エピローグ



「大体おめえは、普段はお嬢様づらしているのに、イジきたねえな」

「何ですって! お父様が広島の出張で、せっかく買ってきてくださったモミジまんじゆうを、あなたが一人で食べようとするからじゃありませんか」

「おやおや、またお父様か。気安く呼ぶんじゃねえよ。おやさんだって、てんだってめいわくだってよ」

「まあー、いつ迷惑だっておっしゃったの。それに、大切な方に親愛の情を込めてお呼びするのが、どうしていけないの?」

だれもおめえに、大切にしてもらいたくねえよ」

 あいかわらずのレベルの低い会話が聞こえている。

 裏返すと、この手のやり取りがある時は、平和なしようでもある。


 1996年、春真っ盛り。

 やわらかな春の光につつまれたまさ家は、のどかと言うには、あまりにそうぞうしかったが、いつもの柾木家であった。

 天地は、茶の間のけんそうのがれ、縁側にひとりたたずみ、1970年で最後に見た母親の姿を思い出していた。

 人込みでごったがえす東京駅の、修学旅行帰りの一群の中に、ひときわ輝いて見えた母の姿。

 東京タワーで、気絶している間に会わずに別れたのは、鷲羽わしゆうさんの思いやりだったのだろう。

 それに、母の強い意志の表れだったのかもしれない。

 だが天地は、どうしようもないしようどうられた。

 会ってれることなどできないことは分かっていた。しかし、子供の頃、フィルムの中で見た女子高生は、決してくうの登場人物ではなく、おさない時のかすかな記憶に残る母そのものであったと分かった今……自分の知らない時代の母の姿を、自分の目に焼きつけておきたかった。

 どうしても現代にもどるまでに、元気な顔を見たくて、鷲羽さんに柱のかげからのぞくだけ、という約束で連れて行ってもらった東京駅だった。

(あんなに生き生きしてたのに……。あんなに輝いていたのに……)

 どうして今、母はここにいないのだろうか。

 そして、あの不吉な鷲羽の言葉がよみがえりそうになった時、のぶゆきが天地のそばにやって来た。

「よう、天地。どうしたんだ、こんなところに一人で……」

 天地は、庭のにれの木のれ日を、まぶしそうに見ていた。

「……なあ、親父は母さんが幸せだったと思うかい?」

 いきなりの天地の問いかけにめんらって真っ赤になるほど、今の信幸は若くはなかった。いや、と言うより、今の天地の気持ちを誰が分かろうか。

 いつもの調子で、信幸は答えた。

「ああ。もちろん、幸せだったさ」

「どうして?」

「そりゃもちろん、あこがれの私と結婚できたからだ!」

 明るくVサインしながら言う信幸に、天地はしようにハラが立った。

「もういいよっ!」

 と言うと、縁側から飛び降りた。

「うーん。思春期の少年の心はむずかしいなあ」

 天地の後ろ姿を見送りながらそう言った信幸は、自分も縁側から庭に下り、柾木家をあおいだ。

『……幸せだったさ。わずかの間だったが、この夢の家でいつしよに暮らせたんだから。なあ、……』

 信幸は26年前、修学旅行の帰りに阿知花が言った言葉を思い出していた。

〝信幸君、いつかあんな家に一緒に住めたらいいわね〟

 家の上に、白い雲がひとつポッカリ浮かんでいた。


 縁側を飛び出して、天地は母の眠る丘まで一気にけ上がっていた。

 今日のように晴れわたった日は、遠くを見渡すことができる。

 見ると、ひようの前に新しい白いの花がれている。

「……親父!?

 お袋の命日には必ず、かかえ切れないほどの白百合をそなえて言っていた。

『おまえの母さんは、この白い百合の花が大好きだったんだぞ』

 時々親父は、一人でここに来ているのだろう。本当の親父の心が、少し見えるようだった。

『親父があんな明るい性格になったのは、お袋のおかげかな』

 さっきの親父を思い出して、あんな態度をした自分にテレた。


 だが、天地の心を、ずっといら立たせている言葉が気になった。

 それは、鷲羽の言ったさりげないひと言だった。

いんふういんしたじゆらいおうは、その戦いが元で早死にしているわ〟

『まさか、母さんもあの戦いが元で、若くして死んでしまったんだとしたら? だったら、おれが、俺が母さんを殺したんだ! 必ず守ってみせるなんて、イキがっていただけなんだ』

 天地のほおには、涙がとめどもなく流れていた。

 ガサガサッ。

 小やぶの揺れる音に、天地はあわてて涙を手の甲でぬぐった。

「天地殿!」

 草をき分けて顔を出したのは、鷲羽だった。

「一人で、どうしたの? ははあー、何考えてたか、当ててみようか。母上のことでしょ?」