Part 01: 梨花(私服): んっ……ぁ……っ。 寝つきが浅かったのか、夢見が良くなかったのかはわからないが……起き上がってからもしばらくの間意識がぼうっとして定まらない。 とりあえず、顔でも洗えば少しは眠気が抜けてすっきりするだろう。そう思って私は布団を出て立ち上がり、洗面所に行こうとして――。 梨花(私服): …………。 ふと、横目に流しかけたカレンダーの前で足を止め、昨夜のままになっていた日付の紙を引きちぎって今日のそれを表示させる。 6月18日、土曜日。分校での授業は午前で終了し、昼食はお弁当ではなく家に戻ってから素麺の予定だ。 ただ、普段であれば午後は魅音たちと一緒に部活か、もしくはお出かけだの買い物だので過ごすところだが……今日は、#p綿流#sわたなが#rしに備えた予行演習が入っている。 そこで奉納演舞の段取りを始めとした手順を確認し、明日の夜に行われる本番に臨むことになっていた。 梨花(私服): ……もう数えるのが面倒なくらいに同じことを繰り返してきたから、やらなくても支障はないんだけど。 時間配分をどのように行い、舞台のどのあたりで撮影のための見栄を切るのかも頭でなく身体が記憶しているほどだ。 最初の頃は、あまりにも完璧に立ち回るものだから「さすが梨花ちゃまだ」と年寄り連中から絶賛されて、多少いい気にもなっていたものだが……。 今となっては、同じ台詞を聞かされるだけだとわかっているので……褒められて喜んでみせるのも正直煩わしくて、面倒にすら感じていた。 かといってわざと失敗でもしたりすれば、おそらく彼らの不安が消えるまで……練習時間を延ばされるだけに決まっている。 だからやむを得ず渋々、私は『オヤシロさま』の巫女として老人たちが望む「古手梨花」を演じることになる。 実に義務的かつ事務的な対応でやる気も起きないが、これが一番無難で楽なのだから仕方がない。 ……むしろ大事なのは、その後。綿流しが終わって以降こそが色々と備え、立ち回るべきことが課せられていた。 梨花(私服): (……明日の夜、富竹は命を落とす。何者かに襲われ、自ら喉を引っ掻いた末に動脈を突き破って……) それをきっかけにして、私の周囲の人たちの様子がおかしくなるのだ。突然何者かの存在に怯え始めたり、ありえないほどの狂気をむき出しにしたり……。 もちろん私は、その豹変が何を原因にして起こるのか真実を一応把握している。そして、その責任の一端を担っていることに対して……申し訳なくも感じていた。 ――『#p雛見沢#sひなみざわ#r症候群』。雛見沢に住む者であれば誰しもその病原体の因子を体内に有している……この地における風土病の一種だ。 それは、一度発症すれば目に映る全てのものが怪しく危険に思えるようになって……妄想や幻覚を見たり、思考に異常が生じたりする。 さらに症状が末期に至ると、精神に深刻なダメージを受け……周りを巻き込んだ上で最期は自らの命を絶ってしまう、恐ろしい病気だった。 ……とはいえ、この病気の研究に取り組んでくれた入江や鷹野の尽力のお陰で、今では深刻なストレスでも加わらない限りは発症が抑えられるようになっている。 いずれ近いうちに抗体などが開発されて、この病気を完全に撲滅することもできるだろう……それが、入江たち研究チームの見解だ。 にもかかわらず、この昭和58年6月の綿流しが終わるとこの村に何かが起きて、……私が殺される。 そして、意識を取り戻すと私は何ヶ月……あるいは何年も時間を巻き戻したところに飛ばされたことを理解して、再び同じことを繰り返すことになるのだ。 梨花(私服): いまだに私は、この村にいったい何が起きたのか……そしてなぜ私が殺されるのか、真実を知らない。だからっ……! それを回避すべく、これまで私は色々と行動した。ときには仲間たちの力を借りた危険な「賭け」などで、陰謀の全容と首謀者の正体を突き止めようともした。 ……だけど、それらはことごとく失敗に終わった。おかげで今は心が挫けてしまって、何をすればいいのかわからず……もはや……。 梨花(私服): (……。あ……れ……?) 思考を巡らせたおかげで意識がはっきりしてきた私は、はっ、と我に返る。 ……おかしい。確か私は、数多くの犠牲の末に敵の正体を掴み……惨劇を回避することができたはずだ。 その結果として、私は沙都子と一緒に進学し……詩音が散々やめておけ、と反対したのにもかかわらず聖ルチーア学園で新しい生活を始めたはずなのだ。 梨花(私服): (でも、……え……?今の記憶は、いったい……?) どうして私は、綿流しの後の危機を回避しながらいまだにまた同じ繰り返しを続けているのだろう……? 梨花(私服): ……っ……。 記憶がぐちゃぐちゃに錯綜して、考えがまとまらない。とりあえず今の自分が置かれた状況を整理すべく、私は羽入に声をかけていった。 梨花(私服): ねぇ、羽入。ちょっと聞きたいことがあるんだけど……、っ? そう言って私は、まだ寝息を立てて眠ったままでいる沙都子の横に目を向けて……思わず、息をのむ。 そこには、私が抜け出てきたばかりの布団と……何も置かれていない、畳敷のスペースのみがあって。 昨夜寝る時、確かにあったはずの羽入の布団が……隅に畳まれてもおらず、忽然と消え失せていたのだ。 Part 02: 梨花(私服): (ど、どういうこと……?羽入、どこにいるのよ、羽入っ!) 動転した私は、そばに沙都子がいることも忘れて声こそ上げないものの何度も脳内に呼びかける。 私と羽入は、意識を共有している。どういう仕組みで成立しているのかは不明だが、おかげで離れた場所にいても彼女の存在を確認することができる。 そう……昨日までは間違いなく、「できた」のだ。なのに、この朝は何度試しても返事があるどころかいつもの感覚が、全く伝わってこない……? 梨花(私服): ……羽入、どうしたの?返事をして、羽入っ!! 沙都子(私服): っ……なんですの、梨花……?朝っぱらから大きな声を出して……。 思わず口から出てしまった私の叫びで眠りから覚めたのか、すぐ横で沙都子が眠い目をこすりながら起き上がってくる。 だけど私は、そんな彼女に説明どころか気を払う余裕もなく……ただ呆然と、その場に立ち尽くしていた。 梨花(私服): 嘘……そ、そんなっ……?! 沙都子(私服): ……って梨花、あなたのお顔が真っ青でしてよ。いったいどうしたんですの? 梨花(私服): ……っ……!! 沙都子(私服): あっ……梨花っ? たまらず私は弾かれたような勢いで玄関へと向かい、靴を履く時間も惜しいほど慌てた動作で部屋を飛び出す。 梨花(私服): 羽入……っ? どこに行ったのよ、羽入ってば!! さっきから何度も脳内に、そして声に出して叫び続けているというのに……やはり返事がない。いや、そもそも存在を感じられない。 こんな事態は、今までに一度もなかったことだ。それこそ昭和58年6月という壁に阻まれて、幾万幾千ともつかぬ繰り返すようになってから……! 何が……いったい何が、昨夜から今にかけて起きたというのだ?! ひょっとして私は、もう羽入と会えないのか?だとしたら今までのように死んでしまうと、もう一度やり直すことができなくなる……?! 梨花(私服): そ、そんな……っ……!! 絶望が私の思考を押しつぶし、気を失いそうなほどの恐怖が感情を支配していく。 私は……これから、どうしたらいい?羽入がいなくなったら、これから起こりうる惨劇をどうやって回避すればいいのだ……?! 梨花(私服): ぁ……あぁ……っ……! もはや立つ気力も喪われて、私はその場にへたり込んでしまう。 そして顔を覆い、両目からこぼれ落ちてくる涙とともに慟哭が喉の奥からせり上がってきた――その時だった。 羽入(私服): ……梨花? 梨花(私服): ……っ……?! 聞き覚えのある……今この瞬間、もっとも聞きたかった人の声を背後で聞いた私は勢いよく振り返り、視線を向ける。 すると、そこにはもう会えないと思っていた羽入の姿が幻などではなく、はっきりと……! 梨花(私服): は、羽入……羽入ぅぅっっ!! 羽入(私服): ぁわわわっっ?ど、どうしたのですか梨花……?! いきなり、身体ごとぶつかるように抱きつかれて驚いたのだろうか、羽入が裏返った声で悲鳴を上げる。 だけど私は、止まらない嗚咽とともに彼女の胸に顔を押し付けてすがりつき、しばらく離れることができなかった……。 羽入(私服): あぅあぅ……確かに、梨花との意識の共有が切断されているようなのです。あなたの思考が読み取れなくなっているのですよ。 梨花(私服): って……気づいていなかったの? 羽入(私服): いくら僕でも、梨花の思考を四六時中ずっと欠かさず監視しているわけではないのです。それにあなただって、むやみに覗くなと以前注意していたじゃないですか。 梨花(私服): ……確かに、言ったような気がするわ。でもどうして、今はこんな状況になってしまっているの? 羽入(私服): はっきりと断言はできないのですが……どうやらこの「世界」にまた、異世界からの来訪者があったみたいなのですよ。 羽入(私服): しかも、これまで#p雛見沢#sひなみざわ#rに足を踏み入れた中でもとびきり強い力を持った何かが……。 羽入(私服): その影響を受けて、一時的にあなたと僕を繋ぐ波動に乱れが生じているのだと思うのです。 梨花(私服): ……直すことはできそう? 羽入(私服): もちろんなのです。……ただし、肝心の#p綿流#sわたなが#rしが明日に開かれることを考慮すると、悠長に自然回復を待っているのは危険すぎるのです。 羽入(私服): ですから、ここは緊急手段によって今日の昼までに修復を終えるべきなのですよ。 梨花(私服): 緊急手段って……何か資材とかを探せってこと? 羽入(私服): いえ。僕だけでは力が不足しているので、神の領域に達した能力者に協力を求めるのです。 羽入(私服): ……まぁ早い話が、雛見沢にいる「あんにゃろう」に頭を下げて、手伝ってくれるよう頼み込むのですよ。 梨花(私服): つまり、#p田村媛#sたむらひめ#r命に頼むってわけね……。でも、大丈夫? なんだったら私もそこに同席して、一緒に土下座くらいのことはしてあげられるけど。 羽入(私服): そこまでやらなくても平気なのです。あっちでも、この異変には気づいているはずなので……。 羽入(私服): 持ちつ持たれつで遺恨を残さないよう、うまく交渉してくるのですよー。 梨花(私服): …………。 羽入(私服): ? どうしましたか、梨花? 梨花(私服): ごめんなさい、羽入……さっきは取り乱しちゃって。あんなにも怖い思いをしたのは、本当に久しぶりで……。 羽入(私服): わかっているのです。今回のことでからかったりするようなことは絶対にしないと、あなたに誓って約束するのです。ただ……。 梨花(私服): ……羽入? 羽入(私服): 心してください……梨花。一時的とはいえこのような事態になったというのは、あなたを狙う連中が本腰を入れ始めたということも考えられます。 羽入(私服): ですからどうか、十分に気をつけて。……では、田村媛命のところに行ってくるのですよ。 …………。 梨花(私服): 私と羽入との同調を遮断することができるなんて……いったい何者なの?そしてやつらは、何をしようと企んでいるの……? Part 03: 羽入(私服): っ……大丈夫ですか、梨花っ! 梨花(私服): えぇ……問題ないわ。そっちこそ、首尾はどう? 羽入(私服): 村人たちの組織だった動きは、なんとか封じるなり沈黙させるなりできたと思うのです。 羽入(私服): あとはあの5人が、無事にこの「世界」を脱出してくれることを祈るのみなのですよ。 梨花(私服): そうね。……彼らにはずいぶん怖い思いをさせちゃって、本当に申し訳なかったわ。 羽入(私服): …………。 梨花(私服): ……なによ羽入、変な顔でこっちを見て。何か私、おかしなことでも言ったかしら? 羽入(私服): あ、いえ。梨花が自分のせいで他人に迷惑をかけたことを素直に認めるなんて、珍しいと思ったのですよ。 梨花(私服): ……叩くわよ。周りへの謝罪の気持ちだったら、今までだってずっと持っていたわ。 ただ……どんなに悪いと思って言葉にしたところで罪悪感は消えないし、許されるものではない。だからあえて、口をつぐむしかなかっただけだ。 梨花(私服): いずれにしても、今回は怪我の功名……大進展があったと言ってもいいくらいね。敵の意図と正体の一部が、明るみになったんだから。 羽入(私服): その通りなのです。……もっとも惜しむらくは、ここから状況を挽回するのがほぼ不可能ということですが。 梨花(私服): えぇ……村人の大半が末期症状に陥って、私の制御下から外れてしまった。レナや魅音たち、そしてあの子たちも……。 羽入(私服): 今さら振り返ったところで、意味は無いのです。とにかく、この村の外へ拡大することだけはなんとでも阻止して、区切りをつけるだけなのですよ。 梨花(私服): その通りよ。……で、どうする?連中が体勢を立て直してきたら、2人だけでしのぎ切るのはかなり厳しいと思うんだけど。 羽入(私服): その点なら、大丈夫です。万が一が起きた時に備えて、例の「彼女」から力となる道具を預かってきました。 羽入(私服): あなたの力を信じて、渡しておきます。これと融合した「カード」で対抗すれば、連中と互角以上に戦えるはずなのですよ。 梨花(私服): そう。……じゃ、遠慮なく使わせてもらうわ。あんたの方は、どうするつもり? 羽入(私服): 僕も、もうひとりの「彼女」から助言をもらってきたのです。少なくとも、梨花の「移動」に必要な時間は十分稼ぐことができるのですよ。 梨花(私服): ……腹立たしいけど、私たち2人だけじゃこれが精一杯ってわけね。 梨花(私服): 次の「世界」では仲間を見つけて、もっと戦力を高めないとね。……それがわかっただけでも、ここで倒れる意味があったってものよ。 羽入(私服): 梨花……。 梨花(私服): こんな場面で言うことじゃないかもしれないけど、また会いましょう……羽入。そして今度こそ、必ず私は昭和58年6月の壁を超えてみせるわ……! 羽入(私服): ……僕は信じているのです。梨花ならきっと……そして#p雛見沢#sひなみざわ#rの彼らと彼女たちが、あなたの願いと夢を叶える力になってくれることを! 羽入(私服): その時まで梨花、どうか諦めず挫けずに心を強く持ち続けてください……ではっ! …………。 梨花(私服): くす……大丈夫よ、羽入。私はあの5人と出会って、知ることができたから。 梨花(私服): たとえ「世界」が異なっても、未来を求めて……明日の幸せのためにあがいて、抗って、戦っている人たちがいるんだって……、っ! その台詞が音となって吐き出された直後、私の目の前におびただしい数の人「だった」ものがわらわらと押し寄せてくるのが見える。 梨花(私服): ……来たわね。 私は羽入から渡された「それ」を身につけ、心を研ぎ澄まして集中する。 すると、私の衣装が変化するとともに不可思議な光が宿り始めて……疲れ切った身体が軽くなっていくのを感じていた。 ここでの私たちの戦いは、すでに決着した後かもしれない……そんなことは、わかっている。 でも、だからといって諦めたりはしない。最後まであがいて、悪あがきして……少しでも何かを掴んでから、倒れてやる。 梨花(私服): さぁ、おいで……異物どもッ!次の「世界」では必ず、あんたたちに目にもの見せてやるわ……ッ!! 私はそう呟いて、……武器を取り、構える。 それがいつか、私たちのたどり着くべき幸せな場所へ繋がる一歩だと、固く信じて……!