Prologue: 万雷の拍手と歓声の中、奉納演舞を終えた私は観客たちに一礼し……演壇を降りて控え室へと向かう。 全身が悲鳴を上げるほどにくたくただが、「今回」も最後まで無事に演じることができた。……そんな満足感もあって、少し心地良い。 沙都子(私服): お疲れ様ですわ、梨花。今年も本当に素晴らしい演舞でしてよ。 梨花(演舞): ……ありがとうなのです。ずっと続けてきた練習が無駄にならなくて、ほっとしたのですよ……。 沙都子(私服): すごい汗ですわね……さぁ、このタオルを使ってくださいまし。冷たい水で絞ってきましたのよ。 梨花(演舞): ふはぁ、気持ちいいのです……火照った身体が癒やされるのですよ~。 魅音(私服): お疲れ様、梨花ちゃん!……喉、乾いていない? よかったら何か冷たいものでも持ってこようか? 梨花(演舞): お願いするのですよ、にぱー☆ レナ(私服): はぅ~……梨花ちゃんの演舞、とっても素敵だったよ~♪最後はすごい声援と拍手で、感動しちゃったぁ……。 梨花(演舞): みんなが喜んでくれて、何よりなのです。頑張った甲斐があったのですよ~。 沙都子(私服): そういえば、富竹さんの姿が見えませんでしたわね……? てっきり最前列で撮影されていると思っていましたのに。 レナ(私服): はぅ、それに圭一くんも……。一穂ちゃんたちはお手洗いだって言っていたけど、みんなどこに行ったのかな、かな……? 梨花(演舞): これだけの人だかりなのです。きっとはぐれてしまっただけなのですよ。 レナ(私服): はぅ……そうだね。なんとか川で#p綿流#sわたなが#rしをする時までに、合流できるといいんだけど……。 魅音(私服): お待たせー!集会所で冷えっ冷えの麦茶をもらってきたよー!さっ、飲んで飲んで♪ 梨花(演舞): いただくのですよ、にぱー☆ …………。 梨花(演舞): ……一穂たちはわかるとして、富竹がいない……圭一、それに詩音も。 梨花(演舞): ということは、まさか……? …………。 気絶して倒れている鷹野さんたちの見張りを前原くんと富竹さんに任せて、私たち3人は祭具殿の中へと入っていった。 美雪(私服): それで……お目当ての『カムノミコトノリ』はどこに? 一穂(私服): この扉の奥にある部屋の中だよ。……んしょ、っと。 古びた扉を押し開け、持っていた懐中電灯で中を照らし出すと……祭具殿の内部の全容が視界の中にぼんやりと浮かび上がってくる。 一穂(私服): ……っ……。 話でも聞いていた、おぞましい形状の拷問器具とおぼしき数々を目の当たりにしてさすがに震えと不安を感じたけど……。 それほど時間をかけることなく、私たちは『オヤシロさま』らしき偶像の足もとにあった祭壇の上で、黒く小さな水晶玉――。 私の持つ『スクセノタマワリ』とよく似た形状の、古手家の秘宝……『カムノミコトノリ』を発見した。 一穂(私服): (鷹野さんたちと出くわして襲いかかられた時はさすがにびっくりしたけど、無事に見つけられてよかった……) とはいえ、安堵と同時に違和感というかなぜか訝しさもちくりと胸の内に覚えて……少し、落ち着かない気分だった。 美雪(私服): よーし、これで目的は達成だねっ。あとはこれを持っていって、梨花ちゃんから色々と話を聞けば大きく一歩前進かな。 一穂(私服): う……うん。 美雪(私服): ? どうしたの、一穂。キミが言ってた『カムノミコトノリ』って、まさかこれじゃなかったとか……? 一穂(私服): あっ……ううん、そうじゃないよ。ただ、『カムノミコトノリ』を手に入れたことで何がどうなるんだろう、って……。 そう。確かに梨花ちゃんからは、『カムノミコトノリ』の存在と入手の必要性を教えてもらったけど……。 それはいったい、何のためなのか……どういう効能と影響があるのかといった点については、全く聞かされていなかった。 一穂(私服): (梨花ちゃんは私たちのことを信じて、協力すると言ってくれた。その言葉を今さら疑うつもりはない……ただ……) 彼女は、まだ……全てを私たちに話してくれているわけでは、ない。 だけど……そこに、どういった意図があるのだろう?全幅の信頼をしているわけではないということなのか、あるいは別の理由があって……? 菜央(私服): まぁ……情報が乏しいまま考えたところで答えなんか出ないんだし、詳しい話は戻ってから梨花に聞いて確かめればいいんじゃない? 一穂(私服): ……そうだね。 菜央(私服): とにかく、今あたしたちがやるべきなのは村の人たちに見つからないようここを離れることよ。 菜央(私服): あとは鷹野さんや、あの男たちを警察に引き渡さなきゃね。見張ってくれてる前原さんと、富竹さんにも手伝ってもらって……なっ? そう言いながら、振り返った菜央ちゃんが大きく目を見開いて……固まっているのが見える。 一穂(私服): ど……どうしたの? 慌てて私が、彼女の視線の先に向けて懐中電灯の光を当てると……そこには……?! 一穂(私服): えっ……?! 美雪(私服): ど、どうしてっ……?! 私は言葉を失い、美雪ちゃんも私の隣で息をのむ声が……聞こえる。 なぜなら祭具殿の入口付近で、富竹さんが詩音さんの頭に銃口を突きつけながら立っている姿が見えたからだ……。 富竹: ……お願いだ、君たち。大人しくその水晶玉……『カムノミコトノリ』をこちらに渡してほしい。 一穂(私服): と、富竹さん……? わからない……わけが、わからない。 本人、そして前原くんから聞いた話だと富竹さんは鷹野さんから特に説明も受けずただ誘われてこの祭具殿に来たはずだ。 なのに、どうして富竹さんが『カムノミコトノリ』の名前と存在を知っていて、あまつさえ引き渡しを求めるのか……? 理由が全くわからず、私たちはただ困惑して問い質すしかすべがなかった。 美雪(私服): い……いったい、何のつもりですかっ?富竹さん、あなたがここに来たのは鷹野さんに誘われただけって言ってましたよね?! 美雪(私服): なのに、人質まで取って渡せってことは……これが何なのか、知ってるんですか?! 富竹: ……っ……! 詰るような強い口調で、問い質す美雪ちゃん。……だけど、富竹さんは答えない。そして苦渋の表情で、なおも繰り返していった。 富竹: 頼む……!君たちを傷つけるようなことはしたくないんだ。何も聞かずに、黙って言う通りにしてくれ。 美雪(私服): そんなこと言っても、こっちだって事情を説明してくれてないのにはいそうですか、なんて従えませんよ! 美雪(私服): っ……富竹さん。やっぱりあなたも鷹野さんたちとグルだったんですか?そうじゃなきゃ、こんなことは……! 富竹: 鷹野さんは関係ない……!今こうしているのは僕が、彼女と別系統から指示されての行動だ。 富竹: ここで多くを語ることができない事情を、どうかわかってくれ……! 詩音(私服): ぐ……っ……! そう言って富竹さんは、首を絡められて動けない詩音さんを前に突き出しながらさらに迫ってくる。 躊躇いはあるものの、その表情には覚悟のような強い意思があり……しかも彼が手にしているのは、拳銃だ。 ほんの少し、引き金に力を込めるだけで詩音さんの命を簡単に奪うことができる……状況は圧倒的に、こちらが不利だった。 一穂(私服): (ど……どうしよう美雪ちゃん、菜央ちゃん?) 美雪(私服): (素直に従うべきか……あるいは……) そんなふうに私たちが目で合図を送り、詩音さんの救出と反撃のためのスキを見計らっていた……と、その時だった。 詩音(私服): っ……ダメですよ、一穂さん……!それを渡すなんてことは、絶対に……! 詩音(私服): もし、他のやつの手に渡ったりしたら……せっかくここまでお膳立てしてきたことが、全部やり直しになっちゃいます……ッ! 富竹: し、詩音ちゃん……っ? 急に腕の中で暴れられたことで、驚いた富竹さんは詩音さんの首をさらに強く締めつける。 喉を圧迫されたことで彼女は「っぐ……!」と息が苦しそうに呻いたが、それでも抵抗する動きを止めなかった。 富竹: お願いだ……抵抗しないでくれ、詩音ちゃん! 僕は、君を撃ちたくないんだ! 詩音(私服): 撃つ覚悟もできていないくせに、脅されても怖くありませんよ……そらっ! そう言って詩音さんは強引に身体の向きを変え、富竹さんの手から拳銃を奪おうとする。 富竹: なっ、詩音ちゃん……やめっ……?! そして私たちが呆然と立ち尽くして見守る中、耳をつんざく破裂音が響いて――。 一穂(私服): ……ぇ……。 動きを止めた詩音さんが……どさり、と力なくその場に崩れ落ちた。 一穂(私服): ……しっ、詩音さん?! 詩音(私服): ……ぅ、……っ……。 反射的に駆け寄ると、彼女の下腹部付近から液体のようなものがあふれて床に広がっていくのが、暗がりの中でも……見える。 それが何なのか、何によるものなのは……あえて確かめるまでもなく、明らかだった。 富竹: こ……こんなつもりじゃなかったんだ!僕は、どうして……うおおぉぉおおっっ! 絶望に満ちた慟哭の声を上げながら……それでも富竹さんは私たちの横をすり抜け、『オヤシロさま』の祭壇へと駆け寄る。 そして、そこに置かれた水晶玉……『カムノミコトノリ』をむしり取るように奪うと、同じ勢いで祭具殿を飛び出していった――。 Part 01: 圭一(私服): ……おい、どうした?さっき富竹さんが中から飛び出してきたんだが、いったい何が――。 圭一(私服): って、詩音……っ?まさか撃たれたのか、おいっ! 菜央(私服): 身体を動かさないでっ!とにかく、止血をしなきゃっ!! 美雪(私服): 出血量が多すぎる……!動脈か、肝臓を撃たれたのか……?! 一穂(私服): 詩音さん……しっかりして、詩音さんッ!! 菜央(私服): っ……あたし、入江先生を呼んでくるわ! 美雪(私服): 待って、菜央!銃を持ってる富竹さんと鉢合わせになったら危険だ! 美雪(私服): 私も一緒に行く!一穂と前原くんは、詩音のことを見てあげて! 圭一(私服): わ、わかった……! 一穂(私服): ……っ……! 美雪ちゃんと菜央ちゃんが飛び出していくのを、私は呆然と……見送る。 こんな時に……いや、こんな時でも私はとっさに考えて素早く行動することが……できないのか。 自分の愚かさと意気地のなさが悔しくて、情けなくて、苛立たしくて……本当に心の底から、恨めしい。 大好きな人たちが、こんな私のことを信頼して、力を貸してくれたのに……結局また、失敗の連鎖を見届けるだけだなんて……ッ! 圭一(私服): ……なぁ、一穂ちゃん。詩音を撃ったのは、……富竹さんなのか? 一穂(私服): っ……決まってるじゃない……!! 胸の内から湧き上がる怒りを抑えきれず、私は吐き捨てるように返す。 無論、わかっていた……前原くんに悪意はないと。だけど、黒く染まりきった感情の中だとその言葉はわざとらしく、間の抜けたようにも聞こえて……。 八つ当たり、あるいは筋違いだと頭の中では理解していながらも……そうぶつけずにはいられなかった。 圭一(私服): ……そうか。「今度」は、富竹さんが狙われたってわけか。 一穂(私服): っ……何を言ってるの、前原くん?襲われたのは詩音さんで、富竹さんがッ……!! 詩音(私服): ……いえ、一穂さん。残念ですが……圭ちゃんの今言ったことは、間違いじゃ……ありませんよ……。 一穂(私服): ……えっ……? 息も絶え絶えの……力のない声でそう言われて、私は激しかけた心が急速に冷えていくのを感じる。 すると詩音さんは、涙で濡れそぼった私の頬にそっと手を当てて……語りかけるように続けていった。 詩音(私服): 富竹のおじさまは……「狙われた」んです。彼に接触したのは、私の時と同じやつ……そして、おそらくは圭ちゃんも……? 圭一(私服): ……あぁ、そうだろう。すまん詩音、俺がもっと早く気づいていたらお前が撃たれることもなかったかもしれねぇ……。 詩音(私服): くす……圭ちゃんは「あれ」を一穂さんに渡したんだから、仕方がありませんよ……。 詩音(私服): 私だって、「あいつ」と契約していなかったら……今頃は……っ。 一穂(私服): っ……じゃ、じゃあ詩音さんだけじゃなく、前原くんも「これ」のことを……覚えて……?! 慌てて私はポケットをまさぐり、中から『スクセノタマワリ』を取り出して2人の前にかざしてみせる。 すると、2人は少しの間だけそれを見つめたまま固まるように動きを止め……やがて小さく、でもしっかりと頷き返した。 圭一(私服): ……なるほど。このタイミングで俺が思い出せたのは、一穂ちゃんがここに来て「これ」と接触できたからってわけか。 圭一(私服): もっと早い段階で、一穂ちゃんたちと出会えるように動いていればよかったぜ。そうしていれば、俺は……くそっ……! 詩音(私服): ……それは無理ってもんですよ。一穂さん……そして私たちの「意識」がどの時点に着地するかは……運任せ……。 詩音(私服): 少なくとも、数日前まで……一穂さんは私の求める「一穂さん」ではなかった……全く……面倒なこと、この上ないです……。 一穂(私服): 「意識」の……着地……?それって、いったいどういうことなの? 聞き慣れない言葉を耳にした私は、2人に向かって身を乗り出しながら尋ねかける。 だけど、「それは……」と口にしかけた次の瞬間、詩音さんは苦しそうに咳き込み出した。 一穂(私服): し……詩音さんっ?大丈夫、しっかりして!! 詩音(私服): ……。すみませんね、一穂さん……私のドジのせいで、千載一遇のチャンスを台無しにしてしまって……。 一穂(私服): もう喋らなくていい!お願い、気をしっかり持って……ッ! 詩音(私服): ……残念ですが、この「世界」での私は……っ、ここまでのよう……です……。 詩音(私服): 鷹野さんが、動くことは……っ……一応、想定できていたけど……まさか今度は、富竹さんまで……ごッ……。 苦悶の表情で口元から血を流しながら、詩音さんはなおも咳き込み続ける。 それでも彼女は力を振り絞るように私の手を握ると、荒い息をつきながら訴えるように言った。 詩音(私服): 気をつけてください……一穂さん。私たちが戦おうとしている「敵」は、同じ姿で中身を……変え……ます……。 詩音(私服): 信用させておいて……突然豹変して、……私も……何度騙されたかわからないくらいに……ッ……。 一穂(私服): ど、どういうこと……?じゃあいったい、誰を信用して……なっ? その時……なおも問いかけている途中で、私の身体が光に包まれていく。 一穂(私服): こ……これって、まさか……?! 詩音(私服): ……。どうやら、また……「世界」における「意思」が……動き出したようですね……。 詩音(私服): っ、タイミングが良くて……ありがたいというか、忌々しいというか……本当に……厄介極まりない……っ……。 一穂(私服): し、詩音さんっ……?! 詩音(私服): 一穂さん……。次の「世界」でいつ、どこでお会いできるかは……私たちにもわかりませんが……。 詩音(私服): どうか……今、私が言ったことを少しでも……覚えておいてくれたら……。 一穂(私服): ま……待って!私はまだ、あなたに聞きたいことがっ――?! その声が届いたのかどうかわからないうちに……光の中に詩音さんや前原くん、全てのものが飲み込まれていく。 そしてあっという間に意識が遠のき、視界は闇に閉ざされて――。 Part 02: 美雪: ……一穂? おーい、一穂ってば。 一穂: ……っ……? 美雪ちゃんの呼びかけに反応した私は、はっ……と起き上がって辺りを見回す。 ……窓の外には青い空と、かなり高い位置に燦々と輝く太陽。つまり今は……お昼時だろう。 そして私が、今まで腕を枕にして寝そべっていたのは……机……? 一穂: だとしたらここは、#p雛見沢#sひなみざわ#r分校の……教室……? 美雪: ? いや、別に確かめるまでもなく教室以外の何かに見えるっての……? 一穂: あ、えっと……そうじゃなくて、その……。 しどろもどろになって、私はなんとかその場を取り繕うべく言い訳を頭の中で考え始める。 すると美雪ちゃんは、怪訝そうな表情で私の額にそっと手を当て……「ふむ」と小首をかしげながらいった。 美雪: やっぱり、熱はない……ってことは少なくとも夏風邪じゃなさそうだね。 菜央: そうとも言い切れないわよ。内蔵系の風邪は、平熱や微熱のままでわかりづらかったりするんだから。 菜央: 体調が優れないんだったら、無理せずに保健室に行って放課後まで休んできなさい。先生にはちゃんと話しておくわ。 一穂: ……ありがとう、菜央ちゃん。でも、大丈夫……。 そう言って、私は……わざとらしく大きく伸びをして無事をアピールしながら、現状を把握するべく思考を巡らせる。 おそらく……いや間違いなく、何かの不条理な力が働いたことで私はまた「世界」を移動することになったのだろう。 さらに、心なしか暖かいというか……少し暑い。そして窓から見えるグラウンドの雑草や芝生は瑞々しいほどの緑に染まっている。 いかにも本格的な夏がやってきた、と言わんばかりの様子だ。だとしたら今は、#p綿流#sわたなが#rしが終わった……後……? 一穂: ……美雪ちゃん、菜央ちゃん。今って……何月? 美雪: へっ? いや、7月だけど……だよね、菜央? 菜央: なんであたしに確かめるのよ。あんたもこの暑さで、頭がおかしくなったの? 美雪: んー、その言い方だとまるで一穂が頭がおかしくなったって感じに聞こえるけど……そういう理解でOK? 菜央: ちょっ……違うわよ、一穂っ?あたしはただ、この暑さのせいであんたの体調が悪くなったんじゃないかって、それで……っ。 一穂: ……あ、あははは。大丈夫だよ菜央ちゃん、私は平気だから。 菜央ちゃんの気遣いに笑顔を返してから、私は以前の「世界」に……思いを馳せる。 あの「世界」に詩音さんと前原くん……そして、美雪ちゃんたちを置いてきてしまった。その罪悪感と後悔は当然ある……けど……。 一穂: (……無理矢理にでも、切り替えなきゃ。黒幕を突き止めて、真相を掴むためにも……) 美雪: ん……大丈夫、一穂?なんか今日は、あんまり元気がないように見えるよ。 菜央: あんたって、普段は夜更かしするようには見えないんだけど……夜、ちゃんと眠れてる?まさか不眠症とかじゃないわよね? 一穂: ……そ、そうじゃないよ。天気もよくてぽかぽかしてるから、ちょっと眠くなっただけ。 美雪: なるほど、春眠暁を覚えず……って、もう夏真っ盛りじゃんか。 菜央: まぁ、お日柄のおかげで眠いんだったら別にいいと思うわ。……「あっち」とは違ってね。 そう言って菜央ちゃんが指さしたのは、教室の反対側の一角。 そこの机では、魅音さんがなぜか世界の終わりを迎えたような顔で……椅子の背もたれに身体を預けていた。 一穂: ど……どうしたの魅音さんっ?なんか、全身が真っ白に燃え尽きてる感じに見えるんだけど……?! 美雪: ……燃え尽きてる感じじゃなくて、ある意味本当に燃え尽きてるんだよ。 美雪: 昨日の夜も模試対策の勉強が切羽詰まって、ほとんど寝てないって言ってたからねー。 一穂: 模試対策の、勉強……? 菜央: 来週は来年の高校入試に備えた、全国規模の模擬試験が行われるでしょ? 菜央: で……そこである程度の点数を取らなかったら魅音さん、強制的に全寮制の聖ルチーア学園に放り込まれるんだって。 一穂: じゃあ魅音さん、ルチーアに転校しちゃうってこと……?! 美雪: いやいや、さすがに今の時期の転校は色々と難しいし、高校からだってさ。 美雪: まぁ魅音って、中学になってからずっとテストの点数が悲惨だったらしいし……この前の中間もボロボロだったもんねー。 美雪: さすがにご両親も腹に据えかねてか、将来のために決断したそうなんだけど……。 魅音: 冗談じゃないよ!将来のことを本気で考えるんだったら、もっと自由に行動させてよ! 魅音: あっちに通っている詩音から聞いた話だと、あの学園ってほとんど刑務所みたいな生活を送らされるって話なんだからさー! 美雪ちゃんたちとの話に反応したのか、突然がばっ! と起き上がった魅音さんは八つ当たり気味に割って入ってくる。 その勢いに気圧されていると……少し離れた場所にいたレナさんたちが、わらわらとこちらに集まってきた。 レナ: はぅ……全寮制の学校って、大変そうだよね。魅ぃちゃんの妹さん、そこで一人で暮らして寂しくないのかな……かな? 魅音: そりゃまぁ、寂しいだろうけど……もう2年以上になるんだから、ベテランだよ。 魅音: あと、最近は仲のいい後輩ができてそれなりに学園生活が充実しているとか……。 魅音: ……って、今は私のことを気遣ってよー?! 泣きわめきながら、頭を抱える魅音さん。……ただ、その会話内容から私は違和感に気づいて……恐る恐る問いかけていった。 一穂: あ、あの……詩音さんって、#p興宮#sおきのみや#rの学校に通ってるんじゃなかったの……? 沙都子: いいえ? 魅音さんの妹さんは、2年以上前からずっと雛見沢を離れてお暮らしになっておいででしてよ。 一穂: ……そう、なんだね。 沙都子ちゃんの返答を聞いた私は、ここが詩音さんのいない「世界」だと認識する。 彼女は、この雛見沢にいない。だとしたら、前原くんは……? 圭一: ん? どうした、一穂ちゃん?俺の顔をじっと見てきて……。 一穂: あ……ううん、何でもないよ。ごめんなさい……。 慌ててごまかしながら、私は顔を背ける。 ……前原くんは、このクラスにいる。じゃあ私たちは、どこに住んでいるんだろう……? 梨花: みー……一穂?お顔の色が優れませんですが、何がありましたか……? 一穂: ……。『カムノミコトノリ』。 梨花: ――――。 その単語をそっと呟いた瞬間、梨花ちゃんの顔からあどけない笑みが……消える。 そして私に甘えるような仕草で顔を寄せると、2人の間でしか聞き取れないほどの小さな声で呟いていった。 梨花: ……今回はずいぶん遅かったわね。綿流しなんてもうとっくの昔に過ぎて、夏休みが間近に迫ったところよ。 一穂: ご……ごめんなさい……。 梨花: くすくす……冗談よ。「世界」の移動はあんたの意思によるものじゃないって以前にも聞いているから、仕方ないわ。 一穂: あの……梨花ちゃん。綿流しは、その……。 梨花: 無事に行われたみたいね。そして私たちは、また「世界」によって偽りの昭和58年を生きている……ってところかしら。 一穂: ……っ……。 梨花: それに加えて……この「世界」でもいくつか変なことが起きている。 梨花: そのあたりの情報共有を、早急に行いましょう。 一穂: ……うん。 Part 03: そして、夜――。 梨花ちゃんの話によると、私たち3人は彼女の好意で古手家の屋敷に住ませてもらっているとのことだった。 梨花: 『圭一がこの村にいる以上、あの家で暮らすわけにはいかないしね』 梨花: 『掃除だけきちんとやってくれれば、あとは好きに使って構わないから』 そういう取り決めと合意が、暮らし始めた頃にあった……らしい。 とりあえず夕食を終えてから私は、美雪ちゃんと菜央ちゃんに自分の事情と置かれている状況を説明することにした。 一穂(私服): 美雪ちゃん、菜央ちゃん。実はね、私は……。 ……「世界」を移動するたび、何度も同じ話をすることに若干徒労感を覚えなくもない。また、2人が信じてくれるのか……毎回不安で、怖い。 それでも、これは移動した先の「世界」で必ず行うべき……いわば儀式のようなもの。そう自分に言い聞かせて、私は続けることにした。 美雪(私服): ふむ……中身が別人になる、ねぇ。それって記憶を書き換えられるとか、そういうものとは違ってるの? 一穂(私服): ……ごめんなさい。そこまではちゃんと詩音さんたちから聞くことができなくて……。 菜央(私服): だとしたら、それがどういうことなのかを改めて詩音さんか前原さんに聞いたほうがよさそうね。 菜央(私服): 今の話が本当だったら、その……『スクセノタマワリ』って水晶玉に触れると他の「世界」の記憶を取り戻せるんでしょ? 一穂(私服): う、うん……けど、さっき詩音さんから聞いた通りにやってみたのに、うまくいかなくて……。 美雪ちゃんと菜央ちゃんに事情を説明して、『スクセノタマワリ』に触ってもらったのだけど……2人の記憶は、元に戻らなかった。 一穂(私服): 前原くんも……梨花ちゃんと違って、記憶が失われたままだった。どうして戻らないんだろう……? 美雪(私服): ふむ……可能性として考えられるのは、力の発動条件があるかもしれないってことだね。たとえば、夜にしか効果がないとかさ。 菜央(私服): 他にも時間や場所、気温。あとは……まぁ、再現できるまでとにかく色々と試してみるしかないでしょうね。 一穂(私服): …………。 美雪(私服): ? 聞いてる、一穂?どうしたのよ、ぼーっとしちゃって。 一穂(私服): ご、ごめんなさい……その……。 菜央(私服): あとは……富竹さんね。『カムノミコトノリ』を持ち去ったのだとしたら、前の「世界」の記憶を引き継いでるかもしれない。 美雪(私服): んー、それにしても富竹さんがねぇ……。正直言って信じられないとかじゃなくて、信じたくないってのが本音だよ。 一穂(私服): ……うん。あの優しい感じの富竹さんが、誰かを人質にした上で銃を使って脅すなんて考えられないよ……それに、鷹野さんも……。 菜央(私服): 診療所の看護婦さんが、屈強な男の人たちをまるで部下のように多数従えてた……確かに妙よね。 菜央(私服): それって魅音さんの家とかで見かけるような、いわゆるヤクザやチンピラみたいな感じ? 一穂(私服): ……違うと思う。どちらかといえば、警察官か軍人……でも、服装は工場とかの作業員だったような……。 残念ながら暗かったせいで、はっきりと認識することはできなかった。……ただ、どこかで見たような気がする。 それをどこで見かけたのかまでは、あやふやなままなのが情けない……。 美雪(私服): とりあえず、思い出したら教えてよ。それまでは保留ってことにしておこう。 美雪(私服): ……それにしても一穂、転送間際に詩音からそんなことを聞かされたってのに、よく私たちを信用する気になったねー。 菜央(私服): 確かに……あたしたちが外見だけ同じで、中身は全くの別人になってるって可能性もあったわけでしょ? 一穂(私服): それは、……。 当然抱いて然るべき疑問を投げかけられ、私は一瞬言葉につまって口をつぐむ。 ……それでも意を決して顔を上げると、改めて2人に向き直っていった。 一穂(私服): もちろん、完全にないってことは断言できないと思う。……けど、もう決めたんだ。 一穂(私服): 何があったとしても私はこの先、美雪ちゃんと菜央ちゃんのことを信じよう、って。 一穂(私服): ありもしないものを疑って、怖がって2人に心配をかけるくらいなら、その方がずっといいってよくわかったから……。 梨花: ……なるほど。美雪と菜央にも、あなたが「移動」してきた事実をちゃんと話すのね。 一穂: うん。そこから始めようと思って……。 梨花: あんたは強いわね。私は、早い段階で諦めてしまったのに……。 梨花: 最初の頃は、真剣に伝えて相談したつもりでも冗談だと受け取られて笑われたり、妄言のように扱われて心配されたり……その繰り返しで。 梨花: そんな辛い思いをするくらいならいっそ、誰にも話さずに抱え込んだほうがいい。……おかげで勇気を出すのに、時間がかかったわ。 一穂: 梨花ちゃん……。 梨花ちゃんの気持ちは、痛いほどよくわかる。 まして優しい性格だからこそ、親しい人から受けた怪訝な視線と心配が心の傷に繋がったのだろう……。 一穂: 私は……強くなんかないよ。ただ、私には美雪ちゃんと菜央ちゃんっていう最高の友達がいてくれただけ。 一穂: あの2人なら、たとえ信じてくれなくても最後まできちんと聞いてくれる。そして、真剣に考えて意見を言ってくれるはず……。 一穂: だから私は、自分のことを想ってくれる人たちにはできるだけ正直になりたい。……そう決めたんだ。 梨花: ……そう。あなたも、いい仲間に恵まれたわね。 一穂: うん。……でもそれは、梨花ちゃんと一緒だよ。 梨花: …………。 梨花: そうね。私も、もういじけたり引きこもったりするのは止めにしましょう。 梨花: せいぜいあがいてみせるわ。あなたの先達として、恥ずかしいところを見せるわけにはいかないしね。くすくす……! ……なんてやり取りを梨花ちゃんと行ってから、私はここにいる。 彼女が味方になってくれたのは、本当にありがたくて心強いことこの上ない。だから私も、その信頼に応えたかった。 美雪(私服): んー……まぁ、そこまで信じてくれるってのは友達冥利に尽きるねー。……で、菜央はどう? 菜央(私服): 決まってるじゃない。あたしは#p雛見沢#sひなみざわ#rに足を踏み入れてこの状況になった時から、心に誓ってるんだもの。 菜央(私服): どんな時でも、ありのままを受け入れようって。そして、あたしの味方になってくれる人のことは自分に対してと同じように必ず信じる……ってね。 一穂(私服): 美雪ちゃん、菜央ちゃん……。 2人の優しさが、本当に嬉しくて頼もしい。私が誇れるような宝物は何かと聞かれたら、胸を張って彼女たちが友達でいてくれることだと言えると思う。 美雪(私服): あ、それから……違いがあるとすればその富竹さんって人は、この雛見沢にはいないよ。少なくとも私たちは、会ったことがない。 一穂(私服): えっ……そ、そうなの? 菜央(私服): となると詩音さんと同じく、雛見沢じゃない別の場所に「移動」させられたか……。 菜央(私服): 今後どこかで、違う役割か立場になってあたしたちの前に現れる可能性もあるってことね。 一穂(私服): ……っ……。 菜央(私服): まぁ、敵になるかどうかはともかくとして注意しておきましょう。あたしたちみたいに記憶が引き継がれてない可能性もあるんだから……でしょ? 一穂(私服): ……そうだね。 美雪(私服): とりあえずもう夜も遅いし、今日はこのくらいにしておこう。……それでいい、一穂? 一穂(私服): うん、わかった。 そう頷き合ってから私たちは、それぞれが寝間着に着替え……明日に備えて休むことにした。 Part 04: そして、翌日――。 普段だと担任の知恵先生は、挨拶と簡単な連絡だけをして職員室へと戻っていく。 だけどこの日は、朝礼の後にくるりと背を向け……かつかつと黒板に文字を書き始めた。 美雪: ……『受験強化期間』?あの、それっていったい……? 知恵: 皆さん知っての通り、この#p雛見沢#sひなみざわ#r分校には来年度の高校入試を控えている生徒がいます。公由さん、赤坂さん、園崎さんです。 知恵: ただ、これまでの授業形態と内容だと生徒の自主性に任せる比重が大きすぎるので……それらに対応しているとは言いがたいです。 レナ: はぅ……確かに入試のための勉強は3年分の復習だから、普段の授業中だととても手が回らないよね……。 美雪: あと、入試問題でよく出るところは自習するより誰かに教わったほうがいいしさ。……特に、魅音とか。 魅音: えーえー、すみませんねぇ!どーせ私は親にも飽きられるほどの落ちこぼれキングですよ~! 梨花: ……みー。魅ぃは女性なので、むしろクイーンなのですよ。 沙都子: つまり、落ちこぼれクイーン……?いずれにしてもあまり嬉しい称号ではありませんわねぇ。 美雪: いや、そういうことじゃなくってさ……。そもそも魅音って、入試対策の勉強のやり方とかをこれまで誰かに教わったことがないでしょ? 美雪: そのあたりってわりとテクニカルだから、首都圏とかだと塾に行って教わる子の方がずっと多いし……効率的だったりするんだよ。 知恵: えぇ、赤坂さんの言う通りです。私も以前から、高校受験を控える生徒さんには授業内でフォローするべきだと考えていました。 知恵: そこで、#p興宮#sおきのみや#rの学校に相談したところ……受験対策を専門にした臨時教師を派遣していただけることになりました。 魅音: じゅっ……受験対策だってぇぇえぇ?そんなスパルタ授業を用意されても、私が耐えられるわけないでしょーがっ?! 美雪: 何言ってるのさ、魅音。こんなふうに気を回してくれるなんて、すっごいことだと思うよ。 菜央: そうね。やっぱり知恵先生は、素敵な先生だと思うわ。 魅音: 仰る通りです、ありがとうございます!……でも、反吐が出そうです。 魅音さんの本音の吐露が聞こえて思わずぎょっ、となる。……ただ幸か不幸か、その呟きは知恵先生には届かなかったようだ。 知恵: はい皆さん、静粛に。今から受験対策を担当していただく先生をご紹介します……では、どうぞ。 朝のホームルーム中に担任の知恵先生から促されて、教室内に件の臨時教師が入ってくる。 ……その姿を見て、私は驚きを抑えきれずに声を上げてしまった。 美雪: ? どうしたのさ一穂、急に声を上げて。ひょっとしてあの先生って、知り合いだったの? 一穂: ……たけ、……。 菜央: たけ? 一穂: なんで、富竹さんが……先生に……? そう。新任の教師としてやってきたのは、間違いなく「あの」富竹さんだった……! 美雪: 富竹さんって……まさか、この前一穂が言ってた、あの……? 菜央: ……ちょっと待ってよ。あんたが言ってた富竹さんって、確かフリーのカメラマンでしょ? 一穂: う、うん……そのはず、なんだけど。 困惑で頭の中が真っ白になり、2人に返すべき言葉が浮かんでこない。 そんな中でも知恵先生の話は続き、私たちに対して富竹さんの紹介を行っていた。 知恵: 富竹先生は高校受験対策の集中講義の先生として、東京から興宮に派遣されているのですが……。 知恵: 今回は特別に、雛見沢分校の生徒も見てくださることになりました。園崎さん、しっかり頑張ってくださいね。 魅音: は、はい……って、なんで私だけ?受験は一穂と美雪が一緒じゃないですか。 知恵: 赤坂さんは今のところ、全教科で平均点以上の成績をあげているので大丈夫でしょう。公由さんも、おそらく問題のないレベルです。 知恵: 園崎さんは……その、かなり頑張ってもらう必要が……。 魅音: くっ……裏切り者!あんたたちは、苦楽をともにする仲間だと信じていたってのに……! 一穂: えっ? ご、ごめんなさい……? 美雪: いや、苦楽は全然OKだけど……魅音。 美雪: これまでまともに勉強をしてこなかったキミは、私たちよりも「楽」をしてきた分のしわ寄せがここできたってことだと思うんだけどね……。 魅音: ぐはっ?す、鋭いツッコミありがとうございます……! 富竹: ははは。園崎さんは勘が良さそうだから、一度コツさえ掴んでしまえばきっと大きく伸びるタイプだと思うよ。 魅音: えっ……ほ、本当ですかっ? 富竹: あぁ、僕は学習について嘘は言わない。どんなに勉強が苦手な子だって、必ず自分に合ったスタイルというものが存在する。 富竹: それを見つけて頑張れば、きっと今以上に覚えがよくなっていくはずだよ。 魅音: あ……ありがとうございます!だったら私、それを見つけるために頑張りますっ!! そう励まされて……いや慰められて、少しだけ魅音さんはやる気を取り戻す。 ただ私は、突然現れた富竹さんの姿を見たことで感情と思考を鎮めるのに苦労していた……。 一穂: あの……り、梨花ちゃんっ?富竹さんはどうして、先生に……?! 梨花: ……わからないわ。こんなカケラの「世界」に来たのは、私も初めてだもの。ただ……。 一穂: ただ……どうしたの?何か、気づいたことでもあった? 梨花: ……気づいたのは、別のことよ。これまでの私って、沙都子の他に誰かがそばにいなかった……? 一穂: 沙都子ちゃん以外の、誰か……あ、あぁっ? 思い出して、今度は大声を上げてしまう。慌てて梨花ちゃんが口を塞いだが、レナさんや魅音さんたちが一斉に振り返ってきた。 梨花: ……静かにしなさい、一穂。 咎めるように、梨花ちゃんが制してくる。……だけど私は落ち着いてなんかいられず、声を潜めるだけで精一杯だった。 梨花: どうしたのよ、いったい。何か、大事なことでも思い出したの? 一穂: は、羽入ちゃんがいない……どこにも……! 梨花: 羽入……? その名前、覚えがあるわね。確か、それは……えっ? 今度は梨花ちゃんが息をのみ、絶句して固まる。そしてわなわなと震えながら、愕然とした表情で呟いていった。 梨花: わ、私が……羽入のことを、忘れている……?! 梨花: そんな、ありえないわ!だってあの子は、どんなカケラの「世界」でも必ず私のそばにいたのに……ッ? と、そんな私たちの様子を見とがめたのか誰かが歩み寄ってくる気配。……それは、富竹さんだった。 富竹: ん……どうしたんだい? 君は確か、えっと……。 一穂: 公由一穂、です。これからよろしくお願いします、富竹先生。 富竹: あぁ、よろしくね。 そう言って、富竹さんはにこやかに笑い返してくる。 その様子を見て私は、彼は以前の「世界」の記憶を持っているのかどうかまだはかりかねていた……。 Epilogue: それから、……数週間後。 先日受けた全国模試の結果が返ってきて、参加した生徒全員に配られた。 私と美雪ちゃんはそれぞれ少しだけ点数がアップして、肝心の魅音さんは……。 魅音: お……おおおぉぉおぉおおっ?やった、自己最高点だ――っっ!! 成績表を広げてみるなり、魅音さんは歓喜して飛び跳ねる。 その点数は、「聖ルチーア強制入学」が十分に免じられるだけのものだった。 富竹: よく頑張ったね、園崎さん。ただ、本番はまだまだ先なんだからこれに驕らず頑張るように。 魅音: はいっ!ありがとうございます、富竹先生! 心からの感謝を込め、魅音さんは頭を下げる。……ただ、真実を知る私はなんとも言えずに引きつった表情で2人の姿を見つめていた。 魅音さんが地獄を回避するために選んだ窮余の策……それはなんと、詩音さんと入れ替わることだったのだ。 魅音: 『詩音ならルチーアで鍛えられているから、今の私よりも多少勉強ができるはずでしょ?だからあんたが模試を受ければ、きっといける!』 詩音(魅音変装制服): 『……なんて言いやがったんですよ、あのロクデナシは。いきなり身内の不幸って口実で呼び出されて、まったくもう……!』 詩音(魅音変装制服): 『替え玉なんて、バレたら大事になるって何度も断ったんですけどね。それでも他に手段がない、頼む! って拝み倒されて……』 詩音(魅音変装制服): 『しまいには首を吊りかねない形相で足元にすがられたので、大きな貸しとして妥協してやることにしちゃいました』 一穂: 『い……いいの?詩音さんだって、模試を受けなかったら後々になって怒られちゃうんじゃ……?』 詩音(魅音変装制服): 『その点についてはご安心を。私は内部進学の条件をパスしているので、元々模試は受けないつもりだったんですよ』 詩音(魅音変装制服): 『まぁ、それを事前に把握した上で頼んできたお姉のずる賢さについては、感心するしかありませんけどねー』 一穂: (と、とりあえず……最悪の事態が避けられたことだけは良かった……のかな……?) 詩音さんも納得ずくだったし、口を挟める立場でもないのでまずはそういうことにしておこう……。 富竹: 今後もわからないことがあったらいつでも#p興宮#sおきのみや#rに来るように。……それじゃ。 そう言って役目を終えた富竹さんは、言い残して教室を出て行った。 一穂: あっ……? 好機とばかりに、私はそのあとを追いかける。彼は少し早足だったけど、グラウンドに出たところでなんとか追いつくことができた。 富竹: ん? 君は確か……公由さん、だったね。僕に何か用かい? 一穂: あ……あのっ……! そして意を決すると、彼に向かっていった。 一穂: 富竹先生……いえ、富竹さん。やっぱり、過去の「世界」の記憶があるんですね。 富竹: ……。どこで気づいたんだい? 一穂: 魅音さんやレナさんたちを見つめる、その目です。優しくて、あたたかくて……でも、時々辛そうで。 一穂: 何かを隠してる……そんな感じがしてました。 富竹: そうか。……上手くごまかしたつもりだったんだけどね。 富竹さんはそう言って、素直に認める。そんな彼に私は、さらに問いかけていった。 一穂: 教えてください。どうしてあなたは、『カムノミコトノリ』を手に入れようとしたんですか? 一穂: あなたにそうさせるように命じたのは、いったい誰なんです? 富竹: ……それを聞いたところで、君は何もできない。もちろん、僕もね。 そう寂しげに告げてから、富竹さんは踵を返して去っていく。 その大きな背中が、なぜかその時だけは小さく見えていた――。