Prologue: ――それはもう、もはや遠い記憶になった幼い頃の思い出話。 泣き腫らした赤い目元をぐしぐしとこすりながら、私は腹の虫がおさまらない思いで神社の裏にある山道を早足で歩き続けていた。 羽入: あぅあぅ……ま、待ってくださいなのですよ、梨花……! 背中越しに聞こえてきた「彼女」の呼びかけをあえて無視し、地面を苛立たしく蹴っていく。 ……とはいえ、振り切るつもりはなかった。むしろ追いかけてくれなかったら、きっと私はもっと悲しくて再び泣き出していただろう……。 羽入: あぅあぅ……話を聞いてください、梨花ぁ……! 梨花: ……っ……! やっと追いついて腕を掴んでくる「彼女」に振り返りながら、私はきっ、と怒りを込めてにらみつける。 八つ当たりだという自覚は、一応あった。だけど、その頃の私は今以上に我慢がきかず……素直に従う気にはなれなかったのだ。 梨花: ……話をすることなんて、何もないのです。悪いのは向こうで、ボクは間違ってなんかいないのですよ。 羽入: ……あなたの気持ちは、よくわかります。でも、だからといって自分の母親のことを「向こう」だなんて呼び方をするのは……。 梨花: 向こうは向こうなのです。……そもそも、あっちが仲良くしようとしていないのですからボクがどう呼ぼうと関係ないのですよ。 羽入: 梨花……。 悲しそうに私を見つめながら、「彼女」は大きくため息をついてみせる。 ……私と母の不仲は、今に始まったことではない。物心がついた時から何かにつけて、母は私に対し小言をいったり、嫌な顔をしてみせたりした。 嫌われるようなことは……何もしていないと思う。少なくとも覚えはないし、母に喜んでもらいたくて手伝いなども積極的にやってきたつもりだ。 なのに母は、一応褒めてはくれるものの……どういうわけか怪訝な表情を浮かべるばかり。 それどころか最近は、てきぱき動く私のことをまるで得体のしれない何かのように見てくることが多々あって……正直、不愉快だったのだ。 だから、今日……業を煮やした私は、尋ねた。つい、言って「しまった」のだ。 梨花: 『ボクがなんでもできると、あなたにはそんなにも面白くないことなのですか……?』 ……あとになってから思うと、もう少し穏便な言い方があったような気がする。事実、それを聞いた母は即座に「激怒」した。 さすがに手を出すことはなかったけれど、感情をむき出しにした「あの人」のことを本気で怖いと思ったほどだった……。 羽入: あぅあぅ……ですが、家を飛び出した上にこんなところまで来たと知ったら、あなたのご両親が心配するのですよ~。 梨花: 心配なんて、するわけがないのです。むしろボクを叱り飛ばす理由ができて、きっと喜んでいると思うのですよ。 羽入: そんなことを言わないで、戻りましょうなのです。この道は村の詳しい人間でも、気を抜くと迷ってしまうほどの奥地に繋がっているのですよ。 梨花: 帰りたければ、ひとりで帰ればいいのです。……ボクはしばらく、ここで頭を冷やすのですよ。 羽入: あ、あぅあぅあぅ……。 梨花: ……みー……? 困った顔で説得しようとする「彼女」の様子を尻目にしながら、さらに奥へと足を進めた私は……ふと、斜面の近くに何かを見つける。 それは……小さく朽ちかけた、祠のようなもの。伸び放題に生い茂った雑草の陰に隠れていたので、視界に入ったのは本当に偶然だった。 梨花: ※※……これがなんだか、わかりますですか? 羽入: 何か見つけたのですか? えっと……。 羽入: ……あっ……。 私が指さした「それ」を見た途端、「彼女」は声を上げて目を見開く。 その反応から、おそらく「彼女」が知っているものなのだと理解した私はさらに尋ねかけていった。 梨花: 祠のようにも見えますですが……何かを祀っているのですか? 羽入: ……はい。これは、『稲荷大明神』を祀った祠ですね。 羽入: 稲荷大明神とは『お稲荷様』との俗称で呼ばれて、農作物の豊穣を司るありがたい神様なのですよ。 梨花: 神様……?この村の神はあなただと教えられましたが、他にも仲間がいるということなのですか? 羽入: いえ、そうではなくて……その……。 梨花: ……? 歯切れの悪い「彼女」の返答に、私は首を傾げて怪訝な思いを抱く。 「彼女」はいつも、私の疑問にはなんでもすぐに答えてくれた。だからこそありがたくて、頼れる存在だった。 だけど、この問いに対してすぐに答えてくれないのは、どういうわけだろう……? 梨花: みー……何か、答えてはまずいという理由があったりするのですか? 羽入: ……。あなたにとって、あまり楽しい話にはならないと思いますので……でも……。 梨花: でも……? 羽入: ……そうですね。むしろあなただからこそ、知っておいたほうがいいかもしれません。 そう前置きしてから、「彼女」は語り出す。 ……私が自宅へ戻ったのは、それから数時間後。厳しい口調で、両親からは怒られたけれど……。 それが記憶に残らないほどの衝撃と印象を、幼い日の私は胸に刻みつけていた――。 #p雛見沢#sひなみざわ#rは、今日も雨。季節がちょうど梅雨時ということもあり、ここしばらくの間はお日様を見ていない。 そして、雨が絶え間なく降り続ける中……私たちは傘をさして通学路を歩いていた。 一穂: ……っ……。 地面は一応舗装がされているけれど、水はけが悪いせいか水たまりが点在している。そのせいで、とても歩きづらい……。 一穂: ほんとによく降るねぇ。 雨粒が差し込まないよう傘をわずかに傾け、私はどんよりと曇った空を見上げる。 私、そして隣を歩く美雪ちゃんの足元は膝下近くまで泥だらけだ。 この様子では、靴の中までぐしょ濡れだろう。……そのせいか彼女は、とても不機嫌そうに顔をしかめていた。 美雪: んー……こりゃ、明日からは長靴で歩いたほうがいいかもね……。菜央みたいにさ。 そうぼやきながら、美雪ちゃんは前を歩く菜央ちゃんを恨めしそうに見つめる。 少し歩きにくそうにはしているけれど、濡れる心配がないこともあってかその足取りは軽やかだ。それに……。 菜央: っと……水たまりに入っちゃった~。でも、全然大丈夫♪あたしにはこの長靴があるんだから~☆ 菜央: ふふん、いいでしょこの長靴っ。可愛らしくてセンス抜群で、もう最高~♪ 菜央ちゃんは楽しそうにそう言いながら、自慢げに足をちょっと持ち上げてみせる。 ただ、ご機嫌な彼女に対して私は肩をすくめ……美雪ちゃんはうんざり顔でため息をついていた。 美雪: あー、はいはい。よかったねぇ菜央さんや。……けど、だからって水たまりに自分から入っていかないように気をつけなよー。 菜央: あら、少しくらいはいいじゃないの。長靴なんだから、濡れることがないんだしね♪ 美雪: いや、飛沫がこっちに飛んでくるからさ……。浮かれるのはいいけど、すっ転んでずぶ濡れになったって私は知らないからねー。 一穂: あっ、美雪ちゃん。そっちは……。 美雪: ……うわっと?! うっかりよそ見をしていたのか、美雪ちゃんのスニーカーの足が深い水たまりにずっぽりと浸かってしまう。 慌てて引き上げても、あとの祭り。紐の部分どころか、もはや靴下まで薄茶色に染まっていた……。 美雪: こんちくしょう……!なんだよもう、今日は厄日か天中殺かっ? 一穂: あ、あははは……。 美雪: はぁ、しょうがない……。学校に着いたら知恵先生に頼んで、スリッパでも借りるしかないか。 一穂: うん、その方がいいかも……。私も余りがあったら、そうさせてもらおうかな。 美雪ちゃんほどではないものの、私の靴の中にもかなり水がしみ込んでいる。……帰るまでに、乾いてくれるだろうか。 美雪: むしろ明日からは、裸足でサンダルとかの方がいいかもねー。あ、でも……校則だとどうなってるんだろ? 一穂: う、うーん……事情を話せば、先生たちも許してくれるんじゃないかな? 一穂: 雨続きのせいで道も水たまりだらけだから、靴で歩くのはさすがに無理があるしね……。 美雪: まったく……いつまで続くんだか。例年よりも梅雨入りが早いそうだけど、ここまでだとさすがにうんざりしてくるよ。 菜央: そうかしら?晴れでも雨でも、楽しく思えるかどうかは自分の気持ち次第だと思うけどね。 菜央ちゃんは満面の笑みを浮かべながら、その場でくるりと一回転してみせる。 長靴を履いている状態で、この動きはすごい。……まぁ、こんなにも水たまりだらけの場所で真似したいとは全く思わないけれど。 美雪: はいはい、キミがご機嫌だってことはよぉぉくわかったからさ。はぁ……。 一穂: あ、あははは……でもその長靴、とっても似合ってるよね。傘もかわいい絵柄だし。 菜央: でしょでしょ?レナちゃんがあたしにくれただけあって、すっごく素敵んぐって感じよ……♪ 菜央: あ、ちなみに今のは「素敵」と「キング」を合体させた言葉だからねっ。 美雪: いや、解説しなくてもわかってるってば。まったく……。 もはや相手をするだけの余裕もないのか、美雪ちゃんは頭を抱えて首を振ってみせる。 ……菜央ちゃんがここまでご機嫌なのは、言うまでもなく今履いている長靴がレナさんからもらったおさがりだからだ。 もちろん、手に持つ傘もそれと同じ。多少の年季が入っているものの、彼女にとってそれが瑕瑾にさえなるはずもなかった。 菜央: ほわぁ……これがレナちゃんの使ってた長靴と、傘……!素敵ステキ、素敵すぎてもう最っ高……! 菜央: たとえ雨が上がっても、晴れの日でもこの格好で登校したいわぁ……♪布張りだから日傘にもなるし、長靴も……。 美雪: ……ほんと、菜央が羨ましいよ。長靴と傘だけで雨の日を楽しめるなんてさ。 美雪: 私の足はもうグチャグチャで、朝から最悪の気分だってのに……はぁ。 菜央: 逆にあたしは、今日も絶好調~!あと1週間……いえ、1年間通じてずっと雨ばっかりでも全然平気だわぁ~♪ 美雪: いやいや、怖いって!そこまでいくと私のスニーカーどころか、雛見沢がダムなしで水没するっての! 一穂: だ、だよねぇ……。 菜央: 何言ってるのよ、美雪。レナちゃんと一緒にダムの底に沈むならあたしは本望だわっ! 美雪: あの、キミさ……自分で何を言ってるかわかってる……? 美雪: うわっ?! って、また水たまりに!もう裸足で歩いた方がいいくらいだよ、トホホ……。 一穂: 私も似たようなものだけどね……。 美雪: ……えぇい一穂、こうなりゃ強行突破だ!走るよ! 一穂: えっ……は、走るの?でもそんなことしたら、もっと足元が……。 美雪: うりゃあああああああああッ!! 一穂: あ、美雪ちゃん! 早まらないで~~っ! 菜央: あたしはスキップしちゃおっかなぁ♪ランランラン♪ 一穂: ……。私は、普通に歩いていくね。 さすがに付き合う気分にはなれなくて、トボトボと歩き出す。 鬱陶しく降りしきる雨の中、私たちはそれぞれのペースで分校へと向かった……。 Part 01: 美雪: はぁ……授業前だってのに、散々な目に遭っちゃったよ。 そうぼやきながら美雪ちゃんは、荷物入れに偶然置いてあったタオルで濡れた髪を拭っている。 本来なら着替えたいところなんだろうけど、あいにく体操服は昨日洗濯のために全員分を持って帰ったので、ここにはなかった。 一穂: ねぇ、美雪ちゃん。魅音さんが登校してきたら、何か着替えがないか相談してみるのはどうかな……? 美雪: ……魅音に? この分校で?そして罰ゲームもなしで、一日中仮装して授業を受けろってこと? 一穂: あ、あははは……そうなる、よね……。 魅音さんに頼んだ時の顛末を思い浮かべて、私はその提案を撤回する。 園崎本家の屋敷だったらまだしも、この分校の中にある魅音さんの所有物は大半がゲームか、罰ゲーム用の何かだ。 さすがの彼女も、弱みにつけ込んで変な服を勧める……とは思いたくないけれど、逆に悪ノリする可能性も否定できなかった。 美雪: まぁ、猛チャージかけたのは短距離だし……いい具合に雨脚も少し弱まってたからねー。しばらくすれば、服も乾いてくれるはずだよ。 一穂: ……風邪ひかないように、気をつけてね。 もっとも、そう苦笑まじりに返す私の制服も彼女のことは言えない感じに、少し湿っぽい。 特に膝から下は、かなりの濡れ具合だ。美雪ちゃんと一緒に靴下も脱いで裸足になり、スリッパに履き替えていた。 一穂: 先生はまだ来てなかったから、無断で借りちゃったけど……大丈夫かな? 美雪: 心配いらないって、ちゃんと私が説明するからさ。先生だって、この天気だったらわかってくれるよ。 美雪: でもまぁ、ちょうど2人分があってよかったねー。まさに地獄に仏ってやつだよ。 菜央: これに懲りたらあんたたちも、明日から長靴にしたらいいのに。履いてみると、結構いい感じよ~♪ 美雪: はいはい、前向きに検討させていただきます。 菜央: ほわぁ……やっぱりレナちゃん、最高~☆ 美雪: って、聞いちゃいないよ……。 一穂: あ、あははは……。 盛り上がっている菜央ちゃんをよそに、私は教室をぐるりと見渡す。 まだ早い時間なので、誰の姿も見えない……ただ、机のひとつの上になにか、白いものがたくさん置かれているのが見えた。 一穂: ? あれって……。 確かめようと思って足を踏み出しかけたが、ちょうどそこで私は教室の後ろの入口から気配を感じて、顔を向ける。  : 姿を見せたのはさっきまで菜央ちゃんが話題にしていた当の本人、レナさんだった。 菜央: あっ……おはよう、レナちゃんっ! 間を置かず、菜央ちゃんは笑顔で彼女のもとへと駆け寄る。 レナ: おはよう、菜央ちゃん。一穂ちゃんと美雪ちゃんも、おはよう♪ 一穂: おはよう、レナさん。今日は日直だったんだよね。 レナ: うん。でも日直のお仕事はそんなになかったから、あっという間に終わっちゃって。 レナ: それで、知恵先生にお願いしていらない布をもらってきて……さっきまで「あれ」を作っていたんだ~。 レナさんはそう言って、自分の机に歩み寄って上に並べてあったものを指さす。 それは、さっき私が目にした白いもの。彼女に従ってさらに近づいてみると、私たちがよく知るものだとすぐにわかった。 菜央: これって、もしかして……てるてる坊主? レナ: うん、そうだよ。作り始めたら、なんだか止まらなくなっちゃって……はぅ。 レナさんは嬉しそうに、そのひとつを手に取ってみせる。 布を絞っただけのもののはずなのに……彼女の優しい性格を反映してなのか、その造形はとても可愛らしく映っていた。 レナ: ここのところ、ずっと雨続きだから。そろそろお天気になってほしいなって……はぅ。 美雪: ほら菜央、聞いたかい?レナはもう、雨続きがうんざりだってさ。 菜央: 何言ってるのよ。あたしも雨はいい加減お腹いっぱいだわ。 美雪: ……キミ、さっきは「雨最高!」って喜色満面で言ってなかったっけ。 菜央: それはレナちゃんの傘と長靴があっての前提よ。レナちゃんが雨はもうたくさん、って言うならあたしにとっても目障りな存在確定だわ。 美雪: 相変わらず、変わり身が早いねぇ……。つまり、レナが「カラスは白い」って言ったらキミはそれに合わせるってわけかい? 菜央: いいえ? 世界中のカラスに白ペンキを使って、白く染め上げるだけよ。 美雪: ……。愛情も、度を過ぎればホラーだね。 一穂: う、うん……。 おそらく冗談なんだろうけど、菜央ちゃんだったら本気でやりかねない……そして、実際にできそうな気がする。 それがわかるだけに、私と美雪ちゃんは「またまたぁ~」と笑う気分にもなれず、顔を見合わせるしかなかった。 菜央: あっ……レナちゃん、このてるてる坊主って……もしかしてっ? と、てるてる坊主のひとつに描かれた顔を見て、菜央ちゃんが声を上げる。 髪形もそうだけど、彼女が愛用するのと同じヘアバンドが描かれていた……ということは……。 美雪: あー、確かに。これは菜央によく似てるね。 レナ: あははは……なんとなく描いていたら、菜央ちゃんになっちゃったんだ。 レナ: これを作りながら、一緒にお買い物とかに行ったことを思い出していたからかな……かな? 菜央: ほ……ほわぁぁぁっっ~っっ!! 菜央ちゃんは飛び上がって、全身で喜びを露わにする。……そのまま昇天してしまいそうなほどの勢いだ。 菜央: す……素敵レナちゃん、天才っ!これ、家に持って帰って飾りたいかも、かもっ……! レナ: あははは……そう言ってくれるのは嬉しいけど、これは教室に飾るつもりで作ったものだから。 レナ: 菜央ちゃんにはあとで、別に作ったものをあげるね♪ 菜央: ほんとッ?! やったーー!!! 一穂: よかったね、菜央ちゃん。 菜央: えぇ! これで、雨が止んでも寂しくないわ! 菜央: あっ……だったらレナちゃん、あたしも作る!レナちゃんの顔を描いたてるてる坊主を作るわ! そう宣言すると、菜央ちゃんはレナさんと向い合うように座る。 そして、慣れた手つきで材料を手に取り、てるてる坊主を作り始めた。 美雪: おーい菜央、気持ちはわかるけど登校早々に工作を始めるんじゃないって。知恵先生に怒られたって知らないよー。 一穂: あ……そ、そうだよ。知恵先生もそろそろ来るんじゃない? レナ: あ、それなら平気だよ。知恵先生、穀倉の方で用事があるから今日は午後も自習してください、って。 レナ: さっき追加の布をもらいに行った時、そう言って出かけちゃったから……。あ、それと魅ぃちゃんも少し遅れるんだって。 美雪: え……そうなんだ?ということは、今日はずっと自習か。 美雪: んじゃ、私もてるてる坊主を作っちゃおうかな~。 一穂: えっ……美雪ちゃんも? あっさり前言をひっくり返して、美雪ちゃんはてるてる坊主作りに参加する。 さっきは菜央ちゃんに向けて、変わり身が早いと言っていたけれど……私に言わせれば彼女もいい勝負だろう。 美雪: ねぇ、この布って全部使っちゃっていいの? レナ: あははは、もちろんいいよ。よかったら一穂ちゃんも、一緒にどう? 一穂: うん……じゃあ、私も作ろうかな。 菜央: ……あっレナちゃん、まだ動かないで!今、レナちゃんの顔を描いてるから! レナ: は、はぅ……う、動いちゃダメ? 菜央: まぁレナちゃんの顔なら、見なくても鮮明に思い出せるんだけどね~。 美雪: 自慢気に言ってるけど……ちょっと気持ち悪いよ、菜央? レナ: あははは……だったらレナも、腕によりをかけて菜央ちゃんに持って帰ってもらうてるてる坊主をかぁいい顔に作ってあげなきゃ、だね♪ 菜央: ひゃうぅぅぅぅぅッ♪おっもちかえりぃぃぃいッ♪♪♪ 菜央ちゃんが歓喜の声を上げた、その時──。 沙都子: おはようございま……ってレナさんたち、朝からいったい何を騒いでおられるんですの? ちょうど登校してきたばかりの沙都子ちゃんと梨花ちゃん、羽入ちゃんが教室に入ってきた。 Part 02: 一穂: 3人とも、おはよう。雨に濡れたりしなかった? 梨花: おはようなのです、ぺこり。ボクたちは長靴を履いて雨合羽を着てきたので、全然平気だったのですよ。 沙都子: をーっほっほっほっ!悪天候の中でも汚れず、濡れずに移動する……それがトラップマスターの基本動作でしてよ~。 羽入: あぅあぅ……沙都子は昨日帰る途中に水たまりの上で転んでしまったので、今朝は完全装備で来たのですよ。 沙都子: うぐっ……し、失敗こそが成功の母という教訓を実践したまででしてよっ! 美雪: ……それって、こういう時に使う言葉だったっけ? 菜央: 微妙に間違ってる気もするけど、今日の醜態をさらした美雪は多少見習ったほうがいいんじゃない? 美雪: おぉうっ、フレンドリーファイア直撃……! 羽入: それはともかく……レナたちはそこに集まって、何をしているのですか? そう言いながら羽入ちゃんたちは、レナさんの机の周りに集まってくる。 そして、たくさんのてるてる坊主を目にすると一様にぱっ、と楽しそうな顔になった。 羽入: あぅあぅ~。とっても可愛いてるてる坊主さんなのですよ~♪ 沙都子: これって、皆さんの手作りですの? 美雪: 大半はレナが作ったやつだね。私たちは今、作り始めたばかりだからさ。 菜央: ほら、見て見て!レナちゃんの作ったてるてる坊主の顔、誰に似てるかわかる……? 羽入: あぅあぅ、これは……。 梨花: みー、菜央にそっくりなのですよ。 菜央: 大正解~~!!! 沙都子: 同じヘアバンドでも、私と菜央さんでは位置が違いますものねぇ。よく特徴をとらえておいでですわ。 菜央: でしょっ? でしょっ? 菜央: あと、レナちゃんがね。材料はまだたくさんあるから一緒に作ろう、って言ってくれたの♪ 一穂: あははは……菜央ちゃんは誘われる前から、先に作り出してたけどね。 美雪: まぁ、いい加減この鬱陶しい雨を止ませたいからね……。ここはひとつ、苦しい時の神頼みってやつだよ。 美雪: 見てよ、ほら。分校に来るだけで、靴も靴下もグチャグチャで……今日は裸足のスリッパ暮らしが確定なんだからさ。 羽入: あぅあぅ……昨日の沙都子も、全身ずぶ濡れで涙目だったのですよ~。 沙都子: お、思い出させないでくださいまし……!にしても、本当にひどい雨続きですわね。晴れの日がいつだったか忘れてしまいそうですわ。 美雪: んー、確かに。もはや生まれた時から降ってるような気分だよ。 梨花: みー、だったらボクも作りたいのですよ。 羽入: あぅあぅ、僕もなのですよ~。 沙都子: 材料はまだあるんですの?でしたら大量に作って、効果を少しでも上げてみせましてよ。 美雪: んじゃ、これから来る子たちにも手伝ってもらうのはどう?図画工作の延長ってやつでさ。 一穂: この感じだとてるてる坊主が千羽鶴みたいになりそうだね。午前の自習がこんな内容でいいのかなぁ……? そう苦笑しながら、私は何気ない思いでてるてる坊主を作っている梨花ちゃんに目を向ける。と、 梨花: …………。 なぜか彼女が、暗く沈んだ表情を浮かべている気がして……首を傾げた。 一穂: えっと……梨花ちゃん? 梨花: ……みー? どうしましたか、一穂? 私に呼びかけられて顔を上げると、梨花ちゃんはいつものにこやかな笑顔に戻っている。 一穂: (……気のせい、だったのかな?) 一穂: ……ううん、なんでもない。 一穂: ねぇ、私もそっちで一緒にやっていいかな? 梨花: もちろんなのですよ、にぱー。 とりあえず私は気を取り直し、梨花ちゃんたちのてるてる坊主作りに加わって作業を始めた。 一穂: てるてる坊主の作り方がわからない人は、なんでも聞いてね~。 美雪: わかる人は、周りのわからない人に教えてあげるんだよー。 下級生: はーーい! 午前の授業時間になってから教室は、大規模なてるてる坊主工場と化していた。 他の下級生も巻き込んで、全員が楽しそうにてるてる坊主を作っている。 一方の窓際ではレナさんたちが、完成した大量のてるてる坊主を窓枠にずらりと吊るしていた。 美雪: んー、てるてる坊主もこれだけ揃うと壮観だね。ちょっと不気味な感じもするけど……。 一穂: 不気味……? 梨花: 確かに、そのようにも見えるのです。雨が止まなかったら、歌詞のおまじないどおりいっせいにずらっと並んだ首をちょん切って――。 一穂: ちょっ……やめてよ、梨花ちゃん!てるてる坊主が怖い感じになっちゃうよ……。 梨花: 冗談なのですよ、にぱー☆一穂は怖がりさんなのです。 一穂: だ、だって……そんなことを言われたら、誰だって怖いと思うよ……。 沙都子: あらあら、この可愛らしいてるてる坊主さんがそんなふうに見えてしまうなんて、まさに#p雛見沢#sひなみざわ#rならではですわねぇ~。 美雪: ……どういう「ならでは」だよ。雛見沢だと、流血が珍しくないとでも? 羽入: …………。 菜央: あのね……部活メンバーの顔をしたてるてる坊主もいるんだから、妙な言いがかりはやめてちょうだい。 一穂: ご……ごめんなさい。 菜央: いや……一穂が謝らなくてもいいけど。 レナ: はぅ……そうだよ。顔はみんなかぁいいんだからね~。 レナ: それに、これだけ吊るせばきっと近いうちに雨も止んでくれるんじゃないかな……かな。 美雪: だね。きっと天気の神様もお願いを聞いてくれると思うよ。 レナさんと美雪ちゃんの言葉に、一瞬不穏になりかけた空気が和らいで教室内は明るい雰囲気に包まれる。と、 魅音: ……おっ、なんだ。みんな、ずいぶん盛り上がっているねー。 そう言いながら教室に入ってきたのは、少し遅れると連絡のあった魅音さんだった。 沙都子: あら魅音さん、今日はずいぶんと重役出勤ですわねぇ。 魅音: いやー、ごめんごめん。野暮用につかまって、遅くなっちゃったよ。 魅音: 知恵先生は職員室にいなかったみたいだけど……今日は自習? 一穂: うん、用事で穀倉に出かけてるんだって。 魅音: あー、そっか。最近先生も忙しいって話だしね……って、わわっ?! そこでようやく魅音さんが、窓際にずらっとぶら下がっている大量のてるてる坊主に気づいて仰け反った。 魅音: な……なんだ、てるてる坊主かぁ。雛見沢に新たな惨劇が生まれたのかと思っちゃったよ。 菜央: ちょっともう、魅音さんまで……! 梨花: 血なまぐさいことに結びつけてしまうのは雛見沢の血なのですよ、にぱー☆ 沙都子: ほんと、イヤな血ですわねぇ。 一穂: あ、あはは……。 魅音: で、この大量のてるてる坊主はどうしたのさ? 美雪: レナが作ってたのを真似して、みんなで作ったんだよ。 菜央: 魅音さん、レナちゃんの作ったこのてるてる坊主……誰かに似てると思わない? 魅音: んー?……あ、菜央ちゃんか! 菜央: 大正解~♪ 美雪: またやってるよ……飽きないねぇ。 一穂: あははは……よっぽど嬉しかったんだね。 魅音: なるほど。図画工作の自習代わりにてるてる坊主を作っていたってわけか。 魅音: 確かに、てるてる坊主も作りたくなるよね。最近はずっと雨ばっかだしさ……。 美雪: 天気に関して私たちにできることなんて、これくらいだしさ。鰯の頭も信心から、てな感じだよ。 魅音: ……そうだねぇ。年寄り連中も、それくらいの気持ちでいてくれたらよかったんだけど……。 ふと魅音さんの声と表情が沈んだのを、みんな見逃さない。 レナ: 魅ぃちゃん……? 何かあったのかな、かな? 沙都子: もしかして、また何か面倒事ですの? 魅音: んー、ちょっとね……。 そう言って魅音さんは、言葉を濁すように苦い笑みを口元に浮かべる。 そしてしばらく迷うように黙ってから、私たちに顔を向けていった。 魅音: とりあえず、話は昼休みに。一応、今は自習中でしょ? 美雪: あ、そうだった。 魅音: みんなも、てるてる坊主作りはそれくらいにしてしっかり自習するようにねー! 遅れてきたとはいえ、魅音さんは委員長らしくみんなに指示する。 下級生たちは「はーいっ」と声を揃えて返事をし、それぞれ自分の机に戻っていった。 沙都子: 私たちもお手本になるように、しっかりお勉強しなくてはですわ。 一穂: そうだね。じゃあ、話はまたあとで。 魅音: うん、あとでね。 Part 03: そして、昼休み。 弁当をつつきながら、魅音さんは約束通り「面倒事」についてみんなに話してくれた。 魅音: 実はさ……昨夜は結構遅い時間まで、村の寄合があったんだ。 梨花: ……みー、そうだったのですか?ボクは聞いていないのですよ。 美雪: あれ、梨花ちゃんは知らなかったの? 魅音: あー、ごめんごめん。急に言われた上に遅くまでかかりそうだったからさ。 魅音: さすがに梨花ちゃんにはきついだろうから公由のおじいちゃんが呼ばなくてもいい、って声をかけなかったんだよ。 沙都子: 確かに……昨日も梨花は夕飯を食べてから、あっという間に寝ついてしまいましたわね。 梨花: おなかがいっぱいになると眠くなるのですよ。 魅音: てなわけだから、事後報告になったんだ。そのつもりで聞いてね。 梨花: 了解なのですよ、みー。 レナ: でも……どうしてそんな急に寄合が開かれたのかな……かな? 魅音: 実は……この雨のことで、ちょっとね。 魅音: 年寄りの一部が、最近のこの雨続きの天気はおかしい、って騒ぎ始めてさ。 魅音: 何かの呪いか、#p祟#sたた#rりがあってのことじゃないか……って。 一穂: えっ……?! 魅音さんの思いがけない言葉に、みんなの表情が一斉に曇り……重い空気の中で緊張が駆け巡った。 レナ: はぅっ……?それってまさか……毎年この時期に起きている、あの……?! 魅音: いやいや、そっちじゃない!「あれ」とは絶対に違うから!! 顔を青くしたレナさんに、魅音さんが慌てて否定する。 そして、不安そうに俯くレナさんに「ごめん」と手を合わせると、彼女はさらに言い募っていった。 魅音: 迂闊に「祟り」って言葉を出したのは私の失言だから、気にしないで。確かにそういった意見もあったけどさ……。 魅音: 「あれ」は、天気とは何の関係もない。そもそもそういう話なんて、今まで一度もなかったんだからさ。 羽入: あぅあぅ……そうなのです。天気とは何の関係もないのです。 梨花: みー、天気に関係するおかしな言い伝えは今まで#p雛見沢#sひなみざわ#rで聞いたことがないのですよ。 レナ: そ、そうだよね……。 魅音: というわけだから、レナ。そんなに身構えなくても大丈夫だよ。 レナ: ……うん。変な感じに反応しちゃって、ごめんね。 魅音: いや……私もそのまま言っちゃって、悪かった。 魅音: とにかく、「あれ」の心配はないと思う。それだけはここで誓ってもいいよ。 レナ: ……わかった。 レナさんはまだ青い顔ながらも、納得したように頷く。その様子を見守りながら、私と美雪ちゃん、そして菜央ちゃんは密かに目配せを交わした。 ……もちろん私たち3人は、「あれ」を示すものが『オヤシロさま』に関することだと気づいている。 美雪: あのさぁ……「あれ」って、なんのこと? だけど、それはおくびにも出さないよう慎重に……美雪ちゃんが軽い感じで問いかけていった。 魅音: あ……ごめんごめん!そっかそっか、あんたたちには「あれ」の話ってちゃんと話したことがなかったよね。 菜央: ……うん。でも、なんとなく噂だけは……ね? 一穂: う、うん……。 魅音: そうだったよね。まぁ、いずれちゃんと話さなくちゃならないことではあるんだけど……。 魅音: 今は、本題から脱線するだけだからさ……また後日ってことにしてもらってもいい? 菜央: えぇ、もちろん。それにたぶん「それ」って、いろんな人からなんとなく聞いてることだと思うし……。 菜央: あたしたちはもう雛見沢の住人なんだから、そんなに気遣ってくれなくても平気よ。 魅音: ……そっか、そうだね。ありがと、そう言ってくれると助かるよ。 魅音: じゃ、その話はいずれそのうちってことで。……今は、昨夜の寄合の話をさせてもらうよ。 魅音さんは安堵したような笑顔を浮かべ……すぐに真剣な表情になってから、話を戻した。 魅音: この天気が、何かの呪いの類じゃないかって一部の年寄りたちが言い出したんだよ。 魅音: まぁ、私も婆っちゃも何をバカなことを、って最初は笑い飛ばしていたんだけど……。 美雪: んー、まさか本当に呪いだった……ってわけじゃないんだよね? 魅音: まさか。でも、それを本気で信じちゃっている人間がたくさんいるってのが問題でさ。 魅音: この村の年寄り連中は、かなり信心深いのが多いせいで……ちょっとした異常現象でも神様だの霊だののせいにしちゃうんだよ。 美雪: 鰯の頭も信心から……の悪い影響の例だね。 梨花: 枯れ尾花も、怖がって見れば幽霊に見えるのですよ。 菜央: そうね。ただ、信じてる人にとってそれは現実になり得る……か。 魅音: うん。中には呪術のようなものをやり出したり、体調を崩したりする連中が出てくる始末で……。 一穂: えっ……そうなの? 美雪: まぁ……催眠術で、これは焼けた鉄の棒だって暗示をかけながら普通の鉄の棒を押し当てると、本当に火傷した感覚になるって話もあるしね。 沙都子: 病も気からってやつですわ。 魅音: それで、必要以上に怖がってる年寄りたちの動揺や不安を鎮める方法はないものか、って頭を悩ませているところなんだ。 菜央: なるほど……でも、それはちょっと厄介な作業になると思うわ。 美雪: そうだね。頭の硬い年寄りたちを納得させるのはなかなか難しい作業だしさ。 一穂: 美雪ちゃん、そんな言い方はさすがに……。 魅音: いや、実際その通りなんだよ。どれだけ言葉で心配ない、って言ったっててんで耳を貸さないしね……。 羽入: あぅあぅ……。梨花、何か良い方法はないのでしょうか? 梨花: …………。 羽入ちゃんに問いかけられても、梨花ちゃんは反応もなく、上の空だった。 ただ、何か考え込んでいるように黙り込み……やがておもむろに顔を上げる。そして、 羽入: 梨花、どうしたのですか……? 梨花: ……。いい方法があるかもしれないのです。 そう言って梨花ちゃんは、魅音さんに少し緊張した面持ちで顔を向けた。 魅音: 方法……って、年寄りたちの不安を取り除く何かいい手があるってこと? 梨花: はいなのです。 沙都子: どうするのですか? 梨花: 迷信を信じている年寄りたちには、迷信で納得させればいいのですよ。 美雪: 迷信で……って、どういうこと? 梨花: 実際に呪いを払う、お#p祓#sはら#rいのようなことをしてみせるのですよ。 一穂: お祓い? 梨花: はいなのです♪ 驚いている一同に、梨花ちゃんは不敵な微笑みを浮かべていた。 Part 04: 沙都子: 実際に呪いを払う、お#p祓#sはら#rい……それってつまり、どういうことなんですの? 梨花ちゃんの突然の意外な提案に、みんな目をぱちくりさせている。 梨花: 話した通りなのです。迷信に基づいたおまじないイベントをやって、みんなに安心してもらうのですよ。 美雪: んー、まぁ……お祓いをして呪いが解けた、ってことをやってみせれば、納得するかもだけど……。 魅音: でも、お祓いってどうするのさ?こんな時に使えそうなお祓いを知っているの? 沙都子: #p雛見沢#sひなみざわ#rの頭の固い年寄りたちは、適当なお祓い程度ではにわかに信じないと思いますけど……大丈夫ですの? レナ: この村の人たちが信じているものは……特殊だもんね。 梨花ちゃんのアイデアにも、みんなまだ懐疑的だ。それくらい雛見沢で信じられているものは特殊で、そして確固たるものだった。 ただ、みんなの不安げな表情にも彼女は余裕そうな笑顔を崩さず、続けていった。 梨花: 大丈夫なのですよ。世間一般によく知られている、古くて有名な神様の名前と力を借りるのです。 菜央: 有名な神様……?それって、どんな神様のことを言ってるの? 梨花: 農業神である『稲荷大明神』なのです。つまり、稲荷大明神を祀った晴れ乞いの儀式を大々的に行うのですよ。 羽入: っ?! 梨花、それは……! 梨花ちゃんの説明を聞いて、何か思い当たることでもあったのか羽入ちゃんは驚いたように目を見開く。 しかし、そんな様子にも構わず彼女はさらに言い募っていった。 梨花: 晴れ乞いの儀式は、別に不思議でもありません。天候に関することは、昔だと全て神様に頼んでなんとかしてもらっていたのです。 梨花: 雨を降らすのも、止ますのも……全部神様の仕事なのですよ。みー。 魅音: うーん……でも、それって大丈夫なの? 沙都子: 大丈夫……って何がですの? 魅音: いや、私たちが勝手に……この村の神様でもない、世間一般で有名な神様の名前を使ったりして……罰が当たったりするんじゃないか、ってさ。 梨花: それなら問題ないのですよ、にぱー☆晴れ乞いの儀式は、以前は雛見沢でも行われていた儀式なのですよ。 レナ: えっ……そ、そうなの? 梨花: そうなのです。『狐の嫁入り』の喩えにもあるように、狐と雨に関わる昔々のお話は日本全国にありますが……。 梨花: 雛見沢にもそれに派生したものがあったのですよ。独り身の狐神が嫁探しをするために雨を降らせる……という昔話が。 羽入: …………。 レナ: はぅ……雛見沢に、そんな昔話があったんだね。 魅音: いや……おじさんも初耳なんだけど。それって、どんな儀式なの? 梨花: とっても古い昔話なので、どこまで本当かわからないのですが……。 梨花: 白無垢の花嫁を2人差し出し、形式上の婚礼を行うことで長く降り続いていた大雨を追い払うことができた……という言い伝えが残っているのですよ。 美雪: へー、そうなんだ。……でも、なんで白無垢が2人なの? 菜央: そうよね……2人も花嫁がいると、重婚になっちゃうわ。 梨花: 1人だと狐神に連れ去られてしまうので、もう1人がそれを止める役を担うのです。 梨花: 狐神は形式上、と言っていましたが……その約束を違えるかもしれないので、村人たちが用心のために行ったそうなのですよ。 菜央: やけに念が入ってて、リアリティがあるわね。 一穂: うん。ちょっと怖いかも……。 梨花: 大丈夫なのですよ、ただの昔話なのです。ちなみにこのお話は、お魎も幼い頃に聞いたので知っているはずだと思うのですよ。 魅音: あれ、そうなの?うーん、私は聞いた覚えがないんだけど……なんで教えてくれたなかったんだろ? 魅音: まぁ、婆っちゃも知っているくらいに昔からある話だったら……確かに年寄りたちも儀式をやることに賛同してくれるだろうね。 魅音: ……ただ、それでも雨が上がらなかった時はまた面倒なことになりそうだけどさ。 沙都子: ですわねぇ……。他の神様を利用しようとしたから神罰が下った、なんて言い出しかねませんわよ? 美雪: んー……もしそんなことになったら、今以上の大騒ぎになるかもね。 菜央: そう悲観的に考えなくてもいいんじゃない?たまたま梅雨の季節に雨が長く続いてるだけで、雨はいつか上がるものよ。 菜央: 効き目が遅かった、とでも言えば納得してもらえるんじゃないかしら。 一穂: だよね……止まない雨はない、って言うし。 レナ: 永遠に降り続く……なんて、あり得ないよね。 菜央: 大事なのは「#p祟#sたた#rり」に対して、ちゃんとお清めの儀式をすることで……不安を取り除いたって事実だと思うわ。 菜央ちゃんのフォローは論理的で説得力があった。確かに、とみんな頷いている。 魅音: とにかく、寄合で議題に上げてみよう。怯えている人たちがそれで安心できるんだったら、やってみる価値はあると思うよ。 美雪: いいんじゃない?で、問題は、誰がその白無垢役をやるのかってことかな。 一穂: それは、実際白無垢姿になるってこと……? 梨花: もちろんなのです。本物の花嫁と同じ装束なのですよ。 魅音: おじさんは白無垢ってガラじゃないしなぁ。 レナ: はぅ……レナは、ちょっと着てみたいかも。お嫁さんって、女の子の憧れだもんね……♪ 菜央: えっと……レナちゃん。嫁入り前に花嫁衣装を着ると、婚期が遅れるっていうけど……大丈夫? レナ: そ……それは、ちょっと困るかも……はぅ。 菜央: ……って、しまった!レナちゃんが誰とも結婚してくれない方が、あたしにとってはハッピーなのに……! 美雪: 菜央……キミさぁ。そうやって欲望ダダ洩れに口走ってると、いつかレナに愛想を尽かされるからね。 菜央: ぁいっ? い、いやこれは……その……。 レナ: はぅ……菜央ちゃん……。 菜央: ご、ごごご、ごめんなさいレナちゃん!あたしはその、レナちゃんと少しでも一緒に……! レナ: ……大丈夫だよ、菜央ちゃん。レナはどこにも行ったりしないから……ね? 菜央: ほわっ……れ、レナちゃん……ッ!! 美雪: ……ダメだこりゃ、レナの方も手遅れだったよ。 一穂: あ、あははは……。 魅音: まぁまぁ……それってウェディングドレスのジンクスだったはずだから、たぶん大丈夫だって。 美雪: んじゃ、白無垢はセーフ? 沙都子: 白無垢もウェディングドレスも、そう大差はないと思いますけど……別に気にしなくてもいいと思いますわ。 梨花: みー。そんな迷信を信じているようでは、雛見沢の老人たちを笑えないのですよ。 レナ: あ……あはは、そうだね。 菜央: と、とりあえず……その白無垢役になるのに条件とかがあったりするのかしら? 美雪: そうだね。狐にだって好みとかありそうだしさ。 梨花: 狐はロリコ……じゃなく、年が若い女の子が好きとのことなのです。 美雪: ……おい、今聞き捨てならない単語が聞こえた気がするんだけど。 梨花: 気のせいなのです。なのでボクは、沙都子と羽入を推薦するのですよ。 沙都子・羽入: えっ……ええええええっ?! いきなり指名された沙都子ちゃんと羽入ちゃんは、目を丸くしてお互い顔を見合わせている。 今の流れだと、まさか自分たちが指名されるとは思っていなかったのだろう。そして私たちもまた、意外な指名を聞いて呆気に取られていた。 沙都子: ど、どうして私なんですの……?!私、そんな儀式のことなんて右も左も前も後ろも、全て何もかもわかりませんのよっ? 梨花: 大丈夫なのです。ただ白無垢を着て、澄ました顔をしていればいいのですよ。 美雪: なにその、ざっくりした大雑把な説明は……?いくらなんでも乱暴すぎると思うんだけど。 沙都子: そ、それに……これって大事な儀式ですわよね?でしたら、古手家の出身である梨花さんと羽入さんのお2人の方が最適でしてよ?! その言葉に、確かにと私たちは頷く。御三家頭首のひとりに加え、今月の村祭りで#p綿流#sわたなが#rしの奉納演舞を行うのは梨花ちゃんだ。 沙都子ちゃんには申し訳ないけれど、彼女の方が適任だと思うんだけど……。 魅音: そうだよ、梨花ちゃん。沙都子はちょっと違うんじゃないか? 梨花: いいえ、今回は沙都子に頼みますのです。 沙都子: ずいぶん頑なですわね? 美雪: 梨花ちゃんは見てるだけなの? 梨花: いいえ。ボクには儀式とは別に、大切な準備があるのですよ。 魅音: ああ、なるほど。そういうことか。 美雪: 儀式には生け贄以外にも、儀式を執り行う審神者的な役割も必要なわけだもんね。 梨花: そういうことなのです。ですから、生け贄組のことは羽入にお任せするのですよ。 梨花: 2人でふぁいと、おーなのです。 羽入: あぅあぅ、そんな急にお任せされても……。 沙都子: 羽入さん、もう諦めた方がいいですわよ。梨花は言い出したら聞きませんもの。 梨花: そうなのですよ、言い出したら聞かないボクなのです。にぱー☆ 羽入: うぅ……だからと言って、居直られても困るのですよ。 羽入: でも……やるしかないのですね……。 梨花: そうなのですよ、もう覚悟を決めるのです。雛見沢のためなのですよ。 羽入: あぅあぅ……わかりましたのです。そういうことなら、精一杯務めさせていただくのですよ。 羽入ちゃんは戸惑いながらも、覚悟を決める。 村の人たちを救うためにできることは、今はこれだけなのだということもわかってはいるのだ。 沙都子: では……私も謹んでお受けいたしますわ。 沙都子: 羽入さん、初の大役でご面倒をおかけするかもしれませんが、色々と教えてくださいましね。 羽入: あぅあぅ、僕の方こそご面倒をかけるかもしれないのですが……なんとかやってみるのです。 魅音: んじゃ、2人とも頼んだよ。この雛見沢の運命がかかってるかもしれないんだからね。 2人の気持ちをほぐそうと魅音さんが軽口を叩いてみせるものの……彼女たちの笑みはまだ強ばっている。 あとは、私たちの準備とフォロー次第だろう。そう意気込んで私は、背後にいる美雪ちゃんと菜央ちゃんに頷いてみせた。 レナ: はぅ……梨花ちゃん。レナたちにも何かできることはないのかな……かな? 菜央: あたしたちもお手伝いさせてもらうから、なんでも言ってね。 梨花: もちろん、レナたちにも助けてもらうのですよ。よろしくお願いしますです、ぺこり。 魅音: おっし……まずは頭の固い老人たちを説得して、その晴れ乞いの儀式を了承させなくちゃね。 梨花: それはボクも手伝うのですよ。 魅音: そうだね、梨花ちゃんから話してもらうのが一番話が早い。 魅音: じゃあ、その儀式とやらについて詳しく聞こうか。急いで必要なものを手配しなくちゃならないし。 梨花: はいなのです。では、最初に儀式の進め方を大まかに話すのですよ。 梨花: 事前に必要なのが……。 Part 05: そして、数日後――。 魅音: 梨花ちゃんから提案のあった儀式だけど、明日の土曜日に実施が決まったよ。年寄り連中は諸手を上げてオッケー、だってさ。 美雪: そりゃまた、えらく急にやるんだねー。もう少し時間がかかると思ってたのにさ。 魅音: やっぱり古の慣習関係になると、古手家頭首の発言には重みと信憑性が増すからね。となると思い立ったら吉日、ってやつだよ。 沙都子: をーっほっほっほっ!それだけ皆さんにとっては渡りに船、を超えたお救いの手だったということでしてよ~! 美雪: んー、その喩えはどうだろ……。他にもっと適切な言葉ってあるかな、菜央? 菜央: そうね……って、あたしに聞かないでよ。語彙力であんたたちに敵うわけがないんだから。 一穂: そ、そうかな……? 少なくとも菜央ちゃんの知識は、私なんかよりもはるかに高いレベルにあると思う。 この年不相応な知識量と閃きの速さをどこで手に入れたのか……いまだに謎だ。 梨花: みー、沙都子の言う通りなのです。きっと不安を取り除くことができるのであれば、何でも試してみたいという思いなのですよ。 魅音: わらにもすがる……ってやつか。確かに雨続きで、かなり参っている年寄りも多いみたいだからね。 菜央: おまけに低気圧と湿気、日照不足……。こうも悪天候続きじゃ、迷信を信じてなくても物理的に体調に影響してもおかしくないわ。 美雪: そういった不調も、信心深いお年寄りたちなら呪いだとか思い込んでしまうかもしれないよね。 一穂: うん、そうだね……。 魅音: まぁ、とにかく儀式は問題なくできそうだよ。ただ、状況が状況で時間もかけていられないから、準備とかで忙しくなるつもりでいてね。 レナ: はぅ……特に沙都子ちゃんと羽入ちゃんは大事なお役目だから、頑張らないとだねっ。 羽入: あぅあぅ……あまり期待しすぎないでください。僕は今から緊張して、震えているのですよ……。 沙都子: わ……私だって緊張しておりましてよ。ですから古手家の羽入さんには、梨花に代わってしっかり支えていただかないと……。 梨花: そうなのですよ、羽入。ふぁいと、おーなのです。 羽入: あぅあぅ……が、頑張るのですよ~。 魅音: んじゃ、授業が終わったら古手神社に集合。ものを運んだり掃除をしたりするかもしれないから、軍手やタオルは忘れないようにね。 梨花: よろしく頼むのですよ、みー。ボクも儀式までに、済ませておくべきことを片づけておくのですよ。 美雪: えっと……ひとりで大丈夫?もしよかったら、少しくらいは手伝うけど。 梨花: お気持ちだけで、十分ありがとうなのです。ボクだけで全然平気なのですよ、にぱー♪ ……そんな感じに、古手神社で『狐の嫁入り』を模した晴れ乞いの儀式が行われることになった。 儀式の当日も、雨はまだ降り続いている。……居並ぶ面々は皆、一様に不安な表情だ。 美雪(私服): いやー、本当によく降るねぇ。儀式の準備を終えたタイミングで、皮肉っぽく雨が止んだりする可能性も考えたんだけど……。 菜央(私服): まぁポジティブに考えれば、その準備が無駄にならなくてよかったってことでしょ? 美雪(私服): 前向きだねぇ、キミは……って、あれ? 圭一(私服): よっ、美雪ちゃんに菜央ちゃん。話を聞いて、ちょいと遊びに来てやったぜ。 美雪(私服): 前原くんも来てくれたんだねー。足元が悪いのに、お疲れさま。 圭一(私服): いやー、実は監督に頼まれてさ。沙都子の「艶姿」をぜひとも写真に収めてきてくれ、ってな。 菜央(私服): ……入江先生って、メイド服以外にも興味があったの? 圭一(私服): まぁ監督の場合、沙都子は別格だからな。本当は本人も来たかったそうなんだけど、どうしても学会が抜けられないらしくて。 圭一(私服): 鷹野さん曰く、血の涙を流して喉を枯らしながら絶叫していたってさ……。 美雪(私服): それは……なんというか、怖いね。 菜央(私服): ……えぇ、怖いわね。メイド服もそうだけど、趣味のカテゴリに留めて大丈夫なのかしら? 圭一(私服): はっはっ、大丈夫だって。普段は思いやりもあって腕も立つ、理想的なお医者さんなんだしさ。 圭一(私服): で……それはさておき、肝心の花嫁はどこにいるんだ? 美雪(私服): まだ着替え中だと思うよ……っと。 その時、境内に集まった人たちの中からため息のようなざわめきが聞こえてくる。 続いてそれらの視線が、鳥居の向こうにある長い石段の方へと向けられた。 菜央(私服): 噂をすればなんとやら……ってやつね。そろそろ準備が整ったみたいよ。 下に延びる石段は、ここからだと見えない。 と、まずは先導する魅音さんと詩音さんがゆっくりと姿を現して……傘を差し掛けられた小さな2つの白無垢姿がだんだんと見えてきた。 菜央(私服): へぇ……ずいぶん本格的な花嫁衣装なのね。ところで、レナちゃんはどこに? 美雪(私服): 撮影係の富竹さんを呼びに行ってたはずだから、そろそろ戻って……ん? レナ(私服): は……はぅぅ~っ!白無垢姿の沙都子ちゃんと羽入ちゃん、とってもかぁいいよ~! レナ(私服): お、おおお、お持ち帰りぃぃ~ッッ!! 美雪(私服): はぁ……やっぱりというかなんというか、レナはほんっと、いつでもブレないねぇ。 菜央(私服): 別にいいじゃない。それがレナちゃんの素敵なところなんだから。 美雪(私服): 菜央……あばたもえくぼって言葉、知ってる?あと、それから……。 富竹: うん、なかなか……これはいい絵になるねっ!雨の中でも、素晴らしい構図だよ! 富竹: くっ……! このイベントをもっと早く聞いていたら、撮影機材をもっと万全に揃えてきたのに……一生の不覚だッ!! 菜央(私服): なんていうか……普通に気色悪いわ……。 美雪(私服): どんより天気の中で、すごいフラッシュ量だねー。レナを撮影してる、菜央みたいだよ。 菜央(私服): えっ……?あ、あたしってあんな感じなの?! 美雪(私服): 自覚なかったのっ?そっちの事実の方がびっくりだよ!! 圭一(私服): お、おい……レナッ!大事な儀式の前なんだから、そういう欲望はもう少し控え――。 圭一(私服): ごばぅッ?! はしゃぐレナちゃんを止めようとした前原さんの顔に、無慈悲かつ無遠慮な鉄拳がお約束通りにぐわしっ、とめり込む。 しかし、そんな犠牲は気にも留められず……その場の全員が2人の白無垢の女の子の艶姿に目を奪われていた。 美雪(私服): あの2人、なかなかやるねー。小さいけど立派な花嫁だよ。 菜央(私服): ほんとね。あたしは断然ウェディングドレス派だったけど、白無垢もいいかもってちょっと思っちゃったわ。 レナ(私服): はぅぅ~、2人とも本当にきれいだよ~♪ 圭一(私服): お、おもちかえりは……や、め……。 菜央(私服): あら……前原さんが濡れた地面に倒れてるけど、大丈夫かしら? 美雪(私服): そんなことより、梨花ちゃんは?白無垢の2人がもうすぐ到着だってのに、姿が見えないんだけど。 圭一(私服): こ、こっちも気にして、くれ……(ガクッ)。 そんなことを話していたその時、白無垢姿の羽入と沙都子があたしたちの前にまでやってきた。 沙都子(白無垢): お待たせしましたわ、皆さん。これでようやく、スタンバイ完了ですわ。 菜央(私服): お疲れさま沙都子、羽入。2人とも、とっても似合ってるわ。 レナ(私服): うんうんッ!とってもとっても、かぁいいよぉ~~~♪ 沙都子(白無垢): そう言ってもらえて、安心しましたわ。これを着るのは、意外に大変でしたのよ。 羽入(白無垢): あぅあぅ、とっても大変だったのです。今も歩いてきただけで、くたくたなのですよ。 魅音(私服): こらこら、まだくたびれるのは早いよ。儀式の本番はこれから始まるんだから。あとは梨花ちゃんの到着を待って……ん? 詩音(私服): あの……梨花ちゃまはどうしました?そろそろこの現場に来ていただかないと、間が持たないんですけど。 レナ(私服): はぅ……そういえば梨花ちゃん、今日は1度も姿を見せていないよね。どうしたのかな、かな? 菜央(私服): 儀式までに、何かすることがある……って言ってたけど、まだ来てないの? 圭一(私服): あ、あと……一穂ちゃんも、どうした……? 美雪(私服): あっ……そうだ、一穂もだ!あの子もさっきから、どこにも姿が見えない! 菜央(私服): もう……あたしたちに何も言わないで、どこに行ったのよ……。 2人の姿が見えないことに、さすがにあたしたちは不安な思いを抱き始める。……と、その時だった。 羽入(白無垢): ……梨花なら、きっと大丈夫なのですよ。 そう言って微笑みを浮かべたのは、白無垢姿の羽入だった。 詩音(私服): 羽入さん……なにか、ご存じなんですか? 羽入(白無垢): はいなのです。梨花が今、何をしようとしているのかはだいたい見当がつくのです。 羽入(白無垢): きっと大事な用事を済ませて、すぐに戻って来るのですよ。 沙都子(白無垢): ……そうですの?まぁ、羽入さんがおっしゃるんでしたらきっと大丈夫ですわね。 詩音(私服): そうですね。じゃあ、まずはいつでも始められるようにして梨花ちゃまが戻って来るのを待ちますか。 羽入(白無垢): あぅあぅ、そうするのですよ。 羽入は頷き、昔を懐かしむように小さく微笑む。そして──。 羽入(白無垢): 僕も忘れかけていたことなのに……梨花、あなたはまだ覚えていたのですね。 菜央(私服): ……? 何か言った、羽入? 羽入(白無垢): なんでもないのです。ただの独り言なのですよ、あぅあぅ。 ……その頃、梨花ちゃんの姿は山の中に続くぬかるんだ道を慎重に、傘をさして歩いていく。 梨花(私服): …………。 その歩みが、ふいに止まった。おかげで、彼女の背後で私の草を踏む音がワンテンポ遅れてしまった。 梨花(私服): ……ついてくるのは誰なのです? ゆっくりと振り返った梨花ちゃんが、背後の木陰に向かって声をかける。……観念して私は、姿を見せることにした。 一穂(私服): えっと……気づいてたの……? 梨花(私服): はいなのです。山に入ってから、ずっと……一穂は探偵には向いてないのですよ。 一穂(私服): そ、そうみたいだね……。ごめんなさい、尾行みたいなことしちゃって。 梨花(私服): みー……どうしてついてきたのですか? 一穂(私服): えっと……神社の裏から、山の方へ入っていく梨花ちゃんの姿が見えたから……気になって、つい……。 梨花(私服): ……そうなのですか。みんなの目をうまく盗んで抜け出したつもりなのに、一穂に見られてしまっていたのですね。 一穂(私服): ごめん……。 頭を下げる私に梨花ちゃんはふぅっ、とため息をつくと、困ったような苦笑を浮かべる。 そして口調を改め、やや大人びた雰囲気で私に告げていった。 梨花(私服): まぁ……一穂だけが来てくれたのは、逆に好都合かもしれないわね。 一穂(私服): えっ……? 梨花(私服): せっかくだから、あなたの力を借りてもいいかしら? 一穂(私服): 私の……力を? 梨花(私服): えぇ。もしダメだったら、ここからすぐに引き返してくれると嬉しいんだけど……どう? 一穂(私服): も……もちろん。この前にも言ったけど、私にできることだったら喜んで手伝うよ。 一穂(私服): で……何をすればいいの? 梨花(私服): そうね……一穂。あなたは『はぐれ稲荷』って聞いたことがある? 一穂(私服): はぐれ、稲荷……? その問いかけに、首を傾げる。申し訳ないけど、聞いたことのない言葉だ。 一穂(私服): えっと……ごめん。それって、どういうものなの? 梨花(私服): 『はぐれ稲荷』はね……迷信によって不安になった人々の心に付け込み、自らを神として崇めさせようとする悪霊のことよ。 一穂(私服): あ、悪霊……っ?悪霊が、自分のことを神様だと言って私たちをだましたりするの?! 梨花(私服): ええ、タチが悪いでしょう? そう言って梨花ちゃんは、くすくすと笑う。ただ、それはすぐに消えて……物憂げな影が彼女の顔を覆っていった。 梨花(私服): …………。 一穂(私服): あの……どうしたの? 梨花(私服): ……急ぎましょう。大したことはないと思うけれど、油断だけはしないで。 一穂(私服): 大したことないって……いったい、何が? そう問い返すが、梨花ちゃんはかなり前を歩いて行ってしまっている。 だから私は、慌ててその小さな背中を追った。 しばらく山道を歩いた後、私たちは古い祠らしきものがある場所へとたどり着いた。 一穂(私服): これって……祠? 梨花(私服): ――気をつけて、一穂。 一穂(私服): ……あっ?! 何のこと、と言葉の意味を確かめるよりも早く私は反射的に飛びのく。 祠の周囲に、まるで幽霊のような妖気が漂っているのに気づいたからだ。 さらにそこには、たくさんの異形の者たちがわらわらと集まっていて……。 一穂(私服): な、なにこれ……?梨花ちゃん、これはいったい……?! 梨花(私服): 話はあとにしましょう。あっちに集まっている連中、私たちが姿を見せてずいぶんと気が立っているみたいだから。 梨花ちゃんの言う通り、祠を取り巻く妖気たちがこちらを威嚇するように激しく動き出す。 一穂(私服): わっ?! 梨花(私服): 羽入から聞かされていた昔話が、こんな形で現れるなんてね……! 一穂(私服): り、梨花ちゃん、これ……ッ?! 梨花(私服): そうよ……あなたの手を借りたいのは、これ。一気に片付けましょう、一穂っ! 一穂(私服): わ、わかった……! Epilogue: 一穂(私服): はぁ、はぁ……お、終わり……? 梨花(私服): どうやら、そのようね。この辺りの妖気は、かなり遠くの方へと去っていったみたいよ。 一穂(私服): はぁ~~……。 長いため息をついてその場にへたり込む。そんな私を見下ろしながら、梨花ちゃんはにっこりと笑った。 梨花(私服): 力を貸してくれてありがとう、一穂。おかげで助かったわ。 一穂(私服): う、うん……私で、お役に立てた?だったら、よかったけど……。 梨花(私服): ええ、とってもね。それじゃ、そろそろ戻りましょうか。 そう言って、彼女はさっさと身を翻して神社へと戻ろうとする。が……。 一穂(私服): ちょ……ちょっと、待って!あれはいったい……何だったの? さすがに理解が追いついていない私は、彼女を慌てて呼び止めるとそう問い掛ける。 どうやら梨花ちゃんの目的は、今の怪物を倒すことだったらしい。それは私にも、何となくわかる。 でも、なぜ知っているのか……どういう意味を持つことだったのか、その点についてはさっぱりだった。 梨花(私服): さっきも話したけど……あれは『はぐれ稲荷』。神の名を騙るだけの、ただの悪霊よ。 一穂(私服): つまり……梨花ちゃんは、あれが「い」るってことをわかった上でここに来たんだね。 梨花(私服): ええ、もちろん。 一穂(私服): だったらどうして、梨花ちゃんはこのことを魅音さんたちに話さなかったの? ……それが、一番不思議なことだった。あんなのがたくさんいると知っていながら、たったひとりで来るなんて危険すぎる。 それに、どうして梨花ちゃんがこのことをみんなに話して協力を仰がずに、ひとりでどうにかしようと思ったのだろうか……? 梨花(私服): そうね、まず……。 梨花(私服): さっきも話したけれど、ここに集まっていたのは神様なんかじゃない。 梨花(私服): かつて、神様が住んでいた場所に居候して人々に不安の種をばらまく『はぐれ稲荷』……。 梨花(私服): 要するに力の弱い、ただの動物霊程度の存在。だから『ツクヤミ』と比べて脅威も低いし、ひとりで何とかできると思ったのよ。 一穂(私服): なんとか、って言っても……私たちに話してくれれば、もっと安全になんとかできたはずだよね。なのに……。 梨花(私服): ……えぇ、そうね。今言った理由は、ただの建前……あるいは言い訳かもしれないわ。 一穂(私服): 言い訳……? 梨花(私服): 本当のことを言うと、村の人たちにはもちろん、魅音たちにもこのことは知らせたくなかったの。 一穂(私服): ……どうして?みんなには、隠さなくちゃいけないことなの? 梨花(私服): そうね……ある意味では、ね。この村の恥部と言ってもいいかもしれないことだから、少なくとも私はそう思っている。 一穂(私服): 恥部って……何が、そんなに……? 梨花(私服): かつてこの村で行われた『オヤシロさま』以外の神の排斥運動……それと大きく関わっているからよ。 一穂(私服): 排斥……運動……? 梨花(私服): えぇ……。#p雛見沢#sひなみざわ#rの人たちはね、この村から追い出したのよ。『オヤシロさま』以外の、全ての神様をね。 一穂(私服): ……っ……。 私は言葉を失って、思わず息をのむ。 神様を、人間が追い出す……?そんなことがある、いや「できる」とは考えたこともなかったからだ。 一穂(私服): で、でも……どうしてそんなことを?雛見沢の人たちは、信心深い人たちなんだよね? 一穂(私服): だから、ずっと前から『オヤシロさま』のことだってとっても大事にしてきたんだし……。 梨花(私服): えぇ……とってもね。一穂にも想像ができないくらい、大事にしてきたわ。 梨花(私服): でも……その信心は、『オヤシロさま』にだけ向けられるものだったの。 梨花(私服): この村の人たちにとって、『オヤシロさま』が絶対唯一の神様なのよ。だから、神の存在は複数あってはならない……。 梨花(私服): 村人たちは、そう考えた。そして、己の敬虔な心を証明するがために他者を排除し、異物を否定した……。 一穂(私服): なっ……? 梨花(私服): この雛見沢の村人たちは、その信仰心の強さゆえに『オヤシロさま』への敬意と畏怖を強く抱いている。 梨花(私服): ただその一方で、『稲荷大明神』などの土着の神の存在さえ否定し、徹底的に排除してきた。 梨花(私服): さらに、その歪んだ信仰心は土着の神々を大切にしようという一部の村人までも「信心の浅い罰当たり」として冷遇し……。 梨花(私服): 結局村から、無慈悲にも追い出してしまったのよ。 一穂(私服): 村の、人たち……まで……? 梨花(私服): 実にばかげた話よね。『オヤシロさま』は、そこまでの信仰を村人たちに望んだわけじゃないのに……。 梨花(私服): 村から追い出された人たちはその後、村の外で彼らから受けた仕打ちを広めた。 梨花(私服): 結果として雛見沢は、排他的な村との評判を立てられて……これが、衰退した寒村への道を突き進む要因のひとつとなったってわけよ。 一穂(私服): …………。 梨花ちゃんの話に、私はショックを受けた。 人を救うはずの信仰心が、どうしてそんなことになってしまうのか……理由が、さっぱりわからない。 信じるものなんて、人それぞれなのに。どうして自分と同じように、他人の存在や意思を縛ろうと考えたんだろうか……? 一穂(私服): で、でも……それは昔の話、なんだよね?だって今回はみんな、『稲荷大明神』の話を信じてくれたんだから……。 梨花(私服): そうね。それを思い出してもらうために、一芝居打ったのが今回の顛末なんだけど――。 梨花(私服): 本当に「魔」を引き寄せることになっていたとは、さすがに思ってもみなかったわ。瓢箪から駒とはよく言ったものね、くすくす……。 一穂(私服): ……もしかして、梨花ちゃんがここに来たのはこのお稲荷様に謝るため……? 一穂(私服): 今まで忘れてしまっててごめんなさいって、それを伝えるために……? 梨花(私服): ……。世界はそう、簡単には変われない。でも変わらなければ、ゆっくりとした動きで衰退の道をたどっていくだけ。 梨花(私服): ただ、それは新しいものを取り入れて、古いものを捨てることだけじゃない。 梨花(私服): 自分たちの過ちを認めて、ちゃんと反省して……その上で大事なものが何かを吟味して、選び出す。 梨花(私服): お魎や魅音たちも、そんな思いで頑張っているわ。だから、私もいずれは……って考えてはいるけど、まだまだ問題は山積みでしょうね。 一穂(私服): …………。 一穂(私服): あ、でも……そんな話を、どうして私に? 梨花ちゃんはさっき。村の恥部だと言った。すごく情けなくて、魅音さんたちにさえ知られたくないことなんだ、と。 なのに、どうしてそんな話を私にしてくれたんだろう……? 梨花(私服): さぁ……どうしてかしら。なんとなくあなたには話してもいいと思ったし、私も誰かに聞いてもらいたかったのかもね。 一穂(私服): ……そうなんだ。でも、本当に私なんかでよかったのかな……? 梨花(私服): ……えぇ、よかったわ。あなただったら、誰かに言いふらすこともないでしょうし……ね。 一穂(私服): あ、あははは……。 梨花(私服): それにしても……ここまで降り続いた雨は、本当に、お稲荷様の#p祟#sたた#rりだったのかもしれないわね。 一穂(私服): ……そんな怖いこと言わないでよ、梨花ちゃん。今日の儀式が終われば……って、終わらなくてもしばらくすれば、梅雨が明けて止むはずでしょ? 梨花(私服): そうね……そうだといいけれど。 一穂(私服): うん、大丈夫!止まない雨はないんだから……! 梨花(私服): ……えぇ、信じましょう。 一穂(私服): うん! 梨花(私服): では、急いでみんなのところに戻るのです。そろそろ儀式が始まるのですよ、みー。 梨花ちゃんはいつも通りの口調になって、慣れた足取りで神社への道を戻りはじめる。 私も黙ってそれに続きながら、村の人たちの記憶から忘れ去られたという寂しい神様について、思いを馳せていた……。 そして儀式が行われた、……数時間後。 それまでの雨が嘘のように晴れ上がって、空には眩い太陽が戻った。 ……ただ、それが梨花ちゃんの言う通り祟りが解消されたゆえんかどうかまでは、私にはわからなかった――。