第3章 西暦1970年、うるわしき青春



 うららかな春の日が続いていた。

 頃は、またしても昼時。

 午前中の授業も終わり、学校全体になにかホッとしたような空気が流れている。

 早くも昼食をすませた一部の生徒たちが、校庭に出てバレーボールやサッカーなど、それぞれの自由な時間を楽しんでいる。

 咲きほこっていた校庭のさくらの花は、もうすっかりざくらに変わっていた。

 桜前線はすでに東へ東へと歩を進め、今は関東地方が花見頃だと、昨夜ゆうべのテレビが言っていた。

 は、級友たちと語らいながら、なごやかなお昼休みのひと時を過ごしていた。

 弁当箱には、卵焼き、ウィンナー、シャケ、ほうれん草のおひたしなどなどが、いろどりよく入っている。

「阿知花ちゃんのお弁当っていつもごうねえ。自分で作っているんでしょう? エライわあ」

 級友の言葉に、阿知花は顔をほころばせる。

「あら、このくらい、どうってことないわよ。それより、ミッちゃんのオムレツおいしそうねえ」

「フフフ、私のはお母さんが作ってくれてるのよ。専業主婦だもん、このくらいやってもらわなくっちゃ」

「作らせといて、よく言うー」

 キャッ、キャッ、と笑うはなやかな一群から少し離れた所で、むなしくパンをかじる二人のちょっとキッチュな少女(?)たちの姿があった。

 りようである。

「……ったく、あの野郎、自分だけうまそうな弁当作りやがって……」

 焼きソバパンを食いちぎりながら、うらめしそうに魎呼が言った。

「大体、あなたがいけないんですわよ。昨日の夜、阿知花さんの日記をこっそり読んだりするから……。私までとばっちりを食うんですから」

 と、阿重霞。

 こちらは、上品にサンドウィッチを口に運んでいる。

「あたしは、あいつの回りに何か異変が起こってやしないかと心配で見たんだ!」

「そうなんですかねぇ。第一、盗み見したって、そのまま机の上に広げておく人がありますか。私なんか、キチンと片づけておりますから……」

 そこまで言って、ハッと気づいて口をふさぐ。

「ほう、ほう、さすが手口がれてるなあ」

「なんですってーっ」

 怒った阿重霞が立ち上がったたん、机の上にあったコーヒー牛乳がひっくり返り、魎呼の制服のスカートにこぼれ落ちた。

「てめえ、何しやがる!!

 時代が変わろうと、設定が変わろうと、同じことをり返す不毛な二人であった。

 そしてまた、それを見守る周囲の白い目も変わりはしない。

「ちょっと、またやってるわよ。阿知花のとこの下宿人」

「阿知花、いいの? ほっといて」

「いいの、いいの。学校で体力しようもうしてくれれば、ちょっとは家で静かにしてくれるでしょう」

「苦労するわね、あんたも」

 今、自分に苦労をかけている二人が、後々、自分の息子にまで被害を及ぼそうとは、思ってもみない阿知花であった。

 それよりも、阿知花は短い同居生活で、二人の言動に振り回されながら、言葉では言い表せないかんを感じていた。

 それが一体何なのか、阿知花のイライラはつのった。

 しいて言えば、同じ世界の人間として呼吸している感じがない、といったところか。

 特に、思考回路は人間離れしている、というはんな程度のものではない。

 どんな育ちをして、どんな環境にいたらそうなるのか、二人の過去を疑わずにいられなかった。

「……ねえ、阿知花、そうよね……」

 トラブルをつづけている二人を、ぼんやりながめていた阿知花に、級友が話しかけた。

「えっ、う、うん……絶対変よね」

 とんちんかんな答に、級友たちは、顔を見合わせた。


 二人が阿知花の家へ下宿人としてやって来て、既に四日間がっていたが、阿知花の回りに特におんはいはなかった。

 気をもんだ二人が日記を読んだとして、だれが責められようか。

 う~ん、誰だって責めるよな、やっぱし。


 キーン、コーン、カーン、コーン。


 午後の授業の始まりを知らせる、れいが鳴った。校庭で遊んでいた者も、部室でけいはげんでいた者も、ガヤガヤと教室にもどってくる。

 その中にはスケッチブックをかかえた、のぶゆきの姿もあった。

 机にほおづえをついた魎呼が、信幸の姿を見つめながら言う。

「しかし、おどろいたよなあ。あのおやさんが、あんなにてんに似てるなんてよう」

「あら、今からでも遅くはありませんことよ。1996年現在、お父様は独身でいらっしゃるんですから」

 阿重霞は、ここぞとばかり魎呼をたきつけたが、そんな言葉で、魎呼の天地への気持ちが変わろうはずもない。

「バカ! あたしは、今、1970年の親父の話をしてるんだよ」

「あら、それは困りますわ。お父様にはお母様と結婚していただかなければ、天地様が生まれませんもの」

「んなことは分かってるよ! それより、お父様、お母様って、いつからおまえの両親になったんだ?」

「まあ……未来においてですけど」

 阿重霞が少し顔を赤らめて言った。

「そいつは絶対ありえねえ!」

「なんですって! あなたに何がお分かりになって」

 いつもながら、どこまでも話のかみ合わない二人を、教室中の生徒たちが不思議そうに見ていた。

「んっ……アッ、ハハハハハッ」

 二人はごまかして笑った。

 そうこうしているうちに、ほんれいが鳴り、教室に教師が入ってきた。

 つまずきながらきようだんに上ったその人は、なんとほしである。

 二人が転校した日から、古典の教師として学校にもぐり込んだのだが、このクラスでの授業は初めてである。

「みなさ~ん、さて今日はしゆう物語の四、『しようもんの鬼』のオハナシです。えーっと、これは、鬼と武士と姫君が三角関係になるというものでですねえ……」

 と、手を上げる生徒がいる。

「先生!」

「はい、はい、なんでしょう」

「そこは、前の先生が先週、やられました」

「えーっ、どうしましょう」

「どうしましょうったって……次に進んでください」

「そんなこと急に言われたって、あたし、あたし、ここだけしか分からないのに……え~っと、じゃあ、こうしましょう」

 うろたえていた美星が、とてもいいことを思いついたという笑顔で、教科書を閉じて言った。

「先生は、気分が悪くなったので保健室へ行きます。皆さんは、おとなしく自習していてくださいね」

 教室の中をうかがっていた用務員のおじさん、いや、おねえさんがガクッとこけた。

 こちらも、学校にもぐり込んでいたきよだった。

 この調子では、他のクラスの美星の授業がどんなものだったかは、して知るべし、である。

 とは言え、授業の好きな生徒はあまりいない。つまり、自習の好きな生徒はいっぱいいたりするのである。

 たちまち、せきを切ったように、あちこちでおしゃべりが始まったのは言うまでもない。

「ねえ、ねえ、阿重霞さん。昨夜の〝時間ですよ〟見た?」

 話す相手を間違えた、不幸な少女がいた。

「は?」

「〝時間ですよ〟見てないの? マチャアキのボケ最高じゃな~い。近所の人たちもおかしいし、あんなお風呂屋さんがあったらいいのにね、思わない?」

「ああ、あのドラマのことですわね」

 やっと話が通じたらしい阿重霞に、級友はホッとしたが……。

「あれは、入浴シーンが多すぎて教育上よくありませんわ。むやみやたらに女性ははだを見せてはいけません。第一、あの主役の男性はなんですか。長髪で、やせっぽっちで、下品で……もう、言い出せばきりがありませんわ。そこへ行きますと、天地さまは、いつもこざっぱりしていらっしゃって……」

 阿重霞が訳の分からないことをペラペラしゃべっている間に、少女が他のグループの所へ行ってしまっても、それは当然というものである。

 第一、入浴シーンが多いったって、あんたも天地シリーズじゃ、温泉のシーンにたっぷり出演してたじゃないの。

「ねえ、ねえ、魎呼さん。あんた、その髪、バンドやってんの?」

 このクラスには、話し相手を間違える人間が多いらしい。

「バンドぉ?」

「ギター? ドラム? ああ、ボーカルね。色っぽい声してるし、歌、うまそう」

「歌? カラオケなら得意だぜ。最近じゃ、通信カラオケがどんどんヒット曲を流すんで、覚えるのが早えぇ早えぇ。今度いつしよに行ってみるか」

「何、それ。どっかのバンドの名前? あっ、コピーバンドやってるんだ。カッコイー」

「ああ、まあな」

 要領のいい人間は、どこへ行っても生きていけるらしい。

 恐ろしいことに、この二人の会話、トンチンカンながらはずみに、弾むのであった。

 さて、フォークギターをかなでるやつ、学園ふんそうについて論争する奴、ばんぱくでもらった外人のサインを見せびらかす奴……などなどで教室内は、いよいよ熱を増してきていた。

 しかし、信幸は、そんな教室の中でも、ひたすらスケッチブックに向かっていた。


 信幸の家は、くらしき市内で古くからぶつ商をいとなんでいた。小さい頃から、父親に連れられていろんな所へ出入りしたものだった。

 名家の倉や会社関係の倉庫などに出かけて行っては、売り物になりそうな物をみして仕入れる。

 自然と、遠方へも出かけることがままあった。地方の小都市の縁日やいちでは、とんでもない掘り出し物が並ぶことがあった。

 信幸は事あるごとに、できるだけ父に同行することをせがんだ。

 そのうち、中学に入った記念に買ってもらった、いちがんレフのカメラが、信幸の手元から離れることがなくなった。

 カメラを持ったからといって、父との掘り出し物探しが遠のいたわけではない。むしろその回数は増え、そして、どこへ行くにもカメラをかかえるようになった。

 初めの頃は、なんでもかんでも被写体にしていたが、だいるものが限られてきた。

 信幸の部屋には、信幸が撮った写真が、額装されてたくさん飾られている。

 どれを見てもどこかの町の、ゆいしよある家のようである。

 とくちよう的な出窓や門がまえ、玄関先、中にはわざわざ内に入れてもらって撮ったのであろうか、居間や台所の写真まであった。

 地方の旧家への出入りも多かったことが、信幸のこれらの写真を可能にしたのだろう。

 やがて高校2年になる頃から、受験のことや将来の仕事のことを意識するようになり、建築家への夢がばくぜんとではあるがえてきた。

 そんな頃から、信幸の手にはスケッチブックが、いつもにぎられるようになった。


「ねえ、信幸くん。そのスケッチブック、何描いてるのよ?」

 阿知花に突然、話しかけられた信幸は、あわててスケッチブックを閉じた。

「な、なんでもないよ」

「何でもないなら、見せてよ」

「何でもないから、見なくていいんだ」

「ふーんだ、ケチ」

 アカンベーをしながら、女の子たちの群れに帰ってしまった阿知花の後ろ姿を、信幸はむなしく見送った。

「あーあ。せっかく話しかけてくれたのに」

 活発で美人の阿知花は、学校中のかなりの男子のあこがれのまとである。

 信幸は、そんな阿知花がなぜか、自分に好意を持ってくれていることに、薄々感づいていた。

 けれども、自分に対する自信のなさが、信幸をなおにさせてはくれないのだった。

「阿知花君が、おれなんか好きになるはずないよな。やっぱり俺の思い過ごしかも……」

 女の子たちの中心になって、はなやぐ阿知花の笑顔を見つめながら、信幸は、ふーッと大きくため息をついた。

「ねえねえ、阿知花ちゃん。さっき、信幸君と何話してたの?」

 するどいクラスメイト(いるよなこんなやつ)に問われて、阿知花はとぼけた。

「別に。ただの世間話よ」

「ふうん。でもさあ、阿知花ちゃんって、よく自分から信幸君に話しかけてるよね。もしかして、信幸君のこと、好きだったりして」

 阿知花は、頭にカーッと血が上るのを感じて、乱暴に言い放った。

「なっ……。そ、そんなわけないでしょう。あんな目立たない人」

「そうよね」

 聞いていた別のクラスメイトが、話に加わる。

「信幸君ってさあ、勉強もスポーツもそこそこできるし、顔もまあまあだけど、なんか地味じゃない。阿知花ちゃんには合わないわよ」

「ハハハハハ。そうよねえ」

 話を合わせて笑いながら、阿知花は内心、げきしていた。

『違うわよ! 信幸君は、勉強もスポーツもできて、顔もいいのに、それをひけらかさない人なんだから』

 ああ、そうきっぱり言えるものなら、どんなにいいだろうと阿知花は思った。

 阿知花は自分がけつこう、もてることを知っている。

 でも、阿知花にとっては、それが重荷でもあったのだ。

『美人で、モテるなんてロクなことないわ。よっぽど気をつけてなきゃ、女の子には反感買うし、ちょっと大人おとなしくしてると気取ってるとか言われるし。第一、ちょっと信幸君に話しかけただけで、あんなこと言われちゃうんだもん』

 モテない人にはバカヤロー!!と言いたくなるセリフではあるが、目立つ人は、それなりに苦労しているのである。

 さらに、阿知花は思った。

『そこへいくと信幸君はすごいわ。勉強もスポーツもできて、顔も結構、かつこういいし、目立って当然なのに、マイペースでひようひようとしてて……』

 そこまで思って、阿知花はふっと赤くなった。

 さっきクラスメイトにからかわれて、けんめいに否定した信幸への気持ちとは、うらはらな気持ちだったからである。

 そして、その気持ちが信幸への淡い恋心だということを、阿知花はとうに気づいていたのだ。

 それにしても、これほどまでに、人を誤解させるとは、恋ってオソロシイ……ものである。

 しかし、マイペースで飄々としているというのは、1996年現在も続く信幸の確固たる性格の一部であり、阿知花も、まあ、見るところは見ていたのである。

「おい、阿知花!」

 いつの間にか、そばに来ていた魎呼が声をかけた。

「なによ」

 げんきわまりない声で、阿知花が答える。

「なんだよ、まだ怒ってんのか? 日記を読んだっていっても、ほんのちょっぴしなんだぜ」

「そうですわ。理科の実験で信幸さんと同じはんになってうれしかったとか、ドサクサにまぎれて、こっそり信幸さんの写った遠足のスナップ写真を買ったなんてことは、全然、読んでおりませんわよ」

 阿重霞の、美星が乗り移ったとしか思えない大ボケ発言に、阿知花が脳天カチ割れそうになったことは言うまでもない。

 阿知花は、思いっきり阿重霞のほおを平手打ちしたい心を、教室の皆の手前抑え、ふるえるこぶしをにぎめて教室を出て行った。

 阿知花の後ろ姿を見送りながら、魎呼がさほど困ってもいなさそうに言う。

「あーあ、また怒らせたじゃねえか」

「照れることありませんのにねえ。想いははっきり言わなければ、伝わりませんわ」

 阿重霞の想いは伝わりすぎて、すでに相手のたんになっているが。


 校舎の大時計が2時をしている。

 6時間目の授業は体育だった。

 今日の体育係の生徒たちが、校庭にテニスのネットを張っている。

 何人かの生徒はコートの白線を引いたり、用具室からボールのかごを運んだりしていた。

 というのに、こちらではまたまたトラブルメーカーたちがひともんちやくおこしている。

「おい、清音。もうちょっとましな服はねえのかよ」

 ダボダボのジャージに身を包んだ魎呼が叫ぶ。

「こんなはしたない姿を見せたら、のお父様やお母様が何とおっしゃるか……」

 こちらは、ちょうちんブルマーをはいた阿重霞である。

「仕方ないでしょ、急だったんだから。第一、前の日に時間割を確かめなかった、あなたたちが悪いのよ」

 きっぱりと清音が言い放つ。

 ここは校内の一室、簡素なたたみじきの用務員室である。

 そう、清音のいる部屋なのだが、授業をボイコットされたと言っては泣き、職員室でげんじゆうに注意されては逃げ込み、眠いと言ってはやって来る美星にすでにうんざりしていた。

 ところが、今度はこの二人が、体操服を忘れたと言ってやって来たのである。

 二人が授業に出なければ、阿知花を守る者がいなくなってしまう。

 仕方なく、用務員室のタンスから、ちょうちんブルマーと体操着を引っ張り出し、体育教師のお古のジャージを借りてきて、なんとか6時間目の授業に間に合わせてやったというのに、この言い草だ。

「クククククッ、それにしてもよくお似合いだぜ、お姫さま」

 魎呼が口火を切った。

「ふん、こんな授業があるなんて知らなかったのですもの」

「まあ、もって生まれた運命ってやつかな……クックククク」

 忍び笑いがなんともいやらしい。

「あ、あなたねえ、ご自分のことを心配なさったほうがよろしいわよ。あなたの着ているジャージって、あの体育の教師から借りたもんでしょ」

「まあな。けどよ、多少ダブついているけどおめえのそのかっこよりはましってもんだぜ」

「あーら、くわしいことは知りませんけど……あの先生、殿方特有の病気持ちだそうですわよ……まあ、あなたも一応は女なんですからだいじようとは思いますけど。ホッ、ホホホッ」

 阿重花が口に手をあてて、まけずにいやらしく笑いながら、下の方から魎呼の顔をのぞき込んだ。

「そ、そりゃ、ほ、ほんとか! おい! それと替えろ!」

「いやですわ」

 阿重霞がきっぱりと言った。

「てめえ、とにかく脱ぐんだ」

「いやですったら、いやです!」

 ついに取っ組み合いが始まってしまった。

 そこへ、二人を探して阿知花が入って来た。

「あなたたち、またなのー!」

 阿知花のため息が、むなしく二人のせいにかき消された。


 キーン、コーン、カーン、コーン。


「ほらほら、チャイムが鳴ったわ。行きなさいよ」

 清音にせかされて、二人はしぶしぶ校庭へ出た。

 他のクラスメイトたちは、もうすでに整列を終えていた。

 遅れて来た二人のかつこうを見て、皆は思わず吹き出しそうになるのをこらえた。

 というのも、二人のかげになって現れた阿知花が、これまでに見たこともないほど、こわい顔をしていたからだった。

「今日は、ダブルスでテニスの試合をやる。二人ずつペアになって……」

 体育教師の指示で、皆がペアになった。

 妙ちきりんな格好をした転校生二人は、当然とり残され、二人でペアを組むはめになった。

「何で、あたしがおめえと組まなきゃなんねえんだよ」

「まあー、それはこっちのセリフですわ」

 またまたいがみ合う二人に、阿知花が声をかけた。

「あんたたち、私たちと試合しましょうよ」

 阿知花のひとみが、キラリと光った。

「ああ、いいぜ」

 軽く応じた魎呼は、この後、いやというほどこうかいさせられるのだった。

 コートをじゆうおうじんけめぐる、阿知花の放つテニスボールに、剣も持たず、ほうじゆの力も使えない二人がかなうはずなかった。

 それまで二人は知らなかったが、阿知花はテニス部のキャプテンだった。それも国体級の実力の持ち主だった。

 その阿知花のきようれつなサーブやスマッシュが、ようしやなく二人をおそった。

「何やってんのよ! たまにはボールを返しなさいよ」

 ビシッ。バシッ。

「ホラ、ホラ。こっち、だれも守ってないわよ!」

 バシッ。

「あーあー、こんなボールも返せないの!」

 ビシッ。

こんじようよ、根性」

「な、なんだよ! 天地のお袋さんは、サドっ気があんのかよ」

 さすがの魎呼もタジタジだ。

 行き場のないいかりをスポーツでしようする、きわめて純真な70年代の乙女おとめ、阿知花。

 そんな阿知花の姿を、ねつっぽい目でジッと見つめているのは……信幸だった。

 そして、スラリと伸びた阿知花の長い脚に目をうばわれ、不純な想いにらわれる自分の心をいましめる信幸もまた、きわめて純情でいつぱん的な70年代の高校男子であった。

 つまり、二人はこう見えてもおいだったのである。

 そういうことなのだ、諸君!

 とはいうものの、未来を知ってみれば、ちぐはぐな二人のすれ違いも笑って見ていられるが、そんなことなど知るすべもない当人たちにとって、すれ違いの恋心は、おおいなる青春の悩み、かべせつなのであった。


 そして、放課後。

 帰ろうと席を立ち、ふと窓の外を見た阿知花は、信幸が中庭のだんの前にすわって、熱心にスケッチブックに向かっているのを見つけた。

「信幸くん!」

「うわっ!」

 突然、後ろから話しかけられて、信幸はびっくりして立ち上がろうとしたひように、スケッチブックを落としてしまった。

「あ、阿知花君!?

 信幸が、逆光になった阿知花を、まぶしそうに見上げた。

「何描いてるの?」

 スケッチブックをひろいながら、阿知花が言った。

「な、なんでもないよ」

 信幸は、スケッチブックを奪い取ろうとした。が、阿知花はそれを高くかざした。

「いいじゃない。見せて見せて!」

「だ、だめだってば……」

 無理に取りもどそうとした信幸の手が、阿知花の手にれた。

「あっ!」

 どちらともなく叫んだ。

「あ、あのー……ご、ごめんなさい。見せたくなかったらいいの」

「い、いや、いいんだ。阿知花君なら……」

「そ、そう……」

 阿知花は、信幸のとなりすわると、スケッチブックを見た。

「なあーに、これ……?」

「家だよ」

 スケッチブックの中には、様々な家の絵が描かれていた。

「家は分かるけど、どうして……」

 阿知花が首をかしげながら、信幸の横顔を見た。

「好きなんだ……」

「えっ!?

 思いがけない言葉に、阿知花はドキッとした。

「好きなんだ……こうしていろんな家を思い浮かべたりするのが」

「はっ……そ、そういうことね」

 阿知花は一人で赤くなった。

「どうかしたの、阿知花君?」

「ううん、なんでもない!」

 ごまかすように阿知花は、絵をジッと見つめた。

 その中の一枚、だちの中にたたずむ家に阿知花は目を止めた。

「あら、いいわね。コレ」

「えっ、そ、そうかな」

「こんな家、どこに建ってるの?」

「どこにも建ってないよ」

「え?」

「ぼ、ぼくのさ……理想の家なんだ」

(言っちゃった。絶対に笑われるよな。いつも理想の家を描いてたなんて)

 信幸は、きんちようのあまり、本当のことをしゃべってしまった自分をののしった。

 だが、阿知花は、笑いもからかいもせず、熱心に絵を見つめてこう言ったのである。

「ふうん。理想の家かあ……。てきね。ねえねえ、屋根のここんとこにも窓があるといいんじゃない?」

「えっ?」

 信幸は自分の耳を疑った。

 これぞ、信幸の阿知花へのあこがれが本当の恋へと変わった歴史的しゆんかんであった。

 自分の夢を笑うどころか、〝素敵〟と言ってくれて、しかもその夢をいつしよに見てくれる女の子に恋せずにいられる17歳男子が、一体どこにいるというのだ!?

「こうかな?」

 信幸はスケッチブックを受け取ると、その家の屋根に、窓を描き込んだ。

「そうそう、そんな感じ……」

「そうか、なるほど……阿知花君、いいセンスしてるね」

 阿知花の顔が輝いた。

「いいなあ。本当に、そんな家に住めたら。私の家なんて、広いだけでボロボロなんだから。ねえ信幸くん、その夢の家がもし本当にできたら、私にも見せてくれる?」

 うっとりした目で、自分の描いた家の絵を見つめてくれる阿知花に、調子に乗った信幸はつい口をすべらせてしまった。

「そ、そりゃいいけど……でも阿知花ちゃんの家だって、伝統的な日本建築でらしいものじゃない」

「え? 信幸君、私の家を見たことあるの?」

「あっ、い、いや」

 冬休み、ぐうぜんの出会いに期待して、阿知花の家の回りをうろついていたなんて、言えるわけがない信幸であった。

「どうでもいいだろッ」

 そっけなく言い捨ててスケッチブックをひったくり、歩き始めた信幸の後を、阿知花は追いかけた。

「何、怒ってるのよ。帰るんだったら、バス停まで一緒に行こうよ」

 信幸を追って、校門を出ようとした阿知花は、校門の横にしよざいなげにたたずんでいる小学生らしい女の子に目を止めた。

 オーバーオールに野球ぼうをかぶり、ピースマークのバッジを付けた女の子は、かわいらしい笑顔を投げかけた。

「何してるの?」

 阿知花が聞いた。

「お姉ちゃんを待ってるの」

「お姉ちゃんって、この学校の生徒なの?」

「うん、そうなの。それよりお姉さん、あのお兄さん、あんまり待たせちゃ悪いんじゃない?」

「え?」

 少女が指さした先には、とっくに先まで行ってしまったと思っていた信幸の姿があった。

「バス停まで一緒に行くんだろ」

 ぶっきらぼうに言って歩き出した信幸の後を、急いで追いかけながら、ついつい口元がゆるんでしまう阿知花であった。

 信幸にあと一歩で追いつこうという瞬間。ふと後ろ髪を引かれる思いで少女を振り返った阿知花は、いつの間にか少女の側に立っている、一人の少年の食い入るように自分を見つめるひとみらえられた。

 だが、それはほんの一瞬のことで、阿知花の視線を気にするように少年は、すぐにきびすを返すと、さっきの女の子を連れて行ってしまった。

「どうかしたの?」

 放心したように、少年と少女を見送る阿知花に、信幸は心配げにいた。

「ううん。何でもない」

 そう言いながら、阿知花は、何かを思い出さなければいけないような気がしていた。

 けれども、その何かはひどく恐ろしいものに思えた。

「信幸くん」

 思わず呼びかけた阿知花の不安げな瞳を、信幸はやさしく受け止めた。

「日が暮れてきたよ。急ごう」

 阿知花の心に、不安を押しのけて、初めての恋の甘い予感が満ち始めていた。

 二人が角を曲がるのを確認するようなタイミングで、あの少年と女の子が現れた。

 女の子の方は、26年前の日本の女の子にふんしたじゆらい星のお姫さま、ちゃん。

 もちろん少年は天地、その人だった。

「あぶなかったけど、気づいたかな?」

だいじようだと思うわ……」

「過去に来ているのは分かっていても、お袋だと思うと、ついこうふんしちゃうよな……」

「天地兄ちゃん……」

「フフッ……砂沙美ちゃん、皆にはないしよだよ」

 天地はそう言って、砂沙美ちゃんにウインクしてみせた。


「おーい、腹へったぞ~。メシはまだか~!」

 茶の間で寝っころびながらテレビを見ていた魎呼が、台所に向かって叫んだ。

「本当にあなたって人は自分勝手ですわね。少しはお手伝いなすったら」

 一緒にテレビを見ていた阿重霞である。

「そう言うおめえだって、何もしてねぇじゃねぇか」

まんじゃございませんけど、わたくし今ひとつ地球の食べ物には自信がありませんの」

「ほおー、そんじゃどこの星だったら自信があるってんだ」

「だいたい地球の料理は、切ったり、煮たり、焼いたりと合理的ではありませんわ」

「おめえの得意料理ってのは、固形食料理のことか……」

「あらー、いけませんの? すぐできますし、それに栄養のバランスだってバッチリですわ」

 そんなことを言っている間に、いいにおいがしてきた。

「フン、フン、フン、フフ~ン」

 われ知らず、鼻唄など歌いながら、阿知花は夕食のたくをしていた。

 メニューは、子牛肉のフリカッセにカボチャのポタージュ、さけのマリネ、イタリアンサラダ。

 日頃のまさ家の家計からすると、とてつもなくごうなものであった。

 その時、玄関が開いた。

「あれ、だれかしら? 魎呼さんか阿重霞さん、ちょっと手が離せないの。出てみてください」

 阿知花が、茶の間に向かって叫んだ。

「しょうがねえ、見てきてやるか」

 めずらしく魎呼が引き受けて、玄関に出てみると美星が立っていた。

「今晩は!」

「何やってんだおめえ?」

「何って、家庭訪問です」

「家庭訪問だあー!?

「家庭訪問って、こんな時間に!?

 一段落ついた阿知花も出てきた。

「は、はい!」

 美星は明るく答えた。

 そこへかつひとが帰ってきた。

「これは先生、よくおいでくださった」

「あらっ、お父さん、どうして美星先生を知ってるの?」

「いや、それはだ……学校から新しい先生が、家庭訪問をすると……ともかく中に入っていただきなさい。よろしかったらいつしよに食事でもしていかれては……」

 何かごまかされたようでスッキリしなかったが、阿知花はそれ以上聞かなかった。

 皆、とっとと行ってしまったからだ。

「まっ、いっかー。今日はてきな日だったんだし」

 ちゃっかりと皆は、茶の間のテーブルについていた。もちろん美星もである。

「ほう、阿知花。今日はずいぶんごうせいだねえ」

 勝仁が、テーブルの上のごそうを見ておどろいた。

「そうでしょ? カップヌードルよりずっと手がかかっているわよ」

 じようげんで答える阿知花に、勝仁は苦笑した。

 昨日の夜は、日記を読まれたとかなんとかで、あんなにふくれっつらをしていたのに。

「学校でいいことでもあったのかい?」

 この問いには、阿重霞が代わって答えた。

「それがね、お父様。阿知花さんったら、今日の放課後、デートなさったんですのよ」

 ガシャーン!

 なべをひっくり返す音がした。

 阿知花が、真っ赤になって叫ぶ。

「何、いいかげんなこと言ってんのよ! デートなんかしてないわよ」

「おやまあ、かくさなくてもいいじゃないか。仲良く手をつないで歩いてたくせに……」

 今度は、魎呼が首を突っ込んでくる。

「手なんかつないでません!」

 怒る阿知花に、なおも魎呼がからんでくる。

「おや、そうかい? でも信幸も男だもんなあ。キスくらいせまってきたんじゃないのか?」

「そっ、そんなこと、あるはずないでしょっ!」

 うろたえる純真な阿知花に、阿重霞もおもしろがって加勢した。

「そうでしょうとも。阿知花さん、そんな女に毒されてはいけませんわ。いくら好き合った仲でも、節度は守らなくては……。恋のABCなんてまだ、高校生には早すぎますことよ」

「バカなこと言わないでよ! 信幸君は、そんな人じゃないわ!!

 加熱する三人のやりとりを、いつものごとくのんびりと見守っていた勝仁が言った。

「ところで、阿知花、明日からの修学旅行のたくはできたのかね?」

「えっ…ええ、お父さん」

!?

!?

 振り返った魎呼&阿重霞の顔は、オッタマゲーションマークとハテナマークでくされていた。

「修学旅行~。明日から~!?!?!?

 いやもう一人、ハテナマークがいた。

 いんそつをしてくれるはずの美星先生だ。

「わたくし、何も聞いてません~」