Part 01: ……「彼女」に対しての第一印象は、かなり苦手……いや、「嫌い」だと言っても差し支えないくらいに良くはなかった。 ただ、無理に追い払うことなくそれどころか会話に付き合ってしまったのは……ひょっとすると人恋しさがあったのかもしれない。 詩音: ……誰、ですか……? 灯: こんにちは、園崎先輩。……いや、この聖ルチーア学園だと生徒同士の挨拶は「ごきげんよう」が定例でしたか? 胡散臭いほど丁寧に頭を下げてから、その子はとぼけたような表情になって軽く小首をかしげてみせる。 教師や警備員の注意の目が届かない、私だけが知っているはずの息抜きの場所に突然やってきた……知らない女の子。 わざわざ確かめるまでもなく、年下……それも今年入ったばかりの新入生だとは、あどけない顔立ちを見ればすぐにわかる。 詩音: (けど……どうして私の名前を?ひょっとすると覚えていないところで、彼女と会ったことがある……のか……?) 全く身に覚えがないのだけど……あまりにも気さくな態度で話しかけられた私は万が一のことを考え、彼女に尋ねかけていった。 詩音: えっと……あんたの、名前は……? 灯: あ、自己紹介が遅れました。私は秋武灯と申しまして、今年からこの学園に入った一年生です。 詩音: 秋武……灯……。 軽く何年分ほどの記憶をたどってみたが、やはり引っかかるものがない。知人の妹にしても、初めて聞く名字だ。 ……もっとも、ルチーアに入学して以来誰ともまともに会話どころか接点を持たなかったので、覚えている姓名など数えるほどなのだけど。 詩音: あの、なんで私の名前を……?あんたとは、ここで会ったのが初めてですよね? 灯: 先日図書館であなたを見かけた時に、ご学友からそう呼ばれているのをたまたま聞いて覚えました。……変でしょうか? 詩音: 思いっきり変ですね。 面倒だからさっさと追い返したい、と煩わしさを感じていたこともあったので私は、きっぱりと思ったことを率直に伝える。 しかし、彼女は機嫌を害するどころか「……ですよね」と納得したように頷き返すと、一切物怖じすることなく笑みを返してきた。 灯: 思った通りに先輩は、正直な方ですね。変に迂遠な言い方をされるより好感が持てます。 詩音: そうですか?正直言って私はあなたを気色悪く思っているし、関わり合いになるのも遠慮したいんですが。 灯: なぜです? 私が初対面にもかかわらず先輩の秘密の場所に無断で足を踏み入れて、いきなり話しかけたからでしょうか。 詩音: ……自分でよくわかっているじゃないですか。あとは、腹に一物ありそうなあんたの笑顔が単純に気に入らないだけです。 そう答えてから私は、これ以上の関わりはもう御免だと言わんばかりにそっぽを向く。 けんもほろろに、他者への拒絶を示した態度。ここまでの嫌悪をぶつけられた相手はたいてい怯み、交流を諦めて去っていく……はずなのだが……。 灯: ……喉、乾きませんか?実は私、寮の食堂から紅茶をくすねてこの水筒に入れてきました。 灯: まだ十分にあたたかいので、気分転換にはピッタリかと思います。 詩音: 誰が飲み物をくれと頼みましたか?私は、ここから立ち去れと言ったんですよ。 バカなのか?……あぁそうか、バカなんだな。そう理解して、はっきりと拒絶の言葉を告げる。 しかし、秋武と名乗った下級生はきょとん、と目を丸くしてから、小さく肩をすくめていった。 灯: 先輩にそう言われましても……ここは、学園の敷地内で公共の場の一部ですからね。私にも留まる権利はあると思います。 詩音: なら、腕ずくで追い出してあげましょうか?先生たちの目が届かないここは治外法権だと、その身をもって教えてやってもいいんですよ。 灯: そんな難しいことを言わないでください。私はまだ1年生なので、日米和親条約はまだしも日米修好通商条約はまだ習っていないんです。 詩音: ……治外法権の意味がどういうものなのか、わかった上での台詞じゃないですか。 詩音: そういう相手の知識度に左右されるボケは、時と場合によっては気分を逆なですることになりかねないので、止めたほうがいいですよ。 灯: そうなんですか?……私の叔父なんかは、こういう表現を使うと「洒落ているねー」なんて言って面白がってくれるのですが。 詩音: ……その叔父さんがどういう人間かは知りませんが、よっぽどひねくれたインテリ紳士のようですね。 灯: えぇ。おかげで恋人どころか友達も少なくて、幼い姪の私たちぐらいとしかまともに話をする機会がないようでした。 詩音: そのおかげで姪は、妙にずれた理屈っぽい娘に育った……と。救われない話ですね。 灯: あはは。でも、私は今の自分のこういうところが結構気に入っているので……特に問題はないです。 灯: 言いたいやつがいたら、好きに言えばいい。『世の人は 我を何とも 言はば言え』……。 詩音: 『我が為すことは 我のみぞ知る』。……ここで坂本龍馬までが出てくるなんて、あんたは密かに幕末オタクですね。 灯: バレましたか。というわけなので園崎先輩には、どうか広い心で私の権利を認めていただけますととてもありがたいです。 詩音: 何が「というわけ」ですか……口達者な子ですね。 芝居がかった台詞回しに加えて、年下のくせに実に生意気で無礼な物言い……さらに、人を食ったような態度は鼻につく。 だけど……なぜか、面白みと興味を抱かせる。少なくとも2年以上通ってきたこの学園では一度も見かけたことがない、奇特な女の子だった。 詩音: で……どうしてあんたは、私に目をつけてこんなところへ足を運んできたんですか? 灯: 園崎先輩とお知り合いになりたいと思ってあとをつけたら、偶然ここに来てしまいました。 灯: 学園の敷地内に、こんな未開拓の場所があったんですねぇ。一度時間を見つけて、じっくりと探検してみたいものです。 詩音: …………。 質問の仕方が悪かったのかもしれないが、私が聞きたかったのはそういうことじゃない。 詩音: ……繰り返します。どうして、私なんかとお知り合いになりたいと考えたんですか? 灯: …………。 灯: なんとなく、では理由になりませんか? 詩音: なるわけないでしょう?だったら、一目惚れしたって言われたほうがまだ納得ができます。 灯: あっ……それです、それ!一目見た時から、絶対この人とお近づきになりたいって思ったんです! 灯: さすが、園崎先輩!私のこの、もやもやっとした心理状態を見事に一言で表現してくれましたねー! 詩音: あんた……頭、大丈夫ですか……? ……その時の私は、この秋武灯という娘はおそらく可哀想な頭の子なんだろうな、と哀れみすら覚えていた。 だけど……それからしばらくして、彼女が聖ルチーアの入学試験に首席で合格した特待生と聞かされて……驚くと同時に、思った。 詩音: (天才となんとかが紙一重って、本当にあったんだなぁ……) Part 02: 灯: ? どうしましたか、詩音先輩。私の顔をじっと熱っぽい視線で見つめてきて……さすがに気恥ずかしさを感じるのですが。 詩音: おかしな方向へ持っていこうとしないでください。あまりふざけているとぶっ飛ばしますよ。 そう言って私はこぶしを握りしめ、多少の威嚇を込めて下級生――秋武灯の目の前にかざしてみせる。 もちろん、本気で殴るつもりは毛頭無い。……ただ、それを察して怖がるそぶりを見せない彼女の「信頼」ぶりは少々憎らしくも感じた。 詩音: ちょっと、考えていたんですよ。あんたはいったい、私の何とどこを気に入ってちょっかいをかけてきたんだろう……ってね。 灯: その件なら、すでにお話しをしたと思うのですが。……一目惚れです、愛です。 詩音: 愛って言葉は、乱発するものじゃないです。価値が落ちるし、胡散臭さが増すだけですよ。 詩音: ……いい機会です。冗談は抜きにして、あんたの本音とやらを腹を割って聞かせてください。私に接触してきたのは、何が目的だったんです? 灯: ……。目が、綺麗でした。 詩音: は……? 灯: この学園に入って上級生、同級生の顔は全員見てきましたが……ひとりだけ、野獣のように鋭くて生気に満ちた人がいました。 灯: それが、園崎詩音先輩だったんです。 詩音: …………。 少女漫画に出てくるお花畑脳のキャラが口走りそうなドリーム感満載の台詞に、私はぽかんと口を開いたまま唖然と固まる。 ……聞いていた通り、いやそれ以上に一般人から何かがズレている感覚の持ち主だ。マジなのかボケなのか、すごくわかりづらい。 だけど秋武は、自分が本気であることを強くアピールするように照れも躊躇も無く、まっすぐに私を見つめ返していった。 灯: 詩音先輩は、何かに傷つきながらもひとつの目標のために挑み、抗って……諦めずに命を賭して闘い続けている。 灯: そういう人との関わりは、私自身にとっても素晴らしい何かが育つ糧となる。……そんな予感がしたんですよ。 詩音: 予感って……あのねぇ……。 予想をはるかに超えた返答の壮大さに、私は呆れを通り越した気分で言葉を失ってしまう。 この子の目に映っているものは、妄想か。あるいは、その奥にある……別の何か……? 詩音: ……っていうか、学園全員の顔を見たってずいぶんと大言を吐いてくれたものですね。この学園に、生徒がどれだけの数いると? 詩音: 何百人もの人の名前と顔を全部覚えていたら、頭がぱーん、って破裂しちゃいますよ。 灯: えっと……すみません。これは自慢しているようにも聞こえるので、誰にも言ってもらいたくないのですが。 灯: 実は私、『直感像記憶』という特技があるんです。 詩音: 直感……なんですって? 灯: わかりやすく言うと、目に入ったものを写真で撮ったように詳細な『情報』として記憶できる能力です。 灯: ですから、この学園の生徒の顔と名前は全て記憶済みだったりします。 詩音: なっ、マジで……っ?つまり、あんたの目と脳には高性能カメラが内蔵されているのと同じってことですか?! 灯: おかげで、中学入試では大助かりでした。将来はこの能力を活かして、クイズ王を目指してみたいと思っています。 詩音: ……本気で言っているのか冗談なのか、わかりづらいボケは止めてください。 灯: もちろん冗談です。……真面目にお答えするとこの能力を犯罪捜査などに役立てたいのです。 詩音: あんた……警察官にでもなるつもりですか? 灯: その点については、現時点だと保留中です。日本の警察はとても優秀ですが、その一方で既存のやり方を変えることを嫌いますので。 灯: どれだけ特殊な能力があっても、活用できなければ宝の持ち腐れ。広報などでお飾りにされる可能性もあります。 灯: ですから私は、せっかく持って生まれたこの力を活かせる職に就いて何か面白……じゃない、誰かの助けになるようなことをしたいんです。 詩音: ……今、ちらっと本音が透けて見えましたね。まぁ、実際にできるか否かはともかくとしてその意気込みだけは買ってあげますよ。 灯: ありがとうございます。もし卒業したあとに先輩が鉄火場や修羅場に巻き込まれることがありましたら、いつでも声をかけてください。 詩音: あら……ひょっとして手心のひとつでも加えてくれるんですか? 灯: いえいえ。むしろ徹底的に厳しく調べ上げて、アリの出る隙間もないほど完璧に関係資料を集めて差し上げます。 詩音: ……つくづく私、あんたみたいなやつとどうして仲良くしているんでしょうね?メリットが全く感じられないんですが。 灯: そんなことはありませんよ。……だって先輩がこうして入れ替わっていても、素知らぬ顔でい続けているじゃないですか。 詩音: ――――。 ストローを加えて飲みかけた牛乳の吸入を止め、私は動揺を隠しつつ隣の後輩に無言で目を向ける。 いつ……どこで気づいた?後輩のことは「詩音」から事前に聞いていたので、問題なく対応できていると思っていたのに……?! 園崎詩音(魅音): っ……さっき聞いた、『直感像記憶』ってやつか? 灯: その通りです。たとえ容姿が同じであっても、この数日間で詩音先輩とは明らかに異なる「クセ」の動作が5つほど発見できました。 灯: 加えて以前、私は詩音先輩から双子の姉がいることを聞いていたので……それで気づいた次第です。 園崎詩音(魅音): はぁ……なんだよ、詩音のやつ。自分の言った通りに振る舞えばごまかせる、って豪語していたのに……ボロボロじゃんか。 そう言って私は大きくため息をつき、苛立ち紛れにがしがしと髪をかきむしる。 そして、向きを変えると後輩の鼻先近くにまで身を乗り出し……いつもの口調に戻していった。 園崎詩音(魅音): 道理で、休み時間だのなんだので鬱陶しいくらいにつきまとってくるはずだよ。要するに私を守ってくれていたってわけか。 園崎詩音(魅音): で……?入れ替わりに気づいているのは、あんただけかい? 灯: おそらく、今のところは。クセの件も私以外だと誰も気づかないくらいにごく些細なものなので、ご安心ください。 園崎詩音(魅音): あっさり見抜いたやつに言われても、微妙な気分だねぇ……。 園崎詩音(魅音): こんなことなら最初っから、あんたに協力を持ちかけておけばよかったのにさ……ったく。 灯: はい、私もそう思います。……つまり私は、詩音先輩に頼ってもらえるほど信頼関係が築けていなかったということですね。 園崎詩音(魅音): あ……いや、それは……。 灯: とりあえず、詩音先輩が戻るまで先輩がばれないように協力します。わからないことがあったら、何でも聞いてください。 園崎詩音(魅音): ……あぁ、助かるよ。 Part 03: 魅音: ……ってなことがあったからさ。悪いけど、戻ったらうまいこと取り繕っておいてねー。 詩音: いや、取り繕えって……何を?っていうか、どうしろって?! 呆れた思いでじろり、と睨みながら……私は面倒事をまた押しつけられたことに不快と不満の意を示す。 そもそも、今回の魅音からの「お願い」は実に厄介なことこの上ないものだった。歴代でも余裕でワースト3に入ってくるだろう。 詩音: だいたい、初めっから無理な相談だったんだよ。お姉と入れ替わった私が代わりに模試を受けていい点を取る……なんてさ。 私は内部進学がほぼ確定していて、今回の模試を元々スルーする予定だったからこそ「替え玉」に対応できたのだけど……。 もし同時に受けていたら、低成績に対する叱責の矛先がこちらに向いていたかもしれない。……実に理不尽極まりない話だ。 魅音: けど、まぁ……あんたがあの後輩のことを気に入っていた理由がなんとなくわかったよ。結構いいやつじゃんか、秋武灯ってさ。 詩音: どこがだよ。どれだけ邪険に扱っても、犬みたいにやたらとつきまとってくるし……正直鬱陶しくて、面倒なやつなんだから。 魅音: けど……なんていうかさ、あんたの本質をなんとなくだけど見抜いている……気がする。 魅音: 私にも話してくれない……詩音が抱えている秘密の存在にも気づいていて、心配して……。 詩音: ……っ……。 魅音: だからあんたは、今回の件であの子の協力を求めなかったんじゃないか、って思うんだよ。 魅音: 申し訳ないけど今回は、リスクが大きすぎた。だから、万が一のことが起こった時に彼女を巻き添えにするわけにはいかない、ってさ……。 詩音: …………。 詩音: それは考えすぎだよ、お姉。あの子の手を借りるまでもないと思ったから、声をかける必要を感じなかっただけ。 詩音: それに、……。 もし入れ替わりに気づいたとしても、秋武灯であれば何も指示を送らずともうまく立ち回ってくれる……。 そんな謎の信頼があった、なんて言えば魅音はきっとからかってくると思ったので……私はあえて、口にしないことにした。 詩音: 何にせよ、無事にお姉の入試騒動も終わったことだし……私は学園に戻るよ。#p雛見沢#sひなみざわ#rでの「用件」も片付いたし、ね。 魅音: ? 用件って、何のこと……? 詩音: こっちの話。それじゃお姉、またねー。 魅音: あっ……。 …………。 魅音: ……詩音。今回のでっかい借りは、ちゃんと覚えておくよ。だから……。 魅音: あんたが助けを必要とする時は、必ず……! 葛西: では、詩音さん。学園までお送りしますので、乗ってください。 園崎本家の屋敷を出ると、いつものように黒塗りの車が停まっている。 この後部座席に乗って目を閉じていれば、軽く一眠りしている間にルチーアの付近まで連れて行ってもらえるだろう。だけど……。 詩音: ……葛西。もしよかったら学園に直接じゃなくて、#p興宮#sおきのみや#rの駅まで送ってもらってもいい? 葛西: 興宮に……ですか?ということは、電車に乗って学園へお戻りになるつもりで? 詩音: ちょっと、気分転換がしたくなったんだ。……あとは新幹線の駅で、協力してくれた学園の後輩に土産のひとつでもと思ってね。 葛西: わかりました。 そして私は、葛西の運転する車に乗る。 しばらくして車は、興宮の駅前に到着。その後は彼に礼を言ってから車を降り、駅の改札を通ってホームへと向かう。 詩音: 駅で、電車に乗るのも……久しぶりだな。 そんな呟きをもらしていると、ちょうどいいタイミングで列車がやってきた。 列車が停まり、ドアが開く。車両数のないそれに乗り込むと、ほどなくしてドアは閉まり……発車した。 ほとんど他に乗客の姿が見えない中、夕暮れに染まる窓の外の風景に目を向ける。 詩音: ……この景色、どこかで見たことがある気がするな。 いつ見たのか……そして、本当にこれだったのか。そこまでは確かめようがなく、記憶に自信もない。だけど……。 詩音: ……もう少し、勉強を頑張ってみようかな。今回のように誰かを助けられるようなことも、あるかもしれないしね。 そんなことを苦笑交じりに呟きながら、私はポケットに収めていた単語帳を取り出す。 到着までの暇つぶしだと思えば、悪くない。なんて自分に言い聞かせるように呟いてから私は、指で手繰りながら暗記に勤しむことにした……。