Ⅰ 勇者といんとん



 六月中旬。時は一四時半を回る。

 ようこうが森に降り注ぐ。木漏れ日の光は強く、白い。もう初夏の陽気だ。

 森の中は青々と緑が茂っていた。背の高い草木。き出しの茶色い土は、栄養をたっぷりと吸っている。この隣小島は常に生命の躍動にあふれていた。

 人を食らいにくる化物どもを殺し、その血を吸って森や土が成長するからだ。

 そんな森の中を、大きな音が響き渡る。

 一つは何かが転がるような音だ。併せて、森の木がつぶされる音が連鎖する。

 同じく、断続的に上がるげきてつ音──ガン! ガン! と巨大な鉄棒をたたきつけるような重音が鳴る。そのリズムに合わせ、爆発音が起こっていた。

 深い森の中を二体の異物が通り過ぎる。

 一つは巨大な大玉だ。転がり続けるそれは、全長二〇メートル近い。進行上にあるものすべてを潰していく。太い幹は折り倒され、下敷きになる。草花は散るように舞った。

 並走するは、鋼鉄の鬼──Iz-42C・試作せんそう鬼灯ほおずき】だ。

 一四・五メートルのそうしんを黒と赤で塗る。両肩に巨大ブースターを一基ずつ。併せて二刀も担ぐ。足下の巨大タイヤロードホイールが土と草を巻き上げる。

 鬼灯は大玉を追い掛けていた。

『クソ! 止まれっ! この! このっ!』

 鬼灯の外部スピーカーから、搭乗者・いちあおいの声が上がった。

 鬼灯は右手に持ったリボルバー式グレネード【クロガネ】を撃ち続ける。

 大玉がれんのカーテンに包まれる。しかし次の瞬間には、炎をきわけて、鬼灯よりも大きな大玉が姿を現す。

『オーガゼロ! そのままでいいわ! もうすぐ森を出る! そこで【ブラックウィッチ】とエンゲージ! あとはセレンに任せなさい!』

 鬼灯のコックピットモニターに、長い黒髪の少女・九重ここのえが映る。

 バイク型のシートに座る葵はライダースタイルだ。赤と黒の防護服で身をまとう。鬼灯が乱暴な機動を取るたびに、大きな乳房が跳ねて揺れた。セミロングの茶髪──その前髪のすきからは、勝気なそうぼうがギラついていた。葵はどうもうに笑う。

「ハっ! ヤなこったっ! この玉コロ野郎! 可愛かわいいセレンにしか目が行ってない! セレンが痛い思いしたらどうすんだ!」

『今のデストブルム相手じゃ返り討ちだと思いますけど……。でも、葵さんならそう言うと思ってました!』

 今度は、幼い少女がモニター横に映る。ようあかねだ。つり目気味の目元が特徴的である。

『エンゲージポイントに新しい武器を置きました! なんだか良く分からないけど兵器の四アームズ・フオーからだそうです!』

飛鳥あすかの発明!? やっば! すごそうじゃん!」

 あおいは目を輝かせる。今度は少年の顔が、あかねの下に表示された。

せいかい本部よりオーガゼロ。ブラックウィッチ到着まで、まだ三分ほどかかる見込みだ。司令が新武器の性能を見たいと言っている。ぶっつけ本番になるが出来るか?』

 少年・むろなつがそう聞いた。葵は声を弾ませる

「もちろんです! 隊長、待ってて! カッコいいとこ見せるから!」

 モニター向こうでが『ちっ』と、面白くなさそうに舌打ちする。夏樹はがんした。

『油断と無理は厳禁だ。よし、頼む!』

 葵は心底うれしそうに「了解!」とこたえた。

「よっしゃぁあああああ!」

 葵がそうじゆうかんのトリガーを外側に弾く──鬼灯ほおずきが弾切れになったクロガネを捨てた。

 鬼灯の両肩が点火する。二基のブースターが推進力を高めた。ロケットダッシュで鬼灯は大玉を抜く。森の出口が見えてきた。鬼灯は勢いよく森から跳び出す。

 視界に鋼材の敷き詰められた高原が広がった。鋼材の接合部分が四角形の模様を作っている。巨大タイヤロードホイールが鉄を擦り、鬼灯は火花を上げて接地した。一度バウンドしてから滑走を続ける。続いて巨大な大玉が人工のコロシアムに落ちてくる。敷地に巨大な球状のくぼみを作った。

「ぐるるるる

 大玉から獣のうなり声が上がる。

 大玉は、団子虫が身体からだを伸ばすように全容を現す。その顔は獣面だった。胸部には大きな口。手足は短く、小さな尻尾しつぽしりから跳び出す。全身が厚いけんこうに覆われている。

けんろう型】は、となくアルマジロを思わせるクイーンだった。

 やや首を上げるかつこうで鬼灯がたいする。鬼灯は【巨大な金棒】を地面に突き立てた。

『お互いにたくが整ったところで……第二ラウンド!』

 鬼灯が両肩のブースターを点火させる。中段に金棒を構え……振り上げた。

 激打音──堅牢型の横っ面が殴られる。よだれ飛沫しぶきも一緒に飛んだ。

 鬼灯は全身を振り子に変える。全力で金棒を振り回し続けた。顔や肩、腹に金棒が浴びせられる。堅牢型は、痛そうな素振りは見せるものの、その外皮には傷一つ付かない。

 鬼灯が堅牢型の上に跳び乗る。今度は頭上から金棒を振り下ろした。はたから見れば非常にコミカルな絵面だが、葵は至って真剣に戦っている。コックピット内で葵はれた。

「これ使えないじゃん!」

『葵ちん! アレを使うんだ!』

 突如、眼鏡めがねの少女がモニター横に映った。葵は眼鏡少女に「アレ!?」と聞き返す。

『武装カーソルにあるドクロマークを押すんだ! その後に、せい穿せんついのヘッドをクイーンに思いっきり打ちつける! ガツンと!』

ふしさん! 許可なしに作戦中の通信を行ってはいけません!』

 モニター向こうでしかった。あおいはモニターを見直す。

 モニター底部には、武装を示すアイコンが並んでいる。現在は金棒のアイコンにカーソルが合わさっている。葵はそれを親指で押す。

 画面中央に〔ドクロマーク〕の電光スイッチが表示された。葵は素早くそれも押す。

『大人しく、しろ!』

 外部スピーカー越しに葵が言う。足元で暴れるけんろう型の背中に、鬼灯ほおずきが金棒を突く。

 突如、金棒の表面がカギ爪のように変形した。金棒の中から〔ドリル〕が現れる。

『ド! ドリルぅ!?!?

 葵の仰天声が周囲に響く。ドリルが強烈に打ち出された。堅牢型の外皮に小さなヒビが入る。ドリルの先端が、わずかに外皮へ侵入していた。ドリルが急速回転を始める。

「うおぉおぉっっおっおっ!」

 コックピットが揺れる。葵の全身もだ。特にその大きな胸が小刻みに震えた。でん付近から、かつてない振動を葵は感じる。

 金属同士が削り合うような音──火花を上げてドリルと外皮がぶつかり合う。

 外皮のヒビが広がっていく。堅牢型が痛がるように鳴き声を上げた。

 ドリルがみるみる堅牢型の体内に入って行き……ドリルと金棒が取り外しパージされる。コックピットモニターにデカデカと〔5〕の数字が現れた。

「な! 何だコレ!?

〔4〕〔3〕とカウントダウンしていく。

 葵は猛烈に嫌な予感がした。そうじゆうかんを思い切り引く──鬼灯が後ろへと退いた。

 血肉の花火が上がる。

 堅牢型の体内で爆発が起こったのだ。黒い血や外皮を周辺にばらいた。

「っ!?!? なん……つう、物騒なもんを!」

 葵は顔を青くする。堅牢型は、後頭部から丸い背中をごっそりと失っていた。

 一歩間違えればこちらもおぶつだ。葵は着地しようとして、突然の浮遊感を感じる。

 モニターを見た葵に喜色がにじんだ。

 黒い、じよ帽子をかぶったような巨大ロボット──デストブルムが映っていた。

 鬼灯の腕や腰には、鋼鉄のつるが絡まっている。葵は言った。

「セレン! ナイスキャッチ!」

『葵、お疲れさま』

 デストブルムから少女の声が上がる。続けて、中の少女はデストブルムに命じた。

『クロ! 終わり!』

 魔女帽子の内側──デストブルムのアイカメラ──が、パールから赤に変わった。

 デストブルムが二本の蔓を勢いよくしならせる。

 べんげきせん────鋼鉄のむちが×の字を描く。

 真っ黒い血が噴水のように上がった。四つのブロックになって、けんろう型は地面に転がる。

 一刀両断だった。接敵して五秒も掛からずに終幕を迎えた。

 デストブルムは目の色をパールに戻す。担いでいた鬼灯ほおずきを地面に下ろした。

『やったね!』

『うん』

 鬼灯が右手を上げると、デストブルムが鬼灯の右腕につるを絡ませる。

 一四時三九分────堅牢型の襲撃は、鬼とじよのコンビによって阻止された。



 スーパーコンピューターがダース単位で並ぶ。正面には三つの巨大モニターを掲げる。

 映画館をほう彿ふつとさせるこの場所は司令管制室だ。ここにいるのは一一名のせいかい役員。先ほど指示を出していたあかねなつの姿もあった。

 夏樹はあんの息を漏らす。着ているのうりよくのブレザーは、むろじゆくの制服だ。

 目鼻立ちのはっきりした甘いマスクをしている。一〇人見れば、一〇人が認めるような色男だ。夏樹は振り向き、首を上げた。

「司令。状況終了です」

 一際高い位置にあるのは司令席だ。座るのは、最近は毛皮のコートを着なくなったろうである。老婆・氷室らいちようくわえていた煙草たばこを灰皿に押しつける。

「大した手際だ。人出が足りない時は生途会こつちも手伝ってもらおうかねぇ」

「自分は現場の方が性に合ってます。やはり落ち着きません」

 夏樹は笑顔を取りつくろう。それから生途会役員たちに視線を向ける。

 皆、笑顔で帰投命令を出している。巨大モニターからは部下たちのうれしそうな声が飛び交っていた。彼らを見て、夏樹は笑みを深くした。

 ──もう……大丈夫だ。

 夏樹は再び雷鳥の方を向く。

「司令、このあと少しよろしいですか? お話があります」



 西暦二〇七〇年──人類は【マリス】と呼ばれる怪物と戦争をしていた。

 マリスに奪われた命は十億以上にも上る。平和の二文字は地球上から無くなり、半世紀以上が過ぎた。人類はいまだ、この劣勢を覆せていない。

 追い込まれる人類を支えているのは二つ──生贄武器の存在だ。

 優先ぎやく対象者【ヘキサ】を一か所にかく管理し、マリスの侵攻を意図的に限定させた。

 ヘキサでおびき寄せたマリスを、対マリス戦用決戦兵器【ネイバー】で殺す。

 人類は生きたいがために、ヘキサをおとりとして利用している。

 同じ人間を差別することで、人類は自分たちの命と尊厳を保っていた。

 同日の夜。ここは寮代わりに当てられた生徒のマンションの一室である。

 一五畳のリビング──壁際に、所狭しと通信機器が並ぶ。どれもが軍用品だった。

 二四面の監視モニター。弁当箱が三段並んだような通信機。これは広帯域多目的無線機である。それらは一般人が所持できる代物ではなかった。

 リビング中央にはモダンな机だ。机上には四〇インチの光学画面が二つ浮かんでいる。

 PCの前には一人の少年が座っていた。金髪に染めた髪を、トップで立てている。ソフトモヒカンという髪型だ。その目元は刀剣のような鋭さを帯びている。

 彼の名前はななおうぎ大和やまと──むろじゆくの三年生である。

 大和は、けんしわをより深いものにした。

 地図データ・円グラフ・棒グラフ・折れ線グラフ──画面に表示されているのは様々なデータ群だ。氷室義塾のマリスとの戦績がモニターに映し出されている。

 戦闘時間、戦費、動員数、死傷者数と、様々な情報がデータになって表示されていた。

「短期間で、これだけの大戦果を……こんなの武蔵むさしじいさんがいた時以来だ」

 大和はしきりに画面のウインドウを切り替える。過去データとの比較を行っていた。

 現在の機兵部の部隊規模はかつての半分にも満たない。それなのに、全盛期の戦果と同等以上の数値を出してしまっているのだ。

 大和は光学画面の一つを指で払う。画面は写真映像に切り替わった。

 映ったのはあかねあおい鬼灯ほおずきのバストアップ映像だ。

ようあかね……妖精の三フエアリー・スリーせいかい復帰がまずでかい。生途会の指揮系統はばんじやくになり、学園の切り札だったいち九重ここのえ会長の【ギロチンタッグ】がまた使えるようになった……これはいい。知りたいのはそのきっかけだ。どうして陽葉はまた生途会に戻ってこれた? それにあれだけ【鬼灯ほおずき】に乗るのを拒んでいた一ノ瀬が、いまごろになってどうしてこの機体に……」

 大和やまとはまた光学画面を指で払う。今度はセレンとデストブルムが映り出された。

「次にネイバーフッドと黒帽子、このペアもだ。まさかここまで大化けするとは……。天井知らずの武装・性能の代償に、制御は困難を極める【デストブルム】。それを、あの気弱なネイバーフッドが乗りこなしている……着目すべきは、その内面の変化だろう──」

 大和は再度、画面を指で払う。一人の少年が映し出された。

「そしてこの生徒……すべては、コイツが学園にやってきてから変わっていった」

 廊下を歩いているところを盗撮したものである。彼はこの春に転入してきた、一般人の生徒だった。

「本土からきたむろの血縁者。一般人印ナシ。二人目の特別義務生徒S・D・Sにして、なぞの新型兵器の専任パイロットという触れ込みだが──」

 大和は当面の調査対象を、彼に定める事にする。

「氷室なつ……か」



 翌日──時は一〇時だ。

 雲は無い。青々とした空がどこまでも広がっていた。太陽光を反射して海が幾重にも光の層を作っている。海上に一そうの漁船が浮かぶ。漁師の夫婦が引き網漁を行っていた。

 船上の自動巻き取り機ウインチが網を巻き上げている。突如、自動巻き取り機ウインチが止まった。すると船体が大きく傾く。漁師・夫が船から落ちそうになった。

 そして……二人は目をまん丸に広げる。

 海面を盛り上げ、クジラが天へと飛び出した。クジラの次に海中から現れたのは黒い大怪獣……漁師・妻は泡を吹いて気絶した。

 全長二四・九メートル。重さ一〇一トン。

 頭から背骨とろつこつを伸ばしたようなボディをしている。有機的で、どこかほう動物のようにも。手足が無い代わりに四本のマシンアームとテールユニットを持つ。

 クジラを持ち上げて現れたのはデストブルムだった。

 デストブルムから、茜とセレンの声が流れる。

『特務! 封鎖エリアから出ちゃってます! ってクジラぁ!?!?

『大漁』

 デストブルムに捕まったクジラは、空中でぴちぴち尾を振っていた。

 次にの声が流れてくる。

『セレン。デストブルムの様子はどう?』

『……気持ちいい。クロ、水好き』

 二人が話す中、船上の漁師・夫が「トミ子ぉ!」と妻を介抱する。

『飼っていい?』

『そんな大きな物、どうやって世話するの。逃がしてあげなさい』

 セレンが質問すると、ため息混じりにが返した。

 セレンが『お行き』と言う。デストブルムが捕まえたクジラを海に返す。

 海面が大揺れを起こし、漁船が一八〇度ひっくり返る。そのまま大波にみ込まれた。

 デストブルムは即座に鋼鉄のつるを海面に突き刺すと、海中から漁船を引き上げた。



 デストブルムが超巨大ハンガーに背を預ける。固定用のロックボルトが、デストブルムの背中や腰後ろに差し込まれた。

 そんなデストブルムを足元からにらみ付けるように見上げるのは、おかんむりようあかねだ。

 長い髪を左右でまとめる。幼いおもちは一二歳という年齢にぴったりだ。せいかいの制服である、のうこんの士官服を着ている。腰には、白いアザラシのヌイグルミを抱えていた。

「も! 特務! いくら実験だからって、あんまりデストブルムの好きにさせないでください! 漁師のオジサンに、在り得ない感じでキレられたんですから!」

 デストブルムが首を下に向ける。パール色のアイカメラが茜をとらえた。

 茜はビクっと腰を引かせる。デストブルムを怒らせたかと思ったのだ。すると──

 デストブルムの帽子のすきから、セレンティーナ・エングヴィスが顔を出した。

 金色の長い髪とライトブルーの大きなひとみ。例えるなら西洋人形のような少女だ。現在は黒いパイロットスーツを着ている。

 セレンの場合、容姿と年齢が一致しない。茜と同年代くらいに見えるのだが、実際の年齢は一五歳である。セレンは「下ろして」と、デストブルムと頭を二回たたいた。

 デストブルムが蔓の一本を伸ばす。セレンの身体からだに巻きつき、茜の前へと下ろしていく。茜は「ホヘぇ」と、口を開けた。セレンが着地する。鋼鉄の蔓がセレンのほおでた。蔓は消火用の放水ホースくらいの太さがある。撫でられる度にセレンの頭は大きく傾いた。

「なんか、すっかり仲良しですね」

 茜があきれたように言う。セレンは蔓に抱きついて「仲良し」と微笑ほほえむ。

 デストブルムは自分の意思を持っている。セレンが深層に眠っていたデストブルムの声を聞いた事で、その自我を表に出すようになっていた。

 最近ではロボットというより、セレンのペットに近い。少なくとも茜はそう思っている。

 不意に鋼鉄の蔓が、セレンの身体を巻き取った。

「きゃ! クロ、いたずら!」

 セレンが宙に浮かぶ。セレンは小柄なくせに胸だけは大きい。最近はFカップからGカップに成長済みだ。つるに縛られる事で、セレンの爆乳が強調された。

 そんな様を見てあかねじやつかん引く。

「なんか特務……触手モノのエロゲーヒロインみたい」

 セレンは分からなそうに首をかしげる。本日のデストブルムのテストは終了を迎えた。



 一三時。本日の業務を終わらせたセレンとなつが歩道を行く。早い帰路についていた。

 のうりよくのブレザー制服に着替えたセレン──夏樹の制服のすそを摘んでいる。左手に白いアザラシのヌイグルミを抱えている。セレンは心配そうに夏樹を見上げた。

 夏樹はというと非常に眠そうである。歩きながら、首をコク、コクと落としている。

 その度にセレンが、慌てて夏樹のほおをペちぺちたたいた。

 夏樹は本日、三日ぶりの帰宅だった。新しい任務に取りかかっているとしかセレンは聞かされていない。髪や肌に脂が浮いている。風呂に入っていないのだなとセレンは思った。

 頰を叩かれて「すまん」と夏樹が目をまばたかせる。異世界の英雄とはいえ、完徹三日はさすがにこたえていた。夏樹は両頰を強く叩く。

 むろ夏樹とは彼の本当の名ではない。彼の名前は【エイルン=バザット】

 この世界ではアニメと認知される【ドール・ワルツ・レクイエム】の世界から、この世界にやってきた少年戦士なのである。

 現在はむろなつと名乗り、この世界とセレンを救うために日夜戦っている。

 セレンは夏樹の手を引く。近くの公園で夏樹を休ませようと思った────

 ひるがえって……夏樹はれいな公園内に視線を渡す。

 セレンから、共用の場所だと教えてもらう。夏樹はこの島の豊かさをみ締める思いだった。こういう共用施設が市民に与えられるのは、統治組織が豊かな証拠だ。そして、共用施設が綺麗なのは治安の良さの表れである。

 貧しい国や星を渡り歩いてきた夏樹はそれをよく理解していた。中央の慰霊塔を見上げる。夏樹は「落書きがない」と、感動した。それから信じられない物を見つけてしまう。

「み、水がっ!?

 夏樹が急に早足になった。セレンも慌てて追いかける。夏樹が見つけたのは噴水だった。

「今は戦時中だろ……どうしてこんな物? セレン、これはいったい何に使うんだ?」

 噴水なんて物を夏樹は初めて見た。夏樹の生まれ育った〔月〕は、食事も水も完全配給制だ。子供の時分は、雨が降れば、ドラム缶を担いで外に飛び出したものである。

 聞かれたセレンは噴水の用途を考える。間を置いて「……見る?」と、疑問形でこたえた。

 夏樹はじゆうめんを浮かべる。

「なんて、もったいない……」

 夏樹からしてみれば、一般家庭に水が引かれていることがまず考えられない。

 この世界に住み出したばかりのころは「個人で毎日シャワーを使うなんて」と、喜びよりも後ろめたさが勝っていたものだ。せめて自分は……と、使用は五分以内にとどめている。

 夏樹は「よし」と、制服を脱ぎ出す。ここで汚れを落としていく事に決めた。片やセレンは度肝を抜かれて後ずさる。セレンが見る中、夏樹はトランクス一丁になった。

 そして、迷いなく噴水の中に飛び込んだ。

「な! 夏樹!?

「ハハ! 目がえるな。セレンもどうだ? 冷たくて気持ちいいぞ!」

 夏樹は喜色満面で噴水をシャワー代わりにする。

 ちなみに公園には二人以外にも人がいた。一般市民から見れば、夏樹の奇行は、最近のほうな若者に映った事だろう。

 夏樹は水をすくってバシャバシャと顔を洗う。そんな夏樹の手をセレンはつかんだ。

「き! 汚いから止める、うぅ!」

 思い切り引く……が、ビクともしない。逆に夏樹の方がセレンの手を引いた。

「? 何を言ってるんだ。透明で綺麗じゃないか。君も入れ。ここで洗っておけば家で水を使わずに済むんだ。いい思いつきだろ?」

 セレンはのど奥から声を漏らした。夏樹の手を摑んだ事を激しく後悔する。

 そしてセレンは見てしまう……隣の水面に浮かぶ、お好み焼きのような物体を──

 セレンはこの世のすべての酔っ払いを恨む。ヌイグルミをほうって本格的な抵抗を見せ始めた。

「むうっ! むーむーっ!」

 セレンは涙目になってなつの手を外そうとする。しまいにはバシバシ夏樹の腕をたたく。

 許否していることを懸命に伝えた。でも夏樹は、それをセレンの照れ隠しだと思った。

「はは。服なんて帰ってからまとめて洗えばいいんだから──」

「ちょっと君! ここで何をしている!」

 そんな夏樹を止めたのは、年若い制服警官だ。そばには女性警官もいる。

 夏樹は一瞬、きょとんとなった。セレンはそのすきに、夏樹の手からおおせる。

「半裸の変態がとしもいかない少女に、いかがわしいをしていると通報があったんだ」

「な! なんだって!?

 警官の言葉に、夏樹は目が覚める思いだった。

 白昼堂々、そんな凶悪事件が起こっているなんて……夏樹はその変質者に強い怒りを覚える。いち軍人として、彼らに協力を申し出た。

「くっ! どこにでも外道はいると言う事か! 場所は!? おれも手伝います! 早く、その子を助けにいかないと!」

 男性警官はまゆひそめる。『何言ってんだ、このパンいち?』と、思われているなど夏樹は夢にも思わない。男性警官は語調を強くした。

「お前の事だ! この変態め! こんな小さな子に何をしようとしていたんだ!」

 凶悪犯罪に巻き込まれた少女セレンは、おろおろと警官と夏樹を見る。

 一方の夏樹は……その目を細くする。すぐに分かってしまった。この警官の魂胆が。

「こんな天下の往来で! 恥ずかしいと思わないのか!」

 夏樹は、ほらと思った。次に来るのは大方『見逃してやるから金を出せ』という決まり文句だろう。様々な星や国で任務を行ってきた経験で夏樹は知っている。

 現地で本当に注意すべきなのは、チンピラやマフィアではなく汚職警官だ。やつらは権力を盾に、市民をいたぶり、私腹を肥やす。

 おそらくは『ここは俺たちの縄張りだ』とでも難癖をつけ、ゆすりにでも来たに違いない──夏樹はそう勘違い看破した。

「ここは共用の施設と聞いている。また、遊泳禁止等の警告もりだされていない。よって俺が貴方あなた方にとがめられるいわれはない」

「いっ! 一般常識の話をしてるんだ!」

「貴様の腐った公理観念など知るものか! この汚職警官め!」

 二人は激しく言い合いを始める。それを見ているセレンは泣く寸前だ。夏樹の手を後ろから引いて「ごめんなさい」と、謝り始めた。

 しかし夏樹の熱は上がるばかりだ。つばを飛ばして警官たちをとうする。

「国家権力が何のためにあると思っている! 市民を守るためだろう? それを悪用するこの小悪党が! 恥を知るのはお前らの方だ! 貴様らのような奴がいるから国から民の心が離れてしまうんだ! 貴様は何のためにその制服をまとっている!」

 この状況が、夏樹の中の悲しい記憶を呼び覚ます。

 戦火で家を焼かれた、てんがい孤独の子供──彼は家族代わりに一匹の子犬を連れていた。その子犬を悪徳警官二人が取り上げ、サッカーボールのようにって遊んでいたのだ。

 その悪徳警官たちに、岩をも砕くエイルンパンチがさくれつしたのは言うまでもない。

 そんなにんめんじゆうしんの非道と、目の前にいる制服警官が……なつの中で今、重なった。

「貴様のようなやつがいるから、市民はいつまでもおれたち軍人を信じてくれないんじゃないかっ!」

 夏樹は心からの叫びを上げる。パンツ一丁で。

 警官たちの顔が洒落しやれじゃないほどにゆがむ。セレンはどうしていいか分からなくなった。

「ふえ……ええん、うええええん!」

「っ!? よくもセレンが泣かせたな!」

 ついに夏樹のかんにんぶくろが切れる。男性警官の胸倉をつかみ上げた。



 その晩の事である。自室の光学PCの前で、大和やまとが腕を組む。

 大和は日中の間に盗撮した、むろ夏樹の行動記録を見ていた。

「こいつ……ただのバカなんじゃないか?」

 パンツ一丁で公園の噴水で水浴びを始め、注意してきた警官に逆ギレして襲い掛かる高校生──そんなものを大和は初めて見た。

「ま、まあ始まったばかりだ。明日は奴の周辺にも気を配ってみよう」

 不意に呼び鈴が鳴らされる。大和は「きたか!」と、財布片手に玄関へ飛び出した。

「もう、ほんと。いつもご苦労様です。お重、洗っておくんで。ありがとうございまーす」

 人当たりの良い声が玄関から聞こえてくる。しばらくして大和が、黒漆のお重を手に持って戻ってきた。手に持つお重は、うなぎ専門店の特上ウナギ弁当だ。

 大和はリビングに掛けられている鏡を見て、自分に言う。

ななおうぎ大和。これは立ち返るための手段だ。自分が高貴な者であると、忘れないようにするための食であって、断じて本能を満たすためのものではない」

 鏡の前でキリ! と顔を作る。それからに座り、お重を開けた。

 大和は「ほう」とため息を漏らす──ほうじゆんなタレが絡まった二枚の肉厚な鰻。食欲を刺激する濃密な香りに、大和の鼻孔はくすぐられた。

「さすがは四五〇〇円。俺に食べられるなんて幸せなウナギ様だいただきます」

 大和は流れるような所作で手を合わせ、割り箸を割る。一枚目を取り、口に運んだ。

「もぐ……はぁ。機兵部をやめてからは月一回の楽しみになってしまったな」

 大和の表情が憂いを帯びる──大和は元々、機兵部の出身だ。

 初代機兵部こと【かん大隊】はかつて、主に五つの中隊から構成されていた。

 本陣警護中隊【ゼロ番隊】

 援護機動中隊【二番隊】

 ようどう配置中隊【三番隊】

 砲撃支援中隊【四番隊】

 かくらん機動中隊【五番隊】

 そして、単独戦闘の許された、独立小隊【一番隊】と【六番隊】だ。

 隊長には【規格外十番テンナンバー】と呼ばれる学園屈指の実力者たちがく。

 彼らは当時のむろじゆくの名を天下に知らしめた。

 だが三番隊だけは神無木緑の推薦で一般部員が預かっていた。それが当時の大和やまとである。華々しい戦果を上げる他の隊長に比べ、大和は非常に影の薄い存在だった。

 でもそれは、えてそうなるように大和が振る舞ったからである。

 かんみどりとテンナンバーの威光を高めるべく……大和はどこまでも〔影〕に徹したのだ。

「光あるところ、ずず。影あり。影が暗いほど光は強く、なるからな。ずず」

 大和は当時を立ち返りながら、肝吸いをすする。ふと、窓ガラスを擦るような音が聞こえた。振り向くと、ベランダに〔とらじまの不細工なデブ猫〕がいた。

「……ニャンタス。まったく、毎夜ご苦労なことだな」

 大和は小さく笑った。お重を置いてベランダに向かう。窓を開けるとデブ猫が中に入ってきた。大和の脳裏に機兵部・初代部長の顔がよぎった──


《ニャンタス!! あなたまた来たのぉ!? もう! 食いしん坊ね!》


 このデブ猫に抱きつくいろの髪の少女……多くの生徒にとっては太陽のような存在だった。大和の笑みが深くなる。

「……あいつが死んでからは、おれにばかりたかりおって。待ってろ。今、オマエの分も出してやろう」

 大和は押入れを開けて猫缶を取り出す。振り返ると、猫がうな重に顔を突っ込んでいた。

「おぃいいいいいいいぃいいぃいいぃ!」

 ──くわえられたかばやきが踊る。──熟成ダレのかかった米の園は、猫の前足によって無残に踏み荒らされる。──ニャンタスは世にも凶悪な猫相で、大和のうなぎむさぼる。

「この駄猫ぉぉ!」

 大和が猫に飛び掛かる。うな重を取り上げようとした。しかし暴食のとりこになったニャンタスは大和の鼻を引っかく。大和は眩暈めまいに襲われたかのようによろめいた。

 一秒ち、二秒経ち……ゆらりと猫を上から見下ろす。

「この大和様に爪を立てるとはいい度胸だ……もう今日という今日は我慢ならん」

 大和が再度、デブ猫へと飛び掛かる。デブ猫も二枚目の鰻を咥えながら応戦した。

「宗家仕込みの古武術! そのだらしない身体からだに打ち込んでくれるわ!」

 大和とデブ猫の仁義なき戦いが始まったが、しばらくして隣の部屋から苦情がくると大和は平身低頭で謝った。