Part 01: 泥のようにまとわりつく気怠さを引きはがせないまま目を開けて……あたしは布団から起き上がる。 菜央(私服(二部)): ん……ぅ……。 心身ともに疲れ切っているにもかかわらず、まるで眠れなかった。以前、母からは寝つきがいいと褒められたことがあったのに。 いつまでたっても、ぐるぐると記憶と思考が頭の中で渦巻いて……ようやく鎮まったのは窓の外が白々と明けてきた、午前4時前後。 こうなると、もう二度寝する気分にもなれなかったので……昂る気持ちのまま、あたしは起きることにした。 ……耳をすませていると、階下から物音と話し声がかすかに響いてくる。 誰何こそ聞き取れないが、この2階の部屋は防音性が低いようだ。……ただ新築でも一戸建てだと、これが普通なのかもしれない。 菜央(私服(二部)): (一穂も2つ前の「世界」では、こんな感じに朝を迎えてたのかしらね……) 当時はてっきり、聞こえないものだと思って美雪を相手に騒がしく声を上げたこともあったけれど……大丈夫だったのだろうか? ひょっとすると、彼女の安眠の邪魔になっていたのかも……と今さらになって思い返し、少し申し訳ない気分にとらわれた。 菜央(私服(二部)): ……それにしても、おかしなものね。ひとりっきりで寝るのは、幼い頃からもう慣れっこになってるはずなのに……。 母はいつも、遅い帰宅だった。仕事が忙しい時は翌朝か、もっと激務の場合は数日後の夕方に帰ってくることも度々だった。 だからあたしは、小学校に入った頃から自分の部屋でひとり寝ていた。それが当たり前で、気にしたこともなかった。 でも……2つ前の「世界」では、1階に美雪。1つ前だと古手家で、隣に一穂がいた。 だから、その状況に慣れてしまったせいか昨夜ひとりで寝るのが寂しくて、心細くて……。 暗い室内で誰もいないことが初めて怖い、と感じてしまっていた……情けない。 菜央(私服(二部)): ……。もう、起きましょう。 ここでじっとしていても、気分が滅入るだけだ。とっとと準備をして、顔でも洗わせてもらおう。 そう思ってのそのそと身支度を調えていると、ポケットから柔らかい紐状のものが落下した。 菜央(私服(二部)): ……? 白いシーツの上に落ちたそれを拾い上げて目の高さまで持ちあげ、しげしげと見つめる。 緑と白の紐で編まれたそれは、学校の書類や家庭科部の先生のメモとともに茶封筒に入っていたものだった。 菜央(私服(二部)): (……ミサンガ、か) 学校や塾でこっそりつけている子がいて、流行りのアクセサリーだとも聞いていたので……これがどういうものかは、もちろん知っている。 自然と紐が切れた時に、願掛けをした望みが叶う……とかいうお守りの一種だ。 ……作りは、ちょっと粗い。何度かうまくいかなくて途中でやり直したのか、新しいのにところどころ糸がほつれている。 おそらく、先生の手作りなんだろう。なにしろ顧問なのに、なぜか手芸は苦手だと常々話していたからだ。 菜央(私服(二部)): これって……つける場所が大事なのよね。 雑誌に載っていた記事によると、身体のどこにつけるかで効果が変わるとのことだけど……。 それぞれにどんな効果があるかまでは、あまり興味がなかったので覚えていなかった。 菜央(私服(二部)): 確か……つける人の利き手がどうとか、書いてあったような……うーん……。 あたしの利き手は、右。だとしたら、右の手首につけるべきか……? ただ……ミサンガが流行り始めたのは、平成の時期だ。昭和58年の「世界」だと存在しているかさえも怪しい……。 万一奇妙なファッションのように扱われたら、無用のトラブルに発展することもある。……目立つところは避けたほうがいいだろう。 菜央(私服(二部)): そういえば、塾にいた子は学校が厳しいとかで腕じゃなく足首に結んで、靴下で隠してるって言ってたっけ……。 それなら、靴下を脱がない限り目につかない。身につける場所としてはうってつけだろう。 菜央(私服(二部)): このままポケットに入れてたら、うっかり落としちゃうかもだしね……。 あの若くて優しい先生が、慣れないながらもあたしのために作ってくれたミサンガだ。なくしたりしたら、さすがに申し訳ない。 菜央(私服(二部)): ……これでよし、っと。 ミサンガを結んだ右足首に靴下を被せて、あたしは立ち上がる。 偶然でも目に入れば、違和感があるかもしれないけれど……日常を過ごす分には特に問題がないはずだ。 ……と、その時。ふいにとんとん、と襖が叩かれる音が聞こえてくる。 圭一の声: 菜央ちゃん……起きているか? 菜央(私服(二部)): えぇ。開けてもらっても、大丈夫よ。 続いて届いた前原さんの声に答えると、静かに襖が開かれた。 ……昨日は挨拶もなかったけれど、今朝はしっかり手順を踏んでくれている。さりげない気遣いが、とてもあたたかい。 菜央(私服(二部)): おはよう、前原さん。 圭一(私服): あぁ、おはよう。少しは眠れたか? 菜央(私服(二部)): 正直、あんまり……って前原さん、制服に着替えなくてもいいの? 圭一(私服): ん? そりゃ、日曜日だからな。 そう言って前原さんは、苦笑まじりに肩をすくめてみせる。 ……つまり、あたしがこの#p雛見沢#sひなみざわ#rを訪れたのは土曜日だったということか。曜日の感覚のずれを、今さら思い知らされる。 菜央(私服(二部)): ちなみに、今日は何月何日? 圭一(私服): 6月5日……って、こう言ったほうが早いか。#p綿流#sわたなが#rしが行われる日から数えて、ちょうど2週間前の日曜日だ。 菜央(私服(二部)): ……そう。 ふぅ、と大きく息を吐き出してから、あたしは目の届く範囲で身なりを整える。 全身が見られる鏡があるといいんだけど、さすがに居候の分際では高望みだ。せめて汚れと皴がないことだけを確かめよう。 すると、そんなあたしの様子をじっと見つめてから……前原さんは笑みを浮かべ、軽く頷いていった。 圭一(私服): ……よかった。その感じだったら、大丈夫そうだな。 菜央(私服(二部)): えっ……? 圭一(私服): 昨夜より、落ち着いている様子だからさ。正直言って、ノックをしてもいいものか結構迷っていたんだぜ? 菜央(私服(二部)): ……心配をかけて、ごめんなさい。完全にはまだまだ遠いけど……ね。 圭一(私服): いや、今はそれで十分だ。変に気張ったりする必要なんかないから、自然体でよろしく頼むぜ。 菜央(私服(二部)): うん……ありがとう、前原さん。 圭一(私服): あと……菜央ちゃん。もしよければ朝飯を食ってから、一緒に来てもらいたいところがあるんだけど……どうだ? 菜央(私服(二部)): えぇ、大丈夫よ。どこに行くの? 圭一(私服): 園崎本家……魅音のところだ。 もちろん、その提案を断る理由なんてあたしにはなかった。 圭一(私服): んじゃ、ちょっくら行ってくるぜ。 菜央(私服(二部)): ……行ってきます。 圭一の母: 行ってらっしゃい。あんまり遅くならないようにね。 朝ご飯を食べてすぐ、軽く身支度を整えてからあたしは前原さんと一緒に家を出る。 菜央(私服(二部)): …………。 田舎らしい、雛見沢のちょっとひんやりした朝の空気は清々しくて、心地よい。 ただ……あたしたちを見送ってくれた前原さんのご両親の挨拶に慣れるまでには、もう少し時間がかかりそうだ。 菜央(私服(二部)): おじさまは、日曜でもお休みじゃないの? 圭一(私服): あぁ。休みたい時に休んで、それ以外はアトリエにこもりっきりらしい。いいよなぁ、個人事業主ってやつはさ。 菜央(私服(二部)): ……そうね。 菜央(私服(二部)): …………。 圭一(私服): …………。 特に交わす言葉もなく、ただ黙ってあたしと前原さんは雛見沢の道を歩き続けた。 少し感じる居心地の悪さを紛らわすつもりで、左右に目を向けると……広がる青々とした田畑と、点在する家屋。 それぞれ窓が開いていたり、洗濯物が干してあったり……テレビ番組の声が聞こえてくる家もある。 姿は見えずとも、そこかしこに人の気配。やや閑散とはしていても、1つ前の「世界」で抱いた寂寥感はなかった。 菜央(私服(二部)): ……結構、みんな残ってるみたいね。 圭一(私服): ん……? 菜央(私服(二部)): ダム建設が決まってるんでしょ? なのに、1つ前の「世界」とは違う感じに見える……どうしてなの? 圭一(私服): ……決定したのは、今年に入ってからだそうだ。退去も数年ほどかけて、徐々に進めるらしい。 菜央(私服(二部)): ……。そうなんだ。 どこか他人事のように、前原さんがそう答えるのを盗み見ながら……以前、この道を歩いた時のことを思い出す。 絢花さんがいた1つ前の「世界」の雛見沢だと、空き家が多いだけでなく……村人たちもどこかギスギスして、張りつめた気配があった。 だけど今は、むしろ2つ前の「世界」に近い。道行く人、農作業をしている人の顔からはなんとなくだけど……優しい空気を感じる。 菜央(私服(二部)): (最初に見た時の雛見沢の風景は、わりと気に入っていたのよね……。『ツクヤミ』っておかしな存在はあったけど) だからこそ、綿流しの夜に起きた惨劇が……今でも忘れられないし、とても信じられない。 この穏やかでのんびりとした村の風景が、どうしてあんな鮮血と狂気に包まれることになってしまったのだろう……? 菜央(私服(二部)): ……っ……。 思い出すだけで息苦しさを覚えて……あたしは天を仰ぐ。 菜央(私服(二部)): (あたしたちが過ごしてる中で、雛見沢はいろんな顔を見せてくる……) だとしたら……今、あたしがいるこの「世界」もいずれ、違う顔を見せるということなのか。 最初の「世界」と同じように映っているけれど、同じような惨劇……あるいはまた違った悪夢に包まれてしまうのか……? 菜央(私服(二部)): (知っているようで、知らない村……それがあたしにとっての、雛見沢) それを思うと、どうしても緊張が押し寄せて……ずしりとした重い疲労感がのしかかってくるのを覚えずにはいられなかった。 前原さんの後を追ってしばらく歩いていると、大きな屋敷……園崎本家が見えてきた。 改めて確かめるまでもなく、立派な家だ。さすがは雛見沢御三家の邸宅といったところか。 圭一(私服): ん……? ふいに顔を上げた前原さんの視線の先には、園崎邸の玄関。 その横に、あたしの知る女の子がちょこん、と柱にもたれて立っているのが見えた。 菜央(私服(二部)): 梨花……? 梨花(私服): みー。おはようなのですよ圭一、菜央。 菜央(私服(二部)): っ……おはよう。 彼女の喋り方が昨日と違っていて……やや違和感を抱いたせいで、少しだけ思わず口ごもってしまう。 梨花の口調は、2つ前の「世界」と同じだ。どうしてわざわざ使い分けているのか……と、あたしは戸惑いを覚える。 が、それを確かめるまでもなく前原さんは彼女に歩み寄り、快活な笑顔でにかっ、と手を上げて挨拶をした。 圭一(私服): よっ、おはよう梨花ちゃん。こんな朝早くからご足労だな。 梨花(私服): 全然平気なのです。そろそろ圭一と菜央が来る頃だと思って、ここで待っていたのですよ。 菜央(私服(二部)): …………。 梨花(私服): 魅ぃが、中で待っているのです。2人とも、ついてきてくださいなのです。 圭一(私服): あぁ。行こうか、菜央ちゃん。 菜央(私服(二部)): ……えぇ。 梨花を先頭にして、あたしたちは園崎本家の中に足を踏み入れる。 ……何度となく足を運んだことがあるせいか、懐かしさが込み上がってきた。 菜央(私服(二部)): …………。 見覚えのある大広間を横目にしながら、あたしたちは廊下を進んでいく。 梨花(私服): みー、ここに入ってくださいなのです。 梨花に従って奥の突き当りから障子を開けると、そこは真ん中に卓が置かれた客間だった。 すでに座布団が4人分置かれていたので、あたしは前原さんに続いてその隣に座る。 そして間もなく奥の襖が開き、現れたのはお盆を持った魅音さんだった。 魅音(私服): おはようっ。愛想なしで悪いけど、3人とも自分の家みたいにくつろいでくれていいからね~。 お盆の上に載っているのは、人数分の麦茶らしきものが入ったガラスコップ。 それと……焼き菓子の入った、菓子皿だ。 菜央(私服(二部)): …………。 菓子皿を少しの間見つめてから、あたしは視線を外して魅音さんを見る。 菜央(私服(二部)): (卓を囲んでるのはあたしと前原さん、そして梨花と、魅音さん……?) これで全部なのか、と怪訝な思いを抱くあたしの思いをよそに彼女は最後に座り……全員の顔を見渡していった。 魅音(私服): うん……これで、前の「世界」の記憶を引き継いでいる4人が揃ったね。また再会することができて、何よりだよ。 菜央(私服(二部)): あ、あの……っ……! たまらずあたしは声を上げて、一番ここにいてほしい人のことを聞こうと口を開きかける。 ……が、それを遮るようにして前原さんが身を乗り出し、魅音さんに尋ねていった。 圭一(私服): なぁ、魅音……確か昨夜の電話だと、レナも誘うって言っていたと思うんだが……まだ来ていないのか? 魅音(私服): ……。レナは、来ないよ。さっき電話をかけてみたんだけど、どこかに出かけているらしくてさ。 魅音(私服): あと……特に菜央ちゃん、落ち着いて聞いてね。レナのことだけど……。 魅音(私服): あの子……「礼奈」の記憶があるよ。 菜央(私服(二部)): ……っ……。 梨花から事前に話を聞いていたので、ある程度の心構えと覚悟ができていたあたしはその事実を……昨日よりも冷静に、受け止める。 ……ふと視線に気づいて顔を左右に向けると、梨花と前原さんが心配そうにあたしを見ていた。 あたしが取り乱すと考えていたのだろうか?……彼らの気持ちはすごくありがたいけれど、それはもう昨日終わらせていたので問題ない。 菜央(私服(二部)): 魅音さんが、そう断言するってことは……何か確証があったってこと? 魅音(私服): うん。レナ……「礼奈」がこの「世界」に移動してきた直後になると思うんだけど……。 魅音(私服): あの子が泣いて取り乱しながら、この屋敷に駆け込んできたんだ。……落ち着かせるのに、ずいぶん苦労したよ。 圭一(私服): えっ……そうなのか?そいつは、俺も初めて聞いたぞ。 梨花(私服): みー、ボクもなのです。 それぞれ驚いた表情を浮かべながら、前原さんと梨花は顔を見合わせる。 すると魅音さんは、「ごめん」と言って手を合わせると……あたしたちを見比べてから言葉を繋いでいった。 魅音(私服): 圭ちゃんと梨花ちゃんにまで、連絡が遅れたのは謝るよ。……ただ、私の方もすぐに報告できなかった事情があってさ。 菜央(私服(二部)): 事情……? 魅音(私服): うん。……ただその前に、菜央ちゃんには私たちが記憶を取り戻した順番を伝えておくね。 魅音(私服): 最初は、圭ちゃん。次に梨花ちゃんで、私……そしてレナが、最後だよ。 菜央(私服(二部)): で、昨日……あたしが来たってわけね。 1つ前の「世界」の経緯を考えてみて……向こうで「死んだ」順番は関係がないようだ。 菜央(私服(二部)): 記憶が元に戻るタイムラグは、どういう法則になってるのかしら……? 梨花(私服): みー……そのあたりについては、ボクもよくわからないのですよ。 菜央(私服(二部)): 確かに、そうね。……で、沙都子は? ここに名前が出ていないので、半分くらい答えは見えていたけれど……。 ちゃんと確認しておかなければと思って私が尋ねかけると、3人の中から梨花が重い口を開くようにして答えてくれた。 梨花(私服): ……。沙都子は、この「世界」以外の記憶を全く引き継いでいないみたいなのです。 菜央(私服(二部)): っ……それって、1つ前だけじゃなくて2つ前の「世界」のことも……? 梨花(私服): ……はいなのです。ボクと一緒に暮らしていた時のことまで、忘れてしまっているようなのですよ。 そう言って梨花は、唇を引き結んで悲しげな表情で俯く。 1つ前の「世界」では……梨花は死んだ人間と扱われていたため、沙都子との接点がなかった。だから記憶がなくても、致し方ないだろう。 だけど……前原さんや魅音さん、梨花が2つ前の「世界」の記憶を引き継いでいるのに……沙都子と「礼奈」ちゃんには、それがない。 これはいったい、どういうことなのだろう。どうして同じように惨劇に巻き込まれたというのに、違いが生じてしまったのか……? 圭一(私服): 梨花ちゃん……。 梨花(私服): …………。 前原さんが声をかけて気遣っているが……梨花はうなだれたまま、答えようとしない。 思えば、1つ前の「世界」での梨花は病院の地下に閉じ込められて……沙都子のことも、そして兄の悟史がいることも知らないままだった。 だとすると彼女は、1つ前の「世界」の沙都子とここで初めて出会ったことになる……。 菜央(私服(二部)): (1つ前の「世界」の沙都子って、まるで別人だったから……戸惑ったんでしょうね) ……とりあえず、この「世界」の沙都子はどんな感じなのだろうか。梨花には悪いが、それも確かめておく必要があった。 菜央(私服(二部)): ここの「世界」の沙都子って……どうなの? 魅音(私服): どう、って……それは、どういう意味? 菜央(私服(二部)): この「世界」だと、どんな性格なのかしら……?2つ前の「世界」の時は素直じゃないけど優しくて、1つ前の時は、その……やんちゃというか……。 ワガママだった……と言うのは梨花の前では憚られて口ごもっていると、前原さんがにっ、と笑って言った。 圭一(私服): この「世界」には、悟史がいる。だから「やんちゃ」だ、手を焼くくらいにな。 圭一(私服): そんなわけで俺が、時々雷を落として制裁を食らわしてやっているぜ。 魅音(私服): またの名を「鉄拳」ってやつだね……くっくっくっ。 圭一(私服): まぁ、記憶を取り戻す前からそうだったらしいし、悟史も半分は容認しているようだから……力関係は、この「世界」でも同じなんだろうな。 梨花(私服): そして、わんわんと泣く沙都子を慰めるのはボクの役割だったみたいなのですよ。にぱー。 菜央(私服(二部)): 慰めるって……でも、あの子は……。 梨花(私服): ……平気なのです。それなりにボクは、うまくやれているのです。 菜央(私服(二部)): ……っ……? 梨花(私服): ……大丈夫なのですよ、菜央。心配してくれて……ありがとうなのです。 菜央(私服(二部)): 梨花……。 梨花の口からその言葉を聞いて……ほんの少しだけ、あたしは安堵する。 おそらく本音では、寂しいと感じているに違いない。……けれど、同時にこの「世界」の沙都子とも仲良くしようと頑張っている、ということだ。 菜央(私服(二部)): (梨花のことだから、1つ前のワガママな沙都子と仲良くできるのか、って少し心配したけどね……。あたしも正直、苦手に感じてたし) 前の「世界」の沙都子とは、あまり接点がなかった。……というより、ちょっと距離を置いていた。 あの少々キツくて不遜な態度で接してこられたら、つい言い返してしまいそうだったからだ。 菜央(私服(二部)): (でも……今回は梨花もいる。だから、あたしもちょっとは仲良くできるようにしよう……) ここでそう思えるのは、梨花がいるおかげだ。だから近いうちに何かの機会があったら、あたしはその感謝を伝えようと心に誓っていた。 魅音(私服): あと……菜央ちゃん。詩音のことは、もう聞いた? 菜央(私服(二部)): えぇ。ルチーアから出られなくなってるって、前原さんから聞いたわ。 魅音(私服): ……そっか。あの子については、今のところ頭の片隅に留めておく程度で構わないよ。 魅音(私服): とりあえず……まずは第一に、レナのこと。続いて沙都子と悟史のこと、詩音のこと……解決しなきゃいけない問題は山積みだけどね。 菜央(私服(二部)): ……っ……。 もうひとつ、肝心な「あの子」の名前が出てこなかったことに……口を挟みそうになる。 ただ、あまりにも魅音さんが自然な振る舞いで会を進めていくので……思わず言うタイミングを失ってしまった。 魅音(私服): 菜央ちゃんも加わったことだし、私も独自に色々調べたことを報告しなくちゃ、って思っていたんだ。 魅音(私服): だから先に、この村の現状について情報を整理したいと思うんだけど……いいかな? 菜央(私服(二部)): ……えぇ。それで構わないわ。 「礼奈」ちゃんのことはあたしにとって、一も二もなく真っ先に聞きたいことだ。それに、一穂のことも……。 ただその前に、現状を認識しておく必要がある。だからあたしは、魅音さんに従って……彼女への想いをいったん、脇に置くことにした。 Part 02: 魅音(私服): まず……先に言っておくと、この「世界」は1つ前と2つ前が微妙に混ざり合っている。 魅音(私服): おかげで、記憶を取り戻した時は自分の頭の中で整理するのに苦労したよ……。 菜央(私服(二部)): ……。具体的には何が違ってて、何が前の通りなの……? 魅音(私服): まず、『オヤシロさまの#p祟#sたた#rり』だけど……これは今のところ、起きていない。 魅音(私服): いや、ちょっと違うかな……。正確には、2つ前みたいに連続殺人・失踪事件になっていない、って言ったほうがいいと思う。 菜央(私服(二部)): ……事件自体は、起きてるってこと? 魅音(私服): うん……4年前に起きた、ダム工事現場での殺人事件がね。現場監督が殺されて、犯人のひとりが捕まっていないのも同じだよ。 圭一(私服): 犯人と一緒に、バラバラにされた被害者の右腕が消えた……だったか。それも一緒なのか? 魅音(私服): うん、その通り。 梨花(私服): みー、ですが3年前の被害者になったはずの北条夫妻……沙都子と悟史の両親の転落事故は起きていないのです。 梨花(私服): そして、2年前の古手夫妻……ボクの両親も健在です。 梨花(私服): 1年前の北条夫妻の叔母と、悟史も……無事に過ごしているのですよ。 菜央(私服(二部)): ……要するに、一部の事件は起きたけれど毎年の「連続」にはなっていないってことね。 梨花(私服): そうなのです。その影響もあってか、村での『オヤシロさま』信仰はさほど恐れられるものになっていないのです。それに……。 菜央(私服(二部)): それに……なに? 梨花(私服): ……いえ、なんでもないのです。 あたしの問いかけに答えず、そう言って梨花は説明を終える。 なぜか、重要なことを隠しているような様子に違和感があったが……あとになってから尋ねても遅くないと思い直し、流すことにした。 菜央(私服(二部)): ……ダム工事の方は? 圭一(私服): 4年前の殺人事件前後に、いったんは国の方針で凍結されたんだが……来る途中に言った通り、今年に入ってから工事再開が決定したそうだ。 圭一(私服): 俺の家なんて、そう知らずに引っ越してきたばかりだってのにさ……。 圭一(私服): まぁ退去の補償金も相当出るみたいだし、親父もお袋も運がいいのか悪いのか、って爆笑していたんだがな。 菜央(私服(二部)): なるほど……。村がまだ寂れてる感じがしなかったのは、そういう経緯があってのことなのね。 魅音(私服): ……言い訳じみているけど、圭ちゃん一家の移住を決めたのは、私が記憶を取り戻す前の出来事だったらしくてさ……。 魅音(私服): どうやら、新規の移住者を入れる実績を引換えにダム建設の見直しを迫るつもりだったみたいだね。……圭ちゃんたちには、ほんと申し訳ない。 圭一(私服): ははっ、いいって。そうでもなきゃ、また俺だけ蚊帳の外に置かれていたかもしれねぇんだしな。 菜央(私服(二部)): じゃあ……ダム建設の賛成派の人たちとは、あんまり仲が良くないってこと……? 魅音(私服): 悪くはないけど、よくもない感じだね……。結局のところ、この村を裏切った立場には違いがないわけだしさ。 魅音(私服): ただ……あとで詳しく説明するけど、村長がうちの婆っちゃをすごく時間をかけて説得してくれたこともあって……。 魅音(私服): 一応、両者の対立や衝突までには発展していない感じだね。 菜央(私服(二部)): …………。 魅音(私服): あと……賛成と反対は大人の問題で子どもには関係のないことだ……そう言って、村の人たちは自制している。 魅音(私服): だから、少なくとも表立っては悟史や沙都子に矛先が向けられていることはない、と考えてよさそうだね。 菜央(私服(二部)): ……。だったら、いいんだけど……。 魅音さんの言葉を疑うわけじゃないが……この村の人たちがそこまで割り切ることができるのか、正直言ってちょっと信じがたい。 #p雛見沢#sひなみざわ#rの人たちは、よく言えば人情的だが……その一方で理性より激した感情を優先する傾向がある。 だから、「表立って」と彼女は言ったが……恨みや憎しみによる仕返しが裏へと回っていないか、確かめておく必要があるかもしれない。 魅音(私服): それと……こいつは結構重要なことだけど、公由家の頭首が2つ前とは違う。1つ前の「世界」と同じ人に替わっているんだ。 菜央(私服(二部)): えっ……? 公由家の頭首は、本来なら一穂のお祖父さんだ。そして、1つ前の頭首といえば……? 魅音(私服): 喜一郎のおじいちゃん、ちょっと前に体調を崩しちゃって……娘婿の稔さんがそれを引き継いだんだ。……正式にね。 菜央(私服(二部)): み、稔さんって……一穂のお父さんよね?!じゃあ、一穂はどうしたのッ? 魅音(私服): ――――。 その質問を投げかけた途端……魅音さんたちは途端に表情を消し、こちらをじっと見つめながら口を真一文字に引き結ぶ。 ……気持ち悪いほどの、静寂。どこか遠くで、鳥の鳴き声が空しく聞こえてきた。 魅音(私服): ……菜央ちゃん。悪いけど当面は、この村の現状を私たち全員で把握することが先決だからさ……。 魅音(私服): 一穂のことは……もう少しだけ、待って。その代わり、何かわかった段階でちゃんと説明する。 魅音(私服): 約束するから……お願い。 菜央(私服(二部)): ……わかったわ。 渋々といった思いを表情に出さないよう気持ちを静めながら、あたしは矛を収める。 あたしが一番確かめたいのは……一穂の安否だ。もちろんそれは、前原さんや魅音さんたちも重々承知の上のことに違いない。 だけど、それを真っ先に魅音さんがここで答えてくれないのは……梨花や前原さんが言っていたように、「そういうこと」なんだろう。 菜央(私服(二部)): (あの子がどこにいるのか……1つ前の「世界」で何があったのかさえ、誰も知らない……) 菜央(私服(二部)): (おまけに、この「世界」にいるはずの5歳の一穂さえ……存在が確認できない……?) それが、本当に悔しくて……情けない。……とはいえ、一穂のこと以外にも知るべきことはまだ山のように存在する。 だから……今は耐えなきゃいけない。「礼奈」ちゃんのことと同じように、あの子とのことも……まだっ……! 魅音(私服): 話……続けてもいい?稔さんが頭首の座に就いた経緯からだけど。 菜央(私服(二部)): ……うん。お願い。 魅音(私服): 喜一郎おじいちゃんの跡目は、最初こそ実の息子たちの中から、って前提で進められたそうなんだけどね。 魅音(私服): ただ、私も詳しい経緯と事情はよくわからないけど……誰が継ぐのかでちょっと一悶着があったらしくてさ。 魅音(私服): ……だから、稔さんは次の跡継ぎが決まるまでの暫定頭首みたいなものってことで選ばれたんだよ。 菜央(私服(二部)): ……つまり、正式頭首じゃないってこと? 魅音(私服): うん。ただ、稔さんは元々高校の先生をやっていたんだけど、他にも大学の研究室で培ってきた知識だの経験だのがあってさ。 魅音(私服): 退去する人たちのために、住まいだけでなく働き口の方も仲介してくれたりして……働き盛りの人たちや若い家族層の支持が強いんだ。 魅音(私服): 代替わりの時も、「この雛見沢の人たちが、ひとり残らず衣食住の心配なく新天地で生活できるように努めます」って宣言してね。 魅音(私服): それでうまく進んでいるから、今では中継ぎじゃなくてこのまま正式な頭首になってもいいんじゃ……って声も上がっているくらいだよ。 菜央(私服(二部)): …………。 そう、淡々と説明している魅音さんだが……その口調と表情に、何か含むものを感じる。 公由稔氏の人物像は、誠実そのもののようだ。……なのに彼女は、そこに好感を抱いていない。これはどういうわけだろう? 菜央(私服(二部)): それじゃ……年配の人たちの反応は? 魅音(私服): ……。婆っちゃや年寄り連中からは、ひどく受けが悪いね。 圭一(私服): 真反対の反応ってわけか。……それって、何か理由があるのか? 魅音(私服): まず、彼が外から来たよそ者だってこと。一応、公由の遠縁ではあるらしいんだけどさ。 魅音(私服): あと、この村の文化とか歴史とか……そういったものを軽視する傾向が強くってね。仮にも学者さんだってのに。 魅音(私服): まぁそれだけだったら、頭の固い年寄り連中が頑固になってるんだって……私も、最初はそう思っていたんだけどさ。 魅音(私服): ただ、どうやらそれだけって感じでもないみたいなんだよ。 菜央(私服(二部)): ……どういうこと? 梨花(私服): みー。公由稔は毎日のように、ボクのお父さんとお母さんに会いに来て……なにやら居間で難しい話をしているのです。 菜央(私服(二部)): 難しいって……具体的には? 梨花(私服): 何度か聞き出そうとしましたが、2人は答えてはくれませんでした。……子どもにはまだ早い、と。 梨花(私服): だからこっそり聞き耳を立ててみたのですが、それがバレて追い出されてしまったのですよ……。 どうやら追い出されただけではなく、かなり強めに怒られてしまったのだろう。……不満な様子が、ありありと顔に出ている。 菜央(私服(二部)): 子どもに聞かせたくない話……か。いったいどんな内容なのかしら? 魅音(私服): さぁね……ただ単に、梨花ちゃんが他の村人に言いふらしたりしないよう用心しているだけ、って可能性もあるけどね。 梨花(私服): みー……それも、考えられるのですよ。 菜央(私服(二部)): 言いふらすって……梨花、ご両親からそんなふうに疑われてるの? 梨花(私服): どうやら記憶を思い出す前のボクは、沙都子に負けず劣らずのワガママで……信用のならない子だったそうなのですよ。 菜央(私服(二部)): ……、ごめんなさい。ちょっと想像がつかないかも……かも。 口調とは裏腹にしっかり者で、とても聞き分けのいい女の子というのが梨花のイメージなので……大違いだ。 沙都子と同じように、梨花もまた環境が違えば違う性格になるということなのだろうか……? 梨花(私服): ただ……圭一が転校してきた時にボクは沙都子と同じように怒られて、マシになったそうなのです。 梨花(私服): だからボクたちは、圭一に対して頭が上がらないそうのですよ、みー。 圭一(私服): ははっ……まぁ俺が梨花ちゃんより先に記憶を取り戻した流れになったことも、いい感じに働いたのかもな。 菜央(私服(二部)): …………。 仲良く信頼し合う2人の笑顔に一穂と美雪を重ねかけて……あたしは慌てて妄想を振り払う。 そして視線をそらすと、何か考え込むように押し黙る魅音さんの顔が目に映った。 菜央(私服(二部)): どうしたの、魅音さん……? 魅音(私服): ……いや、ちょっとね。嫌味でも自惚れでもないから、そのままで聞いてもらいたいんだけど……。 魅音(私服): 雛見沢の御三家で一番力があるのって……この「世界」でもやっぱり、園崎家だよね? 菜央(私服(二部)): それ……御三家同士が潰し合ったとしたら、生き残る確率が高いのは園崎家だ……って意味にとらえてもいいのかしら? 圭一(私服): うぉっ……? 菜央ちゃん、そりゃまた過激な言い方をするなぁ。 梨花(私服): ……みー。言葉の爆弾なのですよ。 菜央(私服(二部)): 怒らせたらごめんなさい、魅音さん。……でも、そういうことでいいのよね? 魅音(私服): あははは、怒ったりなんかしないよ。元々この質問自体が、みんなに対してすごく不遜なものだからさ。 魅音(私服): うん……菜央ちゃんの言う通り。そういうことにはならないだろうし、潰し合いの理由にもよるだろうけど……。 魅音(私服): 3つの家で残るとしたら、かなり高い確率で園崎家になる……はずだ。 梨花(私服): 園崎家は物理的な武力も、政治力もあるのです。他の2つの家が手を組んでも、とても敵わない勢力なのですよ。 菜央(私服(二部)): つまり、魅音さんが懸念してるのは……その園崎を抜きにして、公由と古手の頭首が連日話し合ってることが……変だと? 魅音(私服): 変というか……正直に言うと、不快だね。確かに稔さんが村長になるかっていう時に、うちの婆っちゃは猛反対したけどさ……。 魅音(私服): 最終的には、ちゃんと力量を見込んで就任の時には祝い花まで送っているんだよ?なのに、あっちは根に持っている感じで……。 菜央(私服(二部)): …………。 本当に、それだけなんだろうか。わざわざ御三家の力の構図を崩してまで、園崎家を無視するとは思えないんだけど……。 圭一(私服): だったら魅音が、園崎家の力を生かして両家がそこで、どんなことを話しているのか聞き出すってのはどうだ? 魅音(私服): うーん……今、下手に私が首を突っ込むと余計に隠される可能性が高そうだからさ。やぶ蛇は勘弁したいところだね。 菜央(私服(二部)): ……ちなみに公由稔氏は、雛見沢に住んでるの? 魅音(私服): いや、今のところは#p興宮#sおきのみや#rだよ。 魅音(私服): 前職の引継ぎとか何とかで、すぐに引っ越すのは不都合があるらしくてさ。 魅音(私服): 来年度末には、移住計画を大々的に行うために全部片づけて……雛見沢に引っ越してくるんだって。 魅音(私服): ずっと受け持ってきた生徒が来年卒業だから、それを見送りたい、とか言っていたかな……。 魅音(私服): まぁそういう姿勢が、受けるみたいだね。最近の若い先生は無責任なヤツも多いのに、生徒思いでいいじゃないか……ってさ。 菜央(私服(二部)): …………。 さっきから話だけ聞いていると……とてもいい先生のように思える。 ただ、つい聞き流してしまいそうな大きな矛盾点が、そこには含まれていた。 菜央(私服(二部)): そんなに多忙な人が、毎晩妻と一緒に古手家を訪れて遅くまで話し合ってる……おかしくない? 圭一(私服): ……だな。ただ、私的な事情もないわけじゃないし……確かめたり聞き出したりするのは難しそうだ。 圭一(私服): とりあえず、古手家と公由家の動向はちゃんと見ておいた方がいいってことだな。 梨花(私服): みー。ボクも猫さんのように話を盗み聞きする技術を磨くのですよ。 圭一(私服): ありがたいけど、バレたら大変だからさ。危険な橋を渡るのはほどほどにしてくれよ。 梨花(私服): バレてもせいぜいお尻叩きなのですよ。命を取られることはないのです。 とりあえず、現状についての情報は出揃った。となると、次は……。 菜央(私服(二部)): ……そろそろ、いいかしら。 菜央(私服(二部)): みんなに、聞きたかったことがあるの。今後にまつわる大事なことよ。 魅音(私服): ……っ……。 あたしが声を発するごとに、場の空気が張り詰めていく。 圭一(私服): 菜央ちゃん、今は……。 菜央(私服(二部)): 大丈夫よ、「そっち」じゃないから。あたしが知りたいのは、『雛見沢大災害』についての話よ。 そう釘を刺してから質問を投げかけると、場に走った固い空気が一気に緩んだ。 菜央(私服(二部)): (……。そんなに一穂について、話したくないのね) あたしは表情を変えないまま、腹の奥底にわだかまる思いを押し込める。 菜央(私服(二部)): (いいわ、だったら黙っててあげる……少なくとも、今はまだ……ね) そう内心で呟いてから、あたしは気持ちを切り替えて3人に顔を向けていった。 菜央(私服(二部)): みんなの知ってること……改めて全部、あたしに聞かせて。 Part 03: 情報を整理するため、あたしは改めて10年後において『#p雛見沢#sひなみざわ#r大災害』がどのように認識されているのかを説明する。 それに加えて、広報センターの南井さんから教えてもらった、当時の公的機関の動き――。 また、その後に起きた雛見沢出身者が起こしたトラブルと、それに伴った差別と迫害についても余すことなく話した。 菜央(私服(二部)): ……あたしたちが、10年後の「世界」で入手した情報は、これで全てよ。 圭一(私服): って……それ、マジかよ……? 魅音(私服): ……はぁ、まいったね。私たちだけじゃなく、村の外の連中までそんな目に遭わされるなんてさ……。 前原さんと魅音さんは、揃って天井を仰ぐ。彼らは、2つ前の「世界」で未来の様相を告げた時以上に衝撃を受けた様子だった。 圭一(私服): にしても、火山性の有毒ガスによる大災害……『雛見沢大災害』か。 圭一(私服): 菜央ちゃんを疑うわけじゃないんだが、俺たちの手には余りすぎて、どうにもまだ飲み込むことができない気分だぜ。 菜央(私服(二部)): ……でしょうね。 まぁ、疑いたくなる気持ちはわかる。未来の話……まして、最悪と言ってもいい展開など、誰も信じたくはないだろう。 ……でも、今言った内容は嘘偽りのない事実だ。あたしは、何を言えば信用してもらえるのかと証拠になりそうなものを考えあぐねて――。 梨花(私服): …………。 ふと、こちらをじっと見つめている梨花の視線に気づき……怪訝な思いで話を向けていった。 菜央(私服(二部)): どうしたの、梨花?何か言いたそうな顔だけど……あんたもやっぱり、この話は夢物語みたいに聞こえるってことかしら。 梨花(私服): いえ、……驚いているのです。どうしてあなたが、それを「知って」いるのかと思って……。 菜央(私服(二部)): えっ……? 梨花(私服): 教えてください、菜央。今話してくれた内容を圭一たちに伝えたのは、いつのタイミングだったのですか? 菜央(私服(二部)): いつって……あ、そうか。 もう忘れてしまったのか、と一瞬だけ呆れた気分になりかけたけれど……当時のことを思い返して、はたと気づく。 そうだ。あたしたちがこの話を皆にした時、梨花は偽者と入れ替わりに連れ去られ……行方不明になっていたのだ。 菜央(私服(二部)): あんたはこの話、初耳だったわね……ごめんなさい、知ってることを前提で端折って話しちゃって。 菜央(私服(二部)): 確か、入江診療所で魅音さんが正気を取り戻してくれた直後……あたしたちが平成から来たことを伝えた時よ。 梨花(私服): ……。圭一と魅ぃたちは、この話を聞いてどう思いましたですか? 魅音(私服): ん……まぁあの時は、いろんなことがありすぎたからね。私も乗っ取られた後で、混乱していたし。 魅音(私服): とりあえず、3人のことを信頼して真面目に受け止めたつもりだけど……。 魅音(私服): 今になって思うと、やっぱり本当なのかって半信半疑ってのが正直なところだね。 圭一(私服): まぁ、そうだよな。村のみんながおかしくなって殺し合う、って言われたほうがまだ信憑性があるってもんだ。 圭一(私服): 何しろ俺たちは、それをこの目で実際に見せられたわけだしさ……。 菜央(私服(二部)): …………。 確かに……彼らは実際、村人同士が殺し合う惨劇を嫌というほど目撃した。1つ前の「世界」でも、2つ前でも……。 それに比べ、火山性の有毒ガスが雛見沢一帯に突然発生するという現象はゼロではなくとも、極めて低い確率だと言わざるを得ない。 また、ただでさえこの村には『ツクヤミ』というおかしな現象が発生し、跋扈しているのだ。 これ以上の超常現象は考えたくない、というのが彼らの本音といったところか……。 梨花(私服): ……圭一、魅ぃ。菜央の言っていることは、本当なのです。 菜央(私服(二部)): えっ……? が……信じてもらうことを諦めかけたあたしに助け舟を出してきたのは、その話を聞いていなかったはずの梨花だった。 圭一(私服): 本当って……? じゃあ梨花ちゃんは、菜央ちゃんの言った『雛見沢大災害』が実際に起きるっていうのか……?! 梨花(私服): ……はい。ボクの知る限り、前の「世界」で村人たちが発狂して殺し合うよりも必然的に起こりえる……運命のようなものなのですよ。 魅音(私服): ……っ……。 梨花(私服): 圭一たちは忘れてしまったのかもしれませんが、雛見沢の人々の命を大量に奪おうとする動きが確かにある……いえ、「あった」のです。 梨花(私服): 『雛見沢大災害』とは、その結果として起こされたものなのですよ。 圭一(私服): おいおい、梨花ちゃん……その言い方だと、まるで天変地異じゃなくて誰かに引き起こされた人災みたいに聞こえるぜ? 梨花(私服): その通りです。『雛見沢大災害』は、自然災害ではありません。……人災なのです。 圭一(私服): り、梨花ちゃんっ……? 魅音(私服): 人災って……それ、どういうことっ? 前原さんと魅音さんが、愕然と目を見開く。あたしもまさか、人災だとは思っていなかったので二の句が継げず声を失ってしまった。 梨花(私服): これから話す内容はおそらく今の圭一や魅ぃ、そして菜央ですら知らない内容だと思います。 梨花(私服): ですが……間違いなく、真実なのです。だから疑ったりせず、茶化したりせずに最後まで聞いてもらいたいのですよ。 菜央(私服(二部)): ……わかったわ。 いつもの甘えるような口調ながらも……梨花の瞳には、必死に思いを伝えようとする真摯な輝きが宿っているようにも見える。 だからあたしも、それに応えようとしっかりと真正面から向き直り……前原さんたちも息をのみ、頷いてみせた。 梨花(私服): 『雛見沢大災害』……ボクがその存在を知ったのは、数えきれないほどの失敗と挫折を切り返した末のことでした。 梨花(私服): その人災を引き起こす計画を立てたのは、鷹野三四――入江診療所の看護婦であり入江機関のトップに立つ、彼女なのですよ。 魅音(私服): えっ……た、鷹野さんって……まさか?! 梨花に意外な人物の名を告げられて、魅音さんは素っ頓狂な声をあげる。 あたしもまた、やはりとは思いつつも改めて黒幕と断言されてしまうと、戸惑いを感じずにはいられない。……が、 圭一(私服): そうか……なるほど。 前原さんは、やや驚きを内包しつつ……神妙な表情で納得したように頷いていた。 魅音(私服): 圭ちゃん……なるほどってことは鷹野さんがそうだ、って言えるだけの心当たりがあるの? 圭一(私服): あぁ。……といっても、信じてもらうにはちょっと厳しいかもしれねぇが……。 圭一(私服): なにより、俺たちは鷹野さんに2つ前の「世界」で一度襲われているんだ。……だよな、菜央ちゃん? 前原さんの念押しに、あたしはこくりと頷き返す。……あの時のことは、忘れたくても忘れられない。 魅音(私服): 襲われたって……なにそれ、聞いていないよ。いつの話のことなのさ? 菜央(私服(二部)): 診療所に逃げ込む前よ。その時、鷹野さんが先頭に立って銃を構えた人たちを指揮してたの。 菜央(私服(二部)): 川田さんがいなかったら、かなりまずかったかもしれないわね。 魅音(私服): カワタ……? また知らない名前だね。 名前を聞いた魅音さんが、首を捻る。どうやら彼女は、あの川田さんとも面識がなかったようだ。 雛見沢を調べている、という触れ込みだったので魅音さんは知っていると思っていたのだけど……。 菜央(私服(二部)): ジャーナリスト……ルポライター、かしら?川田碧さんって言って、途中であたしたちを助けてくれたのよ。 魅音(私服): 助けてくれたってことは……知り合い? 菜央(私服(二部)): ……正直、微妙なところね。#p興宮#sおきのみや#rの図書館で話したことはあったけど、あたしもあの人のことはよく知らないわ。 図書館で衝撃の事実を知り、倒れた一穂を診療所まで運んでくれた……優しい人だった。 でも、なぜあの場に現れたかはわからない。しかも、たったひとりで足止めすると豪語し……その後の追撃は、本当に途絶えた。 鷹野さんたちが、あたしたちのことを見逃してくれたとは思いづらい。つまり、彼女があの一味を撃退した……? 梨花(私服): みー……川田碧のことは、いったん置いておくのです。 梨花(私服): それより、圭一……先ほど鷹野の狂気に心当たりがあると言いましたですが、それは具体的にどういったものなのですか? 圭一(私服): ……以前、あの人のことを夢に見たことがあったんだ。 圭一(私服): あの鷹野さんが豹変して、不気味な連中を引きつれてきて……銃を構えて俺たちを撃ったりするところを、さ。 梨花(私服): ……。本当に、それは夢だったのですか? 圭一(私服): え……? 梨花(私服): ……みー、なんでもないのですよ。 怪訝そうに眉をひそめる前原さんの顔を見て、梨花は乗り出しかけた上体を引っ込める。 なんとなく困惑というか、動揺しているようにも見えたけれど……今はそれよりも、確かめることがあった。 菜央(私服(二部)): この「世界」の雛見沢にあるのは、タカノクリニックじゃなくて……入江診療所ってことでいいのかしら? 梨花(私服): はいなのです。……その名前の意味するところは、おそらく菜央はわかるはずなのですよ。 菜央(私服(二部)): えぇ……そうね。 1つ前の「世界」で「タカノクリニック」という名前が使われたのは、故人である高野一二三先生の雛見沢への多大な貢献を称えてのことだ。 つまり、それを逆にとらえると……高野先生の研究は日の目を見なかったということを示唆しているようにも思えた。 一穂: 診療所の玄関にあった、『タカノクリニック』って名前なんですけど……。 一穂: あれは、その……鷹野さんの……。 #p高野三四#sたかのみよ#r: あぁ、あれは私のおじいちゃん――高野一二三の名にあやかったものなの。 一穂: 鷹野さんの……おじいちゃん? #p高野三四#sたかのみよ#r: えぇ。この村にかつて蔓延していた風土病……『雛見沢症候群』を撲滅した功績をたたえて、村の人たちがその名前をつけてくれたのよ。 一穂から聞いた話によると、ダムの建設現場で鷹野さん……いや、「高野」さんは誇らしげにそう語っていたという。 つまり1つ前の「世界」で彼女の祖父は、ある一定の成功と評価を得たのだろう。 だからこそ「高野」さんも、あの余裕と慈愛を持ち得ていたのだと今なら理解することができた。 菜央(私服(二部)): (……。じゃあ、その逆であったら……?) 自分の祖父の研究が評価されず、不遇のままその想いを引き継いだのだとすれば……彼女は……。 菜央(私服(二部)): 2つ前の「世界」では、高野一二三先生の研究は評価されなかった……そう考えてもいいのね? 梨花(私服): ……。その通りなのですよ、菜央。やはりあなたの洞察力はすごいのです、みー。 菜央(私服(二部)): たまたまの当てずっぽうよ。で……鷹野さんがこの雛見沢にやってきたのは、やっぱりおじいさんのことが関係してるの? 梨花(私服): はいなのです。鷹野三四は、祖父の『雛見沢症候群』の研究を引き継ぎ、成果を出すためにこの村へやってきたのです。 梨花(私服): ですが……研究は遅々として進みませんでした。さらに悪いことに、鷹野の後ろ盾の権力者が病気であえなく亡くなってしまいました。 梨花(私服): それを受けて、業を煮やした上部組織が支援の打ち切りと計画の中断を今年の春に命じてきたのですよ。 魅音(私服): 今年ってことは……。 梨花(私服): 昭和58年の春なのです。 魅音(私服): 梨花ちゃんは、それをいつ知ったの? 梨花(私服): ……昭和58年の、6月。#p綿流#sわたなが#rしが行われる、数日前ほどでした。 魅音(私服): ってことは……未来ってことじゃんか!じゃあ……まさか、梨花ちゃんも……? 魅音さんの慌てた声に、梨花は落ち着いた様子で微笑む。 それは、1つ前の「世界」の診療所の地下室で監禁されていた彼女を救い出した時に見た……あの大人びた達観した瞳だった。 梨花(私服): ……その通りなのです。同じ時間と世界を繰り返しているという意味では、ボクもここにいる菜央と、変わりがないのですよ。 魅音(私服): ……っ……。 梨花(私服): ただ……ボクは昭和58年6月を幾百、幾千と繰り返しました。 梨花(私服): いったいどれだけ同じ時間を繰り返したか、もう思い出せないくらいに……。 圭一(私服): ……。突然そんな話をぶっ込まれても、理解というか納得するのが難しいんだが……。 圭一(私服): 要するに……梨花ちゃんも、菜央ちゃんと同じタイムトラベラーだったって考えてもいいってわけだな? 梨花(私服): 厳密には、菜央と少し違いますが……似たようなものではあるのです。 ……にわかには信じがたい話ではあるが、この状況で梨花が嘘を言うとも思えない。 だからまず、それが本当であることを前提として話を進めることにしよう。 菜央(私服(二部)): 梨花……あんたは今、昭和58年6月を何度も繰り返したって言ったわよね。 菜央(私服(二部)): 実は、あたしたちが戦ったあんたの偽者も……それと同じような話をしてたのよ。 梨花(私服): ……どういう内容ですか? 菜央(私服(二部)): 自分は、昭和58年6月の壁を乗り越えた。でも、何者かによってそれを壊されて……みんな殺された、って。 梨花(私服): …………。 梨花(私服): その通りです。……ボクは一度、みんなで作り上げた「奇跡」によって未来を手に入れることができたのです。 愛しげに梨花が目を細める。まるで、宝物でも思い出すかのように……その顔には笑みが宿っていた。 梨花(私服): それを手にできたのは、圭一と魅音のおかげでもあるのですよ。 圭一(私服): えっ……お、俺たちが? 魅音(私服): つまり……覚えていないけど、そこで梨花ちゃんと私たちは力を合わせて惨劇ってやつを乗り越えたってわけか。 梨花(私服): はいなのです。……ただ、その大団円は長く続きませんでした。 梨花(私服): 7月を迎えて……みんなでプールに行って戻って来たら、あいつらが……。 梨花(私服): 菜央たちが『ツクヤミ』と呼ぶ怪物が現れたのです。 梨花(私服): あいつらに、村にいた人はみんな殺されてしまった……。 魅音(私服): みんなって……私も? 圭一(私服): 俺もか? 梨花(私服): ……みんな、なのです。 自分のことを示す前原さんと魅音さんを見て、梨花は目元を悲しげに歪ませる。 いったいそこで、何があったのかはわからない……でも彼女にとって、悲惨な事件が起きたことだけはあたしにも伝わってきた。 梨花(私服): それから何があったのかは、正直あまり覚えていないのですが……。 梨花(私服): 気がついたらボクは、昭和58年の6月の雛見沢に戻って……また同じ時間を繰り返していました。 梨花(私服): ただ、その「世界」には『ツクヤミ』がいて……ボクも初めて見る、おかしな状況になっていたのです。 菜央(私服(二部)): …………。 梨花(私服): ボクは完全に、パニックになりました。……だから、そんな心の隙を何者かに突かれてしまったのだと思います。 菜央(私服(二部)): それで、存在を乗っ取られて……1つ前の「世界」に飛ばされた? 梨花(私服): ……はい。 地下室に縛られていた記憶を思い出したのだろう、梨花の剥き出しの腕が……震えている。 たったひとりで、狭い空間の中で監禁される……常人であれば発狂してもおかしくないところだ。 梨花(私服): 自由を奪われた状態で何もできないまま時間が過ぎていくのは、とても辛くて……怖かったのです。 梨花(私服): でも、同時に思ったのですよ……これは、ボクに対する罰なのだと。 菜央(私服(二部)): 罰……? 梨花(私服): ボクは教わったのですよ。羽入に、みんなに……仲間を信じる、その力を。 梨花(私服): だから、『ツクヤミ』の現れた世界でもみんなに相談しようと思ったのです。ですが、予想外の展開が起こって……。 予想外の展開……『ツクヤミ』の登場以上の? 一瞬何かと思ったが、すぐに分かった。そんなのは……1つしかない。 菜央(私服(二部)): 美雪と一穂……そして、あたしが現れたことね。 梨花(私服): …………。 ぐっ、と梨花が唇を噛みしめる。それが、何よりも雄弁に答えを語っていた。 梨花(私服): ……ボクは、5歳の赤坂美雪と出会っています。奇跡を得た昭和58年の6月……綿流しの日に。 圭一(私服): えっ……そうなのか? 梨花(私服): はいなのです。奇跡を手にできたのは、赤坂が……美雪の父親がいたからでもあったので、彼に紹介されて……。 菜央(私服(二部)): (……やっぱり) 古手梨花は、赤坂美雪を知っていた。……だけど、なぜか知らないふりをしている。美雪の見立ては、間違っていなかったようだ。 菜央(私服(二部)): ……美雪が言ってたわ。梨花がいなければ、自分は生まれてなかった。 菜央(私服(二部)): お母さんの事故が起きなかったのは……あんたがお父さんに、それが起きることを教えてくれたから……だって。 菜央(私服(二部)): なのに……どうして梨花は、美雪のことを知らないふりをしてたの? 梨花(私服): …………。 梨花(私服): 最初に会った時……15歳の美雪は、赤坂衛の娘だとは言いませんでした。 梨花(私服): ですが……彼女には、ボクが知る5歳の赤坂美雪の面影はあったのです。 梨花(私服): それに、ボクが赤坂を知っていればすぐに娘だとわかるような情報をちょっとずつ伝えてきていたのですよ……。 菜央(私服(二部)): っ、だったら……! 梨花(私服): でも……いえ、だからこそ余計に混乱したのです。 梨花(私服): 他人と呼ぶには、知りすぎている。空似と思うには、似すぎている。 梨花(私服): だけど、15歳の赤坂美雪が昭和58年にいるはずがない。 梨花(私服): それが事実だとしたら、何かよからぬことが起きているのでは……? 梨花(私服): そう考えて……美雪のことを、信じ切れなかった。彼女と同じ立場の一穂と、菜央も。 梨花(私服): ……あまつさえ、疑いを持ってしまったのですよ。この3人を信じてはいけないのでは、と。 梨花(私服): だから……1つ前の「世界」で苦しい思いをしたのは、その罰なのかもしれません。 菜央(私服(二部)): 梨花……。 梨花(私服): ごめんなさいなのですよ……菜央。美雪と一穂にも、本当にごめんなさいなのです。 菜央(私服(二部)): ……まぁ、いいわ。信じられなくて当然よ。未来から来たなんて、普通は信じられないものね。 菜央(私服(二部)): あんたの気持ち、ようやくわかったわ。……あたしこそ責めるような言い方になって、ごめんなさい。 そう言って、畳の上に投げ出されたようにうなだれる梨花の手を握る。 触れた彼女の手は少し冷たくて、握り返す握力も弱々しい。 菜央(私服(二部)): …………。 ……ふと、2つ前の「世界」のことを思い出す。 梨花の側には、いつも沙都子がいた。羽入が現れてからは、彼女も……。 なのに、どうしてここにあの2人がいないのだろう。 菜央(私服(二部)): (あの2人が、ここにいてくれたらよかったのに) そしたら……あたしなんかじゃなくて、あの2人が真っ先に梨花を慰めただろうに。 沙都子(私服): 『梨花、そんなに落ち込んだら逆に菜央さんが困りますわよ?』 羽入(私服): 『あぅあぅ……大丈夫なのです。菜央も許してくれたのですから、美雪も一穂も許してくれるのですよ!』 なんて言いながら、手を握って、小さな背中を撫でさするだろう。 ……それがすぐに想像できるくらいに、あたしたちは同じ時間を過ごしてきた。 でも……ここに2人はいない。 菜央(私服(二部)): (それが、梨花があたしたちを信じなかった罰ってこと……?) ばかばかしい。そんなの、ナンセンスだ。 だって……人を信じなければ、罰を受けるのだとしたら……信じて裏切られた時に、救済があったりするのか? 信じて裏切られても、そこにフォローはなく……だけど信じなければ、罰を受ける? 菜央(私服(二部)): ……っ……。 そんな理不尽、あたしは認めたくない。……認めるわけには、いかなかった。 Part 04: ……話が長くなったこともあり、魅音さんの提案であたしたちは一度息抜きと頭の中を整理するための小休止を挟むことにした。 菜央(私服(二部)): ……はぁ……。 量と質ともに濃厚すぎる情報と、それに伴う思考の連続で……頭だけでなく全身が、重ったるいくらいに気怠く感じる。 前原さんも梨花も、さすがに疲れたのかくつろいだ姿勢だ。時々息をついては庭や天井に視線を向け、何も話そうとしない。 菜央(私服(二部)): (まぁ……第一回目の会合ってことを考えたら、この辺りが関の山でしょうね) 幸いまだ、#p綿流#sわたなが#rしの開催までには日がある。だから明日以降も、彼らと話し合う時間と余裕は残されていた……けれど……。 菜央(私服(二部)): (一穂と、「礼奈」ちゃんのこと……この2つの問題を早く片付けなきゃ、って焦りすぎてるのかも……かも) とはいえ今のあたしには、一穂と美雪がいない代わりに心強い仲間の3人がいるのだ。 そのことをしっかりと感謝して、慎重に今後のことを考えるべきだろう……。 魅音(私服): はーい、お茶のおかわり持ってきたよー! そう言って、一度台所へ引っ込んだ魅音さんが麦茶のボトルとグラスを片手に姿を見せる。 ……そういえば、確かに喉も乾いていた。ありがたくいただくことにする。 魅音(私服): あと、誰も食べていないけど……そこにあるお菓子も食べてみてよ。もらいものだけど、結構おいしいから。 圭一(私服): んじゃ……遠慮なく!ちょうど小腹が空いていたから、助かるぜ。 前原さんが手を伸ばし、さっきまで話に夢中で食べそこなっていた焼き菓子をぱくり、と口に放り込む。 それを見ながら梨花とあたしも手に取り、包装紙をめくって食べることにした。 圭一(私服): おっ……? なかなかいけるな。ずっと手つかずに置いていたのが、もったいないくらいだぜ。 梨花(私服): おいしいのですよ。にぱー☆ 菜央(私服(二部)): …………。 甘い。……そして舌触りと風味に、独特のものがある。 と、その糖分が思考の再起動を促したのか……あたしの頭の片隅に、とある記憶が蘇ってきた。 圭一(私服): ? どうした菜央ちゃん、食べたまま固まって。その焼き菓子、口に合わなかったのか? 菜央(私服(二部)): う……ううん。お茶にもあって、とってもおいしいわ。もうひとつ、もらってもいい? 魅音(私服): あははは、もちろん。まだたくさんあるから、もし足りないようならまた持ってくるよ。 そんな感じに、全員がお茶を飲み終えてお菓子の大半を平らげるまで……和やかな時間がしばらく続いた。 魅音(私服): それじゃ……とりあえず、話を戻すけどさ。 休憩を挟んでから、もうお昼も近いということであたしたちはまとめに入ることにした。 魅音(私服): つまり、梨花ちゃんの言うことを信じるなら菜央ちゃんが言う『#p雛見沢#sひなみざわ#r大災害』ってのは鷹野さん……。 魅音(私服): いや、鷹野三四によって引き起こされた「村全体を巻き込んだ自爆」って解釈でいいのかい? 梨花(私服): みー。簡単に言ってしまうと、そういうことになるのですよ。 魅音(私服): んで、それを隠ぺいするためにお偉方の用意した言い訳が、自然災害に見せかけた『雛見沢大災害』か……。 魅音(私服): それを実行するためには、自衛隊をはじめ国家に属する連中を一糸乱れぬ動きで統率し……水も漏らさない情報封鎖を行う必要がある。 魅音(私服): 大がかりとか大仰って表現を超えた、途方もない大作戦だね。費用と人員の規模を考えると、気が遠くなるよ。 菜央(私服(二部)): 大げさな方が、隠しやすくなるからでしょうね。それに有毒ガスが発生ともなれば、メディア連中も迂闊に近づくことができないし……。 菜央(私服(二部)): 政府発表が吟味されることもなく、事実として大衆の目にさらされるのよ……。 ……以前、美雪が言っていた。日本のメディアは安全第一だから、わが身に危険が降りかかるとなると途端に怖気づくのだと。 ただ、ジャーナリズムに対する歪んだ自負心だけはやたら強いので……下ってきた「情報」に真実味を見出した途端、一斉に「事実」として広める。 さらに、独自性をつけて他との差異をつけようと様々な偏見や独自解釈が「情報」に加わることで「事実」は肥大し、変貌して……。 真実からほど遠い、……「現実」ができあがる。それが正確な情報を伝えている「ふりをしている」メディアの正体とのことだった……。 菜央(私服(二部)): (まぁ……あくまでも美雪個人の「意見」だけどね) あの子のマスコミ嫌いは、相当のものだ。ちょっと話を聞いただけでも、毒づいて止まらなくなることが度々ある。 もっともそれは、警察というメディアとの相性が最悪な組織に属する人を身内に持つせいでもあるのだろう……。 梨花(私服): あと……基本的に公僕の人たちは、一度決めた計画で大規模な失態が演じられることをすごく嫌うのです。 梨花(私服): だからこそ、国家プロジェクトによる失敗をどうしようもない自然災害で隠そうと考えたのだとボクは思うのですよ。 魅音(私服): むしろ恥の上塗りってやつなんだろうけどね……でも、梨花ちゃんのその見立てには私も同意だよ。 圭一(私服): にしても……言っちゃ悪いが、ひとりの人物が個人的な事情で暴走したことを隠すために、村人全員を殺戮して回るってか……。 圭一(私服): 国が絡んでいるとなると、止めるのはかなりというか不可能に近い難易度だな。いったい俺たちは、どうすりゃいいんだ? 梨花(私服): みー……この大計画を止めるために大事なのは、富竹の存在なのです。 魅音(私服): は? 富竹さんって……毎年雛見沢に野鳥の撮影で来ているあの人に、そんな力があるっていうの? 梨花(私服): 彼の正体は、鷹野と上部組織『東京』との連絡役なのです。陰謀を阻止するためには欠かせない存在なのですよ。 菜央(私服(二部)): なっ……?! そのことは、あたしも初耳だった。冴えないフリーのカメラマンだと思っていたけれど、まさかそんな素性を隠していたなんて……! 魅音(私服): ……なるほど、ね。確かに何かを隠している気配は感じていたけど、その説明で理解できたよ。 圭一(私服): もしかして、魅音……富竹さんのことも御三家とかで調べていたのか? 魅音(私服): そりゃもちろん。雛見沢に入ってくるよそ者はちゃんと「身体検査」をしておくのが鉄則だからね。 圭一(私服): ……そうか。やっぱ、そうだよな。 魅音(私服): あっ……いや、圭ちゃん。先に言っておくけど前原家の引っ越しの時は、特にリサーチなんてしていないよ? これは、誓ってもいいから。 魅音(私服): 定住ならともかく、ふらっと村に来る人ってどういう素性なのかを知っておかないと、ダム戦争のこともあるから……その……。 圭一(私服): ははっ、大丈夫だって。雛見沢の事情ってのは俺も理解しているから、別に気にしなくてもいいぜ。 魅音(私服): ……ありがとう、圭ちゃん。 魅音(私服): とりあえず、話を戻すと……富竹さんを味方に引き込んでおくことがまずは重要、って考えるべきなんだね? 梨花(私服): はいなのです。……ですが、それはとても難しいことなのです。 梨花(私服): 富竹は、鷹野と入江のことを信用しています。そして鷹野を、大事な人だと思っています。 梨花(私服): だから……その鷹野がまさか悪事を働くとは、夢にも思っていないのですよ。 菜央(私服(二部)): ……つまり、事実を打ち明けたところであたしたちの話に乗ってくれる可能性は極めて低い、ってことかしら。 魅音(私服): 恋は盲目……ってやつかなぁ。まぁそいつを抜きにしても、私たちがどうして真実を知っている、ってことにはなるだろうね。 梨花(私服): 実際ボクは、何度も富竹に説得を試みました。ですが、ほとんどの場合で取り合ってくれず……。 梨花(私服): 懸命に訴えかけて、「一応調べる」となんとか言ってもらえた時も……その後、彼は綿流しの日に殺されました。 圭一(私服): なっ……? ま、まさかそれって……?! 梨花(私服): ……おそらく鷹野が、口封じに手を下したのでしょう。ボクにはどうすることもできませんでした……。 菜央(私服(二部)): ……っ……。 梨花(私服): ただ……たとえ真実を伝えなくても、彼はいつも綿流しの日に殺されます。 梨花(私服): そして、しばらくしてから……確実に『雛見沢大災害』が起こされるのですよ。 圭一(私服): ……そうか。あの時富竹さんが殺されていたのは、そういう事情が絡んでのことだったんだな。 魅音(私服): えっ……?ごめん圭ちゃん、あの時っていつのこと? 菜央(私服(二部)): さっき綿流しの夜に、前原さんと詩音さんがあたしたちのピンチに駆けつけてくれた話をしたと思うんだけど……。 菜央(私服(二部)): その際は富竹さんも、2人と一緒に来てくれるはずだったのよ。 菜央(私服(二部)): そして、富竹さんが運転する車で雛見沢を脱出するはずだったんだけど……車の側で、彼は殺されていたわ。 魅音(私服): なっ……?! 菜央(私服(二部)): その直後に、鷹野さんが率いる武装集団に囲まれて……川田さんが突然現れなければ、あたしたちの命はなかったかも……かも。 ということは、やはり富竹さんを殺したのは鷹野さんで間違いがないだろう。 菜央(私服(二部)): (でも……) 改めて思い出して、違和感を抱く。……今の話を聞いても、前原さんと詩音さんは富竹さんとの接点が知り合いレベルだ。 そして彼は、誠実でありつつも慎重な性格。たとえ見知った人でも、根拠のない情報をおいそれと信じたりはしないだろう。 それなのに、あたしたちの危機を知った時に彼の協力を取りつけて、途中までとはいえ現場へと向かうことに同意させた……? 菜央(私服(二部)): ねぇ、前原さん。富竹さんはどうして、あなたたちに協力をしてくれる気になったの? 圭一(私服): いや……すまねぇ。俺は詩音から「あの子」にそう言われた、って聞いて……一緒に向かっただけなんだからさ。 圭一(私服): 富竹さんが、どうして俺たちに協力して車を出して待ってくれているのか、ってことについては……詳しく知らないんだ。 菜央(私服(二部)): ……。そのあたり、詩音さんに聞けばもう少し具体的なことがわかるのかしら。 魅音(私服): それは今度、手紙で聞いてみるよ……答えが返ってくるかはわからないけどさ。 菜央(私服(二部)): ……詩音さんに協力してもらうのは、現状だと難しいでしょうね。 菜央(私服(二部)): それより、前原さんが「あの子」の正体を思い出してくれるほうが早いと思うけど……。 そう言ってあたしは、前原さんに目を向ける。……ただその表情から、答えは明確だった。 菜央(私服(二部)): やっぱり……思い出せないのね、前原さん。 圭一(私服): ……。すまねぇ。 頭を下げる彼は、本当に申し訳なさそうだ。少なくとも何かを隠しているようなそぶりは、微塵も感じられない。 梨花(私服): みー、圭一……その「あの子」とは、あなたたちにとってどういう存在なのですか? 圭一(私服): えっと……俺や詩音にいろんなアドバイスや、ピンチの時には警告をしてくれたりしたんだ。 圭一(私服): 悪いやつじゃない……とは思う。ただ……。 菜央(私服(二部)): ……いずれにしても、確かなのは常識だと考えられない力を持ってるってことでしょうね。 魅音(私服): まさかそいつも、「カード」持ちってこと?でも、記憶を自由に操れるような強い力がこいつにあるとは思えないんだけど……。 梨花(私服): みー……。 それぞれが持つ「カード」を取り出して見つめながら、4人揃ってため息をつく。 疑問と口惜しさは残るけれど、考えたところで思い当たるものは何もない。……これも、棚上げの対象というわけか。 菜央(私服(二部)): それより、鷹野さん……1つ前の「世界」の「高野」さんについて、ちょっと聞きたいことがあるんだけど。 菜央(私服(二部)): 魅音さんから見て、彼女はどんな人だった? 魅音(私服): うーん……ごめん。私は1つ前だと、あんまり関わりがなかったからね。途中まで、ルチーアにいたわけだし。 魅音(私服): けど……綿流しの前日に会った時は、確かに雰囲気が違うなーとは思ったよ。なんていうか……優しい感じ? 圭一(私服): そうか……梨花ちゃんはどうだ? 梨花(私服): みー……ボクも、よく覚えていないのですよ。 梨花(私服): 前の「世界」では、ほとんど診療所の地下で眠らされていて……時々目を覚ました時も、頭がぼんやりしていたので……。 梨花(私服): その状況でも、入江の様子が変だったことは覚えているのですが……高野とは、一度も……。 魅音(私服): 会った記憶自体が……ないってこと? 梨花(私服): はいなのです。 圭一(私服): その意味では、俺も同じだな……何しろ#p興宮#sおきのみや#rにいたわけだからさ。 圭一(私服): ただ、村人たちの評判がよかったということは今でも覚えているぜ。 菜央(私服(二部)): …………。 となると、一番彼女と接点があったのは一穂……そして「礼奈」ちゃんか。2人が離脱している現状が、本当に痛い。 菜央(私服(二部)): 梨花の話だと、入江診療所の本当の責任者は入江先生じゃなく、鷹野さんだった……。 菜央(私服(二部)): ということは、『タカノクリニック』だとその逆で……入江先生が責任者だったという可能性はあったりする? 梨花(私服): それは、あるかもしれないのです。ただ、その場合も入江の行いを「高野」が何も知らなかったかどうかは……みー……。 ……奥歯にものが挟まったような言い方に、ずっと持っていた疑念が形を得た気がする。 逆転の発想だ。『雛見沢大災害』の黒幕が鷹野さんだとして……同じ組織の入江先生が、何も知らないということはありえるのか……? 梨花は、黒幕が鷹野さんだとはっきりと言い切った。でも入江先生は無関係だ、とは言わなかった。 菜央(私服(二部)): 入江先生は……何もかも知っていたわけじゃないけど、完全に知らなかったわけじゃない……。 菜央(私服(二部)): そう考えても……大丈夫ってこと? 圭一(私服): ……菜央ちゃん? 菜央(私服(二部)): もし、2つ前の「世界」で入江先生が完全に巻き添えを食らった形だとしたら……1つ前では、高野さんがその立場になる。 菜央(私服(二部)): でも、そう言い切れないってことは逆に考えると、何も知らなかったとは思えない……そういうことでしょう? 梨花(私服): ……入江を誤解しないでください。 が、その問いかけに対して梨花は不快さをあらわにするような口調で……あたしをきっ、と見つめ返していった。 梨花(私服): 昭和58年の6月を越えた後、入江はボクに教えてくれました。 梨花(私服): 彼が、消極的とはいえ雛見沢連続失踪事件の一部に関与したのは事実です。……でも、それは彼が望んだことではないのです。 梨花(私服): 1つ前の「世界」でも、そう……あれが彼の本質だとは、ボクは思わないのです。 菜央(私服(二部)): ……っ……。 圭一(私服): ……俺も、監督を信じているぜ。あの「世界」の監督は、何が原因かはともかく……ちょっとおかしくなっていただけだ。 圭一(私服): 幸い、こっちの「世界」の監督は俺たちのよく知る監督っぽいからな。 圭一(私服): この「世界」でも、監督と戦う……なんてことはなさそうで助かったぜ。 笑い飛ばす前原さんを前に、梨花もふっと表情を緩める。 梨花(私服): ……ボクも、入江とは戦いたくないのですよ。 菜央(私服(二部)): …………。 そんな台詞に、わずかな苛立ちを覚える。……あんなに酷い目に合わされても、この人たちはまだ入江先生を信じるのか。 梨花たちがどれだけ、彼のことを信用しているのかは知らない。でも……。 菜央(私服(二部)): (みんな……甘い。信じすぎだ) それはあたしが、入江先生とそこまで深い関わりを持っていないせいだろうか。あるいは、別の思いが邪魔をして……? と、そんな不穏な気配が漂い始めたその時、話の流れを黙して見守っていた魅音さんが場の空気を変えるように声をあげた。 魅音(私服): ……えーっと、とりあえずの方針だけどさ。まずは富竹さんの協力を得る、が問題解決の近道ってことでいいの? 圭一(私服): 問題はどうやって協力を求めるか、だな。 梨花(私服): いつもなら、富竹はもう興宮に来ているはずですが……。 菜央(私服(二部)): どこに泊まってるかとか、わからないの? 梨花(私服): ……ごめんなさいなのです。 魅音(私服): んじゃ、私の方でも調べておくよ。もし村で彼を見かけたら、教えて。 圭一(私服): 綿流しの日まで、まだ時間があるしな。どうやったら富竹さんに協力してもらえるか、説得方法も考えておかないとな。 菜央(私服(二部)): ……えぇ、そうね。 曖昧に頷きながら、最後に残った焼き菓子に手を伸ばす。……再び口に入れて、確信が深まる。 菜央(私服(二部)): (やっぱり、この隠し味……) 菜央(私服(二部)): ねぇ……このお菓子って、興宮のお店で売ってるのかしら? 魅音(私服): うん、そうだよ。 圭一(私服): なんだなんだ? 高いのかこれ?普通のお菓子に見えるんだが。 魅音(私服): 値段はまぁ、普通くらいかな。けど、一日に作ることができる数に限りがあって、いつもは午前中に完売しちゃうレアものなんだよ。 魅音(私服): まぁ、もらいものだから私も偉そうには言えないんだけどね……あははっ。 圭一(私服): ……うーん、そう言われてから食べるとなんだか味わい深く感じるな。 梨花(私服): みー。圭一の舌は現金なのですよ。 菜央(私服(二部)): ふふっ……。 くすくすと笑う梨花に合わせて、あたしも軽く笑う。         ……上手に笑えた、と思う。 Part 05: 魅音(私服): あのさ……圭ちゃん、梨花ちゃん。このあとって、予定とかある? 圭一(私服): ん……? 梨花(私服): ……みー? 魅音(私服): ちょっと2人に相談したいことがあって……分校のことでさ。 そう言いながら魅音さんは、あたしの様子を伺うようにちら、と目を向ける。 ……あたしには聞かせたくないというわけか。少し怪訝な気分になったけど、無理に留まるのは嫌な思いをさせるだけだろう。 菜央(私服(二部)): ……じゃあ、あたしは先に帰らせてもらうわ。1人で寄りたいところもあるから。 圭一(私服): そっか。暗くなる前に戻ってこいよ。お袋が心配するからさ。 菜央(私服(二部)): えぇ、ありがとう。じゃあね魅音さん、梨花。 あたしは立ち上がってスカートを軽くはたき、笑顔とともに園崎家をあとにした。 菜央(私服(二部)): はー…………。 家の外に出て、ようやく詰めていた息を吐き出す。 菜央(私服(二部)): ……まるで妹みたいな扱いね、前原さん。 レナちゃんの妹って意味では、確かに間違いはないのだけど。 菜央(私服(二部)): (そう言えば……前原さん、言ってたわね。男はみんな妹が欲しい、とかなんとか) 菜央(私服(二部)): ……妹、か……。 屋敷を離れて田園風景の中を歩きながら、園崎本家の中で交わされる会話を想像する。 菜央(私服(二部)): 分校の話は、ただの口実で……やっぱり、一穂のことでしょうね。 梨花は、昨日……言った。「この「世界」に、一穂はいなかった」と。15歳の彼女も、5歳の彼女も……。 にもかかわらず、名前を出した瞬間魅音さんは言及することを拒んだ。……そして、前原さんも。 確か彼は、1つ前の「世界」での別れ際に「一穂を信じてくれ」……と、言ったはず。 自分の記憶には自信がある。絶対、間違いなく、前原さんはそう言った。 だとしたら彼は、一穂の何を信じてもらいたかったのだろうか。そして、何よりも……。 菜央(私服(二部)): (みんな、一穂の何を隠してるの……?) あたしから、一穂の存在を遠ざけようとしている。それだけは断言してもいいだろう。 ただ……どうしてそんなことをするのか、今のあたしには検討もつかない。少なくとも悪意ではない、とは思いたいが……。 菜央(私服(二部)): (……いいわ。あたしだって黙ってることはあるもの) 平成の「世界」で南井さんから教えてもらった、大石さんが殺された事件のこと……。 少なくともこれは、美雪と千雨以外だとあたししか知らない。 この情報が、どれだけ役に立つかはわからない。それに今、#p興宮#sおきのみや#rに「あの人」がいるのかも不明だ。 1つ前の「世界」では一穂に教えようか迷ったけど、教えたところであの時役に立つとは思えなかった。 菜央(私服(二部)): (一穂も、大石さんは興宮の刑事って以外の認識はしてない感じだったし……) 結果的に、それでよかったかもしれない。なにしろ一穂は、嘘をつくのが苦手だ。思っていることがすぐに顔に出る。 菜央(私服(二部)): (前原さんも、あまり嘘は上手くなさそうだけど……) かと言って、強めに問いただせば本当のことを話すとは思えない。 むしろあたしにお兄ちゃんぶっていることを鑑みると、強気に問いただすほど意地になって教えてくれなくなる可能性もある。 菜央(私服(二部)): (彼の家に住まわせてもらっている以上、明確に敵に回すのは得策じゃない……だから) この「世界」を生き抜くためにも、あたしの「武器」になるものを集めよう。 そして、美雪の言葉を借りるようでちょっと複雑な思いだけど……「武器」として最適なのは、「情報」だ。 あたしは……自分しか知らない情報を、ひとつでも多く手に入れる必要がある。 あたしにとっては役に立たない情報でも、美雪と連絡が取れた時……彼女に知らせれば何らかの形で役立ててくれるかもしれない。 菜央(私服(二部)): (あぁ、情報なら……もうひとつあったわ) 口の端を、ぺろりと舐める。 ……舌先に残る甘い名残。出された焼き菓子の後味。 ちょっと珍しい隠し味を使っていると魅音さんが言っていたあの味を……あたしは「知っていた」。 一度は、『タカノクリニック』。そして……。 菜央(私服(二部)): (広報センターで出てきた焼き菓子も……全く同じ味だった) 焼き菓子なんて、どの店も似たようなものだと切り捨てるには……あの隠し味は特徴的だ。 形状や飾り、大きさも偶然と呼ぶには酷似しすぎている……同じ店で作られた菓子だと考えるべきだろう。 お客様に出すお菓子は常備用の買い置き、頂きもの……誰かのお土産と相場が決まっている。 菜央(私服(二部)): (つまり、あたしの予想が正しければ……) あの広報センター、そして南井さんのもとに……最近#p雛見沢#sひなみざわ#rを訪れた人間が、いるということだ。 菜央(私服(二部)): (もっとも、この予想が的中してたら南井さんでさえ信用できない人になる……) 彼女自身の性格はともかく、身内にどんな人間が潜んでいるかもわからない。公僕ということも考慮して、警戒すべきだろう。 菜央(私服(二部)): (っと……これは、美雪に言うべきだったわね) 時間がないからと電話を切られてしまい、次に言えばいいかとは思ったものの……一穂とともに、連絡手段は失われた。 伝えていなかったことを若干後悔するが……美雪のことだ、いずれそこにたどり着くだろう。 菜央(私服(二部)): (……今考えるべきは、あたしのことだ) あたしひとりで、これからいろんなことを調べて考えて……答えを出さなければいけない。 信用できると思った人でも……その人の裏に、何が潜んでいるかわからない。 ……焼き菓子がいい例だ。まさか焼き菓子で広報センターと、雛見沢が繋がるなんて思わなかった。 菜央(私服(二部)): (そうだ……情報を集めなくちゃ。でも、その前に……) どうしても、確認したい場所があった。 ……ゴミ山、と言う名前に反してこの場所の空気はそこまで淀んでいない。 生ゴミなどの腐敗するものは、捨てられていないせいだろうか。 菜央(私服(二部)): (この向こう側で、ダム建設工事の準備が進められている……) 菜央(私服(二部)): (そしてあたしは、ここでレナちゃんと戦って……) あの人に、許してもらった……妹と認められて、あまつさえそう呼んでもらえた思い出深い場所だった……。 菜央(私服(二部)): (といっても、それは2つ前の「世界」で今はそれほど価値のあるものじゃないけど……) いずれにしても、ここがなくなるのは……やはり寂しい気がしてならない。 菜央(私服(二部)): ……っ……。 吹き抜けていく風に髪をあおられながら、あたしは少しずつ、ゴミ山に歩みを進めていく。 ……2つ前の「世界」のお母さんは、間違えた。あたしを生み……レナお姉ちゃんを苦しめた。 でも、絢花さんのいた1つ前の「世界」のお母さんは……間違えなかった。 菜央(私服(二部)): (……だから、あたしは生まれなかった) あたしの生まれない「世界」では、ゴミ山は存在していない。 あたしが生まれた「世界」では、存在する。だからいわば、……ここはあたしの象徴だ。 足元に気をつけながら、小高い丘を登り……周囲を見渡して、思いを馳せる。 菜央(私服(二部)): ここは宝の山だなんて、お姉ちゃんは言ってたけど……。 菜央(私服(二部)): ……やっぱり、ゴミはゴミよ。あそこにある廃車なんて、捨てるだけでも大変そうだし……。 ゴミを捨てるのも、タダじゃない……廃棄問題が発生した原因だ。 これらは全て、ダムの建設とともに湖の底に沈められるのだろうか。そして存在を忘れられて、……消えるのか。 そんなことを思いながら、ふと近くにあった車の中を覗き込んだあたしは……。       そこに、レナちゃんの姿を……見つけた。 菜央(私服(二部)): えっ……?! 反射的に飛び退きそうになった身体をとどめ、まじまじと車の中を見る。 そんなあたしの声が聞こえたのか……綺麗に整備された廃車の中、古い毛布を敷いて横になっていたレナちゃんが……目を開けた。 レナ(私服(二部)): 菜央ちゃん……? 菜央(私服(二部)): レ、レナ……ちゃん? レナちゃんは家に閉じこもっている、と聞いた。もしかしたらここでなら会えるかも……と。 そんな一縷の望みをかけて足を運んだのだが、まさか本当に……ここにいるとは思わなかった。 レナ(私服(二部)): ……ごめんね、菜央ちゃん。ちょっと待って。 レナちゃんは慌てて起き上がると、車のドアに手をかけた。……ガチ、と重い音がして扉が開かれる。 菜央(私服(二部)): ……入っても、いいの? レナ(私服(二部)): うん、どうぞ。 菜央(私服(二部)): お……おじゃまします。 あたしはおそるおそる靴を脱ぎ、そっと車の中に身体を滑り込ませる。 どうやら、廃車になった内部を改造して居心地のいい場所に仕立てたらしい。 レナちゃん好みの可愛らしい小物があちこちに飾られ……ちょっとした秘密基地のようになっていた。 菜央(私服(二部)): …………。 レナ(私服(二部)): これ、使って。 そわそわと落ちつかないあたしに、レナちゃんは柔らかそうなクッションを差し出してくれた。 菜央(私服(二部)): あ、ありがとう……。 恐縮しつつ上に座ると、彼女も姿勢を正す。そして――。 レナ(私服(二部)): ……魅ぃちゃんから、色々と話を聞いたよ。 菜央(私服(二部)): ……ぁ……。 レナ(私服(二部)): この「世界」と、私がいた「世界」との違い。今のわた……レナの、「竜宮レナ」のことも。 菜央(私服(二部)): …………。 レナ(私服(二部)): そういえば、私……以前は菜央ちゃんにレナちゃん、って呼ばれていたのかな……かな? 菜央(私服(二部)): えっ……。 レナ(私服(二部)): 何度も、菜央ちゃんがそう言い直していたから。違った……? 菜央(私服(二部)): ……あ、ぇ……ぅ……。 疲れたような微笑みを前にして、急激に喉がカラカラに乾いていく。 何か言わなくちゃ……でも、何を? 何を言えばいいの……?! あぁ、そうだ。まずは謝らないと……! こんなことになってしまったことを謝らなきゃ……! 菜央(私服(二部)): ご……ごめんなさい。 菜央(私服(二部)): あ、あたしを助けたせいで、礼奈ちゃんを……こんな、こんなことに巻き込んで……! レナ(私服(二部)): …………。 菜央(私服(二部)): あたしが、余計なことをしなきゃ……!レナちゃんが、嫌な思いをせずにすんだはずなのに……なのにッ……! 申し訳なくて、情けなくて、悔しくて……だんだん目頭が熱くなっていく。 ……あたしには、この人の胸の中へ飛び込んで泣く資格なんて、もう……ない。 それでも……もしこの人に甘えることができたら、どれだけ幸せで心救われることだろう……? そんな思いが、伝わったのか。必死に涙をこらえるあたしの頭に、そっと手が添えられるのを感じて、顔を上げると……。 そこには……悲しくも優しい微笑みを浮かべる、あたしの大好きな人の顔が……あった。 レナ(私服(二部)): 謝らないで……菜央ちゃん。 レナ(私服(二部)): だってあなたも圭一くんも、私を助けるために必死になってくれたんだから。 レナ(私服(二部)): ……2人は、何も悪くない。もう一度会うことができて……嬉しかったよ。 菜央(私服(二部)): …………。 レナちゃんのその顔は……今まで見たことがないほど弱々しい。 そうだ……一番辛いのは、レナちゃんだ。なのにこの人は、どうしてこんなにもあたしを優しく気遣ってくれるのか……? 菜央(私服(二部)): (あたしが、妹だって知らないから……?) その事実を改めてかみしめて……ぞっと、血の気が引くような絶望を覚える。 その事実を知ったうえで、この人はなおも優しくしてくれるか……自信がない。 ひょっとして、自分を地獄のような環境に叩き落とした元凶を前にして嫌悪するか……もしくはもっと、激しい感情を……?! ……と、その時。レナちゃんはあたしの手を取ると……きゅっ、と柔らかく握りしめる。そして、 レナ(私服(二部)): ……ごめんなさい。菜央ちゃん。 そう告げると、あたしに向かって頭を下げてみせた。 菜央(私服(二部)): な、なんでレナちゃんが謝るの……? レナ(私服(二部)): 心配……かけちゃったから。 すっかり元気の喪われた気持ちを懸命に奮い立たせたようなその口調に……あたしは、胸が苦しくなる。 ……レナちゃん、もう笑わなくていい。あたしのために、無理をしないで。 あたしはそう、叫びたかった。もういいって、訴えかけたかった。 だけど、……心の片隅で、思う。この人はきっと、止めたところで誰かのためにどこまでも無理をしてしまうんだろう。 それが嬉しくて愛おしくて……とても、悲しい。 あたしは、レナちゃんのようになりたかった……でも、この人には絶対になれないとたった今、打ちひしがれた思いにとらわれていた。 菜央(私服(二部)): れ……「礼奈」ちゃんは、何も悪くない……。 そんな言葉だけをやっとの思いで、あたしは絞り出す。 そうだ……「礼奈」ちゃんは、何も悪くない。……なのに、彼女が一番辛い思いをしている。 どうして優しい彼女が、こんなにも苦しまなくちゃいけないのか。 苦しまなくちゃいけない悪いやつは、もっと他に……他にッ……! 怒りと憎々しさで、胸の内が燻りかけていると……「礼奈」ちゃんの握る手の力が、少しだけ強くなる。 それに応じて顔を上げると、彼女は迷うように視線を泳がせてから……あたしを見つめ返して、言葉を紡いでいった。 レナ(私服(二部)): ……もうちょっとだけ、時間もらえるかな? 菜央(私服(二部)): えっ……? レナ(私服(二部)): なんとか、気持ちの整理をつけて……菜央ちゃんたちに、会いに行くから。 レナ(私服(二部)): だから……待っていてくれるかな、かな……? 菜央(私服(二部)): ……ぁ……。 レナ(私服(二部)): 気持ちの整理がついたら、その時はまた……「レナ」と遊んでね? レナ(私服(二部)): 圭一くんや魅ぃちゃん、梨花ちゃん……みんなと一緒に、ね……? 菜央(私服(二部)): ……う、うん。うんっ! 菜央(私服(二部)): あ、あたし……ずっと待ってる!「礼奈」ちゃんのためにできること、なんでもする。何でも言ってくれていいから! 菜央(私服(二部)): だから、だから……! 菜央(私服(二部)): っ……だ、からっ……!! レナ(私服(二部)): ありがとう、菜央ちゃん。 「礼奈」ちゃんの手がゆっくりと伸びてきて、あたしの頭を……優しく撫でる。 密閉された廃車の中にいたせいか、彼女の手は少し熱いくらいに……あたたかい。 その心地よさに、あたしは目を細めて……諦めたはずの思いを再び掴みたくなりそうな衝動に必死に耐えていた。 レナ(私服(二部)): ……菜央ちゃん、お家は? 菜央(私服(二部)): 今は、前原さんのお家でお世話になってるの。……「礼奈」ちゃんのこと、心配してたわ。 レナ(私服(二部)): ……そっか。 レナ(私服(二部)): 圭一くんにも、伝えて。もうちょっとだけ、時間をちょうだいって。 菜央(私服(二部)): うん、伝える……絶対に伝える。 レナ(私服(二部)): ありがとう、菜央ちゃん。 それだけ言って、「礼奈」ちゃんはふっと顔を上げて窓の外を見る。そして、 レナ(私服(二部)): 一緒に帰る……? 菜央(私服(二部)): ……。うん。 礼奈ちゃんと手を繋いだまま、車を出て……ゴミ山の上を渡る。 レナ(私服(二部)): はぅ、大丈夫……? 足元、気をつけてね。 菜央(私服(二部)): うん、ありがとう。 礼奈ちゃんが手を握ってくれるから、安心できる。不安定なゴミ山の上もまるで雲の上を歩いているようだ。 菜央(私服(二部)): (この山で、あたしはレナちゃんに許された……) 菜央(私服(二部)): (でも……あの時のレナちゃんは、もういない) あたしを守って……あの「世界」で死んでしまったのだろう。 だから、せめて……。 あたしの手を握ってくれているこのあったかい手のレナちゃん……いや、「礼奈」ちゃんは。 菜央(私服(二部)): (なんとしても、守ってみせる……) その決意を、あたしは確かに心の中で強く誓っていた。 ……いつまでも繋いでいたかった手は、ゴミ山の入口に到着したところで離れてしまった。 仕方ないとわかっているけど……もう少しの間、握っていたかった。 レナ(私服(二部)): ねぇ、菜央ちゃん。……魅ぃちゃんに、会った? 菜央(私服(二部)): え……? あ、うん。さっき、お屋敷で……。 レナ(私服(二部)): そっか……。 礼奈ちゃんは頷き、口がわずかに動く。そして――。 レナ(私服(二部)): ……あれ、本当に魅ぃちゃんかな? 菜央(私服(二部)): っ? い、今……なんて? レナ(私服(二部)): ……。ばいばい、菜央ちゃん。 尋ね返すよりも早く、礼奈ちゃんは背中を向けて歩き出した。 菜央(私服(二部)): …………。 自宅の方へ遠ざかる礼奈ちゃんの背中を見つめながら……あたしはさっきの言葉を心の中で繰り返す。 レナ(私服(二部)): 『……あれ、本当の魅ぃちゃんかな?』 菜央(私服(二部)): …………。 さっきまでの魅音さんを思い返す。見た目は同じだった。口調も。 でも……1つ前の「世界」で魅音さんを名乗っていたあの人も、そうだった……。 双子だから、見た目も同じ。声も……。 喋り方をマネするのも、簡単なのだろう。記憶がないフリだって、あるフリよりもずっと簡単だ。 ……だから入れ替わっていることに、一穂はおろか前原さんすら気づかなかった。 菜央(私服(二部)): ……っ……! 心臓が、大きな音を立てている。背中から、嫌な汗が噴き出して止まらない。 菜央(私服(二部)): (……もしも) もしも。 今ルチーアに閉じ込められているのが、あたしたちが「魅音さん」と呼んでいる人の方だったとしたら……? さっきまで会っていた、魅音を名乗っていたあの人は……。 1つ前の「世界」で、絢花さんを……あたしたちを、殺そうとした……! 菜央(私服(二部)): 詩音、さん……?!