横浜の沖合、江戸湾の洋上。
「貴様らには、ほとほと失望した」
夜の
その憤りを向けられるベルリッヒンゲンは、しかし泰然と巨体を海風にさらしたまま動じない。そこから少し離れた場所に
「主を持たぬ傭兵と言えど、最低限の矜持はあるだろうと買いかぶっていた。しかるに、使命を忘れたあの暴走ぶり……その上、たかが娘一人を
侮蔑も
「なぁに。愉しみが後に残ったと思えばいいことではないか」
開き直ったとしか思えない傍若無人な言葉に、新兵衛は激怒に顔色を
「それに、どうやら
ベルリッヒンゲンを一喝しようとした新兵衛を、傍聴していたヒコックの発言が遮る。新兵衛は怒りを呑み込み、そちらを
「噂だと? 何を言っている」
「前に、あんたに話してやったことがあるだろう。ユダの血統は、《真祖》に代わる新たな神を欲しそれを創ろうとしているっていう噂をな。この百年ばかり、血族社会の闇を漂っていたその与太話が、どうやらこの極東の地でやにわに真実味を帯びてきたってことさ」
ヒコックの言葉に、新兵衛も思い出していた。確かに、そんな話をこの男はしていた。
「だが、それがどうした? 我々の使命とは関わりなかろう」
ヒコックは先程からこちらを一度も見ずに、目を閉じたまま腕を組んでいる。その様子に不審を感じながらも、新兵衛はヒコックの話を一蹴した。
「我々? あんたの使命の間違いだろう。俺たちは元々、あんたの主君や
「卑しき野良犬めが──
新兵衛は薩州の剛刀……
が。踏み出したその足が、やにわにもつれる。
「これは……ッ、なん、だ……?」
新兵衛はもはや身動きも取れなかった。歯の根が合わぬほどの寒さを感じる。身体が異様に冷え切っていた。
「これが俺の《
「馬鹿なッ……いつ、何を仕掛けられたというのだ……?」
ヒコックは、悠然と
「どれだけの強者が相手だろうと、〝闘い〟そのものに持ち込ませないのが〝狩り〟の極意ってものだぜ。熊や虎と真っ向から立ち向かい、力と力で打ち勝つことは狩人の勝利じゃない。たとえそれが可能であったとしてもだ。その
新兵衛は、愛刀の柄を握るのが精一杯の状態にまで追い込まれていた。一秒ごとに力、そして生気そのものが身体から奪われ、どこかへと消え去っていく。まるで見えない亡者たちの手に群がられているかのようだ。
そして、新兵衛は悟らざるをえなかった。身動きさえ取れない以上、自分はもはや一太刀すら敵に浴びせることなくこの闘いに敗北したのだと。
「俺はッ……貴様などの手にかかって、死にはせん……殺されたりはせんぞッ!」
薩摩の人斬りは、消え去る寸前の最後の力をその腕に集中させた。必死に身体を起こし、せめて一矢を報いようとする。
「大西郷に栄光あれッ──」
そして吠えるや、もはや敵には届かぬその
「ほほう。これがサムライのハラキリって奴か?」
「うむ。死に誉れを求めたがるのがこの手の者たちだ。むざむざと敵の手にかかるよりは、潔く己の手で……といったところだろうが、敗北は敗北。死は死にすぎん。愚かなことよ」
「感じた──また踏んだぜ、奴らが。この地に来て早々に、俺が周辺一帯に仕掛けておいた『
それに対して、ベルリッヒンゲンが
「お主の《
「さあやろうぜ、《鉄腕ゲッツ》。狩りの夜はまだ永い」
ヒコックの
* * *
墨汁を流したような空は雲もなく、月の光が
その銀のまばゆい月明かりに、
狭い車内の、隼人の向かい合わせには柩が座っている。異国の宝石めいた瞳は、自分と同じように窓外を後ろに流れる景色を見つめていた。その手には、例の最新式の六連発
「あんたには、これを」
荷物を探っていた万次郎が、
「そいつは美術品として横浜の銀行に預けていた物だ。昨今、
沖田は、受け取った刀を
「これは──」
「さすが、お目が高い。あんたにはすぐわかったようだな」
思い出したように、隼人も隣に座る沖田の手に豆粒ほどのあるものを握らせる。そして、これが何であるのかを手短に説明した。
「万が一の時は、これも。沖田さんは
そのとき。突然、がくんと大きく馬車が揺れて止まった。
「おい御者……!」
外の様子を
さっきまで疾走していたはずの四頭の馬、それを操縦していた異人の御者の顔が、恐怖に凍り付いていたまま死んでいた。傷一つなく、魚の干物のように骨と皮だけの乾ききった異様な屍。まるで、一瞬にして餓死したとでもいうように。御者台と
「追っ手の仕業か!?」
名状しがたい悪寒に襲われ、隼人は反射的に
あれは──と叫びをあげたのは、
「みんな、散れッ──」
沖田の叫びは、山を震わす
山の斜面に仁王立ちとなった、《鉄腕ゲッツ》の右腕──六
その血の砲弾は標的である隼人たちの馬車を正確に捉えていた。
隼人は吹きとばされ、山の斜面を滑り落ちた。地面に
「
真っ先に探し求めたのは、敵の標的である少女の名前。沖田や万次郎の気配も近くには感じなかった。
下草を鳴らし誰かが斜面を滑り降りてくる音が聞こえて、隼人は顔を上げる。しかしそのあとに続いた銃声に、絶望的な気持ちになる。どうやら、隼人を追ってきたのはあの短銃使いらしい。
「ち──」
再び
隼人を狙う短銃使い──ヒコックは、
だが無論、
しかし、解けぬままの
──あの短銃使いはさっき、俺に何をしたんだ?
その解明こそが勝利に
生気が抜き取られ
ヒコックの銃撃が襲うが、木立に隠れた隼人に傷一つ負わせることは当然できない。その現実がわからぬかのように、相手は絶え間なく無駄弾を撃ち込んでくる。
隼人の現在地点からヒコックまでの距離は、およそ二十メートル。決して遠い距離とは言えなかった。しかし、いまだ敵の能力──《
隼人はその理由を思考する。一刻も早く能力の性質を見極め、突破口を
考えられる理由その一──能力の発動には、正確な標的位置の見極めが必要とされるから。
さっきの一本道を走る馬車とは違い、今の隼人は木立に隠れながら不規則に移動している。そのため、敵は能力発動の機会をなかなか捉えきれずにいるのではないか──充分に近づけているのにまだ発動されていないことに、それで説明はつく。
考えられる理由その二──あの能力は、ヒコックが放つ弾丸と関連づいているから。
能力を発動するには、まず弾丸の命中が前提条件として必要になる。そのため、標的である隼人がまだ被弾していない今の状態では影響を及ぼすことができないのではないか──当たらないとわかっていながら未練がましく射撃を続けていることに、それで説明はつく。
「どちらも決め手はないな……」
それらはあくまで、隼人が考えた想像上の理由でしかない。しかし、勝つためにはその想像に
隼人は固く意を決し、潜んでいた木立を飛び出す。一息に距離を詰めると樹林が途切れた。行く手のヒコックとの間に射線が大きく開け、
ヒコックが隼人に銃口を向け、発砲する。それを見切ってかわす準備をした隼人だったが、意に反して弾丸は大きく
──狙いを仕損じたのか?
この土壇場にきて、そうとしか思えぬような大外しだった。
そして隼人とヒコックを隔てる距離は、既に十メートルを切っている。不夜の血族の身体能力であれば、ただ一度の跳躍で消し飛ばせる間合いに突入したのだ。
「参るッ!」
一刀を抜き放ち、肩に担ぎながらヒコックへ向け大跳躍を踏み切る。
その瞬間──自分を見つめる灰色の
死の予感が、視覚を含む全感覚を爆発的に活性化させた。その隼人の視界に、跳ぶ直前に弾丸を撃ち込まれた木立がふとよぎる。
そして木の幹に
「あ──」
それを見た瞬間、隼人の脳内ですべての
あれはヒコック自身の血液に違いない。あらかじめ弾頭に仕込まれ、着弾衝撃で
つまり、あの能力の真髄は目に見える『弾丸』ではなく、そこに隠された『血』に宿っているということ──隼人はそれを知ると同時に、先程からの相手の意図をようやく理解した。
あの最後の一発は大外ししたのではない。狙い通りに隼人に当てなかったのだ。それまでの銃撃も、無駄弾ではなくすべてが布石に従う有効打だった。
なぜなら狙っていたのは最初から隼人の
その目的は──自分の血を塗った弾丸を撃ち込むことで、『陣地』を作りその中に隼人を囲いこむこと。このような木立の森は、そうして『陣地』を作る上で絶好の地形だということにも隼人は気づく。思えばさっき闘った場所も、ホテルの客室内という狭い閉鎖空間だった。
「まずいッ!」
隼人は、瞬間的にヒコックへの突撃を中止した。血の陣地……ヒコックの〝狩り場〟に完全に閉じ込められたときが最期だ。今はまず、可能な限りの遠くへ退避──
そう身を翻した
「終わりだぜ──サムライの坊や」
それが死の宣告であるかのように、ヒコックの
同時に隼人を襲ったのは、凍りついた無数の手が内臓に突っ込まれたような悪寒だった。
「ぐああああああァァァァッ──」
隼人の身体を流れる熱い血潮が、氷河と化したように動きを止めて固まっていく。
「『
もはや勝利は確定したとばかりに、ヒコックが堂々と木立の奥から姿を現す。
「派手に撃ちまくる弾丸は、いわば表向きの目くらましと本命である『血』の運搬役ってところだな。ばらまいた血の陣地内に囲いこんだ、生物の熱量を奪い取る──それがこの力の正体だ。狙った何者をも逃さず、殺し尽くす狩人の執念。それが結実したかのようだろう?」
ひとり凍える
「俺の血は、獲物を決して逃さない。『陣地』を作るだけじゃなく、血に触れた物体の情報をも離れた俺に伝えてくれる、仕掛け
「我が
「グゥゥゥゥッ……吸い取られ、るッ……」
「熱量とは活動する力そのものだ。それ自体を根源から収奪されては、どんな抵抗もできないぜ──とはいえ、仮にも血族だけあって完全に奪い尽くすにはもう少し時間がかかるようだな。まあ、焦らずじっくり待つさ。狩人の仕事の大半は、待つことだからな」
隼人は
氷のように冷えきっていく
その隼人の脳裏によぎるのは、月光の色をした髪の少女の面影。
ここで
* * *
大砲の爆風で吹き飛ばされ、街道を外れた斜面の下にまで転げ落ちていたのだ。
右手には、スミスアンドウェッソン・モデルⅡアーミーの銃把がしっかりと握られている。今の自分にとって唯一の闘う手段を、意識がない中でも手放すことはなかったことは幸いだった。
「みんなは、どこに……隼人……」
真っ先に思い浮かぶのは、やはり隼人のことだった。
敵が狙ってくる標的は、この自分。だからこそ、どう動くべきかをきちんと考えなければならない。
そう思った矢先に、山林の奥から
そちらに足を向けたとき、ふと鼻先をいがらっぽい紫煙がくすぐった。
「なっ、
少し離れた草地の上に、
「よう、お目覚めかい?」
気だるげに紫煙を吐きながら、万次郎がこちらを見る。焼け焦げた腰から下を吹き飛ばされ、失った状態で。
「もしかして、わたしを
「気にすんな。死ななかっただけ儲けもんだ……とはいえ
夜の
「よう。
「えっ……うん」
「なら、どうだ? この場は、お前さえ無事に逃げ落ちれば万事解決なんじゃないのか? もし隼人が負けて殺られたとしても、お前まで死ぬことはないと思うんだがな。そうなったら、隼人も浮かばれないだろ?」
「何を言っているの……? 隼人は今、敵と闘っているかもしれないんだよ? それに、あの人……
「だからこの際、闘いはその道の
その痛ましい状態とは裏腹に、どこまでも
黙然とそれを聞いていた柩が、憤りの声を上げた。
「……だから何を言っているの! わたしには、万次郎の言っていることがわからない。いや、わかりたくない!」
一息に思いの丈を吐き出すと、急に冷静さを取り戻したように柩はうつむく。
「確かに、わたしなんかじゃとても隼人や沖田さんの力にはなれないかもしれない。万次郎の言う通り、きっと足手まといになるだけかもしれない……」
万次郎は口を挟まず、柩の言葉に耳を傾けていた。
「でも……自分で決めたんだ。どんなときも、隼人のそばにいたいって。わたしの言っていることって、変なのかな……?」
不安しかない。けれど取り消す意思もない。口にしたのは、そんな決意だった。それを前に、
「いや、それでいいと思うぜ」
「えっ?」
「〝失敗するぞ、やめとけ〟なんてしたり顔をした誰かの言うことなんざ、まともに聞く必要はねえってことだ。そいつはお前について、何の責任も取るつもりはないんだからな。失敗したら後で後悔すりゃいいだけの話じゃねえか。で、人間ってのは後悔をしないと本当の意味で成長もできねえものなんだ。また厄介なことにな」
「万次郎……?」
「もちろん、それで望んだものが手に入るとは限らねえ。だが、望まない限り手に入るものもねえんだ……いいか。そうやって一つ一つ、自分のココと」
万次郎は指先で自分の額を指差し、それから胸を指し示した。
「ココを使って、決めていくんだぜ。今みたいにな」
「さっきと、言ってることが全然違うよ……? というか、反対のことを言ってない? 無駄なことはするな、できることだけをしろって……」
そして、その真意を探るように万次郎の顔を見下ろす。柩のそんな反応を見越したかのように、万次郎が微笑を返した。
「ああ、その通りだ。で、お前自身はどう思ったよ? 思わずカチンと頭にきたか?」
柩は
「それは、
「うん……でも、万次郎の言っていることもわかるんだ。そっちの方が理屈に合っているな、とも思ったよ? でも……隼人が危ないと思ったら、そうしたくないっていう気持ちが
柩は不思議そうに、自分の心に起こった感情を言葉にしていく。
「わたしは、ただそれだけの、理屈に合わない気持ちで反発したのに……どうして万次郎は、急にそれでいいなんて言い出したの? なんだか、試されているみたいな気分だよ」
狐につままれたような柩を見上げ、万次郎は薄い微笑を浮かべ続けていた。
「気にすんな。波乱万丈な人生の先輩として、ちょいと語ってみたくなっただけだ……さっき俺の言ったこと、もう一度繰り返してみな?」
柩は記憶を
「ひとつひとつ、自分のしたいことを、決めていく……わたしの、頭と、心で」
どこかおぼつかない柩の言葉に対し、万次郎は満足気に頷きを返す。
「それが生きるうえで、何より価値のあることだ。さ、行けよ。お前の行きたい場所へな」
半身が消し飛んだ状態でしゃべり疲れたのか、
「どうした?」
「あ、うぅん──」
懐かしい誰かが、いつか言った言葉に似ている気がした──と言いかけたが、また響いてきた銃声に反応する。
「じゃあ、待ってて。必ず、
顔を上げると、柩は小走りで山林の奥へと駆け去っていった。
柩の背中が
「……こんな具合でいいのかね? なあ亡霊さんよ──」
独り言のように、万次郎は夜空に向けて
* * *
アームストロング砲の直撃は逃れた
やがて戻ってきた聴覚が、
「…………」
黒い闇が、より
鉄の右腕は、既に『大砲』ではなく再びあのときと同じ『長剣』を創形している。
その顔に刻まれる悪魔じみた
「よかろう」
沖田は腰に落とした新たな一刀、その柄に右手をかけた。
「これも因縁。剣士として、この
そして──戦端は開かれる。
沖田は闘いの中で時間を忘れ、ただこの瞬間の攻防のみに没入していた。
たとえばベルリッヒンゲンが今まさに繰り出す、七十七手目となる
沖田の足下には、そんな生と死の二進法が吐き出した膨大な因果が積み上げられていた。
血族より
「ぬう……その手数の少なさはどういうわけだぁ? よもや専守防衛が勝利を呼ぶと思い違えてはおるまいが……」
ベルリッヒンゲンが
しかし受け
そしてベルリッヒンゲンが言うように、闘いにおいて守勢に回ることはそれ自体が不利を導く。ましてこのような接近戦においては尚更だ。
それにも関わらず、沖田は
「その慎重さ、さては逆襲の秘策を狙っている布石か? クククッ、そんなものをワシが恐れると思うか?」
ベルリッヒンゲンは、鋼鉄の義手を変型させた『長剣』に赤く輝く血を通わせ、
「さあ、今のワシは
「──ッ!」
ベルリッヒンゲンが、鞭のような使い方で剣を放った。鉄とは思えぬほど
粉々に砕けた鞘の下から、ついに沖田の持つ白刃が露出した。ベルリッヒンゲンによって、強制的に抜刀させられたと言ってもいい。沖田はすかさず、刀を引く。そのままでは、刀身ごと砕かれかねなかった。
「……なるほどなるほど。それが切り札だったというわけか。おお剣呑剣呑、クックック」
そして、鉄をこすり合わせるような寒気を呼ぶ声が沖田の耳に響いた。
「銀刀──とはなぁ。健気なものよ。〝銀〟を混合させた鋼で鍛造した、対血族への殺傷効果付与を目的とした特殊な刀剣……そして、銀ゆえに刀身の強度は通常よりも遥かに
沖田の眼前で、ベルリッヒンゲンは自ら暴いた秘密を語る。
「頑なに鞘から刃を抜かなかったのは、そのためというわけか。先のように、武器破壊を狙って折られぬためが第一。のみならずむき出しのままでは、受け
「……どうやら見抜いたようだな」
ベルリッヒンゲンの言葉は
沖田の脳裏を、手にしたこの一振りの持つ来歴がよぎった。
──今を去る数百年前の寛永年間。長崎の地にて起こった最後の日本血族・
そして、往時の武蔵が携えていた業物こそがこの銀刀だったと伝えられている。血族殺しのその〝妖刀〟が、天草討伐にいかなる働きを見せたのかの記録は現存していない。
ただ今に残るのは、この銀刀を鍛えた
すなわち、村正──と、沖田は、かつてこの刀の伝承を師匠である
「フフ……見える。見えるぞォ? 貴様の魂に刻まれた、ワシに対するその無自覚なる
ベルリッヒンゲンの顔面に、おぞましいほどに
「貴様ァ、正体は女だな? 姿格好は男を装っても、血の匂いは隠せぬわ。クク、女ごときがワシを倒そうと? 小生意気な……こうなれば、ただ殺すだけでは済まさん。貴様のすべてを
ベルリッヒンゲンが放ち始めたオスとしての獣欲に、沖田は相手が看破したのが銀刀だけではないことを悟った。そして、より圧力を強めながら前進してくるベルリッヒンゲンに立ち向かう。
「既に貴様は負けているのだ。
ベルリッヒンゲンは、その事実に愉悦を感じるというように攻撃の速度を上げていく。
「そして、ひとたび己を疑った者は果てしなく崩れるものよ。
その言葉の通り、今や沖田の着物の裾からは赤い
隠していた銀刀が暴かれたこと。そして傷口からの止まらぬ出血。これらの要素が積み重なったことで、沖田は闘い方を変えざるをえなくなっていた。
「もう、闘いを引き延ばしても無意味だぞ? となれば前に出るしかなかろうが……貴様の希望は、何から何まで絶望に変わる。そしてワシに
ベルリッヒンゲンが予言のようにそう叫ぶ。その直後、沖田はこの闘いで初めて自ら前に出ていた。
「行くぞ──機は熟した」
防戦一方だった沖田の踏み込みは、それまでとは打って変わって力強いものだった。
「私が隠し続けていた、この銀刀の正体は暴かれた──だからこそ」
敵対者が簡単に露呈させた情報に対しては、よほどの愚鈍でない限りその裏……つまり
「だがその逆は? 敵対する者が、徹底して隠そうとした情報……それを自ら発見した場合は?」
そのことも無論、沖田は知り尽くしていた。そう、そこに疑いの心理は発生しづらいのだと。自力で暴いたという、敵を上回った達成感が認識を曇らせてしまうのだから。
「相手には、もう策は何も残されてはいないと思いこむ。ちょうど、今の貴様のようにな」
ベルリッヒンゲンの意識と視線は、もはや完全に沖田の右手に握られた銀刀・村正──沖田に残された、唯一つのはずの武器──に釘付けとなっている。
それを確信すると同時に、沖田は更に前に出た。同時に、ベルリッヒンゲンも沖田めがけて突進する。二人の間合いは、ほとんど
「さあワシに見せろ、女ァ! 貴様の美しき絶望を!」
そして沖田は、左手の中にある真の切り札を握りしめた。
──古今様々なものが存在した武術体系の中に、指弾というものがある。
沖田は、その指弾の使い手でもあった。そして今、左手の親指で
ぐしゃっという不気味な破裂音が、ベルリッヒンゲンの顔面から沖田の耳に響く。
その音を発したのは、ベルリッヒンゲンの右
「グアアアアアアアッ──!?」
白い蒸気と肉が腐敗したような悪臭が、沖田とベルリッヒンゲンの間に立ち込める。至近距離から放たれた銀の指弾は、ベルリッヒンゲンの右目を潰していた。
血族には猛毒となる銀。それに
「馬鹿な、左手にも銀の
「なぜ私の手に、それがあるのか問いたげな顔だな? さっき貴様の仲間が、
「地獄で仲間に会ったなら、返してやるがいい」
ベルリッヒンゲンの残された左目が自分を見ているのを、沖田は認めた。その
ベルリッヒンゲンに不死の命をもたらす心臓を、血族殺しの銀の
沖田は深く呼気を吐くと、心臓を貫いた刃をえぐり完全に破壊しようとする──が。
「なに!?」
「この圧力ッ、傷口が閉じようとしているのか……! 馬鹿な、こんなに速くだと!?」
同時に、白目をむいていたベルリッヒンゲンの眼球が表返る。それを見た沖田の背中を、
その瞬間、刀身から聞こえたぴしっという音が耳を打つ。
刀を折られる──その恐怖の中で、沖田はとっさに目の前に立つ巨体を
「馬鹿なッ……なぜこれで
沖田が叫ぶ。吸血鬼の不死の命を断ち切るには、一撃の下に心臓を破壊するのみ──沖田の知っているその前提さえ覆す、異常事態だった。
沖田の驚愕に応えたものは……心臓部の傷口から白煙を噴き上げながら仁王立つ、ベルリッヒンゲンの健在な姿だけだった。
「どうやら、並の吸血鬼ではないようだな……その度を越した不死身が、貴様の自慢か」
悠久を生きると言われる吸血鬼だが、実際は《聖別》なる死の試練が存在する。そしてそれを乗り越えた者は、以前にも増して
「よもやその時は、自分が闘うことになるとは思いもしていなかったがな」
ベルリッヒンゲンの誇る異常なまでの再生能力は、心臓が破壊される前にその傷自体を
「……それですべてかぁ? まだあるならば出し惜しみ無用よ、さあ来るがいいわァァ!」
銀弾を押し出し再生を完了したベルリッヒンゲンの右目が、
「魔剣の秘奥。驚天の奇策。そのすべて、ワシは余さず受けきろう。そのうえで、この不死の肉体が貴様のすべてを押し
獣が吠えるかのような
「我が
最終的に組み上がったそれは──ベルリッヒンゲン自身が卑しさの極みと称した悪魔の兵器、『ガトリング砲』であった。その毎分二百発の猛射をこの近距離から
だが。
「甘いぞ──吸血鬼」
右手が動く。沖田が懐から取り出したものは、
その小さな金属の棒を、沖田は手裏剣のように素早く投じた。宙を飛んだ笄は、砲身を回転することで弾丸を発射させる機構──歯車の間に
「ぬうっ──」
ガキンという異音とともに沈黙した鉄の右腕を見て、ベルリッヒンゲンが驚きに目をむく。そして発射不可能になった『ガトリング砲』の形態を解除し、別の武装へと再変形させていく。しかし、その暇を許す沖田であるはずもなかった。
「おおおおおおおおおおッ──」
沖田は村正を構え、
「……来るがいい。受けきってくれるわァァァァッ!」
武装の再変形が間に合わぬと見たか、ベルリッヒンゲンは両脚を踏みしめ身体で迎え撃つ体勢を取った。
「愚かな……一撃でワシは殺せないのを知っておろうがッ! その突きがワシの心臓を貫いたときが、貴様の最期と知るがいいッ!」
ベルリッヒンゲンが喝破する。しかも、沖田のかざす村正の刀身には既に亀裂が入っている。もう一度、あの攻防を繰り返せば
「そうなれば、貴様はもはや完全に無力。ワシに
しかし不死の血脈は、心臓が破壊される前に受けた傷を一瞬にして修復せんとする。まるで時間が巻き戻ったかのような、先と同じ繰り返しの光景を──沖田の放つ第二撃が粉砕した。
「ぐはッ──なにィィッ!?」
ベルリッヒンゲンが血を吐きながら
「一の
ベルリッヒンゲンは知らなかった。これこそが沖田
一度の突きで死なぬならば二度三度と突けばいいとばかりに、限りなく時間差の存在しない連撃が沖田から放たれていく。
だがしかし、その手に握る村正の強度はもはや限界であった。亀裂は切っ先から根元に至るまで幾つも走り、二撃目の突きと同時に一部は欠けて崩れつつある。脆い銀刀ゆえに、三段突きの衝撃に刀身自体が耐えられないのだ。
「とはいえ……この期を逃せばッ」
沖田にとっても、苦渋の決断だった。この不死の怪物を仕留める好機は、今を置いて他にない。止まらぬ出血により消耗していく沖田にとって、これ以上の長期戦は敗北に
ゆえに、沖田は三度目にして最終最後の突きを放つ。刀身を
「
無念無想の境地の中、沖田は自分の
赤い
沖田の血が刀身に吸い込まれた、その瞬間。
今にも砕け散りそうだった刀身の亀裂が、深紅の
かくして、沖田の手により決着の一閃は穿たれる。ベルリッヒンゲンの心臓を、三度目の突きが貫く。
一瞬のうちに、三重の衝撃が時間差で次々に襲いきたのだ。いかに爆発的な回復力を誇るとはいえ、三度にも渡る「死」の全てを無かったことになどできはしない。ベルリッヒンゲンの心臓は、
「……これが、
全身から力感を失っていくベルリッヒンゲンの巨体が、大きく揺らぐ。そして最後に、至福の笑みが古傷だらけの顔に浮かび上がった。
果たしてその笑みの意味は何だったのだろうか。己自身が焦がれて求め、そしてその手にできず背を向けた美しき天剣によって
隻腕の騎士が地響きを立てて沈むと同時に、その鋼鉄の義手は一瞬にして
その
「……待っていろ、
出血多量で
* * *
《ワイルド・ビル》ヒコックの前で、隼人は全力をもって立ち続けていた。ただ立ち続けるという行為にさえ、限界の気力を振り絞らなければならなかったから。
「俺は、狙った獲物を逃したことは一度もないんだ。だから例の娘の前に、心残りを片付けておこうと思ってな」
必要以上に近づかず、ヒコックは輪胴弾倉を銀弾が
「──!?」
動けないはずの隼人が構えた、刀の切っ先。それが、ほんの数
〝まだ動けるぞ〟という事実の誇示。それが、この状況下でたった一つ隼人にできる抵抗であった。
これまでの闘いにおける周到な立ち回りぶりから、隼人はヒコックの本性を直感で察していた。すなわちこの男の本分が、戦士ではなく狩人であることを。
一か八かで危険に飛び込み、死と隣り合わせの勝利を
「どうやら、まだ少しは動けるようだな。なら詰めに行くには早いってことだ」
ヒコックは決して
「根比べなら、挑むだけ無駄ってものだぜ。獲物に逆襲する力が残っている限り、それがゼロになるまで俺は待ち続ける。油断も決してしやしない」
一方で、隼人は今の挙動を起こすだけで
そして。無理をした代償として、隼人は刀を保持する握力さえ完全に失いつつあった。
この刀を取り落としたときこそ、隼人の最期だ。ヒコックは〝狩り〟を締めくくるために、満を持してその
隼人は思う。確実な死をほんの数秒引き延ばしたにすぎない、無駄な抵抗だったのかと。
かつては武士になるという見果てぬ夢を己に課し、今もまた奪われた誇りのために闘い続けている。
だが皮肉にも今、その克己と向上の精神は隼人にとって最悪の運命を呼び込もうとしていた。
「隼人────っ!」
樹林の奥から駆けつける、銀雪の髪の少女──
──来るな!
声を限りに叫ぼうとするが、干からびた
「く──うッ!?」
そして、柩は
「……ここで本命が掛かるとはな。少々
隼人と同じく、活動のための熱量を収奪された柩がその場に崩れ落ちていく。
もはや回避は不能。抵抗も不能。そのうえ、腹には血族殺しの銀弾。柩の繊手はスミスアンドウェッソン・モデルⅡアーミーの重みに大きく震え、今にも取り落とさんばかり。
その手が銃を手放した瞬間、柩という獲物は完全な形で無力化される。
自分はもう一度、あそこに引き戻されてしまうのか──そう思った瞬間、
隼人は死の
それは、侍としてもう一度立ち上がること。そして、踏みにじられた誇りを取り戻すこと。
だからこそ隼人は、この死を絶対に受け入れられない。
汚名を
そう、何もかも奪われた隼人の中に残った最後のもの……それは、怒りでしかなかった。
その怒りを、隼人は記憶していた。そして思い出す。
人間としての自分が死んだ、伏見の戦いのことを。
──侍は約束を果たすもの。
あのとき抱いた一念は、死よりも重いものだったということを。その瞬間だった。
──あれは……?
隼人の目に映る世界が、いつの間にか切り替わっていた。そこは今までいた夜の森ではなく、ヒコックや柩の姿も見えはしない。そこにいるのは……
──俺だ。
何もない漆黒の虚空に浮かぶのは、紛れもない自分自身の姿だった。
しかし目の前にした己の鏡像に感じたものは、たとえようもないおぞましさである。なぜなら、眼前の自分の顔を死相が彩っていたのだから。
死せる隼人の胸には、血を流し続ける
そして、この運命を──自身の死と向かい合う覚悟があるかどうかを、隼人は己の血から問われているのだと。
つまり、屍の幻影は警告であり試しであるのだろう。死の先へ進む価値とは、本当に永遠を約束された己の命よりも重く尊いものなのか。血は、隼人にそう問いかけているのにほかならない。
ならば、答えはもはや一つしかなかった。
己が永遠に、この手で墓標を──
「……
突如として現出したその光景に、ヒコックが