Prologue: 美雪(私服): 『――千雨へ。私は今、この手紙を2003年5月6日に書いてます』 美雪(私服): 『いつ届くか、というより無事に届くかどうかも不安だけど、ちゃんと読んでくれてるかな?』 美雪(私服): 『キミは今、どのあたりの海域にいるのでしょうか。おばさんが心配してるとのことなので、たまには便りのひとつでも送ってあげてください』 美雪(私服): 『……とはいえ、この前の手紙にあった「海洋調査中に海賊とやり合った」とかはなるべく書かない方がいいと思います』 美雪(私服): 『あれ、私が相手なら笑って済ませられるけどおばさんには少し刺激が強すぎるからね。たぶん大丈夫だって、フォローしておきました』 美雪(私服): 『あ、そうそう。キミから修理を頼まれた銛は破損がひどいので新しいのを買った方がいい、とメーカーに言われて、代用品を手に入れました』 美雪(私服): 『今は、私の家で保管してます。送り先を指定してくれたら手配するので、これを読んだら電話をしてください』 美雪(私服): 『……にしても、銛が壊れるほどの魚ってどれだけの大物だったの?次に帰国してきた時に、ぜひ聞かせてね』 美雪(私服): 『そして……ここからが、本題。ようやく、この前読んでもらった「あれ」の続きが書き上がりました』 美雪(私服): 『まだ、色々と悩みどころはあるものの……とりあえず時間がある時にでも目を通して、また感想を聞かせてもらえると嬉しいです』 美雪(私服): 『……あと、千雨。書いてみて我ながらつくづく思ったんだけど、キミは当時、よくこの話を信じてくれたね』 美雪(私服): 『平成5年のあの日、#p雛見沢#sひなみざわ#rを訪れた私が昭和58年6月……大災害が起こる直前のあの村にタイムトラベルした、なんて……』 美雪(私服): 『……でも、あれは間違いなく本当の話。だって私は、今でもはっきり覚えてるから。雛見沢で起きた……血の惨劇のことを』 美雪(私服): 『そして、まだ後悔もしてます。みんなが命がけで作ってくれた平成に戻るあのチャンスを掴んでいれば……』 美雪(私服): 『「あの子」に、あんな思いをさせずに済んだのかもしれないって――』 一穂(私服): はぁっ、はぁっ、はぁ……っ!! 月明かりだけを頼りに分校のグラウンドを横切り、私たちは校舎の玄関から中へと転がり込む。 しんと静まり返った、夜の分校。それでも念のため、内部に何かが潜んでいないかと慎重に周囲を警戒しながら進んで……。 何の気配もないことを確かめて教室に入り、扉を閉めてからやっと、安心はできないもののとりあえずの一息をつくことができた。 一穂(私服): はぁ……はぁ……っ。 鼻の奥を突き刺すような血の臭いに顔をしかめながら、懸命に息を整える。 ただ、これが息苦しさによるものなのか……あるいは直近で繰り広げられた「戦闘」によるものなのかは現状、区別ができなかった。 レナ(私服): ……追手は、振り切ったみたいだね。 カーテンに身を隠して窓の外を窺い見ながら、レナさんがそっと呟く。 グラウンドに目を凝らしてみても、動く影は見当たらない。魅音さんの案内で迂回路を通ってきたことが、どうやら功を奏したようだ。 魅音(私服): ここがまだ占拠される前で、助かったよ。……みんな、大丈夫? そう言って魅音さんが、私たちに顔を向けてそれぞれの表情を確かめる。 ここにいるのはレナさんに沙都子ちゃん、前原くんと詩音さん、美雪ちゃんのお父さん……。 そして私と美雪ちゃん、菜央ちゃんだった。 圭一: とりあえず、なんとか……な。境内に「あいつら」が大挙して押し寄せてきた時は、さすがにやべぇかもって覚悟したけど……。 圭一: 美雪ちゃんたちが加勢してくれたおかげで、なんとかなったぜ。ありがとな、3人とも。 美雪(私服): あははっ、まぁお役に立てて何よりだよ。……お父さんも大丈夫? 怪我はしてない? 赤坂: あぁ。君たちがここまで頑張ってくれている以上、刑事として……いや、大人としての矜持を見せなきゃカッコがつかないからね。 そう言って赤坂さんは、微笑みながら美雪ちゃんの頭を優しく撫でる。……彼女はそれを、なすがままに受け入れている様子だった。 詩音(私服): ただ……今さら言ったところで遅い話ですが、一穂さんたちもバカな選択をしましたね。 詩音(私服): 元の「世界」に戻れるせっかくのチャンスをフイにしてまで、まさか戻ってくるなんて……。 圭一: おいおい、詩音。俺たちが助かったのは事実なんだから、そういう言い方はするなよ。 詩音(私服): それについては感謝しています。……けど、これじゃ何のために私たちが時間稼ぎに残ったのか、わかりませんよ。 一穂(私服): ご……ごめんなさい。 詩音さんのもっともすぎる恨み節に、私は身をすくめて頭を下げる。 確かに彼女の言う通り、魅音さんたちは私たちを元の「世界」に戻すために文字通り、身を挺して足止めをしてくれようとした。 にもかかわらず、私たちがとった選択は「雛見沢に残ってみんなを助ける」という、彼女たちの献身を無下に扱ったものだった……。 美雪(私服): ごめんね……詩音。みんなの想いを踏みにじるようなマネをしちゃってさ。 美雪(私服): けど、私たちは……みんなを見捨てて、自分たちだけ逃げることができなかったんだ。 詩音(私服): ……それが、お利口じゃないって言うんです。美雪さんたちは別の「世界」の人間なんだから、逃げたって誰も恨んだりはしませんよ。 詩音(私服): なのに、運命を共にしようだなんてバカげてますよ。ありえないです……。 そう言って詩音さんは、唇をかみながらぷい、とそっぽを向いてみせる。 非難めいた口調とは裏腹に、わずかに震えた語尾。……そこに彼女の優しさを感じた私たちはむしろありがたく、あたたかな思いを抱いていた。 美雪(私服): んー、そうは言ってもここで残らないほうが後悔が逆に残りそうだしね。比較的ベターな選択をしたつもりだよ。 美雪(私服): それに、みんなが無事にこの「世界」で生き残るのを見届けてから元の「世界」に戻っても、まぁ遅くはないでしょ? 圭一: ……はは、そうだな。だったら全員で生き残って、もう一度美雪ちゃんたちを見送ってやろうぜ! 魅音(私服): うんうん、確かにね。バタバタと切羽詰まった感じで見送るのは、ちょっと愛想がなさすぎる話だもんねー。 魅音(私服): ……わかってやりなよ、詩音。一穂たちだって、私たちのことを心配して残ってくれたんだからさ。 詩音(私服): それは、……。 魅音さんのとりなしのおかげで、詩音さんは大きくため息をつきながらもなんとか苦笑してくれる。 そして、彼女たちから少し離れたところで肩を寄せ合う、あの2人は……。 レナ(私服): ……菜央。 窓の外を見つめたまま、レナさんが菜央ちゃん……妹の名前を呼んでいた。 レナ(私服): どうして、あのまま行かなかったの……?レナは……私は、早く行けって言ったよね? 菜央(私服): そ、それは……っ……。 叱るように少し強い口調で言われて、菜央ちゃんは身をすくめた格好でうなだれる。 ……いの一番に、祭具殿の中に生まれた元の「世界」へと続く力の潮流から抜け出てみんなのもとへ駆けつけたのは、彼女だ。 とはいえ、私と美雪ちゃんもあえて止めずに菜央ちゃんの後を追って飛び出したのだから、同罪と言えばそうなんだけど……。 菜央(私服): ご……ごめんなさい、お姉ちゃん……!で、でも、あたし……。 レナ(私服): 悪い妹だね……菜央は。……。 菜央(私服): ……っ……?! 圭一: お、おいレナ。それは……。 今にも泣き出しそうに、震える菜央ちゃん。その様子を見たのか前原くんが、間に入ってなだめようとしたけれど……。 レナ(私服): でも……私も、悪いお姉ちゃんだね。 圭一: は……? 菜央(私服): お姉、ちゃん……? その言葉に前原くんは伸ばしかけた手を止め、菜央ちゃんも目を見開きながら顔を上げる。 そして振り返った、レナさんは……困ったような表情に笑みを重ねていた。 レナ(私服): だって、戻ってきた菜央の姿を見て……やっぱり嬉しいな、って思っちゃったから。 レナ(私服): ありがとう、菜央。私たちを、助けに来てくれて……。 菜央(私服): っ、……ぅ……うぅっ……!! 菜央(私服): ごめんなさい……ごめんなさいぃ……! 涙が止まらず言葉に詰まる菜央ちゃんを、レナさんはそっと優しく腕を回して抱きしめる。 菜央(私服): う、うっ……うっ、うっ……! 姉の胸に顔を埋め、泣きじゃくる菜央ちゃんをみんながほっとしたようにあたたかく見守る中――。 沙都子(私服): ――――。 ただひとり……沙都子ちゃんだけが、少し離れた場所で寂しそうな表情を浮かべていた。 詩音(私服): ? どうしました、沙都子。 沙都子(私服): あ、いえ……ちょっと……。 沙都子(私服): 結局梨花は、どこへ行ってしまったのかと考えてしまいまして……。 一穂(私服): あ……。 その言葉で思い出したのは、神社の高台で出会った梨花ちゃんの姿――。 ……いや、あれはそもそも「梨花ちゃん」と呼ぶべきなんだろうか。オヤシロさまが言うには、彼女の想いだけを遺した虚像とのことだったけど……。 沙都子(私服): どのタイミングで入れ替わったのか、一番近くにいた私が見落としていたなんて……それが悔しくて、納得がいかないのでしてよ。 美雪(私服): 確かに……そうだね。私たちも、ヒントらしきものがあったはずなのに全然気づかなかったよ。 美雪(私服): ただ、あの羽入の姿をした『オヤシロさま』が言っていたことをそのまま信じるなら、この「世界」から連れ去られたそうなんだけど……。 美雪(私服): どういう手段で移動したのか、あるいは何者かの力によって移動させられたのか……。 美雪(私服): 現状だと全くの不明なんだよね。#p田村媛#sたむらひめ#rと連絡が取れれば、何かわかるのかもしれないんだけどさ。 美雪(私服): ……一穂、どう?田村媛からの交信は入ってない? 一穂(私服): ううん、ダメみたい。ポケベルには何の反応もないよ……。 私は首を振りながら、ポケットから取り出したポケベルを見せる。 液晶画面に、新しい着信履歴の表示はない。転送が失敗したことが向こうにも伝われば、あるいはと思ったのだけど……。 詩音(私服): おや……それが、未来のポケベルってやつですか? 魅音(私服): 呼び出し音しか鳴らせないこっちのと違って、番号を送ることができるなんてすごいハイテクだね。 見慣れないものが珍しいのか、魅音さんと詩音さんは左右から私が手に持つポケベルをしげしげと覗き込んでくる。 そして、簡単に説明をするたび2人だけでなくレナさんたちも興味がわいてきたように「へー」としきりに頷きながら感心していた。 沙都子(私服): 暗号でも、メッセージを送ることができるのは便利ですわね。トランシーバーの音声と違って、傍聴される恐れもなさそうですし……。 レナ(私服): はぅ~、それに相手が電話のそばにいなくてもメッセージを送ることができるなんて、とっても便利で素敵だよ~! はぅはぅっ♪ 一穂(私服): あ、あははは……といってもこの「世界」だと設備がないから、本来の使い方はできないんだけどね。 一穂(私服): あくまでこれは、田村媛さまと交信するだけのアイテムで……うん? 魅音(私服): ……ッ……?! 私が違和感を覚えた直後、魅音さんと詩音さんが同時に教室の外――廊下の方へと顔を向けた。 圭一: なんだ……? どうしたんだ、魅音? 魅音(私服): みんな、動かないで。いや、すぐ動けるようにして……一穂。 一穂(私服): ……うん。 私が頷き、美雪ちゃんと一緒に教室後方へと移動して扉に手をかける。 詩音(私服): 沙都子……こっちに。 沙都子(私服): わ、わかりましたわ……。 詩音さんが沙都子ちゃんを庇うように抱き寄せて……赤坂さんと魅音さんが身構える。 美雪(私服): いくよ……1、2、――。 全員が息を詰めて緊張をみなぎらせる中、美雪ちゃんが一気に扉を開け放つ……! 美雪(私服): さんっ! 魅音(私服): ッ! 床を蹴り、廊下へ踊り出る!……が、予想に反して何の姿も見えない。 魅音(私服): あ、あれ……? 一穂(私服): 気のせい……だったの? 圭一: ……みたいだな。 美雪(私服): んー、ちょっと過敏になってたのかもだね。疲れてたのかなぁ……。 廊下を見回して確かめる魅音さんたちの言葉に、私は改めて安全を確認して胸をなで下ろす。 菜央(私服):           きゃぁぁああぁっ?! だけどその直後、教室の中からの悲鳴に心臓が凍りつくかと思うほどの戦慄が迸った。 村人たち: おぁあぁぉおぉおおおおおぁぁああ!! 慌てて教室に戻ると、鋭い音を立てながらガラスを破る凶暴化した村の人たちの姿。 レナ(私服): このっっ……! それらが教室の外から飛び込んでくるのを、レナさんは必死に阻止しようとしていた……! 美雪(私服): くそっ……!ここを嗅ぎつけてきたかッ! 魅音(私服): みんな、戦闘準備!このさい手加減、容赦は一切抜きだ!蹴散らすよッ!! Part 01: 一穂(私服): ――はぁぁぁあぁっっ! 村人A: がぁあ……ッ!! 私の一撃を食らって、狂気化した老人がうめき声をあげながらその場に倒れる。 その身体は、後ろから押し寄せてきた群れに踏まれ、蹴られながら……あっという間に飲み込まれていった。 美雪(私服): せやぁぁあぁっっ!! 菜央(私服): やぁぁぁあぁっっ!! 続いて襲いかかる村の人たちを美雪ちゃん、菜央ちゃんがそれぞれひとり、またひとりと迎え撃つ。 もちろん、レナさんたちも奮戦中だ。だけど……! 美雪(私服): くっ……倒しても倒しても、窓の外から次々入ってきて際限がない……っ! 魅音(私服): ……おまけに、机が邪魔っ!身動きが取りにくいったら! 幸い、まだ私たちは誰も致命傷を受けていない。でも徐々に、劣勢へと追い込まれている……! 美雪(私服): くそっ……なんとか体勢を立て直さないと! 沙都子(私服): とはいっても、攻撃に切れ目がなくてそんな暇も余裕もありませんわーっ! 沙都子ちゃんがそう叫んだように、村の人たちがつくり出した流れは津波のように私たちを押し返し、飲み込もうとしてくる。 持ちこたえているのは、こちらの攻撃力がまだ彼らよりも勝っているおかげだ。ただ、それもいつまで続くか……っ! と、その時だった。 魅音(私服): ――みんな、外に!このままだと、じり貧になるだけだッ! 圭一: って、おいおい!外に出たら、四方から襲われるだろ!かえって不利じゃねぇか! 魅音(私服): もちろん、それも想定済みだよ!みんなは廊下から、裏口に回って山の方に逃げて! 魅音(私服): ……圭ちゃん! レナ!他のみんなのことは任せた! レナ(私服): えっ……? 魅音(私服): ……詩音、校舎を出たら園崎本家の隠れ家にみんなを避難させて!鍵の所在は、あんたも知っているでしょ? 詩音(私服): え、えぇもちろん……ってお姉、まさか?! 魅音(私服): 囮役は、ひとりで十分!あんたたちは反対側から脱出しなッ!おりゃぁぁあっ!! レナ(私服): みっ……魅ぃちゃん?やめて、無茶だよッ! 一穂(私服): 待っ……! レナさんが腕を伸ばし、私が止めるよりも早く魅音さんは手近な机を足場にして、窓の向こうへとためらいなく身体を躍らせた。 魅音(私服): こっちだ、こっち!ついておいでっ!! グラウンドへかけていく魅音さんのあとを、窓の外にいた村人たちが追いかけていく……! 詩音(私服): お……お姉のバカッ!! 圭一: ったく、ひとりで突っ走りやがってッ! 詩音さんと前原くんが、魅音さんを追いかけて窓から外へと飛び出す。 レナさん、そして菜央ちゃんもそれに続いてグラウンドに降り立ち、駆け出す……! レナ(私服): ……待って、魅ぃちゃん! 菜央(私服): お姉ちゃん、あたしもっ……! 赤坂: このっ……! それを見た赤坂さんは、足で廊下のドアを蹴り飛ばす。そして残った私と美雪ちゃん、沙都子ちゃんに顔を向け、指示を出していった。 赤坂: 同じ方向に出ても、囲まれるだけだ!美雪、廊下を確認! 美雪(私服): っ……誰もいない、大丈夫! 赤坂: よし……玄関からグラウンドに向かって、園崎さんを追いかけていった連中の背後に回り込む!公由さんも、こっちに! 一穂(私服): は、はいっ……! 沙都子(私服): 急ぎますわよっ! 前方を走る赤坂さんにつき従って、私と美雪ちゃんは遠回りしてグラウンドに出る。すると、そこには――! 魅音(私服): おらぁあああああ!! 集団に囲まれ、奮戦する魅音さんの姿が見えた。前原くんたち四人は加勢しようと近づくものの、村の衆の壁がその前に立ちふさがっている……! 圭一: くっ……邪魔だ、どけっ! レナ(私服): 数が多すぎるよ……これじゃ、魅ぃちゃんに近づけない……! 魅音(私服): ……レナ?! それに、圭ちゃんっ?なんでこっちに来ちゃったのさ?! レナ(私服): 魅ぃちゃんこそ、いくら何でも無茶だよ! 圭一: この馬鹿野郎! 俺たちがお前ひとりを見捨てて、生き延びようとする卑怯者だとでも思ったのか?! 魅音(私服): 見捨てるとか、見捨てないとかじゃないよ!このままだと、みんなやられちゃう! 魅音(私服): だったら、犠牲は少ないほうがいいに決まっているでしょ? 単純な引き算だよ! レナ(私服): それこそ多いとか、少ないとかの問題じゃないよ!みんな助かるか、みんな倒れるか……レナたちの選択は、それだけで十分だよねっ? 詩音(私服): ……沙都子、そっちにいますね?赤坂さん、あとは頼みます。 赤坂: えっ……? 詩音さんが息を詰め、半歩足を引く。 詩音(私服): う、ぉ……らぁっ! 威勢よく詩音さんは村人の壁に突進し、手近なひとりの身体を足場にして駆けあがった。 そして、複数の頭や肩を踏み台にしながら魅音さんのもとへ飛んでいく――! 一穂(私服): なっ……! 美雪(私服): すごっ……?! 全員が思わずその動きに見惚れる中、詩音さんは魅音さんのすぐそばに降り立つと背後で襲いかかろうとしたひとりを蹴り飛ばした。 詩音(私服): お姉、無事ですか?! 魅音(私服): ちょっ、詩音……?!あんたまで、何をしているのさ! 詩音(私服): お姉こそ!まだ『ツクヤミ』に乗っ取られた時のこと責任を感じているんですか? 魅音(私服): ぐっ……? 詩音(私服): だったらお生憎さまです……!先にくたばってその罪業から逃れようだなんて、お天道様が許しても私が絶対に許しませんよッ! 魅音(私服): 詩音……! 沙都子(私服): 加勢しますわ!虎の子の、炸裂弾……そりゃぁぁぁ!! 村人たち: がぁあああああぁあああああ!! 沙都子ちゃんの周囲の村人たちが爆発音とともに次々と倒れていく……! 菜央(私服): 沙都子、やるわね……。 赤坂: ほ、北条さん……!危ないから、下がって! 沙都子(私服): 冗談は寄せ鍋ちゃんこ鍋ッ!詩音さんのあんな凄技を見せられたら、大人しくなんてできませんわ~! 沙都子(私服): をーっほっほっほっ!多勢に無勢で勝負を挑んで、死中に活を求める! 沙都子(私服): まるでテルモピレーの戦いのようでゾクゾクしますわねぇ~! 美雪(私服): おっ沙都子、結構マイナーな歴史の出来事なのによく知ってるねー。 美雪(私服): キミって、勉強が嫌いって言ってたけど……興味さえ持てば、きっと好きになれると思うよ! 沙都子(私服): いやぁぁぁあぁっ! 勉強づけになるくらいなら、こうして戦っている方が何百倍もマシでしてよー! 悲鳴とともに、沙都子ちゃんの猛攻が続く。美雪ちゃんたちも軽口を叩きながら、見事な立ち回りで次々に敵を倒していた。 広い場所でそれぞれ戦えるようになったせいか、村の人たちの数が少しずつ減っていくのがわかる。 そう……誰ひとりとして、諦めていない。 これが部活メンバーの強さと凄さなんだと、私は頼もしく……そして誇らしい思いだった。 一穂(私服): よかった……。 美雪(私服): えっ……何が? 一穂(私服): 戻ってきてよかったって、そう思ったの! 美雪(私服): ……あははは、そうだよね!あのまま私たちだけ元の世界に戻っても、後悔しかなかっただろうしさー! 一穂(私服): うんっ……! いける、まだいける……まだ大丈夫……! 菜央(私服): ……きゃっ? 一穂(私服): 菜央ちゃん?! 悲鳴があがった方向では、菜央ちゃんが足を掴まれて地面に尻もちをついていた。 菜央(私服): このっ……放しなさいっ! すぐさま起き上がった彼女は、倒れた村の人を蹴り飛ばして距離を取ろうとする。 でも、無防備な上半身に他の連中が容赦なく襲いかかり――! レナ(私服): っ、らぁぁぁあぁぁッッ!! その寸前で彼らは、レナさんの放った閃撃であっという間に吹き飛ばされていった。 レナ(私服): レナの……私の妹に、手を出す連中は……! レナ(私服): 絶対に、許さない! みんな敵だッッ!! 菜央(私服): お……お姉ちゃん……っ! 美雪(私服): レナ……いつの間に、そっちに?! 一穂(私服): や……やっぱり、レナさんはすごいね……。 赤坂: なんて一撃の威力だ……こっちも負けていられない、なっ! 赤坂さんが腕を振るうたびに、村人たちは宙を舞って次々に倒れ、やがて動かなくなる。 魅音さんもまた、一時の窮地を脱して群がる村人たちをひとり、またひとりと打ち倒していった。 ……みんながそれぞれに戦い、それぞれに成果を出している。 一穂(私服): (うん……この調子なら……!) 手応えを感じながら、突破口を見出そうと私は周囲に目を向ける。 ……が、その先に見えた影を見た途端、それは甘い目算だと気づかされてしまった。 一穂(私服): あ……あれって、増援……?! 菜央(私服): 仲間を呼んだというより、別のところで暴れ回ってたやつらが集まってきたようね……! 美雪(私服): ……ッ……!! 終わりが見えた……と若干希望を抱きかけただけに、それは私たちの心に深刻なダメージを与えていく。 そして、威勢よく武器を振るって立ち向かっていた魅音さんたちの元気も徐々に落ち、息も上がってきて……。 魅音(私服): はぁ、はぁ、はぁ……! 詩音(私服): ふ、う、ぅう……! 私たちは、少しずつ……でも確実に、グラウンドの端へと追い詰められていた。 沙都子(私服): はぁ、はぁっ……さ、さすがにこの数を突破できる気がしませんわ……。 魅音(私服): っ、だから私を置いて……逃げてって……。 レナ(私服): 何度も繰り返すと、怒るよ……魅ぃちゃん。 圭一: そ、そうだぞ……ぜぇ、ぜぇ……。 そう言いながらもみんな、もう軽口を叩く力さえ残っていない。 一穂(私服): (悔しい……ここまでなの……?!) いや、まだだ……!まだ、まだできることがあるはず……! 諦めるな……もっと前へ……そして……! 一穂(私服): ……。あれ……? 一穂(私服): (今、なにか聞こえたような……) 赤坂: ん……? 美雪(私服): ……お父さん? その時……遠くからエンジンの音がしたような気がした次の瞬間、グラウンドに白光が差し込んでくる。 そして、その光とともに見えたのは――。 魅音(私服): ワゴン車……?! 沙都子(私服): ちょっ……こっちに来ますわー?! 沙都子ちゃんが驚いて叫んだとおり、車は次々に村人たちを吹き飛ばしてグラウンドを駆け抜け、こちらに向かってやってきた。 でもそれ以上に驚いたのは、赤坂さんが私たちの前に立ち、両腕で構えを取って……?! 一穂(私服): (えっ……? まさか、車を止める気?!) それはさすがに、と私が武器を構えてその前に移動しようとした瞬間、運転席のところに見えたのは……。 美雪(私服): い、入江先生?! 魅音(私服): って、監督ぅ?! 村人を跳ね飛ばしながら運転席の窓が開きそこから顔を出したのは村の診療所の院長、入江先生だった……! 詩音(私服): 監督……? どうしてここに?! 入江: 説明はあとです!乗ってください! 急いで! 圭一: よ、よし……みんな、乗れっ! レナ(私服): 後ろは任せて! 前原くんが扉を開けると同時に、私たちは次々に車内へと乗り込んでいく。 その隙を見逃さず、村人たちは容赦なく押し寄せてきたが――。 レナ(私服): ……はぁぁぁあぁぁッ!! それは、レナさんによって阻まれる! 入江: そろそろ危険です……全員、乗りましたか?! 圭一: あとひとり! レナ、こっちだ! 魅音(私服): 監督、車を出してっ!レナは私たちが、乗り込ませるッ! 扉が開いたまま、車は発進する。そして、追いかけるレナさんの両腕を前原くんと魅音さんがしっかりと掴み、中へ引きずり込んだ。 菜央(私服): よかった……お姉ちゃん! 魅音(私服): よし……レナも乗ったよ! 入江: スピードを上げます!皆さん、どこかに掴まってください! その言葉の直後、ワゴン車は速度を上げて#p雛見沢#sひなみざわ#rの夜道を猛スピードで疾走した……! Part 02: ワゴン車がスピードを落としたのは、雛見沢の郊外にある……山間部に近い場所。 周囲に民家がないことを慎重に確認してから、入江先生は茂みに囲まれた一角に車を停めた。 扉が開かれるや、私はもちろんのこと他の子たちも次々とワゴン車から降りていく。 圭一: うおっ……と……! 程度の差はありつつも、みんなの足はふらつき……地面に転げ落ちるような動作になってしまった。 一穂(私服): す、すごい、運転だったね……。 菜央(私服): あ……あたし、まだめまいがするわ……。 圭一: こ……これなら安全バーがある分、ジェットコースターの方がまだましだったかもな……うっぷ……。 魅音(私服): さすがに、少し酔っちゃったよ……うぅっ。 レナ(私服): 大丈夫、魅ぃちゃん?圭一くんも、しばらく横になったほうがいいんじゃないかな、かな……? そう言ってレナさんは、地面に横たわる前原くんと魅音さんの背中を優しく撫でている。 一穂(私服): (なんで、レナさんは大丈夫なんだろう……?) ミキサーの中に放り込まれたかと思うほどに揺れまくった車内は、思い出しただけでも目眩がして乗り心地は最悪だったのに……。 レナさんは、全くダメージがなかったのか平然としている。……凄い。 沙都子(私服): ……ぅ、……うぅっ……頭が、割れそうなくらいに痛いですわ……。 詩音(私服): 大丈夫ですか、沙都子……?この近くに川とか、水が飲めるところってありましたっけ? 魅音(私服): 地元とはいえ、このあたりの土地勘は私たちでさえあんまりないからね……暗い中を歩くのは、さすがに危険だよ。 入江: よかったら、これを。冷えてはいませんが念のため、水を水筒に入れておきました。 詩音(私服): あ、助かります。……沙都子、これを飲んでください。 沙都子(私服): え、えぇ……ありがとうですわ、監督。 入江: いえいえ、どういたしまして。……運転が荒くて、すみませんでした。 詩音(私服): あ、いえ。追ってくる連中を振り切りながらの走行でしたから、致し方なかったと思います。 詩音(私服): ……監督も、無事だったようですね。何よりです。 入江: はい。戦えない私が皆さんと同行しても、足手まといになるものだと思って診療所で籠城をさせてもらいましたが……。 入江: 村人たちの包囲が急に解かれて、彼らが一斉にある方角へ向かうのが見えましてね……。 入江: 行き先が分校の方だとわかりましたので、もしやと思って駆けつけたんですよ。 入江: ただ……すみません。確信を得るまでに時間がかかって、ずいぶん遅くなってしまいました。 魅音(私服): あっはっはっ、全然遅くなんかないって。むしろベスト……いや、ベターって感じのナイスタイミングだったと思うよ。 そう言って魅音さんは、頭を下げて申し訳なさそうにする入江先生に決して慰めではない、感謝の意を伝える。 確かに、魅音さんの言う通りだ。あれよりも遅かったら、私たちはきっと力尽きて村人の群れに飲み込まれていただろうし……。 逆に早すぎても、合流までに時間がかかってこれほど見事に脱出できなかったかもしれない。……最後の最後で、運が味方してくれたようだ。 入江: それにしても……はは……。 入江: 人を轢くって、こんな感覚だったんですね……。成り行きとはいえ、人の道に外れたことをやってしまいました……。 そう言って入江先生は、震える自分の手を見下ろしながら……乾いた笑い声をあげる。 ……私たちは麻痺してしまったけれど、先生にとって村の人を「殺す」ような行為は初めてで、想定外のことだったようだ。 狂気に身をやつした人々が相手とはいえ、残酷な行為に慣れきった自分自身を顧みて……ぞっ、と怖気を覚えずにはいられない。 赤坂: すみません……入江先生。人を救う立場でいるはずのあなたに、あんな真似をさせてしまって。 赤坂: ですが……あそこで入江先生が来てくださらなかったら、私たちは全員きっと無事では済まなかったと思います。 赤坂: 本当に……ありがとうございました。 赤坂さんは真摯な口調でそう言うと、入江先生に頭を下げる。 おそらく彼は警察として、非常事態とはいえど非人道的行為を見過ごすことに忸怩たる思いを抱いているに違いない。 ただ、それよりも先に優先すべきものがあると考えて誠実に対応し、素直に感謝する。……さすが、美雪ちゃんのお父さんだ。 入江: …………。 赤坂: ……? どうかしましたか、入江先生? 入江: あ、いえ。……私ごときでお役に立てたのであれば、ありがたい限りだと思いましてね。 そう言って入江先生は、肩をすくめながら複雑そうな笑みを浮かべた。 一穂(私服): (……?) その表情に少し、引っかかりを覚える。ただ、それが何かと言われても曖昧過ぎて答えようがないのだけど……。 するとその時、入江先生は一同を見回して軽く咳払いをする。そして、全員の注意を集めてから神妙な面持ちで口を開いていった。 入江: もはや、この状況では隠すこともできませんので……お話をさせていただきます。 入江: おそらく村人たちがおかしくなったのは、『雛見沢症候群』……彼らが先天的に体内に保有している「寄生虫」が暴走したせいだと思われます。 一穂(私服): 『雛見沢症候群』……「寄生虫」の、暴走……? 突然切り出されたその説明に、私たちは呆気にとられて目を見開く。 ……ただ、そこまでの驚きはない。なぜならその言葉は、すでに「彼女」から聞き及んでいたものだったからだ。 圭一: そういえば、梨花ちゃんも言っていたが……その『雛見沢症候群』ってのはなんなんだ? 魅音(私服): 村の人たちの意識を自由に操る……って、ほんとに可能なことだったりするの?いや、梨花ちゃんはできたみたいだけどさ……。 そう尋ねてから前原くんと魅音さんは、困惑した様子でお互いに顔を見合わせる。 信じられない、という疑念はあると思う。だけど彼らは、現実にそれを目の当たりにして……魅音さんに至っては、実際に乗っ取られたのだ。 それを、村でも信頼されている入江先生の口から聞かされたことで、信じるしかないというのが正直な心境なのだろう……。 入江: なるほど……梨花さんは、あなた方にその話をされたのですね。彼女はどちらに? 沙都子(私服): ……連れ去られましたわ。正体がまるでわからない、何者かの手によって。 入江: 連れ去られた……? それは、本当ですか? 沙都子(私服): えぇ。これが悪い夢なら、さっさと覚めてもらいたいところなんですけど……。 沙都子(私服): もはや今は事実として、受け止めるしかないようですわ……。 詩音(私服): ……大丈夫ですか、沙都子? 沙都子(私服): ……えぇ。お陰様でようやく、気持ちも落ち着いてまいりましたわ。 沙都子(私服): ですが私のことなんかより、梨花のことがただ心配で……。 詩音(私服): …………。 いたわるように詩音さんが、うなだれる沙都子ちゃんへと手を伸ばし……その頭を抱き寄せて髪を撫でる。 一穂(私服): (沙都子ちゃんは、梨花ちゃんと羽入ちゃんの3人で暮らしていた……) 一穂(私服): (なのに、自分でも気がつかないうちに残りの2人が入れ替わっていたなんて……) きっと本当は、まだ心の整理がついていなくて泣き出したい気分なのだろう。それをこらえているのは彼女の強さか、矜持か。 ただ、教室でも話していたように沙都子ちゃんがどれだけ悔しくて、自分を責めているのか……その悲哀の感情は私たちにも伝わってきていた。 入江: ……。なるほど、そういうことだったのですね。 赤坂: 入江先生は何か、ご存じなのですか? 入江: はい。村の人たちが、ここまで症状を悪化させたわけが理解できました。 魅音(私服): えっと……監督。村の人がおかしくなったのと、梨花ちゃんの不在がどう関係してるのさ? 入江: それを説明するためにも、話を戻します。皆さんにもわかるように噛み砕きますので、まずは最後まで聞いてもらえますか? 一穂(私服): は、はい……。 元々口を挟むつもりはなかったので、私たちは頷いて応える。 それを確かめてから入江先生は、水筒の水で喉を潤してからゆっくりと語り始めていった。 入江: 『雛見沢症候群』は、古くからこの雛見沢に存在する感染病……いわゆる風土病というものです。 入江: そして、雛見沢に住んでいる者はほぼ全員すでに感染していると見なしていいでしょう。 圭一: 全員って……俺や一穂ちゃんのように村の外から来た連中もか? 入江: はい。別の土地……あるいは一穂さんたちの言う「未来」から来た人間も、病原体に感染しているものと思われます。 入江: なにしろ、その寄生虫はウィルスレベルのごく小さなものでして……水や土に含まれ、飲食物の摂取によって体内に取り込まれます。 入江: しかも、内部で大量に増殖するので排出は困難。自然に消え去ることもないという実に厄介な代物なのです。 一穂(私服): ……っ……。 ぞわぞわとした悪寒を覚えて、私は思わず身震いをしてしまう。他のみんなも、違いはあれど困惑した表情を浮かべていた。 一穂(私服): (そんな寄生虫が、私たちの身体の中に存在してるの……?) 目には見えなくても、どうしたって気持ち悪く感じてしまうのは当然だろう。 と、そんな反応に気づいたのか入江先生は「落ち着いてください」と皆に声をかけ、つとめて冷静な口調で続けていった。 入江: 誤解しないでもらいたいのですが、人間や動物は生まれながらに、様々な菌を体内に含んでおります。 入江: たとえば乳酸菌や、大腸菌……ですので、それと同じものだと考えて差支えはないものとお考え下さい。 魅音(私服): そんなこと言ったって、風土病だって監督も今言ったでしょ? だったら結構、ヤバい菌の可能性もあるじゃんか。 入江: ……すみません、言葉が足りませんでしたね。風土病と言っても、感染しただけでこの病は発症することがありません。 入江: むしろ、目立った症状が出るケースが少ないので、常在菌との認識で問題はないと思います。 入江: ただ……この『雛見沢症候群』が発症すると、精神や思考を急激に活性化させる効果があるのです。 魅音(私服): ……具体的には? 入江: 妄想を現実のものとしてとらえたり、不安や怒り、恐怖のような負の感情を増大させる……などです。 魅音(私服): じゃあ……村の人がおかしくなったのはそのせいだってこと? 入江: えぇ。彼らは、自らが生み出した負の感情にとらわれ……恐怖心によって錯乱状態にあるのです。 入江: これまで村人たちは、梨花さんという『女王感染者』の存在によって突然の発症や、末期に至る悪化を抑えることができていました。 入江: しかし、彼女がいなくなったことでそれもできなくなって……。 沙都子(私服): ……っ……。 魅音(私服): よくわかんないけど……梨花ちゃんというストッパーがいなくなって、みんなおかしくなっちゃったってことか。 魅音(私服): ……って、あれ?じゃあ私たちが平気なのは、どういうわけ? 入江: それは、私にもわかりません。 入江: ただ、この病は精神的なものが強く影響します。あなた方の精神力が『雛見沢症候群』の影響にも打ち勝つほどに強いためか、あるいは……。 それだけを言って、入江先生は口を閉ざす。 ひょっとすると先生は真面目な性格だから、いい加減な憶測に基づいて話を続けることを控えたのかもしれない。 けど、……。 一穂(私服): (……っ……?) なにかが、おかしい。歪な違和感が、どんどん胸の内で大きくなっていく。 赤坂: あるいは……とはなんですか、入江先生? 入江: いえ、なんでもありません。いずれにしても梨花さんがいない以上、私たちにできることはひとつです。 入江: これ以上被害を拡大させないためにも周辺の町へ緊急事態の伝達を行い、封鎖をした上で住民たちにワクチンの接種を行うべきだと思います。 美雪(私服): ……ロックダウン、ですね。この村を救うより、世界を救う方法が最優先ってやつか。 入江: 『雛見沢症候群』の病原体の末期活動時間には、限りがあります。現状治療薬は存在しませんが治癒の可能性も、全くないわけではない。 沙都子(私服): それを期待するための、遅滞作戦というわけですのね。 入江: 消極的ですが、他に方法もありません。また、皆さんも万が一の発症を抑えるためにワクチンを打っておくべきかと思います。 入江: 問題は、その薬が診療所にあることですが……。 圭一: なら、話は早いぜ。診療所に戻って、そのワクチンを手に入れればいい。 圭一: で、俺たちも念のため打っちまえば安心!万事解決ってやつだ! 詩音(私服): そうですね。被害の拡大を避けることも、今の私たちに与えられた使命なんだと思います。 とりあえずの目標が固まって、圭一くんたちは気合を入れる意味もあってかことさらに大声で盛り上がってみせる。 ……ただそんな中、美雪ちゃんだけはひとり浮かない顔で眉間にしわを寄せていた。 一穂(私服): どうしたの、美雪ちゃん?何か心配事でもあったりするの? 美雪(私服): いや……そう簡単に、事が運ぶかなって思っちゃってさ。 レナ(私服): はぅ……美雪ちゃん、それってどういうことかな、かな? 美雪(私服): いや……他に打つ手がないのも確かだけど、ちょっとここまで色々あったからさ。 美雪(私服): 一番の心配は、診療所だね。入江先生が離れてから、まだ無事かなってちょっと不安というか……。 一穂(私服): 確かに、それもそうだね……。 ただ、現状この村から脱出したとしても村人たちが周辺の集落を襲うようなことがあったら……? もしそうでなくても、『雛見沢症候群』が私たちを媒介にして他の集落の人々に感染するようなことがあったら……? それだけは、何としても阻止しておく必要があった。 一穂(私服): ……赤坂さんは、どう思いますか? 赤坂: そうだな……私も、できることをやっておくべきだと思う。みんなの意見はどうかな? 美雪(私服): 私は、お父さんの考えに賛成ー。……って、ふざけてる場合じゃなかったね。 美雪(私服): ただ私も、『雛見沢症候群』の蔓延を防ぐことが大事だと思うし……入江先生の提案通りでいいと思うよ。 美雪(私服): あ、でも……診療所に向かうまでに、村人と出会ったりするかもね……そこはどうなの? 入江: それは大丈夫でしょう。怪物はともかく、村人たちは太陽の出ている間は活動が極端に弱くなるようです。 魅音(私服): 光に弱い……? 入江: はい。眼球の感覚が過敏になる影響かもしれません。 詩音(私服): つまり、行動するのは夜が開けてから……? 入江: それが最善かと。 赤坂: では、朝になったら診療所に向かいましょう。みんなも、それでいいかな? 赤坂さんの確認に、私たちはそれぞれ頷いて同意する。 …………。 ただ、……どうしてだろう。 提案には何の問題もないはずなのに、さっきから不安な気持ちがどんどん強くなって……? Part 03: ……目を開けると、そこは夕日が差し込む分校の廊下だった。 一穂(私服): えっ……ど、どうして……っ? 一穂(私服): (あんなに大暴れしてボロボロになったのに、分校が綺麗になってる……?) 時間が飛んでいるとか、そういう以前の問題に困惑したけれど……一瞬で理解する。 一穂(私服): ……だとしたら、ここは夢の中? でも、どうしてここなのだろう。 そんな疑問を抱く思いとは裏腹に、まるで吸い寄せられるかのように私の足は教室へ向かっていく……。 一穂(私服): ……あ。 夕日に照らされた、オレンジの教室。誰もいないと思われたそこには、ぽつんと「彼女」の姿があった。 一穂(私服): 梨花ちゃん……? 梨花: みー。 一穂(私服): よかった、無事だったんだね! 自分の席にちょこんと座っていた梨花ちゃんの姿を見た私は、嬉しさのあまりに駆け寄って向かい合う。 一瞬、また偽者が現れた……という不安を感じなくもなかったけれど、なぜか直感で大丈夫だ、と信じることができた。 一穂(私服): 梨花ちゃん……聞いてもいい?あなたが言ってた『#p雛見沢#sひなみざわ#r症候群』のことなんだけど……。 梨花: みー……ごめんなさいなのです。それについて話している時間は、今のボクにはないのですよ。 一穂(私服): えっ……? 梨花: 一穂に、伝えたいことがあったのですよ。そのためだけに来たので、ボクはもうすぐ消えてしまうのです。 一穂(私服): えっ……伝えたいこと?それに、消えるって……? 一穂(私服): あと、梨花ちゃんはどこから来たの?あなたは連れ去られたって羽入ちゃんが――じゃなかった、オヤシロさまが言ってたけど……。 状況が飲み込めずに質問を繰り返す私に、梨花ちゃんは椅子から立ち上がる。そして、背伸びをしながら私の頭をそっと撫でた。 一穂(私服): ……梨花ちゃん……? 梨花: …………。 ……不思議だ。どうして梨花ちゃんは、そんなにも寂しい顔をして私を見るのだろう。 そんな疑問がわいてまた尋ねようとしたその時、梨花ちゃんは口を開く。 それも、よく知る可愛らしい口調ではなくもっと大人びた……落ち着いた女性として私に向かって語り掛けてきた。 梨花: ……一穂。あなたにはこれから、ひどく辛い思いをさせることになる。 梨花: でもそれは、私たちの「世界」の誰かがあなたを苦しめるんじゃない。 梨花: もっと邪で、純粋で……そんな厄介な存在があなたたちの前に立ちふさがることで生まれる困難なの。 一穂(私服): …………。 一穂(私服): えっと……ごめん、梨花ちゃん。何を言おうとしてるのか、私にはよくわかんないんだけど……。 梨花: ……ごめんなさい。私もこの身体を借りて、語っているだけだから……詳しいことはわからないし、教えることもできないの。 梨花: でも……覚えていて。そして、信じていて。 梨花: 私たち雛見沢の人間は、最後まであなたの味方だから……。 梨花ちゃんはそれだけを呟くと、すっ……と手を下ろす。 そして、とてとてと私の脇を通り過ぎて廊下へと向かっていった。 一穂(私服): ……。えっ……? 小さく可愛らしい足音が遠のいて、聞こえづらくなってから……ようやく私は我に返った。 一穂(私服): ま、待って梨花ちゃん! 慌てて廊下に飛び出す。……でも、そこに梨花ちゃんの姿はなかった。 一穂(私服): 梨花……ちゃん……? 梨花: 『……の言うことは、信じちゃダメよ……』 夕暮れのひぐらしの、鳴き声のように……どこから聞こえてきたのかわからない、そんな一言が響いてきて……。 一穂(私服): …………。 たったひとり残された私は、ふと羽入ちゃんの姿をした『オヤシロさま』のことを思い出していた。 最後の、最後。消える直前、私に……私だけにかけられた、声にならなかった言葉。 一穂(私服): 『ごめんなさい』……。 一穂(私服): あれっていったい、どういう意味だったの……? 菜央(私服): 『……、ほ……』 菜央(私服): 『……一穂、起きて。一穂ってば』 一穂(私服): っ……あ、あれ……? 肩を揺さぶられる感覚とともに、私は目を開ける。すると、 菜央(私服): ……あ、起きたみたい。 美雪(私服): 一穂、大丈夫? 菜央ちゃんと美雪ちゃんの顔が間近にあった。 一穂(私服): 私、えっと……。 視線を移すと、窓の外には太陽が昇っている。どうやら私は、入江診療所へ向かうワゴン車の中で眠ってしまっていたようだ。 一穂(私服): (いつの間に、朝になったんだろう……。ワゴン車に乗り込んだのも、よく覚えてない……) 記憶がないことに困惑していると、横にいるレナさんの笑い声が耳に届いてきた。 レナ(私服): きっと一穂ちゃん、疲れていたんだね。境内でも分校でも、大活躍だったもん。 詩音(私服): くすくす……ですが、生死のかかったこの緊張感の中、あれだけ揺れまくった車内であんなにすやすや眠れるなんて……。 詩音(私服): 見かけによらず、一穂さんは豪胆な方ですねー。 魅音(私服): あっはっはっはっ、それでいいじゃん!寝る子は育つって言うし、休める時に休むことも大切な才能だよー。 一穂(私服): ご、ごめんなさい……! 沙都子(私服): あら、どうして謝りますの?私たち、褒めておりますのに。 一穂(私服): え、えっと……。 褒められているのか、からかわれているのか。 よくわからずに困った私は、ただ縮こまることしかできなかった。 美雪(私服): まぁまぁ。あんまり一穂で遊ばないでやってよ。 菜央(私服): 大丈夫、一穂? 一穂(私服): う、うん……大丈夫。 身体の方は、大丈夫……だと思う。問題は、記憶が曖昧なことだけで……。 と、その時だった。 入江: ……着きましたよ。 運転席を見ると、入江先生が座っていた。助手席には赤坂さん。 そして、フロントガラスの向こう側には――。 #p2度目#s・・・#rに訪れる、入江診療所の建物があった。 Part 04: 再び入江診療所に戻ってきた私たちは、先生の処方でワクチン接種を受けることになった。 入江先生が診察室で準備をしている間、とりあえず待合室にあるソファに座って身体を休めることにする。 一穂(私服): …………。 ほんの数日前のことなのに、魅音さんたちとここで戦ったのが遠い昔のように感じるのは、私だけの錯覚だろうか……? なんてことを考えていると、隣に座っていた詩音さんがくすっ、と軽く吹き出していった。 詩音(私服): ここの診察室、懐かしいですねー。お姉が私に化けて、村の人たちと一緒に一穂さんを取り囲んで……。 詩音(私服): 地下室を火の海にした挙句、死にたくなかったら仲間になれ、でしたっけ? もう悪役っぷりが板についていて、今思うと笑っちゃいますよー。 魅音(私服): 嫌なことを思い出させないでよ、詩音!こっちはさっきから、必死に忘れようとしているのに……! 魅音(私服): あの時の私は、ほんとどうかしていたよ。一穂たちにあんなことをしちゃうなんてさ……。 圭一: はははっ。意識を乗っ取られていたんだから魅音だって、どうしようもなかったんだろ?だから一穂ちゃん、許してやってくれ。 一穂(私服): あ、うん……。それに、みんな無事だったんだからもう気にしてないよ。 魅音(私服): ありがとね、一穂。 魅音(私服): ……にしたって、あのバケモノに変わった時の感覚がまだ身体に残っている気がして、全然落ち着かないったらないよ……。 一穂(私服): ……っ……。 詩音(私服): くっくっくっ……言われてみればそうでしたね。まさかお姉が竜に変身するなんて……もしかしてそういう願望でもあったんですか? 魅音(私服): あるわけないでしょっ! もし希望通りに変身できるんだったら、もっと可愛い動物か知的でカッコいい何かを選ぶっての! 一穂(私服): あ、あははは……。 魅音さんと詩音さんが繰り広げる言葉の応酬に、私は前原くんと顔を見合わせて苦笑する。 とはいえ、こんな軽妙なやりとりができるようになったのも……連戦続きだった昨夜と違って全員の心に余裕ができたからだろう。 一穂(私服): (入江先生の話だと、村人たちの活動は日中だと多少大人しくなるみたいだから……警戒しなくてもとりあえずは大丈夫……だよね?) そしてワクチンを接種したあとは、彼らを安全な場所まで送り届けてから元の世界に戻る方法を探せばいい……。 ここまで来た以上、みんなを助けてこそだ。私はそう、心に誓っていた。 圭一: まぁまぁ詩音、そのくらいにしてやれって。魅音も、元の姿に戻ることができたんだから悪い夢だと思って忘れちまえよ。 魅音(私服): それは、そうだけどさ……。 圭一: それより、監督が言っていたワクチンを打てば『#p雛見沢#sひなみざわ#r症候群』に感染しても凶暴化しなくて済むんだよな? 圭一: だったら、俺たちのやるべきことはひとつだ。この村の周辺の集落に危険を知らせて、全員にワクチンを接種すればいい。 圭一: そうすれば少なくとも、おかしな病気が村の外にまで伝染して広まる可能性がぐっと少なくなるんだからな! 沙都子(私服): 確かに……私たちのなすべきことはこの村の救済よりも、周辺への被害拡大を防ぐことこそが肝要ですものね。 詩音(私服): その意味だと、車を運転できる人が2人もいるのは好材料ですねー。二手に分かれて活動ができますから。 詩音(私服): ……っと、そう言えば赤坂さんはどちらに? 魅音(私服): 美雪と一緒に、外で見張り番についているよ。日中でも活動できる村人が、全くいないとは断言もできないしね。 魅音(私服): そんなわけだから、自分たちのワクチン接種は最後でも構わないって言っていたよ。 レナ(私服): はぅ……2人とも疲れているのに、休まなくても大丈夫なのかな……かな? 菜央(私服): たぶん、2人きりにしてあげたほうがいいと思うわ。あたしだったらきっと、そうしたいって考えるだろうし……。 レナ(私服): ……そっか。じゃあ菜央、ワクチンを打ち終わったら一緒に2人と交代してあげようねっ。 菜央(私服): ぁいっ……? う、うん……っ! その提案に菜央ちゃんは、やや顔を赤らめてこくりと頷き、嬉しそうにレナさんの腕にすがりつく。 何とも微笑ましくて、あたたかな光景。……と、その時診察室のドアが開いて中から入江先生が姿を現した。 入江: お待たせして、申し訳ありません。準備が整いました。 入江: 診察室はあまり広くありませんので、すみませんが1人ずつ入ってきてもらってもよろしいでしょうか? 魅音(私服): 了解っ。じゃあまずは、圭ちゃんから行ってきてもらえる? 魅音(私服): その後に私と詩音、レナと沙都子って感じに進めるからね。 圭一: おっし。んじゃ、俺がトップバッターを務めさせてもらうぜっ! 沙都子(私服): をーっほっほっほっ! 注射針を見て悲鳴をあげたり、貧血を起こしたりしないようせいぜい頑張ってくださいませ~! 圭一: 俺は幼稚園児かっ? ったく……。 そう言って前原くんは、からかってきた沙都子ちゃんの頭をぐわしっ、と掴んでから入江先生と一緒に診察室へ入っていく。 残る全員が、閉じられたドアの向こうをじっと見つめて……わずかに漂う、緊張感。 とはいえ、それは1分も満たないほどの短さであっさりと破られ、中から出てきた前原くんは拍子抜けしたようにきょとん、としていた。 魅音(私服): お、ずいぶん早かったねー。身体の調子はどう、圭ちゃん? 圭一: んー……特に何かが変わった、って感じはないかな。チクッとしたのも一瞬で、すぐに終わったぜ。 魅音(私服): ならよかったよ。……んじゃ、次は私の番だね。 前原くんの感想を聞いて安心したのか、魅音さんは軽やかな足取りで診察室へと向かう。 そして彼女が戻ってきた後は詩音さん、レナさん、沙都子ちゃんと何事もなく続いて……。 次は私か、あるいは……といったところで菜央ちゃんがふいにレナさんの手を取り、立ち上がってから私に顔を向けていった。 菜央(私服): ……あたしは、最後でいいわ。お姉ちゃん、一緒に美雪たちと交代して見張りに行きましょ、ねっ? レナ(私服): えっ……? それは別にいいけど、だったら先に注射を終えてからの方がいいんじゃないかな、かな……? レナさんの指摘はもっともだったので、私たちは少し怪訝な思いを抱きながら菜央ちゃんの様子をうかがう。すると、 菜央(私服): ごめん。正直に言うとあたし……注射って苦手なの。 一穂(私服): そ……そうだったの? 今まで知らなかった菜央ちゃんの弱点を聞いて、思わず私はあっけにとられる。 しっかり者で頭が良くて、いつも強気な彼女の意外な一面。……ただ、年相応として考えれば特に珍しくもないことのようにも思えた。 沙都子(私服): 菜央さん、心配には及びませんわ。監督は注射もお上手で、針がいつ刺さったのかも気づかないくらいの腕前でしてよ。 菜央(私服): まぁ、あたしも……みんなの反応を見る限り、大丈夫だってわかってるつもりなんだけど……。 菜央(私服): 小さい頃に受けた予防接種のお医者さんが、すっごく下手な人で……ものすごく痛くて変に苦手意識がついちゃったから、その……。 レナ(私服): あははは、いいよ。だったら菜央の気持ちが落ち着くまで、手をつないでいてあげるね……はぅ♪ 菜央(私服): ほわっ……う、うんっ……! レナさんにそう言われた菜央ちゃんは、嬉しそうに笑みを浮かべながら2人並んで診療所の外へ出ていく。 それを見送ってから私は、美雪ちゃんたちが入ってくる前に自分の番を済ませてしまおうと診察室に向かった。 一穂(私服): あの……失礼します。 挨拶をしてから中に入ると、入江先生は薬品棚のそばにしゃがみ込み、何か箱を開けて中身を確認しているところだった。 入江: あぁ、すみません。ちょうど沙都子ちゃんの番で注射器のストックが切れてしまいまして……。 入江: すぐに準備をしますので、そちらの椅子に座って待っていてもらえますか? 一穂(私服): は、はい……。 前原くんたちのようにすぐ終わるものとばかり思っていた私は、少し気を削がれた思いで頷く。 とはいえ、立ったままだと急かしているように見えるかもと考えた私は、大人しく丸い椅子にちょこんと座り込んだ。 一穂(私服): …………。 周囲から漂ってくる、消毒液の匂い。しんと静まり返った室内には、入江先生が動作する音だけが響いている。 一穂(私服): (こういう空気の中でじっとしているのは、あまり好きじゃないかな……) なんて感じながら視線を落としかけたその時、ふいに「……公由さん」と声をかけられた私ははっ、と息をのんで顔を上げた。 一穂(私服): え、えっと……なんでしょうか? 少し上ずった声でそう返しながら、私は呼びかけてきた入江先生に向き直る。 すると先生は、作業の手を止めないまま後ろ姿で顔も向けず、普段と同じ口調で淡々と語りかけてきた。 入江: 公由さんは、『蟲毒』というものをご存じですか? 一穂(私服): 「こどく」……? 入江: 蟲の毒、と書いて『蟲毒』です。壺の中に毒虫を大量に放り込み、互いに共食いをさせて……。 入江: その中で生き残ったものを使って強力な毒薬を生み出すという中国の漢方……いや、むしろ呪術に等しいものです。 一穂(私服): は、はぁ……。 物騒な話の内容に気持ち悪さを覚えながら、私は困惑を押し隠すように生返事をする。 もしかして、暇を持て余す私を退屈させまいとそんな話題を持ち出したのかもしれないが……あまりに脈絡がなさ過ぎて、興味もわかない。 これなら、黙ってくれていたほうがずっといい……なんて不満を抱いて気を紛らわせようと視線を泳がせると――。 入江: 公由さんは、以前……言っていましたね。 入江: あなたは不思議な力を得て、未来から来たと。……その話を聞いた時に、ふと思ったのですよ。 一穂(私服): 何を……ですか? 入江: もしあなたのその力が、雛見沢症候群によってなされたものであったとしたら……。 入江: それはひょっとすると、10年という時を経て熟成されて凝縮された力ではないか、と。 入江: ならば、そんなあなたを発症させるといったいどういう結果をもたらすのか…… 入江: 研究者として、ぜひ見てみたい。そんなことを考えたのです。 一穂(私服): ……っ……?! そう言いながら振り返った入江先生の表情を見て、私はぞっ……と怖気を催す。 それは私の知る、優しく気を遣ってくれる地元医師の顔ではなく……。 まさに、狂気に近い好奇心にとり憑かれた「研究者」のものだった――! 一穂(私服): な……何をするつもりなんですか、入江先生っ……?! 入江: もはや雛見沢に、未来はありません。 入江: 私が心血を注いできたこの研究も日の目を見ることなく、闇に葬られることでしょう。 入江: 実際、先日の火災でデータも資料もほとんどが灰になってしまいましたから……。 一穂(私服): ……っ……? 入江: ならば、せめて……人生の最後に自分の研究の集大成を見てから死ぬのも悪くないと考えたのですよ……。 入江:        そう、鷹野さんのようにねッッ!! その宣告とともに入江先生は、注射器を手に私へと向かってくる。 一穂(私服): ひっ……ひいいいぃぃっ!! 恐怖に身をすくめそうになったが、それでもとっさの反応で私は彼を突き飛ばし、わき目もふらず診察室を飛び出した。 普通じゃない……あんなの、普通じゃない! 一穂(私服): (ひょっとして、入江先生も『雛見沢症候群』にかかって意識を乗っ取られている……?!) その可能性が頭をよぎり、ぞっ、と怖気がこみ上げてくる。 とにかく今は、他のみんなと合流だ。そして、入江先生を正気に戻さないと……! 一穂(私服): み……みんなっ! 入江先生が変だよ、早く取り押さえ……て……?! 助けを呼ぼうと待合室に戻った私は、愕然として目を見開く。 そこでは、狂気に満ちた前原くんと魅音さん、沙都子ちゃん、詩音さんが武器を振りかざしていて……ッ! Part 05: ……目の前で繰り広げられている光景が、信じられない。 いや、信じる云々の前に……脳がそれを、拒絶する。 圭一(覚醒): おりゃぁぁぁぁあぁっ!!血がたぎる、たぎってくるぜぇぇぇ!! 沙都子(覚醒): 死にさらせ、クズ虫めがぁぁッッ!ブチ殺してさしあげますわぁぁぁっっ!! 前原くんと、沙都子ちゃんが殴り合い……いや、殺し合っている。そして、 魅音: 『あっはっはっはっはっ……ひひゃひゃひゃヒャヒャヒャヒャッッ!!』 詩音: 『くけけけけけケケケケ……ゲゲゲゲゲゲゲゲッッ!!』 奥の部屋から聞こえてくるのは、魅音さんと詩音さんたちの獣のような叫び声と、固いものを打ち鳴らす轟音……ッ! 一穂(私服): あ……あぁ……っ?! さっきまで力を合わせて戦っていたはずの仲間たちが繰り広げる……惨劇の様子に、私はただ呆然と立ち尽くす。 これは……なんだ。いったい、なんなんだ。 私は今、悪い夢でも見せられているのか……ッ? 入江: ……どうやら、始まりましたね。 一穂(私服): っ……?! はっ、と息をのんで振り返ると、すぐ後ろに冷酷な笑みを浮かべた入江先生の姿が見える。 そして彼は、前原くんたちの様子を楽しげに、誇らしげに見守りながら厳かに言い放った。 入江: どうです……素晴らしい効き目でしょう?鷹野さんが開発した『H173』を上回る、私独自の制作による『ブースター薬』の効能です。 一穂(私服): え、『H173』……?それに、『ブースター薬』って……? 入江: #p雛見沢#sひなみざわ#r症候群の病原体に干渉することで強制的に感染者を末期発症させるだけでなく、人体に秘められた力を引き出す……。 入江: しかも、あなた方が使用してきた『ロールカード』なる未知の力がさらに強化されて、まさに超人と化すのです……。 入江: あぁ、素晴らしい! 実に素晴らしいッ! 入江: あの鷹野三四ですらできなかったことを、この私がなしえたのですッ! 入江: はははははは……あっはははははははっっ!! 高らかに哄笑しながら解説する入江先生の言葉を……私はどこか遠くにあるように感じて、意識を手放してしまいそうになる。 ……ただ、感情だけははっきりしていた。あるのは、純粋な怒り……そして、殺意ッッ!! 一穂(私服): 入江先生……あなたは、なんてことを……あんたはァァァッッ!! 激高した勢いのまま、私は『ロールカード』で武器を出し、入江先生に攻撃を仕掛けようとする。 ……が、その前にこちらの存在に気づいた前原くんたちがぐるり、と矛先を向けて一斉に襲いかかってきた……! 圭一(覚醒): おりゃぁぁぁああぁっっ!!死ね、死ね、死ね! ぶち殺してやらぁぁぁ!! 沙都子(覚醒): 血だ、血だ、真っ赤な血だぁぁぁ!!いっひゃひゃひゃひゃひゃっ……ひひひひひヒヒヒヒヒヒヒギャギャギャギャッッ!! 一穂(私服): やめて前原くん、沙都子ちゃん……!2人とも、正気に戻って!! 詩音: 『ケケケケケケケゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲゲッッッ!!』 魅音: 『ひゃあははははははぁぁぁあッッ!!まだまだっ、もっと楽しませてみせろォォォッッ!!』 一穂(私服): っ……なんで、……なんでみんな、こんなことに……っ?! どんなに呼びかけて懇願しても、彼らの勢いは止まらない。止められない。 それでも、なんとか前原くんたちの包囲を傷だらけになりながら突き飛ばし、診療所から外に飛び出して――。 そこで私は、駐車場で血を流して倒れる赤坂さんとそれをかばう美雪ちゃん……。 さらに襲いかかるレナさんを止めようと、必死に武器を交える菜央ちゃんの姿を見た。 赤坂: ぐっ……うぅっ……!! 美雪(私服): しっかりして、お父さん! お父さんッ!! 菜央(私服): やめて……やめてよ、お姉ちゃん!お願いだから、正気に戻って! レナ(覚醒): あはははははは……あっはははははははっっ!! しかし、狂気に染まったレナさんは笑い声をあげながら、執拗に菜央ちゃんへ攻撃を仕掛けていく。 その強さは、ゴミ山で乗っ取られた彼女と戦った時と同じ……いや、戦力が減った分脅威度は格段の差があった。 ……ただ。 レナ(覚醒): あははははは……あははっ、……っ……!! 一穂(私服): ――っ……!! その目から血に染まった、涙のようなものが流れて……落ちていく。 それを見た私はとっさに動き、体当たりで彼女を吹き飛ばした。 菜央(私服): か……一穂っ? 無事だったのね?! 一穂(私服): ……っ、う、うん……っ! 本当のことを言うと、「無事だった」と言葉にするには難しい それでも私は、残る力を振り絞って起き上がるやこちらに向かって突進してくるレナさんの勢いを辛うじて食い止めた。 レナ(覚醒): あはははははは……あーっははははははッッ!! 一穂(私服): ぐっ……やめて、レナさん……っ!!はぁぁぁあぁぁっっ!! 続けざまに振り下ろされる、彼女の斬撃。それを二度、三度と受け止めるものの、止められない余波が私の全身を切り裂いていく。 激痛とともに、腕や脚から力が抜ける感覚が襲ってくる……それでも私は、顔を向けないまま背中越しに大声を張り上げていった。 一穂(私服): ……赤坂さん! 運転、できますかっ? 赤坂: っ、あ……あぁ……!少しの距離なら、なんとか……。 一穂(私服): なら、そっちのワゴン車をお願いします!キーはまだ、ついてるはずだから! 赤坂: わ、わかった……待っていてくれ! 私の意図を理解したのか、赤坂さんは美雪ちゃんの補助を受けて立ち上がるとワゴン車の運転席に飛び込む。 ……間もなく聞こえてくる、エンジン音。それをレナさんとのつばぜり合いの中で聞いた私は、後ろの2人に怒鳴っていった。 一穂(私服): 美雪ちゃん、菜央ちゃん!ワゴン車に乗って! 美雪(私服): えっ……ど、どういうこと?! 一穂(私服): 入江先生が打ったのは、ワクチンじゃない!感染者を強制的に発症させる、ブースターだッ! 菜央(私服): なっ……? 入江先生が、どうして?! 一穂(私服): 説明してる時間なんてないッ!このままじゃ、おかしくなったみんなに殺されちゃう……その前に、逃げてッ!! 菜央(私服): に、逃げるって言っても……!お姉ちゃんを置いて、行けるわけが……っ! 一穂(私服): ……っ……! ……あぁ、感じる。聞こえてくる。あえて見なくても菜央ちゃんは今にも泣きそうで、声を震わせているのだと。 それは、美雪ちゃんだって同じだろう。せっかく救えると思いかけたその矢先に、こんなことになって……っ! 一穂(私服): (私のせいだ……!ずっと嫌な予感がして気づいてたはずなのに、それを無視し続けたから……!) 押し寄せてくる後悔の波にのまれて、思わず自分自身を消してしまいたくなる。 だけど、……まだだ。少なくとも私の大切な友達は、今でもまだ守ることができるんだから……! 一穂(私服):         ……生きて、菜央ちゃん……! 菜央(私服): えっ……? 一穂(私服): 私のために、生きて!美雪ちゃんのために、ちゃんと生きてッッ!! 菜央(私服): か、一穂……っ……?! 一穂(私服): 美雪ちゃんも、生きて!私は、2人のことが大好きだから……こんなところで、死んだりしないでッ! 美雪(私服): 一穂……キミは……っ!! 一穂(私服): だから早く、逃げてッ!!車に乗って、ここから少しでも離れて元の「世界」に戻って!! 美雪(私服): ……っ……!! 美雪(私服): わかった……!菜央、一穂の言う通りにするんだ! 菜央(私服): ……っ、う、うぅっ……!! ……ちらっ、と私は後ろを振り返る。そこには美雪ちゃんに促されて、躊躇いながらも車に乗り込む菜央ちゃんの姿が見えた。 一穂(私服): (よかった……これで……) 一穂(私服): (私が命を投げ出す、理由と価値ができた……ッ!!) 美雪(私服): 早く乗って、一穂!キミも一緒に……えっ? 美雪ちゃんの呼びかけに……私はレナさんと武器を交えながら首を横に振ってみせる。そして、 一穂(私服): 私はここで、みんなを足止めする……!赤坂さん、よろしくお願いします……! 赤坂: 公由さん……し、しかしッ……! 一穂(私服): あなた、警察でしょうっ?市民の命を守るために、赤坂さんたちはその力を預けられてるんですよね?! 一穂(私服): 今、この2人を助けられるのはあなたしかいないんですよッ!! 赤坂: ……っ……?! 自分でも驚くほどの強い声で、私は赤坂さんに向かって吠える。 ごめんなさい……赤坂さん。私ってすごく、偉そうな口を利いていますね。今度会ったら、必ず謝ります。 そう……もう一度会ったら、きっと……。 美雪(私服): な……何を言い出してるんだよ、一穂っ!キミだけがここに残るなんて、そんなことさせられるわけが――?! 一穂(私服): うるさいッ! 言う通りにしろッッ!! 美雪(私服): っ? か、一穂……?! 一穂(私服): 2人のこと……大好きだよ。だから……。 一穂(私服): 行ってください、赤坂さん――早く行けぇぇぇッッ!! 赤坂: っ……すまない……公由さん……ッ!! そう言って、赤坂さんは車を発進させる。 菜央(私服): ま……待って、一穂っ!待ってってばぁぁぁぁぁッッ!! 美雪(私服): 一穂……一穂っ……!! ……遠ざかる車から、美雪ちゃんと菜央ちゃんの声が聞こえてくる。 それを見届けてから私は、やってくるレナさん……そして魅音さんたちに対峙し、武器を構えていった。 一穂(私服): なんとか……間に合ったみたいだね……。 一穂(私服): ……前原くん。 一穂(私服): あなたが狂気に染まった時は、私が止めるって言ったよね……?あの「約束」、ちゃんと覚えてるよ。 一穂(私服): そしてこれが、神様が決めた運命……逃れられない結末だったとしても……! 一穂(私服): 私は、ここで!あなたたちを止める、絶対にッッ!! その言葉と同時に、私の身体から膨大な力のオーラが発せられる。 はじけ飛ぶ波動によって、身にまとった衣服に裂け目が走り……肌から、血がにじみ出す感触。 こみ上げてくる衝動で、燃えるように熱い……そして私は、飛びかかってくるレナさんたちに立ち向かっていった。 一穂(覚醒): はあああぁぁぁあぁぁッッッ!!! Epilogue: 美雪: はい、もしもし。 菜央: 『美雪? ごめんなさい、電話かけるの、ちょっと遅くなっちゃった』 美雪: あぁ、菜央。大学はいいの? 菜央: 『えぇ、就活の件でちょっと呼ばれただけだったから』 美雪: ……菜央も、あとちょっとで社会人か。ついこの間、成人式で着物姿になったところをお目にかかったばかりなのにねー。 菜央: 『年寄りみたいなこと言わないでよ、もう』 電話口の向こうで、むー、と頬を膨らませる菜央の顔が頭に浮かんできて……ついつい口元がほころんでしまう。 あの頃と違い、あどけなさがなくなった彼女は本当に綺麗になった。本来の強気な性分が、知性と品性によって磨き上げられた感じだ。 そう……「あの子」の面影が、常に背後にちらついて見えるくらいに……。 菜央: 『ねぇ、美雪……マスコミ関係の人からたまたま聞かせてもらったんだけど』 美雪: んー、何を? 菜央: 『雛見沢大災害の、慰霊祭……今年の20年目で一旦区切りをつけるって、本当なの?』 美雪: ……一昨年から、参加する人の数がぐっと減っちゃったからね。仕方ないよ。 美雪: 菜央こそ、慰霊祭の参加は大丈夫?就活と被ってないといいんだけど。 菜央: 『被ってても、慰霊祭を優先するわ。お姉ちゃんたちときちんと向き合えるのは、1年でこの日だけだもの』 美雪: うん……そうだね。私もキミが参加してくれるんだったら、すごく嬉しいよ。 美雪: ……。あのさ、菜央。本当に、服飾系の会社は受けないつもりなの? 菜央: 『えぇ。このファストファッションの時代に、アパレル関係への就職は厳しいから』 菜央: 『まぁ、職種を選ばなければひとりで食べていく程度の稼ぎはできるわ。そのために、大学で勉強してきたんだしね』 美雪: なら、いいけど……お母さんはなんて? 菜央: 『さぁ。最近はまともに口も聞いてないから、どう思ってるのかしらね』 美雪: そっか……でも、菜央はファッション系の仕事に就くと思ってたから、ちょっと意外だったよ。 菜央: 『それを言うならあんたもでしょ、美雪』 菜央: 『てっきり警察官になると思ってたのに、まさか図書館の司書になるなんて……』 美雪: んー……千雨んとこのおばさんがいなかったら、この道に進むことはなかっただろうけどねー。 菜央: 『ふふっ……いい先輩司書が身近にいてよかったわね』 菜央: 『あ、そうだ。あんたが書いた例のやつ、読んだわよ』 美雪: ありがと。どうだった? 菜央: 『そうね……資料としてはまぁまぁ?まとまってたと思うわ』 菜央: 『読み物としては……もう少し頑張って。司書なんだから、もう少しいけるでしょ?』 美雪: 司書に文才を求めないでよ。文章を扱う仕事でも、全然違うんだからさ。 菜央: 『褒めてるのよ。素人が書いたにしては、ちゃんと面白かったんだから』 菜央: 『……でも、あれって結局のところどうするつもりなの?』 美雪: うーん、どうしよう……。 美雪: 最初は、知り合いの翻訳家から出版社に持ち込んでみたらどうかって言われて、調子に乗って書き始めたんだけど……。 美雪: ……書けば書くほど、これは世の中に出していいものか迷っちゃってさ。 美雪: いや、未来から過去へ、って部分はいいんだよ。ちょっとしたスパイスですって言い張れるしね。 美雪: ただ……名前を変えても、ちょっと調べればモデルになったのが誰かはすぐにわかるだろうし。 美雪: 特に……。 菜央: 『……あの村のお医者さんなんて、入江先生しかいないものね』 美雪: ……同情とかじゃないよ。憎しみとか恨みとかも、正直ないわけじゃない。 美雪: けど、入江先生の過去を調べれば調べるほど……なんていうか、苦しくなってきちゃってさ。 美雪: これを世に出して、あの人をこれ以上貶めることになることが正しいとはどうしても思えなくて。 菜央: 『でも……一穂のことを考えると、書くことを諦められなかった』 美雪: ……よくわかったね。 菜央: 『お姉ちゃんたちはともかく、一穂の存在はあたしたちの中にしかいないもの』 ……そう、あの時。 私と菜央は、気がつくと廃村と化した雛見沢の祭具殿前に倒れていた。 周囲に#p田村媛#sたむらひめ#rの姿はおろか、公由一穂の姿もなく……。 全てが夢物語であった、と思いたくなるほど元通りの日常に戻っていた……。 菜央: 『一穂の新しい情報、見つかった?』 美雪: ……ごめん。 菜央: 『もう、だからなんで謝るのよ』 菜央: 『大災害だけじゃなくて、大災害の遺族があんな大きな事件を起こしたら名前を隠したり変えたりする人が多ければ見つからなくて当然よ』 美雪: 今思うと、ルチーアで門前払いを食らったのが痛かったね……。一穂の手がかりは、あそこしかなかったのに。 菜央: 『……あの時は、あたしたちも若かったわね』 美雪: あはは、今だって十分若いじゃんか。キミこそ、年寄りみたいなこと言ってるよ。 そんな感じに、電話越しに笑い合って……ふと、沈黙が落ちる。 話したいことが、尽きたわけじゃない。むしろ、ありすぎて……なにからどこまで話せばいいのか、時間が足りなくて……。 菜央: 『……ねぇ、美雪。あたしたちって、あの村に残らない方がよかったのかしら』 美雪: ……どうして、そう思うの? 菜央: 『だって、あたしが一穂と美雪を説得して境内に戻らなければ……あのまま、平成に戻っていれば……』 菜央: 『少なくとも、一穂と慰霊祭に行けたんじゃないか……って』 美雪: それは、んー……どうだろうね。 美雪: ただ、最近になって思うんだけど、入江先生が雛見沢に来る前に起きたあの事件……。 美雪: あんな、自分の信じてきたものが根元から、何もかも壊されるような事件さえなければ……。 美雪: ……もしかしたら、私たちの力になってくれたんじゃないか……って。 菜央: それは、……。 美雪: 人に責任を押しつけてるみたいだなって、自分でも思うよ。力が足りなかったことへの言い訳かもしれないって、自覚もしてる。 美雪: でも、もう少し。何かが違えば……違う答えに、たどりつけたかもってさ。 菜央: 『あたしも美雪も、あの時は子どもだったじゃない。あれ以上、何ができたって言うのよ』 菜央: 『それに……経験が人を作るって言葉が真実なら、あんたの言う入江先生はきっと別人よ。あたしたちが知ってる入江先生じゃない』 美雪: そうだね。でも……会ってみたかったな。別人みたいな、入江先生に。 菜央: 『ひどい願望ね』 美雪: そりゃね。今は願望の塊みたいな本に囲まれて暮らしてるんだからさ。 美雪: ……でも、世の中にはたくさんの本があるのにどこにも書いてないんだよ。 美雪: いったい何が、あの村で起こったのか……。梨花お姉ちゃんの偽者が言っていた『雛見沢症候群』って、何だったのか。 美雪: 私たちが見たものは、なんだったのか……。 美雪: ……だから私は、一生調べ続けるんだと思う。 菜央: 『それを調べるために、司書になったの?』 美雪: 資料へアクセスできる利便性は抜群だけど、司書になったのはなりゆきだよ。 美雪: ……ただ、今の私じゃ警察官にはなれない。警察は、今とこれからを守る仕事だからね。 美雪: 過去を追いかけ続けるだけの、私には……さ。 菜央: 『……あたしも』 美雪: ん……? 菜央: 『あたしも、一緒に過去を追いかけるわ。だから……忘れないで』 菜央: 『あの村での出来事をどう受け止めればいいか、10年経ってもまだわからないけど』 菜央: 『でも、あの日あの場所であんたに出会えたこと。美雪のところの、雪絵さんに出会えたこと……』 菜央: 『それだけは、あたしの人生の中でも手放しによかったって思えることだから』 美雪: ……ありがと。母さんも喜ぶよ。 菜央: 『そうだ、例の資料、雪絵さんには見せたの?』 美雪: いや……最後の一文を、どうするか迷っててさ。 菜央: 『今のままでいいんじゃない?』 美雪: いいのかな……なんだか敗北宣言みたいで、書くかどうかも正直迷ったんだけどね。 美雪: でも、その一方で思うんだよ……ひとりでもいいから、真相を知って欲しいって。 美雪: あの子を……一穂を、見つけてほしいって。 菜央: 『見つけに行きましょう。そのために、記録を残したんでしょう?』 美雪: ……うん。 私たちの疑問に答えるものは、何もない。だからこそ私たちは、過去を追いかけ続ける。 美雪・菜央: これを読んだあなた。どうか真相を暴いてください。 美雪・菜央: それだけが私たちの望みです――2003年6月 赤坂美雪・鳳谷菜央。