Part 01: 詩音: ……以上が、私が同じ時間の「繰り返し」の中で精一杯あがいてきた、「今日」この時点までの顛末です。 灯: …………。 詩音: くっくっくっ……まぁ、信じられませんよね。酷い戯言を語っているって思われても仕方がないと、我ながら呆れちゃいたくなるくらいです。 詩音: 悪い夢か、あるいは虚言、妄想……好きなふうに解釈してもらっても一向に構いません。自由に、存分に吟味してみてください。 詩音: いずれにしても、あんたがとにかく話せと言うから全部ぶちまけてやりました。……これで満足ですか? 灯: はい。……なかなか波瀾万丈に加えて濃密な内容で、久しぶりに思考回路をフル稼働させた気分です。 灯: 往年の名作とされたパニックホラー映画でも、ここまでの要素を盛り込んだものはないでしょう。まさに『真実は小説よりも奇なり』の類いですね。 詩音: いや、それを言うなら「真実」じゃなくて「事実」じゃないですか……って、あれ?この2つって同じ意味でしたっけ? 灯: 似ているようで、違いますよ。「真実」は人によって観点や解釈が変わりますが、「事実」は客観的に見た出来事そのものです。 灯: つまり、今のお話には園崎先輩の主観が入っている以上、「真実」の方が正しいと思います。 詩音: 人の数だけ真実があり、正義が存在する……。つまり私にとっては紛れもない真であっても、あんたにとっては偽……そういうことですか? 灯: いいえ。……私にとっても、今のあなたのお話は「真実」です。 詩音: えっ……? 灯: 残念ながら客観的な観点がない以上「事実」ではない。ですが私は、自分の意思と判断で「本当」だと思った。だから、「真実」なんです。 灯: ……信じますよ、あなたのお話。これが、私の嘘偽りない本心からの答えです。 詩音: っ……そうやってあんたが、えらく理屈っぽい言い回しをしてくるのにはようやく慣れてきましたが……。 詩音: なんで、信じられると思ったんです?自分で言うのも何ですが荒唐無稽の極みで、非常識にも程がある内容だったのに……? 灯: ……嘘を語る時、人は動揺や後ろめたさを悟られまいとして感情を消すか、ごまかします。また妄想を口にする人は、表情に愉悦を浮かべる。 灯: でも、語っていた先輩は、そのどちらでもなかった。現場を見て、動き、感じてきた「真実」を感情的に、そして辛く悲しい思いをずっとかみしめていた。 灯: 何よりあなたは、その惨劇とは無縁の立場にいる私に知っていることを詳らかに話してくれました。全てを教えて欲しい、という私の求めに応えて……。 灯: だから私は、園崎先輩を信じます。そしてあなたの語ってくれたことも……どうか、信じさせてください。 詩音: ……。本当に、あんたは変わっていますね。偏屈なのか素直なのか、いまだに判断がつかないです。 灯: その辺りは、先輩の感じるままで結構です。自分がどんな人間なのかは、相手の価値観によって上下左右に変化するものだと思いますので。 灯: ……では、今の話を聞いて1つ質問をさせてください。 詩音: 1つ……で、いいんですか? 灯: 訂正します。話しているうちにまた新たな疑問が出てくる可能性があるので、まずは1つ目の質問です。 灯: 信じてもらえるかどうかわからないとご自分でわかっていながら、どうして今のお話を私に打ち明けようと思ったのですか? 詩音: くっくっくっ……特に意図なんてありませんよ。 詩音: こんなことを言うと、あんたはがっかりするかもしれませんが……誰でもよかったような気がします。 詩音: 正直言って、自分ひとりで抱え続けているのはそろそろ辛くなってきたところだったんですよ。 灯: なるほど。私はいわば、『王様の耳はロバの耳』の穴だったわけですね。 詩音: そういうことです。……まぁあんたはなんだかんだで口が堅そうだから、葦みたいに語り出したりはしないでしょうが。 詩音: あとは……そうですね。あえて他に理由を付け加えるのだとしたら……。 詩音: 笑われるのはまぁしょうがないとしても、あんただったらそれなりに話の中身に興味を持って最後まで聞いてくれるんじゃないか……。 詩音: ……なーんて。そんなことを、思ったからかもしれませんね。 灯: ……先輩が語り始めた時、笑いながら茶々を入れてつい水を差してしまったのは、大変失礼しました。創作話で、私を試しているのかと思いましたので。 灯: ただ……作り話にしては娯楽性が全くなく、語っている先輩自身が抱えてきた積年の想い……後悔がひしひしと伝わってきた。 灯: なにより、誰かを思いながら悲しい顔をして語られる内容の、裏の意図を見抜けないようでは……私は相手に対して不誠実だ、と叱られてしまいます。 詩音: ……それは、いつも語っているお姉さんにですか?それとも自由な旅人の叔父さんに? 灯: どっちにも……だと思います。自分の価値観を守るのと同じくらいに相手の価値観を尊重して向き合うべきだ、と常々言っていましたから。 詩音: ……。あぁ、そうだ。あなたに話した理由、もう1つあることを思い出しました。 灯: ? それは、何ですか? 詩音: 毎日毎日、飽きもせず暇を見ては私の部屋に押しかけてきて……一方的に延々と話を聞かされるのに、うんざりしていたんです。 灯: ……つまり、そろそろ自分の話も聞けと? 詩音: 無視しても拒否しても、てんで効果がありませんでしたからね……。逆に呆れさせてやろうと思ったんですが。 詩音: まさか真面目に聞いて、しかもまるっと信じるとはさすがに予想外でした。……あんたって、鬼ヶ淵なみの底なし沼ですね。 灯: それは褒め言葉……と受け取ってよろしいんでしょうか。なにはともあれ、お話が聞けてよかったです……ゆぷぃ。 詩音: ……。それで、あんたはどうするつもりです? 灯: どう……とは? 詩音: 私が体験してきた「真実」は、今話したものが全て。現状は、お姉から届いた手紙に書いていた通りです。 詩音: あなたならこの絶望的な状況を、どうしますか……? 灯: …………。 灯: ありがとうございます、園崎先輩。 詩音: は……? 灯: あなたのおかげで、この先の目標ができました。こういう袋小路に閉ざされた艱難辛苦の運命を、私はずっと待ち焦がれていたんです――。 10年前の詩音が灯さんに告げたという、#p雛見沢#sひなみざわ#rで進められていた「恐ろしい計画」――。 その内容がすぐには理解できず、私は困惑で頭の中が真っ白になるのを覚えていた。 美雪(私服): 世界中の人間の思考を乗っ取って、自在に操る……っ?そんなことを、どうやって可能にするのさ?! 灯: 理論や手段……詳しい話は、園崎先輩もほとんどわかっていないと言っていたよ。 灯: ただ、故郷の風土病を研究していた某医療チームが、その手段を実現させた……らしいとのことで。 灯: えーっと、なんて名前の病気だったかな……。ひな、ひなの……ひなさわ……? 記憶を頭の奥からほじくり出そうという意図なのか、灯さんは天を仰ぎながらぶつぶつと呟き始める。 その言葉の断片から正解の答えを私たちの中で真っ先に導き出したのは、やはり頭の回転が早い菜央だった。 菜央(私服(二部)): それって……雛見沢、症候群……っ? 灯: あぁ、確かそんな名前だったね。 灯: なんでもその病気の因子……寄生虫だったかな。そいつは人の脳に寄生することで、宿主の思考や感情に干渉する力があるそうだよ。 灯: で……その因子を応用することで複数の人間を発信者の意のままに操ることができる……さながらラジコンを動かすように、と。 美雪(私服): な……っ……?! 雪絵: 『雛見沢症候群』は、思考誘導能力を持った寄生虫……いえ、極小単位の生命体。 雪絵: わかりやすく言うと、寄生した人の意識を乗っ取り、その言動をも支配するウィルス……だそうよ。 美雪(私服): (お母さんが言ってたことと、同じだ……!そして私たちは、それが実際に起こった現場をこの目で見てきた……「あの」雛見沢でッ!!) #p綿流#sわたなが#rしの日。村人たちが突然凶暴化して、誰彼構わず人を襲うようになったあの惨劇――。 世に知られた火山性ガスの自然災害じゃない、もう一つの『大災害』。あれが何者かの意思によって引き起こされたものだったとしたら……? 美雪(私服): #p祟#sたた#rりとか、オカルトとか……再現不可能な非科学現象じゃない! 美雪(私服): 意図も理由も、理屈もわからないけど……あの大災害は誰かの#p思惑#sおもわく#rによって引き起こされた、人為的な人体実験だったってことに……?! 千雨: 人の意思と行動を操る、寄生虫という名の生命体、ウィルス……か。確かに雪絵おばさんが言ってた通りだな。 そんな感じに、私たちがこれまでの記憶と突合して盛り上がりを見せる中……。 この場にいた魅音だけがひとり、戸惑った表情でぽかん、と立ち尽くしている姿が視界の端に映った。 美雪(私服): ? どうしたのさ、魅音。 魅音(25歳): えっと……ごめん。悪いけど、私だけどういうことなのかわかんなくて。……いったい何の話をしているの? 菜央(私服(二部)): 何って……あっ、そうか。魅音さんはまだ、『雛見沢症候群』について詳しい話をまだ聞いていなかったのね。 美雪(私服): えっ……そうだったの? 魅音(25歳): うん。一応梨花ちゃんから、鷹野さんたちが『雛見沢症候群』について研究しているって話を一緒に聞いたことは覚えているけどさ。 魅音(25歳): で、その研究を途中で打ち切られるってことに絶望した彼女が、村を巻き込んで引き起こしたのが『雛見沢大災害』……そうだったよね? 菜央(私服(二部)): えぇ、その通りよ。とりあえず詳しい説明はあとでちゃんとするから、『雛見沢症候群』は人の意思や意識に干渉する極小単位の生命体――。 菜央(私服(二部)): その認識だけで、たぶん大丈夫だと思うわ。 魅音(25歳): ……わかった。 菜央の要約は少し乱暴に思えるくらいの内容だったが、まだ困惑を残しながらも魅音はなんとか頷いてくれる。 彼女だけを置いてきぼりにしてしまうのは、さすがに申し訳ないけど……今は詳しい説明をしている余裕がないので、我慢してもらおう。 魅音(25歳): にしても、そんな病気が雛見沢にあったなんて全然知らなかったよ。御三家として梨花ちゃんの近くにいたってのに、情けない話だねぇ。 菜央(私服(二部)): 仕方ないわ。梨花だって、そんな荒唐無稽な話を魅音さんたちにしたところで到底信じてもらえるはずがない、って……言って……? 美雪(私服): ……菜央? 魅音にフォローを入れた菜央の言葉が徐々に小さくなっていくのを感じた私は、違和感を抱いて彼女に尋ねかける。 すると彼女は、少し無言でうつむいた後……はっ、と顔を上げ私に向かっていった。 菜央(私服(二部)): ……おかしいわ。 美雪(私服): 何が? 菜央(私服(二部)): だって、梨花は言ってたのよ?『雛見沢症候群』はあの地域限定の風土病だから、他の場所で応用することはできないって……! 梨花(私服): みー……赤坂。だとしても、『雛見沢症候群』を兵器にするなんて話がおかしすぎるのですよ。 菜央(私服(二部)): どういう意味?なんでおかしいって、梨花は断言できるの? 梨花(私服): 『雛見沢症候群』はボクのような女王感染者が存在することが前提の、地域性の高い風土病なのです。 梨花(私服): 雛見沢の村人たちが発症すると、疑心暗鬼に駆られて攻撃的な異常行動、その果てに自傷に走る……というものになりますのです。 梨花(私服): つまり、細菌兵器などのように即効の毒性もなく、また量産などで大量に生み出すことも不可能です。それをどうやって軍事兵器にしようというのですか? 美雪(私服): ……そんなことを、梨花ちゃんは言ってたんだね。 千雨: 女王感染者のみが、特定の村人たちを支配下に置いてコントロールできる……か。しかし、それって本当に可能なのか? 菜央(私服(二部)): えぇ、可能よ。たとえば、前原さんが梨花をいじめたってことで家族ごと村を追い出されたってことがあったでしょ? 菜央(私服(二部)): あれなんて、典型的な意識操作だと思うんだけど……。 魅音(25歳): あっ……! 圭一(私服): んじゃ、まず……俺に梨花ちゃんの件で問い詰めてきた時のことだ。そもそも、俺が梨花ちゃんがいじめた、って誰から聞いたんだ? 魅音(私服): えっと、それは……梨花ちゃんから直接、相談を受けたんだよ。 詩音(私服): 梨花ちゃまが……ですか? 魅音(私服): うん。私も、話を聞いた時は冗談か、って思ったよ。何かの罰ゲームでもやるつもりなのかな、とか、もしくはちょっとした、ただの勘違いだろうって。 魅音(私服): ……けど、話を聞いてるうちに頭の中にもやがかかったみたいに、ぼんやりして……。 魅音(私服): 圭ちゃんが、急にとんでもなく憎たらしいやつに感じるようになっちゃったんだよ。その後はもう……なんていうか、その……。 魅音(25歳): あれは、圭ちゃんを村の外に逃がすためだった……?じゃあ、梨花ちゃんは私たちが誰かに意識を乗っ取られつつあることに気づいていたってことっ? 実際、前原くんだけは意識を乗っ取られることなく#p興宮#sおきのみや#rに居を構え、詩音と組んで私たちを助けてくれた。 美雪(私服): だとしたら、雛見沢から平成へ戻る直前、梨花ちゃんが口にしてた言葉の意味ってなんだったんだろう……。 梨花(私服): ど、どういうこと……?村人たちが、私の言うことを聞かない……?! 梨花(私服): なんで、なんでまた元に戻って……?! 千雨: そんなことを言ってたのか、梨花ちゃんは……? 美雪(私服): うん。千雨が気絶した後のことだったから、キミは聞いてなかったんだね。 あの時梨花ちゃんは、確かに「また元に戻って」って言った……あれはいったい、何を指していたのだろう。 魅音(25歳): さすがにわからないね。確かに梨花ちゃんが他人に言うことを聞かせられるなら、そもそも監禁も襲われることもないだろうし……。 千雨: だな。そもそも他人を操れるんだったら、前原とかに直接自分を守るように操るほうが確実だ。 千雨: 遠回りに他人を使って追い出す必要はないし、だいいち非効率的じゃないか。 美雪(私服): それは、確かに……。 結局、梨花ちゃんは他人を操れるのか?それとも操れないのか……? 単純な二択のはずなのに、いろんな要因が絡み合って結論が出ない……。 頭を抱えていると、えーっと遠慮がちな声があがり困惑しきりの南井さんがこちらを見ていた。 巴: ……ごめんなさい。結局、どういうことなの? 美雪(私服): 梨花ちゃんはまだ、私たちに話してなかったことがある……ってことです。 巴: そう……残念だけど、死人に話が聞けない以上、確かめる術はもうなさそうね。 魅音(25歳): …………。 唇を噛みしめ、魅音がうなだれる。 もしかしたら生きているかもしれないという可能性が出てこない以上、魅音は梨花ちゃんの紛うことなき死を自らで確認したのかもしれない。 美雪(私服): (いや、確認したかったのは詩音の情報源もだけど……) 人間の思考を乗っ取って、自在に操る。しかも雛見沢の人々だけでなく、世界中の人間という大規模かつ非常識なレベルでだ。 もし、詩音が違う誰かからその情報を聞いたとしたなら、信憑性以上に重要度が変わってくる。 だから、彼女が誰と接点を持ったのかを確かめたかったが……残念ながら2人とも、存命ではない。またしても手がかりは途絶えてしまっていた……。 灯: 事情は、よくわかった。……だとしたら、夏美さんのもとに急いだ方がいい。 美雪(私服): えっ……? 話し込む私たちを黙して見守っていた灯さんがぽつり、と語った内容に、間抜けな声をあげてしまう。 彼女は表情を改め、わずかに焦りのような色を表情に浮かべながら言葉を繋いでいった。 灯: 「繰り返す者」の存在は、敵の勢力も把握済みだ。病院で監禁中は間は放置されていたようだけど……連れ出されたとなると、話は変わる。 千雨: っ……敵ってのは、何のことだ?あんたはいったい、どこまで知ってるんだ?! 灯: 少なくともこっち側の「世界」に関しては、君たちよりも多少のことは詳しいと思うよ。本当に多少程度だけどね。 食ってかかる千雨を優雅にかわしながら灯さんは空を見る。そして、山の端から登ってくる夕焼けに目を見張っていった。 灯: っと、こんな話をしている場合じゃない。とにかく急がないと、彼女が……! 巴: ――大丈夫よ。 慌てる灯さんの頭に、南井さんの手がぽんと乗る。 巴: 大事な大事な私の友人を、無防備のまま放置しておくわけないでしょ?ちゃんと手は打っておいたわ。 灯さんの頭を興奮する犬を宥めるように緩く柔らかく撫でながら……。 巴: それにね……。 笑う南井さんの顔には獰猛な笑みが浮かんでいた。 巴: ……こっちも一方的にやられ続けてはらわた煮えくり返って限界に来ていたところよ。 巴: というわけでそろそろ、反撃に出るとしましょうかね……ッ! Part 02: ……夕日で赤く染まる病室の中、ひとりの女性が穏やかに眠っている。 静まりかえった室内で聞こえるのは、彼女の深い呼吸音だけだ。他に音らしきものは何もない。 …………。 と、そんな中。入口のドアがノブを鳴らすことなく開かれて……室内に何者かが一名、足音を忍ばせて入ってきた。 侵入者: …………。 侵入者は素早く周囲を見渡し、吹き込む風でたなびくカーテンを押さえながら開かれた窓をそっと閉じる。 そして、誰の気配のないことも確認してからベッドの側へ歩み寄ろうと足を踏み出し――。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: ――動かないで。 声に反応して振り返ると、物陰に身を潜めていたのか……ひとりの女性が銃を構えている姿が、視界に映し出された。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 多士済々、というには癖がありすぎる面子が揃っていたからね。……名簿作りには苦労させられたわ。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: ただ、おかげで色々とわかったことがあった。驚くことだらけで、退屈はしなかったくらいよ。 侵入者: …………。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: それにしても、よくもまぁあれだけの個性派連中を一カ所に集めたものね。問題児にトラブルメーカー、過去に傷あり……。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: そして、『ダブル』……二重スパイ。 侵入者: …………。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: だから驚いたな、って言うのは嘘かな。本音を言うとね……。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: がっかりしたよ……比護くん。 比護: ――――。 ベッドの脇に立っていた眼帯の男はそれを聞いても特に狼狽した様子もなく、無言のまま女性……秋武の顔を見据える。 向かい合う、広報センターの2人の職員。そして徒手の彼の動向を油断なくうかがいながら、銃を持つ彼女はなおも語っていった。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: あなたの背後にいるのは、何者?神奈川県警の素行不良刑事って触れ込みだったけど、それは嘘……だよね? 比護: …………。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: だってあなた、真面目すぎるんだもの。お茶出しから掃除、ゴミ捨てと細々働くしさ。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: おまけに、煙草も吸わない。悪ぶっている高校生でも吸ってみせたりするのに、装う気が無いのにも程があるわよ。 比護: ……煙草は嫌いだ。あんな、呼吸器系と循環器系を痛めるだけのものを嗜む輩の気が知れない。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: その意見には、私も同意ね。……で、あなたは何者?だいたい想像がついているけど、自分の口で言って。 比護: ……厚生省地方厚生局、麻薬取締部横浜分室。薬物審議セクション所属捜査官。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: ……あぁ、そう。なるほど……。それで、高野製薬へのアポをねじ込めたわけだ。面会まで何ヶ月待ちなんてザラな相手なのにね。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: で……麻取時代の「記憶」とやらを持つ夏美さんの口を封じようと思って、ここに乗り込んできたってわけ……? 比護: ……違う。彼女の命を奪いに来たんじゃない。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: えっ……?それはいったい、どういう……、っ?! 秋武が真意を問いただすより早く、比護は彼女に背を向け夏美を覆う上掛け布団を掴んで、床に放り投げる。 そして、驚くより早く銃を構えた同僚の視線と銃口を受けつつ、彼はベッドシーツで手早く夏美の身体を包み肩に担ぎ上げた。 比護: ……南井さんからの命令。 それだけ答えると、比護は廊下へと足を向ける。一瞬呆気にとられた秋武だったが、すぐに我に返って彼の後を追いかけた。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: あ、ちょっと……?南井さんの命令って、どういうことよ……! 秋武は銃を脇のホルスターに収め、廊下へ出てからどこかへと向かおうとする比護に追いつく。 そして横に並び、さっきまでの緊張した空気に水を差された不快感に顔をしかめながら、なおも食い下がっていった。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: あのね……それを言うなら私も南井さんに頼まれた上で、藤堂夏美さんの警護についていたのよ? #p秋武麗#sあきたけうらら#r: なのに、どうしてあんたがここに?ちゃんと説明してよ……! 比護: ……お前は、注意を引きつけるための囮。俺は、本命の敵が現れた時のための保護役。 比護: 状況が変わったから、役目を果たしに来た。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 保護の役目だったら、私だって遂行できるわ。これでも荒事に備えてきているんだからね。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: それとも……最初に相談されたのは自分の方だった、ってアピールってこと? 比護: 事実、先に相談された。……早い者勝ち。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: なっ……この……っ! 思わずむっ、となって、秋武はこぶしを振り上げる。……が、すぐにそれを下ろすと比護に改まった口調で尋ねかけていった。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 比護くん。……南井さんの予言めいた話、あなたはどこまで信じているの? 向かう先が非常口であることに気づいているからこその問いかけに、彼は片目で前を見たまま答えた。 比護: ……昔神奈川で起きた、トンネルの崩落事故。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: えっと……ご両親とお兄さんが亡くなって、比護くんも大怪我したっていう事故のこと? 比護: 兄は崩落事故を予言した。事故の、半年以上も前に。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 初耳なんだけど……。 比護: 初めて言った。 比護は夏美の身体を担ぎ直しながら、視線だけは前に向けて淡々と語る。……その表情の変化を、隠すように。 比護: あの言葉を……俺たちは、誰も信じなかった。兄のためなら喜んで何でも犠牲にした親も、怪我の治療に命をかけた病院の人たちも……。 比護: 誰も……俺でさえ、本当に崩落事故が起こるなんて、信じなかった。だが、実際に事故は起きた……そして……。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: …………。 比護: 予言を信じなかったことは、後悔していない。でも……もし南井さんの話が予言だったとしたら、真と判明した時に後悔する。 比護: だから権限を使って動いて、調べて、あがいて……ようやく掴むことができた。あとは……。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: ……? ちょ、ちょっと待って。なんだか廊下、静かすぎない? 比護: ……? 周囲を見渡す秋武に、言われてみればと比護が口と足を止めると同時に――。 廊下の奥から足音が響いて徐々に大きくなり、複数の人間がわらわらと吐き出されるように彼らの前へと現れた。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: ……っ……?! うつろな目をした職員たちは餓えた動物が食物へ群がるような光景……。 だが彼らの立ち振る舞いには、全く自我が感じられないがゆえに異様な気配が生まれていて……。 その狂気とも呼べる意思の空気は、まっすぐ彼らへと向けられていた……! #p秋武麗#sあきたけうらら#r: な……なんなの、あの人たちっ?!笛吹き男にでも操られているの?! 比護: すまん……誤算。これほど警察の内部深くにまで支配が及んでいたとは……。 比護: 時間稼ぎができると思って、警察病院からここに運び込んだのが仇になった……。 それまでの無表情の中に苦虫をかみつぶすような色を浮かべながら、比護は片手で夏美を抱え直しスーツ裏に手を入れ拳銃を取り出す。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: っ……待って! こちらへ向かってくる人々に銃を向けらる直前、秋武はその銃口を手で抑えた。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 一般人を撃とうとするなんて、正気っ?あとで大問題になるよ?! 比護: ……お前はここで何もしなくていい。懲戒免職は俺ひとりだけでいい。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 冗談……っ!その役目は南井巴警視の子分Aの私がもらう! 比護: 年功序列。俺がA。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 社会人になったら、たかが2歳差なんて誤差だよ!第一、片目片手で銃撃てるの?! 比護: ……。あまり自信はない。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: だったら夏美さん連れて、引っ込んでてっ!というかなんでシーツでくるんだのっ? 拘束?! 比護: ……。旦那以外の男に直接触れられるのは、嫌じゃないかって。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 優しいねぇ、ご立派! でもその気遣いが原因で、夏美さんがズレ落ちかけているんだけど?! 比護が慌てて肩からズレ落ちかけた夏美を抱え直す間に、秋武は懐から銃を取り出して構える。 どちらが引き金を引くが、先か。そもそも攻撃の意思を向けられた人間は考えることなく、彼らに群がろうと手を伸ばした――次の瞬間。 美雪(私服): でやぁぁああぁっっ!! 彼と彼女の背後から突如現れた少女が、走った勢いのまま先頭集団を文字通り蹴り飛ばした。 みんなに比べ足の遅いあたしがやっと現場に到着した頃には、すでに現場の空気はほとんど塗り変わっていた。 まず、まっすぐ飛び出した美雪の蹴りが先頭集団を崩し、そこに魅音さんが『ロールカード』の一撃を叩き込んで亀裂を生み出し……。 強引に割って入った千雨が、さらに広げていく。それの繰り返しだ。 でも繰り返すたびに、相手側の被害は恐ろしい速度で広がっていく……! 菜央(私服(二部)): 2人とも下がって! あたしは秋武さんと比護さんを守るため、彼らの前に陣取る。 菜央(私服(二部)): (この様子じゃ、あたしの出番はなさそうだけど……) 美雪たちの暴れ方は、敵からすれば悪夢だろう。……だけど、あたしにとっては胸が躍るような頼もしさだった。 互いをかばい合うように前に出ようとしていた男女は、突然現れた美雪たちの大暴れを前にぽかんとしていたけど背後からの「ねーさーん!」の声に慌てて振り返った。 巴: 秋武! 比護! あんたたち、大丈夫?! 灯: ねーさん、ひーさ……うげっ、げほげほっ! よかったぁ!無事だったゆっ、ぷぇっえほっほげほげほっ!! あたしに一歩どころか数歩遅れて現れたのは、息も絶え絶えの灯さんとそれを支える南井さんだ。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: あーちゃん……っ? どうしたの?! 灯: うぇっ、げばっげぶっ、ごほっげほげほっ!あ、あの子たちと一緒に全力で走り続けてたらぁ……!いっ、息する間がわかんなくなっちゃってぇ……! 比護: あー……あーちゃんは体力あるけど、運動神経ないからね。 灯: んぎぃいぃ……。 南井さんからへろへろと妹の身体を受け取りつつ、秋武さんは戦う美雪たちに視線を向けた。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 南井さん、あの子たちはいったい……? 巴: そっか、あなたたちは「まだ」初対面だったわね。以前2人にも話したことがあった、例の子たちよ。 例の子、という言葉に秋武さんは警戒を解かないまま「……そうですか」と呟く。 その表情はなんとも言えない感じで、あたしには含まれる真意がよく……わからなかった。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 決めたんですね。 巴: えぇ……。 比護: ひぃふぅみぃ……。 と、白いシーツの固まりを抱えた比護さんは暴れる美雪たちに視線を走らせた後、目を細める。そして、 比護: ……訂正。秋武は子分Fで、俺はE。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 身長順なら納得する。 比護: それはずるい。勝てない。 魅音(25歳): のんきに話してる暇ないよ!早く夏美ちゃんを移動させないと……って、あれ?あの子は、どこ? 比護: ここにいますが。 美雪(私服): まさかこのシーツの固まりが、夏美さん?! 巴: あんたなにしてんの?! #p秋武麗#sあきたけうらら#r: いっ、一応、気遣いの産物なんです……! Part 03: さながらゾンビのように押し寄せてくる職員「だった」人たちの襲撃をなんとか振り切って……。 夏美さんを運び出した私たちが向かったのは、関東佐伯病院という都内にある大きな病院だった。 医師による諸々のチェックを済ませた彼女の身体をベッドに寝かせて、ようやく人心地ついた頃……。 千雨: 美雪……菜央ちゃんを連れて外の空気を吸ってこい。かなり疲れ切った顔してるぞ。 美雪(私服): えっ……そう? 魅音(25歳): うん。緊張が解けていないっていうか、結構きている感じだよ。 魅音(25歳): ここで私も、あの子のことを見ているからさ。軽く息抜きしておいで。 美雪(私服): ……ありがと、そうさせてもらうよ。菜央、屋上にでも行ってみる? 菜央(私服(二部)): ……うん。 あくびをしながら、人気の少ない早朝の病院廊下を歩く。 すると菜央が、ぽつりと呟いていった。 菜央(私服(二部)): ……あんたの言ってたこと、よくわかったわ。 美雪(私服): んー、何の話? 菜央(私服(二部)): 灯さんのことよ。 美雪(私服): あぁ……。 ――数時間前。 「心配ないとは思います」という前置きの上で夏美さんの検査が行われている中、灯さんは私たちに申し訳なさそうに切り出した。 灯: すまない……本当にすまない。詩音先輩のお姉さんや君たちと話したいことはたくさんあるんだけど……。 灯: これから私は、姉さんとひーさんの事後処理に同行させてもらう。……このままだと、ひーさんが悲惨なことになる。 美雪(私服): えっ……? 灯: 姉さんはよく、微妙に口調が変わるんだが……今のアレは、その……なんだ、かなりまずい。 灯: 『ちょっと座って、お話をしよう……?』がいつ飛び出してもおかしくない異常事態だ。正直、今すぐ秋武家の犬三匹と猫二匹を召喚したい。 灯: 犬の前足の付け根の柔らかい毛をモフモフと、猫のピンク色な肉球とぷにぷにとさせた上で可愛い妹を捧げて、姉さんの怒りを静めたいんだ。 菜央(私服(二部)): 捧げるって……。 千雨: あんたの姉ちゃんって……荒神か何かか? 灯: 近い。 魅音(25歳): いや、近いって……おい。 灯: ひーさんに一人で説明させたら、致命傷を避けようとして重傷を重ねた挙げ句……さらに酷い致命傷に至る危険性がある。 灯: しかも、ひーさんの立場的に言えないこともあるだろうから……そうなると言葉のすれ違いからの暴発の可能性・大だ。 灯: 正直、消息不明だった南井さんの居場所を彼が教えてくれなかったら、私は君たちとも詩音先輩のお姉さんとも会えなかったわけで……。 灯: 一度でいいからあーちゃんを#p義妹#sいもうと#rと呼びたかった……とか最後に言い残して爆破消滅的な事態は避けたい。 美雪(私服): は、はぁ……。(何言ってるのか、まるでわからん……) 灯: というわけで、私はかすがいになってくるよ!すまない! そっちは任せた! とかなんとか言って、灯さんはつむじ風のように消えてしまった。……しばらくしたら帰ってくるだろうけど。 菜央(私服(二部)): 悪い人じゃないけど……確かに変な人だったわね。 美雪(私服): そうなんだよねぇ……。 美雪(私服): いや、でもなんか変の方向性が前に会った時とはちょっと違う気がするけど、やっぱりそこまで変わっていないような……。 菜央(私服(二部)): 何が違うの? 美雪(私服): ごめん、よくわからない……。 菜央と並んで腰掛けたベンチに身体を預け、空を見上げる。 美雪(私服): (まぶし……) 登り切った朝日が目に染みて、目を細める。いつの間にか夜が明けていたらしい。 結局ほとんど徹夜してしまったけれど、夢中になって本を読み進めている時のようなふわふわとした高揚感で目は冴えていた。 ……ただ、鋭敏になっていたのは目だけではなかったようだ。 菜央(私服(二部)): ? どうしたの、美雪? 耳が捕らえた異音に反射的に立ち上がった私を菜央はきょとんと見上げてくる。 美雪(私服): 菜央、ちょっとあっちのベンチに移動しない? 菜央(私服(二部)): え? うん……。 日が燦々と照りつける場所から、階段室の日影になった薄暗いベンチへ移動すると菜央は不思議がりながらもついてきてくれた。 朝露がまだ乾ききっていないのか、改めて腰を下ろしたそこはちょっと冷たくて……。 やや眠たげな菜央の顔が、お尻から伝わる感覚に顔をしかめる。 移動してほとんどすぐ、ガチャリと音を立てて階段へ繋がる扉が開かれる音がした。 菜央(私服(二部)): 誰か、来る……? 美雪(私服): しっ、静かに。 菜央を黙らせた直後、現れたのは南井さんと……夏美さんと同じくらいの若い女性だ。服装はシンプルだけど、上品さがにじみ出ている。 美雪(私服): (確かあの人、ここの病院の理事で夏美さんの友達だっていう……佐伯千紗登さん?) 夏美さんをこの病院に運び込んだ時、私たちを出迎えてくれた人だ。 日影のベンチに移動した私たちに背を向け、2人は並んで落下防止の柵に寄りかかって話し始めた。 #p佐伯千紗登#sさえきちさと#r: ……申し訳ありません、南井さん。最初から警察病院ではなく、うちの病院で身柄を預かる予定だったのに。 #p佐伯千紗登#sさえきちさと#r: 『眠り病』の影響で病院がばたついているのに加えて、職員の身元確認やらセキュリティ設備の確認やらで受け入れるための準備に時間がかかってしまいまして……。 巴: いえ、結果的にはいいタイミングでした。 巴: それに、佐伯さんが忙しい中色々と各方面に折衝をはかってくれたおかげで、夏美さんを無事ここに移送ことができたわけですから。 巴: ここなら安心です。というより、ここでダメならもう世界中のどこでもダメだと思います。 #p佐伯千紗登#sさえきちさと#r: ……そう言ってもらえると、少しは救われます。 ちょっと大袈裟な南井さんの言いように、佐伯さんの小さく笑う声が聞こえてくる。 元気がない……というより張りがなく、何かショックを受けるようなことがあって落ち込んでいるようにも感じられた。 #p佐伯千紗登#sさえきちさと#r: 暁……夏美の旦那があんなことになった今、私にできることといえば、これくらいのことしかありませんが……。 そう言って佐伯さんは、少しの間黙り込む。 そしてぽつり……と、まるで独り言のように聞こえるか聞こえない声で語り出していった。 #p佐伯千紗登#sさえきちさと#r: ……実は私、昨日の夜に夢を見たんです。 巴: ……夢……? #p佐伯千紗登#sさえきちさと#r: あの子が……夏美が私たちと楽しく高校生活を過ごして、大学に入って……社会人になって、好きな人と結ばれる。 #p佐伯千紗登#sさえきちさと#r: 家族を殺すような凶行を起こすこともなく、結婚して……幸せな生活を送っているんです。 #p佐伯千紗登#sさえきちさと#r: 大仰でも、大層でもない。ごく普通の、ありきたりな家庭がひとつ増える……。それだけの、夢でした。 巴: …………。 #p佐伯千紗登#sさえきちさと#r: 頑張っていましたよ……夏美は。だから普通に暮らしていれば、あの子だったら簡単にかなえていたはずの夢だった……。 #p佐伯千紗登#sさえきちさと#r: それなのに……なのにっ……っ! 佐伯さんは肩を振るわせ、柵にしがみつく。 その夢が夢ではないことを、私は知っている。夏美さんには罪を犯さなかった可能性があったことも、本人の口から語ってもらった。 けど……今はもう、なくなってしまった「世界」。千紗登さんが言ったように、ただの夢……現実としては成立しなくなった「幻想」だった。 #p佐伯千紗登#sさえきちさと#r: #p雛見沢#sひなみざわ#rの出身者による事件が起きて差別的な視線が向けられてる時、私たちはちゃんとかばってやれなかった……。 #p佐伯千紗登#sさえきちさと#r: だから、あの子は傷ついて、苦しんで、おかしくなってしまった……! 巴: 佐伯さん……。 #p佐伯千紗登#sさえきちさと#r: 私たちがもっと何かができていれば、夏美はあんなことにならなかったかもしれない……。 #p佐伯千紗登#sさえきちさと#r: 暁が病気で倒れることだって、きっと……! 深い後悔と悲しみに傷つき、慟哭する佐伯さん。その背中を、南井さんがそっと撫でて……言った。 巴: ……自分を責めないで、佐伯さん。あなたがまだ友達でいてくれているというだけで、夏美さんはまだ救われているんじゃないかしら? 巴: それに……嫌な話だけど、夏美さんが罪を犯さなければ暁さんが『眠り病』にかからないって保証はどこにもない。 #p佐伯千紗登#sさえきちさと#r: ……っ……。 巴: もしも、の仮定はあなたを苦しませるだけよ。 それまでとは違う力強さを伴った南井さんの言葉に、佐伯さんの肩の震えが止まる。 #p佐伯千紗登#sさえきちさと#r: そう……ですね。 彼女の慰めのおかげで少し冷静になったのか、佐伯さんはふぅと息を吐きながら空を見上げた。 #p佐伯千紗登#sさえきちさと#r: すみません……病気の因果関係を越えた部分で原因を突き止めると、こじつけにしかならないってちゃんと学んだはずなのに。 #p佐伯千紗登#sさえきちさと#r: 医療従事者、失格です。 巴: 気にしないで。あなたの医療従事者って肩書きは、単なる役職であって存在価値じゃないんだから。 巴: 人間不安が過ぎるとこじつけでもなんでもいいから、理由が欲しくなるものだって部下の子が言っていたわ。特に、精神的に疲れている時はよくあるって。 巴: あっ……医療関係者にこんなこと言うなんて、釈迦に説法だったかしら? ぺろっと南井さんが舌を出すと佐伯さんは力なく笑った。 #p佐伯千紗登#sさえきちさと#r: ……すみません、仕事が残っているので。そろそろ。 巴: 忙しいのにごめんなさい。でも話せてよかったわ。 #p佐伯千紗登#sさえきちさと#r: 私も話せてよかったです。……お身体、気をつけてくださいね。 佐伯さんは南井さんに会釈すると柵から離れ、そのまま階段の方へと向かう。 彼女が死角に消えた後に扉の開閉音の余韻が消えた後、うーんと南井さんは背伸びをして。 巴: ……聞いていたわね? そのまま真っ直ぐ歩いてきたかと思うと、物陰にいた私と菜央のもとへとやって来た。 美雪(私服): (……気づいてたんだ) わかっている……いや、すぐにわかった。私たちの存在があっても知らない振りをしたのは、今の会話を私たちにも聞かせたかったからだと。 巴: 「世界」の繰り返しは、当人以外にも影響が出る……特に当事者の身近な人ほど、その発生の可能性が高くなるそうよ。 巴: さっきの佐伯千佐登さんのように、夢や既視感といったものとなってね。 美雪(私服): …………。 菜央のことを知らなかった、この「世界」のお母さんを思い出す。 私が何度も繰り返していたら、いずれは菜央と出会った時のことを夢見るようになるのかもしれない。 美雪(私服): (でも、その記憶は……きっと惨劇もセットになっている) 巴: この「世界」での夏美さんの現状は、さっき千紗登さんが言ったとおりよ。 巴: 雛見沢住民に対する偏見が原因でストレスが暴発して両親と祖母を殺し……。 巴: あまつさえ、恋人を殺す寸前まで追い込まれてしまった。 美雪(私服): ……っ……! 巴: その後精神鑑定で執行猶予になったものの、引き取り手が見つからず親類をたらい回しにされて……。 巴: 最終的に、あの病院へと収容された。……考えられる限り、最悪の顛末ね。 菜央(私服(二部)): でも……なんだか、ちょっとピンと来ないです。病室で寝てる夏美さんとは、まるで別人の話みたい。 南井さんの言葉に、菜央は遠慮がちに感想をこぼす。 最初に出会った厚生省の夏美さんと、病室で眠る弱々しい夏美さんしか見ていない菜央が困惑するのも、無理はないかもしれない。 美雪(私服): 私は前の「世界」で、夏美さんに殺されかけました。いや、正確に言うとあの人じゃなくて、偽者……と表現したほうがいいやつなんですけど。 美雪(私服): 最初はともかく……途中からはなんか様子が変わって。 美雪(私服): (あれは追い詰められすぎて開き直った、というより……) #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: こうなったら裏の私が、お前らを仕留めてやらないとだねぇ……! #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: あははははははははははははははははは!!!!! #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: あははははははははははははははははははははははははははははははははははははッッッ!!!! 千雨の脅迫と灯さんによる銃撃に気圧されていたのに、突如笑い始めた夏美さんは……。 美雪(私服): まるで……別人になったみたいでした。 巴: 別人……か。 巴: ある意味、本当にそうなったと言ってもいいのかもしれないわね。 美雪(私服): へっ……? 予想もしていなかった言葉が返ってきたので、怪訝な思いから間抜けな声を上げてしまう。 そんな私の反応に南井さんは肩をすくめると、屋上からの景色に目を向けながら続けていった。 巴: これは彼女の治療記録にあった記述なんだけど……罪を犯してしまった彼女は、苦しみから逃れるため別の人格を自分の中に生み出してしまったの。 巴: 専門家じゃない私には心理学的に定められた定義を満たしているかは厳密には断言できないけど……いわゆる、二重人格ってやつね。 美雪(私服): 二重人格って……一人の身体の中に二人以上の別の人格がある、ということですか? 巴: えぇ、そうよ。雛見沢であなたたちの前に現れた夏美さんの偽者がかなり歪な感じだったとするなら……。 巴: おそらく本来の夏美さんよりももう片方の人格の影響が濃く出たのね。 美雪(私服): ……それは変じゃないですか?前の「世界」の夏美さんは惨劇を繰り返さないために我慢して努力して厚生省に務めるまでになった人ですよ? 美雪(私服): 前の彼女が罪を犯さなかったなら、もう一つの人格も生まれないはずじゃないですか……。 巴: 事情については想像の域を超えないけど……「世界」のやり直しを何度も「繰り返した」せいで、再発したのかもしれないわ。 巴: だから今の彼女は、記憶を持ち続ける限りその「世界」の過去に関わらずもう一人の自分を内側に抱えていることになる。 美雪(私服): ……っ……。 その話を聞いて……胸が締め付けられるような痛みを覚える。  美雪(私服): じゃあ……夏美さんは散々頑張って、我慢して、必死になって……結局元の地獄に戻ったってことですか。 なんだ……それ。そんなのって……。 美雪(私服): あんまりじゃ……ないですか。 呆れたように呻く私に、南井さんが私を見て目を細める。 巴: だから、美雪さん……夏美さんのこと、あまり憎まないであげてほしいの。 美雪(私服): えっ……? 巴: 夏美さんは確かに罪を犯したけど……そこに至るまでに、彼女は地獄を見てきた。 巴: それこそ、死んだ方がましだと思えるほどの苦しくて、悲しくて……辛い思いをした。 巴: そのせいで、心が傷ついて……壊れてしまった。だから、凶行に走りたくなった窮状をわかってもらえないかしら……? 美雪(私服): …………。 南井さんからの提案を聞いて、私は即答ができず口をつぐむ。 夏美さんがおかしくなってしまった事情は、同情できることだし……理解もできる。 でも……それでいいんだろうか?ここで赦すことが本当に彼女の救済に繋がることなのか、私には判断が……。 菜央(私服(二部)): ……待ってください。 と、その時……戸惑う私に代わり、菜央が前に進み出ながら口を挟んできた。 菜央(私服(二部)): 美雪に憎むなって……そんなの、無理に決まってます。 菜央(私服(二部)): だいたい南井さんも、彼女の手にかかって一度は「殺された」んですよね? 巴: っ……それは、ん……。 菜央の指摘に、南井さんは苦笑する。そして肩をすくめながら、言葉を繋いでいった。 巴: 確かにショックだったかと言えば、その通りよ。……でも、私は夏美さんが辛くて悲しい思いを抱えてきた過程を知っている。 巴: 現実から逃げたい……そして可能ならば、それを変えてしまいたい。 巴: そう願いたくなったのも悲しいことだけど、仕方ないことだと思うのよ。だから……。 菜央(私服(二部)): ……そんなの、卑怯です。 震える声が、南井さんの言葉を遮る。……菜央は怒りさえ宿る目で、彼女のことを睨みつけるように向き合っていた。 美雪(私服): 菜央……? 菜央(私服(二部)): 南井さんが……自分を殺した人を許すのは、とても……とても、凄いことだと、思います。 菜央(私服(二部)): 夏美さんを信じていたからこそ、裏切られた時は悲しかったはずなのに……。 菜央(私服(二部)): そうせざるを得ない事情があったって、仕方ないって理解して、許して……でも……。 菜央(私服(二部)): でも、それは美雪には関係ないことです! 巴: ……っ……。 菜央(私服(二部)): 美雪が殺されかけたことを許すか許さないかは、本人だけが決められることじゃないんですか?! 菜央(私服(二部)): でも、今の状況じゃ美雪は夏美さんを許せないって言えないじゃないですか! 菜央(私服(二部)): 南井さんにじゃあもういいわって見放されたら、あたしたちは手がかりを全部失っちゃうから! 菜央(私服(二部)): そんなの、そんなの……ずるいです! 美雪(私服): ……菜央。 更に何かを言おうとした菜央の首に背後から両腕を回して軽く自分の元へと引き寄せる。 小さい身体は温かいを通り越してちょっと熱くて、軽く汗ばんでいるせいか布越しでも湿り気を感じる。 この言葉のために、どれだけの勇気が必要だったのか。その数量は私には測れないけれど、守ろうとしてくれた気持ちが嬉しくて……。 美雪(私服): ありがとう……菜央。でも私、言われる前から夏美さんのことを憎んだりしてないから、大丈夫だよ。 腕の中でくるりと菜央が身体を反転させ、泣きそうな目で私を見上げた。 菜央(私服(二部)): ……本当? 美雪(私服): うん、本当。まぁ、多少怒りはしたけどね。 片手でぽんぽん、と菜央の頭を叩く。すると、「あっ……」と遠慮がちな声。 それに反応して視線を振り向けた先に、申し訳なさそうにする南井さんの顔が見えた。 巴: ごめんなさい、2人とも。……確かに、軽率な発言だったわ。許してもらえるかしら。 美雪(私服): いや、許すとかじゃないですよ……。だって夏美さんは、南井さんの友達なんですよね?友達をかばいたいって思うのは当然ですよ。 美雪(私服): ……私だって千雨や菜央が罪を犯したら、それがどんなに恐ろしいことでもきっとその肩を持ちたくなると思いますから。 罪を犯したのは仕方なかった、と。そこに至るどうしようもない理由があったのだ、と。 どんな理由や状況であれ、きっとそう思ってしまうだろう……それは、大事な友達だからだ。 美雪(私服): あと、南井さんには私の感情を無視するつもりも踏みにじるつもりもなかったと思う。 美雪(私服): だって、私や千雨が余計なことを言ったから夏美さんが強硬手段に出たんだー、みたいに私たちを責めるようなことはしなかったしね。 美雪(私服): 夏美さんの罪を認めて、許して欲しいと頼んだだけだよ。……自分の優位性を、うっかりど忘れしてただけでさ。 菜央(私服(二部)): 美雪……。 美雪(私服): それに、たとえ私が絶対許さないって言ってもこの人だったら「……じゃあもういいわ」なんて突き放したりはしないはずだよ。 美雪(私服): まぁさすがに「許せないので夏美さんを殺します!」とか私が言い出したら全力で止めるだろうけどね。 だからさ、と私は菜央の頭を撫で、続けていった。 美雪(私服): 南井さんみたいなちゃんとした大人も、たまにはうっかりすることもあるんだなぁって思ったら……なんかちょっと親近感沸きました。 そう言いながら顔をあげて笑いかけると、南井さんは強ばった表情をわずかに緩めた。 巴: ありがとう……それと、ごめんなさいね。断りにくい状況だってことが頭から抜けてたわ。 美雪(私服): いやいや。それだけ私たちのことを対等に見てくれてたってことですよ。 軽く笑うと、それまで腕の中で驚いたように固まっていた菜央が小さく縮こまった。 驚きの原因は、大人が子どもに素直に謝られると思わなかったせいだろうか。 それでも露骨な動揺はすぐに落ち着き、菜央は小さく頭を下げた頭を下げた。 菜央(私服(二部)): ……あたしの方こそ、ごめんなさい。よく考えたら、あたしって何があったのかも誰かから聞いただけで、無関係なのに……。 菜央(私服(二部)): 勝手に気持ちを悪い方に勘ぐって、余計なことを言いました……。 巴: 無関係なんかじゃないわ。だって……美雪さんは、あなたの大事な友達なんでしょう? 巴: 友達を守るのは、当然よ。……本当に、ごめんなさい。 菜央(私服(二部)): …………。 菜央は頷き返すと遠慮がちに私を見上げ……。 菜央(私服(二部)): ねぇ……ちょっと。 驚きのあまり固まった私を見て、みるみる表情を曇らせた。 菜央(私服(二部)): なんであんた、びっくりしてるのよ。 美雪(私服): いや、菜央って私のことちゃんと友達だって思ってたんだなぁって……びっくり? 美雪(私服): もちろん私は友達だと思ってたけど、菜央の方は……呉越同舟みたいな?不利益になると思われたら速攻切られそうだなって。 菜央(私服(二部)): あっ、あんたねぇっ……! 美雪(私服): いやでも、出会ったばかりの時はそんな感じだったよね。警戒心バリバリだったし……。 菜央(私服(二部)): それは出会ったばかりの頃でしょ?!今は全然違うじゃないっ! 美雪(私服): そうだったね。ごめんごめん。 毛を逆立てた猫のように怒る小さな友達を腕に抱えて、さらさらした髪を夢見心地で撫でる。 美雪(私服): ありがと、菜央。私のために怒ってくれて。 美雪(私服): 私の気持ちを大事にしてくれて、嬉しかった。 菜央(私服(二部)): …………。 肝心なお礼を告げると、菜央は照れたようにそろりと私から視線を外した。 菜央(私服(二部)): ……千雨の方はどうかしら。 美雪(私服): それこそ千雨が決めることだけど、私の予想じゃあんまり気にしてないと思うよ。 ただ、夏美さんがまた同じことをやろうとしたら、旦那さんの骨を折るくらいはやるかもしれない。 美雪(私服): まぁ私も、人に言われて萎縮するほどの好きなら大したことじゃない、ってもう一度言われたら次も許せるかはわからないけどね……って、ん? 菜央(私服(二部)): ……どうしたの? 美雪(私服): いや、あれ……?だったら記憶してることとかも、それぞれの人格で違ってたりするんですかね? 巴: ? それは、どういう意味……? 美雪(私服): 夏美さん、言ってましたよね。 美雪(私服): 巴さんのことを監視するのは上からの命令だったそうだけど、それがどうしてだったのかはわからない。 美雪(私服): それに……南井さんを殺そうとしてたって話を聞いた時、本気で驚いてましたね。どういう理由だったのかは思い出せないって。 巴: えぇ、そう言ってたわ。 美雪(私服): 私が閉鎖病棟で人の感情を見下したら捨てるって言った時、あの人はきょとんとしてました。そんなこと、考えもしなかったって顔で。 美雪(私服): 夏美さんが嘘をついていないなら、その価値観は私を殺そうとした……彼女の中にいる別の人格のものってことですよね? 巴: あっ……? 美雪(私服): 価値観がまるっきり違うくらい別の存在なら、誰に命令されたかとかの暗部の記憶も別の人格が持ってる可能性もある……なんてことは? 巴: っ……確かに……!! #p快哉#sかいさい#rにも似た声をあげた南井さんを見て、腕の中でなんだか誇らしげな顔の菜央が私を見上げながら言った。 菜央(私服(二部)): すぐ夏美さんに会いに行きましょう。 Part 04: 魅音と千雨が待つ病室に戻った直後、夏美さんは目を覚ましたのか病院服ではなく、私服に着替えていた。 入院のおかげで、少し体調が戻ったらしい。周囲の景色が一変していたことに驚く彼女に、私たちは手短に状況を説明する。 そして、夏美さんのもう一つの人格に手がかりの記憶が存在する可能性を話して……。 巴: ……夏美さん。 ベッド脇に置いた椅子に腰掛けながら、南井さんは夏美さんに語りかける。 ……その声は落ち着いているようで、かすかに上擦った感じにも聞こえた。 巴: 何度も繰り返して申し訳ないけど、少しでも嫌だという気持ちがあるんだったら断ってくれていいのよ。 巴: あなたにとって拒否したい自分と向き合うことになるんだから。それに……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……いえ、いいんです。やりたいです。やらせてください。 ベッドで上半身を起こした夏美さんは、上掛け布団を両手で握りしめる。そして思いを紡ぎ出すように、言葉を繋いでいった。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……本当は私、ずっと考えていました。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: あの子はもうひとりの私のはずなのに、私は彼女を拒絶して、否定して……最初から「い」なかったことにしようとしていました。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: それで私は、救われた気になっていた。いえ、実際救われました。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: でも、救われたのは……私だけだった。 巴: …………。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: あの子がどんな苦しみと悲しみを背負って、辛い状況から抜け出そうとしていたのかについては、考えようとしなかった……ううん。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ずっと無視し続けていたんです……考え始めたら、どうしようもなく苦しくなってそれ以上何も考えられなくなってしまうから。 だから、と夏美さんは顔を上げる。その表情には怯えと不安を残しつつも、大きな決意と覚悟があった。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: あの子の話……聞いてあげてください。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 確かにあの子が選んだ方法は最悪でした。でもうじうじして何もできなかった私の肩代わりをさせていたこと……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ちゃんと、償いたいです。 巴: ……わかったわ。 固い決意に自らも覚悟を決めたのか神妙な面持ちの南井さんに、夏美さんはぎこちなく笑みを返す。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: こうなったら裏の私が、お前らを仕留めてやらないとだねぇ……! #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: あははははははははははははははははは!!!!! #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: あははははははははははははははははははははははははははははははははははははッッッ!!!! 美雪(私服): (夏美さんの「裏」を名乗り、私たちを殺そうとしたもう一人の彼女を意図的に呼び出す……) 今から行うことで何が起きるか、正直読めない。 けど、「裏」の彼女しか持ち得ない情報が得られる可能性がある限り、やるしかないのだ。 魅音(25歳): けどさ、もうひとつの人格に入れ替わるってのはそんなにも簡単にできるの? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 大丈夫ですよ。どうやったらあの子が出てきやすくなるのか……実はもう、わかっているんです。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: あの子はずっと、それを望んでいたから。……私が、無視していただけです。 夏美さんは目を伏せ、すっと呼吸を整える。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ……でも、気をつけてください。きっとあの子、私たちのこと……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: すごく……恨んでいると思うから……。 夏美さんは唇を引き結び、目を伏せる。 沈黙に落ちた空間の中、徐々に夏美さんの首が下がり角度が深くなっていく。 美雪(私服): (眠っちゃった……?) あごと首元がくっつきそうなほどに落ちた頭は、疲れ切って電車で居眠りしている人のようで。 黒夏美: ああぁぁぁああぁぁっっ!! ――勢いよく持ちあげられた顔と#p咆哮#sほうこう#rに、反応が遅れた。 どこにそんな力があったのかと疑う程痩せ細った身体で布団を蹴り飛ばした夏美さんは跳ねた勢いのままベッドから転げるように飛んで――。 菜央(私服(二部)): っ、な……夏美さんっ?! 落ちくぼんだ憎悪に燃える瞳にいるのは、初めて見る彼女の豹変に絶句して固まる……。 美雪(私服): 菜央っ……?! 千雨: ――させるかよっ、と……! 逃げて、と声になるよりも早く床を蹴り上げた千雨がラリアットの要領で夏美さんの首に己の腕を巻き付けた。 飛んだ勢いまま己ごと夏美さんの身体をベッドに叩きつけ……千雨は四肢をヘビのように絡みつかせると彼女の関節を完璧に抑えながら、組み敷いてみせた。 黒夏美: がっ……?! 巴: 黒沢さん?! 近づこうとする南井さんを視線で制し、千雨は夏美さんの頭を自分のアゴで抑えながらにやり、と笑ってみせる。 敵意や攻撃の意思を察知した時、千雨は思考が回る前にまず身体が動く。私には真似できない対応能力だった。 千雨: 油断して動きが鈍くなった弱いやつを真っ先に狙う。あの偽者と同じパターン……いや、狩りの最適解か。 千雨: ただ、そうとわかっていれば動きは予測できる。加えて身体も弱ってるとなれば、大した脅威じゃない。 黒夏美: お前、あの時の……!よくも、よくも、よくもっ……ぶっ殺してやるッ!!! 関節を押さえられ身動きを完全に奪われた夏美さんがそれでも喋ろうともがき、息苦しさのせいか顔が赤を通り越し黒くに染まっていく。 黒夏美: お前らのせいで……お前らさえいなかったら、全部うまくいっていたのに……!! 千雨: 私のことを覚えてるのか?そうかそうか、そいつはなによりだ。 黒夏美: ぐっ?! 喉を押さえる腕に力を入れたのか、夏美さんの声が強制的に止まる。 千雨: 『天網恢恢疎にして漏らさず』……だったか? 千雨: お前がどんなにハッピーエンドを求めて暴れても、『繰り返す者』とやらが他にもいる限り気まぐれでリセットされて終わりだ。今回みたいにな。 千雨: 自分の努力が、他人に簡単に吹き消される気分はどうだ……? 黒夏美: ……っ……! 美雪(私服): 千雨ッ?! 千雨: ……家族殺しの殺人鬼相手に、油断をするな。菜央ちゃんが危なかっただろうが。 美雪(私服): だ、だけどっ……! さすがにやり過ぎだ。私はそう思って止めに入ろうとしたが、後ろから肩に手をかけられる。 振り返ると、魅音が険しい顔をしたまま私に向けて首を横に振ってみせるのが見えた。 美雪(私服): 魅音……。 魅音(25歳): 千雨の言う通りだよ。……今は近づかないほうがいい。 私の肩から手を放した魅音は、さりげなく身体をずらして出口のドアを背中で押さえる。仮に千雨が逃がしたときの保険になるつもりだ。 巴: 完全に放すのは危険だとしても、少し緩めてもらえる? 千雨: …………。 南井さんの指摘に千雨が軽く両手足を動かして抑え方を変えると、痛みが取れたのか夏美さんはやや表情を緩めながらも悔しげにうなだれた。 そんな彼女に視線を合わせるように南井さんはベッド脇にしゃがみ込みその顔を覗き込む。 巴: とりあえずこう呼ばせてもらうわ……「夏美さん」。 巴: あなたが知っていること、全部教えてもらいたい。……頼めるかしら? 黒夏美: はっ……おめでたいやつらだッ!殺したいくらいに恨んでいるお前らなんかに、私が手を貸すとでも思ったのか?! 巴: いいえ、貸すわ。だってそうしないと、夏美さんは……表の彼女も、裏のあなたも救われない。 巴: 過去の罪を背負ったままだと、恋人や友達との幸せな「世界」を取り戻すことなんてできないでしょう? 黒夏美: っ……私を脅すつもり?! 巴: 脅してるつもりはないけど……さて、どう話せばいいかしらね。 南井さんは困ったように、わずかに首を傾げる。……それを見て私は、とっさに前に進み出ると夏美さんに話しかけていった。 美雪(私服): ……じゃあ、私と交渉しませんか? #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: 交渉、だとっ……?! 彼女の眼球がぎろりっ、と動いて怒りに満ちた視線で私を捉える。 美雪(私服): (うわっ……?!) ヘビに睨まれたカエルの気分だ。怖さはある……けど、反らすわけにはいかない。 美雪(私服): (それに……今の南井さんの問いかけで1つ、わかったことがある) 夏美さんは、幸せな「世界」が欲しい。それは表も裏もなく共通している……気がする。 黒夏美: 何を出そうってんだ、お前は……ええっ?! 美雪(私服): 出すというか……約束です。 美雪(私服): 私たちがもう一度過去に戻ることができたら、夏美さんが不幸になったというきっかけ……#p雛見沢#sひなみざわ#rで起きた惨劇を止めてみせます。 黒夏美: ……っ……?! 美雪(私服): あなたの不幸の始まりが『雛見沢大災害』なら、その大災害が起きなければ不幸は起きない。結果として、歴史は変わる……ですよね? 黒夏美: は、はぁ……っ?そんな真似ができると、本気で思っているの?! 美雪(私服): ……やるしかないんですよ、私は。できる、できないなんて問題はとうに越えました。 そのために何ができるかは……まだわからない。けど、何がしたいかはわかっているつもりだ。 美雪(私服): だから……達成の可能性を少しでも上げるために、あなたにも協力してもらいたいんです。 黒夏美: ……。断ったら……? 美雪(私服): 特に……何も。私にあなたを罰する権利はありません。 美雪(私服): ただ、このままだと何も変わらないし……何も変えられない。それでもいいんですか?あなたはそれで、納得できるんですか……? 黒夏美: …………。 私の言葉に、夏美さんは何を思ったのだろう。彼女は黙り込み、うつむき……しばらくして。 黒夏美: ……何が聞きたい? 吐き捨てるように言った。 言葉尻は乱暴だけど、交渉の余地は生まれたらしい。 南井さんを見ると、静かに頷くのが見えた。餅は餅屋とばかりに彼女に譲る。 巴: どうして、あの工場で私を殺そうとしたの?あなたの職場の厚生省が、そんな命令を出すとはとても思えないんだけど……。 黒夏美: ……。厚生省からの命令は、あんたの動向を調べて報告しろってことだ。 黒夏美: 「ある」ものを見たら殺せ……って。指示してきたのは……岩松ってジジィだよ。 巴: 岩松……? 突然飛び出した聞き慣れぬ名字に、私たちは互いの顔を見合わせる。 魅音も知らない名前なのか、視線をうろうろと彷徨わせている。 と、そんな中、菜央があっと声をあげていった。 菜央(私服(二部)): もしかして、あたしたちが会った新雛見沢の村長って名乗ってた人のことじゃない……?! 美雪&千雨: あっ……! その言葉に、私と千雨も遅れて思い出す。 岩松: ……もしもし。見かけないお方ですが、もしや連絡のあった、東京の方でしょうか? 巴: えぇ。もしかして#p高天#sたかまが#r村の村長さんですか?電話でお話しをさせていただきました、南井です。 岩松: あぁ、やはり!よくぞまぁ遠くからお越しいただきました。 岩松: 私は村長の岩松と申します。どうぞよろしく。 美雪(私服): (そうだ、確か岩松って名乗ってた……!一度聞いただけなのに、やっぱり菜央って記憶力がものすごいよね……!) そんな菜央の才能に舌を巻きつつ私は隣の魅音に目を向けると、かつての彼女の記憶と突合すべく尋ねていった。 美雪(私服): 魅音……雛見沢の町会にいた年寄り連中で、岩松って名前の人を覚えてる? 魅音(25歳): 岩松……? いや、10年前のことだから全部を覚えているわけじゃないけど……。 魅音(25歳): 少なくとも、私が顔を覚えている中にそんな名前の人間はいなかった……と思う。 美雪(私服): っ……だとしたら、雛見沢の人間じゃない可能性もあるってことだね……? 私の念押しに対して、魅音はやや躊躇いながらもこくん、と首を縦に振ってみせる。 なにしろ10年前のことだ、いくら魅音であっても名前の記憶漏れがあってもおかしくないだろう。だけど……。 少なくとも彼女が覚えていないということは、新しい村の長を務められるほどの有力者ではなかった……それだけは、確かなことだった。 黒夏美: そいつらが……暁くんの『眠り病』を治療する薬を渡してほしければ、南井巴の動向を調べて、逐一報告して……。 黒夏美: 工場を訪れた時に怪しい動きを見せるようなことがあれば口を封じろ、って交換条件を出してきたんだ……! 美雪(私服): なっ……それは、本当に?! 黒夏美: あぁっ、そうだ……!けど、表の夏美はそんな交渉を受けるわけがない……!だから私が、代わりに手を汚すことにしたんだ! 巴: つまり目的は、旦那さんの治療薬だったのね……? 美雪(私服): で、でも……そんな怪しい方面に頼らなくても、厚生省の職員だったら高野製薬からいくらだって都合をつけてくれてもらえたんじゃないの? 職権乱用ではあるから褒められたものではないが、殺人を犯すよりもずっとマシなはずだ。非効率的だと思うし、何よりリスクが高すぎる。 黒夏美: あ……あはははっ! あはははははっ! だけど、夏美さんは千雨に抑えられたまま笑った。おかしくてたまらないと、あざ笑うように……。 黒夏美: お前ら、そんなことも知らなかったのか?高野製薬が市場に出そうとしているのは治療薬なんかじゃない! あれは――。 男の声: 『――組み合わせることで死をもたらす、悪魔の薬』 突然聞こえた声に、私たちはもちろん夏美さんですら息を止める。 弾かれたように見た病室のドア。そこにはめこまれた磨りガラスの向こう側に、人影が浮かんでいた。 美雪(私服): (今の声……まさか?!) 魅音(25歳): 美雪っ?! 魅音の制止を振り切って、素早く扉を開け……。 見下ろす瞳と、目が合った。 喜多嶋: もっとわかりやすく言えば……服用した患者に死を呼び招く毒薬だ。 Part 05: 喜多嶋: 内緒話をするなら、声は抑えるべきだ。廊下にまで響いていた。 隣をすり抜けるように室内に入り、真っ白な手袋をした後ろ手で戸を閉めた闖入者を前に私たちはもちろん、夏美さんすら声を失っていた。 美雪(私服): っ……あなた確か、喜多嶋って厚生省の役人……? 菜央(私服(二部)): ばかっ、美雪……! しまった、と思った頃にはもう遅い。 この「世界」では初対面であることをうっかり忘れて名前を口走った私の迂闊さに菜央は慌てて私の口を塞ごうとする。 喜多嶋: ふむ……。 ……だけど喜多嶋氏は驚いた素振りもなく、むしろどこか納得したような顔で頷いた。 喜多嶋: 過去を遡り、「世界」を変える力を持った「繰り返す者」……。 喜多嶋: まさか、「ヤツ」以外にもその力を持った人間がいたとはな。 爬虫類のような目に見下ろされると同時、菜央の身体を庇うように抱き寄せた私を守るように魅音が一歩前に出る。 魅音(25歳): あんまり怖い顔して、子どもを怖がらせないでよ。 喜多嶋: 危害を加えるつもりはない。ただ、こんな年端もいかない子どもを巻き込むのはあまり褒められたことではないな。 千雨: っ……あんたも、「繰り返す者」の存在を知ってたのか?! 夏美さんをベッドに拘束したままの千雨の指摘に、喜多嶋氏はようやく眉を僅かに動かした。 喜多嶋: 「ヤツ」から最初に聞かされた時は、気がふれたやつの戯言だと思っていた。 喜多嶋: だが、ことが起きる前に告げられた「予言」が次々に的中するのを実際に見せられて、信じざるをえなくなったというのが正直なところだ。 喜多嶋: ……子どもに聞かせられるのはここまでだ。彼女たちには退出を願いたい。 千雨: おい、そりゃ私もか? この拘束状態で? 喜多嶋: じゃれついているだけに見えたが、違うのか?右足の拘束が甘い。多少無理に捻れば抜けられる。 千雨: ――っ……?! 黒夏美: あぐっ?! 慌てて千雨が夏美さんの右足に絡ませた足に力を入れると、夏美さんの顔がしかめられる。 千雨: 忠告ありがとよ、おっさん。 喜多嶋: …………。 皮肉交じりに礼を述べる千雨を一瞥した喜多嶋氏に、南井さんは毅然と告げる。 巴: 彼女たちは、ここにいてもらう。子どもではあるけど、立派な当事者よ。それができないと言うならお帰り願うわ。 きっぱりと拒絶した南井さんに私が感動を覚える中、彼は感情のない表情のまま挨拶を述べた。 喜多嶋: とりあえず……初めまして、南井女史。 喜多嶋: 私は喜多嶋伸介、厚生省薬事局の係長の地位にある者です。そして――。 喜多嶋: あなたの部下……元部下と呼ぶべきでしょうか?比護を警察組織内に出向させ、あなたの動向を監視させていたのは自分です。 巴: 訂正を。彼は今も、私の大切な部下のひとりよ。 巴: それに厚生省の紐付きだってことは、引き抜いた頃からとっくに気づいていたわ。 喜多嶋: 調べたのですか? 巴: 言っておくけど、彼だけじゃなく全員よ。季節替わりの広報コーナーの内容に困らない程度にはうちの子たちって出自がバリエーション豊富だから。 南井さんの笑いまじりの声を聞きながら、比護と呼ばれていた眼帯の職員さんを思い出す。 確か最初に施設に行った時、お茶にお菓子にシールにと歓迎してくれたのはあの人だった。 美雪(私服): (目つきが悪すぎるのと威圧感が強すぎて、警察だって疑ってなかったけど……) でも、今思えばあの目つきの悪さは片目が使えずに狭まった視界を補おうとして、目を細めていただけのようにも思える。 あの威圧感だって、片目が目が見えないせいでミスしないよう気を張り詰めていたのかもしれない。 高野製薬が特効薬を開発したと言う情報や、高野美代子との面会も彼がもたらしたもの……今思えば、結構遠回りに世話になっていたのだ。 美雪(私服): (思い込みで怖い人だと思って、失礼なことをしたかな……) 私が若干の気まずさを覚える中、南井さんは明るく言葉を続ける。 巴: なんとなく監視される理由はわかっていたから……それに彼が私たちの組織に何かのよからぬ企みを持ち込もうとしているわけじゃないことは理解してるわ。 巴: 彼がうちでやったことなんて、精々内部の人間の情報収集と私の監視と報告ぐらいでしょう? 喜多嶋: ……人を見る目に、相当自信をお持ちのようだ。だが、少々お人好しがすぎる感がある。 喜多嶋: そこまで信頼を置いていた根拠はいったい何ですか? 巴: 理由はいくつかあるけど……そうね。あなたたち厚生省の連中が敵じゃないってこと。 巴: むしろ私が追う黒幕の陰謀を阻むという意味では、共同戦線を張ることも可能だってことがわかっていたし。 巴: だからそのタイミングをうかがうためにも、比護は私にとって絶好の切り札だったのよ。 喜多嶋: …………。 巴: あなたをここに呼んだのも、比護なんでしょう?消息不明だった南井巴が現れたって聞いて慌ててきたってところかしら。 喜多嶋: ……あなたの指示ではないと? 巴: 違うわ。比護本人の判断よ。 喜多嶋: 比護はどこに? 巴: うちの秋武姉妹と一緒に出てるわ。呼び戻す? 喜多嶋: 必要ありません。 美雪(私服): ……南井さん。 きっぱりとした否定の直後に訪れた、一瞬の静まり。その隙を逃さず私は口を挟む。 美雪(私服): そろそろ教えてください。あなたはいったい、どこまでのことを掴んでいるんですか? 美雪(私服): (これ以上話が一方的に進んだら理解できなくなる……!) 私の問いに、南井さんがそうねと頷いた。 巴: ……確かに。そろそろ頃合いね。喜多嶋さん、仮の話をしましょうか。 喜多嶋: どのような? 巴: あなたがどうしても高野製薬製の『眠り病』の治療薬を流通させたくないなら、どうするかって話。 巴: まずは正道。高野製薬製の『眠り病』の治療薬剤の効能について薬事審議会にデータを提出して、審査却下を求める。 巴: それと同時に製薬工場を爆破炎上させ、二段構えで彼らの薬が市場に出回るのを阻止する……なんてのはどう? 喜多嶋: …………。 南井さんの話を、喜多嶋氏は否定しなかった……それが答えだった。 美雪(私服): (あの工場爆発に、この人が関わってたの……?!) ……いや、でも冷静に考えると確かに偶然にしてはあまりにも重なりすぎている。 私たちがあの日高野製薬に訪れたあの日、この人が現れて少し後に工場から煙があがった。 私たちの来訪は、喜多嶋氏の来訪、そして爆破。それが全部単なる偶然で重なったとは思えない。 だけどそれが繋がらなかったのは南井さんが重傷を負ったことに気を取られていたこともあるけれど……。 美雪(私服): (工場が爆発した時、この人は私たちと一緒にいた) だとしたら遠隔操作による時間差での爆破。もしくは……。 喜多嶋: 工場爆破とやらの暴挙を私が犯すというのは、単なる憶測ではなく……「繰り返す者」から入手した情報というわけですか? 巴: 入手した、というのはちょっと違うわね。だって私、その計画が実行されたところをこの目で見てきたんだから。 巴: ちなみに、こっちの彼女たちはもっと鮮明に覚えているわ。 笑顔とともに話を向けられて、私はこくこくと首を縦に振る。 それを見た喜多嶋は、わざとらしい苦笑を浮かべると大きくため息をついてみせた。 喜多嶋: ……なるほど。南井女史も「繰り返す者」だったわけですか。 巴: ピカピカの一年生だけどね。 にっ、と一瞬浮かべた子どもっぽい笑顔。だけどそれを即座に消すと、南井さんはさらに言葉を重ねていった。 巴: ただ……この世界で薬事審議会は、あなたの提出したデータの受け取りを拒否した。 巴: さらに、高野製薬は外資系のユプミリナ製薬に薬のレシピを提供し、共同製造を申し出たそうね。 巴: ……となると、工場を爆破したところで市場への流通は止められない。 巴: だから工場の爆破はやらないし、今後もやる予定はない……そんなところかしら。 喜多嶋: …………。 情報と推測を交えた南井さんの問いに、喜多嶋氏はわずかに目をひそめる。 そして、不快さを隠そうとしたのか軽く吐息をつき……無表情を保ちつつも声にはやや苦みを含ませていった。 喜多嶋: ……やりにくい相手です。まるで心の中を覗かれているようだ。 喜多嶋: あなたを敵に回していたかと思うと、ぞっとする思いですよ。 巴: お褒めに預かってどーも。けど人の心の中なんてのぞけやしないわよ。 巴: そんな真似ができるなら、妹を家出させることもいやそもそも……まぁ、いいわ。 巴: 私は人の心なんて読めない。だから、直接聞く。 巴: ……高野製薬で作られている薬って、結局なんなの?さっき毒薬とかなんとか言ってたけど。 喜多嶋: ……。高野製薬の薬が『眠り病』の症状を抑え、治癒に向かわせる効果があるのは事実です。 菜央(私服(二部)): つまり、効果があるってことなの……?! 今まで無言だった菜央も、母親に投与される予定の『眠り病』の薬に関する話に及んだ瞬間、黙っていられなかったのか気色ばんだ声をあげた。 だけど、喜多嶋氏は無感情な目で……菜央を見下ろす。そして――。 喜多嶋: 自分が問いかけたならば相手は正確に、無条件に、正しい情報を与えるべきだと思っているのかな……お嬢さん。 喜多嶋: その姿勢は、相手の善性への一方的な依存だ。……ずいぶんと甘やかされていたようだ。 菜央(私服(二部)): ……っ……! 魅音(25歳): 甘やかされていいでしょ、子どもなんだから。 腕の中で動揺する菜央を前に私が怒るより早く、魅音がさらりと言い返した。 喜多嶋: …………。 ひりひりした空気が漂う中、南井さんがはぁとため息をついてみせる。 巴: 何も差し出さずに何かを求めるなってことなら、あなたが私に情報提供しているのは、今後を見越しているからであって善意じゃないってことね。 喜多嶋: その通りです。 巴: じゃあ、交渉相手の私から質問するわ。『眠り病』の薬は効果がある……でも、同時に問題もあるってこと? 喜多嶋: ……たとえ話をしましょう。 喜多嶋: アレルギーを持っている人間にアレルゲン物質を与え殺した人間は、殺人に問われるでしょうか? 巴: それは……アレルギーのことを知っているかによるわね。 確か、知っていたら故意の殺人。知らなければ過失致死のはずだ。 喜多嶋: えぇ……知らないのです、誰も。だから問題に気づいていない。 喜多嶋: 投薬を受けた患者を特殊な条件下に置くことで、審議会の連中でさえも気づいていない副作用が起きる危険性が高い……いえ。 喜多嶋: ほぼ確実と言っても、過言ではないでしょう。 巴: その副作用って、具体的には? 喜多嶋: アドレナリンの大量分泌による呼吸器系・循環器系臓器の異常運動。 喜多嶋: わかりやすく言えば血液が恐ろしい速さで全身を駆け巡り……心臓や肺、脳が破壊されて大量出血するというものです。 美雪(私服): 全身からの……出血……?! その言葉に、反射的に夏美さんを抑える千雨を見た。 美雪(私服): (知っている……いや、私は見た! その症状を!) 見た夢の中で見た。街中で人々が血を吐いて倒れ、千雨も倒れ、息を引き取る中――。 私も口から血を吐き、倒れ、苦しみ、意識が消えていく……。 いくつか疑問は残っている。でも、もしあの惨劇が『眠り病』の治療薬が原因で起きたとしたら……! 美雪(私服): (それは、どんなことがあっても止めないと……!) 巴: やっぱり問題があったのね……でも、わからないわ。 巴: 厚生省薬事局勤めとはいえ、どうしてあなたはいち早く薬の危険性について気づくことができたの? 巴: 薬の開発には、何重にもかけて保険がかけられる。この国ではつい最近薬の薬害に訴訟が起きたばかりでその辺りは誰も彼もが慎重になっているはずよ。 巴: だって問題が起きた時に責任を取りたくないもの。 巴: その特殊な条件ってのは人工的には再現不可能で、だから誰も気づいてないってことなの? 喜多嶋: それには答えられません。 巴: そう……じゃあ、質問を変えるわ。 南井さんは腕を組み、喜多嶋氏を見据える。 巴: 情報源は、あなたの本当の名前に関連すること? 美雪(私服): …………? 本当の、名前? 病室中に戸惑いの空気が流れる。 私も、魅音も、千雨も、菜央も……声が出ないよう抑えられている夏美さんさえ。 ただその瞬間、温度を全く感じさせなかった喜多嶋氏の頬にわずかに赤みが走った気がした。 喜多嶋: ……何を。 巴: あなたがさっき追い出そうとしたそこの彼女が掴んだ情報よ。 そこ、と南井さんが向けた視線の先にいたのは……。 美雪(私服): (私?!) 一気に部屋中の視線が集中して、背中の毛穴が全て開いたように汗が噴き出る。 巴: ごめんね。あなたに調べるよう言われるまま調べたんだけど……ちょっと想定外の方向に行き着いたの。 巴: だから、あなたに聞かれた私は嘘とも言えない嘘をついてごまかした。 巴: あの段階で打ち明けると、色々と厄介な方向に脱線しそうだったのよ。……だけど今、ここでカードが切れる。 私が調べるように、頼んだ……? 南井さんの言葉が最初は理解できなかった。この「世界」で、南井さんにそんなことを頼まなかったからだ。 そう……この「世界」、では。 美雪(私服): (まさか……まさか……?!) 早鐘を打つ心臓の音が遠く聞こえる。 まばたきを忘れた私の視界の中、喜多嶋氏は答えを迷うように口をつぐみしばらく答えを探すように視線を泳がせていたが。 喜多嶋: ……今さらごまかしたところで、意味はないか。 ぽつり、と独り言を呟いて。どこか投げやりな視線を南井さんに投げた。 巴: 私から言った方がいい? 喜多嶋: いいえ……自分で。 喜多嶋: ……私の喜多嶋伸介という名は、正体を隠して自らを守るために変えたものです。 喜多嶋: 元の名は……公由怜。 喜多嶋: #p雛見沢#sひなみざわ#r御三家のひとつである公由家で村長代行を務めた公由稔が、私の父になります。 Part 06: 菜央(私服(二部)): 公由、……怜、ですって……っ?! まさかこんなところで聞くことになるとは全く思っていなかった名前を耳にしたあたしは、とっさに隣に立っていた魅音さんに目を向ける。 あたしも、美雪も……当然ながら千雨だって、公由怜本人との面識はない。可能性があるとすれば、彼女だけだからだ。 魅音(25歳): …………。 だけど魅音さんも、呆気にとられたように目を見開きながらぽかんと口を開けている。本人、赤の他人……どちらと会った反応だろうか。 千雨: おい……あんた、今いくつだ? と、そんな中いち早く落ち着きを取り戻したのか千雨が一歩前に進み出ると、喜多嶋さんを正面から見据えながら尋ねかける。 そのぞんざいな物言いに機嫌を害したのか、彼の眉がぴくり、と動いたように見えたが……それでも口調は冷たく、静かに答えていった。 喜多嶋: 今年で24になる……君たちの目には、私が何歳だと? 千雨: 24っ……?いや、若くても30越えてて……35くらいだと思ったよ。 菜央(私服(二部)): あ、あたしもそれくらいに見えたかも……かも。 以前、美雪と千雨から会った時の印象を聞いた時にそれくらいの年齢だと思う、と教えてもらったこともあったが……実際に会ってみた感想は、それと同じだ。 菜央(私服(二部)): (でもまさか、10歳も下だったなんて……) 魅音(25歳): …………。 ちらりと横に目を向けると魅音さんは表情を変えることなく、むしろ納得したように小さく頷く仕草を見せている。 つまり、彼女は目の前にいるこの人を……知っているってこと……? 美雪(私服): いやいや、待って……!その年齢で厚生省の係長って、若すぎでしょ?一般企業だと課長クラスってことだよ?! 巴: あー……国家公務員のキャリア組は、早ければ20代中盤から後半で係長に昇進するものなのよ。そこまで異例すぎる話じゃないわ。 巴: あと、調べたところによると彼は海外留学で飛び級をしているそうだから……その分も短縮に繋がったのかもね。 喜多嶋: ……よくご存じで。さすがは警察官房の直下組織、プライバシーなどあってなきがごとし……というわけですか。 美雪(私服): あぁ……そういえば、警察組織でもそうでしたね。キャリア組、って聞いた時に気づくべきでした。 南井さんの説明でとりあえず理解した様子で、美雪はそう言って矛を収める。 が、続いて新たな疑問が沸いてきたのか彼女は顔を上げ、喜多嶋さんに詰め寄っていった。 美雪(私服): あの……ひょっとしてあなたが、一穂のお兄さん……なんですか? 喜多嶋: お兄さん……? 美雪(私服): はい。あなたより10くらい下の子です。公由一穂……聞き覚えはありませんか? 喜多嶋: ……公由、一穂……。 美雪に尋ねかけられた彼は、わずかに目を細めながらその名前を呟く。 だけど、すぐにその思考を終えると手袋をした左手をさすり……冷たい声で答えていった。 喜多嶋: ……そんな名前の妹はいない。私の知る限り、親戚にもいなかった。 喜多嶋: 南井女史なら、すでにご存知だと思います。……違いますか? 話を向けられて、南井さんは無言でそれを受け止める。そして憮然とした顔で肩をすくめ、首を振ってみせた。 巴: そうね……私の調べた内容でも、彼に兄弟姉妹はいない。 巴: 公由家の親類縁者にも、「一穂」という人物は発見できなかったわ。 菜央(私服(二部)): ……っ……。 思わずあたしは、美雪の身体にしがみつく。……そうしないと、膝から崩れ落ちそうだったからだ。 菜央(私服(二部)): (やっと……やっと見つけたと、思ったのに……) やっと手に入ったと思った一穂への手がかりは、本人の口から否定され……かき消えてしまった。 ……やはり一穂の存在は、この「世界」から完全に消えてしまったのだろうか。もう、認めなくてはいけないのか……? 泣きたい気持ちをこらえ、あたしはうつむいて床をにらみつける。……と、そこへ聞こえてきた呻き声にはっ、と意識を引き戻された。 黒夏美: く、苦しい……もう、離してよ……っ! それは、千雨に組み伏せられて床に這いつくばっていた夏美さんの声だった。 黒夏美: もう、逃げないってば……!逃げられないって、わかっているから……! 黒夏美: そろそろあいつが、目覚めてきそうなんだ……だから……っ! 黒夏美: 私の意識があるうちに、話すことがあるんじゃないのっ……?! 千雨: …………。 夏美さんの訴えを聞いて、千雨は南井さんに目を向ける。 そして彼女が頷くのを確認してから拘束を緩め、彼女の身体をベッドに座らせた。 もちろん、支えるように両手を肩に添えながら……いつでも再び押さえ込める姿勢で構えを取っている。 と、そんなやり取りをしている間に喜多嶋さんは踵を返し、あたしたちに背を向けた。 喜多嶋: 今日のところは、これで失礼します。藤堂夏美の容態を確認しにきただけなので。 喜多嶋: ……狂犬も、牙を抜かれればただの犬だ。もはや私たちには、関係の無い人間です。 美雪(私服): なっ……?! 喜多嶋: 比護の身柄は預けておきます。何か連絡があれば、彼に……では。 そう言い残すと一度も振り返ることなく、彼は静かに部屋を出ていく。 美雪(私服): あっ……ま、待って! そして扉が閉まった直後、我に返ったように美雪はあたしから手を放すと喜多嶋さんの後を追って部屋を飛び出した。 菜央(私服(二部)): み、美雪っ……? 魅音(25歳): 私が追いかけるよ。……任せて。 戸惑って立ち尽くすあたしの肩をぽん、と叩き、魅音さんまでもが駆け出していく。 菜央(私服(二部)): …………。 再び閉め切られた扉を、あたしは呆然と見つめる。 3人が一気に消えて、室内は静まりかえり……だけどそんな中、南井さんは夏美さんの前に移動して向き直ると、穏やかな口調で話しかけた。 巴: 改めて、話を聞かせてちょうだい。つまり、あなたの目的は……『眠り病』の治療薬を手に入れることだったのね。 巴: それにしては、ずいぶん乱暴な手段をとったものね。……他に、方法はなかったの? 黒夏美: なかったよ!あったら、とっくにそっちを選んでいた……!! 彼女の叫びには、悲痛さが込められていて……さっきまでの凶暴な勢いが明らかに弱まっていた。 黒夏美: あぁ、わかっていた……本当は、わかっていたんだよ……! 黒夏美: 私が薬と引き換えに、巴さんを殺したってことを表の夏美が知ったら……自殺したくなるくらいに責任を感じるだろうってな……! 黒夏美: でも、そうする他に方法があったのかよ?!あるんだったら、教えてほしかった!こっちだってやりたくて、やったわけじゃない! 黒夏美: でも、他に方法はなくて……時間も……!それしかなかったから、そうするしか彼を助けられなかったから……っ!! 黒夏美: 暁くんを助けるためには、悪魔に魂を売るしかなかったんだっ……!! 叫び、わめき……頭を振って長い髪を振り乱す夏美さんの目から、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちていく。 その姿を前に、あたしは病室で旦那さんに会いたいと悲しい顔で泣く……あの彼女の姿を思い出していた。 言葉の選び方も、声の張り方も……表の彼女とは違う。 でも……好きな人に対する想いの強さは、変わらない。裏も表もなく、この人は……。 菜央(私服(二部)): (本当に、旦那さんのことが大好きなのね……) この人の苦しみ、悲しみの正体や詳細についてあたしは実のところほとんどわかっていないけど……。 それだけは、わかった。言葉に含まれる想いで、強く伝わってきたからだ……。 黒夏美: 私だって……私だって!暁くんのために、彼の幸せのために役に立ちたかった! 黒夏美: それなのに表の夏美は、私のことを否定する……!カウンセラーも、医師も……みんなみんな、否定するっ! 黒夏美: 私のことを、邪魔者だって……いなければよかったって!生まれてこなければよかったんだって、突き放すッ! 黒夏美: ふざけるな……そんなのって、ないだろうっ?私がいなければ、表の夏美はとっくに壊れていたのに!幸せになったら用済みか? いたら迷惑だってか?! 黒夏美: だったら、なんで……なんで「私」を生み出したんだっ?私だって、夏美の一部だったのに……どうしてッ……?! 巴: ……夏美さん……。 黒夏美: ……。暁くん、だけだった……。 巴: えっ……? 黒夏美: 私を否定しなかったのは、彼だけだった……っ! 黒夏美: 存在を知っても、愛してくれた……!私も夏美の一部だって、受け入れてくれた……。 黒夏美: だから、私は……表に任せて引っ込んでもいいと思ったんだ……! 黒夏美: 彼の笑顔を見られるなら、それでいい……。あの人が幸せなら、もう十分だって……。 黒夏美: だから、暁くんを死なせたくなかった……!何も悪いことをしていない彼が苦しむなんて、そんなの絶対、認めたくなくてっ……!! 巴: ……っ……。 泣き叫ぶ夏美さんを前に、南井さんは椅子から降りてベッドに腰を下ろす。 そして、背後で動きかけた千雨を目で制してからおもむろに腕を伸ばし……。 暴れるその痩せ細った身体を、押さえるのではなく……そっと包み込んだ。 黒夏美: ……っ……?! 夏美さんの肩がびくっ、と跳ね……急な動きを見てとった千雨が反射的に身構える。 あたしだってわかる……今の夏美さんなら、無防備な南井さんなんて素手でも簡単に殺せる。 巴: あのね……夏美さん。 だけど、自分の首を差し出すも同然の状況の中……南井さんは穏やかな口調で言った。 巴: 残念だけど……あなたの犯した罪を私は立場上、許すわけにはいかない。 巴: あなたを許してって、誰かに頼むこともできない。だって、被害者の立場を考えたらそれはとても……とても卑怯なことだって、教えられたから。 菜央(私服(二部)): ……ぁ……。 菜央(私服(二部)): (それって、あたしが言ったから……?) 別に南井さんの謝罪が、あの場を収めるための適当なものだったと疑っていたわけじゃない。 でも、あたしの言葉をそこまで真剣に受け止めてくれていたとは……さすがに思っていなかったのだ。 巴: 夏美さんの罪を許さず、誰かに許せと頼む資格もない今の私があなたにできることは……。 巴: あなたの存在を、認めることだけよ。 黒夏美: ……ぁ……! 巴: 今思えば、私もあなたのことを否定していたひとりだったわ。 巴: でも、夏美さんの心を支えていたのは言われてみれば確かにあなただった……それは間違いない。 巴: 表の夏美さんがせめて少しでも苦しまないよう、ひとりで全てを背負い込もうとしていた……優しくて気高い心と覚悟の強さを、私は認める。 巴: あなたのやったことは、間違っていた……でも、あなたの存在を否定していいものじゃなかった。 巴: ……ごめんなさい。 黒夏美: っ……綺麗事を言わないでよ! 夏美さんはそう叫びながら、南井さんの身体を全力で押し返そうとする。 でも、弱り切ったその腕では彼女はびくとも動かず互いの身体に少しの隙間を生むのが精一杯だった。 黒夏美: 私は、あなたを殺そうとした……いや……実際にあの「世界」では殺したんだよっ?あの高野製薬の工場で……覚えているでしょう?! 黒夏美: 私を憎んで、恨んでいるんでしょう?!せっかく優しくしてやったのに、恩知らずって!こんなことになって、ざまぁみろって!! 黒夏美: だまされない……絶対に、認めない!!私みたいな邪悪な存在なんて、きっと心の底では嫌って、そして……!! 巴: あなたは、邪悪なんかじゃないわ。……だってあなたは、私を殺しきれなかったもの。 黒夏美: えっ……? その台詞に、夏美さんはもちろんのこと……あたしと千雨も、唖然と固まってしまう。 すると南井さんは、苦笑交じりに……くしゃっ、と髪をかき上げてから続けていった。 巴: 薄ぼんやりとはしているけどね……実は高野製薬で重傷を負った後、病院に運び込まれた記憶があるのよ。 巴: そこで秋武たちと話をして、もう大丈夫ですよ……って看護士さんに言われたわ。もちろん、安静必須には変わりなかったけど。 菜央(私服(二部)): そ、それじゃ……? 巴: 私が死んだのは、その後に起きた何かが原因。高野製薬での襲撃以降で何もしていないのなら……残念だけど夏美さん、あなたは私を殺せていない。 黒夏美: ……っ……?! それを聞いて夏美さんは、真っ青な顔になってぶるぶると震え出す。 どうやら彼女は、今の今まで自分が南井さんのことを手にかけたと思い込んでいた様子だ。 でも、そう思ったのは、どういった理由で……? 黒夏美: そ、それじゃ……「あいつ」は私に、嘘を教えたって言うのっ?! 千雨: 「あいつ」……? 巴: ……教えて、「夏美」さん。私を殺したことをあなたに伝えて追い込み、美雪さんたちから「本」を奪って――。 巴: 例の「あの子」……西園寺雅に渡すようにと指示した「あいつ」は誰?それを知っているのは、あなたしかいないの。 黒夏美: ……っ……!! 問いかけに対し、夏美さんは苦渋の表情を浮かべる。 言うべきか、言わないべきか……脂汗を流して顔を歪めてま語るべきかしばし迷った後、彼女は……絞り出すように、その名前を告げた。 黒夏美: ……高野、美代子……。 巴: えっ……? 黒夏美: 名前を聞けばわかるだろっ……?あの高野製薬の、オーナーだ……! 千雨: なっ……?! 菜央(私服(二部)): (高野、さん……?!) その名前を聞いて、あたしたちはほぼ同時に息をのむ。 高野美代子……あの愛想よく、真摯にあたしたちを接待してくれた彼女が、夏美さんにそんな指示を出していた……?! 信じがたい事実に、全員が言葉を失う。すると夏美さんは、あたしたちの反応がやや意外だったのか……さらに言葉を重ねていった。 黒夏美: ひとつ……お前らが気づいていない、大事なことを教えてあげるよ……。 黒夏美: あいつは、#p雛見沢#sひなみざわ#rの診療所にいたっていう鷹野三四って看護婦……研究員なんかじゃない……! 黒夏美: 全くの、別人……いや、人間でさえない正真正銘の、悪魔だ……! 黒夏美: 絶対に、気を許さないで……! そう言い切った夏美さんの身体から、力が抜け……南井さんの肩に額を押し当てるように顔を埋める。 そんな彼女を、南井さんはもう一度抱きしめた。 巴: ……ありがとう夏美さん、話してくれて。 黒夏美: お礼なんて、言わないでよ……これを知ったせいで、あんたたちはこの先殺されるかもしれないんだから……。 巴: 心配して、言うのを迷っていたの……?でも大丈夫よ、心配してくれてありがとう。 黒夏美: だから……なんでお礼なんて言うのかなぁ。やっぱり私が殺そうとしたの、忘れた……? そう、力の抜けた声で呟くように詰った後……夏美さんは呆れたように薄く笑った。 黒夏美: ねぇ……巴、さん……。 巴: なに? 黒夏美: 私「たち」はやっぱり、地獄に落ちるべきなんだろうけど……。 黒夏美: あなたに優しい言葉をかけてもらえたせいで、少しだけ……頼みたいことが、できちゃった……。 力の抜けたふわふわとした夢を見るような呟きに、南井さんは穏やかに耳を傾ける。 巴: 頼みたいこと……?私にできることがあるんだったら協力するから、なんでも言ってちょうだい。 黒夏美: …………。 黒夏美: 都合がいい話だって、わかっている……私のことは、存在ごと否定してくれても構わない。 黒夏美: 一度、ちゃんと肯定されたら……なんだか、満足しちゃったんだ。だから……っ……。 夏美さんはそこで、迷うように言葉を切る。そして再び口を開き、南井さんを見上げながら涙まじりの震えた声で言葉を繋いでいった。 黒夏美: だから、表の夏美の、未来……今より、ちょっとだけでいいから……マシなものにしてあげて……。 黒夏美: ううん、そうじゃなくて……あと少しだけマシにしたいって本人が頑張ったら、もう一度手を貸して、あげてください……。 巴: …………。 黒夏美: 夏美って、臆病で……自分の願いを口にするのが、すごく下手で……。 黒夏美: 他人にどう思われるかばっかり考えて、自分の気持ちを言えないまま、黙っちゃうから……。 黒夏美: 私が言ってやらないと、誰にも……こいつの本当の気持ちが伝わらないままになる……だから、私が……代わりに言うよ。 黒夏美: ……夏美を、助けて。お願い、します……。 菜央(私服(二部)): 夏美さん……。 巴: えぇ……もちろんよ。だからあなたも、自分が幸せになることをそんなに拒絶しないで。 巴: 一度間違えた人が何も望んじゃいけないなら警察なんて必要ないし、罰則の意味がない。 巴: 罪は、裁かれなければならない。……だけど同時に、償うことで赦されなければいけないものよ。 黒夏美: ……っ……。 巴: 手段と方法は、許されないものだった。けど、あなたのその想いは……存在は、決して間違ってはいなかった。 巴: あなたの存在も……間違いなく、夏美さんの一部なんだから……ね。 静かな肯定に、夏美さんは顔を歪める。でもそこには、今まで色濃かった悲壮感はない。 あったのは、帰り道を見つけた迷子のような安心した表情だった……。 黒夏美: っ……あり、がとう……。 嬉しそうに目を閉じた夏美さんの目から、ぽろりと……一筋の涙が、落ちて。 夏美: あ、あれっ……? そして、再び目を開いた彼女は……ぱちぱちと困惑した表情で皆を見つめていった。 夏美: どうして私、涙を……?えっと、いったい何が……? ……表の夏美さんが、帰ってきたのだ。 巴: なんでもないわ、夏美さん。……やっと、あの子と和解ができただけ。 そう言って南井さんは、再び夏美さんを抱きしめる。 夏美: え……え……? よくわからないと言いたげな顔で目をしばたたかせてされるがままに抱きしめられた彼女に、南井さんは笑いながら告げた。 巴: 色々と酷い目に遭わされたりもしたけど、結局のところ……彼女も他の人みたいに誰かの幸せを願いたかっただけの……。 巴: ……ただの、寂しがり屋だったのね。 美雪(私服): (あの人、どこに行った……?!) 喜多嶋氏……一穂のお兄ちゃんを追って病室を出た時、既に彼の姿はなかった。 病院の廊下を、看護師さんに怒られながら走り回って探す。すると……。 美雪(私服): (ん……?) どこからともなくごん、ごん、と何かがぶつかったような奇妙な音が聞こえてきて。 車椅子の人が壁にぶつかって、動けなくなっているのかと慌てて音が聞こえた先に顔を向けると……。 喜多嶋: …………。 なぜか人気のない場所で、何もない壁の前に立つ探し人を見つけた。 美雪(私服): (いた……!) 喜多嶋: …………。 美雪(私服): まっ……待って! ちょっと待ってください! 慌てて駆け寄ろうとした足音に気づいて私を見るや、つまらなさそうに踵を返しかける喜多嶋氏を慌てて呼び止める。 すると彼は、ようやく煩わしいと言いたげな表情を見せながらも再びこちらに振り返ってきた。 喜多嶋: ……なんだね。 熱を感じさせないその口調に、走り回って上がった体温がさらに上がった気がした。 美雪(私服): (いや……聞きたいことに話したいこと、あなたに用はそれこそいっぱいあるけどっ?) 一穂のこととか、今までどうしていたとか、なんで南井さんを監視していたのかとか……。 ……けど、この人はたとえ尋ねてもまともに答えてくれないであろうことは、菜央とのやりとりでわかりきっている。 だから、せめて……。 美雪(私服): どうして……名前を変えたんですか? 喜多嶋: ……。公由夏美のように各地で暴れ回った、雛見沢の狂犬どものおかげだ。 絞り出すような私の問いに、即答が返ってきた。 美雪(私服): 狂犬、ですか……? 喜多嶋: 他に適切な表現があるというのなら、ぜひ聞きたいものだ。殺人、強盗、無理心中、テロ行為……。 喜多嶋: 親類縁者にそういった輩がいるような人間が好んで受け入れられるほど、この国の社会は優しいとでも言うのか……? 美雪(私服): ……っ……。 喜多嶋: 雛見沢御三家直系の名前を名乗ったまま普通の暮らしができるほど、世間は甘くない。……当然の対応だ。 美雪(私服): だから、名前を変えた、と……? 喜多嶋: いずれ明るみになるとわかっていても、何もかもを偽るしかなかった。 語る口調は淡々としていたけれど、ほんの微かながら怒りがにじんでいる。 そして私を見下ろす荒涼とした目つきは、少しだけ……。 美雪(私服): (……一穂に、似てる) あの子は表情豊かだったから、普段はそれほど気にも留めなかったけど……時々、妙に目が据わっていることがあった。 だから、あれは性格というより生まれつきのものだろう。 その時の一穂の目と、目の前の男性の目つきが少しだけど……似ている気がする……。 喜多嶋: 偽らずとも、大勢に守られたおかげで生き延びることができたお前とは違う。……園崎魅音。 魅音(25歳): そうだね……その通りだよ。 美雪(私服): っ、魅音……? 背後からの声に振り返ろうとするとそこにいた魅音がぽんと私の肩に手を置き、前を見るように促された。 魅音(25歳): 久しぶり。なんか……昔と変わった?最初見た時、全然わかんなかったよ。 喜多嶋: すぐに気づかれるようなら、名前を変えた意味がない。……多少、髪を整えて立ち振る舞いを学んだがな。 頭越しにかけられる魅音の遠慮がちな挨拶に返された声は、私と話していた時よりも若干冷たさを帯びているようにも感じた。 喜多嶋: 園崎魅音……どうして、今さら出てきた。御三家の頭首としての責任感か?とうに乗っ取られて、形骸化したと聞くが。 魅音(25歳): 違うよ。家のためじゃない。 喜多嶋: では、何のために? 魅音(25歳): 詩音に……妹に託されたからね。 喜多嶋: …………。 魅音(25歳): あの子は私に、具体的なことは何も言わなかった。ただ「生きろ」と言い残して、全部を預けて……逝っちゃった。 魅音(25歳): だから私は他人の手を借りて、守られて、失って、犠牲にして、死にかけて……みっともなく足掻いた。 魅音(25歳): 詩音が預けてくれたもの、何一つ欠けさせたくなかったから。 魅音は後ろ手で一つ結びにした自分の髪を片手で持ちあげる。 昔から変わらない、長い髪。 切ればずいぶんと印象も変わるだろう。切らずとも結び方一つ変えるだけでも違うだろうに。 でも、魅音は切らなかった。……変えなかった。 詩音と、同じだから……変えたくなかったのかもしれない。 魅音(25歳): ……だから今、私はここに立っていられる。 喜多嶋: …………。 宣言のようなその答えに、喜多嶋氏は何も言わない。ただ、酷く冷めたような目で見返して……。 すいっと身体を反転させると、そのまま私たちに背を向けどこかへ歩いていく。 美雪(私服): ……っ……! すぐさま私は、その背中を追いかけようとしたが……。 美雪(私服): (ダメだ、引き留める理由が思いつかない) どうしようもない現状に、進みかけた足を引き戻す。その悔しさに歯噛みすると、ぽんぽんと魅音が私の肩を叩いてきた。 魅音(25歳): ……よく我慢したね、美雪。あれ以上突っ込んでたら、さすがにやばかったよ。 美雪(私服): いや、もう手遅れだよ……怒らせたよね?南井さんの不利益にならないかな……。 魅音(25歳): へーきへーき!あの程度で報復を考えるような男なら、今後一緒にいても害にしかならないって! 魅音は大口を開けて笑うと、慰めるように私の肩を叩く。 魅音(25歳): 南井さん……一穂のことを調べていたようだけど私にも教えようとしてくれなかったのは、あぁいう理由だったのかぁ……そりゃ言いにくいわ。 美雪(私服): …………。 ひとりごちる魅音の言葉に裏付けされ、私も南井さんが一穂のことを調べたにもかからず教えてくれなかった理由を……悟った。 公由一穂の存在は確認できず……兄の公由怜は名前を変え、何かを為そうとしている。 美雪(私服): 現状を説明しても、混乱させるだけだって……気を遣って黙っていてくれたんだね。 たぶん一穂の存在が確認できないと知らされた時点で、私の頭はパニックに陥っていたに違いない。 美雪(私服): 黙っていてくれてたのは、……正解だったよ。 魅音(25歳): それを受け入れられるあんたは立派だね、美雪。 宥めるように頭をぽんぽんと叩かれ、少しの気恥ずかしさを抱えながら魅音を見る。 美雪(私服): ……なんだか魅音、お姉さんみたい。 魅音(25歳): そりゃ、お姉さんになっちゃったからね。というより、本来の立ち位置に立ち戻ったと言ったほうが正しいのかな。 魅音(25歳): ……でも、安心して。私があんたたちの仲間だってことは、変わらない。そこだけは何があっても、絶対不変の大前提だよ。 美雪(私服): ……うん。 変わったものが多すぎるこの「世界」で、変わらないものがちゃんと存在している。 魅音の言葉に救われたような思いで、私は廊下の先に目を向けると……。 足早に立ち去った彼の姿はもう消え去り、遠くの窓の向こうでは素知らぬ顔の雲がゆったりと流れるばかりだった。 Part 07: 夏美さんを関東佐伯病院に預けてから、一夜が明けて――。 私たちは南井さんからの提案で、警察広報センターに集合することになった。 巴: ――私たちには、それほど時間が残されていないわ。 所長室に居並ぶ一同をぐるりと見渡して、部屋の主である南井さんは短く宣言する。 参加メンバーは私と菜央、千雨と魅音の他には議長役の南井さん。そして……。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: 比護くん。確認だけど、『眠り病』の薬の製造と流通はもう止められない状況なの? 比護: あぁ。高野製薬がユプミリナ製薬と組んで、『眠り病』の治療薬を市場へ出回るように動いている。 比護: 厚生族の議員にも多額の献金と、様々な便宜を交換条件としてちらつかせて取り込んだ。動きを止めることは、ほとんど不可能に近いだろう。 美雪(私服): ……厚生省の役人の方々も、議員たちと同様に新薬を歓迎の姿勢なんですか? 比護さんが厚生省と繋がっているということはすでに私たちの間で明らかになっているので、遠慮なくその辺りの事情と動向を尋ねてみる。 すると彼は、南井さんの口添えがあったおかげなのか侮った態度も一切見せることなく真摯に答えてくれた。 比護: 残念ながら、喜多嶋係長は省内でも少数派だ。彼と何人かはあの薬の危険性に気づいているが、上層部連中は疑いすらしていない。 比護: むしろ、全世界に先駆けて開発した治療薬とワクチンを、今後の対外援助活動という名の交渉に使えると息巻いている。……情けない話だ。 美雪(私服): 治療どころか大量死に繋がるとなったら、天文学的規模の賠償金だの何だので国家基盤が吹っ飛ぶかもしれないってのにね……。 巴: 昭和の頃は、いくつかの薬害問題に懲りて審査が異常なほど厳しくなった時期もあったんだけど……喉元過ぎれば熱さを忘れる、ってところかしら。 菜央(私服(二部)): ……つまり、現実的には不可能ってことですか。 灯: だとしたら……未来を変える方法は、ひとつしかない。 灯: 過去に戻って#p雛見沢#sひなみざわ#rで起きた惨劇を止め……黒幕たちの陰謀を阻むことだよ。 最後の参加者、灯さんがしたり顔でそう宣言する。……言った本人に対しての印象や感想はさておき、全員がその通りだと頷き合った。 千雨: まぁ、「繰り返す者」の存在を知ってなければ頭のおかしいやつがほざいた妄言か、戯言だと受け取られない手段には違いないが……。 魅音(25歳): 法に従った手続きが何もない以上、テロを除けば超常的な行動に出るしかない。まさに神頼みってやつだね。 千雨: ……テロか。そいつは本当に最悪の、そして最終の手段だ。歴史に残る大犯罪者の称号と引き換えの、な。 魅音(25歳): いやー……今だから言える笑い話だけど、あんたたちと合流する前は一瞬ちらっと考えたんだよ。それで何百万、何千万の人が救われるなら、ってさ。 魅音(25歳): でも、よくよく考えればそれをやったところで成功する保証はどこにもない。……ということで、ヘタレのおじさんは尻込みしちゃったってわけさ。 千雨: ……お前が勇敢なやつでなくてよかったよ、魅音。敵として出会うのは、正直勘弁願いたい相手だからな。 美雪(私服): (敵……か……) 千雨と魅音の会話を横で聞きながら、ふと私は前の「世界」で行動を共にした詩音のことに思いを馳せる。 彼女も、ある意味で私たちを裏切る行動を起こしていた。……その真意は今魅音が言ったように自己犠牲と、窮状からの賭けだったのかもしれない。 卓越した行動力と、自らの命さえ捨ててしまえる献身的な優しさ……やっぱり魅音と詩音は姉妹なのだと、改めて思わずにはいられなかった。 美雪(私服): (いや、それよりも……) 私は視点を変えて、「ある人」に目を向ける。誰もがあえて指摘を避けている様子だったが、明らかに彼女の存在は浮きまくっていたからだ。 美雪(私服): あの……2つほど質問させてください。秋武さんは南井さんの部下で、比護さんは厚生省からの代表ってわかるんですけど……。 美雪(私服): どうして灯さんまで、ここにいるんです? 灯: ふむ、なんだか哲学的な問いだね。何故人は存在しているのかということかな? 菜央(私服(二部)): 煙に巻くような発言はやめて。部外者のあなたが、なんでここにいるのかっていう単純かつそもそもの疑問よ。 灯: なるほど、そっちか。全てを話すとすっっごく長くなるので簡単に言うと……。 灯: まぁ、単なる野次馬ってやつだね! 千雨: ――だったら出てけ。話の邪魔だ。 灯: わぁ、切れ味鋭いねー。マツカサウオも楽に捌けそうだ。 菜央(私服(二部)): マツカサウオ……? 千雨: 全身が固い鱗に覆われた、背びれがトゲだらけの魚だ。味はいいんだが、調理に手間がものすごくかかる。 美雪(私服): いや、こういうときに使うたとえじゃないでしょ……。 灯: それはともかく、一般市民によるフラットな意見は実は結構馬鹿にできないものだったりするんだよ?ねっ、南井さん! 菜央(私服(二部)): ……あの、本当にいいんですか?いくら警察関係者が身内にいるからといっても、部外者の同席は何かと問題があるんじゃ……? 巴: 責任は私が取るわ……いいわよね、秋武。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: えぇ。この状況だとあーちゃんの存在は隠し球としてかなり有効だと思います。 灯: 姉さんにお墨付きをもらっちゃった~……ゆぷぃ。 比護: よかったな。 美雪(私服): え、ぇえ……? あの、いいんですか? ほのぼのとした空気に、一抹の不安を覚える。だけど南井さんは繰り返すように大丈夫、と頷いた。 巴: この子は今後、場合によっては必要になるわ。あと、灯のひらめきって奇想天外でくだらなくて……誰も考えもしない発想に基づいたモノが飛び出すの。 巴: 要するに、使えるものが出てきた時はラッキーって感じられる、びっくり箱みたいな子よ。 灯: さすがは巴さん! 心が駿河湾のごとく深いっ! 灯: ……あれ? 出てきた時はラッキー?いつもではなく……? 巴: ビリヤードのミラクルショットも、頻発過ぎると見る人も飽きて価値が下がるってあんたが前に言っていたじゃない。 灯: なるほど……ほど……? 魅音(25歳): ……なんか空気の読めない子だね。 菜央(私服(二部)): えぇ……魅音さんがそれを言うの……? 美雪(私服): しっ……! 呆れたようにぼそりと呟いた菜央の口を閉じつつ、忘れかけていた本題を思い出した私はこほん、と咳払いして言葉を繋いでいった。 美雪(私服): え、えっと……あと、2つめの疑問です。 美雪(私服): 「世界」の移動しか方法がない、と言っても私たちが知る手段は……全部、壊されてます。 美雪(私服): それに川田さんから、警告されてるんです。もう「世界」を変えるような行為は止めろって。だから、今までのようにはいきませんが……。 灯: あ、心配はいらない。後者については特に問題ないと思うよ。 菜央(私服(二部)): えっと……それはどうして? 灯: 私がいるからさ。 千雨: なんだその自信は……あんたにいったい何ができるって言うんだ? 灯: 詳しい説明は省く。……が、任せてくれていい。 にこっ、と灯さんは微笑み……それに対して南井さんと秋武さん、比護さんは諫めることもなく何も突っ込もうとしなかった。 「川田って誰?」といった言葉も発しない。つまり彼女はこの「世界」でも、ここの警察の人たちと接点があるということだろうか……? 灯: ただ、相手に全力で走られたら確実に追いつけないので……そうなった時はごめん!足止めをお願いしてもいいかな。 千雨: あー……そういや、あんたって足がめちゃくちゃ遅かったよな。 菜央(私服(二部)): 小学生のあたしより遅いって……ないと思うけど。 灯: ぅおっ……子どもの冷たい視線は、結構突き刺さるよ。いやいや、NSF理論的に考えれば他の役割も補えるほどに能力が高ければよかったんだけどねー。 灯: 苦手なものは、誰にでもあるんだから仕方がない。 美雪(私服): えぬえ……なんです? 魅音(25歳): なんかの略称? 灯: ナビ、サーチ、ファイト……昔叔父さんが教えてくれた、未確認地帯を探索する際の基本的分担のことだよ。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: つまり、未知の場所に足を踏み入るんだったら役割分担を明白にすることが大事、って話よ。 秋武さんは困ったように笑いながら、妹を見る。 #p秋武麗#sあきたけうらら#r: この子って分野がかなり偏っているけど、得意なことは本当に突出したタイプだから……もしもの時は頼ってあげて。役に立つと思うわ。 美雪(私服): は、はぁ……。 以前の「世界」でも私たちに真摯な態度で接し、協力を惜しまなかった秋武さんにそう言われると強く拒絶できず、曖昧に頷いてしまう。 灯: ということで、後者の心配はほぼなし!……だとすると、大事なのは前者だ。 灯: 「世界」の移動手段が壊されているとなれば既存の場所を修復するか、別の場所……もしくは別の方法を見つけるしかないだろうね。 灯: そしてどちらの場合でも、神様……『#p田村媛#sたむらひめ#r命』の復帰が必須であることは明白だ。そうだよね? 美雪(私服): ……もう色々ありすぎて驚く気も起こりませんが、田村媛のこともご存じだったんですね。 はぁ、とため息をついて虚空を見渡す。……本当にこの人は底が見えないというか、素性が計り知れない。 美雪(私服): あ、でも……彼女は何度呼びかけても今は姿どころか返事すらないんです。以前は声をかけたら、現れてくれたんですけど。 『平成B』では呼びかけたら、答えが返ってきた。だけどそれ以降は、何を声をかけても返事がない。 合間を見てこれまでにも何度か試みたが結果は出ず、私はその度に軽く落胆していたほどだった。 巴: それはね……田村媛命が、この「世界」に顕現するための繋がりを生み出す力を失ってるからよ。 巴: そして、あの神様の復活には「本」が必要な鍵になる。……以前のように。 巴: 美雪さん。あなたがお父さん……赤坂さんから託されたものが、それよ。 美雪(私服): いや、だから……私は「本」なんて持ってないです。 またそれか、と若干うんざりした思いを抱いてため息をついてしまう。 何かにつけて本を出せ、本が必要だと言われても心当たりがまるでないのだから、対応もできない。 しかも、お父さんから託された……?そんなものは以前の「世界」では、一度も……。 美雪(私服): ……っ……? 菜央(私服(二部)): どうしたの、美雪? 美雪(私服): あ、いや……。 美雪(私服): 確かに夏美さんの偽者と、西園寺絢さんからも「本」のことは聞かれました。……何かの勘違いじゃないんですか? 菜央(私服(二部)): ……「本」……? 傍らを見ると、菜央も不思議そうに首を傾げている。やっぱり彼女も心当たりがないようだ。 巴: ……なるほど、そういうことか。だったら美雪さん、あなたが肩から提げているナップザックの中を開けてみて。 美雪(私服): いいですけど……この中には水筒とかタオルとか、外を出歩くための道具しか入ってないですよ。 そう言って私は、持っていたナップザックを大きく開いてのぞき込み……。 ……息が、止まった。 千雨: おい……なんだ、この本は……? 千雨の言葉をどこか遠くに聞きながら手に入れたバッグの底から出てきたのは……。 見間違えることなく、一冊の……本だった。 美雪(私服): な……なんで、こんなものが……?! 魅音(25歳): えっ、なになに? どういうこと? 菜央(私服(二部)): あんたはずっと、「本」を持ち歩いてた……?どうして言ってくれなかったのよ、美雪っ? 美雪(私服): い、いや……私もまさか、自分がこんなのを持ってるなんて全然思ってなかったんだけど……。 菜央(私服(二部)): 思ってなかったって……どういうこと? 千雨: 「本」を持ってたのに……記憶から消えてた?美雪だけじゃなく私も、菜央ちゃんまで……?! 巴: そういうことよ。……やっぱりね。 美雪(私服): やっぱり、って……っ?あなたは何か知ってるんですか、南井さん?! 巴: ……美雪さん。あなたが2度目の雛見沢へと向かう前の「世界」で、大樹のある場所を訪れた時のこと……覚えている? 巴: 新しい雛見沢村がある、って聞いて……『田村媛命』を呼び起こそうとしたでしょ? 美雪(私服): え、あ……はい。 巴: ……そこであなたは、私の言う通りに従って「本」を取り出した。 美雪(私服): ……っ……?! 巴: 美雪さん、「本」って持ってる? 美雪(私服): 「本」……? 巴: 木の根元に石を置いて、「本」を広げる……そうすれば神様が元に戻るらしいんだけど、この意味ってわかるかしら。 美雪(私服): 一応……なんとなく。 そう。「本」と言えば、思い当たるのがひとつ。……お父さんから預かった本だ。 美雪(私服): よっ……と。 私は預かった本を手に取って、指示通りに大樹の根元に置き……神様と刀の眠る石を取り出す。 肉眼でなんとか確認できる石の中の人影は、今は固く目を閉じているように見えた――。 巴: そのおかげで『田村媛命』は姿を現し……菜央さんを過去の雛見沢に送り届けることができた。……そうでしょう? 千雨: 確かに、言われてみれば……。 菜央(私服(二部)): そうよ……そうだったわ!でも、どうしてあたしたちはこの「本」の存在を今の今まで忘れてしまってたんですか……?! 巴: この「本」は元々、どの「世界」にも属していない存在の代物らしいわ。 巴: だからその記憶にまつわる「因子」を持っていなければ、「世界」の移動を重ねていくうちに人の頭の中からこぼれ落ちてしまうらしいのよ。 巴: 最初は「持っていたのに手元から無くなった」で、徐々に「持っていた」こと自体を忘れていって……最後は存在さえなかったことになる。 巴: でも、あなたはずっと「本」を入れたナップザックを手放さなかった。おそらく、お父さん……赤坂さんからもらったことを無意識下に覚えていたからでしょうね。 比護&秋武: …………。 秋武さんと比護さんが、何か言いたげに互いの顔を見合わせている。 灯: …………。 灯さんは無言のまま、こちらをじっと見つめていて……私は困惑のまま、怪訝な思いで南井さんに問いかけた。 美雪(私服): ……南井さん。前々から不思議に思ってたことなんですけど、その知識はどこから手に入れたんですか? 美雪(私服): そもそも私と、千雨……菜央ですら忘れてたのに。なぜあなただけが、忘れずにいられたのか……? 巴: その話は、いずれ機が訪れた時にでもちゃんとさせてもらうわ。 巴: ……それよりも今やるべきことは「本」の中身を確かめることよ。ほらほら、開いて開いて。 南井さんに促され、私は釈然としない思いを抱えながらも表紙を開く。 美雪(私服): あ……っ……?! その手触りを感じた瞬間、以前に本を触った時の記憶が蘇ってきた。 美雪(私服): (そうだ……確か、あの時は本を開いても全部のページが白紙だった……はず) そう思いながらパラパラと「本」をめくると、やはりどのページも白紙だ。 どう見ても、どう考えても……たとえば人を殺してでも、この本を手に入れるほどの価値があるようには思えない。 300ページほどの本をめくり続けるが、ひたすらに純粋な白い紙地が繰り返される。 やがて、最後のページも白紙で終わり何もなかったと言おうと顔を上げかけて――。 美雪(私服): ……ん? 美雪(私服): (なんか、変な手触りが……?) 菜央(私服(二部)): っ……見て、美雪!最後のページ、なんか変よ。 千雨: これ、最後のページとその前がノリかなんかでくっついてるな。……ちょっと引っ張ったら開くか、これ? 比護: ハサミ、要るか……? 美雪(私服): いや、待ってください。こうやって輪っかにしたら、中が見える気が……。 私は片手で本を持つと、袋状になったページを手で慎重に膨らませて開いた隙間から覗き込む。 美雪(私服): っ……?! 文字が書いてある! 菜央(私服(二部)): ほんとにっ? 中には、なんて?! 美雪(私服): ちょっと待って、えっと……。 裏紙にうつらないほど小さく薄く、けれどはっきりと書かれていた文字は……。 美雪(私服): 『110 A-Ⅳ』……?! 千雨のお父さん……そして私のお父さんがそれぞれの捜査資料に残してくれた共通のキーワードが、なんでここにも……?!