Part 01: 羽入: …………。 羽入: あの子たちは、なんとか逃げ延びることができたようですね。でも……。 羽入: ……気の毒だけど、見逃すわけにはいかない。 ……生き地獄と化した診療所から命からがら脱出したとはいえ、私たちには安堵の思いなんてひとカケラも存在しなかった。 むしろ、胸の内は絶望と後悔で張り裂けそうだった。特に菜央に至っては、ずっと車内で怒鳴りながら暴れ回っていて……。 手荒であっても全力で取り押さえていないと、走行中だろうと躊躇いなく車のドアを開けて外に飛び降りんばかりの勢いだ。 だから私は、上下左右に揺れる不安定な状態で全身に無数の傷を作りながらも、彼女の身体を取っ組み合いでねじ伏せるしかなかった。 菜央(私服): 離して……離して美雪ッ!!戻らないとお姉ちゃんが……お姉ちゃんがぁあぁッッ!! 美雪(私服): わかってる……わかってるよ、菜央!私だって戻りたいさ……でも、でもねっ……!! 今さら戻ったところで、狂気に支配されたレナは一切の容赦なく……私たちの命を奪うだろう。 姉のことを純粋に慕う菜央のことを思えば、彼女の「あんな姿」をこれ以上見せるわけにはいかない……! 美雪(私服): 頼むから、菜央……お願いだから、わかってよ!あれはもう、私たちの知ってるレナたちじゃない!戻ったって、キミが殺されるだけだよ?! 菜央(私服): いいわよ、それでッ!たとえ殺されたって、離れ離れになるくらいならあたしはお姉ちゃんと一緒がいいッ!! 菜央(私服): だから行かせて、美雪……!お願い……お願いだからぁあぁぁぁっっ!! 美雪(私服): ……っ……!! 泣きじゃくりながら懇願する菜央の悲痛な叫びに、私は何度も挫けそうになったけれど……。 レナ(私服): レナに何かあった時は、……美雪ちゃん。菜央のことを、よろしくね。 あの時、まだ正気だったレナが雑談の合間に呟いた言葉を思い起こして自分を奮い立たせながら、心を鬼のそれへと変えて必死に頑なな態度を装う。 菜央の想いは、痛いほどわかる……私が逆の立場だったら、きっと彼女と同じことを叫び、同じ行動に出ようとするだろう。 ……いや、ほんとは私だって今すぐにでも戻りたいんだ! だって、私たちを逃がすために一穂が残って時間稼ぎをしてくれている……っ! 本来であれば彼女も、私たちと一緒に元の「世界」へ戻っていたはずだったんだ! なのに、私のわがままにつき合わせたせいでこんなことになるなんて……ッ! 美雪(私服): (助けに行きたい……連れ戻して、一緒に元の「世界」に戻りたい……!でも、でもっ……!) 一穂は、私にとって大切な友達だ。だけど、ここにいる菜央だって同じくらいに大好きで、大事な子なんだ。 そして今、車を運転しているのは私のお父さん……ッ!! 全て喪うか、可能な範囲で確実に救うか――究極と呼ぶには残酷すぎる選択肢に迫られて決めた以上、今はそれを遂行するしかなかった。 菜央(私服): お願い赤坂さん、車を停めてっ!戻ってくれなんて言わないから、あたしだけを下ろして2人で逃げて!! と……私相手ではらちが明かないとでも考えたのか、菜央は相手をお父さんに変えて必死に訴えかける。 正面を向いたまま、無言を貫くお父さん。ただ、彼女の声を聞いてわずかに肩を跳ねあげた……ようにも見えたのは、私の気のせいだろうか。 菜央(私服): 赤坂さんは、美雪のことが大事なんでしょ?だから助けたいって気持ちはよくわかるわ!他を犠牲にしてもいいって考えてもおかしくない! 赤坂: ……っ……! 菜央(私服): でも……でもあたしだって、同じくらいにお姉ちゃんのことが大切なのっ!お願いしますっ……あたしのことなんか置いて――! 赤坂: 黙れぇぇぇえぇぇッッ!!! 菜央(私服): ――っ……?! 美雪(私服): お……お父、さん……?! 爆弾が炸裂したかと思うほどの怒声に菜央はもちろん、私でさえ衝撃を覚えて……その場に固まってしまう。 ……記憶している限り、一度も聞いたことがなかったお父さんの……#p咆哮#sほうこう#r。 ただ、その轟きから伝わってきたのは恐怖ではなく……むしろ……。 赤坂: 2人とも……私のことを、憎んでくれ。罵っても、恨んでくれても構わない。 赤坂: だけど、もう……君たち2人を救うにはこの手段しかない……できないんだ……! 菜央(私服): ……っ……。 赤坂: くそっ……なにが国家権力だ!こんな無力感を味わうために、私は刑事になったのか……?! 美雪(私服): ……お父さん……っ……。 運転席でハンドルを握るお父さんの表情は見えなかったけれど……その震える声から、悔しさと怒りが伝わってくる。 ……無力感。そう、今の私たちには何もできない。 どんなに悔しくて悲しくて、暴れ回って叫んでみても……それは、負け犬の遠吠えだ。 何も変えることができず、それどころか本来喪われずにすんだはずのあの子のことまで見殺しにして……私たちは……ッ! ――と、その時だった。 赤坂: なっ……?! 突然、お父さんが息をのんで驚いた声をあげるのを聞いた私は、うつむいていた顔を上げてフロントガラス越しに前方へ目を向ける。すると、 美雪(私服): っ、『ツクヤミ』ッ?! あと少し進めば#p興宮#sおきのみや#rというところでツクヤミが群れを成して道を封鎖し、私たちの行く手を阻んでいた……! Part 02: 美雪(私服): くそっ……こんなところにまで……!! 迂闊だった。日中の間だけは、狂気化した村人たちの活動が休止するとあの入江先生は言っていたけれど……。 その条件は、もちろん『ツクヤミ』に通じない。だからこうやって私たちを取り囲み、襲ってくることも念頭入れて動くべきだった……! 美雪(私服): お父さん、車を停めて!あいつらは、私たちが相手するから! 赤坂: っ、美雪……し、しかし……?! その躊躇いの言葉から伝わってくるのは……申し訳なさと自責の思い。 ちょっと古い考え方なのかもしれないけれど、お父さんにとって大人は子どもを守って当然の立場であり、その逆はあり得ないのだろう。 でも……残念だけど『ツクヤミ』が相手では、どんなに身体を鍛え抜いたお父さんであってもほとんど太刀打ちができない。 そして、やつらに対抗できるのは私たちが持つ『ロールカード』だけなのだ。 だとしたら、動くべきなのは……私たち。当然と言えば、当然の成り行きだった。 赤坂: っ……情けない……!こんな時でさえ、私はお前たちの力になることができないのか……?! 美雪(私服): こんな時だから……だよ。常識や理屈が通用しないような相手は、子どもが務めるのがセオリーってものだしね。 美雪(私服): お父さんが力を振るうのは、この後でしょ?この村での出来事を上に報告して、被害がこれ以上拡大しないように奔走する……。 美雪(私服): 権力を持ってる人じゃなきゃ、そんなことはできないしねー。だから頼りにしてるよ、お父さんっ! 赤坂: 美雪……。 美雪(私服): あと……お父さんは、無力なんかじゃないよ。だって、こうやって私たちのことを安全な場所まで連れて行ってくれてるじゃない。 美雪(私服): というわけでここからは、子どもの仕事ッ!菜央もこの状況で、まさか私たちを見捨てて戻ったりなんかしないよねっ? 菜央(私服): っ……? ひ、卑怯よ美雪……!そんな言い方で、引き留めるなんて……ッ! 美雪(私服): 卑怯で結構、メリケン粉っ!キミとお父さんのためだったら、どんな外道にでも堕ちてやるって、神様――。 美雪(私服): いや、一穂に誓ったんだよッッ!! 菜央(私服): っ、美雪……!! その叫びがほんの少しでも心に響いてくれたのか、菜央はさっきまでの取り乱した様子を払拭して私の隣に並んでくれる。 その優しさがとてもありがたく、頼もしい……とはいえ敵の数も大きさも、正直2人だけでは手に余ること甚だしい窮状だ。 美雪(私服): (いっそ奇跡でも起きるか、一穂のように足止め役が時間稼ぎをしている間に突破するか……?) 犠牲は出さないと宣言はしたものの、どちらに賭けるべきかと考えあぐねた……その時だった。 美雪(私服): ……えっ? 菜央(私服): なっ……ななっ……? 刹那、遠く離れた場所で一条の光が天高く閃き上がり……それは瞬く間に半球状へと膨れ上がる。 すると、ひしめき合って押し寄せていた『ツクヤミ』の群れは飲み込まれるや……次々に身体が崩壊し、地面に倒れていった。 菜央(私服): ど、どういうこと……?いったい、何が起きてるの? 美雪(私服): わ、私にもなにがなんだか……?! やがて、広がった光の半球は元に戻るように収束し……『ツクヤミ』たちの大量の骸も、砂塵のごとく失せる。 そして、光が集まった中心部にいたのは――。 羽入(覚醒): ……皆さん、ご無事ですか? 美雪(私服): は……羽入っ?! それは見まがうことなく、私たちの仲間……そして梨花ちゃんとともに最強の敵として立ちふさがった、羽入だった。 美雪(私服): な、なんで……?どうして、私たちを助けてくれたの?!だって羽入、キミは――! 羽入(覚醒): ……また、混乱させてしまいましたね。私は、昨日神社であなたたちとお会いしたこの地の神……。 羽入(覚醒): 自らこう名乗るのも面はゆい感じですが、いわゆる『オヤシロさま』なる存在です。 菜央(私服): 『オヤシロさま』……が、どうしてここに? 羽入(覚醒): あなた方が元の「世界」に戻らずこの「世界」にとどまり続けていたので、越権を承知で手を貸しに来たのです。あと……。 羽入(覚醒): ……警告をさせてください。美雪に菜央、あなた方は一刻も早くこの「世界」を立ち去るように。 羽入(覚醒): さもなくばこの「世界」だけでなく、平行世界に存在する全ての「世界」の因果律が乱れて……構造が崩壊します。 Part 03: 美雪(私服): なっ……「世界」が、崩壊だって……?! またしても理不尽な事実を突きつけられて、つい驚き以上の苛立ちを覚えてしまう。 確かに、私たちは過去であるこの「世界」に来ただけでなく、本来帰るべき時期と機会を放棄した上で留まっている……。 でも……それだけで、崩壊?さすがにスケールが大きすぎるどころか、責任を押しつけられている気分だった。 美雪(私服): ど……どうしてっ?なんで私たちがこの「世界」に居続けてると、他の「世界」までおかしくなったりするのさ?! ここでゆっくり話をしている時間はないと焦りを覚えながらも、さすがに意味不明なので明確な説明を求めようと身を乗り出す。と、 菜央(私服): っ? 羽入……いえ、オヤシロさま……。あなたの身体、ひょっとして……?! 菜央が目を見開きながら指差すその先に視線を向けた私は……彼女と同じようにあっ、と声を上げて息をのむ。 羽入の身体は、……テレビ画面に映し出されたノイズのようなものが所々に浮かび、乱れ……後ろの景色が見えるほど半透明に透けていた。 羽入(覚醒): どうか、お気になさらず。この身体は、先日のようにこの「世界」に留まるため波動を構成して顕現した、仮の姿……。 羽入(覚醒): ただ、もはやその力を収束させることが難しくなり、不安定になっているのです。 美雪(私服): ……っ……。 ……詳しいことはよくわからないが、彼女がこの「世界」にとどまり続けるのは現状だとかなり無理をする必要があるようだ。 だとしたら今は、余計な説明は後回しにしてやるべきことを急いだ方がいい……そう思って私は、羽入に話の続きを促した。 羽入(覚醒): ……この「世界」は、異なる世界からやってきた存在が様々な因果律をばらまいたことで本来の流れが狂い、複雑に絡み合っている状態です。 美雪(私服): その迷惑な存在って……私たちも含まれてるの? 羽入(覚醒): 否定はしません。一番良い手段はそれをほぐして解き放ち、流れを元に戻すことなのですが……そのためには膨大な時間がかかってしまいます。 羽入(覚醒): ですから、あなた方にはこの「世界」からいったんでも退場していただかなければ全世界の構造が損傷し、崩壊していく……。 羽入(覚醒): それを回避するため、多少の危険を覚悟であなた方に介入をさせていただいた次第です。 美雪(私服): …………。 つまり……私たちが雛見沢の仲間たちのことを思って引き返した行為は、彼らにとってむしろ迷惑でしかなかったというわけか……。 結果論とはいえ、申し訳なさと同時に考えの浅い自分自身が嫌に思えて……苦しかった。 羽入(覚醒): ですが……今なら、まだ間に合います。本殿に門を再び用意しましたので、そこから元の「世界」に戻ってください。 菜央(私服): そこに行ったら、……戻ることができるのね? 羽入(覚醒): はい。……ですが、先ほども言ったように時間がありません。 羽入(覚醒): 古手神社までの道は、「あしきもの」が押し寄せて障害とならないように結界を張りました。……その車であれば、すぐに到着できるでしょう。 美雪(私服): ……。診療所の一穂を、連れ戻す時間は……? 羽入(覚醒): ……わかってください。 そう言って羽入――オヤシロさまは、唇を引き結んだ硬い表情で首を横に振る。 ここからだと古手神社と入江診療所は、かなり離れている。おそらく倍以上の時間がかかってしまうだろう。 でも、……だとしても可能性がわずかに残されているのだとしたら、私は――。 赤坂: ……行きなさい、美雪。 美雪(私服): えっ……? それを聞いて私は、うつむきかけた顔を上げてお父さんに目を向ける。 「行きなさい」……それはすなわち、彼がこの「世界」に留まるということを意味しているのだとすぐに悟ったからだ。 美雪(私服): お父さん……私たちと一緒に、来てくれないの? 赤坂: ……私は、この「世界」の人間だからね。自分のやるべきことは、ここでやり遂げないと意味がないと思う。それに……。 そう言ってからお父さんは目を閉じ、口を引き結ぶ。そして2度、3度と息を整えると沈痛な表情を浮かべていった。 赤坂: 私は……卑怯者だ。本来であればあの場面で、公由さんではなく私が残るべきだったと……理解していた。 赤坂: だが……私は戦って、わかってしまったんだ。あの状態の竜宮さんが相手では、私は勝てない。もし私が倒れれば、次は美雪が危険になる……。 赤坂: ……軽蔑してくれてもいい。私はあの場面で、刑事でも大人でもなく……父親であることを優先した……。 赤坂: 申し訳なかった……美雪、そして鳳谷さん。君たちの大切な友達を、お姉さんを……私は私情で見捨ててしまった……。 菜央(私服): 赤坂さん……。 美雪(私服): ……お父さん。 彼がずっと沈痛な表情を浮かべていたのはそういうことだったのか……と、私は理解する。 おそらく、ここに残ると言い出したのはその贖罪の念もあるのだろう。……それを思うと、無理に誘うことができなかった。 赤坂: ……なに、私は簡単に死んだりはしないさ。お前たちを送り届けた後は、雛見沢を脱出して近隣の集落から警察に通報して、応援を要請する。 赤坂: それで、公由さんに償えるとは思わないが……せめて君たちのいる「世界」が少しでも良い流れに向かうよう、精一杯努力をさせてもらうつもりだ。 美雪(私服): ……。わかったよ、お父さん。その……頑張って。あと……。 ……絶対に生き延びて、会いに来て。喉までせり上がってきたその台詞を、私は必死にこらえて飲み込む。 それは一穂にとって、そしてお父さんに対しても残酷すぎる願望に思えたからだ……。 …………。 その後、私と菜央はお父さんの運転で古手神社に到着し……本殿に向かった。 そして、一緒に来てもらいたいという想いを閉じ込め、こぼれ落ちそうになる涙をのみ込んでそこに作り出された門へと入っていった……。 赤坂: ……。行ってしまったな。さて……。 本殿の奥に消えて姿が見えなくなった後もしばらく佇んでいた赤坂は……名残を振り切るように、踵を返して歩き出す。と、 羽入(覚醒): ……赤坂。 ふいに呼びかけられて立ち止まり、振り返った先には羽入の姿をした『オヤシロさま』が自分を見据えている様子が目に映った。 赤坂: ……? えっと、何……でしょうか? 一瞬子どもを相手にするような口調になったが、相手が神であることを思い出し……敬語に改める。 すると『オヤシロさま』は、神々しさに加えて先ほどまでにはなかった冷たさを顔に浮かべ……じっと彼を見つめながら言った。 羽入(覚醒): 先ほど、あなたは言いましたね。刑事でも大人でもなく、父親の立場を優先して一穂を見捨てることになった……と。 羽入(覚醒): 人間の思考だと、そこまで瞬間的に思考を巡らせて、感情をねじ伏せることはできません。増して情の深い、あなたのような人は……。 羽入(覚醒): つまり……それが示しているのです。あなたが『雛見沢症候群』を発症しているという、何よりの証拠を――。 赤坂: は、羽入さん……いや、オヤシロさま……?! 羽入(覚醒): あなただけでなく……美雪たちに対しても、申し訳ないと思っています。ですが――。 …………。 羽入(覚醒): ……。雛見沢での出来事を、これ以上外に広めるわけにはいかないのです。 羽入(覚醒): ……ごめんなさい。