Part 01: 羽入(私服): ……か、……起きてください、梨花っ……! 梨花(私服): っ、……は、にゅぅ……? 切羽詰まったように、呼びかける声。それと併せて肩の辺りが揺さぶられるのを感じた私は、意識を覚醒させて目を開ける。 暗がりの中で、ぼんやりと私の視界に浮かび上がってきたのは……羽入の顔。そして目が合うや、彼女は大きくため息をついてみせた。 羽入(私服): よ、よかったのです……。何度起こそうとしても目を開けてくれなかったので、本気で心配したのですよ。 梨花(私服): ……まだ真夜中じゃない。こんな時間に叩き起こすなんて、何があったのよ……? 羽入(私服): それは僕の台詞なのです。……どうしたのですか、梨花。酷くうなされて、汗もかいて苦しそうな様子でしたが。 梨花(私服): 汗?……って、何よこれ……?! 羽入の指摘を受けて額に手を当てると、まるで頭から水でもかぶったように前髪がべったりとはりついていることに気づく。 身にまとっている寝間着に至っては湿りを通り越して、もはやずぶ濡れに近い。……まさか粗相か、と思わず勘違いしかけたほどだ。 梨花(私服): っ、……はぁ、はぁ……っ……。 そういえば、息が乱れっぱなしだ。動悸のせいで胸が詰まるように痛く、再び意識が闇の中に吸い込まれていくような感覚が――。 梨花(私服): ……っ……? 次の瞬間、ふと脳裏にある光景が浮かんでくる。それはついさっきまで「見ていた」ものだと、私はようやく思い出すことができた。 梨花(私服): (何かを見て、私はあることに気づいた……。そして何らかの行動に出ようとした直後に、「誰か」が目の前に現れて……それから……?) 羽入(私服): ……梨花……? その声にはっ、と我に返って顔を振り向けると、羽入の心配そうな表情が目に入ってくる。 梨花(私服): ……ぁ、……っ……。 言葉が、……うまく出てこない。 ここは「平気よ」と返して強がるべきか、そのまま抱いた不安を伝えてもいいものか……。 咄嗟にそれが判断できないほど、さっきまで自分がいた「世界」で受けた驚きの衝撃が大きかったことに、今さらながら気づかされた。 羽入(私服): 大丈夫ですか、梨花……? 梨花(私服): ……ごめんなさい、羽入。少しだけ、気持ちを整理する時間を頂戴。 そう断ってから私は上体を起こし、隣の布団に目を向ける。 そこに沙都子が、可愛らしい寝息を立てながら実に無防備な様子で眠っている姿があって……ほんの少しだけ、頬が緩むのを覚えた。 梨花(私服): (沙都子はまだ、眠ったままみたいね。……よかった) ここに沙都子まで加わっていたら、再び寝直すのも難しいほどの騒ぎになっていただろう。私としても、余計な心配をかけたくはない。 ……なんて、自分以外の誰かにとりあえず意識を向けられるようになったのは、少しだけ落ち着いてきたということだろうか。 梨花(私服): ……はぁ、……っ……。 私は大きくため息をつきながら布団を出て、水でも飲もうと思い立ち台所へ向かう。 ……背後から羽入の気遣わしげな視線を感じたが今は渇きを癒やすことを優先し、あえて無視した。 梨花(私服): ……んっ、……んく……。 水道水をグラスに注いで一気にあおり飲むと、喉からお腹にかけて清涼感が広がっていく。 ただその途端……汗に濡れたパジャマの冷たさがさらに増したようにも感じられたので、私は思い切って上下を脱ぎ捨て、下着姿になった。 梨花(私服): 羽入……そこの箪笥から、何か服を持ってきて。それと、タオルも。 羽入(私服): わかりましたのです。 そう応じて羽入はいそいそと箪笥へ向かい、着替えとタオルを取り出すと私のところまで駆け寄ってきてくれる。 沙都子: ……っ、んみゅ……。 足音がやや響いたせいか、寝ていた沙都子がかすかに声を上げながら寝返りを打ったが……幸か不幸か、彼女が起きることはなかった。 梨花(私服): ……少し、外に出ましょう。 汗を拭い、着替えを済ませた私は羽入を玄関へ促す。彼女も無言で頷き、少し遅れてついてきた。 羽入(私服): ここなら、多少大声を出しても沙都子には気づかれないのです。……それで梨花、いったいどうしたのです? 梨花(私服): 悪い夢を見た、……って一言でいえば大した話でもないんでしょうけどね。ただ……。 羽入(私服): ただ……なんですか? 梨花(私服): ……羽入。今から話すことは冗談でもなく本当のことだから、そのつもりで聞いて。茶化すのもなしよ。 羽入(私服): わかりましたのです。……では、話してください。 Part 02: 羽入(私服): 剣と魔法、そしてモンスターや魔王が存在する別の『#p雛見沢#sひなみざわ#r』……ですか。確かに今までとは明らかに違う「カケラ」の世界の有様なのですよ。 私が目の当たりにしてきた不思議な「世界」と、体験談の内容を……羽入は約束通り一切笑わず聞いた後、そう言って神妙な表情で頷く。 自分でも打ち明けるべきかどうかで迷うほど、奇天烈な上に面妖な「世界」についての話だったので……とりあえず信じてくれたことを、心から安堵した。 羽入(私服): それにしても、梨花。あなたがその……あえて別の『雛見沢』としておきますが、そこで見た光景は本当に見覚えがなかったのですか? 梨花(私服): えぇ……完全に初めてよ。ついでに言うと映画とかコミックとかで見た、そういったものの顕現でもないと思う。 梨花(私服): だから、言葉で説明するのは難しいけど……あれは夢じゃなく、もうひとつの「現実」と言ってもいいものだったわ。 羽入(私服): もうひとつの、……「現実」……。 それを聞いた羽入は、険しい表情で何かを考え込むように口をつぐむ。 茶化さないように、とは釘を刺したものの……彼女がここまで深刻に捉えるとは予想外だったので、かえって私の方が不安に思えるほどだった。 梨花(私服): 羽入……ひょっとして、何か心当たりでもあるの?もしくはあんたも、私と同じ記憶があるとか……。 そういえば……と、思い出す。あの幻想のような「世界」で一緒にいた羽入は、私と同様に別の「世界」の記憶を持っていた。 実際、あのおかしな「世界」は繰り返される惨劇と出口の見えない閉塞感に絶望し、厳しすぎる現実から逃避したいという私の思いによって生み出された――。 そんな仮説を立てたのは、他ならぬ彼女だったのだ。つまり、ここにいる羽入も……あるいは……? 羽入(私服): ……ごめんなさい、梨花。残念ながら僕は、その「世界」に関して記憶がまるで無いのです。 羽入(私服): 他の「世界」……たとえばこの雛見沢で、魅音たちの身に起こったトラブルについてはある程度なら見て、覚えているのですが……。 羽入はそう言って、申し訳なさそうにかぶりを振る。本殿の階段に腰を下ろす私の隣に座り、月の浮かぶ夜空を見上げながら続けていった。 羽入(私服): 一穂と美雪、菜央が雛見沢を訪れて以来……確かに僕たちの「世界」は様々な形をとって、不可思議な現象が起こるようになりました。 羽入(私服): そのたびに僕は梨花と記憶と意識を接続し、情報の共有を行ってきましたが……その幻想的な「世界」は、初めて聞いたのです。 羽入(私服): 梨花……決して疑うわけではなく、確認としてお聞きします。そこには本当に……僕がいたのですか? 梨花(私服): ……えぇ。あんたがいなかったらきっと、私は早い段階で気がおかしくなっていたでしょうね。 嘘でも誇張でもなく、私は本心からそう答える。 以前にも何度か経験したので、断言してもいいが……羽入がそばにいるといないとでは、精神的な安定度がまるで違ってくるのだ。 それは、彼女がいなければ「繰り返し」の可能性が失われるかもという不安だけではなく……私自身を陰日向と支えてくれる存在の消失に等しかった。 羽入(私服): そして、……梨花。辛いことを思い出させることになるかもしれないので、気をしっかり持ってもらいたいのですが……。 羽入(私服): あなたはそこで、……何者かに殺された。ただ、それが誰だったのかを確かめる前にこの「世界」に飛ばされてきた……? 梨花(私服): ……えぇ。私はてっきり、あんたが古手梨花の死を回避するためにいつもの「繰り返し」を行ったんだと思っていたわ。 これまでだと、私の身に惨劇が降りかかった時は……そばにいた羽入が神の力を使い、別の「世界」へと「転送」してくれていた。 そうすることで私は結果的に時間を巻き戻し、過去を再度やり直して幸せな未来への道を探し出すという「旅」を続けていたのだが……。 羽入(私服): さっきも言いましたが、僕はその「世界」にいた覚えがないのです。ですから「力」を使ったという覚えも、そもそも梨花が巻き込まれた惨劇も見ていないのです。 羽入(私服): いったい何が、梨花の命を奪ったのでしょうか?……いえその前に、何者が梨花をそんな「世界」に飛ばして、さらにこの「世界」へと退避させたのか……? 羽入(私服): 梨花を救いたかったのか、心を壊したかったのか……?話を聞いただけでは全くわからないのですよ、あぅあぅ。 梨花(私服): ……そうね。あの「世界」であんたの姿をした子が私の現実逃避の思いがその幻想空間を生み出した、って説明した時は、つい納得しかけたけど……。 梨花(私服): 落ち着いて考えてみると、……おかしな話だわ。だって私は「世界」を創造するような力なんて、全然持ち合わせていないんだもの。 羽入(私服): その点については、僕も同様なのです。行使できるのは、梨花を類似の平行世界に送って未来に続く可能性を探すきっかけを作ることで……。 羽入(私服): 世界そのものを創造することは、僕にもできないのです。そんな力があったら、惨劇のない「世界」を作り出して梨花をそこに送り込んであげているのですよ……! 梨花(私服): くす……ありがとう、その気持ちだけでも嬉しいわ。それにしても、不愉快な思いだけが残っているのはなんとなくすっきりしないわね。 梨花(私服): せめて、どんな「世界」だったのかが少しでもわかる手段か、方法があればいいんだけど……。 羽入(私服): ……。一応、無いこともないですが……。 梨花(私服): えっ……あるの? 本当に? 羽入(私服): 先ほどの話に出てきた、『スクセノタマワリ』……それと同様の力を持つ例の『カムノミコトノリ』を、梨花は覚えていますか? 梨花(私服): っ……えぇ、一応。確かあれは、羽入と一度はぐれた「世界」へ飛ばされた時に使ったものよね? そこで私は、私以外の人たちが「幸せ」だった「世界」を垣間見ることになったのだ。さらに私は、存命だった両親と会って……そして……。 羽入(私服): その能力を限定的に使えば、短時間ですが前の「世界」に戻ることは可能です。ただ……。 羽入(私服): 梨花が何者かの手にかかり、何らかの手段で殺されたという辛くて残酷な事実を見ることになるかもしれませんが……よろしいですか? 梨花(私服): ……。構わないわ。例の「世界」での結末がどんなに嫌で苦痛に満ちたものであっても……私はこの目で確かめておきたいのよ。 梨花(私服): わけもわからず、ただ振り回されただけで終わりってのは……やっぱり、納得がいかない。 梨花(私服): だから力を貸してくれるかしら、羽入……? 羽入(私服): …………。 そう声をかけると、羽入は瞑目して即答を避ける。……それでも考えるように黙り込んだ後、彼女は顔をこちらに向けて頷きながら応えていった。 羽入(私服): わかりました。……それでは準備しますので、少し待っていてください。 梨花(私服): ありがとう、羽入。 Part 03: 羽入の持ってきた『カムノミコトノリ』の力を使って、私は転送される前の「世界」への道を一時的に開いてもらった。 羽入: 『送り届けることができるのは、意識だけです。向こうの「世界」にいる人があなたの存在を認識して、会話をすることもできますが……』 羽入: 『基本的には、何もできません。そして「世界」の結末を変えることもできないので……用事を済ませた後は、すぐに戻ってきてください』 そんな羽入の注意を思い返しながら……私はわずかに残った転送の「足跡」を辿っていく。 そして崩れそうな自我を辛うじて繋ぎ止め、しばらく続いた浮遊感がやっと消えてから目を開けると――。 目の前に広がっていたのは幻想的ながらも、おぼろげに記憶していたあの「世界」の光景だった。 梨花(アラビアン): なんとか、同じところに戻ってくることができたのかしら……って……?! 半信半疑とはいえ、意識の転送に成功したことを安堵しかけた私は……自分の身なりに気づいてぎょっ、と目をむく。 確か私は、以前だと水の部族の長(?)として水の涼やかさと可憐さを併せ持ったような衣装に身を包んでいた……はずだったが……。 梨花(アラビアン): な……なんなのよ、この衣装は……?! どこかの女王か姫らしき荘厳さと、豪奢な雰囲気は「一応」あるものの……以前とは違い、圧倒的に布地が少ない。 しかもやたらと、体型を見せつけるようなつくりは魅力を誇るように扇情的だったが……同時に私自身が持つ劣等感を煽るようなものでもあり、実に嫌な感じだった。 梨花(アラビアン): (なんで、こんな格好に……?ひょっとして、似ているけど違う「世界」に飛ばされてきたのかしら……?) 猫: ……にゃーん。 梨花(アラビアン): えっ……ね、猫……? どこから迷い込んできたのか……灰色の猫が部屋の隅から現れて、ベッドの上にいる私のもとへとやってくる。 梨花(アラビアン): 誰の飼い猫かしら……記憶通りだと、以前の「世界」にあったこの屋敷内に猫どころかペットもいなかったはずなんだけど……。 まずは#p雛見沢#sひなみざわ#rの仲間たちか、顔の知った誰かを探し出すのが先決だろう。そう考えながら私がふと、なにげなく後ろを振り返ると――。 梨花(アラビアン): ……っ……。 視界に飛び込んできた「彼女」の姿に私は思わずぎょっ、となってたたらを踏み……危うくその場に転びそうになる。 「世界」を移動してきたばかりで、注意が散漫になっていたとはいえ……全く気配を感じなかった。 一瞬、幻か幽霊かというありえない可能性も勘ぐってしまうほど……「彼女」との邂逅は唐突で、困惑を覚えてしまう。 と……その時。「彼女」は表情を消したまま、私をまっすぐに見据えながらおもむろに口を開いていった。 絢花(巫女服): ……戻ってきたんですね、古手梨花さん。あのままこの「世界」から出ていったほうが辛い光景を見なくてすんだでしょうに……。 梨花(アラビアン): 戻ってきた……?ということはまさか、あなたが……?! 絢花(巫女服): はい。暗殺されたあなたに成り代わって、水の部族の長代理を任されることになった……今は、古手絢花といいます。 梨花(アラビアン): 古手、絢花……?! 初めて出会った少女の顔を、私はまじまじと見つめ返す。 他の雛見沢御三家と違って、古手家の血縁者は私の知る限り全くと言っていいほど存在していない。 もちろんここは幻想空間なので、たとえば立場を変えた何者かが古手家の縁者として追加された可能性はあるが……だとしても……? 梨花(アラビアン): 古手、絢花……あんたはいったい、何者? 絢花(巫女服): ――――。 梨花(アラビアン): まぁ……それはいいわ。色々と問答している余裕はなさそうだしね。 梨花(アラビアン): それよりさっき、私が暗殺されたって言っていたけど……あんたは、それが誰なのか知っているの? 絢花(巫女服): えぇ、知っています。ですが……それを聞いてどうするのですか? 梨花(アラビアン): 別に、未来を変えるつもりはないわ。ただ私は、知りたいだけよ。 梨花(アラビアン): この「世界」が誰のために、どういう#p思惑#sおもわく#rで作り出されたのか……。 梨花(アラビアン): その事実を知った上で、去りたいのよ。何もわからず、わけのわからないまま放り出されるのは……納得できないわ。 絢花(巫女服): …………。 絢花(巫女服): 『好奇心は猫をも殺す』という言葉を、ご存じありませんか……? あなたのやろうとしていることは、まさにそれです。 絢花(巫女服): 確かにこの「世界」は、古手梨花の心の救済に必要として作られたものでした……が、あなたが姿をご覧になったように、すでに全てが変わった後。 絢花(巫女服): いわば、乗っ取られた後なのです。ですからここで何を調べようとも、あなたが求めるものは何も出てこないでしょう。 梨花(アラビアン): ……っ……。 その時、手の中に収めていた『カムノミコトノリ』が熱を帯び始めるのを感じて……そっと目を向けると、光を放っている様子が見てとれる。 思ったより早く、時間切れが近づいたようだ。……いや、あるいはこの「世界」そのものが私を追い出そうと働きかけてきた……? 梨花(アラビアン): 最後に、……教えて。この「世界」は私のために作られたって言っていたけど、それは誰? 梨花(アラビアン): あと、どうしてこの「世界」は私のために作られたの……? 絢花(巫女服): すでに、あなたが聞いた通りです。あなたの心は、同じ事象の繰り返しによって崩壊直前にまで陥っていた。 絢花(巫女服): だから、この「世界」を作った「神」はあなたに刺激を与えようとしたのです。困惑と驚きから、……発見を生み出すために。 絢花(巫女服): ただ、それに気づいた別の「神」が手を伸ばして……この「世界」の結末をまた惨劇に書き換えようとした。 絢花(巫女服): だから「神」は、あなたを追い出したのです。……それが事実であり、真実になります。 梨花(アラビアン): っ……それって、羽入が言っていた……?だとしたら、あなたは――。 絢花(巫女服): さようなら、古手梨花さん。私とあなたは、決して交わらない運命ですが……。 絢花(巫女服): あなたと少しでもお話ができて……よかったです。 梨花(アラビアン): ま……待って!私はまだ、聞きたいことが――! …………。 絢花(巫女服): あの「神」……いえ、「彼女」ならきっと見つけてくれますよ。 絢花(巫女服): だって、私が誰よりも尊敬する……そして誰よりも大好きな人なんですから。