第5章 西暦1970年、東京



 皆のまどいと不安をよそに、その日がきた。

 空は晴れ渡り、風さえない。問題をかかえてさえいなければ……なんてらしい旅立ちの朝だろう。

 夜明け前から、なんだか浮き足立った空気が、まさ家を包んでいた。

「あの~、さん。やっぱり行かれますの?」

 が、昨日きのうの夜から何度となくいた質問をり返す。

「当たり前でしょッ。昨日から何べん訊いたら気がすむのよ!」

 阿知花は最後の荷物てんけんを、じんそくに進めながら言った。

「なあ~、悪いこと言わないから、やめとけよ。東京なんていいことねえぜ~」

 こりずにりようが説得するが、阿知花はケンもホロロである。

「私は東京に行きたいわけじゃないのッ。思い出深い修学旅行に参加したいのよ。あんたたち、そんなに行きたくなかったら、来なきゃいいでしょ!」

「だからあ、そういうわけにはいかないんだよ」

 と、魎呼はなおも食い下がる。

「あんたたちの言ってること、全然分かんないわよ。あ~、もうこくしちゃうじゃない。私、行くからね! お父さん、行ってきま~す!!

「ちくしょう、しょうがねえな」

「行くしかありませんわね」

 魎呼と阿重霞も、しぶしぶ、ボストンバッグを持って阿知花の後を追った。

 玄関をきながら三人を見送るかつひとの目が、キラリと光ったように思えたが、それはただの光の加減というものかもしれない。


 日本国有鉄道がほこる、いや日本が誇る新幹線ひかり号は、阿知花たちくらしき西高の修学旅行、御一行さまを乗せて、ひたすら東へ東へと向かっていた。

 さっき大井川を渡った。生徒たちの中で東京へのあこがれはだいに現実のものとなり、少年少女の夢はもうすぐかなえられる。

 静かにめいそうしながら、到着を待ちうけているのだった……と、言いたいところだが、どっこいそんなしゆしような一面は、これっぽっちも見られない。

 古今東西、そんな修学旅行団があってたまるか。

 現実は……と、見れば。

 時々、貸し切り車両にまちがって乗り込んで、まゆひそめてとっとと退散するビジネスマンたちをしりに、今が花の盛りの高校生たちは、道中寝るのもしんで、ひたすらピーチクパーチクと大はしゃぎ。

「ねえねえ、おこづかいいくら持って来た?」

「3000円って決まってなかったっけ?」

「バカねえ。3000円ポッキリで何が買えるのよお。せっかく東京行くんだから」

「うそー、規則守ったの、あたしだけェ?」


「なあなあ、夜、ホテル抜け出してさ……」

「おっ、いいじゃんか」

「お、おれもそれ1枚かんだ!」


「ポッキー食べる?」

「あっ、欲しい、欲しい」

「こっち、クッキーあるわよー」


 はちの巣を100個くらいつついたようなやかましさである。

 阿知花はといえば、初めて乗る新幹線や、東京という、地図と写真でしか見たことがない土地に胸をふくらませながらも、別のことで気はそぞろだった。

 それは、修学旅行とはいえ、のぶゆきとの初めての旅行なのだ。

 見るからにホワイトで大きな星を描いたような、キラキラ系のひとみを輝かせていた。

 ひかり号の進行方向左側に、富士山が見えてきた。

 車中のあちこちから、今日何度目かのかんせいが上がった。

 箱根を越えると、東京はもう目と鼻の先だ。

 同級生が突然気づいたように、阿知花に話しかけた。

「そういえば、阿知花のとこのキテレツ転校生二人組はどうしたのよ。今日はいやにおとなしいじゃない」

 友達の問いかけに、阿知花も、そういえば、と思った。

 いつもひと一倍そうぞうしいのに……。

 すっかり、二人の存在を忘れさせてくれるほど、今まで何もなかったのはせきだ。

 何が起こったのだろう?

 朝は意識して、旅行中は二人のことは忘れようと思ったのに。この静けさは逆にでもあり、何か物足りないような気もする。

「さあ。なんか行きたくないとか、朝まで言ってたけど……」

「ふうん」

「あの二人なら、だい前にトイレ行くって連れだってったきりよ」

 別の友達が話に加わってくる。

「全く、仲がいいんだか悪いんだか……」

 阿知花は苦笑して言った。

 そこんとこは、永遠の疑問である。


 問題の二人は、学校が貸しきったのとは別の車両、そう、天地さま御一行の席に来ていたのだ。

「チクショー。なんだって、このせまい地球のたかだか600㎞の移動に、こんなうっとおしい乗り物に乗って行かなきゃならねえんだよ」

 と魎呼が言えば、阿重霞も、

「本当ですわ。第一、3時間半もかかるんですってよ」

 と応じる。二人はおとなしくなったのではなく、ただ場所を変えただけだったのである。

かたないよ。これが、この時代の一番速い乗り物なんだからさ」

 お姉様方より、ずっと物分かりの良いちゃんが言った。

 しかし、一番問題なのは、魎呼、阿重霞ではなく、その横にいるにわか女教師かもしれない。

 その名は言わずと知れた、ものすごい大荷物にうずもれながら、捜し物をしているほしだった。

「えっとお、これは違うし、これも違う、うーんと、あー、ここにも入ってない。あーん、やっぱりないよお、きよェ!」

「何を忘れたのよ、ったく」

 うっとおしそうに清音が聞く。

「チョコボールよ。せっかく昨日、買ったのに……他のおはぜぇんぶ持って来たのに。あーん、一番楽しみにしてたのが……」

 ついにブチ切れた清音が叫んだ。

「いい加減にしてよ! ちっとも頭に入らないじゃないの!!

「頭に入らないって、清音お姉ちゃん、何か勉強してるの?」

 砂沙美は、清音が持っている本をのぞき込んだ。

「清音さんは、現地のバスガイドとして、母さんを見守ってくれることになってるんだ。だから、東京の観光案内を勉強しているんだよ」

 天地がそう言って、つづけた。

「ところで、何か変わったことはなかった?」

「別にこれといったことは……ねえ」

「ああ、ほんとにお袋さんの身に何か起こるのかよ」

 阿重霞と魎呼が、天地を見て言った。

「うん。しゆうさんの計算だと、俺たちがこっちに来て七日以内に何か起こるってことは、この修学旅行で……ってことになるんだけど……」

「ちっ、なにも修学旅行の最中じゃなくったっていいじゃねえか! それにしたって、東京なんて、都会だ都会だっても、知れてんだろう」

 と、まだふてくされている魎呼に、ガイドブック片手の清音が言う。

「あら、そうでもないわよ。東京タワーっていうでんとうはなかなかきよう深いものがあるし、大都会といっても、古いお寺なんかもたくさん残ってるみたいだしね」

「あら、本当!」

 ガイドブックをのぞき込みながら、阿重霞が興味深そうにせんそうを見て言う。

「ケッ、寺なんか見て、喜ぶなんて年寄りだけだよ」

「まあ、じようちよってものがお分かりにならないのねえ。あっ、そうか。あなた、鬼ですものねえ、ホホホホホホ」

「なんだとー!!

「お姉さまたち、もうやめてよ!!

 いつになく強い調子で砂沙美が言った。

「遊びに来てるんじゃないんだよ。天地兄ちゃんが消えちゃってもいいの?」

 砂沙美の言葉に、さしもの二人もシュンとなった。

 天地は座席にすわって、ぼんやりと窓の外をながめている。

 いつもなら、騒々しい二人を真っ先にたしなめただろうに……。

「私たち、クラスの車両にもどりますわ」

「ああ、阿知花が心配だしな」

 魎呼と阿重霞は気まずくなって、すごすごと自分たちの車両へと帰っていった。

 夢の超特急は、まんのスピードを次第に落とし、高層ビルがりんりつする首都東京をうねるようにこうして走っていた。

 しばらくして東京駅にり立った一団は、さすがに車内での大騒ぎに疲れたのか、それとも初めて見る大都会のけんそうにのまれたのかもくな集団になっていた。

 なにはともあれ、に一行は東京へいた。そして、天地たちもまたその後につづいていた。

 その日は何事もなく、平和な時間が流れていった。


 東京の朝がやって来た。

 宿泊先のホテルの前には、早くから観光バス数台が並んで、倉敷西高御一行さまを待っていた。

「皆様、おはようございます。すずめ観光バスへようこそ。私が、案内を務めさせていただきます、真備まきびきよと申します。昨日はよくお休みになられましたか?」

「は~い!!

 元気に答える生徒たちに、ニッコリとほほみかけ、清音は言葉を続けた。

「それでは、出発いたしましょう。えー、今日のコースは……」

「バスガイドさーん!!

 信幸が手を上げる。

「はい、なんですか」

「美星先生がまだ来ていません」

「え?」

 と、その時である。

 荷物をひっくり返しながら、美星がバスに乗り込んで来た。

「あ~ん、間にあってよかった~」

「よくないわよ! なんで、こんなとこまで来て寝坊するのよ」

「だってえ、ましが鳴らないんだも~ん」

 ベソをかいている美星に、清音がようしやなく言う。

「また、ベルが鳴ってるのに気づかなくて寝てたんでしょう?」

「違うも~ん。1時間間違えてセットしただけだも~ん」

 どう見ても、きゆうの仲の二人に、前の座席の生徒がいぶかしげにいた。

「あのー、バスガイトさんと先生って、お知り合いなんですか?」

 たんに、状況に気がついた清音は、あわててその場を取りつくろった。

「い、いえ、美星先生とはホラ、昨日の夜、今日の打ち合わせをさせていただいて、すっかり気が合っちゃって……」

「わあ。清音ェ、あたしたちって、どこに行っても親友になれるのねえ……」

 全く状況をあくしていない美星であった。

「あの~、ガイドさん。先生と仲が良いのはいいんですけど、そろそろ出発したほうが……残っているのは私たちだけなんですけど……」

 生徒の一人が言った。

「へっ!?

 清音と美星はきょとんとして回りを見た。ホテルの前にはそのバスだけが取り残されていた。

「全く、あの二人のまんざいにはあきれますわねえ」

「ホント、さわがしいやつらだぜ」

 そうささやき合う魎呼と阿重霞。

 二人の座る後部座席の荷物の山に、まぎれ込んで乗り込んでいた天地は思った。

『そのセリフ、そっくりそのまま二人にあてはまるんだけど』

 やがて、バスはこうきよに到着した。

 喜びいさんでバスを降りる生徒たちの最後に、荷物に紛れ込んでいた天地、砂沙美、りようおうがいた。