Part 01: 巫女服の女性: …………。 境内を掃除していたのか、巫女服の女性はその手に箒を持ったまま私たちをじっと見つめてくる。 第一声としてこちらに差し向けられたのが「こんにちは」ではなく、誰何の質問。……明らかに私たちの来訪を歓迎していない様子だ。 美雪(私服): あ……えっと、その……。 灯: どうも、初めまして。私は秋武灯と申します。こちらの神社の管理をしている方ですか? どう挨拶を返せばいいのか、と私が迷っている間に灯さんが先に切り出し、自分の名前を相手に伝える。 すると巫女服の女性は「……はい」と頷きながら小声で答え、わずかに眉をひそめると首を軽く傾げて彼女を見つめ返した。 灯: ……?どうしました、私に何か不審な点でも? 巫女服の女性: ……いえ。ただ……。 美雪(私服): ……? じっ、と目を凝らすようなその表情を見てどこか不審に感じる点でもあったのか、と思い私はそっと隣に立つ灯さんの横顔を伺う。 だけど、続いて発せられた女性からの問いかけは少々意外なところを突いていた。 巫女服の女性: もしかして昔、雑誌に載っていませんでしたか?確か、『OTOHIME』の服を着て……。 灯: あー、それは姉さんですね!私ではないです、よく間違えられるんですが。 美雪(私服): あの……『OTOHIME』って、いったい……? 灯: バブルの頃に流行った、ファッションブランドだよ。最近はあまり見かけなくなったけどね。 灯: 実は姉さんって、学生の頃は雑誌モデルのバイトをしていたことがあったんだ。TV番組にも何度か、出演したことがある。 美雪(私服): あ……そ、そうなんですか。 あいにくそういった流行話には興味がなかったので、若干の置いてきぼり感を覚える。 肩越しに振り返り、背後に立つ千雨に目で尋ねるがやはり彼女も知らなかったようで、首を軽く横に振ってきた。 灯: ……しかし、よく覚えておられましたね。姉さんが雑誌に載ったのは、かなり前のはずなんですが。 巫女服の女性: ……印象的な方でしたから。不躾な質問をしてしまって、すみません。 美雪(私服): い、いえ……。 予期していなかった質問と灯さんからの回答に思わず面食らったが、そのおかげもあって場の空気がほんの少しだけ緩んだようにも感じる。 にしても、雑誌モデルのことを覚えているなんてよほどのお気に入りだったか、ファッションに対して強い興味でもなければ中々難しいと思うのだけど……。 美雪(私服): (記憶力がずば抜けている……?もしそうだとしても、ひと目で見分けられるものだろうか) 巫女服の女性: ……そちらのお2人は? 美雪(私服): えっ? あっ……。 と、別方面に思考と意識を傾けていたところへ急に矛先を変えられた私は、心の準備ができていなくて思わずしどろもどろになってしまう。 と、そんな私を後ろから支えるようにして肩を掴み、灯さんが笑顔のまま前方に突き出していった。 灯: ご紹介が遅れました。こちらのお嬢さんたちは、ウサギのように寂しがり屋な私に無理やり連れてこられた、可愛い旅の同行者さんです! 美雪(私服): こ、こんにちは……。 千雨: …………。 とりあえず私は頭を下げ、それに合わせるように千雨も無言でぺこり、と軽く会釈してみせる。 ……っていうか、ウサギのように寂しがり屋?そんな人間が一人旅なんてするわけがない。たとえるにしても、いささか盛り過ぎな表現だ。 灯: ところで、あなたのお名前を伺ってもよろしいですか?こちらはもう、名乗っていることですし。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……私は、西園寺絢。この古手神社の管理を任されている、宮司代理の者です。 少し躊躇うような反応を見せたものの、巫女服の女性――西園寺さんは素直にそう答えてくれる。 美雪(私服): (「西園寺」、か。……魅音たちの家の名字は「園崎」だったから、「園」が共通してるね) もっとも、単純な方角から見ればこの地は#p雛見沢#sひなみざわ#rから「東」に位置している。それなのに、名字は「西」。 ここに何か、意味があったりするのだろうか。もしくは、ただ適当に文字をあてがわれただけ……? 灯: ふむ……西園寺、絢さんですね。ちなみに、どういう字を書くんでしょう? #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 「糸」に「旬」のつくりをつけたものになります。……それが何か? 灯: いえいえ、別に他意はありませんよ。私の知り合いに「あや」って読みの子が何人かいたんですが、全部漢字が違っていたので。 灯: それでつい、あなたはどんな字で「あや」って読むのかなーって思ってしまったんですよ。変な質問をしたようで、申し訳ありません。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: そうでしたか。……別に隠すようなものでもありませんので、お気になさらず。 灯: ちなみに私は、「火」に「丁」で「灯」です!そして、この子たちは――。 美雪(私服): …………。 一方的にまくし立てる灯さんの言葉を半ば聞き流しながら、私は西園寺さんの名前にふと思いを馳せる。 美雪(私服): (「絢」……そういえばあの時、菜央は……) 菜央: あと、もうひとりの情報提供者……梨花の代理で人工的に『女王感染者』になった絢花さんも、同じことを言ってたわ。 確か、過去の「世界」で梨花ちゃんの代わりに古手神社の巫女になった人の名前が絢花さん……だった。 どんな漢字を使うのかまでは聞いていなかったけど、同じ古手家の分家で「あや」と「あやか」……一文字違いの読みが、ほんの少しだけ引っかかる。 灯: 見たところ、私と同い年くらいのようですね。絢さんは今年でおいくつですか?ちなみに私は、23になったところです。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……来年の3月で、24になります。 灯: じゃあ、ひとつ上ですね。先輩と呼んだほうがよろしいでしょうか? #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: いえ、お構いなく。堅苦しいのは、あまり好きではありませんので。 灯: では、構わない方向でいかせてもらうよ!よろしくね、西園寺さん! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: …………。 西園寺さんが無表情ながらも目を細めて、灯さんをじっと見返してくる。 いきなりタメ口に変われば、当然の反応だろう。不審者を見るような……という言葉がぴったりと当てはまる、猜疑に満ちた視線だった。 美雪(私服): (……灯さん、これからどうするつもりなんだろう) 懐に飛び込みすぎるその遠慮のなさは相手に不快感を与えそうなほど危うく感じられて、こっちまでもがヒヤヒヤさせられる。 ……と、うつむきがちだったところにすぐそばで気配。なにかと思って見上げると、私を覗き込む灯さんの顔が視界に飛び込んできた。 美雪(私服): あ、灯さん……? 戸惑う私に対してにこにこと笑いながら、彼女は膝を折ってしゃがみ込んで耳元に顔を近づける。 そして、反射的にこみ上げてきたものすごく「嫌な予感」は見事に当たって――。 灯: ……ここは君に任せるよ。よろしくね。 美雪(私服): えっ……?! 灯: 大丈夫、手詰まりになったら口を挟むから。 さぁ、と軽く背中を押し出されたことで、西園寺さんとの距離が詰まる。……自然、彼女の視線も私の方へと向けられた。 美雪(私服): (い……いきなり、私に丸投げしてきたっ?) 思考と意図が全く読めていないのに前触れもなく無茶振りをしてくる……っ?灯さんという人は鬼か、それとも悪魔か?! 美雪(私服): ちょ、ちょっとっ……! 恨めしい思いを全開にして振り返ると、彼女は「がんばれー」と言わんばかりに手をひらひらと振っている。 美雪(私服): (も、もしかして……ここまで連れてきた借りをこれで返せってことっ?) だったらせめて、事前に何か言ってほしかった。おかげで頭の中が真っ白、思考と感情が乱れまくってほとんどパニック状態に追いやられてしまっている。 美雪(私服): ち、千雨……っ? 千雨: …………。 振り返って千雨に目を向けると、私が灯さんによって追い込まれた状況を瞬時に察したのか……呆れたような表情を浮かべてため息をついている。 だけど彼女は、「まぁ、やってみろ」……とばかりに無言であごをしゃくってみせた。 美雪(私服): (っ……ええい、こうなったら……!) 出たとこ勝負とばかりに、私は開き直って覚悟を決める。 よくよく考えてみるとこれは、誰かの手を借りることなく私がやるべきことだったのだ。それが本来の形に戻っただけにすぎない。 美雪(私服): ……っ……。 軽く呼吸を整えてから、西園寺さんを見る。……年下の与しやすい相手に代わったという余裕なのか、さっきよりも少し圧が強くなったようにも感じられた。 美雪(私服): え、えー……っと。はじめまして。私は、赤坂美雪と申します。 美雪(私服): 宮司代理ということですが……この神社に、他の神職の方はおられますか? #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: いえ、現在では私のみです。代理というのは、女性の身で宮司の職を預かるのは僭越である……という風習によるものなので。 美雪(私服): あ、そ……そうですか。ところで、この神社はその、えっと……。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……赤坂さん。あなたはこの神社のことをどれだけご存知ですか? 美雪(私服): えっ……? 何から尋ねればいいのかと言葉を濁していたところへ、西園寺さんは逆に質問を投げかけてくる。 それに対して私が、何かを答えるよりも早く……彼女は冷たい口調のまま厳かに告げていった。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ここは、1923年に発生した関東大震災で犠牲になった方々を慰霊することを目的として、多くの篤志家の寄付で建てられた神社です。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ですので、関係者以外の方のご参拝は基本的にご遠慮いただいております。そのことをまず、ご留意ください。 美雪(私服): 関東大震災……?でもここって、首都圏から離れた場所にありますよね? #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……地方から来られた方は、皆そう仰います。あの震災では都市部での火災による犠牲者が多く、そちらの方が悲劇的に扱われておりましたので。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ですが、この高天村一帯でも地震による土石流が発生し……広範囲に渡る被害が出て、決して少なくない数の方々が亡くなりました。 美雪(私服): (……って、ここは高天村なの?!) 南井さんに連れられるまま向かった新しい「雛見沢村」と同じ村の名前を聞くとは予想外だったので、思わず呆気にとられる。 美雪(私服): (あの時は車で来て、今回は電車で来たから場所を勘違いした……? いや、そうだとしてもこの村の雰囲気が以前と全然違うんだけど……) そんなふうに戸惑う私を前に、西園寺さんは淡々と続けていった。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: この地に点在した集落に住んでいた人々は、逃げる間もなく土と泥によって生き埋めになりました。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: この村は、辛うじて一部を留めることができた幸運な場所ですが……。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: それでも大きな戦争が途中で起きたこともあり、現在の規模に復旧するまでに何十年もの年月を要したと聞いております。 美雪(私服): …………。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: その犠牲者の無念と悔恨の思いを心静かに慰めて、この地を平穏に保ち続けることが私の生涯の役割。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ですのでどうか、外部からの方々が物見遊山などの好奇心でもってこの地を騒がせることがなきよう……謹んでお願い申し上げます。 まるで、本に書いてあることを読み上げるような西園寺さんの声を聞きながら……私はその顔を、まじまじと観察する。 美雪(私服): (……梨花ちゃんに、ちょっと似てる……?) 梨花ちゃんの従姉妹です……と紹介されたらあぁなるほど、と素直に納得してしまうかもしれない。そう感じるくらいに面影には近いものがあった。 美雪(私服): (羽入ちゃんも、彼女の親戚とか言ってたけど……西園寺さんの方が、よっぽど似てると思う) もし、梨花ちゃんが大人になったとしたらこんな感じの綺麗な人に成長していたのかもしれない。そう思うと、少しだけ親近感を覚える……ただ……。 美雪(私服): (なんか、すごく疲れ切ってる……?) 身なりこそ、ちゃんと整えてはいるけれど……どこかやつれた、年齢以上の「枯れ」のようなものを全身にまとっているようにも見える。 たとえば、社宅の新米ママさんが眠らない赤ん坊をあやし続ける姿を見た時のような……気の毒に思えるくらいの、既視感。 それほどに神社の管理というのは、大変な仕事なのか。……だとしたら、今の私たちのように突然やってきた人間との対応を煩わしく思っても当然なのかもしれない。 …………。 でも、私たちは……私は……っ。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: おばーちゃんが、教えてくれた……昔話。雛見沢の他に、もうひとつ……あるって……。 美雪(私服): っ……それは、どこですか?! #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: ごめ……なさい……私も、そ……までは……。 #p藤堂夏美#sとうどうなつみ#r: でも、神社を管理していた……古手……家……その、分家が……きっと、知って……っ……。 夏美さんの最後の言葉にあった通り……そして容姿から考えて、おそらくこの西園寺さんが古手家の分家の人と考えてもいいはずだ。 梨花ちゃんの遠縁の親戚で、……よく似た女性。そしてきっと、私たちと雛見沢を繋げてくれる最後で最大の手がかり……ッ! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 改めてお聞きします……どうして、こちらに?大震災の関係者の方には見受けられないようですが。 美雪(私服): ……藤堂夏美さんという方に、お伺いしたんです。私たちは、過去の雛見沢に関する手がかりを……。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 知りません。 美雪(私服): なッ……! だけど、最後まで語る前に遮ってきた冷たい断言に私は思わず息をのんで……言葉を失う。 そして西園寺さんは、こちらを突き放すどころか突き飛ばすような勢いで容赦なく言葉を続けていった。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 確かに、ここは古手神社の分社です。そして本社は、雛見沢というかつて存在した村に置かれていた……と前職の方から伺いました。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……ですが、私がここの宮司代理に就いたのは数年前のこと。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 雛見沢とやらがどんなところであったのか、10年前に起きたという大災害の詳細については何も存じ上げておりません。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……お引き取りください。 西園寺さんはその言葉とともに、踵を返そうと半歩足を後ろに引いてみせる。 彼女の背後には、本殿がある。……このまま立ち去る気なのか、という焦燥から私はとっさに叫んでいた。 美雪(私服): ま……待ってください! 返ってきたのはとりつく島もない、断固とした拒絶。……だけど、それを言葉通りに受け取るわけにはいかない。 なにしろここは、古手神社の分社……つまり雛見沢との由緒を残す場所なのだ。 にもかかわらず、記憶をたどる意思すら見せないというのは……つまり……! 美雪(私服): (……あぁ、そっか。灯さんが、どうして私に質問役を代わったのか……やっと、わかったよ) ……灯さんは、予想していたんだろう。何を聞いても、どう質問を重ねたところで西園寺さんの反応がおそらく「こうなる」ことを。 だったら、ここで私が簡単に引き下がることなんてできない……できるわけがないッ! 美雪(私服): 何でも……何でもいいんです!知ってることを教えてください! 美雪(私服): 友達を……一穂を探す手がかりが欲しいんです!ここがダメだったら、もう手がかりがないんです! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: …………。 ぴたり、と背を向けて歩き出そうとしていた西園寺さんの足が……止まる。 今……反応した?「一穂」の名前を聞いた途端、わずかだけど細くて小さな肩が跳ねたように、動いて……?! 美雪(私服): 一穂のこと……知ってるんですかっ?あの子と会ったこと、あるんですか?! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ――知りません。 だけど、振り返った彼女は頑なに……さっきよりも強く、はっきりと断言した。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: そんな名前は、聞いたことがありません。お帰りください。 美雪(私服): 待っ……ぇ? 再び去りかけた西園寺さんへと伸ばそうとした腕を、横からそっと掴まれる。……それは、灯さんの手だった。 灯: 行こう、赤坂くん。 美雪(私服): で、でもっ……! 灯: 仕方ないだろう。彼女は、一穂少年を知らないと言っているんだから。 美雪(私服): (……少年?) #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……少年? 私の心の声と、西園寺さんの声がぴたりと重なる。……その反応に隣の灯さんがくすっ、と笑い声を上げるのが耳元に届いてきた。 灯: あぁ失礼……仕事中に邪魔したね、西園寺さん。いやいや、実に申し訳ない。あぁ、でも……。 灯: 今……私が一穂「少年」と言った時、どうして意外に感じたのかな……? キラキラと星を散らしたように輝く横顔の瞳は、子犬のように純粋に輝いて、楽しげで……。 なぜだろう……恐怖すら覚えてしまうほど、威圧に近い光を放っていた。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……っ……。 それまで淡々としていた西園寺さんの表情が、わずかに険しさを増したように……映る。 が、それは錯覚だったと思うほどに一瞬のことで、彼女は元の無表情に戻ると言葉を繋いでいった。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……普通に考えて、女の子の名前だと思っただけです。いけませんでしたか? 灯: 「一穂」は、数字の一に稲穂の穂……だとしたら、その名は男にも普通に使える。 灯: 現に、同じ名前の高名な男性詩人もいる。……読みは違うけどね? #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: …………。 灯: だけど、私が「少年」と口にした瞬間あなたの顔には明確に否定の色があった。……そうだよね? 違うと言い切れるかい? #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……っ……。 灯: 叔父さんから聞いたんだが……人間は、他者の間違った情報を訂正せずにはいられない生き物だ、という説があるらしい。 灯: 知らないなら、知らないなりの反応がある……が、今の西園寺さんの反応には明確に否の感情があった。つまり、訂正しなければと義務感に駆られた……。 灯: なぜなら私の発言が、間違っているからだ。……で、どうしてそれが間違っているとわかったのかぜひとも理由をお聞きしたいね。 はしゃぐように一息で語った灯さんの首が、そこでぐるりと私の方へ向けられて。 灯: ……ところで、今さらながら確認だ。赤坂くんが探している一穂という友達は、本当に女の子でよかったのかな? 美雪(私服): お、女の子です……。 灯: ゆぷぃ……いや、よかった。本当によかった!私も女の子だろうとは思ったが、実際男と女で兼用できる名前には違いないし……。 灯: 本当に一穂くんが男の子の可能性もゼロじゃなかったからね。……はぁ、一瞬ヒヤヒヤしたよ。 美雪(私服): …………。 そう言って安堵する灯さんの表情と振る舞いを見て、私はちくり、とわずかに胸を刺す違和感を覚える。 確かに私は、一穂のことを彼女に伝えていなかった。だから男か女、どちらなのか把握していなかったのでとっさにカマをかけた……のかもしれない。 ……。だけど、どうしてだろう?この人は最初から一穂のことを、なぜか「知って」いたように感じられて仕方がない。 となると……この飄々とした振る舞いは、演技?そうしてまで自らを偽っているのは、どうして……? 美雪(私服): (……いやそれより、大事なことがある!) 灯さんに対する疑問は、とりあえずさて置きだ。そう思い直して私は、西園寺さんに迫りながら質問をぶつけていった。 美雪(私服): ……つまり西園寺さんは、一穂のことを知った上でとぼけてたってことですか?! 灯: そういうことになるね。……というわけで、西園寺絢さん。 灯: 話してもらえませんか?こんなにも友達のことを心配している彼女の気持ち、どうか汲み取ってもらえるとありがたいです。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……ッ……! 灯さんに真正面から視線を向けられ、怯えにも似た感情を見せた西園寺さんは踵を返して背後の本殿へ向かおうとした。が、 千雨: ……おっと。 彼女の手から、箒が落ちる。……いつの間にか背後に回った千雨に右腕を掴まれたせいだ。 美雪(私服): (千雨、いつの間に後ろに……?!) 千雨: ……悪いな。こっちも手ぶらじゃ、引けなくてな。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: っ、離してください……! 千雨: うぉっ……あんた、結構力が強いな。あまり暴れてくれるなよ、関節痛めるぞ。 千雨に掴まれた腕を必死で引き剥がそうと、西園寺さんがもがくように動いている。 と、その反対の腕……巫女服の袖から、ちらりとボロボロの紫色が見えた。 灯: ……ミサンガ? 呟く灯さんの声を聞きながら、私はなおも食い下がるべく身を乗り出す。 届くかどうか、わからない……でも、私が一穂のことをどれだけ大切に思っているのかそれだけでもこの人に、伝えて……っ! 美雪(私服): 私は一穂を……友達を探しているんです!その最後の手がかりが、あなたなんです!他に無いんです! 美雪(私服): 大切な友達なんです!あの子がいたから、私は今ここに生きている……この「世界」に戻ってくることができた!! 美雪(私服): だから、あの「世界」――昭和58年に取り残された一穂を、連れ戻したい!一緒に平成に戻るって約束した、あの子をッ!! 美雪(私服): お願いです! なんでもいい、知ってることを教えてください! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: …………。 もがくのを止めて、西園寺さんが私の方へと振り返る。……その瞳の奥で、何かが揺れているようにも見えた。 美雪(私服): (届いた……それとも……?) ……察するになんとなくだけど、この人は悪い人じゃないと思う。だって、その気になればしらを切り通すことだってできたのだから。 なのに、この人は今……考えて、迷っている。私たちに話していいのか、そして信じてもいいのか……と。 ただ……今の私には、彼女が信用してもいいと思える何かを差し出せない。……何も、持っていないからだ。 美雪(私服): (だから、梨花ちゃんの時……私は信じてほしい、とすら言えなかった……) 昭和58年の雛見沢で私は梨花ちゃんに、信じてもらえるだけの証拠を見せられなくて……自分が赤坂衛の娘だと言えなかった。 ……でも、今さらながらに思う。 証拠がないというのは私の単なる思い込みで、もしかして正直にありのまま伝えていれば何かが変わっていたかもしれないのでは……と。 だから……今度は、間違えない。同じ過ちを、もう二度と犯したくないから……!! 美雪(私服): お願いです……友達を助けたいんです!それだけは、信じてください……! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……っ……。 灯: ……西園寺さん。答えるかどうかはあなたの自由で、権利だ。そして立場も、あなたのほうがずっと強い。 灯: なにしろ、神社は私有地だ。警察を呼んで強制退場させることも、土地の管理者として正当な権利だ。存分に行使するといい。 千雨: ってあんた、なに余計なことを……? 灯: しかし、先に言っておこう――私は、しつこい。知っていてシラを切っている場合、私という存在が亡霊のようにまとわりつくことが予想されるだろう。 灯: ……よし、もう一度言っておこう。私は! 大変に! しつこいぞ! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: …………。 あっけらかんと付きまとう発言をした灯さんに、西園寺さんは困ったように眉を下げ……自分の腕を握る千雨に向かって言った。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……。離して、もらえますか。 美雪(私服): っ、西園寺さん……! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……明日の夕方、もう一度来てください。あなた方の力になれるかもしれません。 美雪(私服): えっ……?! 千雨: どういう意味だ?なんで今日じゃなく、明日なんだ? #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 今はそれ以上、申し上げられません。……私にできる、精一杯です。 千雨: っ……だから、理由を説明――。 灯: 信じていいのかい? 明日の夕方ここに来たら、神社がもぬけの殻になっていて……。 灯: 西園寺さんの影も形もない、なんて状況で置き去りにされてしまうと私たちは困るからね。……そういう嘘だけは、本気で勘弁してくれ。 なおも詰め寄る千雨の言葉を遮って、灯さんは念を押すように言葉を繋ぐ。それに対して西園寺さんは、首を左右に振って否定した。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……そんなことには、なりませんよ。 灯: ほぅ……その理由は? #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 私がそう、決めたからです……信じられないなら、それでも構いませんが。 美雪(私服): …………。 まっすぐに目を向けてくる西園寺さんの視線を、私は正面から受け止めて見つめ返す。 この人に信じてもらえるために、私たちは今できる精一杯のことをした。……次は、こちらが信じる番だろう。 美雪(私服): ……千雨。手、離してあげて。 千雨: …………。 そう声をかけると、千雨は大きなため息とともに手を離す。 強い力で引き合っていたはずなのに、西園寺さんの身体は反動で倒れ込むことなくその場に佇んだままだった。 美雪(私服): 明日の夕方で、いいんですよね? 美雪(私服): 明日の夕方……5時に来ます!必ず……必ず来ます! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: …………。 西園寺さんは私たちに背を向け、今度こそ足を向けずに本殿の中へ入っていく。 境内に残されたのは、私と千雨と灯さん。そして……。 どこか寂しそうに青空を仰ぐ、地面に残されたもの言わぬ箒だけだった。 Part 02: #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 『……明日の夕方、もう一度来てください。あなた方の力になれるかもしれません』 そう言い残して去っていった西園寺さんの姿を思い浮かべながら……私は、その言葉を何度も反芻する。 なぜ今日の夕方ではなく、明日の夕方なのか。その疑問に、西園寺さんは答えてくれるのか。 ……いや、そもそも西園寺さんは約束通りに明日の夕方、神社で私たちと会ってくれるのか。 全ての確証を得られないまま、私たちは灯さんの提案に従って民宿らしき場所に部屋を取り、明日に備えるため休むことした。 …………。 美雪(私服): (……眠れない) 宿についた後、やっと有力な手がかりを得られて気が抜けたせいか、昨日の夜に眠れなかったせいか……。 私は千雨に夕飯だと起こされるまで、ぐっすりと部屋で昼寝をしてしまった。 おかげで、夜が更けてからも冴えた目と意識でひたすら天井を眺める羽目になっている。 美雪(私服): (……千雨は寝てる、か) 隣に敷かれた布団の中心は、肉まんのようにふっくらと盛り上がっている。 中で千雨が、丸くなって寝ているのだ。……こうしていると、よく眠れるらしい。 よく互いの家に泊まっていた私や、お泊まり会をやっていた社宅の子たちにとっては見慣れた光景だが……。 中学の修学旅行の時は、同室の子たちがずいぶん驚いていた……と本人が渋い顔で言っていた。 美雪(私服): ……はぁ……。 気分転換に、部屋の風呂に入ろうとも考えたが……あまり物音を立てたら起こしてしまうかもしれない。 美雪(私服): ……少し、身体を動かしてこようかな。 軽く汗をかけば、眠気を覚えるかもしれない。そう考えて私は、ベッドから起き上がる。 そして暗闇の中、電話の隣に置かれたメモに『ちょっと飲み物を買ってくる』と走り書きを残し、小銭と部屋の鍵だけを手に外へと出た。 海岸線を適当に歩いていたつもりだが、どうやら無意識で覚えのある道を辿っていたらしい。……いつの間にか私は、今朝訪れた駅舎に来ていた。 保安上のためなのか、とっくに終電が終わった深夜の時間帯にもかかわらず煌々と明かりが照らされていて……。 灯: ん……? やぁ、赤坂くん。 ……待合所のベンチには、別の「あかり」もあった。 灯: 若い女性が、こんな夜遅くに出歩くなんて危ないよ。悪いオオカミが出るかもしれないんだからさ。 美雪(私服): ……その言葉、謹んであなたにお返しします。灯さんも夜のお散歩ってやつですか? 灯: いやー、ちょっとある人に連絡したかったんだけど、私の部屋に備えつけで置かれた電話の調子が悪くて。 灯: 仕方なく公衆電話を探して、ここまで来てしまったってわけだ。 灯: ……で、今は頭を冷やしながら、手に入れた情報をまとめている最中だよ。 そう話しながらも、灯さんは手を動かしている。……情報をまとめるというわりに、その手に筆記用具らしきものが見えなかった。 美雪(私服): あの……何をしてるんですか? 灯: 草で小舟を作っていたんだよ。あとで海に流そうと思ってね。 ほら、と彼女が指し示した傍らにそびえるのは、どこかで摘んできたと思しき雑草の山と……。 一瞬バッタの群れに見間違えたほどの、草でできた小舟の数々だった。 灯: 笹舟と同じ作り方で編んだものなんだが、笹じゃなくてその辺りで適当に摘み取った雑草で作っているから……まぁ、ただの草舟だね。 灯さんはそう言って完成させたばかりの小舟をひらひらと振りながら、私に笑顔を見せた。 灯: よかったら、一緒にどうだい? 美雪(私服): あ……はい。 気晴らしにはちょうどいいと考えた私は、灯さんとともに駅から少し離れた海岸に向かい……ギリギリ海水が届かない波打ち際に腰を下ろす。 そして雑草を1枚もらって、ガールスカウト時代を思い出しながら作った草舟を海へと流そうとして……。 美雪(私服): ……うわっ、波に押し返された。 大海原へ旅立とうとした草舟は強い波によって、一瞬で砂浜へと打ち上げられた。形が崩れた上、一枚の葉っぱに逆戻りしている。 灯: 小舟自体はいい感じに作っていたようだけど、上手く波に乗れなかったんだね……よっと。 月明かりの下、灯さんは笑いながら手元の小舟をそっと波に乗せる。 小さな草舟はゆらゆらと揺れながら……暗い夜の大海へと旅立っていった。 美雪(私服): 上手……ですね。 灯: 昔、草舟を流すのが趣味な人にコツを教えてもらったんだ。 灯: 出来の良い舟だろうと、流れに乗れなければすぐに転覆するけど……多少いびつな形をしていても流れに乗れば、どこまでも遠くに行けるってね。 灯: 2人で躍起になってあれこれ試しているうちに、気がついたら日が暮れてしまっていたんだよ。 灯: せっかく海に行ったのに、全く泳げなかった。でもその代わりに、草舟流しを習得したってわけさ。 美雪(私服): (……その草舟が上手な人って、灯さんの探してる友達ですか……?) そう尋ねかけた私は、……ふと寸前で止める。灯さんの語る横顔が、なんとなく寂しそうに見えたからだ。 美雪(私服): ……私は、流すタイミングが間違ってたんですね。 だから、代わりに違う質問を投げかける。すると彼女は笑顔になり、そっと海原に目を向けていった。 灯: ……そうだね。それさえ合っていれば、君の舟は波に乗ってどこかへ行くことができたと思う。 灯: 君に足りないのは運でも技術でもなく、経験だ。でもそれは、今後いくらでも得られるものだよ。 美雪(私服): ……はい。 それは、何に対して向けた答えだったのか……判断をする前に灯さんは、さらに語っていった。 灯: 草舟の流し方なんて、人生の役には立たないかもしれない。……でも、何かの機会で話の種くらいになる可能性だって完全には否定できないと思う。 灯: 要するに、人生で得られる知識や技術、経験はほとんどの場合無駄に終わることが多いが……いざ使う時にそれがなければ、その可能性すら消滅する。 灯: だからなんでも、身につけておくに越したことはないってことだ。……これもおじさんの台詞だけどね。 美雪(私服): ……うちのカミさんが、なんて前置きを必ずつける、海外ドラマの刑事さんみたいですね。 灯: ははっ、確かに。 私の皮肉めいた指摘に笑い返しながら、灯さんは手元の草舟を次々に夜の海へと流していく。 ……おだやかで、ゆっくりと流れる時間。眠気を誘うほどではないけど、なんとなく心が癒やされるような気分だった。 灯: ……赤坂と聞いて、ふと思ったんだが。 灯: 君のお父上は、もしかして昔夏美さんを庇って亡くなったと言う刑事さんかい? 美雪(私服): え、えぇ……。 灯: だとしたら……黒沢くんは、最近バラバラ遺体で見つかったと言う黒沢刑事の娘さんか。 美雪(私服): ……そんなことまでご存知なんですね。 灯: 逆だよ。そんなことしか知らないんだ。 灯: ……だとしたら夏美さんは、ずいぶん恩知らずだね。命がけで助けてくれた恩人の娘に銃を向けるなんてさ。君は、そう考えなかったのかい? 美雪(私服): それは、……。 なるほど、確かにそれはそうかもしれない。だけど……。 美雪(私服): (今ここにいる私は、お父さんが殺された時の記憶が……ない) 私にとってお父さんが死んだ原因は、#p雛見沢#sひなみざわ#r大災害に巻き込まれたという認識が染みついているせいだろうか。 お父さんの死と夏美さんの存在が、今も自分の中で上手く繋がらない。 そのせいか、お父さんの死の原因が夏美さんにあるかもしれないと言われても……正直、怒りのような感情がわいてこなかった。 美雪(私服): …………。 黙り込んだ私を見て何を思ったのか、灯さんは新たな草舟を流しながら……さらに口を開いていった。 灯: 君の父親を殺したという、加害者……畠山老人とその家族のことは知っているかい? 美雪(私服): あ、いえ……。それに関しての情報を得る手段がなかったので。 それに、きっとロクなことにはなっていないだろう。……話の展開から察して、そんな予感がする。 灯: ふむ……君になら、話してもいいかな。加害者の畠山老人は、お父上を殺した直後施設の人たちの手で拘束された。 灯: そして、警察に引き渡される前に亡くなったらしい……心臓発作だったそうだ。 美雪(私服): …………。 灯: そして加害者家族は、それから数日後……たった1人を除いて、全員死んでしまった。 美雪(私服): え……? 自分の想定以上にロクでもない結末に、私は目を丸くする。事件の報いを受けたのは、加害者だけにとどまらなかったのか……? 美雪(私服): ……事故とか、ですか? 灯: いや……最初は、一家の父親による無理心中との見立てで捜査が進んだ。妻を殺し、子ども2人を手にかけ、最後に自殺した……と。 美雪(私服): 最初は……って、実際は違ったんですか? 灯: 家族全員を殺したのは、奇跡的に助かったと思われたその家の長女……まだ10歳の、女の子だったんだよ。 灯: 名前は、畠山あおい。もちろん未成年だから名前は公表されていないけど、事件の内容自体は当時なかなか面白おかしく取り扱われたそうだ。 美雪(私服): えっ……?! 10歳……10歳の子どもが、人殺しを……?! 美雪(私服): (10歳って……菜央と1歳しか違わないじゃないか……!) 社宅にいる、10歳くらいの子たちを思い出す。まだ幼くて、私から見てもまだ子どもだった。 ……けど、よくよく考えてみる。菜央は年不相応なほどに聡くて、行動力があった。 あの子を知った今の私は、10歳の子どもにそんなことは不可能だ……とは、言えないだろう。 灯: 驚かないのかい? 美雪(私服): ……十分、驚いています。 雛見沢の元住人が起こした凄惨な事件は元いた「世界」でも耳にしていた。 ただ、そのひとつにお父さんが巻き込まれたことは知っていても、まだ別の事件が続いていたなんて……想像もしていなかった。 灯: 畠山老人は、地元警察が到着するまで別室に閉じ込められていた。……その間に、孫である彼女と会っている。 美雪(私服): じゃあ、長女が他の家族ともども祖父を殺した……その可能性もあったということですか? 灯: …………。 灯さんは答えず、新たな葉に手を伸ばしてゆっくりと折り曲げ……小舟を作っていく。 その様子を見つめながら私は、聞かされた事実を自分の中で繰り返して……彼女の意図を測りかねていた。 美雪(私服): (彼女は……私に、何が聞きたいんだろう……?) もしかして……私は試されているのか?何かが違えば私のお父さんは生きていたかもしれない、と。その運命の掛け違いに、怒りはないか――と。 美雪(私服): (その認識でいいのかな……?何を考えてるのかわからない人だけど、ただ……) 美雪(私服): この答えで、あってるかはわかりませんが……。 灯: ん……? 美雪(私服): 私、ずっと社宅に……警察官舎に住んでるんです。お父さんが亡くなった後、みんな私やお母さんに優しくしてくれました。 美雪(私服): みんなに優しかった、赤坂衛の娘だから……。 美雪(私服): 私も、父の名誉を傷つけないように頑張って生きてきたつもりです。父のおかげで、私は生きてます……でも。 美雪(私服): 父と私は、違う人間です。夏美さんを守ろうとした父の意思を否定することは、娘の私にも不可能だと思います。 灯: ……赤坂くん。 美雪(私服): 父は、自分が助けた夏美さんが将来娘に銃を向けるかどうかなんて考えもしなかったでしょうし、仮にそれを知ってたとしても助けるかもしれません。 美雪(私服): それに、一家無理心中? の件も筋違いです。もしかしたら話の前後が逆で、その子は私の父が死んだ事件の影響を受けて、家族を手にかけてしまったのかもしれませんし。 美雪(私服): もし、お祖父さんが赤坂衛を殺したことで彼女が家族を殺す動機づけになってしまったとしたら……それは、すごく悲しく思います。 灯: どうして? 美雪(私服): お父さんがなんとか命を取り留めてくれていたら、そんな事件は起こらなかったんじゃないか……って。 灯: 憎くはないのかい? 美雪(私服): ……。夏美さんに銃を向けられたのはすごく怖かったし、千雨への暴言は……今でもちょっと怒ってます。 美雪(私服): それでも、一つの出来事が本人だけでなく周りの関係者も巻き込んで、不幸を拡大していくのは……やっぱり、どこかで止めるべきなんです。 美雪(私服): どんなに憎くて、悔しくて、恨めしくても……終わりがなければ、終わりませんから。 はぁ、と一息について空を見上げる。……都会の喧噪から離れた満天の星空は、あの雛見沢で見上げたそれとよく似ていた。 美雪(私服): もっとも……今の自分がこう思ってるだけで、明日の自分がどうかはわかりませんけどね。 灯: ……そうか。 灯: いや、それで十分だ。人の感情は体調のように日によって変わるものだし、そうであっていいものだと思う。 灯: 長年の憎しみが、目覚めたら不思議とほどけている場合もあれば……気にしていなかったのに、ある日突然酷い憎悪に苛まれることだってある。 灯: 個人的には、変わらなさすぎる場合の方が怖いかな。感情を変えてはいけないと固執して、別の場所で歪みができていないか、ちょっと心配になる……でも。 灯: 今この瞬間だけでも、君は憎しみがないと言ってくれた。明日の君には何の意味も、価値もないゴミだとしても私にとって、その言葉は宝石のように得がたいものだ。 美雪(私服): ……灯さん。 ひょっとしてこの人は……あの夏美さんとの一件で私が傷ついているのでは、と気遣ってくれたのだろうか。 わけのわからない破天荒な人だけど、あるいはこの人なりの照れ隠しなのかもしれない……なんてことを、つい思ってしまった。 灯: ……ところで夏美さん、両腕にアームカバーをしていたのを覚えているかな。 美雪(私服): あ、はい。 灯: どうしてなのか、君は知っているかい? 美雪(私服): いえ……日焼け防止とか、オシャレじゃないんですか? 灯: ……あれはね、傷隠しなんだ。 美雪(私服): 傷隠し……? 灯: 彼女の両腕には、ミミズがのたうちまわるような無数の傷があったんだよ。……全部、自分で傷つけたそうだ。 美雪(私服): 自分で?……って、どうして? 灯: 私も偶然知ってしまったから南井さんに尋ねたんだが、自傷の理由までは教えてもらえなかった。 灯: ただ……これは昨日の彼女の発言から立てた憶測上等の仮説なんだけどね。 灯: 自分の家族を殺したという「過去」から解放された後も、彼女はその罪の意識を完全に頭の中から追い出すことができなかった。 灯: まして、それと引き換えに誰かを不幸へと追いやってしまった可能性を考えると……常に自責の念を抱き続けていたんだろう。 美雪(私服): その結果が、自傷行為……? 灯: 記憶の継承は、利害が表裏一体で存在するものだ。いっそ別人になれたら楽になれるのに、本来の優しさが彼女をそうさせてくれなかった。 灯: それを思うと……どんな心境だったんだろうね。確かに幸せを掴んだはずなのに、それを受け入れられない。後ろめたさと申し訳なさが、常に自分に付いて回る……。 美雪(私服): …………。 灯: 私の勝手な決めつけになることを承知の上で言わせてもらうと……彼女は君たちに倒されて、むしろほっとしていたんじゃないかな。 灯: 自分自身を縛りつけていた、幸せという名の幻想から解き放たれてね……。 美雪(私服): ……。夏美さんとは、親しかったんですか? 灯: ……いや、バイト先に来た時に少し話した程度だよ。でも南井さんとは、とても仲がよかった。 灯: だから、もっと彼女と話してみたかったなぁ……とは、常々思っていたんだよ。 美雪(私服): (……友達の友達は友達ってやつかな) そんなことを考えているうちに、灯さんは再びせっせと草舟を作り始める。 いい加減にも感じる言動と軽薄な振る舞いでわかりづらいが、わりと凝り性なところがあるようだ。どちらかと言えば学者タイプなのかもしれない。 そう思うと、得体の知れない彼女に興味が湧いて……私はもう少しだけ、踏み込んでみることにした。 美雪(私服): さっき、私が来るまでに考えていたことって……聞いてもいいことだったりします? 灯: もちろん。それに、誰かに話を聞いてもらう方が考えの整理が捗るからね。ひとりごとだと思って付き合ってもらうと助かる。 灯: ……私が待っていた電話の内容は、この高天村という場所の曰くについてだ。 美雪(私服): あの……ここって、本当に高天村なんですか?前に南井さんに連れて行ってもらった時は、東京からもっと離れてたような気がするんですが。 灯: こっちは高天村のすごーく端っこなんだよ。おそらく赤坂くんが向かったのは高天村の中心、もっと山間にあるメインのところだね。 灯: トンネルを通るルートを使えば早いんだが……少し前に崩落事故があった場所だから、南井さんはそこを避けて遠回りをしたんじゃないかな。 美雪(私服): ? そのトンネルを通るのって、まだ危なかったりするんですか? 灯: いや、補強工事はかなり前に終わっているよ。……ただ、その事故に巻き込まれてかなりの数の人が亡くなっているから、縁起を担いだんだと思う。 美雪(私服): あははは……ただでさえオカルト系の要素が満載ですからね、私たちの置かれてる立場って。 灯: そんなわけで、距離の感覚が違ったんだろう。……地図で見ると東京から北陸は近くに感じるけど、ほぼ直進の大阪の方が早く到着できるのと同じだね。 美雪(私服): ……なるほど、そういうことだったんですね。で、高天村について何がわかったんですか? 灯: 姉さんに聞いたんだが……この辺りは、1923年に起きた関東大震災で唯一生き残った高天村を除き、全ての集落が全滅したらしい。 灯: その際に、さっき私たちがいた駅も、土石流によって流され……停車中だった列車もろとも海中へと沈没したとのことだった。 灯: このあたりはダイビングだと有名な場所らしいから、海底をくまなく探すと当時の駅舎や列車の残骸などを見ることができるそうだよ。 美雪(私服): ……そうですか。 灯: ふむ、あまり乗り気じゃないみたいだね。ダイビングには興味がないのかい? 君の友達はきっと気に入る場所だと思うんだけど。 美雪(私服): そうじゃなくて……ちょっと、悪趣味だと思います。もしかしたら、亡くなった人がまだ海底で眠ってるかもしれないのに。 灯: 君はボンペイの遺跡を見ても心を痛めそうだね……。個人的には好感を持てるが、まぁその点については問題がないみたいだよ。 美雪(私服): ……どうしてですか? 灯: 列車に乗っていた人たちの亡骸は幸か不幸か、車内に留まっていたそうだから……1人を除いて全員の身元も判明し、荼毘に付したって話だ。 灯: そして、彼らの墓が置かれているのがあの神社に隣接した霊園らしい。 灯: お寺と違って、神社は敷地内にお墓を設置することができないからね。 美雪(私服): …………。 淡々とした灯さんの説明を見ながら、夜の海を見る。 思いがけない自然災害の不幸によって、未来……そして命を奪われた人々の辛さは、私には想像もつかない。 きっと、雛見沢で惨劇に巻き込まれた人たちのように。それを思うとこの海の静かな美しさが、さっきとは違うようにも見えてきて……どうにも複雑な感じだった。 灯: ただ……話は、それだけで済まなかった。 美雪(私服): えっ……? 灯: 実は震災後しばらくしてから、直接の原因が自然災害だとしても土石流の発生規模があまりにも大きすぎるんじゃないか……? 灯: なんて疑問が、一部の界隈で沸き上がったそうなんだ。他の要因も、加わっていたんじゃないかってね。 美雪(私服): 他の、要因……? 背筋が……一瞬で冷える。人間ではどうしようもない自然界の力に対する諦観に、まるで氷水を浴びせられたような心地だった。 灯: 調査を行った、とある大学の研究室によると……どうやらこの近辺には、旧陸軍が非公開にしていた弾薬庫があった可能性が高いらしい。 灯: それが震災によって発生した火災によって暴発し、大規模な土石流を引き起こした……なんて仮説も存在するそうなんだ。 美雪(私服): っ、そんな……!もしそれが事実だったとしたら、土砂崩れは人為的な事故ってことになるじゃないですか……?! 灯: 確かに……だが、真偽は不明だ。あくまで可能性の話だからね。 灯: しかも、その後の大戦で資料のほとんどが消失してしまって……真相はもはや闇の中だそうだ。 美雪(私服): …………。 灯: 何かあったのか、誰が弾薬庫の可能性を突き止めたのか……可能性を提示したのがどこの大学の研究所だったのかも、今では一切わからない。……都市伝説に等しい存在だよ。 美雪(私服): ……。なのに、そういう可能性があったことだけは記録として残ってるんですね。 灯: あぁ。他には……そうだな、身元が判明しなかったという1名の犠牲者の名前は調べた資料の中に発見することができた。 灯: まぁ60年前だから、もし別人だったとしてもこの世には存在していないだろうけどね。 美雪(私服): ……その人の名前は? 灯: ――西園寺雅。 灯: 昼間に訪れた古手神社分社の宮司を代々務めている西園寺家の長女だそうだ。その妹も村にいたらしいが、土石流に巻き込まれて行方不明になっているらしい。 灯: そのため、西園寺家は直径の家系が絶えて……親戚筋から養子を迎えることになったそうだ。 美雪(私服): じゃあ、昼の神社にいた西園寺絢さんは……その養子の#p末裔#sまつえい#rですか? 灯: おそらくね。 美雪(私服): ……妹さんは、今も生き埋めのままなんでしょうか。 灯: さぁ……もしかしたら土石流に乗って海へ流されて、別の「世界」に辿り着いているのかもしれないがね。 美雪(私服): ……っ……? 話の方向が突然想定外へと向けられて、ちょっとだけ面食らう。 超常の力によって流されて、別の「世界」にたどり着く……それではまるで、自分たちと同じではないか。 灯: ……ところで話は変わるけど、赤坂くんは因幡の白ウサギとサメの話を知っているかい? 美雪(私服): え? えっと……昔のおとぎ話ですよね?いや、神話かな。 美雪(私服): 確か、白いウサギがサメたちを騙して海を渡ったけど、騙されたことに気づいたサメが怒ってウサギの毛皮を剥がして……。 美雪(私服): 泣いていたウサギは神様に助けられ、後になってご恩を返した……でしたっけ。 灯: うん、そんな話だったね。 灯: 私の叔父さんはもしもの話が大好きでね……ある時私にこの話をした後で、こう聞いてきたんだ。 灯: ウサギがサメたちを騙さず、素直にあの島まで渡りたい、なんとか手伝ってくれないか……と正直に頼んでいたらどうなっていただろう、ってさ。 美雪(私服): ウサギとサメたちは、仲良くなれた……? 灯: かもしれないね。でも、仲良くなれたら神様の出番はないから、ウサギは神様と知り合うことがなかったかもしれない。 灯: その場合、ウサギが幸せなのかどうかは判断がつかないだろうね。 美雪(私服): でも、サメと友達になったらそれはそれで楽しいかもしれません。少なくとも千雨は、そのウサギを羨ましがると思いますしね。 灯: そうだね……ふふっ。 美雪(私服): ぇ……今、笑うところってありましたか? 灯: いや、つい……ね。私の長話に付き合ってくれるなんて、赤坂くんは優しいなぁと思って。 くっくっくっ、と灯さんは喉を震わせて笑う。……自分としては真面目に応対したつもりでいたので、ちょっとだけ不快な気分だった。 灯: お前は話があちこちに飛んでいく上にムダ話が長い、もっと要点を短くまとめろってよく怒られるんだよ。おかげでゼミではミス・ジャバウォックとあだ名がついた。 美雪(私服): ジャバウォック……? 灯: 鏡の国のアリスに出てくる、わけのわからないことをまくしたてるバケモノだ。口は上手いが、とても弱い。 美雪(私服): それって、あだ名って言うか悪口では……? 灯: その通りだよ、よくわかったね。でも、個人的には結構気に入っているんだ。ゼミ仲間しか知らないあだ名だけどね。 美雪(私服): …………。 なんだろう……この人と話していると、ウナギ掴みに挑戦しているような気分になる。 ようやく秋武灯という人物像を掴めたぞ、と思った瞬間ぬるっとすり逃げられてしまうのを何度も何度も繰り返しているような……。 いずれにしても、この人を知るためにはもっと話をしなければ難しいだろう。そう思って私は、あえてこちらからも話題を呈していった。 美雪(私服): あの……私からもムダ話、いいですか? 灯: いいよ。なんだい? 美雪(私服): ……「ゆぷぃ」って、どういう意味なんです? その質問を投げかけた途端、少し意外だったのか灯さんが目を丸くして押し黙る。 が、すぐに苦笑交じりに吹き出すと頭をかきながら口を開いていった。 灯: あぁ……私がついつい言ってしまう口癖だね。いや、特に大した意味はないよ。 美雪(私服): それでも、聞きたいです。 灯: ……本当に大した意味はないんだけどなぁ。 そう言って彼女は、困ったように笑いながら肩をすくめて切り出した。 灯: フランス語でね、「やったぁ」って意味だ。本来は『Youpi』なんだけどね。 美雪(私服): ……今のをカタカナ読みすると、ユゥピィになりませんか? 灯: それがね、この口癖がついた幼少期の私は舌っ足らずで発音が下手くそだったんだ。 灯: 私に教えてくれた叔父さんは、訂正しようと頑張ったらしいが……一度定まった舌の動きはなかなか修正できなくてね。 灯: 当人は可愛いからいっか! と即座に諦めて今に至ると言うわけさ。 美雪(私服): Youpi……ゆぅぴぃ、ゆぴぃ……ゆぷぃ? 灯: そんな感じだったんだろうね。昔は舌足らずが過ぎて、姉さんの名前もまともに呼べず癇癪を起こしていたそうだ。 灯: 今じゃこんなにお喋り上手なのにね……ははっ。 美雪(私服): まぁ……でも、#p麗#sうらら#rって名前をちゃんと文字通りに呼ぶのは、大人でも結構難しいと思いますけど。 灯: うん、姉さんもそう言っていた。……というわけだ、「ゆぷぃ」は本当にくだらない意味しかなかっただろう? 確かに、意味はない……単なる言い間違いが定着しただけだ。 美雪(私服): (でも……なんでこんなに引っかかるんだろう) 理由はわからないけど……胸の内に生まれた小さな違和感は、どうあっても離れてくれなかった。 灯: さて……そろそろ日付が変わる。戻ったほうがいいよ。 美雪(私服): あ、はい。……灯さんは、戻らないんですか? 灯: 私は、これを全て舟にするまではここにいるつもりだ。 これ、と言いながら灯さんは手元の草たちを見下ろす。 もう大半が舟として海へ旅立ったようだが、小山と表現できるほどにはまだ残っている。 灯: 一度摘み取った葉は、元に戻せない。摘むだけ摘んで放置……は、さすがに忍びないからね。 灯: 身勝手に摘んだ葉は、身勝手に最後まで使わせてもらうさ。 灯: あぁ、もし不審者が現れたら大声で呼んで欲しい。役に立つかはわからないが、防災サイレン代わりに延々と叫び続けることにしよう。 美雪(私服): も……もしもの時は、お願いします。 灯: うん。あ、そうだ。赤坂くん、笛とか持ってないかい? 灯: 恐怖で声をあげられない場合、笛を吹くのがいいと聞いたんだが。 美雪(私服): 笛……は、持ってないです。 灯: そうか……なら、カスタネットは? 灯: 以前町内でやった防災運動で、拍子木が足りないのでカスタネットで代用してもらったことがあるんだけど……あれって結構響くんだよね。静かな夜は特にさ。 美雪(私服): たぶん、カスタネットを持ち歩いてる人は笛以上に少ないのでは……? 灯: そうか、じゃあ頑張っていざという時は大声を出してくれたまえ! 美雪(私服): わ、わかりました……じゃあ。 軽く頭を下げて、ひとまず駅の方へ足を向ける。 美雪(私服): (笛……か) 一穂は時々、胸元の笛を握りしめていた。おそらくだけど、本人としては無意識の仕草で自分では気づいていないようだった。 美雪(私服): (そう言えば一穂はいつも首から提げてたけど、笛を吹くところは一度も見たことないな……) もしかしたら壊れていて、鳴らなかっただけなのかもしれないが……。 美雪(私服): (あの笛、お兄さんからもらったって言ってたっけ) そもそも一穂の不幸の始まりは、雛見沢大災害で両親とお兄さんが亡くなったことだ。そして――。 梨花ちゃんの発言や南井さんから得た情報を聞く限り、ガス災害と村人が消えた事件……『雛見沢大災害』と呼ばれる2つには、ある明確な共通点がある。 美雪(私服): (……どちらの大災害にも、人為的な謀りごとが絡んでいた可能性がまことしやかに言われてる……) 美雪(私服): (これって、本当に偶然なんだろうか……?) Part 03: ――翌朝。 チェックアウトを済ませて、夕方までの空いた時間を持て余した私たちは食事ができる場所を求め、電車で少し離れた観光地として大きな町へと移動し――。 灯さんに誘われるまま遊覧船に乗り、美術館をはしごして名物だというかまぼこを食べ、日帰り温泉に浸かったりと気ままに観光を楽しんだ。 ……最初は私と千雨は若干気が引けていたけれど、気づけば灯さんと一緒に楽しんでいた。 それがいいことなのか、悪いことなのか……とにかく久しぶりに、楽しい時間を過ごしてしまった。 美雪(私服): (でもおかげで、ちょっと身体が軽くなったかもだね……) あるいは、自分でも意識しないうちに疲れが溜まっていたのかもしれない。 灯さんはそんな私たちを気遣って……なんて、一瞬思ったけど。 灯: うーん、楽しかった! 夕方近くになって再び神社近くの駅に降り立った灯さんは、温泉効果でツヤツヤした肌を柔らかくなった初夏の日光の下に晒していた。 美雪(私服): (……本当にこの人、心の底から楽しんでたな) つられて楽しんでしまった私が言うのもなんだけど、肝が据わっているというより神経が図太すぎる……そういう表現しか思いつかない。 私もこんな性格だったら今抱えている悩みの半分、いや8割くらいは放棄できたかもしれないと思うとなんだかすごく……羨ましく感じた。 千雨: ……しかし、何度考えても西園寺さんがわざわざ今日の夕方に呼び出す意味がわからないな。どういうつもりなんだ、あの人は? 美雪(私服): さぁ……この状況を説明してくれる人を私たちに紹介してくれたりでもしたら、すごく助かるんだけどねー。 美雪(私服): どっちにせよ、これから行けばわかることだよ。 なんてことを話し合いながら、不安と期待が混ざり合った心を抱えた私たちが神社へと向かう歩みを進めようとして――。 灯: じゃ、私はこのあたりで失礼することにするよ! 美雪(私服): はっ……? いきなりの離脱宣言に、私と千雨は口を開けたまま……出会ってからもう何度目かわからない絶句をしてしまった。 千雨: おい……ちょっと待て。この土壇場で、どこに行くってんだあんたは? 灯: あははは、この土壇場だからだよ。……昨日、私は西園寺さんに対してやりすぎた。きっと苦手意識を持ったと思う。 灯: 証拠もないのに知っているだろう、とかなんとか嫌な感じに迫り続けたからね。まぁ当然だろう。 灯: で……そんな私がいないとわかれば、頑なな彼女の口はさらに軽くなるんじゃないかな。 千雨: それは、ん……。 灯: それに私は、他に調べることができた。あとは2人に任せるとするよ。正直、ここから先は私が行くとさらにややこしくなりそうだからね! 美雪(私服): そ、そんな……! 千雨: あんた、ほんと自由なやつだな。だけど、いや……確かにそれもそうか。 美雪(私服): キミも納得しないでよ、千雨!ここからが正念場、本気の勝負が始まるってのに私たちはなんでこうも安定しないのさぁっ? 千雨: 安定した状況なんて、今まで一度もなかっただろうが。……それに、美雪。お前だってわかってるんだろう? 千雨: ここから先は、#p雛見沢#sひなみざわ#rの謎を本気で追いかける覚悟を持ったやつしか進む資格がない……観客気分の半端な人間は、お引き取り願おうってな。 美雪(私服): いや、でも……そもそも今日の約束は、灯さんの協力があってとりつけたようなものじゃんか。 美雪(私服): それに、灯さん。あなただって確かめたいこと、突き止めたい謎があるんじゃないですか? 灯: もちろん!……でもね、私のような人間は下手を打つと混乱を招いてしまうからね。 灯: ここからは、私がいない方がメリットが高いと判断したまでだよ。……大丈夫さ、君たちなら。 そう言い残して灯さんは踵を返すと、背後の駅舎へと戻ろうとする。 美雪(私服): ま……待ってください! それじゃまるで、灯さんは西園寺さんとの約束を取り付けるために悪役を買って出たというか……。 美雪(私服): 私たちのために、踏み台になったってことになっちゃいますよ! それでいいんですか?! 灯: うん、そうだね。……でも私にとっては、それこそが本望なんだ。 美雪(私服): えっ……? 灯: 私は、赤坂くんたちのためなら踏み台になってもいいと思った。そしてこの瞬間も、私の直感は正しかったと確信している。 灯: だから、今回私を利用したことを後ろめたいと思うのなら……いつか君たちも、助けを求める誰かの踏み台になってやるといい。 灯: ……ただ、踏み台になる相手は慎重に選ぶことだ。この人の踏み台にはなりたくないなーと思っても、なるしかない時があったりするけどさ。 灯: 君の背中を押しつぶし、あまつさえ潰れたことにやる気がない、とか努力が足りない、とか……。 灯: 身勝手に憤って責任をなすりつける存在は男にも女にもいるから、くれぐれも気をつけるんだよ? 千雨: つまり……どうあっても私たちと行く気はないってことだな。 一方的なまくし立てに、千雨は憮然とした表情で返す。そんな彼女に灯さんは、相変わらず飄々とした態度で肩をすくめながら続けていった。 灯: 残念だけど、ここでお別れだ。私は君たちと、目指している「ゴール」が違う。……だからおそらく、どこかで衝突する。 灯: その歪さをはらんだまま組み続けていても、この先にいいことはない。……次に会う時は敵になっている可能性もあるんだからね。 美雪(私服): 灯さん……。 千雨: ……結局、あんたは何者なんだ?警察か、それとも――。 灯: 旅人と呼んでほしい、って前にも言わなかったっけ?まぁ、旅人モドキと言う方が正しいかもしれないが。 灯: 私の叔父さんは本物の旅人でね。風光明媚な観光地や、仲間の屍を踏み越えなければ生き残れないような戦場……色んな場所を旅している。 灯: そんな彼曰く、旅人を続けるコツは『全ては己の目で見届けなければならない!』などの、根拠のない義務感を持たないことらしい。 千雨: また、わけのわからんことを……! 苛立ちをあらわに、千雨は渋い顔をする。と、そこへふいに大きな風が吹いて……灯さんの胸元のリボンが、わずかに揺れた。 灯: そんなに詮索しなくても、いずれ会えるよ。そして、私がここで去っても何の問題はない。なぜなら……。 灯: 私ごときの存在でもなし得ることが、君たちにできないはずがないからだ! 美雪(私服): ……え、えぇ……? 美雪(私服): (それは、どういう理屈で……?) 尋ねるよりも早く、彼女は見事な身のこなしでこちらへと振り返る。そして、軍人のように洗練された動きでこちらに敬礼をとっていった。 灯: 嘲りとともに呼ばれることもあるけど、私は君たちの未完成であるがゆえの可能性に敬意を表して、こう呼ばせてもらうよ。 灯: また会おう、#pお嬢さんたち#smesdemoiselles#r!失敗も後悔も全て糧にして、前へ進むといい! 灯: 次に会う時、君たちはもっと綺麗になって――、えっ? 駅の電子音声: 『東京駅行き、間もなく到着します……』 灯: なっ……?! もう電車来るのかい?!ちょっ、待って待ってちょっと予想より早いんだが?! 灯: これで乗りそびれたら、私の恥ずかしさの上限を軽く越えてしまうじゃないかーっ?! ダダダッ、と灯さんが走り出すと同時に滑り込んできた電車がゆっくりと扉を開けて――。 勢いよく駆け込む彼女を飲み込んだ鉄の塊は、突然のことで声も出ない私たちを置き去りに緩やかへ東京に向けて走り出していった。 美雪(私服): ……行っちゃった。 千雨: あぁ……登場も去り際も、嵐みたいな人だったな。 美雪(私服): あぁ、うん……そうだね。悪い人ではない、とは思うけど……。 ただ、彼女と過ごした数日を思い返しても……やっぱり、何を考えているかはわからなかった。 遠のく列車を見届けてから、私たちは2人だけで再び歩き始める。 ……神社へ向かう足音は、たった1つ減っただけ。 なのに妙に寂しい気がしたのは、私だけじゃない……と思いたかった。 神社の境内では、昨日と同じ姿の西園寺さんが私たちを待ってくれていた。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……思っていたよりも、早いお着きでしたね。 そして彼女はおや、といった表情になって私たちを見つめ……怪訝そうに眉をひそめていった。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: あの旅人を、名乗っていた方は……? 美雪(私服): えーっと……別の場所へ旅立ちました。この場は私たちに任せると。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……そうですか。 無表情だと思っていた彼女が、ほんの少し肩を下げたのを見逃さない。 美雪(私服): (ちょっと安心してる……やっぱり灯さんのこと、苦手だったんだね) 灯さんには悪いけど、彼女の判断は正しかったというわけだ。……これも経験則によるものか。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……では、お覚悟をされてきましたか? 美雪(私服): えっと……何の覚悟ですか? #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: もちろん、あの雛見沢へ向かう覚悟です。 美雪(私服): ……。は……? 唐突に告げられた言葉に、私と千雨は待ち焦がれていたものにも関わらず驚いて、言葉を失うほどに息を呑んでしまった。 え……ちょっと、待って……? 雛見沢に向かう覚悟についてここで問うということは、つまり……?! 美雪(私服): い……行き方を、知ってるんですか?! なんとか絞り出した私の言葉に、西園寺さんは無言でこくん、と小さく頷いた。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……駆け引きや交渉は好きではないので、結論から申し上げます。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 赤坂美雪さん……私は、あなたが一度訪れたという昭和58年6月の雛見沢へ向かう術を知っています。 美雪(私服): ……っ……!! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ただ……残念ながらその「世界」は因果律の移動によってすでに姿を変え、記憶しているものとは別物になっていることでしょう。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ですから、あなた方の探す友達を連れ戻すだけでは……元通りにはなりません。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: あなたたち2人がなすべきことは、見る影もなく崩壊した『カケラ』を拾い集め、「世界」全体が本来の姿に修復されるための緒を見つけ出すことです。 言葉少なかった昨日とはうって変わり、西園寺さんは長い文言を綴っていく……が……。 千雨: ……あの、すみません。 おそるおそる、と言った様子で千雨が片手をあげる。その動きは、まるで先生に質問する生徒のようだった。 千雨: 一度行ったことのある美雪はともかく、私は雛見沢へ初めて行くことになるので……もう少し詳しい説明をしてもらえませんか? 美雪(私服): ちょっ、ちょっと待ってよ千雨!美雪はもう理解したんだろうなーみたいな顔してるけど、私だって今の話じゃ何がなんだかわからないよ?! 千雨: ……お前もわからないのか? 美雪(私服): 話の展開が早すぎて、追いつけるわけないじゃん!連れ戻すためには、何かをする必要があるとしか……! 交渉の余地がほとんどなかった昨日と比べたら、西園寺さんはまるで手の内を全て見せるかのように全てを打ち明けてくれている……ようにも思える。 ただ、「思える」として断定できないのは肝心の差し出された情報の価値以前に、その意味すらさっぱりわからないせいだった。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……確かに、順を追って説明すべきでした。少し、急いていたようです。申し訳ありません。 言いながら、西園寺さんは軽く頭を下げる。 ……そうは見えないけど、彼女は焦っていたらしい。置いてきぼりにならずに済んで、少しほっとした。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: では、改めてお聞きします。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……あなた方が以前、昭和58年の雛見沢に行ったことがあるというのは本当のことなんですね? 美雪(私服): あ……はい。 美雪(私服): ただ、さっきも言ったように正確に説明すると実際に行ったのは私だけで……ここにいる千雨は、私の話を聞いただけなんですが。 千雨: 昨日、名乗り損ねました。……黒沢千雨です。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……。千雨さんは、美雪さんの話を信じているんですか?随分と荒唐無稽だと思いますが。 千雨: 今さらすぎる質問ですね。信じてないなら、こんなところには来てませんよ。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……失礼。確かにその通りでした。 そう言いながら、西園寺さんは再び頭を下げる。……表情から感情を読み取るのは難しいが、私たちに歩み寄ろうとしてくれているのはわかった。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 美雪さん……あなたは、過去の「世界」で公由一穂さんと名乗る人と出会った。それは、間違いありませんね。 美雪(私服): はい……そうです。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: では……一穂さんの他にも、同じように未来から来たという女の子がいませんでしたか? #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 名前は……菜央。姓は鳳谷……で、あってますよね? 美雪(私服): っ……菜央のことも知ってるんですか?! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: えぇ、知っています。 美雪(私服): (一穂だけじゃなくて、菜央のことも知ってる……確定だ……!) 西園寺さんが今年24歳なら、十年前は14歳……分校の生徒の年齢内になる。 あるいは、学友としての接点もあったのだろうか。もしそうなると、彼女はレナと同じように大災害からの生存者のひとりということに……? 美雪(私服): (古手神社分社の宮司代理って名乗ったけど、彼女は……いったい何者なんだろう) そんな無言の問いかけに答えるように、西園寺さんは軽く伏せていた目をあげた。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 既にお気づきかもしれませんが……他の「世界」の記憶を持っているのは、あなたたちだけではありません。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 私もまた、あなたと同じような体験をしました。そこの「世界」で、私は……。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 公由一穂さんと鳳谷菜央さんに、お会いしたのです。 美雪(私服): なっ……?! Part 04: 千雨: 会ったって……いつ、どこで? 美雪(私服): お……教えてください!どこで2人と出会ったんですか?! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 10年前、以前の私が存在した「世界」……別の#p雛見沢#sひなみざわ#rで、です。 我を忘れて西園寺さんとの距離を詰める私に、彼女は落ち着いた様子で告げていった。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 私が一穂さんたちと出会ったのは、雛見沢のダム建設工事が進行して……やがて廃村となる運命にあった「世界」でした。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: その「世界」で私は「古手絢花」と名を変え、数年前に死亡した古手梨花の代わりとして古手家の養子となっていました。 美雪(私服): 梨花ちゃんが死んでいた「世界」……?!じゃあ、電話口で一穂たちが言ってた絢花さんと、今ここにいる西園寺絢さんは……! ……同じ記憶を持った、同一人物?! 美雪(私服): (やっぱり……西園寺さんは、菜央たちが言ってた絢花さんだったんだ!) 心臓の鼓動をなんとか抑えながら、彼女の言葉を聞き漏らすまいと耳をそばだて、思考をフル回転させる。 まだだ……まだ焦るな……!ここからの失敗は、絶対に許されないんだ。 だから落ち着け、クールになるんだ赤坂美雪……! 美雪(私服): あの……西園寺さん。あなたが出会った一穂と菜央は、集会所でどこかに電話をかけていませんでしたか? #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 電話は知りませんが、集会所の鍵はお貸ししました。……きっと、その時に電話されていたのでしょうね。 美雪(私服): 私から連絡を取る手段がなかったんですけど、2人はあの後どうなったんですか?! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……結論から言います。 私の問いかけに対して西園寺さんは一呼吸を入れて、まっすぐにこちらへ目を向けてくる。 そして、努めて感情を抑えるように厳かな口調でゆっくりと、切り出すように言った。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: その「世界」においても大災害……すなわち村人たちの暴走は発生し、最終的に私は「ある人物」の手にかかって命を落としました。 美雪(私服): は……? あの、命を落としたって……? #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 「死んだ」のです。ですから、その「世界」がその後どうなったかは残念ながらわかりません。……菜央さんとも、途中で別れてしまいました。 千雨: ……ますます意味がわからんぞ。そこで死んだって言うなら、ここにいるあんたは何者だ?まさか、幽霊だとか言ったりしないよな? #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 幽霊……それは是もあり、否でもあります。今の私は、それに等しい存在だから……。 美雪(私服): ……? そう語る西園寺さんの表情は、とても寂しげで……とても嘘や冗談で言っているようには感じられない。だから、私は――。 美雪(私服): ……あなたのこと、信じます。どういうことなのか、教えてもらえますか? そう言って私は、励ますように話の先を促す。すると彼女は、少し安堵したように表情を和らげて再び口を開いていった。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 生まれ変わった……と言うのは適切ではありませんね。私は死んだ直前までの記憶を引き継いで、別の「世界」の私に存在を移動させたのです。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: それが、「世界」の自己修復機能というもの。……赤坂さん、あなたにも覚えがあるのではありませんか? 美雪(私服): ……っ……?! そうだ……言われてみれば、確かにそうだ!この「世界」に戻ってきてから、何度となく過去の出来事が記憶の中で改変されたり……。 ……果ては、あの地獄のような惨劇の記憶だ。千雨たちが血にまみれた末にこと切れて、私もまた意識を失い倒れた、あの記憶は――! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……その干渉によって意識と記憶が混ざった私は、気づけば大災害の騒ぎから隔離されたこの「世界」で目を覚ましました。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: そして、以前の「世界」では治療困難とされていた持病もここでは治療可能になっていたために克服し、こうして生きながらえているのです。 千雨: ……あー、申し訳ない。反応を見る限り美雪は何か閃くものがあったみたいだが、私はその……今の話だけでは……。 またしても申し訳なさげに千雨がそう告げると、西園寺さんは咳払いして再び頭を下げていった。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: すみません、また焦ってしまったようです。ですが、どこから説明するべきか……。 千雨: ……とりあえず、「世界」の自己修復機能ですね。これについて、もう少し補足してもらえませんか? #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: わかりました。ただ、それについて語る前に……あなた方は「平行世界」というものの概念について、どの程度まで御存知でしょうか。 美雪(私服): 「平行世界」……パラレルワールドだっけ?無限に存在する選択肢によって結果が分岐して、そこから生まれた世界が同時に存在する……とか。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: そうです。多重層の「世界」構造の中で、それぞれ少しずつ違った「自分」が存在し……「他人」を含めた「環境」が構成されています。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: そして、様々な不幸の要因によって終末を迎えた「世界」がある一方……。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 現時点でも、堅牢に未来永劫への道を築き上げている「世界」も存在します。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ただ……同じ容姿と能力を持ちながらも、たどってきた行程や身につけた知識と能力が違うことで、通常は別個の存在として並列的に存在している。 美雪(私服): 要するに……無数にある「平行世界」の中には、それぞれ同じ数だけ私や千雨が存在している……ってわけですか。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 仰る通りです。とはいえ、その中でも「平行世界」全体のバランスを柱として保つため、基準点となる「世界」があります。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: それが、何らかのトラブル……例えば未来から来た人間が予想外の行為をしでかして基準点の「世界」が狂えば、どうなると思いますか? 美雪(私服): ……とんでもなく、おかしなことになる。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: そうです。ですからいわゆる「神様」と呼ばれる上位層の存在が緊急措置として別の「世界」に基準点をシフトさせて、全体のバランスを調整する。 美雪(私服): ……それが自己修復機能、因果律の操作ってやつの正体ですね。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: はい。私や、美雪さんたちの体験してきた「過去の雛見沢へ戻る」仕組みなのです。 美雪(私服): その結果、私は調整前の記憶を持ったまま調整後の世界で生きている……。 美雪(私服): つまり、私たちは過去へと戻る『タイムトラベル』をしていたんじゃなくて……違う平行世界へ移動してたんですね。 美雪(私服): 『ジャンプ』していた……とでも言えばいいのかな。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: えぇ……その理解で、間違いではないかと。 千雨: おい、いまだにさっぱりわからないんだが。 ようやく少しだけ自分が置かれていた状況を飲み込めた私とは違い、未体験の千雨はまだ納得いかない様子だった。 千雨: ダメだ、もうちょっと簡潔に……可能なら、サメに例えて話をしてくれ。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……サメ? 西園寺さんが当然のように不思議そうに問い直すのを見ながら、私は自分の頭を抱える。……翻訳として、正しい方法なんだろうか。 美雪(私服): 逆に難しい気がするけど……えーっと。んー……。 美雪(私服): ここに新しい……仮に進化サメというサメが水槽にいるとする。 美雪(私服): でも、進化サメは何かが原因で新しく発生した病気にかかって、このままだと死んでしまうことがわかった。 美雪(私服): だからサメ神は水槽の進化サメと、病気になる前の若い別の進化サメを入れ替えた。脳みその中身だけは、元のやつと一緒にしてね。 千雨: ……そのあたりが、完全に超科学の世界の話だな。記憶データをコピーしたって考えればいいのか? 美雪(私服): そうそう。……けど、このまま成長すると水槽の個体も前の個体と同じ病気にかかるから、どうにか病気を治す方法を探さないといけない。 美雪(私服): 具体的には、進化サメを病気にしてしまう何かを取り除く方法を見つけないと!……みたいな? 千雨: つまり「世界」がサメなら……お前はサメの医者ってわけか? 美雪(私服): あー、まぁそれに近い……と、思っていいんですかね、西園寺さん? #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……サメについてはよくわかりませんが、概ねその認識でいいと思います。 困惑しながらも頷く西園寺さんを前にして、軽く安堵する胸中に去来する……別の疑問。 美雪(私服): あ、でも……だったらなんで私は、複数の「世界」での記憶を持ち続けてるんです? #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……あなたはとある神様から、「札」のようなものを預かっていたと思います。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: それが、どの「世界」に移動してもあなたの存在を安定させて……記憶を保ち得たのです。 美雪(私服): 『札』って……この、『ロールカード』が? 私はポケットに手を入れ、『ロールカード』を取り出す。 美雪(私服): (これの正体はよくわからないけど、これがあるから私は記憶を保つことができた……今の私を守ってくれる効果もあったんだね) ポケットにずっと収めていた「カード」にこんな効果があったなんて……想像もしていなかった。 千雨: おい……その「カード」なら私も持ってるが、別の「世界」の記憶とかはないぞ? #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 当然です。そのカードは別の記憶を思い出させるのではなく、持っていた記憶を保つためだからだと思われます。 千雨: ……持っていないものは保てないってことか。 そう言って千雨は、ようやく納得したように表情を緩めて手に持った「カード」をしまう。 西園寺さんのおかげで、不可解だった状況のいくつかが少しだけ理解できたと思う。……けど、また新しい疑問も生まれてきた。 美雪(私服): あの……質問です。どうして西園寺さんは、記憶を保ったままでいるんですか? 美雪(私服): というより、どうしてこんな詳細な説明ができるんですか? #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 2つ目からお答えします……この知識は、「ある人」から教えてもらったものです。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 私自身が確かめたわけではありませんが、現状にある程度即した説明になっていると思います。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: そして1つ目の質問ですが……それについては現状だと、お話しすることができません。今でも私は、かなり禁を犯しているので……。 そう言って西園寺さんはすみません、と申し訳なさそうに頭を下げてきた。 美雪(私服): あ、いえ……謝るほどでは。 真摯に謝られ、つい焦ってしまう。……まだまだ聞きたいことはあるけど、おそらくこれ以上は難しいのだろう。 ただ……彼女にも彼女の理由がある。にもかかわらず最大限に教えようとしてくれていることに、私は彼女の誠意を信じたかった。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 私からも、質問させてください……美雪さん。あなたは今、「本」をお持ちではありませんか? 切り出された「本」という単語にぎくりとした。上擦りかけた声を抑えて、喉を整える。 また「本」についての質問だ。といってもこれに関しては、別に嘘も隠し立てもなく私には全く覚えがないんだけど……。 美雪(私服): 「本」って言われても……心当たりがないです。それって、どんな本のことなんですか? #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: いえ。……わからないようでしたら、それで結構です。 無理に聞き出す気は最初から無かったのか、西園寺さんはあっさり引き下がる。……その姿に、初めて妙な違和感を覚えた。 美雪(私服): (そういえばあの時夏美さんも、「本」を出せとか言ってたけど……) あれは、いったいどういう意味だったのだろう。ただ、考えてみてもそれ以上は何も思いつかないので、この件に関してはひとまず棚上げにすることにした。 千雨: それで……私たちはこの後、どうやって雛見沢に行くんですか? 千雨のそんな問い掛けに対して、西園寺さんはすっと空を見上げる。そして目を細めると、静かに告げていった。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……そろそろ時間ですね。 暗くなりかけた空を見つめた彼女は、視線を私たちへと戻す。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 間もなく、こことは違う「世界」へと繋がる『門』が開かれます。……どうぞ、こちらに。 美雪&千雨: …………。 そう言ってどこかへ歩き出した西園寺さんがどこへ向かおうとしているのか。 それがわからないままに、私と千雨はその背中を追いかけた。 Part 05: 西園寺さんが私たちを連れてきたのは、大きな円を描くように掲げられた巨大な縄の輪が飾られた境内の一角だった。 美雪(私服): (なんとなく、子どもたちがくぐって楽しむ公園の遊具にも見えるんだけど……) 野草のように少し刺激的で青臭い、不思議な香りを漂わせている。……ただの藁ではないのかもしれない。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: これは、この神社に代々伝わる『注連縄』です。……形は少し、特徴的かも知れませんが。 千雨: 少し……っていうか、かなり変わってるな。他の神社だと、あまり見かけない形状だぞ。 千雨の言う通り、神社で注連縄をこんなふうに飾りつけているところは今までになかった……と思う。 しかもここは、本殿のある場所から離れた場所で……参拝目的だとうっかり見落としてもおかしくないほど目立たないところに設けられていた。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……この地には自然の次元断層が存在します。おそらく、過去の震災で地層が大きく分断されたりずれたりした影響なのでしょう。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 普段は、万が一の予期せぬ事故が起きぬようにこの注連縄によって封印されているのですが……。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: この#p夕来帰#sゆらぎ#rの刻にはその力が弱まり、力を持つ人であれば通過することができるはずです。 美雪(私服): ……じゃあ、これが#p雛見沢#sひなみざわ#rに繋がる「門」ってことなんですか? 私の問いかけに対して西園寺さんはこくり、と無言で頷き返してくる。 からかわれているのだろうか、という危惧もちらりと心をよぎったが……こんな状況下で彼女が私たちに冗談を言うとも思えない。 ……よし、信じよう。いずれにしても私たちには、他に思い当たる雛見沢への手がかりは何もないのだから。 美雪(私服): (これをくぐれば、雛見沢に行ける。一穂や菜央とも、もう一度っ……!) 今すぐにでも、この輪に飛び込みたい。……そんな逸る思いを必死に抑え、万全を期すべく私たちはさらに説明を求めていった。 美雪(私服): えっと……「平行世界」って、数え切れないほどたくさんの「世界」で構成されてるんですよね? 美雪(私服): だとしたら、闇雲に飛び込んだところで一穂たちのいる場所にたどり着ける保証はないと思うんですけど……。 菜央を一穂のもとへ送る時は、#p田村媛#sたむらひめ#rが調整してくれた。だとしたら、この注連縄にそれと似た凄い力がなければ奈落への片道切符でしかない。 その懸念に対し、西園寺さんは「問題ありません」と私と千雨の顔を見ながら、言葉を繋いでいった。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: あなた方には、力を宿した「カード」……『ロールカード』なるものがあるはずです。それが行くべき道を示し、拓いてくれることでしょう。 美雪(私服): っ……西園寺さん、あなたはどうしてそこまでこの「カード」のことを知ってるんですか?いったい誰から、そのことを聞いて……?! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: それは――……。 千雨: ――誰だっ?! 西園寺さんから答えを聞き出すよりも早く、サメの歯のように鋭くざらついた千雨の叫びが宵闇に沈みかけた神社に響き渡る。 その視線をたどって振り返った場所で、神社の大木が微かに揺れ……暗がりに隠れていた「それ」が、動いた。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: えっ……? 千雨: あ、あんたは……っ? 川田: どうも、お疲れ様です。 美雪(私服): か……川田さんっ……?! そこにいたのは、広報センターから逃亡した後行方が知れないままになっていた……川田さんだった。 川田: はい、川田です。見事に「ゲート」を探り当ててくれましたねー。……あぁ、よかった。 川田: ふむ、なるほど……ただ通ってみるだけじゃなく、時間を合わせることが必要だったわけですか。どーりで何度試しても作動しなかったわけです。 美雪(私服): あ、あなたも、雛見沢へ向かう入口を探してたんですか……?! 川田: えぇ、その通りです。 川田: これまで利用していた雛見沢の「ゲート」が新旧ともに綺麗さっぱり使えなくなってしまって、どうしたものかと頭を抱えていたんですよ。 千雨: ……それで、私たちに探させたってわけか。 川田: お察しの通りです。おおよその場所の目安はついていたんですが、どうにも起動方法がわからなくて。 川田: ……で、あなたたちにヒントを渡せばひょっとしたらひょっとするとその手段とやらを見つけてくれるのでは? と、思ったんです。 川田: いやいや、見込み通りでとても嬉しいです。貴重な資料をお渡しした甲斐がありましたよ~。 川田: ……ただまぁ、藤堂夏美が動いた時はさすがにもうだめかと思いましたけどね。 美雪(私服): 夏美さん……? 川田: あー……そうか、知らないんでしたっけ。比較対象がないから無理もない話ですが、とにかく無事で何よりですよ。 突然出てきた夏美さんの名前に疑問が消えない私の目の前で、川田さんは一人うんうんと納得したように頷いている。 美雪(私服): (それにしても、なんでここに?もしかして、私たちを手伝ってくれたり……とか?) 何がしたいのかはよくわかっていないけど……よくよく考えると彼女は、これまで私たちに明確な敵対行動を取っていない。 目的次第では、協力関係を結べる可能性も……? 川田: ――と、いうわけで。 そんな打算めいた私の思考を遮るように、川田さんはぱんっ、と胸の前で両手を打ち鳴らす。そして、 川田: あなたたちのお役目はここでおしまい。終わり、終了、お疲れ様でした~。 美雪(私服): は……はぁぁぁああっっ?! 淡い期待が一気に吹っ飛んだ反動で叫ぶと、川田さんはおや? なんて、わざとらしく首を傾げてみせた。 川田: 聞こえなかったですか?……ですから、終わりだと言ったんですよ。 川田: このあとのことは私に任せて、ここで引き返してくださいね。 美雪(私服): な、何言ってるんだよ……!やっと一穂たちを連れ戻す方法が見つかったってのに、なんでそんな冗談を――なっ?! ……その怒声を、中途で飲み込む。たった今柏手を打ったはずの川田さんの両手には、手品のようにライフルが握られていたからだ。 川田: ……勘違いしないでください。これはお願いではなく、命令です。 川田: そして冗談でもありません、私は本気です。 美雪(私服): ……っ……?! 川田: なにもわからないあなたたちが、これ以上「世界」に干渉し続けるとどうなると思います?さらにややこしいことになってしまいますよ。 川田: そんな乱れに乱れまくった世界構造がどんな事態を生むかわからないほど……聞き分けの悪い子じゃありませんよね? 手にしたライフルの銃口をゆらゆらと揺らしながら……川田さんはそう続ける。 まるでその動きは、遊んでいるかふざけているようにも映ったが……目は鋭く私たちを威嚇し、牽制には一切の隙もなかった。 川田: この「世界」は現状、神から超常の力を得たヤツが好き勝手に引っ掻き回してくれたおかげで、複雑に入り混じった状態になってしまっているんです。 千雨: ……どういうことだよ。 川田: えっと……タイムトラベルを題材にした映画だったら特殊能力を使える人がひとりだけなので、ハッピーエンドに導くのも容易いですよね? 川田: あ、でも簡単に解決したら映画にならないか……だからそれなりに、苦労するとは思いますが。 川田: でも……タイムトラベルする人が2人になったら、どうなっちゃうと思います? 川田: さらに言うと、時間移動者が3人、4人になってそれらが一切の配慮なく好き勝手に「世界」を自分の理想に基づいて変え始めたら……どうです? 美雪(私服): っ……?! 川田さんの言葉に、夏美さんの顔がよぎる。 ひょっとして、私や夏美さんの他にも『タイムトラベル』をしている人がいる……?いや、それどころか――! 美雪(私服): 川田さん……あなたも、「平行世界」を移動する『ジャンプ』の能力を持っているんですか? 川田: ――――。 投げかけた疑問に、川田さんは答えない。ただ、うっすらとした笑みを浮かべたまま……口調だけはやけに優しい響きを込めていった。 川田: ……安心してください。あなたのお友達、菜央さんは必ず連れて帰ります。 川田: 私にはそれくらいの保証しかできませんが、頑張りましたが何も得られませんでした……よりは、幾分かマシだと思います。 川田: まぁ、頑張ったご褒美があって当然だと思ってください。ちなみに私は自分から決めた約束を破るのは嫌いなので、信用してくれても構いませんよ~。 美雪(私服): ぇ……? 「菜央は」って、……一穂は? 川田: …………。 一穂の名前が出た瞬間……川田さんのへらへらとした笑顔がすっ、と消える。 ……途端に押し寄せてくる、嫌な予感。私はそれを明らかにするべくさらに食い下がった。 美雪(私服): 友達を連れ帰るっていうなら、あの子のこともちゃんと連れ戻してくれるんですよねっ?!どうなんですか、川田さんッ!! 噛みつくような私の問いに、川田さんは笑みを消したまま冷たい目で見つめ返してくる。 そして、肩を上下させるほど大きなため息をつき……今度は氷のように冷たく硬い響きで私の胸を突き刺すようにいった。 川田: 美雪さん。あなたは頭がいい子ですから……実のところは、わかっていますよね? 川田: 彼女は――「公由一穂」なんかじゃないと。 美雪(私服): ……ッ……?! 慄然とした思いで、言葉を失う。……やはりこの人は、「知って」いるのだ。 私が一穂に対してずっと抱き続けている不安と、疑念の正体……その答えを、この人は――?! 川田: ……これは、最後通告です。「あれ」は、あなたのお友達にしておくには危険すぎる存在なんです。 川田: あと、個人的に言わせてもらうと……泣けば助けてくれるような優しい人を選んでワガママを発揮する子、正直嫌いなんで。 川田: 助けるのは、御免被ります。……おかげで以前、とんでもない目に遭わされて元に戻るために難儀してしまいましたからね。 美雪(私服): あ、あの子が……一穂が、何をしたの?! 川田: 言えません。……ただ、悪いことは言いませんのでお友達は選びましょう。さくっとここで忘れたほうが、辛い思いをせずに済むと思いますよ。 美雪(私服): そんなの、できるわけないだろッッ!! 川田: してもらわないと困ります。……こんなこと言われてもわからないと思いますけど、美雪さんが無傷でここにいるのは奇跡なんですよ。 川田: せっかくの奇跡をポイ捨てしちゃ、もったいないです。命あっての物種ってやつですよ。 千雨: ……っ……! その言葉を聞いた千雨は、私よりも早く反応して『ロールカード』を取り出し、武器を構える。 私もまた、半拍遅れて武器を出現させ……鈍くライフルの銃口に向けてその鋒を差し向けた。 美雪(私服): (なんとか上手く協力できないか、って期待したけど……前言撤回だ!一穂を助ける気のない人と、手を組めるかッ!) この人が、一穂を嫌うのは勝手だ。けど、私が助けるのを邪魔されるいわれは無い……!だって自分の中で、既に答えは出ているのだから。 とはいえ、戦っても川田さんに勝てるか……?正直劣勢は明らかだと認めざるをえないだろう。 美雪(私服): (だとしたら正面衝突は避けて、やるべきことは……) ……激突を避け、「門」に飛び込む。 言葉で言うほど、そう簡単ではない。そして川田さんのことだ、おそらくこちらの#p思惑#sおもわく#rなどとっくにお見通しだろう。 私たちを行かせたくないのだから、全力で阻止してくるに違いない。それこそ一切の遠慮も、容赦もなく……! 千雨: ……美雪。 と、捨て身でイチかバチかを覚悟しかけた私に千雨が前を向いたまま小さな声でぼそっ、とささやきかけてきた。 千雨: ……お前だけで行け。ここは私が食い止める。 美雪(私服): っ、でも……! 川田: あー……たぶん理解できないと思いますけど、一応言っておきますね。 川田: あなた方が藤堂夏美を退けることができた理由は、単純明快……彼女が弱体化していたせいです。 千雨: あ……? なんだそりゃ。私たちは弱いけど、向こうがもっと弱くなったから勝てたとでも? 川田: でーすーかーらー……はぁ、はいはい。そういうことでいいです。あなたがここにいるのは、単純に運がよかっただけです。 千雨: ……だから、自分には勝てないって言いたいのか? 川田: はい、その通りです。……美しい犠牲の精神は、ただの自殺行為にしかならないと理解しましょうね。 千雨: ……じゃあ、やってみるか――ッ! 美雪(私服): ッ? ダメだ千雨、あの人は――、っ?! 突進を仕掛けるべく身を沈ませる千雨と、それを余裕で待ち構える川田さん。……そんな二者の間に、白い背中が割って入ってきた。 千雨: なっ……さ、西園寺さん……?! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 行ってください……美雪さん、千雨さん。 穏やかに微笑むその顔とは対照的に、その手にあったのは……ぎらり、と鋭い輝きを宿した薙刀。 その巨大な刃は、よくもそんな、と思えるほどの細い腕によって閃き……間合いに入ったことで引き金をひきかけた川田さんを後方へと追い払った。 千雨: な……薙刀?そんなもの今まで、どこに……っ? 美雪(私服): ぁ……西園寺さん、その武器ってまさか……?! 川田: ……ッ……! 川田さんが舌を打ちながら、引き金を引くと同時に……西園寺さんが素早く手首をひねり、薙刀を回転させる。 指揮者がタクトを振るうような、軽い動作。それだけで巫女に迫る鋭い閃光が、薙刀の刃に弾かれていく……! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: さっき聞かれた、1つ目の質問……別の「世界」の記憶がある理由を聞いてきましたね。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: これが、それに対する答えです。 美雪(私服): なっ……そ、それは……?! 薙刀とは反対の手に握られた「それ」を見て、私はあっ、と声を上げる。 色や光の感じは、少し違うかもしれない。でも、そこに秘められた力の波動は確かに……ッ!! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 今の私は、あなた方が『ロールカード』と呼ぶ札……同じものを授かっています。だからこそ記憶を保ち、そして――!! 飛来してきた光の弾丸を、西園寺さんは目にも止まらぬ動きで叩き落とす。 間違いない……この人も、「カード」使いだ! 美雪(私服): で……でも、どうしてっ?「カード」は「世界」を移動したら、粉々になって使えなくなるのに……! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……あの「世界」にいた時、私の手元には「これ」がありませんでした。だから、戦えなかった。守れなかった……。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: け……どッ! 再び放たれる弾丸を弾き返しながら、西園寺さんは一気に川田さんとの距離を詰める。 川田: ……くっ! 細腕に似合わぬ裏拳が顔面に迫り、とっさに川田さんはそれをライフルで受け止めようとしたが――。 川田: ッ……! わわわっ! そのまま背後へと飛びすさり……いや、吹っ飛ばされた?! 美雪(私服): 今、一瞬川田さんの身体……浮いた?! 浮いたよね? 千雨: ……やっぱりか!昨日腕を掴んだ時、おって思ったんだよな!結構鍛えてるぞ、あの巫女さん! 川田: ……くッ……?! 千雨の楽しげな#p快哉#sかいさい#rが聞こえる中、距離を取った川田さんによる連射をなぎ払いながら……西園寺さんが私に顔を向け、そして言った。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 美雪さん……お願いがあります。私のこと、西園寺さんじゃなくて……絢花って、呼んでくれませんか? 美雪(私服): ……絢花、さん。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……はい。絢花……絢花です。 噛みしめるように西園寺さん……絢花さんは何度も何度も頷いて……。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……ぁは……あはは……っ……! 子どもみたいに、くしゃりと顔を歪めた。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 絢花って呼んでもらえるの……10年ぶり……。この「世界」の私は、古手梨花の偽者にすらなれなかったから。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 絢花の名前は、古手梨花の粗悪な代用品としてつけられた嘘の名前……。だから、とても……とても……とても、嫌いだったのに。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: でも今、その偽者の名前を美雪さんに……一穂さんと菜央さんのお友達に呼んでもらえて……。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 嬉しいな……なんだか、昔に戻ったみたい……! 美雪(私服): 絢花さん……? #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 私……10年前、前の「世界」で死んでこの「世界」で目を覚ましてから、ずっと、ずっと……一穂さんと菜央さんに、会いたかったんです。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: でも、私には探す手段も何もなくて、なんとなくそれっぽい情報を集めるだけ集めて……。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: でも、違っていたら嫌だから、確かめるなんてできなくて……。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: あの「世界」以上に、周りに流されるだけの……ただ死んでないだけの、無意味な10年を過ごしてきました。 カァン、と高い音とともに銃弾がなぎ払われる。 明後日の方向へと飛んでいくそれを、目で追ってみせながら……とても、晴れやかな笑顔。この人はこんな表情もできたのかと、正直驚いた。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: でも、今、ようやく……ようやく、10年生き抜いた意味が、見つかった気がします。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 私の10年の歳月、そして命は……今、この瞬間のためにあったんだって。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ありがとう。美雪さん。1度はあなたを疑い、知らないと嘘をついたことを……。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 人を信じられなかった私の弱さを……どうか、許してください。 美雪(私服): あ……絢花、さんっ……! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: あなたなら、きっとできると思います。菜央さんを……私の大切なお友達を、お願いします。そして、一穂さんに会ったら伝えてください。 #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……たとえどんな結末になったとしても、私はあなたを信じて――全てを受け入れるとッ!! 川田(私服目開): ふざ、けるなぁぁぁあああぁっっ!!! 血が迸るかと思うほどに、川田さんの怒りに満ちた叫び声が轟きわたる。 ……今まで、こんなにも激しい感情をむき出しにした彼女を見たことがあっただろうかと目を疑うほどに、その#p咆哮#sほうこう#rは恐ろしく、禍々しさに彩られていた。 川田(私服目開): ……西園寺、絢ッ!あなた、本気で頭が悪いんですかッ?!それともおかしくなったんですか?! 川田(私服目開): 自分が今、やろうとしていることの意味をわかっていないでしょう?!理解していたら、邪魔なんてできるはずがないッ!! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……いえ、理解しています……!だから一日、迷いに迷って迷った……! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: でもッ! これが私の、私が選んだ運命だ……! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: こんな、偽りで塗り固められた命なんてクソ食らえだッ!ここにいるのは、10年前に死んだ古手絢花の亡霊! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 亡霊には、何も成し遂げられない……当然の理ッ!でも……生きた人の背中を押すことはできるッ!! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: 美雪さん! さぁ、早くッッッッ!! 千雨: おい、急げ美雪! 美雪(私服): っ……絢花さんっ! 急がなくてはいけないのはわかっている。でも、走り出す前にこれだけは……これだけは伝えておかないと! 美雪(私服): 一穂と菜央に、居場所をくれてありがとう!寝床とかご飯とか……正直心配だったから、安心した! 美雪(私服): 帰ってきたら、私とも友達になってよ!年、結構離れてるけど! それでもよければ! #p西園寺絢#sさいおんじあや#r: ……えぇ、もちろんです! 美雪(私服): ありがとう!……行こう、千雨! 千雨: 頼んだぞ、絢花さんっ! 千雨とともに走り出す。 注連縄までの数メートルが……あまりにも長い。 急げ、急げ、急げ……!一刻も早く、輪の中へ……! 川田: い……行っちゃダメ! 戻ってください!こいつは知っているようで、何も知らないんです!真実もどきのファンタジーに食い殺されないで! 川田: ダメっ、その先は……ッッ!!! 背後から……なぜか、川田さんの悲鳴が聞こえる。けど、何を言っているのかよくわからない。 全速力を出した反動か、耳の奥がうるさい。隣を走る千雨の姿だけが微かに見えるけど、それ以外は目の前の輪しか捕らえられなくて。 千雨とともに、「門」を形作る注連縄へと飛び込んだ瞬間。 夜の大海に漕ぎ出していく草舟の気持ちが少し、わかった気がした――……。