小さい頃から時々、変なものを見た。

それはおそらく、妖怪と呼ばれるものの類(たぐい)。


ばーか、どこ蹴ってんだ!

あー危ない、夏目!


あ、夏目が落ちた。


やば、あっち人(ひと)ん家(ち)だぞ!

夏目、大丈夫か?


ああ、なんとか。


悪いけど、ボール拾ってきてくれよ。


わかった!

ボール、ボールっと…

ああ、あった。


その顔、夏目様でございますね?

友人帳をお持ちですねえ?

まーてー!


まずいなー追ってくる!

なんだ、この縄?

まさか…

つか、前にもこんなことが…


友人帳をよこせー!


うわあ!放せっ!


さあ、早くよこせ!


やれやれうるさいなあ。


ニャンコ先生!


暇だからついてきてやったらこのザマかー?


先生、苦しい…!


よこせー

友人帳をよこせー


苦しいって…言ってる…だろうが!


何をするのだ、夏目。


何をじゃないだろ、馬鹿ニャンコ!


ニャンコではないと言っておろうが!


これは招き猫を依り代(しろ)とした仮の姿なのだ。


先生は用心棒だろう?だったら…


ちっちっち、私をただの用心棒と思うなよ。

友人帳を手に入れるためにお前を待ち構えておるのだ。


開き直るな、大福猫。


にゃにをー!


ふん!


おのれ!

そのうち隙見て食(く)ってやるからな!


まったくもう…






身寄りが無く、親戚を盥回しにされていた俺を引き取ってくれたのは、心優しい藤原夫妻。


たかしくん、ご飯よー。


はーい!


ああ、たかしくん、にゃんきちくん、まだ帰ってこないの?

ご飯食べに来ないのよ。


へっ?

よそで食べてるのかな?

おなかがすけば、帰ってきますよ。


そ?

だったらいいけど。


いただきます。


はーい、召し上がれー。


こりゃうまい。

なんだいこれ?


ゆりねですよ。


この人たちに迷惑をかけないためにも、妖怪が見えることは絶対に秘密だ。






部屋にも戻ってないか…

強く殴りすぎたかな?

うわっ?!

ニャ…ニャンコ先生…

驚(おど)かすなよ。

どこ行ってたんだ?

真っ黒!

なんで?!

どうしたんだ先生?!

こらっ!汚れた足で歩き回るなよ。


あれ?落ちないな。

何したんだ、先生?


なんでしゃべらないんだ?

さっき殴ったからすねてんのか?

なんだよ。さっきのは先生が悪いんじゃないか。


た~だいま~


先生!


なんだその黒いのは~!






やはりこやつ妖(あやかし)者(もの)だなあ。


なんだ、先生じゃなかったのか…


ひとめ見ればわかるだろうが、あほ!


こんな顔(かお)のでかい猫、そうそういないだろー。

じゃあこいつ、先生に化けてきたってことだよな。

目的はなんだろう?


夏目、友人帳は無事だろうな?


ああ、大丈夫。ここにある。


うわああしまった。

友人帳!






くそっ、どこいった。黒にゃんこ。


ちっ、こう暗くては黒いあやつを見つけることはできぬ。

出直すぞ。


でも、友人帳が…


人間のお前が夜うろつくのは危険だ。

それに、今宵はどうもいつもと空気が違うようだ。


もう少し、もう少し、探させてくれ!

妖怪たちの大切な名前を預かってるんだ!

俺が!


ぽろりん!

まあ、落ち着け!夏目。

友人帳を取られて腹立たしいところだが、あの黒にゃんこから悪い気は感じなかった。

だから油断したのだが…

それに今は下手に騒いで友人帳が奪われたことを他の妖どもに知られるのがまずい。


けど…

ん?なんだ、あのヒカリ…


ん?あー狐火か。


狐火?


多いなあ、どこへ向かってるんだ。


んんん?


どした?


人間の匂いが…する様な。


ちっ!


せんせい、重い!


我慢しろ。

私の匂いでカモフラージュしてやってるんだ。


気のせいか…

人の匂いかと思ったが、むしろ獣(けもの)臭いわ!


獣(けもの)臭いだと?!

高貴で偉大なこの私を!


まあまあ。


そう言えば、昔はよく主(ぬし)様が、人の匂いを付けて帰ってきとったなあ。


おーそうだった。人に化けては里で遊び、美味な土産をよく分けてくれた。


それを、おのれ人間どもが!

人などと関わるとろくな目にあわんわい。


全くだ。


行ったか?


斑様ではありませんか?

おひさしゅう。

いつ見てもお美しいお姿。


ん?お前は、紅峰(べにお)か。


先生の知り合いか?


まあな。


おや?人の子?


御食事中でしたか。

私にも是非お零れを。

ん?この顔、どこかで…

ああ!夏目レイコ!


阿呆!声がデカイ!






へえー、夏目レイコの孫ねえ。


紅峰(べにお)、さっきの妖(あやかし)の列は何だ?


ああ、この森の者が集まって宴ですよ。


この辺りで紙の束をくわえたラブリーな黒猫を見なかったか?


ラブリー?


頭のでかい豚猫ならさっき宴の会場のほうへ行きましたが。


豚だと?


それだ!

紅峰(べにお)さん、そこへ案内してくれないか?


正気かい?

人の子が行(い)ったら直ぐに食われてしまうよ。


ならば妖怪に化けていく。

お願いだ。

俺にはどうしてもあの猫を見つけ出さなければならない理由があるんです。


生意気な目付きといい、たしかにレイコに似ているな。

そこが気に入ってるんですか?


阿呆か。

くだらんこと言ってると食うぞ。


おもしろそうだ。

よし、連れてってさしあげよう。

うまく妖者に化けられればよし。

もし人の子とばれたら、その時は皆の肴になっていただく。


構わない。

頼みます。


ったく!

お前はまた勝手な。


いやあああああ

斑(まだら)さまがちんちくりんに!

おいたわしや…


酒はこっちか~?


飲みに行くんじゃないぞ。


とにかく、夏目の若様は化粧か面を。

斑(まだら)さまも獣(けもの)の姿ではいけませんよ。


うん?なぜだ?


なにせ有名ですからねえ。夏目レイコは。

獣(けもの)を連れたレイコ似の少年が友人帳を譲り受けたらしいと専らの噂なのです。


友人帳…
ねえー、いつまであの子預かるつもり?


仕方ないだろー。兄貴が嫌がってー。


お…お帰り貴志くん。


あ、ちょうどよかったー。

レイコさんの遺品が出てきたんだよ。


レイコさん?


君のお婆さんに当たるんだよ。


やだ、何これ落書き帳?

変わり者だったって聞いてたけど相当ね。

捨ててもいいからね、貴志くん。

こんな物持ってても何にもならないんだから。


友人帳、生まれつき強い妖力を持っていた祖母レイコが打ち負かした妖怪に名前を書かせた、主従の契約書。

あの頃は、友人帳のこともレイコさんのことも何も知らなかったな…。


どうした、夏目?


え…いやあ、何でもない…


斑様はそのお姿で?


悪いか?


いいえ。さて、行きましょうか。


うん。


おお、紅峰。遅かったなあ。

何してたんだあ?


野暮だねえ。

化粧ですよ。


おや、見かけねえやつらだのお。


ああ、私の連れなんです。


楽しそうなんでね、混ぜてもらうよ。


いいとも、さあさ飲みねー飲みねー。


んー?フンフン…。

お前ちょっと人間臭いな。
え…おお…


ほんとだ。

主様のこと思い出す。


おーおー、確かに主様も、いつも人間の匂いをさせておったわ。


主様?


人間贔屓のこの森の大将だよ。

人に化けて里に下りたとき、狐狩りの罠にはまってなあ。それを猟師の男に助けられて以来、仕切りとそいつに逢いに行っては、人の友人が出来たとはしゃいどったよ。


しかし、妖力は強かったが少々頭の弱い方だったなあーん。

人間と友人になれるなどと…。


そうじゃあ。

あの夏目レイコとも勝負してみたり…

まあ飲めーん。


ああ…ありがとう。

…なあ、誰かこの辺で黒猫を見た奴は・・・
諸君

そろそろ例のことについて話し合おう。

憎き人間どもが主様を封じた場所がわかった。

今こそ仕返しの時だ!

主様は下等な我々に、この森で生きていく力を分け与えてくれた大恩人。

今宵、夜襲をかける!

人間など恐れるな!

皆で一斉にかかれば他愛もない!


うおおおおおおおおおお!


夜襲って、何のことだ?


主様は、家畜を襲っていたぁー、だから人間どもに封印されちまったのさぁー!

だーが、ついにその封印場所がぁー、赤く高い石塀の家の床下とわかったのだ!


それで…

でもだからって…家の者を襲う必要は無いだろう?


必要は無いが、こ奴等の飲みっぷりでは何を仕出かすかわからんぞー。


どうすれば…


お前、妙なお節介を焼くんじゃないぞ!

この数、易々とは止められん。


そうそう、お止しよ。

所詮人ごときにできることなど、たかが知れてる。


そうだな。けど幸い、俺には君の声が聞こえるよ。
ん?

ここにいる他の皆のも、そして人の言葉もだ。

へだてなく。これは力にならないだろうか。


お前はレイコとは違うんだな…。
え?


あっ!いた!

んあぁっ!待てっ!こらっ!


よくわからないガキだ。

どこが気に入ったんです?


私が興味あるのは友人帳だ。


ならば、さっさと食って奪えばいいでしょう。


いい暇つぶしになる。

人の一生などあっという間だ。

あっけないほどあっという間さ。


捕まえたぞー!せんせー!!






ふん、やけに大人しいな、こやつ。


この黒にゃんこ、わざとじゃないのか?
わざと?
なんだか、友人帳を奪うことで、俺達をここへ誘導したような…。


何の為にだ?


さあ?


紅峰!お前なら出来るだろ。探れ。


やってみます。

恐らく、力のあるアヤカシモノ(怪者)が依り代に封じられている姿かと思うのですが…


依り代か…

そういうのが流行ってたのか?


ん?この妖気…覚えが…

うほあああ、も、もしや、主様!?


にゃに?


主様だってえ?!
お痛わしや…おのれ人間どもめ…許せぬ…
封じられたはずなのに、動き回ってるってことは…。赤く高い石塀の家・・・
ひょっとして、あの時切った縄が、この黒にゃんこの結界だったのか。
紅峰さん、早く皆に知らせよう。


この姿では、誰も主様とは信じない。

封印を解いて元の姿に戻さないと。


でも、どうやって…


お、そういえばこやつは、レイコと勝負したことがあると、さっき低級どもが言っておったなあ。


ええ。そう聞いてます。


それだ!名前を奪われている分、封印を破る力が足りんのかもしれん!


じゃあ、名前を返せば…!


しかし問題はその名前だ。

依り代の姿では友人張は自ら名前を探してはくれん。


べにおさん、主様の名前は?


いえ…私は主様としか…。


主様、必ず名前を返します。

だから、みんなを止めるのに力を貸してください。

お前らこんなところで何をしてる? そろそろ行くぞ。

行くって人を襲いにか!? その必要はないんだ! 主様はここに帰ってきてる

なっ! あほ、よせ!

誰か、主様の名前を知らないか? 名前さえわかれば・・・

貴様、人の子だな?

人の子だと? 人の子だって? おのれ、人の子め!

そいつを離せー!

うるさい、下がっておれ!

斑様っ

くっ、耳を澄ませ。いるはずだ、この中に。主様の名前を知る者が。
聞こえた!

ん? 夏目を、離せええ!!

斑様!

リオウ、君に返そう。受けてくれ。

はああ・・・。

主様・・

ただいま、みんな。ありがとう。人の子。

君のおかげで動けるようになった私は、会いに行ったんだ。大切な友人に。
けれど、もう亡くなっていた。人の一生は短いねえ。みんなに阿呆だと言われた意味が、解った気がしたよ。

なぜ友人張を?

森に帰ると、連中が人の家を襲う算段をしていてね。止める力のない私は君を連れてきて、なんとかしてもらおうと思ったんだ。
すまなかったね、夏目。

あなたを封印したのは人でしょう? なのに彼らを止めようとしてくれたんですね。

ふふっ。私は人が好きだからね。だからもう、人里には降りない。
風呂、気持ちよかったよ。さらば、人の子、さらば。

行っちゃったな。黒にゃんこ。はあ…黒いにゃんこってかわいいなー。

ん!? どういう意味だ、それは。 全く、誰のおかげで今回のヤマが解決したと・・・

さてと、斑様の傷も大したことなかったし、帰るとしますか。
やっぱり、人は好きになれんな。

え?

まだら様のためにも、隙を見てお前を食ってしまおうと思っていたのに。
主様の恩人ではそうもいくまい。斑様、いっそ一緒に帰りませんか?

いや、いま暫く私は、これの傍らにいよう。
あっという間のその時まで。

ありがとう。にゃんこ先生。

んー。素直なお前は気持ちが悪い。

最近困るのは、小さな別れを少し寂しいって感じることだ。
束の間の出会いと別れ。その刹那をひとつつひとつ、大切にしていきたいと、思う。