盟人めいとは玄関に倒れ込んだ。

 横たわったまま、肩で息をする。

 額から落ちた汗の滴が床に丸いみを作り、少しずつ広がっていくのが見えた。

 アランの実験でもぎ取られた両腕は再生しているが、ゴーレムの鋼針乙女アイアンメイダにやられたほかの部位の傷はそのままだ。腕の再生に消費するエネルギーは甚大で、身体からだへの負担も重い。

 こうして自宅に帰り着けたのは、ひたすらリノのところへ早く戻りたいと願っていたから、それだけの理由だった。

「盟人様! 大丈夫ですか!?

 家の奧からシアが現れ、さおな顔で駆け寄ってきた。

「大丈夫か、だと……? それはつまりあれか、おれの頭の調子を疑っているのか……?」

 盟人は力を振り絞って上半身を起こし、笑ってみせる。

「別に頭が大丈夫かなんて心配していません! 体中、血まみれではないですか!」

「これはただの返り血だ」

「盟人様から出ているようにしか見えません! 無理をして起き上がらないでください!」

 シアは珍しく強い語気で主張すると、盟人の上半身を抱きかかえた。少女の細い体では盟人の重みを支えきれず、シアはぐらついてしまう。

「重いだろう、やめとけ」

「嫌です。傷ついている殿方を支えるのが淑女のたしなみ……これくらいできずに盟人様にふさわしい人間にはなれません」

「強情だな、お前は」

 盟人はあきれるが、必死に頑張る少女のことをいとおしくも感じる。弱々しい腕に抱き締められていると、戦いの疲れが体の奥からほどけていく気がした。

「盟人様……いやしの力を使わせて頂きますね」

 シアが盟人のほおに手の平を添える。冷たい手の平の感触に、盟人は体の熱が吸い取られるのを感じる。

 手の平が白い輝きを放ち始め、光が盟人の皮膚に溶け込んでいく。

 さわやかな風が吹き入るような感覚。

 エネルギーが腹の中からき起こり、全身の消耗がき消されていく。

 やりで裂かれた傷がふさがり、その跡さえ残らぬほどまで細胞が増殖する。

 数分とたないうちに、盟人は傷一つない健康体へと戻っていた。

「相変わらずすごいな。これならいくら怪我けがしてもいい。好きなだけ戦える」

 肩や腹をさすって感心する。

 けれど、シアはかなしそうにまゆを寄せた。

「盟人様。あまり無茶をしないでください。痛みというのは、人の魂を傷つけるもの。たとえ体の傷が癒えても、心が負った傷はそう簡単になくならないのですから」

「あいにく、俺の心はたいして繊細にできてないもんでな。気にするな」

 盟人は軽く笑った。こういう稼業をしていれば、苦痛など日常茶飯事。一つ一つに心を動かしていたら、神経がたないだろう。

「気にします。盟人様はもっと、自分を大切にするべきです」

 シアは盟人の肩に視線をそそいだ。鋼針乙女アイアンメイダの槍に貫かれたそこは、無残に服が裂け、肌も血で赤黒く塗りたくられている。

 少女のぐなひとみで見られていると、盟人は肩の痛みがよみがえってくるような感じがした。わずかにたじろいで、みじろぎする。

 体を引こうとした盟人に、シアが身を近づけた。血塗ちまみれの肩に切なそうに触れる。

 細い指先。優しい愛撫あいぶ

 可憐かれんな唇が盟人の肩に、そっと押しつけられる。

 月光を編み込んだような金色の髪が、幾つも盟人の体にかかった。鼻腔びくうをくすぐる、甘やかな香り。初恋の少女をなによりも近くに感じ、盟人は息が詰まりそうになる。

 体が、熱い。

 心臓が痛いほどに打つ。

 盟人が思わずシアの体を抱きすくめようとしたとき。

「シ、シア様!? なにをなさっているんですか!?

 リビングの方から現れたドリスが、目を見開いた。

「治療です」

 盟人の肩に唇を触れさせたままで、シアが答える。

 やわらかい感触が肌をくすぐり、盟人は小さな声をらしそうになる。

「治療には見えませんよ!? キスに見えますよ!?

「ち、違います。治療です。盟人様を癒してさしあげているのです」

「で、でも……」

「ほ、本当ですから……」

 盟人から顔を離したシアは、頰をにさせていた。いつも落ち着いた上品な令嬢がこうも恥ずかしがっているのを見ると、盟人は胸がうずいてしまう。

 シアは火照った顔のまま、盟人を真っ直ぐ見据える。

「私、しっかり盟人様をサポートしますから。苦しいときは、私を頼ってください。無理はしないでください。何度も救ってもらった恩、なんとかして返したいですから」

「お前は俺に借りなんてないさ。俺はお前との約束を守っただけだ」

 盟人は鼻で笑う。

「いいえ、あります。返しても返しても、返しきれないくらいの恩が。だから、私は盟人様に恩返しをします。どんなにご迷惑でも」

 少女の眼差まなざしは、とても強い光を帯びていて。

 盟人はその光を浴び続けていると、溶けてしまいそうな気がした。



「あ、盟人……」

 盟人が部屋に入ると、ベッドの脇にいた美穂みほが声を漏らした。

 地下の一室。元々は殺風景な空き部屋だったが、リノの寝室にするためベッドなどを持ち込み、今はそれなりに居心地の良い内装になっている。

 地下の方がセキュリティが厳しく、アランたちからリノを守るには有利なので、この部屋を仮の寝室に決めたのだ。

 リノの看病に際し、家に地下があることを初めて聞かされた美穂は微妙な顔をしたけれど、特に詮索もせずに受け入れてくれた。

兄者あにじや……お帰りなさい……。無事で良かった……」

 かぼそい声でリノが迎えた。ベッドの上半分をリクライニングさせ、マットに背中を預けて半身を起こしている。目に生気はなく、存在すらも朧気おぼろげで、幽霊のようにさえ見える。

 美穂は左手にわんを持ち、右手のスプーンをリノの口に近づけているところだった。

「食べさせてもらってるのか」

 盟人の言葉に、リノが弱々しくうなずく。

「ん。スプーン、持てなくて。こぼしちゃったから、美穂が手伝ってくれてる」

 声を出すのもつらそうだ。

 美穂がスプーンでかゆをリノの口に入れる。

 リノはむこともできず、口の端から汁がこぼれた。

 盟人が指で汁をき取ってやると、リノは目を背ける。

「そんなこと、しなくていい」

「あ、悪い。つい……」

 普段は世話をして欲しがるのに、今日は様子が違う。介護のようなことをされるのがえられなかったのかもしれない、と盟人は思う。

「もう、食べられない。リノは眠りたい」

 リノは唇をつむって目を閉じる。けれど、碗にはほぼ満杯に粥が入っている。小食のリノとはいえ、ここまで食べないのは異常だ。

 盟人がリクライニングを戻してベッドを水平にすると、リノは死んだように眠り始めた。寝息の音も聞こえず、本物の死人にしか見えない。

 時間が経ったらちゃんと起きてくれるのだろうか。

 盟人はそう感じてしまう。

 このまま妹が目を覚まさなかったら、自分はどうしたらいいのか。

 守るべき唯一の家族を、失ってしまったら、と。

 足下がぐらつくような感覚に、盟人は目まいがした。こんな感覚、長らく味わったことはなかった。これは……八年前、妹が魔法研究所に連れ去られたときの味だ。

 いるのが当たり前の存在。

 空気のような存在。

 それは空気であるだけに、なくなってしまえば最大の苦痛をもたらす。肉体の痛みなど比べるべくもない、魂の苦痛を。はらわたの引き裂かれるような痛みを。

 だが、盟人の苦しみよりも、衰弱していくリノの苦しみの方が、何百倍も大きいだろう。小さな体で耐え続けるのは、きっともう限界だ。

「早く……助けないと……」

 盟人は妹を見下ろしながら、奥歯を嚙み締めた。



 銃声が鳴り響く。

 怒号が吹き荒れる。

 銃弾のあらしの中を、漆黒のコートが駆ける。

 怪盗王フアントムが宙を舞い、警備兵の頭上に急降下した。

 その頭をわしづかみにするや、全体重をかけてのしかかり、床のコンクリートに後頭部をたたきつける。鈍い打撃音。骨の砕ける音。

 警備兵はくぐもった悲鳴を上げて動きを止めた。血と泡の混じった唾液があふれる。

 盟人は警備兵の上から跳ね起きた。

 周囲には、ものの数秒で盟人が沈黙させた他の警備兵たちが倒れている。ある者は血を吐き、ある者は仲間の銃撃で脳を貫かれ、ある者は盟人に顔面を叩きつぶされて。

 そこは、エデン製薬の工場の中だった。といっても、今ではバベル工業がエデン製薬から譲り受け、ソウルジェネレーターの研究に使っているらしい。

 コンクリートの打ちっ放しの床は、味気ない灰色。

 ただし、盟人が工場に侵入した二階の窓からここまで、警備兵たちの血に染まっている。

 怪盗王フアントムの通り道は、地獄に変わっていた。

「よし、完了。進むぞ。ソウルジェネレーターはこの先だ」

 盟人は同行しているドリスの方を振り返った。

 ドリスはしり込みしたように半歩後じさる。

「ちょ、ちょっと、盟人……? もしかして、あせってる?」

「なぜそう思う」

 盟人が目を見据えると、ドリスは視線を泳がせる。

「だって、いつも以上に容赦ないし、なんか倒すことしか考えてない感じっていうか……」

「当たり前だ。リノを救うためには、確実に迅速に障害物を排除しなきゃいけない。容赦なんてする暇はない」

「そうだけど……、でも……。今の盟人、見てるとつらいわ……」

「つらい……? なんでだ?」

 盟人が眉をひそめたとき。

 足下で、爆発音がとどろいた。

 重い衝撃。コンクリートの床が一瞬で砂利じやりと化し、泡立つかのように盛り上がる。

 突然すぎる出来事に、ドリスは表情さえ変えていない。

 盟人はとっさにドリスを抱き寄せ、転がりながら脇へ避けた。

 床を貫き、瓦礫がれきはじき飛ばし、一階から巨大な物体が飛び出してくる。

 巨大人型戦車ゴーレム

 しかも、あかい。

「ふふふふ! よく来たわねえ、怪盗王フアントム! ここをねらうと思っていたわ! データベースに載っている施設の中じゃ、ここが坊やの家に一番近いものねえ!」

 勝ち誇ったようにコックピットで笑うのは、キャンディスだった。

 目をつり上げ、ルージュの唇を大きく引いて、盟人を見下ろしている。

 ゴーレムが二階の床に着地すると、地響きが鳴った。

 盟人の進路方向を塞いで仁王立ちする巨体。あれを排除しなければ、ソウルジェネレーターのある部屋にたどり着けない。

 盟人はドリスを床に下ろし、軽く背中を押して自分から離れさせた。

 全身に警戒をみなぎらせながら、ゴーレムと対峙たいじする。

「また一人で来たのか。部下たちはどうした」

「役に立たない連中をいくら連れてきても、邪魔になるだけでしょう? それに、あんたみたいに面白おもしろい獲物、人に譲るなんてもったいないからね!」

 キャンディスのあやつ巨大人型戦車ゴーレムが、恐るべき勢いで盟人に飛びかかってくる。

 その物量と速度に空気の塊が押され、荒々しく吹きつけてくる。

 圧倒的な重量感を持って迫ってくる様は、もはや巨竜ドラゴン

 破壊のためだけに生み出された豪腕が、盟人に向かって叩きつける。

 それは飛び退く盟人の肩をかすり、壁に激突した。

 コンクリートの堅牢けんろうな壁が、いともたやすく砕け散る。張り巡らされた鉄筋がゴムのようにゆがみ、反り返り、金切り声を上げる。

 壁にめり込んだこぶしを、ゴーレムは即座に引き抜いた。ボディを回転させながら盟人の方へ向き直り、リーチの長い腕でぎ払おうとする。

 盟人はその腕が自らの体に到達するより速く、バック転して距離を作った。

「さすが怪盗王フアントムねえ! もっともっと私をたのしませなさい!」

 ゴーレムの頭上に魔法陣が広がる。

 魔法陣から無数の銃口が突き出し、紅蓮ぐれんの弾丸を放ち始める。

 銃声がうなり、高熱が空気を染めた。

 弾丸が壁に突き刺さると、コンクリートが溶け、鼻を突く異臭を生じさせる。蜂の巣になった鉄筋がぐにゃりと曲がる。

 体内に入れば、壮絶な焦熱地獄にさいなまれるであろう弾丸。

 その乱撃のあいだを、盟人は駆ける。

 弾丸が頰をかすり、靴をがし、コートを貫く。

 けれど、肉体が損なわれることはない。常人の動体視力を越えた怪盗王フアントムの機動に、ゴーレムは狙いを定められず右往左往する。

 キャンディスの乱射に、体感温度が数十度は上がる。

 盟人は弾丸と踊るようにして戯れ、ゴーレムとの距離を詰め始める。

「そろそろお前はバベル工業から退職してるころかと思ったが、まだ鎖につながれたままなのか」

「大人には事情があんのよ! こんな面白い獲物に出逢であえるなら、鎖もイイものだわ!」

「ふん、随分気に入られてしまったみたいだな」

 巨大人型戦車ゴーレムが盟人に突進してくる。

 床を立て、破壊し、火花を上げて。

 振り下ろされる拳の風圧を感じながら、盟人はゴーレムのふところに飛び込んだ。

 両脚のあいだをくぐり抜け、床を蹴ってボディの後ろに跳び乗る。幻肢フアントム・リムの右腕を突き入れ、ゴーレムの配線を引きちぎろうとする。

 ゴーレムの両腕は盟人を追尾できていない。背後に曲げることはできないから、背中に取り付いている盟人は死角になっている。

 そのはずだった。

 だが、両腕が動きもしていないのに、盟人の体を強烈な衝撃が襲う。

 内臓の一つか二つが、持って行かれた。

 意識が白く染まり、皮膚がすり潰される感覚と共に、盟人は叩き飛ばされる。

 壁に肩が押しつけられ、次いで砕けた。

 なだれかかる瓦礫。

 さらなる衝撃。

 激痛。

 激痛。

 激痛。

 激痛。

 ゴーレムの両腕は一切いつさい攻撃してきていないのに、盟人の体には攻撃が、痛みが、殺意が絶え間なく叩きつけてくる。暴力の嵐が降り注ぐ。

 まぶたが切れ、視界を赤に汚した。

 ──なんだ、これは……? どうなっている……?

 人知を絶する痛みの中で、盟人は血の染みるまぶたをこじ開けて目を凝らす。攻撃を加えてきている『なにか』は、まったく見えない。

 一瞬、不可視の乱打が収まった。

 盟人はそのすきをとらえて飛び出し、ゴーレムに接近しようとする。

 しかし、すぐ衝撃が襲いかかってきて、盟人を床に叩きつける。全身の骨がねじ曲がる痛みと共に、床に亀裂が走った。

 重くて大きな『なにか』が、とてつもない力で盟人を床に押しつけ、口から内臓を吐き出させようとしてくる。

 肺の空気が押し出され、ゆっくりと肋骨ろつこつがへし折られていく。

 抜け出そうにも、人間の力をはるかに超えたパワーに圧倒され、身動きすら取れない。

 巨大人型戦車ゴーレムの中、魔法陣に鎖で縛られたキャンディスが薄く笑いを浮かべる。

「あら坊や、もうギブアップなの? そんなんじゃ楽しくないわあ。もっと私の退屈を紛らわせてくれないと……このまま潰すわよ?」

『なにか』が盟人の体を握り締め、空中に持ち上げた。

 ぎりぎりと締め上げられ、盟人の体から血が滴り落ちる。

 正気を搾り取るような痛みに、盟人は歯を食い縛る。

「や、やめて! やめなさい! 私のご主人様をっ……離せ!」

 叫び声と共に、ドリスが剣型魔導具ソードデバイス巨大人型戦車ゴーレムの正面に斬りかかった。魔剣の刃とゴーレムの装甲のあいだで火花が走り、甲高いきしみを上げる。

 が、装甲には傷さえつかない。

「邪魔よ!」

 キャンディスが怒鳴り、不可視の攻撃によってドリスが吹き飛ばされた。

 ドリスの悲鳴。

 盟人の体を圧迫していた『なにか』が消える。盟人はその機を逃さず駆け出し、宙を舞うドリスの体を抱き止める。すぐさまゴーレムから距離を置き、加工機械の陰に身を潜める。

 盟人の腕の中で、ドリスがうめいた。

「ご、ごめん……役に立たなくて」

「いや、お前は充分に役立った。これで考える時間ができた」

「え? 私、役に立ったの? そっか、役に立ったのね……」

 うれしそうにつぶやくドリスは放っておいて、盟人は状況を分析する。工場の中を歩き回って盟人を捜しているらしい地響きが聞こえるから、あまり時間はない。

 攻撃してきている『なにか』の正体は分からない。が、それはたいした問題ではない。問題は、『なにか』が見えないということだ。敵がなんであろうと、見えさえすれば反撃はできる。だとしたら、必要なのは無を有にするということだが……。

 盟人は工場内に視線を巡らし、使えそうなモノを見つけた。

 丸い小型のガスタンク。太い金具で床に固定されており、タンクに繫がったパイプが工場のあちこちへと分散している。あれならよく働いてくれるだろう。

 盟人はドリスのスカートのポケットに手を突っ込んだ。なめらかな布越しに、はち切れそうな太ももの感触。ドリスが跳ね起きる。

「きゃ──────!? ななななにしてるのよ!? いきなりセクハラ!? こんなときに!?

 盟人から飛び退き、真っ赤な顔で手を振り回して抗議する。

「誤解するな。お前に持たせておいた魔導爆弾を取り出そうとしただけだ」

「だったらそう言いなさいよ! 誤解するわよ! こんなときにやめてよね!?

「いいから貸せ」

 こんなときでなければ構わないのかときたくなる盟人だが、その時間もない。ドリスに手を差し出して要求する。

「わ、分かったわよ……」

 ドリスは盟人が手を突っ込んだのとは逆のポケットから、小さな魔導爆弾を取り出した。薄い円盤型の爆弾。表面には魔法陣と、炎を吐く蛇の紋様が描かれている。

 盟人は魔法陣をなぞって魔導爆弾を起動すると、ガスタンクに向かって放り投げた。

 魔導爆弾は見事にガスタンクの上に着地する。魔法陣から赤い蛇が何匹も飛び出し、ガスタンクの周囲を飛び回り始めた。

 爆音。

 赤い蛇に囲まれたエリアに炎の柱が噴き上がる。

 ガスタンクが張り裂け、内部のガスに引火し、物凄い勢いで業火ごうかが溢れた。

 あっという間に炎はフロアの隅々まで舌を伸ばし、火の海となる。

 白煙がもうもうと上がり、辺りを満たしていく。

「盟人!? なんで放火するのよ!? 私たちも死ぬかもしれないっていうか、私たちだけ死ぬでしょ!? 相手はゴーレムの中にいるのよ!?

「大丈夫だ。これでいい」

「良くないわよ! もうもうっ、ほらほら! 煙が回ってきたし!」

「息を止めていろ。十分くらい」

「無茶言わないでよ! 余裕ぶってる場合じゃないわよーっ!」

 ドリスはパニック状態で盟人の体を揺さぶる。

 そこへ、キャンディスの巨大人型戦車ゴーレムが姿を現した。窓から射し込む光も、炎が照らす光もさえぎって。盟人とドリスの上に、大きな影を落とす。

 薄暗いコックピットの中で、キャンディスが唇をつり上げた。

 異様なまでに両眼が見開かれ、瞳孔が拡張する。

怪盗王フアントム、みーつけたああああああ……」

 燃え盛る業火の音に混じって、愉悦に満ちた笑い声が響き渡る。

 盟人は加工機械の陰から飛び出し、ゴーレムの背後へと転がり込んだ。ゴーレムは俊敏に転回。駆ける盟人の姿を追って、魔法陣から紅蓮の弾丸を撃ちまくる。

 銃弾が盟人の耳元をかすめ、鋭い痛みが走った。

 盟人は炎の勢いが激しい方、激しい方へと、ひたすら弾丸をかいくぐって疾走する。

 背後からはキャンディスの笑い声と、巨大人型戦車ゴーレムの地響きが迫ってくる。

「あーららー? どうしたのかしら、焼身自殺でもする気かしらー? 煙の中に逃げ込めば無事に済むと思ったのかしらー? 馬鹿ばかねー、逃がさないし楽に死なせもしないわよ♪」

「ふん、言ってろ」

 盟人は荒れ狂う炎をものともせず、その只中ただなかに踏み込んだ。

 熱波が襲う。じりじりと皮膚が焼け、髪の毛の溶ける生臭いにおいが鼻を突く。

「ちょっと、盟人────!?

 遠くからドリスの悲鳴が響いた。判断能力を失ったと思われても仕方ない。けれど、盟人は飽くまでも冷静だ。

 できる限り煙を吸い込まないよう息を抑え、火炎地獄で敵を待ち構える。

 頑丈な巨体で炎を搔き分けながら、巨大人型戦車ゴーレムが現れた。相変わらず装甲に傷はなく、すすもつかず、戦闘が始まったときと変わらぬ偉容を誇っている。

 周囲に鮮紅をまとって立つ堂々たる姿は、あたかも炎の化身。

 その腹で炎にギラギラと眼を光らせるキャンディスは、炎の精霊のようだ。

「ふふふ……逃げても無駄って言ったでしょう? その先は行き止まり、焼かれて死ぬかなぶられて死ぬかの運命しか待ってないわ……」

 勝ち誇るキャンディスをよそに。

 怪盗王フアントム双眸そうぼうには、不可視の『なにか』の正体が、はっきりと映っていた。

 立ち込める煙の流れが途切れ、ぶつかっているところ。

 吹き荒れる炎が侵すことのできない、空間の一部。

 巨大人型戦車ゴーレムの上に、巨人のてのひらのような透明の物体が輪郭を暴かれていたのだ。

 それ自体を見ることができなくても、周囲の煙を見れば、正体はえる。

「お前、恥ずかしくないのか? 大事な大事な秘密兵器が丸見えだぞ?」

「……っ!?

 盟人が笑うと、キャンディスはハッとして天井てんじようを見上げた。不可視の腕の輪郭が表れていることに気づき、唇を歪めるが……、すぐにまた笑みを浮かべる。

「だから、どうしたっていうのよ? この無知の拳アトラフアクタはねえ、ゴーレムの本体とは繫がっていないの。つまり、リーチは無限大、動作は予測不能。見えていたって、だれも避けられない!」

 無知の拳アトラフアクタが、ゴーレムの上から放たれた。

 腕はなく、ケーブルもなく。

 放物線を描くことさえなしに、理不尽な軌道を描いて盟人に襲いかかってくる。

 その速度たるや、魔法陣の放った弾丸を遙かに超え、追い越し。

 怪盗王フアントムの肉体を叩き潰さんとして、空気を白熱させながら肉迫する。

 盟人は高々と跳躍した。

 虚空を曲芸師のように舞い、無知の拳アトラフアクタの攻撃をかいくぐる。

 天井をしたたかに蹴りつけ、ゴーレムを急襲する。

 無知の拳アトラフアクタにも、無知の拳アトラフアクタを操るキャンディスにも、反応に必要な刹那のときさえ与えない。

 殺戮さつりくの修羅となりて、巨大人型戦車ゴーレムのボディに靴底を叩きつける。

 堅牢な装甲に、幻肢フアントム・リムの右腕を突き入れる。

 キャンディスの両眼が、かろうじて怪盗王フアントムの接近を認識し、わずかに見開かれた。

 だが、それが完全に開かれるまでの時間すらない。

「──見えていれば、当たるわけがないだろう?」

 怪盗王フアントムが、わらい。

 その右腕が、コックピットからキャンディスを引きずり出した。

 悲鳴を上げて床に転がり落ちるキャンディス。

 必死に腰のホルスターから銃を抜こうとする。

 が、盟人が隙を与えない。キャンディスの体に飛びかかり、馬乗りになり、左右の手首を床に押しつける。

 盟人の体の下で、キャンディスのつややかな肢体がもがいた。拘束から逃れようとして、身をよじり、胸を揺らし、服を破けさせる。悔しげなあえぎ声が漏れる。

 けれど、盟人の強靱な肉体にはあらがすべもない。銃は奪われ、押さえられた両手と両脚はびくともせず、抵抗は無意味であると告げている。

 それを悟ったのか、キャンディスの目から戦意が失せた。

 唇が緩み、瞳に恍惚こうこつが浮かぶ。

「……あはっ。この私が男に負けるなんて……ぞくぞくするわぁ。好きになさいよ」

 炎にかれ、上気した頰。豊かな胸が激しく波打っている。

「余計なことをしないよう、ついてきてもらおうか。ソウルジェネレーターを確保したら解放してやってもいい」

「殺さないと、後悔するわよ?」

 キャンディスは苦しげな息を吐きながらも、挑発するような眼差しを向けてくる。

 盟人はその視線を見下ろす。

「後悔はしないさ。お前となら、何度ダンスしてやってもいい」

「ふふ……楽しみだわ。次はあんたが死ぬときだけどね……」

 キャンディスは盟人が自分の上から起き上がっても逃げ出そうとしない。

 ドリスから背中に剣型魔導具ソードデバイスを突きつけられても、仕方なさそうに肩をすくめるだけで、大人しく盟人についてくる。

 盟人はキャンディスの行動に目を配りながら、火の海を進んだ。

 作業機械やベルトコンベヤの並ぶ広い空間を抜け、通路を歩く。

 壁の警告灯が赤く明滅し、サイレンが鳴り響いているが、誰も駆けつける者はいない。戦う力のある者は、すべて盟人が始末してしまったらしい。

 通路の突き当たりには、重々しい金属の扉があった。扉に小さな端末が組み込まれており、IDカードと指紋を認証できるようになっている。

 盟人は幻肢フアントム・リムの右手をドアノブに突っ込み、内部のかぎを破壊して扉を開いた。

「凄い……」

 キャンディスのささやき。その瞳は盟人の姿を映して輝いている。

 盟人は扉を開け、部屋の中に足を踏み入れた。

 そこは白い部屋だった。盟人は実験を受けた場所のことを思い出し、嫌な気分になる。

 壁際に並ぶデスク、パソコン、数多くの計測器。

 金庫のように重厚感のある透明のケースが、部屋の中央に置かれている。

 その中に格納されているのは、半透明のキューブ。内部では幻想的な炎がちろちろと舌を揺らめかしている。表面はほぼ白色なのだが、シャボン玉のように少しずつ色を変え、周囲の光景を反射していた。

「これか……」

 盟人はケースに幻肢フアントム・リムの右手を入れ、半透明のキューブを抜き取った。

 ドリスは恐れ多いものを見るようにキューブを眺める。

「ソウルジェネレーター……。これがあれば、リノを救えるのよね!」

「ああ。やっとだ。やっと、リノを楽にしてやれる」

 盟人は両手でソウルジェネレーターを握り締めた。

 網膜にちらつくのは、病床で伏せっている弱々しい妹の姿。

 思い浮かべるだけで胸が痛くなるが、それも今日までなのだ。約束通り、リノの食べたがっていたアイスを食べさせに連れて行ってやれるのだ。

 盟人はソウルジェネレーターを決してなくさぬよう、大事に懐にしまい込もうとした。

 と、そのときだった。

 キューブ内部の炎が一際ひときわ大きく燃え上がり、渦を巻いて、眼のような形に変わった。黒い輪郭、黄色い瞳。悪鬼を思わせるそれが、ぎらつきながら盟人を見据える。

 そして──キューブから数え切れないほどの管が突き出した。

 管は生き物のようにうごめきながら伸び、盟人の腹に突き刺さる。シャツを貫き、皮膚を食い破って、肉体の奥深くへと侵入してくる。

 鮮血が、ほとばしった。

 盟人はキューブを体から引きがそうとするが、そうすればするほど、キューブからは大量の管が生え、盟人の臓器に襲いかかってくる。肉を貪り、縦横無尽に行き巡り、ギュルギュルとグロテスクな音を立てながら、体にしがみついてくる。

 激痛と、すべてを奪い尽くされるような脱力感。

 盟人は二本の脚で立っていることさえできず、その場に崩れ落ちた。

「め、盟人!? なによこれ!? なんなのよ!?

 ドリスの叫び。

「触るな!」

 キューブを取り外そうとしてくる彼女の手を、盟人は払いのけた。

 このキューブがなんなのかは分からない。けれど、ドリスまでも巻き込んでしまったら取り返しがつかない。それだけは分かった。

 キャンディスは手で口を覆い、目を丸くしている。どうやら彼女も、キューブがこのようなことをしでかすとは予想していなかったらしい。

 だとすれば……と盟人は周囲に視線を走らせる。

 すると、ゆっくりと手を叩く音が、部屋に響き渡った。

 白い床の一面がスライドし、流線型のエレベーターが昇ってくる。

 エレベーターの扉が、静かに開いた。

 そこから拍手をしながら歩み出たのは、バベル工業社長、アラン・スチュワート。

 落ち着き払った足取りで、盟人に近づいてくる。

 皮肉っぽく口角を上げ、無機質な素材を見るような視線を盟人に注ぐ。

「よくお宝にたどり着いたね、盟人くん。これで設備投資のコストが回収できる」

 アランは盟人の顎を指で持ち上げ、にっこりと笑った。

 その笑みに、人間らしい感情は見えない。

 ただ、目と口を動かし、笑みを造った。そんな表情。

 いや、それは表情と呼ぶことさえ難しい。デッサン人形にポーズを取らせたときと同じ不自然さと冷たさが、満ち満ちているからだ。

「社長……どうしてここに……」

 キャンディスが尋ねると、アランは鼻を鳴らす。

「君が予想する程度のこと、私が予想しないとでも思ったのかい?」

「え……?」

怪盗王フアントムが襲撃するとしたら、この工場しかないだろう。だからこうやって適度に警備兵を配置し、君の単独行動を黙認して怪盗王フアントムに自然なストーリーを用意し、最後の工程にトラップを仕掛けた。そういうことだ」

 工業製品のマニュアルを読み上げるように、淡々と説明する。

 ドリスは剣型魔導具ソードデバイスを握り締め、その刃をアランに向けた。

 手を震わせながら、憎々しげににらみつける。

怪盗王フアントムになにをしたか知らないけど、早く解除しなさい。じゃないと、あんたを殺すわ!」

「君の大事な大事な男に、私がなにをしたのか分からないのか」

「だっ……」

 絶句するドリス。その頰が紅潮していく。

「では説明してあげよう。絶望が増した方が、私のリターンも増す」

 脅されているというのに、アランはあわてる気配もない。

「その魔導具デバイスは、ソウルジェネレーターの技術を応用して造った生命波吸収装置アブソーバだ。盟人くんの膨大な生命力を吸い上げ、遠隔地のソウルジェネレーターに送信している。だから……苦しいだろう、盟人くん? 苦しくてたまらないだろう?」

 意識が遠くなるほどの脱力に、盟人は眼を開けているのがやっとだった。浅く呼吸をしながら、アランを睨み据える。

「さて、生命波吸収装置アブソーバはその一機だけではない。既に、日本地区のあらゆる中核都市に、生命波吸収装置アブソーバをばらまいている。それらは日本地区の全住民の生命力を吸収し、我がバベル工業のソウルジェネレーターに送信する」

「そ、そんなことしたら、みんな死んで……」

 ドリスは声をわななかせた。

「もちろん、死ぬだろう。彼らの生命力は新開発の巨大人型戦車ゴーレムに注ぎ込まれ、最強の軍勢が完成する。これが私の『一億総死者計画』。そして、私が日本地区に来た理由だよ」

 アランは得意げに語って聞かせた。

 盟人は声を絞り出す。

「馬鹿、が……。自分の計画を、よりにもよって俺に話すなんて……」

「問題ない。なぜなら、数日後には日本地区の全市民にテレビで公表する内容だからだ。彼らは怒るだろう、苦しむだろう、絶望するだろう。命の危機を感じるほどに、生物は生命力を燃え上がらせる。すなわち、この地区から採掘できるエネルギーが増えるわけだよ」

 人間の命を、鉱石資源かなにかと同列に扱う。

 底冷えのするような、魂の冷たさ。

 それにたじろいだのか、ドリスは剣型魔導具ソードデバイスを握ったまま小さく後じさった。

「既に、日本地区には呪的結界を張っているから、誰も逃げられない。ギラドの魔導実験が引き起こした大災害に見えるよう仕組んでいるから、十賢老じゆつけんろうたちに私が疑われることもない。盟人くんから奪う大量の生命力のお陰で、私の新たな軍勢は神々の域に達する。完璧かんぺきだ」

 アランはくすくすと忍び笑いを漏らす。

 ドリスは歯を食い縛り、アランに突進した。紅の髪を踊らせて、刃を振るう。

 だが、アランはドリスの刃を蹴り飛ばし、その頰に靴を叩きつけた。

 ドリスの体がもんどり打って床に倒れる。アランは胸元むなもとから拳銃を抜き、銃口をドリスに向けた。一発、二発と銃声。ドリスのひざが砕け、血が噴き上がる。

 ドリスは悲鳴を上げて床にいつくばった。

 その姿を、まったく表情を変えずにアランが見下ろす。

「どうだい、痛いかい、苦しいかい、許せないかい。もっともっと怒るがいい。悲しむがいい。君たちの生命力を、私にすべて譲ってくれ」

「くっ……」

 ドリスのつめが、床を引っ搔く。指から血がにじむ。立ち上がろうとしても、砕けた膝ではまともに動くこともできない。

 盟人は力を振り絞って、ドリスのそばに這い寄った。アランの銃口からかばうように、ドリスのからだを抱きすくめる。ドリスが嗚咽おえつを漏らす。

 そんな二人を、アランが一瞥いちべつし。

「それでは、永遠の別れを。日本の終焉を、最期まで見届けるがいい」

 靴音を響かせて、部屋から立ち去っていく。その後をキャンディスが追いかける。

 戸口からは炎が忍び寄り、貪欲な大顎で盟人たちをみ干そうとしていた。



 高架道路を、車が走る。

 怪盗王フアントムとの戦いで火照った躰が落ち着かないキャンディスは、両腕を抱き締めるようにして車内のシートに座っていた。

 日本地区に来たとき、繁栄を極めているように見えた車窓の景色。

 高層ビル、富の蓄積、健康な住民たち。

 けれどそれは今や、滅びを待つばかりの砂上の楼閣に見えた。

 キャンディスの向かいには、アランが頰づえを突いて腰かけている。予定通り、思い通りに一仕事終えたという満足げな空気が、彼の周りには漂っていた。

 そう、アランにとって、日本地区の終焉とはビジネスの一部でしかないのだ。

 良心の痛みを味わうことも、残酷な感情に駆られることもない。ただ、利益のために必要だから、日本地区の住民を処分する。それだけなのだ。

 この男を近くで見てきたキャンディスには、そのことがよく分かった。

 けれど、分からないことがある。

「ソウルジェネレーターと新型のゴーレムで最強の軍勢なんて作って、どうするつもりですか? 開発費も維持費も馬鹿にならないと思いますけど」

 キャンディスの問いに、アランは愉しそうに答えた。

「十賢老の筆頭になれば、投資はすぐに回収できるだろう?」

「え、それって……」

「そう。新型の巨大人型戦車ゴーレムで世界政府軍と、十賢老の私兵を殲滅せんめつする。そうすれば私は十賢老の筆頭となり、世界中の経済を思うがままに操れるようになる」

 キャンディスは体が凍りつくのを感じた。

 聞きたくないことを、聞いてしまった。よりにもよって、他の十賢老への裏切りなど。好奇心は猫をも殺すとは、よく言ったものだ。

 ここまでの秘密を明かした以上、アランはキャンディスに途中で抜けることを許さないだろう。すべてに決着がつくまで、運命共同体にならざるを得ない。

 さもなければ、アランはなんのためらいもなく、秘密保持のためにキャンディスを処分するだろう。死体は生ゴミとして捨てられ、誰の立ち会いもなく焼かれるに違いない。

 キャンディスはかすれた声を絞り出す。

「あ、あのー、世界政府軍には、昔の同僚もたくさんいるんですけどねー……」

「殺せ」

 一言、あらゆる抗弁を拒絶して、冷淡に。

「学生時代からの友達も、いるんですけど……」

「君は優秀だから、金はいくらでも払ってやる。そして私が十賢老の筆頭になったときは、最高の栄華が君にもたらされる。くだらぬ感傷よりも、利益を最優先にすべきだろう?」

 アランは、穏やかに微笑ほほえんだ。殺人を命じながら、ここまで綺麗きれいな笑顔を見せられる人間など、キャンディスは会ったことがなくて。

「そうですね……自分の利益が、大事ですよね……」

 呟くことしか、できなかった。