バラ園の方から、使用人らしき白髪の女性が門に駆け寄ってくる。
「シア様!? シア様ではございませんか! ご無事だったのですね!? 今までどこにいらっしゃったのですか!?」
「お友達の家に、お世話になっていたのです。お父様とお母様はいますか? ちょっと話をしたいのですが」
シアは緊張した口調で言った。
「ええ、ええ! いらっしゃいますとも! 昨日、ちょうどイギリス地区からお帰りになったところです。シア様のご無事を知ったら、どんなにお喜びになられることか!」
白髪の使用人はいそいそと門を開いた。
物問いたげに、盟人たちの方を見やる。
「そちらの方々は……?」
「私のお友達です。こちらの皆さんも、是非お父様とお母様に紹介したいのです」
「なるほど……。よくいらっしゃいました、ご友人の皆様。心より歓迎いたします」
白髪の使用人は丁寧にお辞儀をしてきた。
シアと盟人たちは、白髪の使用人の後についてホワイト家の敷地に足を踏み入れる。びしっと整えられた植え込みのあいだを、一直線に石畳の道が伸びていた。
その道を歩き、玄関への階段を上っていくと、あちこちから使用人たちが顔を出す。びっくりした様子でシアを眺め、声を弾ませる。
「シア様だ……!」「シア様よ……!」「やっとお帰りになったんだわ!」「ああ……神様。ありがとうございます……」
涙を流している者まで少なからずいて、シアがいかに使用人たちから親しまれていたのか、ありありと窺えた。
盟人たちは屋敷に入り、白髪の使用人に導かれて一階の廊下を歩く。
美穂はスマートフォンを抱えてうずうずとしていた。恐らくは、金持ちの屋敷というものをデジカメに収めたいのだが、失礼かもしれないと思っているのだろう。
一方、リノは歩きながらうつらうつらしている。眠たげに半分閉じたまぶたは普段通りだ。どんな状況でもローテンションな妹に、盟人はいっそ尊敬の念すら覚える。
白髪の使用人は、大きな扉を開いて盟人たちを部屋に招き入れた。
「こちらでお待ちください。すぐに旦那様と奥様をお連れします」
ゆっくりと扉が閉じられる。
シアは小さく息を吐いて、近くの椅子に腰を下ろした。来たる対決を恐れているのか、膝の上で手の平を握り締めて、じっと扉を見据えている。
室内は豪華な家具で埋め尽くされていた。
飾り棚一つとっても、木材の重厚感、艶、造形の秀逸さが市販のそれではない。火の入っていない暖炉の隣には、大きな柱時計が置かれ、耳障りな音を立てて振り子を揺らしている。
シアの深刻な空気を感じ取ったのか、美穂はさっきまでのようにはしゃごうとしない。ドリスはシアに寄り添い、心配そうにその様子を眺めている。
やがて、部屋の扉が開いた。
口ひげの紳士と、まだまだ美しさを保っている中年の女性が、部屋に入ってくる。
「……シア!」
中年の女性が両腕を広げてシアに近づき、力いっぱい抱き締めた。うっすらと
「生きて、いたのね」
「……はい。連絡もしないで、ごめんなさい……」
「いいのよ。生きていてくれたから、いいの」
シアの母親が言うと、口ひげの紳士は黙ってうなずいた。どうやら彼が父親らしい。
夫婦揃って純粋培養のブルジョワといった風体で、若干頼りないが、盟人の目には悪い人間には見えない。少なくとも娘への愛情は感じ取れた。
母親はシアから体を離して尋ねる。
「今まで、どこでどうしていたの?」
「こちらの、影島盟人様のお家に住まわせて頂いていたのです」
シアは盟人の方を見ながら言った。
「影島さん……? 初めて見る顔だけれど……」
「古い、恩人です。今回もたくさん助けて頂きました」
「そうだったのね……。影島さん、娘のことをありがとうございます」
母親は深々と盟人にお辞儀した。
盟人は会釈して返す。
シアが、真剣な
「今日は、お父様とお母様に、折り入って話があって来ました」
握り締めた少女の手の平は、小刻みに震えていた。膝も震えているが、その震えを隠すように、懸命に足を踏みしめている。
ホワイト夫妻は表情を引き締めた。
「……なんだ?」
父親が
「まず……私はギラド様と結婚などしたくありませんでした」
「え……?」
母親が目を見開いた。
「私は……あの人が嫌いです。私は、
シアは
「だったら、言ってくれれば良かったのに」
眉尻を下げる母親。
「そうだ。なにもお前に無理強いしたかったわけではないんだぞ」
父親が
「私たちは、シアが幸せになると思って縁談を進めたんだからね」
「自分の気持ちはきちんと話さんといかん。言葉はなんのためにあると思っているんだ」
「ごめんなさい……」
母親と父親に二人して責められ、シアは顔を伏せた。
なにも間違ったことをしていないシアが悪者扱いされていることに、盟人は腹が立ってくる。シアは誰よりも真っ直ぐで、賞賛されるべき人間だというのに。
盟人はシアの両親を鋭い視線で突き刺す。
「あんなに周りが乗り気になっていて、シアが反対できるとでも思っているのか?」
「どういうことだ?」
父親は顔をしかめた。
「シアは優しい。どこまでも優しい。だから、自分よりも人を優先してしまうんだ。考えてもみろ……もしシアが縁談を断ったら、家族はどうなる。ホワイト財閥はどうなる。ギラドに
「まあ、な……」
不承不承同意する父親に、盟人は
「そんな状況で、自分一人が犠牲になればみんなが幸せになれる……なんて思ってしまうのが、あんたらの娘だよ。俺にそんな娘がいたら、叱ったりはしないね。頭を撫でて、抱き締めて、よく頑張ったと言ってやる。そのくらい、あんたらの娘は凄い奴なんだよ。違うか?」
「む……」
父親は言葉に詰まった。
「確かに……そうね」
母親は呟く。
「シアは、そういう子だったわ。優しすぎる、本当に良い子。無理をさせないように、私たちが気付いてあげないといけなかったのよ……」
妻から訴えるような目を向けられ、父親は小さく
居心地が悪そうに顎を擦ると、
「すまなかった、シア。お前は……悪くない」
「ごめんね……、駄目な母親でごめんね……」
母親も頭を下げる。
「お、お父様とお母様が謝ってくださる必要はありません。私は、ただ、自分の気持ちを知って欲しかったのです」
シアは戸惑ったように言った。
母親は微笑む。
「これからは、遠慮せずに気持ちを話して欲しいわ。しばらくは学校も休んで、屋敷で静養したらどうかしら。やっと帰って来たんだから──」
「私、帰りたくありません!」
シアは肩をいからせ、全身の力を振り絞るようにして叫んだ。
「帰りたく……ない……?」
母親は不可解そうに娘を見下ろす。
「そのお話をしたくて、私はここに来たのです。私は、シアは、盟人様と一緒に暮らしたいのです。ずっと、ずっと、盟人様のおそばにいたいのです。だからっ……私、帰りたくありません! いいえ……、帰りませんっ!」
最後まで一気にまくし立て、シアは息を切らした。
小さな拳を固め、キッと両親を睨み据えている。
人形よりも整った頰は、赤々と上気していた。