『Ep8』の物語『魔女の世界』「一なる真実』 いくつか「Ep8の物語について伺いたいと思います。.ハロウインバーティーて、ケーキの中に入っていたアーモンドの数と図書の都の入館証の数が2つあったことに関連はあるのてしようか? 竜騎士07: アーモンドと入館証に直接的な関連を持たせてはいないんですが、そういう考えは面白そうですね15等分されたケーキから2つのアーモンドが出てきたということは、もしかしたら「全部にアーモンドが入っていた」とも考えられる。そう仮定した場合、今度は「アーモンドを当てたのに申告しない理由は?」などと考えたり、確率論とか並行世界の理論とからめて考えても面白いんじゃないてすか。15分の1の場合でも、すべて同じ未来が用意されていたとも取れますしね。 入館証については? 竜騎士07: 縁寿が持っていた1個はともかくとして、もう1個はいつの間にまぎれこんでいたのかは謎ですね答えを言っちゃうと簡単なんだけど。 答えがあるんですか? 竜騎士07: もちろんあります。でも大して面白くない答えなので伏せておきます単純なので、考えてみてくたさい(笑)。 フエザリーヌは、書いたことを現実にする能力を持ているということですか、”Ep8の物語全体がフエザリーヌによつて書かれた物であるという解釈は可能ですか? 竜騎士07: そういう考え方もできますね。フエザリーヌはあの世界における神、 世界の執篭者に限りなく近いんです。 だからフエザリーヌが登場人物の中で最強に近いのは間違いないですね。それと同時に結構恥すかしいャツなんですよね。自分の作品に自分を登場させて「俺、超強え~ !」と書いているわけですから(笑)。作者本人を最強の主人公にしたファンタシー小説みたいなものじゃないですか. そういう目線て見ると、フエサリーヌとラムダテルタの戦いは面白いてすね(笑) - 竜騎士07: 自分がラムダをやっつける展開にする、でもどうやってラムダをやつつけるか分からないから、とりあえず「倒した」だけ書く。このシーンは不思議と「ショ*ョ」っぽくなってしまいました(笑)。実際には「誰があの世界をライティングしているのか?」という主観の問題になるんですよね。そこまで考えながら読んでいる人は、少ないと思いますけど。 そもそもフェザリーヌとは、どういう存在なのでしよう? 竜騎士07:「Ep6”のTipsで、フエサリーヌが「生き死にを繰り返している」とあったのは、フェザリーヌ自身が駒だった頃、自分たちも誰かにライティングされている登場人物であるという事実を知り、自由意志と信じて疑わなかったことが、誰かにライティングされている物だと気づいたために死んじゃったんですよね。でも彼女は、自らもライターとなって帰ってきた。そして恥も外聞もなく、自分の作品の中に自分を描くことで真の自由意志を得た。彼女は今、リレーマンガのような世界にいるのかもしれないですね。自分のキャラは自分で書くけど、それ以外は複数のライターが書いているような世界に存在しているのかもしれません。 航海者が造物主になるのを恐れるといつのは、そのあたりに由来するのでしようか? 竜騎士07: そうですね。マンガって読んでいるときは面白いけど、いずれ読み飽きちゃう。でも白いノートを与えられて自分で書いていれば無限に遊べるので、マンガを読むより遙かに面白いかもしれない。ただし、自分のアイデアが枯渇したり、描く行為に飽きたら終わりますよね。しかも自分(作者)の望まないような展開やキャラクターは生まれてこない。造物主というのは何でも生み出せるが故につまらない生き物ですよ。 他人が作った面白い話を読めなくなるんですね。 竜騎士07: 造物主でないほうが、TVの前に座っていればどんどん物語を見ることができるのと同じで楽なんですよ。人間は、自分が誰かの作品の登場人物であることすら自覚しておらず、自由意志によって行動していると信じているので、一番気楽な存在です。一方でベルンやラムダたちは、チャンネルを自由に変えたり、ときどきシナリオライターに注文をつけて、話に介入できる階層。ただし介入すると物語が変わってしまうので、その事実はギリギリまで知らないふりをしている。フェザリーヌは、そこに踏み込んで死んでしまったんでしよう。白紙のノートに妄想するのは楽しいけど、そこにすっと話を書き続けるのはかなりしんどいので、魔女は死んでしまうわけですね。魔女というのは、「自分たちは、誰かの創作物じゃないか」ということに気づき始めていて、なおかっ異なる創作物を閲覧できる立場にいる者で、上に行けば行くほど執筆者の立場に近づいていき、本当に執筆者の域まで到達すると終わってしまう。真里亞が「原初の魔女」と呼ばれた理由は、飽きることなく、ゼロからドンドンとアイデアや世界を膨らませていけるからなんです。 ある意味真里亞は、他の魔女よりずっと凄いのかもしれませんね. 竜騎士07: べアトリーチェが「宇宙は2人いないと生み出せない」と言った理由は、相手が書いたものにインスピレーションを受けて、自分も世界を膨らませる。それを見た相手がまた感銘を受けて膨らませ、相互に共鳴させるということです。もちろんこの関係は、もっと大勢の人がいた方が、より豊かに膨らみますけどね。これが魔女の世界独特の世界観て、この世界のファンタジー面を支える設定になります。 “Ep6”で戦人が自分好みのべアトリーチェを書いていましたか、自分に都合のいい発言ばかりになって幻減するというのも、それに当てはまるのでしようか。 竜騎士07: その通りです。ゲームマスターになれば思い通りのべアトリーチェを作れるけれども意外性がない。ゲームマスターだからこそのジレンマですね。戦人はべアトリーチェのことを人間として見ていて、駒とは見ていなかったんです。だから戦人にとって「Ep6』のヘアトは凄く不愉快だったと思いますよ。恋愛ゲームを普通に遊んだら楽しいけど、デバッガーは「好感度のバラメーターが・・・」と考えてしまうでしよう(笑)。だからケームクリエイターは、作ったゲームの中身を知らない人に遊ばせないと始まらないんですよ。 自分て作った物を自分で遊んて面白いかどうか判断するのは難しいですよね。 竜騎士07: 私も昔、自分でプログラム組んで、ゲームを作ったことありますけど、自分で作れるものには絶対満足しないんです。だから自分のゲームを人にやらせるか、人のゲームをプレイしてインスピレーションを受けるしかないので、1人遊ひって物凄く難しいんですよね。ですから真里亞は、凄い存在なのかもしれないんですよ。 作中に出てきた絵羽の日記には、「一なる真実」が書かれていると描かれていましたが. 竜騎士07: 多層世界だから、真実は人の数だけあってもいいという世界観を描きながらも、どの真実か俗に言う「正解」なのかほとんどの読者の方が思われるでしよう。あの世界では「受け取る人の数だけ真実がある」とさんざん言ってしまっているので、正解、本当の真実という意味の「一なる真実」という造語が必要になってしまったんです。本来は「真実」という時点で本当のはずなんですけど(笑)。そして「一なる真実」という単語を理解しやすくするために「真実を知っている絵羽が記した日記」というビジュアルで象徴化したんですね。縁寿が求めていたゴールを「鍵付きの日記帳」と表現するアイデアはかなりうまくいったと思っています。 多くの人が認めることが「真実」になるという、我々の世界における真実の決まり方みたいなものを表現した感しでしようか? 竜騎士07: そういう見方もありますね。最も信憑性の高い内容が公開されて、他の説が淘汰された段階で。真実'が生まれる。最終的に縁寿は、ベルンカステルから赤き真実を与えられたにもかかわらず、拒否するという防御をしていますし、この「一なる真実」の受け取り方も自由です。ただフェザリーヌが赤文字で「一なる真実が書かれている」と保証しているので、この赤き真実を信じないとなると、僕には何も出せないんですけど(笑)。 山羊の姿をした未来世界のウィッチハンターたちを、右代宮一族が退けていくため、一部の読者は「島て起こったことを推理してはいけない」という意味だと受け取ったようですが? 竜騎士07: そんなつもりでは書いていないです。ウイルとドラノールは推理しようとしない、する気のない人に対しては一貫して手厳しいですが、推理する人に対しては、どんな内容の推理であれ喜んで受けて立っていたはずです。彼らは推理を受け止める役ですから。ただウイルは「そもそもミステリーとして考えない人たち」に対して怒ったわけですね。