いやーそれにしても
ノーラさんと出会えたことは
まさに神のお導きとしか思えません
ノーラさんがいなければ
今の私のほろ酔い加減の笑顔もなかったでしょうからね
私もロレンスさんには本当に感謝してます
出会えてよかったです
いえいえ こちらこそ
いえ こちらこそ
その上
金の密輸なんてとんでもない仕事まで手伝わせてしまって
正直なところ
まさか引き受けて貰えるとは思いませんでした
わたしも まさか自分が引き受けるとは思いませんでした

ふう へんですねわたし
きっと いつかそういう思い切ったことをしなくちゃと思ってたんです
いつまでも教会のお世話になってちゃいけないって
だからロレンスさんは わたしの命の恩人です
そんないいもんじゃありませんよ
商人なんて自分本位なものです
それならわたしも同じです 多分
飲んでるか ホロ
案ずるな 勝手にやっておる
ホロさんも一緒にお話ししませんか
何だ もう酔っ払ってるのか
湖を飲み干すと言われた賢狼のわっちじゃ
この程度で酔っ払うわけなかろう
了解
ということなので 暫くほうっときましょう
え でも
もう少し酒が入ったら自然と会話に加わる
それまで待っておれ
じゃあ待ってますね
で 何の話でしたっけ
おお 来た来た
わあ 美味しいそう
ありがとうございます
お前も食うか
勝手にやってるからよい 暫くほっとくんじゃろ
そうだったな
何の話でしたっけ
えっと わたしたちの出会いの話ですか
あれ その前は
ああ 羊たちの岩塩の話
ああ そうだそうだ
いやあ 羊が岩塩を見つけるとは知りませんでした
ええ あの子たちは塩気がとても好きで
例えば 岩に塩を軽く刷り込んでおけば
いつまでもずっと舐め続けるんですよ
じゃあ あの話も本当かな
なんですか
東の方の町で 羊を使った拷問があると聞いたことがあるんです
それはないだろうと思っていたんですが
羊で拷問ですか
ええ それが傑作なんです
縛りつけた罪人の足に塩を刷り込んで
そこを羊を連れてくるそうなんです おっ
足に塩を…
怒りと共に覚えておこう
すみません 足に塩なんかしたら羊が…
それはもう夢中で舐めますよね
多分
すると 最初のうちはくすぐったくて
罪人は笑いまくるそうです
あははは ああ 死ぬ 笑い死ぬ やめろ
不思議な拷問ですね
いや 実に変わっています
それだけで羊たちが終わるはずもなく
足の裏を舐め続けて笑わせ続けたあげく
どうなると思います
どうなったんですか
罪人は笑うことしか頭になくなり
素敵な笑顔を人々に振り撒くようになりましたとさ
めでたしめでたし
本当ですかそれ
最後のところが今作りました
嫌だロレンスさんったら
はははは でもそこまでは本当です
羊の心は計り知れませんね
そう言えば 干し肉を食べたあとの手を
羊たちが舐めたがって困りますね
いい子たちなんですけど
何っていうか 加減を知らなさ過ぎて
ちょっと怖いというか
その点 お連れになっている騎士は聞き分けがよさそうで
あ エネクも時折頑張り過ぎて融通が利かないんですけどね
ごめんごめん
くぅー
いやあ 本当に躾ができていますよね
やはり ノーラさんの羊飼いとしての腕が確かなのでしょう
いいえ そんな
く くぅ
うん? 何だホロ もう酔ったのか
酔ってなどおらぬ
どこがだよ しょうがない奴だな
このわっちは たった三杯で
酔うはずが… なかろう
お ホロ
あっ
最近まで 何百年と一人で麦畑にいたせいだろうか
毎日は何事もなく過ぎて行き
昨日と今日の区別はなく
明日と明後日の区別もなかった
時折思い出したかのように時間が進むのは
一年に一回の収穫の祭り 二回の種蒔き祭り
雨が降らないように祈る祭りと
風が吹かないように祈る祭り
後は退屈な時間の塊
祭りではないただの日々
下手をすれば
苗木が巨木になるのをじっと見つめていることすらあった
それに対して
旅というのは日々生まれ変わるに等しいくらいに毎日が新鮮だ
あの若い行商人と過ごしてきた日々は
たった数ヶ月が何十年分にも相当する
朝に喧々囂々の喧嘩をしたかと思えば
昼には仲直りして 口についたパンのカケラを取らせてからかい
夕方は飯の取り合いでまた喧嘩して
夜は明日のことで静かに話し合う
人と旅をしたり暮らしてきたりことは何度かあった
だが今は それらを思い出す余裕はない
昨日の連れは何をしていたか
今日の朝はどうだったのか
それらを考えるのがあまりに忙しいのだ
のんびり故郷のことを思い出しては
めそめそしていたのは最初だけ
こんなに刺激に満ちた毎日では
おちおち悲しんでもいられない
楽しくないといえば嘘
むしろ楽しすぎて不安なくらいだ
ううん… 重い
なぜ宿屋に
な 何じゃ今のは
現実ならば一生の不覚
ただの悪夢じゃ
無かったことにしよう
何でじゃろうか
あの間抜け面の前ではついつい隙を見せてしまう
気にいらなければ怒り 面白ければ笑い
およそ賢狼の名に相応しくない姿を見せてしまう
やはりこれじゃ
いつ敵に襲われてもすぐに反応できるこの形こそわっちに相応しい
ふふふ その点連れときたら阿呆面丸出しで
まるで頭の悪い猫じゃ
まあ あれくらい無防備で無神経でなければ
人の世は渡っていけぬのかもしれんな
なぜおらぬ
肝心な時に側におらぬとは 役に立たぬ雄じゃ
なんでじゃわっち
やっと帰ってきたか や
なぜ体調が悪いことを黙っていた
あ いや
子供じゃないんだ 倒れるまで気がつかなかったとは言わせないぞ
万が一 これが旅の途中だったらどうするつもりだったんだ
お前には分からないかもしれないが
森や荒野で体調を崩せば 最悪死につながる
本気で心配したんだぞ
すまぬ
それで どうなんだ
大したことではない 疲れが出ただけじゃろう
何かその 特別な病じゃないんだろ
安心せい
そうか
よかった 本気でほっとした
大げさな奴じゃな
いや あれこれ考えたら色々不安が渦巻いてしまってな
もしかして あ… もしかしたら
何じゃ 言うてみよ
あいや もしかして玉葱を食ったせいなのかと
ほう?
わっちゃ犬でありんせん
だよな 賢狼だもんな
あはははは
じゃが 折角の酒と馳走を満喫できなかったのは残念じゃ
俺は商人だぞ
そこは抜かりないさ
残ったものは包んでもらってきてある
本当かや
おう すぐに出してやろう
うんうん
と言いたいところだが
やっぱり熱があるな
相当疲れてたんじゃないのか
ぬしのせいじゃ
はあ
ぬしの指は ちょっと硬くて狼の鼻先に似ておるのじゃ
鼻を擦り付けてくるというのは 人間でいうと
ちょっと言えぬ
何だそれ
何でもよい もうよい
とりあえず食事はお預けだ
ゆっくり眠れ
ロレンス
暖かい
ホロ 起きてるか
見れば分かるじゃろ
体調はどうだ
起きられぬ
本当か
確かに まだ顔色は深窓のお姫様みたいだな
じゃが腹は減った
それなら安心だ
じゃあ粥でも作ってもらおうか
のども渇きんす それ水かや
ああ あいや
お前 昨日熱があったから リンゴ酒な
本当かや
お おい 大丈夫か
普段この半分でも大人しくしてくれるといいんだがな
大人しく荷馬車で寝ていればぬしは怒るじゃろうが
ただ俺だけ起きてるなんて不公平だろ
大人しくしてたら飯の時にぬしに多く食われてしまいんす
体が大きいんだから当然だろう
ならわっちも対抗して態度を大きくせねばの
どうした
味が
ああ 薄めてあるからな
薄めすぎじゃ
鼻が馬鹿になってしまったのかと思いんす
熱がある時は薄いリンゴ酒だ
ん お前この手の知識はないのか
わっちは賢狼じゃからな
世の中には自分の知らないことが沢山あることくらいなら知っておる
ゴホ
病とは 人の体の中の釣り合いが崩れることによって起こる
潮の満ち引きのようなものだ
で 釣り合いが崩れた時は 人が取る四つの状態を調節して治す
四つの状態
そうだ 熱い 冷たい 乾いている 湿っているの四つだ
それで
それは食べ物によって調節することができる
お前は熱があったから 冷たい食べ物が丁度いい
だから リンゴだ
わっちゃ 生のリンゴのほうがよかったんじゃが
それじゃ駄目なんだ
リンゴは冷たいが 乾いている食べ物だからな
体調の悪い人間は乾いているから 湿らせないといけない
そのために飲み物である必要がある
だったら 酒にすれば気分はよくなる
ただ 強い酒は熱いから
その力を薄めないといけない
で わっちは他に何を食べさせてもらえるのかや
ああ 疲労が蓄積して熱が出たとあれば
まずこれを冷ます
また 体が乾いているはずだから
湿り気を取り戻す
しかし 湿度は体を冷やし
冷たすぎると人は憂鬱になる
以上から 羊の乳を煮込んだ麦粥に
リンゴの切り身を入れて
ヤギのチーズを入れるなんてのはどうだ
うむ それがよい
わっちゃそれが食べたい
お前 本当はもう全快してるんじゃないのか
む 眩暈が
あ ホロ
早くしてくれやれ
っん じゃあちょっと待ってろ
粥は大盛りでの
ロレンス
起きられるか
ん ダメじゃ
俺が体調悪くなったら 借りを返してくれるんだろな
うむ ヨイツ流の流儀でよければな
考えとくよ
心配はいらぬ わっちゃ鼻が利くからの
ぬしがこんなふうになる前にどうにかしんす
気がつかなかったのは悪かったよ
だが お前のほうからもできれば言って欲しい
とにかく俺は 鈍いらしいからな
うん 医者に治せぬ病にかかっても
簡単に気づきそうにないからの
ん?
なんでもありんせん それより飯
これだけ食べられれば大丈夫だな
明日か明後日には治るだろう
あ うむ
この町を出たら また暫く荷馬車の上だ
すまぬ
ゆっくり養生すればいいさ
お前を拾った時点で 急ぎの旅を諦めてるよ
それに 雨降って地固まるというやつで
この前の信用も取り戻して 前よりよくなったくらいだ
そのとこを考えたら 二三日くらい遅れたって構わない
いろいろ回っときたいところは 未だあるからな
宿は その…
静か過ぎるから
ふむ そうだな
とりあえず 大飯ぐらいの誰かさんの夜の献立について
たっぷりと語り合うか
そんな理由
何か大雑把な希望はあるか
たっぷりと語り合いたいとはいえ
市場が閉まると用意できなくなるからな
う… うんー
一応元気そうだが まだ重いものも駄目だ
肉は?
駄目駄目 粥かパンを浸したスープか
うむ ならばさっきのそれ 羊の乳だったかや
甘い香りと濃い味が美味かった それがよい
羊の乳か…
何か問題が?
腐りやすいから まともなやつは午後になると値が上がるんだよ
新鮮なのをお望みだろう
もちろん
だったら またノーラに探してもらうか
さすが羊飼いだけあって 目利きはなかなかの…
あ あ…ノーラに頼めば いい乳が手に入るから
金に物を言わせればあの小娘に限らずよいものがかかえるじゃろうが
そ それはそうかもしれないが
しれないが何じゃ
な 何でそんなにノーラを目の敵にするんだ
え い 今何と
い いや あのな
過去にお前が羊飼いと何があったのかは知らないが
お前が狼なのであれば 気に食わないのは分かる
だが そこまで敵意を剥き出しにすることはないだろう
ほら あれだけ気立てがいいんだ
何事にも例外ってものが
ふう ぬしよ
な なんだ
わっちが悪かった
分かってくれたか
いや まーなんというか
うん?
まーよい ぬしはそういう奴じゃ
え?
羊の乳よろしくな
ノーラさんがお見舞いにきてくれたぞ
お加減いかがですか
なに ちょっと疲れが出てしまっただけでありんす
じゃが ちょっと話し相手に飢えていんす
前々から聞きたかったことを聞いてもいいかや
え? あ はい
わたしで答えられることでしたら
羊を導く最大のコツは何かや
ええ?
うん…
広い心を持つことですね
風が出てきましたね
その通りじゃな
羊は自分が賢いと思い込んでおるからの
何か面白い話か
い いえ
ふふ 女同士のヒミツじゃ
そうか