漆黒の
抜き放たれた六連発
隼人は
「柩、ここから逃げるんだ!」
絶え間ない銃撃は、玄関ホールから庭園に出る回廊から続いていた。隼人は傍らに立つ柩に向けて叫ぶ。狙われているのが彼女である以上、この場に置いておくのは危険だった。
「ど、どこへ?」
柩の声は不安と恐怖に震えていた。やはり、こうした修羅場はまだ不慣れであるようだ。
隼人は必死に思考を巡らせる。現在地の庭園から客室の方向に戻らせるのは危険だ。ここから見る限り、逆に庭園を突っ切ってホテルの外に出れば、港に続く海沿いの道に
「港だ! 俺たちが乗ってきた船がまだ停泊しているはずだ。確かあの船は、明朝には江戸に向かうと言っていた。なんとでも言って乗り込め! 絶対に外に出るなよ。ここを片付けたらすぐに行く!」
「……うん、わかった!」
「沖田さん……こんな状況で心苦しいのですが、お願いしたいことがあります。俺たちは、ある敵に追われています。京では
隼人は銃撃が来る先を視線で示した。沖田は険しい表情を崩さず、隼人が言葉を続けるのを待つ。
「狙われているのは、この柩です。俺は、柩を安全な場所まで逃がしたい。だから……こいつに付いてやってもらえませんか?」
「……なんだと?」
沖田が顔色を変える。その目の色は突然の驚きから怒りへとすぐ移っていった。
「その間、あの敵は俺が
「ふざけるな!」
間髪容れずに、沖田の怒声が響く。当たり前だと隼人も思う。この状況で、隼人を信用した上でその頼みを聞けなどとは虫が良すぎる──だがしかし、ここは恥を耐え忍んででも隼人は沖田の助力にすがる他はなかった。吸血種に転化した今でも、間違いなく自分以上だと思えるその剣技の持ち主に対して。
「お願いします……沖田さん」
沖田はただ沈黙を守っている。隼人はなおも続けた。
「約束したんです、この柩と。必ず
約束という隼人の言葉に反応したかのように、沖田は言いかけた言葉を呑み込む。そうしてしばらく
「わかった。今は、お前の言う通りにしよう。だから……私に話の続きを聞かせるまでは、勝手に死ぬんじゃないぞ」
「ありがとうございます」
「だが、もしお前の語る話に納得がいかなければ──」
最後の言葉を沖田は口にしなかったが、隼人はその意味を理解していた。納得できなればお前を
「一、二の三、で出ます」
敵の放つ銃弾が、
隼人へと銃撃が集中したその数秒間を逃さず、沖田は柩をさらうように引き連れ飛び出していた。
「ち──」
隼人が陽動であったと気づいたヒコックが、紫煙と
「こっちだァァァッ!」
隼人は抜刀した。殊更に大きな雄叫びを上げつつ、ヒコックの潜むホテル玄関側の柱に向かって疾走する。血族としての身体能力を爆発させたその疾走は、またたく間にヒコックとの距離を消し飛ばしていく。
「ほう、あの坊やも血族か」
銃と刀。ヒコックと隼人の武器がそれぞれ強みを発揮する距離が、二人の間で見る見る縮まっていく。言うまでもなく、近づけば有利であるのは隼人の方だ。しかしヒコックは
発射と共に落ちる撃鉄を
六発全弾を集中して叩き込まれた隼人の両脚が鮮血を噴き上げ、半ば破壊される。
「ぐっ」
隼人は疾走の勢いを乗せたまま、自重を支えきれず転倒した。六発全てを撃ち尽くしたヒコックは、全弾
隼人は懸命に身を起こし、辛くも中庭から客室に退避する。相手が弾倉交換中でなければ、すかさず追撃を受けていたところだ。ヒコックの業前に、隼人は冷や汗を背中に覚えた。
「まさか、あんな
隼人の後を追って動いた
「大丈夫か?」
「かすり傷だ、心配ねえ。銀弾じゃなかったのが幸いだったぜ」
隼人が安心した瞬間、雷鳴のごとき
中庭に出るテラスと客室を隔てる裏口の扉。その
そして、ゆっくりとブーツの重たい足音が中庭から近づいてくる。隼人は巨大なベッドを横転させ、即席の防壁としてその後ろに隠れた。
ヒコックは再び全弾を撃ち尽くした弾倉を、新しい物に交換する。そして、部屋へと侵入する。
「ユダの娘は一人で逃げていると聞いていたが……お前らはなんなんだ?」
その声を聞いた万次郎が、何やら不審そうな表情を浮かべた。
「娘の味方か? 何のために? 金で雇われたのか?」
隼人たちの潜むベッドに銃口を向けたまま、ヒコックは試すように話しかけてくる。無論、隼人には敵の話す異国の言葉は理解できない。
「万次郎、あいつはなんて言っている?」
言葉を理解しているはずの万次郎に尋ねるが、答えは返ってこない。横を見ると、万次郎は何事かの考えに集中しているようだった。
「なあ、隼人。おかしいとは思わねえか?」
ヒコックを親指で示し、そう
「
「……!」
その言葉に隼人は納得を感じると共に、気づきが遅れたことを後悔した。だとすれば、あの連発銃使いをこの場で釘付けにしても無意味だ。居てもたってもいられない気分になる。
「そうなりゃ、俺たちもここにはいられねえ。一か八かだ。港まで走るぞ」
ヒコックに背を向ける形で、隼人と万次郎は廊下に続く扉の方へ向かって走り出した。
隼人には、すべての光景が異常に間延びして見えた。嵐のような銃弾の猛打撃を浴び、木っ端を散らして砕けていく寝台。その向こうから、更なる銃撃が背を向けた二人を襲う。
「──ちィッ!」
隼人はとっさに足を止め、反転。抜刀し、背後から襲ってきた弾丸を切り飛ばした。
「万次郎、先に行け!」
このままでは無防備な背後からの標的となり、万次郎ともども共倒れになる。そうと判断した隼人は、自分がここで敵を食い止める方針を即座に選択した。
その狙いを万次郎もすかさず察し、
背後からの弾では避けようがないが、正面からなら対応は可能。
「避けるか。まあ、弾丸は直線にしか飛ばないからな──」
それでも悠然と微笑を崩さぬまま、ヒコックが銃口を下げたのを隼人は見た。そして、そのまま立て続けに発砲。
「なら、こういう工夫も時には必要ってことだ」
ヒコックの銃弾は隼人の
「ッ! 視界を──」
多数の細かい木片が飛び交う空間に、遅れて隼人が突入した。わずか数秒足らずとは言え、隼人の視界はそれによって妨害される。まさにその瞬間を狙い澄ましたように、ヒコックが隼人を狙い発砲した。
空間を漂う浮遊物。それによってヒコックの銃口の位置は隼人の視線から隠され、弾道もまた目視で見切ることはできない。よって、回避は不可能。ならば、受けるか──と隼人は
「くッ!?」
と、選びかけた判断を──直感に従い、最後の一瞬で放棄。隼人は
隼人は、焼けるように熱い激痛を左の掌に感じた。そして、その激痛ごと
「銀の弾丸──いつの間に、鉛玉から換えていたんだ……」
手の中に収まった白銀色の弾頭を見つめ、隼人は
すべては、隼人が闘いの中で磨き抜いてきた直感が為しえた出来事だった。
敵であるこの銃使いは、同じ吸血種の
その答えは、たった今見えた。敵である隼人の意識から銀弾への警戒を完全に消し去り、油断した瞬間を狙い澄まして仕留めるためだ。この男の
「気付いてやがったってのか!? いや──」
「策に
手札を伏せ、
銃爪が
「──グァァッ!」
赤い血が腕から噴き出し、その痛みにヒコックが硬直する。それを前に、隼人は決着の一刀を振りかぶる。だが、絶体絶命なはずのヒコックの口元には笑みが浮かんでいた。その視線は隼人ではなく、この部屋全体をぐるりと見渡しながら動いていく。何かを確かめるかのように。
そこに不気味な疑念を抱えながらも、隼人は敵の心の臓に刀を突き立てようとして──
「……な」
隼人は、突然刀を取り落としていた。手に
いや、変化したのは刀の重さではなく隼人の握力のようだった。手からだけでなく、全身から力が抜けていくのを感じ、隼人はついに
「なん、だ……これは……ッ?」
「これが〝狩り〟ってものだぜ、坊や」
先ほど垣間見せた焦りの
隼人は、なぜか動けなくなった身体に対し必死に力を込めようとする。だがその様は、
「仲間を逃がすために、正面切って向かってくる勇気。俺の仕掛けた罠を見破った直感……どれもなるほど、大したもんだ。これが正々堂々の立ち合い……そうだな、たとえば決闘だったなら勝ったのはお前ってことになる」
急ぐ様子もなく隼人が飛ばした右手を拾い上げると、ヒコックは血を流す切断面同士を押しつけた。ほんの瞬きの一つか二つ。たったそれぐらいの間に傷口は跡形もなく消え、神経を断たれたはずの指もまた元通りの動きを見せる。
「……話の続きをしよう。だが、これは〝狩り〟だった。獲物が罠にかかる瞬間を、周到に
いったい何が起きたのか? 敵が落ち着きを取り戻したことから、これが敵の罠であったことは理解できた。しかし、どうやっても動くことができない。もはや
隼人は初めて、ヒコックの顔を正面から見上げた。
「く──」
敵の灰色の
あれを心臓に撃ち込まれれば、隼人は死を免れないだろう。動けと身体に力をこめるが、もはや立ち上がることもできない。
「サムライの坊や……お前はいったい何者なんだ? 血族のようだが……あの娘の
ヒコックは、隼人が答えられるはずもない異国の言葉で問う。
「それがわからないのは残念だが、今夜お前はここで死ぬ。俺の《
ヒコックの言葉は相変わらず隼人にはわからないが、確実な死の予感だけはなぜか強烈に伝わってきた。
こんなところで死ぬわけにはいかない。裏切り者の名を受けたまま、
「く……ッ」
隼人が無念の
「あばよ、サムライの坊や──安らかに眠りな」
そして
* * *
柩は乗って来たときと同じ客室に身を潜める。先ほどの戦闘とは関係のない穏やかな
「あの……」
「なんだ?」
「……ごめんなさい」
「なぜお前が私に謝る?
沖田の反応に戦々恐々としている様子の柩は、ここにたどり着くまでの間もずっとこの調子だった。沖田は困ったように
「ごめ──あっ、い、いいえ。なんでもないです」
反射的にまた謝りかけてしまい、柩はあわてて口をつぐむ。それから、意識して話題を変えた。柩と沖田。今の二人にとって、最も気がかりであるはずの話題へと。
「
ぽつりとこぼした柩の
「あいつなら大丈夫だ。剣の腕は、私の部下である一番隊の中でも上位だった。勇気もあるし、機転も利く。決して死んだりはせんさ……何より、私との約束を破るはずがない」
その確信を持った物言い……そして聞き覚えのある言い回しに、柩は何かに気付いたように視線を向ける。この人はもしかして、隼人の記憶に出てきた──。
柩の
「ここにも来たか──」
沖田が慌てることなく立ち上がる。その間にも、悲鳴が立て続けに聞こえてきた。それは広範囲に拡散しているようだった。
「絶対ここを動くな」
沖田は柩にそう告げると、船室を出ていった。
港に現れた、その男──もう一人の追っ手の手並みは、迅速で手段を選ばなかった。港に停泊しているその蒸気船に誰が乗っていたのかをあらかじめ知っていた男は、迷わずその
「ユダの娘は、どこにおる──まあ全員殺し尽くした後、死体で確かめても構わんがな!」
雷のような高笑いが響いた。その嵐のような襲撃は、たった一人の血族によって行われていた。男の名は、ゴットフリート・フォン・ベルリッヒンゲン。《鉄腕ゲッツ》とも呼ばれる歴戦の
「外国船ならば安全と高をくくったのが間違いよ。この国ではいまだ少数ゆえに、むしろ的を絞りやすくもなるのだからな……
屈強な
ベルリッヒンゲンは、
この鉄の義手こそが、《鉄腕ゲッツ》の異名を取ることになった由来である。
ベルリッヒンゲンは、犠牲者の返り血に染まりながら船室を順番に襲っていき、次なる扉に鉄の
瞬間、隣の部屋の戸がいきなり開いた。そこから突き出されたのは、青光りするスミスアンドウェッソン・モデルⅡアーミーの銃身。
「当たって……!」
だが瞬間──金属同士が激突する衝撃音が、空気を鋭く不吉につんざく。
ベルリッヒンゲンの頭を撃ち抜くはずの弾丸は、突然現れた盾によって遮られたからだ。
「腕が……盾に!?」
驚きに柩は思わず叫ぶ。先ほどまで何も持っていなかった敵の右腕が、一瞬にして半身を覆うほどの盾に変型したのだ。盾の表面には、血管を思わせる赤く輝く有機的なラインが脈動している。それは、まるでそれ自体が肉体の一部であるかのように見えた。
「銀の弾丸か──おお、剣呑剣呑。防いでおいて正解だったな」
悪魔のように冷たい声と冷たい
「この鉄の腕に我が血が流れるとき、鋼鉄は古今あらゆる武装の機構を再現し変幻自在にその形を変えるのだ」
それが合図であったかのように、ベルリッヒンゲンが猛然と柩に向かってきた。右手の盾を肉弾ごと柩にぶつけ、その軽い
「あうぅッ!」
廊下の突き当たりにある壁まで、柩は十メートルを一瞬にして飛ばされ叩きつけられた。胸に激痛が走り、血が
だが衝撃に
──逃げられない!
「
柩は身を躍らせ、窓ガラスを破って外に飛び出る。一瞬、冷たい海に投げ出されることを覚悟するが、窓は
ベルリッヒンゲンもまた、窓枠ごと粉砕しながら
「アアァァッ!」
自ら跳んだことで目測をずらせていなければ、一撃で心臓を刺し貫かれていただろう。
「く……ぅ……」
逃れねば、と柩は必死に胴を貫く剣を引き抜こうとする。しかし、鉄の刃がより深く
あまりの痛みに意識が薄れる。それでも柩は手の中の銃を握りしめ、闘う意志だけは
「わたしは……死なない。絶対に……ッ。
ベルリッヒンゲンは、そんな柩の抵抗を愛でるかのように見下ろしていた。やがて右腕の義手を、『長剣』の形態へと変形させる。
「だって、隼人はサムライだから……約束してくれたから……ッ。わたしも、負けない……!」
もはや妄言のような希望だけを支えに、柩は迫りくるベルリッヒンゲンに銃を向ける。手がぶるぶると震えて、照準が合わない。その時──
「やめろ!」
ベルリッヒンゲンと柩の間に、一人の剣士が身を滑り込ませた。
「隼人!」
意識が
「新選組、
ベルリッヒンゲンが乱入者──沖田を奇妙なものを見る
「沖田、さん……」
柩の不安げな声は、沖田の身を案じたものだった。たとえ侍として闘える力があったとしても、沖田は血族ではないただの人間だ。自分を襲ってきたこの化け物のような吸血種を前に、立ち向かえるとはどうしても思えなかったのだ。
だが──
「約束したからだ、お前を護ると。隼人がお前に。そして私は隼人に」
振り返りもせず、沖田は背中越しにそう告げた。隼人と同じその言い回しに、柩は隼人の血を飲んだ夜を思い出す。その時の夢に出てきた記憶の中の人物が、現実にそこに立つ
やはり、この人が──
小柄な沖田は、自分の倍ほどもあるベルリッヒンゲンを前にしても何ら臆するところを見せていない。
「参る──」
そして、悠然と前に出た。無造作にベルリッヒンゲンへの距離を詰める沖田の挙措には、恐れも力みも見えはしない。
沖田は刀身の切っ先を右後方に下げ、左の半身を
それは、ベルリッヒンゲンの目には無防備にも見えた。その視線に気づいたのか、沖田が小さく笑う。
ベルリッヒンゲンに日本剣術の造詣はないが、その数世紀に渡る生涯で数えきれないほどの戦闘を繰り広げてきた。だからこそわかるのだ。その構えの意味が。
沖田はあえて半身を無防備に晒している。先手は取らせてやるから、そこへ打ち込んでこいと誘っているのだ。そして相手に先手を譲った後手からでも、必ず自分が
「ほう……見かけによらぬというわけか。その
隻腕の老兵は、そんな侮辱を許すことができない。膨れ上がった殺気に呼応するかのように、
必然、互いの距離は縮まった。もはやあと一歩で、攻撃圏内に突入する間合い。それでも両者はまだ仕掛けない。
見上げる沖田と見下ろすベルリッヒンゲンの視線が、正面から互いを映し合った。
共に獣めいた
「カアアアアアァァァァァッ!!」
「ヌオオオオオォォォォォッ!!」
ほとばしる
「ううううううう……!」
鉄の剣が抜けると、柩の腹に空いた傷穴は急速に
柩がかろうじて捉えることができたのは、ただ大気を幾重にも渡って切断する刃風の
果たして秒を、いや
「なんて、闘い……」
「ハハハ! いいぞッ、若武者よ!」
ベルリッヒンゲンは、驚きと愉悦に目を見開く。
こんな極東の島国に、闘いの神に愛された者がいるとは!