Part 01: ……警察の娘であることが、嫌だった。 でも、最初から嫌っていたわけじゃない。むしろ幼い頃の私は、警察官である父を誇りにさえ思っていた。 困っている人、立場や力の弱い人がいたら手を差し伸べ、不幸に巻き込まれることがないように目を光らせる。 悪いことをするやつがいたら注意して、それでも改まることはないようであれば法に照らして捕まえ、更生の道へと導く――。 それを遂行するために一般人とは明らかに違う装備と権力を与えられて、職務のためにそれらの行使が許された特別な立場……それが、警察だ。 ただ、その特権を持ちえていることを決しておごらず、ひけらかさず……常に己を律し、模範であろうと努めて戒める。 まさに、ドラマや映画などに出てきて主役を張るような正義の味方だ。 さらに当時、私の通っていた小学校ではある刑事ドラマがブームになっていて……。 そのドラマの主役級である刑事を親に持つ子どもたち……つまり私や美雪などは、ちょっとした注目の的になったりもした。 お父さんが刑事さんなんてカッコイイ、羨ましいと言われるのは……正直、嬉しくて。 父の存在は私にとって、当時は確かに眩しくも誇らしいものだったのだ。 …………。 だけど、その憧憬の想いは……とある事件をきっかけにして粉々に打ち砕かれた。 『明和製菓毒入事件』――。 日本中を震撼させ、毎日のようにニュースや新聞などで取り上げられた昭和後期の大事件は、私がまだ小学校に上がる前に起きた。 『おまえたちの かしに どく いれるやめてほしかったら 1おく円 よこせ』 幼稚とも、小ばかにしているとも読み取れる1通の脅迫状が大手のお菓子メーカーである『明和製菓』に届けられたのが、事の始まり。 ただ最初は、ただのイタズラとして扱われた。実際、大企業にはこの手の身元不明の投書が時々あったので、きりがなかったからだ。 ……が、間もなくその予告は虚偽などではなく本気であったことを、万人が知ることになる。 ……脅迫状が公表されてから、数週間後の某日。都内のスーパーで、包装の破れた明和製菓のキャラメルが発見された。 「ただの不良品」……通常は廃棄して終わりだが、ニュースのことを思い出した店員は一応念のため警察へと届け出た。 ただの偶然……誰もがそう軽く考えた上で科捜研が鑑識を行ったところ、それは予想以上の「最悪」の判定結果をもたらした。 キャラメルの中には、猛毒の青酸カリが含まれていたのだ。しかもたった1粒だけで、大人でもたやすく命を落とすほどの含有量……。 「もし、そうと知らずに誰かが購入して口に入れていたとすれば……?」 明和製菓の経営陣は、その事実に震え上がった。1つが見つかったのであれば、もう1つ……いや、もっと数多くの混入があるかもしれない。 にもかかわらず、脅迫状を受け取っておきながらその状況を放置し……万一誰かが口にするという最悪の事態となれば、安全神話は崩壊する。 残るのは賠償金と、失われた商品への信頼……お菓子メーカーとして以降も存続することは、不可能となるだろう。 また、明和製菓の扱っているお菓子はキャラメルだけではない。飴、チョコレート、クッキー、ガム…… それらにも、同様に仕掛けられていないとも限らない。……ゆえに彼らは、苦渋の思いで全商品の回収と破棄を即座に決定したのだ。 …………。 ただ、騒ぎはそこでとどまらなかった。それどころか拡散し、膨張していった。 脅迫を受けたのは、当初のところ明和製菓だけ。彼らは自分たちの会社がそのような仕打ちを受けることに、全く心当たりがなかったという。 それゆえに他のお菓子メーカーもまた、明日は我が身と戦慄した。理由がないということはつまり、今後無差別に行われる可能性があるからだ。 自分たちの製品は、きっと大丈夫……?誰が証明できる? 信じられる? 否定できる? 全てのメーカーが疑心暗鬼に陥ったところへ、さらに追い打ちがかけられる。 「つぎは おまえの ところだかね はらったら ゆるしてやる」 業界全体の不安と混乱に応えるように、2社目のお菓子メーカー『ヴァロワ』へ類似の文章を綴った脅迫状が届けられた。 犯人名は、明和製菓の時と同じ……科捜研による筆跡鑑定でも、「同一犯の可能性が高い」との結果が下される。 その数週間後には、3社目が。さらに数日後には、4社目……。 こうなってしまうともはや、業界として取るべき対処はひとつ。……全商品の回収だった。 ある日を境に、駄菓子屋やスーパーから全てのお菓子が消えた。気軽に買えた飴やチョコは、私たちから遠い存在となった……。 被害額は、すぐに算出できないほど甚大だった。 「要求通り金を払っていればよかったのに」と知ったかぶりどもがTVの向こうで嘲笑っていた。 コメンテーターとは、実に気楽なものだ。己の発言や考えで自分や周囲に危害が及ばない無責任な立場だから、何とでも言い放題。 対してメーカーは、後手だの拙速だの言われてもまずは動かなければ組織を守ることができない。……殴られっぱなしで、気の毒だと心底思う。 そんな#p未曾有#sみぞう#rの混乱と停滞は、メーカー共同で包装紙を改良し……封を厳重にした新方式にて販売を再開するようになるまで続いた。 …………。 もっとも、甘い菓子より塩気のある菓子が好きだった私は、お菓子がなくなった間もあまり苦痛とは感じなかった。 お菓子好きの美雪は露骨に肩を落としていたが、その代わりに雪絵おばさんがいろんなお菓子を作ってくれて……そのたび私も相伴に預かった。 一緒に、お菓子作りの真似事もさせてもらった。市販のものはそこまで好きではなかったけど、自分で作ったお菓子は結構おいしく感じて……。 これはこれでいい、と思ってすらいたけど美雪はちょっと不満そうで……お前は贅沢だと笑ったことを覚えている。 …………。 そう……それだけの騒動であれば、まだよかった。後々の苦労話にできるくらいに、大したことではなかったのだ……だけど……ッ! 千雨: ……ッ……!! 思い出すたびに血が遡る。はらわたが煮えくり返る。 そう……私は……。 その騒動によって、大切な友達の命を奪われてしまったのだから……! Part 02: 当時、私の母方の実家では犬を飼っていた。電車で通える場所ではあったけれど、田畑と川が印象的な……典型的な田舎。 自宅の鍵はあってもかけないことが多く、飼っている犬猫には人間の残飯を与えることが当たり前な……時代に残された場所だった。 千雨: (平成になってからはその田舎も、鍵もかけて犬猫には専用の飯をやるようになったらしいけどな……) ……そんな冬の田舎でまだ幼かった私は段ボールに入れられた捨て犬を見つけて、祖父母の家に連れ帰った。 連れ帰った理由は……なんとなく。犬が寒そうに震えてて、つい可哀想になって……それだけの話。 ただ、それでも私はもうすぐやってくる自分の誕生日プレゼントとして、この子を飼いたいと両親と祖父母に頼んだ。 ……少し前までサメを飼いたいと言って家族全員を困らせていたので、犬ならいいかと無難なところで妥協させた結果だ。 ただ社宅では、ペット禁止。というわけで犬は、祖父母の家で番犬を兼ねて飼われることになった。 名前は、ホホジロ。命名者は私で由来はサメだが、頬の体毛が白かったこともあり、反対意見はなかった。 千雨の父: 『飼うと決めた以上は、最低週1回は通って。可能な限り面倒を見ろ。義父さんたちに任せて世話を怠ったりしたら、許さんぞ』 千雨(幼少): 『……わかった』 「サメだったら、気合も入ったけどな……」そんな愚痴を内心に押し隠していたのは、美雪にしか話していない内緒のことだ。 ただ、なんとなく飼い始めたとはいえ……ホホジロのことは早々に、私は気に入った。 鋭い目つきで荒々しそうに見えるが、性格はとても大人しくて滅多に吠えない。 ちょっと抜けていて呑気なところがあり、散歩と食べるのが大好き。そして素直で、私たちの注意はちゃんと聞く。 散歩に行っても、勝手にどこかへ行かない。頭をなでると、嬉しそうな顔で笑う……。 ホホジロではなく、あの温厚さを考えるとシロワニと名付けるべきだったかもしれない。 そんなふうに慕われて、疎ましく思うわけがない。サメが至上だった信条に、ほんの少しだけ浮気を付け加えようと考えたほどだった。 美雪に話したら会いたいと言うので、ガールスカウトが休みの日に、あいつを祖父母の家に連れて行ったこともある。 案の定、美雪はすぐにホホジロと仲良くなって3人で散歩した。 美雪(幼少): 『ホホジロは優しいねぇ。いい子だねぇ、かわいいねぇ』 美雪がそう言ってきた時は、そうだろうそうだろうと誇らしくなった。 美雪とホホジロと散歩している間、シロワニとネコザメが同じ大水槽で泳いでるのを見ている時のような……。 大好きな存在と大好きな存在が、目の前に同時に存在してる光景が、とても尊くて素晴らしいことだと思った。 …………。 美雪、お前、今も犬好きだよな。映画で犬が死ぬと悲しい顔するよな? なら、これ以上はやめておいた方がいい。だってここから先の話は、胸くそ悪いだけだ。 ……そうか、聞くか。じゃあ、最後まで聞け。 私の大事な友達が、永遠に……ッ……いなくなってしまったあの日のことを……! その日は、数日ほど続いた雨があがって朝から久しぶりの晴れ模様だった。 川が増水しているからしばらくこっちに来るなと祖父母に言われていた私は、天気予報を確認するといつも通り電車に乗り、祖父母の家に向かった。 千雨(幼少): ……こんな地面ぐちょぐちょなのに、ガールスカウトなんて美雪は大変だなぁ。 母も父も仕事だったので、私は靴を履いて鍵を閉め……団地の外へ出る。 そしていつものように祖父母の家へと向かったが、あいにく両人とも留守で私を出迎えてくれたのはホホジロだけだった。 彼は私の顔を見た途端、元気よく「わんっ」と吠えてみせた。 千雨(幼少): よっ、ホホジロ。元気か?風邪引いてないか? ホホジロ: わんっ。 千雨(幼少): ははっ、その感じだと大丈夫そうだな。ちょっと公園に行こうと思うんだが、お前も一緒に来るか? ホホジロ: わんっ♪ 散歩に誘われていることを理解したのか、ホホジロは繋がれた鎖をいっぱいに伸ばして私にじゃれつこうと寄ってくる。 見れば、尻尾をぶんぶんと振っている。……なるほど、こいつもまた雨続きで散歩ができず、欲求不満というわけか。 千雨(幼少): よし、行くぞ。社宅の兄ちゃんにもらったフリスビーを持ってきたから、こいつで遊ぼう! ホホジロ: わんわんっ。 そして私は、ホホジロにリードをつけて、いつもの空き地へ散歩へと向かった。 小さな木造小屋が放置されただけの空き地には、たまに遊んでいる子供がいるが……その日は雨上がりのせいか誰もいなかった。 人がいる場所でリードを外してはいけない……そう言われていた私は、嬉々としてホホジロのリードを外してやった。 千雨(幼少): ほら、行くぞー。とってこーい。 ホホジロ: わんっ! 私がスナップをかけてフリスビーを投げると、ホホジロはそれを目指してだっ、と駆けていく。 そして、軽くジャンプすると空中に舞っていた円盤を口にくわえ……見事に地面へ降り立った。 千雨(幼少): あはははっ、ナイスキャッチ!お前、ずいぶんうまくなったな! 本当にこいつは、とても勘がいい……この分だと次はボールでもできそうだ。 千雨(幼少): よーし、もういっちょ!次はあっちに投げるぞ~! ホホジロ: わんっ。 千雨(幼少): ふぅ……ちょっと調子に乗ってやりすぎたな。 前髪から滴り落ちる汗を手で振り払いながら、私はふと、喉に渇きを覚える。 ジュースか、甘いものでも口に入れたくなった。とはいえ、この近くにコンビニなんてものは……。 不審者: やぁ、お嬢ちゃん。 千雨(幼少): えっ……? 声をかけられた私は、振り返る。そこには身なりの整った、営業マンらしき男性が立っていた。 不審者: ははっ、元気がいいねぇ。その犬も、実に賢そうだ。今の芸は、お嬢ちゃんが仕込んだのかい? 千雨(幼少): あ、はい。そうです。 不審者: ほぉ、すごいなー! 今の動きだったら、テレビの動物ショーに出場できると思うよ。ぜひ今度、応募してみたらどうかな? 千雨(幼少): あ、あははは……まだまだですよ。でも、考えてみますね。 ホホジロのことを褒められたことが嬉しくて、私は少し照れながら男に笑い返す。 油断?……確かに、それはあったかもしれない。それに相手の身なりがあまりに整っていたので、まさかという思いがあって……。 多少なれなれしい態度も、田舎だとこれが普通なのかも……と思ってしまったのだ。 不審者: そうだ。いいものを見せてくれたお礼に、これをあげよう。 そう言って彼が差し出してきたクッキーの箱を、私は久しぶりに見た気がした。 千雨(幼少): あれ、このお菓子って……。 不審者: いや、実はさっき娘のためにお菓子を買ったんだが……どうもお気に召さなかったみたいでね。 不審者: もしよかったら、君が食べてくれないかい?もちろんただでいいよ、芸を見せてくれたお礼だ。 千雨(幼少): …………。 怪しさを感じないわけではなかった。だから即座に「結構です」と言いかけたほどだ。 だけど、差し出されたそれは数日前に美雪がしばらく食べていない、とこぼしていた例のお菓子だったので……。 千雨(幼少): (久しぶりに食べられたら、あいつは喜ぶかな……) 千雨(幼少): ……ありがとう、ございます。 素直に、受け取った……受け取ってしまった。 不審者: よかったら1枚、食べてみないかい?最近はお菓子があんまり売ってないから、懐かしいだろう? 千雨(幼少): えっ……。 不審者: どうしたんだい?せっかくなのに、食べないのかい? 不審者: プレゼントしたお礼に、味の感想を教えてくれよ。 千雨(幼少): え、ぁ……。 不審者: 食べてくれないなんて冷たい子だなぁ。まったく、親はどんなふうに育てたんだろ? 不審者: なんでせっかくの人の好意を、素直に受け取れないのかなぁ……? 千雨(幼少): あ、あの……。 不審者: 犬が好きな子は心が優しいと思ったのに、間違いだったかなぁわんちゃんも可哀想だねぇ。こんな子が飼い主なんて酷いねぇ嫌な子だねぇ……。 千雨(幼少): ……い、いただきます。 不審者: ――そう? よかった、じゃあどうぞ。 それまでべらべらと続けていた男が、急に口を閉ざして笑った瞬間、私はホッとした。 1枚食べれば、それで……終わる。祖父母の家に帰れる。ホホジロと一緒に。 私は箱を開けて、中から1枚つまみ出した。 久しぶりに手にしたそれは、美雪の家で食べた焼きたてクッキーに似て……熱くはないけど、ちょっとしっとりしていて。 千雨(幼少): ……わっ! と、柔らかくも重い衝撃が私の膝に伝わり、その衝撃でクッキーが手からこぼれ落ちる。 そして、ホホジロが長話に焦れて構ってほしいと甘えてきたのか、と見下ろした次の瞬間――。 地面に落ちたクッキーを、ホホジロがパクリと食べてしまった。 千雨(幼少): あっ! ホホジロは人の飯をもらっているせいか、誰かが落とした食べ物を即座に拾い食いしてしまう悪癖がある。 といっても、それは縁側に置いてある枝豆やうっかり落としたおにぎりのかけらなどで、お菓子は初めてだった。 ……だから、油断した。 千雨(幼少): ……。えっ……? お菓子を食べて、しばらくしてホホジロが……パタン、と倒れて。 ピンクの舌を出して、口から泡を吐いて、眼球が白眼になって――。 ガタガタブルブル震えながら、ごぼって口から泡と一緒にピンクのあぁ違う血が血が血がッッ! ホホジロ: ぐ、が……ぐ、ルガッ……! 千雨(幼少): ホホジロ? ホホジロ、ホホジロッ!! 跪いて必死に硬めの毛に覆われた身体を揺すったけれど、まるで何かに怯えるように激しくもがくように震えて……! ……ぱた……と、四肢が、地に落ちて。身体が……動かなく、なった。 千雨(幼少): ホホジロ、ホホジロ、ホ…………! 千雨(幼少): うぁあああああああぁああああッッ!! 泣き叫ぶ私の隣に……クッキーの箱を差し出した男は、もういなかった。 Part 03: 美雪(私服): …………。 表情を隠すように俯く千雨を見下ろしながら、私は言葉もなく愕然と息をのむ。 確かに彼女の前置き通り、とても……とても胸くその悪い話だった。 美雪(私服): 私、そんなことがあったなんて知らなかった。……結構前のことなのに、よく覚えてるね。 千雨(覚醒): 当たり前だ。片時だって忘れたことはない。 美雪(私服): ホホジロが死んだことは……知ってたよ。でもまさか、殺されたなんて……ッ……。 千雨(覚醒): 例の件は、箝口令が敷かれたからな。私だってことも公表されてない。犬の飼い主の女児、としか発表してないからな。 ……そのニュースには、覚えがある。 ただ、ホホジロの死の原因は、何かの病気か事故なのかとなんとなく考えていたので……まさかそれが千雨だとは思わなかったのだ。 そして、ホホジロが死んだ後の彼女が父親に言われるがまま始めたはずの格闘技に、より一層のめり込んでいくのを見て……。 美雪(私服): (真相を聞くべきじゃないって思ったんだ。千雨のことを、傷つけたくなかったから……) 千雨(覚醒): ホホジロが死んだことは、確かにショックだったさ。けど、けどな……! 千雨(覚醒): 私が一番頭に来てるのは、あれが毒入り事件の真犯人じゃなく、ただの模倣犯だったってことだ! 私が身体的特徴を伝えると、祖父母は心当たりがあったのかすぐにどこかへ電話をかけ――。 私の証言を元に、地元の若造が捕まった。 普段地元にいない私をよそ者と思い、いなくなってもすぐには騒がれないと犯行に及んだそうだ。 ……曰く。 お菓子ごときで全国で大騒ぎになっているのが、面白かった。 脅されて怯える連中が、バカに見えて……その一方で大手企業を手玉に取る犯人が、カッコいい存在に思われて。 そんなダークの魅力に満ちた犯人に憧れて、自分も同じことをやってみたいと考えたのだという。 それで、自宅から農薬を持ち出し……家にあったクッキーの箱に注射器で穴を開け、毒物を注入した――。 千雨(覚醒): つまり……企業を弄んだ真犯人のように自分の力と存在を誇示して、嘲笑いたかった……ってだけだったんだよあのクソ野郎は! 千雨(覚醒): しかも……しかもだ!ホホジロを殺した、あの野郎の罪状!『器物損壊罪』とはどういうことだ?! 千雨(覚醒): ホホジロはモノか? 生き物じゃないのかっ?ちゃんと意思があるってのに、道具を壊した程度の罪しかないってのはどういうことだ?! 千雨(覚醒): 親父も親父だ! ただ、仕方ないの一点張り!どういうことだよ! 取り締まるべき警察が何もしないなんて、何のための国家権力だ! 千雨(覚醒): わかるか? いっつも口にしてた正義がクソの役にも立たねぇってテメェ自身で証明しやがったんだよあのクソ親父はッ!! 美雪(私服): 千雨……。 千雨(覚醒): あぁ……あぁ、わかってるさ……!親父の件は八つ当たりだって! 千雨(覚醒): 本当に悪いのは、例のクソ野郎で……その次は、私だってことくらいな。 千雨(覚醒): あの時のこと……今でも夢に見るんだ。もし私が、あのまま知らずに持って帰って……。 千雨(覚醒): そして美雪の家に遊びに行って、お前や雪絵おばさんに食べさせていたとしたら、私は……私はッ!! 美雪(私服): ……千雨は、悪くないよ。言うことを聞いたら、すぐ解放されると思ったんでしょ? 美雪(私服): 大人の男の人にそんな風に言われたら、私だって怖くなって……その通りにすると思う。 美雪(私服): 千雨は格闘技やってたかもしれないけど、キミは子どもで、相手は成人男性なんだ。そんなの、怖くて当然だよ……。 それに……もしかして、だけど。 ひょっとしたらホホジロは全てを理解して、千雨に恩を返そうとクッキーを落とさせ……自ら口にしたのかもしれない。 そう思ってしまう程に、千雨とホホジロは仲良しだった。 ……私が親友を取られたようで、ちょっと寂しいと思ってしまうほどに。 美雪(私服): ……騙すほうが、悪い。千雨は悪くない。 美雪(私服): でも……どうして、今その話をしたの? 千雨(覚醒): ちょっと前に聞いたんだよ。あの野郎、もう刑期を終えて出所してやがったって。 千雨(覚醒): どうやら……過去のことなんか忘れて、毎日を楽しく謳歌してるんだとさ……! 美雪(私服): ……どうやって知ったの?その情報、いったいどこから……? 千雨(覚醒): 私には、私しか知らない調べ方がある。……だからこそ、私はわかったんだよ。 千雨(覚醒): 正しいことをしたかったら、力がいる。そして悪い連中を一掃したかったら、法や倫理が一番、邪魔になってくる……ってな!! 美雪(私服): なっ……?! 千雨(覚醒): ……わかったのさ。この騒ぎを引き起こした連中が企んでることの、全てがな……! 千雨(覚醒): そして、結局外道の限りを尽くすやつらをきれいさっぱり片づけるには、話し合いや正攻法では一切解決しない……。 千雨(覚醒): だったら私は、鬼にでも悪魔にでもなってやる!手も汚さず、もっともらしい理想論なんかで甘っちょろくごまかす連中なんてくそくらえだ! 千雨(覚醒): 私は、私の正義をどこまでも貫いてやる!そのためだったら、たとえ犯罪者の汚名を着せられることだって覚悟の上だ!! 美雪(私服): 千雨っ……! 千雨(覚醒): ……最初に言っておく。私は、お前を相手にするつもりはない。お前に死んで欲しくない。生きててほしい。 千雨(覚醒): だからこそ、私を止めるっていうなら……一切の容赦はしない。 そこで千雨は、ふっと表情を和らげる。だけど、その目は鋭い刃物のように恐ろしくて、禍々しくてっ……! 千雨(覚醒): ……安心しろ。お前のやりたいことは、私がやってやる。 千雨(覚醒): それでも、邪魔をするってんなら……骨の1、2本は覚悟しておけ。 美雪(私服): (うぁ、ぁあ、ぁああ……!!) 私は心の中で、叫びともうめきとも取れぬ悲鳴をあげる。 ……千雨はもう、決めてしまったのだ。おそらく、私が最も忌むべきと考えて捨ててしまった選択と決断を……!! 美雪(私服): そんなの……そんなの、頼んでない!望んでない!だからやめてよ、千雨ッッ!! 千雨(覚醒): ……お前は優しいな。そんなお前だから、きっと人なんて殺せない。 千雨(覚醒): でも……今の私だったら、「やつら」を殺すも生かすも自由にできる!それが、力を持つってことだろ?! 美雪(私服): ち……違う!おじさんはそんなことを言わなかったよ! 千雨(覚醒): だから死んで切り刻まれたんだろうがッッ!! 美雪(私服): ……ッ……!! その言葉で、わかった。わかってしまった。わかりたくなかったけど……わからされてしまった。 美雪(私服): (あぁ、ダメだ) 美雪(私服): (これ以上、千雨の耳に私の言葉は届かない。彼女に届くのは、もう――暴力しか、ない) 美雪(私服): ……力尽くで、止めるしかないの? 千雨(覚醒): やってみろよ。ウォーミングアップがてら付き合ってやる。 千雨が構える。いつもは頼もしく見ていた攻撃の予備動作の矛先が、今は私に向けられているその事実と、威圧感が恐ろしくて恐ろしくて――。 千雨(覚醒): せっかく手に入れた力だ……私が信じる正義の行使とやらに、せいぜい活用してやらあぁぁぁあっっ!! 千雨(覚醒): ……おい……美雪。起きろって、こら。 美雪(私服): ……んぁ……? 肩を揺すぶられて、目を開ける。 千雨: おはよう。 美雪(私服): え、えっと……ここは? 千雨: まだ寝ぼけてるのか……?周り見たらわかるだろ、バスの中だよ。 美雪(私服): …………。 千雨: なんだかうなされてたみたいだが……変な夢でも見たのか? 美雪(私服): あ、うん。……まぁ、そんな感じ。ところで、ここ……どのあたり? 千雨: 次で駅だ。到着までまだ少し時間があるが、降りる準備はしておけ。 美雪(私服): ……。ねぇ、千雨。変なことを尋ねるけど……いい? 千雨: なんだ、藪から棒に。サメか? サメ絡みのやつか? 美雪(私服): ホホジロのこと。 千雨: ……ホホジロザメか? 美雪(私服): 犬の方だよ……千雨がお婆ちゃんの家で、飼ってた。 千雨: …………。 あぁ、とため息のような声がこぼれて。いつもは鋭い目元が、ほんの少し……寂しそうに、細められる。 千雨: 忘れるわけないだろ。で、それがどうした? 美雪(私服): その、えっと……。 もごもごと口を動かして、言葉を探して今見た夢を、どう言えばいいかわからなくて。 美雪(私服): ……ごめん。やっぱり、なんでもない。 千雨: ひょっとして……ホホジロを殺した犯人がこの前刑期を終えて出所した、って話か? 美雪(私服): ……っ……?! 千雨: 図星か。どこで知ったんだか……まぁ、私が知ってるんだから不思議でもないか。 千雨: 確かに……そいつには多少どころか濃すぎるくらいにわだかまりだの、恨みだのはあるが……。 千雨: 今はそんなことよりも、絶対にやらなきゃいけないことがある。 千雨: 少なくとも、ホホジロを殺した犯人より今はお前の一穂ちゃんに会いたいって願いを叶えるほうが優先だ。 千雨: こっちはタイムリミットもよくわからないからな……だろ? 美雪(私服): うん……そうだね。 その言葉に、ほっとすると千雨が不満そうに唇を尖らせた。 千雨: なんだよ。まさか、私がその犯人に復讐しに行くとでも思ったか? 美雪(私服): いや、うん……ごめん。危ないことをするかもって、ちらっと思った。 千雨: 今はお前の方が危なっかしいぞ。一穂ちゃんを引き戻すためなら、危ない橋も渡る気満々って感じだからな。 美雪(私服): それは、否定できないかな。 千雨: まぁ……それでもいい。……お前は、感情のまま突き進め。 千雨: その分、私が冷静でいてやる。だから……本来の目的を忘れて、感情にとらわれたりはしないさ。 美雪(私服): うん……ありがと。 …………。 千雨:         今のところは、まだ……な。