「人間の血を固めて保存した《血晶》ってものだ。西洋じゃ今これが主流になっている。血液に腐敗止めの薬品を混ぜて作られるらしいがな」

 そして柘榴ざくろいろに光るその塊を幾つか拾うと、隼人に手渡す。

「食ってみな」

《血晶》を手に取り、隼人はあらためてそれを観察した。

 見た目は変わった色の石ころだ。血の匂いこそ感じるが、それも自分が血族だからなのかもしれない。そんなものが海の向こうにあることなど、この瞬間まで知らなかった。

 万が一、これがまんろうの策略で毒であったら……という可能性も考えたが、隼人はやとの本能はその塊に吸い寄せられていく。

「やれやれ、流石さすがというべきか疑い深いな。ほれ、これでどうだ」

 隼人の警戒心を読み取ったかのような呼吸で、万次郎が紅い塊の一つを手に取り飲み込む。

 それを見届けた後で、隼人も《血晶》を口に放りこんでみ砕いた。

 石のように堅かった血の塊は、口内の温度でやがてあめだまのように溶ける。なんとも言えない多幸感が、舌先から体内に浸透していく。

 想像していたような生臭さや鉄の味は感じない。それらは確かに存在するのだが、隼人はとても甘美なうまに感じた。求めていたのはこれだったのだと、全細胞が歓喜している。あらためて、自分がどんな存在になったのかを自覚した。是非もなく、血族とは血をらう者なのだ。

「欧米やその植民地じゃ、非血族はその《血晶》を税として政府に納めているんだ。だから、金銀と同じような貨幣価値も持っている」

「血が、金と同じなのか……」

 人間の血が貨幣としての価値を持つ社会──血族が来航した以上、日本もいずれそうなっていくのかもしれない。時代というものへのあらがいがたさを、隼人はふくいくたる血の薫りを通じて実感していた。

 隼人はやとの隣で、ひつぎが少し大きめの血晶を口に含んだ。それを見たまんろうは、ニッと笑って言う。

「お嬢ちゃんがいま一気に食べたひとかけらで、二十両くらいするんだけどな」

「高っ!」

 思わず変な声を出してしまっていた。新選組時代に受け取っていた給金も決して安くはなかったが、それを基準にしても相当な破格だ。

「んぐんぐっ」

 一方の柩もみ砕いたはいいものの、それを聞いてはとても飲み込めない様子だった。のようにほおを膨らませたまま、ただただ目を丸くしている。

「まあ、いずれ普及して手頃な値になるだろうが、今はまだこの国じゃそのくらい貴重なものなんだ。でまあ、そんな高価な代物も、仲間にくれてやるなら惜しくはねえってことよ。どうだ? 少しは俺を信用してくれるかい」

 値段の印象も手伝ったせいかどうかはわからないが、効果は確かに出てきたような気がする。

「……確かに違うな。言葉じゃく言えないが、満たされた気分もする」

「感謝してるなら、返事を聞かせてもらいてえな」

 隼人はあらためて思案する。現れてからの万次郎の言動を観察した上での情報と直感の両面から吟味し……。

「わかった……今はあんたが敵じゃないことだけは信じよう」

 結果、隼人はそう判断を下した。もし追っ手に与する敵であるならば、やり方が遠回しにすぎるだろう。無論、怪しい部分はまだあるにしろ、一緒にいることで自分や柩にとって有益であるのもまた事実。警戒を忘れなければ、同行しても問題はないだろう。

「ふう……そういうわけで、ここからは俺もご一緒させてもらうぜ。おっと、外の役人のことならもう心配はねえぞ。適当に追い払っておいたからな。今夜はしっかり休んで、旅の疲れを落とすこった」

 万次郎はそう言い告げると、ふすまを開けて部屋を出ていった。

「とりあえず話はついたぞ……柩? どうした、目を白黒させて」

 さっきからなぜか口数の少なくなっていた柩を、隼人は横目で見る。

「う、うん……ごくんっ」

 ようやく、柩が口に含んだままでいた血晶を飲み込んでいた。


          


 翌日、隼人は柩と共に洋上にいた。万次郎が手配した船に乗り、海路を行くことにしたのだ。

 少しでも不審な動きがあれば万次郎とは手を切ろうと目を光らせていたのだが、こうかつなのかあるいは言う通り隼人たちの味方なのか、今のところ尻尾を出すことはなかった。

 隼人はやとの心配とは別に、まんろうの働きは大いに役立った。外国語が堪能とは聞いていたが、国内の様々な方面にも顔が利くらしく、隼人とひつぎは危険を冒すことなく賓客の待遇で乗船することができた。その際にはこの男の特長らしい口車が大いに回り、「名は明かせないが某国の姫君のお忍び道中である」と大胆にも程があるばなしを信じ込ませたらしい。うそは大掛かりなほうが通りやすいという俗説は、万次郎にとっては案外当てはまるものなのかもしれない。

 すべてはわななのではという疑惑も、いまだ完全には捨てきれない。が、隼人は血晶を摂取したことで心身ともに充実していた。この上なく感覚が研ぎ澄まされているのを感じる。

 ぞろいの新選組でも、決して実力面で先輩隊士たちのこうじんを拝していた覚えはない。まして今や怪物じみた身体能力さえこの身には宿っている。万が一刺客が現れたとしても、そうそう後れを取るつもりはなかった。無論、万次郎が裏切りを見せた場合でもだ。

 そんな中で数日が過ぎ──

 日没を迎え、水平線があかねの色に染まる頃。一行を乗せた船のかんぱんからは、夕霧にかすむ陸地の灯が見えてきた。

「あれが……」

 それを見据え、いつの間にか傍らに寄り添ってきた柩の横顔に視線を移す。

「横浜──か」


          


 汽笛を鳴らしつつ、蒸気船は到着した横浜の港にいかりを下ろそうとしていた。

 本来ならば、一刻も早く江戸に直行したいところだ。が、万次郎の手配した船は商船であり、横浜に寄港する都合があるらしい。こちらの素性が素性だけに、ぜいたくは言っていられない。

 船を降り、横浜の土を初めて踏んだ。居留地内に立ち並ぶれんや石造りの洋風建築物の壮麗さや、たそがれを照らす瓦斯ガス灯の輝きに圧倒される。ここはまさしく、日本であって日本ではない租界まちだと言えた。

 街角や港を歩いている人間も全員が異人。ごく少数ながら血族の姿も見かける。ここならば、柩のひとみや髪色が騒ぎになるようなこともあるまい。むしろ目立つのは日本人のほうだった。

 船員たちと気さくに打ち解け、異人である彼らに混ざって服装面でも違和感のない万次郎はともかく、いかにも日本人然とした隼人の姿は好奇の視線を集めた。

「気のせいか、皆が俺を見ているように感じるんだが」

「いや、それは気のせいじゃねえな。今、船長のツテで、この近くのホテルを空けてもらった。早いとこそこに行こうぜ」

 万次郎について、横浜居留地内の街区を移動する。やがて見えてきたのは、英国イギリス式のホテル。その玄関をくぐると、頭上に吹き抜けが広がるホールが隼人たちを出迎えた。

「すごく大きいね。この前の宿とは全然違う……」

 物珍しさを隠さず、ひつぎが感嘆の声をらした。高い天井を見上げたり、毛足の長いじゆうたんを見下ろしたりで忙しそうだ。あれと比較するのは違うぞ、と思いつつ隼人はやともまた圧倒される。

 まんろうに言われた通りに用意された一階奥の客室に入った。

 荷物を下ろす。備え付けのしよくだい燐寸マツチで火をともすと、部屋が暖色の光に包まれた。洋式の寝台に座ってみた。

「ほう……」

 特大のながのように、華美に飾り立てられた大仰な外観。固いとも柔らかいともつかぬ弾力。異国の寝床の、そんな何もかもが珍しい。

「ねえ、隼人……」

 柩が、言い出しづらそうに切り出した。

「どうした?」

「隼人は、あの血晶で満足してる……?」

 おずおずと柩が言い、隼人の表情をうかがっている。船旅の間、隼人は血晶をいくつか口にしていた。そのお陰でえは感じていない。

「もし本物が欲しくなったらいつでも言ってね。わたしの血をあげるから」

 意識してかせずにか、そう言った柩の声はなまめかしさに満ちていた。

 わくてきな言葉の意味に、隼人の動悸が勝手に速まっていく。柩の白いのどきばを突き立てる瞬間を想像しただけで、危険なほどに興奮してしまう自分を感じる。血晶で養分は充足しているはずなのに、愉悦という怪物はどこまでも足りることを知らず貪欲だった。

「それは……いや、しかし……」

んでもいいよ? ううん、噛んで、欲しいんだ……」

 ふいに柩が、こちらの右手を両手で握りしめてきた。それを無下に振り払うような気にはなれなかった。少女の細指が、まるでてつかせのようにあらがいがたい戒めにも感じてしまう。

 隼人の男としての欲望は、もはや隠せないほど強くなっていた。今度この少女に牙を突き立てたら、確実にその先──つまり男と女としての行為に達してしまうだろうと理性が本能を止めようとする。衝動のまま流されるのは嫌だった。

 このままではまずい。そう思った隼人は窓の外に目を向ける。

「綺麗な庭園だ。少し夜風に当たってみないか?」

 柩を促し、庭園に続くテラスの扉を開けて外に出る。

 潮の香りがする夜気が、二人を包んだ。

 異国情緒あふれる庭園は美しく刈り込まれており、中央の噴水も月明かりに照らされ水晶のようにきらめいていた。

 冷たい空気が肌を刺す。自分の羽織を柩にかけてやろうとして柩のほうを振り向き、その美しい横顔に目を奪われた。

 月で青白く照らされたひつぎは、隼人はやとがこれまで見た何ものよりも魅力的だった。