肆ノ章 魔群襲来



 漆黒のやみを、れんの銃火とごうおんとが引き裂いた。

 抜き放たれた六連発けんじゆう──ロングバレルのコルトM1851ネイビーが、それを手にしたヒコックの殺意と同期するや死のほうこうを上げ続ける。

 隼人はとつに柩の手を引き、庭園にある噴水の陰に身を潜める。おきもその動きに続いた。猛射撃が殺到し、目の前で噴水の彫刻がみるみる損壊していく。

「柩、ここから逃げるんだ!」

 絶え間ない銃撃は、玄関ホールから庭園に出る回廊から続いていた。隼人は傍らに立つ柩に向けて叫ぶ。狙われているのが彼女である以上、この場に置いておくのは危険だった。

「ど、どこへ?」

 柩の声は不安と恐怖に震えていた。やはり、こうした修羅場はまだ不慣れであるようだ。

 隼人は必死に思考を巡らせる。現在地の庭園から客室の方向に戻らせるのは危険だ。ここから見る限り、逆に庭園を突っ切ってホテルの外に出れば、港に続く海沿いの道につながっているようだ。そこまで行き着ければ、建物内にいる敵からは射線が届かない。敵の注意を一時的にらすことさえできれば、逃げることもできそうだと思った。

「港だ! 俺たちが乗ってきた船がまだ停泊しているはずだ。確かあの船は、明朝には江戸に向かうと言っていた。なんとでも言って乗り込め! 絶対に外に出るなよ。ここを片付けたらすぐに行く!」

「……うん、わかった!」

 ひつぎは必死にうなずく。その間も銃声は鳴りやまない。隼人はやとは意を決しておきに向き合う。

「沖田さん……こんな状況で心苦しいのですが、お願いしたいことがあります。俺たちは、ある敵に追われています。京ではさつの兵士でしたが、今襲ってきている敵もその一味でしょう」

 隼人は銃撃が来る先を視線で示した。沖田は険しい表情を崩さず、隼人が言葉を続けるのを待つ。

「狙われているのは、この柩です。俺は、柩を安全な場所まで逃がしたい。だから……こいつに付いてやってもらえませんか?」

「……なんだと?」

 沖田が顔色を変える。その目の色は突然の驚きから怒りへとすぐ移っていった。

「その間、あの敵は俺が身体からだを張って必ず引きつけておきます。だから──」

「ふざけるな!」

 間髪容れずに、沖田の怒声が響く。当たり前だと隼人も思う。この状況で、隼人を信用した上でその頼みを聞けなどとは虫が良すぎる──だがしかし、ここは恥を耐え忍んででも隼人は沖田の助力にすがる他はなかった。吸血種に転化した今でも、間違いなく自分以上だと思えるその剣技の持ち主に対して。

「お願いします……沖田さん」

 沖田はただ沈黙を守っている。隼人はなおも続けた。

「約束したんです、この柩と。必ずまもると。俺は、侍としてその約束を破るわけにはいかないんです。それから必ず、俺自身の身のあかしも立てるつもりです」

 約束という隼人の言葉に反応したかのように、沖田は言いかけた言葉を呑み込む。そうしてしばらくしゆんじゆんしたあと、曇ったままの表情ながら頷きを返す。それと同時に、至近にまた一つ着弾があった。

「わかった。今は、お前の言う通りにしよう。だから……私に話の続きを聞かせるまでは、勝手に死ぬんじゃないぞ」

「ありがとうございます」

「だが、もしお前の語る話に納得がいかなければ──」

 最後の言葉を沖田は口にしなかったが、隼人はその意味を理解していた。納得できなればお前をる──そういうことだろう。どの道、命をけて説得するつもりだった。

「一、二の三、で出ます」

 おきうなずき、ひつぎが息を呑んだ瞬間。三つを数えた隼人はやとは、噴水の陰から飛び出した。

 敵の放つ銃弾が、やみを裂いてうなりを上げる。隼人はくらやみの向こうに視認した発砲炎を頼りに、瞬間的な見切りで銃弾をかわしつつ疾走する。

 隼人へと銃撃が集中したその数秒間を逃さず、沖田は柩をさらうように引き連れ飛び出していた。

「ち──」

 隼人が陽動であったと気づいたヒコックが、紫煙ととうを吐き出した。右手の銃口が新たに飛び出した沖田たちへ向くが、既にホテルの外壁に遮られて照準できない。

「こっちだァァァッ!」

 隼人は抜刀した。殊更に大きな雄叫びを上げつつ、ヒコックの潜むホテル玄関側の柱に向かって疾走する。血族としての身体能力を爆発させたその疾走は、またたく間にヒコックとの距離を消し飛ばしていく。

「ほう、あの坊やも血族か」

 銃と刀。ヒコックと隼人の武器がそれぞれ強みを発揮する距離が、二人の間で見る見る縮まっていく。言うまでもなく、近づけば有利であるのは隼人の方だ。しかしヒコックはじんも動じず、迫り来る隼人を迎え撃つ。

 発射と共に落ちる撃鉄をたたいては起こすヒコックの左手が、瞬間的にかき消えたように隼人は錯覚した。肉眼で視認できぬほど高速の叩き撃ちフアニング。六発の銃声が、ほとんど一つに重なりごうらいと化した。まるで、六人の射手が同時に発砲したかのようだ。

 六発全弾を集中して叩き込まれた隼人の両脚が鮮血を噴き上げ、半ば破壊される。

「ぐっ」

 隼人は疾走の勢いを乗せたまま、自重を支えきれず転倒した。六発全てを撃ち尽くしたヒコックは、全弾そうてん済みの換え円筒弾倉シリンダーを取り出す。機械のごとき精妙かつ神速の手さばきにより、一瞬にして弾倉交換リロードを完了させる。恐るべき手早さだった。

 隼人は懸命に身を起こし、辛くも中庭から客室に退避する。相手が弾倉交換中でなければ、すかさず追撃を受けていたところだ。ヒコックの業前に、隼人は冷や汗を背中に覚えた。

「まさか、あんなすご腕が敵の追っ手に加わってるとはな。ありゃ一体何者だ? 隼人の速さに完全に対応して、平然とその上を行きやがった。吸血種であるのは間違いねえだろうが……」

 隼人の後を追って動いたまんろうも、隼人の逃げ込んだ客室内へ移動している。いつの間にか被弾したらしく、腕のそでぐちから血が流れていた。

「大丈夫か?」

「かすり傷だ、心配ねえ。銀弾じゃなかったのが幸いだったぜ」

 隼人が安心した瞬間、雷鳴のごときさくれつおんが連続して中庭にとどろく。

 中庭に出るテラスと客室を隔てる裏口の扉。そのちようつがいと周囲の壁土が、立て続けの銃撃によって破壊されていた。支えを失った樫の木の扉板が、部屋の中へ倒れ込む。じゆうたんの上に扉板が落ちる音を、隼人はやとは聞いた。

 そして、ゆっくりとブーツの重たい足音が中庭から近づいてくる。隼人は巨大なベッドを横転させ、即席の防壁としてその後ろに隠れた。まんろうも即座に隣へ滑り込む。

 ヒコックは再び全弾を撃ち尽くした弾倉を、新しい物に交換する。そして、部屋へと侵入する。

「ユダの娘は一人で逃げていると聞いていたが……お前らはなんなんだ?」

 その声を聞いた万次郎が、何やら不審そうな表情を浮かべた。

「娘の味方か? 何のために? 金で雇われたのか?」

 隼人たちの潜むベッドに銃口を向けたまま、ヒコックは試すように話しかけてくる。無論、隼人には敵の話す異国の言葉は理解できない。

「万次郎、あいつはなんて言っている?」

 言葉を理解しているはずの万次郎に尋ねるが、答えは返ってこない。横を見ると、万次郎は何事かの考えに集中しているようだった。

「なあ、隼人。おかしいとは思わねえか?」

 ヒコックを親指で示し、そうささやく万次郎。

ひつぎの嬢ちゃんたちが逃げたのはわかっているのに、あいつはずっと俺たちの相手をしている。もしかすると、ほかに仲間がいるのかもしれねえな。だから奴は本命をそっちに任せて、邪魔者である俺たちの足止めをしてるんじゃねえのか」

「……!」

 その言葉に隼人は納得を感じると共に、気づきが遅れたことを後悔した。だとすれば、あの連発銃使いをこの場で釘付けにしても無意味だ。居てもたってもいられない気分になる。

「そうなりゃ、俺たちもここにはいられねえ。一か八かだ。港まで走るぞ」

 ヒコックに背を向ける形で、隼人と万次郎は廊下に続く扉の方へ向かって走り出した。

 隼人には、すべての光景が異常に間延びして見えた。嵐のような銃弾の猛打撃を浴び、木っ端を散らして砕けていく寝台。その向こうから、更なる銃撃が背を向けた二人を襲う。

「──ちィッ!」

 隼人はとっさに足を止め、反転。抜刀し、背後から襲ってきた弾丸を切り飛ばした。

「万次郎、先に行け!」

 このままでは無防備な背後からの標的となり、万次郎ともども共倒れになる。そうと判断した隼人は、自分がここで敵を食い止める方針を即座に選択した。

 その狙いを万次郎もすかさず察し、だつのごとく駆け抜けていく。その退路を追撃の銃口からまもるかのように、ヒコックめがけ隼人は全速で突進する。

 背後からの弾では避けようがないが、正面からなら対応は可能。隼人はやとは血族の動態視力でヒコックの弾道を見切り、敵との距離を着実に詰めていく。

「避けるか。まあ、弾丸は直線にしか飛ばないからな──」

 それでも悠然と微笑を崩さぬまま、ヒコックが銃口を下げたのを隼人は見た。そして、そのまま立て続けに発砲。

「なら、こういう工夫も時には必要ってことだ」

 ヒコックの銃弾は隼人の身体からだではなく、疾走するその足下──隼人の進路上の床を次々に撃った。そこに転がった寝台の破片が、銃弾にはじかれて次々に宙に舞う。

「ッ! 視界を──」

 多数の細かい木片が飛び交う空間に、遅れて隼人が突入した。わずか数秒足らずとは言え、隼人の視界はそれによって妨害される。まさにその瞬間を狙い澄ましたように、ヒコックが隼人を狙い発砲した。

 空間を漂う浮遊物。それによってヒコックの銃口の位置は隼人の視線から隠され、弾道もまた目視で見切ることはできない。よって、回避は不可能。ならば、受けるか──と隼人はせつの時間の中で思考する。ヒコックが先程から撃ってきているのは、銀の弾丸ではない。ならば、一発や二発を受けても問題はないはずだ……

「くッ!?

 と、選びかけた判断を──直感に従い、最後の一瞬で放棄。隼人はとつに自らの心臓部にてのひらをかざし、そこへ飛来した弾丸をつかみ取るという考えてもいなかった手段を選んでいた。

 隼人は、焼けるように熱い激痛を左の掌に感じた。そして、その激痛ごとこんしんの力で握りしめる。回転する弾丸は、きようじんな握力によってその推進力を奪われ静止した。

銀の弾丸──いつの間に、鉛玉から換えていたんだ……」

 手の中に収まった白銀色の弾頭を見つめ、隼人はせんりつした。もし無防備に受けていたら、確実に心臓を破壊されていたからだ。

 すべては、隼人が闘いの中で磨き抜いてきた直感が為しえた出来事だった。

 敵であるこの銃使いは、同じ吸血種のひつぎを殺しにきた刺客だ。隼人は、伏見で柩を襲ったさつの兵が銀弾を装備していたのを覚えている。そうであるのに、同じ柩への追っ手であるこの男は今まで銀弾を使っていなかった。

 その答えは、たった今見えた。敵である隼人の意識から銀弾への警戒を完全に消し去り、油断した瞬間を狙い澄まして仕留めるためだ。この男の弾倉交換リロードがとてつもなく早業であるのは、隼人も既に見ている。視界を奪ったほんの一秒、そこで銀の弾丸はそうてんされた。そして、その時に狙うのは心臓一点以外にありえないはず──かくして、隼人は瞬間的なひらめきにすべてをけたのだった。

「気付いてやがったってのか!? いや──」

「策におぼれたなッ、銃使い!」

 手札を伏せ、だまして勝つ。そうした支配的な闘い方を好む男もいることを、隼人はやとは知っていた。この銃使いは隼人を敵ではなく獲物として狩るべく、魔弾のわなを仕掛けたのだろう。それをただのひらめきで無力化された驚きが、灰色のひとみには浮かんでいる。隼人はそこへ突進した。相手もまたヒキガネを引くが、策を破った者と破られた者の差は単純な速度となって現れていた。

 銃爪がしぼられるその寸前。隼人の繰り出したざんげきいつせんが、けんじゆうを握るヒコックの右手首を宙にり飛ばす。

「──グァァッ!」

 赤い血が腕から噴き出し、その痛みにヒコックが硬直する。それを前に、隼人は決着の一刀を振りかぶる。だが、絶体絶命なはずのヒコックの口元には笑みが浮かんでいた。その視線は隼人ではなく、この部屋全体をぐるりと見渡しながら動いていく。何かを確かめるかのように。

 そこに不気味な疑念を抱えながらも、隼人は敵の心の臓に刀を突き立てようとして──

「……な」

 隼人は、突然刀を取り落としていた。手にんでいたはずの愛刀が、急激に重くなったような気がしたのだ。

 いや、変化したのは刀の重さではなく隼人の握力のようだった。手からだけでなく、全身から力が抜けていくのを感じ、隼人はついにひざをついた。

「なん、だ……これは……ッ?」

 身体からだが氷のように冷えきっていた。まるでどこかに風穴を開けられ、そこから流れ出てしまっているかのように。

「これが〝狩り〟ってものだぜ、坊や」

 先ほど垣間見せた焦りのへんりんなどもはや毛ほども見せずに、落ち着き払ったヒコックは淡々と告げる。隼人はヒコックの言葉は理解できなかったが、自分にとって不吉な宣告をしているのだろうということはわかった。

 隼人は、なぜか動けなくなった身体に対し必死に力を込めようとする。だがその様は、の巣にかかった哀れな羽虫よりも無力に見えた。ぎやくてきな笑みをたたえたヒコックが、それを眺めている。

「仲間を逃がすために、正面切って向かってくる勇気。俺の仕掛けた罠を見破った直感……どれもなるほど、大したもんだ。これが正々堂々の立ち合い……そうだな、たとえば決闘だったなら勝ったのはお前ってことになる」

 急ぐ様子もなく隼人が飛ばした右手を拾い上げると、ヒコックは血を流す切断面同士を押しつけた。ほんの瞬きの一つか二つ。たったそれぐらいの間に傷口は跡形もなく消え、神経を断たれたはずの指もまた元通りの動きを見せる。

「……話の続きをしよう。だが、これは〝狩り〟だった。獲物が罠にかかる瞬間を、周到にこうかつに待ち続けることこそが本質なのさ……第一のわなを破られても、こうして第二の罠にお前をめたようにな。どれだけの武勇を誇る強者であろうが、狩人の前では狩られる獲物である宿命から逃げられない。それこそが俺の誇り、俺の真髄だ」

 いったい何が起きたのか? 敵が落ち着きを取り戻したことから、これが敵の罠であったことは理解できた。しかし、どうやっても動くことができない。もはや隼人はやと身体からだを支える力も残っておらず、無様に地にせるしかなかった。最後の力で、せめて敵の動きから目を離さぬためにあおけに転がる。

 隼人は初めて、ヒコックの顔を正面から見上げた。

「く──」

 敵の灰色のひとみは無機質に自分を見下ろし、その大きな手はコルトM1851ネイビーをもてあそぶ。その円筒弾倉シリンダーの薬室には、銀の弾丸がそうてんされている。隼人の目にも、穴からのぞく銀のきらめきは見えた。

 あれを心臓に撃ち込まれれば、隼人は死を免れないだろう。動けと身体に力をこめるが、もはや立ち上がることもできない。

「サムライの坊や……お前はいったい何者なんだ? 血族のようだが……あの娘のけんぞくになったのか? それはいったいどういう理由で?」

 ヒコックは、隼人が答えられるはずもない異国の言葉で問う。

「それがわからないのは残念だが、今夜お前はここで死ぬ。俺の《墓碑銘エピタフ》に捉えられて」

 ヒコックの言葉は相変わらず隼人にはわからないが、確実な死の予感だけはなぜか強烈に伝わってきた。

 こんなところで死ぬわけにはいかない。裏切り者の名を受けたまま、ひつぎまもるという侍として誓った約束さえも果たせないまま。隼人は、のしかかる死の重圧にあらがい続ける。

「く……ッ」

 隼人が無念のうめきをらすのと同時に、ヒコックの漆黒の銃口が隼人の心臓を照準する。

「あばよ、サムライの坊や──安らかに眠りな」

 そしてつぶやく。言葉のわからぬ隼人にも、意味は伝わった気がした──それが死の宣告だと。


          


 おきと共に港にたどり着いた柩は、手形を船員に見せ元来た蒸気船に乗り込んだ。蘭国オランダの商船兼客船であるこの船は、すでに明朝の出港に向けて多くの積み荷が運び込まれていた。

 柩は乗って来たときと同じ客室に身を潜める。先ほどの戦闘とは関係のない穏やかなけんそうに包まれていると、柩はわずかに安心を取り戻した。一方の沖田は、張り詰めた表情を崩していない。

「あの……」

「なんだ?」

 おきは襲撃者のみならず、護衛を託されたひつぎに対しても気を許してはいない様子だった。

「……ごめんなさい」

「なぜお前が私に謝る? われのない謝罪は不愉快になるだけだ。やめろ」

 沖田の反応に戦々恐々としている様子の柩は、ここにたどり着くまでの間もずっとこの調子だった。沖田は困ったようにためいきく。

「ごめ──あっ、い、いいえ。なんでもないです」

 反射的にまた謝りかけてしまい、柩はあわてて口をつぐむ。それから、意識して話題を変えた。柩と沖田。今の二人にとって、最も気がかりであるはずの話題へと。

隼人はやと、大丈夫かな……」

 ぽつりとこぼした柩のつぶやきに宿る不安を、打ち消すように沖田は応える。

「あいつなら大丈夫だ。剣の腕は、私の部下である一番隊の中でも上位だった。勇気もあるし、機転も利く。決して死んだりはせんさ……何より、私との約束を破るはずがない」

 その確信を持った物言い……そして聞き覚えのある言い回しに、柩は何かに気付いたように視線を向ける。この人はもしかして、隼人の記憶に出てきた──。

 柩のを、外から響いてきたすさまじい悲鳴が遮った。

「ここにも来たか──」

 沖田が慌てることなく立ち上がる。その間にも、悲鳴が立て続けに聞こえてきた。それは広範囲に拡散しているようだった。

「絶対ここを動くな」

 沖田は柩にそう告げると、船室を出ていった。


 港に現れた、その男──もう一人の追っ手の手並みは、迅速で手段を選ばなかった。港に停泊しているその蒸気船に誰が乗っていたのかをあらかじめ知っていた男は、迷わずそのかんぱんへ上がっていく。そして止めようとする者をすべて引き裂き、さつりくしていった。

「ユダの娘は、どこにおる──まあ全員殺し尽くした後、死体で確かめても構わんがな!」

 雷のような高笑いが響いた。その嵐のような襲撃は、たった一人の血族によって行われていた。男の名は、ゴットフリート・フォン・ベルリッヒンゲン。《鉄腕ゲッツ》とも呼ばれる歴戦のようへい騎士にして数百年を生き延びた血族である。

「外国船ならば安全と高をくくったのが間違いよ。この国ではいまだ少数ゆえに、むしろ的を絞りやすくもなるのだからな……さつ藩とやらの情報収集力も、なかなか見どころがあるわ」

 屈強なたいにまとうのは、こつとうひんのような板金のよろい。その鎧も男の身体からだにも、多くの古傷が刻まれている。血族になる前から、数えきれない死闘をくぐってきたあかしだ。

 ベルリッヒンゲンは、こうこつとしながら大量の返り血に染まった左手の長剣を振るう。そして、両腕を使って死体の山を築き続けていた。右手には何も持っていない。だが義手であるその右手が金属音を立てて握りしめられると、文字通りのてつついと化して人体にたたき込まれる。ベルリッヒンゲンの足下に、原型を失った肉塊が次々に転がっていく。

 この鉄の義手こそが、《鉄腕ゲッツ》の異名を取ることになった由来である。

 ベルリッヒンゲンは、犠牲者の返り血に染まりながら船室を順番に襲っていき、次なる扉に鉄のこぶしを叩きつけた。樫の木のドアはもろくも一撃で割れぜる。

 瞬間、隣の部屋の戸がいきなり開いた。そこから突き出されたのは、青光りするスミスアンドウェッソン・モデルアーミーの銃身。

「当たって……!」

 ひつぎの一喝と共に銃口が火を噴く。至近距離からの、限りなく不意をいた銃撃であった。

 だが瞬間──金属同士が激突する衝撃音が、空気を鋭く不吉につんざく。

 ベルリッヒンゲンの頭を撃ち抜くはずの弾丸は、突然現れた盾によって遮られたからだ。

「腕が……盾に!?

 驚きに柩は思わず叫ぶ。先ほどまで何も持っていなかった敵の右腕が、一瞬にして半身を覆うほどの盾に変型したのだ。盾の表面には、血管を思わせる赤く輝く有機的なラインが脈動している。それは、まるでそれ自体が肉体の一部であるかのように見えた。

「銀の弾丸か──おお、剣呑剣呑。防いでおいて正解だったな」

 悪魔のように冷たい声と冷たいまなしだった。独国ドイツなまりの英語は柩には理解できない。だが、ベルリッヒンゲンは構わず続けていく。

「この鉄の腕に我が血が流れるとき、鋼鉄は古今あらゆる武装の機構を再現し変幻自在にその形を変えるのだ」

 それが合図であったかのように、ベルリッヒンゲンが猛然と柩に向かってきた。右手の盾を肉弾ごと柩にぶつけ、その軽い身体からだを吹っ飛ばす。獣のはやさと剛力を伴う動きだった。

「あうぅッ!」

 廊下の突き当たりにある壁まで、柩は十メートルを一瞬にして飛ばされ叩きつけられた。胸に激痛が走り、血がのどから逆流する。

 だが衝撃にうずくまっている暇はなかった。ベルリッヒンゲンが再び、一直線に突進してくる。

 ──逃げられない!

 あきらめかけた柩の目に、外へと通じるガラス窓が目に入った。

隼人はやとが、必ず行くって言ってくれたもの……!」

 柩は身を躍らせ、窓ガラスを破って外に飛び出る。一瞬、冷たい海に投げ出されることを覚悟するが、窓はかんぱんに通じていたようだ。そのままの勢いで、柩の身体は甲板の床に打ち付けられた。

 ベルリッヒンゲンもまた、窓枠ごと粉砕しながらひつぎの後を追う。そして左手の長剣を振りかぶると、とうてきうなりを上げて宙を飛んだ鋼鉄のやいばで、柩を刺し貫いた。まるでピンで縫い付けられた昆虫標本のように、柩は腹を空中で串刺しにされる。

「アアァァッ!」

 自ら跳んだことで目測をずらせていなければ、一撃で心臓を刺し貫かれていただろう。すさまじい痛みに、柩は血を吐きながら倒れこむ。こちらに悠然と近づくベルリッヒンゲンの残酷な笑みを見て、この男の本性を察した。柩が苦しむさまを、愉しんで眺めているのだ。

「く……ぅ……」

 逃れねば、と柩は必死に胴を貫く剣を引き抜こうとする。しかし、鉄の刃がより深くぞうを傷つけ、信じられないほどの痛みが走った。込み上げてきたかんぱんにぶちまける。

 あまりの痛みに意識が薄れる。それでも柩は手の中の銃を握りしめ、闘う意志だけはえさせない。

「わたしは……死なない。絶対に……ッ。隼人はやとまもってくれるって約束したから……」

 ベルリッヒンゲンは、そんな柩の抵抗を愛でるかのように見下ろしていた。やがて右腕の義手を、『長剣』の形態へと変形させる。

「だって、隼人はサムライだから……約束してくれたから……ッ。わたしも、負けない……!」

 もはや妄言のような希望だけを支えに、柩は迫りくるベルリッヒンゲンに銃を向ける。手がぶるぶると震えて、照準が合わない。その時──

「やめろ!」

 ベルリッヒンゲンと柩の間に、一人の剣士が身を滑り込ませた。

「隼人!」

 意識がもうろうとした柩は、歓喜と共に脳裏に浮かんだ名前を呼ぶ。しかし、そこにいたのは隼人ではなかった。


「新選組、おきそう。義によって参戦する」

 ベルリッヒンゲンが乱入者──沖田を奇妙なものを見るまなしで見下ろした。日本人としても小柄なそのたいが、子供のように見えたのだろうか。

「沖田、さん……」

 柩の不安げな声は、沖田の身を案じたものだった。たとえ侍として闘える力があったとしても、沖田は血族ではないただの人間だ。自分を襲ってきたこの化け物のような吸血種を前に、立ち向かえるとはどうしても思えなかったのだ。

 だが──

約束したからだ、お前を護ると。隼人がお前に。そして私は隼人に」

 振り返りもせず、沖田は背中越しにそう告げた。隼人と同じその言い回しに、柩は隼人の血を飲んだ夜を思い出す。その時の夢に出てきた記憶の中の人物が、現実にそこに立つおきの背中と重なった。

 やはり、この人が──

 小柄な沖田は、自分の倍ほどもあるベルリッヒンゲンを前にしても何ら臆するところを見せていない。

「参る──」

 そして、悠然と前に出た。無造作にベルリッヒンゲンへの距離を詰める沖田の挙措には、恐れも力みも見えはしない。

 沖田は刀身の切っ先を右後方に下げ、左の半身をさらした脇構えの剣形を取っている。

 それは、ベルリッヒンゲンの目には無防備にも見えた。その視線に気づいたのか、沖田が小さく笑う。

 ベルリッヒンゲンに日本剣術の造詣はないが、その数世紀に渡る生涯で数えきれないほどの戦闘を繰り広げてきた。だからこそわかるのだ。その構えの意味が。

 沖田はあえて半身を無防備に晒している。先手は取らせてやるから、そこへ打ち込んでこいと誘っているのだ。そして相手に先手を譲った後手からでも、必ず自分がり勝つと無言のままに宣言している。剣速に絶対の自信を持つがゆえの、過激な挑発であった。

「ほう……見かけによらぬというわけか。そのごうまん、高くつこうぞ……」

 隻腕の老兵は、そんな侮辱を許すことができない。膨れ上がった殺気に呼応するかのように、ひとみが赤く光った。重々しくも自ら一歩、その足を前へと踏み出す。

 必然、互いの距離は縮まった。もはやあと一歩で、攻撃圏内に突入する間合い。それでも両者はまだ仕掛けない。

 見上げる沖田と見下ろすベルリッヒンゲンの視線が、正面から互いを映し合った。

 共に獣めいたどうもうな笑みを浮かべると、そこに物言わぬ合意──死闘の開始への誓約が為される。

「カアアアアアァァァァァッ!!

「ヌオオオオオォォォォォッ!!

 ほとばしるれつぱくの気合がひつぎの鼓膜、そして心臓を震わせた。ぞうや骨を貫いた長剣は、痛みも相まって抜くことが難しい。それでも、柩は、気の遠くなる激痛をこらえて一気に引き抜く。

「ううううううう……!」

 鉄の剣が抜けると、柩の腹に空いた傷穴は急速にふさがっていった。柩は慌ててかんぱんのあちこちに積まれた荷箱の陰に身を隠す。けんじゆうを手に沖田を援護しようとするが、介入する機会がまったくつかめなかった。

 柩がかろうじて捉えることができたのは、ただ大気を幾重にも渡って切断する刃風のうなりと、稲光りにも似た白刃の放つ瞬間のせんこう──そしてその狭間で、色も形もなくぶつかり合う双方必殺のはくだけだった。

 果たして秒を、いやせつを数える間に、どれだけのけたの攻防が交錯しているのか。それさえもひつぎは想像できなかった。ここまでの手数の合計は、五十か、百か、それとも千か。

「なんて、闘い……」

 やみくもに撃てば、おきに当たってしまうかもしれない。柩は無力をみ締め銃を下ろす。

「ハハハ! いいぞッ、若武者よ!」

 ベルリッヒンゲンは、驚きと愉悦に目を見開く。

 こんな極東の島国に、闘いの神に愛された者がいるとは!