Part 01: ……深夜の古手神社は、昼間とは違った雰囲気で静まり返っていた。 菜央(私服(二部)): (レナお姉ちゃんと初めて会ったのも……こんな感じの夜だったかしら) 心細くて、怖気に満ちた中で怪物たちが目の前に現れて……。 もう駄目だ、と絶望した直後に駆けつけてくれたあの人の姿を見た時の記憶は、今もなお色濃く残って忘れられない。 菜央(私服(二部)): (だから……まだよ。まだ、諦めてなんかやるもんか……!) その誓いを胸に、あたしは石段の上へと目を向ける。 たとえ、闇に包まれて見えなくともこれを登った先には古手神社があるように、希望はきっと残されているはずだから……。 梨花(私服): みー……それにしても圭一、菜央。来るのがずいぶん遅かったようなのですが、何かありましたですか? 圭一(私服): 悪いな、梨花ちゃん。やっぱ徒歩で来ると、思っていたより時間がかかっちまったぜ。 魅音(私服): なんで自転車で来なかったのさ。圭ちゃんならもう、ここまでの道のりは目をつぶっても楽勝なはずでしょ? 菜央(私服(二部)): 最初はそのつもりだったんだけど……前原さんが持ってる、1台しかなかったのよ。 魅音(私服): ……あー、そっか。この「世界」ではまだ菜央に自転車をあげていないんだったね。ごめんごめん、うっかりしていたよ。 魅音(私服): あ、でも……だったら2人乗りで来ればよかったんじゃない?菜央ちゃんなら軽いんだしさ。 圭一(私服): 出てくる時に、お袋に止められたんだよ。こんな暗い中で、もしバランスを崩して倒れたりしたら危ないって言われてさ。 菜央(私服(二部)): …………。 夕飯の後、あたしが前原さんのママさんと一緒に洗ったお皿を拭いていると、居間の方から電話の音が聞こえてきた。 圭一の母: あら、こんな時間に誰かしら……? 菜央(私服(二部)): あたし、出てきますね。 気になったあたしは手早く皿拭きを終わらせて、居間へと向かう。 するとそこには、少し早く来て受話器越しに応対する前原さんの姿があった。 圭一(私服): ……あぁ、わかった。すぐに菜央ちゃんと一緒に、そっちへ行く。ちょっと待っていてくれ。じゃな。 菜央(私服(二部)): 前原さん……? 圭一の母: どうしたの、圭一? 圭一(私服): 悪ぃ、母さん。ちょっと菜央ちゃんと一緒に、梨花ちゃんのところに行ってくるよ。 圭一の母: えっ……今から? 時刻はもうすぐ、午後8時。ただママさんは少し驚いたように、眉間にしわを寄せた表情を浮かべる。 塾に通ったりしていたあたしにとっては、まだ夜になったばかりという感覚だけど……前原家では、遅い時間なのかもしれない。 圭一(私服): あぁ。実は梨花ちゃんから、今から神社に来てほしいって電話があったんだよ。 圭一の母: 梨花ちゃんって……古手神社の子よね。明日早めに学校へ行って、そこで話すのだとダメなの? 圭一(私服): ん、それは……。 菜央(私服(二部)): えっと……梨花の家、朝は色々と用事があって忙しいみたいなので……学校に来るのは、始業前ぎりぎりなんです。 前原さんが口ごもるのを見て、先回りをする。……行儀のいいことではないと思いつつも、言い訳を並べ立てるのはお手のものだ。 圭一の父: ふむ……菜央ちゃんも、梨花ちゃんとは仲良しなのかい? 菜央(私服(二部)): はい。……それに、梨花のことだから大事な用があって電話してきたんだと思います。ちょっとだけ行ってきてもいいですか? 圭一の母: ん……でも……。 頭ごなしにダメ、とは言わないまでもママさんは賛同できないのか、渋い反応だ。 きっと、あたしたちのことを心配してくれているのだとわかる。……嘘をついたことが今さら、すごく申し訳ない。 菜央(私服(二部)): (これが、普通の親なのかしら……) 明かりの多い都会とはいえ、夜遅くに小学生をひとりで塾に行かせていたあたしの母親が、むしろ変だったのだろうか……? 圭一の父: ……。圭一。 すると、食卓で夕刊を広げていたパパさんが穏やかな口調で諭すように言った。 圭一の父: なるべく早く戻ってきなさい。それと、菜央ちゃんを連れて行くなら怪我させないように気をつけるんだぞ。 圭一(私服): あぁ、わかっているって。行こうか、菜央ちゃん。 菜央(私服(二部)): ……えぇ。 前原家でのことを思い出しながら、魅音さんたちとともに石段を登って、鳥居をくぐる。 さらに、本殿の前を通り過ぎて……。 あたしたちは目的地である、神社敷地内の高台へと辿りついた。 そこでしばらくの間、夜景を眺めたり軽く雑談などを交わしたりしながら、時間を潰していると……。 魅音(私服): ――来たみたいだね。 ふいに呟いた魅音さんの言葉にたちまち空気が引き締まり、あたしたちは一斉に神社の方へと視線を向ける。 すると、闇の中から人影が現れて……ゆっくりとした足取りで「彼」がこちらへと向かって来るのが見えた。 富竹: ……やぁ、待たせたね梨花ちゃん。ひょっとして、遅れちゃったかい? 梨花(私服): みー、時間ぴったりなのです。来てくれてありがとうなのですよ、富竹。 富竹: いや、別にこれくらいはお安い御用……と、魅音ちゃんと圭一くんも一緒なんだね? 魅音(私服): どうもー。 圭一(私服): こんばんは、富竹さん。 富竹: あぁ、こんばんは……えっと、そっちの子は初めて見るね。君は? やや怪訝そうに声をひそめる富竹さんが、暗がりの中であたしに顔を向けてくる。 期待はそれほどしていなかったが……やはり、この人にも以前の記憶は引き継がれていないようだ。 菜央(私服(二部)): あたしのこと……覚えてませんか? 富竹: ……ごめんね、物覚えが悪くて。君とは、どこかで会ったことがあったかな? あたしを気遣うような笑顔で、富竹さんは中腰の姿勢で目線の高さをこちらに合わせてくる。 その仕草ひとつをとっても、決して悪い人じゃない。……あとはどれだけ、あたしたちの話に聞く耳を示してくれるかだ。 菜央(私服(二部)): 気にしないでください。前原さんたちと一緒にいた時に居合わせただけで、ほとんど初対面のようなものですから。 努めて年相応な態度を装って笑いながら、あたしは月明かりに照らされた富竹さんの容貌をまじまじと見つめ返す。 菜央(私服(二部)): (名前は知ってる……けど、こうして顔を合わせて話すのは実は初めてなのかも……かも) 死んでいる姿……殺された後の彼は、最初の「世界」で見た。 前原さんたちと合流して逃げる最中、吊り橋のそばで喉から血を流し……絶命しているあの表情は、目に焼きついている。 ただ、直後に鷹野さんたちが現れたせいで、彼の亡骸を置き去りにしてしまったことは今でも申し訳なく思っていた……。 菜央(私服(二部)): (……そういえば、一穂が言ってたわね) あたしと一穂が最初の「世界」で、梨花の演舞を見に行った時……。 その最中、シャッターを切る音が聞こえて彼女が周囲を見渡すと、富竹さんの姿が舞台のすぐ近くにあった……とのことだ。 菜央(私服(二部)): (でも……あたしの耳にはその時、シャッターの音なんて聞こえてこなかった) 当然、富竹さんの姿も見ていない。……というより、舞台の周りにはロープが張られておいそれと接近ができないようになっていたのだ。 菜央(私服(二部)): (だとしたら、一穂が見たのはなんだったのかしら? あの状況であの子が、勘違いをしたとは思えないし……) そんな内心の思いを隠しつつ、あたしは丁寧に頭を下げていった。 菜央(私服(二部)): ……改めて、自己紹介させていただきます。あたしは鳳谷菜央と申します。 梨花(私服): みー。菜央も圭一や魅音と同じ、ボクの仲間なのですよ。 富竹: そうなんだ。はじめまして、僕は富竹。見ての通り、フリーのカメラマンだ。 富竹: それにしても……ちょっとびっくりしたよ。急に梨花ちゃんから呼び出されたと思ったら、魅音ちゃんや圭一くんまでいるんだから。 富竹: そもそも、僕の泊っているホテルをよく知っていたね。鷹野さんにでも聞いたのかな……? 梨花(私服): 自宅の居間で、富竹の連絡先が書いてあるメモを偶然見つけたのですよ。鷹野と入江には、今日のことは内緒なのです。 富竹: ……。君の親御さんにも内緒だ、って電話で言っていたけど……そうまでして、僕に話したいことっていったい何だい? 梨花(私服): ……富竹。 すると梨花は、口調をそれまでの子どもらしいものから、固いものへと変えて……彼の顔を、正面から見返す。 その瞳は、闇の中にあっても真摯な輝きを帯びていることが傍目からもよくわかった。 梨花(私服): 今の『東京』の動向について、できる範囲で構いません……。あなたが知っていることを、教えてください。 富竹: えっ……? そ、それは……。 『東京』、と言う言葉が出た途端、富竹さんは狼狽をあらわにした表情で圭一さんと魅音さん……そして、あたしに視線を向ける。 おそらく外部に知られたくないのだろう、とその反応だけで理解はたやすい。 ただとりあえず、最初の富竹さんへの説明は梨花に任せる、と事前に合意しているので……あたしは黙ったまま経緯を見守ることにした。 梨花(私服): ……富竹。 梨花(私服): 『東京』のことはここにいる圭一と魅音、そして菜央もすでに知っているのです。 梨花(私服): 入江機関の本当の目的についても、全て……。 富竹: なっ……ど、どういうことだい?! 富竹: いや……そもそも、どうして君が『東京』のことを? もしご両親から何か聞いたのだとしたら、それは……! 梨花(私服): ボクに『東京』のことを教えたのは……富竹。他でもないあなたなのですよ。 富竹: い、いや……そんなことを今までに話したことはなかったと思うんだけど……。 梨花(私服): 今ここにいる富竹ではない、「別の富竹」なのです。 富竹: は……ははは。まるで、僕が2人いるみたいなことを言うんだね。 梨花(私服): ……。違う結末を迎えたという意味では、確かにいたのです。あなたと違う富竹が、もうひとり……。 梨花(私服): ……富竹。ボクがここに呼び出したのは、このままだとあなたが殺されるからです。 梨花(私服): 鷹野三四の描いた『終末作戦』の、最初の生贄として――。 Part 02: ――緊急マニュアル第34号。 昼間、梨花に教えられたその計画は……あまりにも恐ろしいものだった。 『女王感染者』が死亡すると、『#p雛見沢#sひなみざわ#r症候群』の一般感染者……雛見沢の住民は全員、ほぼ48時間以内で末期発症に至る。 末期症状とは、平たく言ってしまえば正気を失って錯乱し……他者あるいは自らへの攻撃衝動を持った凶暴状態を指す。 ゆえに、それを予防するため「女王」の梨花が死んだ場合は……雛見沢の村人全員を秘密裏に「抹殺」することが決定されていた。 (その虐殺を覆い隠す表向きの理由が、火山性ガスによる偶発的な自然災害……通称『雛見沢大災害』とのことだ) そして、『雛見沢症候群』の研究、管理を行っているのが『東京』と呼ばれている組織であり……。 鷹野さんと入江先生は『東京』に所属する研究員で、富竹さんはその定期連絡員。 それを逆手に取り、鷹野さんは自殺を装って姿を消し……同時に富竹さんを殺すことで、『東京』本部との連絡を一時的に停止させる。 そのスキに、梨花は殺されて……緊急マニュアル第34号が発動するのだという。 ……まさに、最悪の未来。それを回避するためには梨花の暗殺を防ぐか、実行犯である鷹野さんを抑えるしかない。 …………。 ただ、最初の「世界」はともかく前の「世界」では梨花が生きているのに人々が殺し合う惨劇が起こった。 だから、この「世界」でも#p綿流#sわたなが#rしの日に何が起こるかは、その日が来てみないとわからない。 鷹野さんを抑えても無意味かもしれないが……かと言って彼女を野放しにした場合、最初の「世界」のように襲撃を受けるかもしれない。 川田さんの乱入によって逃げおおせることができたけど、彼女がいなければ全員あの場で殺されてもおかしくなかった。 よって楽観視せず、鷹野さんは抑えておくべき――その結論であたしたちの見解は一致していた。 菜央(私服(二部)): (……とはいえ、富竹さんは鷹野さんと仲がいいらしいから、すぐに信じてもらうのは難しいかも……) その予想通り、梨花が告げた事実に対して富竹さんは目を大きく見開くほどに驚愕した。 富竹: た、鷹野さんが僕を殺す……っ?冗談にしても、いきなり何を言い出すんだい?! 梨花(私服): 冗談ではありません……本当なのです。ボクは人の命に関わることで、嘘偽りなどは絶対に言ったりしないのですよ。 富竹: ……っ……?! 淡々としながらも、容赦のない梨花の口ぶりに……富竹さんは息をのんで言葉を失う。 そして、視線を泳がせながらも懸命に冷静さを取り戻そうとして……何度もため息をついてから、再び口を開いていった。 富竹: その……まさかとは思うけど、今言った企みには、入江所長も関わっている……とか言わないだろうね? 梨花(私服): ……入江は何も知りません。ですが、鷹野と富竹が殺された事実を知った後『東京』は入江に不審の目を向けます。 梨花(私服): やがて、疑惑を向けられた彼は謀殺され……その間に鷹野は、自らの描いた計画を成し遂げるつもりなのです。 菜央(私服(二部)): …………。 努めて落ち着いた口調を装いながらも、梨花は懸命に富竹さんを説得しようと言葉を尽くしているのが……よくわかる。 ただ、それでも信じてもらえない場合……あたしたちはどうすればいいのだろうか、明確な代案はまだ、思いついていない状況だ。 菜央(私服(二部)): (これなら、『ツクヤミ』を倒していたあの頃の方が、まだわかりやすかったわね……ただ倒せばよかっただけなんだもの) あのわけのわからない連中を懐かしく思う時が来るなんて……あの時は予想もしていなかった。 梨花(私服): ……富竹。このままだと、近々『雛見沢症候群』の研究は終わってしまいます。 梨花(私服): どうせ終わらせられてしまう研究なら、最後は自分で盛大に終わらせたいと鷹野はボクを殺して「祭」を演出する……。 梨花(私服): そんな未来を、ボクは見た……いえ、見てきたのですよ。 梨花はあえて、自分の話だけに焦点を当てる形で富竹さんに説明を行っている。 一番の懸念点である、なぜ梨花はそんなことを知っているのか……。 という点については……相談したけど、正直におとぎ話めいた話を伝えるしかないだろうという結論に至っていた。 おそらく……両親のいない「世界」で、梨花はその内容を直接聞いたのだろう。 でも、2人が生きている今……直接彼女に『雛見沢症候群』はおろか『東京』についての説明は行われていない。 だって昭和58年の古手梨花は、まだ幼い少女と見なされているのだから……その矛盾は、どうあっても解消できない。 富竹: …………。 そして、話を聞き届けた富竹さんはしばし黙り込み……。 富竹: ……そうか。 ぽつり、と。 さっき『東京』という単語が出た際に見せた困惑と慌てぶりがなんだったのかと疑うほど、落ち着いた様子を見せた。 魅音(私服): 富竹さん……あんまり驚いていませんね。むしろさっきより、落ち着いた感じに見えます。 圭一(私服): ひょっとして……何か心当たりがあったのか? 魅音さんと前原さんの問いかけに答えず、富竹さんは周囲をぐるりと見渡す。そして、 富竹: ……『終末作戦』の話を知っているのは、梨花ちゃん以外だとこの3人だけかい? 声をひそめてそう尋ねかける彼に対し、梨花は仰々しいほど真剣な顔で「はい」と答えて頷き返した。 梨花(私服): この場のことは、もちろん秘密にするのです。……だから、正直に言ってほしいのです。 富竹: そうだね。今の話を聞いた感想としては……。 富竹: ありていに言ってしまうと……やっぱり、ってところだろうな。 ひとり頷く富竹さんの顔には、猜疑や怒りのようなものはなにもない。 ……ただ、少し寂しさを含んだ納得だけがあった。 富竹: 心当たりがあるか、って質問の答えだけど……ないこともないんだ。 富竹: 実は、最近まで鷹野さんはプロジェクトをあと数年延長できないか、って盛んに上へ働きかけていたんだけど……。 富竹: ここしばらくは、ずいぶんと落ち着いて吹っ切れたような感じになっていてね。 富竹: そのわりに、彼女の支援部隊を務める『山狗』の動きが裏で活発になっていて……何かあるかもしれない、とは思っていたんだ。 富竹: ……ただ、まさか鷹野さんがそこまで思いつめていたとは、さすがに気がついていなかったよ。 富竹: いつも、彼女のそばにいたはずなのにね……はは、情けない話だ……。 梨花(私服): 富竹……じゃあ、ボクの今の話を信じてくれるのですか……? 富竹: まぁ……違う未来の記憶があるって話は、ちょっと受け入れがたいけどね。 圭一(私服): ははっ、そりゃそうだ。怪しむほうが普通だぜ。 魅音(私服): うん。むしろ笑い飛ばしたりせず、ちゃんと聞いてくれている方だと思いますよ。 同意を示す前原さんたちの声が届いたのか、富竹さんが苦笑する。 でも、その笑顔に力はなく……肩は悄然と落ちている様子だった。 梨花(私服): ……。富竹。 梨花(私服): ボクたちは、昭和58年の夏を越えたその先の未来が欲しいだけなのです。 梨花(私服): その過程であなたを騙すつもりも、鷹野を貶めるつもりもありません。……みんなの幸せを守りたいだけなのです。 富竹: …………。 梨花(私服): 信じて、もらえますか? 富竹: 全部はまだ……ごめん。信じられるかと聞かれたら、はいとは答えられない。 富竹: けど……今の話でいくつか納得できたことがあるんだ。 梨花(私服): みー、納得できたこと……? 富竹: 実は梨花ちゃん……君のご両親から、相談を受けていたんだよ。最近、娘がおかしいってね。 富竹: 妙に落ち着いたというか、やけに大人びたというか……。 富竹さんは少しだけ口ごもり、やがて言いにくそうに吐露した。 富竹: まるで、別人になったみたいだ……って。 梨花(私服): ――っ……。 ……その場にいた全員が、わずかに息を飲む。 別の「世界」の記憶を持っていることを、その変貌を、他人が見たらどう思うのか。 今までに持っていた認識の甘さを、指摘された気がして……背筋がひやりと冷たくなる。 富竹: 女王感染者の急な変化ってことで、鷹野さんはちょっと身構えていたそうだけど、同じ時期に圭一くんが引っ越してきたって知ってね。 富竹: 好きな男の子ができて、彼に好きになってもらうために自分を変えたくなったんだろうって。 梨花(私服): みみっ……?! 魅音(私服): は……はぁぁあぁっ?なんでそんな話になるのさー?! 富竹: はは……冗談でもなんでもなく鷹野さんは、そう結論づけていたんだけど……。 富竹さんも、その理屈で一度は納得したのかもしれない。 でも今の説明で梨花の変化が腑に落ちたのだとしたら、彼にとってこの件は捨て置けない事態になった。 菜央(私服(二部)): 前原さんの存在が、いい目くらましになったってわけね。魅音さんには申し訳ないけど、怪我の功名ってやつかしら? 魅音(私服): なっ……ななな、菜央ちゃんっ?ど、どうして私に申し訳ないってことになるんだよーっ?! 梨花(私服): み、みー……。 圭一(私服): あのなぁ……それでいいのかよ。梨花ちゃんに対して、すっげぇ失礼な話になっているようにしか思えないんだが。 菜央(私服(二部)): いいのよ。梨花の変化を怪しまれてたら、また監禁されたかもしれないんだしね。 富竹: また……? 菜央(私服(二部)): ……気にしないでください。もしもの話です。 あたしはそう言って、富竹さんを見上げる。そして、梨花の言葉を引き継いで続けた。 菜央(私服(二部)): それで……富竹さんはどうするんですか?真実を受け入れるとしても疑うとしても、あなたは行動を起こすべきだと思いますが。 富竹: そうだね……今の君たちの話が、本当だと仮定して……その上で鷹野さんに思いとどまるように、説得したい。 富竹: もしも今の話がすべて杞憂だとしても、僕のただの思い過ごしとして……書類数枚程度の処理で済ますことができるはずだ。 富竹: まぁ、しばらくは節約生活することになるかもしれないけどね。 菜央(私服(二部)): 説得なんて……できるんですか? その問いかけの言葉が、思わず上擦ってしまうのが自分でもわかる。 だってそれは、ありえない話だから。実現性としては低すぎるようにしか、あたしには思えなかったのだ……。 菜央(私服(二部)): (富竹さん……梨花の話だと、あなたはその鷹野さんに毎回毎回殺されてたのよ……?!) 梨花がどれだけ昭和58年を繰り返していたか、最早本人ですらわからなくなったというが……。 膨大な回数の分、彼は鷹野さんに殺されている。事態の大きさを、初めて聞かされた彼が理解できないのはまだわかるけど……。 でも、説得できるとはとても思えないのはあたしだけじゃないはずだ。 菜央(私服(二部)): お気持ちはわかりますけど、それって現実的に可能なんですか?ひとつ間違えたら、取り返しが――! 梨花(私服): ……菜央。それは富竹も、わかっていることなのですよ。 思わずいきり立ちそうになったあたしを、梨花はそう言ってとりなす。そして再び、富竹さんに視線を向けていった。 梨花(私服): 富竹……確かに鷹野は、あなたのことを憎からず思ってはいると思います。 梨花(私服): ただ、ボクから見た彼女は、私情よりも自らの信念を優先できる人だと思うのです。 梨花(私服): 一度決めたことを覆すのは、容易ではないと思いますのですよ。 富竹: あぁ……わかっているよ。大勢の人たちの命がかかっているのだから、今すぐ彼女を止める必要があることもね。 魅音(私服): それに……『終末作戦』が実行されたら、鷹野さんの信念も闇に葬り去られることになるんだし、結局破滅にしかならないよね? 富竹: うん……たぶん、そうだと思う。 富竹: だから、僕が鷹野さんの#p思惑#sおもわく#r通りに死ぬことは……彼女が向かおうとしている地獄への道を舗装することになる。 富竹: だったら先手を取って、強引に止めたほうがいいに決まっている。たとえそれで、彼女に恨まれることになったとしてもね。 富竹: ただ……梨花ちゃん。僕は彼女に対して、真摯な人間でいたいんだ。 富竹: ちゃんとできる手を打ったうえで、未然に済むようにことを進めたい……甘い考えだと、自分でもわかっているんだけど。 梨花(私服): 富竹……。 静まりかえった高台に、富竹さんの固く決意に満ちた声が響き渡る。 菜央(私服(二部)): …………。 あたしは反射的に、隣の梨花を見る。 前原さんと魅音さんからも視線を向けられ、全員の意識が集中する中……。 梨花(私服): ……わかったのです。 梨花は、頷いた。 菜央(私服(二部)): は、はぁっ……?! ひっくり返ったような声が出たのは、センスがないと思う。……でも、それくらいに梨花の決断は受け入れがたいものだった。 菜央(私服(二部)): (この子、正気なの……?!) 梨花(私服): みー……どうしたのですか? 菜央(私服(二部)): ど……どうしたもこうしたも、説得に失敗したらどうなるのよっ? 菜央(私服(二部)): 最悪、富竹さんが殺されるタイミングが早まるだけって事態も考えられるでしょ?! 梨花(私服): ……菜央の言うことは、もっともなのですよ。 梨花(私服): でも、この件の鍵は富竹の手にある。その鍵をどう使うかは富竹にしか決められない。 梨花(私服): 富竹が今の話を半分信じてくれただけでも、ボクからすれば十分奇跡なのですよ。 富竹: ごめん、梨花ちゃん……全部を信じてあげられなくて。でも、僕は……。 梨花(私服): いいのですよ。 全てを受け入れたように梨花は優しく微笑む。その笑顔を前に、富竹さんは安心したようにほっと息をついていた。 菜央(私服(二部)): …………! 対してあたしは、2人に対して恐怖にも似た危機感を抱く。そして、助けを求めるように背後を振り返った。 菜央(私服(二部)): 前原さん、魅音さん……! 魅音(私服): いや、うん……菜央ちゃんの懸念する気持ちはわかるけど、梨花ちゃんの言うこともわかるんだよね。 魅音(私服): 富竹さんが立場を利用して強権を発動したとしたら、間違った時に目も当てられないだろうし……。 圭一(私服): 富竹さんからすれば、自分の好きな人が大量虐殺しようとしてるから信じろって言われているようなものだからな……。 圭一(私服): 正直、すぐに受け入れる方が無理だぜ。 菜央(私服(二部)): …………。 菜央(私服(二部)): (あたし、だけなの……?) この場で反対しているのは、あたしだけ。3対1。勝ち目なんて、ひとつもない。 菜央(私服(二部)): (あぁ……そっか) 信じられない思いを抱えながら、心のどこかでぼんやりと思う。 菜央(私服(二部)): (あたしは……やっぱり、この3人とは違う「世界」の人間なんだ……) どうして、こんな簡単なことを忘れていたのだろう。 梨花たちは昭和58年の雛見沢の人間。あたしは、平成5年の東京の人間。 『雛見沢大災害』という名の『終末作戦』が実行されれば、自分たちが死ぬだけでは終わらないことを……彼らは知らないのだ。 菜央(私服(二部)): …………。 呆然と黙り込むあたしを見て、ひょっとしてこちらの意見を軽んじてはいけない、とでも考えたのだろうか。 梨花は表情を引き締めると、再び富竹さんに向き直っていった。 梨花(私服): ……富竹。鷹野を説得できれば、それが一番だとボクは思っているのです。 梨花(私服): ただ菜央の言う通り、説得できなかった場合はどうするかも考えてほしいのですよ。 富竹: それは、うん……わかっているよ。 富竹: まだ理解がついていかないから、君の言うことをすぐに受け入れるとはとても言えないけど……。 富竹: けど、なるべく君の言うことには耳を貸すよ……だから。 富竹: そこにいるお友達にも、出てくるように言ってもらえないかい? 菜央(私服(二部)): (……お友達?) 富竹: 僕が境内に入ったあたりから、ずっとつけていることには気づいていたよ。 言いながら、富竹さんは背後に視線を向ける。 富竹: 僕の仲間ほどじゃないけど、上手に気配を消しているね。注意しなかったら、気づけなかったかもしれない。 梨花(私服): ……知らないのです。 富竹: えっ……? 梨花(私服): ボクは知らないのですよ。……魅ぃ? 魅音(私服): えっ? いや、私は誰も連れてきていないよ。だから園崎の関係者とかじゃないって。 圭一(私服): ……誰か、他にいたってのか? みんなの不審げな声が、遠くに聞こえる。 菜央(私服(二部)): (……もしかして) この神社の境内には、祭具殿がある。 もしかして、もしかして、もしかして……?! 菜央(私服(二部)): (一穂が、追いかけてきてくれた……?!) 梨花(私服): そこの人。よかったら、出てきてくださいなのですよ。 梨花が声をかけると、静まりかえった高台にゆらり、と人影が現れこちらに近づいてきた。 菜央(私服(二部)): (あ、あ、ああっ……!) 内側で渦巻いていた不安が吹き飛ぶような期待に胸を躍らせる中。 月明かりのスポットライトの元に現れたのは……! 赤坂: ……申し訳ない。盗み聞きするつもりはなかったんだが、出るタイミングを見失ってしまってね。 赤坂: 図々しいとは思うんだけど……私の話も聞いてくれないだろうか。 現れたのは……美雪のお父さんだった。 Part 03: 富竹: ……誰だ? 突然現れた成人男性を前に、富竹さんがさっと全身に緊張を走らせて警戒心をにじませる。 が、次の瞬間に梨花が発した一言は、その張りつめた空気を打ち破るものだった。 梨花(私服): あ、赤坂……?! 富竹: えっ……?もしかして、梨花ちゃんの知り合いかい? 梨花(私服): 赤坂は味方なのです。東京……警視庁公安の刑事なのですよ。 富竹: 公安の、刑事……?! 梨花(私服): でも……どうして赤坂が、ここに……? 目に見えて動揺している梨花に、前原さんがそっと寄り添うように近づいて耳打ちする。 その声は小さかったけれど、梨花の近くにいたあたしにはなんとか聞き取ることができた。 圭一(私服): えっと……梨花ちゃん、なんでそこまで驚いているんだ? 梨花(私服): みー……来るタイミングが早すぎるのです。こんな時期に赤坂が来たことは、今まで一度もなかったのですよ……。 圭一(私服): ということは……想定だともっと遅かったのか? 梨花(私服): ……はいなのです。 梨花はそう言って、怪訝な面持ちで頷く。それを見て富竹さんは、戸惑いながらも赤坂さんに向き直っていった。 富竹: 梨花ちゃんの知り合いだとしても、どうやら呼ばれてきたわけではなさそうですね。……ここにいる理由、聞かせていただけますか? 赤坂: はい。正直に言いますと私はこの段階では、この#p雛見沢#sひなみざわ#rを訪れることを梨花ちゃんたちに伝えるつもりはありませんでした。 赤坂: ただ……富竹さんでしたか?申し訳ありません、先にこの子たちと話をさせてもらいたいのですが。 富竹: ……どうぞ。ただ、口は挟みませんのでこの場には同席させてもらえますよね? 赤坂: もちろんです。 軽いやりとりを終えて、富竹さんは交代とばかりに一歩、あたしたちから距離を取る。 反対に歩み出た赤坂さんは、あたしと前原さん、魅音さんを順番に見つめてから……。 子どもに対するものとは思えない、丁寧な仕草で頭を下げていった。 赤坂: そっちの3人は、はじめましてだね。私は赤坂衛……警視庁公安部の者です。 赤坂: まずは……梨花ちゃん、久しぶり。私のこと、覚えているかい? 梨花(私服): ……もちろんなのですよ。 赤坂: ありがとう。それと、盗み聞きみたいな真似をしてすまなかった。それは謝らせてほしい。 魅音(私服): みたいな……じゃなくて、完全に盗み聞きそのものだったと思いますけどね? 圭一(私服): お、おいおい魅音……。 軽いながらもトゲのある魅音さんの指摘を、前原さんが慌てていさめようとする。 でも赤坂さんは特に気にした様子もなく、明るく笑ってみせた。 赤坂: あぁ、その通りだ。本当に申し訳ない。その失礼は、もう一度ここで謝らせてほしい。 菜央(私服(二部)): …………。 梨花にとっては違うようだけれど、あたしたちにとって彼は刑事というよりも美雪のお父さんという認識の方が強い。 でも……今この瞬間、ここにいるのは刑事としての赤坂衛だ。 それをいち早く理解した魅音さんが警戒するのも無理はないし、前原さんが切り替えについていけないのも当然だ。 もっとも、あたしにとってはそれ以前の問題……彼が信用に値するか、見極めている段階だった。 梨花(私服): みー……赤坂、ひょっとして富竹をつけていたのですか? 赤坂: ……ごめん、梨花ちゃん。それは今の私には答えられない。……ただ。 赤坂: 『東京』、という組織については、すでに私の方で調査を進めている。これだけは伝えさせてほしい。 梨花(私服): えっ……? 思わぬ単語が思わぬ人から飛び出したことに、この場が困惑した空気に包まれる。 そして、話題の主導権を握った赤坂さんはあたしたちを見つめ……表情を改めると、おもむろに言葉を繋いでいった。 赤坂: その上で、みんなに提案させてくれ。……私たちと、手を組もう。 魅音(私服): はぁ……?手を組むって、いったいどういう意味? 赤坂: 言葉の通りに受け取ってもらって結構だ。一時的に公安の「協力者」として情報提供をお願いしたいと思っている。 菜央(私服(二部)): ……っ……。 いきなり現れておいてのこの申し出に、あたしはもちろん梨花や前原さんたちも即答できず……押し黙ってしまう。 あやふやな説明に加えて、不可解な要請……はっきり言って、胡散臭いことこの上ない。魅音さんなどは、嫌悪感すら見せているほどだ。 菜央(私服(二部)): (美雪のお父さんって、こんなにも強引に話を進める人だったの?ちょっとイメージが変わったかも……かも) と、そんな場の停滞を汲み取ったのか、前原さんがひとり前に歩み出ると正面から赤坂さんに向き直っていった。 圭一(私服): いや……赤坂さん。あんたには、2つ前の「世界」で力を貸してもらったけど……さすがにその言い方はないと思うぜ。 魅音(私服): そうだよ……! だいたい、以前の「世界」でもあんたはどうして雛見沢に来たのか、その理由を話してくれなかったじゃんか。 魅音(私服): あんたのことは敵じゃない、とは思いたいけど説明もなく協力してくれって言われても、はいそうですかって応じられるわけがないでしょ? 赤坂: そうだね……すまない。とはいえ、私も公安の立場上確定していないことはおいそれと話すことができないんだ。ただ……。 梨花(私服): ただ……なんですか、赤坂? 赤坂: 私は、この村には愛着を持っている。……いや、恩があると言ってもいい。 赤坂: だから、この村を他人に好き勝手にされるかもしれない状況を、見過ごすことはできない。 赤坂: だけど……かといって今の私は、あまり表立って動けない立場にある。そこで君たちに、私の「協力者」になってもらいたいんだよ。 菜央(私服(二部)): 「協力者」って……あなたたち、公安のですか? 赤坂: あぁ。もちろん、無理な頼みはしない。それに、危険が全くないとは言えないけど……引き受けてもらえるなら、こちらも誠意を尽くす。 赤坂: それだけは、ここで約束させてくれ。 力強い宣言……だけどまだ、あたしたちは困惑したままお互いの顔を見合わせる。 これでは、さっきの富竹さんと立場が逆だ。信じるか信じないか、選択を迫る側だったのにいつのまにか迫られる側に転じている……。 赤坂: まぁ……戸惑うのも無理はないだろうね。私も、今の話を聞くまで君たちのような子どもにこんなことを頼むつもりはなかった。 赤坂: だけど……君たちのためにも、そしてそこの富竹さんや同僚の女性のためにもこれが最良の選択になると信じている……。 梨花(私服): …………。 赤坂: とはいえ、すぐには信じられないのはわかる。だから、信用してもらうための証拠として……私が今追っている捜査内容を一部明かそう。 魅音(私服): 証拠……? 赤坂: ……鷹野女史が思い描く作戦とは別方面にて、『雛見沢症候群』に発症した村人が異常行動を起こすまでの計画が進められている。 富竹: なっ……! それまで、口は挟まないと宣言したはずの富竹さんが動揺した声を発する。そんな彼を横目に、魅音さんが聞き返していった。 魅音(私服): 『雛見沢症候群』を用いた計画って……その話は、どこで聞いたんです? 赤坂: すまない、それは明かせられない。 赤坂: ただ……実際のところ鷹野女史の研究は、かなりの部分で認められている。それを横取りしたい勢力があるんだよ。 梨花(私服): ……みー? その言葉に、梨花が目を丸くする。彼女にとっても、それは意外な事実だったようだ。 梨花(私服): 鷹野の研究は評価されず、終わることが決まった……そうじゃなかったのですか? 赤坂: ……評価というものは1人で決めるものと、複数で決めるものがある。 赤坂: 誰かにとって価値がないという事実があっても、別の誰かにとって価値があるものだったりする。 赤坂: まさに今回は、その典型的な一例だよ。 梨花(私服): …………。 赤坂さんの言葉に、梨花は困惑したように言葉を失って呆然と黙り込む。 鷹野さんの研究は評価されず、その失望から彼女は凶行に走る……その経緯と結末を主張していたせいだろう。 でもあたしは、彼の言うことを反発することなくすんなりと受け入れていた。 菜央(私服(二部)): (なるほど……ここはそういう「世界」なのね) ――最初の「世界」では、『ツクヤミ』なんてわけのわからない怪物が我が物顔で歩いていた。 ――次の「世界」では梨花が死んだものと扱われ、絢花さんがその代理に就いていた。 鷹野さんが実は評価されていたということも、それらと同じ……「世界」が違うということだ。 菜央(私服(二部)): (つまり、その変化があったから……美雪のお父さんは梨花が知ってる「世界」よりも早く雛見沢にやってきたってわけか) そういうことだと受け入れれば、彼が雛見沢に来るタイミングの誤差はあたしにとって理解できる範囲だった。 赤坂: 現状、『雛見沢症候群』の研究は鷹野女史が所有している……。それを手に入れたい勢力がいるんだ。 菜央(私服(二部)): ……だったら、鷹野さんを殺して研究成果だのを奪えばいいだけでしょ。敵がそうしてこない理由はなに? 圭一(私服): お、おいおい菜央ちゃん。富竹さんの前でそういうことは……! 富竹: はは……ありがとう、圭一くん。でも、彼女がそう思うのも無理はない話だよ。 富竹: とはいえ……僕も詳しいことは知らないけど、研究の世界というのはとても複雑らしくてね。 富竹: 横取りしたい人は、仮に鷹野さんが事故死してもその研究を引き継げる立場にない……そういうことですよね、赤坂さん? 赤坂: 今の私からは、なんとも。ただ、確実なことは……。 赤坂: 鷹野女史は『雛見沢症候群』の効能をアピールするために大きなイベントを実行に移すように仕向けられて……。 赤坂: その責任を全て、押しつけられようとしている。……つまり、体のいい生け贄です。 富竹: な……ッ? 赤坂さんの端的ながらも嫌悪を滲ませた説明に、ようやく余裕を取り戻しかけていた富竹さんは再び絶句して目を見開く。 そして、何か思い当たるものがあったのか……血管が浮き上がるほど握りしめた彼の拳は、微かに震えているのが見て取れた。 圭一(私服): なるほど……つまり鷹野さんは、貧乏くじを引く立場に追いやられてあぁ言う行動に出たってわけか。 魅音(私服): 私たちも前に殺されかけているし、同情するわけじゃないけど……相当追い詰められたんだろうね。 梨花(私服): ……みー。だとしたら富竹が説得するのは、難しいかもしれないのです。 圭一(私服): いや……鷹野さんは騙されているって証拠を富竹さんが集めて突きつけることができれば、もしかすると可能かもしれない。 魅音(私服): 確かに……ね。今の状況だと鷹野さんが思いとどまるかどうかは、富竹さんの誠意と熱意にかかっているけど……。 魅音(私服): 騙されている物証があれば、あの人を止められる可能性はさらにあがるかもだね。 菜央(私服(二部)): ……。ただ、証拠を集めるにしてもとにかく時間はなさそうね。 富竹: あぁ……そうだね。だから梨花ちゃん、みんな。 富竹さんに声をかけられ、顔をあげる。 彼はあたしたちを見ながら、さっきまでとは違う種類の固い決意を瞳に、そして拳にみなぎらせていた。 富竹: 梨花ちゃんが見た記憶の中で、彼女はとても……とても酷いことをしたんだろうね。 富竹: けど僕は、鷹野さんが酷いだけの女性じゃないことを……知っている。 富竹: だから、あの人を食い物にしようとしているヤツがいるなら、それを絶対に許したりはしない……!! 富竹: 絶対に僕が、鷹野さんを救ってみせる……!だからどうか、協力して欲しい……! 富竹さんが、静かに頭を下げる。 自分の半分以下の年齢の子どもに、頭を下げる。それがどれほど必要だとしても、実際にはどれほど難しくて、苦しみを伴う行為なのか……。 あたしは、母の仕事を通して知っていた。 圭一(私服): ……なぁ、赤坂さん。 と、頭を下げる富竹さんを見ながら前原さんはぽつり、と赤坂さんに問いかけていった。 圭一(私服): その「協力者」ってやつになったら……鷹野さんを助けられるのか? 赤坂: もちろん、全力を尽くすつもりだ。……ただ、申し訳ないが約束はできない。 圭一(私服): だとしても……可能性は少しでもあげられるってわけだよな? 赤坂: ……あぁ。それだけは、誓ってもいい。 圭一(私服): なら、やらないって選択肢はないぜ! にやり、と前原さんは不敵に笑ってみせる。 でもあたしはその笑みに頼りがいではなく……むしろ不安がひたひたと忍び寄ってくるような、そんな感覚に苛まれていた。 菜央(私服(二部)): ……。どうするの、梨花? 梨花(私服): ……富竹、頭をあげてほしいのですよ。 富竹: …………。 ゆっくりと頭を上げた彼のメガネに、梨花の顔が……映り込む。 梨花(私服): こうなったら、是非もなしなのです。一緒に、鷹野を助けましょうなのですよ。 富竹: っ……梨花ちゃん、ありがとう。 菜央(私服(二部)): いいの……? 鷹野さんは、あんたを殺そうとしているのよ。 梨花(私服): ……ボクは知っているのです。計画を打ち破った後の鷹野は、まるで憑きものが落ちたようでした。 梨花(私服): ボクたちを殺す計画が完遂したとしても、鷹野が幸せになれるとは思えないのですよ。 菜央(私服(二部)): …………。 言いながら梨花は寂しげに目を細める。その顔を見て、あたしは……。 菜央(私服(二部)): (……怖い) あまりにも優しくて……優しすぎて。なんだか目の前の梨花が……怖い、と思ってしまった。 最初の「世界」で、梨花の姿をした何かに殺意を向けられても……前の「世界」で枯れ枝のようになった梨花を見た時も……。 恐ろしいだなんて、微塵も思わなかったのに。 菜央(私服(二部)): …………。 押し黙るあたしの隣で、前原さんがふむと大きく頷く。そして、 圭一(私服): ……つまり今の鷹野さんは、取り憑かれているような状態ってことか。 魅音(私服): はぁ……耳が痛いなぁ。私もあんまり、他人のことを言えないからさ。 圭一(私服): あの件だったら、魅音のせいじゃないだろ。 魅音(私服): それはそうだけど、一歩間違えたらって考えると……ね。 菜央(私服(二部)): …………。 言い方はぼかしているけれど、最初の「世界」の時に診療所であたしたちを焼き殺そうとしたことを指しているのだろう。 その台詞を聞いて……ふと、あたしの頭に別の思いが浮かび上がる。 レナ: ……あれ、本当に魅ぃちゃんかな? 夕方、レナちゃんがぽつりとこぼした言葉……。 菜央(私服(二部)): (魅音さんが取り憑かれたことは、あの場にいた詩音さんも知ってる) 菜央(私服(二部)): (わからない……この人は魅音さんなの?それとも、詩音さんなの?) もしもこの人が、詩音さんだとしたら……? 絢花さんの時と同じように、何も知らない顔で振る舞って……。 最後に、あたしたちを殺そうとしてくる可能性だって……完全には否定できない。 そう考えると、素直に言葉通り受け取っていいものかは正直言って判断に迷うところだ……。 魅音(私服): で……赤坂さん。 魅音(私服): 確認したいんですけど、あなたにとってのメリットはなんですか? 赤坂: 私の……メリット? 魅音(私服): 今の話って、私たちだけが得してませんか?もしそうだとかえって、不安になるんですが。 魅音(私服): こっちのメリットしか提示しない相手と共闘はできません。 魅音(私服): 後出しでこっちの不利益になるようなメリットを出されても困りますので。 赤坂: その通りだね。ただ、私にも色々あって……申し訳ないけど、詳細は言えない。 魅音(私服): 立場上、そう答えるしかないのはわかります。でも……。 赤坂: ただ――。 魅音さんの声を遮る、固く鋭い赤坂さんの声……初めて聞くそれは、美雪のお父さんではなく警察官という肩書きに相応しい力強さに満ちていた。 赤坂: 今回のおかしな作戦を止めてくれるだけで、私としてはちゃんとプラスがある。その点については、誓ってもいい。 菜央(私服(二部)): ……。それって、あなたの妻と……娘に? 赤坂: ……えっ? 固く険しい表情が、一瞬わずかに揺れた。その隙を逃さず、たたみかける。 菜央(私服(二部)): ……どうなの? 妻と娘に誓えるの? 赤坂: あぁ……。もちろん、妻と娘に誓うよ。 突然出てきた妻と娘という言葉にやや戸惑いながらも、彼は頷くことはためらわなかった。 菜央(私服(二部)): …………。 それを見て、確信をもつ。彼が信用できるか否か、ではなく……。 菜央(私服(二部)): (……この「世界」では、美雪は生まれてる) 一穂はいなかった、と梨花はあたしに言った。 絢花さんがいた前の「世界」でのこともある。美雪がこの「世界」で無事に生まれなかった可能性については、当然思い至っていた。 だからこの「世界」では、彼女が生まれたことを確信して……ほんのちょっとだけ、嬉しかった。 魅音(私服): ……どうするのさ、梨花ちゃん。 梨花(私服): ボクは、赤坂のことを信じるのです。 梨花(私服): 頭首でないボクにどれだけのことができるかはわかりませんが、可能な限り協力するのですよ。 圭一(私服): 梨花ちゃんが信じるなら、言うことはないな。俺も協力するぜ。 魅音(私服): うーん、まぁ梨花ちゃんと圭ちゃんがそう言うなら……。 やや煙に巻かれた感は否めないものの、魅音さんも迷いつつ今のところは協力する方向で納得したようだ。 富竹: 赤坂さん、と言いましたね。後で、少しお話させていただいてもいいですか? 富竹: ……と言っても、お互いに込み入った話はできないかも知れませんがね。 赤坂: もちろんです。今のうちに、話せる範囲だけでも話しておくに越したことはないでしょう。 大人たちも互いに話をつけるのだろう。だとしたら、残るのは……あたしだけだ。 菜央(私服(二部)): 赤坂さん。ちょっと確認したいことがあるの。 赤坂: なにかな? 彼に近づき、しゃがむように手で指示を出す。 赤坂さんは不思議そうにしながらも、自然な仕草で膝を折ってあたしの口元に耳を寄せた。 菜央(私服(二部)): イエスかノーで答えて。 赤坂: ……あぁ、いいとも。 そういう応対と仕草が慣れているように見えるのは、いつも娘にしているせいだろうか。 その所作が、彼がこの「世界」でも美雪のお父さんである証拠のような気がして、僅かに嬉しくなったけれど……。 内心を気取られないよう、声を低くする。 菜央(私服(二部)): あなたが今住んでるのは……警察の社宅? 赤坂: えっ? あ、あぁ……それが、何か? 菜央(私服(二部)): イエスでいいのね。……もういいわ、ありがとう。 あたしはそれだけ確認して軽いステップで彼から距離を取り、前原さんのもとへと帰還する。 圭一(私服): どうしたんだ、菜央ちゃん? 菜央(私服(二部)): ちょっと確認しただけよ……あたしも梨花に賛成。信じるわ。 嘘をついた。……いや、何もかもが嘘なわけではない。 ただ、彼を信じるかどうかという結論は、あたしの中で「イエス」寄りの保留に着地しただけだ。 ……といっても実は、あたしは彼にこう質問しようとしていた。 ――あなたの娘の友達に、サメが好きな子はいる? もちろん千雨のことだ。それが確認できれば、この人があたしの知っている美雪のお父さんとほぼ同じだと、確信を持つことができる。 ……でも、直前に思いとどまった。 菜央(私服(二部)): (昭和58年のこの時点で、美雪と千雨が友達かどうかも、千雨がサメ好きかもわからないし……) とはいえ、この「世界」の美雪は5歳で……少なくとも社宅に住んでいることはわかった。 だから、少しずつ折を見て確認していくしかない。 菜央(私服(二部)): (この赤坂衛を、本当に信じていいのか……を) Part 04: ――夜が明けて、翌日の朝。 菜央: ……ん、……ぅ……。 目を覚ましたあたしは、むくりと布団から起き上がり……ふと日差しの暖かさを感じて、窓へ顔を向ける。 すると、カーテンレールのところでハンガーにかかっている、黒いワンピースが視界に入ってきた。 あたしが学校への制服代わりにしている、見慣れた服。……誰がどうやって、この部屋に持ち込んだのかはわからない。 でも、これがあたしの前に現れたのはつまるところ今日から#p雛見沢#sひなみざわ#rの分校に行け、という何者かによる合図なのだろう。 菜央: (まぁ3度目となると、薄気味の悪さもそこまで感じないわね……) 得体のしれない輩の#p思惑#sおもわく#rに従わされるのは忌々しい気分だけど、かといってこの家にとどまったところで話は進まない。 それに何より、学校に行かないとなればお世話になっている前原さんのご両親にいらぬ心配をかけてしまう。 菜央: (……仕方ない。言う通りにしてやるわ) 内心でそう呟きながらあたしは立ち上がり、ワンピースを手に取って袖を通す。 ……あぁ、そうだ。今はまだその時じゃないのだから、大人しく従ったふりを続けておこう。 ただ、そのかわり……。 菜央: (「その時」が来たら……見てなさい……!) 洗面所を借りて身支度を整え、リビングでママさんが作ってくれた朝食をとる。 あたしや美雪が作る料理より見栄えがよく、なにより栄養バランスをよく考えた献立だ。……ちょっとだけ前原さんが羨ましい。 圭一の母: そういえば圭一って、最近はなんだか上品に食べている感じね。やっぱり菜央ちゃんがいるからかしら? 圭一: そ、そんなことねぇよ!今までだってちゃんとこぼさないように食べていただろうが! 圭一の父: ん、そうか?以前はもっとがつがつご飯とおかずをかき込んでいた気がするんだがな。 圭一: お、親父までなんだよ……ったく。 圭一の母: ふふ……でも、菜央ちゃんはとてもきれいに食べてくれるから、おばさんも作りがいがあるわぁ。 圭一の母: 食べたいものがあったら、なんでも言ってちょうだいね。夕飯もおばさん、腕を振るっちゃうから。 菜央: あ、ありがとうございます……。 そんな感じに、前原家の団らんの中であたしは少しだけ居心地の悪さを覚えながらひた隠しに隠して、朝食を済ませて。 前原さんと一緒に、彼のご両親に挨拶をして家を出る。 ……3度目の初登校の朝は、一緒に行く人が変わったもののこうして平凡に始まった。 通学路を少し歩き、やがて見えてきた水車小屋の前で待っていた魅音さんと合流して、あたしたちは3人で登校の道を歩き始める。 前原さんと一緒に登校するのは、これが初めてだ。後ろ姿は一穂や美雪より大きくて、男の子なんだと感じさせられる。 圭一: で、……と思うんだが、魅音はどうだ? 魅音: うーん、それは……じゃないかな……。 あと、魅音さんと話し込んでいる様子だが……声が小さくて聞き取ることができない。 ひょっとして、あたしには聞かせたくない内緒話でもしているのだろうか。それとも、これはただの考えすぎ……? 菜央: …………。 居心地の悪さをごまかすように、あたしはおとがいを反らして空を見上げる。 晴れやかな、昭和58年6月の朝……景色は以前の「世界」とほとんど変わらず、雛見沢は「まだ」平和な気配だと思う。 なのに、こんなにも不安な気分になるのは一穂と美雪がいないからだろう。そして……。 圭一: なぁ魅音……レナって、まだ時間がかかりそうか……? 魅音: ん、まぁ……いつもの待ち合わせ場所に時間になっても姿を見せないってことは、そういうことだろうね。 菜央: ……っ……。 ふと聞こえてきたレナちゃんの話題にあたしは顔を戻してわずかに足を速め、そっと近づきながら耳をそばだてる。 先日も話していたように魅音さんは、定期的に電話をかけたりして彼女の様子を確かめてくれているらしい。 菜央: (そういえば、レナちゃんに会ったこと……2人には言ってなかったわね) ただ、どうして内緒にしているのか……それには、ちゃんと理由があった。 菜央: (だって、この魅音さんが本物の魅音さんか、もしくは詩音さんと入れ替わってるのか……まだわからないもの) その答えは、今のところまだ出ない。前原さんに相談しても、判別は難しいだろう。 菜央: (前の「世界」だと当の本人に会ってたのに、詩音さんが魅音さんと入れ替わってたことに気づいてなかったみたいだしね……) とはいえ、あたしもルチーアにいた彼女と連絡を取るまでわかっていなかったのだから、非難なんてできる立場ではない……。 菜央: (……ルチーアに、電話をかけられないかな。あ、でも万一あっちが「魅音」さんだったら連絡を取れば、逆効果になるかも……かも) 菜央: ……っ……? と、魅音さんとの距離がいきなり縮まったのを感じたあたしは、思わず躓きそうになりながらも辛うじて衝突を避ける。 そして視線を向けると、いつの間にか2人は立ち止まっていて……あたしを心配そうにのぞき込む顔が目に映った。 圭一: えっと、菜央ちゃん……。 おそらく2人とも、あたしのことを心から気遣ってくれているのだろう。それは、すごく伝わっている……でも……。 魅音: あー……じゃあさ、菜央ちゃん。今日の学校が終わったらみんなでレナの家に行っちゃおうよ! 圭一: おっ、いいぜ!俺もそろそろレナと会っておかないと、あいつの顔を忘れそうだしな~! 魅音さんと前原さんはそう言って、努めて明るい声を出しながらとても魅力的な提案をしてくれる。 ……2人の気持ちはありがたいと思いつつ、考え込んでいたのはそれじゃない。 ただ、ここで主張するのも申し訳ないのであたしはあえて笑顔を作ることにした。 菜央: そうね……。だったら何か、おいしいものを差し入れしてあげたら喜んでくれるかも……かも。 圭一: おっ、それはいいアイディアだな!まぁ菜央ちゃんを連れて行ったら、レナも喜んで飛び出してくるんじゃねぇか? 魅音: あー、手土産持参で誘き出すみたいな?そういう神話みたいなの、よくあるよね。 魅音: だったらせっかくだし、菜央ちゃんにレナ好みの可愛い服を着せて連れて行くってのはどう? 圭一: はははっ! レナのことだ、はぅ~、かぁいいよ~って叫びながら家から飛び出してくるかもなー! 魅音: ……あれ? 私と圭ちゃんがレナのパンチで殴り飛ばされる未来が見えたんだけど……。 圭一: いいじゃねぇか!それでレナが元気になるんだったら、パンチの1発や2発、なんてことないぜ! 圭一: まぁ、でも……念のために俺は、腹に雑誌でも入れておこうかな。 魅音: あっ、圭ちゃんずるい! あたしのために、わざとらしいほど笑って……2人は無理矢理明るく振るまってくれている。 予想以上に、あたしは暗い顔をして落ち込んでいたらしい。気をつけていたつもりだったのだけど……。 菜央: (そうだ……怪しまれないためにも、ここは明るく振る舞わないと) 空元気だとしても、別にいい。たとえあとで反動が来たとしても、ここはちゃんと「演じて」みせないと……。 菜央: ……あたし、センスのない服は着ないから。せめてちゃんと選ばせてよね。 魅音: ほぉぉ~、おじさんのセンスを試そうって?くっくっく、んじゃ菜央ちゃんの度肝を抜く超センス抜群の服を準備してあげるよ! 圭一: おっ、菜央ちゃんの着せ替えゲームか?だとしたら俺の圧勝決定だな! 菜央: あら、自信満々ね。前原さんって、そんなに威張れるほど服のセンスがあったのかしら? 圭一: ははっ、任せておけ!レナの趣味は、俺が一番わかっているからな! 菜央: そう断言できる根拠はよくわかんないけど……レナちゃんのことだったら、あたしの方が1枚も2枚も上手だって見せてあげるわ♪ 魅音: 菜央ちゃんも自信満々だねぇ……なら、おじさんともセンスバトルで勝負だよ! 魅音: もちろん負けたほうは、罰ゲーム!くっくっく……それ用の衣装も、ちゃぁんと準備しておかないとね~。 圭一: へっ……あんまりな衣装を用意しておくと、あとで自分が泣くことになるぜぇ……? 菜央: ふふっ……あたし用のサイズの罰ゲーム衣装を前原さんが着たら、すごいことになりそうね。いろんな意味で。 圭一: おわっ……菜央ちゃんまでそういうことを言って挑発してくるのかっ?いいぜ、後悔しても知らねぇからな~! 菜央: ふふっ……。 菜央: (あたし……ちゃんと、笑えてるわよね) 怪しまれないため、心配させないためにも笑わなければいけない。 そうだ。ちゃんと笑わないと、笑わないと……。 …………。 でも……意識すればするほど、顔が引きつるような気がする。 それが錯覚なのか現実なのか、鏡のないここでは確かめようがない。 だから念のため、大丈夫……と、もう一度自分に言い聞かせようとして――。 レナ: ま……待って、待ってー! 背後から聞こえて来た声に……足が、止まる。 レナ: 魅ぃちゃん! 圭一くーん!菜央ちゃん~っ! 菜央: えっ……?! 反射的に振り返る。 田んぼのあぜ道から、鞄を片手にしてこちらへ向けて跳ねるように駆けてくるのは……。 そう、こっちにやってくるのは……! 菜央: レナ……ちゃん? レナ: はぁ、はぁ、よ、よかったぁ……!けほっ、けほけほっ……。 全力で走ったせいだろうか。あたしたちの元へたどり着くと同時に、彼女――レナちゃんは軽くむせ込む。 圭一: っ……! と、あたしの横をつむじ風のように素早く通り過ぎた前原さんが、少し丸まったその背中に回り込んでいった。 圭一: だ……大丈夫か、レナっ? 確かめるように、その名前を呼ぶ彼の目は心なしか……潤んでいるようにも見えた。 レナ: う……うん。ありがとう、圭一くん。久しぶりに声を出して走ったから、ちょっとせき込んじゃったよ……はぅ。 圭一: お前……いいのか……?もう、平気……なのか? レナ: ……うん! そう言ってレナちゃんは、曲げていた腰をまっすぐにしながら、前原さんに顔を向け微笑みを返した……! レナ: それに、あんまり休んでいると授業についていけなくなりそうだもん。1日でも早く、取り返さないとねっ。 魅音: あ……は、はっはっはっ! 次の瞬間、魅音さんが破顔とともに大きな声で笑い出す。 そしてぐすっ、と鼻をすすり上げ……湿り気味の言葉を明るく響かせながら親指を勇ましく立てていった。 魅音: 大丈夫だよ、レナ!たとえ1年や2年遅れたって、一瞬で巻き返せるように教えてあげるよ! 魅音: 圭ちゃんがね! 圭一: って、俺頼みかよ?! 魅音: そりゃそうでしょ。私に教えられるはずないじゃんか、違う? 圭一: 胸を張って言うなよ、そういうこと……。 レナ: ……あははは、そうだね。圭一くんに聞けば、わからないことはなんでも教えてもらえそうだね……はぅ。 菜央: ……っ、……ぁ……。 冗談と笑い声が入り交じる3人の会話を、あたしは声もなく……見つめる。 ……何も言えなかった。でも、言いたいことは胸の内でたくさん、あふれそうなほど渦巻いていた……! 菜央: ……ぁ、ぅ……ぁ……。 言葉が、うまく出てこなくて……。手と足が、うまく動かせなくて。 唯一できる、見るという行為すらなぜか目の前が歪んで……まともにできなくなって……っ! 菜央: …………。 そんな、今にも弾けそうな気持ちで立ち尽くすあたしに、レナちゃんは自ら優しく歩み寄ってくれた……。 菜央: ……、……ぁ……っ? レナ: 菜央ちゃん……。 にこやかに笑うレナちゃんの髪が、風に舞って……さらりと、揺れる。 ……夢じゃなかった。いや、もしこれが夢だったらもうあたしは目覚めたくなんてない……ッ!! 菜央: 一緒に、学校……行ってくれるの?もう、大丈夫なの……? 恐る恐る尋ねると……レナちゃんは、初めて出会った時と同じように……。 心からの、優しい笑みを浮かべながらあたしを見つめて……頷いてくれた……。 レナ: ……心配をかけてごめんね、菜央ちゃん。私はもう、大丈夫だから。 そう言ってレナちゃんの手が、あたしの頭を……撫でる。 レナ: ありがとう、心配してくれて。 菜央: ぁ、う……あ、ぁ……! その手の優しさに、昨日は堪えていた涙を止めるネジが少しずつ、どうしようもなく緩んでいくのが、自分でもわかる。 わかるのに……わかってるのに!ここで気を許したりしたら、絶対にダメだってわかってるのに……! 菜央: (なんで、なんで止められないのよ……!) 菜央: うっ……うぅぅっ……!ぐすっ……う、うん……っっ!! レナ: ……大丈夫だよ、菜央ちゃん。 思わずレナちゃんに抱きつくと、涙で汚れることもいとわず彼女はあたしを抱き返してくれた。 菜央: (レナちゃん、レナちゃん、レナお姉ちゃん……ッ!) きっと、たくさん悩んだのだろう。……いや、今だってひょっとすると悩み続けているのかもしれない。 でも……あたしの前に、現れてくれた。もう大丈夫、と元気づけようとしてくれた。 それだけで、あたしにはもう……十分過ぎるほどの奇跡に思えた。 魅音: ……えっと、ごめん。水を差すようで、悪いんだけど……。 菜央: ぅ、うえっ……? どれだけレナちゃんの身体にしがみついてぐずぐずと鼻をすすっていたのだろう。 泣きすぎてぼんやりする頭を抱えたあたしの視界に、申し訳なさそうな魅音さんの姿が入ってきた。 魅音: そろそろ時間がやばくて、急がないと遅刻なんだけど……。 圭一: あぁ……レナのことを、時間ギリギリまで待っていたからな。早く行こうぜ、2人とも! レナ: うんっ! レナちゃんはあたしの両肩に手を乗せると、そっと身体を引き離す。 菜央: ……あ……。 離れてしまったそのぬくもりを名残惜しく思っていると……レナちゃんは右手を差し出して、あたしの手を握ってくれた。 レナ: 行こう、菜央ちゃん。 菜央: ……っ……! ぎゅっ、と。優しく握られた手をあたしはそっと握り返す。 菜央: ……うんっ! 地面を力強く踏み込み、4人で同時に走り出した。 ……頬を撫でる風が、すごく心地良い。まるで羽が生えたみたいに、身体が軽く感じる。 このまま、どこまでも走って行ける……そんな気分だった。 Part 05: 3度目になった転入の挨拶は、もう慣れたこともあってつつがなく終了した。 そして、授業が終わった放課後は……。 魅音: はいはーい、一緒にゲームしたい子はよっといでー! 教室には魅音さんの呼びかけが威勢よく響き渡り、すぐさまそれに応じる声が次々に重なった。 レナ: あははは、はーい!レナは参加しまーす! 梨花: みー……負けないのですよ。 圭一: ……へへっ、いよいよこの時が来たか。ちなみに菜央ちゃんは、何のゲームがご希望だ? 菜央: えっと……まず、どんなゲームがあるのか教えてもらってもいいかしら? 魅音: くっくっくっ、よくぞ聞いてくれました!今日持ってきたのは、とっておきのこれだー! 魅音さんが満を持して披露したゲームを見てレナちゃんと梨花、続けて前原さんとあたしが「おぉ~!」と歓声を上げる。 と、その様子を見た沙都子と悟史さんは帰りの支度の手を止め、こちらへと近づいて興味ありげにのぞきこんできた。 沙都子: あら魅音さん、それってなーに? 悟史: 授業はもう終わりだけど……これから何かするつもりなの? 魅音: レナが元気になったお祝いに、ゲーム大会をしようと思ってね。悟史と沙都子も、どう? 梨花: みー、きっと楽しいのですよ。 圭一: ちなみに飛び入り参加は大歓迎だぜ!まっ、沙都子のことはコテンパンにしてやるけどなっ! 沙都子: い、言ったわねー! 私も参加する~!圭一さんに以前げんこつでぶたれた恨み、ここで返してあげるわぁっ! 圭一: 人聞きの悪いことを言うなよ!あれはお前が、黒板消しをぶつけてきたのが悪いんだろうが?! 沙都子: ふーんだ! あんな単純なトラップに引っかかるほうが悪いのよー! 悟史: あはは、沙都子は参加する気満々だね。 悟史: ……でも、どうしようかな。授業が終わったら早めに帰るようにって父さんたちに言われているんだけど。 沙都子: 少しくらい遅くなったって、大丈夫よ!にーにーだって、魅音さんたちと遊ぶのは別に嫌じゃないんでしょ? 悟史: それは、まぁ……むぅ……。 そう言われても悟史さんは、迷うような表情をしていたけれど……壁の時計に目を向けてから、苦笑まじりに肩をすくめていった。 悟史: やっぱり、僕も参加したいな。構わないかい、魅音? 魅音: もっちろん!えーっと、ひぃふぅみぃ……全部で7人? 圭一: なぁ魅音、このゲームって何人までならプレイが可能なんだ? 魅音: 人数制限はないはずだから、多いほうが楽しめると思うよ。ルールもわりと簡単だしね。 沙都子: へぇ……トランプみたいに数字が書いてあるけど、初めて見るわね。これってどんなゲームなの? 菜央: あれ……?沙都子って、『ユノ』を知らないんだ。結構有名だと思うんだけど。 圭一: いや……実は、俺も知らねぇんだ。レナはこのカードゲーム、やったことあるのか? レナ: はぅ……レナも初めてだよ。ねぇ魅ぃちゃん、これってどんなふうに遊べばいいのかな、かな……? 魅音: あははは! 遊び方は大貧民に近いから、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。 魅音: にしても菜央ちゃん、よく『ユノ』を知っていたねー。これって確か、去年に日本で発売になった外国のゲームなのにさ。 菜央: っ……お、お母さんが海外出張した時、お土産に珍しいゲームを買ってきてくれるのよ。それで知ってたというか……。 ついうっかり、時代を考慮しない発言をしてしまって……あたしは慌ててごまかす。 後で調べた話だと、『ユノ』は歴史こそ古いものの……日本で販売され始めたのは、魅音さんの発言通り昭和57年のことらしい。 菜央: (……これじゃ美雪のことを、笑えないわね) とはいえ、今日のあたしは浮かれていた。この「世界」で動くための用心深さを、思わず忘れてしまいそうになるくらいに。 だって……あたしは嬉しかったんだ。大好きなレナちゃんが元気を取り戻して、あの優しい笑顔を向けてくれたことが……! 魅音: それじゃ、ルールを説明するね。よかったら菜央ちゃん、手伝ってくれる? 菜央: えぇ、わかったわ。 みんなで適当に机をくっつけ、椅子を引き寄せてゲームの場を作り上げる。 そして、魅音さんが解説しながらカードを場に置いていくのに呼吸を合わせ、あたしが相手をして……。 何度かやり取りを繰り返しているうちに、他のみんなも要領を掴んだ様子だった。 レナ: はぅ……つまり色と番号、どちらを選んで場にカードを捨てるかが遊び方のコツってことなのかな、かな? 梨花: みー。確かに魅ぃの言う通り、大貧民によく似ているのですよ。 沙都子: 違う点は「革命」で強いカードが入れ替わったりしないことと、数字以外の特殊なカードがあるということね。 圭一: 順番もパスしたり、カードを出して逆向きに変えることもできるんだな……。こりゃ、戦術センスがものをいうぜ。 圭一: とりあえず、序盤は魅音と菜央ちゃんを要警戒として……沙都子を狙い撃ちするか。 沙都子: な、なんで私を~?! 圭一: お前は最近、調子に乗りすぎているからな。ここでガツンと痛い目に合わせてやるぜ!わっはっはっは!! 圭一: ぎゃあああああああ!!!! 沙都子: やったー! 圭一さんがまた最下位~! 梨花: みー、かわいそかわいそなのですよ。 圭一: き、汚ぇぞ沙都子! それと梨花ちゃん! ケラケラと笑う沙都子と梨花を睨みながら、残ったカードを片手に前原さんが吠える。 ……その気持ちは、正直わからなくもない。 魅音さんとあたし、レナちゃんに続いて悟史さんがあがり、場に梨花と沙都子と前原さんの3人が残された時……。 切羽詰まった沙都子が梨花に向かって、提案を持ちかけたのだ。 沙都子: 梨花、協力してっ!私、絶対に圭一さんを最下位にしたいの! 梨花: ……みー、楽しそうなのですよ。 圭一: はぁっ?!ちょっ、ちょっと待て梨花ちゃんっ! ……と、慌てる前原さんを無視して2人は堂々とお互いのカードを見せ合い、出す順番も調整して彼を何度も翻弄。 そして見事、前原さんを孤立させることに成功したのだ……! 圭一: のわぁぁぁあぁっ?そ、そんな馬鹿なぁぁ?! 共同作戦はその後も続き、2人はルールを覚えたてのハンデもなんのそのとばかりに大暴れして……。 結果、前原さんのひとり負け状態が延々と続く羽目に陥ったのだ。 圭一: き、汚ぇ……こんなの汚ぇぞ! 嘆く前原さんの姿は、あまりにも哀れ……ただ、あたしとしてはどうしようもない。 むしろ、以前の「世界」より関係が薄いはずの梨花と沙都子が、こんなにも息の合った作戦を繰り広げていることが微笑ましくて……。 そのための犠牲だと思えば、申し訳ないけれどここで酷い目に遭ってもらうのもひとつの手だろう。 圭一: み……魅音、こんなのっていいのかっ?アリなのか?! 魅音: いや……このゲームのルールに、「コンビプレイは不可」とはどこにも書いていないからねぇ~。 レナ: はぅ……じゃあ、菜央ちゃん。次のゲームからレナとコンビを組むのはどうかな、かな……? 菜央: え……えぇ、もちろん!一緒に前原さんをやっつけましょう!! 圭一: おいこらぁぁぁ!いつの間にレナと菜央ちゃんまで、俺の敵に回ることになったんだよぉぉぉっ!! 圭一: とにかく、コンビプレイは禁止だ!それでいいだろ、魅音っ?! 魅音: うーん、そうは言ってもルールを覚えたてじゃ多少のハンデは認めないとねー。 圭一: 俺だって覚えたてで、初心者だよ!だいたいその理論だと、ルール熟知の菜央ちゃんと組んだレナはハンデがあって然るべきだろぉぉ!! 魅音: 野暮は言いっこなしだよ、圭ちゃん。よーし、委員長権限発動!今日はコンビプレー可ってことで正式決定ー! 圭一: なんだその職権乱用はっ!お前は神か、魅音っ? いつから『ユノ』の神になりやがったんだぁぁ!! 悟史: あ……あはは。なんだか、すごいことになってきたね。 圭一: ぐっ……こうなったら悟史、次は俺と組もうぜ!共同作戦だぁぁぁ!! 悟史: うん、いいよ。……といっても、僕はさっきからビリを回避するだけで精一杯なんだけどね。 魅音: ありゃ……?それじゃ、おじさんだけ仲間外れー? 沙都子: なら魅音さん、私たちとトリオを組みましょうよ! 梨花: みー。ルールを知っている魅ぃが加わってくれたら、百人力なのですよ。 魅音: おっ、誘われちゃったなら仕方ないね~。んじゃ、2人のチームに入れてもらおうっと。 沙都子: やったー! トリオ結成~! 梨花: ぱちぱちぱち、なのですー☆ 圭一: げぇっ?! 魅音さんという強力な味方を引き入れた沙都子は、ニヤニヤと前原さんを挑発するような笑みを浮かべる。 沙都子: にーにー。前原さんを見捨ててこっちに入るなら今のうちよ~? 悟史: え、えっと……それはさすがに圭一が可哀想だから……。 梨花: みー。それでは圭一と悟史、仲良く罰ゲームなのですよ。 悟史: …………。 圭一: お、おい悟史……そんな不安そうな顔で俺を見ないでくれよ! 圭一: 頼むから、行かないでくれよ!俺を1人にしないでくれっ~! 圭一: そ、そうだ!レナと菜央ちゃんはそれでいいのか?!トリオなんてずるいと思わないか?! そう言って、一縷の望みを託して前原さんがあたしたちの同意を求めようとしてきたけれど……残念。 菜央: レナちゃんがいるなら、負ける気がしないわ。 レナ: はぅ~♪コンビとして頑張ろうね、菜央ちゃんっ! 圭一: ぎゃあああああー! ノリノリじゃねぇかーっ! 前原さんが頭を抱えて悲鳴をあげる。 魅音: じゃ、これから正式にチーム戦を開始するよ! 魅音: 下校時間までで、負けの一番多いチームが最下位で罰ゲーム! 梨花: 賛成なのです、にぱ~♪ 圭一: お……おい、今までのゲームはノーカンだよな? 俺たちの負け数はカウントしていないよな? な? 魅音: さー、続いてどんどんいっくよー! 悟史: むぅ……圭一。これから、今までの負け分以上に勝たないといけなくなっちゃったね。 魅音: ほらほら、罰ゲーム衣装が2人を待ってるよ~。 レナ: はぅ~、どんな衣装か楽しみだよ~。 圭一: うぉおぉぉぉぉ……! 悟史: 圭一、しっかりしてよ……!頭を抱えている場合じゃないよ、戦わないと! 圭一: ち、ちくしょう……!やってやる、やってやるよ……! 圭一: 力を貸せ、悟史! この勝負、勝ちに行くぞ! 悟史: う、うん……! レナ: じゃあ、決まりっ! 次はレナが配るね。 レナちゃんが場に散らばったカードを集めて裏返しにし、シャッフルを始める。 その横顔は、とても楽しそうで……あたしはそれを見ながらほっと胸をなで下ろした。 菜央: (レナちゃんが元気になってくれて……本当に、よかった……) いろんなことがあって、忘れかけていた。けれど……あたしは、また思い出す。 あたしは最初、叶うならばレナちゃんに殺してもらうため……この#p雛見沢#sひなみざわ#rにやってきた。 そして、そんなあたしを許してくれた最初のレナちゃんはもう……死んでしまった。 その罪は、どうやっても償えない。だから、せめて……今ここにいるレナちゃんを、守ろう。 それこそが、あたしにできる使命……そして、あたしに与えられた運命だ。 菜央: (前の「世界」では、他のことをごちゃごちゃと考えたから……失敗した) だったら、今回はシンプルに進めよう。 菜央: (……他のことは、考えない) 隣で笑っているのが、魅音さんでも詩音さんでも……どっちでもいい。 ただ、もしレナちゃんを傷つけるなら……どっちだって容赦しない。 あたしは、レナちゃんを守る。この人の笑顔を、守り抜く。 そのためなら……そのためなら! 菜央: (あたしは、どんなことでも頑張れる……!) ――同時刻、興宮署。 熊谷: あっ大石さん、ここにいたんですね。デスクにいないから探しましたよ。 大石: おぉ、お帰りなさい熊ちゃん。で……どうでした? 熊谷: 例の間宮律子ですが……やっぱり、自宅のアパートには戻っていないようです。 大石: ふむ……ヒモの北条鉄平のところにも、転がり込んでいない感じですか? 熊谷: はい。なんだかんだ言って、あっちは妻帯者ですからね。 熊谷: ……ただ、その鉄平もここ一週間ほど家に戻っていないそうなんですよ。 熊谷: どこに行ったのか自分が知りたい、って鬼嫁に愚痴られちゃいました。 熊谷: 関係が破綻していると言っても、やっぱり夫婦になったからには気になるんですかねぇ。 大石: ……んっふっふっ。 熊谷: ? な、なんですかその笑いは? 大石: いえいえ、聞きかじった話を独身の私が言うのもなんですけどね。 大石: 夫婦って、始めるよりも終わらせるほうがずぅっ……っと大変だそうですよ。 大石: 惰性で結婚生活を続けるほうが、よほど楽という意見もあるくらいです。 大石: ……まぁ、世の中には結婚と離婚を繰り返すような人もいますが。 大石: どっちがマシかって話になると、五十歩百歩のような気がしますけどねぇ。 熊谷: はぁ……聞いているだけで、気が滅入ってきますねぇ……。 大石: 我々が追っている結婚詐欺の方が、よっぽど結婚ドリーム殺しだと思いますよ。 大石: これから幸せになれると思ったのに、相手は最初から騙すつもりだったなんて知ったら……。 大石: 例の被害者の方は相当、頭にくるんじゃないですかねぇ。んっふっふっ……! 熊谷: まぁ、そうでしょうね。……お気の毒な話です。 大石: まぁ、それはさておいても……結婚詐欺を働いていた美人局の2人組が、両方とも行方をくらました。 大石: 何か事件に巻き込まれていないとは、とても思えませんね……例の被害者さんのアリバイ、どうなっています? 熊谷: 残念ながら……ほぼシロです。目撃者が結構いて、あれを崩すのはまず不可能ですね。 熊谷: どっちにせよ、あのなよなよした男が女の間宮律子はともかく、北条鉄平みたいなガタイのある男を相手できるとは思えませんけど。 大石: それは先入観というものですよ、熊ちゃん。 大石: 凶器の使い方次第では、子どもでも大人相手に致命傷を負わせることも十分に可能です。 大石: 何百万単位で搾り取られたとしたら、その怒りで……となってもおかしくない。 大石: というわけで……。 大石はおもむろに立ち上がり……厳かに告げていった。 大石: 裁判所に連絡。竜宮家の家宅捜索令状を取ってきてください。