そして、不審はきようがくへと瞬く間に塗り替わった。

 すべての活動熱量を奪われているはずの隼人はやとが、その足を力強く前へ一歩踏み出したからである。

「ありえん……! なぜ、動けるッ!?

 狩人のわなとは、発動それ自体が既に必殺でなければならない。ゆえに己の《墓碑銘エピタフ》もまた、そうした性質を帯びたのだとヒコックは認識していた。だが今、その条理は不条理な現実によって覆されようとしていた。眼前の獲物の、突然の復活という形で。

「まさか──」

 条理を覆す不条理。それを為す力なら、確かに血族であれば秘めていて然るべきものだとヒコックは知っていた。ほかならぬ、その血の中に──すなわち《墓碑銘》という力として。

 隼人の皮膚の下からまだらように浮かび上がった、れんの光。

 その光は隼人の体内を巡るかのように移動し、様々な箇所で皮膚を透かして浮かび上がる。まるで大地の下で発光する溶岩が胎動するかのように。それと同時に、光量が増した隼人の肉体部分は、力を取り戻したかのように再び動き始めていた。

「あれは……!」

 ヒコックをにらみ据える隼人のひとみの中。そして雄叫びを上げるように開かれた口の奥。そこにも、同じ光が揺らめき立ちのぼる。その光を見た、ひつぎぼうぜんつぶやく。

「あれは、火……なの? 隼人はやとの血が、燃える火に……?」

 火──すなわち、熱量を生み出すもの。

 隼人の体内を流れる血液は今、それ自体が揮発性の燃料と化したかのようにしやくねつの炎を上げて燃え盛っているのだ。周囲の大気にかげろうを発生させるほどに、熱くはげしく。

 そして熱とは、活動のための力そのものである。それはヒコックによって奪われる以上に、隼人の内部から発生し続けている──その血を燃焼させることによって。

 しかしそれほどの高熱であっても、隼人の肉体は焼けも溶けもせず一切無傷。つまりこれは、断じて世の条理に収まる現象ではなかった。


『我が墓標に刻みし碑銘、今ここに見つけたり──』


 隼人ののどからではない、そしてこの世のどこでもない領域から響く声が漆黒の夜に流れた。

「我が墓碑銘エピタフをここにうたおう──『摩利支天まりしてん陽炎ノ血陣かげろひのけつじん』」

 それは隼人が、己自身の存在を埋葬した覚悟のあかし。魂の墓標に刻まれた、この世でたった一つの彼だけの真実。摩利支天とは、侍の守護神にして陽炎の化身たる神仏の名である。

 命の指針であるひつぎまもるという一念が、隼人を己の《墓碑銘》を持つ血族として今ここにかくせいさせていく。

「馬鹿な……」

 ヒコックがどうもくする。

「血族になりたての小僧が、《聖別》を……死を乗り越えたというのか!? 《墓碑銘》をだしてッ──」

 そして、なぜそれが『高熱』という形態を取ったのか。その理由がヒコックには理解できたような気がした。先の闘いで、己の能力の弱点が何かを改めて思い出した今となっては──

「まさか、俺の《墓碑銘》を正面から打ち破る……そのために?」

 ヒコックは自身の推測に脅威を覚えた。自分と隼人の能力は合わせ鏡のように打ち消し合う関係になったからだ。今の隼人は、尽きない井戸のようなもの。いくら熱量を吸い上げても、次から次にいてくるのだから。事実上ヒコックの《墓碑銘》は、隼人に対しては無力化されたようなものだった。

 となれば、その先にあるものは……すなわち、純然たる力と力の真っ向勝負。

「くそったれ……上等だぜッ!」

くぞッ!」

 ヒコックと隼人の叫びが交錯した。同時に、隼人が地をって突撃を開始する。

 熱量の発生は、そのまま身体機能の上昇にも直結していた。血族としての力の源泉である血自体の燃焼で出力が増加したことにより、隼人の疾走はそれまでの数倍にものぼる速度に達していた。

 一方ヒコックの銃口も、また毒蛇の如く隼人はやとを追尾する。そして、正確無比かつ迅速なる死を銃声とともに吐き出していく。

 だが、発射された全弾が疾駆する隼人を捉えきれない。銃弾を振り切りながら走り続ける隼人は、樹間を目まぐるしく移動しては、飛びこむ最適の機と位置を見極めている。

 また隼人の身が放つ高熱が、周囲の枝葉を自然発火させていった。森に発生した火災の照り返しにより、ヒコックの照準はさらに正確性が落ちてしまう。依然として、弾丸は隼人を撃ち抜けない。

「──取った!」

 隼人は、ヒコックの懐に入る最適の位置と機をつかむ。そして、変幻の高速機動からの跳躍。ヒコックめがけ、抜刀済みのいつせんを見舞っていく。だが、隼人の刀身に返ってきたのは骨肉を断つ感触ではなかった。夜をつんざいたのは、鋼同士が打ち合う甲高い叫喚。

「……惜しかったな、坊や」

 ヒコックの左脇腹を狙った隼人の一刀は、左の逆手に握られたさつ用のボウイナイフによってはじき止められていた。刃渡り三〇センチメートルにも及ぶ長大な鋼刃は分厚く、どうもうな輝きを放っている。

 そのナイフは隼人の前で、ヒコックの右手に保持するコルトM1851ネイビーの銃身下部にセットされた。特注の金具同士がみ合い、ナイフはロングバレルの銃身長を得て短槍に等しい間合いを獲得する──すなわち、銃剣の誕生。

「切り刻むほうのりかたも──嫌いじゃあないぜッ!」

 野獣じみた荒々しい突進と共に、ヒコックの銃剣が夜気を裂いてうなりを上げる。しかし、剣と剣では、その技は侍である隼人に及ぶものではない。

 隼人はさしたる苦もなくそれをいなす。そして交差しざまに放った一刀が、逆にヒコックを両断しにかかる。体勢を崩したヒコックに、それを回避する余力はないはずだった。

「ッ!?

 だが、空を切ったはずのヒコックのナイフ──その先端が、隼人の眼前で火を噴いた。

 回避しようもない超至近距離からの銃撃に、隼人は完全に虚をかれる。ヒコックの武器は最初からあくまで銃であったのだ。あえて隼人に有利なり合いに臨みナイフに意識を向けさせたのは、すべてはこの瞬間のための布石だった。

 れんの発射炎と共に放たれた銀の弾丸は、隼人の心臓めがけてせん状に空を穿うがつ。

 もはや回避は間に合わない。よって隼人は刀を水平にかざすと、はばき──刀身のつば元にめる補強金具の部分で、弾丸を受けた。

 鋭い残響と火花を散らし、ヒコックの放った必殺の魔弾は弾き飛ばされやみに消える。

「これに反応しやがるかッ──くそォッ」

 会心の『わな』をいなされたヒコックは、舌打ちを飛ばしつつ後退。再び本来得意とする遠距離の間合いを取ろうとする。しかし隼人はやとの追い足は、その動きをりようした。踏み込みざま、刀の間合いにヒコックを入れる。

「逃さん──」

 隼人のこんしんの諸手突きが、ヒコックの心臓めがけてはしり飛ぶ。

「くッ」

 ヒコックの銃剣が、かろうじて襲いきた剣先をはじいた。しかしナイフの刀身は、隼人の打ち込みに耐えきれず真っ二つに両断される。鉄をも断つ、それはまさに入神の域に達する一刀と言えた。

「もらった!」

 銃剣を失った以上、ヒコックに隼人の一刀を受け弾く武器はない。この至近距離では、隼人が圧倒的に有利な状況だ。

 ゆえに繰り出された隼人の剣は、今度こそヒコックの眉間を唐竹割にり捨てる──はずが。

 必殺の一刀は、見えない衝撃によって弾かれていた。何もない空気が、空中で刀身を殴り返してきたようだ。隼人はその反動で、後方に大きくのけ反らされる。

「な──」

 遅れて隼人の鼓膜を突き刺したのは、落雷めいたさくれつおんと火薬の匂い。これは……

「まさかッ──〝弾丸〟で受けたというのか!?

 隼人の一刀を弾きらしたのは、超至近距離から放たれたヒコックの銃撃だった。隼の如く己めがけて落下する刀身を、正確無比な射撃によって迎撃してのけたのだ。

 着弾の衝撃で後方へのけ反った隼人は、必死に両脚で踏みとどまる。

「なんて腕だ──こいつ」

 すさまじいまでの技量を見せられた隼人は、ヒコックに対する認識を改めざるをえなかった。

 この男は、断じてそくな『わな』しか使えぬ策士などではない。正面から獲物をねじ伏せる強さでも群を抜いている。まさに狩りの魔王かと、隼人はせんりつを禁じえない。

「しぶとい──」

「──やりやがる」

  ここまでの攻防で、隼人もヒコックも互いに相譲らない。だがそれでもなお、死闘を続ける両者の手数は止まらなかった。

 ヒコックは残弾ゼロとなった輪胴弾倉を交換。隼人はそのすきを狙おうとするが、一秒すら要さぬ神速の復帰により逆に迎え撃たれた。

 隼人はその銃撃をかわしざま、すべてが必殺となりうる剣撃を連続で放っていく。一の太刀、二の太刀、三の太刀──だが、それもまたヒコックの銃弾による受けという荒業で、ことごとくが弾き逸らされる。

 そんな真正面からの、やいばと銃弾が演じるれつな〝斬り合い〟はいつ果てるともなく続いていった。白昼の如き火花がひらめくその中で、双方がらす焦燥のうめきが夜気に流れ始める。

「くっ──まだ、足りない……ッ! まだ遅いッ!」

「ちィ……ッ! こいつ、まだはやくなりやがるのかッ!?

 一刀ごとに、隼人はやとの剣速は確実に増していく。今よりもっと、もっと疾く──その内なる渇望に応えるが如く、隼人の総身を流れる血潮はなお激しく燃え盛る。

 決着を急がねばならない理由が、隼人にはあった。それはひとえに、今こうしている一秒ごとに衰弱していくひつぎの容態。ヒコックの《墓碑銘エピタフ》にとらわれた彼女を、一刻も早く救出すること。隼人の意識を占めるのは、ひとえにその一念だった。

 もっと、もっと、もっと、もっと疾く──その渇望に隼人の血は忠実に応え続ける。燃えながら全身に流れる血炎の温度を、さらに天井知らずに上げていき……

「────」

 隼人は、ついにそれが限界を突破したことを知った。

 自分の体内から透けて見える炎の色が、それまでの赤やだいだいいろからあお一色に変じたと見えた瞬間……突如として隼人の全身が、逆巻く蒼い猛炎に包まれ燃え上がったのだ。

「ガ──ア、アアアアアアアアッ!?

 今までとの違いは、その火炎が隼人の内部ではなく外部を燃やしているということ。そして何より、隼人自身が張り上げる絶叫であった。

 肉が焼け、皮膚がひび割れ、呼吸する酸素さえ奪われていく。達磨だるまとなった隼人は、そのもんの中でただ身をよじり続けるしかなかった。もはや闘うどころの状態ではない。

 今までは隼人の身を焼くことのなかった高熱が、その熱量の限界を突破すると同時に無傷で制御可能な限界をも超えてしまったのだ。

「俺に張り合うため、無理をしすぎたか? どうやら風向きが変わったようだな……恨むなら、尻軽な勝利の女神を恨むがいいぜ」

 ヒコックの銃口が、無防備な隼人の心臓へと向けられた。

 ヒキガネにかかったヒコックの人さし指が、そのまましぼられようとするが──背後で響いた草を鳴らす音で、凍りついたように固まった。

 ヒコックの顔には、まさかというような疑念が浮かんでいる。この場にいる人間は、ヒコック、隼人、そして動けなくなった柩の三人のみ。そして今の音は、ヒコックと隼人が立てたものではなかった。

 ならば、それは──

「隼人……は……」

 その声は、苦悶の中で隼人にも届いた。隼人とヒコックが、二人同時に振り返る。そして、そこに見たのだった。

 ──夜空を焦がして燃え盛る木々を背に、孤銃を手に立ち尽くす柩の姿を。

「狩りの魔法が解けたか……だが、もはや遅いぜ」

 それを見たヒコックが、冷ややかにうそぶく。隼人はやともまた、活動熱量を奪われた身で再び起動したひつぎを見つめる。そして、腹部から流れ続ける血潮の痛ましさに出会った夜を思い出した。

 どうして柩が立ち上がってこれたのか、その理由なら隼人にはもうわかっている。それは、隼人の放つ高熱によって自然発火した木立の炎上が示していた。

「やはり……あの時と同じ……」

 隼人はホテルの室内で、最後に起こった事態を思い出す。

 あの時も、隼人は今の柩と同じように急に動くことができるようになった。

 どちらの現場にも共通している要素は……

「炎───」

 今、隼人は己の推測に確信を得ていた。ホテルの室内でも、ヒコックの能力から自由になれたのは火の手が上がった後だ。その理由は、能力の発動起点が血液であることを考えれば自明のこと。

『陣地』を形成する各支点に撃ち込まれた、ヒコックの銃弾……そこに塗り込まれた血液の水分が、炎の高熱によって蒸発したのだ。必然『陣地』は消滅し、熱量収奪の能力も解除される。

「隼人……は……」

 動く力を取り戻した、柩の両腕が跳ね上がる。その手には、スミスアンドウェッソン・モデルアーミーが握られている。隼人の記憶にあるどんな時も、柩が決して手放すことのなかったその銃が。

「今度はわたしがまもるからッ!」

 柩は、叫びとともにヒキガネを引き絞った。漆黒の銃口が、ヒコックめがけ発砲炎を噴き上げる。

 しかし、柩はまだ立つのがやっとの状態。その挙動は遅く、相手の不意をくことはできなかった。血族であるヒコックにとっては、発射された後から避けても十分に間に合う。

 そして当然の如く弾丸はかわされ、ヒコックの肌身をかすりさえせずその後方へとれていく。

「柩……ッ」

 決死の覚悟で放った柩の一弾は、あえなく無為に終わった──いや、果たして本当に?

「ならば俺を撃て! 柩ッ!」

 そうではなかった。

 やみを切り裂く銀のせんこうは、自らを焼く炎にもんする隼人にある気づきを与えていたのだから。

「えっ……!?

「俺を信じろ──撃つんだッ、柩ィィッ!」

 ぼうぜんとする柩の魂を、隼人の一喝が震わせた。

侍は死んでも約束を果たすッ──いや、果たすまで絶対に死なないんだッ!」

 魂の震動は感情を励起させる──今まさにひつぎの目の前で燃え上がる、あの炎によく似た感情を。

 その感情の名は、世においてこう呼ばれていることだろう。

 ──勇気、と。

隼人はやとォォッ!」

 人差し指が、祈りを込めて引きしぼられる。再びの銃声がやみを切り裂き、突き抜ける。

 放たれた銀の弾丸が、敵であるヒコックではなく隼人の肩口に撃ち込まれていた。

「お前ら、いったい何を──」

 その光景にどうもくするのは、ヒコックのみだった。どう見ても味方を間違えて撃った、自殺行為にしか見えはしない。しかし撃った柩のひとみには、一切の動揺の色は浮かんでいなかった。

 そして──

「……そうだ。これで、いい」

 新たに、隼人の声が響く。まるで死に絶えるように弱まり、消え去っていく炎の向こうから。

「まさか──銀の弾丸はそのためにッ」

 何かに気づいたヒコックの叫びは、闇を裂くいつせんの銀光にかき消された。地をった隼人が繰り出した、最終最後の一撃がけんじゆう使いをぎ払う。

 ヒコックの身体からだが、大量の飛沫しぶきを噴き上げた。灰色の瞳が最後に映したものは──己の右肩口から逆に左脇腹へと走り抜け、心臓を切り裂いていった美しい一刀のきらめき。ただそれだけだった。

 上半身を斜めに断たれたヒコックの身体は、草を鳴らして崩れ落ちる。星空の下に、その血の臭いが濃く立ちこめていく。

 ──闘いは、ここに決着を見た。

「そうだ……あんたの思った通りだよ」

 ヒコックのむくろに向けて残心を決めながら、手向け代わりに隼人は告げる。言葉はわからぬまでも、ヒコックが残した最後の叫びの意味は充分に伝わっていた。

「はあ……はあ……」

 力尽きたように、柩がその場にひざをつく。

「よかった……隼人が、死ななくて……」

 疲労よりもあんが、急激な脱力感を呼んでいた。

「でも……よく、とっさに思いついたね。あんな無茶なこと……」

 隼人の体内で燃える血炎の色は、既に暴走状態のあおではなく暖色に戻り安定している。

「銀の弾丸は、血族を殺す毒になる……お前と出会った最初の夜の印象から、その考えが意識に強く刷りこまれていたせいかな。だから、俺自身に毒を盛れば血の力──《墓碑銘エピタフ》も弱るだろうと思ったんだ。もちろんただの勘だが、命の際では案外そんなものが明暗を分ける……今度も、どうやらうまく切り抜けられたようだ。助かったよ」

 隼人はやとは銀弾が血族に与える毒素によって、破壊的に上昇し続ける《墓碑銘エピタフ》の出力を制御可能域にまで強制的に押し戻したのだ。

「く──」

 それから隼人は肩のだんこんに刃先をねじ込み、周りの肉ごとえぐって捨てる。

 用を終えた一刀をさやに収めて空になった隼人の右手が、しばし宙をさまよう。

 そして──

「……?」

 意を決したように目の前に突き出されたその右手を、ひつぎぼうぜんと見上げた。その意図がとつにわからなかったのだ。

 やがてそれが、自分に差し伸べられた手であるとわかった瞬間。

「ありがとう──」

 柩の顔に、月の光よりもまぶしい笑顔が浮かんでいた。