血族となり、さらには《聖別》を経て《墓碑銘エピタフ》すらも得たベルリッヒンゲンと剣術で対等に戦えるものなど、この百年一人もいなかった。さらに、相手は血族でもない人間だ。

 沖田は少なくとも、ベルリッヒンゲンに疾さでは引けを取っていない。

 これはベルリッヒンゲンにとって驚異的だった。血族と人間との身体能力の格差を考えれば、ありえないことだと言っていい。より速く動くためには、より鋭敏な知覚力とより強い筋力を必要とする。そのいずれも、血族と人間の差は数十倍近くはあるだろう。

 にも関わらず、ただの人間である沖田は圧倒的に速いはずのベルリッヒンゲンの猛攻をしのぎ続けている。のみならず、その合間に的確な反撃すら返していた。

 おそらくこれは、速さ──つまり速度で対抗しているのではないはずだ。

 おきてんぴんとしか言いようのない才能、そして積み上げた修練によって、ベルリッヒンゲンの動きを先んじて予測しているのだろう。それゆえに肉眼では見えないはずの太刀筋を、その先読みによって回避できる。そして次にベルリッヒンゲンが見せるだろう挙動を読み、必ず先手を取る──つまり、速度ではない思考の疾さによって対抗しているのだ。歴戦のようへいは、そう判断した。

 ──なるほど、恐るべき才能よ。剣士としてはワシの遥か高みを行っておる。

 ベルリッヒンゲンは、どうもうに口元をゆがめる。

 一方の沖田も、決して余裕があるわけではない。ベルリッヒンゲンの疲れ知らずの猛攻は、それがもたらす圧力をただしのぎ続けるだけで疲弊する。

 人外のりよりよくで繰り出される太刀筋は、そのすべてが必殺級だ。一度の読み損じも許されない重圧で、疲労は更に積み重なる。そして相手のベルリッヒンゲンは疲れた様子をまったく見せない。吸血種の誇る怪物ぶりに、沖田は内心の冷や汗をぬぐう。

「天に祝福されし才を与えられた、闘神の申し子よ! 常人が十年の修行を積んでもたどり着けない境地を、最初の一歩から踏破できるような恵まれた者たち……! お主のような戦の天才は、これまでもワシの前に立ちふさがって来た」

 ベルリッヒンゲンが、攻防に重ねてとうとうと語り始める。沖田にその意味はわからずとも、ベルリッヒンゲンの目に狂気のような妄執が潜んでいることだけは伝わっていた。

「ワシは武人としては平凡な男だった。才気を望みながら決してそれを手にすることはできなきなかった。闘神はワシを選んではくれなかったのだ……だが、それでも貴様らのような武の天才を退けてきた。それはな、己の才能をあきらめたからだ。凡才のまま生きるという覚悟を決めた、と言い換えてもよかろう……そしてワシは、今の境地にたどり着いた」

 言葉の合間にも、巨体は前進を止めない。左右への逃げ場がないことを悟った沖田は、体勢を低く沈め正面からやいばを受け止めざるをえなかった。手首の返しで瞬間的な衝撃を逃がすことに成功したが、つばぜり合いの体勢に持ち込まれる。すぐ眼前に、悪魔のようなベルリッヒンゲンの顔があった。

「たかが天才、おそれるほどのこともなし──その理由を、今から教えてやろう」

 隻腕の傭兵騎士が獰猛にわらうと同時に、鍔ぜり合いは解除された。左に跳んで距離を離した沖田は、対手から伝わる圧が急速に増したような感覚を受けた。

 ベルリッヒンゲンの右手……その鋼鉄の義手が変じた長剣。その表面に血管のような紅い光が浮き上がったと見えた瞬間。

 見切ったはずのベルリッヒンゲンの刃が、沖田の腕をりつけた。

「なにッ──」

 傷はそこまで深くなかったが、確かにこの身を切られていた。遅れて血が噴き出す。

 何が起きたんだ、と沖田は先ほどの一瞬を思い返す。

 ──剣そのものが……曲がった? いや、のみならず伸びてきた……?

 そうとしか思えない出来事だった。剣の軌道、そして届く距離は確実に見切りその外に自分はいたはずだ。にも関わらず、おきられた。届かぬはずのやいばによって。

 沖田は改めて、ベルリッヒンゲンの振るう『剣』が右腕の義手と一体化していることに注意を向けた。そして再び見た。鉄の刀身に、生身の血管が赤く光りつつ浮かび上がる様を。

 そして今度こそ、沖田は怪奇の正体を看破する。ベルリッヒンゲンの右腕の剣は、むちのようにしなりを帯びて湾曲し、熱されたあめのように長く伸びたのだ。そんな不条理の変型を果たした刃は、沖田の背中を正面から切り裂いた

「ぐッ」

 鮮血の華が散った。沖田は再び間合いを取る。

「ち──」

 ベルリッヒンゲンの振るう剣は、変幻自在の軌道を描きながら襲いかかってくる。しかも傷ついた箇所ばかりを集中的に狙われるため、痛みで集中が途絶えてしまう。その猛威を前に沖田は防戦一方となり、先までのように反撃を返す余裕がない。

「妖術のたぐいか……だが」

 それでも、沖田の解析は速かった。続けざまにわずか数合を切り結んだあと、そのわいきよくの軌道を読みきることに成功していた。

「変幻自在の攻撃」と言いはしても、実際は使い手の癖や気性によってその変化に法則性は必ずあるのだ。沖田の卓越した剣眼は、そこに潜む共通したことわりを決して見逃さなかった。

「なんと、もう見切ったというのか──クク、天才とはつくづく憎々しいものよなッ」

 立て続けに剣を回避する沖田の動きを目の当たりにし、ベルリッヒンゲンが嫉妬と憎悪の入り混じった愉悦に顔をゆがめる。再度、鋼鉄の右腕に赤く光る血管が浮かんだ。

 先ほども見せた、武装の変形をベルリッヒンゲンは再び行おうとしている。必然、動きの止まったベルリッヒンゲンに対し、沖田はそのすきを見逃さない。無防備をさらしたその首筋へと、必殺のいつせんを放っていく。

 だが、次の瞬間。響き渡ったのは、刃が首をはねる音ではなかった。それは鋼と鋼がみ合う、寒々しい金属音。沖田を不可解が襲う。なぜ、この一刀を受けられたのかがわからない。

 そして沖田は見た。ベルリッヒンゲンの右手が変じた新たな異形の『剣』を。

 剣ではあるのだが、刀身にくしの歯のような溝が多数刻まれている。その溝の一つが、沖田の持つしゆうきよみつの刀身を噛みつくかのように挟み込んでいる。

対破砕剣ソードブレイカーという。すなわち、剣を折るための剣よ」

 しまった、と沖田が寒気を覚えた瞬間。美しくも破滅的な残響をいて、加州清光の刀身は真っ二つに折れ飛んだ。

「……不覚!」

 すかさず脇差を抜き放ちつつ、おきは一足跳びに距離を取った。みしめるのは愛刀を砕かれた悔恨。短い脇差のみでは、到底対等に戦うことはできないだろう。

 ベルリッヒンゲンは再び、妄執に満ちた口調で沖田へ語りかけていく。

「なぜ我が剣は闘神のちようあいを受けられなかったのかと、かつてのワシは嘆いたものよ。人の身であった頃にはなァ。……闘神に愛されし者ほど、そのごうまんさと迷いのなさゆえに『正しい』戦いのみを好む。そう、たとえばすきをさらした相手を『正しく』一撃でほふるため、迷いも遊びもなく空いた急所だけを狙う……といった今のようにな。いわば天才としての、貴様の『正しさ』をワシが利用したというわけだ」

 ベルリッヒンゲンの声にはかいぎやくの響きがある。だが卑下する中にも決して折れない信念とも妄執ともつかぬものがあることが、言葉はわからずとも沖田には伝わってきた。

 ベルリッヒンゲンの巨体が、後退した沖田を追い詰めるように更に一歩前進する。

「ワシには守るべきみさおや美学というものがない。勝つためならだまし討ちもいとわず、剣と剣との決闘で銃の使用も厭わない。ひたすら卑しく、醜い剣よ。だが、我はその醜さこそが我なりと受け入れた。この醜剣をもって、己より才ある者の美しき天剣を打ち砕く──その渇望の一念こそが、まさしくワシの《墓碑銘エピタフ》なのだ」

 ベルリッヒンゲンの鋼鉄の右腕。そこに再び赤く輝く血が流れる。すると義手は再び姿を変える。沖田が先ほど打ち砕かれた、しゆうきよみつとそっくりの形を取った。

「我が墓碑銘をここにうたおう──『万象無為なるかな、我が暴虐の愉悦レツク・ミツヒ・イム・アルシユ』」

 節度や美学など無用、いかなる手段を使ってでも己以上の強者──天才をらうという、非才愚物の一念が結晶したかのような能力。それはまさしく、ベルリッヒンゲンのみが発現させうる《墓碑銘》と言えた。

 その瞬間、かんぱん上の夜空に銃声が響き渡った。ベルリッヒンゲンに向けて発砲したのは、必死の形相を浮かべるひつぎだった。ようやく、超人同士の闘いに介入の隙をだしたのだ。

「無駄だァッ──ギヒヒッ!」

 しかし、瞬間的に『盾』に変じた鉄腕によって銀弾は再び撃墜される。それと同時に、正面から沖田が仕掛けた。

 だが、その機は沖田自身が見出だしたものではなく、柩が強引に起こした行動に乗じた苦しまぎれでしかなかった。ベルリッヒンゲンには十分に予測が可能であり、やすく盾にて迎撃する。

「ぐッ──」

 軽量の沖田にとって、ベルリッヒンゲンの巨体から繰り出す剛撃は骨身にまで響いた。かろうじて盾が激突する瞬間に、相手をった勢いで衝撃を緩和するのが精一杯だった。

 しかし、自らをまもったその蹴りが沖田にとって裏目に出た。足首に鋭い痛みが走る。どうやら打撃の際にくじいてしまったらしい。

 長刀を失い、今また片足に痛手を負ったおきへと、ベルリッヒンゲンが猛然と突撃をかけていく。

 ──その瞬間。

 雷鳴のような銃声が、立て続けに一階ホールの天井をしんかんさせた。

「我々は横浜居留地駐留軍である! この場の全員に告ぐ。直ちにそうじようを停止し、武装を解除せよ!」

 じよう──異国人に対する過激派武士たちによる殺傷テロは、血族来航に始まり今も後を絶たない。駐留軍はそれを制圧するために幕府によって組織された治安維持部隊である。居並ぶ十数ちようもの銃口は、ことごとくベルリッヒンゲンと沖田、そしてひつぎを照準している。銃に込められているのは、おそらく銀弾だろう。

「そこのかつちゆうを着た異人、貴様が首謀者か。国籍は知らぬが、このろうぜきは見逃せぬ。捕縛する、武器を捨てよ」

 柩は、大声でそう告げる指揮官の隣にまんろうだした。万次郎は柩に気づくと、その無事を確認したか片目をつぶって見せた。

「ふん……無粋な。有象無象の相手をしてやるわれは、我がにはないわ。貴様らごときには、これで十分であろう」

 ベルリッヒンゲンが不機嫌そうにうなる。と、その鋼鉄の右手が再び変型を開始した。

「貴様らは、この武器を目にしたことがあるか? 米国アメリカに渡って初めて見たが、さしものワシもこれはどうかと思うほど卑しく残酷で、無粋きわまりないものだったわ……イッキッキ」

 柩と沖田には、ベルリッヒンゲンの右手がいきなり膨張したように見えた。駐留軍の持つ、たいまつに照らされてやっとその全貌が明らかになる。

 それは長大な円筒形の構造体で、その先端部に蓮根の断面を思わせる環状に並んだ六つの穴──銃口が並んでいた。

「あれはまさか……!」

 誰よりも早く血相を変えたのは、沖田だった。会津藩のやしきで一度だけ見たことがあったからだ。柩を押し倒すようにして、床へ身を躍らせた。

 蜂の群れが飛ぶような甲高い斉射音が連続して響いたのは、その直後のことだった。

 飛沫しぶきを噴き上げて、駐留軍兵士たちが右から左へ次々なぎ倒されていく。ベルリッヒンゲンの鉄腕が変じた卑しき新兵器──ガトリング砲の猛威によって。

 米国南北戦争が生んだ新時代の悪魔。毎分二百発の死を吐き出す銃口の前に立ち続けられる者は、誰もいない。沖田も柩も、ひたすら頭を低くし荒れ狂うさつりくの暴風をやり過ごす以外になかった。それはベルリッヒンゲン自身の血液を硬化させた弾丸であり、壁に穿うがたれただんこんからは次々に赤いしずくが飛び散っていく。

 やがて斉射音が止み、静寂が戻った。濃い霧の中にいるように、舞い散るふんじん。その向こうには折り重なった兵士たちのしかばねが転がっていた。

「さて、有象無象は片付いた。続きを始めようか、若武者よ……クク、物陰に潜んでも生きているのはわかっているぞ?」

 たちこめる猛烈な血臭に酔ったかのように、ベルリッヒンゲンが累々たる屍の山を見渡す。

「待ていッ。我らはさつ藩密偵組の者!」

 そこへ、けたたましい足音が乱入した。港労働者に扮した薩摩藩士数名が、血相を変えて船のかんぱんに駆け上がってくる。そして、ベルリッヒンゲンに向け叱責の叫びを飛ばした。

「貴様ッ、命令を忘れたのか! 事は隠密裏に進めろと言ったはずだ! よりによって幕府の兵を敵に回すとは何事かッ、撤退するぞ!」

「心配するな、すぐに済む。黙って見ておれ」

 だが彼らの剣幕にも、ベルリッヒンゲンは嘲笑するのみで取り合おうとはしない。

「いいや、すぐに引き上げるぞ」

 薩摩藩の密偵がなおも言い募った、その瞬間、屍の山の一角が崩れた。その下からまんろうがひょっこりと顔を出す。そして、聞こえよがしに大声で叫んだ。

「おっとォ、駐留軍の新手が来たみてえだな?」

 薩摩藩の密偵が視線を巡らす。その先に、港に向けて遠くから人波が向かってくるのが見えた。

「ベルリッヒンゲン──二度は言わぬ」

 それを見た密偵の一人が、懐からけんじゆうを抜いた。銃口がベルリッヒンゲンを指すが、隻腕のようへいはなお嘲笑を浮かべている。

「これには銀弾がそうてんされておる。貴様らと言えど、無事にはすまんぞ」

 銃口を向ける男をいちべつした後で、ベルリッヒンゲンは白けたようなためいきいた。

「よかろう。どの道、有象無象は増える一方のようだからな。興もめたわ……だが」

 ベルリッヒンゲンがうそぶいたせつ、斉射音が鳴り響く。密偵たちは残さず肉塊と散った。

「ワシに銃口を向けた報い、思い知ったか──勝負は預けたぞ、東洋の若武者よ」

 姿の見えないおきに向けて言葉を投げかけ、ベルリッヒンゲンは蒸気船の甲板から立ち去っていった。その姿は、すぐに波止場の夜霧にまぎれ見えなくなる。

「助かった……の?」

 ひつぎはその様をよく見ようとして身体を起こす。と、柩にかぶさるようになっていた沖田の身体が、ぐらりと揺れた。沖田は傷を負った全身から出血しており、顔面はそうはくだった。

「ひどい傷……! 大丈夫……!?

 柩が慌てて抱え起こすと、沖田はかすれた声で答えた。

「大丈夫だ、深くはない……ただ少しばかり、血を流しすぎたようだがな……」

 意識がもうろうとしているようで、柩の腕に沖田の体重が乗ってくる。

「ありがとう……わたしのために」

 まんろうが駆け寄り、ひつぎと共におきを支える。

人に言うことじゃねえんだが……俺たちもここでのんびりはしてられねえ。あいつらにはいい敵になるが、駐留軍も俺たちの味方ってわけじゃないからな。港を西に上った丘の上に、ちょっとした外国人墓地がある。そこで落ち合おう」

 そう言いながらも、万次郎は隼人はやとを残してきたホテルの方角に視線を向けた。その表情が固まる。

「なんだァ、あの火は……?」

 遠くに見えるホテルの建物が炎に包まれ、延焼を起こしていた。そんな万次郎の様子に、柩は思い出したように不安を覚える。

「……隼人は?」

「俺が見てくる。お前は先に墓地で待ってろ」

 あの火事は、万次郎にとっても予定外の事態だったのだろう。その顔からは余裕の笑みが消えていた。それを見た柩は、隼人の安否を気にしてか思わず叫ぶ。

「そんな……! わたしも隼人のところに──」

 その柩の肩をつかんだのは、沖田だった。荒い息をつきながら、幼子を諭すように語りかける。

「お前が行っても、どうにもならん。むしろ、隼人を危険にさらすだけだ……今は逃げることだけが、隼人を助ける唯一の手段だと思え」

 語気こそ静かだったが、有無を言わさぬ口調だった。

 それを前に、柩は言葉を呑み込む。窮地を救ってくれた沖田が深刻な怪我を負っている以上、食い下がることはできなかった。

「…………」

 柩は、隼人がいるホテルの方角をわずかにいちべつする。そして未練を振り切るように顔を背けると、沖田と共に港を立ち去っていった。


          


「……なんだ、あの騒ぎは?」

 ヒコックはヒキガネにかけた指を止めていた。突如として、港の方角からけたたましいさくれつおんが響き渡ったからである。南北戦争で耳にんだガトリング砲を思い出させる連射音に、嫌な予感を覚えた。

 隼人もまた自分に向けられた銃口をにらみながらも、不吉な銃声に柩の身を案じてしまう。

 その時だった。物が燃焼する焦げくさい臭気が、隼人のくうを刺激した。

「……火事?」

 そして、周囲がやけに明るくなっているのを隼人はやとは感じた。パチパチと何かが燃えている音と、異様な熱気。

 煙は既に、部屋の中にまで侵入してきていた。

「ちッ、火事騒ぎだと? いつの間に──」

 ヒコックも灰色のひとみを周囲に巡らせ、突如起こった火災に戸惑っている様子だった。室内に、隼人と同じ帯刀した日本武士が飛びこんできた。その顔に、隼人は見覚えがあった。

なかしん……さつひとり新兵衛か!」

 武士──新兵衛は、倒れている隼人をいちべつする。だがすぐに無視し、ヒコックへと向く。

「港でベルリッヒンゲンが無差別のさつりくを行い始めた。今、薩摩藩の密偵たちを向かわせている。こうなってはもはや仕切り直すしかない。貴様もすぐこの場を撤収しろ」

「やはりそうだったか……この火はあんたの仕業か?」

「不本意ながらな。騒ぎを隠すにはより大きな騒ぎを起こせばいい。逃走用の目くらまし、および我らのこんせきの隠滅のために必要なことだ」

「わかった。その前に、わなにかかった獲物を仕留めて──」

 再び銃口を隼人に向けようとした、ヒコックのそうぼうきようがくに見開かれた。完全に動けなくなったはずの隼人が、一刀を手に跳ね起きる瞬間を見たからである。

「なにッ!?

 なぜ急に動けるようになったのか、隼人自身には理解できない。それはこの「罠」を仕掛けた相手も同様であるようだったが、こちらは遅れて何かに気づいたような焦りを浮かべた。

 しかし、身体からだが動けるならば目前の敵を斬るだけだ。隼人は下からのざんげきを、限りなく無防備なヒコックに対して撃ち放っていく──

 だが、その瞬間。隼人の耳を突き刺したのは、鋼が打ち合う雷鳴のような響きだった。

「くっ!?

 一刀を握る腕に受けた衝撃を感じて、隼人はとっさに身を退く。いつ動いたのか、恐るべき敏捷さで田中新兵衛が二人の間に割り込んでいた。

 隼人の放った一刀をはじいたのは、抜き放たれた新兵衛の刀──おくずみのかみただしげだった。吸血種として転化した隼人の剣を、人間である新兵衛がいなしたのだ。

「俺の顔を知っているということは、貴様も京にいたことがあるな。だが志士ではない……か?」

 眼前すぐで、新兵衛が隼人を鋭く見据える。

「この場は退け。我らも退く。異存はないな、ヒコック?」

「ああ……わかったぜ」

 侮っていた新兵衛に借りを作られたことで、ヒコックはいまいましそうにうなずいた。

「追ってくれば、斬る。こちらは二人というのを忘れるな」

 そう隼人はやとに釘を刺すと、しんはヒコックとともに炎上するホテルの中庭から立ち去っていく。隼人としても、まだ完全に体力は回復しきっていない。追ったとしても、まともに闘えるかどうかは怪しかった。

「くっ……」

 張り詰めていた緊張が途切れたせいか、隼人はその場に座り込む。だいぶ身体からだは温まってきていたが、まるで生気を吸い取られたかのように全身に怠さがあった。

 あの銃使いは、いったい何を自分に仕掛けたのか──隼人はそのなぞを考える。そして、急に動けるようになったのは何故なのか。

「おい、無事だったか?」

 足音とともに現れたのは、まんろうだった。

「万次郎……! ひつぎおきさんは無事なのか?」

 隼人が急くように聞くが、万次郎は降りかかる火の粉を避けながら急ぎ隼人を担ぎ起こす。

 そして新兵衛とヒコックが脱出したホテルの裏口から、火災の現場を後にしながら遠ざかる。

「ああ、二人とも無事だぜ。街の外れの丘にある、外国人墓地で落ち合うように言ってある。港から海沿いに西へ行ったところだ」

「そうか……よかった」

「沖田っていうと、あのお人はその名も高い新選組の沖田そうか。なるほど、聞きしに勝るすご腕だな」

「ああ、そうだ。あの人が負ける相手なんて、たとえ吸血種と言えどいやしないよ」

 まるで自分のことのように誇らしげに、隼人はそう答えた。

「お前も無事でよかったが、安心はできねえな。なんとか、あの追っ手を追い払うために幕府の駐留軍に情報を流したが、あっちも俺たちの味方なわけじゃねえ。むしろお前の立場としちゃ、素性を知られたら面倒になるぜ……っと、まっすぐ歩けねえのか?」

 酔っぱらいのように足取りがふらつく隼人を、万次郎が横から支える。

「どうしちまったんだ。まるで何日も血を摂ってないみたいに真っ青な顔をして……」

 ほれ、と万次郎から押し付けられたのは血晶の小粒だった。口に入れてみ砕くと、身体の内側からき出てくる活力を感じ始めた。

「すまない……もう、大丈夫だ。一人で歩ける」

「なら、急ぐぜ。俺たちも早くここから離れにゃならん。お前は先に行って、柩の嬢ちゃんたちと合流してくれ。場所はさっき教えたな? 俺は状況を把握して、移動手段を手に入れておく」

 万次郎は、墓地までの道順を隼人に手早く伝えた。そして疲れ切ったようなためいきく。

「半刻後に合流だ──まったく、ここまで危険な目に遭うとは聞いてねえぜ……亡霊さんよ」

 後半は、半ば独り言のようなつぶやきにも聞こえた。万次郎と別れた隼人は、異人街のやみを人目を避けながら駆け抜けていく。

 どうにか窮地を切り抜けたあんと、なお油断ならぬ状況に警戒を募らせながら。


          


 きようかんの混乱を呈する横浜居留地。その街の灯を遠くに望む、丘の上の静かな草地にまんろうが指定した外国人墓地はあった。

ひつぎ──」

「──隼人はやと

 隼人と柩は、互いの名を自然と呼び合っていた。そして同時に、それぞれの無事な姿に安堵する。しかし、次いで隼人の目に飛び込んできたものは……

おきさん、られたのですか!?

 ろうのように白くなった沖田の顔色と、その身から漂う血の臭い。常に凛として活力に満ちた天才剣士は、いつもとは程遠い姿で白亜の墓石にもたれていた。

 沖田は怠そうな口調で言う。

「いずれも骨には達していない……血さえ止まれば、なんとかなる」

 沖田は何ともないというような表情を装っていたが、それは無理をしているせいだろうと隼人は思った。やいばで斬られて痛みを感じない人間はいない。出血の影響か、呼吸も少し苦しそうだ。

 その沖田を横から見つめながら、柩は悲痛な表情を浮かべている。まるで、自分自身が傷を負ったかのように。

 沖田は旅の荷物を探りながら、隼人へそれを手渡した。

「この中に、きんそうこうと新しいサラシがある……すまんが、血止めを手伝ってもらえないか。手元が危ういのと、自分では届かない場所もあるんでな……」

「……! もちろんです」

 隼人はそれらを取り出すのを手伝いながら、柩に向き直った。

「柩……すまないが、手当ての間、誰かが来ないか、墓地の入り口を見張っていてほしい」

 墓地の入り口は、今隼人たちがいるところから少しだけ距離がある。柩の安全を確認しながら、沖田と二人きりで隼人が話すことのできる、ちょうどいい距離だと隼人は目測した。

「? うん。わかった」

 柩は隼人のあらたまったような口調に疑問を呈しつつも、そう答える。

 柩がこちらに背を向け離れていったのを確認すると、沖田は自らの服をおもむろにはだけさせる。その下からあらわになったのは、雪のように白い肌と──小柄な身体からだの中にあっても確かな膨らみを示す、乳房だった。

 サラシにきつく締め付けられてはいるが、その曲線は女性特有のものにほかならない。

「…………」

 性別は女性──これこそが、おきそうの隠された秘密。

 新選組隊内にあっても、局長のこんどうと副長のひじかた以外は隼人はやとしか知りえぬ──絶対の秘密であった。女人禁制の新選組にあって、その中核を成す精鋭・沖田が女性であることなど明るみになっては決してならない。

 ひつぎを見張りに行かせたのも、そうしないと沖田がの手当てをさせてくれないだろうと隼人が踏んだからだ。

「……では、失礼します」

 隼人は心を落ち着かせながら、鮮血にれたサラシを解く。立ちのぼった血臭が自分の中の衝動をうずかせるが、意識から追い出す。

 沖田の肌も乳房も京にいた頃から見慣れているし、何より今は火急の時だ。らちな劣情など入り込む余地はありはしない……と自分に言い聞かせつつ、血止めのこうやくを指にすくい取ると背中の傷口に塗り込んでいく。

「……しかし、沖田さんが刀を折られるとは」

 愛刀を失ったという沖田の話を聞き、隼人はせんりつしつつもその話題に触れた。

 隼人がたいした銃使いもかなりのれだったが、沖田が戦ったその男の強さも底知れぬものが感じられた。

「その男……いかに血族としての力を誇るとはいえ、相当な技量を持つ使い手ということですね?」

「いや……剣の技量だけで言うなら、さほどの域でもなかった。土佐のおかぞうかわかみげんさいあたりの、名のあるひとり連中に比べれば格段に劣るだろう。無論、新選組の斉藤さんや永倉さんにも及ぶまい」

 しかし、と沖田は失血であおじろくなった表情を引き締め。

「それでも、私が奴に圧倒されたのは紛れもない事実だ。私は奴の、剣才以外の何かとひどく相性が悪い気がする……正直、もう一度立ち合って勝てるかどうかの断言はできん……最後は私が必ず勝つがな」

 いや、断言しているじゃないですか──という指摘は、口には出さず飲み込んでおく。こうした沖田の勝負師らしい負けず嫌いぶりは、隼人も以前からよく知ってはいた。

「……私は何をしているんだろうな」

 背中に負った刀傷。その治療に身をゆだねながら、沖田がぽつりとつぶやいた。

「私は、お前が裏切ったなら、容赦なくり捨てようと京からここまでやってきた。それがこうしてお前のために戦って、お前の傷の手当てを受けるなんてな……私は、つくづくお前に甘いな」

 深く吐かれたためいきは、隼人はやとの感傷をも呼び起こす。おきそうは、たとえ女性であっても自分がもっとも尊敬する侍の一人だった。だからこそ、自分が彼女を苦しめていることにざんの念を感じてしまう。

とうを討ち、潔白を証明した後……もし必要であるなら、俺は沖田さんに命を捧げます。隊に戻るために、俺の首が必要であるならば──」

「痛ッ!」

 すみません、と慌てて隼人は沖田の傷口から手を離した。思わず指先に力が籠りすぎていたようだ。

「いや、大丈夫だ。ただな、隼人。私はこんどうさんにもお前を捜すように言われたんだが、お前をれ──とは命じなかったんだ。もしかすると近藤さんは、お前の言うように伊東のことを疑っているのかもしれない」

「……伊東も今、江戸にいるのですか?」

 また力が籠りすぎないようにと注意しながら、隼人は沖田に問いを向けた。

「ああ。江戸に正式な屯所が用意されるまでは、はたや幕臣の屋敷を間借りしつつ、他の隊士たちと行動を共にしているはずだ──無論、近藤さんやひじかたさんともな」

 新選組が危ない、と隼人は思う。伊東の行動は、新選組自体の力を削ぐためのものだ。本来ならば今すぐにでも江戸に向かいたいが、ひつぎのこともあり目立った行動は難しいだろう。

 状況のままならなさに、隼人は思わず歯みした。

 そんな隼人の顔を、沖田は肩越しに見守っている。

「私はまだ、お前の言ったことをすべて信じたわけじゃない。近藤さんのことも、本当のところはわからんよ……もしかすると、私が自分の感情を正当化したがっているだけの、思い過ごしかもしれない」

 そして、つぶやくようにそう言った。誰が好んでお前を斬りたいなどと思うものか──と、聞こえるか聞こえないかの声で付け加えながら。

 それは隼人の耳にもかろうじて届き、疲れきっていた心に温かな光をともしていた。

「……自分への買いかぶりかもしれませんが、沖田さんは、昔から俺を買ってくれていますよね──うッぷ」

 ぽつりとらした隼人の言葉に、沖田は背後にいるその腹へひじ鉄を見舞う。手加減こそしてはいるが、しっかりと水月の急所を狙うあたり容赦がなかった。

「思いあがるなよ、馬鹿者」

「やっぱり、買いかぶりでしたかね……ははっ」

 沖田の表情と仕草、そしてこんな他愛ないやり取りがどうにも懐かしかった。新選組で過ごした日々を思い出し、隼人は思わず声を出して笑っていた。

 沖田はそんな隼人を神妙な顔でにらんでいたが、ついに釣られて噴き出してしまう。

 しばし、二人の間で柔らかな時間が流れた。

 隼人はやとはひとしきり笑った後で、ずっと聞きたかったことをおきに問う。

「沖田さんが、こんなに俺を買ってくれるのは……やっぱり弟さんに俺が似ているからですか?」

 それまで笑っていた沖田が、急に真顔になった。

 しばし、しゆんじゆんするような間を置いたあと……沖田は視線を伏せながら。

「そう……なのかもしれないな」

 沖田に弟がいたと聞いたのは、隼人が新選組の沖田の隊に配属されてしばらく経ってからのことだった。隼人はそのときのことを、昨日のようによく覚えている。

 あれは、そう──池田屋への討ち入りで大戦果を挙げた後の、祝いの酒宴であっただろうか。

 酒宴の席を外した沖田の後を、隼人は追った。昨日のけいの件で、沖田に追加の指導を仰ぐためだった。沖田の許しを請うて、隼人は沖田の休む小部屋に立ち入った。

 入ってきた隼人を見て、少し酩酊してほおをほんのり赤く染めた沖田はこう言った。

『お前を見ていると、弟のことを思い出すんだ』

 沖田が女性であることを隼人が知ることになったのは、それからまたしばらく経ってからのことだった。沖田自身から伝えられたのだ。

 こんどう局長とひじかた副長から、秘密は命に代えてでも守り通せと厳命された。そして、隼人はその秘密の守護者となった。彼ら幹部職だけではなく、沖田と行動をともにする機会の多い一般隊士の中にも協力者を置くべきという近藤の判断によるものだ。その対象に隼人が選ばれたのは、沖田の希望だったという。

 そうして以前よりも距離が近くなった沖田から、隼人は彼女の弟の話を折りにつけ聞かされるようになった。隼人の方からたずねる時もあれば、問わず語りに沖田から話すこともあった。

 沖田の弟の名は、宗次郎。そうの本当の名はみつと言う。

 沖田姉弟は、奥羽の白河に生まれた。馬の産地で、子供の頃はよく姉弟でくつわを並べて馬を走らせたという。二人はともに剣術を覚え始め、そのてんぴんは姉弟ともに優れていた。

 やがて二人は、天然理心流を掲げる試衛館の内弟子になった。同門の近藤や土方と出会ったのも、そこでの縁だという。

 だが、女のみつの身に剣術はあくまで道楽。男子の宗次郎が剣で名を上げ、身を立ててくれればいいと彼女は将来を楽しみにしていた。宋次郎がろうがいを患い、「総司」という名で元服したばかりのたった十五でこの世を去ってしまうまでは。

 宗次郎の喪があけて間もなく、近藤から京に上り浪士組に参ずるという話を聞かされたという。

 隼人は、沖田の傷に血止めのこうやくを塗りながら尋ねる。

「どうして、沖田さんは弟さんの代わりに……? それで、いいんですか?」

「どういう意味だ」

 初めて投げかけられたその質問に対し、おきの声が硬さを帯びる。その声の変化に、隼人はやとはしばしちゆうちよした。触れてはならない話題というものも、人にはそれぞれある。

 しかし、この機会を逃せば二度と同じ問いはできなくなる。そんな予感を隼人は感じた。何より、隼人はその理由を知りたかったのだ。勇気を出して、言葉を継ぐ。

「『沖田そう』という本来はどこにもいない英雄を演じるために、あなた自身が生きるはずだった人生を犠牲にしているようにも……俺には思えます」

 激動の時代を己の剣一つで闘い抜き、その名を天下にとどろかせる天才児・『沖田総司』のしき姿。もし弟がようせつしてさえいなければ、そうなっていたかもしれない美しい夢。それを現実のものにするために、沖田みつはその人生を捨てたのではないか? 隼人は沖田総司という人物を尊敬すると同時に、そう思ってもいた。

 その姿はあるいは、弟の死を受け入れることのできない、常軌を逸した殉教者のようでもあったからだ。

 沖田は、しばし隼人をじっと見ていたが皮肉げに口をゆがめた。

「ああ、その通りかもしれん。私は『沖田総司』を己の全力をもって演じてきた」

 だが、と沖田は言葉を続ける。