Part 01: ――昼休み。お弁当を食べ終わった後で本を開いていると、お手洗いから戻った沙都子が声をかけてきた。 沙都子: ……あら、梨花。何の本を読んでいるんですの? 梨花: みー。昨日図書館に行った時おすすめ棚に置いてあったので、借りてきたのですよ。 沙都子にそう答えながら、私は本の向きを傾けて表紙を見せる。 すると、近くで談笑していた美雪たちが本のタイトル名に目を留めたのか、どやどやとこちらでの会話に参加してきた。 美雪: ふむ……『世界の歩き方』、か。これって個人旅行をする層をターゲットにしてて、旅行誌の中でも結構実用的なやつらしいねー。 レナ: はぅ……他の旅行誌とは何が違うのかな、かな? 美雪: んー、たとえば旅行関係のガイドブックって現地の観光スポットを紹介するものが多いでしょ? 美雪: このシリーズはむしろ現地での移動手段は何か、どこに滞在したら無難で効率的なのか、といった「手段」を旅行客の目線で書いてるんだって。 美雪: うちの団地で海外旅行の好きな人が全巻揃えてて、今と同じ質問をした時にそう教えてくれたんだよ。 魅音: なるほど。確かに海外旅行で真っ先に悩むのは、交通手段や宿泊施設の確保だもんね。 魅音: 土地勘がない上に言葉の通じない時が殆どだから、路線図や地図を見せられても「なんだこりゃ?」って慣れるまではかなり戸惑っちゃうんだよ。 魅音: あと、通貨もかな……ハンバーガーが1ドルって言われても、今ひとつピンとこなくってさ。 魅音: 為替レートだと、あの頃は220……いや、230円台?円に換算したとしても毎日のように上下するから、安いのか高いのかがよくわかんなかったね。 魅音: 他にも、面倒だったのは渡航の時のビザ!あれを取る手続きだけのためにわざわざ東京へ行く羽目になって、なかなか厄介だったよ。 美雪: そうなんだ……って、あれ?ドルってことは魅音の行ってきた外国って、アメリカだよね? 美雪: 確かドルの為替レートって、私の記憶だと120円を切ってたと思うんだけど……。 美雪: それにアメリカって、ビザの発行なしに渡航できる数少ない外国のひとつだったはずじゃ……もがっ? 菜央: ……何を言ってるのよ、美雪。それはあなたのか・ん・ち・が・いでしょ? 美雪: あ……あぁ、そうだった。うっかり私、別の国のことと間違えちゃってたよ。たははっ……。 梨花: みー……。 ……相変わらず美雪は、脇が甘いというかうっかりの失言が多すぎる。 彼女たち3人が未来からきていることはすでに気づいていた。……だからこそ、少しはごまかす努力をしてもらいたい。 一穂: あ、えっと……魅音さんって海外旅行に詳しいみたいだけど、外国に行ったことがあるの? 魅音: ……ん? あぁ、まぁね。親とかの大人同伴で、ひとり旅じゃないけどさ。 菜央: 魅音さんくらいの年齢でひとり旅なんて、冒険なんかを通り越した危険の極みよ。……で、海外でどんなことをしてきたの? 魅音: 色々と滞在中、思いつく限りのことをね。免税の特典を活かして買い物に、名所巡り……。 魅音: あと、こっちが本来の目的だったんだけど銃の撃ち方に基本的知識、軍隊の動き方に索敵手段とレクチャーを受けてきたもんさ。くっくっくっ……! 菜央: ……一応聞くけど、合法的に渡航したのよね?とんでもなく危険なところへ密入国しただと、シャレにならないんだけど。 魅音: もちろん! 園崎家次期頭首たるもの、いついかなる場所で何が役立つかわからないからね。そういった訓練は海外でしか受けられないでしょ? 美雪: ……ってことは、古手家頭首の梨花ちゃんもそういった訓練を受けた経験があったりするの? 梨花: いつもの魅ぃの冗談なのです。話半分で聞き流していいのですよ、にぱ~☆ 一穂: あ……そ、そうなんだね。びっくりしたよ、あははは……。 そう言って一穂は、少し顔を引きつらせながら乾いた声で笑う。 ……別にごまかす必要はないのかもしれないが、軍事訓練の云々から#p雛見沢#sひなみざわ#rの暗部が知られるのは良くないと思い、そういう言い方にしておいた。 沙都子: それより、梨花。どうして旅行誌なんてものを借りて読んでいるんですの?ひょっとして、海外に行ってみたいとお考えで……? 梨花: 特に行きたい国があるわけではないのです。ただ、海外に行ったらどんなものがあって旅行する人たちは何で楽しんでいるのか……。 梨花: ボクはこの雛見沢から滅多に出たことがありませんし、海外に行く機会が得られるとは考えられないので……少し興味があったのですよ。 そう答えて私は手にしていた旅行誌に視線を戻し、楽しげに笑顔を浮かべている観光客たちの写真を見つめる。 ……さっき沙都子にも言ったように、別に海外へ行ってみたいという願望はない。憧れではなく、あくまでも興味だ。 ただ……今の立場だと海外に行くことは難しく、異世界へ行くほど不可能だと理解しているだけに……逆に惹かれるものを感じずにはいられなかった。 梨花: みー。確かに美雪の言う通り、この本は旅行した人の体験談とかが載っていて楽しいのです。 梨花: 記事を読んでいるだけでも、まるで自分がその国に行った気分になれるのですよ。にぱー。 菜央: その気持ち、わかるわ。あたしも旅行に行ってきた人の話を聞くたびに、自分もそこでの楽しさを感じるもの。 菜央: もちろん、実際に行ってみないと旅行の面白さが味わえないって意見もあるけど……あたしは本だけでも、十分満たされるわ。 レナ: あははは、そうなんだ。じゃあ今度旅行誌を借りてきて、レナと一緒に海外旅行の気分を楽しもうね♪ 菜央: ほわっ……え、えぇもちろん!レナちゃんと一緒だったら南極でも北極でも、エベレストでだって最高の気分になれるわ! 美雪: いや……なんでそんな秘境をたとえに出すのさ。キミの考える外国のイメージって、極端すぎだよ。 魅音: けど、そういった秘境ならさぞかし命がけの体験談がありそうだね。 魅音: そんなシリーズがあったら、ぜひ読んでみたいよ。下手な小説とかよりも楽しそうだしさ。 そんなことを口々に話し合いながら、魅音たちはそれぞれに盛り上がっている。 まぁ菜央の言う通り、海外旅行なんて想像で十分だ。現地での苦労を味わうことなく、いいとこ取りができるのだから……。 強がりでも何でもなく、それが私の本心だった。別にどこかへ行きたいという意思も、意欲もその時点では全く持ち合わせていなかった……。 Part 02: 梨花(部族): ……なんて夢のようなお話を、以前どこかの「世界」でレナや魅音たちとしたことがあったわね。 梨花(部族): けど……くすっ。まさか外国どころか、こんなファンタジーな異世界に飛ばされるとはさすがに思ってもみなかったわ。 羽入(巫女): 梨花……。 梨花(部族): 世界創造、か……。こんな非常識な力を与えてもらったことに、私は感謝を示すべきなのかしら? 羽入(巫女): ……そんなことを言わないでください。僕には皮肉としか受け取れないのですよ。 羽入がため息交じりにたしなめるのを聞き流しながら、私は視界いっぱいに広がる水の光景を眺め見る。 どこまでも続く水平線。ここは湖とのことだったが、広さは果てしなく限りがどこにあるのか想像することもできない。 神社の高台から見下ろす#p雛見沢#sひなみざわ#rも絶景だったが、この「雛見沢」もなかなか悪くはないと思う。ただ……。 梨花(部族): ここが雛見沢じゃなくて、夢の中の世界だったらもう少し楽しめたのでしょうけどね……。 私はそう言って足を差し入れ、冷たく澄み渡った水面をぱしゃり……と蹴る。 すると、私の呟きを聞いた羽入がぽつり、と小さな声で告げていった。 羽入(巫女): ……夢、というのはあながち的外れではないのかもしれないのです。 梨花(部族): 的外れじゃないって……それはどういう意味なの、羽入? 羽入(巫女): この世界自体が梨花の夢……というより、あなたが頭の中で思い描いた幻想なのかもしれないということです。 梨花(部族): 幻想って……それはまた、ずいぶんと思い切った解釈ね。 梨花(部族): つまり、あんたの見立てだと……ここは「世界」だけど、私たちが渡り歩いてきた「世界」とは異なる……そういうこと? 羽入(巫女): はいなのです。……あくまでも、僕の推測ですが。 梨花(部族): でも、それが事実ならおかしいわ。だって一穂も美雪も菜央も、それに夏美までもが自分の意思を持って行動をしているんでしょう? 梨花(部族): もし、私の幻想……望んだものがこうして具現化されたのだとしたら、彼女たちが自由に動けるはずがない……でしょう? 羽入(巫女): はい……ですが、レナたちは記憶を奪われたり書き換えられたりして……「世界」に合わせた役割を演じさせられている感じです。 羽入(巫女): 確かに元の人格を持ち、それぞれに意思がありますが……あくまでもそれは「世界」という舞台の範囲内での言動に制限されているのです。 梨花(部族): じゃあ……そんなことを可能にできるのは、やっぱりあんたと同じ『神』ってこと……? 羽入(巫女): 現時点では断定が難しいのです。ただ、このような超常の力を梨花に与えることは衰えてしまった現状の僕では……まず不可能です。 羽入(巫女): だとしたら、力を乱用し続けると供給主の存在が善きにせよ悪しきにせよ、あなた自身を支配下に置こうとした時に――。 羽入(巫女): 僕ひとりの力では、それを防いだりすることができないかもしれないのですよ。 梨花(部族): 要するに私は、羽入……『オヤシロさま』ではなく別の『神』の巫女にまつり上げられる可能性があるってことか。 梨花(部族): つまるところ、あなたが言いたいのは……私が力を使って「遊ぶ」のはそろそろ潮時にしておけ、ってことなのね? 羽入(巫女): ……心を凍らせないため、思考を止めないための緊急措置であったことは僕もよく理解しているのです。 羽入(巫女): ですが……不確定要素にやたらと身を委ねるのは思わぬ事故やトラブルを起こしかねないものです。 羽入(巫女): 今一度、原点に戻りましょうなのです。……惨劇の回避策を、必ず見つけ出すためにも。 梨花(部族): わかったわ。……ただ、そうなると結局未来からきた「あの子たち」に頼るしかないってわけか。 羽入(巫女): はい。かなり遠回りをしてしまいましたが、惨劇の原因となっているのが僕たちの知る鷹野三四ではなくなった現状では……。 羽入(巫女): 過去についての「答え合わせ」ができる未来からきた一穂と美雪、そして菜央の働きに期待するしかないのですよ。 梨花(部族): そうね……ようやくあの子たちも、元の記憶を取り戻してくれたみたいだし。 梨花(部族): 「夏美」が間に入ってくれたおかげでわだかまりも少し晴れたのだから、もう少しだけ彼女たちの動向を見守ってみることにするわ。 羽入(巫女): わかってくれて嬉しいのですよ、あぅあぅ。 羽入(巫女): ……ところで、梨花。あなたはどうやって、この「世界」から移動するつもりなのですか? 梨花(部族): 今までと同じよ。何者かに命を狙われて、意識が閉ざされて……。 梨花(部族): そして気がつくと、「世界」が変わっている。あんたも私と一緒に飛ばされて……ね。 羽入(巫女): つまり梨花は、この後に何らかの原因で殺されなければいけないということですね。……平気ですか? 怖くはありませんか? 梨花(部族): 平気でなくても、怖くても……それしか手段がないんだから仕方がないでしょう? 梨花(部族): ……大丈夫よ、羽入。私はもう少しの間だけ、あの子たちを信じてみる。 梨花(部族): なんだかんだ言って、私たちや雛見沢のことを気に入ってくれたんだからね。その思いを無下に扱っていいわけがないわ。 羽入(巫女): あなたがそう言ってくれて、少しは救われるのです。……では、その日が訪れるまでしばらく安息の時をお過ごし下さい。 梨花(部族): くすくす……まるで末期症状の患者に向けたような言い方ね。 梨花(部族): ……でも、ありがとう。私を知るあんたという存在がいてくれるだけで、まだ頑張ることができそうだわ。 羽入(巫女): 僕はあなたと運命共同体なので、このくらいはなんともないのですよ。あぅあぅ~♪ そう言ってから羽入は、この場を去っていく。あとにはひとり、私だけが残された……。 梨花(部族): ……強がるわね、私も。 頑張るというのは……正直言ってやせ我慢だ。本当は心が挫けかけていて、前向きな考え方になるのも辛いと感じている。 だけど、……今はそう奮い立たせるしかない。信じていなかろうとも、言い聞かせるべきなのだ。 なぜなら私が諦めてしまったら、自分だけでなく他のみんなに襲いかかる惨劇も回避できなくなってしまうのだから……。 梨花(部族): ……。……えっ……? と、その時。ふと、水面に映る自分の姿と視線を交わした私は、その奥にある「何か」に……気づく。 梨花(部族): これって……もしかして……?! Part 03: 梨花(部族): ……羽入、ちょっと戻ってきて! 羽入(巫女): ど、どうしましたのですか、梨花……? 私の叫びに異常を感じたのか、羽入もまた血相を変えてこちらに駆けつけてくる。 そしてそばに来るのを待ってから、私は水面に手を伸ばして……彼女にも見えるようわずかに身体を傾けていった。 梨花(部族): 見て……この水面の向こうに映っているものを!これって、あの「#p雛見沢#sひなみざわ#r」よね……? 羽入(巫女): ま……間違いないのです!ひょっとしてこの湖の底は、元の「世界」に繋がっているということですか……?! 梨花(部族): その可能性は高いわ。つまり……。 梨花(部族): 私は……いえ、私たちは世界を創造したんじゃない。これまでと同じように、平行世界を渡り歩いて……。 梨花(部族): そして、元々用意されていたこの「世界」に放り込まれて……閉じ込められた……? 羽入(巫女): だ……だとしたらおかしいのです!梨花は確かあの時、真の黒幕が誰かに気づいて脱出するべく別の「世界」を作り出したのですよね? 梨花(部族): えぇ、そうよ。確かに私は、力を与えられてそれを行使した。だけど……。 梨花(部族): その記憶さえ……魅音たちと同じく「改変」されていたとしたら……? 梨花(部族): 魂の消滅を避けるべくこの「世界」に留まって自分を保とうと必死にあがいていることさえ、敵の#p思惑#sおもわく#r通りだったとしたら……っ……! 羽入(巫女): り……梨花っ!だめなのです、心をしっかり持ってください! 羽入(巫女): ここであなたの気持ちが挫けたりしたら、全てが終わってしまうのですよッ?! 梨花(部族): はっ……?! 自分の記憶に疑いを持ちそうになり、思わず絶望を覚えかけてしまったが……羽入の言葉に、私は我に返る。 あぁ……そうだ。たとえ誰かによって操られていたとしても……私は「気づけた」のだ。だったら、手の打ちようがあるはずだ……! 羽入(巫女): ……梨花。あなたは真の黒幕を見た、と言っていましたね。でもその映像は「世界」を移動する際に消えてしまった……。 羽入(巫女): やはり……今でも思い出せませんか?何者があなたに接触して、何を告げたのかを……。 梨花(部族): ……えぇ、ごめんなさい。顔を見たのは確実だし、告げられた内容を聞いて恐ろしさに身が震えたことも覚えているのに……。 梨花(部族): まるでその部分だけを切り取って、箱の中に放り込んだ上で施錠された……そんな感じがするわ。 羽入(巫女): っ……梨花にそれだけのことをやってのけて、おまけに僕にも知覚できない相手……。 羽入(巫女): つまりそれは、もしかしたら……ッ……? 梨花(部族): あんたの想像した通りよ。私は、……「こいつ」を知っている。そして「会った」ことがある……! これまでとは明らかに異なる「世界」で見つけた、思いもしなかった手がかり……。 それを掴んだ事実に打ち震えながら、意気を取り戻した私は羽入に振り返っていった。 梨花(部族): 羽入……このことを、あの子たちに伝えるわ。ここでは無理だとしても、次の「世界」で必ず……! 羽入(巫女): ぼ……僕もきっと、忘れないのです。そしていつか、惨劇の向こうに……! 梨花(部族): えぇ……やりましょう、羽入。それが私たち、最初の『繰り返す者』としてみんなのためにできる抵抗……。 梨花(部族): そして、あの子たちを巻き込んでしまった「償い」だから……!