを持ってきたから、こっちで一緒に遊ぼうよ~♪ 菜央(水着): えぇ、レナちゃん! すぐに行くわ♪ 美雪(水着): ……一瞬で寝返ったよ。相変わらず変わり身が速すぎだよね。 一穂: あ、あははは……。 そして、夕方。 魅音: あー、楽しかったー!身体も冷えて最高だったね~♪ 私たちは、とりあえず役目を果たしたのかどうかはさておき……プールを満喫した。 ただ、やはり幽霊の姿は全く現れず……なんとなく場にはしらけたというか、空振り感が漂っていた。 圭一: やっぱり、何かの見間違いだったんじゃねぇか?暑いからって、季節外れも甚だしい話だしさ。 詩音: まぁ、その可能性は高いかもですね……。 詩音: なにはともあれ、私たちも目的を果たせて満足できましたし……この辺りで引き上げませんか? 詩音さんの提案に、私たちも同意する。そして大石さんに報告とお礼を伝え、下級生たちを駐車場へと誘導した。 入江: 全員、車に乗りましたね。富竹さん、そちらはどうです? 富竹: えぇ、問題ありません。いつ出発しても大丈夫ですよ。 車の窓越しに2人は合図して、さてと入江先生が顔を上げて自転車組を見る。 入江: さすがに一軒ずつ回るのは時間的にも厳しいので、商店街のあたりで解散とさせてもらいます。よろしいですか、魅音さん? 魅音: はい、十分です。今日は色々と、本当にありがとうございました。 魅音さんに合わせて、私たちも深々と頭を下げる。 かなり乱暴に巻き込んでしまったけど……入江先生と富竹さんに来てもらえて、本当に大助かりだった。 魅音: いやー、やっぱ暑い時のプールは最高だねー。 沙都子: えぇ、とっても楽しかったですわ~! 菜央: 幽霊が出るとかがなかったら、もっと楽しかったんだけどね……。 一穂: (……そう言いつつ、レナさんとすごく楽しそうにしてたのは黙っておいた方がいいのかな……) 梨花: みー。なにはともあれ問題はなかったので、結果オーライなのです。 菜央: でも、確かにあんな話を聞かされていい気はしなかったわ。 圭一: そういうのって、知ると意識しちゃうからな。 美雪: 早く解決するといいね。 一穂: そうだね……あれ? 羽入: ……あぅあぅ? 梨花: みー……? どうかしましたですか、羽入? 一穂?急に立ち止まったりして。 羽入: あ、いえ。今、何かを感じたような気がしたのですが……。 一穂: 私も……気のせいだったのかな? Part 04: ……その夜。 熊谷: うっわ……夜のプールって不気味だなぁ。 念のため誰もいなくなったプールを、大石の部下の熊谷はひとり巡回していた。 熊谷: 大石さんは、誰かがまた忍び込む、って言っていたけど……本当に来るのかなぁ。 熊谷: しかし……やっぱ暗闇の中のプールってのはぞっとするというか、やな感じだなぁ。さっさと終わらせて、家で一杯やりたいよ。 そんな愚痴をぼやきながら、ふと物陰にライトを当てた……その時だった。 熊谷: ん……? 今、何かが動いたような……。 熊谷: おい、そこに誰かいるのか?隠れていないで、早く出てきなさい! …………。 熊谷: ったく、面倒……。 熊谷: なっ?! 翌日の午後。 魅音さんの緊急招集で園崎本家に集まった私たちは、そこに同席した大石さんから報告を聞かされた。 魅音(私服): ……昨晩、また幽霊が出たらしいよ。対応した刑事さんが襲われたか何かで、今は入院中なんだって。 一穂(私服): 入院って……どこか、怪我でもしたんですか? 大石: いえ、幸い外傷は見られないようです。ただ、交代の刑事が発見した時には気を失っていたそうで……。 大石: とりあえず今は念のために、安静にしてもらっていますが命に別状はないそうですよ。 一穂(私服): そう、ですか……よかった。 一穂(私服): あ、いえ……よくはないですね。失礼なことを言って、ごめんなさい……。 大石: んっふっふっふっ、いいんですよ。私も熊ちゃんに怪我がなかったことは、ラッキーだったと思っています。 大石: 常に危険と背中合わせの因果な商売ですが、それでも命あっての物種ですからね。 大石さんはそう言って笑ってみせるが……その目には隠し切れない鋭さが宿っている。 おそらく、部下の熊谷さんに対して申し訳なさ……そして、自分に怒りを感じているのだろう。 圭一(私服): ということは……大石さん。幽霊が本当にいたってのは、もう確定と考えていいんだよな? 大石: えぇ……色ボケたチャラチャラカップルの証言ならともかく……私が信頼する熊ちゃんの目撃情報ですからねぇ。 大石: さすがにこいつは、無視するわけにはいかないと思いましてね……んっふっふっふ! 一穂(私服): (大石さん、笑ってるけど目が全然笑ってない……) 園崎家の手を借りてでも、幽霊でもなんでも絶対に捕まえてやる……そんな意気込みが、大石さんから感じられた。 魅音(私服): とは言え、どこから手をつけるべきだろうね。 沙都子(私服): まず共通点を探すべきだと思いますわ。今までの被害者はどんな方々ですの? 大石: 今の所、被害者は夜にプールに侵入したバ……失礼、若いカップルが6組と、うちの熊ちゃんです。 美雪(私服): 結構多いな、襲われたカップル。 羽入(私服): あぅあぅ、熊ちゃんさんは1人で襲われたのですか? 大石: 襲われた時は1人でしたが、直前まで同僚の警察官と一緒でした。ただ、そいつがトイレに行っている間に襲われましてね。 大石: 自分が目を離さなければと可哀想なくらい落ち込んでまして……。 圭一(私服): まぁ、男同士でトイレは一緒に行かないからな。 梨花(私服): みー。共通点がわからないのですよ。カップルはともかく、1人でも襲われるなんて。 沙都子(私服): そんなことありませんわ。襲われたカップルさんも夜に幽霊を見たと言って、刑事の熊谷さんも夜……。 沙都子(私服): つまり、夜というのがキーワードなのかもしれませんわね。 美雪(私服): 夜のプールか……うーん。 圭一(私服): 美雪ちゃん、なんか不満そうだな。 美雪(私服): 事件解決を手伝うのは危険かもって思って。夜のプール捜索って視界が限られるから、どうしても危険度が高くなるんだよね。 レナ(私服): はぅ……確かに、転んでプールに落ちちゃうと、夜は危ないかもしれないね。どこに行けばいいかわからないし。 美雪(私服): 水の事故は怖いからね。死にかけた人も知ってるから。 美雪(私服): 手伝いたいのはやまやまだけど、私たちが安請け合いするのはちょっと厳しいなって。 菜央(私服): それに、この前みたいに昼間は大丈夫なら、放っておいてもいいんじゃない? 菜央(私服): そもそも、夜だけ出る幽霊なら、夜はプールに近づかなければいいだけじゃない? 菜央ちゃんのもっともな意見に、詩音さんが首を横に振る。 詩音(私服): いえ、そういうわけにもいかないんですよ。 詩音(私服): プールの職員さんに聞いた話だと、来週からは夜間もプール開放を考えているそうなので。 圭一(私服): 夜もプールで泳げるってのかよ?そいつは悪くないアイディアだが、美雪ちゃんの言う通り安全面が気になるな。 魅音(私服): なんでも、ビアガーデンを参考にしたらしいよ。デパートの屋上みたいに電飾でキンキラキンにして、簡単な屋台とかも出すんだってさ。 詩音(私服): なにしろ最近の暑さのせいで、深夜にプールへ忍び込む連中が続出しているらしくて……。 詩音(私服): それを逆手に取った商売ってわけです。水の中も照らせる強いライトを借りたとか。 美雪(私服): なるほど。ガッツリ照らして視界問題が解消されれば、安全面の問題はある程度クリアになるんだね。 詩音(私服): とは言え、夜のために大金つぎ込んで機材借りちゃったので実験運用でも多少元を取らないと大赤字らしいんです。 圭一(私服): なるほど。解決しないと困るってそういうことか。 レナ(私服): はぅ~っ、夜のプールって、なんだか面白そう!レナたちも行ってみるのはどうかな、かな? 魅音(私服): あいにく当面は、大人限定の実験運用になるんだってさ。 魅音(私服): だから私たちは大人になるまで、お呼びじゃないんだって。 菜央(私服): それは残念ね……夜のプールって、幻想的な感じがして楽しいと思うのに。 詩音(私服): まぁ、大人だけが楽しめる恩恵ってやつですね。仮に死んでも大人なら自己責任ってヤツですし。 大石: んっふっふっ! 大人は自由で楽しいですよ~。まぁ、下手打ったときはぜーんぶ自分で返さないといけないですけど。 羽入(私服): あぅあぅ、対価が高そうなのですよ。 美雪(私服): …………。 詩音(私服): おや?どうしました美雪さん、急に黙り込んで。 美雪(私服): いや……だったら今こそチャンスじゃない?大義名分もあるわけだしさ。 そう言って美雪ちゃんは、皆に提案を持ちかけていった――。 Part 05: 数日後。 電飾を終え明日の夜間オープンを控えた市民プールに、水着に着替えた私たちの姿があった。 レナ(ナイト水着): はぅ~っ、照明がとっても綺麗!ほんとにデパートの屋上みたいだよ~♪ 菜央(水着): 飾りつけもセンスがあって素敵じゃない。こんな中でプールに入ったら、きっと気持ちいいかも……かも。 魅音(水着): あー、みんな。くれぐれも言っておくけど主目的は幽霊探しで、プールを楽しむことじゃないからね。 魅音(水着): そこのところ、忘れないように! と、魅音さんがいかにも委員長!と言った真面目な顔で言う。 詩音(水着): ……なんて言っていますけど、本音のところはどうなんですかお姉? 魅音(水着): 幽霊なんて知ったことかー!大人しか楽しめないこんな面白そうな場所、1日限りだっていうなら目一杯楽しんでやる~! 詩音(水着): 行きましょう、お姉! 魅音(水着): もちろん! 園崎姉妹: やっほーっ! 美雪(水着): おぅ、園崎姉妹が真っ先にプールに飛び込んでいった……。 沙都子(水着): お2人とも、こういうのお好きなんですのね。 圭一(ナイト水着): 欲望全開って感じだな……けど、その気持ちはよくわかるぜ。この光景、ワクワクするじゃねぇか! 一穂(ナイト水着): だ、大丈夫かな? 圭一(ナイト水着): 大丈夫だって!それに幽霊が出るタイミングってわからないだろ?意識しすぎたら逆に出るヤツも出ないヤツかもしれない。 レナ(ナイト水着): つまり、私たちも全力で楽しもうってことだねっ! 圭一(ナイト水着): さすがレナ、その通りだ! 一穂(ナイト水着): お、おーっ! なんてことを話しながら、予定通りナイトプールに入った……んだけど。 レナ(ナイト水着): はぅ~……流れるプールに浮かんでるだけ、流されてるだけなのに景色が変わって楽しいね~。 圭一(ナイト水着): 夜の海や川に入ったら死にかねないし、プールならではの体験だよな~。 一穂(ナイト水着): そ、そうだね……。 ぷかぷかとプールに浮かぶ2人はとても楽しそうだけど……私はなんだか落ち着かない。 そう思いながら水中に浸かる首から下、自分の水着を見下ろす。 一穂(ナイト水着): (やっぱり派手すぎるよ……この水着) ……沙都子ちゃん曰く。 「熊谷さんの例から考えると、幽霊は少人数の瞬間を襲ってくる可能性があるかもしれませんわ」……とのことだったので。 囮役の少人数組と、どちらが襲われても動けるように注意する遊撃組に別れることになった。 片方の囮役チームは、提案したのは自分たちだからと園崎姉妹。 そしてカップルが襲われてる率が高いから囮役に男女コンビが欲しいと前原くんとレナさん……と、その護衛役として私の3人。 ……そこまではいい。それはいい。 今日のために各々水着を買いに行った際、お店にある中では比較的大人しいデザインを選ぼうとしていた……はずなのに。 菜央(私服): ぇ……一穂、これにするの?ちょっと地味過ぎない? 詩音(私服): もうちょっと可愛いの選んだらどうです?どうせ水着代は経費で落ちるんですし。 魅音(私服): そういや被害者の女性たちってなかなか派手な水着着てたって聞いたね……護衛とは言え、派手な方がよくない? 沙都子(私服): では、こちらなんていかがですの? 梨花(私服): みー。それならこのアクセサリーと、こっちと……こっちも合わせてみるのはどうでしょう? 羽入(私服): あぅあぅ、よく似合ってるのですよ! 一穂(私服): えっ、ちょっ、こ、これは派手過ぎ……! 美雪(私服): ちょっとみんな、一穂が困ってるよ? 一穂(私服): 美雪ちゃん……!! 美雪(私服): せめて上着くらいは着せてやってよ。あ、これとかどう? うん、かわいいかわいい! 一穂(私服): み、美雪ちゃんっ……?! そもそも水着を別のものにしたいんだけど……なんて私の声が届くはずもなく。とても派手な水着を選ばされてしまった。 一穂(ナイト水着): (みんなエンジェルモートの制服とかに慣れすぎてる気がする……) レナさんもなかなか派手な水着を選んだというか、選ばされていたけど……ちゃんと着こなして似合っている。 ……菜央ちゃんがあれこれと着せたくなる気持ちが、ちょっとわかる。何着ても似合うって、すごい。羨ましい。 圭一(ナイト水着): にしてもレナと一穂ちゃんの水着……イイな! レナ(ナイト水着): は、はぅ……はぅっ……。 一穂(ナイト水着): あ、ありがとう……前原くんも似合ってるよ。 圭一(ナイト水着): 男の水着なんてよっぽどじゃなければみんな同じだろ?……しっかし、なかなか幽霊出て来ないな。 一穂(ナイト水着): そうだね……。 言いながら、ちらりと離れたプールサイドで楽しそうにはしゃぐ遊撃チームを見る。 沙都子(水着): ぶぁーっ! ぺっぺっ!!口に水が入りましたわ~! 梨花(水着): みー。美雪の水鉄砲が沙都子の顔面にクリーンヒットなのですよ。 美雪(水着): はっはー! 油断たいて……ぱふぁっ!? 羽入(水着): あ、当たった……当たったのです! 美雪(水着): くっ、中途半端に暗い場所から狙撃とは……やるね、羽入! 羽入(水着): ふふん。油断大敵、なのですっ! 羽入(水着): ぱわぁーっ!!?? 菜央(水着): 油断大敵、いい言葉ね。おかげで羽入のど真ん中を打ち抜けたわ。 梨花(水着): みー。羽入もずぶ濡れなのですよ。 一穂(ナイト水着): (いいなぁ、水鉄砲楽しそう……) 流れるプールは、どうにも落ち着かない。 ライトが沢山ついているおかげで明るいけど、やっぱり所々に暗い場所も残っているせいだろうか。 今にも足元がふわっと浮かんで、どこか知らない場所に流されて……そのまま、元に戻れなくなる。 今にも自分がどこかへ流されて消えていくような予感が、さっきから消えてくれなくて……。 レナ(ナイト水着): 一穂ちゃん、あっちでみんなと水鉄砲する? 一穂(ナイト水着): えっ!? で、でも幽霊が出たら……! 圭一(ナイト水着): プールに入ってもうすぐ一時間だろ?これだけ遊んでるのに全然出て来ないし、もしかしたら幽霊そのものが見間違いだったかもな。 レナ(ナイト水着): そうだね。後ろめたいことをしているって罪悪感のせいで、雲の影とかを幽霊と見間違えた……のかな、かな? 一穂(ナイト水着): 可能性としてはなくもないけど……カップルはそうだとして、熊谷さんは? 圭一(ナイト水着): そうだな……もしかしたら熊谷さん、侵入しようとしたカップルに会っちまったのかもな。 レナ(ナイト水着): お互いばったり出会って、幽霊だー!……ってびっくりしちゃって。 レナ(ナイト水着): 熊谷さんは気絶して、カップルは逃げちゃったとか、どうかな? それなら相手方カップルが届け出ないのも納得だ。自分たちは無断で夜のプールに侵入してるんだから。 一穂(ナイト水着): じゃあ全部見間違いかもしれない……ってこと?なら、私も水鉄砲で遊びたいな……。 圭一(ナイト水着): なら俺も参戦だ!みーんなずぶ濡れにしてやるぜ~っ! レナ(ナイト水着): レナは圭一くんを真っ先にずぶ濡れにしちゃおっかな~。 圭一(ナイト水着): なら先手必勝! 一騎打ちを申し込む! レナ(ナイト水着): 負けないよ~。はぅ~っ! 一穂(ナイト水着): あははっ。 楽しそうな2人を前に、さてプールから出ようと手近な岸に目を向けたその時。 沙都子(水着): あら……? ここの電飾だけ、明かりが消えておりますわね。 沙都子(水着): 何か不具合でも……って、ひゃぁぁぁあっ?! 梨花(水着): みー!どうしましたですか、沙都子っ! 一穂(ナイト水着): ……ッ! 沙都子ちゃんの声を聞くと同時、即座に水から飛び出し悲鳴の方へ走り寄る。 背後から続いた2つの水音は、レナさんと前原くんだろう。 一穂(ナイト水着): どうしたのっ!? レナ(ナイト水着): 沙都子ちゃんっ! 美雪(水着): 一穂、レナっ! 見てコレっ! 沙都子ちゃんを庇うように抱きかかえる美雪ちゃん。その指さす先にいたのは……。 羽入(水着): ツ、『ツクヤミ』なのです……! 魅音(水着): こいつが幽霊の正体か……!行くよ、みんな! みんな: おうっ! Epilogue: ――2003年。 あたしたち2人はディナーを待ちながら食前のワインのつまみとして過去の思い出話を交わしていた 菜央: 結局……あれって電気工事の不良で電気が異常に蓄積されて、そこに『ツクヤミ』がたまたま居ついたのが原因だったのよね。 菜央: そこまで強い敵じゃなかったから、あっという間に倒すことができたけど。 美雪: ……あ、あぁ。そんなこともあったね……うん、私もようやく思い出したよ。 美雪: それにしても菜央は、そんな昔のことをよく覚えてたね。今から数えてるともう20年くらい前の話なのにさ。 菜央: 忘れたの、美雪?あたしたちにとっては10年……忘れるはずなんてないわ。 美雪: 10年前でも、十分昔話だよ。 美雪: ……それに、あんな大きな事件が前後にあったせいで大小の色んな記憶が曖昧になりかけてるからね。 美雪は遠い目でワイングラスの取っ手を撫でる。その仕草一つで伝わる、大人の仕草。 今の美雪となら、あの時とは違うナイトプールの楽しみ方が出来るだろう……でも。 菜央: 大事なことは、そこじゃなくて……。 菜央: あたしが不思議に感じてるのは……ナイトプールそのものよ。 美雪: ん? あたしは数時間前にもらったチラシをテーブルの上に置く。 菜央: 向こうで留学中にこのことを思い出して、ナイトプールについて調べてみたの。 菜央: 夜に大人向けのプール開放が行われたのは、2年前の2001年……。 菜央: この案内紙に載ってるホテルが初めてだそうよ。 菜央: なのに#p雛見沢#sひなみざわ#r……正確には#p興宮#sおきのみや#rでは、すでにそのイベントが恒例として行われていた節があった。 菜央: これって、どういうこと? 美雪: ……たまたま、東京のこのイベントと同じ発想でナイトプールを思いついた人がいたってことじゃないかな。 菜央: 深夜のプールに忍び込むって、マンガとかにもよくあったし。 菜央: それだけじゃないわ……雛見沢には、昭和とは思えないアイディアや技術がいくつかあった。 菜央: 雛見沢、もしくは興宮にすごいアイディアマンがいたってこと? 美雪: ……そうじゃないかな。 菜央: でも、あたしが調べても当時の雛見沢や興宮でそういうイベントをやっていたって痕跡は残ってなかったの……何一つ。 菜央: あたしの調べ方が悪いのかもしれない。図書館司書やってる美雪なら、あたしよりちゃんと調べられるんじゃない? 美雪: ……調べてみる価値はありそうだね。ただ、司書の端くれとして言わせてもらうと。 美雪の指が、ワイングラスのフチを指で弾く。 美雪: 全ての現実が記録として残ってるわけじゃないし、今信じられてる歴史が全て現実とも限らないよ。 菜央: ……それは、どういうこと? 美雪: 何年か前、遺跡の捏造事件が発覚したの覚えてる?石器自体は本物だったけど、それらは全て別の遺跡で集められたもので……遺跡は偽物だった。 美雪: でも捏造が発覚するまで、石器は掘り出された場所で見つかった……遺跡は本物だと信じられていたんだ。 美雪: 現実には違ったけどね。 美雪: そういえば監獄実験も捏造って言われてるの知ってる?私、子供の頃は実験は本物だと思ってたよ。知った時は騙された気分だったな~。 菜央: ……何が言いたいの? 美雪: ……つまりね。 美雪: ナイトプールが行われたことが資料としてどこにも残っていなかったとしても……行われなかったとは、誰にも、絶対、否定できない。 美雪: イベントは遺跡や監獄実験と違って、再調査しようがないからね。 美雪: ……だから、ナイトプールの痕跡が見つからなくても自分の記憶を疑わなくてもいいよってことだよ。 それだけ言って美雪はにこっ、と笑みを浮かべる。そして、 美雪: それより、今夜はキミの帰国祝いで楽しみたいなっ! 初めて会った15歳の時と変わらない、人好きのする笑顔でグラスを掲げていった。 菜央: そうね。……ごめんなさい、空気が読めないことを言い出したりしちゃって。 菜央: 久々の日本だから、ちょっと舞い上がってたのかも……かも。 美雪: いいっていいって。ほら、もう一度乾杯しよっ! 言いながら美雪はワインの瓶を手にあたしのグラスに中身を注ぎ込む。 菜央: ちょ、ちょっと入れすぎよ……もう。 美雪: ほら、かんぱーい! 菜央: ……乾杯。 チン、とワイングラス同士を叩き合わせながら、この音が3つだったらいいのに、と心底思った。 ここに、一穂がいてくれればいいのに、と。 あたしと美雪は、ずっと思い続けるのだろう。きっと、ずっと…………。           あたしたちが、死ぬまで。