「それは……」

 声が揺れる。

 わずかな狼狽ろうばいを映して。

「ソウルジェネレーターを渡せと言ったね。渡すわけにはいかない。そして、君には持っている情報をすべて渡してもらう。ギラドの右腕から聞き出したいことはたくさんあるんだ」

 アランは人差し指でガイの顎を持ち上げ、無機質なレンズを寄せて瞳を覗き込む。

 そこには、人間に対する眼差まなざしはない。

 あるのはただ、利用価値の存在する物体への、品定めする視線のみ。

「貴様のような盗人に渡すものなど……何一つ存在しない!」

 ガイの両腕が膨れ上がり、床に叩き付けられた。その反動で、彼の体が宙を舞う。床を転がるようにして後退すると、ガイは歯を嚙み締め、大きく跳躍して窓に飛び込んだ。

 窓ガラスが砕け、月光にきらめきながら華々しく散る。

 ここは二階だというのに、ガイはそのまま闇夜に躍り出る。

 アランが怒鳴った。

「キャンディス!? なぜ撃たなかった!」

「すみません! まさか動けるとは思わなかったので、突然すぎました!」

「追え! 奴を捕まえろ!」

「了解!」

 キャンディスも窓から飛び降りる。

 銃声。怒鳴り声。悲鳴。破壊音。

 外から物騒な音が続き、会場の富豪たちはおののいている。恐怖の前にはあらゆる虚飾がぎ取られ、人はその本質をさらけ出す。

「この音波を浴びて動けるなんて、意外とやるじゃないか。根性だけは一人前かな?」

 アランは窓から外を見下ろして呟いた。

 音波の再生を止めると、スマートフォンを胸ポケットにしまってホールを出て行く。その彼に警備員や警官が駆け寄り、大勢で廊下を去っていく。ガイを狩るつもりなのだろう。

 ホールに残された富豪たちは皆、呆然ぼうぜんとしていた。

 一言も発さず、立ち上がることもできず、ただ主賓の去った方向をぼんやりと見ている。なにをしたらいいのか分からないといった様子だ。

 インカムから聞こえていたリノの悲鳴は、消えている。

 その代わりに聞こえてくるのは、途切れ途切れの苦しそうなあえぎ声。

 ──この世界は、残酷だ。

 盟人は世界を呪う。これまで幾度もしてきたように。

 脳裏で線が像を結ぶ。記憶が事実を浮かび上がらせる。

 不死身のガイを見たリノが、知性を維持したデスウォーカーを他に知っていると言ったこと。

 ソウルジェネレーターが持ち出され、リノがギラドの護衛兵のように衰弱したこと。

 ガイを苦しませた音波に、リノまで反応してしまったこと。

 すべてが一つの結論をほのめかしていて……、盟人は四肢の力がえていくのを感じる。

 そうではないと思いたいのに、否定することができない。

 盟人は、れた喉でささやいた。

「リノ……。お前は、デスウォーカーなのか……?」



 日本地区の有力者たちとの親睦パーティを催したホテル。

 その最上階は、アランが日本地区における臨時のオフィスとして、フロアごと借り切っていた。エデン製薬との結びつきは深めているが、まだ固定のオフィスは準備が済んでいない。

 伝統あるこのホテルの最上階はスイートルームとなっており、世界政府が樹立するより昔は国賓や王侯貴族が用いていたらしい。

 時代がかった調度品、ふんだんに使われた高級木材、割ったら生涯年収でも弁償できないであろう彫刻……そんなものが並んでいる空間に、キャンディスは居心地の悪さを感じる。

 金は嫌いではないが、高級品に興味はない。金があれば飲んで、食べて、遊んで、そういうふうに注ぎ込むのが、人生の楽しみ方だと思うのだ。

「影島盟人の自宅をギラドの部隊が襲撃した件について、記録は見つかったか?」

 重々しい執務机からアランが尋ねた。机の上で組んだ手の甲に顎を載せ、冷たいレンズをキャンディスに向けている。

 キャンディスは小型端末を操作してメモを表示する。余計な残業を押しつけられないためにも、やるときはさくさく仕事を進めるのがキャンディスのスタイルだ。

「まったくないですねー。すべての情報が、エデン製薬のデータベースからも、ギラドのコンピュータからも抹消されてます。痕跡すら残ってませんけど、あれだけの軍事作戦について記録を取らないはずがないので、人為的な削除でしょうね、恐らく」

 アランの眼が光る。

「十賢老のサーバに侵入するとは、よほどのクラッカーがついているようだね。作戦に関わった護衛兵たちから事情聴取はできたか?」

「聞き込みを元に関係者のリストを作成して、全員当たってみました。でも、全然ダメ。作戦の目的を知っている士官は、みんな死亡しているか、意識不明の重体になっていました」

 キャンディスは苦々しい口調で報告した。

「なるほど……消されたか。どこかの誰かは、よほどその事件について知られたくないみたいだね。結局、ギラドがなぜ影島盟人の自宅を襲撃したのか、理由さえ分からないと」

「ええ。まあ……なんとなく分かりますけどね」

「ああ。大抵の馬鹿ばかは分からないだろうが、我々のようにまともな頭を持っている人間なら、簡単に推測できる」

 アランは非常に楽しげだった。

 机の上に置かれた調査ファイルをめくり、味わうようにして目を走らせる。そのファイルに記載されているのは、盟人の住所、学籍、家族構成、経歴などの詳細データだ。

「日本地区に……こんな大きなケモノが潜んでいたとはね……」

 アランは呟く。

「世界政府に報告しますか? 十賢老を殺した怪盗王フアントムなら、即座に公開処刑でしょうが」

 キャンディスが尋ねると、アランは馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「そんなもったいないことをするものか。彼は利用価値がある」

「世界一の大罪人を……利用すると?」

 キャンディスは呆れた。情報を隠匿していたことが他の十賢老たちにバレたら、どんな目に遭わされるか想像もつかない。

「物事は損得計算で考えるべきであり、あらゆる倫理を超えて利益を追求すべきなのだよ。怪盗王フアントムが捕まっても、我々はまったく得をしないだろう?」

「損得計算ですか。随分ドライですよね」

 雇われたときから分かってはいたが、改めて実感する。

「ウェットではいけないのだよ。私の父を……知っているだろう」

「ええ、まあ。立派な経営者として有名でしたからねー。どんなにバベル工業が業績不振になっても、絶対に人員を解雇せず、守り抜こうとしたヒーローですね」

「ふん、立派、立派か。馬鹿らしい。そのせいで無駄な人材を山のように抱え、バベル工業とスチュワート一族の凋落を招いたんだ」

 アランは肩をすくめる。

「結果として、家庭の空気は最悪だよ。私が幼い頃、母も家を出て行った。優しい優しい、愚かな父のせいでね」

 憎々しげに顔を歪める。ここまで彼が露骨に内心を覗かせるのは珍しい。よほど父親のことを嫌っているのだろうと、キャンディスは思う。

 だが、すぐにアランは表情から怒りを消した。机の上の調査ファイルから、盟人の顔写真をつまみ上げる。

 高校生にしては大人びた……妙に悟りきった表情の少年。

 幸福薬マナタブレットを飲んでいる人間なら、こういう闇を瞳に宿していたりはしない。

「ああ……、楽しみだよ、盟人君。君が私のモノになるときがね……」

 アランはほくそ笑みながら、写真の盟人を指でなぞった。