Part 01: 裸電球の灯りが周囲を照らす暗がりの中、私は人が入れるほどの穴蔵を格子で仕切っただけの「地下牢」へと歩み寄る。 闇に包まれた中にうっすらと浮かぶ、白い着物。それを身にまとった「彼女」は奥の土壁に背を預けてうなだれたまま、ぐったりとした様子だったが……。 魅音(白装束): ……っ……? 私が接近する気配を感じたのかはっ、と顔を上げ、弾かれたような勢いで格子の手前までやってきた。 詩音(魅音変装私服2): ご機嫌の方はいかがですか、お姉……って聞くまでもありませんね。 魅音(白装束): っ……詩音、あんたは……! 格子越しに、牢の中の「彼女」――魅音はまなじりをつり上げ、激しい怒りを満面にして眼光鋭くこちらを睨みつけてくる。 相当怒っている……まぁ、当然だろう。格子によって仕切られていなければ、掴みかかられて容赦のない殴打を何発か喰らっていたに違いない。 とはいえ、現状では彼女に何を言ったところでなだめようがないので……私としては後ろめたさを若干覚えつつも、鈍感を演じるしかなかった。 詩音(魅音変装私服2): すみませんね、お姉。ここだと風邪を引いても市販薬をあげるくらいしかできませんので……くれぐれも体調には気をつけてください。 詩音(魅音変装私服2): あと、食事はした方がいいと思いますよ。毒を盛ったりするつもりは微塵もありませんし、腹が減ってはなんとやら……でしょう? 魅音(白装束): ……っ……!! その言い方を挑発と受け取ったのか……魅音の顔に、殺意にも等しい憤りが満ち満ちていく。 と、そんな彼女の視線からわずかに目をそらし、格子の前に置かれた食事に箸をつけた様子がないのを確かめた私は……思わずため息をついてしまった。 詩音(魅音変装私服2): (施しは受けない、って意思表示だろうね。妙なところで意地を張るんだから……) とはいえ、もし千載一遇の好機が生まれた時に空腹のままだったら、万全の対処ができるのか……?そのあたりは効率的になってもらいたいと心底思う。 詩音(魅音変装私服2): ハンガーストライキじゃあるまいし、腹ごしらえをしておかないと意味がありませんよ。 詩音(魅音変装私服2): 言っておきますけど……私は別に、あんたに餓死してもらいたいわけじゃないんです。むしろ元気でいてほしいんですよ。 魅音(白装束): だったらなんで、こんな場所に閉じ込めたんだよ?!しかもまた、私になりすまして! 魅音(白装束): あんたはいったい、今度は何を企んでいるのさ?! 詩音(魅音変装私服2): 「今度」……ってことはお姉、あんたも前の「世界」の記憶を引き継いでいると考えて差し支えがなさそうですね。 魅音(白装束): あぁ、そうだよ!あんたが#p綿流#sわたなが#rしの祭りをぶち壊しにしたところもね!で、だったらどうだってのさ……ッ?! ふいに、魅音の言葉尻が途切れる。……それは、私が地面に置いたライトをいきなり彼女の顔に当てたからだ。 暗い中、眩しそうに目を細める様子は普通の反応……どうやら、私の知る「魅音」と見て大丈夫そうだ。 詩音(魅音変装私服2): 安心しましたよ……乗っ取られてはいないみたいで。例の「カード」を渡されていたら、こんな牢なんて簡単に破って出られたでしょうからね。 詩音(魅音変装私服2): あんたを問答無用でここに閉じ込めたのは、言ってしまえば意趣返しのようなものです。……地下で焼き殺されそうになった、あの時のように。 魅音(白装束): なっ……?! それを聞いた魅音は息をのんで、大きく目を見開く。 ……よかった、確定だ。最悪の可能性も想定していただけに、場違いだとは理解しつつも私は安堵を覚えていた。 魅音(白装束): そ……それがわかったんだったら、早くここから出してよっ!私はあんたたちの敵じゃない! だからッ――! 詩音(魅音変装私服2): 残念ですが、それはダメです。たとえあんたが敵だろうと、味方だろうと……ね。 魅音(白装束): ……っ……? 詩音(魅音変装私服2): ただ、万が一乗っ取られていたとしたら他のみんなには黙ったままここで「殺す」こともやむなしと思っていましたので……。 詩音(魅音変装私服2): それをやらずに済んだことだけは、正直ありがたいと思っていますよ。私にもまだ運が残っていた……そんな感じです。 魅音(白装束): は……?それっていったい、どういう意味……? 詩音(魅音変装私服2): ……私は――。 魅音からの問いかけを、途中で遮り……私は、続ける。 何も伝えては「いけない」……そのことは重々わかっているし、反故にするつもりはない。 だけど、今後困難が待ち受けているであろうこの「妹」に対しては、せめてもの「想い」を伝えられるだけ伝えておきたかった……。 詩音(魅音変装私服2): これから、私は……かなり身の程知らずなことをしでかすつもりです。当然、命の保証もなく……「生まれ変わる」こともできないかもしれない。 詩音(魅音変装私服2): だけど私は、やらなきゃいけない……。そんな覚悟を決めてしまったところに、あんたが一緒にいるとやりづらいんですよ。 魅音(白装束): って……詩音! 覚悟ってことはやっぱりあんた、悟史のいる「世界」を実現させるつもりなの……?! 詩音(魅音変装私服2): …………。 魅音の察しを聞いた私は、苦い可笑しさを内心で覚えながら……首をかすかに振る。 確かに一時期、そんな願いはあった……その証拠に、叶えてみせるとあがいた経緯と顛末はいまだに「記憶」として私の中に残ったままだ。 だけど……あぁ、そうじゃない。少なくとも今は、全くもって違っている。 ただ、真意をここで魅音には伝えられない……そのもどかしさを口惜しく思いながら私は、努めて冷静を保ちつつ言葉を並べていった。 詩音(魅音変装私服2): 確かに、それができたら最高……言うことなしですね。でもあいにく、お姉のその読みはハズレです。 詩音(魅音変装私服2): ……悟史くんは、今の私では助けられない。「世界」の流れと運命が、人間の力ごときで変えられないのと同じように……ね。 魅音(白装束): 詩音……? 詩音(魅音変装私服2): 嫌というほど、現実を目の辺りにしました。……思い知らされてしまったんですよ、私は。 今までの私であれば、絶対に口にしたくない全面降伏にも等しい言葉を呟きながら……思う。 私はもう……以前の私自身とは、違う。あの頃と同じ思考では動けないのだ、と……。 魅音(白装束): ……っ……?! 私を見つめ返す魅音の表情が、怪訝から不安……そして恐怖へと変わっていくのを感じる。 私は今、どんな顔をしているのだろう……?この胸中にわだかまる思いから想像できないわけではなかったけど、……あえて気づかないふりをした。 魅音(白装束): 詩音……どうしたのさ、その顔は?悟史に、何があったっていうの……? 詩音(魅音変装私服2): ……お姉。私はあんたに対して、本当に酷いことをしていると思います。 詩音(魅音変装私服2): 何度謝ったところで、許してもらえないでしょう。だからもう、謝らないし……お姉も決してこの先、私を許そうとは思わないでください。 詩音(魅音変装私服2): ただ……それでも、お願いします。あんたはこれ以上、何も知らないままでいてもらいたいんです。 詩音(魅音変装私服2): そして、どうか……誰にも気づかれず、生き延びてください。 詩音(魅音変装私服2): そうすれば、いずれお姉なら最良の答えに気づいてくれると……私は信じています。 魅音(白装束): ど……どういうこと?気づくもなにも、ちゃんと教えてよ?! 魅音(白装束): 説明してくれなきゃ、私に何をさせたいのかわかんないでしょ?! 魅音(白装束): ねぇ、詩音! 教えてってば! 詩音(魅音変装私服2): すみません……できることなら私も、お姉に全部打ち明けたいんです。 詩音(魅音変装私服2): 確かに以前も、私はお姉に話さなかった……もし相談したら、目的が果たせなくなると考えての自分勝手な理由です。 詩音(魅音変装私服2): でも、今は……お姉を信頼しています。信じているからこそ、話さないんです。 魅音(白装束): し……信じてくれているなら、教えてよ!あんたの目的って、いったい何なのっ?私も手伝うから、言ってよっ……ねぇってば!! 詩音(魅音変装私服2): ……ダメです。これ以上余計な要素が加わったら、絡まったミシン糸みたいに収拾がつかなくなってますます元には戻せなくなる……。 詩音(魅音変装私服2): とにかく私は、「あの子」の暴走をなんとしても止めなきゃいけないんです。 そう言って、私は手のついていない食事と入れ替え持ってきたお盆とともに別の食事を格子の前に置く。その中には、日持ちする食べ物も加えていた。 詩音(魅音変装私服2): ごめんね……でも、私は信じているから……。 それだけを言い残し、私はきびすを返す。……すぐに背後から、悲痛な響きを伴った魅音の叫びが追いかけてきた。 魅音(白装束): ねぇ、待って! ねぇ……ねぇってば!私を置いていかないで……1人にしないで!1人だけで、行かないでよおぉおぉぉッッ! 魅音(白装束): なんで……なんで教えてくれないんだよ?!教えてよ! 私にもわかるように教えてよ! 魅音(白装束): なんで、なんで……なんでっ?!私にはもう、あんたがわからないッ!わかりたいのに、わからないッ! 魅音(白装束): 置いていかないでよ……私も連れてってよ!こんなところに置き去りにしないで!待ってってば、詩音……詩音ッッ!! 魅音(白装束): 「お姉ちゃん」っっ!! 必死に呼び止めようとする声は、それが最後だった。 出口に辿りつく頃には、かすかに聞こえていたすすり泣きの声も……届かなくなっていた……。 詩音(魅音変装私服2): (お姉ちゃんって……久しぶりに呼ばれたな) 階段を登りながら、くす……と笑みがこぼれ出る。最後の最後まで甘ちゃんなところが抜けないのは、あるいは彼女ならではの強みなのかもしれない……。 詩音(魅音変装私服2): (……大丈夫だよ、「魅音」。あんたは自分が思っているよりも、ずっと強いんだ) 詩音(魅音変装私服2): (それに私と違って、たくさんの頼もしい仲間がきっと力を貸してくれるはずだから……ね) Part 02: 真っ暗な意識の中、ふいに複数のざわめきらしき声が聞こえてきたように感じて……私はそっと目を開ける。 梨花(私服): っ……ぁ……。 視界に映ったのは、明かりを消した真っ暗な部屋だ。雨戸を閉め切っているおかげで、外からの光もなく今が昼なのかもわかりづらい。 鼻先をくすぐるように感じる、部屋の匂い。以前沙都子と一緒に住んでいたなじみ深い家とも、古手家の自分の部屋とも違う……これは……。 梨花(私服): (……あぁ、そうか。私は今……「あの家」に匿われているんだった) 起き上がると、少しだけすっきりした気分。食事時まで軽く横になって休むだけのつもりが、思いの外ぐっすり寝入ってしまっていたらしい。 梨花(私服): それにしても、さっき聞こえてきた声ってなんだったのかしら……、っ? そう思って耳を澄ませてみると、雨戸越しに複数の誰かの話し声をかすかに感じる。 ただそれは、言葉として聞き取れるほど明瞭なものではなく……やがて、砂を蹴るような足音とともに遠ざかっていった。 梨花(私服): …………。 安堵とともに胸をなで下ろし、大きく息をつく。……どうやら、この家に用があった人たちではなかったようだ。 梨花(私服): (あと、2日……村の誰にも、見つかるわけにはいかない) 決意とともに私はぎゅっ、と胸元を握りしめる。 おそらく今頃は#p雛見沢#sひなみざわ#r全域が大騒ぎになって、村総出で私の行方を探していることだろう……。さっきの声は、そんな一団のものだったのかもしれない。 『古手梨花が行方不明』――その事実は村人たちに少なからず衝撃と困惑を与え、もはや#p綿流#sわたなが#rしの準備どころではないと思う。 ……それでも私は、身を隠す必要があったのだ。鷹野三四の恐ろしい企みを阻み、この村の人々を惨劇に巻き込まないために――。 沙都子(私服): ……お待たせ。 ふいに背後から声がして振り返ると、隣の部屋でちゃぶ台の上に料理の皿を並べている沙都子の姿が見える。 その匂いは、空腹を思い出させるほどにおいしそう……と同時に、記憶の中のものを呼び起こすような「懐かしさ」があった。 沙都子(私服): たくさん買い物をするわけにはいかないから、在庫の食材と合わせて適当に作ったやつだけど……量が少ないって、文句なんか言わないでよね? 梨花(私服): ……みー、ありがとうなのです。十分すぎるくらいに盛りだくさんなのですよ。 私は笑顔で、本心からそう答える。 ……適当だなんて、とんでもない。それが謙遜であることは、献立の種類の多さを見ただけでもすぐにわかるというものだ。 沙都子(私服): それじゃ、さっさと食べちゃって。冷めないうちにね。 梨花(私服): ……いただきますなのです。 手を合わせてから箸を取り、まず大皿に盛られた野菜炒めから食べようと口に運んだ瞬間……ガリッ、とした歯応え。 切った野菜の大きさがばらついているせいか、フライパンにかける順番を間違えたのか……具材は生っぽい部分がちょっとだけ多いようだ。 梨花(私服): (……でも、おいしい) ここ最近、自宅で焦げた料理ばかり食べていた反動もあるかもしれない。……うちの母は、なんでもやたらと加熱しすぎる。 もちろん、それ以上においしさを感じさせるのは……沙都子ならではの味付けが咀嚼するたびに蘇ってくるからだった。 梨花(私服): ……おいしいのですよ、にぱー。 沙都子(私服): ふん……いいわよ、お世辞なんて。そっちの煮物の方が、口に合うと思うわよ。お母さんが作ったやつだから。 梨花(私服): いいえ……ボクは、沙都子の野菜炒めがいいのです。 沙都子(私服): ……だから、気を遣わなくてもいいのに。別に料理を褒めなかったからって、この家から追い出したりなんかしないわ。 そう言って沙都子は、口をとがらせながら手近にあった味噌汁を軽くあおり飲む。 その頬が、暗がりの中でも赤く染まって見えたのは……汁が熱かったからではない、と私は思いたかった。 沙都子(私服): まったく……そもそもどういうつもりで、あんたは死んだふりなんかをしているのよ? 沙都子(私服): ただでさえダム戦争のことがあるんだし、面倒なことに巻き込まれるのはご勘弁よ。 梨花(私服): ごめんなさいなのです……沙都子。詳しいことは話せないのですが、雛見沢のみんなを守るためには必要なことなのですよ。 沙都子(私服): ……何度聞いても、そればっかりじゃない。あんたも圭一さんも、詳しい説明もしてくれないのにただ匿えって……さすがに乱暴すぎるんじゃない? 梨花(私服): ……ごめんなさいなのです。 沙都子(私服): もー、何度聞いてもそればっか。そう言うの、なんていうんだっけ……?えーっと、壊れたスピーカーみたいってやつ? 梨花(私服): みー、たぶんそれは「壊れたラジオ」の間違いだと思うのですよ。 沙都子(私服): わ、わかってるわよ!ちょっとしたジョークよ、ジョーク! 沙都子(私服): あんたが暗い顔をしているから、話題を作ってあげようとしたんじゃない! 沙都子(私服): なのにそんな、おどおど~、おそるおそる~って感じで指摘されたら、調子が狂っちゃうでしょ! そう言って沙都子は、苛立たしげに髪をかいてから食事に戻る。 ぷんぷんと、眉を上げて怒った顔……おそらく意図した間違いではなく、単純に間違えたことが恥ずかしいのだろう。 その証拠に彼女の視線は、川岸に追い込まれた小魚のようにせわしなく泳いでいる。……ただ、私はその反応を意外な思いで受け止めていた。 梨花(私服): (……本気で怒るかと思った) 私とあまり仲が良いとはお世辞にも言えない、この「世界」の沙都子だったら……おそらく今の指摘に激高していたような気がする。 それがここしばらく、両親や兄と暮らす今の『北条沙都子』を観察してたどりついた私なりの予測だった。 梨花(私服): (この「世界」の沙都子は、私の知る「彼女」とはまるで違っている。口調も、性格も……そして、なにより……) ……私のことを、嫌っている。これまでだって単独で接点を持とうとしないし、向こうから話しかけてくることもなかったのだ。 梨花(私服): (なのに、今は……こうして家族のいない家に私を匿って、親が用意したご飯だけでは足りないからと、野菜炒めまで作ってくれて……) 間違いなく、嬉しい……本当に、嬉しかった。だけど、どうしても妙な違和感がひっかかって素直に喜ぶことができなかった……。 梨花(私服): ……。沙都子のご両親は、今日も留守なのですか……? 沙都子(私服): えぇ。明朝には帰ってくるって言っていたけどにーにーの新しい学校探しが難航しているからもう少し遅くなるかも、って連絡があったわ。 沙都子(私服): ……にーにーが色々と理由を作って「頑張って」足止めをしてくれているみたいだから、予定よりも遅くなるでしょうね。 梨花(私服): ……そう、ですか。無理矢理に押しかけて、ごめんなさいなのです。 沙都子(私服): だから、もう謝らないでってば。……でもまぁ、圭一さんに感謝することね。 沙都子(私服): あの人があんなに頭を下げてくるから、にーにーと一緒にOKを出したけど……そうじゃなかったら間違いなく断っていたわ。 梨花(私服): みー、もちろんなのです。圭一には後日改めてお礼を言うのですよ。 箸を握り直して、さらに野菜炒めに手を伸ばす。 不器用ながらも、丁寧に作ったと思われるシャキシャキの野菜炒めの味は、しっくりと舌に馴染んで……食べ応えがあって……。 梨花(私服): みー……とっても、おいしいのですよ。 沙都子(私服): ……あ、そう。 何より、嬉しさを隠すように顔を背ける沙都子の様子が……とても、愛らしかった。 北条家に匿われた経緯を振り返るなら、圭一が頼んで、悟史が受け入れた……その一言で終わる。 でも、そう簡単に終わらなかったことは全て圭一から聞いていた。 最初に相談を持ちかけた時……悟史は当然のように酷く困った様子で、即答はしてくれなかったそうだ。 悟史: えっと……ごめん。もう一度、話を整理したいんだけど。 悟史: つまり、梨花ちゃんのご両親には内緒で匿うのを僕たちに手伝ってもらいたい……。 悟史: だから、ちょうど僕たちの両親がいないこの数日間に、僕たちの家に梨花ちゃんを泊めておきたい……そういうことだね? 圭一: あぁ、その通りだ。迷惑をかけることを承知の上で……頼む! 悟史: むぅ……あ、いや……ごめん。正直言って、わけがわからないよ。 圭一: 梨花ちゃんを匿う理由のことか?それは、その……。 悟史: どうしても言えない……だよね?まぁ、それはこの際いいよ。……いや、本当はよくないけどさ。 悟史: わからないのは、どうして圭一たちが僕に頼むのかってことなんだ。 悟史: あ……もちろん、圭一が悪いやつじゃないってことは僕だってわかっているつもりだよ。 悟史: 圭一が来てから、梨花ちゃんは変わった……上手く言えないけど、大人になった……って言えばいいのかな? 悟史: その変化は、決して悪いものじゃないと思うんだ。少なくとも僕の目には……そう見えるしね。 悟史: 以前は沙都子とあまり変わらない感じでわがま……っていうか人当たりがきつかったのに、なんだかずいぶん差がついちゃった気がするよ。 圭一: …………。 悟史: それでね、僕なりに考えたんだよ。どうして梨花ちゃんが変わったのかってさ。 悟史: で、仮に……仮になんだけど。もしかして梨花ちゃんは誰かに言えない、秘密みたいなものを抱えていて……。 悟史: それを圭一に相談して、肩の荷物を下ろすことができたから……ようやく落ち着いたんじゃないかってね。 圭一: ……っ……。 悟史: 憑き物が落ちたみたいな、ってたとえは変かもしれないけど……でも、そう考えたら少し納得がいったんだ。 圭一: 悟史、お前……。 悟史: あはは、ごめん。ミステリー小説の読み過ぎかな。自分でも何を言っているのかわかっていないから、気にしないで。 悟史: だから……答えは言わなくていい。きっとそれだけの重い理由があるんだって、僕もなんとなくわかるからさ。 圭一: ……悪ぃな、悟史。 悟史: 謝らなくていいよ。……けど、これだけは答えてほしい。 悟史: 圭一がどうして、そんな梨花ちゃんを僕なんかに託してもいいって思ったのか……それがわからないんだよ。 圭一: それは、……。 圭一: いや……俺に言わせるなら、悟史はなんでそんなに「なんか」なんて言葉を使って、自分を卑下するのかがわからねぇよ。 圭一: 悟史……俺はお前のこと、すげぇヤツだと思っているんだぜ?妹思いだし、それに――。 悟史: ――やめろよ。 圭一: ……っ……?! 悟史: あ……ごめん、圭一。でも僕は、自分のことをすごいって思ったことがないんだ。 悟史: 自分の意思で、何かをやり遂げたことがないからかな。いや、夏休みの宿題とかそういう日常の小さなことは、ある程度はできていると思うけど……。 悟史: ただ、それは人に命令されたことを言われた通りにやっているに過ぎない。 悟史: 自分で決めて、自分で強い意志を持って、これだけはやり遂げるって覚悟して……そんなふうにやり遂げたことが、何もないんだ。 圭一: っ……悟史……。 悟史: だから……僕は圭一が羨ましい。自分で決めて、何かをやり遂げようとしている圭一のことが……眩しい。 悟史: だから君たちが思っているほど、僕は頼りになんてならないよ……。 圭一: な……なんで、なんでだよ?!なんでお前はそんなふうに自分のことを悪く言うんだよ! 圭一: そもそも、俺が……俺が強くなれたのは、お前が……、っ?! 圭一: 『……その時、ようやく思い出したんだ。この「世界」の北条悟史には、命がけで妹を守り抜いた経験が……』 圭一: 『そうしなければならない状況に追い込まれたっていう悲劇の記憶と、覚悟が……目の前にいるあいつには、存在しないってな』 圭一: 『……だから、言った。頭のおかしなやつだと思われてもいい、とにかく伝えたかったんだ……!』 圭一: ……なぁ悟史、聞いてくれ。俺は……お前によく似た人の話を聞いたことがある。 圭一: そいつには妹がいて、両親が死んじまって、その後意地悪な叔父夫婦に引き取られて……妹ともども、酷いイジメに遭った。 圭一: 死んだ両親にも問題があったせいで近所の人も兄妹が困っていても冷たくて、誰も助けてくれなかったんだ……でも。 圭一: そいつは、どんなにボロボロになっても、傷ついても、叔父夫婦に立ち向かって……妹を守り抜いたんだ! ……それは、圭一と私が知る北条悟史の物語。 惨劇の中、自らが倒れるまで妹を守り抜いたもう一人の北条悟史の人生だった。 圭一: 俺はその話を聞いて、そいつみたいになりたいと思ったんだよ。だから俺は、そいつのように梨花ちゃんを……守るって……! 悟史: …………。 圭一: だから、そいつがいなかったら俺はもっと情けないやつだったはずだ……!全てを疑って、何もかもを拒絶して……! 圭一: そして、自分から最悪の選択をしてひとり寂しく命を落とす……そんな人間で終わっていたかもしれねぇ……! 圭一: だから……悟史!お前には……お前にだけはそんなふうに自分を卑下してほしくないんだ!! 悟史: ……。圭一……。 悟史: つまり、僕が……その人に似ているって言うのかい? 悟史: 悪いけど、僕には……その圭一の知り合いと同じことができるなんて、とても思えない。 圭一: あぁ……そうだな、信じられないだろうさ。……でも俺は、今のお前だって同じことができるって信じている。 圭一: だから、悟史に相談したんだ。 悟史: そんな……あれ、待って……?よく似た人の話を聞いたことがあるってことは、その人に、圭一は会ったことがないんだよね。 圭一: っ、あぁ……。 悟史: そっか……なるほど……。 悟史: 会ったことがないのに、話を聞くだけで圭一の人生を変えてしまうなんて……よっぽどすごい人だったんだね、その人は。 悟史: でも、やっぱり難しいと思うよ。……それに、沙都子がなんて言うか。 圭一: あっ……? そこでようやく圭一は、沙都子のことをうっかり失念していたことに気づいたらしい。 圭一: (確かにそうだ……この「世界」だと、梨花ちゃんと沙都子は仲良しじゃない。その上、ダム戦争で家同士が対立している……) 以前の記憶を残していたことが、仇になった。そう思って頭を抱えた圭一が、なんとか知恵を絞り出そうとした――その時。 沙都子: ……いいんじゃない、預かっても。 悟史: さ、沙都子?! 圭一: ど、どうしてここに? 沙都子: どうしてもなにも、前原さんに呼ばれたにーにーがいつまで経っても帰ってこないから……。 沙都子: ひょっとして喧嘩でもしているんじゃないか、って心配して見にきてあげたのよ。 沙都子: で、なに?梨花を匿ってほしいの? 何日くらい? 圭一: えっと……綿流しのちょっと前から……3日、くらい……? 沙都子: ふーん……その期間だと、お母さんとお父さんが一緒に引っ越しの予定先を見に行っているはずだから、ちょうどいいわね。 沙都子: あれ?その話って、前原さんにしたかしら?……まぁ、いいわ。 沙都子: けど、急にお父さんとお母さんが帰ってきたら隠しきれないわよ。それでもいいの? 圭一: あ、あぁ……。 悟史: さ、沙都子……それで、いいの? あまりにも沙都子があっさりと了承したので、圭一はもちろん悟史も心底驚いたらしい。 それも当然だろう。圭一が転校してくるまで、沙都子と私は酷く仲の悪い間柄だったからだ。 なのに、どういう風の吹き回しなのか……?そんな思いで2人が困惑する中、沙都子は平然とこう答えたとのことだった――。 沙都子: よくわからないけど……圭一さんがそこまで頼み込んでいるんでしょう?いいわよ、私は。にーにーはどう? 悟史: …………。 悟史: ……。わかったよ。 悟史: そういうことなら、僕も一緒に名古屋に行くよ。ちょうど転校先を探そうって言われていたから、可能な限り滞在期間を引き延ばしてみる。 圭一: 悟史……? 悟史: 正直、約束はできない。自信もない。……でも、沙都子がいいって言うなら。 悟史: 僕も、頑張ってみるよ。 100年を乗り越えた時に決行した、鷹野が雛見沢大災害を起こす理由……緊急マニュアルの存在を逆手に取った48時間作戦。 雛見沢症候群は、女王感染者の死後48時間以内に村人が全員末期症状に陥って異常行動を起こす……それが大前提だ。 それ故に、古手梨花が死後48時間経過してから遺体が発見された場合、緊急マニュアルは意味を為さなくなる。 死後48時間で村人が全員異常行動を起こさないなら、村人を災害に見せかけて虐殺する理由がないからだ。 梨花(私服): (作戦の要は大石……彼の説得は任せてくれと赤坂と富竹が言っていた。それは信じよう) 問題は、生きている私……古手梨花の身の置き場だ。 梨花(私服): (以前の作戦だと、私は園崎家の地下に身を隠した……だけど万一、鷹野に私と同じように過去の記憶があったとしたら――) 当然、園崎邸は真っ先に捜索されるだろう。あの時よりも万全に包囲して、赤坂たちの加勢も意味をなさなくなるかもしれない。 その話し合いの果てに、圭一が提案したのが……。 梨花(私服): (まさか両親が引っ越し準備で、長期不在の北条家に身を隠す作戦なんて……) ……だけど、いい案だと思った。敵の盲点を突くという意味ではある意味で最良かもしれない。 鷹野に過去の記憶があり、それに加えて現在の私たちの境遇を知っていれば……この「世界」の北条邸は確実に捜索の範囲外になる。 沙都子(私服): でも……なんか、不思議な感じがするわね。 食事も終わりに差しかかった頃……沙都子がぽつりと呟いた。 梨花(私服): みー……普段はこんなに真っ暗な中でこうしてご飯を食べたりはしないので、不思議と思って当然なのですよ。 沙都子(私服): ……いや、それはそうだけど。こういうのもキャンプみたいで楽しいし……って、そっちじゃなくって。 沙都子(私服): 私たちの家って、それぞれがダム建設の賛成派と反対派でしょ? だから話をすれば親に怒られる、って言ってこっちを避けていたのはあんたの方じゃない。 沙都子(私服): 昔からご飯どころか、ロクに顔も合わせなかったのに……けど、懐かしいというか……初めてじゃない気分なのよね。えーっと、こういうの「デジャント」って言うんだっけ? 沙都子(私服): あ、でもちょっと前にトランプをして遊んだりしたわね。他のみんなとも一緒だったけど……。 梨花(私服): デジャントじゃなくて、デジャヴなのです。それに……。 梨花(私服): 実際に懐かしいし、初めてでもないのです。ボクにとっては、久しぶりに食べる沙都子との食事で……。 梨花(私服): また、こうして一緒に食事ができるなんて思っていなかったから、嬉しくて……っ……。 沙都子(私服): ちょ……ちょっと、ちょっと!泣かないでよ、いきなりっ?! 梨花(私服): え……? わぷっ! 泣いている、と自覚する前にハンカチを顔面に押しつけられて……そのままぐりぐりと強く拭われる。 梨花(私服): い、痛い、痛いのです…! 沙都子(私服): じゃあもう泣かないでよ!びっくりするじゃない! そう言って離れたハンカチの向こうに、驚いた沙都子の顔が見えて……私はハンカチを受け取り、目元に当てた。 梨花(私服): ……悲しいから、泣いていたのではないのです。むしろ、嬉しいのですよ。 沙都子(私服): あんた……そんなに私と仲良くなりたかったの?それにしては、ずっと態度が悪かったじゃない。……あぁ、でもそれは私もお互い様ね。 沙都子(私服): あんたとこうして、ご飯を食べるのが結構楽しいなんて……想像もしてなかったわ。 梨花(私服): …………。 照れ隠しのつもりなのか、沙都子は最後に残った芋の煮っ転がしを箸で弄んでいる。行儀は悪いけど、指摘する気にはなれなかった。 これを食べ終えて、ごちそうさまをするのが惜しいのだろう……私も同じ気持ちだから、よくわかった。 沙都子(私服): ……私たち、もっと前から仲良くなっていっぱい話をしておけばよかったわね。そうすれば、もっと早く一緒にご飯を食べられたのに。 沙都子(私服): せっかく魅音さんが「子どもたちは大人同士の争いとは関係がないように」ってなにかと気を遣ってくれたのに……。 沙都子(私服): 私、イラッとして反発しちゃったから。 梨花(私服): 反発……ですか? 沙都子(私服): えぇ。園崎家や古手家……ダム反対派のせいで滅茶苦茶になったのにいい子ぶらないでよ、って思っちゃったの。 沙都子(私服): にーにーもそれに乗っかるように私を叱るから、余計に腹が立ったというか……。 梨花(私服): …………。 沙都子(私服): でも、あの2人も……村が無くなるって決まった後も分校だけは平和であってほしかったんでしょうね……それを思うと、悪いことをしちゃったわ。 梨花(私服): ……沙都子は両親から、ボクたちのことでどんな話を聞いているのですか? 沙都子(私服): えー? よく知らないけど、ダム反対派は国に逆らってセーザイカイ? に入って、偉くなっておいしい汁をすすろうとしてるって。 梨花(私服): 国に逆らって、政財界に入れるのですか?まるで逆効果な気がしますですが……みー。 沙都子(私服): よくわかんないけど……国の偉い人の中でも雛見沢のダム建設に対して賛成していない派閥がいて、勢力争いをしているみたいね。敵の敵は味方ってやつ? 沙都子(私服): で、それを利用する園崎家は偉くなることしか考えてなくて……今の村人たちの今後についてはなーんにも考えてないって言っていたわ。 沙都子(私服): だからうちの親とかの反対派は、村の人たちの今後の生活を守るために戦っているんだってね。 梨花(私服): えっ……? 沙都子の言葉に、鳩尾の辺りがざわつく。……食べたばかりの食事が、急に鉄の塊にすり替わってしまったようだ。 梨花(私服): みー……それは、初耳なのです。 沙都子(私服): そうなの?じゃあ、あんたの親はなんて? 梨花(私服): みー……ボクの親は、ダム建設派が村を出ていく補償金をつり上げるために村人たちを甘言で騙して、団結の邪魔をしていると言っていたのですよ。 沙都子(私服): 騙して……邪魔をした……?!何言っているのよ、そんなはずないでしょっ! ダン! とちゃぶ台を叩きながら沙都子が立ち上がる。よほど理不尽で、予想外だったようだ。 沙都子(私服): お父さんたちが毎日家を留守にしているのは、私たちの家庭だけじゃない……他の人たちの移住先を準備しているからなのよ?! 沙都子(私服): どんなに相談しても園崎家や古手家が非協力的で、まるで頼りにならないからって……! 私を見下ろしながら一気にまくしたてる沙都子と、見上げる私の瞳がかち合って……。 沙都子の目の中に、困惑する自分の顔が見えた途端……怒りが瞳孔の戻りとともに、急速に収まっていくのがわかった。 沙都子(私服): えっと……違うの? 梨花(私服): ……初めて聞いたのです。沙都子、それは誰が言っていたのですか? 沙都子(私服): 数年前から町会長の代行をしている、公由家の婿さんよ。 沙都子(私服): 御三家の中でも、私たち移住組のことをいつも気遣ってくれて……私も挨拶したことが何度かあるんだけど、いい人だったわ。 梨花(私服): ……っ……? 梨花(私服): (……おかしい) もちろん、沙都子はおかしくない。……おかしいのは話の内容だ。 梨花(私服): (確かに公由家は、過激派の園崎家とは違って穏健派寄りだったけど、ダム建設と村の移住については園崎・古手同様、反対の姿勢を貫いていた……はず……) しかも、それは権勢を高めるといった邪な思いではなく村人たちの生活を守るという目的のためだった。 少なくとも、私が繰り返していた100年間……公由家の頭首が変わったイレギュラーを含めても、その方針が揺らいだという覚えがない。 梨花(私服): (……それなのに、今は……?) 梨花(私服): (公由家が、ダム建設の賛成派と反対派の対立を煽っている……?) そうとしか思えない……いや、公由稔が私の両親と何を話しているか知らない以上、何かがおかしいとしか言えない。 梨花(私服): (だけどいったい、何のために対立を煽っているの?) 梨花(私服): (公由家の頭首代行の公由稔は、いったい何者なの……?!) 沙都子(私服): な、なによ。怖い顔して……もしかしてあんた、稔さんに虐められるようなことでもあったの? 梨花(私服): ……ぁ……。 煮えたぎりかけた頭に、震える声が染みこんでくる。 あぁ……そうだ、私は沙都子と一緒にいるんだった。ここでの余計な発言や反応は、彼女にとって良くない。 梨花(私服): いえ、そういうわけではないのですが……。 ……ひとまず、考えるのはやめよう。現状で判断できることなんてほとんどないのだから。 梨花(私服): (……落ち着きなさい、古手梨花) 梨花(私服): (たった1人で思い悩んで、疑心暗鬼にとらわれるのがどれだけ危険なことなのか、これまでの間に嫌というほど味わってきたんでしょう?) そう、わかっている……わかっているつもりだ。ただ、今の沙都子には相談できない。 何かわかっているならともかくわからない事実だけを押しつけても彼女をアリ地獄に引き込むようなものだ。 梨花(私服): (羽入がここにいてくれたなら……相談できたかもしれないけど) でも、それはできない。望んでは、いけないことだった……。 梨花(私服): ……ごめんなさいなのです。 沙都子(私服): だから、そんな顔で謝らないでよ。調子が狂っちゃうじゃない。 梨花(私服): ……沙都子は、稔の息子を見たことがありますか?名前は、公由怜と言いますです。 沙都子(私服): 公由怜さん……? 直接は見たことがないけど、にーにーと同じくらいで#p興宮#sおきのみや#rに住んでいるとは前に聞いたことがあったわ。 沙都子(私服): 昔はよく、雛見沢に来ていたみたいね。 梨花(私服): 昔? ……それはいつのことですか? 沙都子(私服): ? えーっとダム建設の監督が死んだ年って誰かが言っていたから、5年……いえ、4年前くらい……かしら? 沙都子(私服): 自転車で1人で村に来て、山に入って行くのを見たって。一緒に遊ぶ人がいない、ぼっちさんだったみたいね。 沙都子(私服): 年明けてからぱったり来なくなったらしいから、山の中で動物にでも追いかけられて怪我でもして懲りたんじゃないかとか言われていたけど。 梨花(私服): ……そうですか。 息子がいることは、知っていた。……でも、彼が昔は村によく来ていたことは初耳だ。 梨花(私服): (会って話がしたい……けど、居場所がわからない。それに、古手の娘が公由家の息子に個人的に会いに行ったと知られたら、状況がややこしくなる……) 沙都子(私服): くすくす……なるほどねぇ……。 梨花(私服): ……みー? 沙都子(私服): そう聞くってことは梨花、その人のことが好きだったりするの? 梨花(私服): え? ち、違うのですよ……。 沙都子(私服): いいわよ、今好きなのは圭一さんなんでしょ?任せて、圭一さんには内緒にしてあげるからっ! 沙都子(私服): たとえ過去の話でも、他に好きな人がいたことを今の好きな人に知られたくない! ってドラマでも出てきていたけど、現実にもあることなのね~。 梨花(私服): 本当に違うのです……みー。 沙都子(私服): あぁ、そういうのはいいっていいって!大丈夫、ちゃんと約束するから! 沙都子は最後の里芋を口に運び、もぐもぐと咀嚼して飲み込む。 梨花(私服): (本当に違うんだけど……) 困惑する私の前で、飲み込んだ沙都子があれ? と首を傾げて。 沙都子(私服): ……そう言えば私、あなたと何か約束していなかったっけ? 梨花(私服): やくそく……ですか? 沙都子(私服): 他に、何かしていた気がするんだけど……覚えていない? 梨花(私服): みー……覚えがないのですよ。 少なくともこの世界で目が覚めてから沙都子と約束をした覚えがない。 梨花(私服): (かと言って、以前の私と沙都子の仲を聞く限り何か約束するほど親しい間柄には思えない……) 沙都子(私服): ほんとに?……じゃあ、いいわ。結構大事な約束だったはずだけど……ごちそうさまでした。 梨花(私服): ごちそうさまでした……覚えていないのなら、思い出せばいいのですよ。 沙都子(私服): え、どうやって? 私はごちそうさまのために合わせた両手を沙都子へ伸ばし……。 梨花(私服): ショック療法なのです。こちょこちょこちょ~。 脇腹を素早くくすぐった。 沙都子(私服): ひゃっ! あは、あははははっ!ちょっ、やめなさいよっ! うひひひっ!こんなので思い出すはずないでしょ~っ!! 梨花(私服): こちょこちょこちょなのです~。 沙都子(私服): あははははっ! やめっ、やめっ、ひ~っ! ……笑う沙都子の脇腹を、彼女が降参というまでくすぐりつづける。 私たちの関係は、なにもかもが変わってしまったはずなのに……。 こうしてじゃれている間だけは、昔に戻れた気がして……ううん。 この「世界」の沙都子との関係が……少しだけ、ほんの少しだけど前向きに、変われる気がした。 Part 03: ……もうここまで騒いでしまったら後の祭りだと開き直った私は、沙都子とともに真っ暗な部屋を出ることにした。 沙都子と一緒に、夕飯のお皿を片付けて。かわりばんこに、お風呂に入って……。 「にーにーのを借りてきた」と2つ並べた布団のひとつに仲良くもぐりこんでから、どれだけ時間が経っただろうか。 梨花(私服): (……来た、赤坂……っ) 外から微かに聞こえた車のエンジン音と控えめなクラクションに、私は布団から飛び起きる。 時計を見上げる……少し予定より早い。ひょっとすると、何かあったのかもしれない。 手早く髪を整えて外に出る準備をしつつ、隣の布団で眠る沙都子の寝顔を見下ろす。 沙都子(私服): んん、むにゃむにゃ……。 梨花(私服): ……ありがとう、沙都子。短い時間だったけど、楽しかったわ。 沙都子にはいつ迎えが来るかわからないと言っていたが……実のところその時間は、あらかじめ決まっていたのだ。 私はこれから赤坂と一緒に、一時的に#p雛見沢#sひなみざわ#rの外へ避難する。 雛見沢の外に出てから遺体が見つかった場合、直前に村に出入りした人間が怪しまれる。当然、赤坂なんて真っ先に目を付けられるだろう。 だからそれを逆手に取り、私の偽死体が見つかった後に村の外へ脱出する方法を選択したのだ。 外で見つかった古手梨花の死体を完全否定できない以上、鷹野は村の中に私がいる可能性に思い至っても公に探し回ることはできない……圭一のアイデアだ。 とはいえ、問題は死体が見つかる前後の避難場所だ。 先述にもあったように、以前隠れた園崎家の地下は真っ先に探される可能性がある……。 魅音には危険を鑑みて、家の内装工事という表向きの理由をつけ……一時的に#p興宮#sおきのみや#rのホテルへと避難してもらっていた。 「在宅している方が、敵の目をこちらに向けられる」と魅音にはかなり渋られたが、オトリに使うような真似はできない……。 最終的には、強引に納得してもらわざるを得なかった。 もちろん、この動き自体は公になっているので鷹野の耳にも届くだろう。 梨花(私服): (……お魎が穀倉の病院に検査入院しているからこそ、取れた手段ね) 梨花(私服): (でも、今の時期にお魎が検査入院なんて、私が繰り返した100年では初めてだったような……) 初めてと言えば、入江の葬儀が理由でのこの時期の雛見沢不在も珍しい事象だった。 ……本当を言えば彼にも味方になってもらいたかったが、急な葬儀があって神奈川に行ってしまい相談する時間を取れなかった。 この「世界」の入江は、私が知っている入江と変わらない。 味方に引き込めたら心強いが、万一前の記憶がある場合鷹野は真っ先に入江がこちらの協力者であることを疑う可能性も高く、あまりムリをするわけにはいかなかった。 沙都子(私服): …………すぅ。 眠る沙都子の髪を、そっと撫でる。 梨花(私服): ごめんなさい……。 ……この「世界」の沙都子は、私の親友の沙都子とはまるで違う。 それも当然だ。彼女は試行錯誤しながら母と義理の父親と親子として関係を築き、兄とともに健やかに暮らしている。 梨花(私服): (……最初に顔を合わせた時は、別人だと思った) 私の大好きな沙都子は、もういない。もう私の手の届かない……どこか遠い場所に行ってしまったのだと、思うしかなかった。 梨花(私服): (だから、最初にあなたと出会った時……正直、がっかりしたわ。でも……) 梨花(私服): (あなたが沙都子の名前と顔を持つ全くの別人でも……友達になれて、嬉しかった) 梨花(私服): ばいばい、沙都子……また会いましょうね。 私は後ろ髪を引かれる思いを抱えながら、物音を立てないよう慎重に北条邸を出た。 梨花(私服): ……予定よりも、早い時間ね。何かあったの? 外に出て停まっていた車と人影へ、声をかける。 赤坂たちと立てた作戦を簡潔に述べると、こうだ。 私はしばらくの間北条邸に身を隠し、深夜に東京へと戻る予定の彼の車に乗り雛見沢を脱出する……。 それは、48時間のタイムラグ稼ぎと赤坂への監視の目をごまかすため。ただ、移動はもう少し深夜に行う予定だったが……。 梨花(私服): ……ぇ……? それまで曇っていた空が晴れ……月明かりの下に、車の側で佇む人間の顔がさらされる。 そこに立っていたのは、赤坂ではなく……。 梨花(私服): ッ……鷹野……?! 鷹野(軍服): こんばんは、梨花ちゃん。私たちを騙して死んだふりなんて、いけない子ね……? 梨花(私服): ど、どうして……?なんでここに、私がいるって……?! 鷹野(軍服): それに答える前に、教えて。梨花ちゃん……どういうつもりなのかしら? 驚きと恐怖に頭が真っ白になったが、それでも私は反射的に素早く周囲に目を走らせる。 山狗の姿は見えない……ただ、どこかに姿を潜めているはずだ。 鷹野(軍服): 梨花ちゃん……あなたは私たちが行っている、雛見沢症候群の究明と撲滅に協力してくれているのだと信じていたのだけど……? 鷹野(軍服): これはいったい、どういう真似なのかしら……? 小首を傾げた鷹野の髪が、夜風に吹かれてさらりと揺れる。……その艶やかな仕草に、鼓動が早鐘を打ち始めた。 梨花(私服): (じ、時間を……時間を、稼がないと!) 少し早いとは言え、約束の時間はまだ近づいている。 梨花(私服): (赤坂が来るまで、なんとか時間を……ッ!) ギリと奥歯を噛みしめて……呼吸を整える。 梨花(私服): (思考をクリアに……クールになれ、古手梨花!) たとえ答えがなかったとしても、そのやりとりの分だけ時間を引き延ばせる……今頼れるものは、彼の到着だけだった。 梨花(私服): ぁ……あなたが行おうとしている、『オヤシロさまの#p祟#sたた#rり』を利用した血祭りの儀式……。 梨花(私服): そして雛見沢の人々を巻き込んだ『終末作戦』を阻止するためよ……! 鷹野(軍服): …………。 梨花(私服): 残念ね……鷹野。ここで私を殺しても意味なんてないわ。 鷹野(軍服): 意味……? 梨花(私服): そうよ。『終末作戦』の概要と顛末……さらに実行犯の正体は公安が把握している。 梨花(私服): ……つまり、終末作戦の許可は下りない。鷹野三四……あんたの望む結果には辿り着けない。 梨花(私服): 私の死を偽装した作戦は、作戦中止の確実性をあげるためのものでしかないわ。 自分でも半信半疑どころか、他力本願過ぎて根拠に乏しいとはわかっていたが……とにかく、思いつく限りのことを場に並べ立てる。 確かに公安所属の赤坂は状況を把握しているし富竹も動いてくれているが、終末作戦決行があり得ないとまでは言い切れない。 それでも私は胸を張る! 虚勢を張る!そうでなければ、ここまでのなにもかもがムダになる……! 鷹野(軍服): ……。やっぱり、勘違いをしているのね。 ……だけど。鷹野は私の言葉を聞いても顔色を変えるどころか、苦笑交じりに首を振って見せた。 鷹野(軍服): 私はもう、『祟り』を引き起こそうだなんて考えていないわ。 梨花(私服): ……は……? 鷹野(軍服): ……だってほら、思い返してごらんなさい。 鷹野(軍服): 1年目の現場監督と作業員はともかく、2年目の北条家のご夫妻は?3年目のあなたのご両親は? 鷹野(軍服): そして4年目の……悟史くんは? 鷹野(軍服): みんなみんな、殺されてなんていないでしょう?いなくなった人も、1年目以外はゼロよね……? 鷹野(軍服): 祟りの犠牲者だと言われてきた犠牲者は……全員この村で平和に、ちゃんと暮らしている。祟りを起こす必要なんて、今さらあるのかしら……? ゆっくりと噛み含めるような言葉は確かに事実で……私も、気づいていた。 あぁ……でも、この言い方をするということは鷹野も記憶があるという事実が確定して……。 だけど……それ以上に、この違和感はなんだ?! 梨花(私服): (今目の前にいるのは……本当に、鷹野三四なの……?!) 鷹野(軍服): というわけで……梨花ちゃん。つまりどういうことか、わかるわよね……? 背筋を撫でる恐怖に震えかける足を叱咤する私に、鷹野はうっすらと微笑みかけて……言った。 鷹野(軍服): あなたが記憶している連続怪死事件は、土台からもう綺麗さっぱり……なくなっているのよ。 梨花(私服): ……っ……! 梨花(私服): じゃあ……じゃああなたは、いったい何のために私を殺すつもりなの……?! 鷹野(軍服): くすくす……それも間違い。……殺したりはしないわ、梨花ちゃん。 鷹野(軍服): 私は雛見沢症候群と、あなたの持つ女王感染者の因子で、「世界」の全てを変えるの。 鷹野(軍服): そうしなければ私はともかく、大切な人を守ることができないから……! 梨花(私服): それは、どういう意味……?いったい、何の話をしているの?! 私の問いに答えず、鷹野は淡い笑みを貼り付けたまま腕を軽く振るう。 ――即座に周囲の草むらが一斉にざわめきだす。 梨花(私服): 『山狗』……?! 慌ててポケットに手を伸ばし、『ロールカード』を取り出そうとして……。 梨花(私服): あぐっ?! 後ろからのし掛かられ、ポケットに手を入れる前に腕を掴まれた。 梨花(私服): は、はな……むぐっ?! 開いた口に手ぬぐいのようなものを噛まされ、一瞬息ができなくなった苦しさにもがく間に、ポケットからカードを抜き取られ……?! 梨花(私服): ~~っ……!! 悲鳴は全て手ぬぐいに吸い取られ、暴れる腕は押さえ込まれた。 息苦しさに耐えながら前を見ると、変わらぬ立ち姿の鷹野がゆっくりと目を伏せた。 鷹野(軍服): ……言ったでしょう? 鷹野(軍服): 私はもう、あなたを殺すつもりはない。だって私たちが幸せになるための、大切な大切な……。 鷹野(軍服): 道具なんだから。 山狗A: 運べ……殺すな。慎重にな。 山狗B: はっ! 梨花(私服): むぐっ……うぅ、……ぐぅぅっ……!! 蹴りつけようとした足をあっさりと掴まれ、鷹野の傍らに停まっていた車の扉が大きく開かれる。 ぽっかりと開いたその先は、地獄の底のように真っ暗……落ちたら二度と這い上がれない、蟻地獄だ……! 梨花(私服): んんんーっ!!! 全身で抵抗して逃げようともがいても、私の身体は車の方へと運ばれてやだやだ待ってまってまって……?! 全身の毛穴が開き、冷たい汗が流れる中――カチャン、と場にそぐわぬ軽い音がして。 沙都子(私服): 梨花ぁ……?もう、こんな夜更けに何を騒いでいるのよー。外に出ちゃ、だめなんじゃなかったのー? 梨花(私服): (さ、沙都子……?!) Part 04: 目を覚ましたら、隣に梨花がいなくて……外が、なんだか騒がしい気がした。 沙都子(私服): (梨花……まさか、外に行ったの?見つかっちゃいけないはずなのに?) 眠い目を擦りながら、私は玄関でつま先に靴をつっかける。 靴が悪くなるから、踵を踏むのはやめなさいとよく義父に叱られることを夜風に当たりながら今さらながらに思い出して……。 ……月明かりの下に広がる光景に、硬直した。 沙都子(私服): なっ……り、梨花っ?それに、あなたは……鷹野、さん?! 作業着の男たちに拘束された梨花と、その側には見たことない服装の鷹野さん。 あまりに異様な光景を前に固まる私に、梨花は長い髪を振り乱しながら口元に当てられた何かを吐き出し、顔をくしゃくしゃにして叫んだ。 梨花(私服): っ……逃げて、沙都子っ! 沙都子(私服): ……っ……?! 梨花の言葉に突き飛ばされるように、彼らと反対側へ地面を蹴っていた。 つっかけただけの靴が、足裏をぺこぺこ離れて走りにくくて……って、そうだ。そんな風に靴を履くな、と出かけ間際に義父に叱られたっけ。 だけど、ちゃんと靴を履かなかったことをこんなにも酷く後悔するんだったら、あの言葉をしっかり聞いておけばよかった……! 沙都子(私服): (早く逃げないと、人を呼んでこないと……!そうだ、梨花が危ないって……!) 沙都子(私服): うぁあっ?! 頭上が突然暗くなったかと思うと、突然身体が地面に叩きつけられる。 地面に押さえ込まれたと気づいた時には、もう手も足も動かなかった。 梨花(私服): ら……乱暴なことはしないで!あなたならわかるでしょ?! 梨花(私服): この「世界」の沙都子は何も知らない……私とは一切関係がない!だから、だからだからっ――! 鷹野(軍服): ……ごめんなさいね、梨花ちゃん。 鷹野(軍服): あなたは殺さないと言ったけど……#p雛見沢#sひなみざわ#rの人たちは、約束した1人を除いて全員生かしてはおけないの。 鷹野(軍服): それは、あなたの大切なお友達……沙都子ちゃんもね。 沙都子(私服): ……っ……?! 沙都子(私服): (大切な友達……?でも梨花は私のこと嫌いで、私も……あれ……? あれ……?) 鷹野(軍服): 沙都子ちゃん……あなたのこと、好きだったわ。この「世界」でご家族と幸せそうに暮らしているあなたが、眩しく見えた……羨ましかった。 鷹野(軍服): だから……何も知らないまま、せめてひと思いに逝かせてあげる。 鷹野さんが取り出したのは……映画で見たことがある。 そう……拳銃だ。闇夜の中でも黒光りする先端が、穴が私の方に向けられて……?! 梨花(私服): や……やめてっ!お願い……お願いだから、沙都子だけは……!! 梨花(私服): 嫌、いやいやいやいやいや……いやあぁあぁっっ!! 悲鳴と、大きな音が、聞こえて……目の前が、真っ暗になった。 ……真っ暗な闇が晴れたそこは、夕焼けの世界だった。 そこには、誰かが立っている。全身が傷だらけ、泥だらけになった……。 沙都子(私服): (私……?) あちこちに赤や紫の打ち身跡があって、足元は震えていて……。 目を背けたいくらいに痛々しい姿の私は……なぜか誇らしそうな顔で、梨花の身体を抱きしめていた。 沙都子(私服): ……をーっほっほっほっ。梨花、見ていてくださいまして……?私、やる時はちゃあんとやるんですのよ……。 梨花(私服): えぇ。あなたの勇気、ちゃんと見ていたわ。あなたは勝った。運命に打ち勝った……! 私の身体を抱きしめ返す梨花は、ぽろぽろと涙を流していて……大切な宝物を取り返したような、そんな顔をしていて……。 沙都子(私服): (そうか……梨花が、私を守ってくれたんだ。私が自分から戦えるように、その背中を押してくれた) ……濁流のように流れ込んでくる、惨劇と悲劇の記憶。途切れとぎれに録画されたように、それは断片的だ。 ただ……カケラだけでも理解できるほど、その記憶は暗く、辛くて……苦しいもので満ちていた。思わず目を背けて、忘れてしまいたくなるほどに。 だから……わかる。今私が目の前にしている光景は、幾重もの積み重ねの果てに、ようやく……ようやく辿りついた、奇跡だってことが……! 沙都子(私服): (もしも……) 沙都子(私服): (もしも梨花に同じようなことがあったら、今度は私が守ろう……たとえ、自分の身を犠牲にしても。梨花が戦わなければならないなら、背中を押そう) 沙都子(私服): (どんな形でも、いい……絶対に、絶対に……) 沙都子(私服): (助けるんだ) ……もしも。もしも、次があったとしたら。 地獄の底でもがく私に手を伸ばしてくれた大好きな親友のために、命がけで戦うんだ。耐えるのではなく……戦おう……。 沙都子(私服): (そう、心に決めた……はずなのに) ぱちん、と音がして。世界が夜に包まれて。 鷹野(軍服): 鷹野より本部へ。制圧したわ。 鷹野(軍服): 私の言ったものを準備して。それから、死体がたくさん出るから処分の手配を。死体袋が5つと、血を流すのに水がいるわね。 ……最初は圭一さんだった。次に魅音さん。詩音さん……レナさん。 最後は……私。順番に頭を撃ち抜かれて……。 沙都子(私服): (……それで、終わり) 助けようと、誓ったのに。次があるのならば、と強い意志を固めたのに……! 沙都子(私服): (……私は何もできず、終わってしまった) ……あぁまた、ぱちんと音がして。 ……今度は、大人に抱きつく梨花が見える。 嬉しそうに泣きじゃくる梨花の頭を撫でるその人がどんな顔をしているか……逆光で、見えない。 でも梨花はとても嬉しそうで、幸せそうで……その人が、彼女を助けてくれたことだけは……とりあえずわかった。 その光景を、細かい切り傷を負った私は、少し離れた場所から喜びと同時に……ほんのり悔しさを噛みしめながら眺めていた。 沙都子(私服): 結局……私は梨花を助けるために、ほとんど何もできませんでしたわね……。 沙都子(私服): 最終的に梨花は救われましたけど、一番の親友だと言っておきながら最大のピンチの時にただ見ているだけでしたわ……。 梨花が救われたことは、嬉しかった……それは、当然の事実。 でも悔しくて寂しくて、自分の無力さにひどく腹が立った……それも、必然。 そして私は、相も変わらず無力なまま……助けられたのに、助けられないまま終わったのだ。 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も……。助けてもらったのに……。 沙都子(私服): (私は……1度だって、助けられない……) 沙都子(私服): ……無様の極みですわね。 ぐるっと、踵を反転させ、傷だらけの北条沙都子が声をあげた。 でもその視線の先には、誰もいない。私は、誰に声をかけているのだろう……? 沙都子(私服): (……え?) いや、いることはいる……でも……あれ……あれあれ……? 沙都子(私服): (……もしかして、私……?) 映画の中の人間が、突然こちらに向けて語りかけてきたかのような異常事態を前に驚き……強ばる私に、#p沙都子#sわたくし#rは続ける。 沙都子(私服): こんな情けないていたらくで、よくも梨花の親友などと名乗ることができたものでしてよ……。 沙都子(私服): はぁ……今の私は、とても見られたものではありませんわね。 沙都子(私服): こんなところをねーねーに見られたら心配されますし、圭一さんは変なものでも食べたのかと笑われますわ。 私が私に、ため息をつく……心の底から呆れたように。 沙都子(私服): あなた……今、幸せですわよね? 当然ですわ。だってにーにーが側にいてくれているんですもの。 沙都子(私服): ……で、それで? それで満足なんですの?にーにーを失いたくないから、もう何もしないんですの?あらそうですの、その気持ちはわかりますわ……ですが。 沙都子(私服): にーにーがいるから。失いたくないから。それってぜーんぶにーにーの「せい」にしているだけではありませんの? 沙都子(私服): (なっ……?!) 沙都子(私服): 結局のところ、卑怯で無力な自分と向き合ったわけじゃないではなくてっ?! 沙都子(私服): (……っ……!) 沙都子(私服): 気づいているでしょう?!あなたの手の中にあるものは、ただ与えられただけッ!!あなた自身が強くなって得たものじゃないッ!! 沙都子(私服): それで満足なんですの?! 北条沙都子ッ!与えられたものだけで満足するなんて、いい子すぎてちゃんちゃらおかしくって笑ってしまいますわッ!! 沙都子(私服): (…………) お腹が……いや、ポケットの中が、熱い。 そっと差し込んだ手の中に、チリチリと焼け付くような熱の何かが、固いカードのようなものが指先に触れて……。 沙都子(私服): いつまで眠っているんですのよ……北条沙都子ッ!あの時の後悔を繰り返すつもりですの?! 沙都子(私服): また逃げるなんて許しませんわッッ!! 沙都子(私服): 起きろッ! 戦えッッッッ!誰に言われたからじゃなくてッ! 沙都子(私服): 自分の意志でッ! 戦いなさいッ……!! 目の前で火花が散るように、景色が変わる……変わっていく。 パチパチとパチパチと音を立てながら記憶が……そうだ、知っている私は知っている全部知っている……!! この全てを、目に映るものを……!全身で感じるありとあらゆるものを知っている知っている知っている知っている知っている――!! パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ 鳴り止まないパチパチと言う音は……まるで。 沙都子(私服): (……拍手の音、みたい) だとしたら、拍手の音の中で立ち上がる私は……。 沙都子(私服): ……ちょっとした、ヒーロー気分ですわね。 鷹野(軍服): なっ……?! 梨花(私服): えっ……?! 鷹野の銃が放った弾丸は、私の目には沙都子に当たった……ように見えた。 でもその直後……いや当たらなかったなら、直前?彼女を押さえ込む山狗たちが弾かれたように振り払われ、呟きとともに、ゆらり……と。 陽炎のように、彼女が……立ち上がって……?! 沙都子(私服): 先ほど、梨花を仲間と言いましたわね……鷹野さん。その発言、謹んで訂正を求めましてよ……! 俯いていた顔を上げた沙都子の顔には、傲慢なほど自信に満ち溢れていて……。 沙都子の手品のように手の中に現れた『ロールカード』が、輝きながら武器へと変わっていく……! 沙都子(私服): 梨花は……古手梨花は私にとって、命よりも大切な、大事な親友ッッ!! 沙都子(私服): たとえ神であろうと悪魔であろうと、傷つけるような真似は絶対に許しませんわッッ!! Part 05: 圭一(私服): 赤坂さん、急いでくださいっ! 赤坂: あぁ、わかっている……! 赤坂さんがアクセルを踏み、急加速する車内で夜の闇に目をこらす。 ……48時間作戦が行われる直前、富竹さんが失踪した。 だけどそれは想定内だと赤坂さんは語り、梨花ちゃんには言わないようにと釘を刺された。 ……わかっている。富竹さんの失踪を聞かされても梨花ちゃんにできることはなく、ただ不安にさせるだけだ。 そしてその可能性を、大人たちは既に予期していた……いや、覚悟を決めていたのだ。 圭一(私服): (いざという時の連絡係として強引に同行したけど、結局ほとんど役に立たなかった……クソッ!) サイドミラーに映る後続車……大石さんたちが乗るパトカーを見ながら、自分の無力さに歯噛みする……と、そんな中。 圭一(私服): 見えた、沙都子の家……! 赤坂: 待て! まだドアを開けるんじゃない!今、車を停めるからっ! 急ブレーキを踏んだ車が止まるよりも早く、俺は地面に飛び降り沙都子の家へと走り出す。 圭一(私服): っ……大丈夫か、梨花ちゃん! 赤坂: 遅れてすまない!途中で何者かに足止めを喰らってしまって、車が――なっ? 息せき切って駆けつけた俺の後に続いた赤坂さん……。 大石: こりゃ……どういうことですか? さらにその後を追いかけてきた大石さんまで、声を失った。 周囲には作業服の男たちが転がり、そして……。 梨花(私服): 沙都子……しっかりして、沙都子っ!! 梨花ちゃんの腕に抱かれていたのは、ぐったりと力無く倒れる傷だらけの沙都子だった。 圭一(私服): 梨花ちゃん……沙都子っ……?! 一瞬最悪の予感がよぎり、動けない俺の横をすり抜けるように膝をついた赤坂さんが……地面に膝をつき、沙都子の首筋に指を当てる。 赤坂: ……大丈夫、気絶しているだけだ。少し体温が高いが、呼吸も脈も安定している。 梨花(私服): あ…………。 赤坂さんの言葉に、梨花ちゃんの肩から力が抜ける。……安堵したのか、その両目から大粒の涙がこぼれて嗚咽の声が口からあふれ出していた。 圭一(私服): 梨花ちゃん、いったい、何があったんだ?沙都子の具合もそうだが、ここにいる連中は……? 梨花(私服): ……鷹野の私兵集団、『山狗』部隊よ。私を捕まえて連れ去ろうとしてきたんだけど、沙都子が守ってくれて……。 赤坂: ……じゃあ、この大人数の男たちはこの子がひとりで……?! 梨花(私服): でも沙都子、『山狗』を全部倒した瞬間に糸が切れたように倒れて、意識もなくなって……。 梨花(私服): 『ロールカード』を使って戦っていた時は、あんなにも力を奮ってくれたのに……どんなに呼びかけても、応えなくなったの……。 そう言って、しゃくり上げる梨花ちゃんの言葉にそうか、と頷きかけたが……。 圭一(私服): って……『ロールカード』?沙都子も持ってたのか?!いや待て、それが使えたってことは……! 圭一(私服): つまり沙都子も、記憶が戻ったってことか?!だよな?! そうだよな梨花ちゃん?! 梨花(私服): えぇ、おそらく……。口調は元の沙都子と同じものに戻っていたし、私のことを親友って呼んでくれたから。 梨花(私服): でも、どうして急に思い出したのかも、その後で倒れたのかもわからない……。 鷹野(軍服): ……反動よ。 鷹野(軍服): まさか、そこまで危険な「カード」を沙都子ちゃんが持っていたなんて……さすがに想定外だったわ……。 圭一(私服): なっ……?! はっと顔を上げると、そこには車を背もたれになんとか上体を起こした鷹野さんが座り込んでいた。 ……右手に怪我をしたのか、片手で痛そうに押さえている。 赤坂: ……っ……! 梨花ちゃんと沙都子の前に立ち塞がる赤坂さんに一歩遅れて、俺も彼女たちを庇うために腕に抱え込もうとして……。 ……ゲホッ、と弱々しい咳に違和感を覚えて顔をあげると、暗闇の中で弱々しく光る鷹野さんの目と目が合った。 鷹野(軍服): 心配しなくても……もう、抵抗する気なんかないわ。私にとってはこれが、起死回生の唯一の手段だった。 鷹野(軍服): それに敗れてしまった以上……自分に与えられた運命を受け入れるしかないんでしょうし、ね……。 圭一(私服): 起死回生……?いったいあんたは、何をするつもりだったんだ? ここに至った経緯がまるでわからないものの、それだけでも問わずにはいられなくて、俺は鷹野さんのもとへと歩み寄る。 ……息は絶え絶えで、相当の重傷を負っているようだ。言葉を発するのも、辛そうに見える。 圭一(私服): ……鷹野さん。富竹さんは、あんたのことを……本気で心配していたんだぜ? 圭一(私服): 自分が説得するから任せてくれ、あんたの手を汚させるような真似は絶対にさせないって。なのに……。 鷹野(軍服): くすくす……残念ね。 鷹野(軍服): 私の手は、とっくの昔に血みどろ。その事実は変わらないし、目を背けるつもりもないわ。 鷹野(軍服): それが「悪」を選んだかつての私の矜持と覚悟なんだから……。 鷹野(軍服): 他ならぬ私が、それを否定するワケにはいかないでしょう……? 赤坂: ……。それで、富竹さんは……? 鷹野(軍服): 無事よ……。診療所の地下室に、葬儀からちょうど戻ってきた入江所長と一緒に閉じ込めてあるわ……。 鷹野(軍服): さっさと口封じで殺しておけばよかったのに、できなかった……弱くなったものね、私も……くすくす……。 鷹野さんの笑い声が、夜の中に響き渡る。 ……自分を痛めつけるような、なんだか嫌な響きの笑い声だった。 梨花(私服): け、圭一……。 腕の中でじたばたともがく梨花ちゃんに促されて……抱え込んだことを思い出し、慌てて拘束を緩める。 梨花(私服): …………。 俺の腕から抜け出した梨花ちゃんは、沙都子の身体を俺に預けるようにそっと手を当て、そろりそろりと鷹野さんへと歩み寄った。 圭一(私服): (梨花ちゃんを鷹野さんに近づけて、大丈夫か……?) ちらりと赤坂さんを見ると、姿勢を低く構える彼と目が合った。 いざという時は自分が、と訴える力強い視線に俺は頷き返し、意識のない沙都子を抱きかかえる。 梨花(私服): ……教えて、鷹野。 梨花(私服): もしあなたが、私たちと同じように「世界」を渡り歩いてきたのだとしたら……そこで、何を見てきたの? 鷹野(軍服): あら、どうしてそんなことを言うの……? 梨花(私服): 私が知っている鷹野なら、そんな顔はしない。私が勝った時も、あなたはそんな風に、諦めたように笑ったりしなかった……。 梨花(私服): 最後の最後まで、あがいてみせるという強い意思を見せてきた……なのに……。 梨花(私服): 今のあなたは、どうしたの?いったい何を見たの?!何があなたを変えたのっ……?! 梨花(私服): あなたにこんな暴挙を起こさせるよう仕向けたのはいったい誰なのッ……?! 鷹野(軍服): それは……、っ?! その瞬間、鷹野さんが片手でバンを叩いて立ち上がり、重傷にもかかわらず身を翻す。 圭一(私服): なっ……?! 俺が叫ぶよりも、はるかに早く……赤坂さんが飛び出すより、ほんの僅かに早く……。 ……ガラスを砕くような甲高い音が響き渡る。 鷹野(軍服): がっ……?! ……世界が、スローモーションに見えた。鷹野さんに突き飛ばされた梨花ちゃんを、赤坂さんが受け止める……その向こうで……。 崩れ落ちる鷹野さん……そしてその奥に、長刀を構えるひとりの女の子の姿が……見えた。 雅: …………。 圭一(私服): お……お前はっ……?! 俺が我に返るより早く、大人たちは早かった。だけどそれ以上に、「その子」は天高く跳躍してあっという間に離れていった……! 圭一(私服): た……鷹野さんっ?! 大石: 逃げたのはあっちだ! 追いますよッッ! 赤坂: 待ってください、大石さん!準備もなく追いかけるのは危険です!! 部下を連れた大石さんと赤坂さんが「その子」が去った暗闇の中へと駆けていく。 梨花(私服): た、鷹野……?! 圭一(私服): 鷹野さんっ?! 沙都子をそっと地面に寝かせ、鷹野さんに駆け寄る梨花ちゃんの後に続いた。 鷹野(軍服): ごふっ、ごふっ、げっ、ごふっ……! 鷹野さんが咳き込むたびに、生臭い嫌なにおいと……真っ赤な血が地面に広がっていくのを感じる。 梨花(私服): 鷹野、鷹野! しっかりして鷹野! 圭一(私服): す……すぐに救急車を!そうだ、警察無線なら……っ?! 立ち上がり駆けた服の裾を引っ張られ、振り返る。 そこには口の端を赤く染めた鷹野さんが、梨花ちゃんに手を握られていた。 鷹野(軍服): お、お願いっ……菜央ちゃんを……止めて、あげて……。 喋るのを止めた方がいいのは、素人の俺でもわかる。 でも血の混じった咳を吐きながら、残った力を振り絞るように紡ぐ言葉には聞き届けなければと思わせる……そんな力があった。 鷹野(軍服): 一度手を血で染めてしまうと、その、絶望の闇は心と記憶にこびりついて……絶対に、消えなくなる……。 鷹野(軍服): 私と同じ……死神に魅入られた愚か者として、あの子の願い……叶えてあげたかった、けど……やっぱり……違う、そうじゃない……。 鷹野(軍服): あの子は……あの子なら、きっと……気づく……気づいて、まだ……引き返すことが、できる……私のように、させないで、あげ……っ……。 するり、と鷹野さんの手が俺の服から……梨花ちゃんの手から……こぼれて。 ぱたん……と。冷たい地面に落ちた。 梨花(私服): …………。 梨花ちゃんはぐっと唇を噛みしめ、地面に落ちた鷹野さんの手を拾い上げて……握りしめる。 梨花(私服): 鷹野……あんたは……いえ、あんたも自分の運命を……未来を、変えたかったのね……。 今の俺では、何か理解できない……でも彼女たちの間だけにわかり合える何かが……彼女たちの間でしか、通じない何かが。 そこに存在しているから……俺は、ただ見ていることしかできなかった。 圭一(私服): それにしても、いったい菜央ちゃんの何を止めろって言うんだ……って……。 いや、待て……そもそもなんで、鷹野さんがここにいる? 居場所がバレた?でも事前に居場所を知っているのは俺と赤坂さん、そして梨花ちゃんと沙都子と悟史と……と?! 圭一(私服): まさか、梨花ちゃんの隠れ家を鷹野さんに教えたのは……?! 梨花(私服): ……彼女を探しましょう。手遅れになる前に。 Part 06: 菜央(私服): ……鷹野さんは、もう#p雛見沢#sひなみざわ#rから脱出したのかしら。 脱出したのなら、それでいい。そうでなければ……いや……。 お姉ちゃんは、電話で#p興宮#sおきのみや#r駅前にまで呼び出した。今頃はホームで、あたしの姿を探しているはず。 だから、今……この村にあるのは、それ以外の全て。あたしが切り捨てた、全てだった。 ……ポケットに手を入れる。取り出すのは黒い「カード」。ゴミ山で出会った「あの子」から渡されたものだ。 菜央(私服): (信号弾が、この時間まで上がらない……だとしたら、あたしがやらないと) あたしは、これから……大勢の人を殺す……。この手で大量に、みんなを……。 くらり、と頭が揺れて……一瞬気が遠くなる。 もしも、がちらりと頭を掠めて、でも……でも……でも……! 菜央(私服): お姉ちゃんを、救うためには……それしかないのよ。しっかりしなさい……鳳谷菜央……。 そうだ、それしかない。もう……それしかない。 ……だからあたしは、怒りを燃やす。憎しみを燃やす。 憎しみが火になるなら……感情で村が包めるくらいに燃やして、燃やして、燃やし尽くして……! 菜央(私服): こんな嘘しかない「世界」なんて、なくさないといけないのよ……! 菜央(私服): あたしの大切なお姉ちゃんを不幸に追いやって、一穂や絢花さんの存在を否定する……そんな「世界」は……ッ! 菜央(私服): 全部……全部ッ、全部いらないっ! そう叫びながら、眼下に広がる雛見沢に向けて感情の全てをぶつけるべく足を踏み出した――と、その時だった。 美雪:私服: ――やっと、見つけたよ。 菜央(私服): え……? 聞こえるはずのない声が、聞こえた。いや、でも背後には気配があって、あれ……でも……。 ……恐る恐る、振り返ったそこにいたのは――。 美雪(私服): 久しぶり……菜央。 千雨: 離れてからどれだけ時間が経ったかはわからないから、久しぶりで合ってるかは不安だがな。時差もあったみたいだし。 菜央(私服): み、美雪……千雨っ?!ど、どうしてあんたたちが、ここに……?! #p園崎魅音#sそのざきみおん#r: 私が案内したんだよ。 2人の背後から現れたのは、興宮に避難したはずの……魅音さん? 菜央(私服): ど、どうして魅音さんが?ううん、なんで平成にいるはずの2人がここに……?! 千雨: もちろん、菜央を止めに来たに決まってるだろ。 千雨: お前が「あの子」とやらに思考を誘導されて、馬鹿な真似をしないように……ってな。 美雪(私服): 昭和58年6月……よし、よしっ!戻った! 昭和58年に戻ってきたんだっ! 夕焼け空に染まるゴミ箱に捨てられた新聞の日付欄を見て、私は歓声をあげた。 雨に濡れてガビガビの新聞がこんなにも眩しく神々しく感じるのは人生初だ。……ただ願わくば、もう最後にしてもらいたい。 千雨: そうか、よかったな……で、これからどうやって雛見沢に向かうつもりだ? 美雪(私服): …………。 千雨: 私たちの持つ紙幣は使えないんだろ?時代が違う。小銭だけじゃ、2人分集めても雛見沢までの旅費に足りない。 千雨: ここから徒歩で向かうとしても、#p綿流#sわたなが#rしの日には絶対に間に合わないと思うんだが。 美雪(私服): ……だよねー。まさか移動先が神奈川の神社になるなんて全然思ってなかったよ。 美雪(私服): いや、冷静に考えたら当然なんだけどさ……。 雛見沢から過去に飛んだら、過去の雛見沢に出た。ということは、高天村の神社から飛んだら過去のその村の神社に出るのは至極当然で……。 美雪(私服): (川田さんから逃げようと、慌てて飛び込んじゃったからなぁ……絢花さんとその辺りの話をする暇もなかったし) 美雪(私服): 千雨の言う通り、お札は使えない。小銭は500円玉も製造年によってはギリギリいけるはず。 千雨: よし、手元の金を全部出せ。 美雪(私服): 言い方がカツアゲっぽいよ……。 悪態をつきながら、古新聞の上にお互いの財布の小銭をぶちまける。 ……数えるまでもない。どう見ても足りないことは明らかだった。 美雪(私服): これじゃ、1人分も厳しい感じだねー……。 千雨: あぁ。というかお前、最初の『昭和B』の世界だと活動するための金をどうしてたんだ? 美雪(私服): 郵便局の通帳とカードを持ってたんだよ。昭和58年の春に、お父さんと一緒にお年玉を入金したのが最後のやつをね。 千雨: 親父さんとの最後の思い出って言ってた、アレのことか……? 美雪(私服): そう。お守りのつもりで持ってたんだけど、現地で見つけたATMにダメ元でそれを使ったら、お金を下ろせたんだ……まぁラッキーだったね。 美雪(私服): ただ綿流しの日に、なくしちゃまずいと思って昭和58年の前原くんの家に置いてきちゃったんだよ。……まだ残ってると思う? 千雨: ここがお前の行った「過去」かどうかも定かじゃないんだよな?……期待するだけ無駄だ。 千雨: とりあえず、電車でどこまで行けるか確認するか。 美雪(私服): うん……。 とぼとぼと歩いて見えてきた駅は、昨夜見たものと変わらぬ古さだった。 10年程度では、建物の年季の入り方はそこまで変わらない……のだろうか。 美雪(私服): (この駅、潮風をモロに受けるし古くなるの早かったのか……も?) と、どこまでならたどり着けるかを駅の運賃表を見るために駅舎へ入る直前……古いバス停があることに気づく。 美雪(私服): (10年前って、こんなのあったっけ?) もしかしたら昭和58年から平成5年の間に廃止されたのかもしれないと思って、古びた路線図を覗き込んで……。 美雪(私服): あれ……見てよ千雨、このバス停!これ、ルチーアの最寄りにまで行くみたいだよ! 千雨: 南井さんと一度行ったお前がそう言うなら、確かだろうな……で、それがどうした? 美雪(私服): 例の、秋武灯さん!あの人って、学生時代はルチーアにいたって言ってたよね?! 美雪(私服): 年齢的に、今は中学1年生……!私たちが詩音の友達だって会いに行ったら、お金を貸してくれる可能性があるような……! 千雨: ……美雪。 まくし立てる私の肩を、千雨がぽんと叩く。 千雨: お前さ……自分で言いながら、無理筋だってわかってるだろ? 美雪(私服): うっ……?! 千雨: 冷静に考えろ。もし、私の友人だと名乗る見ず知らずのやつが突然目の前に現れて金を貸してくれ、って言い出したら……。 千雨: お前はどうぞ、って簡単に渡したりするか? 美雪(私服): いや、それは……けど、それしかお金を調達する方法ってないでしょ?! 美雪(私服): 東京の社宅に戻ったって、お母さんたちは絶対信じてくれないよ。 美雪(私服): げんに昭和58年に現れたお父さんも、うちの美雪は5歳で東京の家にいるって信じてくれなかったし! 千雨: それに加えて、運良く社宅に戻れたとしても私たちは5歳の自分と鉢合わせるワケか……。 千雨: 映画とかだとそういう場合、片方が消えるってのが定石だったな。タイムパラドックスってやつとかで。 美雪(私服): もちろん、それもある!万が一があるから、東京には戻れない……!だけど……ッ……。 美雪(私服): 灯さんの性格が生まれつきなら、最悪信じてはもらえなくても面白がってくれる可能性……ない? 千雨: あー…………。 すいっ、と千雨の視線が泳ぐ。 千雨: ……あの人だったら、ありえるかもな。 美雪(私服): 勝ち目のない賭けじゃない!きっとあの人だったら、10年前も現在と変わらず非常識人でいてくれるはずだよっ! 千雨: 最初っからジョーカー待ちなんて、素人ポーカーでもやらない手だぞ……? ……と、若干どころか希望的観測だらけの決断で私たちはしばらく待ってからやってきた路線バスに乗り込み、ルチーアに向かって……。 ……当然のように、バス停を下りる頃には既に外は真っ暗。大きな通用門も完全に閉まっていた。 美雪(私服): さて、どうやって灯さんと連絡を取ろうかなぁ……あの学校って警備がメチャクチャ厳重だったから、会うのが最大難関だと思うけど。 美雪(私服): (最初にルチーアに行った時は、南井さんが一緒だったからなぁ……って、あれ?) 10年前と変わらぬ高い柵を見上げながら、内心で首を傾げる。 美雪(私服): (もしかして、南井さんがルチーアに防犯講習に行ったのって、学校側からの要請じゃなくて卒業生の灯さんが直接頼んだから……?) 美雪(私服): (そういえば、社宅の真由姉ちゃんが言ってたっけ。女子高から共学の大学に進んだ子と知り合って、友達になったけど……) 美雪(私服): (その子は在学中、「女子校出身者は男に免疫がなくて楽勝」って噂を真に受けた男にまとわりつかれて、大変だったって) ルチーアは大学もあるようだが、調べたところ大学は外部を選ぶ人も結構多いらしい。 女子校で全寮制のお嬢様学校出身者……凄い偏見だとは思うけど、確かに世間知らず感が漂う肩書きだ。 美雪(私服): (何も知らないところにつけ込まれて犯罪に巻き込まれないとも限らないしなぁ) 灯さん本人は物事を知りすぎている方だと思うが、だからこそ後輩を心配して南井さんに防犯講習を頼んだのかもしれない。 ……そう考えれば、本来の管轄である神奈川県警を飛ばして東京の広報センターの南井さんが講習に訪れた理由も理解できた。 美雪(私服): (最初に来た時は、一穂の記録が見つからなくてパニックになっちゃったから……そんなことを考えている時間が無かったんだよね) それを考えると、今はまだ冷静に状況を見ることができている、と言ってもいい……かもしれない。 千雨: あの明かりがついてる建物が……学生寮か?とりあえず、朝まで待つしかないな。 美雪(私服): だと思う。今から直接行ったら、さすがに時間が遅すぎて怪しまれるし……ちょっと離れた場所で野宿がベストかな? 千雨: だな。夜が明けるまでに会うための言い訳と、金を借りるためにどうするかを考え……ん? 美雪(私服): どうしたの? 千雨: あっちが、騒がしいな……覗き魔でも出たか?ふん捕まえて学校に恩でも売るか。ちょっと行ってくる。 美雪(私服): あ、待って待って! 千雨のあとを追いかけて校門の壁沿いに進んでいくと、やがて話し声のようなものが聞こえ、そして……。 千雨: おい、誰か囲まれてるぞ? お前は下がってろ。 美雪(私服): えっ……ほんとに?こんな時間に、いったい誰が……って……?! 詩音: えっ……? 千雨の肩越しに見えた、複数の黒服の男たち。その中心で囲まれていたのは……。 美雪(私服): し……詩音っ?!キミ、なんでこんなところに……?! 詩音: ナイスタイミングです、美雪さん……と知らない人!詳しいことは後にして、手伝ってください! Part 07: 黒い服の男たちは、多少強引な行動を取っても乱暴までする気は最初からなかったのだろう。 思ったよりも軽く彼らを叩きのめして私たちは、詩音を連れて山の中へ逃げ込んだ。 千雨: ここまで逃げれば、そう簡単には追っかけてこないと思うぞ。……大丈夫か、美雪? 美雪(私服): はぁ、はぁ……ちょっと、詩音……さっきの連中って、いったい何だったの? 詩音: ……園崎家の手の者です。私をルチーアの中に閉じ込めて脱出できないよう、お姉が手を回していたようです。 美雪(私服): えっ、園崎家……ってことは、身内の人たちっ? 千雨: ……話がよく見えないんだが。あんたって、#p雛見沢#sひなみざわ#rの……園崎家の人間なんだよな。なのに、なんで姉貴にそんな仕打ちをされるんだ? 詩音: ……自己紹介もおざなりでどうもですが、私はお姉に警戒されているんですよ。 美雪(私服): 警戒? 詩音: 正直、私も状況の全部は見込めていないんです。……ただお姉が言うには、私はみんなと敵対して一穂さんたちを殺そうとしたらしいんです。 美雪(私服): て、敵対って……なんでそんなことを? 詩音: わかりません。私が覚えているのは、美雪さんと一穂さんと菜央さんを未来へ送り返すまでで……でも。 詩音: どうやら私の知らないその後の私があったそうで……と。そっちの詳細は、駅に向かいながらお話しします。 詩音: それより美雪さん……このままだと、菜央さんがヤバいです。最悪の事態に陥らせないため、私と手を組んでください。 美雪(私服): え……ちょっと待って?! 菜央に何があったのさ?! 千雨: ――おい、待て。 身を乗り出した私と詩音の間に、千雨が割り込む。 千雨: 悪いが……私はあんたとなじみがないんでな。他人の言葉にはいそうですか、と従う気になれない。 千雨: 何がどうなって、菜央がヤバい状況になる?そして、なぜあんたがそのことを知ってるんだ? 詩音: 雛見沢が今どうなっているのかは、葛西……私の身内から逐一情報が入ってきていましてね。 詩音: で……美雪さんにお伺いします。もし、レナさんが犯罪者として裁かれることになったら……それを知った菜央さんは何を考えて、どう動くと思いますか? 美雪(私服): は……?! 詩音の説明は手短で、端的で……それでいて、最悪だった。 キャバ嬢の間宮リナと、沙都子の叔父である北条鉄平がレナの父親に結婚詐欺を働き、大金をだまし取ろうとして彼女の手にかかって殺された……以上。 千雨: 美雪の話と、竜宮レナの印象が大分違うな……なんと言うか、ずいぶんとアグレッシブじゃないか。 病院で静かにミサンガを編んでいたレナしか知らない千雨にしてみれば、気弱そうな印象だったのだろう。 勿論、私も動揺している……でも、レナのお父さんが狙われた理由には、正直心当たりがあった。 美雪(私服): (狙われたのは、菜央のお母さんが渡した……慰謝料か) 菜央が住むマンションは、豪華で高級感が漂っていた。今はともかく、昔は羽振りが良かった時代があったのはほぼ確実だろう。 だとしたら、浮気の慰謝料だけでも莫大な金額が支払われたのだと容易に推察できる……。 詩音: お姉も色々と手を回したみたいですけどね……あまりに動機と情況証拠が揃いすぎてまして。 詩音: 警察は完全に、レナさんを容疑者として目星をつけているそうです。ですから遅かれ早かれ、そのことは菜央さんの耳にも入るでしょう。 暗闇でもそうとわかるほど詩音の顔が歪んでいく。 詩音: そうなれば「あいつ」が接触して、彼女の心のスキを利用してくるかもしれない……! 千雨: 「あいつ」って……誰のことだ? 詩音: 名前は知りません。いえ、教えられたはずなんですけど……どうしても、思い出せないんです。 詩音: ただ、1つだけわかったことがあります。 詩音: 「あいつ」は大切なものを守りたいという心につけ込んで闇の力をばらまき、雛見沢を……いえ、この「世界」を壊そうとしているんです。 詩音: ……これ以上、苦しむ人間を増やしたくない。なんとしても終わらせなきゃダメなんです……! 千雨: …………。 千雨が視線だけでどうする、と尋ねてくる……やや疑わしげな色を込めて。 美雪(私服): (確かに今の詩音の説明には、穴が多い……でも) 私をまっすぐに見つめる詩音の瞳には、悲しいほどに深い後悔と苦渋がにじんでいて。 仮に……仮に詩音は、私たちに対して何かその場しのぎの嘘をついているとしても……。 この必死の訴えだけは、本物だと……真実だと。そう思いたかったし、信じたかった。 美雪(私服): ……わかった。信じるよ。 菜央(私服(二部)): …………。 村を背にした菜央は、ずいぶん疲れているように見えた。いや、疲れて当然だ……そしてそうなってしまったのは。 美雪(私服): (……私が、菜央を昭和58年に送り出したからだ) そうだ、私が行かせたのだ。だとしたら私には、菜央を止める責任がある……! 美雪(私服): ……事情は聞いたよ。 美雪(私服): 今のレナの状況……何がどうなってるのかは「詩音」から又聞きして知っただけだから、全部理解できてるとは言えない……けど……。 美雪(私服): キミがレナを助けたいって気持ちは、よくわかる……私だってお父さんが人を殺したって聞いたら、何かの間違いだと思って即座に否定すると思う。 美雪(私服): そして、否定できないほどの事実と現実が立ち塞がったら、悪魔の囁きに耳を傾けてしまうことだってあるかもしれない。でも……! 千雨: なぁ、菜央。確かにこの「世界」を壊してしまえば、竜宮レナの罪はなかったことにできるかもしれない。 千雨: ……けど、本人のことはどうするつもりなんだ?彼女に解消できない罪の記憶を持ったまま、これから先をずっと生き続けさせるつもりか? 千雨: それで幸せになれると、本気で思ってるなら……そいつは違うって、はっきりと言ってやるよ。 千雨は静かに……でも、力強く断言してみせる。だって私たちは、確かにこの目で見たのだから。 状況は違うかもしれない……けど、たった1人生き残ったレナが10年後……どんなふうになってしまうのか。 美雪(私服): (あれを……あんなのを私たちは、幸せだなんて思いたくない……!) 菜央がレナを逃がして生かしても、その先で彼女を待つのは生きているんじゃなく……「生かされて」いるだけの、袋小路だ。 少なくとも、そんな姉の未来を心優しい菜央が望んでいるとは思えない……というより、私が思いたくなかった。 菜央(私服(二部)): ……? 何を言ってるの?お姉ちゃんは、なんにもしてないじゃない。 私の言葉に、菜央は首を傾げる。わざとらしい……人形のような、仕草。 菜央(私服(二部)): 今のレナちゃんの中には、礼奈ちゃんがいるのよ。だから、自分が実際に殺したわけじゃないのに……その記憶を無理矢理に引き継がされただけなの。 菜央(私服(二部)): なのに、どうして罪を償わなくちゃいけないの?……何もしてないのに? おかしいじゃない。 美雪(私服): その理屈はわかるよ。でもさ……。 菜央(私服(二部)): それに……この「世界」にいる人たちはみんな、みんな、本物じゃないわ。おかしいのは、こっちの「世界」の方。 菜央(私服(二部)): 消えるのは、こっち……当然でしょう? 美雪(私服): え……? どういうことかと尋ねるより早く、菜央の形相が悲しげなものに変わっていく。 菜央(私服(二部)): ごめんね、美雪……梨花は、もう手遅れだった。 菜央(私服(二部)): あんたの恩人は、最初の昭和の梨花と同じ……!別の何かに乗っ取られて、偽者になっちゃった……!! 美雪(私服): は……? 反射的に私たちの背後に立つ詩音を見ると、驚いたように首を横に振っていた。……これは、今の菜央の言葉を否定している? 美雪(私服): (つまり詩音には、梨花ちゃんが本物に見えたってこと?え……じゃあなんで菜央は、偽者だって主張するの?) 千雨: 菜央ちゃん……ちょっと冷静になれ。その偽者ってのは、なんでそう思ったんだ?何を本物として、本物と何が違う? 菜央(私服(二部)): だって……だって梨花は、私に親戚はいないって言ったの! 菜央(私服(二部)): おかしいのよ! 絢花さんがいるのに知らないなんて!知らないはずがない! 梨花が偽者だって証拠よ!! 菜央(私服(二部)): 一穂のこともいないって言うの!変よ! おかしい!一穂は「い」るの! 「い」たのよっ!なのに否定するの、おかしいじゃないっ! 菜央(私服(二部)): ほら、これだけ証拠が揃ってる……!あの梨花は……ううん、この世界は全部ニセモノだらけになっちゃったのよ! 菜央(私服(二部)): 梨花だけじゃないっ! 後ろにいる魅音さんも、あの前原さんだって……本物かどうか、怪しいわ!偽者じゃなくても、操られてる可能性が高いっ! 美雪(私服): 菜央……菜央? ねぇ、ちょっと待って……? 絢花さんと一穂に関する話は、確かにおかしい。矛盾めいたものを感じる。けど、けど……! 美雪(私服): (それだけだと、梨花ちゃんが偽者だと断言する根拠にはならない……!) なのに、どうして菜央は証拠がある、だなんて断言できる……?まして、正しいと信じられる……っ? 背後にいる魅音のふりをした詩音はともかく、前原くんたちがニセモノだという可能性については疑惑を抱いた理由すらも曖昧なのに……?! 美雪(私服): (いや、違う……! まるで真実になってないのに、それが事実だと信じかけてるんだ……!) めちゃくちゃなことを言ってるのに菜央の中では全てが繋がっている……いや、そう「思い込んで」いる?! 菜央(私服(二部)): あ……あれ? う、ううん……違う違う……あんたたちは違う! 菜央(私服(二部)): こんなタイミングよく美雪と千雨が現れるはずがない!そんなのおかしい、おかしい、おかしいおかしい……! そうまくし立てた菜央は、自分の首をガリガリと引っ掻いき始めたと思うと、突然停止ボタンでも押したかのようにピタリ……と止まり。 菜央(私服(二部)): ……あぁ、そっか。 目を伏せた菜央は、手をポケットに入れて……おもむろに中から「それ」を取り出した。 美雪(私服): (あれは、カード……?) 菜央の手にした「カード」。そこからドロドロと何かが……えっ?! 美雪(私服): (なんだ、あれ?!) 宵闇の中でもそうとわかるほどにカードから黒い何かが溢れて、菜央の身体を飲み込んで……?! 菜央(私服(二部)発症): ……そう。 再び開いた菜央の瞳は、見たことのない色を携え……私たちを睥睨していた。 菜央(私服(二部)発症): あんたたちも、偽者なのね。そうよね……こんな都合のいいタイミングで2人が来てくれるなんて……おかしいもの。 菜央(私服(二部)発症): 騙されないわよ、偽者めッ!たとえ美雪や千雨の姿をしてても、あたしは容赦しないんだからッ!! 菜央(私服(二部)発症): お姉ちゃんを守れるのは、あたしだけしかいないんだからッ!!! 美雪(私服): な……菜央っ?! 美雪(私服): (ダメだ! もう声が届いてない!) 千雨: ……おい、菜央ちゃんの利き腕はどっちだ。それだけは、なるべく無傷ですませてやる。 美雪(私服): いや、今の菜央に手加減なんてムリだ!逆にこっちがやられる! ……もちろん、その程度のことを千雨がわからないはずもない。 でも無茶を承知で、裁縫が好きな菜央のためにせめて利き手だけでも無傷で無力化させようと考えてくれているのだ。 とはいえ、ダメだ……わかる!今の菜央に、私たちだけで太刀打ちできるか怪しいって! 美雪(私服): (全力でやっても、勝てるかどうか……!) 体中の細胞が撤退を掲げて、震える喉が逃げようと言い出すのを無理矢理抑えているような状況で……! 美雪(私服): (……どうする?! どうする?!私に、私程度に……今の菜央を抑えられる?!) 魅音、レナ、梨花ちゃん……みんなと敵対した時は、今よりもずっと仲間が多くて……そして何より、真っ先に一穂が切り込んでくれた。 でも今は、本当に味方が少ない。……一穂もいない。 美雪(私服): (できるの、私に……?!) このままがむしゃらに向かって、千雨を失うわけにはいかない。 でもわかる! 断言できる! ここで立ち向かわなければ菜央は……!生意気で可愛い私の小さな友達は、永遠に失われてしまう……! 美雪(私服): (どうするどうするどうするどうするどうする?!) ……不意に。 恐怖と緊張で強ばる首筋を、ふわっと。温かくて優しい風が、そっと撫でて――。 一穂: 『――大丈夫。美雪ちゃんなら、できるよ』 美雪(私服): (……一穂?) どこからか、懐かしい声が聞こえた気がした。 ……ただの幻聴だ。わかってる。 でもその声は、私の身体からゆっくりと、恐怖とこわばりを、取り去ってくれて。 美雪(私服): …………。 私はふーっと細く長く息を吐き出し……自らの『ロールカード』に、触れた。 美雪(私服): ……わかった、やる。やってみる。 詩音(魅音変装私服2): あんたにだけ、重荷は背負わせませんよ。ここまで来た以上、一蓮托生です……! 千雨: 後ろは気にしなくてもいいぞ。前だけ見て好きにやれ、美雪っ……! 美雪(私服): ……うん。 あぁ、そうだ……私は1人じゃない。少なくとも菜央に戻ってきてほしいと考えている人間が、あと2人もいる。 美雪(私服): (大丈夫、大丈夫だ……やれる、いや、やるんだ!) 美雪(私服): (そうじゃなきゃ、いろんな人の手を借りてここまで来た意味がないだろぉがっっっ!!!) Part 08: 美雪(私服): …………っ!! ……最後の一撃のために踏み込んだ後の感覚は、なんだかとても曖昧だった。 まるで身体が自分のものじゃないような……でもそれがなんだか、とても心地いいような。 ただ……手のひらから伝わる衝撃は明白で、恐ろしいほどにハッキリしていた。 菜央(私服(二部)発症): きゃあああああああっ!!! 菜央の手から離れた黒い「カード」が宙を舞い、ヒビ割れ、粉々に砕けたかと思うと……空気の中へと溶けるように消えていく。 美雪(私服): ――終わった! 勢いをつけてもう一歩踏み込み、腕を伸ばしてカードとともに吹き飛んだ菜央の身体を抱き留める。 美雪(私服): っ、とぉっ!! 自分で傷つけておきながら、ひどくおかしな光景だと感じるけれど……でも少なくとも、もう戦う必要はない。 それだけは、間違いなく確定。でもそれだけで、私たちは十分だった。 美雪(私服): 菜央っ……!! 傷だらけになった菜央を抱き起こし、必死に呼びかける。 背後に千雨たちが駆け寄る音が聞こえたけど振り返るという選択肢はハナから存在せず、私は必死で彼女の名前を呼び続けた。 菜央(私服(二部)): ……ぅ……。 やがてうっすらと開いた菜央の瞳は、元の色に戻っていて……大きな瞳からぽろり、と涙が落ちた。 菜央(私服(二部)): ……。本物の、美雪なの……? 菜央(私服(二部)): ううん、そんなわけない……だって、そんな……美雪が助けに来てくれるなんて、都合のいいことが、偶然起こるはずがない。嘘よ……。 美雪(私服): そうだよ、都合のいいことは偶然起こったりしない……絢花さんが、私たちをここに送り届けてくれたんだ。 菜央(私服(二部)): 絢花さん……えっ? 涙が止まり、大きな瞳が一回り見開かれて。 菜央(私服(二部)): 絢花さん、生きてた……の? 美雪(私服): 私が会ったのは、平成5年の世界で生きてる絢花さんだよ。一度死んじゃったけど、私のいた「世界」に飛ばされて大人になって……。 美雪(私服): 私たちを……ここに、菜央を迎えに来させてくれた。 菜央(私服(二部)): ……っ……。 美雪(私服): 絢花さん、菜央に会いたがってたよ。 菜央(私服(二部)): ……嘘よ。だって絢花さん、あたしのことを恨んでるはずだもの。 ぎゅっ、と。菜央の小さな手が私のキャミソールの胸元を握る。 菜央(私服(二部)): あたしが……あたしが、余計なことしたから!お祭りを成功させて、村の人とも上手くいくかも、幸せになれるかもなんて余計な希望を持たせて悲しませた! 菜央(私服(二部)): あたしが苦しませたのに、絢花さんが恨んでないはずないのよっ!! 美雪(私服): ……それこそ、嘘だよ。 菜央の頭に手を置く。いつの日か撫でた時と同じ、柔らかい感触。 美雪(私服): 絢花さん、菜央を恨んでなんてなかった。10年間……ずっとずっと菜央と一穂に会いたがってた。 美雪(私服): 絢花さん本人も、菜央に会いに来たかったと思う……でもね、それを我慢して私たちを行かせてくれたんだ。 菜央(私服(二部)): なによそれ、そんなの、そんなの……! 菜央(私服(二部)): 絢花さんが恨んでないなんて、会いたいと思ってくれたなんて、そんなの、そんなの……! 菜央(私服(二部)): あたしにとって、都合がよすぎる……! 菜央の背中がわななく。 その表情が、信じられないとこわばっている。……でも、それ以上に私の言葉を信じたい気持ちがせめぎ合っているのかもしれない。 美雪(私服): 菜央は私の存在ごと、絢花さんの言葉を嘘にしたい? 菜央(私服(二部)): ひっ……卑怯よ、その言い方……!嘘なんかにしたいわけないじゃない……ッ! ぐっと喉を詰めた後、菜央は私の胸に頭を押しつける。猫が甘えるみたいな仕草だな、とぼんやり思った。 菜央(私服(二部)): 美雪……あんた、なんで傷だらけなのよ……あぁ、そっか……あたしがやったんだ。 菜央(私服(二部)): 痛い……? 美雪(私服): ちっとも。 菜央(私服(二部)): ……嘘つき。 うん、嘘だ。正直、身体のあちこちが痛い。でも……私の嘘は、これでいいんだ。 美雪(私服): 菜央は、全部嘘がよかった? 菜央(私服(二部)): い……いや……いや、……いやよ。 菜央(私服(二部)): 美雪がここにいるのも、絢花さんが恨んでないのも、本当が……いい……! 嘘は、嫌……! 菜央(私服(二部)): でも……! 菜央(私服(二部)): ……お姉ちゃんの罪は、嘘がよかった……! 菜央(私服(二部)): 礼奈お姉ちゃんを、助けたかった……!何にも悪いことなんてしてないのに、酷い目に遭って悲しい思いをさせられて……! 菜央(私服(二部)): あたしにできることなんて、これくらいしか……ッ!」 美雪(私服): ……菜央。さっきも言ったけど、私だって巡り合わせが悪かったら同じことをしてたよ。 美雪(私服): 大切な人の罪を否定するために、自分が罪を重ねて……でも、それじゃきっとダメなんだよ。 美雪(私服): 少なくとも私が知ってるレナは……空腹の私にご飯をくれたレナは……。 美雪(私服): 妹を犠牲にした未来じゃ、幸せになんてなれない。 菜央(私服(二部)): なんで……なんでそんなこと断言できるのよ!見てきたわけでもあるまいし! 美雪(私服): ……見てきたんだよ。1人だけ生き残ったレナを。 菜央(私服(二部)): ……ぇ……? 美雪(私服): 暗い病室の中で、たったひとり……一言も話さず、誰にも顔を向けることなく……ミサンガを編み続けてた。 菜央(私服(二部)): なっ……?! 病院で見たレナが菜央を犠牲にしたと言うのは、半分以上、私の単なる憶測だ。 でもこの状況を鑑みるに、詳しい部分はともかく大まかな部分は当たっているように思える。  ……そうでなければ、菜央の名前を出した時にレナはあんなにも激しく取り乱さなかったはずだ。 美雪(私服): (レナはそんなことを望んでいなかった。だから、あんな風に……壊れてしまったんだ) 美雪(私服): 菜央……質問させて。仮に菜央の言う通り、梨花ちゃんも前原くんもみんなみんな、#p雛見沢#sひなみざわ#r全員ニセモノにすり替わってるとして……。 美雪(私服): レナがそれを知らない……いや、知ってたとしても認めていないなら、レナにとって全員本物じゃないの? 菜央(私服(二部)): …………! 美雪(私服): 菜央が何を見てきたか知らない私には、何がニセモノで何が本物かわからない。けど……! 美雪(私服): 雛見沢と菜央が犠牲になって全部消えた後、レナはどうやって嘘と本当を見分けて納得するのさ……?全部失ったら、調べる方法なんてほぼ無いのに? 美雪(私服): そんな不可解と失望、後悔だらけの現実の中で、幸せになってくれるって……キミは本気で思うの……っ? 菜央(私服(二部)): ……………………。 腕の中で菜央が小刻みに震えて……止まって。 菜央(私服(二部)): あ……あれ、……あれ……っ? 菜央(私服(二部)): なんで、あたし……あたし、なんで、そんなこと、気づかなくて、なんで、なんで……?! 美雪(私服): 菜央、菜央ちょっ、菜央! 落ち着いて……! ガタガタと震える菜央を落ち着かせるように強く抱きしめる。と、その時――。 千雨: おい、誰か来るぞ?! 千雨の鋭い叫びが耳をつんざき、私たちは同時に全身がびくっ、と弾けるほど驚いて息をのんだ。 美雪(私服): (えっ、新手?! 待って、連戦は勘弁……え?) 身を低くして構える千雨たち。その視線を辿った先に荒い息とともに現れたのは。 レナ(私服(二部)): はぁ、はぁ、はぁっ……! な、菜央ちゃん! 菜央(私服(二部)): お、お姉ちゃん……っ?どうして、ここに……?! レナ(私服(二部)): はぁ……あははは……はぁ、はぁ……ど、どうしてだろうね。 レナ(私服(二部)): 理由はわからないけど、ここに来なくちゃいけないって……呼ばれた気がしたんだ。 レナ(私服(二部)): 早く早くって、声が聞こえて……ここまで来ちゃった。 レナは千雨や私に目をくれず、腕の中で震える菜央を見て、微笑んで。 レナ(私服(二部)): ……聞いて、菜央ちゃん。 レナ(私服(二部)): 私……やっぱり、自首……するね。 ひっ、と。腕の中で菜央が全身を引きつらせた。 菜央(私服(二部)): し、しなくていい!あ……あたしが、あたしがなんとかするからっ! 菜央(私服(二部)): だって、だって……ッ!犯してもいない罪を償うなんておかしいでしょっ?! レナ(私服(二部)): ううん……私の罪だよ、これは。少なくとも……菜央ちゃんの罪じゃない。 ……ずいぶんと急いできたのだろう。レナの足はふらふらとしておぼつかない。 でも、自らの足で私と菜央の元へやって来ると膝を地面につけ、菜央の頬に触れた。 レナ(私服(二部)): ごめんなさい、菜央ちゃん……決心したつもりだったのに、私は意地汚く逃げることを考えてしまった。 レナ(私服(二部)): 私ね、わかってたんだ……菜央ちゃんは私のために何かする気だって……そのために、自分を犠牲にするつもりだって。 レナ(私服(二部)): その優しい気持ちを無駄にしたくない……なんて、自分に言い訳して。 レナ(私服(二部)): あなたが助けてくれるって言葉に、助けたいって気持ちに甘えたくなってしまったんだ……ごめんね。 すり、とレナの手が菜央の頬を優しく撫でる。 レナ(私服(二部)): 私は……自分のために自分に嘘をついて目をそらし続ける……卑怯者だった。お父さんのことを、責める資格なんてなかった……。 レナ(私服(二部)): だから……ごめんなさい、菜央ちゃん……。 菜央(私服(二部)): やめて……やめて、謝らないで!お姉ちゃんは、悪くないわ……! 菜央(私服(二部)): だって、この「世界」に来た時にはもう、最悪の状況になってたじゃない……!なのに、なのになのになのに……ッッ!! 菜央(私服(二部)): なんでお姉ちゃんが、罪を償わなきゃいけないのよッ……!お姉ちゃんは、こんなこと望んでいないのに……ッッ!!! 美雪(私服): 菜央……。 腕の中で菜央が崩れ落ちる。 私は状況をぼんやりとしか把握できていない……でも。目が覚めたら自分が見知らぬ他人を殺していてそれを自らの罪として受け入れなければいけないなんて。 私ですら不条理だと思うのだから、菜央が憤らない理由がないのだ。 母の慰謝料が狙われた原因だとすれば、菜央が自分が生まれてきたせいだと自らを責めてしまう……。 私にとってはそれも不条理だけど……ある意味当然の流れかもしれない。 美雪(私服): (でも……それは、菜央が罪を肩代わりする理由にはならない) レナ(私服(二部)): 違うよ、菜央ちゃん……私が望んだ……望んだから、やったんだよ。 レナ(私服(二部)): 私は、礼奈でもあって……レナでもあるから、わかるんだ。 疲れ切った顔で……でもどこかすっきりとした色を浮かべながら、レナは言葉を紡ぐ。 レナ(私服(二部)): ……憎しみと苦しみの連鎖は、どこかで終わらせなきゃいけない。 レナ(私服(二部)): レナは傷だらけで、ボロボロで……休ませてあげないと。だから……レナの代わりに、礼奈が……私が終わらせる。 レナ(私服(二部)): だってここで私が逃げたら、菜央ちゃんまで不幸になっちゃうからね……。 レナが手を伸ばし、私はその腕に菜央を委ねる。 レナ(私服(二部)): これ以上……私のために、あなたが傷つかないで。 菜央(私服(二部)): …………。 レナの腕の中で、菜央は戸惑いながら遠慮がちに姉の顔を見上げていた。 レナ(私服(二部)): ……あなたが私に幸せになってもらいたいと思ってくれているように、私も菜央ちゃんの幸せを願いたい。 レナ(私服(二部)): そのために……レナも頑張るから。菜央も、頑張って……ね? 菜央(私服(二部)): お、お姉ちゃん……ッ……! レナ(私服(二部)): 大丈夫。私はちゃんと、戻ってくるよ。 レナ(私服(二部)): だってここには大好きなみんなと……大切な妹が待ってくれているんだからね……。 美雪(私服): (妹……?) 菜央(私服(二部)): 礼奈ちゃん……気づいて……? 同じことを思ったのか、菜央の声が戸惑いに揺れる。 レナ(私服(二部)): ……やっぱりそうだったんだね。赤ちゃんが生まれて、お母さんが出て行ったって聞いた時からなんとなく……そんな気がしたんだ。 レナ(私服(二部)): もしそうなら素敵だなって思ったけど……あははは、やっぱりそうだった。 菜央(私服(二部)): なんで……なんで、そう思ったの………? レナ(私服(二部)): そうだね……もしかしたら、私が本当の意味で、菜央のお姉ちゃんになりたいから……かも。 レナ(私服(二部)): だって……。 レナの手が、菜央の頭を撫でる。 レナ(私服(二部)): こんな可愛い妹が待ってくれるなら、どんな辛い罪滅ぼしでも……乗り越えられるって、思うから。 レナ(私服(二部)): だから……待ってて。 菜央(私服(二部)): う、う……ぅ、ぅ……! 菜央の目が大きく見開かれて……細められて。ぽろりと、涙が一つ落ちたのを皮切りに 菜央(私服(二部)): うぁぁぁあああああああぁぁぁああああああああああああああああああああああああああっ!! 泣きじゃくりながら、菜央がレナに抱きつく。それに対して彼女は少し遠慮がちに……でも、優しく妹を抱き返していた。 レナ(私服(二部)): …………。 ふと、レナの視線が私に向けられる。……どこか遠慮がちに尋ねるような瞳に、頷き返す。 彼女が帰ってくるまで、側にいるくらい私にとって簡単なことだ……菜央が望めば、という前提はつくけれど。 レナは嬉しそうに頷いて、再び妹の背中を優しく撫でる。 ……私はそれを見ながら、眩しさに目を細める。 泣く妹を、優しく慰める姉……そんなありふれた微笑ましい光景を私が目にするのは、二度目だ。 でもその光景の再演が、どれほど多くの想いの上に成り立っているか……言われなくとも、理解しているつもりだった。 美雪(私服): (……よかったね、菜央) 遠くの方に、登り行く朝日が見える。 ……少しずつ、ほんの少しずつだけど。世界は白々と明るくなりつつあった。