この小さな体に収まっている知性は、精神は、十歳のものではない。自己分析するならば、一部には年齢相応の部分もあるが、ほかの部分は成熟している。

「兄者の……分からず屋……」

 リノは盟人の腕をきゅっと抱き締める。

 歯がゆかった。いつまでも、兄に自分の気持ちが伝わらないことが。

 怖かった。なにも伝わらぬまま、兄が消えていくことが。

 リノの隣で、盟人が寝息を立て始める。よほど消耗しきっているのだろう。延々と生命力を吸われているというのなら、それも当然だ。

 ドリスとシアが、かいがいしく盟人の顔や腕の血をき取っていく。リノはそうする体力も残っていない自分がかなしくて、恨めしかった。

 だけど、リノにしかできないことだってある。

 体力がなくたって、まだやれることは存在する。

「大丈夫……リノは強い……」

 自分に言い聞かせるように、リノは呟いた。



 暗い寝室。

 兄が死んだように眠るベッドで。

 妹は最後の力を振り絞って、ノートパソコンのキーをたたいていた。

 液晶モニタの鮮やかな光が網膜をがし、細い指を、そしてやみに覆われた部屋を照らす。消え入りそうな吐息を漏らしながら、リノは指だけを動かす。

 ──コントロールシステム、制圧。プログラムの上書き、完了。起動。

 エンターキーを押すと、力尽きてベッドに横たわる。

 残酷な月光が射し込む窓に目をやり、じっと迎えを待った。

 盟人が生命波吸収装置アブソーバを仕掛けられて帰って来てからというもの、リノは必死にバベル工業とエデン製薬のサーバをクラッキングした。持てる限りの能力を尽くして、ありとあらゆるプログラムを組んで。

 そうやって分かったのは、ドリスから聞いた通りのことだった。すなわち、日本地区はとうに呪的結界で封鎖され、生命波吸収装置アブソーバによる死を待つのみであると。

 加えて、兄に仕掛けられているものも含め、生命波吸収装置アブソーバを無力化するには、中央制御装置を破壊するしかないらしい。

 中央制御装置が置かれているのは、バベル工業が日本地区で確保した支部。

 そこに乗り込んで、アランの配下と戦わなければならない。警察に頼っても無意味だ。十賢老じゆつけんろうのアランが、そのくらい抱き込んでいないはずもない。

 兄なら、盟人なら、十賢老の勢力とも戦えるだろうが……自分で立ち上がることさえできない現状で、戦闘などできるわけがない。

 だから。

「兄者……。リノ、行ってくる」

 窓の外から聞こえる地響きを体で感じながら、リノはささやいた。

 これだけの音がしているのに、盟人は目を覚まそうとしない。いや、この半日、一秒たりとも意識を取り戻していない。その事実がさらにリノの焦燥感をあおり立てる。

 リノはノートパソコンを抱き締め、ベッドから転がり落ちた。

 全身の力を振り絞り、床をって窓際に近づく。

 体が重くて、重くて、地球に鎖で縛りつけられているかのようだった。気を抜けば意識が途絶えてしまいそうだった。

 リノは唇を嚙み締め、自らを痛みでさいなむことで意識を保つ。

 窓の外には、巨大人型戦車ゴーレムが立っていた。

 半透明の装甲の内部に、人の姿はない。薄暗いコックピットは魔法陣の光で淡く照らされ、そこへ主が来るのを待っている。

 上司のゴーレムから、部下のゴーレムに命令を厳守させるためのコントロールシステム。電波を介してやり取りされるそのシステムを利用し、クラッキングして、リノはゴーレムを呼び寄せた。

 戦闘時の複雑な動作を実行するには、ゴーレムの内部にデバイサーを接続する必要があるが、単純な移動くらいは遠隔操作でもできる。

 そして……、たとえ体力がなくても、動けなくても、ゴーレムがあれば動ける。

 リノがノートパソコンにコマンドを打ち込むと、ゴーレムが寝室の窓に手を伸ばした。

 窓がこじ開けられ、無骨な腕が部屋に突っ込んでくる。リノを床から拾い上げ、自らのボディに向かって運んでいく。

 優しく抱いてくれる兄の手とは違う、冷たい手。

 だけど、これに身を任せなければ、リノは兄を助けることができない。

 鮮やかすぎる月に目を細め、吹き込む夜気に身をすくめていると、廊下から声が聞こえた。

「リノ!? なにしてるのよ!?

 寝室の入り口にドリスが立ち、目を大きく見開いている。

「兄者を助けに行こうとしている」

「一人で!? そんなことできるわけないじゃない! あんた、デバイサーでもないでしょ!? 戦ったこともないのに、なにをするつもりよ!?

「知らない。教えない」

「じゃ、じゃあっ、せめて私も連れていきなさい! じゃないと、あんたが死んだら盟人がどう思うか……」

 彼女のことを、リノはいつも邪魔だ邪魔だと感じていたが、こんなときまで邪魔してくるなんて、さすがだと思った。

 いずれにせよ、今回は、もう邪魔をさせない。

「兄者のこと、お願い。リノは……ふさわしくないから」

 月光に照らされたカーテンがひるがえる中、白い羽衣に包まれるようにして。

 リノはささやいた。

 窓に駆け寄るドリスを振り切り、ゴーレムをあやつって、そのコックピットに身を投じる。

 垂直の円盤から鎖が伸び、リノの躰をがんじがらめに縛りつけた。

 円盤の魔法陣から光の線が伸び、リノの肌を、肉体を、その奥深くまでも侵食してくる。

 焼けるような痛みが全身を襲い、リノはあえいだ。

 巨大人型戦車ゴーレムに体を接続され、融合していく感覚。

 呪術と電子のプログラムが、摂理に反した異形の機械ハイブリツドが、リノの魂を犯してくる。

 デバイサーですらないリノ──一般人とさして変わらぬ魔力しか持たないリノにとって、魔力を燃料とする巨大人型戦車ゴーレムと繫がるのは、凄まじい苦痛だった。

 ただでさえ生命力を失っているのに、魔力も吸い尽くされていく。

 だが、まだ大丈夫。まだ平気だ。

 ハイブリッドマシンは少量の魔力でも稼働できるよう、魔導科学と機械技術で補ってくれる。だから、目的を果たすまでは、きっとなんとか保つはずだ。

 リノの手からノートパソコンが転げ落ち、コックピットの床にぶつかって砕けた。

 もう、間接的なコントロールは要らない。魔法陣で巨大人型戦車ゴーレムと一体になった今、この無骨なマシンはリノの手足のように動かすことができる。

 巨大人型戦車ゴーレムが、走り始めた。



 分厚い壁を、巨大人型戦車ゴーレムの体当たりが叩き壊す。

 白い破片が飛び散り、粉塵ふんじんが巻き起こる中、リノの巨大人型戦車ゴーレムが建物に突入する。

 バベル工業、日本支部。

 そのエントランスホールは、豪奢ごうしや絨毯じゆうたんの敷かれた広大な空間だった。天井てんじようにはきらびやかな照明が垂れ下がり、壁際には美しい受付嬢が立っている。

 正確には、『美しかったであろう』受付嬢が。

 なぜなら、その受付嬢は今や、な唇を大開きにして金切り声を上げ、体を凍りつかせているからだ。彼女の視線がそそがれているのは、目の前の修羅。

 警備兵たちが銃を構え、リノのゴーレムにひたすらの銃撃を加えている。

 だが、ゴーレムの装甲は九ミリの弾丸を浴びても、傷一つ与えられはしない。

 リノは進路を阻む彼らをゴーレムの腕でぎ払い、通路の先へ進もうとした。

 しかし、その横っ腹に、外庭から追いかけてきたゴーレムが飛びつく。

 二機はからみ合いながら転がり、エントランスホールの壁に激突して大穴を穿うがった。

「このクソガキが! よくも不意打ちしやがったな!」

 仲間の機体をやられて怒り狂ったデバイサーが、ゴーレムのこぶしをリノの機体に叩きつける。重く激しい衝撃に、リノはうめいた。

 けれど、負けてはいられない。

 敵機ののど首をつかむや、宙に持ち上げ、全力で放り投げる。空中で体勢を整えることができない敵機に照準を合わせ、ゴーレム上部の魔法陣から氷弾を放つ。

 絶叫。

 コックピットの内壁を鮮血に染めて、敵機は墜落した。爆発音と共に機体を弾けさせ、エントランスホールを火焰かえんの海へと変貌させる。

「……ごめん」

 リノは炎のあらしを背中に、ゴーレムを疾駆させた。

 サイレンが鳴り響き、銃声が雨嵐と打ち鳴らし、爆発音と地響きが木魂こだまする。

 既に侵入は施設全体に知れてしまっているらしく、次から次へと敵の巨大人型戦車ゴーレムが押し寄せてくる。ぶつかり、射撃し、砲撃し、リノを抹殺せんとして襲いかかってくる。

 まるで、巨大人型戦車ゴーレムの巣に飛び込んでしまったかのようだった。

 それも、ただの巣ではない。

 恐るべき化け物共が無尽蔵にき出てくる、史上最悪の悪夢のような巣窟だ。

 けれど、リノは退くわけにはいかない。

 兄のために。兄を生かすために。

 たとえ自らがこの巣窟から抜け出すことができなくても、愛する盟人の未来を繫ぐために。

 あらゆる巨大人型戦車ゴーレムを破壊し、破壊し、破壊し尽くして、施設の深部を目指した。

 魔力を搾り取られているせいで、息をすることさえ苦しい。頭の奧がガンガンする。魔法陣の光が侵している皮膚が裂け、血が飛び散る。

 もろい体に食い込んでいる鎖は痛かったが、そうやって支えられていなければ魔法陣と自らを接続し続けることはできないだろう。

 もはや、リノは精神のみ、気力のみで戦っていた。

 肉体などという脆弱ぜいじやくな物体には頼っておらず、頼ることもできなかった。

「ここ、が、中央制御室……」

 前方に大きな扉が見えてくる。

 残り数十メートルほどの、ぐな通路。左右に敵機の姿はない。監視カメラはとっくにハッキングして沈黙させているし、天井に設置された完全自動機関銃リアルオートも同じだ。

 後は、この先の中央制御室に入って、制御装置を破壊するだけ。そうすれば、兄の体に仕掛けられた生命波吸収装置アブソーバは機能を停止し、兄は助かる。日本地区全体の生命波吸収装置アブソーバも力を失い、住民たちも命を落とすことはなくなる。

 リノは小さく吐息をついた。

「やった……リノは、やった……」

 そう、胸をで下ろしたとき。

 中央制御室の自動ドアが、ゆっくりと左右に開いた。

 目がくらむほどのまばゆい光が中からあふれ、おびただしい白煙が流れ出る。

 デバイサーではないリノでさえ感じ取れる、強大な魔力の気配。それも、盟人やシアから感じるのとは違う、凶暴な魔力の気配が、プレッシャーとなって臓腑ぞうふを押しつぶしてくる。

 体の奥に重く響く、高圧的な地響き。

 光に包まれて歩み出てきたのは──黄金の巨大人型戦車ゴーレムだった。

 ボディのあらゆる部位が光輝を放ち、周囲の空気を震わせている。脚部の触れた床は、灰のようになって崩れていた。

 それでも黄金の巨大人型戦車ゴーレムは体勢を崩すことなく、床から少し浮いたような状態で泰然と屹立きつりつしている。しかし、どこにも噴射装置やプロペラは存在しない。

 その巨大人型戦車ゴーレムは、圧倒的な存在感を持って、ただそこに在った。

 兵器を持っているわけでも、魔法陣を展開しているわけでもないのに、その存在感が抵抗の無意味さを予感させる。死のにおいを濃厚に漂わせる。

 巨大人型戦車ゴーレムのコックピットには、誰も乗っていない。けれど、そこにはリアルな立体映像が映されていた。

 アラン・スチュワート。十賢老にして、バベル工業の支配者である、鋼の王が。

 王は黄金の玉座で、微笑ほほえんだ。

「死ぬときを、そんなに待ちきれないのかい?」

 穏やかなのに、死刑宣告を思わせる響き。

 リノはとっさにゴーレムを背後に飛び退かせた。脚部が床にこすれ、火花が散った。機体の上に魔法陣を展開し、魔法陣から無数の魔法弾を吐き出す。

 降り注ぐ魔弾の嵐。

 いかに帝王のような姿をしていても、この乱撃に耐えられる機体はいないだろう。

 期待したリノは、目の前の光景を見て凍りつく。

 黄金の巨大人型戦車ゴーレムが右腕を差し伸べただけで、あらゆる弾丸が停止していたのだ。虚空にり付いたように、ぴったりと固まり、それ以上先へ進もうとしない。

 いや、よく見れば、弾丸は止まってなどいなかった。

 同じ座標でひたすら自転し、ぎゅるぎゅると空気と摩擦しながらも、それ以上は黄金の巨大人型戦車ゴーレムに近づけないでいる。

 それはまるで、支配者の威圧に屈してしまったかのように。

「私の巨大人型戦車ゴーレムはね、特別製なんだよ。私が日本地区で造り上げようとしている最強の軍勢……、それを率いるべき存在だ。すなわち……誰も勝つことはできない」

 巨大人型戦車ゴーレムの右腕から、魔法陣が広がった。同時に弾丸が弾かれ、リノの方へと襲いかかってくる。最初に放たれたときよりも速く、強烈な攻撃力を持って。

 数多あまたの弾丸が、リノの機体を貫いた。

 リノは声にならない悲鳴を上げ、激痛に身を痙攣させる。

 小さな体を弾丸が引き裂き、骨を打ち砕く。

 それでもリノは意志の力をき集め、自らのゴーレムを敵機に激突させようとした。

 相打ちになっても構わない。相手を奥の部屋まで吹き飛ばし、制御装置を壊すことさえできるならば。兄の命を救うことさえできるならば。

 だが、リノの願いは届かない。

 リノの機体、その両手両脚が……張り裂けた。

 爆発し、炎上して、衝撃波を走らせる。

 リノにはなにが起こったのか分からなかった。相手の攻撃がまったく見えなかった。なぜ自分が敗北したのか分からなかった。

 ただ、黄金の巨大人型戦車ゴーレムが突き出した手に摑まれ、自機から引きずり出されて、空中にり下げられる。容赦なく締めつけてくる手に、リノの頭蓋が割れそうになる。

 ぶらりと力なく垂れた足。もはやあらがう体力は一片たりとも残されていない。そんなものは、ゴーレムに乗る前から尽きている。

 そして、もし抗ったとしても、このバケモノからは、逃れられない。

 意識を塗り潰すような絶望に、リノは唇を震わせた。

「さてさて、君をどうしようか。殺しても私にまったく利益はないのだが、生かしておけばまた我が社に損害を与えられる危険性がある。だとしたら、殺しておくのが妥当か」

 アランの淡々とした言葉が、骨の髄まで冷たくみ渡る。

 死は、すぐそこにあった。絶対の未来として。定められた運命として。

 リノの頭を締めつける力が、さらに増した。

 堪えがたい苦痛と共に、骨がきしむ。ねっとりとした液体が首筋を流れていく。その行き先を目で追って、リノは自分の足先から血が滴っているのを見た。

 こんなの、最初から無理だったのだ。そうリノは思う。

 自分は、兄ではない。怪盗王フアントムではない。人を救えるような力はないし、余裕もない。

 兄を助けたい一心でここまで来たけれど、どうせ失敗するなら、兄のそばにいればよかった。

 そうすれば、一緒に死ねたのに。

 愛する人と寄り添い、その体温を感じながら、すべてを失えたのに。リノが決して手に入れることができない熱を、味わいながらけたのに。

 なにもかも、間違えてしまった。

 リノは、あきらめて目を閉じる。

 死の苦痛に身を任せ、世界をのろいながら。

 ただ、思う。

 死ぬ前に、盟人に会いたかったと。

「あに……じゃ……」

 慟哭どうこくのようなうめきが、喉から漏れる。

 この世に別れを告げようとした、そのとき。

「おう。そんな傷だらけになって、どうしたよ?」

 優しい声が、隣で聞こえた。



 盟人は巨大人型戦車ゴーレムの手に幻肢フアントム・リムの右手を迫らせた。

 幽鬼の指を内部に走らせ、あらゆる配線を引きちぎる。

 ゴーレムの手がだらりと垂れ、摑んでいたリノの体がこぼれ落ちる。

 盟人は妹の体を抱き締め、ゴーレムの腕に渾身こんしんりを叩き込んだ。

 ただ一人の家族を苛んでいたアランへの怒りを込め。脚をうならせ、肉の筋を盛り上がらせながら、蹴りつける。

 衝撃波と共に、黄金の巨大人型戦車ゴーレムが吹き飛んだ。

 通路沿いの壁に叩きつけられ、分厚い壁材を豆腐のように打ち崩しながら部屋に突っ込む。室内の水槽が砕け、液体が溢れ出し、黄色い蒸気と刺激臭が噴き上がる。

 瓦礫がれきを床に滑り落とさせながら、ゴーレムが起き上がった。ゆっくりと、盟人の方へと近づいてくる。

 そのコックピットでは、アランの立体映像が眉間みけんしわを寄せている。

「なぜだ……なぜ、動ける……? 生命波吸収装置アブソーバを仕掛けられている状態では、歩くことさえできないはず……。だというのに、どうしてそんな攻撃を繰り出せる……?」

 盟人は肩をすくめた。

「ハッ、どこに生命波吸収装置アブソーバが仕掛けられてるって? お前のその金ピカの玩具には、まともなカメラもついていないのか?」

「……!? まさか!」

 アランが盟人の体を凝視して目を見張る。

「あ、兄者……それ……」

 リノも震えながら盟人の腹を見つめる。

 そこには、大穴が空いていた。

 ずたずたに引き裂かれた組織から、大量の血が滴り、盟人の服を汚している。

 あらわになった血管が生々しく脈動し、臓器すらも露出している。

 だが、生命波吸収装置アブソーバの姿はない。キューブも、あの忌々いまいましい管も、どこにも存在しない。

 アランが額を抱えて笑い出す。

「は……はは……驚いたね。自分でその魔導具デバイスを引きがす人間がいるとは、さすがに予想しなかったよ。だいぶ抵抗されたはずだが」

「死に物狂いで腹を食い破ろうとしてきたさ。ま、俺の腹を食おうなんて一億年早いがな」

 嘲る盟人の腕を、リノが握り締める。

「兄者、早く手当てしないと。いやしてもらわないと」

「気にするな。このくらい、痛くもかゆくもない」

 盟人は笑った。

 頭がおかしくなりそうなほどの激痛に、責め立てられながら。血液と共に活力が流れ落ちていくのを感じながら。痙攣するひざに力を込め、毅然きぜんとして屹立する。

 苦痛など、今はどうでもいい。

 生命波吸収装置アブソーバさえなければ、動くことはできる。

 動ければ、戦える。

「で、でも、このままじゃ、兄者が……」

 リノが必死に盟人の腹を押さえる。だが、その小さな手の平では溢れる血を止めることはできず、指のあいだから鮮血が流れ落ちてリノの服を汚していく。

「大丈夫だって言ってるだろ。兄貴を信じろ」

 盟人はリノの頭をぽんぽんと叩いた。心配させないよう、苦痛を表情にすら出さずに。背後に妹を残して、黄金の巨大人型戦車ゴーレムへと疾駆する。

 コックピットの中で、アランの立体映像が鼻を鳴らす。

「愚かなことを。そんな傷で戦っても、すぐに力尽きるのが関の山だ」

「それはどうかな? ここに来るまでに、他のゴーレムは全部ぶっ壊した……って言ったら、信じるか?」

「──っ!?

 驚愕きようがくに凍りつくアランを視界に収め、盟人は巨大人型戦車ゴーレムに襲いかかった。

 巨大人型戦車ゴーレムの上方に三つの魔法陣が展開。大量の魔弾を雨あられと浴びせてくる。

 しかし、遅い。

 常人の動体視力や反応速度が追いつかないほどの高速であろうとも、魔獣の子チヤイルドにとっては、そして盟人に潜む強欲の魔獣にとっては児戯に等しい。

 盟人は魔弾の嵐のあいだを舞い、巨大人型戦車ゴーレムに肉迫した。

 頑健な装甲に幻肢フアントム・リムの右手を突き入れ、配線を摑み取る。

 幻肢フアントム・リムを突っ込んだまま、ゴーレムの周囲を疾走。

 機体の内部構造に存在するあらゆる歯車、関節、スプリング、センサーを打ち砕いていく。

 ハイブリッドマシンは、高度な魔導技術と科学技術を組み合わせた集合体。たとえよろいが硬くても、精密機器を用いている以上……内部はもろい。

 たちまち巨大人型戦車ゴーレムはバランスを崩し、ぐらりとよろめいた。

 そのすきを盟人は見逃さない。

 巨大人型戦車ゴーレムの内部、その強固なフレームを摑み、巨大人型戦車ゴーレムをスイングする。周りの壁を薙ぎ払い、すべてを破壊し尽くしながら、巨体を放り投げる。

 巨大人型戦車ゴーレムが通路の奥の部屋に叩き込まれた。

 空気を震わすような轟音ごうおんと共に、華々しい爆発が湧き起こる。部屋の中に積まれていた魔導機器を巻き込んで弾け飛び、業火ごうかを吹き散らす。

 爆風と炎が通路に溢れ出し、盟人の髪と漆黒のコートを剝ぎ取ろうとする。

「兄者────っ!」

 大風に煽られて飛ばされていくリノ。無我夢中で伸ばしてくるその手を、盟人は摑んだ。小さな体を素早く引き寄せ、しかと抱きすくめる。

 盟人の腕の中で、リノが肩をわななかせた。

「やっぱり……兄者はすごい……生きているのがおかしいくらいなのに、こんな簡単にあの巨大人型戦車ゴーレムを倒しちゃうなんて……」

「後は、生命波吸収装置アブソーバの中央制御装置を壊すだけだな。あれを止めるために来たんだろ?」

 盟人は尋ねた。

 妹がゴーレムまでクラッキングして暴走したのは驚いたが、妹の意図はだいたい分かる。兄を助けたいという一心なのだ。そういう優しいやつだ。

 リノがうなずく。

「ん。でも、今、兄者が壊した……そこの部屋にあった……」

 指差した突き当たりの部屋は、渦巻く炎に満たされていた。

 破裂した魔導機器の金属板が反り返っている。炎に吹かれて黒い灰が舞っている。

 見事なまでの偉容を誇っていた黄金の巨大人型戦車ゴーレムは大破し、幾つもの瓦礫となって転がっていた。床に落ちた脚部が断面をさらけ出し、切断された配線から火花が散っている。

「そうか。じゃあ、ソウルジェネレーターを頂いて帰るか」

 以前、バベル工業から盗んだデータによれば、この建物にもソウルジェネレーターが移送されているはずだ。

 また体に寄生してくるキューブのトラップが仕掛けてあったらたまらないが、さすがにその恐れはないだろう。アランは盟人を無力化したと思っていたのだから。

 リノは盟人に摑まりながらも、ふらふらと歩き始める。

「早く帰る。兄者を急いで治療しないと」

「それはそんなに急がなくても大丈夫だけどな」

 言って、盟人がその場を立ち去ろうとすると。

 背後から、かすかな物音が聞こえた。

 魔獣の子チヤイルドの鋭敏な聴力でなければ聞き取ることもできないほどの、小さな音。

 けれど、盟人は嫌な予感がした。

「ちょっと、先に行け」

「え……なんで……」

 戸惑うリノをそっと突き放し、後ろを振り返る。

 黄金の瓦礫が、動いていた。

「ふふふふふふ……はははははは……まだ終わっていないよ、盟人くん?」

 すべての瓦礫から響き渡る、アランの笑い声。

 床に散らばっていたゴーレムの破片が、互いに引き寄せ合うようにして集まっていく。

 部屋の中央で一塊になり、うずたかく積み重なって、融合していく。

 脚を作り、胴体を作り、腕となり、指先の隅々までも形作る。

 いくらもたないうちに、そこには黄金の巨大人型戦車ゴーレムが再生してしまっていた。

 ゴーレムのコックピットには、アランの立体映像。

 見下したような目をして、盟人を眺める。

「この巨大人型戦車ゴーレムは特別製なんだ。そう簡単に、滅びたりはしない」

「面倒な奴だな……だったらもう一回壊すまでだ!」

 盟人はゴーレムに向かって突進した。

 敵が襲いかかってくる前に、相手を沈黙させなければならない。こちら側に踏み込まれるより先に片を付けないと、リノが巻き込まれてしまう。

 ゴーレムが巨大な拳を振り下ろしてくる。風がとどろき、重く激しい風が盟人の肩を打った。

 盟人が巨大人型戦車ゴーレムふところに転がり込む。背後に敵の拳が突き刺さる。床が割れ、破片が宙に浮き上がった。

 床に亀裂が走り、足下のバランスを崩させる。盟人は足を踏ん張って持ちこたえ、ゴーレムの脚部を摑んだ。両腕に全力を込めてゴーレムを振り回し、壁に叩きつける。

 崩れ落ちる壁。転倒する巨大人型戦車ゴーレム

 盟人は跳躍し、巨大人型戦車ゴーレムの上を舞った。

 急降下しながら勢いを増し、幻肢フアントム・リムの右手を巨大人型戦車ゴーレムに激突させる。強固な装甲をすり抜け、内部の構造に達して幻肢フアントム・リムを解除。強烈な打撃を、脆弱な内壁に叩き込む。

 激しいインパクトと共に、巨大人型戦車ゴーレムが爆裂した。

 魔獣の子チヤイルドの破壊力を持ってすれば、たとえ鋼鉄の塊であろうとひとたまりもない。

 ゴーレムは砕け散り、燃える塵芥じんかいとなって八方に飛び散る。

 盟人は床へかろやかに着地した。

 今度こそ終わったか……と思いきや、眼前でたちどころにゴーレムの破片が集結し、元通りの姿になる。わずかな継ぎ目すら残さず、黄金の体軀たいくから堂々たる輝きを放つ。

 その再生速度はさっきの比ではない。まるで、これまでの戦いが余興であったかのように。もしくは……。

「俺を使った戦闘実験でもしていたのか」

「よく分かったね。さすがは怪盗王フアントムだ。貴重なデータが取れたよ」

 立体映像のアランが唇をつり上げた。光のせいで眼鏡めがねの向こうの瞳は表情がうかがえないが、得意げな色を浮かべているであろうことは盟人にも感じ取れる。

「余裕を見せてくれるな」

「そうでもないさ。一撃で巨大人型戦車ゴーレムが破壊されたときは、軽く絶望した。そんなに弱い魔導兵器では、最強の軍勢になどなり得ないからね。だが……」

 巨大人型戦車ゴーレムの装甲が激しく振動し、海鳴りのような音を発した。表面が玉虫色に次々と色を変え、いよいよ輝きを増す。

「この巨大人型戦車ゴーレムの耐久度が低いのではない。恐らく、君が異例イレギユラーなのだ。であれば、君を排除すれば問題は解決する。よって、君はここで処分する」

 ゴーレムが瞬時に姿を変え、巨大な刃となった。

 気付けば、刃が盟人の体の真ん中に深々と突き刺さっていて。

「かはっ……」

 口から鮮血が散る。

 激痛が脳髄を貫く。

 地獄の責め苦に身をかれながら、盟人は刃に幻肢フアントム・リムの右手を伸ばした。刃の内部構造を打ち砕かんとして。

 だが、刃はすぐさま細くなり、盟人の体から抜ける。腹と背中から血が噴き上がった。黄金の刃は長いひも状の形となり、壁の穴から消え去る。

 盟人は壁へ疾走するが、穴の向こうの部屋に黄金の紐の姿はない。

 ──どこだ。どこに行った。

 聴覚を最大限度まで研ぎ澄まし、敵のゴーレムの居場所を探す。雑音が四方八方から聞こえていて、一つに絞り込めない。数秒が数時間に感じられるほどの緊張感に、じっとりと盟人の首筋が汗ばんでいく。

「ふふ……ここにいるよ」

 八方から、アランの声がした。

 八方から、黄金の刃が襲いかかる。

 四肢が、切り裂かれた。

 華々しい赤が噴き上がり、盟人は地面に転げ落ちる。手足を失い、胴体のみの姿となって、びくびくと体を痙攣させる。

 リノの悲鳴が響き渡った。

 目を閉じていろ、こんな恐ろしいモノを見るな、そう盟人は諭したいのに、舌が動かない。意識をつんざくような苦痛に堪えるだけで、すべての精神力が使い尽くされている。

 苦悶くもんする盟人の目の前で、八本の刃が融合していく。

 二足歩行の巨体を形作り、黄金の巨大人型戦車ゴーレムへと変貌していく。

「ふむ。さすがの怪盗王フアントムも、これ以上は戦えないようだね。もっと戦闘実験を続けたいところだが、私には時間がない。君が壊してくれた中央制御装置を修復して、一億総死者計画を予定通りに進めなければならないのだ。だから……残念だが」

 巨大人型戦車ゴーレムの右腕が、盟人の頭上に振り上げられた。

 大きな影が、盟人を覆う。

 盟人には避けるための脚も、戦うための手もない。

「ここで、実験終了だ」

 巨大な拳が、振り下ろされた。盟人の頭蓋をねらい、完膚無きまで破壊せんとして。いや、頭蓋だけではなく、胴体すらも一度に押し潰そうと、迫ってくる。

 巨大人型戦車ゴーレムの拳が、叩きつけられた。

 床が砕け、轟音が鳴る。

 鮮血と共に、肉が崩壊する。

「兄者ああああああああっ!」

 リノが絶叫をほとばしらせた。

 アランが愉快そうな笑い声を響かせる。

「やはり、私の造った巨大人型戦車ゴーレムは最強だ! ギラドを殺した怪盗王フアントムさえも殺した! 私が、私こそが、十賢老の最上位に君臨すべき存在なのだ! ははは! ははははははは!」

 顎を突き上げて誇る、アランの立体映像。

 眼鏡の奥の瞳が、危険な光を帯びて輝いている。

馬鹿ばか、早とちりするんじゃねえよ……。そういうお喜びの言葉っていうのはな、完全に勝ってから言うもんだ……」

!?

 アランが目をいた。

 巨大人型戦車ゴーレムの拳は、確かに盟人の肉体を破壊していた。

 しかし、それは、急速に再生した右手を潰しただけ。右手の骨、組織、そのほとんどを壊されながらも、残った右腕は、巨大人型戦車ゴーレムの拳を食い止めていた。

 そして、両の脚は、砕けた床に踏ん張って身を支え、痙攣しながらも屹立している。

「ど、どういうことだ!? 君を捕まえたときの実験では、再生や透過が可能なのは腕だけだったはず! なぜ、足まで再生している!?

「さあな……お前に教えてやる義理はねえよ……」

 潰された右手から、ボタボタと血が落ちる。壮絶な苦痛に貫かれ続けるのは、気が遠くなっていくほどの地獄だった。

 盟人は傷だらけで血塗れで、疲弊しきっていた。腹からの血も止まらず、体が冷たくなっていくのを感じる。肩で息をしているが、肺に酸素が行き渡らない。

 ただひたすら意志の力だけで、盟人はそこに立っていた。

「ふ……だが、もう限界のようだね。巨大人型戦車ゴーレムの拳を抑えるだけでやっとという感じじゃないか」

「そんなことは……ない……」

 盟人は奥歯を嚙み締めた。ここで自分が倒れれば、次に死ぬのはリノだ。それは許されない。それだけはあってはならない。

「いずれにせよ、君に勝機は一つもない。この巨大人型戦車ゴーレムは、私がたどり着いた究極のハイブリッドマシンなのだから」

 アランは誇らしげに語った。

「これは魔力の塊だ。機械に魔導技術を応用した従来のゴーレムとは逆に、魔法的存在に機械技術を応用した、最強にして不滅の軍勢なのだよ。魔力そのものを破壊することは、誰にもできない。何度破壊しても、このゴーレムを滅ぼすことは、不可能なのだ」

 巨大人型戦車ゴーレムの拳が、恐るべき力で盟人の右腕を押し潰してくる。

 骨が粉と化していき、赤く染まった肉塊が床に滴る。

 盟人がゴーレムの拳を必死に食い止めていると、リノがぽつりと呟いた。

「もう、いい」

「……なにがだ」

 盟人はかすれた声でいた。

「そこまでしなくて、いい。兄者だけなら、簡単に逃げられるはず。リノのことは、置いて行って、いいから」

「置いて行けるわけがないだろう」

 妹の言葉が、盟人には理解できなかった。置き去りにされれば、リノは必ず死ぬ。そこには万に一つも生還の可能性はない。

 リノはうつむいて、床をじっと見つめる。

「リノは……どうせもう死んでいる。今さら機能停止させられたって、特に意味はない。死体の妹なんて……兄者にはふさわしくない」

「急になにを言って……」

 盟人がいぶかると、リノは手を握り締めた。

「急じゃない。リノはずっとずっと、そう思ってた。デスウォーカーだと気付かれたら嫌われるから、必死に正体を隠してた」

「別に嫌いになんてならない。なるはずがない」

「なる。死体は子供も産めない。臓器は手術で摘出された。リノは……もう人間じゃない」

 リノは、泣いていた。

 いつも表情を変えず、感情を決して見せなかった妹が、ぽろぽろと涙を落としていた。

 八年ぶりのその涙は、重く、重く、盟人の胸に突き刺さる。

「死んでから八年間、リノは兄者のそばで暮らせた。本当はもうこの世にいたらいけないのに、幸せに過ごせた。それだけで、充分だから。兄者……行って」

 リノが、ささやく。

 声を詰まらせ、肩を震わせながら。

 小さな体で、おもいを訴える。

 そんな妹を見るのは、盟人にとって体の痛みよりも苦しかった。

 リノが一人で抱え続けていた苦悩……それに気づけなかった自分が許せなかった。

 盟人は奥歯を嚙み締め、拳を固く握る。

「死んでいようが、生きていようが、そんなことはどうでもいい」

「え……」

 リノが目を見開いた。

「人間じゃなくたって構わない。デスウォーカーでもなんでもいい。いや、どんな姿になったって、もしバケモノになったって、どうでもいい。それでもお前は……俺の妹だ」

 盟人は力強く言い放った。

「あ、兄者……」

 リノが唇を震わせる。

「いいか、見ておけ、リノ。兄貴っていうのはな、妹のためなら命だって懸けられるんだ。だから、自分のことを嫌うな。俺が大好きな奴のことを、死んでもいいなんて言うな」

 右腕を破壊しようとしてくるゴーレムを、盟人は真っ直ぐににらみ据えた。

 コックピットのアランが失笑する。

「くだらないな。家族愛なんてものは、簡単に裏切る。崩れ去る。そんなものに命を懸けるなんて、愚の骨頂としか言えない」