翌日。

 ななめしずく真糸まいとの見舞いに向かっていた。

「うぉー、ついに買っちゃったよSuicaスイカ! すごいね、使わなくなったら五百円返ってくるんだ! 奇跡だよ!」

「……良かったね」

 雫の足の怪我けがは湿布と包帯を巻いているものの、すでに歩ける状態まで治っていた。

 二人は病院に行き、真糸の病室に向かった。そこは個室で、彼女はベッドに座りながら本を読んでいた。真糸は二人に気付くと、本を置いた。おでこの大きなガーゼが痛々しい。

「……怪我は大丈夫?」

 斜は聞く。

「うん、もう大丈夫。入院とか大げさだよね。弾取ったら退院でいいのに」

「大げさではないと思うよ。まぁ、僕は銃で撃たれたことないからなんとも言えないけどさ」

「それにしても、斜さんすごいね。あいつに勝っちゃうなんて、見直したよ」

 真糸は斜の顔を見上げながら言った。

 斜は苦笑いしながら頭をいた。実際のところは、勝利といえるほど、スマートな決着ではなかったし、雫が命を懸けてコングロマリットの背中側の【間合い】を見せてくれたから勝てたのだ。だから、められると少し後ろめたかった。

「まぁ、ウチのがんばりがあったからだけどね、ねぇ、斜」

「うん」

「真糸。ウチ、一つ忘れてた」

 雫が妙に真剣な顔で言った。

「何?」

「連絡先交換してなかった。会う機会は少なくなるかも知れないけど──ときどき会おうよ」

「……うん」

 真糸は、はにかみながら笑うと、

「あっ、でも携帯、家だ」

 と、の表情に戻って言った。

「じゃあ、紙かなんかに、連絡先書いておくから連絡して──斜とはるのも書いておくから。いいよね、斜?」

「うん、いいよ」

「それと、あのとき、助けてくれて、ありがとう。ウチが生きているのは真糸のおかげだよ」

 真糸は雫の感謝の言葉を聞くと、照れくさそうに、でも何故なぜか少しさびしそうに微笑ほほえんだ。

 二人は真糸の怪我にさわるとよくないので、そこで退散することにする。

「じゃあね。また来るよ。あと、最後に春からの伝言」

 斜は言おうか迷っていたが、伝えることにする。

「何?」

「怪我治ったら焼き肉だからな、だって」

 それを聞いた、真糸は苦笑していた。だけど、最後には、

「楽しみにしてる」

 と、笑いながら手を振った。



「で、その後は?」

「子供が一人増えて、大変だけど──まぁ、楽しくやってますね。先輩の言ったとおり、雫に本当の望みを教えられた人は全員、問題になりませんでした」

 春は報告のため、先輩のところに来ていた。

 結局、雫は春が預かることになった。これは雫の両親が育児を放棄ほうきしたわけではなく、彼らが雫の【到達のビーズ】で仕事にのめり込んだとき、海外出張を決めてしまったからだ。雫の両親は同じ職場で働いていて、彼らは前から長期の海外出張を打診されていたのだが、雫がいるからと断っていた。しかし、この二週間──二人が仕事一辺倒になってしまっている間に、雫の両親は出張を了承してしまい、引くに引けなくなってしまったとのことだった。

 春が、雫を預かるという話を雫の両親に納得させるのはかなり骨の折れる作業だった。赤の他人が子供を預かるなんて普通はあり得ない話だ。それでも、春は説得しきったのだが。

「だよね、問題なかったでしょ。まぁそうなるよねー。大体さー、人生の本当の目標を教えられたってさー、人間いずれは心変わりするもんねー」

 結局、雫が暴走させた人間のほとんどは二週間ほどで元の状態に戻った。一部の同級生だけがまだ戻っていないようだが──そこまで没頭できることがあるのは、ある意味幸せなのかも知れない。大抵たいていの人間は先輩の言うようにけろっと心変わりしたようだ。

 春は顚末てんまつを先輩に伝える。雫から聞き出したこと──彼女の目的や能力の詳細まですべて。

「つまり、雫ちゃんは、斜君の欲望だけは分からないってわけだ。こりゃあ、いい」

「はぁ……何がいいんですか?」

「私が考察するに、雫ちゃんの【ビーズ】は欲望を読み取るものではない。ちなみに、アリちゃんがこの前提出した宿題の答えは零点ね。ばかばかしくてちょっと笑えたけど」

「…………。えーと、人が人に触れる意味ですよね? 【ビーズ】が欲望を読み取るものではないというのは、どういうことですか?」

「あれは実のところ、欲望の情報を交換していると思うのだよ」

 もちろん、先輩は適当にこう言っているわけではない。先輩はずっと、雫や斜のような人間の研究をしている人間で──今はある意味、兼崎かねざきの上司に当たる人間だ。もちろん、先輩だって明確なことは何も分かっていないはずなので、その言葉が正しいという確証はないのだが、それでも、人より色々と知っているのは確かだ。

「情報の交換って、どういうことですか? 雫が受け取るだけの一方通行ではない?」

「違うと思う。どうもね、すべてが彼女にとって上手うまくいきすぎている」

「…………」

 春には上手くいっているとは到底思えなかった。雫は殺されかけていたわけだし。

「何故、アリちゃんはすぐにあの子を兼崎君に引き渡さなかった?」

「それは……先輩に意見を聞いてからにしようと思って」

「私に意見を聞いたところで──結局できることは変わらなくない?」

「……まぁ、そうですね」

「あれは欲望を読むと同時に自分の欲望を相手に伝えていると思うんだ。アリちゃんの話を聞く限りではね。雫ちゃんは〝新天地〟を探していたんだよね? 〝新天地〟って、よく分かんねーけど。でさ、雫ちゃんは斜君を観察したいと思い、アリちゃんのところに滞在した──そして、一度は連れ去られるものの、また斜君を観察できる場所に戻ってこれた。さらに、もう一つの観察対象の不器終雪ふきしゅうせつとのコネクションを維持しつつ、最終的に自分を受け入れてくれる斜君のいる〝誘拐屋〟に住むことになった。これが上手くいってないとは思えないね。彼女は自分の望みを相手の望みを知ると同時に教えてたんだよ。だから、触る必要があった。触るというのは知るのと同じくらい伝える行為だ。だから【ビーズ】に触らなきゃならなかった」

「……でも、それだと、私たちが雫の思いどおりに行動していたのがなぞなのですが」

「人間は基本、親切な生き物だよ。人に施すと自分もうれしくなる生き物だよ。あえて相手が困る行動を取る人間は少ない。それに【ビーズ】には催眠っぽい効果もあんのかもね? 無意識に直接願いをたたき込んでるわけだし」

「はぁ……でも、そうすると、なんで、斜が彼女を助けようとしたのか分からないのですが? 欲望の交換をしていないのにもかかわらず」

「だから、最初に言ったじゃん『こりゃあ、いい』って。気持ちを直接伝えた相手は根本的な解決とはならような対症療法しか取らなかったのに、気持ちの伝わっていなかった斜君だけが彼女を本当の意味で助けられたっていうのが、皮肉でいいじゃん」

「はぁ……」

 そもそも、【ビーズ】を触ることで気持ちを伝えているかどうかが分からないので、なんとも言えないのだが──そのことについて、先輩に突っ込むのはやめておいた。

「もしかするとさ、雫ちゃんの【ビーズ】はさ、研究にしか興味のないようなマッドなサイエンティストが人生でたった一人、女性を好きになって、でも根暗童貞ねくらどうていのマッドサイエンティストはとてもじゃないが普通のアプローチなんかできなくて、でもどうしても、気持ちを伝えたくて、そして、それと同じくらい、その人の気持ちを知りたかったから作った技術かもね。そのサイエンティストの恋愛はもちろん成就じょうじゅすることなんてなく、彼は、そのまま、この技術をてちゃうんだ。そういうストーリーだったらロマンチックだねー」

「はぁ……」

 これが先輩の論だ。雫の【ビーズ】のような能力は、ほかの世界で使われていた技術が、この世界に間違って顕現けんげんしてしまったものだという。

 この世界はひどく出来が悪く、ほかの世界との境界が上手く機能していないため、しばしば、ほかの世界の技術が流入してしまう──それが雫のような〝バグ〟だと、先輩は言っていた。斜は上位の権限を持っている人間とも言っていた。意味は分からないが。

 もちろん、春はそんなことは信じていない。こんなものは、証明のしようがないし、超能力で片付けてしまっていいと思っている。

 しかし、こういう夢物語を話している先輩は生き生きしていて可愛かわいいと思った。

「で、結局、雫ちゃんは自分の【ビーズ】を見たところで彼女の言う〝新天地〟とやらには辿たどり着けないことが分かっちゃったんだよね。二週間で効果切れるんだし。かわいそーだなー」

 人の不幸を笑っている先輩はあまり可愛くなかったが。



 その日、斜は春と雫、そして真糸の四人でとんかつを食べていた。本当は、すべてが終わったら焼き肉を食べに行くという約束だったのだが、春が、がんばった斜へのご褒美ということで、とんかつを食べに行くことにしてくれたのだ。──支払いをしたのは真糸だが。

 四人は食べ終わったあと、中野なかの駅で解散した。どうやら春は終雪に話があるようで、真糸とともに新宿に行くらしい。

 斜は夜の道を雫と二人で家に向かって歩いていた。

「雫はもう、こっちの生活に慣れた?」

「まぁね。さほど生活圏変わらないし。学校は二学期からだからねー」

 結局、雫は〝誘拐屋〟で暮らしつつ、真糸と同じ学校に通うことになった。つまるところ、〝誘拐屋〟が一番割を食った形だ。当たり前だが、兼崎からの報酬は得られず、子供の面倒を見ることになった。そして、一番得をしたのは終雪だろう。雫を彼女の生活費と教育費だけで影響下に置くことに成功したのだから。

「──雫はこれからも〝新天地〟ってやつを目指すの?」

 急な質問だが、聞きたかったことだ。

あきらめたわけじゃないよ」

 雫はそう宣言し、続ける。

「でも、ほとんど一からやり直しだね。というか、ウチの【ビーズ】じゃ、ダメみたいだね」

「そうみたいね」

 結局、人間というものは確固たる人生の目標を持つような生き物ではなかったようだ。

「正直、目指す場所も何を目指してるかも分からないけど──それが普通なんだよね。ウチは【ビーズ】に頼りすぎてた」

「…………」

「多分、正確な気持ちっていう時点でもう、完璧かんぺきじゃないんだろうね。迷っていて、分からないっていうのも──自分の本当の感情を見て見ぬ振りするのも、そういうのも全部ひっくるめて、完璧な気持ちなんだろうね。ウチは多分、物事の側面だけを見て、分かった気になってたんだと思う。【ビーズ】は多分、顕微鏡みたいなもんだったんだね。表面を詳細に理解することはできても全部は理解できない──どころか逆に見えない。ウチは多分【ビーズ】のせいで人と向きあっていなかったし、自分とも向きあっていなかったんだろうね」