ドリスに肩を貸してもらって部屋に帰ってくる盟人めいとの姿を見たとき、リノは自分の目を信じられなかった。

 兄の顔からは、生気というものが完全に消えていた。

 光を失ったひとみ、干からびきった唇。すすけたほおに血がこびりつき、赤黒く固まっている。

 裂けたズボンからは血塗ちまみれの脚がのぞき、太々と腫れ上がっていた。

 その口からは苦しそうな息がれ、歩くのがやっとという有様だ。

 盟人がベッドのリノの隣に倒れ込む。ドリスとシアが力を合わせて盟人の体を引っ張り、きちんとベッドに横たわらせる。

 盟人の腹には奇妙なキューブが埋め込まれ、肉にほとんど同化しかけていた。やたら生物じみた青や赤の管がキューブから伸び、腹に突き刺さって脈動している。

 盟人の体から吸い上げた光の粒が、管を通ってキューブへと流れ込んでいた。キューブの中心の禍々まがまがしい眼は、自らの外にあるすべての存在を嘲笑あざわらっているかのようにすら見える。

「な、なに……これ……? 兄者あにじや……どうしたの……?」

 リノはかすれた声で尋ねながら、キューブを外そうとした。

 途端、キューブの眼が激しくぎらつき、キューブから無数の管が伸びる。すさまじい勢いで盟人の腹に潜り込んでいき、背中から噴き出し、触手のようにうごめいて鮮血をはじけさせる。

 リノは悲鳴を漏らしてキューブから手を離した。

 すると、キューブから生える管の動きが止まった。

 盟人はぐったりと横たわる。額には大量の脂汗が浮かび、体は細かく痙攣けいれんしていた。

 ドリスが深刻な面持ちで盟人を見下ろす。

「アランのわなにかかって、生命波吸収装置アブソーバっていう魔導具デバイスを仕掛けられたの。ここからソウルジェネレーターに生命力を送って、新型の巨大人型戦車ゴーレムのエネルギーにするって言ってたわ。一億総死者計画っていうのが、日本地区でのアランの目的みたい」

「なんなのですか、その計画は……?」

 シアがこわばった声で尋ねると、ドリスが答える。

「日本中にばらまいた生命波吸収装置アブソーバで全住民の生命力を吸い取って、ゴーレムで最強の軍勢を作ろうとしているみたいです。日本地区の周りには呪的結界が張られているから、もうだれも逃げることはできないとか……言っていました」

「そんな……まさか……」

 シアはつぶやくが、リノはその話を否定することができなかった。

 心当たりがあるのだ。最近、なぜかネットの調子が悪かった。どうしてもつながらないサイトのサーバを調べてみたところ、いずれも日本地区の外にあるサーバだった。

 物理的な障害だろうと考え、いろいろと原因を探ってみたのだけれど、まさか呪的結界によって日本が囲まれているとは……さすがのリノでも予想しない。

「ずっと生命力を吸収されているせいで、盟人は力が出ないし、傷も治らないし……このままじゃ……」

 ドリスが唇をみ締めた。

 その先は言わずとも知れたこと。生命力を吸われ続けた人間は、生命力を失った人間は、機能を停止する。ソウルジェネレーターの加護を失ったデスウォーカーのように。

 日本地区は滅び、盟人は死ぬ。

 それが、アランの描いた絵図。たどり着くべくしてたどり着いた、終着点なのだ。

「兄者は……どうやったら助かる?」

「……分からないわ。私もキューブを外そうとしてみたけど、取れないし、さっきみたいな反応が起きるし、盟人がもっと苦しむだけだし……もう、どうしようもなくて……」

 ドリスが声を震わせた。今にも泣き出しそうな空気。

 シアもさおな顔で手の平を握り締めている。

 たとえリノより年上でも、この出来事は彼女たちの精神を削っているようだった。

 だが、それはリノも同じで。

 いや、自分を救うために出かけていった兄が、取り返しがつかないまでに傷ついて帰って来たとなれば、襲いかかる罪悪感はえがたいほどに大きくて。

 なぜ、自分は兄を止めなかったのだろう。

 なぜ、厚意に甘えて兄を死地に送り出したのだろう。

 なぜ、もっとアランのたくらみを徹底的に調べ尽くしていなかったのだろう。

 そんな後悔と自責の念が、次から次へと込み上げる。

「兄者……ごめんなさい……リノのせいで……。ごめんなさい……ごめんなさい……」

 リノは盟人の腕にすがりついて、必死に声を絞り出した。

 すると、盟人はつらそうにしながらも笑顔を作る。

「お前のせいなんかじゃない。おれがちょっと敵を甘く見ていただけだ。こんなのすぐに治る。そしたらアランを殴りに行ってやるよ」

 そう言って、リノを苦しませまいとする。

 自分の方がよほど苦しいのに、ひたすらリノのことを考えてくれる。

 それは、人を見下ろすような表の態度とは、まったく違っていて。

 リノは、とげが胸を刺すのを感じた。

 重く、甘い、甘い棘。茨のように心臓を囲み、まとわりついて離れない甘美な棘。ずっと昔からその刃は、リノのからだのすべてを引き裂いている。

「兄者……大好き……」

 リノは盟人の腕に鼻を押しつけながらささやいた。

「ああ、分かってるぞ」

 優しいけれど、軽い返事。

「違う。リノは兄者が大好き」

「分かってるって」

「大好き。大好き。大好き」

 懸命に繰り返すリノに、盟人が苦笑する。

「だから、分かってるって言ってるだろ」

 だから、分かっていないのだ。

 ちっとも。

 ひとかけらも。

 だって、リノの愛情は、家族としてのものではないのだ。

 エデン製薬の魔導実験によって造り替えられ、人間の知能のリミッターを外されたリノは、なんでも知っている。

 物理の法則も、難しい概念も、社会の真実も、そして……大人の感情も。