カーテンの閉じた部屋で、無機質な照明が白い光を降らせている。

 人間味を感じさせないほど白い肌のリノが、白いシーツの掛け布団ぶとんかぶって、白いノートパソコンを操作していると、すべてが作り物じみて見える。

 商店街で倒れてから一晩がったが、リノの症状はかんばしくない。食事のときもリビングに移動できず、自分の部屋でかゆを食べただけだった。

 盟人めいと、シア、ドリスは、椅子いすに腰かけてリノを見守る。

 ドリスが小声で盟人にいた。

「ねえ……リノちゃんはなにを調べてるの?」

「エデン製薬のデータベースをハッキングしているらしい。ソウルジェネレーターが今どうなっているか、状況を調べるって言ってたな」

すごいですね……まだ小さいのに、そんなことまでできるなんて」

 シアは目を丸くする。

 リノは肩で息をしながらキーボードをたたいていた。指さばきにいつものキレがない。座っているだけでもつらいのだろうが、情報収集でリノの代役になれる者はいないのだ。

 リノがタイピングの手を止め、息をついた。

「状況が分かった。エデン製薬の作業記録によれば、ある日を境にカミシロ・シティから次々とソウルジェネレーターが持ち出されてる」

「ある日って?」

 ドリスが首をかしげた。

「ギラドが兄者あにじやに倒された日の、翌日から。恐らく、ギラドが死んで部下の統率を取れなくなったのだと予想」

「独裁者を失った砂上の楼閣ってことか」

 盟人は顎をひねった。秩序を保たせるための機能としては、独裁者に勝るものはない。それは、一神教に支配されていた時代の世界を振り返れば明白だ。

 ある意味で、十賢老じゆつけんろうに管理された寡頭政治は、最大限に秩序を実現しているとも言えるのだ。代償として払われる犠牲──人権が踏みにじられ、自由意志さえ奪われること──は、あまりにも大きすぎるけれど。

「ん。ソウルジェネレーターは生命波リブラを生成して、ギラドのおひざ元のカミシロ・シティにばらまいてた。ソウルジェネレーターが持ち出されて生命波リブラが減ったせいで、リノは生命力が足りなくなってしまったんだと思う」

「ひょっとして……最近続いていた衰弱死事件って、それが原因ですか?」

 シアが柳眉を寄せた。

「多分、そう。商店街でしなびて死んだ護衛兵も、明らかに生命力が不足してた」

 ドリスがあわてたように尋ねる。

「じゃ、じゃあ、リノちゃんも放って置いたら、あんなふうになっちゃうの?」

「時間の問題」

 リノは表情を変えずに言い切ったが、その手は震えていた。

 盟人は商店街でのことを思い浮かべ、暗澹あんたんたる気持ちになる。もしリノがあの護衛兵のように無残な死に方をしたらと考えると、吐き気が込み上げる。

 そのような結末だけは、なんとしても避けねばならなかった。

「ソウルジェネレーター、リノが作れないのか?」

 リノはゆっくりと首を振った。

「不可能。設計図はエデン製薬のデータベースから入手できるけど、製造には大がかりな魔導装置が必要になる。それに、製造には少なくとも一年かかる」

「それじゃ間に合わないわよね……」

 ドリスが表情を曇らせる。

おれが、盗み出すしかないな。そのソウルジェネレーターとかいう魔導具デバイスを」

 盟人は椅子から立ち上がった。

「報酬にはいくら必要? リノもドリスみたいに兄者の奴隷になるべき?」

 リノは盟人を見上げて尋ねた。

 盟人は笑いながらリノの頭に手を置く。

だれがお前から金を取るかよ。いつも仕事を手伝ってもらってるし、これぐらい安いもんだ」

「ありがとう……。ソウルジェネレーターのありかを調べる」

 リノは再びノートパソコンの画面と向き合った。

 細い指がキーボードのあいだを行き巡り、画面が目まぐるしく移り変わる。画面が映り込んでいるリノの双眸そうぼうは、それ自体が機械の画面でもあるかのようだった。

 盟人とドリスとシアは、リノの作業を眺めて待つ。

 リノが首を傾げた。

「……ネットの調子が悪い。日本地区の外のサーバにまったくアクセスできない」

「通信障害か?」

「原因は不明。でも、こんな大規模な障害は初めて。仕方ないから、日本地区内のサーバだけで情報を集めてみる」

「頼んだ」

 盟人にはコンピュータの詳しいところまでは分からないから、リノの腕を信じるほかない。そして、この妹は誰よりも信頼できる。

 キーボードの音、マウスをクリックする音、ハードディスクの駆動音。

 静謐せいひつの中を作業音と、四人の息づかいが満たす。

 やがて、リノが口を開いた。

「ソウルジェネレーターの位置データは見つからない」

「そうか……。エデン製薬の研究所を一つずつしらみつぶしに探していくか……?」

 大変な労力が要るだろうと盟人は思うが、背に腹は代えられない。どんなことがあっても、妹の命を失うわけにはいかないのだ。

「でも、エデン製薬からバベル工業に重要な品を移送する、という通達は見つかった。日時も指定されている。今日の……午後三時にエデン製薬の第十一研究所を出発する」

「それって、ソウルジェネレーターなのかしら?」

「不明。でも、けてみる価値はある」

「輸送中なら守りにくいし、ソウルジェネレーターを奪うにはもってこいだな……」

 盟人は丸めた手を口元に添えて思案した。

「ん。途中で空路を使うらしいから、エデン製薬の研究所と最寄りの空港の位置から、輸送ルートも割り出せる」

「えっと……輸送車を襲うってこと?」

 ドリスが盟人の顔をのぞき込んだ。

「ああ。久々の仕事だ。一つ派手にやらかそうじゃないか」

 盟人は扉を開け、足早に部屋を去った。



 風がビルの屋上へと吹き上げ、漆黒のコートを激しくはためかせる。

 盟人はドリスと共に、はるか眼下の道路を見下ろしていた。

 制限速度六十キロの幹線道路。

 とはいえ、制限を律儀に守っている車など一つもいないようで、いずれも飛ばしに飛ばしている。歩行者が横断を試みようものなら、一瞬でミンチにされてしまうだろう。

 エデン製薬の第十一研究所から空港までの輸送ルートとしてこの道路が選ばれる確率は、リノの計算によれば八十六パーセント。充分な高確率だ。

「ここを走ってる輸送車を襲うのよね……大丈夫かしら……?」

 ドリスは怖々といった様子で地上を眺め下ろした。盟人の上着を握り締め、あまり屋上の端から身を乗り出さないようにしている。

 盟人は小さく笑った。

「シアを救うために護送車を襲った女がなにを言っている」

「あれはっ……トンネルだったから相手は減速してたしっ……私は我を失ってて、怖いモノ知らずになってたっていうかっ!」

「今回は俺がついてる。あのときよりも安全だ」

「なによ、自信満々に……むかつくわね」

 ドリスはそっぽを向いて、剣型魔導具ソードデバイスを具現化させた。けれど、その首筋にはうっすらと赤みが差している。

 二人はえりピン型の幻惑魔法装置プロジエクターを起動し、味方以外に素顔を見られないようにした。

「怖いなら、別にお前は来なくても良かったんだぞ?」

「そうはいかないわ。私はあんたの奴隷なんだから、ご主人様の仕事は手伝わないと」

「ずいぶんと調教されてしまったな。俺は悲しいぞ」

「調教ゆーなっ! それに……、あんたの妹が死にかけてるのに、なにもせずにいられるわけないじゃない」

 ドリスは盟人から顔を背けたまま、小さな声で言った。

 ありがとな、という言葉を、盟人は心の中でつぶやく。二人きりの家族のことをおもってくれる存在がいるのは、それだけで救いになる。

 おおよその準備が済んでから、盟人はインカムにつながった無線機で警察の通信を傍受した。いつもはリノにオペレーターを任せているが、今は無理をさせられない。自力で状況を把握しなければならないのだ。

 通信の内容によると、どうやら輸送車には何台ものパトカーが護衛としてついているらしい。このエリアには、あと数分で到着するようだ。

「……そろそろだな。戦闘力と連携を上げるために、魔獣の子チヤイルド共鳴レゾナンスを強化しておくぞ。足手まといになられても困る」

 ドリスはうろたえた。

「きょ、強化って、またキス、するの……?」

「嫌か?」

 盟人が尋ねると、顔を赤くして目を泳がせる。

「い、嫌じゃないけどっ、ていうか奴隷だから従うしかないけどっ、でもっ、こんなとこでっ……んんん!?

 無駄な抵抗をするドリスが可愛かわいらしくて、盟人はそのほおを引き寄せ、唇に唇を重ねた。やわらかくて、踊るような弾力の感触。粘膜を通じて直にドリスの命を感じる。

 ドリスは驚きに目を見開いたが、すぐに表情をとろけさせた。盟人のそでを両手でつかみ、目を閉じて唇を受け入れる。盟人の体に押しつけられた胸は、激しく脈打っていた。

 盟人が唇を割ろうとすると、ドリスは目を開け、かすかな抵抗を見せた。けれど、酔ったようなひとみで唇を開き、盟人の舌に吸い付く。少女ののどから甘い声がれた。

 ドリスはもう、自分がビルの屋上にいることは忘れてしまったようだった。キスに溺れてふらつく少女の躰を、盟人はビルから落ちないように支える。その手が細い腰に触れると、ドリスは悩ましい吐息と共に身をよじった。

 盟人はドリスから唇を離した。彼女の唾液でれた唇が心地良い。

「はあ……はあ……急に、なにするのよう……」

 ドリスは荒く息をしながら抗議するが、火照りきった頰からは、怒りの片鱗へんりんも見受けられない。むしろ盟人の袖から手を離そうとしない辺り、まだまだ物足りないようにさえ見える。

 盟人は地上に視線をやる。

 エデン製薬のマーク──林檎りんごを摑んだ女の手──が描かれた大型トラックが二台、連なって走ってきている。その周囲には、パトカーや白バイの群れ。物々しい警戒ぶりだ。

 盟人はポケットから長いテグスを引き出すや、先頭のトラックめがけて飛ばした。

 幻肢フアントム・リム化したテグスが、トラックのタイヤに突き刺さる。タイヤも幻肢フアントム・リム化し、この物理世界から切り離される。

 盟人はそのままテグスを引き、トラックからタイヤだけを盗み取る。

 タイヤを失った大型トラックが傾いだ。

 高速走行の勢いのままに車体の底が路面をこすり、激しい摩擦で火花が飛び散る。

 耳が割れるほどの騒音と共にトラックが横転した。

 バンパーがガードレールに叩きつけられる。

 金属のガードレールが粘土のように湾曲する。

 トラックのフロントガラスが割れ、破片がはじける。

 道路をふさいだ大型トラックの巨体に、後続の白バイが激突し、警官が放り出される。

 パトカーが追突する。エデン製薬のほかの大型トラックも急ブレーキをかけて停止する。

「な、なんだ!?」「テロリストか!?」「警戒しろ! どこから来るか分からん!」

 警官たちが怒鳴りながらパトカーを降りてくる。

 白バイの一台が爆発し、近くの警官が爆風に吹き飛ばされる。

「だいぶ騒ぎになってるな……行くぞ」

「うえっ……ちょっ……きゃあああああ!?

 盟人はドリスの体を抱き寄せると、ビルの屋上から身を躍らせた。

 鼓膜に風がうなり、漆黒のコートを蝙蝠こうもりの皮膜のように膨らませる。

 ドリスは無我夢中で盟人にしがみついた。鍛え上げられ、引き締まった最高の肢体が、盟人の体に隙間すきまなく密着する。

 高所から急降下する高揚感、そして、ドリスのからだの感触が、盟人の脳を覚醒かくせいさせる。

 向かいのビルの一室で事務仕事をしているOLと視線が合った。OLは目を点にしている。なにが起きているのか、思考が追いついていない表情だ。

 盟人はにやりとOLに笑みを投げ、空をくだった。

 ブーツの靴底が大地を打ち、アスファルトに亀裂を走らせる。

 常人なら骨が砕けるであろう衝撃も、強欲の魔獣の力を宿した盟人には、なんら影響を及ぼさない。衝撃は体内で吸収され、腕に抱えたドリスには微塵みじんも伝わらない。

 落下地点は、事故現場の只中ただなかだった。パトカーから降りてきた警官たちは、突如降臨した盟人に立ちすくんでいる。

 怪盗王フアントムは、人の心のすきを突く。

 敵は、考えることすら許されない。

「働け、奴隷!」

「は、はいいいいいっ!?

 盟人はドリスを地面に下ろし、警官たちに向かって走った。

 警官たちはようやく異常事態が発生していると把握し、腰のホルスターに手を伸ばす。

 一人が、かつて国家権力の象徴でもあった拳銃を握り締め、ドリスに発砲する。

 その昔、棍棒こんぼうで市民を取り締まっていたという警官が、躊躇ちゆうちよなく撃てるようになったのは、人類の進化か、あるいは退化か。

 銃弾は回転と共に空気をえぐってドリスに飛翔する。

「切り裂け!」

「そっ、そんなの無理いいいっ!」

 口ではそう言いながらも、魔獣の子チヤイルドの主従に発生する絶対命令権に身を支配され、ドリスは剣型魔導具ソードデバイスを振り下ろす。

 甲高い音が弾け、魔剣の刃が弾丸を両断した。

 鋭く裂かれた断面が、陽光を反射してきらめく。

 そのうちの一つが、走る盟人の首筋をかすめ、皮膚をがした。

「上出来だ」

 盟人は笑って、ドリスを撃った警官に迫る。

 人間の反応速度は、魔獣の子チヤイルドあらがえない。たとえ精神を研ぎ澄ました熟練の武道家であろうと、その脳神経の伝達速度、筋肉の収縮は、強欲の魔獣に追いつけない。

 盟人は警官の拳銃に幻肢フアントム・リムの手を突き入れた。

 警官の指が引き金を引き、銃身の内部で火薬が爆発する。弾丸が銃口への突進を始める。銃口は盟人の額にぐ向けられている。

 けれど、盟人は避けも下がりもたじろぎもしない。

 幻肢フアントム・リムの指が、回転する弾丸を銃身の内部で捕らえた。

 そのまま、コインを弾くようにして弾丸を銃身の外へ弾き出す。

 方向を変えられたとはいえ、致死量の運動エネルギーを保ったままの弾丸が、隣の警官の拳銃を叩き飛ばした。

「俺の奴隷に……手を出すな」

 盟人は発砲した警官の腹にこぶしをえぐり込む。

 昏倒こんとうする警官の体から身をかわし、地面に手を突いて体を踊らせる。

 隣の警官が、拳銃を拾おうとかがみ込んだ。

 が、盟人は時間を与えない。側転するようにして身を回転させ、ブーツを警官のうなじに叩き込む。警官は額をアスファルトの路面に激突させ、動かなくなる。

 周囲の警官たちは狼狽ろうばいした。

「な、なんなんだあいつは!」「あっという間に二人も倒されたぞ!?」「デバイサーか!?」「いや、魔導具デバイスは持ってない! 丸腰だ!」「も、もしかして、ファントムとかいう犯罪者じゃないか!?」「ひいいいいい!?」「ギラド様を殺した極悪人か!?

 誰もが拳銃を必死に握り締めているものの、撃ってこようとはしない。

 手を震わせ、膝を笑わせて、じりじりと後じさっている。

 シアを奪うために引き起こした騒動で、光の世界にもすっかり悪名がとどろいてしまったらしい。

 向けられる恐怖の視線を心地良く味わいながら、汁の一滴まで咀嚼そしやくしながら、盟人はわらった。

「くくく……そうだ、俺は極悪人の怪盗王フアントムだよ。どうした、撃たないのか。びびっちまったか、おまわりさんよ。市民を守るため、正義に命を賭けるタマもないのか?」

「ちょ、ちょっと!? なにもそんなに挑発しなくてもっ!」

 ドリスは魔剣を構えてあせる。

 だが、盟人の言葉が功を奏し、警官たちの表情が変わった。

 額に脂汗を垂らしながらも、銃口のすべてをドリスではなく盟人に向ける。

「撃て! 撃てええええ! 死んでも社会の正義と市民の平和を守るのだああああ!」

 一斉射撃。

 死を招く炎が何十という銃口で噴き上がる。

 弾丸の乱舞が、宙を鋼色に染めた。

 その軌跡は縦横無尽に交差し、暴力で蜘蛛の糸を張り巡らす。

 けれど、怪盗王フアントムは銃弾よりも、速い。

 弾丸の隙間を縫って、黒衣がひるがえった。攻撃をかいくぐり、盟人は警官たちに急迫する。彼らが引き金の指を戻す暇も、照準を合わせる暇もない。

 盟人の裏拳が警官の顎を打ち、大柄の体がパトカーに叩きつけられた。警官はフロントガラスを砕きながら車内に転げ落ちる。

「わ、私だって!」

 標的から外れていたドリスが、剣型魔導具ソードデバイスを右手に握って警官たちの背後を疾駆した。刃がきらめき、肉が次々と切り裂かれていく。警官たちは鮮血を上げて倒れ込む。

 ドリスと盟人のどちらを撃つべきか迷っている警官たち。

 突然の襲撃に、そして尋常な犯罪者ではない魔獣の子チヤイルドの攻撃に、対処の方法さえ分からないでいる。彼ら──市民の光は、やみを知らない。

 魔剣を振るうドリス。

 拳銃から弾丸を盗み出す盟人。

 その身に魔獣を宿した女と男は、修羅となって戦場を舞った。

 飛沫しぶきがパトカーを染め、警官が叩きつけられて白バイがクラクションを響かせる。

 民間の車は騒動を見るや慌てて道を引き返し、誰も近づいてこようとしない。

 頰に敵の返り血を浴びながらも魔剣をぐドリスを、風を切り裂く赤い髪を、殺意にぎらつく魔獣の瞳を、盟人は美しいと感じた。

 大地をしっかりと踏みしめ、躍動する脚を見ていると、体の奥から熱いモノがたぎってくる。それが、戦闘による熱情なのか、あるいは魔獣の子チヤイルド同士の欲動なのか、もしくは男女の欲情なのか、盟人には分からない。

 だが、気付いたときには、視界に入る警官の全員が地に倒れ伏していて。

 拳銃を握り締めたまま尽きている者もいれば、パトカーのドアに頭をめり込ませてもがいている者もいる。

 パトカーの回転灯がむなしく光を放っている。

 正義の自称者たちは、闇に屈していた。

「はあ……はあ……か、片付いた、わね……」

 なまめかしいあえぎと共に顎の汗をぬぐうドリス。

 その背後へ、パトカーの影に隠れていた警官が忍び寄った。

 年季の入った渋面に、大柄の体。にじみ出す貫禄かんろくは、警官隊のリーダー格に見える。

 警官はドリスの後頭部に銃口を突きつけた。

「手を挙げろ!」

「ひゃ……!?

 ドリスは即座に両手を挙げる。剣型魔導具ソードデバイスが地面に転げ落ち、硬い金属音を響かせた。

 警官は剣型魔導具ソードデバイスを靴で踏みしめ、拳銃の引き金にかけた指に力を込める。

 醜く日焼けし、たるみきった喉から、怨嗟えんさの声が漏れた。

「この……薄汚い犯罪者が……。よくも部下をやってくれたな。子供だろうと許さんぞ……」

 引き金に指が食い込んだ。

 ドリスが声にならない悲鳴をこぼす。

 警官の口角が恐ろしいほどにつり上がった。

「……俺のモノに手を出すなっつったろ」

「え」

 警官が口を半開きにしたときには、既に盟人が警官とドリスのあいだに割り込んでいた。

 あまりの機動力に、警官の迎撃が間に合わない。

 盟人のりが、警官の体を吹き飛ばした。

 地面に二転、三転する警官に、怪盗王フアントムが飛びかかる。

 着地と同時に警官の額をわし摑みにし、その頭をアスファルトに叩きつける。くぐもった悲鳴。警官の手から拳銃がこぼれ落ちる。

 得物を失った手が力なく地面に伸び、警官は瞑目めいもくして動きを止めた。

 盟人はため息をいて起き上がる。自分の目が届くところで仲間を殺されるようなへまはしないけれど、今のような状況になるとやはり心拍数が上がってしまう。

 盟人はコートのホコリを払って、ドリスに歩み寄った。

「うう……こ、怖かった……」

 ドリスは涙目で盟人にしがみついてきた。

「油断するからだ。この馬鹿ばかが」

「ば、ばかってゆうなぁ……」

 盟人は罵りつつも、ドリスの頭を胸に抱き寄せた。

 ドリスも大人しくされるままになっている。くっついていると安心するのか、少しだけ彼女の体から力が抜ける。普段は素直に身を任せるなんてあり得ない勝ち気な少女だから、なかなかに貴重なひとときだ。

 盟人は鼻をくすぐる甘い髪の香りを楽しみながら、警戒を緩めず周囲に目を配った。

 横転した大型トラック、停車して破壊されたパトカー、無力化された警官隊。

 車の陰に他の警官が隠れている様子はなく、動くものの気配もない。とりあえず、輸送部隊は制圧したと見ても問題ないだろう。

「よし。品を奪うぞ」

 盟人が横転した大型トラックに近づこうとしたときだった。

「はー。これじゃ時間通りに車が着かないじゃない……。いい加減にしてよねー」

 気だるげな女性の声が、戦場と化した幹線道路に響いた。

 突然の襲撃に面しているというのに、その声は少しも恐怖の感情を帯びていない。

 むしろ、なにかうんざりしたような……戦いを日常のことだととらえているような、そんな空気さえ伝わってくるのだ。

 自然、盟人とドリスは声の方へとっさに目をやる。

 後続の大型トラックの側面から、ゆっくりとシャッターが巻き上がっていた。

 漂ってくる、強大な魔力の波動。なにか危険なモノが潜んでいる気配に、盟人は身構える。ドリスの手が剣型魔導具ソードデバイスの柄を固く握り締める。

 シャッターの向こうから見えてきたのは……盟人が予想していたケースや貨物の類ではなかった。

 五つの物体が、いや、魔導兵器が、並んでいる。

 それは一見、人と同様の四肢を持つ巨人に見えた。

 けれど、たるのような太さの腕は、明らかに人と異なる。

 一撃で車両を粉砕できそうな脚は、明らかに人と異なる。

 岩石の塊を思わせる、分厚い装甲。

 重量感にあふれる、いかついボディ。

 その表面には赤黒い光が鋭い線となって行き巡り、禍々まがまがしく明滅している。

「ゴーレム……!」

 ドリスが驚きの叫びを上げた。

 かつて、魔導の才に満ちた賢者が造った禁断の人形ひとかた、それが巨大人型戦車ゴーレムだ。絶大無比な破壊力を誇ったが、しかし、機動性に欠けた彼らは戦場の覇者となることはなかった。

 進化した技術によって古代のゴーレムの欠点を補い、操縦者としてデバイサーを結びつけたのが、現代の巨大人型戦車ゴーレム。魔法と科学を融合させたハイブリッドマシンの一種でもある。

 デスウォーカーの戦闘力によって人民を支配しているカミシロ・シティで、盟人はゴーレムの類を目にしたことがなかったのだが……。

「まったく……暴れるなら私のいないときにやってよ……タイミングが悪いったら……」

 ぼやく声は、五機のゴーレムのうち、中央の機体から聞こえていた。

 半透明の装甲を通して、操縦者であるデバイサーの姿が見える。

 それは妖艶ようえんな女だった。

 切れ長の鋭い目元には、アイラインがきつめに引かれている。

 唇は挑発的な赤で塗られているが、それでも下品に見えないのは、彼女の全身に満ちた凛々りりしいオーラのお陰だろう。

 たわわな乳房がこぼれる、肉感的な体。

 きらめくほどにみがき上げられた褐色の太ももが麗しい。

 女は露出度の高い戦闘服を着て、垂直の円盤に鎖で縛りつけられている。

 円盤には魔法陣が描かれており、同心円や文字や紋様がぼんやりと光っていた。魔法陣からは幾つもの輝く線が伸び、女の頰や首筋、あらわな太ももにまで食い込んでいる。

 まるで女が魔法陣に侵食されているように見える。しかし実際は、あの魔法陣を通して操縦者の意思を機体にダイレクトに反映させるのが、ゴーレムのシステムだ。

 まだまだ現代の通信速度では操縦者とゴーレムのあいだにタイムラグが生じてしまうが、魔法陣を用いればラグが限りなくぜろになる。

「しかし、これはチャンスですよ、キャンディス隊長。十賢老の殺害犯を討伐したとなれば、英雄扱いの大手柄。我々の昇級も名声も思いのままです」

 隣のゴーレムのデバイサーが、妖艶な女の顔をうかがいながら話す。

「名声ねえ……そんな余計なモノがくっついてくると、仕事が増えそうで嫌なんだけど」

 キャンディスと呼ばれた女は、飽くまでやる気を見せない。

 だが、彼女からは、隊長の地位を得るだけの気迫、凄みのようなものが漂っていた。

 ゴーレムも他の四体とは違い、シャープな形状をしている。くすんだ銀色の四機に囲まれる凶悪な赤の機体は、まさに紅一点といったところだ。

 赤いゴーレムの内部から、キャンディスが盟人に呼びかける。

「えっと、あんた……怪盗王フアントムとか言ったっけ? ちょっと頼みがあるんだけどさぁ」

「……なんだ?」

 敵からいきなり要望を出されると思っていなかった盟人は、少し当惑する。

「今んとこ、上司からあんたを狩れって命令は出てないのよねー。だから、あんたと戦っても時間の無駄ってワケ。この積み荷から手を引いてくれれば、特に追撃はしないから、今日は消えてくれない?」

 キャンディスの提案に、他のゴーレムのデバイサーたちが騒ぐ。

「隊長!?」「なにを言ってるんですか!」「こんなチャンスをみすみす見逃すなんて!」「怪盗王フアントムは十賢老の敵、世界の敵ですよ!」

「うっさいなぁ……ちょっと黙ってなさい」

 キャンディスが氷のような視線を向けると、デバイサーたちは即座に口をつぐんだ。

 彼らの目には、ありありと恐怖の色が浮かんでいる。どうやら、キャンディスはだいぶ部下から恐れられているらしい。

「で、どうかしら? 泥棒どろぼうサン、今日は帰ってくれるわよねえ?」

「……そうはいかない。俺はその積み荷に用があるんだ」

「なにが入ってるか知らないけどさー、どうせたいしたモンじゃないわよ?」

「いや、きっと重要な品のはずだ。でなければ、わざわざゴーレムを護衛につけたりはしない。奪ってみれば分かる」

 キャンディスがため息を吐いた。

「つまり……絶対あきらめるつもりはないのね……?」

「ああ」

 盟人はうなずく。たとえ、戦車すら一撃で破壊してしまうと言われるゴーレムが相手でも、手土産なしでリノのところへ戻るわけにはいかなかった。

「だったら、もういいわ。やっちゃって」

 キャンディスが部下たちへ投げやりに告げた。

 四体のゴーレムが大型トラックから飛び出す。

 重厚な脚でアスファルトを削り、火花を蹴立てながら盟人たちに迫ってくる。

 巨体に太陽がさえぎられ、空が暗くなる。

 その様子はあたかも、竜が群れとなって猛進してきているかのようだ。

 それほどの迫力。

 それほどの威圧感。

 人間が及ぶべくもない体軀たいくの差は、その一点のみにおいても強烈なプレッシャーを加えようとしてくる。勝負する前から、絶対的な敗北の予感を浴びせてくる。

 かつて、中東の北西部で世界政府に反乱する勢力が現れた。多くの土着民を味方につけ、政府軍から奪った魔導具デバイスで武装した彼らは、十賢老に対する大きな脅威になるかと思われた。

 だがしかし、世界政府のゴーレム部隊と初めて相対したとき、彼らは圧倒的な絶望に襲われ、自ら武装解除して世界政府に降ったという。

 戦うことすら無意味と感じさせる力が、ゴーレムにはある。

ちりになれ!」

 ゴーレムの一体が、その巨大な拳を盟人に振り下ろした。

 拳圧によって生じた風の塊が叩きつけ、それだけで頭蓋がつぶされそうになる。

 盟人はドリスを抱えて後ろに飛び退いた。

 地響きのような、重い打撃音。

 ゴーレムの拳が路面にめり込み、アスファルトが無数の欠片かけらに砕けて跳ね上がった。亀裂が道路の隅々にまで走り、盟人の足下を揺り動かす。

 打撃による衝撃波が地面の欠片を吹き飛ばし、盟人の顔面に浴びせた。ドリスの悲鳴。盟人は頰を破片に切り裂かれながら、両腕でドリスの身をかばう。

 ゴーレムが拳を地面から引き抜いた。

 大量の土砂が吹き上げると同時に、大地からアスファルトの舗装が引きがされる。あちこちでガスの噴射音が響き始め、着火して爆発を起こす。

 業火ごうか

 その最中で泰然と屹立きつりつするゴーレムは、戦場の修羅以外の何者でもない。

 地獄に仏ならぬ、地獄に悪魔。

 ゴーレムの姿を見ただけで屈服してしまった反乱軍も、決して責められるべきではないだろう。あまりの強大な力に面したとき、生物は従属するしかないのだ。

「な、なによあれ……なにを食べたらあんなに強くなるのよ……」

 ドリスは声を震わせている。

 ハイブリッドマシンであるゴーレムが食事をするわけがないのだが、その混乱した感想が、ドリスの動揺を伝えてくる。

 盟人は腕に抱えていたドリスを地面に下ろした。

「まあ、なんとかなるだろ? とりあえず倒してみるぞ」

「そんな軽く言わないでよ!」

 ドリスは悲鳴のような文句を言いながらも、襲ってくるゴーレムに向かって走った。

 巨大人型戦車ゴーレムと少女が対決する光景は、まるでゴリアテとダビデの対決。

 ドリスは鋼さえ切り裂く剣型魔導具ソードデバイスでゴーレムに斬りつける。

 だが、ゴーレムの装甲には擦り傷一つ付かない。

 剣型魔導具ソードデバイスの刃は弾き返され、ゴーレムの振るう豪腕にドリスの体が跳ね飛ばされる。

 空中を木っ端のように舞うドリスに、ゴーレムが拳を向けた。その先端が人の手を模した形から崩れ、溶解し、瞬く間に大筒へと変形する。

 大筒に白色の魔法陣が展開され、そこへ周囲の空気が大量に吸い込まれた。

 空気は大筒の断面で凝固して氷弾となり、一斉に噴射される。何百、何千もの氷柱が、少女の脆弱ぜいじやくな体を襲った。

 ドリスは空中を吹き飛ばされている途中で、体勢を整えることすらできない。

 目を見開く少女に向かって、盟人が跳躍した。空中でドリスの体を抱き止め、身を翻して急降下する。

 着地するや地面を蹴ってバック転し、降りそそぐ氷柱を回避した。

 堅牢けんろうなはずのアスファルトに、深々と氷柱が突き刺さっていく。盟人の足下をすくうようにして、氷弾が絨毯じゆうたん爆撃を仕掛けてくる。

「ど、どうしたらいいのよ、これえっ!?

「さて、どうしたのものかな、困ったな」

 盟人は小さく笑いながら、氷弾に追い立てられてビルの壁面を駆け上った。

 壁を蹴り、反転して別のゴーレムの上に跳び乗る。盟人を追っていたゴーレムの氷弾が、足場にされたゴーレムのボディに叩きつけた。

 壮絶な悲鳴。

 貫通した氷弾が内部のデバイサーに突き刺さり、操縦席コツクピツトを鮮血に染める。

 デバイサーの繫がれていた機内の魔法陣が輝きを失う。

「なるほど……お前は自分の毒で死ぬフグか」

 ぐらり、とくずおれるゴーレムの上から、盟人は飛び退いた。

 地響きと共に、巨大人型戦車ゴーレムが倒れ伏す。

 粉塵ふんじんが噴き上がり、辺りを灰に染める。

 なんの声も音も聞こえなくなったコックピットから、淡い光だけが漏れている。

 残り四機。リーダーの赤いゴーレムを除けば三機。

「おい、なにをやっている!」「す、すまない!」「もっと慎重に行け! 相打ちになってはたまらん!」

 三機のデバイサーたちが声を荒げて言い合う。

 銀色の巨大人型戦車ゴーレムが盟人とドリスを遠巻きに取り囲んだ。ようやく警戒心を手に入れたかのように、そろりそろりと包囲を狭めてくる。

「仲間を殺す勇気もナシに──」

 盟人は駆け出した。

「──俺が殺せるかよ!」

 進行方向にいるゴーレムが、拳を大筒に変えて氷弾を撃ってくる。

 氷片が虚空を切り裂き、鋭い音を立てた。

 盟人の首に回されたドリスの腕がきゅっと締まる。襲い来る脅威に、少女の呼吸が短く速くなっているのが、盟人に伝わってくる。

 盟人は跳躍して氷弾を回避し、撃ち続けるゴーレムに飛びかかる。

 靴底をゴーレムの天井てんじように叩きつけるや、その天井を駆け抜けた。

 ゴーレムから飛び降りながら、幻肢フアントム・リムの右腕をゴーレムのボディに突き入れる。

 鉄壁の装甲が、素手によって破られる。

 その魔手は寄生虫パラサイトのように敵の内部に潜り込み、あやしくくねり、デバイサーの喉首を捉えた。

「ぐっ……かっ……はっ……」

 万力のような力で喉を締め上げられ、デバイサーの男が身悶みもだえする。

 口から泡混じりの唾液が溢れ出た。

 コックピットの内壁に映るデバイサーの目玉がぐるんと回って白目になり、デバイサーは動かなくなる。左右の腕が無力に垂れ下がる。

「ここでじっとしていろ」

「え、ええ!」

 盟人は停止したゴーレムの陰にドリスを下ろし、残り二機のゴーレムの前に飛び出した。

 銀色のゴーレム二機はすさまじい勢いで盟人に突進してくる。

 地面が割れ、瓦礫がれきが高々と跳ね上がる。

 デバイサーたちは憤怒ふんぬの形相で、全身の皮膚に魔紋を浮き上がらせている。

「犯罪者の分際で、よくも我々の仲間を!」「消し飛ばしてやる!」

「おーおー、お熱いね。仲間意識というやつは美しいが……クズを仲間にしている時点で、お前たちの力量も知れるな」

「貴様ああああああっ!」

 ゴーレムの一体が、猛進の勢いのままに巨大な拳を叩きつけてきた。

 一瞬にして大地に大穴が穿うがたれ、ゴーレムの腕が地面にめり込む。

 コックピットのデバイサーが勝ち誇る。

「ふ……くははははは! やった! 潰してやったぞ!」

「やってねえよ」

 もうもうと噴き上がる土煙の中、盟人がゴーレムの腕を駆け上る。

 両腕を幻肢フアントム・リムにしてボディの側面にり付くと、拳をコックピットに叩き込んだ。

 骨の砕ける音がして、デバイサーの首が折れる。

 頭蓋から赤いモノが噴き出す。

 残り、一機。

 盟人は最後の銀色の巨大人型戦車ゴーレムに向かって、疾駆した。

 その速度たるや、隕石いんせきのごとく。

 空を貫き、地に降る勢いは、紫電のごとく。

「くそっ、くそっ、くそくそくそくそ! 死ね! 死にやがれこのバケモノがあああっ!」

 襲いかかる怪盗王フアントムに、巨大人型戦車ゴーレムが雨あられの氷弾を浴びせる。

 盟人の肌を、幾つもの裂傷が走る。

 けれど、当たらない。

 照準を合わせるよりも先に、盟人が巨大人型戦車ゴーレムに迫る。

 デバイサーの顔が、恐怖に醜くゆがんだ。

 引きつった男の頰に、だらだらと脂汗が流れている。

「はい、お疲れサマ」

 盟人は巨大人型戦車ゴーレム幻肢フアントム・リムの右腕を突き入れ、その配線を根こそぎ引きずり出した。

 操縦席の魔法陣が激しく明滅を始め、繫がれたデバイサーの体が暴れ始める。耳から血が噴き出し、口から意味不明な言葉が溢れる。

 魔導暴走マシルド

 魔法と科学を複雑に組み合わせたハイブリッドマシン、その繊細な構造バランスが崩されたときに生じる、恐るべきエラーである。

 デバイサーの両眼から、赤黒い血が溢れた。デバイサーは盟人を指差して呪詛じゆそを吐く。

 盟人が外壁を蹴って飛び退くと同時に、巨大人型戦車ゴーレムが破裂した。

 爆風が吹きすさび、轟炎ごうえんが天を突く。

 炎の海となった地上に盟人は着地し、漆黒のコートのホコリを払った。

 乱れた襟を直しながら、ゴーレムの陰に隠れているドリスに歩み寄っていく。

 ドリスはうずくまって膝を抱えていた。可哀想かわいそうなぐらいおびえているが、怪我けがを負っている様子ではない。

「お……終わったの……?」

 震えながら盟人を見上げる。早くこの場から逃げ去りたい、けれどそうもいかない、と必死にえている感じが伝わってくる。

「……いや、まだだ」

 盟人はあか巨大人型戦車ゴーレムに目をやった。

 部下がやられているのに、それに乗っているデバイサーは少しも焦りを見せない。動こうともしない。ただ平然と戦場の真ん中に居座っている。

 逃げたり攻撃したりしてくるならまだしも、なにもしないというのはあまりにも不気味だった。キャンディスと呼ばれた隊長は、ゴーレムの中で退屈そうにあくびをしている。

「どうした。なぜ攻撃してこない」

 盟人はキャンディスの動きに警戒しながら問いかけた。

「もうそろそろ終業時間なのよねー。無駄に戦いが長引いたら、定時で帰れないでしょ。さっさと終わってくれた方が助かるのよ」

「だから……部下を見殺しにしたの……?」

 ドリスが信じられないといったふうに目を見開いた。

 キャンディスはな唇を引いて笑う。

「見殺しだなんて失礼ね。もちろん回収するわよ。ボーナスにも響くからね」

 赤い巨大人型戦車ゴーレムが腕を突き上げた。

 その先端に魔法陣が広がる。魔法陣の円環はギザギザの輪郭を作りながら揺れ動き、白く輝いていた。部下たちの四機のゴーレムが、魔法陣に吸い寄せられていく。

 複数の巨体を、赤いゴーレムはたった一機で背負い、手近のビルの屋上に跳び乗る。

 恐るべき重量がかかり、ビルの屋上のコンクリートが砕けて瓦礫が転がり落ちた。窓ガラスが割れる。壁面にも細かい亀裂が走り、内部から民間人の悲鳴が上がる。

「待て。お前は……危険なにおいがする。だから、ここで潰しておく」

 怪盗王フアントムの力を見てもひるまず、部下の惨状を見ても心を動かさず、自分の都合だけで行動する女……明らかに、いつか彼女は大きな障害になる。

 そんな予感に駆られ。

 盟人はビルの壁に幻肢フアントム・リムの右腕を突き立てた。体のバネをかし、自らを空中へと弾き出す。風にコートがあおられ、肌を鋭い空気がでる。

 ビルの屋上に立ったゴーレムの内部、そのコックピットのキャンディスと目線が合った。

「あら、そんなに私と踊りたいのかしら?」

 キャンディスはにやりと笑った。

 切れ長の瞳に、危険な光がきらめく。

「だけど、今日は昔の同僚たちと飲み会があるのよね。坊やとの遊びダンスは、また今度ね」

 不意に、壮絶な打撃が盟人の体を襲った。

 ゴーレムはなにもしていないのに、その腕や脚は少しも動いていないのに、盟人は抗いようのない力に押されて吹き飛ばされる。

 脳の燃え尽きそうなほどの、激痛。

 盟人は大地に叩きつけられ、その身を地面の瓦礫が幾つも貫いた。反射的に体が跳ね、口から血が飛び散る。意識が弾けそうになる。

 盟人は地に手を突き、よろめきながら起き上がった。

 鋭い瓦礫が肉から抜けていく痛みに、筋肉が震える。

 すぐさま反撃しようとするが、魔獣の子チヤイルドの肉体とて回復が間に合わない。

「め、盟人!? 大丈夫!?

 ドリスが慌てて駆け寄ってきて、盟人の体を支えた。

 盟人はビルの屋上を見上げるが、既に赤い巨大人型戦車ゴーレムの姿はない。遠くから地響きが聞こえるが、その音量からして、とっくに距離を取られてしまっているようだ。

「逃げられたか……」

 盟人は眉間みけんしわを寄せた。

「いいじゃない、放っておけば。私たちの目的はソウルジェネレーターを奪うことでしょ?」

「……まあな」

 確かに本来の目的はそうなのだが、本能がささやいているのだ。

 体の深奧に潜む強欲の魔獣が警告しているのだ。

 あの女は消しておかないと、必ずや災禍を及ぼすであろうと。

 とはいえ、この損耗状況で今から追ってもキャンディスを捕まえるのは難しい。仕方なく、盟人は目の前の獲物に集中することにする。

 周囲には炎が広がり、乗り捨てられた民間人の車があちこちに停まっていた。

 エデン製薬の大型トラックは二台。片方はゴーレムが格納されていただけで、他に積み荷は見えない。どちらのトラックも運転席の扉が開け放たれ、無人になっている。戦闘が始まってすぐ運転手は逃亡してしまったようだ。

 これだけ騒ぎが大きくなれば、応援の警察部隊が駆けつけるのも時間の問題だろう。

 盟人は傷ついた体に血を流しながら、横転した大型トラックへと歩き始める。裂かれた組織が悲鳴を上げているが、回復を待っている暇はない。

「ちょ、ちょっと、盟人! 私の肩に摑まって! 一人で歩くのは無理よ!」

 よろめく盟人を、ドリスが抱き止めた。

「無理じゃない。気にするな」

「気にするわよ! なんのために私はいるの? こういうときにサポートするためでしょ?」

「……好きにしろ」

 半ば強引ごういんに肩を貸してくるドリスに、盟人は腕を寄りかからせた。正直、女の世話になるというのは趣味ではない。それが普段からかって遊んでいるドリスなら、なおさら。

 ドリスは顔をほころばせ、盟人の体を支えながら進む。

「やけに楽しそうだな?」

「楽しいわ。盟人の役に立ててるから」

「俺の役に立てると楽しいのか」

「それはそうよ。私はシア様のことで、盟人にいっぱい恩があるもの。その恩返しができるのはうれしいわ。それに……私は盟人の奴隷。ご主人様のお世話をできるのは、嬉しいわ」

 照れくさそうに頰を染める。

 その姿を見ていると、盟人まで首筋が熱くなってくる。

「可愛いな、お前」

「かっ、可愛くはないわよ! 可愛くはっ!」

「いや、可愛い。すっかり奴隷らしくなったじゃないか」

「なったっていうか、ならされたっていうか! 全部あんたが悪いんだからね!?

「俺に調教されたせいだと言うのか」

「ち、ちちちち違うわよっ……」

 ドリスは視線をそらし、唇をきゅっと閉じた。顔どころか、耳たぶまで真っ赤になっている。そのうろたえっぷりを見て、盟人はドリスに一矢報いた気がした。

 大型トラックの後ろに立つと、幻肢フアントム・リムの右手を錠に突き入れる。内部の凹凸をいじり回し、瞬時にかぎを開ける。小さなころから解錠は繰り返しているから、もう慣れたものだ。

 ドリスがレバーをひねり、シャッターを開いた。

 中は運転席と完全に分断されており、荷物がたくさん積まれていた。段ボールやジュラルミンケースが重ねられ、分厚いひもで縛られている。

 だが、トラックが横転したせいで、荷物の山はあちこち崩れてしまっていた。段ボールが潰れていたり、ケースが壊れて中の書類が散らばっていたり。人が潜んでいる気配はない。

 盟人とドリスはトラックの内部に足を踏み入れる。

「その……ソウルジェネレーターって、どんな形だったかしら?」

「両手で摑めるぐらいの大きさの、半透明のキューブだ。中で炎が燃えているように見えるらしいが……」

 リノに聞いた情報を元に、二人は戦利品をあさり始める。手間取っていたら応援部隊が来て面倒になるけれど、こう荷物が散逸していたら探索もはかどらない。

 盟人は片っ端からジュラルミンケースの錠を開け、調べやすいようにしていく。

 ドリスがジュラルミンケースの中身を床に(といってもトラックが横転しているから実際は壁だが)に放り出し、どんどん確認する。

「うーん……、キューブっぽいものは全然ないわね……なんか書類ばっかり」

「だな。あれだけ護衛をつけてたんだから、普通の書類じゃないはずなんだが」

 盟人は手近の段ボールを膝に挟み、ガムテープの封を引き剝がす。

「というか、なんで今頃書類? 錬子ディスクに入れておいた方が、たくさんデータは入るし、持ち運びも簡単なのに」

「情報の隠匿には、紙が一番だ。コンピュータを使わないアナログデータならクラッカーには負けないし、外にも持ち出しにくい。恐らく、ここにあるのはかなりの機密情報だろう」

「ギラドが死んで、やっと持ち出せるようになったってことね。なにが書いてあるのかしら……?」

 ドリスが段ボールから書類のたばを取り出した。

 書類には名前や年齢、体格などのデータが手書きで記載されており、顔写真も貼られている。左上には『被検体票』という文字が印刷されていた。

「エデン製薬の研究所で実験に使われた奴らの記録みたいだな。研究所の中で実験体をいろんなセクションに回すとき、その書類を使ってたんじゃないか?」

 昔、盟人は魔法研究所で似たような書類を見たことがある。

 その書類はもう少し小型で、プラケースに入れて実験体の首に提げられていた。

 あれは、魔法研究所の一室。

 うつろな眼で虚空を凝視していた実験体。

 手足を切断され、そこに魔導具デバイスを接合する手術の最中なのに、あの実験体は苦痛の表情一つ浮かべていなかった。胸元むなもとで揺れる書類の顔写真とは、似ても似つかない無機質な顔だった。

 当時の光景を思い出して、盟人は胸が悪くなる。いつだってエデン製薬に関わると、ろくな気分にならない。

「この……赤いハンコはなにかしら?」

 ドリスが書類をめくりながら尋ねた。

『成功』や『死亡』のスタンプが、各自の名前と顔写真に重ねて無造作に押されている。

「魔導実験の結果だろう。成功すれば次の実験に進めるし、死ねば『はい、さよなら』だ」

ひどい……。この人たち、みんな死んじゃったのね……」

 死亡のスタンプばかりが連続し、ドリスは身震いする。

 彼女もかつて魔法研究所に収容されていただけに、人ごとには感じられないのだろう、と盟人は思う。

 書類に記載された連中が同じ実験を受けたとは限らないが、ドリスは『成功』し、ゆえにこそ研究所を脱走できた。死亡した人間とドリスを分けるのは、わずかな偶然に過ぎない。

 ドリスのめくっている書類の一つに、盟人は引っかかるものを感じた。

「ちょっと待て。それは、なんだ?」

「なにって、なにが?」

 不思議そうな目を向けてくるドリス。

「いや、見たことのある顔があった気がしたんだ。貸してくれ」

 盟人はドリスから書類を受け取り、さっきの顔写真を探してめくっていく。こんなことをしている場合ではないと思うのに、なぜか無性に気になった。

 自分の内部、うなじの辺りで、予感がささやいている。

 これは、放っておいてはいけないことだと。

 予感は大抵当たる。

 そして十中八九、後悔をもたらす。あるいは、苦痛を。災難を。

 だが、無視はできない。悪い予感であろうと、その声に従わなければ、さらに酷い結末が待っているだろうから。

 盟人は一枚の書類に行き着いて、めくる手を止めた。

 顔写真に視線が突き刺さる。心臓の奧が、ぎゅっと握り潰されるような感覚。

 盟人はこわばった手で、その書類を抜き出す。

 ドリスが大きく目を見開いた。

「こ、これって……リノ?」

「ああ……」

 二歳の頃の写真だから、今よりもっと幼く、面影くらいしかない。現在のリノは、こんな子供らしく表情を見せたりしない。けれど、名前の欄にははっきり、『影島かげしまリノ』の名前が神経質な筆跡で記されている。

 そして、顔写真には真っ赤なスタンプが押されていた。


 死亡、と。




 夜の住宅街。

 灰色の空を背景に、黒い家々が並び立っている。

 窓には黄色みを帯びた照明がともり、カーテンの向こうで人影がうごめいていた。

 まるで人形劇のような、あるいは影絵のような他人の家の光景を横目に、盟人は自宅の玄関に歩み寄る。後ろには、押し黙ったドリスがついてきている。

 結局、トラックの中にソウルジェネレーターらしき物体は見つからなかった。

 見つかったのは、例の書類だけ。今は小さく折り畳まれて盟人のポケットに入っている。重量にすればほんのわずかな紙片なのに、盟人にとってはこれまでになく重い物に感じられた。

 盟人は玄関の扉を開く。

 すると、廊下の奥からぱたぱたとスリッパを蹴立て、美穂みほが出てきた。制服の上にエプロンを羽織り、片手に玉じゃくしを握っている。

「盟人、お帰り──って、血まみれじゃない! 服も破けまくってるし! ドリスちゃんも服がボロボロだし! なにがあったの!?

「まあ……いろいろな。気にしないでくれ」

「でもっ……!」

「頼む、美穂」

 盟人は美穂の目をじっと見つめた。

「……仕方ないなぁ」

 美穂は諦めたようにため息を吐いた。

「お風呂ふろ……かしてるから、一息ついたら入りなよ? あと……、なにか悩みとか、手伝って欲しいこととかあったら、あたしはいつでも力になるから」

「ああ。助かる」

「うん……」

 盟人は靴を脱いで家に上がった。

 美穂はエプロンをいじりながら盟人を眺めている。物言いたげだが、それ以上詮索してこようとはしない。そんな美穂の態度が、今の盟人にはありがたかった。

「じゃあ……お鍋が心配だから」

 美穂は玉じゃくしを握り締め、キッチンの方へ戻っていく。

 その小さな背中がさびしそうに見えて、盟人は申し訳なくなる。幼馴染おさななじみに事情を話せないのはつらいが、彼女には、彼女にだけは、日常の世界にいて欲しいのだ。争いや悲劇といったものから無縁でいてもらいたいのだ。

 それは、ひょっとしたら、自分が帰る日常の世界を守っていて欲しいという、盟人のエゴなのかもしれない。だとしても、盟人は幼馴染みを巻き込みたくなかった。

 ドリスが盟人と自分の靴をそろえ、リビングへ歩き出そうとする。

 盟人はドリスにそっとささやいた。

「……さっきの書類のことは、誰にも言うな」

 ドリスも小声で返す。

「い、言えるわけないわよ。あんなこと美穂が知ったら、ショック受けるだろうし、リノ……だって……」

 リノという名前のところだけ、まるで疑問を浮かべるように発音がおかしい。きっと、この家にいるあの少女のことを、なんと呼べばいいのか分からないのだろう。

 それは、盟人もあまり変わらない。とっくに死んでいた妹にどんな顔をして会ったらよいのか、考えても考えても思いつかないのだ。

 盟人はシアたちを驚かせないよう、血まみれの上着を脱衣場の洗濯カゴに放り込んだ。シャツも脱ぎ捨て、下着代わりのTシャツだけになる。

 リビングに着くと、ゲーム機のコントローラを握るリノとシアの姿が目に入った。

 シアは絨毯に横座りしているが、リノはソファに横たわっている。体調が悪くても、ずっと寝ているだけというのは苦痛なのだろう。

 シアはすぐさま立ち上がり、盟人に駆け寄ってくる。

「盟人様! 私、リノちゃんに『てれびげーむ』というものの遊び方を教わっていたんです! これは凄い遊戯ですね! 私、こんな面白おもしろい遊びは初めてです!」

「そうか、良かったな」

 力なく答える盟人を見て、シアが表情を曇らせた。

「盟人様……? 落ち込んでいらっしゃるようですが……どうされたのですか?」

「いや……」

 盟人は言葉を濁す。

 じっと真正面から見つめてくるシアの目は、あまりにも力強い。澄み切ったあおの瞳は誤魔化ごまかしを許さず、盟人のすべてを見透かしてしまいそうにすら思える。

「シ、シア様! 私もそのゲームで遊んでみたいです! やり方を教えてもらえませんか!?

「え、ええ。それは構いませんが……」

 慌てたように手を取るドリスに連れられて、シアはテレビの前に戻った。心残りがある様子で盟人の方を見てくるが、ドリスに質問をまくし立てられて対応に追われてしまう。

 さすがは、よくしつけられた奴隷だ。盟人はドリスの機転に内心で感謝しながら、ソファに腰を下ろす。

「兄者……お疲れ様……。なかなか帰って来ないから、心配した……」

 リノが盟人に抱きついてきた。

 その体の冷たさに初めて気付いて、盟人は身をこわばらせる。

 ずっと、女は体温が低いものだと思っていた。だから、リノと同じベッドで寝るときも、妹の体温に違和感を抱くことはなかった。

 だが、ドリスやシアの体温と比べてみれば分かる。

 これは、リノの体の冷たさは、女だからという理由だけで片付けられる域ではない。

 そこには、熱というものが一切いつさい存在していなかった。

 まるで、金属か、人形か、もしくは……死霊でもあるかのように。

 盟人の妹、影島リノが八年前に実験で死亡したのなら、この女の子はいったい誰なのか。盟人が妹だと思って魔法研究所から連れて帰って来た、この少女は。

 魔法研究所にさらわれる以前、妹は冷たくなかった。

 以前の妹は、笑ったり泣いたり怒ったり、ころころと表情を変えていた。

 だが、この女の子は、一度も笑ったことがない。

「兄者……怪我してる……。兄者の血の味……」

 リノは盟人の手の平を抱え、その傷口を小さな舌でめる。

 赤い、どこまでも赤い舌。

 なんの感情も映さない瞳。

 盟人の腕にしがみつき、指をかじり、傷からみ出す血を吸い取る。

 そんな少女を眺め、盟人は果てしなく不気味な感覚を覚えていた。