Prologue: 今年の夏は、冷夏というほどでもないけど昨年と比べて少しだけ涼しいようにも感じる。 農作物に影響が出ない程度に、過ごしやすい暑さ。毎年続いてくれたら理想的だけど、こればかりは自然の気まぐれなのでどうしようもない。 美雪(私服): (そう……どうしようもないことなんだ。自然界が持つ、大いなる力ってやつの前には……) ……前の年に起きた、関西地方での大災害。テレビで見ただけでも伝わってきた惨状に、私は朝から声も出せないほどに愕然とした。 あんな光景を見せられると、今でも地球の支配者は決して人間じゃないんだなって……痛感させられる。 人間はこの世界に、生かされて生きてきた。今も生かされて、生きている。 そしてきっと、これからも……。 そんなことを思いながら私はハンドルを操作し、目の前に迫ってきたサービスエリアの入口へとバイクの向きを変える。 #p雛見沢#sひなみざわ#rがあった場所まであと少し。その前に軽い小休止と、一応念のためにガソリンの補充をしておくことにした。 バイクでのツーリングのいいところは、周囲の空気の流れや温度などの変化を直接感じられることだと思う。 ただ……そうはいっても私は免許取りたてなので、景色を楽しむほどの余裕はまだない。 「乗っていくうちに慣れる、そういうものだよ」とバイクを譲ってくれた社宅の人が言っていたので、身体が慣れるまで乗り続けるしかないのだろう。 それに加えて、バイクの事故は生身ゆえに衝撃などで投げ出される確率が高く、一瞬の判断が大事故にも繋がりかねない。 一流のバイク乗りでもある白バイ隊の警官でも、事故に遭うことは珍しくない……と聞いていたせいか道中は緊張しっぱなしで、思っていた以上に疲れた。 ……それでも私がバイクにこだわったのは、この機動性と疾走感があまりにも魅力的で「憂さ晴らし」には最適に思えたからだ。 ――私は今年で、18歳になった。 それを機に、大学入試を控えた今年の夏休みでは受験勉強の合間に大型二輪の免許を取ったのだ。 美雪(私服): (……こういう時、夏生まれってのはありがたいものだね) 2月生まれの千雨はまだ満年齢ではないので、免許証を見せた時「……いいな、お前は」と羨ましがられたものだ。 ただ、仮に彼女が18歳に達していたとしても免許を取るのはもう少し先になると思う。 美雪(私服): (夏期講習、みっちり入ってるからねぇ……) 千雨が志望する、サメを研究できる大学は彼女の現在の偏差値だと少し厳しいのでは、と教師にも塾講師にも言われている。 その差を埋めようと、彼女は必死に勉強中だった。 美雪(私服): (まぁ……私はあんまり心配していないけどね) 私と同様に父親を失い、母子家庭になった彼女に浪人の二文字は存在しない。そんな負担を、させられるわけがない。 だからこそ彼女は、文字通り餓えたサメのように死にもの狂いで頑張っている。そのパワーで、きっと合格を勝ち取ることだろう。 美雪(私服): ……目標があると、やっぱ強いよねー。 ただ……そうなると千雨は、私とは別の大学へ進学だ。通学のことを考えると、社宅を出て下宿になるだろう。 だから、千雨と毎日のように顔を合わせる日々はあと半年少しで終わりを迎えることになる……。 美雪(私服): (菜央も菜央で、忙しいみたいだしね……) 菜央が一緒だったら、今日は電車で向かおうと考えていた。……タンデムも悪くはないかもだけど、免許取り立ての身ではさすがに誘いづらい。 だけど彼女は今日、学校の子たちと出かけるそうだ。……明らかに行きたくなさそうな感じで。 どうやら彼女が通っている中学では、ちょっとしたトラブルが原因でクラスの女子が2つの派閥に分かれてしまっているらしい。 菜央は当初、どちらにも属していなかったが……状況は日増しに悪化して、中立を貫くことが難しくなっているとのことだった。 菜央(私服): 『――明日、片方のグループの子たちに誘われたの。あんまり行く気にならないんだけど……断ったら、何をしてくるかわからないから』 昨夜、電話口でそう話してくれた彼女の声はかなり嫌々な感じというか、疲れている様子で……。 美雪(私服): 『……そんなに行きたくないなら行かなくてもいいんじゃない?』 という言葉が思わず喉までせり上がったものの、なんとか寸前で飲み込むしかなかった。 私を理由にして、断らせることはできたと思う。けど、月曜日になったら菜央は断った子たちと学校で顔を合わせなければいけない。 その時に、何が起こるか……想像ができないほど、私は鈍感ではなかった。 「面倒くさい」……私ですらそう感じるのだから、当事者の菜央は余計にそう思っているだろう。 美雪(私服): (家でもお母さんとうまくいってないって言ってたし……学校でもトラブルだなんて、辛いだろうな) 今でも菜央とは、時々電話をかけては他愛のない近況報告を交わしたりして、時折家に呼んで泊まらせることもある。 もうすぐ菜央は、出会った時の私と同い年だ。 ……残念なことに、中学生になった彼女は以前のような子どもっぽい生意気な感じがかなり薄まってきたように思える。 それでも、細いこよりのような彼女との縁がまだ繋がったままなのは、あの子も私との関係を捨てたくないからだと……そう信じたかった。 美雪(私服): (まぁ、たまーに昔の菜央に戻ることもあるけどね。ちょっと腹が立つけど、許しちゃうんだよなぁ……) 甘やかしている自覚はあるけど、甘えられる相手がいないよりはまだマシだろう。 高校進学や学校での悩みについて時々相談があるのも、その甘えの一種だと思う。 そんな中で、彼女は将来を選ぼうとしている。デザイナーになるという憧れを捨てた、別の道を――。 美雪(私服): 私は、どうするかな……。 一応志望の大学のいくつかは合格圏内だが、その先が定かになっていない状況では合格してもモラトリアムの期間を伸ばすだけだ。 美雪(私服): (将来の道、か……) 決めなければならないのは、わかっている。……けど、本音を言うとまだ決めたくはない。 一度決めて、やり遂げられなかった時のことを考えてしまうと……安易に決めてしまうのが、怖いとさえ感じている自分がいる。 美雪(私服): 三つ子の魂百まで……ってやつかな。 結局のところ、私は人見知りだった幼い頃から何も変わっていない。 その無変化に一番腹立たしく思いつつも、あがいてもあがいても変わらない現状に少しずつやる気が失われているのも確かで……。 いまだ行く道の定まらぬ私は、受験勉強の気晴らし、という名目で今日はひとりツーリングに出かけているというわけだった。 そうして辿りついたのは、「あの日」以来何度となく訪れた場所……。 廃村となり、湖の底に沈んだ雛見沢だった。 美雪(私服): ……懲りないなぁ、私も。 バイクを止めてヘルメットを取り、頭を振って髪を広げる。……少し冷めた空気が心地いい。 それでも、改めてこの場で起きたことを思い返すと胸の中に苦い感傷が広がるのを止められなかった……。 美雪(私服): (通い詰めて、今では地図がなしでも目的の場所に辿りつけるようになったけど……やっぱり、わからないことだらけだよね) あの時……いったい何が起こったのか。疑問は少しも減るどころか、年を経るごとに数を増して……深みも……。 美雪(私服): ……一穂。 公由一穂。私と同じ、未来から過去へ飛ばされた女の子。 奇妙な縁で仲良くなったあの子の顔は、今でも鮮やかに脳裏に浮かぶ。 一穂: 『美雪ちゃん――』 今でもぼんやり思いを馳せていると、控えめに私を呼ぶあの優しい声がふいに聞こえてくる……ような時があって。 そのたびに私は、いつも周囲を見渡し……彼女の姿が見つからないことに落胆する。 美雪(私服): ……ぅ……。 私は小脇に抱えたヘルメットを、思わず湧いてくる悔しさと悲しさに耐えながらぎゅっと力を込め……唇を噛む。 美雪(私服): 私の、せいだ……。 ここに来るたびに、泣き叫びたくなる。自分への嫌悪で、湖に身を投げ込みたくなる。 そんなことをしたところで、もう何も解決なんてしないのに……。 美雪(私服): でも……できたはずだった……!3年前のあの夏にいた、私だったら……! あそこには、最後のチャンスがあった!なのになのに、私は、私は……ッ! 美雪(私服): あの時……私が選択を間違えなければ、きっとあの子は……あの子たちは……! 今を遡ること3年前の平成5年、6月。 #p田村媛#sたむらひめ#rという神様の力を得て昭和58年の「世界」へと赴いた私は、そこで10年前の雛見沢で暮らす人たちと出会い……。 紆余曲折を経て惨劇の正体を目の当たりにした末に、過去の人たちに助けられて再び平成5年へと戻った。 だけど、その平成5年の「世界」ではガス災害は発生しなかった代わりに雛見沢がダムの底に沈み……謎の『眠り病』が蔓延。 そして、仲間のひとりである菜央は一緒に戻ってきたが、一穂の姿はどこにもなく……。 私は千雨の手を借り、南井さんと出会い。新しい雛見沢村として移設された高天村に辿りついて……。 もう一度、過去の雛見沢に戻る算段を立てて田村媛の力を借りることにしたのだ――。 田村媛命: 『現在の力では、門を開いても1人を送るのが精いっぱい#p哉#sかな#r……』 なんとか復活させた田村媛を取り囲んだ私たちは、お互いの顔を見合わせる。 田村媛は長々と話していたけれど、要するに……。 美雪(私服): 今の田村媛の力だと、一穂のところへ無事に行ける保証はない。未確定の片道切符……か。 一穂と再会できれば、2人とも引き戻せるとのことだが……そもそも会えるのかも定かではない。 どちらかといえば……いや確実に、これは賭けに等しいものだった。 千雨: 厳しい話だな。となると、誰が迎えに行くかだが……。 菜央(私服): あたしが行くわ。 移設された古手神社の祭具殿の前で、菜央は迷わず宣言する。 そして、困惑する私に顔を向けると目に決意の光をはらませながら笑顔でいった。 菜央(私服): 美雪……お母さんのこと、お願いしてもいい?あたしがもし帰ってこられなかったら……お母さん、ひとりぼっちになっちゃうから。 菜央(私服): だから……お願い。 美雪(私服): …………。 今にも泣き出しそうな、不安そうな表情を見て……私の決意は固まった。 美雪(私服): いや……私が行くよ。 菜央(私服): え? 美雪(私服): お母さんを置いていくの、不安なんでしょ?『眠り病』に感染して、いつ目を覚ますかわからないんだから、それも当然だけどさ。 菜央(私服): それは……でも、美雪のお母さんだって同じことでしょ?もしあんたが帰らなかったら……。 美雪(私服): …………。 お母さんを置き去りにするのは、正直不安だ。 でも、ここには千雨のお母さんや社宅の人たちがいる。お父さんが残してくれた大切な人との繋がりが、きっと守ってくれるはずだ。 だけど、菜央のお母さんの場合そういう人がいるのだろうか?……娘が不安になっている時点で、あまり期待はできないと思う。 美雪(私服): それに、雛見沢について詳しいのは私の方だと思うし。……だよね、菜央? 菜央(私服): それは、……。 菜央はとっさに反論しようと口を開いたものの……言葉が浮かばなかったのか、きゅっと唇を閉じる。 菜央(私服): ……そうね。悔しいけど、その通りだわ。だから――。 そこで菜央は、本音の部分を垣間見せるように潤んだ瞳で私を見つめる。 過去に戻る目的……それはもちろん、一穂を見つけて連れ戻すことだ。 だけどその一方で、彼女には過去で会いたい人……できれば助けたいと思っている大事な人がいる。 そのチャンスを手放すことも意味しているので、わがままだと思いつつも自分の気持ちを抑えるのがやはり辛いんだと……わからない私ではなかった。 菜央(私服): 無理はしなくてもいい……一穂のことが、一番でいい。 菜央(私服): でも……少しでも余裕ができて、可能性があったら……。向こうでお姉ちゃんたちと話をして、それで……っ……! 美雪(私服): うん。今度こそ、一緒に脱出できないか相談してみるよ。 美雪(私服): みんなのおかげで助かったのは事実だけど、あれはやっぱり……見捨てたのと同じだからね。 最後まで踏みとどまり、私たち3人を命がけで平成の「世界」に戻そうとしてくれたレナや前原くんたちの顔を思い浮かべる。 叶うことなら今度は、彼らを救う方法を見つけたい。それでこそ恩返しだと思うし、私たち未来の人間が過去を訪れることに意義を持たせるものだった。 美雪(私服): それに……梨花ちゃんのことも助けたいからさ。 気がついた時には、既に手遅れだった。でも、次があるなら……今度こそ、助けたい。 梨花ちゃんがお父さんに警告をしなければ、私は生まれる前にお母さんと事故死していた。彼女のおかげで、私が存在できているのだ。 美雪(私服): だから……。 千雨: だから、1人で行くってのか? 不機嫌そうな声に顔を向けると、そこにはふくれっ面の千雨がいた。 ……彼女にも当然、迷惑をかけることになる。だけどそこは、あえて飲んでもらうしかない。 遠慮なく迷惑をかけられる相手こそが親友だと、どこかの偉い人が言っていた気がするけど……私は千雨がいてくれて本当に良かったと、心から思っている。 美雪(私服): うん、行ってくる!千雨、菜央のことよろしくお願いね。 美雪(私服): ……キミにしか、頼めないんだ。 千雨: …………。 ちっ、と鋭い舌打ちとともに、千雨が私に背中を向ける。そして、 千雨: ……好きにしろ。 そっけない返事とともに、長い髪が揺れた。 美雪(私服): ありがとう、好きにさせてもらうよ。 背中越しでも感じる、彼女の気遣いに感謝する。 菜央も千雨も、私の選択に納得なんてしていない。……本音を言うなら、2人とも一緒に行きたいはずだ。 でも、それはできない。保証無しの片道切符は、1枚しかないのだから――。 美雪(私服): 田村媛、お願い! 田村媛命: 『……あいわかった。しばし待て』 田村媛がごにょごにょと何かを呟き始める……私を過去へ送る準備が始まったのだろう。 美雪(私服): (あ、そうだ。ちゃんとお礼を言っておかないと) 私は振り返り、口を挟むことなく傍観者に徹してくれていた「彼女」に向き直っていった。 美雪(私服): 南井さん、ここまでありがとうございました。 巴: ……これでお別れなの? 美雪(私服): いえ、友達を連れて戻ってくるんで……その時にまた、改めてお礼をさせてください! 巴: そう……待ってるわ。 美雪(私服): はい! きっと、言いたいことがたくさんあるのだろう。それでも見送ることを選んでくれた南井さんに私は最大限の笑顔を返す。そして、 美雪(私服): じゃ、行ってきまーす! そして私は、皆が見守る中で田村媛命の作り出した「門」を通り……――。 Part 01: 美雪(私服): ……なんて勇ましく宣言して来てみたけど、結局わからないことが増えただけだったな。 そう呟きながら、私は古手神社の展望台から昭和58年6月の#p雛見沢#sひなみざわ#rの夕暮れを眺め見る。 美雪(私服): (まぁ、一穂と再会できたことだけは本当にラッキーだったと思うけどね……) 祭具殿から這い出た私が最初に見たのは、泣きながら走ってくる一穂の姿だった。 彼女と再会できるかどうかは賭けだったから、それを見た時は来てよかったと心底思った……けど。 合流した一穂と雛見沢のことを調べて回ったものの、前の「世界」で得られた情報以上の収穫がほとんどなかったのは、さすがに残念だった……。 いや、あった。でもそれは、おおよそ進展と呼べるものではなく――。 この「世界」が、以前訪れた「世界」とはあまりにも違いが多いという事実だけだった。 まず、ひとつ。4年目の#p祟#sたた#rりで行方不明になったはずの沙都子の兄、北条悟史が普通に分校に通っていた。 次に、レナの呼ばれ方が「礼奈」になっていて……しかも彼女の両親が、離婚していない。 詩音は遠くにある全寮制の学園に入学しており、年単位で帰ってきていない。 あと、雛見沢のダム化が既に決定している……さらにそこから派生する相違点は、2つ。 1点目は、前原くんの家が建っていない。つまり、彼は雛見沢に引っ越していなかったのだ。 2点目は、来週に最後の#p綿流#sわたなが#rしが行われ……それを節目として雛見沢の人々は、少しずつ村を離れていくことになること。 最後に、何よりの大きな違いは――。 美雪(私服): ……っ……? じゃりっ、と背後から響く玉砂利を踏む音に意識を引き戻された。 遠慮がちな一穂の足音とは明確に違うそれに、私は呼吸を整えて……振り返る。 美雪(私服): 絢花さん……。 絢花(巫女服): ……こちらにおられましたか。 背後に立つ巫女服の少女は、この「世界」の古手家の頭首――古手絢花さんだ。 次こそは助けると誓った命の恩人、古手梨花は……もう何年も前に死んでいた。 そして、後を追うように亡くなった彼女の両親の代わりに、古手家の分家の西園寺家から養子として入ったのが彼女とのことだった。 私はこの「世界」に来て、真っ先に一穂を連れて#p興宮#sおきのみや#rの図書館へ向かった。 そこで出てきたのは、5年前に私が生まれた病院で起きた転倒事故により亡くなった妊婦の記事。 お腹の子とともに亡くなったのは、赤坂雪絵。……私の、お母さんだった。 美雪(私服): (……私も当然、そこで死んでいる) 美雪(私服): (そして、レナのお母さんが離婚もせずに再婚していないってことは、この「世界」では菜央も生まれてない……) 美雪(私服): (私は一穂を……みんなを助けるつもりで、この昭和58年にやってきた) できるかどうかはともかく、全力は尽くすと。それが助けられた私の責任だと……そう思っていた。 美雪(私服): (でも……) 梨花ちゃんが死んでいるという話を聞いたのは、この「世界」に来た初日だった。 それを聞いて以降……私の中で、何か大切なモノがぷつりと切れてしまった気がして。 どこか足元がおぼつかず、気持ちが乗り切れない日々が続いていた……。 一穂(私服): 美雪ちゃん、あ、あの……その……。 梨花ちゃんが死んでいるらしいと聞かされて、黙り込んでしまった私の顔を心配そうに覗き込む一穂の顔が……脳裏に蘇ってくる。 美雪(私服): (一穂をこれ以上、不安にさせるわけにはいかないよね……) 美雪(私服): 大丈夫だよ、一穂。まぁ驚きはしたけど……あんまり欲張るなってことかな。 美雪(私服): (……甘かった) 全員を助けられるかもしれないなんて、甘かったのだ。 元々、私にそんなことができるなら最初の「世界」でみんなを救えているはずだ。 美雪(私服): (こんなことなら……あの「世界」にいた時、梨花ちゃんに私の正体を話しておくべきだった。赤坂の娘と名乗っていれば、あるいは……) ……後悔しても、もう遅い。その選択がベストだったかどうかの答えは、もはや今となっては確かめようもなかった。 一穂(私服): 美雪ちゃん……。 なおも心配そうな一穂の頭を撫でて、私は無理矢理に笑う。……笑うことにした。 美雪(私服): とりあえず今は、元の「世界」……平成に戻る方法を考えようよ。ねっ。 一穂(私服): ……うん。 絢花(巫女服): 夕食の準備ができました。一穂さんも戻ってきたようなので、どうぞお越しください。 美雪(私服): あ、うん。ありが……あ、ちょっと待って! 用件だけを告げてそのまま立ち去ろうとした絢花さんを呼び止めると、静かに振り返る。 ……洗練された動作。身のこなしといい、相当の礼儀作法を学んできていることが少し見るだけでわかった。 美雪(私服): (良家の出身……なのかな。小さい時から身体に叩き込まれてなかったら、この感じにはならないよね……) 絢花(巫女服): ……何か? 美雪(私服): あ、えっと……その……。 愛想なんて全くない表情でまっすぐに見つめられて気圧されながらも、私は頭の中で言葉をまとめていく。 状況は結構、調べがついてきた。そろそろ彼女にも話を聞くべき時だろう。 そう考えて私は笑顔をつくり、これまで抱き続けていた疑問をぶつけることにした。 美雪(私服): 絢花さんのご実家は……西園寺って言うんだって?名前も養子に来る前は、絢花じゃなくて絢さんとか。 絢花(巫女服): ……誰から聞きました? 美雪(私服): 村の人から。元は関東で神社の宮司を代々務める家の子で、その一人娘だとかなんとかって聞いたんだよ。 絢花(巫女服): ……よくぞ村の人と、世間話なんてできましたね。私の話は、お茶請けにはさぞよく合ったでしょう。 美雪(私服): (お、おぅ……) 冷たく放たれた言葉を訳すと、自分の悪口で村人たちと仲良くなったのか……とまぁ、こんな感じだろうか。 美雪(私服): (うーん……刺々しい) 事実、私が話を聞いた相手は絢花さんの悪口をほぼ一方的にまくし立てていた。 もちろん私は乗らなかったものの、適当に相づちだけは打っていたので……少し気まずさを感じずにはいられない。 美雪(私服): (さて、どう返すか……) そう考えて、言葉が出るより早く……絢花さんがため息とともに口を開いていった。 絢花(巫女服): ……私は、古手梨花の死には無関係です。 美雪(私服): え?……いや、それは知ってるけど。 絢花(巫女服): ……?あなたはそれを聞きたかったのではないのですか? 美雪(私服): いや、違うよ。だって絢花さんは、梨花ちゃ……が死んだ後に後継者として連れて来られたんだよね。 美雪(私服): だったら、それに関われるはずがないよ。そういう呪いをかける力があったんだったら、話は別だけどさ。 絢花(巫女服): ……あるかもしれませんよ。 美雪(私服): は……? 絢花(巫女服): 村の人は、言っておられませんでしたか?私が来たから、村がダムに沈む……だから、過去に起きた祟りはすべて、私のせいだと。 美雪(私服): あー……まぁ、似たようなことは言ってたかもね。 美雪(私服): でも、それを言ってたのって結構なおじいちゃんだったから、記憶の順番が入れ替わって変な感じに覚えてるだけでしょ? 絢花(巫女服): …………。 絢花さんはじっと値踏みするように、私を見てくる。そしてやや小首をかしげながら、こちらの出方を伺うように言葉を繋いでいった。 絢花(巫女服): では、はじめのご質問に戻りますが……私が養子だったら、何か問題でもありますか? 問い返す声はやっぱり刺々しいけど、会話を続ける意思があることにほっとする。 この人なりに、こちらへ歩み寄ろうという意思はあるのだろうか……期待し過ぎかもしれないけど、私はその一縷の望みにかけたかった。 美雪(私服): 問題と言うか……一人娘を養女として送り出すって、あんまり聞かない話だなぁと思ってさ。 美雪(私服): 特に由緒ある家だと、余計に……親御さんとか、色々悩んだんじゃないかなと思って。それにほら、絢花さんまだ若いしね。 絢花(巫女服): さて……どうでしょうか。生きていたところで、特に反対はしなかったと思いますが。 美雪(私服): ……へ? 生きていたら……って……? 絢花(巫女服): 私の両親は以前起きたトンネルの落盤事故に巻き込まれ、すでに存命ではありません。 美雪(私服): トンネルの落盤事故? 確か、それって……。 絢花(巫女服): ここ数年でトンネルが関連した大きな事故は、1つしかありません。……その年で知らないはずがないと思いますが。 美雪(私服): あ……あぁ、そうだったね。ごめんごめん!やだなぁ、私もボケてきてるのかな~……あははっ。 絢花(巫女服): …………。 美雪(私服): (うぅ……視線が冷たい) いたたまれない思いで、私は冷や汗を流す。 菜央にも度々注意されることだけど……私はどうも、時事ネタを話すことが苦手だったりする。 とはいえ、この「世界」で数年前としたら私の体感だと十数年前……物心がついたばかりの頃に起きた出来事なんて、覚えているはずがなかった。 そんな私をじっと見つめて、絢花さんは軽く目を細める。そしてしばらくの無言の後、再び口を開いていった。 絢花(巫女服): 私はこの雛見沢へ移り住むまで病を患い、生まれてからずっと入院生活を送っておりました。 絢花(巫女服): ですから、仮に事故が起きなかったとしても最初からいなかった存在として扱われて……特に問題はなかったでしょう。 美雪(私服): …………。 最初からいなかった存在、という言葉が胸にささる。 この「世界」だと菜央は、いなかった存在だ。げんに分校で軽く会話したレナは、特に問題なく両親との暮らしを満喫しているように見える。 美雪(私服): (いなかったと言えば、梨花ちゃんもそうだよね) 特に沙都子は、梨花ちゃんと仲がよかったのに彼女がいなくても実に楽しそうに分校へ通って、兄とじゃれ合っている。 まるで初めから、梨花ちゃんがいなくても何も問題なかったかのように――。 美雪(私服): ……っ……。 わかっている。違和感を覚えてしまうのは梨花ちゃんが私とお母さんにとって命の恩人で、思い入れがひときわ強いからだ。 でも、そんなことは沙都子にとって無関係の話だ。もちろん、絢花さんにも……。 美雪(私服): (……まぁ、存在してないのは私も同じだけど) お父さんは公安なので、安否について新聞記事になることはないけど……生きているのだろうか。 もし存命なら、せめて元気でいてほしい。私やお母さんがいなくても、大丈夫なくらいに……。 美雪(私服): あと……絢花さん。あなたは雛見沢がダムに沈んだ後、どうするの? 絢花(巫女服): 最後の綿流しを見届けた後、私は実家の西園寺家に籍を戻し……生まれ故郷の高天村で神社の宮司を務めることになる予定です。 美雪(私服): 高天村? それって、神奈川県の……。 絢花(巫女服): ご存知のようですね。関東大震災によって起きた山崩れで多くの犠牲者を出した……悲劇の村として一部では有名ですから。 美雪(私服): (……いや、山崩れのことは知らなかったけど) でも、そうか……雛見沢を新しくつくった場所は、一応この村とも繋がりがあったってわけか。 つまり絢花さんには、村を出て帰る場所があるということだろう。 絢花(巫女服): 私は、亡くなった人々の魂を慰めることを生業として生きていくつもりです。 絢花(巫女服): ……私には、それしか道がないのです。 道がない、と彼女は断言した。 絢花さんは、まだ若い。なのに彼女はどういうわけかもう自分の未来を……すでに諦めてしまっている。 絢花(巫女服): #p未曾有#sみぞう#rの大震災によって壊滅した村に生まれて、両親を落盤事故で失い……。 絢花(巫女服): そして今度は、この雛見沢を見送ることになる。……つくづく私は、呪われた女です。 そう自虐的に笑い、絢花さんは立ち去っていく。 美雪(私服): …………。 寂しげな背中が物悲しく映ったけど……たとえ私がどんな言葉を投げかけようとも、おそらく彼女には届かないだろう。 美雪(私服): …………。 けど、その背中を黙って見送っていた私はふっ……と、最後に漏らした彼女の台詞に引っかかりを覚えた。 美雪(私服): 雛見沢を、見送る……? それって、ダムに沈む村って意味なんだろうか。あるいは……別の……? Part 02: 美雪(私服): うーん……。 #p綿流#sわたなが#rしを数日後に控えた古手神社は、まばらとはいえ人の気配がある。 十分の成果とはとても言えないけど、それなりに集まった人員の数を確かめて私は少しだけ胸をなで下ろした。 美雪(私服): (やっぱり、動いた甲斐はあったね……!) ――数日前の夜。私と一穂は布団の上で、膝をつき合わせていた。 美雪(私服): 働かざる者、食うべからずって言うけど……絢花さんに食住を確保してもらってる私たちは、何か働かないといけない気がする……! 美雪(私服): と、私は思うんだけど一穂はどう? 一穂(私服): ……うん、私もそう思う。けど、何をすればいいのかな。家のこととか、手を出すなって言われてるし……。 絢花さんとの付き合いは、一穂の方が数日長い。だからその間、彼女から色々と言われていたらしい。 加えて、元々大人しかった性格が分校でも孤立してしまっていたせいか……すっかり萎縮してしまっている。 美雪(私服): (魅音たちなら、何かフォローしてくれてるものと勝手に期待してたんだけどねー……) とはいえ、絢花さんの立場で考えれば善意であれ家事手伝いの名目で勝手に家を荒らされたくない気持ちもよくわかる。 むしろ、こんな状態で私たち2人を家に置いてくれるのはありがたいと思うべきだろう。 ……何か目的があるのかもしれないが、今のところこちらを害するような予兆もない。この点については考える必要はなさそうだ。 それよりも今、考えるべきなのは……。 美雪(私服): 家のことは手を出してほしくないなら、別のところで手伝うってのはどうかな? 一穂(私服): 別のところ……あっ。 美雪&一穂: 綿流し! 声が重なった瞬間、お互いの顔が緩む。 一穂(私服): ……えへへっ。 美雪(私服): あはははっ、2人で同じことを思いついたねー。 一穂(私服): ……絢花さん、喜んでくれるかな? 美雪(私服): 喜んでくれるかはわからないけど、仲良くなれるきっかけにはなれるかもしれない。 前の「世界」だと、綿流しの祭は古手家を中心に村が一丸となって祭の開催に取り組んでいた。 村の祭りは年々縮小していて……そうなった責任は絢花さんにある、なんて村の人たちが愚痴っていたけど……。 美雪(私服): (結局のところ、お祭りへの協力者が少ないことによる悪循環でそうなってるんだよね……?) 絢花さんに協力する人が少ないなら、増やすしかない。 美雪(私服): (今の私たちに、どれだけのことができるかわからないけど……) 美雪(私服): 頑張って人を集めよう! まずは分校から! 一穂(私服): うん、頑張ろうっ! 私と一穂は早速、翌日から人集めに奔走した。そして現在、やや控えめながらも人が集まったこの景色に繋がっている。 美雪(私服): (まぁ……もう少し集めたかったけど、結構頑張ったよね) 分校の生徒は、大半を巻き込むことができた。あとは私が根気よく話しかけて茶飲み友達になった老人や、その家族のいくつかが参加してくれた。 そんな中でも、ひときわ走り回ってくれるのが……。 村人A: 礼奈ちゃーん、テントとってきたから広げるのを手伝っておくれ~。 #p竜宮礼奈#sりゅうぐうれいな#r: はーい! 倉庫から出した荷物を広げて、故障がないか確認をしながら……私は働いているレナを見る。 私と一穂が真っ先に相談した時、礼奈は快く受け入れてくれた。 #p竜宮礼奈#sりゅうぐうれいな#r: 絢花ちゃんのこと、前から気になっていたんだ。ただ、話しかけてもいつも素っ気ないから……声をかける方が迷惑なのかなって思って。 #p竜宮礼奈#sりゅうぐうれいな#r: だから美雪ちゃんたちが誘ってくれて、私はすっごく嬉しいよ……! 礼奈がそう言ってくれて、私も一穂も心底安心したものだ。そして今も彼女は率先して、祭りの準備をしてくれている。 美雪(私服): (以前に比べて、ちょっと気弱な感じだけど……やっぱりレナはどこの「世界」でも優しいんだなぁ。ありがたいよ、ほんとにさ) 悟史: ……あれ?ねぇ、これはどうすればいいのかな……。 沙都子(私服): にーにーったら、さっき教えてもらったじゃない。ここはねぇ……。 悟史や沙都子をはじめ分校の子たちがこうして手伝いに来てくれたのも、礼奈の賛同があったからこそだと思う。 美雪(私服): (最初の「世界」でもレナに助けられたし、どれだけ感謝しても足りないなぁ……けど) やはり、人の少なさは否めない。 人数集めを提案した時、絢花さんは興味なさげに「好きにすればいいと思います」と言っていたが……やはり人数が増えると準備速度はぐんと速くなる。 村人B: 古手の跡継ぎはどこに行ったんじゃ?わしらを働かせるだけ働かせておいて、屋敷の中にこもりっぱなしかいのぅ。 村人C: はんっ、別に構わんわい。あんな辛気臭い顔など、見たくもないわ。 美雪(私服): …………。 人数は集まってくれたが、やはり絢花さんに対しての風当たりは強い。 美雪(私服): (これはさすがに礼奈の力じゃ、どうしようもないからなぁ。だとしたら……) 美雪(私服): 一穂。私、ちょっと出かけてくるよ。 一穂(私服): えっ? ど、どこに? 美雪(私服): 魅音のところにさっ! 一穂(私服): え、ええ……っ! 一穂が困惑した声をあげるのはわかる。なぜなら……。 美雪(私服): というわけでさ、悪いけど魅音から町内会に綿流しに協力してくれる人を募集してもらえないかな? 魅音(私服): …………。 突然ずかずかとやってきた私の不躾なお願いに、魅音は眉をしかめている。 まぁ……それも当然だ。村人から絢花さんへの風当たりが強いのは、園崎家が彼女の存在を認めないからだ――というのが専らの通説だった。 ただ、園崎家がどうかはともかくとして個人的には疑問がある。 美雪(私服): (魅音たちって、分校で絢花さんを虐めるとか無視するとか……そういうことはしてないしね) 心の底から嫌っているなら、もっと陰惨なことはできるはずだ。 それこそ、絢花さんの根も葉もない嘘を広めて周囲に非難させるとか……。 美雪(私服): (あ、やなこと思い出した……やめやめ。私の昔のことなんて、今は関係ないんだし) ぱっぱと脳内で軽く手を振って記憶を散らし、私は目の前の魅音に問いかける。 美雪(私服): どうかな? ……しかし、それに対しての返答は冷たくにべもないものだった。 魅音(私服): ……美雪には悪いけど、私が何を言ったところで町会は動かないよ。 美雪(私服): おぅ……断言するんだね? 魅音(私服): 建前でお茶濁しはしたくないからね。……婆っちゃが睨みをきかせていた以前と違って、今はダム賛成派の公由家が全てを決めているんだ。 魅音(私服): あいつらは私たちの意見なんて、聞きもしない。直接頼んだほうが早いくらいだと思うよ。 美雪(私服): んー、それについてなんだけどさ……ちょっと疑問があってね。 魅音(私服): ? 疑問って、なんのことさ? 美雪(私服): だって、そもそも絢花さんを古手家の頭首に据えて後見役を務めてるのは、公由家の人たちなんでしょ? 魅音(私服): そうだよ。……よく知っていたね。 美雪(私服): 村のおじいちゃんが休憩してお茶を飲んでる時に、聞きもしないのに教えてくれたんだよ。 美雪(私服): となると、古手家と公由家の繋がりは深いはず。……なのに、公由家の人は誰も手伝いに来てない。 美雪(私服): 本来だったら絢花さんをバックアップすべき人たちが、なんで力を貸してあげないの? 魅音(私服): いや、反対派の私に言われてもさぁ……。 魅音は嫌そうにしているが、嫌悪の色はない。……やはり個人的には、絢花さんに対してそれほど悪感情は抱いていないようだ。 その事実に、少しほっとしていると。 魅音(私服): あのさ……美雪。 魅音がためらいがちに口を開くと、私に向けて身を乗り出しながら尋ねてきた。 魅音(私服): 悟史って今日、手伝いに来ていたよね……古手神社に。 美雪(私服): えっ……? ぴっ、と緊張めいた空気が伝わってくる。少しでも揺れたら何かが爆発しかねない、そういう……不穏な……。 美雪(私服): うん。沙都子と一緒に、祭の準備を手伝ってくれてるよ。 笑顔で返しながら……じわり、と嫌な感覚がにじむ。 魅音(私服): この前、悟史と教室で話をしていたよね。ずいぶん仲がいいな、って思ったんだけど。 美雪(私服): あー、あれ?ちょっと話を聞かせてもらってたんだよ。 美雪(私服): 私が住んでる社宅に、ちょっと沙都子と似た子がいてさ。可愛げがあるけど生意気というか、イタズラ好きというか。 美雪(私服): 悟史ってそういう子を相手にする時、どう叱って言うことを聞かせてるのか……参考にさせてもらおうと思ったんだよ。 べらべらとまくしたてる間も、自分の中で嫌な予感が急速に膨れあがる。 美雪(私服): (あぁくそ、この空気……まずいな) ちらりと私を見た魅音の目の中に見覚えのある……思い出したくない色がある。 私の勘違いなら、それでいい。でも、もしこの予感が的中していたら……。 もしかしてこの「世界」の魅音は、悟史くんのことが好きなのかもしれない。……友愛ではなく、恋愛的な意味で。 美雪(私服): (……油断した!) 魅音の好みは悟史くんよりも、前原くんのような明るく元気なタイプだと思っていたので、完全に油断した。 美雪(私服): (もしそうなら、突然現れて悟史くんに馴れ馴れしく話しかける私の存在は絶対、間違いなく、面白くないはず……!) 前の「世界」ではいなかった彼のことを知ろうと、不用意に近づきすぎたかもしれない。 美雪(私服): (とはいえ、分校でも人目のあるところで当たり障りない会話しかしてないし……情報収集するには、避けて通れなかった) ……いや、自分に言い訳しても仕方がない。最悪を前提に動くべきだ。 美雪(私服): (……仕方ない、強引だけど話を変えよう) 美雪(私服): 私、家族で社宅に住んでるんだけどね。社宅の子たちってなかなか毒舌でさー。 美雪(私服): 結婚するならお父さんみたいな人がいいなーって言ったら、沙都子似のワガママガールに――。 美雪(私服): 「美雪だったらお父さんみたいな人を探すより、結婚できる戦車を見つけた方が早い」って言われてね。……どういう意味だよ、って。あはははっ。 魅音(私服): あんたのお父さんって、どんな人なの? 美雪(私服): 超強い! まさに徹甲弾! 魅音(私服): くっくっくっ……何だよそれ。人に対して使う評価じゃないよ。 そう言って魅音の表情が、わずかに緩む。軽く空気が戻ったことを感じ、ひとまず安堵した。 美雪(私服): ほんと、なにそれって感じだよね~。せめて人間と結婚させてくれっての。 悟史くんと逆のタイプが好みだと暗に示したおかげで、気を許してくれたのかもしれない。 このまま、穏便な間に退散すべきだろうか……?いや、まだもう少し踏み込んでおくべきだろう。 美雪(私服): そういや、話を元に戻すけどさ……なんで公由家は綿流しの準備を手伝わないのさ? 魅音(私服): 一応、あいつらの言い分を聞く限りだと賛成派だけが盛り上がりすぎると、反対派の私たちが参加しづらくなるから……。 魅音(私服): それであえて、中立を保っているつもりみたいだね。 美雪(私服): ふーん、なるほどなるほど。 うんうんと笑顔で頷いて。 美雪(私服): (……さっぱりわからない) 腹の中は困惑でいっぱいだ。ますます公由家たちダム建設賛成派の#p思惑#sおもわく#rがわからなくなる。 もっと深く突っ込めば、多少のヒントくらいは手に入るだろうか……? 美雪(私服): (よし、やるか……!) そう考えて私は腹をくくり、頭では思考を働かせながら表向きは冗談めいて魅音に尋ねかけていった。 美雪(私服): んー、でもなんか今の話だけを聞くと公由家の人たちって、意地悪な感じがするね。 美雪(私服): なんかさぁ、古手絢花という存在に村人たちの憎悪を集めて、見せしめにしようとしている……みたいな? 美雪(私服): そんな感じに見えちゃうのは、私の気のせい? 魅音(私服): そう言われてもねぇ……。 一穂がこの場にいたら絶対口にできない公由家の悪口めいた話にも、魅音は困惑するばかり。 しかし、嬉々として公由家の悪口に乗ってくるわけでもない。 美雪(私服): (……まぁ、魅音が絢花さんを嫌ってるわけじゃないってわかっただけ、御の字か) それだけわかれば十分だ、と納得しかけて。 魅音(私服): ……あっ――。 美雪(私服): んー……どうしたの、魅音? 唐突に声をあげた魅音を見ると、彼女は大きく目を見開き……。 魅音(私服): そうか……そういうことだったんだ! 魅音(私服): つまり私たちは「あいつ」に思考と行動を誘導されていたってことか……くそっ! 怒りに満ちた形相を浮かべて魅音はそう言い捨てながら、いきなり立ち上がる。 そして私の腕を掴み、力づくで無理矢理引き上げていった。 魅音(私服): ごめん……美雪、今日は帰って! 美雪(私服): え? あ、うん……お邪魔しまし……うわ、ちょっとちょっと押さないで?! 魅音(私服): 悪い……急いでいるから! ぐいぐいと背中を押され、つっかけるように靴を履き……。 背後で勢いよく引き戸が閉められて、私は家の中で遠ざかっていく足音をわけもわからず呆然と聞いているしかできなかった。 美雪(私服): わかった、って……。 いったい魅音は、何がわかったと言うのだろう。 美雪(私服): っていうか……。 最後に私が見た、魅音の表情。 ある意味、この「世界」で初めて見た感情が表に出た形相を脳内で思い返し……呟いた。 美雪(私服): 魅音って、あんな顔する子だったっけ……? Part 03: ……#p綿流#sわたなが#rし前日の夜は、あっという間にやって来た。 あの日以降、魅音は手のひらを返したようにダム反対派を説得してくれて……。 そのおかげで村の人たち全員が、綿流しの準備と設営作業を積極的に手伝ってくれるようになった。 おかげで準備は進み、お祭り前日の今夜は予定よりずっと早く布団にもぐり込むことができた。 美雪(私服): はい、電気消すよー。お休みー。 電気を消して掛け布団を首までかぶる。……と、並べた布団に既に入っていた一穂が暗闇の中でもぞりと動いて……小声で言った。 一穂(私服): 明日の綿流し、楽しみになってきたね。 美雪(私服): そうだねぇ。 一穂(私服): でも、美雪ちゃん……どんな魔法を使って園崎家の人たちを説得してくれたの? 一穂(私服): 美雪ちゃんが魅音さんのところに行ってからだよ、急にお手伝いの人が増えたのって。 美雪(私服): いや、実はちょっと私には心当たりがなくて……もしかして礼奈が説得してくれたとか? 一穂(私服): ううん? レ……礼奈さんもびっくりしてたよ。邪魔とかはしないとは思ってたけど、あんな風に一生懸命になるとは思ってなかったって。 美雪(私服): え、そうなの? だとしたら、本当に魅音なのだろうか。でも、なぜ急にあんな心変わりを……? 美雪(私服): (まぁ……わからないことは考えても、仕方がない) そう思い直し、とりあえず魅音のことを棚上げにする。その代わりとして私は、絢花さんの話題に切り替えて続けた。 美雪(私服): 絢花さん、奉納演舞やるんだよね。梨花ちゃんがやってたあれ……私は見てないけどさ。 一穂(私服): うん……練習してるみたい。 美雪(私服): みたい、ってことは一穂も見てないんだね。なんか妙なところで秘密主義っていうかさ~。 絢花(巫女服): 『――見ても面白くありませんから』 練習風景を見たいと言った私の頼みは、そんな一言によってすっぱりと切り捨てられた。 美雪(私服): 本番のお楽しみに、ってことかな。 一穂(私服): うん、きっとそうだと思う。 互いに布団に入って、同じ天井を見つめる。 美雪(私服): ねぇ、一穂。今のうちに話しておきたいこととかない? 一穂(私服): ……えっ……? しん、とわずかに沈黙があって。 一穂(私服): う、ううん……ないよ。 美雪(私服): そっか。ねぇ一穂……明日の綿流しが無事に終わったらさ、絢花さんを誘ってどっか遊びに行かない? 一穂(私服): 遊びに……? 美雪(私服): いや、よく考えたらこっちに来てから情報収集とか、綿流しの祭の準備とかで走り回ってばかりで……じっくり話とかしてないなって思ってさ。 一穂(私服): 状況が状況だったもんね。 美雪(私服): そうそう……だからちゃんと話せば、絢花さんと仲良くなれるかなって思って。 一穂(私服): …………。 美雪(私服): どうかな? 一穂(私服): ……そうだね。きっと、仲良くなれるよね。 もぞり、と衣擦れの音がしてからしばらくして……一穂の安らかな寝息が聞こえ始めた。 美雪(私服): (……言いたいことはない、か) ただ私の目は冴えたまま、頭の中は夕方……偶然盗み聞いてしまった会話でいっぱいだった。 美雪(私服): (言えないよね……あんなことは……) 今日の昼間。私が荷物を持って古手家本邸に戻った時、屋敷の中には絢花さんと一穂がいた。 そして、そこで彼女は――。 絢花(巫女服): 一穂さん……美雪さんは、何を考えているんですか? 一穂(私服): えっ? な、何を考えてって……。 絢花(巫女服): 美雪さんは、とても優しい方だと思います……優しすぎて……気持ち悪い。 一穂(私服): ……っ……? 絢花(巫女服): 自分はいい子だよ、優しい人間だよって態度で主張するみたいな、あの感じ……。 絢花(巫女服): ……言葉が悪くて、申し訳ありません。でも正直、肌に合わないのを通り越して怖気を感じるんです……。 一穂(私服): …………。 一穂は言葉を失っていたが、私は逆に絢花さんの言葉に納得していた。 美雪(私服): (あ、やっぱ絢花さんって……私のことが苦手だったんだ) 妙に避けられているようで理由が気になっていたが、どうやら純粋に私とは合わないと判断されたらしい。 嫌いと言われたので、落ち込むべきか……何かを企んでいたのじゃなくてよかったと思うべきかは、ちょっと難しいところだろう。 絢花(巫女服): なんであんなふうに、誰に対してもにこやかな笑顔で話しかけることができるんです?しかも、相手の動向を伺うようにしながら……。 絢花(巫女服): なんだか、表情とは違う思考があの人から伝わってくるみたいで……怖いんです……。 一穂(私服): み……美雪ちゃんは、ただ絢花さんと仲良くしたいって思ってるだけだと……思う。 絢花(巫女服): ……。本当にそう思っているなら、一穂さんは誰かを疑うことを覚えた方がいいですよ。 一穂(私服): ……ぇ……? 絢花(巫女服): 美雪さんは園崎家を使って、何をどうしようとしているんですか?私には、その意図がわからない……。 一穂(私服): な、何って……綿流しを、成功させようって……。 美雪(私服): ただいまー!ちょっと荷物多いから、運ぶの手伝ってー! わざとらしく足音と大声をたてて会話を途切れさせなければ、あの後どうなっていただろう。 美雪(私服): (ずいぶん嫌われたものだなぁ……いや、不審な行動と言われればそうだけどさ) 美雪(私服): (まぁ、絢花さんって梨花ちゃんの代わりになってからすごく苦労してきたみたいだし……簡単に信用してもらえるわけもないか) 逆に一穂に対しては、私よりちょっと心を開き気味なのが救いだ。 美雪(私服): (2人とも嫌われてたら、仲良くなるのって今以上に大変そうだからなぁ) 一穂に知られたら楽観的だと不安がられそうだけど、この祭が終わってちゃんと話し合えば絢花さんも少しは距離を縮めてくれるかもしれない。 その絢花さんは今、私や一穂……他の観客達の見守る舞台の上で優雅に奉納の舞を踊っている。 絢花(巫女服): …………。 規模は縮小してしまったが、梨花ちゃんの不在を除けば最後の綿流しは以前の「世界」と同じように進行している。 美雪(私服): (あとは、この奉納演舞が終われば……) やがて音楽はクライマックスに入り、彼女の舞も大ぶりなものから小さな動きへ変化していく。 そして、終わりを示す太鼓の大きな音とともに絢花さんの動きは止まり……観客からぱちぱちとやる気の無い拍手が鳴り響いた。 美雪&一穂: …………。 そんな中、一心不乱に全力で拍手していた私と一穂はかなり悪目立ちしていただろうが、知ったことじゃない。 美雪(私服): (礼奈は、親御さんの都合で祭に不参加だし……沙都子が具合悪いからって、悟史くんも帰っちゃったしね) もう少し人数がいれば拍手も賑やかになったはず……なんて考えていると。 美雪(私服): ……あれ? 並んだパイプ椅子をすり抜けて、壇上へ向かう影がひとつ。 美雪(私服): 魅音……? 一穂(私服): どうしたんだろう、魅音さん……? 隣の一穂が呟く中、突如壇上に上がった魅音は居並ぶ村人たちに向けてすぅと息を吸い込み……。 魅音(私服): 祭りのはじまりだァァァ!! 村人A: 殺せ! 村人B: 殺せ! 村人C: 巫女を殺せぇえええええっ! それを皮切りにしたのか、村の人々は口々に叫びながら動きを止めた彼女めがけて一斉に襲いかかった――! 絢花(巫女服): 魅音、さん……? 叫ぶ魅音の傍ら、絢花さんが呆然と……立ち尽くしている。 その顔を見た瞬間、理解した。……彼女は、何も知らないのだと。 その理解がすんなりと、自分の中に落ちてくると同時に――。 美雪&一穂: 絢花さんっ! 私は一穂とともに、壇上へ向かって飛び出していた。 絢花(巫女服): なんなんですか……いったい、これは……っ?わけがわかりません……何が起きてるんですか?! 美雪(私服): わからない! けど走って! かろうじて救出した絢花さんを連れて、私は一穂とともに襲い来る村人たちをかい潜りながら必死に階段を駆け下りていた。 一穂(私服): どうして、どうしてまた、こんなことに……?! 併走する一穂の泣き言は、再び引き起こされた惨劇を狂乱して歓喜する村人たちの叫びにかき消される。 美雪(私服): (なんで……? 何がきっかけで起きた?!) 美雪(私服): どうして、魅音がおかしくなった……?!なんで、絢花さんを殺そうと……?! 絢花(巫女服): なんでって、決まっています……!元々おかしかったんです! 絢花(巫女服): あの人も……! この村も、全部っ!こんな、何もかもがメチャクチャな村……とっとと死んでしまえばよかったのに……! 美雪(私服): ……っ……!! ぶちまけられる怨嗟に、今は何も返せない。それよりも、この後を考えるほうが先決だ……! 美雪(私服): 一穂、絢花さん……とにかく、走って!ひとまず北条家に逃げさせてもらおう! 北条家の両親は、引っ越しの下見を兼ねて旅行中のため……家には子どもしかいないと言っていた。 礼奈の両親がどんな人なのかがわからない以上、まずは顔見知りだけの家に頼るのが早いだろう。 目指す避難先は、先に帰った悟史くんたちがいる北条家に定まった……が……っ? 美雪(私服): ねぇ、さっきより数が増え……うぉっ?! ……多勢に無勢。一度蹴散らし開いた背後の突破口はすでに収束し、逃げ出した私たちに追いつきかけている……! 美雪(私服): (このままだとジリ貧……! だったら……!) 階段を下りてしばらく走ったところで、私は足を回転させて隣の一穂を前へ押し出す。そして――。 美雪(私服): 一穂、絢花さん! 先に行って!ここは私が食い止める! 絢花(巫女服): え……? 一穂(私服): なっ……何を言い出すの、美雪ちゃん!こんなところでたったひとり残るなんて、いくらなんでも無茶だよ! 一穂(私服): だったら私が残って――! 美雪(私服): キミは、絢花さんを守らなきゃいけないでしょっ?!絢花さんだって、私より一穂の方が信頼できるでしょ? 絢花(巫女服): ぇ…………美雪さん、あなた……まさか……。 暗闇の中、絢花さんの息をのむ様子が伝わってくる。……まさか、あの時の会話が私に聞かれていたとは思っていなかったのだろう。 でも、別に気にしちゃいない。だからこそ私は、精一杯明るい声をあげていった。 美雪(私服): 絢花さんとはまともに話してないし、そりゃ私のことがよくわかんなくて当然だ!気持ち悪いよね! 美雪(私服): ごめんね、絢花さん!あなたと話すのをもっともっと優先するべきだった!でも一穂は見たとおりだからさ、安心していいよ! 絢花(巫女服): っ……わ、私は……。 背後でためらう空気を感じ、振り返って笑顔を見せる。 美雪(私服): ……大丈夫、あとで追いつくから先に行っててよ。沙都子と悟史によろしく! 一穂(私服): っ……わかった! 必ず来てね、約束だから! 絢花(巫女服): っ……ごめんなさい……!美雪さん……あとで、必ず……っ! 涙目の一穂に手を引かれて、沈痛な表情の絢花さんが駆け去っていく。 そして、後ろ髪を引かれる様子だった2人の背中を最後まで見送ることもなく、私は追いかけてくる村人たちと対峙した。 私の間近に迫った村人たちの集団の中には、一緒に祭の準備に励んだ人も混じっている。 私に笑いかけてくれた人も、村がダムに沈む悲しさをぽつりと語ってくれた人も。 そんな彼らに向かって……私は、叫んだ。 美雪(私服): さぁ、来いっ!徹甲弾の娘が、相手してやらぁぁぁっっ!!! Part 04: …………。 気がついて目を開けると、視界いっぱいに満天の星空が映し出された。 美雪(私服): っ……ぁ……? 周囲には、草むららしき影。……なんでこんなことになっているのだろうと青臭い空気の中で考えて……あ、と思い出す。 美雪(私服): (そっか……私、戦ってる最中に力尽きて、気を失っちゃったんだ……) 身を隠して少し休むつもりが、休みすぎてしまったらしい。 よろよろと立ち上がり、焼けるように痛む腕や鈍痛が走る腹部の訴えを無視して周囲に目を向ける。 おびただしい数の村人が、物言わぬ姿で……折り重なり、重なり、転がっていた。 美雪(私服): (これ、私がやったの……?) 思わず、顔をしかめる。記憶はないが、あまりにも数が多すぎて自分が信じられない。 それに……どうして私だけが助かったのか、全く記憶がない。 ただひとつ確かなことがあるとすれば、私は助かった……その事実だけだった。 美雪(私服): とにかく……一穂たちのところに、合流しなくちゃ……。 そう言葉に出して自分を励まし、……歩き出す。 ぽつ、と頭に冷たいものが触れてあぁ……雨まで降ってきたのかと今更に思う。 …………。 全身に力が入らず、何度も躓きながら少しずつ前へ、前へと足を踏み出して……。 雨が本降りになるまで、時間はかからなかった。 全身ずぶ濡れになり、雨に伴って視界が悪くなる中……ふと、雨の合間の前方で影がひとつ揺れた気がした。 美雪(私服): 新手っ……?! また村人かと思って思わず身構える。すると――。 圭一:私服: 無事だったか、美雪ちゃん?! 美雪(私服): へ……? 遠くからこちらに向けて駆けてくる、あの懐かしい姿は……あれは、あれは……?! 美雪(私服): は、はは……。 笑っている場合じゃないのに、笑いがこぼれた。 美雪(私服): この姿を見てそう言えるなんて……キミ、目が悪くなったんじゃない? 美雪(私服): ……前原くん。 私は濡れた袖口で目元を拭い、彼を見る。 美雪(私服): 見てよこのズボンのダメージ……。どこのロックバンドかって感じ。もう捨てるしかないね。 圭一(私服): はは、そんな口叩けるならまだ大丈夫だな! 皮肉を返す私に対し、笑う前原くん。それを受けて、私も笑い返し……そこではたと、違和感に気づいてあっ、と声を上げた。 この「世界」で私は、まだ彼には会っていない。……にもかかわらず、この反応は明らかに私のことを最初から知っているといったものだ。 ということは……まさか、彼は……? 美雪(私服): 前原くん……ひょっとしてキミ、記憶が……?! 圭一(私服): あぁ……どういうわけか知らねぇが、俺は前の「世界」の俺だ。 圭一(私服): いや、最初は焦ったぜ。殺されたと思ったのに、気がついたら知らない学校の教室で机に座って授業を受けていたんだからさ。 美雪(私服): ……。やっぱりあの後、キミたちは死んだんだね。でもどうして、また私たちのところに? 圭一(私服): へへっ……決まっているじゃねぇか。生き返ったんなら、やることはひとつ!仲間を助けに行くだけだってな! 美雪(私服): それで……来てくれたんだ……。 その思いが……本当に嬉しくて、心強い。やっぱりどの「世界」でも前原くんはたくましく、そして優しい男の子だった……! 圭一(私服): でも、悪ぃ……親を説得するのに時間がかかった。というか、説得できなかったから家出してきたんだ。おかげで#p綿流#sわたなが#rし当日の夜になっちまった。 美雪(私服): それは、また……ずいぶんと親不孝だね……いや、それは私も同じか。塾の夏期講習のお金、調査費に充てちゃったし。 圭一(私服): 横領か。なかなか美雪ちゃんも悪じゃねぇか。 美雪(私服): はは、地獄落ち確定だよ……。 私たちは、顔を見合わせて笑う。……と、ふいに前原くんは真顔になって私を見つめながら言った。 圭一(私服): ……。だとしても美雪ちゃんは、地獄より先に行くところがあるぜ。 圭一(私服): 一穂ちゃんを迎えに、古手神社に行こう。 美雪(私服): は……? 流れるような会話にぽんと飛び込むような名前に、私は思わず目を見開く。 美雪(私服): 一穂を迎えに、古手神社に……って私たち、あそこから逃げてきたんだよ? 美雪(私服): それで、沙都子の家に避難させてもらおうって……なのに、なんで……? 圭一(私服): 美雪ちゃんならわかるだろ?……この「世界」は、もうダメだ。 圭一(私服): だから、前の「世界」の時と同じように祭具殿から元の「世界」に戻るしかねぇ。……一穂ちゃんにも、了解済みだ。 美雪(私服): …………。 前原くんの言葉が、しばらくぼんやりと宙に浮いているように感じて。 美雪(私服): ……そうか。 やがてそれは、私の中に染みこんでいく。 美雪(私服): ……そうなんだ。 飲み込んで、理解して……くっ、と喉が鳴った。 美雪(私服): っ……結局私、また何もできなかったんだ。ごめん、前原くん……せっかく、生かして戻してもらったのに……何も……。 美雪(私服): ……私、今回も全然、役に立たなかったな……。 歯噛みしてそう呟くと、自虐的な笑みがこぼれる。 ……悔しかった。情けなかった。せっかく手に入れた奇跡なのに、私はまた……無駄にして……ッ! ……すると、そんな私を見た前原くんはしばらく黙ってから……雨音の合間を縫うように笑っていった。 圭一(私服): ……そんなことはねぇよ。 美雪(私服): ……っ……? 圭一(私服): 俺、わかったこと……思い出したことがあるんだ。 圭一(私服): 俺たちがこんな、おかしな「世界」に放り込まれることになった……その原因ってやつを、な。 美雪(私服): ……それは、いったい何? 圭一(私服): 今はまだ言えねぇ。だけど俺は、そいつの居所を突き止めてみせる。 圭一(私服): ただ……次に会った時も、俺がそのことを覚えているかはわからねぇ。 圭一(私服): だから、もう一度会えることがあったら……俺の頭引っぱたいてでも思い出させてくれ。 圭一(私服): そして……今度こそ、手を貸してくれよ。 美雪(私服): ……もちろん。 真剣な顔で励ましてくれる前原くんに、私はそう答えて頷く。……今、私に約束できるのはそれだけだった。 圭一(私服): けど……美雪ちゃん、怒っていないのか?なんでもっと早く来なかったんだ馬鹿、っててっきり怒られるかと思ったんだが。 美雪(私服): まさか。これは私のミスだよ。私がもっと、いろんな可能性を信じて動いてたらもっとましになってたかもしれないんだからさ……。 この「世界」にやって来てから、全力を尽くしたつもりだった。 だけど、ただつもりで私は怠けていたのか、それとも……。 美雪(私服): (私の力じゃ、ここまでなのかな) わからない。でも……ひとつ言えることがある。 この「世界」でも、私は梨花ちゃんを……助けられなかった。 祭の準備を手伝ってくれた礼奈も、北条兄妹も……。 私を苦手に思いながらも、自宅に置いてご飯と寝床を提供してくれた絢花さんのことも……っ。 一穂を連れて帰るという目的を捨ててしまえば、それは可能かもしれない。 でも、それはできない……元の「世界」で、菜央と千雨が待っている。 彼女たちのことを……裏切るわけにはいかなかった。 美雪(私服): 助けられた分は、助けたかったな……。 すすり泣きの破片のようにこぼれた声に……前原くんは何も言わない。 聞こえなかったふりをしてくれているのだろう。その優しさが嬉しいと同時に……恨めしかった。 雨が、少しずつ弱まって。……静けさを取り戻した夜が、更けていく。 そして、狂乱の時間が嘘だったかのように静まりかえった古手神社に戻って来た私たちが長い階段を登り終えて、境内に入ると同時に――。 ……鳥居と本殿の中央あたりに、倒れている人影を見つけた。 圭一(私服): なんだ、あれ……。 美雪(私服): あっ……! 声を出すと同時に、走り出す。 暗闇でもわかる、あれは女の子だ。しかも、あの服は……まさか……?! 美雪(私服): し……詩音っ?! Part 05: 美雪(私服): 詩音……しっかりっ! 重傷を負って倒れている詩音に駆け寄り、抱き起こす。 圭一(私服): 詩音、なんでここに?!おい、しっかり! しっかりしろ、詩音! #p園崎詩音#sそのざきしおん#r: う、ぅ……。 腹部が赤く染まっているが、幸い出血の速度は遅く意識もあるようだ。身体を揺さぶっているうちに長いまつげが震え、ゆっくりと持ち上がる。 ほっと一息ついた次の瞬間……私は彼女の返答を聞いて、再び息を飲むことになった。 #p園崎詩音#sそのざきしおん#r: っ……美雪……?なんであんたが、こんなところに……?! 美雪(私服): いや、それは私の台詞……って、あれ?キミこそ、どうして私の名前を知ってるの? この「世界」においての私は、遠い学園に通っているはずの詩音との面識はない。 なのに、顔を見るなり私の名前を呼び捨てにしたということは、まさか……まさか?! 美雪(私服): ひょっとして……キミって、魅音……?! #p園崎詩音#sそのざきしおん#r(#p魅音#sみおん#r): ……うん、そうだよ。 圭一(私服): えっ?……ほ、本当に魅音なのか?! #p園崎詩音#sそのざきしおん#r(#p魅音#sみおん#r): だから、そうだって言っているじゃんか……。 駆け寄ってくる前原くんに向かって、魅音は力なく微笑みながらそう返した。 #p園崎詩音#sそのざきしおん#r(#p魅音#sみおん#r): ……記憶を取り戻したから、学校を脱出してきたんだけどさ。思っていたより時間が、かかっちゃって……。 #p園崎詩音#sそのざきしおん#r(#p魅音#sみおん#r): ……こんなことになるなら、素直にあの子を信じて協力してもらえばもっと早く……痛っ……! 美雪(私服): 「あの子」……? 圭一(私服): 傷、深いのか? 大丈夫か、魅音っ……? #p園崎詩音#sそのざきしおん#r(#p魅音#sみおん#r): ちょっとドジっちゃってさ……うっ!それより圭ちゃんは、なんでここに? 血は止まっているようだが、酷く痛むらしい。魅音はうめき声を上げて脂汗を額に浮かせながら、それでも前原くんを見上げて尋ねかけた。 圭一(私服): 俺は、美雪ちゃんたちを助けに……いや、待て。美雪ちゃん、この村の分校に魅音はいるんだよな? 美雪(私服): いる!けど、じゃあこの村で魅音を名乗ってたのは……もしかして前の世界の……詩音?! 圭一(私服): だとしたら、詩音も覚えていると考えた方がよさそうだな。 美雪(私服): …………。 未だ濡れたままの前髪から、一滴雨がしたたり落ちる。 美雪(私服): だ、だけど……いったいどうして、詩音が惨劇の先導を? 美雪(私服): まさか、前の「世界」の魅音たちと同じように誰かに意識を乗っ取られてるとか……?! #p園崎詩音#sそのざきしおん#r(#p魅音#sみおん#r): いや……あの子は正気だよ。誰かに操られているんじゃなく、自分の意思で今回の惨劇に便乗しているんだ……! 美雪(私服): な、なんでそんなことわかる……ッ?! その時、近くに人の気配がして……はっ、と息をのんで私は身構える。 すると、暗がりの中からするりと猫のように姿を現したのは……全身のあちこちが血に塗れた魅音……いや。 美雪(私服): ……詩音! #p園崎魅音#sそのざきみおん#r(#p詩音#sしおん#r): ようやくわかったんですか。遅い……遅いですよ……あははははー。 その笑い方で、ようやく確信する。 今まで私が魅音として喋っていたのは、魅音と偽っていた詩音だったんだと……! 美雪(私服): ……でも、なんで?前は私たちを惨劇から救い出してくれたのに――! 美雪(私服): どうして、惨劇を起こす側に回った?!なんで絢花さんを殺そうとしたんだよ?! #p園崎魅音#sそのざきみおん#r(#p詩音#sしおん#r): …………。 美雪(私服): 答えて……答えろよ、詩音ッ!! #p園崎魅音#sそのざきみおん#r(#p詩音#sしおん#r): ……説明をしたところで、どうせわかってはもらえませんよ。 私の問いに、詩音は苦笑交じりに返事をする。その表情には確かに狂気などなく、むしろ諦観……絶望にも近い感情が宿っているようにも見えた。 #p園崎魅音#sそのざきみおん#r(#p詩音#sしおん#r): 夢を叶えて、その罪を償うため……決めたんですよ。私は、これから鬼になるんだと――ッ! そう言って魅音――いや詩音は、私に向かって襲いかかって……?! 美雪(私服): ……くっ! とっさに取り出した武器に、大きな衝撃が走る。危なかった、一瞬でも遅れていたら……ッ! #p園崎魅音#sそのざきみおん#r(#p詩音#sしおん#r): ほらほら、ほらほらほらほらああぁぁぁあッッ!!! 息をつく暇もない猛攻に、防戦一方に追いやられる。体勢を立て直すにも、隙がない……! 美雪(私服): く、そっ……! 息が詰まりそうになった瞬間。それまでとは違う、ガキン、と甲高い音がした。 圭一(私服): やめろ、詩音! と、そこへ詩音と私が対峙している間に、前原くんの武器が割って入ってきたのだ。 圭一(私服): 俺たちがこんなところで戦ったところで、いったい何になるっていうんだよ?! #p園崎魅音#sそのざきみおん#r(#p詩音#sしおん#r): ……。何にもなりませんよ……。 #p園崎魅音#sそのざきみおん#r(#p詩音#sしおん#r): えぇ、何も残らないし、何もできない!自分が無力で愚かなことくらい、私自身がよぉくわかっています! #p園崎魅音#sそのざきみおん#r(#p詩音#sしおん#r): ……それでも私は、変えるしかないんです!このおかしな流れと、私たちを弄ぶクソッタレな憎むべき存在への反逆にねッッ!! 圭一(私服): う、ぉっ……?! 詩音の勢いに、前原くんの武器がさがっていく……その怒りに、彼が飲まれていく……押されている……?! 美雪(私服): っ……いったいキミは、何と戦ってるんだよ! 防戦の影響でしびれが残る手を押さえながら、意識を散らすために吠える。 美雪(私服): 教えてよ、詩音ッ!話してくれなきゃ何にもわからないし、協力したくても何もできないっ! 美雪(私服): お願いだから……私たちのことをまだ仲間だって思ってくれてるんだったら、説明してってば!! 美雪(私服): 前の世界で助けてくれた借りを、返させてよ……! #p園崎魅音#sそのざきみおん#r(#p詩音#sしおん#r): ……っ……! その言葉を聞いた瞬間。 あふれんばかりの殺意と狂気をむき出しにしていた詩音の動きがはた……と止まる。 圭一(私服): うぉっ……?! し、詩音? 力任せのぶつけ合いから詩音が一方的に力を抜いたせいで、行き場を失った勢いが前原くんの身体を大きく揺らした。 #p園崎詩音#sそのざきしおん#r(#p魅音#sみおん#r): ぅ……詩音……? 背後で妹を呼ぶ、か細い姉の声。傷が深すぎて、起き上がることも難しいのだ。 #p園崎魅音#sそのざきみおん#r(#p詩音#sしおん#r): …………。 三者三様に呼びかけられた詩音は、笑うような、泣いているような……複雑な表情を浮かべて。 #p園崎魅音#sそのざきみおん#r(#p詩音#sしおん#r): こんなことを言ったところで、今さら信じてもらえないと思います。でも……これで最後だから、一度だけ正直になりますね。 #p園崎魅音#sそのざきみおん#r(#p詩音#sしおん#r): 皆さんが許してくれるなら、私は……今でもずっと、あんたたちの仲間のつもりです。だから――。 #p園崎魅音#sそのざきみおん#r(#p詩音#sしおん#r): ここで死んでください……ッ! #p園崎魅音#sそのざきみおん#r(#p詩音#sしおん#r): 私の許されない過ちを、ここで少しでも償うためにッッ!! 美雪(私服): わけのわかんないことばっかり言ってないで、ちゃんと話せって言ってんでしょうがァァ!! 叫びながら、痺れの残る手で、再び武器を握る。 頭に血が昇るのを感じながら、心の奥底で……思う。 どうしてこんなことになったんだろう。 どうして私は、命の恩人と殺し合おうとしているんだろう。 誰か、誰か……。 美雪(私服): (……教えてよ、お父さん――) Epilogue: ――1996年(平成8年)。 ダム湖の水面を展望台から見つめながら、私はここに来て何度目になるかわからないため息をついていた。 ……詩音と戦った後の記憶は、曖昧だ。 ただひとつ言えるのは、どうやら戦いの最中か終わりに私は力尽きて倒れてしまったようで……。 どういった経緯があったのかは全く定かではないのだけど……再び気がついた時には、私は平成5年の「世界」の#p雛見沢#sひなみざわ#rに戻っていた。 菜央(私服): 『大丈夫、美雪……っ?』 目を開けるなり、涙目で私をのぞき込む菜央の顔が視界いっぱいに映し出される。その横には、安堵で息をつく千雨の姿もあった。 美雪(私服): 『う、うん……一穂は……? 一穂は、どこ?』 千雨: 『……戻ってきたのは、お前だけだ』 千雨: 『というか、お前が祭具殿に入ってから5分もたってないぞ。……なのに、なんでそこまで疲れ切った顔をしてるんだ?』 美雪(私服): 『え……?』 私は、傷ひとつついていない自分の身体を確かめてから……菜央、千雨に顔を向ける。そして、 美雪(私服): 『……南井さんは?』 その問いかけに、2人は怪訝そうに顔を見合わせてから……小首をかしげて答えた。 菜央(私服): 『南井、さん……?』 千雨: 『誰のことを言ってるんだ?』 美雪(私服): 『…………』 ……結局、あれからどれだけ待っても一穂が姿を現すことはなかった。 ただ……今思い返すと、魅音に化けた詩音が現れた時、前原くんはなぜか一穂の所在と安否について聞こうとしていなかった気がする。 ということは……境内に、一穂はいなかったのだろう。当然、一緒にいた絢花さんも……。 美雪(私服): 前原くん、一穂も来てるって言ったのに……なんであの時、あんな嘘をついたんだろう。 それを確かめる手段は、もうない。聞くべき相手がこの「世界」に存在しないからだ。 その後、私は菜央や千雨の協力を得て雛見沢について徹底的に調査を行った。 その過程で、レナや魅音……雛見沢で出会った人たちの死亡を確認し、悲嘆に打ちひしがれた日もあった。 だけど、どれだけ調べてもただひとり……一穂の行方だけはわからないままだ。 そして運の悪いことに、私は折を見て何度も高天村の祭具殿に一穂が現れていないか、見に行っていたのだけど……。 村だけでなく、周辺の集落に住む人たちからも「明確な要件を言わないまま頻繁に訪れる若い娘」と噂になり、顔を覚えられてしまった。 おかげである時から、村の周辺を歩いただけで通報されるようになり……警察や警備員たちに追い返されるので、もう何年も足を踏み入れていない。 ……その反動もあってか、私はこうして旧雛見沢があったダム湖を定期的に訪れている。 2度目の昭和58年の雛見沢からの帰還で、生まれた疑問が2つある。 1つは、南井さんを含めた広報センターに関する記憶が2人の頭から綺麗さっぱり消えていたことだ。 私たちは3人で独自に高天村のことを突き止めて、そこを訪れたことになっていた。 美雪(私服): (広報センターは違う人が館長をしていたし、眠り病で入院した記録もなかった) そして、驚くことに……。 美雪(私服): (『眠り病』の存在が、完全になくなっていた……) おかげで菜央のお母さんは、今も健在だ。それは喜ばしいことには違いないが……彼女たち母子のこじれたままの関係を思うと、複雑な思いだった。 …………。 とはいえ千雨と菜央には、この違いを教えていない。#p田村媛#sたむらひめ#rがあれから姿を見せない以上、言ったところで彼女たちを混乱させることにしかならないからだ。 美雪(私服): (……意味なんて、なかったのかな) 一穂を、みんなを助けるつもりで再び昭和58年に向かい……結局私ひとりだけ、また元の「世界」に戻された。 美雪(私服): (無様な話だ……1度ならず2度も、奇跡にも近いチャンスを無駄にするなんて……!) そもそも『眠り病』とは、何だったのか。あるいは今、私はその『眠り病』に感染して終わらない夢を見ているのではないか……? 自分が何もできなかった悲しみから目を反らすため、責任逃れのようにそんな妄想に逃げ込もうとしたのも卑怯な話だけど、1度や2度ではない。 …………。 でも、できなかった。だって太陽は眩しいし、湖の匂いは優しい。 そう……これは現実だ。何も為し得なかった私が直面せざるを得ない、悲しくて厳しい……残酷な現実。 それを思うと、涙がこみ上げて……あふれそうになって……。 美雪(私服): ……っ……。 …………。 いや、……泣くもんか。 美雪(私服): (あぁ、泣くもんか……!) 泣いたところで、何も解決しない。全てから目を背けて忘却の中に消し去って、「な」かったことになるだけだ。 ……終わらせるものか。必ず私は、何かを掴んでやる。 絶対、私は……私たちは、諦めたりなんかしない。 美雪(私服): 一穂を、迎えにいく……見つけ出す!絶対にだ……ッッ!! 美雪(私服): いつか、会いに行く……!菜央を連れて、キミを迎えに行くから……! 美雪(私服): 必ずっ……!! 私は乱暴に袖で目元を拭い、湖に向かって宣言する。 美雪(私服): 私は忘れたり、諦めたりしない!キミともう一度会うまで、絶対……っ!! だから、いつか……菜央と3人で、もう一度遊ぼう。夜遅くまで話をしたり、どこかに出かけよう。 あぁ……でも一穂が今帰ってきても、菜央が元気のないままだと心配させてしまう。それはきっと、彼女も望まないはずだ。 美雪(私服): (そうだ……帰ったら菜央に、高校は私の母校にしないかを提案してみよう) 菜央の家から距離はあるけど、十分通学範囲だ。校風も悪くない……なによりうちの母校には、社宅の後輩たちがたくさんいる。 菜央は、クラス内のゴタゴタが高校まで延長するのでは、と心配していたけど……校区を変えてしまえば問題はないはずだ。 永遠に続くような息苦しい学生生活にも、終わりがあることを少し年上の私は知っている。 ただ、その渦中にいる本人にはそれがわからない。いつか終わると言われても、実感が持てないだろう。 だから、私が教えてあげればいいんだ。ただひとつしかないと思っていた「世界」は、実は数ある中のひとつでしかないってことを――! 美雪(私服): (……なんだ。こんなところで、落ち込んでる場合じゃないって) ……まだ、やらなくちゃいけないことがある。やりたいことがある。 そのためにも。私は、まだ……潰れるわけにはいかないのだ。 2度救われた命を、ムダにしないためにも――! 美雪(私服): ……よし。 私は大きく背伸びをして……深呼吸をして。 ヘルメットを被ってバイクに跨ると、勢いよく来た道を戻って走り出した。 …………。 ……そして。「彼女」が立ち去り……静かな湖が戻る。 静かな、静かな……。           ――くすくす……。 静か――……な?     ――平成5年の暇潰しは、これでおしまい?        ――本当、父親にそっくりね。    ――あんなにボロボロになって後悔を重ねても、         まだ潰れないなんて。           ――だから……    もしかしたら、いずれ届くかもしれないわね。       ――父親と同じように、彼女の手も。          ――きっと、奇跡に……。