「ただし、それを犠牲だなどと考えたことは一度もない。なぜなら、これは私自身が心から望んでいることだからだ。『おきそうでいること』こそが、私自身なんだよ」

 偽りの人生こそが我が人生と言い切る彼女は、隼人はやとがこれまでに見た沖田の中でもっともはかなく──そして同時に、たくましくも見えた。

「宗次郎は、病床でいつも私に夢を語って聞かせてくれた。自分は、剣一つでどこまでも上り詰められる戦国の世に生まれたかったと。黒船が来て、もうすぐまたそんな時代がくるんじゃないかと……だから早く身体からだを治して、その中で思いきり暴れてみたいと」

 沖田はそこで言葉を切った。きらりと光ったその目に、涙を見たような気がした。

「弟がのこしたその夢を、姉として代わりに叶えてあげたいと思ったのだ。天は、この女の身にも宗次郎に劣らぬ剣腕を授けた。ならば、やらない理由など私にはない。そして、これはもはや私自身の夢でもあるのだ──私はこの一命を賭して沖田総司を貫きたい

 一寸の迷いすらないその言葉に、隼人は目を見張る。

 ああ、そうか、と思った。沖田は自分と同じ種類の人間なのだ、と隼人は痛いほどに感じた。「侍」であるために、人間であることを捨てた自分と同じ。

 より大きな目的のために、自分を捨てられる覚悟を持った者。至上と信じた存在意義を前にしては、他に大切なものなど何も意味がないと言い切れる者。

 隼人は、沖田への尊敬の念が改めて高まるのを感じていた。

「わかりました……犠牲だなんて言ってすみません」

「……私もここまで話すつもりはなかったんだがな」

 沖田が隼人の方を振り返って、薄くほほむ──と、その表情が凍った。

「ごめん、なさい……」

 ふいに後ろからひつぎの声がした。隼人ははっとして振り向く。

「聞くつもりはなかったの……でも、丘の下のあたりにたいまつの明かりが見えたから」

 柩が墓地の入り口を指さす。そこには歩いてくるまんろうの姿が見えた。

 敵でないことにほっと胸をで下ろすが、隼人は慌てて沖田のサラシを戻し、上着をかけた。

「女の人だったのに……わたしのせいでこんなに傷を負って」

 柩は、おろおろと沖田に言う。

 沖田は、困ったような顔で隼人を見やると、やがて深いためいきいた。

「傷は治るだろうから、問題ない。だが、私が女であることは他の誰にも話すんじゃないぞ。たとえお前が隼人のまもると誓った娘であっても、私は容赦なくり捨てる」

 刺すような沖田の視線に柩はたじろぐ。それでも真剣にうなずきを返した。

「絶対、言ったりしません……!」

「よう、待たせたな。ようやく準備が終わったぜ」

 到着した万次郎が、隼人たちに声をかける。万次郎は頭をきながら、一同を見渡す。

「厄介なことになったぜ。当面の敵は、あの二人のようへいらしい。あいつら、英国イギリス以外の血統からしまひさみつに雇われてやって来たみたいだ。島津も雇う相手を間違ったな……」

 どういうことだ? と隼人はやとは続きを促す。

「島津久光は薩英同盟を経て、英国イギリスのヴィクトリア女王直々にその血族に組み込まれた……そうか、お前らはまだ知らなかったんだな。俺たち吸血種族は十二の血統から成っている。まあ、家系みたいなもんだな。で、その血統たちは今欧米の各国をそれぞれ支配しているんだ。問題はここからだ。同じ血統……氏族に連なる血族同士は、その《血の縛り》というきずなによって縛られている」

 お前とひつぎのようにな、とまんろうは言う。

「だが、別の血族同士なら裏切る可能性もあるということか?」

 おきが万次郎の言葉を引き継いだ。沖田は新選組にいるときに、欧米諸国が一枚岩ではなく、それぞれの利権を求めて日本にやって来ているのを嫌というほど知っていた。

 その通り、と万次郎がうなずいた。

「血族の追っ手が来たとしても、さつと組んでいる英国の血統だろうと思っていた。だから俺は、ここに来る時に乗った蒸気船も英国以外の国籍を選んだんだ。だが、結果として追っ手に情報は伝わっちまった」

「それは、どうしてなんだ?」

「あの二人のようへいの素性を調べてわかった。奴らは米国アメリカからきた血族なんだ。そのつながりで情報が渡ったようだ……隼人。その米国って国が、そもそもどうやって誕生したか知ってるか?」

 隼人は首を横に振った。沖田と柩も、口を挟まず話に耳を傾けている。

故郷との繋がりを捨ててきた血族たちが集まった国。それが米国だ。英国、仏国フランス蘭国オランダ独国ドイツ……それぞれの国との《血の縛り》を断ち切るために、ばらばらの血統を持つ奴らが寄り集まって独立したのが、あの新しい国なのさ」

 万次郎は枯れた小枝を拾うと、土の上に系図のような縦線を引いて説明しはじめた。

「血族は《血の縛り》によって、自分の上位者には決して逆らえねえ。それが常識だ」

 そして──と、一つの系図を描いた横に、もう一つの系図を記す。そして、その間に矢印を斜め上に向けて引いた。

「ただし、その上下関係は同じ血統内に限られるってこともな。つまり、血統が異なればこくじようも可能ってことだ。米国って国は、その異なる血統同士で纏まった史上初めての国家なのさ。複数の血統の血族が、人工的な『国』という概念の下で一つの利害のために団結できる」

 土に描かれた系図と万次郎の言葉の意味をしばし考え、隼人が顔を上げる。

「ということは……米国の血族は、従来の血統の首かせを離れて自由に動けるということなのか? 一人が《血の縛り》を受けても、利害の共通する別の血統の誰かが引き継ぐというように」

「ああ。仲間さえいればな。だから多くは徒党を組む。奴らが米国を自由の国と呼ぶのは、そういう意味もある。仮に英国の血族が柩のお嬢ちゃんをあきらめてくれたとしても、あの二人にはその命令に従う必要がないってことだ。その気なら、地の果てまで追いかけることもな」

 冗談めかしたまんろうの言葉に、ひつぎは蒼然とした顔色でおびえていた。自然と隼人はやとのそばに寄る。

 それを目にしたおきが、柩を改めていちべつした。

「……そもそも、柩と言ったか? この娘と隼人の間に、何があったのかを教えてくれ。隼人、お前は何に巻き込まれているんだ?」

 隼人は柩と出ったあの夜からのすべてを、手短に沖田に話す。死のふちで誓った雪辱の意思、そして道中でのジョン・万次郎を名乗る男の合流。沖田は口を挟まず、隼人の話に黙って耳を傾け続けていた。

「……そうか。吸血種にならなければ、隼人は伏見で死んでいたということか」

 神妙な面持ちで、沖田はためいきき二人を見つめる。

「……わかった。いいだろう、とりあえずはお前たちを信じよう」

「ああ、そうしてくれると助かるぜ。なにせこの柩の嬢ちゃんは、『切り札』なんだ。奴らにとっては『邪魔』な。そして日本にとっては『起死回生』のな」

 あまりにもひようひようとした、いつもの口調で言われたせいだろうか。隼人は、一瞬その言葉の意味がつかめなかった。慌てて、そこに潜む重大な意味に気付いたように顔を上げる。

「今のはどういう意味だ? 柩が、切り札……?」

 隼人は、万次郎を見据えて問い詰めた。同時に脳裏をよぎるのは、いつか血の夢の中で見た柩の記憶。

 そしてその夢の中で、柩をある場所から解き放ったというあの人とやらの存在だった。

 もしや、その人物の目的とは柩をその『切り札』として使うためだというのか──と、隼人は千々に乱れる思考をどうにかまとめようとする。

「教えてくれ、万次郎」

 隼人が何を考えているのか、どんな情報を欲しているのか。すべてわかっている──とばかりに、万次郎は片ほおり上げて微笑した。

「いいぜ。だが今、そんな悠長なことをしてる暇はあるのか? まずは逃げるのが先決だろ」

「それは……そうだが」

「だろ? 今は、江戸へ行くのが最優先のはずだぜ。蒸気船で行く予定が、馬車に代わっちまったがな」

「馬車だと? 西洋式の……あれか?」

 よほど意外だったのか、沖田が驚いたような反応を見せる。そして、懐疑に満ちた視線を万次郎に向けた。

「貴様も十分に怪しいな。いったい何者だ? 何のために、ここまでしてこの娘や隼人の味方をしている?」

「こちとら、しがない雇われの身なんでよ。話せることとそうじゃねえことがある。すべてを知っているわけでもねえしな。ただ、信じてもらいたいのは敵じゃねえってことだけだ」

 おき隼人はやとに詰め寄られながらも、まんろうは悪びれず微笑をたたえ続けていた。

「そのあかしに、約束するぜ。ここを切り抜けたら必ず教えてやるよ。俺の雇い主が誰かをな」

 挑発するような万次郎のその言い回しに、隼人が口元を引き結んだ。

「……そうか、あんたも武士ではあるんだな」

「そういうことだ。約束を違えたら、殺されても文句は言えねえってやつさ」

 隼人はもどかしげに息を吐き、はやる一方の気持ちを堪えようとする。

「わかった……後で、必ず教えてもらうぞ」

「ああ……だが、もし奴らともう一度やり合うことになったとして勝ち目はあるのか?」

 そう問われた隼人の脳裏に浮かぶのは、あの銃使いに仕掛けられた奇怪な術だった。

「あの銃使いと闘った時、急に身体からだが動かなくなったんだ……何をされたのかすらわからない」

「そうか──ちと相手は厄介だな、そりゃ」

 万次郎は永遠を生きる試練たる《聖別》と、それによって血族が獲得する《墓碑銘エピタフ》について語る。万次郎の話を聞いた沖田が、腑に落ちたというような表情を浮かべた。

「……私と闘ったあの大男も、妖術めいた奇怪な芸当を見せていた。そういうことか」

「一刻も早く相手の《墓碑銘》の性質を見極めることと、弱点を見つけること。そこが勝負の分かれ目になるだろうな。どんな些細なことでも見逃さないこった」

 沈黙した隼人と沖田を前に、万次郎は状況の説明を続けていく。

「横浜に敵に通じている奴らがいるのは、言った通りだ。となりゃ、それを逆に利用しない手はねえよな? 俺たちがどこそこの駐屯地に捕まっただの、いやとっくに明後日の方へ船で逃げただの、ほうぼうへたらを吹き込んでおいた。敵の情報網が確かなほど、この手のやり口はよーく効くからなァ」

「なるほど……孫氏の兵法か」

「そういうこったぜ、沖田さんよ。で、その合間に足も調達しておいたってわけだ。ずらかるなら、今のうちが好都合だからな。ただし、そう長くはもたねえだろう。急ぐのには変わりはねえ」

 もはや問答している猶予はない。その認識を、隼人も沖田も視線で共有しあった。そして最後に、隼人はひつぎの顔を見る。銀色の髪の少女も、静かに頷きを隼人に返した。

「行こう──江戸へ」

 丘の下から見える街では、まだ炎が燃えていた。その紅い光に不穏なものを感じながら、隼人は刀のさやを握りしめた。