Part 01: 川上へ向かって山の中を歩き続け、最終的に辿り着いたのは小さな滝壺だった。 美雪: おー、なかなか絶景。それで千雨、私に用事ってこれを見せること? 千雨(制服): そんなわけないだろ……お前に話がある。 美雪: ……んー、なに?別にいいけど、改まってどうしたのさ? そう普段の調子で返しながらも……ほんの少しだけ緊張した思いで、私は千雨の次の言葉を待ち受ける。 遠くから、今夜の#p綿流#sわたなが#rしの準備をしている音が聞こえる。……それを放り出してまでの話だ。吉報ではないだろう。 気のせいではなく今までの経験上、彼女が前置きとしてわざわざ断りを入れてくる時は私が答えづらい質問になることが多い。 また、こういう場合で変にはぐらかしたりすると千雨は本気で怒ってその後の詰問がきつくなるので、正直「面倒だなぁ」とぼやきたい気分でもあった。 千雨(制服): ……おい、そう身構えるなって。こっちも困ってお前に相談するしかないんだから、少しは力を貸してくれるとありがたい。 美雪: 何も言ってないんだから、勝手に私の考えてることを読まないでよ……で、なに? 千雨(制服): 一穂につきまとってる、「アレ」のことだ。絢花さんはあの得体の知れない物体のことを『ウツシロ』なんて言ってたが……。 美雪: あぁ、一穂と前原くんのところに出たやつ? 千雨(制服): そうだ。お前が本当に、前の「世界」でアレと似たようなものを見たことがなかったのか……ちゃんと確かめておきたくてな。 美雪: んー……さっき一穂や菜央がいる時にも言ったけど、お目にかかったのは「アレ」が初めてだよ。 美雪: 少なくとも、私たちが戦ったりしてきた『ツクヤミ』にあんな感じのはいなかった……と思う。断定するのは危険だけどね。 千雨に尋ねられる前から、私も何度となく自主的に記憶をほじくり返してみたものの……やはり思い当たるものは、全くない。 これまでにも、『ツクヤミ』は様々な形態で出現しては私たちの常識を打ち破り、度肝を抜いてくれたものだが……「アレ」は特別だ。 それに加えて、私たちの前に現れた時は必ず激しいほどの敵意と殺意をぶつけてきたのに、一穂たちの元へ現れたモノには、それが……ない。 むしろ、何か良くないことでも起こるのでは、と警戒する自分たちの方が過剰反応をしているようにも感じられて……どうにも収まりの悪い気分だった。 千雨(制服): ……そうか。だとしたら、今のところは絢花さんの言葉を信じるしかないってことだな。 美雪: うん。……っていうか千雨、やっぱり絢花さんのことがまだ信用できないの? 千雨(制服): あの人は明らかに、何かを隠してる。……お前だって、気づいてないわけじゃないんだろ? 千雨はそう吐き捨ててため息をつきながら、首を左右に振ってみせる。 この「世界」に来た時から、千雨はなぜか絢花さんに対して微妙に不信感を持っていた。 本人に悟らせる気はさらさらないのか、このことを知っているのは千雨以外は私だけ。一穂は当然、菜央も気づいていないだろう。 もちろん、これまで欠かさず彼女が出してくれた朝昼夕の食事はありがたく口にして残さなかったし、夜も私の隣でしっかり寝ていた……と思う。 ただ、絢花さんに面と向かって話をする時……千雨はなぜか、いつでも迎え撃ってみせると言わんばかりに身構えるのが常になっていた。 美雪: んー、確かにそうだけど……彼女の普段の振る舞いに、怪しいところはなかったよ。外で誰かと連絡を取ってる感じでもなかったしさ。 美雪: それに万一、あの人が敵であったとしても千雨だったら楽勝にねじ伏せられるでしょ?そこまで警戒することもないと思うけどなぁ。 千雨(制服): ……なるほど。美雪をもってしても、絢花さんはそういうイメージに見えるってことか。だとしたら余計に、気を抜くわけにはいかないな。 美雪: ? それはどういう意味なの、千雨……? なぜか緊張を伴った千雨の妙な言い回しに、私は違和感を抱く。 すると彼女は、眼光を鋭くひらめかせながら私を真正面から見据え……声を潜めていった。 千雨(制服): あの人……相当、強いぞ。何らかの病気で薬が欠かせないってのは本当みたいだが、少なくとも「病弱」じゃない。 千雨(制服): 素手ならまだしも、武器ありの勝負となると一対一でも勝てるかどうかは微妙かもな。 美雪: ま、まさかぁ……? そう肩をすくめながら笑いを返そうとしたが、私は口元がひくつくのを抑えられなくて……すぐに諦め、口を引き結ぶ。 優れた武闘家は、たとえ日常において普通の生活を送っている時であっても……そこに隠された『気』を感じることができるという。 まぁ、千雨がそんな領域に達しているというのは身内贔屓も甚だしいところだが……武道に勤しむ彼女だからこそ、察するものがあるのかもしれない。 美雪: (それに、思い当たる節は……確かに、ある) 以前、絢花さんは言っていた。いたずらっ子を捕まえて頭を掴み、厳しく折檻して注意したことがあった……と。 半分冗談として笑いながら、聞き流していたが……すばしっこく動く子どもを捕まえて教示ができるほど「折檻」するためには、一定の身体能力が必要となる。 相手の動きを観察して先回りする予測能力に、状況によって即座に反応できる俊敏性……少なくとも、病弱な人には荷が重すぎるものだ。 美雪: (あと……あの奉納演舞。確かに無駄な力が抜けて、身体への負担が軽減できるように工夫されていたけど……) 裏を返すと、必要最小限の動きと力であれだけ大きく、速い動きができるというのはもはや常人を超えた「達人」の領域だ。 前の「世界」で見た、梨花ちゃんの奉納演舞の記憶がまだ残っているけど……あれと比しても劣るどころか、十分に匹敵するレベルだった。 千雨(制服): 『おい……なんだ、あの絢花さんの動きは?足さばきに重心の移動が、一切感じられない……まるで、雲の上を歩いてるみたいだ』 演舞を練習する様子を目にした千雨が、そう言って感嘆していたことが思い出される。 無駄なく、効率的に行える体重移動。……それを極めるために絢花さんはどれだけの鍛錬を重ねてきたのか、私には想像すらできなかった。 千雨(制服): ……美雪。あの人は、確かに善人かもしれない。まぁ、お飾りでまつり上げられる人間ってのは大抵の場合そういうものだ。 千雨(制服): だが……それを背後から操ったり、隠れ蓑にしたりして何かを企む連中ってのは絶対に悪だと相場が決まってる。善だとしたら、別に隠れる必要なんてないからな。 千雨(制服): ……だから、気をつけろ。意図的か無意識かに関係なく、力を隠す人間ってのはそれだけで危険な存在になりうるんだからな。 美雪: ……。わかったよ。 私は、そう答えて頷く。……本心から納得するかはさておいても、その警告を受け入れるしかなかった。 Part 02: 美雪: (って、なんで今更そんなこと思い出すかなぁっ?!) 千雨(制服): ――美雪っ、そっちに2人だ! 美雪: わかった!……はぁああぁぁあぁっっ!! 千雨の声に反応して身を翻し……私は背後から迫ってきた「村人」2人に対して息もつかずに連撃をかけ、一気に蹴散らす。 あやまたず急所を狙ったことで、彼らは攻撃どころか防御もできないまま……うめき声とともに地面へと倒れていった。 美雪: (それにしても……数が多すぎるっ……!) 倒しても倒しても、あとから津波のように押し寄せてくる村人たちの猛追にうんざりして、私は苛立ちを込めながらべっ、と唾を吐く。 すでに全身が汗だくで、息も上がってきた。……服を黒く汚しているものは泥だと思いたかったが、鼻をつく生臭さがそれを許してくれない。 ……訳がわからないまま、ずっと戦い続けている。 #p綿流#sわたなが#rしの儀式の最中に、レナたちの様子がおかしくなったので……絢花さんを連れて、私たちはここまでなんとか逃げてきた。 ……一穂を、置き去りにして。 美雪: 菜央……そっちは大丈夫っ? 菜央: だ、大丈夫よ……って言いたいところだけど、そろそろ厳しくなってきたかも……かも……! そう答えて菜央は、背後に絢花さんをかばいながら膝をつきそうになるところを必死に耐えている。 普段から負けん気の強い彼女が、弱音めいたことを口にするということは……さすがにもう限界が近いということだろう。 絢花(巫女服): う、うぅっ……。 絢花さんの足からは、絶え間なく血が流れている。逃げはじめた直後、菜央を庇って怪我をしたのだ。 足は移動の命だ……仮に絢花さんが千雨の見立て通りに強かったとしても、これでは戦えない。 美雪: (絢花さんが強かったなら、私たちを置いて1人で逃げ出すことだってできたはず……) でも絢花さんは、菜央を庇って怪我をした。千雨はその気持ちを評価したからこそ、怪我をした彼女を必死に守ろうとしている。 千雨(制服): 美雪、菜央っ……私が、あの連中の相手をする!その間にお前たちは、できるだけ距離を稼げ! 菜央: なっ……何を言ってるのよ、千雨っ?あんたまで残ったら、一穂が何のためにっ……! 美雪: ……っ……!! ぎりっ、と手のひらに爪が食い込むかと思うほどに……私は両手を握りしめる。 私たちを安全な場所へ逃がすため……一穂はひとりとどまり、足止め役になってくれた。 美雪: (見捨てたくなかった……一緒に逃げたかった!でも……でも……ッ!!) 言いたくない、認めたくない。でも、言わないと……認めないと……っ。 前に進むことは、できない……! 美雪: (私は……一穂を見捨てた、犠牲にした……!) だから私は、なんとしても彼女との約束……生き抜いて、ここから脱出しなければいけなかった。 美雪: (でも……そのためには、今以上の力が要る!) だから……だから私は、この人に頼るしかない……! 美雪: ……絢花さん!私にも、『ウツシロ』って出せる?! 絢花(巫女服): えっ……?あ、あれは意識して出せるものだという記述はなかっ……。 美雪: じゃあ、千雨、菜央! 下がれ!最低限の迎撃のみに、専念! 千雨(制服): はぁ?! お前、なんのつもりだ?! 美雪: 絢花さん、言ってたよね?『ウツシロ』は、『ロールカード』の使い過ぎで出てくることがあるって……! 絢花(巫女服): み……美雪さん、あなたは何をっ……?! 美雪: ……何って、答えは一つしかないだろぉが! 普段は抑えていた巻き舌が、表に出てくる。あぁ……やばい。お母さんに聞かれたら怒られる。 でも……いいや。今はそれくらい、目を瞑ってもらおう。 だってこれから、一世一代の無茶をするんだ!少しくらいの行儀の悪さは許してやれよ、私――! 美雪: 『ロールカード』の過剰使用、上等ォ!『ウツシロ』が出るまで、使い倒してやらぁ!! Part 03: ……前衛2人、後衛1人で戦っていた分を1人でまかなうのは、存外大変だった。 移動と戦闘を繰り返して、戦って移動して。戦って移動して、移動して戦って……。 ……身体の疲弊が一定以上蓄積して、頭がぼうっとしてきて。 それでも、無意識で反射的に動く手足が、辛うじて襲ってくる人々をなぎ倒して……。 だから。 千雨(制服): ……美雪っ! 美雪: ぇ……? 一拍、千雨の声に反応するのが遅れた。 気がつけば、間近に迫る……月を照り返す銀の閃光。 美雪: (……避けられない) 理解した、直後。 銀色の死が、真横に吹っ飛んだ――?! 美雪: ……えっ?! つむじ風を巻き起こしながらとん、と真横で着地したそれは……ええっと、なんと例えればいいんだろう。 美雪: (なんだろう、これ……頭、クリオネっぽい?) 前に千雨に連れて行かれた海洋大学の中学生向け講義の後、一般公開してないけれど特別に……と、こっそり見せてもらったことがある。 北海道で見つかったばかりだという米粒より小さな生き物は、水中を踊るようにふよふよと浮いていて……。 ただ、食事の時は自分より大きい獲物を押さえ込むため口を大きく開くそうで……図解された捕食時の姿はなかなかにアグレッシブな見た目をしたことを覚えている。 美雪: (あ、でも……手足はなんか犬っぽい?つまり水陸ミックス?いや、そんなことを考える前に、これって……?!) 姿は、一穂の時とも……前原くんのものとも、違う。でもこれは、これは……?! 美雪: これ、私の『ウツシロ』……?! 菜央: あんたの『ウツシロ』、かぁいくない……。 美雪: うるっさい! 絢花(巫女服): まさか、本当に……?! 千雨(制服): やりやがった……本当にやりやがった!ははははは! あいつ、やりやがったぞ! 背後から呆然とした絢花さんの声とはしゃぐように手を叩く千雨の爆笑が聞こえる。 けど、状況はまだ最悪のまま。打開できるかどうかは、私の『ウツシロ』……いや。 結局のところ、私次第ってわけだ……! 美雪: よし、いけっ! 拳で指示を出すと同時に、『ウツシロ』は力強く前足で地面を蹴り上げ手近な村人に飛びかかる! たしっ、と再びその四肢が地に着く頃には、半径3メートルの村人たちは余裕でなぎ倒されており、どこか誇らしげに頭と尻尾をブンブンと振り回していた。 美雪: お、おおっ……! よっしゃよっしゃ!キミ、見た目はともかく仕草は可愛いなぁ! ――わーい! 『ウツシロ』が喜ぶように身体を揺らして踊っているように見えるのは、酸素不足でクラクラした頭が見せた幻覚か。 いや、なんでもいい……。これなら、もしかしたら……! 美雪: 千雨、菜央! 体力、ちょっとは回復した?! 千雨(制服): あ、あぁ……。 美雪: なら、よかった! このまま突破するよ!いくよ、『ウツシロ』! ――はーい! 声: 美雪……おい、美雪。 美雪: ん……? ふと顔をあげると、記憶よりもはるかに大人っぽくなった千雨が立っていた。 美雪: あれ、なんか千雨って大きくなっ……あっ。 はっ、と我に返って周囲を見渡す。 そうだ、ここは銀座のお店で……久しぶりに千雨が帰国するから、ここで待ち合わせようって話になって。 千雨が遅れるってメールが届いて、先についてぼーっと紅茶を飲んで、それで……。 千雨(制服): 悪かった、飛行機の着陸が遅れて遅くなった。 美雪: いや、大丈夫。ぼーっと考えごとをしてたからさ。 千雨(制服): ……一穂ちゃんのことか? 美雪: それ関連。私が#p雛見沢#sひなみざわ#rで出した『ウツシロ』のこと。 千雨(制服): あぁ……あれか。お前が『ウツシロ』を出せなかったら、あの時は危なかったな。 美雪: ……正直、『ウツシロ』を出した後のことはあんまり覚えてないんだけど……。 美雪: 今思うと、よくなんとかなったよね。『ウツシロ』が私の言うことを聞いてくれたから、まぁ結果オーライだったけどさ。 美雪: 私の言うことを聞かずに暴走とかしてたら、たぶん……終わりだったよね? 千雨(制服): あぁ。完全に終わって、今はなかったな。 だよね、と笑いながら冷えた残りを飲み干し、ウエイトレスさんに2人分の紅茶を頼んでから正面の椅子に腰掛けた千雨に向き直る。 美雪: 今思い出してもさ、なんかこう……見た目はともかく、悪くないなーって思ったんだよね。私の『ウツシロ』。私自身だけど、けっこういけるじゃん……みたいな? 美雪: いや、菜央がかぁいくないって言った気持ちはわかるけどさ。 美雪: あれだ、きもかわってやつ?確かに気持ち悪いけど、よーく見たら可愛いげがある~みたいな。 千雨(制服): あれ、可愛かったか? 美雪: ……千雨、ラブカってサメのこと可愛いって言ってなかった? 千雨(制服): 全てのサメは可愛い。そうだろ? 美雪: あぁ……うん。千雨はそう言うよね……。 美雪: (ラブカってエイリアンみたいな見た目だったけど、千雨基準だと可愛いんだろうなぁ……) 私基準だと、ラブカが可愛いなら私の『ウツシロ』も十分可愛い範囲に入ると思うけど。 美雪: (……うーん、かぁいいって難しい) 美雪: えっと……話を戻すけど。絢花さん、『ウツシロ』は『ロールカード』使用者が酷使したせいで起きた本人の一部幽体離脱みたいなもの……って言ってたよね? 千雨(制服): あぁ、確かにそう言ってたな。それがどうしたんだ? 美雪: どうしたっていうか、うーん……。 千雨(制服): なんだ。納得いかないのか。 美雪: いや、あれが私の一部だってことも幽体離脱も特に問題はないんだけど……。 美雪: 前原くんと一穂って、言うほど『ロールカード』を過剰使用してたかな?と思ってさ。 千雨(制服): ……お前は『ロールカード』の過剰使用で自分の『ウツシロ』を出したんだろ? 美雪: そうだよ。でも……考えれば考えるほど2人が他のメンツと比べて『ロールカード』を過剰使用してた気がしてなくてさ。 美雪: ほら、私と千雨と菜央の3人で向かった雛見沢には『ツクヤミ』も出なかったし。 美雪: となると、個人差があるのか……あるいは別の条件があって、私は過剰使用することでそれを満たしたのか……。 千雨(制服): ……つまり、アレか。 千雨(制服): 美雪は、絢花さんが嘘をついてた……って言いたいのか? 美雪: ……昭和の絢花さん、言ってたよね。『ウツシロ』は倉庫の資料に記述があったって。 美雪: 平成に戻ってから見つけた絢花さんは、私たちのことを知らないって言ってた。だから、確かめることはもう不可能だけど……。 美雪: 昭和の絢花さんは嘘をついていなし、嘘をついたつもりは全くないけど……。 美雪: 彼女が信じた資料に嘘があった可能性までは、否定できないよね。 千雨(制服): …………。 千雨(制服): ……で、どうするんだ。絢花さんが信じた資料に、嘘があったとしたら。 美雪: 資料の真偽を確かめたところで、それだけじゃ意味はないよ。一穂を見つけるための手がかりに繋げないとね。 千雨(制服): ……なるほど。つまりお前は、まだ諦めてないんだな。 美雪: 千雨だって、新種のサメ捕獲を諦めてないくせに。 千雨(制服): ……永遠に見つからないかもな、お互いに。 美雪: そうだね。でも、仮に見つからないって誰かに断言されたとしても、きっと私たちは探し続けるだろうね。 美雪&千雨: 変わらないね、キミは(変わらないな、お前は)――。